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デュルケームとベルクソン 第三共和政期フランスの思想潮流における道徳論をめぐって

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Academic year: 2021

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デュルケームとベルクソン 第三共和政期フランス

の思想潮流における道徳論をめぐって

著者

田村 康貴

学位授与機関

Tohoku University

学位授与番号

11301

URL

http://hdl.handle.net/10097/00128597

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1 博士論文

デュルケームとベルクソン

第三共和政期フランスの思想潮流における道徳論をめぐって 文化科学専攻 倫理学専攻分野 田村康貴

論文要約

序 本論文の目的は、エミール・デュルケームとアンリ・ベルクソンという、第三共和政期 のフランスを代表するふたりの思想家の道徳論を比較考察することによって、それぞれの 論証構造を分析的に記述し、両者のあいだの類似と差異とを解明することである。 本論文は二部構成となっている。第Ⅰ部ではデュルケームの道徳論が、第Ⅱ部ではベル クソンの道徳論が、それぞれ主題的に論じられる。以下では、論文全体の流れに沿って、 内容を要約していく。 第Ⅰ部 デュルケームにおける「モラル」の基礎づけ デュルケームは、彼が社会学者をもって任ずる以前から、哲学・道徳学 (倫理学)をみ ずからの論敵として見定めていた。それが最も顕著に見てとれるのが、1893 年に出版され た『社会分業論』初版序論である。そのなかでデュルケームは、当時主流をなしていた「科 学的道徳学 (morale scientifique)」を批判し、道徳学に代わる新たな方法論として「道徳の 科学 (science de la morale)」を提案している。この批判と提案はともに話題を呼び、一方で は多くの賛同者を獲得し、のちのデュルケーム学派の形成へとつながっていく。しかし他 方で、哲学者・道徳学者をはじめ、各方面から反論を受けることとなったのである。しか し奇妙なことに、1902 年の『社会分業論』第2版以降、この序論は大幅に削除され、デュ ルケームの道徳論も、道徳の科学から道徳教育論へとシフトしていくこととなる。 道徳の 科学という企画そのものが放棄されたわけではない。哲学・道徳学への批判的な態度も変 わりはない。だが、1902 年前後で彼の思想のなかで何かが変化しているのである。 ここから大きく二つの課題が設定された。第一に、『社会分業論』初版をきっかけにして、 当時のフランスにおいて勃発した、道徳学者たちとデュルケームたちとの論争の顛末を描 き出すこと。第二に、そうした論争の渦中 でデュルケームの道徳論において生じた変化と その理由を明らかにすること。このうち前者が第1章に、後者が第2章にそれぞれ対応す ることとなった。 第1章 道徳学と道徳の科学 主に『社会分業論』初版序論において展開されたデュルケームによる道徳学批判の要点

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2 は、次の三つである。すなわち、①道徳学においては、演繹的推論の前提が恣意的に措定 されている。②道徳学においては、立てられた仮説が、外界で観察可能な事実によって充 分に検証されていない。③道徳学においては、人間をよりよい、理想的な存在にするとい う道徳の目的や機能が自明視されている。デュルケームによれば、これらは主観的な見解 でしかなく、いずれも客観的な事実を踏まえていないため「科学」的な道徳研究と呼ぶに 値ない。 これら三つの問題点を回避するために、道徳学に代わる新たな方法論としてデュルケー ムが提唱したのが、道徳の科学である。具体的には、〈……べきであるもの〉について、つ まり万人に当てはまる道徳の一般法則について構想することを止め、もっぱら〈……であ るもの〉を、すなわち外界において客観的に捉えることのできる「道徳的事実」だけを観 察すること。そして、そうした「事実」を比較し、分類することによって、いわば道徳の 自然法則を帰納し、人々が自分たちの道徳的規則を修正し改善する際の手本として提示す ること。このような作業からなる道徳研究の確立をデュルケ ームは目指したのである。 こうしたデュルケームの試みに賛同した者は少なくなかった。実際、道徳の科学という 新たな方法論の登場が、デュルケーム学派が形成される契機のひとつとなったことは疑い えない。だが、道徳の科学に対する反響はそれだけにとどまらなかった。デュルケームに 批判された道徳学者や哲学者は言うに及ばず、心理学や社会学など、多方面からの異論や 批判がデュルケームのもとに寄せられたのである。 道徳の科学への批判の要点は、次の四つにまとめることができる。①道徳の科学は社会 相対主義的な立場を採っているため、諸々 の事実に見られる普遍的な法則を説明する「科 学」の名に値するものではいない。②道徳の科学において観察の対象となる「道徳的事実」 なるものは、外界において客観的に観察可能な所与の事実ではない。③〈……であるもの〉 を記述するだけにとどまらざるえない道徳の科学では、人に〈……べきであるもの〉を勧 告することができない。いいかえれば、道徳の科学の成果は実践に応用できない。④個人 の感情や意志などの主観的・心理的要素は、道徳研究において必要不可欠な前提をなして いるが、道徳の科学はそれを排除しようとしている。 いずれもそれなりに正鵠を射ているこれらの批判を受けて、デュルケーム自身も次第に、 道徳の科学が問題含みであり、方法論として完成されておらず、充分な成果を上げられて いないことに気づかざるをえなくなった。道徳学に代わる新たな方法論として提唱された はずの道徳の科学であったが、その実態は、道徳学と重なる部分のほとんどない、道徳学 とは異なる研究領域を画定したにすぎず、それゆえ、人が道徳学に求める実践的な関心に 道徳の科学では応えることができないということが徐々に明らかになっていったのである。 第2章 道徳教育と人格の形成 そうしたなか、デュルケームの問題意識にも変化が生じることとなる。過去に存在した、 もしくは現時点で存在する「道徳的事実」の観察を試みたところ、フランスをはじめとす る現在のヨーロッパ各国においては「道徳的事実」が観察されず、それどころか、「道徳的 無規制状態」ばかりが観察されるという事態にデュルケームは直面したのである。 デュルケームが原因として目をつけたのは、国家のような大規模な社会集団と個人とを 仲介する中間集団が存在していないという事実である。そのために、当時のヨーロッパ各

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3 国における個人が道徳的生とは真逆の「無規制状態」に陥っている、と彼は考えた。こう した認識のもと、デュルケームは一方で、個人を規制する中間集団を再建する必要性を訴 え、他方で、諸々の集団に存する超越性を的確に感知する個人を教育する方法を論じるこ ととなったのである。 本来であれば、ここでデュルケームは、「道徳的事実」から帰納された道徳の自然法則を 人々に手本として提示し、彼ら彼女らに道徳的生の改善を促すべきところであったかと思 う。だが、いまだ充分な成果を上げることのできていない道徳の科学に、道徳教育の基礎 づけを期待することはできない。だからといって、目の前の「無規制状態」を放置するわ けにもいかない。そこでデュルケームは「簡易的な科学」を「感性のひらめき」で補完し ながらなんとかすることを、みずからの道徳教育の方法として選んだのである。 さて、ここまでに出てきた道徳学・道徳の科学・道徳教育という三つの立場の関係を図 式的に整理するとしたら、以下の図のようになるだろう。 デュルケームによれば、確かに道徳学は人が従うべき道徳(M)について理論的に考察 してはいるものの、その理論には根拠となる客観的な事実が欠けている。そうした事実を 観察することによって、理想的な道徳を構想するのではなく、現行の道徳を基礎づけよう としたのが道徳の科学(S)である。しかし当初の期待に反して、道徳の科学の成果は芳し くなく、道徳を改善するための基準を与えるまでには至らなかった。道徳 (la morale) その もの(M)は、道徳の科学(S)の外に置かれたままとなったのである。他方、科学による 道徳の基礎づけの完成を待っていられないほどに、デュルケームにとって道徳 教育(E)は 喫緊の課題となった。そこで彼は、道徳の科学(S)による基礎づけを欠く道徳(M)を仮 説形成することとなる。だが、そのときデュルケームが自身の仮説の論拠として選んだの は、かつて彼が全面的な批判を浴びせた道徳学における「善」や「義務」についての理論 であった。その意味では、デュルケームが提唱した道徳教育(E)は、道徳学 (la morale) に よって基礎づけられていたと言えるだろう。 では、実際にデュルームの道徳論がなしえたことはなんだったのか。道徳の科学(S)と 道徳教育(E)を合わせてみると、一見したところ、ひとつの体系をなしているかのように 思える。実際、デュルケームの道徳論を肯定する者も批判する者も、彼の道徳論がひとつ の体系を構築していること自体に疑問を差しはさまないでいる。しかし、本論文では、道 徳の科学の揺籃期、道徳学との論争、道徳の科学の停滞、道徳教育への関心の移行、とい

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4 う具合に、デュルケームの道徳論の一連の発展を辿ることで、彼の道徳論には「道徳法則」 そのものが欠如していること、そして、その欠如を埋めるために、かつて苛烈に批判した 道徳学の理論にデュルケームが依拠することになったこと、この二点を 結論として示した。 第Ⅱ部 ベルクソンにおける道徳の伝播 道徳学者とデュルケームとの論争は、アカデミズムの外にも飛び火することとなる。そ れまでフランスの公教育における道徳教育の主導権を握っていた哲学・道徳学 に対して、 デュルケーム学派という新興勢力が闘いを挑んだのである。 ところで、道徳教育のヘゲモニーをめぐる哲学・道徳学と社会学との闘争は、ベルクソ ンにとっては無縁のものではなかった。というのも、1924 年1月におこなわれた公教育高 等評議会の会合の席で、哲学・道徳学の側の代表として、デュルケーム学派の面々と白熱 した議論を繰り広げたのは、ほかでもないベルクソンその人だったからである。 こうした事情を知る者にとって、また、高等師範学校以来のデュルケームとベルクソン との仲の悪さを知る者にとって、1932 年に出版された『道徳と宗教の二源泉』は、ある意 味で信じがたい内容を含むものであった。道徳教育のあり方をめぐってデュルケーム学派 と闘ったはずのベルクソンが、『二源泉』においては、デュルケーム的な語彙を用いながら、 哲学・道徳学や心理学に対する批判を展開していたからである。『二源泉』のなかで展開さ れたそうしたベルクソンの道徳論についての分析をおこない、ベルクソンの道徳論とデュ ルケームの道徳論との比較を試みたのが第Ⅱ部である。 第3章 道徳教育と拘束の機序 デュルケームとの比較のために着目したのは、『二源泉』第1章で論じられるベルクソン の道徳教育論である。彼はそのなかで四つの道徳教育を区別している。すなわち、既存の 社会学的な道徳教育、哲学的な道徳教育とは別種の道徳教育として、しつけ、そして神秘 性という第三・第四の道徳教育を提案しているのである。 それにしても、なぜしつけなのか。そして、なぜ神秘性なのか。「しつけ」や「神秘性」 というのは、意志に対して、何が、どのようにおこなわれる事態を指示しているのだろう か。また、これら二つの方法はいかなる意味において道徳教育とみなされうるのだろうか。 これらの問いに対して、『二源泉』において展開されているベルクソンの道徳論を再構成し、 ベルクソンが辿ったと思われる論証の経路と、そこから引き出される仮説の解明をもって 答えることが、ここでの課題となる。このうち神秘性については第4章に回し、第3章で はしつけに焦点を絞って考察を進めることにした。 デュルケームにおいて社会と対置される個人、とくに子どもは、わがままで、利己的で、 感情の抑えが効かず、知性に欠ける存在であったが、ベルクソンの特徴づけはそれとはま ったく異なるものである。すなわち、彼はすでに充分な知性を備えているが、まだ覚醒し ていない存在として子どもを描写しているのである。 ベルクソンによれば、社会から教育されるまでもなく、個人はさまざまなことを自力で 学んでいく。個人は知性を(まずは現在と未来に向けて)働かせることによって、自然に 利己的態度をとるようになるが、その一方で、同じく知性を(今度は現在と過去に向けて)

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5 働かせることによって、自身のかつての利己的態度を後悔することになる。そして、個人 が知性を目覚めさせているかぎり、このむなしいひとり相撲は折に触れて何度も何度も繰 り返される。そのため個人は、この苦痛に満ちた絶望的なマッチポンプの状態から「抜け 出す」ことを考えずにはいられなくなる、といった具合だ。 過去の自分の利己的態度について後悔するようになったばかりの個人が 、最初に模倣の 対象に選ぶのは、大抵の場合、自分の周囲にいる家族の誰かだろう。自分のすぐ近くにい る家族や親族との関係をとおして、個人は彼ら彼女らの言動を模倣する。個人によって模 倣されるのは家族だけではない。家族以外の集団に属する誰かを模倣の対象に選ぶという こともあるだろう。最も身近に存在している家族をとり囲むかたちで別の集団が存在して おり、その集団をとり囲むかたちでまた別の集団が……という具合に、たとえば、学校や 職場、市町村、県、国、等々の集団が個人 およびその家族の周囲には存在しており、それ らのなかでも最も外側にあるものが「社会」と呼ばれる集団である。そうした諸々の集団 を構成する他者もまた、個人にとっての模倣の対象となるのだ。もちろん、他者なら誰で もいいというわけではない。ここでもやはり、利己的に行動していた過去の自分とは違っ て見える他者のとる行動や態度を、後悔の真っ只中にある個人は模倣する ことになる。 他者の模倣をとおして、個人は、自身の表面において他者たちの連なりのなかに位置し、 他者たちに似ることになり、個人と他者たちとのあいだに相互的な依存関係を作り出す規 律によって、他者たちと一体をなすに至る。ここでふたたび注意すべきは、先ほど確認し た後悔と同様に、他者の模倣においても、他者からの働きかけはいっさい必要ないという ことだ。ここでもベルクソンの描く個人は、自力である種の社会性を身につけていく。 衝動ときまぐれと後悔からなる生活から抜け出すために、「個人的自我」に「社会的自我」 を付け加えるための努力は、ひとつの集団 に属するすべての成員が例外なくおこなうこと となる。模倣すべき理想像として自分で選びとった「社会的自我」を習得するために、誰 もがその都度努力をするのである。こうしてすべての成員が個別に努力をした結果、一方 で、各人における「個人的自我」と「社会的自我」とをつなぐ拘束関係が習慣化し、他方 で、当の集団に属する「社会的自我」を持つ者同士の相互的な拘束関係も習慣化する。「社 会的連帯」を維持するのは、複数の「社会的自我」のあいだで習慣化する 、このような拘 束関係である。すべての成員が自分の習慣を維持するかぎり、「社会的連帯」が崩壊するこ とはない。また、これにより、各々の「個人的自我」が「社会的自我」という支点を失い、 もとの状態に戻ってしまうことも妨げられている。 以上の説明を踏まえたうえで、ベルクソンにおける「しつけ」とは、何が、どのように おこなわれる事態を指しているのか、という本章の冒頭で立てた問いに答えると次のよう になる。まず確認すべきは、しつけとは、他者が個人に特定の「社会的自我」を強制的に 割り当てることではないということである。個人は、ある成長段階にさしかかると、自分 の意志で、周囲の他者を模倣しつつ、自分にとって 理想的な「社会的自我」を選びとる。 その模倣や選択において、他者からの、あるいは集団や社会からの働きかけは、必要不可 欠というわけではない。他者は、ただ単に個人の周囲に存在していれば、それで充分なの である。しかし、逆からいえば、他者には個人の周囲に存在していてもらわなければなら ない。個人が、みずからの「個人的自我」に「社会的自我」を付け加え、それを習慣化す る際に模倣の参照先となるのは、社会全体でもなければ、個別の中間集団でもなく、すで

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6 に特定の「社会的自我」を演じる習慣を身につけた他者をおいてほかにないからだ。した がって、たとえば「親」という「社会的自我」を持つ者は親として行動することによって、 あるいは「先生」という「社会的自我」を持つ者は先生 として行動することによって、要 するに、「社会的自我」を持つ者がみないつもどおりにふるまうことによって、安定した「社 会的自我」を習得しようといままさに努力している個人(と同時に「個人的自我」を忘れ つつある個人)のための環境を整えることは必要になるだろう。このように、すでに「社 会的自我」を習得した者たちが、それぞれ特定の「社会的自我」として個人の前に姿を現 わし、かつて自分の意志で選択した役割をいつもどおりに演じること、それこそがベルク ソンが想定する「しつけ」にほかならない。したがって、特別なことをする必要はない。 それどころか、むしろ特別なことなどしないほうがよい。特定の「社会的自我」としてふ るまう習慣を身につけた者は、いつもどおり に生活しているだけで、たとえ本人にその気 がなくても、しつけに参与することになる 。これが通常のおこなわれている道徳教育の基 礎にもなる、というのがベルクソンの主張である。 第4章 神秘体験と情動の哲学 第3章での「しつけ」の分析に続いて、第4章でも「神秘性」について、それがいかな る事態を指示し、どうして道徳教育と言えるのか、 ということを問題として考察した。こ こでベルクソンが主題とするのは、神秘体験である。そこで、ここでは当時のフランスに おける宗教心理学や病態心理学の成果を踏まえつつ、神秘体験における情動について考察 をおこなった。具体的には、神秘体験と神経症に関する見解を整理し、神経症者と神秘家 の両者に観察される情動の特徴づけをめぐって、ベルクソンと心理学者ピエール・ジャネ との見解の相違を、両者のテクストの比較をとおして明らかにした。そして、それらの分 析をもとに、神秘体験が個人の魂のあり方にどのように影響を及ぼすか、「神秘性」の道徳 教育における意義とは何かについて考察したのが本章である。 一方のジャネが、反応依存的で、特定の対象に向けられる、可謬性のある情動を想定し ていたのに対し、ベルクソンはそれ以外の情動が、すなわち反応依存性がなく、対象も持 たず、可謬性のない、そんな情動を神秘家の情動に見いだした。こうした両者の違いは何 に存するのか。さしあたり指摘しておくべきは、ジャネとベルクソンが情動を分析する際 に用いる方法の違いだろう。ジャネにおける情動は、活動全体を変容させるもののことで あり、こうした情動によって引き起こされるさまざまな症状を分析するために 彼がとった 方法は、人間の活動を一次作用(身体的反応の初動)と二次作用(情動) とに区分すると いうものであった。それと同時に、ジャネは著者自身の内観や他者が語ったことの収集と いう旧態依然とした心理学の方法を放棄している。内観や他者の語りによって明らかにな るのは、語り手が特定の情動について持った解釈や観念や信念だけであり、それでは人の 活動全体に影響を及ぼす情動そのものを明らかにすることはできないとジャネは考えるか らだ。では、ベルクソンはどうか。彼も、神秘家が語る神秘体験は、それだけでは哲学者 に決定的な確信をもたらしえないということを認めてはいる。これは当然と言えば当然の ことかもしれない。哲学者は、というよりはベルクソンは、神秘家の語ることを、自身の

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7 通常の生では体験できなかったからだ1。しかし、ベルクソンによれば、神秘家の語りは人 の魂の内奥で「反響」し、そうした「反響」の体験であれば、哲学者は内観によって捉え ることができる。さらに、個別に見れば蓋然的でしかない体験談であっても、内容的に類 似したものが集まれば、それは実質的に確信に等しい結果をもたらしうる。こうした「交 会法的な考察方法を用いることによって、ベルクソンは、ジャネが放棄した内観や他者が 語ったことの収集という方法をむしろ徹底することによって、ジャネが捨象した特徴を有 する情動を、すなわち、神秘家の魂の状態や、それに「反響」する個人の魂の状態を論じ ることになったのである。 1 Cf. Gouhier 1999 : 108-111.

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