「政治」に参加する女性たち : 戦間期イギリスにおける女性議員と女性官僚
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(2) う考 え に 直 面 せ ざ る を得 な か っ た と主 張 す る。 そ れ ゆ え 、 女 性 議 員 の 発 言 の 約50%は ・公 衆 衛 生 ・住 宅 ・失 業 な ど社 会 政 策 的 課 題 に 、13%は. 女 性 に 特 に 関 連 す る 問題 に 限 られ て い る. 事 を 示 した 。 これ に た い して 、 外 交 や 防 衛 に 関 す る 問題 は14%、 法 に か か わ る 問 題 は2%で. 福 祉 ・教 育. 経 済 ・貿 易 問 題 は8%、. 法や憲. あ っ た。 女 性 議 員 とフ ェ ミニ ズ ム と の 関 係 に つ い て は 議 員 全 体 と して. は 比 較 的 控 え め で あ っ た と指 摘 す る。 ハ リ ソ ン の 見 解 に よれ ば議 会 外 に お け る フ ェ ミニ ズ ム 運 動 の 分 裂 、 労 働 党 女 性 議 員 に特 徴 的 な 階 級 政 治 を ジ ェ ン ダー の 問 題 よ り優 先 す る傾 向 、 数 少 な い 女 性 議 員 が 政 党 に よ っ て 分 け られ 、 政 党 へ の 忠 誠 が 女 性 議 員 ど う しの 連 帯 を阻 害 した の で あ る。 そ の 一 方 、 女 性 議 員 の な か で 閣 僚(政 務 次 官 以 上)経 験 者 が 多 く、 ま た 、 全 体 と して 議 会 内 閣 制 度 の 信 奉 者 で あ り、 民 主 主 義 者 と して行 動 した 点 を指 摘 し、 フ ェ ミニ ズ ム 運 動 に長 期 的 に 与 えた 影 響 を 強 調 して い る。 ハ リ ソ ン は 、 ま た 、 戦 間 期 の フ ェ ミニ ス ト群 像 を 描 い て い る4。 そ こ に は 最 初 の 女 性 国 会 議 員 ナ ン シ ー ・ア ス トー お よ び1920年 代 の 労 働 女 性 議 員 を代 表 す る 、 マ ー ガ レ ッ ト ・ボ ン ドフ ィー ル ド、 ス ー ザ ン ・ロー レ ンス 、 エ レ ン ・ウ ィ ル キ ン ソン の 計4人. の 女 性 国 会 議 員 が 含 ま れ て い る。. こ こで ハ リ ソ ン は 、 知 的 と は い え な い もの の 女 性 の 権 利 の 拡 大 の た め の 論 陣 を張 り、 必 ず し も成 功 した と は い え な い も の の 党 派 を 超 え た 女 性 議 員 の ネ ッ トワー キ ン グ に 熱 心 だ っ た ア ス トー を フ ェ ミニ ス トお よび 政 治 家 と して 評 価 す る。 他 方 、 ボ ン ドフ イー ル ドらに つ い て は 、 階 級 政 治 の 推 進 者 と して の 側 面 を 強調 し、 労 働 党 の 政 治 家 と して 有 能 で あ っ た こ と を強 調 す る 。 イ ギ リス の 公 的 生 活(Public Life)に お け る 女性 の 歴 史 的 研 究 を 行 っ た の が ヘ レ ン ・ジ ョー ン ズ5で あ る。 ジ ョー ン ズ の扱 う公 的 生 活 は 政 治 活 動 、 行 政 活 動 の ほ か に さ ま ざ ま な女 性 団 体 が 行 っ た 政 策 実 現 の た め の キ ャ ンぺ 一 ン 活 動 や 国 際 的 な 活 動 も含 ま れ る。 ジ ョー ンズ に よ る女 性 議 員 の活 動 に か ん す る検 討 は 党 派 活 動 よ り も、 ジ ェ ン ダー 政 治 の 試 み に 重 点 が あ る。 と同 時 に 、 ジ ョ ー ン ズ も ジ ェ ン ダ ー を め ぐ っ て 女 性 議 員 の 中 に 対 立 が あ っ た こ と も見 逃 さ な い 。 ジ ョー ンズ の 研 究 の も うひ とつ の 貢 献 は 、 これ ま で ほ と ん ど研 究 が な か っ た 女 性 公 務 員 、特 に 高 学 歴 者 を 対 象 と した キ ャ リア 官 僚 へ の 女 性 の 参 入 に 着 目 して い る点 で あ る。 女 性 公 務 員 の研 究 は 必 ず しも蓄 積 が 十 分 で は な く 、 そ れ らは 多 く の 女 性 が 参 入 した ノ ン ・キ ャ リア 事 務 職 を 対 象 と して い る6。数 の 上 で は 圧 倒 的 に 少 人 数 で あ る も の の 、 政 府 の 政 策 に 一 定 の 関 与 が で き る 立 場 の 女 性 の ジ ェ ン ダー 観 を 検 討 す る こ とは 重 要 で あ る。 以 下 、1で は 、 最 初 に1945年 総 選 挙 以 前 の 女 性 議 員 の 全 体 像 に つ い て 概 観 した 後 、 保 守 党3人 、 労 働 党2名. の 女 性 議 員 に つ い て 出 自 と活 動 を検 討 す る。 皿 で は 女 性 官 僚 に つ い て 検 討 す る。 官 僚. は 政 治 家 に 比 べ て 自伝 を残 す こ と も伝 記 の 題 材 に な る こ と も 少 な い 。 こ こで は1925年 に官 僚 に な っ た ひ と りの 女 性 の 自伝 を 中 心 に 、 他 の 資 料 を補 う。. 女性 議 員 -1 . 全体 Ⅱ像. Ⅱ .
(3) イ ギ リス に お い て 女 性 が 被 選 挙 権 を獲 得 した の は1918年11月. 、選挙 権獲 得の ほぼ 半年後 であ っ. た。 そ の 直 後 の1918年 の総 選 挙 にお い て 最 初 の 女性 が 当 選 した 。 獄 中 か ら立 候 補 し、 当選 した の が シ ン = フ ェイ ン の コ ン ス タン ス ・マ ケ ー ヴ ィ ッチ で あ る が 、 彼 女 は他 の シ ン = フ ェ ィ ン 当選 者 ら と と も に ウエ ス ト ミン ス タ へ の 登 院 を 拒 否 した7。 そ れ ゆ え 、 イ ギ リ ス最 初 の 女 性 議 員 と い う 称 号 は1919年 の 補 欠選 挙 で 当選 した保 守 党 の ナ ン シー ・ア ス トー に 通 常 与 え られ て い る。 ア ス トー を 含 め 、1945年 総 選 挙 以 前 に 当選 した 女 性 議 員 は38人 で あ る。 内 訳 は保 守 党17名 、 労 働 党16名 、 自由 党4名 、 無 所 属(大 学 選 挙 区選 出)1名. で あ る。 この38人 の 属 性 を 検 討 し、 第2. 次 世 界 大 戦 以 前 の 女 性 議 員 の プ ロ フ ィー ル を概 観 しよ う。 38人 の 女 性 議 員 の うち選 出 時 に 既 婚(寡 婦 を 含 む)だ 由3名)で. っ た の は23人(保. 守12名 、 労 働8名. 、自. あ っ た8。 こ の 数 字 か ら保 守 党 と 自 由 党 所 属 の 女性 議 員 の 既 婚 率 は 労 働 党 と比 較 して. 高 い とい え る が 、 こ の傾 向 は1929年 の 選 挙 以 前 で は さ らに 顕 著 で あ る。1928年 ま で に 当選 した 女 性 議 員 は11名(保. 守4名. 、 労 働4名. 、 自 由3名)で. あ る。 保 守 党 お よび 自 由 党 所 属 議 員 全 員 が 当. 選 時 に 既 婚 で あ っ た の に た い して 、 労 働 党 所 属 議 員 は 全 員 未 婚 で あ っ た9。 こ の 婚 姻 状 況 の 差 は 、 なぜ そ の 女 性 が候 補 者 お よ び 当選 者 とな り え た か を 顕 著 に 示 して い る。 女 性 政 治 家 の 研 究 を 行 っ た カ レル は 初 期 の 女 性 議 員 に つ い て. 「男 性 代 替 者(male. equivalence)」 とい う概 念 を 使 っ て そ の 議 員 の 当 選 理 由 に お け る 共 通 点 を 示 した 。 ア ス トー に 端 的 に 見 られ る よ うに 、 何 らか の 理 由 で 庶 民 院 議 員 だ っ た 夫 が 庶 民 院 議 員 資 格 を失 っ た とき 夫 の 選 挙 区 を そ の ま ま継 ぐ妻 が こ の 男 性 代 替 者 で あ る。1928年 以 前 で は 保 守 党4名. の うち3名 、 自 由 党. 3名 の うち2名 は この カ テ ゴ リー に は い る。 他 方 、 同 時 期 の 労 働 党 所 属 議 員 は こ の よ うな経 路 を 通 っ て 議 員 とな っ た も の は い な い 。 彼 女 た ち の 多 く は 労 働 組 合 活 動 あ る い は 労 働 党 活 動 に熱 心 な 家 庭 の 出 身 者 だ っ た。 教 育 程 度 で は 圧 倒 的 に 労 働 党 女 性 議 員 が 高 か った 。4人 大 学 卒 業 で あ っ た が 、 保 守 党 議 員 で 学 位 を持 つ もの は 皆 無 、 自由 党 で は1人. の うち3人 ま で が. であ った。社会 階層. で は 、 保 守 党 、 自由 党 議 員 の 多 く は 中 産 階 級 あ る い は 貴 族 階 級 の 出身 あ る い は 貴 族 と婚 姻 して い る。 1928年 、女 性 の選 挙 権 が 男 性 の そ れ と全 く同 一 の 条 件 で み とめ られ る よ うに な っ た が 、 翌 年 の 総 選 挙 で は 、 労 働 党 の 勝 利 に の っ て9人. の 新 しい 労 働 党 女 性 議 員 が 誕 生 した1° 。 さ らに2人 の 労. 働 党 女 性 議 員 が 補 欠 選 挙 で 当選 した。 女 性 議 員 に お け る労 働 党 優 勢 を 一 挙 に 逆 転 した の が1931年 総 選 挙 の 保 守 党 の 大 勝 で あ り、 労 働 党 女 性 議 員 は 皆 無 と な っ た 。 代 わ っ て10人 の 新 人 保 守 党 女 性 議 員 が 誕 生 した 。 そ の 後 第2次. 世 界 大 戦 終 了 ま で に3人 の 新 人 と31年 の 選 挙 で 落 選 した1人 が 労. 働 党 女 性 議 員 と して 当選 し、 保 守 党 女 性 議 員 に 新 た に3人 が加 わ っ た。1929年 以 降 に 当選 し た 女 性 議 員 た ち を 第2世 代 と し よ う。 第2世 代 の 一 つ の 特 徴 は 、1928年 ま で 「 男性 代替 」者 が圧 倒 的だ った保 守党 女性 議員 の中 に夫 の 代 替 と して で は な く 、 貴 族 層 出 身 で も な く、 政 治 を 志 した 女 性 が 含 まれ 、 彼 女 た ち が い わ ば 「 保 守 党 フ ェ ミニ ス ト」 層 を形 成 した こ と で あ る。 次 節 で 触 れ る カ ー ザ レ も そ の 一 人 で あ る。 第.
(4) 2次 世 界 大 戦 後 一 時 期 落 選 し て い た も の の 戦 間 期 ・戦 中 ・戦 後 に わ た っ て 女 性 の 権 利 の 擁 護 に 活 躍 し た イ レ ー ヌ ・ワ ー ド も 含 ま れ る 。 そ の 一 方 、 労 働 党 に も 女 性 を 動 き が 見 ら れ る 。 爵 位 を 継 い だ 夫 の 議 席 を 受 け 継 い だ 女 性 議 員(ル 議 員 期 間1930ー31)、. ー ス ・ダ ル トン 、 議 員 期 間1929年2月. 一5月)の. 教 育 程 度 の 格 差 は 相 変 わ ら ず 顕 著 で あ っ た 。 保 守 党 の 第2世 で あ る の に た い し 労 働 党 は8名. は 保 守 党9名(13名. が 大 学 卒 で あ っ た 。 第2世. 中)、 労 働 党8名(12名. 議 員が増 える一方 、労働 党 に. -2 . ー シ ー ・ ノエ ル=バ. ク ス トン 、. 当該 選 挙 区 か ら立 候 補 予 定 の 夫 の 議 席 を確 保 す るた め に 総 選 挙 の 直 前 の 補 欠. 選 挙 に 立 候 補 し た(ル. は2名. 「男 性 代 替 」 と し て 利 用 す る. 中)で. 例 な ど が こ れ に あ た る11。. 代 議 員 の うち学 位 を 持 って い た の 代 労 働 党 女 性 議 員 の うち 既 婚 者. あ っ た 。 保 守 党 の 中 に30歳 台 で 当 選 す る 独 身. 「男 性 代 替 」 議 員 が 現 れ た こ と が 格 差 が 縮 ま っ た 要 因 と 考 え られ る 。. 保守 党議 員. Ⅱ. ブ ラ イ ア ン ・ハ リ ソ ン は1945年 の う ち 一 奥 田)何. 以 前 の 女 性 議 員 の 既 婚 率 に 着 目 して. 「…(労. 働 党女性議 員. 人 か は 、 党 と結 婚 した か ら議 員 に な っ た。 対 照 的 に保 守 党 女 性 議 員 の一 部 は そ. の 夫 と 結 婚 し た か ら こ そ 議 員 と な っ た 」12と述 べ た 。 ナ ン シ ー ・ア ス トー は ま さ に そ の 夫 と の 結 婚 故 に 最 初 の 女 性 議 員 と な っ た 。 ま た 、 保 守 党 女 性 議 員 の な か に は 貴族 階 級 に 属 す る もの も多 い。 し か し彼 女 た ち の 議 員 へ の 道 の り 、 政 治 的 ス タ ン ス は 一 様 で は な い 。 ま ず 、 貴 族 階 級 に 属 す る 女 性 議 員 と い う共 通 点 を も ち な が ら 多 く の 点 で 対 照 的 だ っ た ナ ン シ ー ・ア ス トー と ア ソ ル 公 爵 夫 人 を 、 次 に 、 中 産 階 級 の 出 身 者 で 職 業 と し て の 政 治 を 志 し 、 議 員 に な っ た セ ル マ ・カ ー ザ レ(1939 年 に 結 婚 し て カ ー ザ レ=ケ. ア)を. 最 初 の 女 性 議 員 で あ り1945年. 取 り上 げ る。 に 引 退 す る ま で 通 算26年. 間 庶 民 院 議 員 で あ っ た ナ ン シ ー ・ア ス ト. ー に つ い て 常 に 指 摘 さ れ る の は 、 彼 女 は ア メ リ カ 生 ま れ で あ り 、1900年. 代 の は じ め に は イ ギ リス. に 来 て い る が 、 当 時 の イ ギ リ ス で 大 き な うね り に な っ て い た 女 性 参 政 権 運 動 に か か わ っ て い な い こ と で あ る13。 し か し 、 彼 女 の 議 会 活 動 を 検 討 す る と 、 彼 女 は 当 選 後 意 識 的 に. 「女 性 の 代 表 者 」. と して行 動 し よ うと して い た こ とが 浮 か び 上 が る。 ナ ン シ ー ・ア ス トー は1879年. ア メ リカ ・ヴ ァ ー ジ ニ ア 州 に 生 ま れ た 。 生 家 は 代 々 続 く 農 場 主 で. あ っ た が 、 南 北 戦 争 時 に財 産 の す べ て を 失 っ た 。 ナ ン シ ー が 生 まれ た 頃 、 家 族 は 最 悪 の 時 期 を す ぎ て い た が 、彼 女 は 幼 年 期 の 貧 困 を 生 涯 記 憶 して い た 、 や が て 鉄 道 事 業 で 成 功 した 父 は 再 び農 場 つ きの 邸 宅 を か ま え 、 ナ ン シ ー は裕 福 な 家 庭 の 娘 と して 育 った 。 ナ ン シ ー は最 初 近 所 の私 塾 的 学 校 で 、 の ち に ニ ュ ー ヨ ー ク の フ ィ ニ ッ シ ン グ ・ス ク ー ル に 通 っ た が 、 系 統 的 な 教 育 を 受 け た わ け で は な か っ た14。 ナ ン シ ー は ア メ リ カ に お い て 一 度 結 婚 経 験 が あ る 。 離 婚 後 イ ギ リ ス に 渡 り 、 1906年 に ウ ォ ル ドーフ. ・ア ス トー と 結 婚 し 、6人. の 子 ど も(1人. は 前 夫 と の あ い だ の 子 ど も)を. 育 て 、 大 邸 宅 の 女 主 人 と して 客 を も て な す 上 流 階 級 の 女 性 と し て の 生 活 を 送 っ た 。 夫 は1909年. に. プ リマ ス 選 挙 区 の 保 守 党 候 補 者 と な り 、 夫 婦 は プ リマ ス に 家 を 購 入 し 、 選 挙 区 と の つ な が り を も と う と し た 。1910年1月. の 総 選 挙 で は ウ ォ ル ドー フ は 敗 北 し た が 、1910年12.月. の総 選挙 において.
(5) 当 時2人. 区 で あ っ た プ リマ ス 選 挙 区 の 議 員 と な っ た 、 ナ ン シ ー は こ の1月. の 選 挙 か ら夫 の た め の. 戸 別 訪 問 活 動 な ど を 行 っ て い る 。 岳 父 は 『オ ヴ ザ ー ヴ ァ ー 』 紙 を 買 収 し た 新 聞 社 主 、1910年 は さ ら に 議 員 夫 人 と い う 立 場 で 多 く の 政 治 家 と 社 交 が あ っ た が 、 ア ス トー の. 以降. 「政 治 的 ホ ス テ ス 」. と し て の 力 量 は 後 に 女 性 議 員 の ネ ッ トワ ー ク 作 り に 活 か さ れ る こ と と な る 。 1919年 、 岳 父 の 死 去 に 伴 い 、 夫 は 爵 位 を 継 承 し 貴 族 院 議 員 と な っ た 。 補 欠 選 挙 の 候 補 者 に ナ ン シ ー ・ア ス トー が 選 ば れ た 理 由 に は 、 一一つ は1918年. 総 選 挙 の 直 後 で あ り 、 か つ ウ ォ ル ドー フ ・ア. ス トー の 辞 任 が 予 想 さ れ て い な か っ た た め に 適 切 な 候 補 者 が 得 ら れ な か っ た か ら で あ り15、 他 の 一つ は. 、 ウ ォ ル ドー フ と ナ ン シ ー は 選 挙 区 に 人 気 が あ り 、 つ な が り を 保 と う と し た ウ ォ ル ドー フ. が 提 案 し た と い う も の で あ るlb。1919年11月 ン トの 得 票 率 で 当 選 した 。 そ れ 以 降1945年 こ と に な る 。1929年. に 行 わ れ た 選 挙 で ナ ン シ ー ・ア ス トー は 約52パ ー セ に 引 退 す る ま で26年 に わ た っ て こ の 選 挙 区 を 維 持 す る. の 労 働 党 の 大 勝 の 時 に は 、 労 働 党 候 補 に211票. 差 と い う僅 差 で あ っ た が 議 席. を 確 保 した17。 す で に 述 べ た よ う に 、 ア ス トー は 女 性 参 政 権 運 動 に は 参 加 し て い な か っ た が 、 議 員 に な っ て か らは む し ろ積 極 的 に 女性 の利 益 を 擁 護 し、 女 性 の 権 利 を 拡 張 す る た め の議 会 活 動 を 数 多 く行 っ た 。 次 節 で 検 討 す る カ ー ザ レ の よ う に 一 つ の 運 動 に 積 極 的 に コ ミ ッ トす る こ と は な か っ た が 、 女 性 の 問 題 に 幅 広 く 対 処 し て き た 。 そ の 意 味 で 、 議 員 と し て の ア ス トー は フ ェ ミ ニ ス トだ っ た と い え る 。 た だ しそ の フ ェ ミニ ズ ム は理 論 的 な もの で は な か っ た 。 多 くの 伝 記 作 家 が 指 摘 す る よ うに 、 彼 女 の 発 言 は 理 論 的 で は な か っ た 。 ア ス トー は 全 国 女 性 参 政 権 獲 得 協 会(the Women's Suffrage Societies)の. メ ン バ ー と 親 交 が あ っ た 。 さ ら に 、NUWSSの. National Union of. 有 力 メ ンバ ー で あ っ. た レイ ・ス トレ ィ チ ィ を 自 身 の 秘 書 と し て 雇 っ た 。 レイ ・ス ト レ ィ チ ィ は1918年 に ロ ン ド ン 近 郊 の ブ レ ン ト フ ォ ー ド=チ. 以 降3回. の選 挙. ズ ウ ィ ッ ク 選 挙 区 か ら 立 候 補 した も の の 落 選 し た 。 ス ト. レ ィ チ ィ は ア ス トー に 数 多 く の 問 題 に つ い て ブ リー フ ィ ン グ を 行 っ た18。 こ の よ う な 女 性 か ら の 要 望 を 背 景 に 、 ア ス トー は 女 性 の 参 政 権 獲 得 年 齢 の 引 き 下 げ を 主 張 し た 。 戦 間 期 の フ ェ ミニ ス ト に とっ て 重 要 な 要 求 テ ー マ で あ っ た 女 性 警 察 官 に つ い て も活 動 して い る 。 同 一 賃 金 の原 則 を め ぐ っ て は 党 と 対 立 す る こ と も あ っ た 。 詳 細 は 次 節 で 検 討 す る 。 最 初 の 女 性 議 員 と な っ た ア ス トー の も と に は 全 国 の 女 性 か ら 多 く の 手 紙 が 殺 到 し た19。 そ れ 故 、 彼 女 は そ の 政 治 キ ャ リ ア の 初 期 に お い て は 、 自他 共 に認 め る. 「女 性 の 代 表 」 と な っ た 。. 彼 女 は ま た 、 自 ら を 弱 者 の 側 に 位 置 づ け た 発 言 を 繰 り返 した 。 ブ ル ッ ク ス は 、1922年 大会 で. 「家 を2軒. 持 っ て い る 人 は 、2部. 頃保 守党. 屋 で 暮 らす とい う こ とが ど の よ うな こ とか 理 解 で き な い 。. こ れ が 保 守 党 の 問 題 だ 」 と 発 言 し 混 乱 に 陥 れ た こ と20や 同 じ 頃 『ぺ ル メ ル ・ガ ゼ ッ ト』 に 保 守 党 は 都 市 計 画 、 住 宅 建 設 、 救 貧 法 の 改 革 、 義 務 教 育 終 了 年 齢 の 引 き 上 げ な ど で よ り進 歩 的 な 政 策 を と る べ き だ と 主 張 し て 物 議 を 醸 し 出 し た り し た こ と21を 指 摘 し て い る 。 ロ ン ドン 、 選 挙 区 、 ア ス トー 家 の 邸 宅 で あ り社 交 の 舞 台 と な っ た チ ル ヴ デ ン(バ. ッ キ ン ガ ム シ ア)ほ. か に邸 宅 を もつ ア ス. トー が こ の よ う な 発 言 を し た の は 矛 盾 して い る が 、 こ れ は 必 ず し も ロ 先 の こ と ば か り で は な か っ.
(6) た 。 以 下 に 一 例 を 示 す 。 戦 間 期 に 保 育 学 校 運 動 キ ャ ン ぺ 一 ン に 熱 心 に 取 り組 ん だ マ ー ガ ッ レ ト ・ マ ク ミ ラ ン は 社 会 主 義 者 で 、 独 立 労 働 党 に 所 属 して い た 。1925年. にTUCと. 労働 党 は保育所 の増設. を す す め る ス テ ー トメ ン トを 出 した も の の 、 決 し て 熱 心 に 推 進 して い な か っ た 。 こ れ は 保 守 党 も 同 様 で あ っ た 。 ア ス トー は1926年. 頃 マ ク ミ ラ ン と 会 い 、 意 気 投 合 し運 動 を 熱 心 に 推 進 し た 。 ウ ォ. ル ドー フ は 保 母 養 成 校 を カ レ ッ ジ に 拡 張 す る た め の 土 地 を 寄 付 し 、 ナ ン シ ー は2万 を 集 め た 。 ア ス トー の 選 挙 区 に 保 育 学 校 が 開 設 され た 。 マ ク ミ ラ ン は 、1929年 トー の 応 援 を か っ て で て い る 。 さ ら に1930年 に 集 め ら れ た 基 金 に ア ス トー は さ ら に1500ポ. ポ ン ドの 基 金. の総 選 挙 で は ア ス. 代 前 半 に は 、 不 況 地 域 に お け る保 育 学 校 設 立 の た め ン ドを 寄 付 し た22。. ア ス トー が 最 も よ く発 揮 し た の は 社 交 界 を と お して 培 わ れ た ネ ッ ト ワ ー ク 能 力 で あ っ た 。 初 当 選 後 間 も な い1921年 Organisation)を. ア ス トー は 女 性 団 体 諮 問 委 員 会(the . Consultative Committee . of Women's. 設 立 した 。 こ の 委 員 会 の 目的 は 女 性 の 政 治 活 動 の 連 携 と女 性 に か ん す る さ ま ざ. ま な 問題 に 関 して ロ ビー 活 動 を行 う こ と で あ っ た 。 選 挙 権 を得 た 直 後 の 女 性 に は必 要 な団 体 で あ っ た か も しれ な い 。 労 働 党 は この 団 体 に否 定 的 で あ っ た た め に 労 働 関係 団 体 は 参 加 しな か っ た が 、 諮 問 委 員 会 は ア ス トー とNUWSSと. の 対 立 で 解 消 さ れ る ま で 約7年. 継 続 し た23。. 女 性 、 お よび 女 性 団 体 を 集 結 して ロ ビー 活 動 を行 う こ と に よ っ て 政 治 に 女 性 の 見 解 を反 映 し よ う と い う 団 体 は 後 の 女 性 議 員 に よ っ て 再 び 試 み ら れ る 。1940年 (the Committee on Woman . Power)で. に 設 立 され た 女 性 労 働 力 委 員 会. あ る 。 こ の 団 体 は 、1940年5月. に 就 任 した 労 働 大 臣ベ ヴ ィ. ン が 、 女 性 労 働 力 を 活 用 し政 府 部 内 に こ れ を 扱 う 委 員 会 を 設 立 す る べ き だ と い う女 性 議 員 の 働 き か け に応 じな か っ た た め に 、 保 守 党 、 自 由党 、 無 所 属 女 性 議 員 とい くつ か の 女性 団 体 が 中 心 に な っ て 創 ら れ た 。 そ の 後 、 後 に ふ れ る 労 働 党 の エ デ ィ ス ・サ マ ス キ ル も 参 加 し 、 文 字 通 り超 党 派 の 団 体 と な っ た 。 ほ ぼ1ヶ. 月 に1回. の 割 合 で 会 合 を 重 ね 、1945年6月. ま で 存 続 した。 女 性 労働 力 委. 員 会 は 参 加 議 員 の 議 会 活 動 や そ の 他 の 活 動 に一 定 の 枠 を は め る こ とは しな か つ た。 議 員 に と っ て は意 見 交 換 団 体 、 女 性 団 体 に と っ て は 自 ら の意 見 を 議 員 に 表 明 す る 場 、 時 に は議 員 が 陳 情 の 手 配 を す る 場 、 と い う位 置 づ け で あ っ た 。 しか し 、1941年3月 委 員 会(Women's . Consultative Committee,女. 会 の 熱 心 な メ ン バ ー で あ っ た)の. の 労 働 省 の 諮 問 機 関 と して の 女 性 諮 問. 性 諮 問委 員会 の女性 議員委 員 は全員女性 労働 力委員. 設 立 、 戦 争 中 大 き な 問 題 に な った 国 家 補 償 額 にお け る 男 女 の 不. 公 正 、 戦 後 復 興 政 策 へ の 女 性 の 関 与 な ど、 戦 争 中 に お け る女 性 の 問 題 に か ん して は 多 くの 点 で議 員 た ち は一 致 して い る。 この 団 体 で は 後 に ふ れ る. 「 保 守 党 フ ェ ミ ニ ス ト女 性 議 員 」 と サ マ ス キ ル. が 中 心 で 、 ア ス トー は こ の 委 員 会 に は ほ と ん ど 出 席 し て い な い し 、 大 き な 役 割 を 果 た して い な い 24 。 し か し 、 ア ス トー が1920年 第2次. 代 に 計 っ た こ との 成 熟 した 姿 と考 え る こ とが で き る。. 世 界 大 戦 中 、 ア ス トー は す で に 政 治 的 キ ャ リア の 最 終 局 面 に さ し か か っ て い た 。 初 期 に. 比 べ て 議 会 活 動 の 質 が 落 ち て き た と評 され る が 、 ア ス トー の 引 退 を 最 終 的 に 決 定 し た の は 夫 の 説 得 で あ っ た 。1945年. 総 選 挙 を 前 に 彼 女 は 政 界 か ら の 引 退 を 表 明 せ ざ る を 得 な か っ た 。 ア ス トー は. こ の こ と に 非 常 に 不 満 だ っ た25。.
(7) 「赤 い 公 爵 夫 人 」 と して 知 ら れ た ア ソ ル 公 爵 夫 人 は ス コ ッ トラ ン ドの 貴 族 、 ジ ェ ー ム ズ ・ラ ム ジ ー の 長 女 と し て 生 ま れ 、 ウ ィ ン ブ ル ドン ・ハ イ ・ス ク ー ル を 経 て ロ イ ヤ ル ・カ レ ッ ジ ・オ ヴ ・ ミ ュ ー ジ ッ ク に 在 学 し た 。1899年. に 後 の 第8代. ア ソル 公 爵 と結 婚 した。 彼 女 の 実 父 は歴 史 家 で あ. っ た 。 彼 女 も ま た 自 らパ ー ス シ ア の 軍 事 史 を ま と め る な ど学 問 お よ び 教 育 へ の 関 心 を 持 っ て い た 。 第1次. 世 界 大 戦 中 は 、 国 内 に お い てVAD(Voluntary . Aids Detachment救. 急 看 護 奉 仕 隊)の. 組織 化. に か か わ る 一 方 、 夫 の 出 征 に 伴 つ て エ ジ プ トに 行 き 、 イ ギ リ ス 軍 へ の 奉 仕 を 行 っ た 。 ア ソ ル 公 爵 夫 人 は 戦 争 中 の 功 績 に よ っ て1918年DBE(Dame 授 与 さ れ た 。 第1次. Commander . of the Order of the British Empire)を. 大 戦 直 前 か ら 、 ス コ ッ トラ ン ドの さ ま ざ ま な 地 方 自 治 関 連 お よ び 社 会 政 策 関. 連 の 委 員 会 の 委 員 と な っ た 。 こ う した 役 割 は 地 域 の 名 望 家 夫 人 と し て 当 然 の も の で あ っ た の か も しれ な い が 、 政 治 家 と し て の 訓 練 に 役 立 っ た も の と 思 わ れ る 。 公 爵 夫 人 が 庶 民 院 に 立 候 補 す る 最 初 の き っ か け は 、 よ り多 く の 女 性 議 員 誕 生 を 希 望 し て い た ロ イ ド=ジ こ と だ っ た26。 ア ソル 公 爵 夫 人 は1923年 わ ず か150票. 総 選 挙 で パ ー ス シ ア=キ. ョー ジ が 政 界入 りを勧 め た. ン ロ ス シア 選 挙 区 か ら立 候 補 し、. 差 で 当 選 し た 。 彼 女 の 夫 は 爵 位 を 継 ぐ 以 前 に は 西 パ ー ス シ ア 選 出 議 員 を2期7年. わ た っ て つ と め て い る 。 し か し 、1917年 れ た も の の1918年 彼 女 は 反=女. に. に 爵 位 を継 承 した の ち 、 保 守 党 候 補 者 が 無 投 票 で選 出 さ. の 総 選 挙 で は この 議 席 は 自 由 党 の 候 補 者 に議 席 を 奪 わ れ て い た 。. 性 参 政 権 論 者 で あ り 、 実 際1924年2月. に は 自 由 党 の 議 員 が 提 出 し た1918年. 人 民代. 表 法 改 正 案 に 反 対 し 、 「私 は 平 均 的 な 主 婦 や 母 親 が 投 票 権 を 求 め て い る と い う こ と を 否 定 す る し 、 子 沢 山 な 母 親 は 政 治 集 会 の た め の 時 間 は な い 」 と主 張 す る一 方 、 参 政 権 の 拡 張 は. 「戦 争 中 の 英 雄. 的 な 戦 死 者 に つ け 込 む も の の よ う に 思 わ れ る 」27と述 べ た 。 ア ス トー と は 正 反 対 の ス タ ン ス だ っ た 。 ま た 、 男 女 同 一 賃 金 に も 反 対 し 、1936年4月. に エ レ ン ・ ウ ィ ル キ ン ソ ン が 提 出 した 公 務 員 に. お け る 男 女 同 一 賃 金 を 求 め る 修 正 案 に 反 対 の 討 論 を 行 い 、 議 決 に 当 た っ て も 反 対 し た(こ に つ い て は 以 下 に 詳 細 を 述 べ る)。 彼 女 は そ の 一 方 、1929年 女性 割 礼 の 問 題 に つ い て 関 心 を寄 せ 、 超 党 派 の 28 。1930年. の討議. に は ケ ニ ア に お け る女 性 問題 、 特 に. 「有 色 女 性 保 護 委 員 会 」 の 設 立 を 訴 え 実 現 さ せ た. 代 前 半 に は イ ン ドの 女 性 問 題 を エ レ ノ ア ・ラ ス ポ ン と 取 り上 げ た29。 こ の よ うな 植 民. 地 に お け る女 性 問 題 へ の 関 心 は 、 後 の ス ベ イ ン戦 争 に お け る子 ど もへ の 関 心 に つ な が る。 そ の 一 方 、 ア ソル は 帝 国 主 義 的 で あ る と い う評 価 を 受 け て お り、 植 民 地 へ の 関 心 は い わ ば 自 ら描 い た 「よ き 統 治 者 」 の あ り方 だ っ た と も 考 え られ る30 反=フ. ェ ミニ ス トと して 知 られ た ア ソル で あ る が 、 当選 直 後 に エ ジ ン バ ラ で 開 か れ た 女 性 昼 食. 会 で は 以 下 の よ う に 述 べ た 。 そ の 主 張 は 第2次. 世 界 大 戦 後 の 友 愛 結 婚 を 先 取 り し て い る 。 「私 が. 思 うに は 、 私 た ち は 庶 民 院 や 国 全 体 に た い し て 女 性 が 議 会 に た い し て ど の よ うな 貢 献 が で き る か を 知 ら し め る 必 要 が あ りま す 。 そ して そ の た め に 私 た ち が 家 庭 で 必 要 だ と い う こ と を 発 見 し た 多 く の 資 質 を 利 用 す る 必 要 が あ り ま す 。40年 『ま さ に お っ し ゃ る とお り(Amen)』. 前 、 理 想 の 妻 は 何 で あ れ 夫 が 言 っ た こ と に た い して. とい う人 の こ と で した 。 今 日で は そ の よ うな 考 え は廃 棄 さ. れ 、 そ の 理 想 と は 人 生 の 幸 福 な 時 も 困 難 な 時 も 同 様 に 同 士 と し て 、 パ ー トナ ー と し て あ る こ と で.
(8) す 。 そ れ は(過. 去 の理 想 よ り. ア ソル は1924年. か ら29年 ま で ボ ル ド ウ ィ ン 内 閣 の 下 で 教 育 庁 の 政 務 次 官 を つ と め た 。 こ れ は1924. 年1月. 奥 田)は. る か に よ い も の だ と わ れ わ れ は 考 え て お り ま す 」31。. 誕 生 の マ ク ドナ ル ド労 働 党 内 閣 に お い て ボ ン ド フ ィ ー ル ドが 労 働 政 務 次 官 に 任 命 され た こ. とに ボ ル ドウ ィ ン が 対 抗 した 人 事 で あ っ た。 保 守 党 に お け る 最 初 の 女 性 閣 僚 で あ っ た。 さま ざま な 批 判 を 浴 び た が 一 定 の 成 果 を 出 し 足 掛 け6年. こ の 地 位 に あ っ た32。1928年. に選 挙権 が男女 同一 一. と な っ た こ と に 現 実 的 に 対 応 す る た め に1931年. に は ア ソ ル は 『女 性 と 政 治 』 と い う 著 書 を 著 し. た 。33 ア ソル が. 「ア カ の 公 爵 夫 人 」 と 呼 ば れ る よ う に な り 、 最 終 的 に 議 員 辞 職 に 追 い 込 ま れ る こ と に. な っ た の は ス ベ イ ン 戦 争 と の か か わ り で あ っ た 。1936年. にチ ェ コ ス ロ ヴ ァ キ ア 、 ル ー マ ニ ア とい. っ た 小 国 へ の イ ギ リ ス の 責 任 を 庶 民 院 で 強 調 し た 後 、 ア ソ ル は エ レ ノ ア ・ラ ス ボ ン ら と こ う し た 国 を 訪 問 し 、 フ ァ シ ズ ム の 脅 威 を 目 の 当 た りに し た 。 ス ベ イ ン 戦 争 は ア ソ ル に と っ て 脅 威 が 実 現 した も の で あ っ た 。 政 府 の 不 干 渉 政 策 を 批 判 す る 一 方 、1937年. 初 頭 か ら超 党 派 、 お よ び 労 働 組 合 、. 宗 教 団 体 、 そ して 既 存 の ス ベ イ ン 共 和 国 救 援 団 体 を 連 合 した (National Join tCommittee . for Spanish. 「ス ぺ イ ン 救 援 全 国 合 同 委 員 会. Relief)」 の 組 織 化 を は か り 、 委 員 会 の 委 員 長 と な っ た 。 エ. レ ノ ア ・ラ ス ボ ン が 副 委 員 長 と な り、 他 に 自 由 党 、 イ ギ リ ス 共 産 党 の 代 表 者 が 参 加 し て い た 。 さ ら に4月. に は エ レ ン ・ウ ィ ル キ ン ソ ン の 誘 い に 応 じ て 、 「合 同 委 員 会 」 の 代 表 団 と し て ラ ス ポ ン. と と も に ス ベ イ ン を 訪 問 し た 。 帰 国 後 、 ア ソ ル は 共 和 国 支 持 の 運 動 を 活 発 に 繰 り広 げ る 。 集 会 で の 演 説 、 ス ベ イ ン の 子 ど も の 外 国 へ の 避 難 の 呼 び か け(た の 子 ど も の た め の 委 員 会 」 で は バ ス ク か ら の 子 ど も4000人. と え ば 、 ア ソル が 呼 び か け た. 「バ ス ク. を イ ギ リ ス に 受 け 入 れ た)、 そ し て. 1938年 に6.月 に ペ ン ギ ン ・ス ぺ シ ャ ル と し て 出 版 さ れ 、 短 期 間 に30万 部 以 上 を 売 り あ げ る ベ ス ト ・セ ラ ー に な っ た 『ス ペ イ ン を 照 ら ず サ ー チ ラ イ ト(Searchlight. on Spain)』 の 執 筆 が こ の 時 期 の. ア ソ ル の 活 動 で あ る34。 1938年 、 チ ェ ン バ レ ン 首 相 の 外 交 政 策 に 反 対 し た ア ソル に 対 し て 、 チ ェ ン バ レ ン は ア ソ ル を 党 籍 停 止 処 分 に す る と 通 告 し た 。 ア ソ ル は イ ン ド統 治 法 を め ぐ っ て1935年. に 一 時 期 党 籍 を離 れ た こ. と が あ っ た35。 し か し 、 今 回 は ス ベ イ ン を め ぐ る 彼 女 の 行 動 に 選 挙 区 の 一 部 が 不 快 感 を 示 して い た。 ミュ ンヘ ン会 談 の 結 果 に チ ャ ー チル ら と と も に 抗 議 した 直 後 、 選 挙 区 の 保 守 党 支 部 は 、 ア ソ ル 公 爵 夫 人 以 外 の 候 補 者 を 探 す こ と を 多 数 決 で 決 定 し 、 彼 女 が 議 員 を 辞 職 し た 。1938年12月. に行. わ れ た 、 補 欠 選 挙 に ア ソ ル 公 爵 夫 人 は 自 由 党 、 労 働 党 の 応 援 を 受 け 無 所 属 で 立 候 補 し、 保 守 党 の 公 認 候 補 者 と 議 席 を 争 っ た が1300票. あ ま り の 差 で 敗 北 した36。. ア ソル 公 爵 夫 人 の ス ベ イ ン 戦 争 と の か か わ り を 中 心 に 短 い 伝 記 を 書 い た ス ー ザ ン ・ウ ィ リ ア ム ズ は 、 ア ソル の 行 動 の 原 点 は 右 翼 、 左 翼 と い っ た 政 治 的 な イ デ オ ロ ギ ー で は な く 、 自 らが. 「道 義. 的 に 正 し い と 思 う こ と 」37だっ た と 主 張 し て い る 。 ア ソル 公 爵 夫 人 の 議 員 と し て の キ ャ リ ア に は 女 性 参 政 権 を め ぐ っ て 多 くの 女 性 議 員 と対 立 す る側 面 と と も に 、 スベ イ ン戦 争 や 植 民 地 の 女性 問 題 を め ぐ っ て 党 派 を超 え て連 帯 す る側 面 が あ っ た 。.
(9) ア ス トー や ア ソル 公 爵 夫 人 と 異 な り 、 セ ル マ ・カ ー ザ レ は 裕 福 で は あ る が 中 産 階 級 の 出 身 で あ っ た。 フ ラ ン ス か らの移 民 して き た ユ グ ノー を祖 先 に 持 ち 、 主 と して 祖 父 が ロ シ ア で築 い た財 産 が 家 族 を 支 え て い た 。 カ ー ザ レ は 自 ら を フ ェ ミ ニ ス トと 考 え て い た が 、 そ の フ ェ ミ ニ ズ ム を 母 か ら の 影 響 と 考 え て い た 。 彼 女 の 家 に は パ ン ク ハ ー ス ト夫 人 を は じ め と し て 戦 闘 的 参 政 権 論 者 が 出 入 り して い た 。 ま た母 は 有 名 な 参 政 権 運 動 家 の ほ と ん ど を 知 っ て い た。 他 方 、 母 親 は ウ ェ ッブ 夫 妻 、 特 に ベ ア ト リ ス と の 親 交 も あ り 、 ベ ア ト リ ス ・ ウ ェ ッ ブ は 若 き 日 の カ ー ザ レ に も影 響 を 及 ぼ した38。 カ ー ザ レ は 学 校 で 正 規 の 教 育 を 受 け る こ と な く 成 長 し た 。LSEに. お け るS.ウ. ニ・ッ ブ の 講演 や. バ ー ナ ー ド ・シ ョ ウ の 講 演 へ の 参 加 や 、 自 宅 で オ ッ ク ス フ ォ ー ドの 卒 業 生 を 「家 庭 教 師 」 と し て の歴 史 の 勉 強 、 女性 の た め の 討 論 ク ラ ブ へ の 参 加 な どが 彼 女 の 教 育 で あ っ た 。 カ ー ザ レ は 自 叙 伝 の な か で 早 く か ら政 治 に 関 心 を 持 っ て い た と 述 べ て い る 。 彼 女 の 兄 ヴ ィ ク タ ー も 政 治 家 を 志 し、1924年. か ら 戦 死 す る1943年. ま で 約20年. 間 保 守 党 議 員 と して チ ッ ピ ン グ ハ ム 選. 挙 区 か ら選 出 され て い た 。 カ ー ザ レ は さ ら に 自 ら の 政 治 の 世 界 に お け る ロ イ ド=ジ. ョー ジ と し 、 メ ガ ン ・ロ イ ド=ジ. ョー ジ を. 「ロ イ ド=ジ. 「父 」 を デ イ ヴ ィ ッ ド ・. ョー ジ 家 ば か りで は な く、 世. 界 の 多 く の 場 所 に 行 く と き に そ れ を 携 行 す る と い う も っ と 型 ど お り の 意 味 で の パ ス ポ ー トだ っ た 」39と親 し さ を 強 調 し て い る 。 カ ー ザ レ は21歳(1920年. ご ろ)の. と き に 地 元 の 教 区 委 員 会 を 手 始 め に 政 治 活 動 を は じ め 、1924. 年 に は ロ ン ドン 州 会 の イ ー ス ト ・イ ズ リ ン グ トン 選 挙 区 の 保 守 党 候 補 者 と して ノ ミ ネ ー ト さ れ 、 1925年 の 選 挙 で 当 選 し た 。 そ の 後1931年. に 長 老 市 会 議 員(ア. を 州 議 員 と して 、 主 と し て 教 育 関 係 で 活 動 し た 。1931年1.月. ル ダ マ ン)に. 任 命 さ れ る ま で7年. 間. に カ ー ザ レの 地 盤 で あ っ た 庶 民 院 イ. ー ス ト ・イ ズ リ ン グ トン 選 挙 区 選 出 議 員 で あ っ た 労 働 党 の エ シ ル ・べ ン サ ム の 死 去 に 伴 い 、 補 欠 選 挙 が 行 わ れ る こ と に な り 、 カ ー ザ レ が 候 補 者 と な っ た 。1931年2月. に行 わ れ た 補 欠 選 挙 で の 対. 抗 候 補 は 労 働 党 の 女 性 候 補 者 の エ リザ ベ ス ・マ ニ ン グ だ っ た 。 こ の 選 挙 区 は1918年. 以来選 挙 ご と. に 当選 者 の 所 属 政 党 が変 化 して い た 。 補 欠 選 挙 で は 保 守 党 の 党 内 事 情 もあ っ て 当選 を 逃 した が 、 31年10月. に 行 わ れ た 総 選 挙 で は 現 役 議 員 の エ リ ザ ベ ス ・マ ニ ン グ を 破 っ て 初 当 選 し た 。31年10月. 総 選 挙 は 、 保 守 党 の 大 勝 に の っ て 保 守 党 女 性 議 員 が13名. 当 選 した 。 こ の と き に 初 当 選 し た 保 守 党. 女 性 議 員 の 中 に は 、 戦 争 中 保 健 省 の 政 務 次 官 な ど を つ と め た フ ロ ー レ ン ス ・ホ ー ス バ ラ や 、 女 性 問 題 に 関 心 の 深 か っ た メ イ ヴ ィ ス ・テ イ ト、 イ レー ヌ ・ワ ー ドな ど が い る 。 カー ザ レは 自身 を. 「公 然 た る フ ェ ミ ニ ス ト」40と考 え て い た が 、 そ の 一 方 、 「私 が 反 抗 的 だ っ た. と し て も 大 き く 変 わ っ て は い な か っ た だ ろ う が 、 振 り返 っ て み る と 、 私 は 党 の 規 律 や 院 内 総 務 に あ ま り に も 忠 実 す ぎ た か も しれ な い と 思 う。 こ れ が 私 の 数 少 な い 親 友 イ レ ー ヌ ・ワ ー ドの 意 見 で ある …. 」41と自 叙 伝 で 述 べ て い る 。 こ れ を 象 徴 す る で き ご と が1936年4月. 1936年4月1日. に国会 で起 きた。. 、 労 働 党 の エ レ ン ・ ウ ィ ル キ ン ソ ン は 公 務 員 の 一 般 職(common . て 男 女 同 一 賃 金 を 求 め る 修 正 案 を 提 出 し た 。4時. class)に. つい. 間近 くにわた って行 われ た討議 の後 、採決 が 行.
(10) わ れ 、 政 府 原 案 に 反 対 す る 投 票 が 多 数 を 占 め た 。 女 性 議 員 の う ち 、 保 守 党 の2名(メ テ イ ト と イ レ ー ヌ ・ワ ー ド)は. イ ヴ ィス ・. 討 議 に も決 議 に も 参 加 しな か っ た 。 保 守 党 の ア ソル と無 所 属 の エ. レ ノ ア ・ラ ス ボ ン は ウ ィ ル キ ン ソ ン の 修 正 案 に 反 対 の 討 議 を 行 い 、 ア ソル は 政 府 原 案 に 賛 成 票 を 投 じ、 ラ ス ボ ン は 決 議 に 参 加 して い な い 。 カ ー ザ レ は討 議 の 間 に 発 言 す る こ とは な か っ た が 決 議 で は 、 政 府 原 案 へ 反 対 票 を 投 じ た 。 さ ら に 、 保 守 党 の ア ス トー 、 ホ ー ス バ ラ 、 自 由 党 の メ ガ ン ・ ロ イ ド=ジ. ョー ジ は ウ ィル キ ン ソ ン と と も に 政 府 原 案 へ の 反 対 票 を投 じた。 政 府 原 案 の 否 決 後 、. ウ ィ ル キ ン ソ ン の 修 正 案 が 決 議 に ふ さ れ 、 反 対 多 数 で 否 決 さ れ た 。 こ の と き 、 ア ス トー 、 カ ー ザ レ、 ロ イ ド;ジ. ョ ー ジ 、 そ して ウ ィ ル キ ン ソ ン は 修 正 案 に 賛 成 し た 。 つ ま り 、 ア ス トー と カ ー ザ. レ は 、 保 守 党 の 党 首 が 首 相 で あ る に も か か わ ら ず 、2度 こ の 議 題 は4月6日 た め 、1日. 政 府 に 反 対 票 を 投 じ た42。. に 再 び 討 議 され た が 、 政 府 は こ れ を 政 府 へ の 信 任 を 問 う決 議 と した 。 そ の. に 政 府 案 に 反 対 票 を 投 じた 保 守 党 所 属 女 性 議 員 た ち は 微 妙 な 立 場 に 追 い 込 まれ た。 カ. ー ザ レは 議 場 で 自 らの 立 場 につ い て 以 下 の よ うに述 べ た 。. 私 は 今 日の 私 の 投 票 を 、本 日の 主 た る 議 題 、 す な わ ち 同 一 労働 同 一 賃 金 に つ い て の 私 の 立 場 を あ き ら か に し な け れ ば 記 録 す る こ と が で き な い と 思 い ま す 。 先 週 の 水 曜 日(4月 1日. 奥 田)に. 私 は2度. ま で 政 府 に 反 対 す る 投 票 を し ま した 。 私 が こ の よ うな 投 票 を. した の は 、 ジ ャ ロ ー 選 出 議 員(ウ. ィル キ ン ソ ン. 奥 田)の. 修 正 案 の原 則 とそ の 正 し さ. を 信 じて い た か ら で す 。 … 私 は 、 こ の 件 に つ い て の 自 ら の 意 見 を 変 え な け れ ば い け な い こ と に な っ て 、 非 常 に 遺 憾 で す 。 今 夜 の 投 票 を 政 府 が 信 任 投 票 と し な け れ ば な らな い と 考 え られ た こ と を 私 は 残 念 に 思 い ま す 。 しか し、 そ れ が 必 要 だ と 考 え ら れ た の な ら ば 、 私 は 確 実 に 政 府 を 信 任 す る 投 票 を す る で し ょ う。 と 申 し ま す の は 、 私 の 同 一 賃 金 に か ん す る 意 見 が ど うで あ れ 、 こ の 厳 しい 時 期 に 挙 国 一 致 内 閣 が 政 権 を維 持 して い る こ とが 非 常 に 重 要 と 考 え る か ら で す 。 し か し な が ら 、 政 府 は 先 週 水 曜 日の 敗 北 の 原 因 と な っ た 問 題 に つ い て 真 剣 に 再 考 さ れ る こ と を 望 み ま す 。 な ぜ な ら ば 、 こ の こ と(政 奥 田)は. 府 の敗 北. こ の 国 の 世 論 が 同 一 賃 金 に つ い て 変 化 して い る こ と の あ き ら か な 証 拠 だ と 確 信. す る か ら で す43。. こ の 判 断 は 、 保 守 党 の 他 の 女 性 議 員 に か ん し て も 同 様 で 、 ア ス トー 、 ホ ー ス バ ラ は カ ー ザ レ と と も に4月1日. か ら 立 場 を 変 え た 。 さ ら に ワ ー ド とテ イ トが 政 府 へ の 信 任 票 を 投 じ た(ア. 投 票 は 記 録 さ れ て い な い)。4月1日. ソル の. と 同 様 に 政 府 へ の 反 対 票 を 投 じ た の は メ ガ ン ・ロ イ ド=ジ. ョー ジ と ウ ィ ル キ ン ソ ン の み で あ っ た44。 1944年 、 教 育 法 改 正 の 議 論 の 中 で 男 女 の 教 員 へ の 同 一 賃 金 を 求 め る 要 求 が 女 性 議 員 の 間 か ら起 こ り、 国 会 で の 決 議 に 持 ち 込 ま れ た 。 この と きの 動 議 の 提 出 者 は カ ー ザ レで あ っ た 。 政 府 は 再 び 一 度 は 敗 北 した も の の. 、1936年. と 同 じ 戦 術 で こ の 動 議 を 葬 っ た45。.
(11) カ ー ザ レ は1945年. 総 選 挙 で 敗 北 し 、 そ の 後 立 候 補 す る こ と は な か っ た 。 し か し 、1947年. さ れ た 同 一 賃 金 キ ャ ン ぺ ー ン 委 員 会(the Equal Pay Campaign Committee)を し た 。 同 委 員 会 は1944年. に 結 成 さ れ て か ら1947年. 中 心 に積 極 的 に 活 動. ま で 保 守 党 女 性 議 員(1945年. イ ヴ ィ ス ・テ イ トが 委 員 長 を つ と め て い た 。1947年6月. に設 立. 総 選 挙 で 落 選)メ. の テ イ トの 死 亡 後 、 カ ー ザ レが 委 員 長 を. つ と め た 。 超 党 派 の 女 性 議 員 お よ び 元 議 員 が こ の 運 動 に 参 加 して い た 。 カ ー ザ レ は こ の 活 動 が 超 党 派 で な され た こ と を 高 く 評 価 し て い る46。1947年1.月. の 集 会 に は 、 テ イ トお よ び カ ー ザ レ と な. らん で 、 労 働 党 の 新 人 議 員 バ ー バ ラ ・キ ャ ッ ス ル が 弁 士 と し て 参 加 し て い る 。 ま た 、1950年. にイ. レー ヌ ・ワ ー ドが 国 会 に 復 帰 し た か ら は 、 後 に 触 れ る 労 働 党 の エ デ ィ ス ・サ マ ス キ ル と 並 ん で 、 国 会 に お け る こ の 運 動 の 代 表 者 と し て 活 動 し だ7。 ハ ロ ル ド ・ス ミ ス の 研 究 は カ ー ザ レ の 個 人 文 書 を 使 っ て 彼 女 が 保 守 党 首 脳 部 に こ の 問 題 に つ い て 積 極 的 に 働 き か け た こ と を あ き ら か に し た48。 カ ー ザ レは テ イ トや ワ ー ド と な ら ん で 保 守 党 フ ェ ミニ ス ト議 員 グ ル ー プ を 形 成 し て い た 。 出 自 や 当 選 ま で の 過 程 は 大 き く 異 な る も の の 、 ア ス トー も 「フ ェ ミ ニ ス ト ・グ ル ー プ 」 に 加 え る こ と が 可 能 で あ る。 彼 女 た ち は保 守 党 議 員 の 中 で は 少 数 派 で あ っ た もの の 、他 党 の 女 性 議 員 と協 力 を す る こ と に よ つ て 、 自 ら の 主 張 を 議 会 に 反 映 し よ う と し た 。 他 方 、 ア ソ ル は 反=フ. ェ ミニ ス トで. あ つ た が 、 ス ベ イ ン 戦 争 時 に 見 られ た 人 道 的 支 援 活 動 は 他 党 と の 協 力 を 可 能 に した 。 党 を 超 え た 女 性 ど う し の ネ ッ ト ワ ー ク が 数 少 な い 女 性 議 員 の 活 動 を よ り重 要 な も の と し た 。. -3 労 働 党 議 員. Ⅱ. 戦 間 期 に お い て 労 働 党 と フ ェ ミニ ズ ム の 関係 は非 常 に 微 妙 で あ っ た 。 労 働 党 は (Equal Citizenship)」. 「市 民 権 の 平 等. を マ ニ フ ェ ス トに 掲 げ て い た が49、 近 年 の 研 究 は 戦 間 期 の 労 働 党 は 労 働 者. 階 級 の 女 性 に か ん す る 問 題 は ジ ェ ン ダ ー の 問 題 と して で は な く 、 階 級 の 問 題 と 考 え て い た こ と を あ き ら か に し て い る5°。 こ の よ う な 状 況 の 中 で 、 労 働 党 所 属 女 性 議 員 は ど の よ う に 活 動 し、 ど の よ うに ジ ェ ン ダ ー の 問 題 に つ い て 考 え て い た の で あ ろ うか 。 こ こ で 取 り 上 げ る 労 働 党 議 員 は エ レ ン ・ウ ィ ル キ ン ソ ン とエ デ ィ ス ・サ マ ス キ ル の 二 人 で あ る 。 ウ ィ ル キ ン ソ ン は1924年 で 、 お よ び1935年. か ら47年 ま で そ れ ぞ れ ミ ドル ズ バ ラ ・イ ー ス ト、 ジ ャ ロ ー 選 挙 区 選 出 議 員 だ っ. た 。 ま た 、1929年6.月 月 か ら8月. か ら31年 ま. か ら31年8月. ま で 保 健 相 ス ー ザ ン ・ロ ー レ ン ス の 大 臣 私 設 秘 書 を 、39年5. ま で年 金 省 の 政 務 次 官 を つ とめ た 後 、 チ ャ ー チ ル 首 相 の 挙 国 一 致 内 閣 で 国 土 防 衛 省 の. 政 務 次 官(2名. 任 命)、 そ し て 、 戦 後 の ア ト リ ー 内 閣 の 下 で 教 育 相 と し て1944年. 任 者 と な っ た が 、 戦 争 中 に 健 康 を 損 ね 、47年2月. 教 育法 の実 施 責. 喘 息 の 発 作 と睡 眠 薬 の過 度 の摂 取 が 原 因 で 現 役. の ま ま 死 亡 した51。 ウ ィ ル キ ン ソ ン は1891年. 、 マ ン チ ェ ス ター の 労 働 階 級 の住 む 地 域 に 生 ま れ た。 父 は アイ ル ラ ン. ド系 で 、 綿 工 場 の 労 働 者 か ら保 険 外 交 員 へ と 転 じ た 労 働 者 で あ っ た 。 い わ ば. 「リ ス ぺ ク タ ブ ル 」. な 労 働 者 階 級 世 帯 が 彼 女 の 生 家 で あ っ た 。 父 か ら 労 働 組 合 に か ん し て 教 え られ た が 、 彼 女 の 政 治 へ の 参加 は 、 家 庭 よ り も地 域 社 会 、 特 に 生 ま れ 育 っ た マ ン チ ェ ス タ ー に お け る 女 性 参 政 権 運 動 、.
(12) 労 働 運 動 な ど の 影 響 の 結 果 だ っ た52。奨 学 金 で マ ン チ ェ ス タ ー 大 学 に 進 学 し、 こ こで 大 学 フ ェ ビ ア ン ・ソサ エ テ ィの 活 動 家 とな っ た 。 卒 業 後 はNUWSSの マ ン チ ェ ス ター 支 部 で の オ ー ガ ナ イ ザ ー や 労 働 組 合 活 動 を 経 て1923年 か らマ ン チ ェ ス タ ー 市 議 会 議 員 をつ と め た。1923年 、 ア シ ュ トン= ア ン ダー;リ. ン選 挙 区 か ら立 候 補 し落 選 した 。 そ の 翌 年 の総 選 挙 で ミ ドル ズ バ ラ ・イ ー ス ト選 挙. 区 か ら 当選 した 。 そ の 後31年 ま で この 選 挙 区 の 議 員 を つ と め て い た が 、31年 の総 選 挙 で 落 選 した。 そ の 後1935年 総 選 挙 で 、 ジ ャ ロ ー 選 挙 区 か ら 当選 した。 ハ リ ソン に よれ ば 、 ウ ィ ル キ ン ソ ン は1924年 総 選 挙 時 に彼 女 の選 挙 運 動 に 参 加 して い た 女 性 自 由連 合(Women . Freedom. League)の. メンバー に 「 女 性 議 員 が 独 自 の 政 策 を持 ち 、 本 質 的 に 男性. と異 な っ て い る か の よ うに 話 す の は 、 女性 候 補 者 や 女 性 団 体 に とっ て 間 違 っ 」 た ア プ ロー チ で あ る、 と語 っ た53。す で に 見 た よ うに ウ ィル キ ン ソ ン は 同 一 賃 金 で は積 極 的 に活 動 した も の の 、 議 員 と して の キ ャ リア に お い て 特 に 女 性 に 関 連 した 質 問 を す る こ と は 少 な か っ た。 政 治 的 ア ジ ェ ン ダ に か ん して 女 性 と男 性 と を 分 け 、 女 性 特 有 の 問題 を取 り上 げ よ う とい う立 場 、 言 い換 え れ ば議 会 政 治 に ジ ェ ン ダ ー の 側 面 を 取 り入 れ よ う とす る態 度 は 、 戦 間 期 の 労 働 党 議 員 に は 弱 か った 。 労 働 党 の基 本 的 な 立 場 は 、 階 級 が ジ ェ ン ダ ー に優 先 す る とい う もの で あ り、 女 性 議 員 た ち もそ の 立 場 を とっ た 。 フ ェ ミニ ズ ム 、特 に 平 等 派 フ ェ ミニ ズ ム と労 働 党 は 緊 張 関 係 に あ っ た 。 ボ ン ドフ ィ ー ル ドが 女 性 の 家 庭 責 任 を 強 調 した の は. 、 家 庭 外 で の 知 的 労 働 を求 め る 女 性 を 中 産 階 級 と考 え 、. そ れ に た い して 、家 庭 に あ る こ と こそ が よ り よ い 生 活 を 意 味 した 大 半 の 労 働 者 階 級 女 性 の 現 実 を 反 映 した 見 解 と考 え られ る54。フ ェ ミニ ズ ム が ジ ェ ン ダ ー 間 の 平 等 を 第 一 の 課 題 とす る な らば 、 フ ェ ミニ ス トと労 働 党 は 対 立 関 係 に あ る。 しか し、1936年4月. の 事 例 は ウ ィル キ ン ソン が フ ェ ミ. ニ ズ ム と労 働 党 を結 び つ け る こ とを 可 能 と した 新 しい タ イ プ の フ ェ ミニ ス トだ っ た とい うハ リ ソ ンの 評 価 を う らづ け て い る。 そ の一 方 、 ジ ェ ン ダー の 問 題 が 党 の 分 裂 を招 く 自体 に 発 展 しそ うな と きに は 、 ウ ィル キ ン ソン は 政 党 の 立 場 を 優 先 させ た 。 そ の よい 例 が 産 児 制 限 を め ぐ る ウ ィル キ ン ソ ン の行 動 で あ る。 労 働 党 の 政 策 にお け る産 児 制 限 の位 置 づ け は 、 戦 間 期 の 労 働 党 に お け る女 性 の 位 置 づ け 、 ひ い て は 労 働 党 の ジ ェ ン ダ ー 政 治 の あ り方 を 如 実 に 示 して い た。 パ メ ラ ・グ レイ ヴス が 詳 述 して い る よ うに 、 産 児 制 限 は 労 働 党 に と っ て 党 内 分 裂 を 招 く危 険 な テ ー マ だ っ た55。 ジ ェ フ リー ・ウ ィー ク ス に よ れ ば19世 紀 末 か ら始 ま った 母 性 へ の 関 心 、第1次. 世 界 大 戦 前 後 の性 問 題 へ の 関 心 は 、1920年 代 の. イ ギ リス に お い て 前 世 紀 の 性 道 徳 と は 異 な っ た 性 へ の 態 度 、 性 道 徳 の あ り方 を 模 索す る動 き とな った56。 この うち 、 特 に 産 児 制 限 は 同 時 代 の 人 々 の 関 心 の 一 つ の 中 心 だ っ た 。 中 産 階 級 は も ち ろ ん 、 労働 者 階 級 の 女 性 もそ れ ぞ れ 独 自の 産 児 制 限 の 方 法 を も ち 、 実 践 して い た も の の 、 性 的 な こ と に た い す る女 性 の 無 知 、 特 に 女 性 の 身 体 に 危 険 を及 ぼ さな い 産 児 制 限 の 方 法 へ の 無 知 が 、 労働 者 階 級 の 女性 に と っ て 深 刻 な 問 題 を もた ら して い た 。1915年 に 女 性 協 同 組 合 ギル ドが 『母 性 生. 働. く女 性 か らの 手 紙 』 を 出版 し、 繰 り返 され る妊 娠 出 産 が 母 体 に 与 え る影 響 を生 々 しく伝 え るに い た っ て 、 この 問 題 は社 会 問 題 と な っ た 。 グ レイ ヴ ス は さ ら に 第1次 世 界 大 戦 中 の 女 性 の活 躍 に よ.
(13) っ て 、 産 児制 限 が 従 来 とは 異 な り、 よ り積 極 的 に議 論 で き る よ うに な っ た 、 と指 摘 す る57。 1920年 代 に 入 り、 労 働 党 に所 属 す る 女 性 た ち は 公 立 の 母 子 福 祉 セ ン タ に お い て 、既 婚 女性 が 希 望 した 場 合 に家 族 計 画 に か ん す る情 報 を与 え る こ と を可 能 とす る よ う要 求 した。 さ ら に 労働 党 内 に お い て これ を 労 働 党 の 政 策 の な か に 入 れ る よ う要 求 した。 しか し、 労 働 党 は 支 持 層 の 中 の カ ト リッ ク教 徒 の 反 発 を恐 れ て拒 否 した 。1920年 代 を 代 表 す る 労 働 党 の 女 性 運 動 家 で あ っ た マ リオ ン ・フ ィ リ ップ ス は 党 の 団 結 を 重 視 して. 、 女 性 の 訴 え を 退 け た 。 執 行 部 の 反 対 に もか か わ らず 、 女. 性 一 般 党 員 た ち は20年 代 を 通 して この 問 題 を 訴 え続 け る が 、1928年 党 の 女 性 会 議 で こ の 問 題 を 労 働 党 の政 策 に 入 れ る こ と を 断 念 せ ざ る を得 な くな っ た 。 こ の と き 、 ウ ィル キ ン ソ ンは 党 執 行 部 の 方 針 を強 く支 持 した。 ウ ィル キ ン ソン の 表 向 き の 理 由 は 、 こ の 問 題 は 党 の 綱 領 に の せ る よ りは 党 派 を 超 え た 女性 の 努 力 に 任 せ た ほ うが よ い 、 と い う も の で あ っ た58。 ウ ィル キ ン ソ ン が 産 児 制 限 は階 級 差 の 問 題 で は な い か ら と述 べ て い る が 、 実 際 は 選 挙 区 内 の カ ソ リ ッ ク教 徒 に 配 慮 した 結 果 で は な い か と 、 ブ ラ イ ア ン ・ハ リ ソ ン は 考 え て い る59。 この 見 解 は こ の 問 題 に つ い て 考 察 した 他 の 研 究者 に も共 通 して い る 。 ま た 、 グ レイ ヴス は 労 働 党 が 産 児 制 限 に 消 極 的 だ っ た 理 由 と して 、 単 に カ トリ ッ ク層 へ の 配 慮 の み な らず 、 労働 者 階 級 男 性 の 性 へ の 態 度 に 根 ざ した ジ ェ ン ダ ー 観 を 指 摘 して い る 。 産 児 制 限 は性 に お け る 男性 の 優 位 を 脅 か す も の な の で あ る60。 ウ ィル キ ン ソ ン や フ ィ リ ップ ス は 党 の 団結 を脅 か す 可 能 性 の あ る この 問 題 に つ い て 女 性 一 般 党 員 の 側 に 立 つ こ とは で き な か っ た。 母子 福祉セ ンタが産児 制限 にか んす る情報 を 「 医 学 上 の 必 要 が あ る とき に 限 り」 既 婚 女 性 に 教 え る こ とは1930年 の 保 健 相 伝 達 で 可 能 に な っ た 。 そ れ ゆ え 、 党 との 関係 で は こ の 問 題 は 決 着 す る もの の 、 選 挙 区 に お け る カ トリ ッ ク 労 働 者 階 級 の 支 持 を め ぐ っ て 問 題 が な くな っ た わ け で は な い。 後 に サ マ ス キル の 選 挙 運 動 に お い て そ の 実 例 を 見 よ う。 ハ リ ソン は 著 書 の 中 で マ ー ガ レ ッ ト ・ボ ン ドフ ィ ー ル ド、 ス ー ザ ン ・ロー レ ン ス 、 ウ ィル キ ン ソン の3人 を 取 り上 げ た が 、3人. と も 生 涯 独 身 で あ っ た 。 ハ リ ソン の 言 う 「 党 と結 婚 した 女 性 た. ち」 で あ っ た。 こ の 傾 向 は 戦 間 期 に や や 変 化 し始 め る が 、 戦 後 は ざ ら に 明 確 に な る。1945年 総 選 挙 に初 当選 した15人 お よ び50年 総 選 挙 ま で に 初 当選 した 新 人3人. を加 え た18人 の 女 性 労 働 党 議 員. を 「 戦 後 派 労働 党 女 性 議 員 」 とす る と 、彼 女 た ち の う ち既 婚 者 は11人 で あ る。 以 下 に 検 討 す る エ デ ィ ス ・サ マ ス キル は1938年 に 初 当選 した が 、 さ ま ざ ま な 意 味 で 「戦 後 派 労 働 党 女 性 議 員 」 と の 共 通 点 が 多 か っ た 。 サ マ ス キ ル は1938年 か ら55年 ま で を フル ハ ム ・ウ ェ ス ト、55年 か ら61年 ま で ワ リン ン グ トン 選 出議 員 だ っ た 。1945年8月. か ら50年2月. ま で 食 料 省 の 政 務 次 官 を 、 つ い で50年. 2月 か ら51年10,月 ま で 社 会 保 健 相 をつ と め た 。 医 師 の 家 庭 に 生 ま れ 、 自身 も医 師 と な り、 既 婚 、 子 も ちで 議 員 とな っ た サ マ ス キ ル は 、 戦 後 イ ギ リス に 起 こ っ た 女 性 の 高 学 歴 化 と既 婚 女 性 の 就 業 増 加 を 先 取 り して い る。 彼 女 は ま た 女 性 の 権 利 の 擁 護 者 と して も 知 られ て い る。 先 取 り、 とい う 点 につ い て言 え ば 、 サ マ ス キ ル は結 婚 後 も 旧 姓 で 職 業 お よ び 議 員 活 動 を 行 っ た 。 旧姓 で 国 会議 員 活 動 を行 っ た の は 彼 女 が 始 め て で あ る。 こ の 点 に つ い て サ マ ス キル は 自叙 伝 で 以 下 の よ うに語 っ.
(14) てい る。. 1924年 、 私 が 医 師 資 格 を 獲 得 し た と き 、 私 は 『エ デ ィ ス ・サ マ ス キ ル 』 と し て 医 師 登 録 を 行 っ た 。 こ の 記 録 は 私 が 結 婚 し た 後 も そ の ま ま で あ り 、 選 挙 管 理 官 と 飽 き 飽 きす る よ うな 議 論 を 何 回 か 交 わ し た の ち 、 こ の 名 前 で 立 候 補 した 。 候 補 者 が 世 間 に 知 ら れ て い る 名 前 で 選 挙 に 出馬 す る こ と は認 め られ て い た の で 、 私 の この 行 動 も 全 く法 に か な っ た も のだ った。 しか し 、 私 が 当 選 し た と き 、 既 婚 女 性 と し て の 私 が 旧 姓 で 議 員 と な れ る か 否 か に つ い て 疑 問 が 非 公 式 的 に 提 起 され た。 旧姓 で 議 員 に な ろ うと した の は 私 が 始 め て で あ るの で 、 前例 が なか った。 … … 法 律 家 が 頼 り とす る法 律 も規 則 もな か っ た し、 慣 習 も ほ とん どな か っ た 。 ・ 一 ・ 表 に 出 な い ま ま 、 偏 見 で ス タ ッ フ ォ ー ド ・ク リ ッ プ ス に こ の 問 題 を 私 に ぶ つ け る よ う要 求 して い る 人 々 が い た が 、 私 は ク リ ッ プ ス に 次 の よ うに 考 え る よ う助 言 し た 。 私 は 彼 に も し私 が 、 エ デ ィ ス ・サ マ ス キ ル 以 外 の 名 前 で 死 亡 証 明 書 に 署 名 した ら 、 そ の 証 明 書 は 無 効 か と 聞 い た 。 彼 は そ うだ ろ う と認 め た 。 「も し 、 医 師 会 が 、 結 婚 し た 後 も 姓 を 変 え る こ と な く 、 私 が 高 度 の 責 任 感 を 必 要 と す る 専 門 職 を 遂 行 す る 資 格 が あ る と認 め て い る の に 、 ど う し て 議 会 は 頑 固 に 反 対 す る の か し ら 」 と 私 は ク リ ッ プ ス に い っ た 。 こ れ で こ の 問 題 に 決 着 が つ き 、 ス タ ッ プ ォ ー ド ・ク リ ッ プ ス は そ れ 以 上 何 も 説 明 す る こ と は な か っ た61。. 自身 の職 業 的 ア イ デ ン テ ィテ ィ につ い て こ の よ うな 見 解 を持 っ て い た サ マ ス キル は 、 どの よ う な 公 的 領 域 で 活 躍 し 、 ど の よ う な 考 え を 持 っ た フ ェ ミ ニ ス トだ っ た の だ ろ う か 。 サ マ ス キ ル は 1901年 開 業 医 の 娘 と し て ロ ン ド ン の ブ ル ー ム ズ ベ リ で 生 ま れ た 。 自叙 伝 か ら は 父 の 影 響 が 強 か っ た こ と が う か が わ れ る 。 父 の ウ ィ リ ア ム ・サ マ ス キ ル は 、1905年. に当時家 族 が住ん でいたエセ ッ. ク ス 州 の イ ル フ ォ ー ドか ら 州 議 会 選 挙 に 立 候 補 し落 選 し た 。 グ ラ ッ ドス トン の 熱 烈 な 崇 拝 者 だ っ た ウ ィ リ ア ム は 、 州 議 会 選 挙 に は 無 所 属 で 立 候 補 し 、 唯 一 の 公 約 は 衛 生 行 政 の 推 進 だ っ た62。 サ マ ス キ ル の 自叙 伝 に お け る父 の 記 述 は 、 不 衛 生 や 無 知 に よ る 妊 産 婦 や 乳 幼 児 の 病 気 、 死 亡 へ の ウ ィ リア ム の 怒 り を 多 く 描 い て い る 。 ま た サ マ ス キ ル は 子 ど も 時 代 父 の 往 診 に つ い て い き 、 こ う し た 実 態 を 見 て い る。 これ は後 に 医 師 と して母 子 福 祉 や 女 性 の 健 康 につ い て 多 く の発 言 をす る こ と に な る サ マ ス キ ル の 関 心 に つ な が っ て い く。 サ マ ス キ ル は ま た 、 自 ら の フ ェ ミ ニ ズ ム の 原 点 を 家 庭 に 、 しか し母 で は な く 父 に 求 め て い る 。 サ マ ス キ ル は1918年. に ロ ン ドン 大 学 に 入 学 し 、 そ の 後. チ ャ ー リ ン グ ・ク ロ ス 病 院 で 医 師 と し て の 訓 練 を 受 け 、24年 に 医 師 の 資 格 を 得 た 。25年 に 医 師 で あ る ジ ェ フ リー ・サ ミ ュ エ ル と 結 婚 し 、 男 女 一 人 ず つ 子 ど も を 授 か っ た 。 サ マ ス キ ル が 政 治 の 世 界 に 入 っ た の は1933年. 、 母 性 お よ び 児 童 福 祉 委 員 会 の 委 員 を 引 き受 け と.
(15) で あ る。 翌34年 ミ ドル セ ッ ク ス の 州 議 会 議 員 に 初 当 選 した 。 サ マ ス キル は 自身 を生 粋 の 労働 党 支 持 者 と して い る。34年11月 ロ ン ドン 南 部 の パ ッ トニ 選 挙 区 の 補 選 に 労 働 党 候 補 と して 立 候 補 し、 約2500票 差 で 敗 北 した 。 た だ 、 この 地 域 は 保 守 党 が 圧 倒 的 に優 位 で 第1次 世 界 大 戦 後 か ら1945年 まで 行 わ れ た10回 の 選 挙(1945年. 総 選 挙 を 含 む;現 職 議 員 死 亡 に よ る 補 欠 選 挙 が2回 行 わ れ て い. る)の す べ て に お い て 、保 守 党 候 補 者 が 勝 利 した63。 つ い で35年 総 選 挙 で 、 バ リー 選 挙 区 で 立 候 補 した 。 地 元 の 選 挙 区 労 働 党 か ら の 要 請 に こた え た もの で あ っ た 。 自叙 伝 で は 「 バ リー で労 働 党 が 勝 利 す る 可能 性 が か な り高 か っ た 」64と 述 べ てい る も の の 、 実 際 に は バ リー 選 挙 区 は 第1次 世 界 大 戦 後 一 貫 して 保 守 党 候 補 者 が 勝 利 して い た65。 こ こ で サ マ ス キ ル は 医 師 と して の 自 らの 信 念 と選 挙 区 の 社 会 的 独 自性 とが 鋭 く対 立す る場 面 を経 験 す る。 こ の 地 域 に は19世 紀 中 ご ろ か ら ア イ ル ラ ン ド出身 の 移 民 が 多 く流 入 した 。 そ の 結 果 、 地 域 社 会 で の カ ソ リ ッ ク教 会 の 影 響 力 は 無 視 で き な か っ た。 一 方 、 サ マ ス キ ル は 、 「 近代 的 な若 い 医 師 と して … 、 経 済 的 、 社 会 的 そ して 人 道 的 な 見 地 か ら家 族 計 画 に 賛 成 して い た 」66。 選 挙戦 の後 半 、 サ マ ス キ ル は 地 元 カ トリ ッ ク教 会 の 代 表 と称 す る4人 の 聖 職 者 か ら、 今 後 い か な る 女性 に も 産 児制 限 の 方 法 を 教 え な い と約 束 す れ ば 、 次 の 日曜 日に 教 会 で 信 者 に彼 女 に 投 票 す る よ う呼 び か ける、 とい う 「 取 引 」 を持 ち か け た。 彼 らは そ の 得 票 を お よそ5000票 と 見積 も っ た 。 聖職 者 側 も 労 働 者 階 級 の 信 者 が 労 働 党 の 政 策 お よ び サ マ ス キ ル に魅 力 を感 じて い る こ と を無 視 で き な か っ た。 こ の 申 し出 は サ マ ス キル に よ っ て 拒 絶 され た。 投 票 の結 果 、 お よそ5600票 差 で サ マ ス キ ル は 落 選 した67。サ マ ス キ ル は ロ ン ドン に 戻 り、34年 に 善 戦 した パ ッ トニ 選 挙 区 に 隣 接 す る プ ラ ム ・ウ ェ ス ト選 挙 区 で1938年 行 わ れ た 補 欠 選 挙 に 立 候 補 し、 お よそ1500票 差 で 当選 す る。 す で に 見 た よ うに サ マ ス キル の 主 要 な 関 心 の ひ とつ は 女 性 と子 ど もの 健 康 や 母 子 福 祉 に あ り、 彼 女 は こ の 問 題 に 医 者 とい う専 門 家 と して の 立 場 か らア プ ロー チ す る こ と を 自 らの 使 命 の 一 っ と 考 え て い た。 サ マ ス キ ル が 労 働 党 に 加 入 し議 員 とな る原 点 も、20一30年 代 に 診 察 室 で長 期 に わ た る貧 困 と飢 餓 が 家 族 に 与 え る 影 響 を 医 師 と して 診 察 し、 広 範 に拡 大 した 失 業 を 効 率 的 に 解 消 で き るの は 国 家 に よ る 計 画 経 済 だ け と考 え た こ と、 そ して そ の 政 治 主 体 は 労 働 党 だ と考 え た こ とだ っ た 、 と 自叙 伝 に あ る68。彼 女 は 、 議 員 に 当 選 直 後 か ら、 癌 や 結 核 に 関 す る 法 案 の 審 議 の 中 で 女 性 、 特 に貧 困 な 家 庭 の 主 婦 の 立 場 に 立 っ た 議 論 を 展 開 した 。 た と え ば 、 貧 しい 世 帯 の 主 婦 た ち が 経 済 的 な 問 題 の た め に症 状 に 気 づ きな が ら も病 院 に い く こ と を た め ら い 、 病 状 を悪 化 させ る こ とや 、 ウェ ー ル ズの 貧 困 世 帯 の 主 婦 へ の 表 面的 な 批 判(食 事 に 缶 詰 を 多 用 す る の で 家 族 の 栄 養 状 態 が 悪 い)へ の反 論 な どで あ る69。彼 女 は 戦 間 期 に お け る も っ と も 有 名 な産 児 制 限 の 運 動 家 で あ っ た マ リー ・ス トー プ ス の 業 績 を 高 く評 価 して い た 。 た だ し、 ス トー プ ス の 人 格 に つ い て は 、 理 解 は す る もの の あ る種 の 付 き合 い に く さ も感 じて い た よ うで あ る70。 ミ ドル セ ック ス の 州 議 会 の 選 挙 運 動 中 に 男 性 か ら示 され た 「 同 一 賃 金 」 の 原 則 へ の 反 感 ・無 関 心 に つ い て批 判 的 な 目を 向 け た 。 第2次 世 界 大 戦 が始 ま る と、 当 時 民 間 防 衛 な どに よ る 死 傷 に た い す る国 家 補 償 額 が 男 女 で異 な つ て い る こ とが 大 き な 問 題 とな っ た 。 サ マ ス キ ル は1942年3月. に.
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