総
説
摂食嚥下障害からみた口腔機能低下症
ʠDeterioration of Oral Functionʡfrom the Viewpoint of Dysphagia
野原 幹司
Kanji Nohara は じ め に 「口腔機能低下症」という病名が注目されている。 「口腔機能低下症」は 2018 年に保険収載され,それを 機に(それまでも高まりつつあったが),口腔の機能 への注目度が俄然上がった。歯科という分野において 咀嚼機能にスポットが当たることは多々あったが, それ以外の口腔の機能が大きく取り上げられるよう になったのは,長い歯科の歴史のなかでもあまりな かったのではないだろうか。私事であるが,歯科医 師になって以来,ずっとニッチといわれた口腔の機 能障害に取り組んできた者にとっては非常に喜ばし い流れである。思い出してみると歯学部卒業のとき 「口腔の機能障害を専門にしたい」と学生指導医に相 談したことがあったが,そのときの指導医の返答は 「歯を削らないなんて,お前は歯医者を捨てるのか!」 であった。それから考えると口腔機能低下症という 病名ができたというのは,まさに隔世の感がある。 しかし,口腔の機能に注目が集まり,歯科の保険 点数にとどまらずに,オーラルフレイルという キャッチフレーズとともにマスメディアにも取り上 げられる機会も増えてくると,いろいろ意見や考え が錯綜するようになった。本総説では,筆者が専門 とする摂食嚥下障害からみた口腔機能低下症につい て,臨床的な疑問点などを考察しようと思う。 口腔機能低下症とは 本学会誌の読者の先生方には釈迦に説法となる が,口腔機能低下症の定義を再度確認すると,本学 会のホームページに,「口腔機能低下症とは,加齢 だけでなく,疾患や障害など様々な要因によって, 口腔の機能が複合的に低下している疾患。放置して おくと咀嚼障害,摂食嚥下障害となって全身的な健 康を損なう」と記載されている。したがって,機能 障害の前段階ともいえる疾患概念である(図 1)。 これは機能障害を呈した場合には「口腔機能障害」 であり,その前段階が「口腔機能低下症」という考 え方である。摂食嚥下でいえば,「摂食嚥下機能低 下」があり,それを放置すると「摂食嚥下障害」に なるということである。 大阪大学歯学部附属病院顎口腔機能治療部の臨床 筆者が属している大阪大学歯学部附属病院の顎口 腔機能治療部は,1997 年から摂食嚥下障害の外来 診療を行っている。その頃は入院症例の摂食嚥下障 害を診る病院は少し増えつつあったが,当部のよう に外来で摂食嚥下障害の診療を行っている病院はほ ぼなかったと記憶している。それ以来,約四半世紀 が経過するが,社会的なニーズの高まりもあり,現 図⚑ 口腔機能低下症と口腔機能障害の関係 口腔機能低下症は,口腔機能障害の前段階と考えられる。 大阪大学大学院歯学研究科顎口腔機能治療学教室 Department of Oral-facial Disorders, Osaka University Graduate School of Dentistry在では,年間約 200 例の外来初診患者が来院するよ うになった(2020 年は COVID-19 のため減少)。 こういった経緯から,当部は摂食嚥下障害を専門と しているため,その前段階とされる口腔機能低下症 は治療対象としていない。しかし,障害を診ている と,その前段階とされる「低下症」について考えさ せられる症例を経験することがある。 ⚑.症例 1 症 例:86 歳,男性。 主 訴:肺炎を繰り返している。 現病歴:8 カ月前に右中大脳動脈の脳梗塞(初 発)を発症し,急性期病院にて加療の後回復期病院 に入院となった。リハビリの効果もあり全身状態は 改善し歩行可能となったものの,摂食嚥下障害は改 善せず誤嚥や肺炎を繰り返していた。回復期病院退 院後,嚥下のリハビリの継続を目的として,紹介に より当部初診となった。 経 過:回復期病院から「サルコペニアの摂食嚥 下障害」といわれ,シャキア法や嚥下関連筋の筋機 能訓練が指示され継続しているとのことであった。 しかしながら,訓練を行っても改善傾向はなく,当 部で行った嚥下内視鏡検査においても,脳梗塞の部 位や大きさとは乖離した重度の誤嚥を呈していた (図 2)。易疲労性,眼瞼下垂を認め,神経筋疾患を 疑い脳神経内科での精査を依頼したところ,眼咽頭 型筋ジストロフィーの診断となった。 考 察:サルコペニアによる摂食嚥下障害が疑わ れた場合には,原因となる疾患が隠れている可能性 がある。「口腔機能低下症の進行による摂食嚥下障 害」も同様であろう。嚥下障害の原因をサルコペニ アや口腔機能低下症の進行によるものと安易に考え るのではなく,病態と機能に乖離がみられたときに は摂食嚥下障害の原因疾患を再考する必要がある。 ⚒.症例 2 症 例:82 歳,女性。 主 訴:食事がのどに残る。 現病歴:6 カ月前から食事が咽頭に残る感じがす る,たまにむせるとの自覚症状があり,近歯科医院 を受診した。嚥下内視鏡検査を施行されたが誤嚥は なく残留も軽度であったため,他の検査結果と合わ せて口腔機能低下症と診断された。筋機能訓練を 行っても改善傾向にないため,精査を希望し当部を 受診した。 経 過:当部での嚥下内視鏡検査でも誤嚥や残留 はなく,摂食嚥下障害の診断はつかなかった。体重 も減少傾向にあったため,さらに検査を重ね嚥下造 影を行ったところ咽頭期には問題を認めなかったも のの,下部食道(噴門部)に通過障害および表面が 顆粒状の病変を認めた(図 3)。消化器内科に紹介 したところ食道癌の診断であった。 考 察:検査上は摂食嚥下障害の所見はなく,口 腔機能低下症の診断基準に当てはまる症例のなかに は,変性疾患や腫瘍などの初期症状を訴えている場 合がある。口腔機能低下症のフォローを漫然と続け 図⚒ 症例⚑の歩行時と嚥下内視鏡所見 左:杖を使っての歩行が可能になるまで回復していた。 右:嚥下内視鏡(ゼリー摂取時)では多量の残留お よび誤嚥を認めた。 図⚓ 症例⚒の食道造影所見 噴門部の通過が悪く,同部位に表面顆粒状の病変 (矢印)を認めた。
ると重大な疾患の見落としにつながりかねない。 ⚓.症例 3 症 例:78 歳,男性。 主 訴:少しでも口から食べさせたい(家族の主 訴)。 現病歴:1 年前に近歯科医院を受診したときに口 腔機能低下症といわれた。説明を聞いて誤嚥性肺炎 になるのが怖くなり毎日器具を使った舌の訓練を 行っていたが,5 カ月前にくも膜下出血を発症し た。摂食嚥下障害は重度であり,胃瘻を造設して経 口摂取をしていないが発熱を繰り返していた。家族 が「可能であれば少しでもいいので口から食べさせ たい」と訴え当部を受診した。 経 過:嚥下内視鏡検査を行ったところ,安静時 に唾液が気管内に流れ込む所見が観察された(図 4)。廃用を予防して投薬調整をしつつ,くも膜下出 血からの回復を待つ方針で外来フォローとなった。 考 察:口腔機能低下症で訓練を行っていても, 脳卒中や変性疾患などを発症した場合は摂食嚥下障 害となる。訓練を指導する場合には,訓練の摂食嚥 下障害の予防効果,負担,患者の理解や期待などを よく考慮して行う必要がある。 摂食嚥下障害からみた口腔機能低下症 当部の臨床でよくみられるタイプの 3 症例を提示 したが,これらのケースを経験するといくつか疑問点 が生じる。臨床医学はいわば複雑系の学問であり還元 主義とは相性が悪いため,明確な答えを得ることは難 しいところではあるが,ここでは疑問点を挙げて摂 食嚥下障害から口腔機能低下症を考察してみたい。 ⚑.口腔機能低下症は変性疾患や腫瘍などの初期症 状をみているのではないか? パーキンソン病や ALS などの変性疾患では,進行 すると全例で摂食嚥下障害などの口腔機能障害がみ られる。では,その口腔機能障害は突然発症かという とそうではなく,前段階,すなわち口腔機能低下の状 態を経て発症すると考えられる(図 1)。現時点での 口腔機能低下症の定義には「疾患によるもの」も含ま れていることから,単なる老化だけでなく疾患の初期 症状としての口腔機能低下をみている可能性がある ということを忘れてはならない。今回提示した症例 2 のように腫瘍の可能性も頭においておかねばならない。 ここでややこしいのが変性疾患や腫瘍などが未診 断の場合である。例を挙げると ALS の診断は,確 定診断を得られるバイオマーカーがないため, ALS 以外の他の疾患でないということ(除外診断) が重要視される1)。そのため発症してから診断がつ くまでに平均 14 カ月を要したという報告もある2)。 ALS 患者の口腔機能の低下に対して,口腔の筋機 能訓練を指示することはありえないと思われるかも しれない。しかし,ALS は発症後 14 カ月「疾患な し」の状態であり,その間に歯科で「口腔機能低下 症」の病名がつけられて訓練などでフォローされる 可能性もゼロではないということである。実際に, 当部を構音障害や摂食嚥下障害(厳密には低下症も含 む)を主訴に受診した「疾患なし」の症例のうち, ほぼ全例においてその後に障害の原因となる変性疾 患などが明らかとなっており,ALS 以外に筋無力症, パーキンソン病,薬剤性パーキンソン症候群,筋ジ ストロフィー,封入体筋炎,キアリ奇形,球脊髄性 筋萎縮症,遠位型ミオパチー,進行性非流暢性失語 などがあった。なかには脳神経内科などの精査によ っても病名が明らかとならず,「明らかに変性疾患 であるが診断がつかない」という症例も存在した。 ⚒.変性疾患などに起因する口腔機能低下症は可逆 的なのか? 口腔機能低下症は「可逆的」であるかのように記 図⚔ 症例⚓の嚥下内視鏡所見(ヨーグルト摂取時) 咽頭残留および喉頭侵入,誤嚥(不顕性)を認めた。
載されることも多い。可逆的とまで書かれていなく ても,障害にまで進まないように「維持」させるこ とが介入を行う目的であるとされる。確かに,介入 により機能低下を予防できたり,改善させたりでき たという報告も散見される。 そこで考えなければならないのは,どのような医学 的背景をもった口腔機能低下症であれば機能の維持・ 改善ができるかということである。上記 ALS のよう に,変性疾患に起因する機能低下を訓練で改善すると いうことは現代医学を否定することになる。ALS は極端な例であるとして,認知症でみられる機能低下 であれば維持・改善ができると思われるかもしれない が,アルツハイマー型認知症もレビー小体型認知症も 他の原因による認知症も,すべて疾患に由来して生じ る認知症であり,そこでみられる認知機能低下の進行 が不可逆であるのと同様に,認知症の原因疾患に起因 する口腔機能の低下に訓練で抗うことは不可能である。 変性疾患がない「老化」による機能低下であれば 維持・改善が期待できるかもしれないが,疾患がな いとされている症例であっても,大脳白質の虚血性 変化やレビー小体の蓄積は認められるという報告が ある3)。このことは疾患として診断されていないと いうだけで,subclinical に発症している症例が存在 しうるということを示唆している。「変性疾患がな い機能低下」と安易に判断するのは危険である。 しかし,変性疾患であっても介入により口腔機能 の低下が予防・改善できることもあるらしい。そこ は機能低下のなかの「廃用」による部分が維持・改 善されたと考えるのが妥当ではないであろうか。ど のような年齢であっても,どのような疾患であって も,どのような病態であっても,訓練すれば口腔機 能が維持・改善できると考えるのは医療者としてお こがましい。今後は,「どのような機能低下であれ ば機能を維持・改善できるのか?」といった疑問に答 えるべく,原因となる疾患や病態に合わせた口腔機能 低下症への対応が議論されてくるのかもしれない。 ⚓.口腔機能低下症を放置しておくと摂食嚥下障害 になり誤嚥性肺炎になる? 脳卒中や変性疾患がないのに誤嚥性肺炎になるほ どの摂食嚥下障害を呈した症例というのは当部で経 験がない。症例報告も渉猟するかぎりではみられな かった。症例 1 は(脳卒中の既往があったものの) 摂食嚥下障害の原因となる疾患がなく「サルコペニア の摂食嚥下障害」と考えられていたが,精査すると変 性疾患を有していることが明らかとなった。このよう に一見疾患がないように思われても,誤嚥性肺炎にな るほどの摂食嚥下障害を呈した場合には何かしらの 疾患が隠れていると考えなければならない。「サル コペニアの摂食嚥下障害」や「口腔機能低下症の進 行による摂食嚥下障害」という考えは思考停止を誘発 する。サルコペニアや口腔機能低下症の進行を摂食嚥 下障害の原因としてしまうと,その上流に位置する原 因疾患の探求という重要な医学的診断の放棄にもつ ながりかねないため,安易に結論づけるべきではない。 原因疾患のない口腔機能低下症であっても,放置 していると「むせやすくなった」「食べ物がのどに つかえるようになった」というように摂食嚥下障害 に進行することがあるらしい。しかし,その摂食嚥 下障害は「疾患がなければ」誤嚥性肺炎になるほど までは進行しないと考えてよいのではないだろうか (図 5)。疾患のない口腔機能低下症の症例に「放置 すると誤嚥性肺炎になります」というのは患者の不 安をあおっているだけかもしれない。 ⚔.口腔機能低下症の進行を予防しておけば肺炎に ならない? 症例 3 でみられたように,どれだけ口腔機能低下 症の進行予防を行っていても,摂食嚥下障害の原因 図⚕ 口腔機能低下症と誤嚥性肺炎の関連 摂食嚥下障害の原因となる疾患が「ない」場合は, 口腔機能低下症を放置すると摂食嚥下障害(たまにむ せる等)になるかもしれないがそれ以上の進行はない。 疾患が「ある」場合は誤嚥性肺炎を発症するまで悪 化する可能性がある。
となるような脳卒中や変性疾患を発症すると誤嚥性 肺炎になるのは自明である。では,口腔機能低下症 の進行を予防して回避できる誤嚥性肺炎はどれくら いあるのであろうか。 前述のように「脳卒中や変性疾患がなく誤嚥性肺 炎を発症する症例は(ほぼ)ゼロ」である。これを 論理学的な命題として対偶を考えると,「誤嚥性肺 炎を発症する症例は脳卒中や変性疾患を有してい る」ということになる。すなわち,誤嚥性肺炎の発 症は,摂食嚥下障害の原因となる脳卒中や変性疾患 の有無で一義的に決まるとも解釈できる。ここに口 腔機能低下症の進行予防のための訓練などが入り込 む余地はない。 廃用による口腔機能低下症の進行を予防すること で,むせなどの摂食嚥下障害の発症は予防できるの かもしれない。しかし,その摂食嚥下障害はもとも と誤嚥性肺炎にまで進行しないものである。変性疾 患などによる口腔機能低下症の進行を止めることは 不可能であり,その進行によって生じる摂食嚥下障 害・誤嚥性肺炎も訓練で予防することはできない。 ましてやどれだけ訓練を行っていても,摂食嚥下障 害の原因となるような脳卒中に罹患した場合には摂 食嚥下障害・誤嚥性肺炎を生じる。そう考えるのが 妥当ではないだろうか。 お わ り に いろいろと疑問点を挙げただけの総説となった が,これらに対する解答は各自の臨床経験や文献検 索などから得ていただければと思う。 機能低下や機能障害に対しては「訓練」が行われ ることが多く,「訓練」により「改善」することが 最善の医療のように捉えられることがある。メディ アでも「訓練により改善した」ケースが取り上げら れ,医療者だけでなく患者やその家族も「頑張って 訓練したから改善した」という華やかな臨床のゴー ルを目指す傾向があるように思う。確かにそれも臨 床のゴールの一面であるかもしれないが,その命題 の対偶としては「改善しなかったのは頑張らなかっ たから」という理論が成り立ってしまう。はたして そうであろうか。どれだけ患者自身が訓練を頑張っ ても,原因疾患が重度であれば機能改善は望めない し,原因疾患が進行性であれば機能は低下してい く。患者や家族の努力や現在の医療レベルでは改善 できない機能障害も存在し,その例数も決して少な くないという現実にも目を向けるべきであろう。そ れゆえ,「訓練を頑張って機能障害を予防しよう」 という表現に対し筆者は強い違和感をもつと同時 に,維持・改善しなかった人たちにこそ,もっと医 療の手を差し伸べられればと思う。 実は,日本歯科医学会による口腔機能低下症への 対応には,訓練だけでなく「管理」という文言も用 いられている。その文言からは,機能低下に対して は「訓練=改善する」だけでなく,「管理=付き合 う,寄り添う」ということも必要であるというニュ アンスもくみ取れる。しかしながら,新しくできた 病名に対する期待の大きさのためか,口腔機能低下 症は「訓練=改善する」ものという論に偏っている 印象は否めない。 「はじめに」で述べたように,口腔の機能に目を 向けるきっかけという意味においては,口腔機能低 下症という病名(正確には症状名であるが)ができ たという意義は大きい。本稿は口腔機能低下症とい う病名を否定するものではなく,口腔機能低下症の 解釈における思考の振れ幅を提案するものである。 本論文に関して,開示すべき利益相反状態はない。 本稿は,日本老年歯科医学会第 31 回学術大会の教育 講演 1 で発表した内容の一部をまとめたものである。 文 献
⚑)Verber, N. and Shaw, P.J.:Biomarkers in amyot-rophic lateral sclerosis:a review of new develop-ments, Curr. Opin. Neurol., 33:662~668, 2020. ⚒)Leigh, P.N., Abrahams, S., Al-Chalabi, A., Ampong,
M.A., Goldstein, L.H., Johnson, J., Lyall, R., Moxham, J., Mustfa, N., Rio, A., Shaw, C. and Willey, E.;Kingʼs MND Care and Research Team:The management of motor neurone disease, J. Neurol. Neurosurg. Psychiatry, 74(Suppl 4):iv32~iv47, 2003.
⚓)Tanei, Z.I., Saito, Y., Ito, S., Matsubara, T., Motoda, A., Yamazaki, M., Sakashita, Y., Kawakami, I., Ikemura, M., Tanaka, S., Sengoku, R., Arai, T. and Murayama, S.:Lewy pathology of the esophagus correlates with the progression of Lewy body disease:a Japanese cohort study of autopsy cases, Acta. Neuropathol., 141:25~37, 2021.