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冷戦の終焉と国際関係の変容(ゆるやかなバイゲモニーをめざして): 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

冷戦の終焉と国際関係の変容(ゆるやかなバイゲモニーを

めざして)

Author(s)

狩俣, 真彦

Citation

沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(9): 61-100

Issue Date

1992-03-25

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/5762

(2)

冷戦の終焉と国際関係の変容

(ゆるやかなパイゲモニーをめざして)

狩俣真彦 目次 イントロダクション 19世紀の平和 ヨーロッパの勢力均衡 イギリスの国際収支 大空位時代(インタレグナム)の到来 冷戦体制とその変容 ラフ・パリティの崩壊 アメリカの衰退 冷戦後の世界 冷戦後の日米関係 日本の経済力 ゆるやかなパイゲモニー 章章123章123章12 12 3 第第 第 終 第1章イントロダクション 冷戦体制が終焉した今日、国際関係あるいは世界システムは過渡期の状態に ある。未来のある日、ジョン・レノンが「イマジン」で夢みたような、民族と 国家を越えたトランスナショナリズムが実現することがあるかも知れない。し かしそれは、はるか彼方の未来のことである。 われわれは現実にたちかえって、今日の過渡期の管理に務める以外にない。 ハーバードのジョセフ・ナイ教授は今日の過渡期を管理する能力を備えている 国はアメリカのみであると主張している。しかし、アメリカ経済は衰退が著し いので、日本の経済力と補完し合うことによってのみ今日の危機を管理するこ とが可能となろう。日米協調による国際システムの管理を本稿では「ゆるやか -61-

(3)

沖縄大学紀要第9号(1992年) なバイゲモニー」と呼ぶことにする。 「ゆるやかなパイゲモニー」の形成がベスト・シナリオである、と筆者は考 えているが、その実現には多くの困難が予想されろ。ことに日米が第2次大戦 から受け取った「歴史の教訓」が全く逆になっていろ、という事実は注意すべ きことである。 ハーバードの入江昭教授によれば、アメリカは第2次大戦から二つの「歴史 の教訓」を得た。第1は、侵略者に対する宥和(アピーズメント)は平和を生 み出さず戦争につながる、侵略者が理解できる唯一の言葉は武力である、とい うものである。第2の教訓は、国際秩序の維持に積極的に参加するのがアメリ カの責務である(孤立主義の克服)、という教訓である。 日本の受け取った「第2次大戦の教訓」は、いかなる戦争も罪悪で正義の戦 争はあり得ない、というものである。また大東亜共栄圏の失敗にこりて、国際 秩序や地域秩序への対応を控えがちになる。 本稿では第2章で19世紀の国際システムの安定の条件を検討する。「パック ス・ブリタニカ」と呼ばれている通り、ウィーン議定書の締結によってヨーロ

ッパ大陸に勢力均衡が成立したが、それはイギリスを世界のバランサーに押し

上げることになった。イギリスは海軍力と資本の余力を備え、その余力をバラ ンサーとしての役割に限定して行使することによって、19世紀の安定をもたら した。

第3章では、軍事力のパリティを維持する負担にたえられず、ソ連経済は崩

壊したが、アメリカ経済の衰退も著しく単独で今日の世界システムの危機を管

理する能力を失っていろ、ということを説明する。

終章では、日本の経済力が大きいこと、そしてアメリカとの「ゆるやかなバイ ゲモニー」によって、今日の世界の危機管理が可能である、と主張する。その 前提として日米相互の「第2次大戦の教訓」を検討する必要がせまられている。 第2章19世紀の平和 19世紀は比較的平和な世紀であった。その理由の一つに、イギリスの 優れた外交能力をあげることができる。 -62-

(4)

本章では、19世紀の国際システムの動きを説明する。パックス・ブリタニカ と呼ばれているように、システムの平和を演出したのはイギリスであった。 1815年6月、フランス革命とナポレオン戦争によってもたらされた混乱を収 結するウィーン議定書が調印された。その結果、ヨーロッパ大陸において、オ ーストリア、プロンヤ、フランス、ロシア、イギリス5ケ国間の勢力均衡が成 立することになった。 大陸におけるパワー・バランスの成立によって、海軍力に優れたイギリスに力 のサープラスが生じることになった。またヨーロッパ初の産業革命をすでに達 成していたイギリスは国際収支にもゆとりがあり、ヨーロッパと植民地をファ イナンスする役割も合わせて演ずることが可能であった。力と資本のサープラ スを手にしたイギリスは19世紀の平和を演出する国際システムのバランサーと なった。以下、19世紀のパワー・バランスとイギリスの国際収支の二項目に分 けて説明する。 1.ヨーロッパの勢力均衡 イギリスは18世紀を通じて、ヨーロッパ大陸からの孤立政策をとらざるを得 ない状況にあった。大陸で陸軍を展開するのはコストが大きく、その割には、 イギリスの大陸に占める利害は少なかったからである。それ故に、イギリスは その力を専ら海軍力の充実と植民民地運営にあて、ヨーロッパ大陸との関係を

最少にするよう政策を限定した。(注’)

しかし、ウィーン会議が終り、ナポレオンの没落も決定的になると、世界経 済の統合が進展するようになった。統合のネットワークの中心を占めたのがイ ギリスで、イギリスをはさんで貿易、海運、金融、通信の相互依存の体制がヨ ーロッパ諸国と新大陸間に深まっていった。このような流れの中で、イギリス は孤立主義に別れを告げ、ヨーロッパのバランサーに転身することになった。 ジョーン・スペロ女史は次のように述べていろ。 19世紀になると、政治体制はヨーロッパ大陸における力の均衡と大英帝国の 海外支配力によって特徴づけられるようになった。大陸ではウィーン会議の領 -63-

(5)

沖縄大学紀要第9号(1992年)

士再編成によって四大勢力が拮抗していた。そうした状況が大英帝国の勢力均

衡を保ったり、調停に乗り出したりする役割を可能にした。大英帝国はそのヨ

ーロッパ大陸に対する地理上の優位、大洋での支配力を利用して、大陸諸国の

海外植民地を拒絶することができた。大陸列強の力の弱まりと、イギリスの海

軍力とによって、非西欧世界の大部分は独立を保つか、あるいはイギリスの支

配下にあった。

この大陸勢力の均衡とイギリスの海外支配力という政治的体制のお蔭で、大

英帝国は経済発展の先頭をきることができたし、また大英帝国を中核とする国

際経済体制を確立することができたのである(注2)

第2-1-1図は19世紀の平和を確認するために、近代以後の世界における戦

争と平和を図示したものである。黒ぬりの部分は戦争を示し、白い部分が平和

を示していろ。かなりの数の大国が参戦する大規模戦争(第1次・第2次大戦

をイメージするとよい)を一般戦争、一般戦争のない状態を一般平和と呼ぶこ

とにする。大国間戦争とは敵対陣営の双方に大国が参戦する戦争で、大国間戦

争のない状態を大国間平和と呼ぶことにする。大国を含む戦争とは敵対陣営の

片方に大国が参戦する戦争で、大国が一切戦争に関与しない状態を大国の平和

と呼ぶことにする」注3)

第2-1-1図近代世界システムにおける戦争と平和

】 -12 大国間 大国の 0 ■ ■■■■■■■■ ■■■■■ 1 -02 大国間 大国の JUK ロ■■ ■■■IUU■■■■■■■■

□認[鯛lIi争が■↑郷てこ職叢凌《と‘

※田中明彦箸『世界システム』59ページ -64-

(6)

図で明らかなように、ナポレオン戦争の終結から1914年の第1次大戦が始ま るまでの間、一般戦争は一度も起っていない。大国間戦争も18世紀にくらべて 極めて少ない。大国が戦争に関与していない大国の平和の期間も長くなってい ろ。総じて19世紀が比較的平和な世紀であることが確認できろ。 すでに述べたように19世紀の国際システムにおいてバランサーの役割を果た したのはイギリスであった。したがって19世紀の平和はイギリスの力に負うと ころが大きい。ということで、次にイギリスのパワー。ソースについて検討す ることにしたい。 第2-1-1表は、19世紀のヨーロッパ諸国のGNPを示したものである。 表に基づけば、19世紀の中葉以降イギリスのGNPは、ほぼ世界の1位に達し ていろ。しかし、ロシア、フランス、ドイツのGNPもイギリスと肩を並べて おり、特にイギリスの所得が突出していろということでもない。イギリスの所 得は世界の所得の第2割を占めるに過ぎなかった。これは第2次大戦後の覇権 国であるアメリカのそれが、第2次大戦後の一時期50%に達していたのと対照 的である。 第2-1-1表 ヨーロッパの大国の国民総生産1830~90年 (1960年のアメリカ・ドルに換算しての市価lOlEドル) 18301840」850Z86DZ870I880I890・ ロシア10.511.212.714.422.923.221.l フランス8.510.311.813.316.817.319.7 イギリス8.210.412.516.019.623.529.4 ドイツ.7.28.310.312.716.619.926.4 ハプスプルク帝国7.28.39.19.911.312.215.3 イタリア5.55.96.67.48.28.79.4 (出典:P・ベイロック) ポール・ケネディ『大国の興亡(上)』265ページ しばしば言及したように、イギリスの力源で最大の比重を占めたのが、その 海軍力であった。イギリス帝国はその植民地の維持に腐心し、植民地を結ぶ海 軍基地と通信施設のネットワークを太西洋、地中海、インド洋、東支那海にわ -65-

(7)

沖縄大学紀要第9号(1992年) たってはりめぐらしていた。(第2-1-2図)

第2-1-2図大英帝国の主要な植民地、海軍基地、海底ケーブル

。.『Ebo-替一

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図画Rb マークワント , フォークランド811兄 ●● ニユーンー 一滴座ケーブル o胆爪腿地

ポール・ケネディ『大国の興亡(上)』339ページ

ここでは、イギリス植民地の中のインドとラテン・アメリカについて述べる

ことにする。インドは経済的に重要であった。「インドはランカシャーの綿製

品の50%を輸入し、中国の輸入品の50%をアヘンという形で供給していた。政

府の負担金や負債の利子を含めた、残りの世界におけるイギリスの赤字の40%

は、インドからの支払いによって補われた。帝国の宝石と呼ばれても不思議で

はなかった。」(注4)また、インドルートの確保は、ロシアの伝統的南下政策を防

ぐという地勢学的意義を持っていた。高坂教授は次のように述べているし注5)

インドへのルートの確保は、18世紀末にイギリスのインド支配が確立してか

ら以後、イギリスの対外政策の重要な目標の一つであった。第1次パリー平和

条約においてイギリスは、獲得した植民地の大半を返還しながらも海軍力の拠

点は保持したが、それらはマルタ・イオニア群島などの地中海から陸路による

-66-

(8)

ルートの拠点と、ガンビア、喜望峰、モーリシアス、セイロンなどの喜望峰回

りのルートの拠点に集中している。カースルリーは1816年、「イギリスの政策

は帝国を将来の攻撃から安全ならしめることであったが..……….今やすべての

重要な軍事拠点の鍵を獲得した」と述べた。 ラテン・アメリカでは19世紀のイギリスの自由貿易政策に対して、二つ立場 の主張がなされた。第1の立場は「アメリカ派」で、アメリカ派はローカルな 産業の保護育成の立場から、イギリスの自由貿易に反対し、保護主義を主張し ていた。 第2の立場は「ヨーロッパ派」で自由貿易の下で、ローカルな1次産品に特 化せよ、という地主の立場である。ラテン・アメリカではヨーロッパ派が勝利

して今日にいたり、現在も論争が続いている。(注6)

第1-1-2表は、これまで述べてきたイギリスの覇権の性格を理解するた めに、19世紀のイギリスの力源と、20世紀の覇権国であるアメリカの力源を比 較したものである。アメリカはGNP、軍事支出、工業生産のすべての力源に おいて世界の1位を占める絶体的覇権国である。 第2-1-2表イギリスとアメリカの珂柤の比較 イギリスの順位 アメリカの順位 18301870191319501983 国民総生産 軍事支出 工業生産 位位位 323 331 位位位 433 位位位 121 位位位 111 位位位 *出典:ブルース・ラセット ジョセフ.ナイ箸『不滅の大国アメリカ』83ページ

イギリスは、世界に先がけて産業革命を達成した国であるが、その覇権は示

された通り、極めて相対的なものである。したがってイギリスはアメリカとは

異なる形での覇権国であった○それは自らの力を認識し、その力を特定の目標

に向けて配分し、行使する能力、すなわちソフト・パワーに優れていた、とい うべきである。そしてその目標とは、国際システムのバランサーに徹すること であった。ウィントン・チャーチルは大変雄弁にイギリスの政策を要約してい る。ただし、この演説がなされた頃、イギリスの覇権は終っていた。 -67-

(9)

沖縄大学紀要第9号(1992年)

四百年の間、イギリスの対外政策とは、大陸における最も強力な勢力、最も

侵略的な勢力、そして最も支配的勢力に対抗することであり、特に低地国がそ

ういう勢力の手に落ちることを防ぐことであった、…..…・…いかなる場合も、

イギリスはより困難な道を選んだ。スペインのフエリペニ世に立ち向ったとき、

ウィリアム三世とマールバラに率いられてルイ14世に対抗したとき、ナポレオ

ンに対抗したとき、そして、ドイツのウィルヘルムニ世に対抗したとき、イギ

リスは強国に味方して征服の獲物を分けてもらう方が楽だったろうし、その誘

惑はたいへん強かったに違いない。しかし、我々は常により骨の折れる道を選

んだ。弱国に味方し、弱国を結合させ、かくして大陸の好戦的暴君を、それが

誰であろうと、どの国の指導者であろうと、打ち破り失望させた。こうして我

々はヨーロッパの自由を保持し、活気のある多様な社会の発展を保護し、四度

にわたる恐るべき闘争の後にますます名声を高め、ますます領土を拡大して勝

ち残ってきたのである。ここに、イギリス対外政策のすばらしい、たくまざる

伝統がある。我々のすべての思想は、今日、この伝統に根ざしている。………

…イギリスの政策は、どこの国がヨーロッパの支配権を求めているか、という

ことなどは考慮しないのだ、ということに注意したまえ。問題は、その国がス

ペインかフランス王国か、フランス帝国か、ドイツ帝国か、あるいはヒットラ

ー政権か、ではない。それは支配者とか国家に関係がない。問題はただ、誰に

せよ最も強力なもの、将来支配者たる可能性のある暴君だけである。だから、

我々は、親仏的とか、反独的とかいって問責されされるのを恐れる必要はない

のである。もし事情が逆転すれば、同じように我々は親独的、反仏的にもなる

のである。我々が実践しているのは国家政策の原則であって、決して偶然の事

情や好き嫌い、その他の感情によって支配される便法ではない。(注7)

2.イギリスの国際収支

上述のチャーチルの演説がなされたのは1936年であり、イギリスの力は相対

的に衰退しており、国際システムの覇権はアメリカに移りつつあった。しかも

大陸では第1次大戦と、やがて始まる第2次大戦を通じてイギリスはドイツの

-68-

(10)

挑戦を受け覇権の凋落を早めていった。 しかし、19世紀について言えば、チャーチルの演説は真実であって、イギリ スは国際システムのバランサーとしての力と幸運に恵まれ、19世紀の平和の達 成に携わったのである。イギリスの力の源泉としての海軍力や植民地、貿易の ネットワーク等についてはすでに述べたので、ここではイギリスの国際収支の 特徴について説明していきたい。第2-2-1図はホプズボームが示した、19

世紀から20世紀にかけてのイギリスの国際収支の図示である。(注8)

第2-2-1図イギリスの国際収支 ■Ⅱ H2L ① ホブズボーム著『産業と帝国』35図 その第1の特徴は、貿易収支が連続して赤字を示しており、しかも赤字は年 々増加を示していろ、ということである。したがって、収支の破綻をきたさず に取引きを続けるためには、貿易外収支の黒字が大きくなければならない。当 -69- ◆ 0 0 4 0000 00 32 1 1 000 00 1 1 』 。。 23 一一 一 ■■ト● 利子およびサービス

、と

●〆 ’ ■■I●  ̄  ̄ サービス ニニ岳典二292目2●●●●●●●●■●●●●●● 利子 ● ’ ● ノ ● ̄ ③ P

=● 収支残高 P ■■■ ̄ 20  ̄ ■■  ̄ ̄ ~ ̄へ 0850IPOO ̄~ 、 -- 、

、V 商品貿易収支 〆、 、 、 、 、 、 「'、 、 、 、 、

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(11)

沌縄大学紀要第9号(1992年)

時の貿易外収支で比重の大きいのは、海運収入と海外投資の生み出す利子・配

当、貿易の手数料等であった。当時のイギリスは海運国であり海運収入は大き

く、またヨーロッパ大陸と植民地からの利子・配当も大きく、したがって貿易

外収入で貿易赤字を十分にまかなうことができた。これが第2の特徴である。

結果として、貿易収支と貿易外収支の合計である経常収支は常に黒字であった。

これが第3の特徴である。経常収支の黒字は海外投資に当てられるので、イギ

リスはヨーロッパ大陸への投資によって大陸の工業化を促進することができた

し、植民地のインフラストラクチャの整備によって植民地の輸出を拡げること

になった。これが第4の特徴である。第2-2-1表は、イギリスの国際収支

を数字で示してあり、以上に述べたことを具体的に確認することができるJ(注9)

第2-2-1表19世紀イギリスの国際収支 (年平均.単位:百万

雨FE三F'5二EIi;

、ろ出値 、安の に本推

|悪菱質盆|孟麦蘆a,玉

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保険収支 1 223344556677.889 8 1 一一一一一一一一一一一一一一一 616160616161616 m22334455667788 1 卵肥距⑫l卵lMIml別IMI脳lnl則l銅I汎-m ●●●●●●●●●●●●●●●

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●●●●●●●●● (汐』(、皿》・匁邑『△幻ニーローロ(『〃。(ア』(叩亜》(】》 (一夕』。(』。【刀。(}α]戸島}》(】(》←ヘニ》。『』・・幻■。 ↓ 27.86 70.80 30.74 64.24 102.56 51.10 70.26 87.72 8766804 9371929 ●●●●の●● 9644300 456890.1 11 008 365 ●●● 004 367 11一上 一一一 一illI 50一つ c)n」(』 9 1 一一一 161 990 9

321

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霊二i:'二鰯:|淵1綴 ::::|薯:::|鯛;;:霊I

144.48 117.46 (出所)Imlah[19”],Simon[1967]・

富田俊基箸『国際国家の政治経済学』55ページ

-70-

(12)

第2-2-2図は19世紀のイギリスの経常収支と資本輸出を描いたものであ る。経常収支の黒字が新規海外投資とほぼ重なっていろ。海外投資は三つの山 を描いていろ。第1の山は1850から1870年にまたがっており、アメリカの鉄道 建設に対する海外投資である。 第2の山は1880年代をカバーしており、南米とオーストラリアの農業とイン フラストラクチャに対する投資である。 第3の山は、19世紀末から第1次大戦などに続く大きなうねりをなしており、 ヨーロッパや海外植民地のみでなく、日本、中国を含めた世界的拡がりをもっ ていた。 第2-2-2図19世紀イギリスの安本輸出 百万ポンド ---経常収支に のり世定位( -新規海外役 の推定位( 200 150 100. 釦佃卯mm0m印 -1 G LJ1/ ■ ’ 1-.ミノヘ 6202530 40 50 606570 [1967]. 8090190010 (出所)ImIaMl958],Simon 富田俊基『国際国家の政治経済学』59ページ 表2-2-2は、以上述べたイギリスの19世紀の投資の内容をまとめたもの である。地域別にみると、ヨーロッパ、南北アメリカ、アジア、アフリカとほ ぼ全世界をカバーしていろ。資金調達の主体も民間、政府にまたがってバラン スが保たれていることが理解できろ。19世紀のイギリスが、海軍力と資本のサ ープラスに恵まれ、国際関係のバランサーの役割を努めたことが確認できろ。 -71-

(13)

沖縄大学紀要第9号(1992年)

第2-2-2表19世紀イギリスの安本輸出の内容

蝿 額 40ば8,200万JKソド 砧□ LEJI 40% 389 位HVBの1m 〕兇 59% (出所)SimoMI967]、

富田俊基『国際国家の政治経済学」60ページ

大空位時代(インタレクナム)の到来 3.

比較的平穏に過ぎた19世紀も、世紀末に至ると破乱の要因が増えてきた。

1871年、プロンャ国王ウィリアムズ1世が、初代ドイツ皇帝に就任した。次(

1571牛、フロンャ国土ワィリアムズ1世が、初代ドイツ皇帝に就任した。次い

でドイツ帝国憲法が制定され、ドイツ帝国は連邦制国家としての歩みを始めた。

中原の国は原則的に言えば、.強ければ周囲の国々にとって脅威となり、弱け

れば周囲にとって不安的要因となる。中原の国のジレンマである。したがって

-72-

(14)

中原の国は、自己の力をU慎しみ深く限定する必要がある。しかし統一ドイツは 力を周辺に及ぼし、積極的に覇権に挑戦する政策を展開することになった。 他方、イギリスを追い抜いて世界最大の経済大国になったアメリカの政策は、 孤立主義・道徳主義、普遍主義の色合いが濃く、国際関係のバランサーとして の役割を弾力的に展開するには、不適切であった。 かくして国際関係は、波乱の大空位時代におちいってしまったのである。 1914年、大方の予測に反して、ヨーロッパ大陸で第1次大戦が始められた。戦 後、アメリカを中心に黄金の20年代を迎えたものの、繁栄は長続きせず30年代 の大恐慌に突入することになった。大恐慌は軍国主義の台頭を生み、第2次大 戦につながったことは、周知の事である。 以上の3事件は、いずれも、イギリスの覇権が衰退する中で、未だ代わるべ き次代の覇権者が確定していないという不安定から生じた大空位時代を象徴す る出来事である、というのが覇権安定論を唱える人々の主張である。ここでは、 三つの事件のうち、大恐慌に限ってコメントすることにしたい。 第2-3-1図、及びその説明表は、チャルズ・キンドルバーガーの 『大不況下の世界1929-1939』に依るものである。恐慌前の1929年1月の世 界貿易の金額は約30億ドルであった。恐慌の谷とされる1933年1月の貿易額は 約10億ドル、すなわち3分の1におちこんでいるのである。したがって、19世 紀の自由貿易によって形成された相互依存の世界は、ほぼ終ったといってよい。 事実、貿易のおちこみによって各国間の貿易摩擦は増え、世界経済は分裂して ブロック経済に変り、第2次大戦へとつながっていったのである。キンドバー (注10) ガーは不況の検討を次の通り要約している。 本書の説明は次の通りである。1929年不況が非常に広い地域に及び、著しく 深刻であり、大変に長引いたのは、(1)投げ売りされる商品に対して比較的に開 かれた市場を維持する、(2)景気調整的な長期貸付を行う、(3)恐慌の際に手形を 割引くという3点において、イギリスは国際経済を安定させるために責任を負 う能力をもたず、そのため国際経済システムが不安定になったという理由によ るものであった。 -73-

(15)

沖縄大学紀要第9号(1992年)

第2-3-1図1929年1月-33年3月における世界貿易の

螺旋状の収縮(75カ国の絶倫入.月額,111位100 万I日米金ドル) (100万ドル) 4月 年

野“叫噸野趣““、鐘哩函理

塑 2223222222222 1930年 2073a9 20454.6 20563.9 2.449.9 2.447.0 2,325.7 2.189.5 2137,7 20164.8 2.300.8 2.051.3 20095.9 2o32a7 1931年 1.8389 10700.5 1.889.1 10796.4 1,764.3 1,732.3 10679.6 1,585.9 1.5721 105563 10470.0 1.426.9 10667.7 0748577664320 年

鵡唾麺巫、“麹四四“噸叫曄

1933年 9924 944.0 1.056b9 月月月月月月月月月月月月均 123456789,,m平 月 1月 610月 出所:League。lNationB・Mb"Eハム'B“Bzd〃。/SE。“た8. Februa可l9340p、51. キンドルバーガーが述べた通り30年代の世界恐慌は、イギリスの力が衰退し、 アメリカに覇権の自覚がない、という世界システムの大空位時代のもたらした

事件である。第1次大戦と第2次大戦についても世界システムの空白の影響は

大きかった、と考えられろ。 高坂正堯著『古典的外交の成熟と崩劉中央公論社第4章 ジヨーン.E・スペロ箸『国際経済関係論l東洋経済8,9ページ 田中明彦『世界システム」東京大学出版会56-60ページ P.Iテイラー箸『世界システムの政治地理・上J1大明堂155ページ 高坂正堯前掲書150ページ P.J・テイラー前掲書165ページ ハンス.J・モーゲンソー著「国際政i岩』福村出版210ページ E・ルホプズポーム著『産業と帝国」|未来社図版35国際収支 この著書の巻末にイギリスの政治経済を説明する極めて適切な地図、表、グラ 12345678 注注注注注注注注 -74-

(16)

フ等52枚が図版というタイトルのもとに掲げられている。イギリス経済を視覚 的に理解するのに大変便利である。 注9富田俊基著『国際国家の政治経済判東洋経済出版55,59,60ページの 表と図を引用した。 注1OCP、キンドルパーガー箸『大不況下の世界1929-1939』東京大学出 版会264ページ

第3竃冷戦体制とその変容

大戦の損害と戦費の圧迫の結果、第2次大戦後の世界の列強の勢力均衡は戦 前と極めて異なる様相を呈するようになっていた。アメリカのGNPは1939年 の886億ドルから45年には2200億ドルに達した。この間の工業生産の伸びは年 率15%にも達していた。アメリカの金の準備高は200億ドルに達し、世界の総 準備高330億ドルの約3分の2を占めていた。 他方では、ソ連をはじめとする列強の落ち込みは、想像を絶するほど大きか った。アレック・ノーヴはドイツ占領下のソ連領土やウクライナ、白ロシアに ついて「多くの町が廃虚と化し、何千という村が破壊された。人々は地面に穴

を掘って住んでいた」と書いていろ。(注’)

第3-0-1表は、1950年の列強のGNPの大きさと各国の比率を示したも のである。 第3-0-1表(a)大国の国民総生産1950年 (1964年のドルに換算) 国民総生産1人当たり (l0UEドル)(ドル) アメリカ3812,536 ソ連126699 イギリス711,393(1951年) フランス501,172 西ドイツ481,001 日本32382 イダリア29626(1951年) (出典:「1人当たり」のみS、H・コーン) ポール・ケネディ箸、『大国の興亡(下)」167ページ -75-

(17)

沖縄大学紀要第9号(1992年) (b) 主要国のGNPシェア(1870~1980) 米国|日本|ドイツ|イギリス|フランス|ソ連 1870 1880 1890 1900 1913 1925* 1938 1950 1960 1970 1980 61260530576 ●●●●●●.●●●●● 96806260206 12233435443 74035020838 ●●●●●●●●●●● 65555895716 11 83740201262 ●●●●●●●●●●● 66567257911 1111111 11 35383676634 ●●●●●●●●●●● 97974210865 11111111 11111Ⅲ54203孤孤Ⅲ8.8 86183602162 81719181858 ●●●●●●●●●●● 99776500411 !《1今111122222

富田俊基著『国際国家の政治経済学』160ページ

日本とヨーロッパに較べて、アメリカの経済的覇権の確立は明らかであり、

そしてアメリカに挑戦するソ連の姿も示されている。

1.ラフ・パリティの崩壊

冷戦体制下において、米ソは軍事力のラフ・パリティを維持するように努め

ていた。第3-1-1表は、戦後の各国の軍事支出を示したものである。この

表から明らかなことは、冷戦体制においては米ソの軍事支出が他に較べて突出

しており、冷戦体制とは軍事における米ソ二極体制である、ということである。

つぎに、米ソの軍事支出が、ほぼ等しいこと、特に1960年代においてはパリ

ティが目立つ、ということである。もちろん、支出の内容は双方の都合で異な

っていろ。通常戦力についてはソ連が大きいが、アメリカは機動性に勝ってい

る空母については、アメリカの保有が14隻、ソ連の保有数は4隻であった。し

かし非対称的ではあっても、総合すると「米ソの軍事力はそれぞれの強さを持

ち、おおよそ等しい」とジョセフ.ナイは書いている。(注2)

米ソが等しい軍事支出をするということは、所得の相対的に低いソ連にとっ

て、それだけ負担を強いることを意味する。アメリカにとっても大きな負担で

-76-

(18)

第3-1-1表 大国の防衛支出1948~70年 (loIEドル)

年アメリカソ連西ドイツ・フランスイギリスイタリア日本中国

194810.913.10.93.40.4 194913.513.41.23.10.52.0 195014.515.51.4.2.30.52.5 195133.320.12.13.20.73.0 ,5247.821.93.04.30.82.7

Z95349.625.53.44.50.70.32.5

,5442.728.03.64.40.80.42.5

195540.529.51.72.94.30.8.0.42.5

195641.726.71.73.64.40.90.45.5

195744.527.62.13.64.30.90.46.2

,5845.530.21.23.64.41.00.45.8

z95946.634.42.63.64.41.00.46.6

196,45.336.92.93.84.61.10.46.7

196Z47.843.63.14.14.71.20.47.9

195252.349.94.34.55.01.30.59.3

Z96352.254.74.94.65.21.60.410.6

195451.248.74.94.95.51.70.612.8

z96551.862.35.05.15.81.90.813.7

,6667.569.75.05.46.02.10.915.9

z96775.480.95.35.86.32.21.016.3

196880.7.85.44.85.85.62.21.117.8

,6981.489.85.35.75.42.21.320.2

Z97D77.872.06.15.95.82.41.323.7

(出典:ミシガン大学政治・社会研究インターュニヴァーシティ・コンソーシアム) ポール・ケネディ箸『大国の興亡(下)』167ページ であることは事実だ。まずアメリカの方から検討することにする。

第3-1-.1図は1950年から1995年までの軍事支出の実績と見通しを示した

ものである。朝鮮戦争ピーク時の負担がGNPの12%、ベトナム戦争のピーク

時が9%、レーガン時代のピーク時が6%、そして90年で5%になっている。

1945年から90年にかけての年平均の軍事支出は、GNPの約6%にあたる。そ

のほかに、冷戦費用として軍事がらみの対外援助が、GNPの約1%あったと

考えられるので、アメリカの冷戦費はGNPの約7%に達したと考えられろ。

軍事支出はその大きさのみでなく、資源配分を軍事に偏向させるというミス

-77-

(19)

沖縄大学紀要第9号(1992年) 第3-1-1図

DefenseBudgetisShareofGrossNationalProduct

1111 % ワ 050055060'657075080085090pS FiscalYcar BergnerTHENEWSUPERPOWERS212ページ ・アロケインョンを伴うと考えられろ。第3-1-2表はそれを示している。 第3-1-2表主要国の科学研究賃に占める軍事研究費の割合 E1 研究史国防研究費政府負担B/AB/C(96) 日本 ソ連 アメリカ イギリス 西ドイツ フランス 97,752 378 161,679 22,411 45,458 28.071 827 141 48.757 5,305 20259 6.270 180014 167 77,561 8,666 16.406 0.85 37.4 30.2 23.7 4.97 22.3 4.59 84.7 62., 61.2 13.8 43.9 14.283 注:イギリス、西ドイツの数字は1,87年分.また、西側脂囚の金額の単位 は但円、ソ迫のそれは低ルーブル. 出所:ソ連は国民経済統叶集および7ルギュメントィ・イ・ファクトイ, 1,90.No.45.1ルーブルは公定レートは220~260円のあいだ、平均240円 であるが、ソ連のの価格制度は安本主狡諸国といちじるしく異なり、単純 な円換算は必ずしも適当でないので、ルーブルのま蚤とした。西側脇図は 科学技術白書、1190年版. 『経済セミナー』 1991年6月号 20ページ -78- - 32109876543210

 ̄ ̄ ̄ ̄1 U 、9%

b/、

’4Wわ 9.1% 、  ̄、

ノ、

、 /

1 □6.8%

、〆

〃  ̄-- ̄の■

更魏、

』44

% 、’A7CmL 5.0

5、=「

4.0%

(20)

表によれば、科学研究費に占める国防研究費の割合は、ソ連が37%、アメリカ が30%、日本は085%である。また政府研究負担に占める国防費の割合は、ソ

連が85%、アメリカが63%、日本が5%である。(注の

つぎにソ連における物財のアロケインョンを検討する。アベル・アガンベギ

ャンは西側にも知られた経済学者であるが、1987年にゴルバチョフの経済顧問

を務めた。彼は移動大使となり西側でペレストロイカを説き回った。巨体をゆ する血の気の多い彼はソ連の軍事化について次のように語っていろ。 ソ連を理解するには、ソ連を兵営と比べればよい..………・国民総収入の少な

くとも4割が防衛費だ(アメリカは6パーセント)。しかも、この直接防衛費

に加えて、上から下まですべての経済が軍事用に使われていろ。ソ連は普通の

生活を取戻す時代に入ろうというのに戦後も動員解除を忘れてしまった観があ

った。その行きつくところが、軍隊生活特有の行動様式つまり、盲目的服従、

画一主義、なまけ癖、飲酒癖、であった。(注5)

ソ連の物資の動員をよりよく示しているのがコメコン(経済相互援助会議)

の仕組みである。コメコン域内においては加盟国が5ケ年計画を立て、ソ連の

対外経済省が中心になって各国と二国間収支均衡が成立するように貿易を

調整した。

第3-1-2図は、コメコン各国の分業と貿易を示したものである。図によ

ると東ヨーロッパ諸国は国別にさまざまな工業用機械をソ連に供給しているが、

それらのほとんどが民生用の製品である、という事実である。ということは、

ソ連の資本をできるだけ軍事用にふり向けてアメリカとの軍事パリティの維持

に努め、その結果生ずる民生部門の工業品不足については、東欧諸国の資本を

動員するという体制である。

なお、見返りにソ連がコメコン諸国に供給する物資はほとんどが石油であり、

その他に武器や高度の資本財等を合わせて提供していたことが示されていろ。

ソ連は世界一の石油産出国であるため、コメコン諸国に国際価格の3分の1

ないし3分の2の価格で石油を供給して来た。これは、形を変えた援助であり、

-79-

(21)

沖縄大学紀要第9号(1992年) 第3-1-2図 コメコン貿易関係概略図 Ⅱ 機械Rn展産物 l/b コメコン城外とのi(坊 品目を示す) 一半製品Rn 〔分業体制の例一機械工業〕 フォークリフトブルガリア(バルカンカール辻) バスハンガリー(イカルス杜) 化学蛾1蘭・農業機械東ドイツ 繊維磯械チェコスロバキア 12トン以上のトラックチェコスロバキア(タトラ仕) 廠業lIlpポットブルガリア(ベロエ・コンプレクス社) 金帆加工機械東ドイツ iMl工作機械.〕Kドイツ,チェコスロバキア,ブルガリア 発1Mt胴ソj仏チェコスロバキア 幻ハエ菜凡l餓鯛東ドイツ (注)各国の面狼は,隆済洩倶等とは関係ない. 豊田博編『世界経済を読む』88ページ -80-

(22)

東側ブロックの維持に大きな役割を果たして来た。 1970年代の石油ショックの時代において、ソ連はその最大の受益者となり、 石油収入は軍拡の負担をやわらげることになった。近年の原油価格の安定と石 油産出量の減少によって、ソ連の外貨収入がいきづまりを見せているのみでな く、コメコン諸国への石油供給のゆとりがなくなったことから、ソ連による東

欧のデカップリング(切り離し)が進められることになった。(注6)

1990年に公表されたIMF等の国際機関の調査報告によれば、1989年のソ連 のGNPは約5,126億ドルであった。同年のアメリカのGNPは5兆2千億ド ルであったから、ソ連のGNPはアメリカの10分の1になる。すでに述べたよ うにアメリカの軍事費はGNPの6%、仮bにソ連の軍事費もアメリカと等し かったとすると、ソ連の軍事費はGNPの60%(6%÷01)となる。これは 耐え難い負担であって、ポール・ケネディが述べた、大国の戦略の過剰展開の 結果としての衰退の典型的なケースである、と考えて良い。以上のような経過 と結果を経て、ソ連はアメリカとの軍事力のラフ・パリティを維持する戦略を 放棄することになった。 2.アメリカの衰退 ソ連経済が冷戦体制の下で行きづまったのは周知の通りであるが、アメリカ 経済の地位もEC諸国と日本に対して相対的な低下を続けていろ。1990年のア メリカの1人当りGNPは約2万2千ドルであったが、日本のそれは約2万4 千ドルであった。日本の1人当り所得がアメリカのそれを追い越したのである。 GNPの国際比較は為替相場によって換算するので、相場の変動によって変化 するのは事実である。例えば、1985年のプラザ合意前の円ドルレートは240円 であった。現在の円ドルレートは130円前後であるから、レートの変更の故に 日本のGNPはドル換算では約2倍に表現されることになる。逆に購売力評価 で換算した場合、日本円の価値は自由化の遅れや流通機構の相違等によって低 いので、その分、実質所得は下らざるを得ない。しかし国際比較の困難を前提 にしても、アメリカ経済の相対的衰退はいなめないところである。 第3-2-1表は世界のGNPに占める、主要国のンエアの推移を示したも -81-

(23)

沖縄大学紀要第9号(1992年)

のである。1960年のアメリカのシェアは34%であったが、1987年には24%に落

ちていることがわかる。同期間の日本のシェアは3%から13%へと大きく上昇

していろ。この点について、ハーバードのジョセフ・ナイ教授は、戦後アメリ

カのシェアが高かったのは第2次大戦の被害によってECと日本が一時的に落

ち込んでいたからであり、相対的にECや日本のシェアが上がりアメリカのシ

ェアが下がるのはノーマルな現象である、と述べている。世界のGNPに占め

るシェアが24%というのは、アメリカにとって自然の姿であり、当面それ以上

に低下することはあり得ないし、従ってアメリカの衰退ではなく「第2次大戦

効果」が終ったのだ、と言う。(注7)

第3-2-1表世界GNPにおける主要国のシェア,196卜87年 (lOidドル,%) 1960197019801987 1500(1000)32500000)ll892(1000)18609(1000) 年次 世界総額

:i篝

三重

506(33.7) 43(2.9) 70(4.7) 58(3.9) 32(2.1) 71(4.7) 982(30.2) 196(6.0) 186(5.7) 148(4.6) 93(2.9) 124(3.8) 2,732(23.0) 1.059(8.9) 817(6.9) 660(5.5) 396(3.3) 535(4.5) 4,527(24.3) 2.387(12.8) 1.124(6.0) 877(4.7) 751(4.0) 689(3.7)

石崎昭彦著『日米経済の逆転』118ページ

そこで、もう少し立ち入って、アメリカの産業構造の変化からアメリカの衰

退を検討することにしよう。第3-2-2表はアメリカ経済の姿を産業部門別

の就業者と名目GNPの構成比で示したものである。今、名目GNP比で眺め

てみると、農林水産部門で1960年の44%から1986年の22%と落ちていろ。

第2次大戦争中、各国は食糧自給率を高めたので、戦後世界の農産物の需給

がゆるみ、アメリカの農業も1960年代後半まで停滞を続けていた。しかし、

1970年代の石油をはじめとする1次産品の需給逼迫を受けて、社会主義国への

輸出増加等がおこり、アメリカ農業は耕地の拡大や農業投資の増加でこれに対

応した。

1980年代の世界同時不況によって、農産物需要は再び低迷期を迎えることに

なる。その際、アメリカ農業の落ち込みが特に深刻となったのは、70年代の農

-82-

(24)

業投資による生産能力の拡大幅が大きかったことに加え、レーガン政権のもた らした財政赤字に基づくドル高が輸出競争力を下げたからである。 第3-2-2表アメリカ経済の産巣部門別構成 (%) 就業者 名目GNP l929I960I970I980I986 9.94.32.93.02.2 32.035.732.430.826.6 25.228.625.622.519.6 57.260.564.966.271%3〆 __〃- 7.64.53.93.8.3.4 15.516.716.916.616.7 15.114314.415.416.5 10.09.811.613.2116.7 5.19.411.810.510.6 19291960197019801986 農林水産 鉱エ業 18.97.04.03.42.8 30.432.030.727.824.6 製造集 23.125.524.621.218.0 サービス粟 50.761.064.068.872.6 辺 輪 6.74.13.53.33.1 卸.小売 17.119.219.020.221.2 金融・保険・不動産 3.44.24.85.76.4 ビス サ '4.215.117.020.123.7 般政府 6.315.417.715.614.6

竹中平蔵著『入門現代アメリカ経済』94ページ

つぎに鉱工業部門を眺めてみると、1960年36%から1986年の27%に落ち込ん でいろ。戦後、1950年代までのアメリカの製造業は、戦時中に押さえられてい たペントアップ需要や朝鮮戦争に基づいた景気に支えられて、むしろそのウエ イトを高めていた。また60年代半ば頃までは、鉄鋼、自動車等の伝統的市場の 成熟にもかかわらず、他方で航空宇宙産業、コンピューター・石油化学産業等 の先端部門が興ってきた。そのために、製造業のウエイトの減少はわずかであ った。しかし70年代の石油危機を通じてウエイトの低下が大きくなり、80年代 のレーガン政権下のドル高によってこの傾向は加速されるようになった。ドル 高・輸出減と関連して産業の空洞化あるいは非工業化(デ・インダストリアラ イゼインョン)として知られている通りである。 -83-

(25)

沖縄大学紀要第9号(1992年)

以上の結果、アメリカの所得に占める第1次産業と第2次産業の合計のシ

アは29%となり、第3次産業等のシェアは71%に達していろ。アメリカのサー

ビス経済化は1980年代になづて特に顕著になってきたが、その内容は金融、保

険・不動産、狭義のサービス業等である。

アメリカの産業構造の変化は、産業立地の変化を通して、アメリカの地域構

造の変動をもたらしていろ。また、地域構造の変化はアメリカの政治地図にパ

ワー・シフトをもたらすことになった。我々の記憶にまだ残っていろ、ジミー

・カーター、ロナルド・レーガン、ジョージ・ブッシュはそれぞれにこのパワ

ー・シフトの波をあらわしていろ。カーターはジョージア州、レーガンはカリ

フォルニア、ブッシュはテキサスを代表する。

第3-2-3表はアメリカ経済の地域構造の変化を示すものである。アメリ

カの伝統的な工業地帯は北東部、中西部に立地し、南部・西部は農業地域であ

った。1950年の北東部と中西部の人口は56%、就業人口は実に64%を占めてい

た。同地域の88年の人口の比率は45%、就業人口は86年に46%になった。何れ

第3-2-3表アメリカ経済の空間構造 (%) 人 型向宣粟窮C乗雫i I95019801985 36.725.421.2 9.87.55.9 26.917.915.4. 35.629.924.8 30.023.117.2 5.66.87.6 19.528.233.6 11.114.817.2 4.46.45.8 4.08.010.6 8.115.520.4 1.12.75.4 .7.012.815.0 100.0100.0100.0 ロ 19501980198619871988 コヒ東部 ニューインク・ランド 中部大西;羊 中西部 北車中部 北西中都 南都 南部大西j羊 南東中都 南西中笥3 西部 山長身地滑夢 太平年 全国 26.1 6.2 19.9 21.7 5.5 16.2 20.8 5.3 15.5 20.7 5.3 15.4 20.6 5.3 15.3 29.4 20.1 9.3 26.0 18.4 7.6 24.6 17.3 7.3 24.4 17.1 7.2 24.5 17.2 7.2 31.2 14.0 7.6 9.6 33.3 16.3 6.5 10.5 34.4 17.0 6.3 11.1 34.4 17.1 6.3 11.0 34.4 17.3 6.2 10.9 13.3 3.4 10.0 19.1 5.0 14.0 20.6 5.4 15.2 20.2 5.4 14.8 20.4 5.4 15.0 100.0100.0100.0’00.0100.0

竹中平蔵著『入門現代アメリカ経済』97ページ

-84-

(26)

6大幅な低下である。逆に南部・西部は人口比においても就業者数においても

シェアが増加したことになる。(注8)

古くからコーリン・クラークやその他の人々によって説かれているように、 経済発展に伴なって産業構造は必然的に高次化するので、先進国にほぼ共通に 第1次、第2次産業のウエイトが落ち第3次産業のウエイトが増加するのはさ けられないことである。しかしレーガノミックスによってドル高が生じ、ドル

高の結果アメリカの製品輸出が落ち、逆に日本とアジア・ニーズからの製品輸

入が急増することにより、アメリカの国際収支の赤字が拡大したことが、人々 の不安をかきたてることになった。 アメリカの国際収支の赤字は海外資金の借入れによってまかなわれないとい けないが、それは持続可能(サスティナブル)でないので、やがてドルの信認 の崩壊によってドル暴落と不況に見舞われるという議論を生んだ。また収支の

赤字はアメリカ工業の競争力の低下を意味するので、アメリカの産業空洞化を

もたらし、アメリカの衰退論に拍車をかけることになった。 第3-2-4表は、1988年の日米設備投資の規模を金額と日本を100とした 比較で示したものである6設備投資は資本装備率を通して生産性を上げ、国際

競争を左右する第一の要因になると考えられろ。表によると、製造業において

アメリカが日本を上回る投資をした分野は製紙・パルプ、化学、石油等であり、 電気、機械、輸送機械等の先端分野では日本がアメリカを上回っていろ。逆に、 サービス分野ではアメリカが日本を上回っているd日米設備投資の比較におい ても、やはりアメリカ経済のサービス化が目立っていろ。 第3-2-5表はアメリカ商務省のハイテク産業における日米欧の競争力を

比較した結果である。一般的に言えば、現状において日米の競争力はかなり伯

仲しており、ヨーロッパはかなり後れていることが示されていろ。将来につい て見た場合、アメリカの競争力は日本に対してほとんどの分野で後れをとるこ

とが示されていろ。ヨーロッパとの比較についてもアメリカの競争力差は縮ま

っていくのが示されていろ。

現状の比較でみた場合、アメリカは6分野で日本に先行し、超電導について

は対等、新素材、半導体、オプトエレクトロニック等の5分野で日本に後れて -85-

(27)

沖縄大学紀要第9号(1992年) 第3-2-4表 日米設備投資の規模比較(1988年) (11t位:10健ドル) 注:渦【11j【てIIW

佐藤公久・坂本俊造『アメリカの寿命』25ページ

いろ。将来についてみると、アメリカの優勢な分野はゼロで、日本と対等を維

持できる分野はわずかに人口知能、フレクシブルCIMの2分野、他はすべて

劣勢となっていろ。(注9)

-86- 米国 実数 日本=100 日本 実数 全産業 430.8 85.8 501.6 製造業  ̄ 次金属 鉄鋼 非鉄 金属製品 趣気機械  ̄ 般機械 166.3 11.0 6.2 2.8 4.3 18.3 15.3 15.4 10.7 ● 3.4 3.6 12.9 2.1 11.4 19.3 20.1 98.0 84.7 72.1 63.0 44.0 64.3 75.1 74.8 52.9 92.6 33.7 149.5 110.8 717.1 び 169.8 13.7 8.6 4.4 ・9.8 28.5 20.3 20.6 6.8 13.9 6.3 7.6 17.4 2.8 非製造業 鉱 迎  ̄ 公 陸 航 業 輸 上 空 益 264.4 12.7 21.3 7.1 7.3 46.7 64.5 53.8 33.4 32.1 79.7 904.6 135.7 123.1 349.2 38.0 331.8 1.4 34.4 52.4 15.4 87.8

(28)

新技術をめぐる対日欧比蚊(今後) 第3-2-5表 新技術を90《・ろ対日欧比收(現状) 1 1I 陸:CIM■コンピュータ嘘合生窟システム 佐藤公久・坂本俊『アメリカの寿命」27ページ アメリカの衰退を劇的に示す分野として、次にアメリカの財政赤字、貿易赤 字、対外累積債務をとりあげてみよう。1970年代は、石油ショックをはさんで、 戦後の高成長時代が終り、世界経済の停滞期となった。特にアメリカはスタグ フレーションに落ち入り、1980年代のキャンペーンで現職のジミー・カーター が敗れ、ロナルド・レーガンが登場することになった。 就任間もない81年2月、レーガンは「経済再建プログラム」を議会に提出し た。レガノミックスは4つの柱から成る。 (1)政府支出の伸びを抑えるための予算改革 (2)所得税率引き下げと減価償却期間短縮による景気刺激 (3)規制の緩和 (4)安定した通貨管理による金融市場の回復 第3-2-1図は、1977年から85年にまたがる、アメリカ連邦財政赤字を対 GNP比で示していろ。レーガン政権の志した財政再建に反して、赤字が急増 していることが示されていろ。レーガンの「悪の帝国」に対する「強いアメリ カ」をめざした国防費の増大が赤字の大きな原因であった。 -87- 対日本 対欧州 優鈴 人工知能 パイォテク,′団ジー 商性能芯算機 対等維持 人工知能フレキシブルCIM 新材 商性能半導体素子 商密度データ配憧 オプトエレクトロニクス センサー1文術 趨戴邸 劣聡 高性能半導体素子 両密度データ8己憧 商住脆愈算楓 医鰹機雷・阯断 オプトエレクトロニクス センサー技術 医礁楓習・鯵断 扣当劣酪 新材料 バイオテクノロジー デジタル画倣技術 趨愈郡 デジタル画鮫技術 フレキシブルCIM 対日本 対欧州 先行 人工知能 バイオテクノロジー フレキシブルCIM 恋性能冠耳ML 医療接吾・鯵lUf センサー枚術 新材料 商性能半導体繁子 人工知能 バイオテクノロジー 商密度データ妃憧 禰住臆危算機 医蹴楓旨・醸断 オプトエレクトロニクス センサー技術 対 等 超愈導 フレキシブルCIM 超孟導 後れ 新材料商住雌半導体素子 デジタル画倣技術 商密度データ妃世 オプトエレクトロニクス デジタル画nMk南

(29)

沖縄大学紀要第9号(1992年) 財政赤字は国債の発行によってまかなわれるが、国債が消化されるためには 金利を高くつけなければならない。大量の国債発行に基づくアメリカ国内の高 金利は、アメリカ内での資金運用に魅力を感ずる海外からの資金の大量流入を 招く。アメリカへの資金流入は外国為替市場におけるドル買いであるから、ド ル高につながる。 第3-2-1図米連邦財政赤字の対GNP比 765432 (lid位:%)

/、/

実績 、 、 、 見械tjり 、 、------~ ~ ヘ ーーーーー 0 =L_ --11 '97719781979198019811982198319841985 会計年度 (出所)「レーガノミックス」W、A・ニスカネン箸.香西泰KRC (日本経;百新聞社‘1989年)。 ドル高は、アメリカの輸出を困難にし、アメリカの輸入を増やすから、国際 収支の赤字をもたらす。アメリカの財政赤字はドル高を生み、ドル高は国際収 支を赤字にする。第3-2-2図(a)はそれを示していろ。アメリカの金利 は財政赤字の結果、10年物国債で85%に上っている。それと平行して実行為 替レートは158%まで上がっている。それは大幅な国際収支の赤字をもたらす ことになった。毎年の経常収支の赤字は、アメリカの対外純資産の減少(累積 債務の増大)をもたらす。第3-2-2図(b)はそれを示していろ。レーガ

ン政権下でアメリカは対外純債務国に転落し、1988年で赤字累積額は5,325億

ドルに達していろ。 -88-

(30)

2図 第3'-2 (a) アメリカの金利・為替と経常収支の推移 00) (80年= 160 150 140 130 120 110 100 90 (157.8)

(%)

11

(億ドル) 500 0 ▲500

認幸l1JlJn

▲1.000 ▲1.500 ▲2.000 79808182838485868788(年) (出所)「通商白書」平成元年版。 日米の対外純資産の推移 (b) (億ドル)

0 0 〃 0 円“ず(こ〕ヘグニ-0 12345 ▲▲▲▲▲ 7273747576777879808182838485868788(年) (出所)「経済白書」平成元年度 -89-

(31)

沖縄大学紀要第9号(1992年) 3.冷戦後の世界

19世紀の「パックス・ブリタニカ」とのアナロジーで言えば、冷戦の終焉に

よってアメリカに力のサープラスと資本のサープラスが生ずるならば、アメリ

カは冷戦後の世界システムの平和と発展を演出するパランサーとなることがで

きる。「パックス・アメリカーナ」の復元である。

前節でみた通り、アメリカの経済は単なるマクロ経済の不調整による「双子

の赤字」という次元を越えて、個別産業の国際競争力が低下しており、当面ア

メリカ経済には世界をリードする力は期待できそうにない。この点については、

終章でもう一度とり上げることにする。

世界ンステムの安全保障についてはどうだろうか。この点については、冷戦

が終ったので平和になると考える向きもある。しかし、冷戦体制は長い試行錯

誤を経た結果、ルール化された「長い平和(ロング・ピース)」になっていた

というジョン・ルイス・ガディス教授の考えに従うならば、冷戦の終焉はルー

ルの喪失によって一時的な不安定を導びくことになりかねない。

第3-3-1図安全保障と相互依存

安全

A:冷戦体制 B:過渡期 C:トランスナショナリズム

相互依存

図の縦軸は安全保障を示していろ。上に行くにつれて安全度は増し、下に向

かって安全度は低下する。横軸は相互依存の進展を示している。冷戦終焉によ

り東西間の相互依存は強まると考えられろ。そして未来のある時点にトランス

-90-

(32)

ナショナリズムの実現もありうるかもしれない。例えばEC諸国内では相互依

存の進展と平和は同時に進んでいろ。アメリカ、カナダ間にも同様の流れを見 ることができる。とすれば遠い未来にトランスナショナリズムの実現を夢みる

こともできよう。(注'o)

しかし、冷戦終焉間もない今日の過渡期においては、冷戦体制下におけるよ

うな米ソの自己陣営内での支配がきかなくなり、中小型の紛争の可能性は増加

したと見ることもできよう。現在、世界はB点に位置していろ。

従って仮りに過渡期の管理を誤り、紛争が拡大することになれば、世界は再

び第1次大戦や第2次大戦のような時代に戻るかもしれない。この点について、

過渡期の管理の重要性を説いたハーバードのジョセフ・ナイ教授は、第3-3

-1の表を掲げ、アメリカのリーダーシップを強調していろ。表に示されてい

る通り、すべての力源において「強い」のはアメリカのみである。ソ連と中国

の力源は冷戦終焉により、かなり低下したと考えられろ。逆に日本は、冷戦終

焉から相対的に大きい利益を得たと考えられろ。日本の力の源泉は軍事力より

もそれ以外の力源にアクセントを置いたものであったからである。 第3-3-1表主要国の力の源泉(1990) アメリカソ連欧州日本 中国 力の源泉 ※目に見える ◇基礎安源 ◇Imli力 ◇経済力 ◇科学/技術 ※目に見えない ◇国の結合力 ◇文化の普遍性 ◇国際機櫛・制度 、強い 強い 中間 中間 中間 弱い 強い 強い 強い 中間 中間 弱い 強い 中間 強い 強い いいいい 強強強強 強い 中間 中間 強い 中間 中間 81、 白い□しCし 弱強強 中間

中IMI

中間 強い 強い 強い ジョセフ・ナイ『不滅の大国アメリカ』191ページ

再び19世紀のアナロジーに戻れば、大空位時代は混乱や危機につながるので

あるから、それをさけるためのシナリオは、冷戦によって生じたアメリカの軍

事力のサープラスと冷戦の受益者である日本のサープラスの組合わせが必要と

なろう。 -91-

(33)

沖縄大学紀要第9号(1992年) ポール・ケネディ著『大国の興亡・下劃草思社129-136ページ ジョセフ.S・ナイJr著『不滅の大国アメリカ』読売新聞社100-101 ページ JeffreyT・BergnerTheNewSuperDowers,St・MartinbPrcss201ページ 経済セミナー19年6月号江南和幸の論文に依る。 ギ・ソルマン『社会主義からの脱出」|新潮社35ページ 豊田博編『世界経済を読tjJ1東洋経済36ページ ジョセフ・ナイ前掲書90ページ 竹中平蔵著『入門現代アメリカ経済j日本評論社第7章 佐藤公久.坂本俊造箸「アメリカの寿命JlPHP25-27ページ 衛藤審吉.山本吉宜著『総合安保と未来の選捌講談社541ページ 12 注注 3456789, 注注注注注注注注

終章冷戦後の曰米関係

冷戦の終焉によってアメリカに軍事上のサープラスが生じているのは明らか であるが、対外収支については、双子の赤字を抱えて困難な状態にある。

この事実を鮮明に示したのが湾岸戦争であった。湾岸戦争においてアメリカ

は戦略的なゆとりを示したが、戦費のファイナンスについては、同盟国の支援

に頼らざるを得なかったのである。

冷戦後の過渡期を管理する力を備えているのは米国のみであるが、その際、

日欧の経済協力は欠かせない。しかし、東西ドイツの統一でドイツも収支の赤

字に陥っており、資金の余力があるのは日本と台湾のみである。以下、今日の

日本経済の規模と、日米関係の行くえについて考えることにする。 1.日本の経済力 1990年の日本のGNPは約3兆ドル、アメリカのそれは約55兆ドルであっ

た。同年の日本の1人当りGNPは約2万4千ドル、アメリカのそれは約2万

2千ドルで、日本が2千ドル高であった。同年のドイツのGNPは約15兆ド

ル、フランスが12兆ドル、イギリスが1兆ドル弱、従ってヨーロッパ3国の -92-

参照

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