著者
丸山 彩
学位授与機関
Tohoku University
平成19年度 修士論文
フタホシコオロギの記憶形成におけるmRNA合成とタンパク質合成の関与
専攻: 生命機能科学専攻
学籍番号:
A6BM2018
氏名: 丸山 彩
目次 1. 序論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 2. 材料と方法 2.1 実験動物・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 2.2 古典的条件付け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 2.3 匂いの嗜好性テスト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 2.4 投薬実験・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 2.5 統計解析・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 3. 結果 実験1 転写阻害剤の長期記憶形成に対する効果・・・・・・・・・・・・・・・・5 実験2 転写阻害剤の投与による記憶の経時的変化・・・・・・・・・・・・・・・5 実験3 転写阻害剤の投与のタイミングを変えたときの効果・・・・・・・・・・・5 実験4 翻訳阻害剤の長期記憶形成に対する効果・・・・・・・・・・・・・・・・6 実験5 翻訳阻害剤の投与による記憶の経時的変化・・・・・・・・・・・・・・・6 実験6 翻訳阻害剤の投与のタイミングを変えたときの効果・・・・・・・・・・・7 4. 考察 4.1 転写阻害剤または翻訳阻害剤の長期記憶形成に対する効果について・・・・・8 4.2 転写阻害剤または翻訳阻害剤の投与による記憶の経時的変化について・・・・8 4.3 転写阻害剤または翻訳阻害剤のタイミングを変えたときの効果について・・・9 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 図表
1. 序論 脊椎動物と無脊椎動物をとおして、タンパク質合成依存的で長期間保持される記憶は 長期記憶と呼ばれる。それに対して、タンパク質合成を必要とせず、短期間で消失する 記憶は短期記憶または中期記憶とよばれる。 長期記憶の出現時期は種によって異なる。ミツバチの嗅覚学習では、タンパク質合成 阻 害 剤 ア ニ ソ マ イ シ ン 感 受 性 の 記 憶 は 訓 練 の 3 日 後 か ら 4 日 後 に 出 現 す る (Wüstenberg et al.,1998)。また、ショウジョウバエの嗅覚学習では、タンパク質合 成阻害剤シクロヘキシミド感受性の記憶は訓練の1日後から観察される(Tully et al.,1994)。そしてフタホシコオロギでは、報酬学習と罰学習を組み合わせる差分条件付 けを用いた嗅覚学習ではシクロヘキシミド感受性の記憶は1日後に出現することが報 告されている(Matsumoto et al.,2003)。 コオロギの嗅覚学習による長期記憶の形成にはNO-cGMP 系と cAMP-PKA 系の関与
が報告されている(Matsumoto et al.,2006)。コオロギでは NO-cGMP 系が cAMP-PKA
系の上流に位置し、2つの系は環状ヌクレオチド感受性チャネル(CNG チャネル)と
カルシウム‐カルモジュリンが介在している。PKA は転写因子 CREB(cAMP response
element binding protein)をリン酸化し、CREB が転写活性補助因子である CBP
(CREB 結合タンパク)を集合させ、遺伝子の転写を促進すると言われている。この一 連の流れにより遺伝子が転写され、長期記憶の形成に必要な新規タンパク質が合成され ると考えられている。しかし、コオロギでは新たな遺伝子の転写が必要であることを転 写阻害剤を用いて直接証明した実験は行われていない。また、転写や翻訳が必要になる タイミングや、転写を阻害した場合の記憶(mRNA 合成依存性の記憶)と翻訳を阻害 した場合の記憶(タンパク質合成依存性の記憶)の経時的変化の違いも調べられていな い。そこで本研究では、転写阻害剤であるアクチノマイシン D(ACT-D)をコオロギ に投与し、長期記憶の形成に遺伝子の転写がどのように関与しているかを調べた。あわ せて、シクロヘキシミド(CHX)を用いて長期記憶の形成に新規のタンパク質合成が どのように関与しているかを調べた。 また、先行研究(Matsumoto et al.,2003)では訓練に報酬学習と罰学習を組み合わ せた差分条件付けを用いていたが、その後報酬学習のみの訓練または罰学習のみの訓練 によっても長期記憶が成立すること明らかになった(Unoki et al.,2005)。差分条件付 けによる記憶は報酬学習による記憶と罰学習による記憶の2つの記憶の成分を含んで いるため、記憶形成の分子機構が報酬学習または罰学習のみの訓練による記憶形成より も複雑であると予想される。そこで今回は、より単純な実験系で薬理学的解析を行うた め、訓練には報酬条件付けのみを用いた。
2. 材料と方法 2.1 実験動物 実験には成虫脱皮して約1週間後のフタホシコオロギ(Gryllus bimaculatus)の雄を用 いた。コオロギは12時間:12時間の明期:暗期、27±2℃の環境下で、プラスチッ クの容器中で昆虫飼料と水を与えて育てた。実験開始3日前にコオロギをビーカーに1匹 ずつ隔離した。隔離後、餌は十分に与えたが、水へのモティベーションを高めるため水は 与えなかった。 2.2 古典的条件付け(図1.A) 条件刺激(Conditioned Stimuli ; CS)としてバナナもしくはアップルの匂いを、無条件 刺激(Unconditioned Stimuli ; US)として水を用いた。渇水状態のコオロギにとって水は 報酬となる。 3mm×3mm のろ紙を針につけた 1ml シリンジを用意し、シリンジには水を入れ、ろ紙 にはバナナまたはアップルの匂いを含ませた。コオロギの触角にろ紙を近づけて2秒間匂 いを提示した後、シリンジで水(約 5μl)をコオロギの口につけた。その直後、空気の吸 出しを行ってビーカー内の匂いを除去した。 バナナまたはアップルの匂いをCS として用いた報酬条件付けでは、5分間隔で3回条件 付けを繰り返すと1 日以上保持される長期記憶が成立する(根本、私信)。したがって、本 研究でも条件付けは5分間隔で3回繰り返して行った。 バナナとアップルを同時提示した場合、両者の匂いに対する嗜好性には生得的に差がな い。したがって、本研究では全ての実験群において、バナナで報酬条件付けをした群とア ップルで条件付けした群の2つの群のデータをプールして解析を行った。 2.3 匂いの嗜好性テスト(図1.B) 匂い嗜好性テストのための装置は、2つの待機室、スライド式扉、テスト室、回転盤に 乗った3つの匂い壷からできている。匂い壷はプラスチック製の円筒型の容器で、底には バナナまたはアップルの匂いを染み込ませたろ紙がおかれている。壷の口はガーゼで覆わ れている。テスト室の床には、3つの匂い壷のうち2つが露出するように穴が2つあけて ある。匂い壷はテスト室の穴の一方からはバナナの匂いが、他方からはアップルの匂いが 発せられるよう、アップル・バナナ・アップルの順に位置させ、回転盤を回すことで匂い 壷の位置を入れ替えられるようにした。待機室は2つあり、そのうちの1つはスライド式 扉を上げるとテスト室につながるようになっている。 嗜好性テストはコオロギに1匹ずつテスト室の中を4分間自由に探索させて行った。最
初にコオロギを待機室に4分間入れ、周囲の環境に慣れさせた。それから待機室につなが るスライド式扉を開き、コオロギをテスト室に入れた。コオロギがテスト室に入ったらス ライド式扉を下ろし、テストを開始した。テストは4分間で、コオロギにテスト室の中を 自由に探索させ、匂い壷に口を付けている時間を匂いの探索時間として計測した。報酬発 見の手がかりとして匂いではなく匂い源の位置を覚えてしまうことを防ぐため、テスト開 始から2分経ったら円盤を回して匂い壷の位置を入れ替えた。バナナとアップルの匂い探 索時間の総和が10秒に満たない個体は匂い源訪問のモティベーションが低いとみなし、 データ解析から外した。そのような個体は全体の30%以下であった。4分間のテストが 終了したらスライド式扉を上げ、コオロギを待機室に戻した。匂いの嗜好性テストは条件 付けの前と後に1回ずつ行った。 2.4 投薬実験 コオロギの中央単眼に穴を空け、そこから10μl シリンジを用いて薬物を溶かしたコオロ ギ生理食塩水(saline)を血リンパ中に投与した。本研究では転写阻害剤のアクチノマイシ ンD(actinomycinD ; ACT-D)、翻訳阻害剤のシクロヘキシミド(cycloheximide ; CHX) を使用した。いずれの薬物も和光純薬工業株式会社から購入した。 アクチノマイシンD は脂溶性のため、0.1% Dimethyl sulfoxide を含んだコオロギ生理食 塩水(D-saline)に溶かした。3nmol のアクチノマイシン D を投与した場合、フタホシコ オロギの体重を850mg としたときの体重あたりの薬物の量は 4.43mg/kg であった。同様に、 30nmol のシクロヘキシミドを投与した場合の体重あたりの薬物の量は 9.92mg/kg であっ た。また、血リンパ中に投与した薬物は数分以内に全身に拡散することが知られている。 2.5 統計解析 匂い嗜好性テストにおいて、全探索時間のうち報酬と連合させた匂い(CS)に対する探 索時間の割合をPreference Index (PI)とした。同一個体群内の比較(訓練前の生得的な嗜 好性と訓練後の嗜好性の比較)にはウィルコクソン検定(WCX)、異なる個体群間の比較(条 件の異なる2群の訓練後の嗜好性の比較)にはマンホイットニーのU検定(M-W)を用い た。
3. 結果
実験1:転写阻害剤の長期記憶形成に対する効果(図2)
長期記憶の形成にmRNA 合成が関与していることを確かめるため、転写阻害剤であるア クチノマイシンD (ACT-D) を 0.3nmol と 3nmol の濃度でそれぞれ訓練20分前に投与し、 訓 練 1 日 後 に テ ス ト し た 。 対 照 群 と し て 0.1% Dimethyl sulfoxide 入り生理食塩水 (D-saline) を投与したものを用いた。 対照群では訓練1 日後の CS への嗜好性が訓練前と比べ有意に高くなり(WCX p<0.05)、 記憶が形成されていた。それに対し3nmol の ACT-D を投与した群では、CS への嗜好性が 訓練前と訓練1日後で有意な差がなかった(WCX p=0.28)。すなわち、1日後の記憶が完全 に阻害された。一方、0.3nmol の ACT-D を投与した群では対照群同様に、訓練 1 日後の CS への嗜好性が有意に高くなり (WCX p<0.01)、1日後の記憶は阻害されなかった。そこ で、以下の実験では3nmol ACT-D を用いた。 実験2:転写阻害剤の投与による記憶の経時的変化(図3) 転写阻害剤の投与による記憶の阻害効果を経時的に調べるために、3つの実験群におい てそれぞれ訓練の20分前にACT-D (3nmol) を投与し、訓練から1時間後、4時間後また は5時間後の記憶をテストした(図3:訓練1日後の記憶は図2より再録)。訓練1時間後 にテストをすると、訓練前と比べて有意に高い学習効果が見られた(WCX p<0.001)。一方、 訓練4時間後にテストをすると訓練前と比べてわずかに高い学習スコアを示したが、統計 的に有意な差はなかった(WCX p=0.078)。ところが、訓練5時間後にテストをすると、訓 練 前 と 比 べ て わ ず か に 高 い 学 習 効 果 を 示 し 、 統 計 的 に も 有 意 な 差 が 見 ら れ た(WCX p=0.024)。しかし、Preference Index の値は4時間後が 59.68、5時間後が 57.53 でほぼ差 がなく、訓練4時間後と5時間後の記憶の間に有意な差は見られなかった(M-W p=0.39)。 これらの結果から、訓練1時間後の記憶の形成にはmRNA 合成は関与しておらず、訓練4 時間後、訓練5時間後の記憶にはmRNA の合成に依存した成分が含まれるといえる。つま り、mRNA合成に依存した記憶は訓練のおよそ4~5時間後には出現してくる。 実験3:転写阻害剤の投与のタイミングを変えたときの効果(図4) 長期記憶の形成に必要なmRNA の合成が訓練前後のいつ行われるかを調べるため、コオ ロギにACT-D (3nmol)を訓練の1時間前または20分後に投与し、訓練から1日後の記憶 をテストした(図4:訓練の20分前に投与した結果は図2より再録)。 訓練の1時間前にACT-D を投与した群では CS への嗜好性が訓練前と訓練1日後の間で 有意な差が見られなかった。すなわち、1日後の記憶は阻害されていた。一方、訓練の2
0分後にACT-D を投与した群では訓練1日後の CS への嗜好性が訓練前と比べて有意に高 くなった(WCX p<0.001)。すなわち、1日後の記憶は阻害されなかった。 訓練の20分前にACT-D を投与すると1日後の記憶が阻害されるという実験 1 の結果と あわせて、長期記憶形成に必要なmRNA 合成は訓練中もしくは遅くとも訓練 20 分以内に 行われることが示唆される。 実験4:翻訳阻害剤の長期記憶形成に対する効果(図5) 長期記憶の形成にタンパク質合成が関与していることを確かめるため、翻訳阻害剤であ るシクロヘキシミド(CHX) を 3nmol または 30nmol の濃度でそれぞれ訓練20分前に投与 し、訓練1日後にテストした。対照群として生理食塩水 (saline) を投与したものを用いた。 対照群では訓練1 日後の CS への嗜好性が訓練前と比べ有意に高くなり(WCX p<0.001)、 記憶が形成されていた。それに対し30nmol の CHX を投与した群では CS への嗜好性が訓 練前と訓練1日後で有意な差がみられなかった。すなわち、1日後の記憶が完全に阻害さ れたといえる。一方、3nmol の CHX を投与した群では訓練 1 日後の CS への嗜好性が有意 に高くなり (WCX p<0.01)、1日後の記憶は阻害されなかったといえる。そこで、以下の 実験では30nmol CHX を用いた。 実験5:翻訳阻害剤の投与による記憶の経時的効果(図6) 訓練に報酬学習と罰学習を組み合わせた差分条件付けを用いた先行研究では、訓練8時 間後の記憶は CHX の投与により完全に阻害されると報告されている(Matsumoto et al.,2003)。そこで、翻訳阻害剤の投与による記憶の阻害効果を経時的に調べるために、3 つの実験群においてそれぞれ訓練の20分前にCHX (30nmolmM) を投与し、訓練から1 時間後、4時間後または5時間後の記憶をテストした(図6.A:訓練1日後の記憶は図5 より再録)。 CHX 投与群では、訓練1時間後、4時間後、5 時間後のいずれの群においても、訓練前 と比べて有意に高い学習効果を示した (CHX 投与群訓練1時間後 WCX p<0.01、訓練4時 間後 WCX p<0.001、訓練5時間後 WCX p<0.05)。すなわち CHX 投与群において、訓練 5 時間後までは記憶が残っていた。訓練後の CS への嗜好性を CHX 投与群と対照群の間で 比較すると、訓練1時間後、4時間後、5時間後すべての場合においてCHX 投与群と対照 群の間に有意な差は見られなかった (訓練1時間後 M-W p=0.71、訓練4時間後 M-W p=0.20、訓練5時間後 M-W p=0.11)。しかし、Preference Index の値でみると4時間後の 値に比べて5時間後の値は大きく下がっている。これらの結果からタンパク質合成に依存 する記憶の成分は訓練のおよそ5時間後から出現することが示唆される。 ACT-D 投与群と CHX 投与群の記憶を群間で比較すると、mRNA 合成依存性の記憶
成分はタンパク質合成依存性の記憶成分よりも早く出現するように見える。しかし、統 計的には訓練1時間後、4時間後、5時間後、1日後すべての記憶において有意な差は 見られなかった(図6.B:訓練1時間後 M-W p=0.71、訓練4時間後 M-W p=0.28、 訓練5時間後 M-W p=0.45、訓練1日後 M-W p=0.95)。 実験6:翻訳阻害剤の投与のタイミングを変えたときの効果(図7) 訓練に差分条件付けを用いた先行研究では、CHX を訓練1時間後および6時間後に投与 すると訓練1日後の記憶は完全に阻害されるが、訓練12時間後に投与すると訓練1日後 の記憶は影響を受けないと報告されている(Matsumoto et al.,2003)。今回は、3つの実験 群において CHX(30nmol)をそれぞれ訓練の20分後、6時間後または8時間後に投与し、 訓練から1日後の記憶をテストした(図7:訓練の20分前に投与した結果は図5より再 録)。 訓練の20分後にCHX を投与した群では訓練1日後の CS への嗜好性が訓練前と比べて 有意な差が見られなかった。すなわち1日後の記憶が完全に阻害された。一方、訓練の6 時間後にCHX を投与した群や、訓練の8時間後に CHX を投与した群では訓練1日後の CS への嗜好性が訓練前と比べて有意に高くなった (訓練の6時間後投与 WCX p<0.05、訓練の 8時間後投与WCX p<0.01)。訓練後の CS への嗜好性を CHX 投与群と対照群の間で比較 すると、訓練の20分後、6時間後または8時間後にCHX を投与した群では対照群と比べ て有意な差は見られなかった(20分後投与群 M-W p=0.06、6時間後投与群 M-W p=0.13、 8時間後投与群 M-W p=0.81)。Preference Index の値を見ると、CHX 投与群の訓練6時 間後の値は対照群の値よりもいくらか低く、CHX 投与の効果がいくらか現れているように 見えるが、この効果は統計的に有意ではなかった。 訓練の20分前に CHX を投与すると1日後の記憶は阻害されるという実験4の結果と あわせて、長期記憶の形成に必要なタンパク質の合成は訓練中もしくは訓練後数十分にわ たって行われていると示唆される。
4. 考察 4.1 転写阻害剤または翻訳阻害剤の長期記憶形成に対する効果について コオロギでは ACT-D を用いた記憶に関する実験はこれまで行われていない。そこで、 ACT-D がコオロギの記憶形成の阻害効果を持つかどうかを調べた結果、ACT-D は1日後の 記憶の形成を完全に阻害しコオロギの長期記憶の形成にはmRNA 合成が関与していること が確かめられた。 CHX は、コオロギの差分条件付けを用いた訓練では長期記憶の形成を阻害することがわ かっている(Matsumoto et al., 2003)。しかし、本研究では訓練に報酬学習のみを用いた ため新たにCHX の効果を調べたところ、CHX は長期記憶の形成を完全に阻害し、タンパ ク質合成が長期記憶の形成に関与していることが確かめられた。 4.2 転写阻害剤または翻訳阻害剤の投与による記憶の経時的変化について 訓練の20分前にACT-D を投与し、訓練1時間後、4時間後または5時間後の記憶 をテストした結果、訓練1時間後では訓練前と比べて有意に高い学習効果を示したが、 訓練4時間後では訓練前と比べて有意な学習効果は見られなかった。訓練5時間後では 訓練前と比べてわずかに学習効果が見られた。これらの結果から、mRNA 合成依存性 の記憶は訓練のおよそ4時間後から5時間後から出現することが示唆された。 また、訓練の20分前にCHX を投与し、訓練から1時間後、4時間後または5時間 後の記憶をテストした場合、訓練5 時間後までは有意に記憶が残っていることがわかっ た。しかし、訓練5時間後のPreference Index の値は対照群よりもいくらか低く、タ ンパク質合成依存性の記憶は訓練のおよそ5時間後から出現するようである。 このように、コオロギではmRNA 合成を必要とする記憶(mRNA 合成依存性の記憶) よりもタンパク質合成を必要とする記憶(タンパク質合成依存性の記憶)がやや遅れて 出現する傾向が見られた。しかし、ACT-D 投与群と CHX 投与群の記憶を群間で比較す ると、訓練1時間後、4時間後、5時間後、1日後すべての記憶において有意な差は見 られず、mRNA 合成依存の記憶とタンパンク質合成依存の記憶の経時的変化の違いは 明確には確認できなかった。コオロギでこれら2つの記憶の経時的変化に本当に違いが あるかどうかは今後のさらなる研究が必要である。 mRNA 合成依存性の記憶とタンパク質合成依存性の記憶の経時的変化については他 の動物でも報告がある。モノアラガイではタンパク質合成依存性の記憶のほうがm RNA 合成依存性の記憶よりも先に出現する(Sangha et al.,2003)。また、アメフラシ
では長期記憶の形成にはmRNA 合成とタンパク質合成の両方が必要であるが、中期記
憶の形成にはタンパク質合成は必要だがmRNA 合成は関与していないという報告があ
れている(Sutton et al.,2001)。 4.3 転写阻害剤または翻訳阻害剤の投与のタイミングを変えたときの効果について ACT-D を訓練前に投与したときは1日後の記憶は完全に阻害されたが、訓練の20分後 に投与したときは1日後の記憶に全く影響を与えなかった。したがって、長期記憶の形成 に必要なmRNA の合成は訓練中もしくは遅くとも訓練後20分以内に行われることが示唆 された。 CHX を訓練前および訓練の20分後に投与したときは1日後の記憶は完全に阻害された。 また、CHX を訓練6時間後または8時間後に投与したときは1日後の記憶は完全には阻害 されなかった。したがって、長期記憶の形成に必要なタンパク質の合成は訓練中もしくは 訓練後数十分の間に行われることが示唆された。 このように、mRNA 合成とタンパク質合成の行われるタイミングは異なることがわかっ た。 本研究では訓練6時間後のCHX の投与により、対照群と比べて訓練1日後の記憶はわず かに低下していたが、この違いは統計的には有意ではなかった。一方、差分条件付けを用 いた先行研究では訓練6時間後の CHX の投与は1日後の記憶の形成を完全に阻害した (Matsumoto et al.,2003)。この結果の違いは訓練方法の違いによるものと示唆される。す なわち、報酬学習と罰学習ではCHX 感受性の長期記憶の出現時期にいくらか違いがあるの かもしれない。 転写阻害剤の投与のタイミングを変えて記憶の変化を調べる研究はあまりなされていな い。ミツバチでは、訓練の1時間後または6時間後にACT-D を投与すると長期記憶の形成 が阻害されると報告されている(Wüstenberg et al.,1998)。コオロギに比べると阻害効果 の得られる時間が長いようであるが、ミツバチにおける長期記憶は訓練後4日頃に出現す るとされているので、コオロギよりも長時間に渡ってmRNA 合成が行われているとしても 不思議ではない。 一方、翻訳阻害剤の投与のタイミングを変えて記憶の変化を調べる研究は数多くなされ ている。ニワトリでは、訓練の30分前から1.5時間後または4時間後から5時間後に タンパク質合成を阻害されると長期記憶が形成されない(Freeman et al.,1995)。すなわち、 長期記憶が形成されるまでに翻訳阻害剤感受性の時間帯が2つある。同様に、ラットでも 2つの翻訳阻害剤感受性の時間帯がある(Grecksch et al.,1980)。また、マウスでは、条件 付けの回数が少ない場合は訓練直後と訓練4時間後に翻訳阻害剤感受性の時間帯が現れ、 条 件 付 け の 回 数 が 多 い 場 合 は 訓 練 の 直 後 に 翻 訳 阻 害 剤 感 受 性 の 時 間 帯 が 現 れ る (Bourtchouladze et al.,1998)。また、モノアラガイでは、長期記憶の形成は訓練の10分 後から1時間後のタンパク質合成に依存し、それより以後には翻訳阻害剤感受性の時間帯 は観察されていない(Fulton et al.,2005)。このように、訓練後のタンパク質合成が行われ
るタイミングは種によって異なる。コオロギにおいても今後、訓練後の様々なタイミング でCHX を投与する実験を行い、長期記憶の形成に必要なタンパク質合成が訓練後いつ行わ れるのか、より詳細に調べる必要があるだろう。
参考文献
Bourtchouladze R, Abel T, Berman N, Gordon R, Lapidus K, Kandel ER.(1998) Different training procedures recruit either one or two critical periods for contextual memory consolidation, each of which requires protein synthesis and PKA. Learn Mem. Sep-Oct;5(4-5):365-74.
Freeman FM, Rose SP, Scholey AB. (1995) Two time windows of
anisomycin-induced amnesia for passive avoidance training in the day-old chick. Neurobiol Learn Mem. May;63(3):291-5.
Fulton D, Kemenes I, Andrew RJ, Benjamin PR. (2005) A single time-window for protein synthesis-dependent long-term memory formation after one-trial
appetitive conditioning. Eur J Neurosci. Mar;21(5):1347-58.
Grecksch G, Matthies H. (1980) Two sensitive periods for the amnesic effect of anisomycin. Pharmacol Biochem Behav. May;12(5):663-5.
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synthesis-dependent phase of olfactory memory in the cricket
Gryllus bimaculatus
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. J Exp Biol. May;206(Pt 10):1605-13.Sutton MA, Masters SE, Bagnall MW, Carew TJ.(2001) Molecular mechanisms underlying a unique intermediate phase of memory in
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Wüstenberg D, Gerber B, Menzel R. (1998) Long- but not medium-term retention of olfactory memories in honeybees is impaired by actinomycin D and anisomycin. Eur J Neurosci. Aug;10(8):2742-5.
B
図1 行動実験の方法 A. 古典的条件付け 3mm×3mm のろ紙を針につけた 1ml シリンジを用意し、シリンジには水を入れ、ろ紙にはバナナま たはアップルの匂いを含ませた。コオロギの触角にろ紙を近づけて2秒間匂いを提示した後、シリ ンジで水(約 5μl)をコオロギの口につけた。 B.嗜好性テストの装置 TCH:テスト室 WCH:待機室 SD:スライド式扉 H:匂い呈示用の穴 N:ガーゼ CH:回転盤 RA: 回転軸 OS:匂い壷(プラスチックの壷の中にバナナまたはアップルの匂いをしみこませたろ紙を 入れ、ガーゼで蓋をした)40
50
60
70
D-saline
ACT-D 0.3nmol
ACT-D 3nmol
P
re
fe
re
n
c
e
I
n
de
x
図2 転写阻害剤の長期記憶形成に対する効果(エラーバーは標準誤差を示す。個体数は、D-saline n=23、0.3nmol ACT-D n=23、3nmol ACT-D n=43。NS : p>0.05, * : p<0.05, ** : p<0.01)
40
50
60
70
80
P
re
fe
re
n
c
e
I
n
de
x
1 時間 4時間 5時間 1日 NS NS*
**
**
**
***
79 129 29 19 20 27 17 30 23 43 0訓練からテストまでの時間
*
↓
↓
↓
図3 転写阻害剤の投与による記憶の経時的変化 (エラーバーは標準誤差を示す。個体数は各データポイントの横に示す。訓練前後の匂いの嗜好 性を統計的に比較した結果は各データポイントの上下にアステリスクで示す。各時間での ACT-D 投与群と対照群との群間比較の結果は矢印の上に示す。NS : p>0.05, * : p<0.05, ** : p<0.01, *** : p<0.001)40
50
60
70
80
P
re
fe
re
n
c
e
I
n
de
x
20分後 20分前 1時間前 訓練**
*
**
***
NS NS 63 92 25 20 23 43 24 20↓
↓
ACT-D 投与から訓練までの時間
図4 転写阻害剤の投与のタイミングを変えたときの効果 (エラーバーは標準誤差を示す。個体数は各データポイントの横に示す。訓練前後の匂いの嗜好 性を統計的に比較した結果は各データポイントの上下にアステリスクで示す。各時間での ACT-D 投与群と対照群との群間比較の結果は矢印の上に示す。NS : p>0.05, * : p<0.05, ** : p<0.01, *** : p<0.001)40
50
60
70
saline
CHX 3nmol
CHX 30nmol
P
re
fe
re
n
c
e
I
n
de
x
NS 図5 翻訳阻害剤の長期記憶形成に対する効果(エラーバーは標準誤差を示す。個体数は、saline n=43、3nmol CHX n=26、30nmol CHX n=29。 NS : p>0.05, * : p<0.05, ** : p<0.01, *** : p<0.001)