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小学校国語科教育における文学教材の学習指導に関する研究 : 「読みの『方略』」を観点にして

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(1)平成十四年度 兵庫教育大学大学院学位論文. 小学校国語科教育における文学教材の学習指導に関する研究       ﹁読みの﹃方略﹄﹂を観点にして i. 教科・領域教育専攻. 言語系︵国語︶コース. MO一一四五E 窪田準子.

(2) 次. ● 1⊥. 目 はじめに. ● −. 求められる文学教材の学習指導  文学教材の学習指導が有する意味・・・・・・・・・・・⋮  ﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念・・・・・・・・・・・・・・⋮  ﹁読みの﹃方略﹄﹂の有効性 ・・・・・・・・・・・・・⋮. 序章 ・・. 第二章.  第一節.    1 学力観の観点から ・・・・・・・・・・・・・⋮    2 授業論の観点から ・・・・・・・・・・・・・⋮ ﹁読みの﹃方略﹄﹂の内実 ・・・・・・・・・・・・・・・⋮.  先行研究から導出される﹁読みの﹃方略﹄﹂の要件・・・⋮    1 着眼点としての﹁方略﹂のあり方 ・・・・・・⋮    2 思考方法・思考活動としての﹁方略﹂のあり方・⋮    3 利用目的とその着眼点及び思考活動が示される﹁方略﹂ のあり方    4 関係づけを重視した﹁方略﹂のあり方 ・・・・⋮ 試案による授業実践から導出される要件 ・・・・・・・・⋮ ﹁読みの﹃方略﹄﹂の措定・・・・・・・・・・・・・・・⋮ 措定した﹁読みの﹃方略﹄﹂の有効性  ・・・・・・・・・⋮. ・ Q︶. ・ 6. 。 00. 3. 40302823 18 16 14 1414 11 9.    第 第第第一 三石皿章 節節節⊥ 第第第 四三二 節節節.

(3) 第三章. 第一節. 第二節 第三節. 結章. ﹁読みの﹃方略﹄﹂を意識した授業の実際 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⋮45.  試案による授業実践 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⋮ 45   1 授業の概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⋮46   2 試行授業の考察  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⋮49  ﹁読みの﹃方略﹄﹂を意識化させる段階的な指導.     兵庫教育大学附属小学校 服部英雄教諭の実践から ・・・・・・・・・⋮52  ﹁読みの﹃方略﹄﹂の有効性を吟味させる指導.     河野順子著﹃学びを紡ぐ共同体としての国語教室づくり﹄から・・・・・⋮56 ﹁読みの﹃方略﹄﹂を観点とした年間指導計画の構想  ・・・・・・・・・・・・・⋮59. 年間指導計画の構想意図  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⋮59.  ﹁読みの﹃方略﹄﹂を観点とした年間指導計画案 ・・・・・・・・・・・・・・・⋮63  ﹁読みの﹃方略﹄﹂を観点とした授業構想案・・・・・・・・・・・・・・・・・⋮68   1 初読を振り返り、読み取りの変容を明らかにすることで、               ﹁方略﹂の有効性を意識させる授業  ・・・・・・・⋮68   2 読み進めながらモニタリングすることで、               ﹁方略﹂の有効性を意識させる授業  ・・・・・・・⋮69.   3 既習の﹁方略﹂を想起し、意図的に活用する授業  ・・・・・・・・・・⋮72   4 学習者個々が意識的・意図的に﹁方略﹂を活用する授業 ・・・・・・・⋮74 研究の成果と今後の課題. 76.    第 第第第四 三ニー章 節節節.

(4) はじめに.  教室という学び合いの場で、文学教材をどのように用い、何を指導すればよいのだろうか、という問いを持ち 続けてきた。.  文学教材は、作者が、自分の思いや感動、伝えたいことなどを、ある事件や情景に込めて表現した文章である。 象徴やレトリックなどの様々な表現技法が駆使され、いわば、 ﹁ことばの多義性﹂を活用して創り出された文章 と言うことができる。さらに、語り手︵話者︶の視点から、虚構の世界が語られていく。それゆえ、一般論とし て、読み手︵学習者︶には、作者と対峙しようとする意識が生まれにくい。読み手︵学習者︶は、作者が意図的 に作品に仕掛けた﹁読者を誘導する物語技法﹂に誘われて、虚構世界に入り込んでいく。焦点人物に寄り添う者. もいれば、焦点人物一に相対する立場を取る者もいる。中には、虚構世界に入り込まずに、客観的に作品を見よ うとする読み手︵学習者︶もいる。何の制約も受けずに自由に文学教材を読むときには、読み手︵学習者︶は様々 な立場をとっている。. 一月の教課審﹁中間まとめ﹂において﹁詳細な読解に.  学習の対象が﹁多義性の大きいことば﹂であることに加えて、読み手︵学習者︶の文章へのかかわり方も多様 であれば、学び合いの場において、読み手︵学習者︶が互いの解釈を理解し合うことは難しくなる。しかし、こ の、かかわり方の違いが生じる点こそを文学教材の学習指導に利用すべきであろうと考えて、学習者を共通の視 点に立たせるといった制約を、学習活動のどこに、どのように差し込んでいけばよいかに悩んできた。これらの 問題は、文学教材で指導すべきことを明確に把握していないことに起因するのではないかと考えた。学習指導を 重ねる中で重くの七かかってきたこの問いを研究の出発点とすることにした。. 序章  一九九六年七月の中教審第一次答申および一九九七年一. 1.

(5) 偏りがちであった﹂という指摘を受けて以来、文学教材の学習指導の意味やあり方が問い直されている。  子どもたちが集い、学び合う教室という場において、文学教材の学習指導が行われる意味は何なのか、文学教 材の学習指導をどのように行っていけばよいのだろうか、という漠然とした問いを、本論文ではより明確な問い にするために、山元隆春が論ずる﹁読みの﹃方略﹄﹂という概念に着目した。この﹁読みの﹃方略﹄﹂という概 念に注目すれば、教室という学び合いの場を生かした文学教材の学習指導が構想できるのではないかという見通 しを立てたのである。文学作品を教材とした学習において身につけさせたい内容︵以下、 ﹁指導事項﹂とする︶ を明確にし、具体的な学習指導を構想していくことを本論文の目的とした。  第一章では、文学教材の学習指導の意義を諸氏の提言に基づいて考察した。山元隆春・間瀬茂夫が論ずる﹁読 みの﹃方略﹄﹂の概念を、目標とする文学教材の学習指導の方向性と照らし合わせて考察し、その上で、本論文 における﹁読みの﹃方略﹄﹂を定義した。  第二章では、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の内実を明らかにするために、文学作品の学習における﹁指導事項﹂という 観点かち先行研究及び試案による授業実践を検討した。その上で、﹁読みの﹃方略﹄﹂の要件を導出し措定した。  第三章では、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂を意識した学習指導の実践例を取り上げ、学習指導のあり方について考察し た。それを踏まえて、授業構想を行っていく際の留意点を明らかにした。  この第三章の考察を受けて、第四章においては、小学校国語科における文学教材の学習指導の年間指導計画を 構想した。.  なお、引用文中の傍線・省略については、特に断りがない限り引用者によるものであり、 ⋮は段落途中からの 引用であることを示している。引用文献・参考文献の出版年は西暦で統一している。また、 本論文で取り上げた 人物については、失礼ながら敬称を略させていただいた。. 2.

(6) 川口喬一/岡本靖正編﹃最新文学批評用語辞典﹄ ︵研究社出版 一九九八年人月十日︶=二九頁﹁焦点人物﹂ の項には、 ﹁語りの焦点︵視点︶になる人物。語り手と同一とは限らない。﹂と説明されている。. 第一章  求められる文学教材の学習指導.  本章では、文学教材の学習指導の意義に関する様々な見解を整理する。目指すべき文学教材の学習指導の方向 性を明確にし、それを構想する際の観点として﹁読みの﹃方略﹄﹂を取り上げることの有効性について述べる。. 第一節 文学教材の学習指導が有する意味.  大槻和夫︵bgOO鱒︶は、﹁文学教育﹂の現状を捉えて、次のようにまとめている。    ⋮﹁文学教育﹂に対する風当たりが強くなり、﹁文学教育﹂排除論さえ出されている。新学習指導要領では、.    国語の授業時間数が削減された上、その少なくなった国語の授業では、実際の言語生活に必要な国語力の.    育成が主要課題とされ、﹁文学教育﹂の影はますます薄くなった。一 大槻和夫が指摘しているように、教育現場における文学教材の学習指導には変化が起こっている。例えば、光村 図書六年生の教科書では、文学教材の数や指導配当時間が削減されている。移項措置期間に用いられた平成十二. 年発行のものでは、 一一教材に六一時間が当てられていたが、新指導要領を受けた平成十四年発行のものでは、. 九教材に四六時間の配当となった。削減された時数は、新たに、 ﹁伝えたい﹃何か﹄を見つけよう︵総合︶﹂ ﹁ガ. イドブックを作ろう﹂といった、調べたことをもとに自分の考えを発信する学習に割かれている。  文学教材の学習指導に見られる変化は、その単元構成にも認められる。平成十二年発行のものでは、 ﹁豊かに. 3.

(7) 想像して﹂という単元名のもとに﹁やまなし﹂ ︵宮沢賢治︶が中心教材として掲載されていたものが、平成十四. 年発行のものでは、 ﹁作品と出会う、作者と出会う﹂という単元として改編された。 ﹁イーハトーブの夢﹂とい う宮沢賢治の伝記と、 ﹁やまなし﹂が並立する単元構成になっている。以前は﹁やまなし﹂という一作品をじっ. くり読み味わうことに重点を置いていたのに対し、読書活動や発表会といった発展的な活動を組み込むという編 集意図の推移が窺える。このような変化は授業実践にも大きな影響を与えよう。多読に開いたり、 ﹁話すこと・ 聞くこと﹂ ﹁書くこと﹂ ﹁読むこと﹂を総合的に扱ったりする単元構成は価値あるものである。しかし、この改 編の背景には、 ﹁詳細な読解に偏りがちであった﹂という指摘に伴い、一教材に多くの時間を費やすことを避け ようとする意識があることが窺える。  大槻和夫は、先の引用部分に続けて、 ﹁﹃文学教育﹄再構築の可能性﹂を探り、次のように論じている。    ⋮それぞれの過去や経験を背負い、物の見方や考え方・感じ方を持ち、ある状況の中にいて、生活的文脈.    のもとに、はっきりとは意識しないまでも何らかの問いを抱えて作品に立ち向かっている。それに応じて、.    作品の語りかけに対する応答も異なってくる。 ︵中略︶この﹁私にとっての意味﹂を、私は﹁意味づけ﹂.    ないし﹁価値づけ﹂と呼んでおきたい。二 大槻和夫は、﹁意味づけ﹂の行為、および、その交流による﹁学びの土ハ同体﹂へ可能性を見出しているのである。大. 槻和夫の論は、教室という場で、一つの文学作品を教材として学び合う意義を示していると捉えられる。  ﹁文学体験﹂の価値を説く論は多く、またその重要性は多くの人が認めるところのものである。その代表とし ては、浜本純逸︵同⑩刈Q。︶の論が挙げられる。.    ⋮虚構の世界は日常生活を超えることができるがゆえに事実以上の“真実”の世界を構築している。読者    は、いたずらに時間が過ぎていく散漫な日常生活に対して、文学作品との出会いにおいては凝縮された    “真実”の世界に生きる。この真実に近づく充実感が感動を生むのである。そこに文学のおもしろさがあ. 4.

(8)    る。虚構の世界に転生して真実に触れた読者は、その思いをもって自己を見なおしたり自己を取り巻く状    況を見つめなおしたりする。虚構の世界に転生することによって、自己および周りの状況に対する批判の.    拠点を獲得するのである。三 文学教材の作品世界に浸り、登場人物になりきって=均一憂すること。状況を我が事として受け止め、どのよう に行動すべきか悩むこと。これぢ文学体験は、学習者の全人的な成長を促す学習である。  先の大槻和夫の論は、この個の営みである文学体験が、教室という場で行われることに意義を見出したもので ある。教室という場で同じ作品を読み、感想を交流し合うからこそ、自分の捉え方が相対化される。このとき学. 習者は、自分自身と向かい合い、自分自身を認識することができる。大槻和夫や浜本純逸の所論は、 ﹁心の教育﹂ が叫ばれる昨今、重要視されるべきものと考える。本論文においても、文学教材の学習指導のあり方を検討して いく際の基本姿勢として掲げたい。  しかし、そのための指導のあり方が、次なる問題として浮上してくる。教室の子どもたちを、﹁文学作品との. 出会いにおいて﹂﹁凝縮された“真実”の世界に生きる﹂ことのできる読み手にするためには、その基盤として、文. 学作品に描かれていることがらを読み取るカが必要になろう。また、 ﹁場づくり﹂ ︵学習環境を整えたり、学習. の目的を明確にするなどして意欲化を図る指導︶も工夫されなければならないであろう。.  深川明子︵H⑩o。“︶は、文学教育の意義を浜本純逸と同じ視点から捉えた上で、さらに、指導のあり方について、 次のように論じている。.    ⋮文学教材は、学習者に情報、つまり、素材を提供してくれている。これは、すべての学習者に情報、つ    まり、素材が等しく提供されているということである。その素材を構成する能力は学習者自身の問題であ    る。文学教材を豊かに読むということ、つまり、教材と学習者の相互作用によって、どれだけ豊かなイメ    ージを形成するかは、学習者の力量である。とすると、文学教材の読みの授業においては、そういう想像. 5.

(9)    力を学習者につけてやる必要がある。そういう分析・選択・総合の技能を習得させてやる必要がある。四 この深川明子の論において注目したいことは、ことばに着目し、それらを関連付けて意味構築を図っていく学力 の重要性を説いている点である。文学教材の学習指導がもたらす価値は、大槻和夫や浜本純逸の所論に見られる ように、人間形成に与する部分までに及ぶものであると考える。その前提に立った上で、この深川明子の論述を、 本論文の基調としたい。学習者の人間形成に与するという大きな目標の達成のために、まずは、文学教材のこと ばや表現技法に着目し、多角的な視点から意味構築する能力の育成を目指したい。また、本論文において重視し. ている点は、教室という学び合いの場での学習指導の構想である。学習者が集い合い、同じ教材を学習すること の価値を明らかにしたい。そこで、本論文では、﹁読みの﹃方略﹄﹂という概念に注目し、観点として据えること にした。目標とする文学教材の学習指導を実現するために、有効な方策となり得ると考えている。 第二箇  ﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念.  ﹁読みの﹃方略﹄﹂という用語は、山元隆春の所論に拠っている。山元隆春︵お逡︶は、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂ を、 ﹁学習者がテクストに基づいた意味構築のために行う意識的・意図的な一連の行動を指すもの﹂とし、それ を﹁﹃スキル﹄概念﹂と明確に分けて、次のように説明している。    ・﹁スキル﹂概念は、あくまでも読みの対象を認知する能力を指す概念であった。読むことの研究の進展    に伴って、読みの能力は、必ずしもテクストの表現や内容を直接認知する側面だけに限られたものではな    いことが認識されてきたのである。読みの能力は、テクストの表現や内容をとらえるだけでなく、そのよ    うな読み手自身の行動についての知識や認識を読み手が持つことができるかどうかということにまで関わ    ってくるものとして捉えられるようになってきた。五. 山元隆春は、℃霞一9壽の罫律ぎ曇霞の定義六に従い、 ﹁読みの﹃方略﹄に関する基礎論の検討﹂を進めている。. 6.

(10) 山元隆春によって紹介されている、℃。。議了。。﹄。・。・島流ぎ窓忠の定義を引用する。.    スキル目書記素と音素とを照応させるとか、物語を要約するとかといったレベルでの自動的な情報処理技        法のこと。専門技術であるとか、繰り返された技術であるとか、指示に従順に従うとか、あるい        は運よくとか素朴な使用といった、様々な理由で無意識のうちにテクストに適用される。    方略 11ある目標を達成するために慎重に選ばれた行動である。スキルが意図を以って︵ママ︶用いられた        揚合にそれが方略となる。  また、間瀬茂夫︵お¢ω︶は、 門方略的読み﹂をスキル学習と比較して、次のように説明している。    ⋮従来のスキルを強調する指導は﹁形式主義﹂として批判されてきたが、それはスキルの指導が個々のス    キルを別々に切り離した形で行われていた点、また、スキル自体が文章の内容や意味を考慮せず文章の表.    現形式によってのみとらえられていた点に問題があった。それに対して﹁方略的読み﹂は、文章理解過程    の全体を通して行われるものであり、その意識性によって、客観的に取り出して検討することができるも.    のであると同時に、その有効性については読み手が納得して用いるものである。七 山元隆春・間瀬茂夫両者ともが強調しているように、 ﹁意味構築のために行う意識的・意図的な一連の行動﹂と いう点が﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念の特長である。.  また、﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念は、門読み方レという行為を対象としているという点から捉えれば、一つの﹁学び. 方学習﹂を指向するものである。従来の﹁学び方学習﹂への批判として、柴田義松︵NOO一︶は次のように論じている。.    ⋮わが国ではとかく自主的学び手を育てることに重点をおいた内容抜きの学び方学習が強調されるきら    いがある。 ︵中略︶学び方学習において情動的側面、いいかえれば主体的側面の指導を無視することは確    かにできない。しかし、これからの学び方研究において、われわれがより重視すべきは、教科・教材の内    容やその系統性に即した学び方指導のあり方であろう。八. 7.

(11) ﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念は、この柴田義松が指摘する﹁教科・教材の内容やその系統性に即した学び方指導﹂を. 指向するものといえる。 ﹁読みの﹃方略﹄﹂は、文学教材の有するストラテジーを意識し、それらを対象とする 読みの技術を包含する概念である。山元隆春は、 ﹁﹃方略﹄という概念は主体の側の行動目標に強く結びついた. ものである﹂としながらも、﹁テグストの構造﹂との関係について次のように論じている。    ⋮読みの﹁方略﹂は、テクストの属性と密接に関連していると言ってよい。むしろ、テクストの構造によっ.    て、その読み行為において支配的︵鷲Φ傷。ヨぎ⇔暮Vな﹁方略﹂は変わっていくと考える方が妥当である。九. 教材とするテクストの内容と密接な関連を持つ﹁読みの﹃方略﹄﹂を意識し、教材配列を検討していけば、 ﹁系. 統性に即した学び方指導﹂も可能になると考える。  ここで、 ﹁学び方学習﹂という視点に立ったときに、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念に近いものとして、 ﹁学習の. 手引き﹂が想起されよう。 ﹁学習の手引き﹂には、指導者が有効と判断した学習の進め方に即して、活動のあり. 方が具体的に示されている。学習者の個別学習が円滑に進められることをねらった、いわば、着眼点や取り組み. 方のヒント集と言える。 ﹁学習の手引き﹂と﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念とは、学習者個々の取り組みを重視し、 学習行為を支援するという点では共通している。しかし、 ﹁学習の手引き﹂は、指導者が学習の方向性を定めて いるのに対し、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念は、あくまで学習者が学習の方向性を決めていくという点で大きく異 なっている。 ﹁読みの﹃方略﹄﹂を用いる学習者は、自らの判断に基づいて﹁方略﹂を選択し、使ってみて、そ の結果を振り返り、場合によってはまた違った﹁方略﹂を選び直していく。時には、試行錯誤も伴う主体的な取. り組みの過程で、 ﹁学び方﹂を身につけ、習熟していくという点に、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の意義はある。  また、既習の﹁方略﹂を十分に活用できないような教材と出会った際には、既習の﹁方略﹂を組み合わせたり、 それらを応用して新たな﹃方略﹂を創造したりする能力の育成までを求めている点も、 ﹃読みの﹃方略﹄﹂の概 念の特徴と捉えている。. 8.

(12)  この﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念に相通ずるものとして、堀江祐爾が論じる﹁アメリカの文学を核にした国語科 指導﹂ ︵一〇⑩幽︶に注目しておきたい。堀江祐爾は、アメリカにおいて一九八○年代から重視されてきた﹁︿文学 を核とした指導﹀﹂に注目し、それが﹁求める変化﹂を次の三点にまとめている。一〇    ω﹁基礎読本の指導﹂から﹁文学、つまり、分断されていない、自己完結した、意味世界をしっかりと構     築できる作品・書物を核にした指導﹂への変化    ②﹁管理者﹂としての立場から﹁支援者、ガイド役﹂への教師の姿勢・立場の変化    ㈲学習の﹁結果﹂ではなく﹁過程﹂を重視することへの変化. また、堀江祐爾は、 ﹁O巳α①瓢論陣ぎσq︵教師が導く読みの学習活動︶﹂の全体像を明らかにし、考察を加えてい. る。=学習者自身に自分の学習状況を把握させ、学習の進め方を考えさせる指導が、小学校低学年から行われ. ていて示唆に富む。堀江祐爾の所論においては、学習過程全体が対象とされており、さらに、学習者が意味世界 を構築していく過程が重要視されている点を強調しておきたい。 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念を文学教材の学習指 導のあり方に具現化していく上で、有効な示唆を与えてくれるものである。 第三節  ﹁読みの﹃方略﹄﹂の有効性 一 学力観の観点から  安藤修平︵b。OO同︶は、 ﹁学び方﹂育成の問題点として、次の三点を指摘している。.    まず第一にh教師の意識が変わらない︵正確に言えば﹁変えられない﹂︶という問題がある。 ﹁大造じい    さんとガン﹂で﹁小説の読み方﹂を学習させるのではなく、あくまで﹁大造じいさんとガン﹂を教えよう.    とする。 ﹁内容主義﹂の学習である。 ﹁で﹂でなくて﹁を﹂なのだ。一二 安藤修平は、作品主義から脱却できない教師の意識の次に、第二の問題点として、 ﹁生徒の方も主体的に学習す. 9.

(13) るよりも教師に導かれた方が楽である﹂という学習者側の意識を取り上げる。さらに、第三の問題点として、﹁学 び方﹂が明確ではない点を指摘する。    ⋮ひとつひとつの学習事項が﹁学び方﹂を持たない限り、学習過程が生きないからであろう。このひとつ    ひとつの学習事項の﹁学び方﹂が作られない限り本当の意味での﹁学び方﹂は成立しないというのが私の.    考えである。 ︵中略︶例えば﹁情景の読み方﹂け﹁学び方﹂ができたとしても、そのことによって読みが.    深まったという自覚がなければそれはまた何の意味ももたないことになる。一三 安藤修平の指摘は、作品主義から脱却するための決定的な方策を持ち得ず、教師主導型の授業が行われている現. 状を明らかにしている。さらに、 ﹁学び方﹂を明確にするだけではなく、学習者の自覚的活用までを請け負う方. 策の必要性を要請したものと受け取れる。  ﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念は、この安藤修平の要請に応える方策になり得ると考えている。 ﹁方略的読み﹂に. よって、 ﹁前の学習ではこういう﹃読み方﹄をして有効だσたから、この作品でも使ってみよう﹂という意識を 学習者が持つことができれば、学力が身につき、その転移が図れたということになる。 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の内 実が明確になれば、文学教材の学習指導で培うべき学力が明確になり、系統性を持った指導計画が可能になる。 そして、このことは、評価の観点も明確にする。 ﹁方略的読み﹂は、学習者が的確な自己評価を行うことによっ て、 ﹁方略﹂の定着が図られるものである。 ﹁読みの﹃方略﹄﹂を評価の観点として活用することで、指導者も 学習者も形成的評価を積み重ねていくことが可能になると考えている。  また、 門読みの﹃方略﹄﹂の概念を文学教材の学習指導に導入するためには、学習者主体の授業構想が必要に なる。自らが読みの方向性を決定し、その方法を振り返って、効果を検討する﹁方略的読み﹂では、学習者個々 の取り組みに重きが置かれることになる。学習者は、他人を頼ってはいられなくなる。学習者の主体的取り組み を促す指導者の手立てと相侯って、学習者側の意識も変わっていくことが期待できる。. 10.

(14) 二 授業論の観点から.  ﹁読みの﹃方略﹄﹂は、教室における学習指導という場において﹁共通のコード﹂一四としての役割を担うこともで きる。文学教材の学習指導においては、学習者個々の解釈や想像を大切にすることは大前提だが、恣意的な読み に陥ってしまうようでは学習指導としての意味がなくなってしまう。そこで、学習者個々の解釈や想像の妥当性 を検討する場が必要になる。ただし、その検討の対象とするべきことが、 ﹁僕はこう解釈した﹂ ﹁私はこう想像 した﹂という結論だけでは、学習者同士が理解し合うには限界があり、相互交流による深まりは期待できない。. 自分とは異なる捉え方を示されても、 ﹁ああ、そうなの。でも、私は、違う。﹂という相違点の確認だけで終わ ってしまいかねない。一つのことばから受ける感覚や、一つの文章から想い描く様子は、学習者個々の生まれ育 つた環境やそれまでに積み重ねてきた経験によって異なるものである。それらは一つに収敏するものではなく、. まして、正しいかどうかといった検討などできるものではない。しかし、結論ではなく、 ﹁なぜその結論に至っ たのか﹂という過程、言い換えれば、文章への迫り方ならば、検討が可能になる。 ﹁このことばとこのことばを 関係づけてこのように考えた﹂といったことばへの着眼の仕方や関係づけ方を理解すれば、相手が組み立てたイ. メージを受け取り手なりに再生することができる。 ﹁読みの﹃方略﹄﹂は、単に﹁読みの技術﹂として機能する だけではなく、学び合いの場において、互いの解釈を理解し合うための﹁共通のコード﹂となる点に意義がある と考える。.  本論文は、従来の読解指導の成果を無視するものではない。その成果を認めた上で、誤解を招きやすい表現で はあるが、・﹁内容知﹂と﹁方法知﹂という二項対立的な考え方に立てば、 ﹁方法知﹂の側面をより重要視する立 場から文学教材の学習指導を検討するものである。先に取り上げた山元隆春の論ずる﹁読みの﹃方略﹄﹂の概念 に依拠し、さらに、学び方学習の視点も加味して、本論文における﹁読みの﹃方略﹄﹂を次のように定義する。. 11.

(15) 作者が意図的に作品に仕組んだ﹁読者を誘導する物語技法﹂に着目し、多角的な視点から意味構築を図っ. ていくための﹁方法的能力﹂一五であり、学習者が課題解決を行う上での有効性が評価の基準となるもの.  本論文では、文学教材の学習指導を構想する上で、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂を観点に据える有効性を次の四点に見 出すべく、検討を進めていく。    一 文学教材の学習指導で培うべき学力が明確になる。    二 培うべき学力の系統性を踏まえた学習指導のあり方が明確になる。    三 学習者主体の学習指導のあり方を明確にする。    四 教室という集団学習の場の特異性を有効に活用する指導のあり方を見出すことができる。. 六ぽ二。。鴇。。﹄こ壽。。量じ・﹀卿ぎ毎Φびい。︵一り⑩一︶↓ぎ。・・巴。器暮。h。・再g①σ・ざ智巴霞。。鴇ぎ切。・冥⑦d.。・一︵・民ω.︶.  大槻和夫  ﹁﹃文学教育﹄再構築の可能性をさぐる﹂              日本文学協会  ﹃日本文学﹄第五︸集︵二〇〇二年八月十日︶一頁 二注一に同じ 六頁 三浜本白樺 ﹁文学の本質・言語文化﹂︵熊沢龍・中西昇・野地潤家編著﹃中学校高等学校国語科教育法﹄桜楓社   九七三年一月︷五日所収︶引用は﹃文学を学ぶ・文学で学ぶ﹄ ︵東洋館出版︷九九六年八月二十日︶二二頁 四深川明子﹃イメージを育てる読み﹄ ︵明治図書 一九人七年九月︶ 一九頁 五山元隆春﹁読みの﹃方略﹄に関する基礎論の検討﹂            ﹃広島大学学校教育学部紀要﹄第−部、第一六巻 一九九四年 三〇頁. 七間瀬茂夫﹁文章理解過程から見た国語学カモデルの構想一説明室文章の読みの学力を中心に﹂.  二Ω。aσooズoh閃$a5σq閃。ω①鎚〇三ぎ一﹄︶ト呂σq霧pOPO8よき. 12.

(16)   堀江祐爾﹁アメリカ合衆国における読むことの学習指導iO=監Φα幻Φ。。島コσqを中心に一﹂ ﹃全国大学国語教育.            第八四回全国大学国語教育学会 自由研究発表資料 一九九三年八月六日 八 柴田義松 ﹁﹃読み方﹄の授業で﹃問う﹄ことは何か﹂            ﹃教育科学国語教育﹄六〇六号  ︵明治図書 二〇〇一年五月一日︶ 六頁 九 注五に同じ 三二頁 一〇堀江祐爾﹁アメリカにおける文学を核とした国語科指導﹂            ﹃兵庫教育大学研究紀要﹄第一四巻第二分冊−一 一九九四年 四九頁.   学会国語科教育研究 第︸〇三回信州大会研究発表要旨集﹄ ︵二〇〇二年十月一九日﹀一一四−一一七頁 二安藤修平﹁﹃学び方﹄の段階的指導﹂            ﹃教育科学国語教育﹄六〇六号  ︵明治図書 二〇〇一年五月一日 ︶=二頁 三注=二に同じ 一四頁 四D.スペルベル・D.ウィルソン著 内田聖二他訳  ﹃関連性理論一伝達と認知1﹄  ︵研究社出版 一九九三年五月一日︶ 四頁﹁コードとここでいうのは、メッセージを信号と対にして、2つ   の情報処理装置︵生物体でも機械でも︶の意思伝達を可能にする体系のことを指す。メッセージとは伝達装   置内の表示のことを言う。信号とは外部環境の改変のことで、片方の装置が送り、他方の装置が認識するこ   とのできるものである。﹂と説明されている。 五 ﹁方法的能力﹂という用語は、河野智文の所論に依拠している。河野智文は、学習方法に視点を置き、 ﹁単   元の展開に必要な基礎的能力︵例えば、話し合いの仕方︶﹂のような学習を推進していく能力を﹁方法的弓   力﹂として重視している。. 13.

(17) 第二章  ﹁読みの﹃方略﹄﹂の内実  本章では、先行研究及び試案による授業実践を踏まえて﹁読みの﹃方略﹄﹂の具体的なあり方を検討し、本論 文における﹁読みの﹃方略﹄﹂の具体案を措定する。さらに、措定した﹁読みの﹃方略﹄﹂の有効性を、具体的 な学習計画に基づいて検証していく。. 第一節 先行研究から導出される﹁読みの﹃方略﹄﹂の要件  本節では、まず、文学教材の学習における﹁指導事項﹂が、先行研究ではどのように設定されているかについ. て検討する。次に、それぞれの先行研究の提唱を踏まえた﹁読みの﹃方略﹄﹂のあり方を考えてみる。その上で、 その﹁方略﹂のあり方は、学習者が個々に取り組む学習場面においても、意識的・意図的に活用できるものかど うかという観点から検討していく。  取り上げる先行研究は、あくまでも管見にとどまるが、次の三つの条件を兼ね揃えていると判断したものであ. る。第一の条件は、文学教材の学習指導を対象としているものであること。第二の条件は、教室という学び合い の場を意識しているものであること。第三の条件は、文学教材のことばや表現技法に着目し、意味構築を図る能 力の育成を目指しているものであること。以下、取り上げた先行研究を四つに類型化し、考察を加えていく。. のあり方を検討すると、.  着眼点としての﹁方略﹂のあり方  ﹁分析批評﹂一を教室という場に導入した井関義久の提唱をもとに﹁読みの﹃方略﹄﹂ ﹁指導事項﹂を着眼点として示す形が考えられる。. 二と論じる。. ︵中略︶ことばによって. 井関義久は﹁文学の教室は、批評の文法を教えるところでなければならないと思う﹂   批評ということは相手に向かって自分の感動を語りかけることにほかならない。. 14.

(18)    語られたとき、それがわかったという証拠になる。三  井関義久は、 門自主的・自発的学習、という学習者中心の発想﹂を踏まえた上で、 ﹁文法ぬきの解釈は、とん. でもない誤解を生む﹂ことを危惧し、分析批評を﹁解釈の規範であり、よりどころ﹂として位置づけている。ま た、学習者それぞれが感動を語り合うための表現手段としても機能させようとしている。  井関義久は、 ﹁児童・生徒の段階でも使いこなせるもの﹂として、次に挙げる述語を提示している。   ・話主︵話し手︶.   ・視点.   ・イメージ語の使い方︵視覚イメージ語・聴覚イメージ語・嗅覚イメージ語・比喩・象徴・表徴︶   ・人物  *中心人物は社会からどう見られているか        *中心人物は社会をどう見ているか        *中心人物は自分自身をどう見ているか.   ・作調   ・人物関係   ・会話.  右に引用した述語は、客観的に作品を捉え、その表現効果を明確にしていくことに適する着眼点と捉えられる。 井関義久の提唱する﹁分析批評﹂では、これらの着眼点の活用方法が定式化されている。学習者には、まず、文 学作品の﹁主想︵中心思想︶﹂を仮設することが求められる。その上で、その仮設が妥当かどうかを検証するた めに、分析の技術を適用していくという学習過程が示される。この学習過程においては、先の着眼点は、 ﹁主知 がどのように表現されているかを検証する﹂という明確な利用目的を持つことになる。それゆえ、 ﹁分析批評﹂ の方法自体が学習の目的になることは避けることができよう。しかし、学習者個々の発想や創意工夫を生かす創. 15.

(19) 造的な学習や、主体的な取り組みは制限を受けることになる。学習者個々が読みの方向をきめていく﹁方略的読 み﹂では、学習過程を定式化しないことが重要な要件になると考える。  着眼点が並立している形の﹁方略﹂のあり方は、・学習者が自らの判断で選択する必然性を有している。また、 組み合わせて使ってみるといった創意工夫が行いやすい。しかし、裏返して考えれば、学習者がこれらの着眼点. 思考方法や思考活動を示. の﹁使い方﹂に習熟していなければ使いこなせないということでもある。 ﹁方略﹂を着眼点として並立させて示 す形は、学習者が意識的・意図的に使いこなすには難易度が高いと考えられる。   二 思考方法・思考活動としての﹁方略﹂のあり方  西郷竹彦と、児童言語研究会の提唱をもとに﹁読みの﹃方略﹄﹂のあり方を考えると、 す形になる。以下、西郷竹彦の論と児童言語研究会の論について検討する。.  西郷竹彦を中心に文芸教育研究協議会︵略称﹁文芸研﹂︶が提唱してきた国語科としての﹁指導事項﹂は、﹁認 識方法﹂であった。.    ⋮これまでの国語科教育にあっては文芸や説明文や作文などを横につなげる土ハ通性は、ことば・文法であ.    り、そのため、いわゆる言語事項の学年別課題というものがありました。 ︵中略︶しかし、私ども文芸研    は、読解指導をこえて、認識の力を育てるという目的をたて、国語科の各領域を横につなぐ共通なものは.    ︿ものの見方・考え方﹀であることを主張しています。四  ﹁文芸研﹂が、それまで曖昧模糊としていたくものの見方・考え方﹀を、系統性も踏まえた形で明確にしたこ. とは注目に値する。 ﹁比較︵類比・対比︶﹂ ﹁順序︵順序・展開・過程︶﹂ ﹁わけ︵原因・理由・根拠︶﹂ ﹁類. 別︵区別・区分・分類︶﹂ ﹁条件﹂ ﹁構造・関係・機能﹂ ﹁選択︵効果・工夫︶﹂ ﹁変換・転換・置換﹂ ﹁相関・. 16.

(20) 関連﹂というそれぞれの﹁認識方法﹂は、ばらばらに並立しているのではなく、 一つが土台となった上にもう一 つが成立するという関連性をもって指導されていくことになる。この﹁認識方法﹂は、 ﹁読むこと﹂の学習にお いて、部分と部分との関係づけや、叙述と読み手の経験との関係づけを行おうとするときに有効にはたらく手段. となり得る。しかし、この﹁認識方法﹂を﹁方略﹂として位置づけてみると、 ﹁何と何を比較するか﹂という対象 とするべきことばや文章の選択は、学習者に委ねられることになる。学習者には、文章構造を把握する力が求め られる。西郷竹彦が提唱する﹁認識方法﹂は、教師の指導力が重視される文芸研方式の指導過程において有効に 活用される手段であって、学習者が個の学習において、自らの判断に基づき活用していくものとしては、やはり 難易度が高いと考えられる。.  児童言語研究会︵略称﹁児言研﹂︶ ︵H⑩謡︶は、読み手が文章にかかわることで読みが成立すると考え、学習 者個々の読みを成立させる学習活動のあり方を﹁読みの基本的作業﹂として提唱している。この﹁読みの基本的. 作業﹂として掲げられている、 ﹁くわしい話しかえ﹂ ﹁短い話しかえ﹂ ﹁予想・見通し﹂ ﹁感想・意見・批判だ. し﹂五 は、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の内実を考えていく上で示唆に富む。例えば、 ﹁くわしい話しかえ﹂の発言例. としては、 ﹁∼の様子をくわしくして﹂ ﹁∼の気持ちをくわしくして﹂ ﹁∼の立場になって﹂ ﹁たとえば∼、具. 体的にいうと∼、例をあげていうと∼﹂といったものが挙げられている。六 ﹁くわしい話しかえ﹂という﹁読 みの基本的作業﹂がねらっていることは、教材文のことばや文章から想像を膨らましたり、自分なりに解釈した. りしたことの表出であることが窺える。また、想像や解釈をずばり=言で表すことを求める﹁短い話しかえ﹂で は、想像や解釈の明確化をねらっていると考えられる。.  先に検討した、西郷竹彦が提示する﹁認識方法﹂が思考方法であるのに対し、 ﹁潮繋研﹂が提示する﹁読みの. 基本的作業﹂は思考活動と言える。 ﹁読みの﹃方略﹄﹂のあり方としては、行為として示される思考活動の方が. 17.

(21) ﹁科学的﹃読み﹄の授業研究会﹂. の視点から検討すると、利用目的. 活用しやすく、低・中学年の児童に適した形であると言える。しかし、 ﹁方略﹂と呼ぶからには、思考方法こそ が重要な要素である。活動の形として提示された﹁読みの﹃方略﹄﹂を活用するにしても、最終的には、その活 動がねらうところの思考方法をも理解させることが求められると考えている。.  三 利用目的とその着眼点および思考活動が示される﹁方略﹂のあり方  ﹁科学的﹃読み﹄の授業研究会﹂や、鶴田清司の論を、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂ と着眼点という二つの要素を兼ね揃えた﹁方略﹂のあり方が見出せる。以下、 と鶴田清司の論を検討していく。.  ﹁科学的﹃読み﹄の授業研究会﹂ ︵略称﹁読み研﹂︶ ︵凶OOO︶は、大西忠治が提唱した方法論を軸に﹁教材研 究の定説化と教授方法の定説化を目指して﹂研究が進められている。近年は、 ﹁学級崩壊﹂の危機が叫ばれてい. る現状や、授業時間数の削滅への対応の必要性から、 ﹁重点を絞った読み方指導の構想に力を入れてきた﹂と、. 丸山義昭は経緯を振り返っている。七  ﹁読み研﹂が文学教材の学習における﹁指導事項﹂として掲げているものは、 ﹁読みの指標﹂である。丸山義 昭は、この﹁読みの指標﹂について次のように述べている。    ⋮構造読みの指標は︿ものさし﹀だから、個々の作事の、典型からの距離︵構造的特殊性︶は、このくも    のさしVがあるからこそ測ることもできる。そして、この指標を覚えれば独力で小説の読みを深めること    もできる。八.  小説を読むときの指導過程では、 ﹁表層のよみ﹂において、票読と難語句指導を行った後、 ﹁深層よみ﹂に移 る。 ﹁深層よみ﹂は、通読・精読・味読の三読法を継承した﹁構造よみ・形象よみ・主題よみ﹂の三本立てにな. 18.

(22) っている。.  まず、 ﹁構造よみ﹂においては、 ﹁構造読み段階で主題を概観﹂するために、小説の典型構造を指標として、 ﹁導入部・展開部・山場・終結部﹂に分ける学習が組まれる。 ﹁導入部﹂から﹁展開部﹂に切り替わる﹁発端﹂. は、 ﹁二つの対立する勢力・性格が最初に出会うところ﹂であり、 ﹁山場﹂の中の﹁クライマックス﹂は、 ﹁二. つの対立する勢力・性格のちから関係の決定的な変化を示す点﹂であるという指標が示されている。九.  次の﹁形象よみ﹂では、 ﹁語り手︵あるいは作者︶の思想・感情にせまっていくために﹂、 ﹁時﹂ ﹁場﹂ ﹁人. 物﹂ ﹁事件設定﹂、 ﹁事件の発展﹂ 門人物の鳴しい性格﹂ 門文体の成立﹂といった指標が示され、それらに相当. する語や文に線引きを行う学習が組まれる。着眼したことばから形象を読むために、次のような方法も提示され ている。.   形象よみの方法一〇. に焦点を当てた学習が組.    ︵1︶普通と違う、または不整合な表現・内容を、普通の整合性のある表現・内容に換えて、その差違を.      読む    ︵2︶着目した部分を他の表現・内容に換えてみて、その差違を読む    ︵3︶着目した部分を一度なくしてみて、その差違を読む    ︵4︶肯定・否定の両面から形象を読む    ︵5︶繰り返しによる形象の強調を読む    ︵6︶事件を予測しながら読む    ︵7︶自然描写・情景描写・小道具描写に注意して読む  最後の﹁主題よみ﹂においては、主題を鮮明にしていくために、 ﹁クライマックス﹂ まれる。. 19.

(23)  丸山義昭が指摘しているように、 ﹁読みの指標﹂は一つの﹁︿ものさし﹀﹂であって、それがぴったりと合致. することはまれである。学習者には、自分なりにくものさし﹀の活用方法を工夫していこうとする主体的取り組 みが求められる。この点においては、﹁読み研﹂が提唱する﹁読みの指標﹂と、本論文における﹁読みの﹃方略﹄﹂. とは相通ずるものである。また、この﹁読みの指標﹂に示唆を得て﹁方略﹂を措定していけば、 ﹁何のために﹂ ﹁どこに着目し﹂ ﹁どのように考えればよいか﹂という要素が明確に示される﹁方略﹂になろう。学習者個々が. 意味構築していく過程において活用しやすい﹁読みの﹃方略﹄﹂になると考える。.  しかし、 ﹁読み研﹂が提唱する﹁読みの指標﹂は、主題把握を目的とする、定式化された指導過程に組み込ま. れたものである。この点が、学習者個々の読みの道筋を重要視している本論文の考え方との決定的な相違である。.  鶴田清司︵目⑩⑩同︶は、 ︿分析﹀とく解釈﹀を明確に定義した上で、 ﹁︿解釈﹀とく分析﹀の往復運動こそが大切. なのである﹂=と論じている。     主体的で豊かな︿読み﹀の体験の重要性は言うまでもない。が、それだけでは、文学的認識・表現に関    する︿教育内容﹀を明確な形で自覚化・意識的に習得させること︵ひいては﹁学力﹂形成︶にはならない。    どうしても﹁文学体験﹂︵感動︶を対象化して、その根拠・根源を再度作品の表現構造に着目して客観的・.    反省的に︿分析﹀することが必要になる。この﹁自覚の体験﹂が大切なのである。一二  鶴田清司︵H㊤⑩ΦVは、 ﹁作品の表現構造に着目して客観的・反省的に︿分析﹀する﹂方法を、 ﹁先行研究︵西 郷竹彦氏の文芸学、井関義久氏の分析批評、大西忠治氏の読み研方式など実践的に有効性が証明されているもの︶ を手がかりに﹂ ﹁仮説的に提示﹂している。一三.  ①構成をとらえる技術     ・題名の意味を考える。. 20.

(24)  ・設定︵時・人・場︶を明らかにする。.  ・全体構成︵冒頭−発端−山場のはじまりークライマックスi結末一終わり、起承転結︶を明らかにす  る。特に事件や人物の転換点に着目する。  ・場面に分けて、事件や筋︵伏線︶をとらえる。 表現をとらえる技術.  ・類比︵反復︶と対比の関係をとらえる。.  ・イメージ語ないし感覚表現︵視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚︶、色彩語、比喩︵直喩・暗喩・擬人法︶、.   声喩、象徴、倒置法、省略法、誇張法などの効果を明らかにする。  ・作型︵描写・説明・会話・叙事・表明︶の効果を明らかにする。.  ・文字表記、句読点、区切り符号︵ダッシュ、リーダーなど︶、字配りなどの効果を明らかにする。  ・韻律の効果を明らかにする。 ③ 視点をとらえる技術  ・作者と話者︵語り手︶を区別する。.  ・内の目︵主観視点︶と外の目︵客観視点︶を区別する。  ・同化体験︵人物の気持ちになる︶と異化体験︵人物を外から眺める︶、共体験︵両者の混合︶を成立  させる。  ・一人称視点と三人称視点の効果を明らかにする。  ・視点人物と対象人物、視点の転換などをとらえる。 人物をとらえる技術.  ・中心人物︵主役と対役︶をとらえる。. 21. ② ④.

(25)     ・人物描写などから人物像や心情をとらえる。     ・中心人物の人物像の変化や心の転換点をとらえる。     ・人物の姓名・呼称の意味を考える。     ・人物を典型としてとらえる。   ⑤文体をとらえる技術     ・話者の語り口をとらえる。     ・話法︵直接話法、間接話法など︶を明らかにする。     ・文末表現、余情表現、常体と敬体、文の長さなどの効果を明らかにする。     ・作調︵明暗、喜劇、悲劇、叙情、感傷、幻想、怪奇、ユーモア、アイロニー、パラドックスなど︶を      明らかにする。  学習者が、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂として把握できる分量には限界があり、煩雑では活用しにくい。その点、鶴田 清司が提唱する﹁読みの技術﹂では、物語を構成する主要な要素であるところの﹁構成・表現・視点・人物・文 体﹂が掲げられ、それらを捉えるための方法が簡潔に整理されている。ただ、簡潔に整理されている分、それぞ れの技術のまとめ方は抽象的にならざるを得ない。例えば、 ﹁④人物を捉える技術﹂の二項﹁人物描写などから 人物像や心情をとらえる﹂という技術を使いこなすためには、場面の状況を押さえた上で、その登場人物の様子 が状況にふさわしいものかどうかを考えたり、自分だったらどうするかを考え、比較したりするという具体的な 思考活動に習熟している必要がある。また、基本的には﹁分析批評﹂の提唱を発展させたものであり、表現効果. を明らかにするための﹁読みの﹃方略﹄﹂としての性格が強い。 ﹁自分の感動がどの表現効果からもたらされた かを明らかにする﹂という目的を学習者が把持している必要もある。.  鶴田清司︵H⑩⑩⑩︶は、 ﹁個々の作品の世界や価値とはなれて技術を教えることが一人歩きしてしまうことは戒. 22.

(26) めねばならない﹂西として、 ﹁︿教科内容﹀となるべき言語技術を見定めて教材化していくという方法﹂一五を 解決策として提示している。 ﹁一つの教材に何時間もかけるという従来の精読主義からの脱却を意図し﹂、 ﹁作 品のテーマ﹂ではなく、 ﹁読みの技術﹂を関連付けの軸とした﹁多読主義への道﹂は魅力的な構想である。 ﹁読 みの技術﹂を軸にした﹁長期的・段階的な指導計画﹂という観点も、カリキュラムを構想する際の一つの観点に なると考える。.  四 関係づけを重視した﹁方略﹂のあり方.  田近洵一と中西一弘の論を﹁読みの﹃方略﹄﹂の視点から検討すると、意味構築のための、 関係づけを重視し た﹁方略﹂の重要性が明確になる。以下、田近洵一と中西一弘の論を検討していく。.  田近洵一︵H⑩㊤。。︶は、読者論に注目が集まり始めた初期の段階から、 ﹁読者論的観点から、 ︿読み﹀の成立の 内実が問われる﹂必要性を論じていた。.    ⋮読者論は、 ︿読み﹀に対する考え方を確立したが㍉ ︿読み﹀の具体的なあり方を明確にしたものではな    かった。そのため、 ︿読み﹀の教育において、 ﹁ひとりひとりのく読み﹀を大事にする﹂といったことば    で実践の指標とはなったが、実際にはそれにとどまって、児童・生徒のことばとのかかわりを、むしろあ.    いまいにしたきらいがあった。 ︵中略︶読者論は、実践のレベルで具体化されねばならないのである。=ハ 田近洵一︵H㊤Φω︶が、著書﹃読み手を育てる一読者論から読書行為論へ﹄において主眼としていることは、 ﹁意 味生成の装置としてのテクスト機構を明らかにする﹂ことである。.    ⋮では、作品のどのような表現機構が、 ︿読み﹀の創造を保証するとともに、それを規定するのか。 ︵中.    略︶私たちは、文学作品を成立せしめているものは何かという観点から、主題・思想、あるいは構成・筋、. 23.

(27)    表現︵叙述︶ ・文体、さらに語り手の視点などを取り出して、文芸批評の方法理論を構築し、それを基礎    として︿読み﹀の視点を設定することもできる。 ︵中略︶しかし、作品の構成に必要な要素を柱として、    その視点から作品を分析するだけでは、意味生成の装置としてのテクスト機構を明らかにすることはでき    ない。一七. この﹁意味生成装置としてのテクスト機構﹂は、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂を措定していく上で、有効な示唆を与える. ものである。以下に簡略化してまとめる。天 ︵1︶事象を読む︻物語内容をとらえる上での基本︼    ①人物の︿読み﹀. 描き出し方︶を手がかりにして、意味を生み. ②状況︵場の条件︶のく読み﹀  ・時間的な条件i季節、時刻、時間的な経過など  ・空間的な条件i場所、そこにあるもの︵小道具︶など、  社  会  的  な  条  件  −  物  理  的  あ  る  い  は  心  理  的  環  境  、  時代的・社会的状況  ・ ③展開の︿読み﹀   ・場面を読む.   ・ストーリィを読む ︵2︶事象の意味を読む︻事象の表現の仕方︵事象の取り上げ方、. 24.

(28)    ①事象の表現   出す︼    ②事象の連鎖 ︵3︶関係を読む︻個々の事象がどのように関係しあっているか、そして全体としてどのような関係様相をなし          ているかそこにどのような意味があるかを解釈する︼    ①関係としての人物・人物の位置    ②プロットをとらえる. ︵4︶文体の︿読み﹀ ︷作品に込められた作者の思い︵思想あるいは心情︶を・とらえる︼.    ①文体︵作者の、もの・ことのとらえ方、感じ方、考え方を表現からとらえる︶    ②事象のとらえ方・描き出し方.  以上のように、 ﹁事象を読む﹂ ﹁事象の意味を読む﹂ ﹁関係を読む﹂ ﹁文体を読む﹂という﹁重層構造的﹂な. 物語の︿読み﹀の成立過程が論じられている。また、田近洵一︵卜。OOμ︶は、 ﹁文脈を読むとは、言葉から言葉へ と、言葉のつながりをたどっていく行為﹂と説明した上で、 ﹁文蘇をとらえずして、文章の︿読み﹀は成立しな. いのである﹂と、文脈を捉える重要性も論じている。兀  田近洵一が論ずる意味構築のためのテクスト機構と︿読み﹀の成立過程の解明は、学習者の思考活動に段階性 を持たせていく必要性を示唆し、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂を考えていく上での重要な視点になる。この重層構造的な ︿読み﹀の成立過程を﹁読みの﹃方略﹄﹂としてどのように位置づけていくかについては工夫を要するが、この 一連の︿読み﹀の成立過程において、主要な観点となるものは﹁人物﹂である点を踏まえ、小学校国語科を対象 とした具体的な﹁読みの﹃方略﹄﹂のあり方を考えたい。. 中西一弘︵同㊤⑩刈︶は、長期的視野に立ち、中学校国語科の教科書教材に即した﹁指導事項﹂の焦点化を試みて. 25.

(29) いる。著書﹃文学言語を読むH  ﹁やまなし﹂ ﹁少年の日の思い出﹂他一表現技法からのアプロ;チ﹄二〇には、 表現技法の観点からの読む学習︵解釈︶例が具体的に示されていて示唆に富む。中西一弘は、先に取り上げた田 近洵一同様、関係づけによる意味の生成を重視していると考えられる。以下、先の著書の第二章第二節﹁中学国 語・指導事項焦点化の試み﹂を取り上げ、その見出しを抜粋する。中西一弘が提示している﹁表現技法からのア プローチ﹂の方法を的確にまとめることにはならないが、長期的視野に立った指導項目の焦点化のありようは全. 貌できると考える。なお、特に、関係づけに関する﹁読みの﹃方略﹄﹂として示唆に富むと窪田が判断した記述 を、*印を付して引用する。 ﹁書き出しと結び﹂の機能に着目させて ﹁書き出しと結び﹂から、 ﹁筋︵ストーリー︶﹂へ. *﹁出発点と到達点とに注意していくと、その作品の︻筋︵ストーリー︶﹂をとらえるのに、絶好の.  ①書き出し︵最初の状況︶ *﹁作品全体を、右のように︵ここでは、上に示したものを指す1注  ②変化を生み出すもの     は窪田︶ロラン・バルトの図式にしたがってとらえてみると、あ  ③働きかける行動       らすじ以上の展望がえられる。つまり、作品展開における、ある  ④決定的な作用        変化︵動き︶、またはある作用︵働き︶といった、作品を構築し  ⑤書き結び︵最後の状況︶   ていく諸要素︵間の関係︶が目に見えるようになるからである。﹂ 人物造形の仕方に着目して一登場人物の分析法︵一︶ 逆変転︵どんでん返し︶と発見的再認の視点から1登場人物の分析法︵二︶.   拠点を手に入れたことになる。﹂ ﹁図式を活かして、全体構造をとらえる⋮ロラン・バルトの方法から﹂. ︵3︶. 21. ) ) ). 人と人との関係が登場人物の姿を現す1登場人物の分析法︵三︶. 654. 26. (( )). ( ( (.

(30)      *﹁注目されるのは、それらの人物が急変する場合、いつでも場所と事物とが、深くかかわっている        ことである。﹂   ︵7︶構成を支え、テーマを導く空間︵場所︶と時間の表現      *﹁その時間が作り出す強烈な対象・急変は、実のところ、場所の対比︵内と外︶と重ね合わされて        いる。﹂   ︵8︶語が示す時間表現︵時間配分︶に注目する   ︵9︶時間の重層表現が生む効果に目を向けて   ︵01︶二つの時間軸から﹃故郷﹄を読む1応用的復習︵一︶   ︵11︶ ﹃故郷﹄の構成をとらえる1応用的復習︵二︶.  中西一弘が右のような見出しを付して提示した試案は、教材文の特徴を考慮した、いわば中学校三年間にわた る指導計画である。 ︵01︶ ︵且︶の﹁応用的復習﹂は、中学校三年間の学習の集大成と言えよう。 一章で取り上 げた山元隆春の論にもあるように、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂はテクス小の属性と密接な関連を持つ。教材文の特性を. 踏まえた上で、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂を意識した長期的な指導計画を立てることの意義は大きい。ただ、中西一弘. の試案は、教科書教材文の配列を優先してつくられたものである。この中西一弘の発想を活かし、 ﹁読みの﹃方 略﹄﹂を基軸にした、長期的指導計画を構想していく必要があると考える。 以上の考察に基づき、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の要件を導出する。. ●﹁読みの﹃方略﹄﹂の内実に関する要件  ︵要件一︶文学作品の構成要素が明らかになっている。  ︵要件二︶表現形式を対象としている。. 27.

(31) ︵要件三︶学習者の思考活動に段階性を持たせることを考慮している。. ︵要件四︶ ﹁分析﹂だけにとどまらず、 ﹁分析﹂したものを関連付けることまでを対象としている。 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の示し方に関する要件. ︵要件五︶着眼点とその利用目的、利用方法が併記されている。 ︵要件六︶思考方法を、具体的な活動の形として示している。. ︵要件七︶学習の方向性を規定するものではなく、学習者個々が判断し選択していくように配慮されている。. 第二節 試案による授業実践から導出される要件  ﹁読みの﹃方略﹄﹂のあり方や、その活用の仕方を検討する目的で、四年生を対象にした授業実践を行った。     ︵千葉県習志野市立大久保小学校四学年、三学級一〇五人を対象に、二〇〇二年二月四日∼一=日にわ      たって実践。詳細については、第三章において検討する。︶  ﹁注文の多い料理店﹂ ︵宮沢賢治︶を教材に、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂を一覧化したものを活用して問題解決的な 学習を進める授業構想のもと実践した。三学級が別々の方向から読みを進めたにもかかわらず、三学級共に﹁山 猫はなぜ二人の紳士を狙ったのか﹂ ﹁二人の紳士はなぜ助かったのか﹂ ﹁紳士のくしゃくしゃになった顔はなぜ 治らなかったのか﹂ということが問題になった。次に示すのは、 h問題集作り︵他学級の友達を対象に問題を出 し、討議したあとで自分の読み取り方を解説するという活動︶﹂を目的に学習を進めた二組での話し合いの一こ. まである。どのような問題を設定するつもりかを各自が紹介し合い、助言し合うことを目的とした話し合いで、 十二時間展開の第七時にあたる。   C① 山猫たちはどうして二人の紳士を狙ったのか。 ︵﹁という問題を出したい﹂という意−注は窪田︶   C② 二人の紳士は最初に動物を遊んでいて、それを山猫がお返ししょうとしたからじゃない。. 28. ●.

(32) 紳士は太っているし、若いし、両方に当てはまるからじゃない。. 仲間も殺されち. C③に付け足しなんだけど、若い、太っている紳士は頭がすごい鈍いから。 ︵ママ︶ ﹁案内してきた専門の猟師もまごついてしまったくらいの山奥でした﹂とあるから、 鉄砲撃ちといっ. たら動物を撃って食べたり、売ったりする仕事をしているから、森も荒らされたり、 やうから、それで猟師が来たと勘違いしたから狙ったのではないかな。 ︵中略︶. ︵山猫は二人の紳士の一補足は窪田︶言い方に怒ったんじゃない?. それなら案内してきた専門の鉄砲撃ちも食べると思う。. みんなは つたと言っているけれど、紳士を つた訳ではなくて、もともとそこに来た人を食べてし. まうのかもしれない。 来た人を食べると言ったけど、.      C⑥に同じで、 ﹁何でも構わないから早く﹂から動物を殺すことが目的だとわかるから、ここで撃つ      ことだけを目的にしているから、売ったり食べたりすることが目的ではないから、それを怒ったんじ      やないかな。. C⑦に見られる反論も出されたが、学習者はC⑨に代表される意見を支持した。しかし、この問題に対する十分 な解説はできないと判断し、 ﹁問題集︵他学級の友達を対象に問題を出し、討議したあとで自分の読み取り方を 解説するという活動において作成されるもの︶﹂から省かれることになった。 ﹁C⑨が取り上げたような根拠と なる叙述を探し求めようとしても、これ以上は見出せない﹂という声も聞かれた。この試行授業の時点で用意し. ていた門読みの﹃方略﹄﹂の一覧︻資料二として添付︼は、作者の意図に関わる問題に対応できるものではなか った。作者の意図を推測するためには、 一作品だけでは不十分であった。.  第三上国二節で詳細を取り上げる、服部英雄教諭︵兵庫教育大学附属小学校︶の実践﹁自分なりのストラテジ. 29. CCC. ⑤④③. CC. ⑦⑥. CC. ⑨⑧.

(33) 1をつくろう﹂においては、 ﹁多読のストラテジー﹂が設けられている。 ﹁やまなし﹂ ︵宮沢賢治︶を中心教材 とした授業において、他の宮沢賢治の作品を読み、共通点を探すという﹁読みの﹃方略﹄﹂が用いられ、学習者 は、宮沢賢治作品の特徴を発見していった。この服部英雄教諭の実践から示唆を得て、 ﹁読みの﹃方略﹄﹂の内 実に関わる要件を追加する。   ︵要件人︶一作品を対象にするだけではなく、多読に開くような発展的な学習を視野に入れたものにする。. 第三飾﹁読みの﹃方略﹄﹂の措定  第一節における先行研究の検討、第二節における試案による授業実践の考察に基づいて、本論文で考える﹁読 みの﹃方略﹄﹂を措定する。これは、小学校六年間で獲得されるべき﹁読みの﹃方略﹄﹂の全体像を構想し、ま とめたものである。あくまでも教師側が目安として持つものとしての試案であり、学習者と共有することを意図 したものではない。詳細については、第四章第一節﹁年間引導計画の構想﹂において後述するが、小学校六年間. の国語科学習という長期的視野に立ち、計画的・段階的に学習者に身につけさせていく﹁指導事項﹂を一覧化し たものとして考えている。実際の授業のあり方としては、様々な形が考えられる。その単元でねらいとする﹁読 みの﹃方略﹄﹂を教師から学習者に提示し、学習活動の中で獲得させていく場合もある。また、ねらいとする﹁読 みの﹃方略﹄﹂を使わざるを得ないような学習活動を教師側が仕組み、振り返り学習において、学習者に意識化 させる場合もある。教材の特性や学習者の実態によって、具体的な授業のあり方は柔軟に組み換えられ6べきで. あると考えている。 門読みの﹃方略﹄﹂一覧に掲げた各項目についても、学年の発達段階に適した形で指導者が 捉え直し、学習者に提示するべきであると考えている。. 30.

参照

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