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シンポジウム「文化財を守る : 東海大震災に備えるには」

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Academic year: 2021

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(1)シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」. シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」 パネリスト 東北芸術工科大学教授 藤原 徹(ふじわら・とおる) 名古屋市博物館学芸員 瀬川貴文(せがわ・たかふみ) 名古屋市立大学大学院教授 山田 明(やまだ・あきら) 司会 同教授・人間文化研究所長 阪井芳貴(さかい・よしき) 阪井教授:こんにちは。シンポジウ ムをはじめます。まず先ほどの藤原 先生のお話を受けて、お話をしてい ただきたいと思いますが、自己紹介 を兼ねて、名古屋市博物館学芸員の 瀬川さんからお願いいたします。瀬 川さんは、いま写真が映っておりま すけれど、名古屋市から文化財レス キューとして被災地へ行かれ、現場 で文化財を修復してこられ、さきほ ど 藤 原 先 生 の お 話 に あ っ た よ う な、 そういう現場での仕事をなさったご 経験があります。そのへんのお話か ら始めたいと思います。. 瀬川学芸員:よろしくお願いします。 名古屋市博物館学芸課の瀬川と申し ます。お話しさせていただきます。 わたくし先ほどご紹介ありました よ う に、 名 古 屋 市 か ら 文 化 財 レ ス キューの一員として派遣されまし た。先ほどの先生のお話もあったよ うにいろいろな仕事があったと思う のですが、私は比較的短い期間とい うこともありまして、人足といいま すかとにかく資料を運び出すことを おこなってまいりました。 文化財レスキューということで先 ほどからお話が出ておりますが、こ ちら先生も挙げられた図を文化庁の ホームページからとってまいりまし た。たぶん文化庁は今は実施主体と いうことになっておりますが、当初 は寄付金等で賄うということになっ て お り ま し て、 わ た く し は 名 古 屋 市職員として赴いたわけなんです が、そのときもお金の方は名古屋市 のお金でということで、滞在費等も 名古屋市から出ました。なにも国か ら行ってくれと言われたわけではな く、こういったのがあるので来られ る人いませんかという照会がありま して、それに応募するといいますか、 ぜひ協力させてくださいということ で行ったことになります。 ただ行ったのは実は七月の中ごろ です。もう震災がございましてから. 13.

(2) 四 か 月 が す ぎ た こ ろ で あ り ま し た。 それは先ほどの話にもありましたよ うに、仕組み自体が震災があってす ぐに動き始めたわけではなく、その あといろんな調整もございました し、こういった制度ができたのも先 ほどの話にもあったように四月後半 ぐ ら い で、 こ ち ら の 方 に お 話 が 来 たのは五月ぐらいだったかと思いま す。そこからまた名古屋市としてど のように行けるのかという話もござ いまして、仕事の都合等もありまし て、行ったのが七月の中ごろ、もう 夏の暑い時期になっておりました。 行きましたのは宮城県亘理郡亘理 町、( 画 像 を 見 な が ら ) す い ま せ ん こ ち ら の 赤 丸 が 仙 台 市 に な り ま す。 で、仙台市のもう少し、もう少しと いうよりもっと南ですね、車で一時 間 ほ ど か か る 場 所 で ご ざ い ま し た。 ニュース等で流れた仙台空港のさら に南の場所になっております。阿武. 隈川がこのあたりだったと思いま す。で、もう少しアップにしますと こちらのほうに川がございまして私 が行ったのがこのあたりの民家でご ざいます。 民家の土蔵の資料を救出するとい う作業でございました。亘理駅に町 の資料館、悠里館がありまして、そ こが現場のレスキューの拠点となっ ておりまして、民家からそちらのほ うに資料を運ぶという作業でござい ました。 はい、大体こういった形で作業を しておりまして、わたくし作業の様 子を紹介をさせていただくわけです が、まず朝の七時半ごろでしたかね、 七時半までには入ってくださいとい うことで七時半前には仙台市博物館 に入りまして、そこから車で一時間 ちょっと行って、先ほども言いまし た資料館に行きました。こちらから 打ち合わせ等ミーティングをしまし て実際にレスキュー現場に行きまし た。四つの班にわかれまして、私は A班ということで、その現場で裏か ら資料を出して仮梱包をする、運び 出し傷つかないようにするための梱 包作業をしました。 それを悠里館に運びましてこちら で リ ス ト の 作 成、 先 ほ ど も 先 生 も お っ し ゃ っ て い ま し た が、 写 真 を 撮って何を出したのか、何件出した. のか、そういった記録をする作業と か、その場でできる応急処置、あと、 水をかぶった資料とかぶってない資 料を分けて、かぶっていない比較的 状態のいい資料に関しては、隣接す る市町村のまた別のところにとりあ えず預かっていただくということで 運びました。そちらの方はB班が担 当しました。 あと水を被ってしまってもう凍結 乾燥しないといけないという資料に 関しては、そのときは冷凍庫を借り ることができたらしく、そちらの方 に運ぶ班ということでC班がござい ました。 あとB班の方でリスト等を作成し て、水損資料でちょっと処置しない といけない資料というのはここのB 班で処置をしておりました。 はい、こちらから写真が続きます。 現地訪問ということで仙台市博物 館の方に行きました。もちろんこう いった部屋がもともとあった訳はご ざいませんでして、レスキュー事業 本部ということでほんとに通路とい いますか、突き当たりのところ、こ この辺りですね、そこの突き当りの 一角を緊急的に部屋にして電話とか ですね、あと資材、こちらのほうダ ンボールがたくさん積んであります が、 そ う い っ た も の を 積 ん だ り し て、そういった場所を作っておく形. 14.

(3) シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」. ですね。 で、こちらの方が現地に赴きまし て仙台市博物館から一時間ほどです ね、悠里館というこちらのお城を模 した資料館等がございまして、そち らに集合しました。 この中で私ほんとに行くまで思い つかなかったですけれども、ほんと うにレスキュー事業で何が必要かと いうと、車、車がないと何も運べな いんですね。で、その車の手配にま ず当初はかなり手間取ったという話 が出ていました。こちらの車は奈良 国立文化財研究所から乗って来たと いうことです。 現場近くになってまいります。こ ちらが堤防の上に少し登って撮って おります。堤防がございましてこち らのほうが川ですが、もうこちらの 方に行くと海岸線がスーッと見えて いる。こちらの方の堤防を越えて津 波が押し寄せてきたというような場 所になっております。私が行きまし たのは先ほどもうしあげましたよう に七月でございましたので、がれき 等はだいぶ撤去されているんだと思 います。基礎等は残っているような 形です。こういったような消火栓の 看板などの上の方まで津波が上がっ てしまったりとか、看板もなくなっ てしまったりだとか、めちゃめちゃ な状況になっていました。 現場の方は旧家で、こちらの方は まだ比較的新しいもので、この裏に 蔵がありまして、かなりこのあたり も損傷しています。普通のおうちで すので、資料を運び出して梱包する という場所もございませんので、外 にブルーシートを敷いて、そこに出 してきて仮梱包するという作業で した。 こ ち ら の 資 料、 主 に は 文 学 資 料、 近代の文学資料が主にある蔵でござ いまして、津波の被害で見ての通り 壁が崩れておりますが、実際水に水 没したのが一階で、二階の床に行く か行かないかくらいのところまでが 水没、で幸い主な文学資料に関して は二階のほうに置いてありましたの で、水に被ることはなんとか避けら れたということです。蔵のかなり頑 丈な鉄の扉とかも破壊されておりま した。 当然、電気がまだ復旧しておりま せん。そういった真っ暗な中で作業 するところをカメラのフラッシュを 焚いて撮りました。こういった風に 水 に 浸 か っ て し ま っ て い て、 一 階 部分はぐしゃぐしゃになっていま した。 こういったところで作業をしてお り、七月で大変暑い場所でございま した。電気もありませんし、トイレ も 復 旧 し て お り ま せ ん で し た の で、. 一緒にいったメンバーの中では女性 もいましたが、現地に関しては男の ほうがいいだろうということで男だ けでいきました。こちらだけで十人 くらいのスタッフが行きました。あ とB班、C班、D班と合せて三十名 ちょっと越えるくらいの人数で携わ り ま し た。 国 立 の 博 物 館 と か 研 究 所、私のように各市町村からきた学 芸員、ボランティア、あと地元の亘 理町の職員の方、そういった方が参 加されていました。 博物館等で資料をお借りして運ぶ ときは、すごく厳重に梱包して運ぶ のですけれど、そんなことしている 場合ではございませんので、簡易な 梱包、しかもほとんど梱包しなくて いいものはそのまま車に乗せて運び ました。 こちらは一階にあった文書です が、水に浸かってそのままの状態で 三・一 一 か ら そ の ま ま の 状 態 で、 お そらくヘドロといいますか、いろん なものを含んだ水に浸かり真っ黒に な っ て い る 文 書 が 見 つ か り ま し た。 正直私これを見たときは匂いもすご くて、これは無理なんじゃないかと 思ったのですが、この家の明治頃と いいますか初代の方のこととかを書 いた書類だということはわかりまし たので、できれば残していきたいも のだということで、応急処置等をし. 15.

(4) て水でとりあえず洗い流していきま した。 こちらのほうが悠里館、先ほどの 場所で運んできたものをどんどんと 写真を撮ってリスト化していく、そ ういった作業をこちらのほうでやっ ております。この日は一日の作業で およそ一五〇件、点数はもっと多い ですが、それくらいの資料を運び出 して一応処置をしていくとか、必要 なら凍結乾燥するという判断をして おりました。 こういう風に作業していっており まして、こちらの資料に関しては個 人のお宅から持ち出した近代の文学 資料等ですが、基本的には亘理町が 最終的に引き取ると言う形で話がで きておりまして、運び出しの際にも 亘理町の職員の方が同行されて、「こ の資料は必要です。この辺りのもの は … い い で す。」 と い う こ と を 判 断 さ れ ま し た。 我 々 は ど こ ま で レ ス キューするかしないかという判断が つかないので、そういった判断は亘 理町の地元の方がやられて、我々は 本当に持ち出すと判断されたものを 運ぶということをしました。 私こちらのほうのレスキューに参 加したいということでさせて頂いた のですが、行って現場を見ておきた いということがありました。こちら 名古屋市は、東海地震、東南海地震 などがいつ起こるのかわかりません ので、そういったとき名古屋市の博 物館としてどういったことができる のか、すべきかということを、現場 に行って持ち帰りたいなと思ってお りました。また後で先生のほうから 教えていただければと思うのです が、 や は り 事 前 の 備 え と 言 う も の を、何をすべきなのか、ということ がすごく大事なことだと思っており ます。 当然博物館は、震災、火事とかそ ういったものへの対策はしておりま す。博物館自体も大震災がきたらど こまで耐えられるかということはま だわからない部分がありますが、で きるだけ資料を守るといった対策を 行 っ て い く つ も り で す。 け れ ど も、 今回の津波のように地域一帯の文化 財に被害が出る、というときに何が できるかということに関しては、正 直あまり検討が進んでいないという のが現状です。これから進めていか なければいけないなと思っておりま す。 あと実際の体制は一体どうなるの か、今回は文化財レスキューという ことで私が行きました。その間調整 な ど で 二 个 月 ほ ど か か り ま し た が、 それをどれだけ迅速にできるように 体制を立てていくのか、何を文化財 としてレスキューできるようにして. いくのかこういった選択も現場では 重要になってくるだろうと。 ちょっと余談になりますが実際の 体制というところでですね、結局名 古屋市がもし被害に遭ったら、何が できるかというと、できることは本 当に限られます。仙台市博物館の方 に時間がありましたので話を伺った のですが、被災した博物館というの は自分の館の復旧、開館に向けての 作業が大変忙しくなってきて実際文 化財レスキューに参加したくてもな かなか参加できない部分があったと お伺いしました。そういったことで、 実は周りからの協力体制を作ってい くことが重要なのかなと思っており ます。 そういったものの一つとしてです ね、全国美術館会議という名前が出 て お り ま し た が、 美 術 館 と か 動 物 園、植物園、そういったところは全 国的な組織があるのですが、実は歴 史系・民俗系の博物館にはそういっ た組織があまりない。というのは全 国で四千近い館がございまして、そ れを纏めることはなかなか難しいと 言うこともありまして、今までそう いった組織はなくて、基本的には博 物館協会という日本の博物館を纏め ている組織の関係で私は行ったので すが、やはり歴史民俗系の博物館の 動きが、ほかに比べると非常に遅く. 16.

(5) シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」. なってしまったということがござい ました。 そういった組織・連絡体制を作る 必要があるだろうということで最 近、一一月一一日に文章が届きまし て、国立歴史民俗博物館と江戸東京 博物館が主導を取られて、あと地域 ブロック毎で代表となる館、賛同す る館が集まってですね、こういった 会を作って震災に備えていきましょ うということを今ちょうど始めたと ころです。この会がどういった会に なっていくのかはまだ見えない所も ありますが、そういった中に名古屋 市博物館も参加させていただいてお ります。 最近気になっていることで、事前 の備えの一つとしてリスト化という 話も出ておりますが、重要だろうと 思っております。(画像を見ながら) ちょっと名古屋市全域の地図を見よ うと思うとなかなか難しいのです が、この辺赤くなっているのが何か しらの文化財がある所で、☆マーク 等 が 入 っ て い る の が 所 謂、 国 指 定、 県指定、市指定の文化財です。私が 一人でやっている作業ですが、とり あえずやっております。 この辺りもあるのですが、今、実 際どれくらいの高さまで洪水に被害 が出るのか分かってない部分もある かと思います。いろんな話がござい. 山田教授:つづきまして山田が少し 話させて頂きます。私は文化財が専 門ではなく、地域政策とまちづくり、 地方財政を研究しています。先ほど 先生から最後にお金の話題も出まし たが、少し違った角度から問題を提 起していきます。 三月一一日午後二時四六分という 時間、ちょうど私も大学の六階にお りまして、今までにないような揺れ. ます。これは参考としてなんですが、 すが、いったいこの辺りはどう、何 例えば、今十メートルという等高線 をしていくべきなのか、そういった で引いていきますとこういうふうな ことを今日この後少しお話しできれ 形で入ってまいります。私専門が考 ば思っています。自分の体験のお話 古 学 で ご ざ い ま す の で、 縄 文 海 進、 でしたが紹介させて頂きました。 縄文時代には海が陸地に入り込んで (拍手) いたのですが、それが実は八メート ルくらいの等高線になるのです。そ 阪井教授:ありがとうございました。 れに近い地形になるのですが、仮に では、引き続いて名古屋市立大学人 十メートルが洪水の起こりうる範囲 文社会学部教授山田明先生お願いい だとすると、やはり西の方はそうい たします。 う範囲になってきます。堤防やいろ んな微地形などに影響されるはずで すので、参考としてはこういった高 さになっております。名古屋市博物 館が、このあたりですかね。 山田教授:ちょうど。 瀬川学芸員:はい名古屋市博物館こ のあたりで、熱田神宮がこちらの熱 田台地なっております。ここが名古 屋城という風な位置関係になってお ります。 こ う い っ た 図 を つ く り ま し た が、 洪水被害がどの範囲でありうるのか という想定もありますし、もちろん 火事とか、そういった想定もしない といけないと思っていますが、こう いったことを少し考えはじめている というところです。ですので、こう いったこともちょっとやっておりま. 17.

(6) を感じました。河北新報という仙台 を拠点にした地方新聞は、震災翌日 の一面に「現代日本社会は初めて巨 大複合型災害に直面した」と述べて います。世界有数の地震列島で起き たトリプル大災害、巨大地震と大津 波、地盤沈下、液状化、そしてまさ に人災といえるような原発震災・原 発事故。未曽有のトリプル災害が起 こってもう八か月が経過しました。 そういう中で、大学の講義で学生 たちにぜひとも現地に行ってもらい たいというメッセージを送っていま す。そのためにも自分自身が現地に 早く行こうと焦っていました。阪神・ 淡路大震災の時はわりあい早く行け たのですが、今回は先ほど先生も言 われたように、交通が寸断され、名 古屋からなかなか行けません。やっ と三か月後に被災地に行くことがで きました。 こ れ は 東 北 全 域 の 地 図 で す け ど、 東北は岩手県にしても福島県にして も非常に面積の広い県が並んでいま す。東北六県のうち岩手、宮城、福 島の三県、そして関東の茨城・千葉 あたりにも大きな被害が出ました。 名古屋と仙台空港が結ばれてか ら、とにかく仙台から石巻まで駆け 足で行ってきました。これは皆さん も何回もご覧になった仙台空港周辺 の写真です。わたしが上空から撮っ た写真からも、空港周辺がまだ水に 浸かっているのが見えます。仙台空 港はよく映像でも見ましたが、一階 が水に浸かって上の階や屋上になん とか逃げた人でいっぱいでした。海 上空港である中部空港や関西空港の 被害が懸念されます。 仙台空港からの連絡鉄道は当時ま だストップしており(つい最近開通 し ま し た が )、 空 港 か ら バ ス に 乗 っ て名取駅まで行き、そこから仙台駅 ま で 向 か い ま し た、 バ ス の 中 か ら 撮った空港周辺の写真ですが、三か 月後でも悲惨な状況でした。仙台駅 からは仙石線に乗り、開通していた 松島海岸駅まで行きました。松島海 岸周辺はよく言われるように、数多 くの島のおかげで被害がいくぶん少 なかったようです。 しかし、松島海岸駅から代行バス で東松島方面に向かうと、景色が一 変します。東松島市野蒜地区は中日 新聞でも大きく特集が組まれ、涙な くして読めないような記事が掲載さ れました。写真のように仙石線が大 きく破壊されています。石巻駅前の 市役所に行きましたが、震災から三 か月後には死亡届など出す人たちで ごった返していましたが、五か月後 に行った時は、だいぶ落ち着いてい ました。市役所も震災時はすっかり 水に浸かり混乱した状況が、手書き. の新聞を発行して話題になった石巻 日日新聞などで生々しく紹介されて います。三か月後に行った時は、駅 周辺や市役所の中までも魚の腐った ような臭いがしました。五か月後に は、まちの臭いや空気、景色もかな り変化していたのが印象に残ってい ます。 阪神・淡路大震災、今から一六年 前の震災ですが、その時にも何回か 被災地に行きました。今回のシンポ ジウムを前に、久しぶりに神戸市立 博物館を訪ね、少し話を聞いてきま した。博物館の方はご存じだと思い ますが、『神戸市立博物館研究紀要』 一二号に「阪神・淡路大震災による 被害と復旧」というレポートが掲載 されています。震災による博物館の 被害と復旧過程が詳しく記録されて おり、たいへん参考になる資料だと 思 い ま す、 お 手 元 の 資 料 の 右 側 に、 「被災概要」の一部を載せています。 神戸市立博物館のWebサイト「大 震災」から入ると、当時の被害状況を ビジュアルに見ることができます。 歴史的に有名なメリケン波止場の 一角に、震災当時の港の状況が少し 再現されています。メリケン波止場 から居留地に向かうと、古き良き神 戸の景観を見ることができます。居 留地の一角に神戸市立博物館はあ り、一つの観光コースになっている. 18.

(7) シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」. ようです。このあたりは地盤が弱く、 震災により液状化や地盤沈下が進行 し、写真のように博物館のエレベー ター周辺に段差ができました。 「 定 点 観 測 」 と い う 形 で、 関 西 に 行ったら必ず神戸市長田まで足を伸 ばすことにしてきました。新長田駅 界 隈 は、 写 真 の よ う に 鉄 人 号 を キャラクターに復興まちづくりを進 めています。ものすごいお金をつぎ 込んで、巨大なアーケード街や高層 ビルをたくさん建てました。一見す ると復興が進んだようですが、閑散 と し て お り 空 き 店 舗 が 目 立 ち ま す。 とりわけ二階にはほとんど店舗が 入っていません。 巨額の借金をして再開発をしまし たが、一六年経っても本当の復興に は程遠い状況です。長田の再開発は 象徴的な事例だと思います。震災か らまもなくして、神戸空港の建設や 大規模再開発が計画されました。ま さに災害便乗型の開発です。こうし た傾向が、東日本大震災でも宮城県 などで見られます。神戸市長田の事 例からも、災害便乗型の開発には注 意が必要です。今回の震災復興では 岩手県は宮城県とは違った方向のよ うです。福島県は原発事故により大 きな困難を抱えています。 写真は長田の御蔵地区です。人が ほとんど歩いていません。家や店は 28. 建ちましたが、なかなか人が戻って して東日本大震災から学び、災害が きていません。私の大好きなフーテ 他人事ではなく自分たちの問題であ ンの寅さんの最終作は、最後の舞台 り、防災・減災まちづくりの課題を学 を菅原市場にしました。寅さんが被 生と調査していきたいと思います。 災者を励ますシーンが印象に残って さて、八月四日付の朝日新聞で「文 います。今はスーパーですが、映画 化被災」という特集が掲載されてい を記念するモニュメントが入口に展 ます。先ほど先生からも紹介されま 示されています。それと三宮から少 した、岩手県陸前高田の市立博物館 し行くと、「人と防災未来センター」 主任学芸員の熊谷賢さんが、こう発 があります。神戸に行かれたら、是 言 し て い ま す。「 文 化 財 が 残 ら な い 非ここに行ってほしいです。震災資 復 興 は 真 の 復 興 で は な い。 そ れ は、 料や写真も保存・展示され、震災を この土地の自然、文化、歴史、記憶 映像で見たり体感できて勉強になる の集積であり、陸前高田のアイデン と思います。 テ ィ テ ィ ー だ か ら で す。」「 三 陸 の さ て、 こ の 地 域 で も 三 連 動 地 震、 人々は、明治、昭和、平成と津波に 最近では五連動地震が起こることが 牙をむかれながらも、この豊かな海 懸 念 さ れ て い ま す。 こ の 四 月 か ら、 と共に生きてきました。生き残った 学生と一緒に「東日本大震災と防災・ 収蔵品は、忘れかけていた海への『畏 減災まちづくり」をテーマに調査し 敬の念』を思い起こさせると同時に、 ています。東日本大震災から学んで、 土地の記憶を後世に語り継いでくれ 名古屋・愛知で防災・減災まちづく る は ず だ と 信 じ て い ま す。」 私 は 文 りを進めていく課題をさぐるという 化財の専門家ではありませんが、こ 趣旨です。調査の一環として、震災 の発言は心に残るものがあります。 から三か月後に学生に緊急アンケー それと文化庁長官の近藤誠一さん トを実施しました。アンケート結果 が、示唆に富むことを言っています。 によると、三月一一日の大震災に大 「 身 近 な 寺 社 や 文 化 財、 文 化 施 設 を きなショックを受け、津波や原発事 失った人たちにとって、食べるもの 故に恐怖を感じたという学生が多く や住むところとほぼ同時に、そうし いました。しかし、恐怖感はあるも たものが必要だと感じておられると のの、なかなか防災に対する意識や 聞いています。文化の復興は、生活 行動に結びついていないという結果 や産業の一歩あとに、でも忘れるこ が出ました。阪神・淡路大震災、そ となく、取り組むべきです。」「博物. 19.

(8) 館や音楽ホールは、単なる箱物では ありません。町の中の不可欠な存在、 文化的なインフラと考えるべきで す。精神的な支えの拠点でもありま す。土地土地の、生活の記憶を後世 に伝えていく、そういうメカニズム は重要です。物理的には復旧復興し た、きれいな町になった、でものっ ぺりして、文化とか地域の記憶とか、 精神的な支えになるものがなくなっ てしまった、ということが過去にあ りました。そうならないよう、私た ちもしっかり、取り組んでいかなけ ればと思っています。」 こうした発言、先ほどの先生のお 話 か ら、「 文 化 被 災 」 や 文 化 財 保 護 の意義など、専門は違いますが、い ろいろ考えさせられました。そこで、 二点ほど質問ないしコメントをした いと思います。 一つは復旧から復興に進む過程で の優先順位です。被災地では今、生 きることに精一杯であり、どうやっ て生活を立て直すかが喫緊の課題と なっています。震災からちょうど半 年の九月一一日に岩手県宮古市に 行ってきました。明治・昭和と津波 被害を受けた宮古市田老では、万里 の 長 城 の よ う な 防 潮 堤 が 破 壊 さ れ、 住民の多くは数キロ離れた仮設住宅 に避難しています。昨日の天気予報 を見ても、零下二度くらいの寒い仮 設住宅で住んでいる人たちのことが 気になります。 今回の大震災は、働く場所、生業 が問題になっています。働く場がな いから、生活再建のめどが立たない 状 況 に な っ て い ま す。「 文 化 は 二 の 次 」、 後 回 し で よ い と い っ た 論 調 も みられます。私も今回のような深刻 な事態を見ていて、どう自分の考え を整理したらいいのかよくわからな いところがあります。先生のお話か ら文化財保護の意義と課題について 示唆を得られました。 文 化 財 の 復 旧 は 二 の 次 で は な く、 緊急性があるのではないかと考えま す。 時 間 が 経 て ば 経 つ ほ ど、 復 旧、 復興ができなくなるのではと心配し ています。病院の先生たちが頑張っ ておられますけども、患者さんの状 況により治療の優先順位をつけてい る と 聞 き ま す。 文 化 財 に つ い て も、 こうした優先順位をつけた取り組み や体制があるのか、というのが第一 点です。 二点目は質問というよりも、先生 が最後に言われた、文化には金がか かるものだという点に関係した感想 です。 最近とくに効率優先の行政が自治 体でも進められています。先日、名 古屋市も「事業仕分け」という形で、 敬老パスや野外学習センターなどの. 廃止が打ち出されました。民間でも 可 能 と か、 財 政 効 率 が 優 先 さ れ て、 文化・芸術の分野でも行政サービス の再編が推進されています。文化と か芸術というのは、我々の世代だけ のものではない、単にお金で換算で きるものではありません。こうした ことが、なかなか理解されにくい世 の中になっています。文化とか芸術 の価値を再評価していく必要がある と考えます。東日本大震災を踏まえ て、「 文 化 財 を 守 る 」 と い う と い う のが今日のメインテーマですが、文 化財を守るための戦略をどう考え る か。 住 民 の 意 識 変 革 を 促 す た め に、防災教育とか環境教育と同じよ う に、「 文 化 財 教 育 」 と い っ た よ う なものが必要なのではないかと、先 ほどの先生の話から感じました。協 働して文化財を守るうえでの課題に ついても、ご示唆いただければと思 います。どうもありがとうございま した。. 阪 井 教 授: あ り が と う ご ざ い ま し た。今の山田先生の質問の中にあっ た、人命あるいはその被災者の生活 復旧、それと文化財の復興と、どち らを優先するかというのは、先ほど の休憩時間にいただいた質問の中に も ご ざ い ま し た。 そ の あ た り か ら、 では藤原先生お願いします。質問に. 20.

(9) シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」. 答えるような形で先ほどの講演の補 足も含めてお話しいただければと思 います。 藤原教授:やはり何はなくとも、人 命が一番大事だと思います。それに 文化が残っても人がいなければ意味 がないと思うし、一番に考えないと いけないことは人の命だと思いま す。それで、その文化財と復興に優 先順位をつけるか、という難しいご 質問ですが、基本的には順位をつけ ていません。人間の営みのしるしと いう位置づけを文化財にしておりま す。それで、今回の震災の場合、盛 岡の美容院をやっておられる方か ら、思い出の置物だったらしいので す が、 震 災 で 落 下 し て ば ら ば ら に なった、いくらかかってもいいから 直してくださいという電話がありま した。では拝見しましょうというこ とで、宅急便で送ってくださって拝. 見ましたら、失礼な言い方ですけど、 たいしたものではないんです。置物 なんですけど、でもこれはやっぱり 時間がある限り、なんとかしてあげ たいと思いまして、二か月三か月後 くらいに、少しずつ時間をみつけた 中で直して、送り返して差し上げま した。非常に喜んでいただきお電話 をいただきました。たしかに美術館、 博物館という建物に収蔵されていま すものは、特定の方が選択収集して いますが、みなさんと全く関係ない ものではなくて、いわゆる公共の財 産。市の博物館であれば、市の方た ちが直接かかわってはいないかもし れませんけれども、税金で皆の財産 として収蔵されていますので、そう いう意識で、みんなの財産として大 切にしてあげたいという気持ちでお ります。それともうひとつ、文化財 と生活との関係ですが、身近に、い わ ゆ る 人 間 の 営 み が 十 年、 二 十 年、 三十年、百年、二百年、三百年とい うものが存在しない空間というの は、 や は り 非 常 に 心 が 落 ち 着 か な い。残念なことにいつも何かに振り 回されている暮らしをしているので はないかという気がいたします。決 してヨーロッパが良くて、日本がよ く な い と い う 話 で は な い の で す が、 やはり二百年三百年経っているもの をきちんと生活しやすいように変え. る力を大事にしているヨーロッパの 都市。それがなくてもですね、物で なくとも生活習慣として百年、二百 年じっくり考え込んで、つちかわれ たものの中で暮らしている人の精神 性というものは、やはりおだやかで 未来をゆっくり見据えている。日本 は戦後、しょうがないのですが、産 業主体の国のやり方として、とても 忙しい、現在でも忙しい暮らしをさ せられていて、使い捨て文化と、忙 しい暮らし。教養や知識はたくさん あるんだけれど、一枚の絵をゆっく り見る時間がない、地球の裏側のこ とは知っているのだけれど、目の前 にある草木のことはほとんどしらな いという、人間として歪なことがで てきていると思います。そういう意 味で、そういうことを修正してくれ るのが文化であり文化財ではないか と。なんか変じゃないかと考えさせ てくれるという気がいたします。そ れ の 例 と し ま し て は、 私 は 学 生 と 日々付き合っているわけですが、震 災の後、学生の生き方に対する意識 が 相 当 変 わ っ て き ま し た。 ひ と つ に、実際問題として、二万人近い人 間が死んだわけです。それまでにも 震 災 が あ っ て、 大 き く て も 数 十 名、 もしくは数名。今回は二万人ですか ら、これはヒロシマの原爆以降、そ れに相応するのではないかと思われ. 21.

(10) ます。そういう事態で人間が何も考 えないではいられない。若者が未来 に対するイメージを考え、何のため に、どういう暮らして生きて行こう かと、確実に考え始めているような 気がします。むしろ私たちの次の時 代を担う者の方が、敏感に感じ取っ ているような気がします。 阪 井 教 授: あ り が と う ご ざ い ま し た。私は民俗学をやっているもので すから、今の先生のお話の中の精神 性だとか、学生さんの生き方の価値 観の変化、人生観の変化ともいうん でしょうか、そういうところと民俗 学は深くかかわっていかなければい けない学問なんだろうなあと思いま すし、亡くなった死者たちの魂をど うするのかということなんかも民俗 学 は 真 剣 に 考 え な く て は い け な い、 それをまた生き残った人たちへ還元 していかなければならないと思いま す。今日のタイトルである「文化財 を守る」という、この文化財という も の が、 す で に 今 の お 話 の 中 に も あ っ た わ け で す け れ ど も、「 か た ち あ る も の 」 と「 か た ち の な い も の 」 とあって、今日のこれからの話の展 開 も、「 か た ち あ る も の 」 に 集 中 し ていきますけれども、実はその「か たちのないもの」、生活習慣だとか、 信仰の問題だとか、お祭りの問題だ. とか、そういったこともとても大事 ですし、じつは震災直後に私が一番 深く懸念したのは、東北は祭りの盛 んな地域なんですけれども、この震 災によって祭りがこの夏行われない のではないかと、祭りがおこなわれ ないと、人々の心がさらに落ち込ん でいって、立ち直りの心の動きが停 滞するんじゃないかと、そういうこ とをとっても危惧していたのです が、そこはやっぱり東北の人たちの たくましさといいますか、夏の祭り、 一生懸命やってましたよね。すごい なあと思って、それでまた安心した のですけれども、まあそれは今日の 話のメインではないので、ちょっと 話題だけにいたします。 話を名古屋、東海地方の、いずれ 来るであろう地震に備えて、どのよ うな体制でいるべきか、心構えをど うするか、あるいは具体的に何をし ておかなければならないのか、とい. うことに進めたいと思います。これ は休憩中にいただいた質問の中にい くつかございましたが、まずはこの 博物館、あるいは美術館、こういう ところがなにをすべきかというのが ひとつと、それからまたこれも質問 の中にもあるのですが、われわれ一 般市民がどういうことを考えておく べ き な の か と い う こ と、 こ の 二 つ、 たぶん違う観点だろうと思いますの で、まずはその博物館、美術館、ま たそこにたずさわる学芸員や研究者 たちがどういうふうなスタンスでい るべきなのかということを、まず瀬 川さんからお話しいただければと思 います。. 瀬川学芸員:それでは博物館としま して、名古屋市博物館、現状で博物 館資料というものが、いま二三万点 を越えています。で、正確な数字は 忘れてしまいましたが、八割か九割 は市民の方から頂いた資料でござい まして、まさに市民が作り上げた博 物館である、という言い方をさせて いただいております。 そ う い っ た 意 味 で は、 名 古 屋 市 民、市民が生活してきたものですと か、守り伝えてきたものとかを、今 現在も守っていっている。ですので、 名古屋市博物館としてはできるだけ そういった震災の時も博物館は被害. 22.

(11) シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」. にあわないように、そういった対策 は、足りない部分ももちろんありま すが、やっている。 あと、今回やはり衝撃的だったの は、津波であれほどの被害が出ると いうことですが、そういった意味で ですね、お預かりする、受託とか寄 託とか言ったりしますが、指定文化 財ですとか、特に名古屋市の歴史・ 文化を知る上で重要な資料に関して はお預かりするという制度もござい まして、そちらのほうで今、大体件 数でいくと千件を超えるような資料 をお預かりしております。 ただ、物があるということはやは りそれにはスペースも必要でござい まして、正直なところ名古屋市博物 館は今これ以上資料が増えてくると ちょっと収容しきれなくなってきた という状況もありまして、さっき震 災があったときの対応でもありまし たが、震災があったときに何かをす るスペースというのが、実際この博 物館の中にはなくなってきてしまっ ているのかなと思ったりもしてい ます。 名古屋市博物館としては、今そう いった形で資料を守りながら、また、 お預かりしながら、伝えていこうと しています。 藤原教授:私のほうは、やはり被害っ. ていうのは、本当にいろいろ備えて いたにもかかわらず起こってしま う、堤防の高いのを作っていたのに も関わらずそれを超えてしまうとい うのが、まあ、人間が読み切れない ところにやってくるのが災害で、名 古屋だってバンコクの今のような水 害が起こってくるかもしれない。そ ういうわからないものに対して、不 安がつきまとうのは当たり前のこと なんですが、平素できる用意といた しましては、美術館、博物館もそう ですが、情報はもうたくさん腐るほ どあります。その中で、限られた予 算の中で、本当に何だったら揃えら れるかというのがおのずと見えてき ます。それ以上のものを望んだとき に、その負担は他の方にもかかって くるし、まず一番大事にしなきゃい けないのは、人間ですから、本当に 人 間 を 大 事 に す る と い う 大 鉄 則 を、 自分をも含めてですね、皆さんの気 持ちの中に肝に銘じていただきたい ことです。何かあっても、その一日 目 か ら、 二 日 目 か ら、 三 日 目 か ら、 少 し ず つ で す ね、 再 生 の 方 向 に 向 かっていける力が出てくるように思 います。何があったら、何かあった ら、どうだったらって言ってますと 限りなく不安が膨張するだけで、実 現性がありません。食料もまあ、変 な話ですが三日分、一人三日分ぐら. い、水と乾パンぐらい有れば、私は 今回乾パン食べましたけれども、三 日分あると一週間いけます。バタバ タ動かなければ。まあそういう風に ですね、人をまず大事にするという ことを一番に考えてですね、無理せ ずに、自分を含めて気持ちをしっか り持つということ。あんまりそうい う訓練されていませんが、だからと 言って宗教、道徳に走れとかそうい う気は全然なく、どうこう言うこと も全くなく、まっさらな気持ちとし て人間を大事にする。そうすると絶 対に、文化、文化財は残っていくし、 育っていきます。この辺は少し私の 妄想かもしれませんが。. 阪井教授:そうですね、そのことは 大事なことなんですけども、博物館 は、市民に対して、市民の大事な財 産を預かったり、あるいは調査して アドバイスするといった役割も果た されていますね。館の中だけではな く て、 さ き ほ ど の あ の 文 化 財 レ ス キューの瀬川さんの写真の中にもあ りましたような、一般民家にあるも のについてのチェックだとかそう い っ た こ と も、 博 物 館 も 関 わ っ て らっしゃるんですね。で、さきほど の瀬川さんの名古屋市の地図にもあ りましたけれども、市内あちこちに こう文化財が分布・点在しているわ. 23.

(12) けです。決して博物館の中だけにあ るのが文化財じゃなくて、市内あち こちに文化財がある。それを、全体 を見て何かをしていく。あるいはそ れを日々保管したり管理している人 たちに対して、博物館なり大学なり が、どういうことをアドバイスする か、あるいはいざ地震があったり洪 水があったときに、どうするべきな のかとかいう、そういうことを働き かけるというのは、実際にはなされ ているのか、あるいはなされている と す れ ば ど う い う こ と が あ る の か、 あるいはされていなければどうある べ き な の か、 そ の あ た り は ど う で しょうか。 瀬川学芸員:そうですね、名古屋市 博物館、名古屋市としましてですね、 名古屋市教育委員会が出しておりま す「名古屋市史跡と文化財」という 本がございまして、そちらの中の添 付されている地図を元にしたのです が、文化財としてその時載ったもの がこちらに載っている。赤いしるし で載っているわけですが、その中で、 名古屋市が災害にあったときに、今 すぐ何かをしようという体制がとれ ているのは、やはり指定文化財。こ ういったものに関しては地震があっ たときに所有者に連絡をして、なに か被害はありませんか、といったこ. とは聞いたりする体制は博物館とは 別の部署ですが、ございます。 ただ、そういった指定物件でない 文化財もやはり文化財です。博物館 としてはそちらも非常に重視をして 調査等もしているのですが、それを どのようにして、例えば災害があっ たときにレスキューをしていくかと いうのは、正直まだほとんど決まっ ていないという状況です。 情報としてはですね、名古屋市博 物館開館以来もう三十何年たちまし て、市民からの文化財の情報という のが四千件以上、件ですのでおそら く文化財でいくともう何万という点 数があると思うのですが、そういっ たものをどういった風に整理してい くのかというのは、正直非常に難し いと思っております。もしかしたら、 そういった意味で何か先進的な事例 等があったらまた教えていただきた いなと思っているところです。 阪井教授:そのあたりは実際に被災 地でご覧になってて、藤原先生はど うお考えになっておられますか。 藤原教授:はい。本当に、博物館と いうのは収集品が少なくなっていく ということは、まずないわけで、も う永遠無限大に物が増えていくわけ ですよね。美術館もそうですけども。. その辺で、どういう今後政策をされ ていくか、例えば東北でも相当発掘 されたものが、廃校になった学校と か、そういうところに山積みにされ ています。捨てるわけにはいかない んで、そういうものを研究者が出て きて、どういう風に整理して保存し ていくのか、それも一つ大問題には なっております。増え続ける物に対 して、どういう対応を私たちはして いけばいいのか。極端な話なんです がゴミの問題もそうです。それを根 本 的 に 一 遍 考 え 直 さ な い と で す ね、 永遠に増え続けます。それに、最高 の 状 況 を 作 っ て あ げ た い の で す が、 これからはおそらく、循環型とよく 言っておりますが、エコな保存方法 も考えていかないといけないという あたりが気になっております。 ちょっと趣旨を外れてしまって申 し訳ないですが、町中にある文化財 を皆さんが大切に守っていこうとい うのは、先ほど申し上げたように人 の気持ち、人になるというのがまず 一番と。われわれ博物館、美術館が できることというのは、はじめの文 章でも申し上げましたように、日々、 しっかりと調査する。最近はだいぶ んお寺さん、神社仏閣そういうとこ ろが、秘密主義というか、御開帳し ませんという方針から、どんなもの があるか少しずつ見せていただける. 24.

(13) シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」. ようになってきております。そして、 盗難が頻発しているというのもあっ て、悲しいかな盗まれたときに資料 が全くないということは探しようが ないんですね。資料があれば、イン ターポールと言う国際組織があっ て、盗難美術品の画像がネットで流 れてまして、どこかでその美術品が 出たらわかるんですね。まあそうい う連絡網を作っておりますし、同じ ようにですね、自然災害、そういう ものがあった時に、どこに何がどん な形のものがあったかってことがわ からないと、個人でひっそりと所有 していて、残るものも残らないので す。文化遺産となるようなものであ れば、見せていただいて、それを美 術館、博物館が記録をされていれば、 そ れ か ら ま た 新 し い 研 究 も 始 ま る。 もう一つ、どうにもならない事って 有るっていうことを受け入れなけれ ばいけないっていうことも事実だと 思います。あれがどうだったら、こ れ が な か っ た ら、 あ れ が 残 っ て れ ば、こう言い始めると人間の生活と 同じように、悔いだけ残って未来が 無いので。どういうのですかね、出 来なかったこと、残せなかったもの は、あるわけで、それはそれとして 受け止めるしかない。変な話ですけ ど、漆の技術というのも江戸の末期 で 一 度 途 切 れ て ま す し、 今 か ら 三、 四十年前、もう藁ぶきの屋根をふき 替えれる人はいなくなるというテレ ビだったかなんかニュースを見まし たが、実際はしっかりと藁ぶき屋根 は作られています。漆器だって同じ ことです。なかなかそう捨てたもん じゃない人間の力です。だけど、ど うにもならないことも、受け止めな ければいけないというような感想 です。 阪井教授:ありがとうございました。 ご講演の中にもありましたが、悉皆 調査というのを大切にすべきだとい うお話で、悉皆と言うのは、あまね く広くすべてにわたって見るという ことなのですけれど、実は、去年私 どもの講演会でお話をしていただい た九州国立博物館の三輪館長さん に、この夏学生を連れて福岡に行っ たときにお会いしてきて、こういう 講演会シンポジウムをやるので、な にかアドバイスをいただけませんか とうかがった時に、いろいろお聞き したのですけれども、その中で、三 輪先生からも、悉皆調査を、特に学 生さんに今のうちにやってもらっ て、名古屋市に何があるのか、どう いうところを文化財として認め、保 存していくべきなのか、あるいは捨 ててもいいものは何なのか、という そういうものをあまねく悉皆調査と. しておくことから始めたらいいとい うような話をうかがったのですけれ ど、まさにそうなんだろうな、いざ という時の為に、まずはそういう備 えが必要なのだろうなということ が、今日のお話からもよく分かりま した。そういうことも含めて、町づ くりということで、防災、減災とい う こ と を 山 田 先 生 は ず っ と こ の 間、 考えておられますけれども、市の町 づくりというところに、この文化財 をどうするとかいうことは今考えら れているのでしょうか。. 山田教授:この名古屋市の地図を見 ていて、先ほどの瀬川さんの話にも ありましたが、三連動ないし五連動 地震にどう対応していくかが切実な 課題だと思います。住民の防災に対 す る 意 識 を ど の よ う に 変 え て く か、 日頃の防災対策や防災訓練とか、当 面する課題はいくつかあります。 この地図を見ていて改めて考える の は、「 歴 史 に 学 ぶ 」 と い う こ と で す。昨年、名古屋は開府四百年を迎 えました。清州から現在の名古屋城 に城を移転させて、その後四百年の まちづくりによって今の名古屋が築 か れ ま し た。 あ の 清 州 と 言 う の は、 地盤が弱く災害に苦しめられてきま した。それで徳川家康の命をうけて、 現在の名古屋城が堅固な熱田台地の. 25.

(14) 一 角 に 築 城 さ れ た の で す。 そ の 後、 名古屋は東部丘陵地の方に向けて発 展していきました。 その一方で名古屋の西、とくに堀 川から西の方というのは、地盤が弱 く地盤沈下や液状化、水害の危険が あります。庄内川や中川運河の決壊 も懸念されます。地盤が弱い地域に も開発の波が押し寄せ、都市化が急 速に進んでいきました。講義でもよ く言いますが、名古屋駅、こちらで は名駅と呼んでいますが、地盤が脆 弱であり、昔はほんとに泥地でした。 昔は蒸気機関車ですから、沼地のよ うなところ、住宅地から離れたとこ ろに鉄道が引かれることが多かった のです。名駅というのはその典型と いえます。災害の危険性がある名駅 は、再び大規模な再開発が実施され ています。二〇二七年にはリニア中 央新幹線が名古屋と東京を四〇分で 結ぶと言われています。経済界とか、 この地域の行政担当者は浮かれてい る感じです。 「歴史に学ぶ」ことを強調したの は、持続可能な社会を展望するうえ で、このような開発を今後もつづけ て行ってよいか疑問に感じるからで す。東日本大震災を経験して、国土 のなかの東北といった空間軸と時間 軸といった視点が大切だと感じまし た。時間軸としては、貞観地震をは じめとして、長いスパンで地震や津 波を考えることの大切さです。それ と福島の原発事故を見ていて、つく づく制御できない原発事故の深刻 さ、復興までのとてつもない時間の 長さを痛感しています。あれほどの 被害・犠牲を出しながら、原発を輸 出する動きもあります。 寺田寅彦が言ったように、災害は 忘れた頃にやってきます。私たちは ど う も 忘 れ っ ぽ い 傾 向 が あ り ま す。 こ う し た 傾 向 を 打 開 す る た め に も、 歴史から学び、災害の経験を継承し ていくことが大切だと考えます。博 物館や文化財も、こうした「災害文 化」の伝承という視点から見直す必 要があります。東北とりわけ三陸沿 岸では、明治・昭和と大津波を経験 してきました。「災害文化」もそれな りに確立されてきたのですが、それ で も 甚 大 な 被 害 に 見 舞 わ れ ま し た。 これから予想される名古屋や東京の 災害を考えると、防災・減災まちづ く り と と も に、「 災 害 文 化 」 を ど う 構築するかも大切だと思います。 阪井教授:ありがとうございました。 物から人へという感じで話が展開し てきた気がいたしますけれど、もう ひとつ、先にあった通り、藤原先生 も文化財を修復することを学ぶ学生 を養成されていると思いますが、私. どものところではそういうところで はなく、ごく普通の学生で、そうい う学生と博物館の連携を模索してい まして、普通の学生に対して博物館 への関心を持たせるのは本当に困難 だとつくづく感じているわけですけ れども、文化財に学生の目を向けさ せるために何か方策などはありま すか。. 藤原教授:学生は意外に芸術が好き で、油絵が好き、古いソファが好き、 骨董が好きだから、と入学してきた 生徒も多いし、以前にはあまり考え られなかったように若者も骨董品や 文化財に興味があります。ヨーロッ パなんかでも二十年位前から、若い 人が蚤の市に行ってちょっと変わっ たアイロンを買ってきたり、こんな に古いハンガーがあったといって部 屋に飾ったりして楽しんでいたりす る の で、 そ ん な に 無 理 や り 学 生 を ひっぱってこなくても大丈夫だと思 い ま す。 た だ で す ね、 驚 く こ と は、 物を修理したことがほとんどない世 代の子供です。それは全く私たち大 人の責任で、使い捨てを吹聴してし まいましたから。あるときアルミで できたポットが壊れまして、底に穴 が開いてしまって水が漏れてしまっ ていたのを見て生徒が捨てようとし ていたので、おいおい、といって止. 26.

(15) シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」. めて、アルミの針金を差し込んで叩 いて、昔なら誰でも知っているかし めをつくって、老人なら知っている やり方で直してコーヒーを沸かした ら、 生 徒 は 目 を 丸 く し て い ま し た。 電化製品でもなんでも、一部分が壊 れたらすぐに捨てなくてはならな い。なんか、普通の動物として地球 に生きていく上で、あまりにも必要 なものと不必要なものの差が出てき て し ま っ て い る よ う な 気 が し ま す。 文化財はそういう意味でもう一度人 間に必要な、温故知新ではありませ んけれど、古くからゆっくり時間を かけてきたものを見たり分析したり して、その中に隠された「なぜこれ は こ こ ま で 生 き 残 っ て き た の か?」 を学ばせてくれます。 あと、大学と博物館の関係といい ますと、アメリカのメトロポリタン 博物館とニューヨーク市美術館と連 携していて、美術史もしくは修復と いうことも含めて、学ぶこととそれ を実際に作業する場所ということを 連携付けてとても上手くやっていま す。また、ルーブル美術館もイフロ アという修復学校と連携して若い人 とつながっています。そういう早め の対処をきちんと大都会の学校はし ています。それを全部地方まで、と い う の は 難 し い か も し れ ま せ ん が、 学ぶところという大学とそれを活用 す る 博 物 館 を も っ と 近 く し て い く。 年をとった方から若い人まで、もの、 文化財、美術品といったつながりの システムは作っていくべきではと思 います。 山 田 教 授: 学 生 に と っ て も、 三・ 一一は大きな衝撃だと思います。三・ 一一を見据えて、これからの生き方 を考えてほしいと思います。 先日、東北の被災地にボランティ アに行った学生の報告を聞きまし た。被災地に行った学生は本当に変 わります。現地の空気を吸い、現地 の人と話す中で、自分の生き方や考 え方にいろいろと刺激を受けるよう です。私も現地に行って被災地・被 災者の空気を実感できました。人文 社会系の学生にとっても、現地に学 ぶ姿勢、歴史に学ぶことの大切さを あらためて感じています。これから もボランティアだけでなく、東北の 被災地の空気を感じるためにも、東 北の地に旅行などで足を運ぶ学生に 呼びかけていきます。 阪 井 教 授: あ り が と う ご ざ い ま す。 予定の時間になってはいますが、こ の辺でフロアのほうから、質問紙以 外で、後半のシンポジウムのパネル ディスカッションを通して何かご質 問、ご意見などお二人ほどからいた. だければと思いますが。. 参加者A:非常に興味深いお話あり がとうございました。先ほどのお話 のところで増え続ける資料をいかに 保存するか、というお話がありまし たが、最近やはりよく聞くのはデジ タル保存をして、ということがたく さんあると思うのですが、そのあた りの取り組みを、どのようにしてい るのか教えていただければと思いま す。. 藤原教授:デジタル保存研究会など があるようでして画像として残して いくのと、また、そのいくつかは材 料、材質の資料として、例えば千個 あるものはいくつか残して処分す る、などの方法があるようです。ま た立体物、遺跡などは三次元計測器 を使いデジタル情報にする。ここに もありますが、これは高価で厄介な ものなのです。三次元で発掘した場 所を計測したり、もしくは古い石で できた橋などが崩れそうなときに計 測してコンピューターの中に記録し ます。石がどう動いて壊れたか、も しくは後々無くなったとしても形と しては再現できる。材料は残ったり 残らなかったりしますが。ただ、そ こでいつも問題になるのは、システ ムが変わったり、ソフトが変わった. 27.

(16) りすることで問題が発生する場合で す。最近ではCD記録媒体がどのく らいの期間残るか、どのくらいで劣 化 す る か と い う 研 究 も あ り ま す が、 ひ と つ 便 利 な こ と を 手 に 入 れ る と、 ひとつ不便なことが出てくるという 気がします。 瀬 川 学 芸 員: こ れ は 私 個 人 的 な 思 い か も し れ ま せ ん が、 デ ジ タ ル 保 存っていうのはたぶんデジタルで保 存しているつもりかもしれませんけ れども、やはりそれはいわゆる歴史 資料を保存していることにはならな いだろうなという風には…。 記録ではあると思いますけど、そ の資料そのものは保存できていな い、捨ててしまえば。たぶん先ほど ありましたように技術はどんどん進 歩しておりますから、今とれる最善 の記録をとったつもりでも、何十年 後かにはそれは多分何かが足りてい ないっていうことはおそらくあるだ ろうと思います。 先ほどおっしゃられたようにメ デ ィ ア の 変 換 も 大 き く て、 ビ デ オ テープがだいぶ長い間使われていま して、あれが使われている頃はなく なるなんてあまり想像していなかっ たかもしれません。ただ実際今もう ビデオデッキはだいぶなくなってい まして、下手すると再生できなくな. るかもしれない、あと十年もすれば 藤 原 教 授: ま ず、 歴 史 資 料 と 美 術 再生できる機械なんてほとんどなく 作 品、 こ れ ら の 問 題 が あ る と こ ろ なっているかもしれない、そういっ は、 海 外 の 場 合 は ミ ュ ー ジ ア ム )という言葉どおり先 た 現 実 等 も あ り ま し て、 な か な か ( MUSEUM 史時代から近代位までカバーしてい やっぱりデジタルというのは、活用 ま す け ど、 現 代 ア ー ト や フ ァ イ ン とか記録としては非常に優秀だと ア ー ト で は、 ま だ 価 値 が 揺 れ 動 く 思っていますが、やはり保存という アートです。生きている“今”の表 面ではちょっと難しいのではない 現であるので、保存ということを非 か、と思っております。 常に考えにくいセクションです。博 阪 井 教 授: あ り が と う ご ざ い ま す。 物館は基本的にミュージアムという 言 葉 を 日 本 語 に 置 き 換 え る と き に、 では、吉田先生どうぞ。 美術館なのか博物館なのか悩むとこ ろです。日本の場合は博物館という と資料としての意識が非常にありま す。それがミュージアムということ になると、たとえば一八世紀くらい までの絵画も含めて工芸品も含め て、というと資料というところに美 しさの美学、その時代の変遷という か見方とか、そういう美しいという 形としての見方の移り変わりも記録 していくわけなんです。博物館にな るとそれもあるのですが、どちらか というと資料としてのとらえ方がと ても強くなる感じがありまして、コ ンサーベーションもどちらかという と日本の場合は博物館が中心で今ま でずっとやって来ましたので、まだ 美学が入ってきたり、そういう意識 の中で物をどうコンサーベーショ ン、保存していくかというところと 吉田一彦人間文化研究科教授:貴重 なお話ありがとうございます。最初 の藤原先生のご講演で、歴史資料と 美術作品とでは対応が異なるという ようなお話があったと思います。わ たくし歴史学を専攻しておりまし て、古文書であるとか、典籍・冊子 本とか巻子本とかそういうものが水 につかった場合、どうすればいいの か。どうすればそれらを救い出すこ とが可能なのかということを思いま す。そこらあたり瀬川先生と藤原先 生に紙が水につかった問題につい て、それとそもそも歴史資料と美術 作品とをどのように分けて対応する べきか、ということについて、ご意 見が伺えればと思います。よろしく お願いします。. 28.

(17) シンポジウム. 「文化財を守る―東海大震災に備えるには―」. の、すり合わせにまだ壁があるよう な感じがします。 次 に、 濡 れ た 和 物 の 処 理 で す が、 和紙であればとても繊維が長いの で、一本一本の紙の構造とかが水に ぬ れ て も 結 構 長 時 間 耐 え て い ま す。 パルプはいわゆる材木を非常に粉砕 して圧縮して作る用紙ですね、これ は 繊 維 が 短 い の で す が、 た だ 最 近 はいろんなメディウムが水にも耐え られるものを混ぜているので持つん ですけど意外に弱いです。軸物なん かで注意していただきたいのは、震 災などでカビとかバクテリアとかが 早く発生します。なぜかと言います と、表打ち裏打ちでのりを使ってい るんですね。軸物、屏風など日本の ものは糊、膠と、そういう天然のり が使ってあるということです。それ が栄養になってしまって、今回もパ ルプが栄養になっていてカビがそこ で発生した。今回の災害では和物は 解体しないと本紙といいますけど書 いてある部分が救えないことがあり ました。裂(きれ)と言って軸物な んかの飾りの布がありますけど、そ れがもう腐ってしまって、本来なら ば軸の絵とそのキレの部分の調和が 楽しめるものなんですけども、本紙 まで影響するので本紙だけでも救お うということで、現場で解体しまし た。また、紙ものの例えば本の場合 は、頁と頁がくっつくのがとても怖 いので、まだ湿っていて竹べらでは がせるものに関しては学生に、とに かく丁寧に一枚ずつはがして吸水紙 という紙を挟んで乾燥させて、その 後で、砂、ゴミよごれを刷毛で一ペー ジずつ掃いていって、現在保存して いる状態です。もっとひどい、もう 腐食が始まっているものに関して は、真空凍結乾燥しかないので凍ら せたままになっています。今それを 待ってもらっているやつは冷凍倉庫 に入れていて、それを、順番待ちじゃ ないですけども真空凍結乾燥機に入 れて、水分を氷の状態から空気の状 態にしてしまう。途中、水の状態を 作らない。という乾燥のやり方なん ですね。昇華させるという方法です。 参加者B:先ほどのスライドにあっ た、真っ黒になった水につかってい た古文書は、どうやって処理するの ですか。 瀬川学芸員:正直修復作業のところ までいくと、私にはわからないので すけど、先ほどありましたようにと りあえずは冷凍庫に入れるという作 業をやって、おそらくそのあとは真 空凍結するんだと思います。で、先 ほどお話にもありましたようにやっ ぱり和物は基本的には水自体に関し. ては比較的よい、昔は火事になった ら大福帳は井戸に投げいれて燃える のを防いだという話を聞いたりしま すので、水にぬれるの自体はまだい いんだと思います。やはりそのあと のカビとか、そちらの方が気を付け なければならない、防がなければな らないという考えでよろしいんでは ないでしょうか。. 藤 原 教 授: あ と 文 字 資 料 で し た ら、 エックス線投影とかで文字を読む か、実験段階ですが、黒カビが生え て、黒い染みなどを作品に残すので すが、レーザーブラストというレー ザー光線を当ててみたり、黒いカビ だけ少し飛んでくれるんですね。こ れは変な話ですけど初めは刺青をと るために開発された機械なんだそう です。こういうものも使ったりして 色々な実験しております。. 阪井教授:とても文科系のものには 想像もつかない、科学的な細密な作 業があるようなのですね。もっとお 話しをお伺いしたいのですが、そろ そろ閉館時間も迫っております。 総括ではないですけれど、東北の 大震災被災地での先生が携わってお られるこういうことから学ぶことは たくさんあるのだなということをつ くづく思いましたし、名古屋市はま. 29.

(18) だそういうものに対しての世論の見 方というのもまだまだ弱いなと感じ ました。これからも東北から学ぶこ とが我々にはたくさんあることを肝 に銘じて、この会を閉じたいと思い ます。この講演会は市立大学と名古 屋市博物館の連携事業の一つとして も位置づけておりますので、これか ら最後に博物館学芸課長の鳥居さん から、ひとこといただきたいと思い ます。 鳥居課長:みなさんお疲れ様でござ いました。文化財を守る、このテー マは博物館にとって永遠の使命であ ります。今回市立大学のほうからこ うした講演会・シンポジウムを一緒 にというお話をいただきまして、是 非にということでご一緒させていた だきました。藤原先生どうもありが とうございました。 今日のお話、私たちにとっても大 変有意義なものでした。地震が来る、 大地震が来ると言われていました が、これがオオカミが来るぞという ような話ではないということを私た ちは今実感しております。これまで は震災が来たら、地震が来たらどう したらいいのかという、起こった後 の こ と ば か り を 言 っ て い ま し た が、 もうそれではだめなんだと。起こる 前に何をするんだといった準備が必. 要で、そして最悪の事態を考えてい かなくてはいけないということも私 たちは学んできました。 そういったなかで、文化を守ると いうことの必要性、これも同時にわ かってきました。人間の命、人命が 優先されることは間違いありませ ん。ライフラインを復旧する、食料 を渡して、生きるエネルギーをとっ て も ら う、 こ れ は 大 事 な ん で す ね。 それと同時に、文化、生きる活力と 言いますか、精神的なエネルギーも 同 時 に 補 っ て い か な い と い け な い、 これは車の両輪みたいなもので、両 方がないといけない。体力も必要で すけど、精神的なエネルギーも必要 なんだと。そうしないと人間という のはうまくバランスをとった復興へ の道を見つけられない。そういった 中で、文化財を守るということの意 義というものについて、今日はかな り考える機会をいただいたと思って います。 見慣れた風景ですとか、生活とか、 文化、あるいはすばらしい芸術とか、 そういうものに接して、人間らしさ を取り戻したり、新たな想像力を生 み出していく、そういったことが大 事であって、文化財を守るという博 物館の基本的な活動をですね、より 深い、より広い活動を求められてき たなという風に思っております。. 今日のこの講演会とシンポジウム が私たちにとって、あるいは皆様に とっても大きな糧となっていただけ ることを願っております。本日はど う も あ り が と う ご ざ い ま し た。 み なさんどうもありがとうございま した。. 30.

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