学齡前は道徳教育の定礎
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(2) . 第5巻 第 1 号 特 別. 北 海道学 馨 大 学紀 要 (第一部). 寄. 昭和29年8月. 稿. 学齢前は道徳教育の定礎 学. 田. 長. 哲. 所. 太. 次. 目 緒 第1章. . 第lo節. lを育成する q 栄養が肉体から精示. 第1節. 郎. ゲッセルの乳幼児心理学か ,ら. 分娩前の母体 第3章. 兄童 の道徳 、性を育てるもの. 第2節. 乳幼兇の1ヵ年. 第3節. 6ヵ年まで 生後1ヵ年以後,. 第11節. 兜童に道徳性の芽生え. 家庭教育の中での道徳性の育成. 第12節. 胎見の活動も出生後に影響. 第2章. する. 第4節. 人間と云うものから家族へ. 第 5節. ル ソー と モ ン テ ニ ュ ー の 児. 第1 3節. 乳見の道徳的教育. 童教育から. 第14節. 幼兇前期の道徳的教育. ペスタロッチ-の児童教育. 第15節. 幼児後期の道徳的 教育. 第16節. 母親 の道徳は児童の教育. 第6節. から 第7節. トル ス トイ と マ カ レ ンコ の. 第4 .章. 見童教育から 第8節 第9節. 第17節. 肉眼による自然美が児童へ シラーの人間美的教育から. ショペ ソハウェ ルの 児童教. 第18節. 育から. 第19節 詩歌を通 じて道徳教育. デューウイーの教育思想 か. 第20節. ら 児童 へ. 緒. 自然環境による道徳性の育成. 言. 古き 「男女7歳にして席を同じうせず」 の孔子の言葉. からは既に幼児道徳教育の基盤が考えられる。 現代英国 1 )は 「子供が痛6歳 に達す l lく 教育哲学者ラッセル Rus e s れば、 その時既に道徳教育は殆んど完全に近いものであ るべきだ……後年になって道徳教育をぅんとやらねばな らなくなるのは、 こうした幼年期の道徳的訓練がおろそ. かにされたか、 乃至は下手に行われた場合に限 っ て い る」 と述 べている。 この時代は、 家庭的教育か、 または 幼稚園にある学齢期前の教育である。 そこで、 母親の 児. 童教育が家庭で主に行われるように、 乳母や子守の大き な影響も忘れてはならない。 また、 兄弟姉妹の影響や、 近隣の子供達の感化も亦 大きいものであると云える。 昔から子は親から二重の誕生を恵まれていると云われ た。 その一は、 自然的生命で、 その二は精神的生命であ. 自然研究の道徳教育 . る。 即ち、 親の精神が子供の精神的生命を育てるものだ と云うのである。 子供が生れたら、 この世に寄興 し得る ように成長 して欲 しいとは親の願望である。 そのために は親自らが世に寄興する生活を営むことが肝要である。 親と子は相似 ,であるが、 また互に相異る存在でもある。 こ ,の事は同じ親から同時に生れた双生児でさえ同じでな いことでもわかる。 その異る個性の償値を高め、 生きが ることが必要であ いあるように、 成長を見守って指導す● る。 ラッセルの云うように、 道徳教育の基盤は滴6歳ま でに出来るものだ。 されば、 児童の魂をよく育てたなら ば、 その属性とも云える粗野や、 無智や、 単純や、 朴請. や、 純潔や、 叉好意や、 謙抑や、 畏怖や、 服従や、 醇良 や、従順や、自負などがよき方向に指導されるであろ う。 l それだから、 ロックLoc く eの 児童教育も、 モンテニュ (1) ラッセル: , 教育論. - 1 ー.
(3) . 田. 所 哲 大 ・郎. igue の幼児教育 で 柔かい脳髄を混乱させるこ ‐ Mont a. 見守る母親が必要である。( 3 )最少限は家庭が充当 され、. ) がエミール とを恐れたのも、 またルソー Rousseau (2 を両親から取り上げて教師に渡したのも意義ある事であ. 母親を助ける父親が必要である。 鰹 )両親の児童への義務. る。 これを畢寛するに、 かような人々にとって子供は中 立性の教育をうけなく てはならぬと云うことと、 この時. を成功させる社会環境が必要である。(印児童を国民人口 中に組み入れ、 国家社会に利害を持つ一人たらしめる。. 代の感覚の教育に重要な問題が伏・在していることを物語. ( 6 )最少限の妥当な教育方針の確立。( 7 )家族と学校 〔例え ば幼稚園〕と政治組織と教育機会との有機的関係を、 児. つている。 昔から偉人の母はその子に対 して、 母親らしい母であ. 童との間に正当にあらしめる。 また児童を育てる両親 らしさについては、 キリストと. り、 母の魂が子を育 てたことが立証されている。 母親は. 釈迦とを引例して、 次のように教えている。 かのキリス トが説かれた放蕩息子は親から譲られた財産をも蕩語 し. 子供が生れてからの7年間がその子の生涯での大切な時 期であることを考えて毎日その傍で見守ることである。. そして子供の習慣や性格を細かく観察する機会を取り逃. て、豚の 食物さえ 食べねばならぬまでに落ちぶれたので、 父が初めて恋 しくなるのであった。 舷に帰宅 した乞食の. してはならぬし、 またこれに よって子供に好ま しい感化 を興えねを ならな い。 そ して子 供に自己④償値や才能や 愛嬬や標徴などを評贋させることも授ける必要がある。. ような息子を、 父は歓喜 して迎えるのである。 叉法華経 信解品に、長者の子幼く して父の家を飛び出した。これを 探すため、永い間四方に人を遣 して いるが見当らぬ。ある. 自己判断の過大や過小の間に動揺し、 自己を非難するよ. 日長者の町に乞食となってさまよってきたのは正しく,息. うになってはならな い。 母はこの時、 温和に精神的にも 肉体的にもそれを訂正 してやることが大切だと云われて. 子である。 急に親子の名のりを上げるのも亦息子を苦め るだろうと考えた。そして 下男を遣 したが、息子は気楽な. いる。 好ま しい事を遂行した時には、 充分な信用と適度 の賞讃とを奥えるべき である。 叉好ま しい意見を発表 し ・かの レッキ た場合、 心から尊敬して取扱うべきである。 ーも f強く嘆美し賢く嘆美することは道徳的発展の最善. 乞食生活を好み帰宅を拒むのであった。 そこで下男を乞. 食の仲間に入れて、 長者の庭の掃除夫として相伴って来 らしめた。 それからの長い間の教育で、 彼の心を漸く高 きに向わせ、 遂に長者の後継者とした話がある。 この東. なる手段の一つである」 と逸 べている。 そして、 年長家 族との混合した生活によって、 子供に社交性を興え るこ とも忘れずに指導す べき である。 然し、 子供に就いて求. 西の二聖人が、 神の救と悌の済度を親子関係に例を求め. める処過大であるがために、 子供をして叛逆者、 もしく は偏善者たらしめ、 或は義務 に対する不幸なる奴隷とな らしめてはならない。 親の大切なる仕事は、 子供を成長. は最も責任ある教育者とならねばな らぬ。 されば、 家庭. て説かれている。 それ故、 父母の教育、 特に7歳までの 間は子供の一生涯を決める大事の時期であるから、 母親. せ しめ、 その成長に対して出来るだけ善い係件を供給す. を留守にすること多い母親は、 この母性の天職を完逸す る時間を毎日必ず持たねばならぬのである。 一面肉体の発育を考うるに、 生物発生学上の法則に由. るにある。 これは肉体的にも精神的にも必要 である。 そ して積極的に有害なるものからは子供を掩護 し、 親が出. 来すると云われる。 即ち個性の発達が人類の進化のあと を繰返すと 云うことに始まる。 子供の生活に人類旭先の. 来るだけ子供の周囲に道徳的な雰囲気を養成してやる べ ら子供は生れながらに宗教心の芽生えを る。 昔か・ き であ, もっている・ とも云われて いる。 母は幼児 に取って生活の. 経過した跡が反覆されることは胎児の形態でもわかると. 中心であるから、 母の中に宿れる神性の輝 きは、 よって 幼児の中に潜む神性を目覚めさせる。 母の神健に対する 徴 鹿な態度は子供を導き、 成長に従って、 母より受けた 芽生えが大自然に接して、 またまた培われる。 山岳の雄 姿・ 幽谷の清流のささやき、 大海原の怒繍など悉く 自然 の霊的感化力として、 宗教的素質 を育成するのだ。 続 い て女塾などの読物による道徳教育で、 更にさらに啓発さ れて行くであろうことが明らかだ。 かのアソナ・ス ペ ンサーが児童を次のように取扱うこ とが、 養育に関する必要事項であるとした。( 1 )両親を持 2~3歳から特に健康、 幸幅、 成長力 を たねばならぬ。 傷). されている。 ハッチ ソソンによれば、 子供の発達は4期 に区別され、 それは人類発達の跡をたどると云うのであ る。 第1 は狩猟期 で、 即ち鬼 ゴッコから戦争 ゴッコ、 第 2. は牧畜期で動物を馴致する。 第3は農業期で園塾を好. んでやり、 第4は商業期で、 物物の交換に興味を感ずる 時代であると云 う。 以上は勿論警に過ぎないとしても、 年令によって選択の対象が異ることは明かな事 であり、. 幼賜期には具体的なものに興味を持ち、 漸次抽象的なも のに移る。 また幼少は、 手近なものから漸次広い範囲に 好みが拡がって行く。 選択も、 物質から知的、 美的、 道 徳的に進むように、 所有欲も、 一度頂点に達したあ とは (2) ルソー全集 : 教育原理 2 -.
(4) . 学齢前は道徳教育の定礎 知的なものに変るこ とは明 らかである。 然し学齢前はこ の間の区別があまり著しく変 化しないばかりでなく、 宗. んだ。 昭和7年以来10人内タ トに減少したが、 その原因に は栄養問題が大きい役割をもったことが知 られる。 所謂. 教的信仰に入るょうな傾向も亦甚だ弱い。 然し4~ 場ミの. 科学的育児法が普及するに従って、 死亡率が減少した。. 時代は特に凡ゆる物に疑問を持って、 驚きつつ無限に子 供の経験と知識から、 行動の中に自分を見出すのである と 云う。 それだから、 教育者は子供の言葉を常に尊重し て聞くことが必要だと云われている。. かかる精神的発育に直接、 間接に大きい影響を持つも のは肉体的発育である。 そして、 一生の間で一番体重 の 割に多量のカロリーと蛋白質、 その他幾多の成分を食物 として必要とするときが学齢前である。 衣服も亦健康と 活動とを充分考慮に入れて選択する必要がある。 徒らな 装飾よりも、 歩行運動に軽快で、 保温の目的を達するも のが適当 である。 住宅も亦周囲に適当な学校のような土 地があり、 且つ繁華街や工場から遠ざかる静かな処であ るべきだ。・ また子供の部屋も、 日光によく照され、 血液 の循環を悪くせぬ起居の場所であることが必要である。 玩具や着物、 身廻り品に対し、 自分のことを自分で処置 させる。 朝超や、 就寝や、 食前 艮後のエチケットと、 日 曜日など社寺や、 山野や、 自然と親しむことも亦大きく 影響するものである。 遺憾なことに、 わが国の幼稚園の 54年現在、 国公私立3422、 園児数僅 数が甚だ貧弱で、19 18919に過ぎない。 入園希望者数の半数をも収容 かに 5 し得ぬのは遺憾の極み である。 第1章 薬義が肉体から橋辞 を育成する. かくて生理的面の育成が精神的なものにも大 き い 影 響 を輿えることを後年になって悟るのである、 とラッセル 1 ’は云う。 第1に 赤ん坊は習慣は持っていな Rus l l( e s 、 いが本能がある。 生后2週間後に、 眠りから醒める時が 多くなるから、 栄養も豊富にやらねばならぬ。 それから 新 しく習慣を身に付けるのだから、 授乳時の規律などに 留意することが必要である。 乳児の健康を保つことを第 1 として、 性格もこれと歩調を合せて進むようにする。 泣く子に乳をやる習慣は、 赤ん坊をして好んで泣くよう , にする。 甘やかすことと、 打ちやって置くこ との均衡を 保つことが必要である。 赤ん坊を母親の愛玩物に しては ならない。 1人の成人となるものとして取扱うべきであ る。 近代教育の主意は、 外部からの訓育を最少限にする ことであるが、 然し自己訓練 は早く身に着けさせるべき だから、寝かすために余りあやすことなく、お尻を乾かし て気持よくさせ、 安定な場所に置いて二言三言の言葉を かけて放任すれば数分間で寝る故、 この習慣を典えるよ うにする。 泣声を聞きわけ、 甘えて泣くのと、 身体工合 が悪くて泣くことを区 別すべきだ。 生后5カ月目から、1 ヵ年後を通して、 叱ることを稀にして、 ほめる方を多く しながら、 よい食習慣を輿える。 這うこと、 歩むこと、. 凡ての活動を充分にやらせるが、 睡眠、 食事及び排世を. 第1節 分娩前の母体 児童は出生前、 母の胎内で、 初めは毎日1gr以内でも 後期にはlog rにも及ぶ成長をするから、 母体の栄養を充 分にせねばならぬことがわかる。 これに伴って、 母親の 精神状態において静穏を乱し、 神経をいら立たせ、 或は. 極 めて規則的にやることが、 健康を保つと共に、 精神的 によい影響を興える。 また外界自然の美 しさを喜ぶ習慣 ●も教えるも は、 対照的に悪い道徳的 罪を憎む心の謙虚さ 3 ) ( のである。 かのカーライ ル の如き哲学 者 を し て、 〈乳母の胸から眺めたク「 バッハ小川が世界の流、 樹立. 避け、 古来から云う胎教に留意すべきことも当然であろ う。 特に分娩前は、 毎日約lo~30grの蛋白質の体内蓄積. の中の小道がローマへの道〉 と語らしめた話は、 現実の ものでなくとも、 精神的影響は無いとは云えない。 乳幼児の1ヵ年の発育は、 三島、 高洲両氏 (の によれ. を必要とすると云われるから、 食物と しては供給をこの 数倍のものとする必要もある。 叉脂肪の供給も、 蛋白質. ば、 男児の3~9キロ、 女児は約5分低い体重増加と、 男 女共に身長約50~73センチに至る。 また頭囲は男女の差. の%~%が要求され、 澱粉質も2倍半を要する。 更に胎. は少いが女児や 劣り、32~45センチ、 胸囲も亦女児や. 児の骨格形成に必要な石灰や燐や鉄分等は後期になって. や低く、32~45センチに至ると述べているから、 体重増 加は生后6カ月には最 も著しいもので、 特に9カ月後に は急速に増加す,る。 人工栄養児は初め3~4カ月間は増加. 清純な気分を撹乱して精神的な傷手を生むような状態を. 初期の7~lo倍を体内に蓄積でき得るような母体栄養を 考ぅべき である。 かかる高い栄養を消化吸収するために C E や、 ビタミンBの各種が常に供給され、 その他 A. .D . 沃度分も適当に必要とされるこ とを忘 れてはならない。 第2節. 乳幼 児の1ヵ年. 古くは、 乳幼児教育は母親と乳母の本能によればよい と考えられたから、 1ヵ年間に死亡するものも非常に多 かった。 我国では大正7年が最高で、 ,100人中ー8人にも及. 少いが、 その後体重増加正常で、 身長はやや劣るとも云 われる。 然し従来の人工栄養品の素質も劣ることを考え るならば、 現在ではあまり差は あり得ないだろう。 但し (1) ラッセル : 教育論 (3) カ ー ラ イ ル : サ ル タ ー ・ レザ ル タ ス (4) 三島、 高洲 : 栄養研究所報告. - ラ ー.
(5) . 田. 所. 哲. 太 郎. 牛乳の凝固が、 乳児の胃 では婦人乳より固く、 消化を阻 むから、 これを防止するため穀類の煮汁を入れる必要も. ある。 この意志力による自制こそ、 道徳教育の秘訣であ る。 かくて意志による勇気を褒めて、 児童の自負心を高. ある。 乳汁の消化力は4カ月 目から旺盛にな るのが常 で. 体内に蓄積される割合は約半分とされ、 蛋白質の消費が. め、 病気を作り出 して母親に甘えることを矯正すること が必要で ある。. 其後になって高まり、 蓄積も減少することは欧米の学者 によって報告された。 脂肪も、 大人よりはよく蓄積する Dの資源であるバタ から供給必要 であるが、 ビタミ ンA.. 速に進み、 身長よりも体重の増加率が著 しく高い。 例え ば男女児共に2年より3年に至って体重2割、 5年に至っ. ーなどを選ぶべ きである。 糖分は乳中の乳糖も飴の中の 麦芽糖も差はなく吸収される。 3キロ3ヵ月以内の体重の 間は1日logr内外、 5キロ5カ月になって50grは掃駁され る。 但し、 薦糖は避けねばならない。 無機塩類の吸収は 5~6カ月より旺盛となり初めの3倍ともなる。 特に石灰 を多く吸収され、 それに必要な ビタミ ンDを鉄と共に供 給す べきであるo 乳幼児のエネルギー消費は、 月数に従って増加するが 体重1キロ毎に平均80カロリー内外とされる。 然 し、 泣 かせると約20%増加することから考えても、 3ヵ月まで は最も多い。 5カ月以後の体重増加は数倍になるので、 自由に運動可能とすべきであるが、 エネル ギー消費はそ の後6ヵ月で9割となり、9ヵ月で8割、12ヵ月で7割と漸 減する。 次表は月数による乳児の授乳量を、 人乳と牛乳 量を示す (高洲氏による) 2日 乳児生後2. 月数 目より. 1カ月 2カ月 4カ月. 6カ月. 8カ月. 1日 5-6回 同5回 同5回 同3-4回 2‐4-7回 林檎蜜柑 鰹節スー 升 % プ牛肉l. て5割、6年に至って6割を増大する。 然し身長は1割以内 の増加であり、、胸 囲は5分以内の増加率で発育する。 痛6 年の身長及び体重を100とすれば、次の割合となる。 (生 地氏) ”). 轟. 1カ年. 4 カ年. 5 ヵ年. 男1女 男 女. 男 女 男 女. 身長. O 9 94 289 594 282 2 183 l89 677 477 71 5 71 . . . . . . . . . .. 体重. 0 89 O 490 67 859 358 2 481.579. 20 O19 1 !68 . . . . . . . .. 無機物中骨格を造るに最も必要な石荻は、 4才内外の 児童では、牛乳飲量に比例し吸収されるが、特に燐酸を添 rman 加することにより効果あることは シャーマン She 8 ( )の遊 べる所である。 またこの目的には、 ビタミンDの 供給をすることが必要 であり、 特に2~5才の成長の最も. o分間宛紫外光線に照射する 旺盛な時代には、 毎日2回l ・更に ビタ と共に、 茶匙に1杯の肝油を輿えるのがよい。 ミンCを供給することは石灰の蓄積を促進する。 鉄分は. 5 才に至って もなお大人の2倍以上を要するから、 卵黄. 150cc 匙 %乳加糖 %同 %同 %同 7% 全乳7%. だとか、 年長児にはほう稜 草粉末とかを常に豊富に輿え D の各 C B. る必要がある。・なお偏食を避け、 ビタミ ンA. .. 5% 7%1回7%1回 1同 30~ 100~ 130~. 男~ { 票~ { 180cc. 120cc 140cc 160cc. なお牛乳は人乳に比して、 凝固が固く不消化になりや. すいばかりでなく、 蛋白質無機物は2倍以上濃厚だが糖. 種を含むものを多く輿えるよう留意すべきである。 藤巻 氏が5~6才の健康男女で、1日7g r位体重増加するものに 対 して次の表の数量を興えることを述 べている。. 全 量 蛋白費 脂 肪 淡水化物 カ ロ リー. 1人1日. 生後1ヵ年以後6ヵ年まで. 生後第1年より2年に入って、 消化もよくなり、 歩く こと喋ることも可能となり、 独りで遊べる習慣もつけて やる。 その時に児童を甚しく驚かすものは音響であり、 落される感覚であるから、栄養に故障を起すことがある。 6 ) がエミールを眠りから醒すのに梁器でやった ルソ← ( のも極端だ。 また恐怖を興えるのも同様であるが、 母親 歳病であることが、 児童に鯨染する や乳 ,母が恐怖が多く臆 6 )Mon i t a ことにも留 意すべ きである。 モ ンテーニュ( gue. 食 (g ) r. 主. 分は却って5割減である。 第3節. 3 カ年. 2 カ年. 乳 児に とっては大人の3倍量も必要 とするものであり、. 、 1-3-lo00、 重湯. 80cc. 生後1ヵ年以後になって、 男女児童の身体の発育は急. 男女平均. 572 7 .. 17 01 ・. 03 1 .. 48 180 .. 799 27 .. 食 (gr ). 副. 全 量 蛋白質 脂 肪 淡水化物 カ ロ リ ー. 1人1日. 男女平均. 0 528 .. 23 7 .. 8 34 .. 44 12 ,. 346 5 .. 54gr、 炭水化 男女体重1キロ当り蛋白質2 3 2gr . . 、 脂肪0 (5) ルソー : 教育論. の云うように、 篇すことなき閑な精神は遊んでいる土地 と同じで、 様々な無用の雑草が茂るのだ。 食と寝にコン. (7) 生地 : 栄養研究所報告. トロー ルを目から付ける習慣を輿えることが最も必要で. (8). (6). - 4 一. サ ン ト・ ブ ー ブ : モ ンテ ー ニ ュ 小 論 i ion &. Food Sherman: Niutr t.
(6) . 学齢前は道徳教育の定礎 76gr、 カ ロ リ ー65 1カ ロ リー 物12 . .. 女. .. 1. .. 男. 関懐勝島 髭 隠 顕制禦 1. 体重1キロ 1人 1 日. 66 30 .. 男女共に1~4才までは充実期であるから、 肥満に必要 な炭水化物や脂肪を多い目に、 特にビタミンBを豊富に 興える。 5~6才は伸長期であるから、 特に蛋白質を多く 2gr位を、 また石荻や燐酸分を多く、 ビ 1日1キロ当り2 3 . C タミンA. .D なども、 多く興えることに注意すべきであ る。 石荻や燐酸の如きは、 蓄積量において、 体重1キロ 04grの燐酸、 0 05grの石灰を要 し、 15才 に対して、 1日0 . . 以上のものの約3倍にもあたる。 カロリー量も1日所要 量が、 次の如く年令で増加する。 日本人の場合と ( ) 内独逸 ドレスデンの場合の例を示す。. 年 令12~3年i3~4年-4~5年15~6年16 年. 8k協… 5 剃‐E3 9E8 9 燃 ル5 米国児童の標準は、 各食品に対して次のカロリー数値 を要するものときれている。 食品. 穀類. バタ← 砂糖. 牛乳. 10. 卵. 黄. 米国児童の標準を、 ビタミン、 鉄及び燐、 その他を次. 4才以下 120045 (gr ) 4~6才. 1500. 55. る、かのルソーの自然讃美を思出す べきであろう。自然児 ルソーは、 自然が道徳 の進路をわれわれに輿えると云っ ている。 例えば 「私の肉体は精神をはたらかせるために は、 動きを奥えられなくてはならないのだ。 田 園 の 眺 望、 いい景色の連続、 大気、 盛んな食欲、 歩くことによ って得る健康、 田舎の気楽さ、 束縛から遠ざけられた一 切そういったことが私の魂を解放しずっと大胆に考える 力を典える」 。 かかる習慣を持たせるのは、 3~4才の庭 いじりから始まり、 5才の動物愛護に進み、 そして友人 と自然に遊ぶ間に公正の習慣を得るのであろう。 性の問題は、 幼児を、 無智の女性にまかせることによ 1 ) の研究によれば ってよくないことが起る。 心理学着 く 2~3年位の時に、 既に性的刺戟を感 じ出 して、 暫らく経 てまた止むのを見るのは、 生理的刺戟があって、 やがて 叉無くなるた めであるとされている。 寝床の上には直ち. 燐. 鉄. ビタ ミ ン C A. 0006 0. 0 1 3000 1 . . ~9 0008 o 0 .~11 3000 I i1 . ・. 教育するために、栄養上の処理も亦必要である。 特に4才 以上にて5~6~7才と云う時代には、次の例に見るような ことから食品の選択にも留意す べきである。 l o巧こよれば 少女の性犯罪防止として 英 アソナ氏( 、 、. に示す。. ! 多ぞ 蛋白質. そ してこの時、 生命なき自然は征服さる べきであるとす. 親や兄姉を目撃することを故意に避けたり、 性は忌む べ き、 また不潔なものであると云う意識を奥えないことが 必要であるとされている。 自然的にこの問題を取扱って. 16. や- ギ. 子供だな) というのだった」 ………幼少時の 「力への 意 志」 を伸ばすことをすれば、 勇気あるものに成長する。. に睡むるか、 目醒めて直ちに起きる習慣を興う べきで あ る。 また繍3~4才で性的好奇心があらわれる。 裸体の両. 25. ~22. エネル. いのである。 時 どき父は明け方燕の声をきいて、 さもき まり悪そうに (寝ようじやないか、 父さ んはお前よりも. 75 80. 幼少時は遊 び好きであり、 人の員似が好まれ、 何々 ゴ. 国リバプール収容所のlo年間の研究結果から、 次のよう に3食とも野菜を主成分とするものを推賞している。「野 ること、他に多量のサラダ、果 菜はす べて自然のままであ・ 物、木の実、それに少々の魚肉等を混合する。 食事の終り. ッコで暮すことが多いものである。 この時代の一番本能 的な衝動は、 もちろん性 (セックス) ではない。 寧ろ、 早く大人になりたいと考えて行動するものである。 され. を副食に推賞している。 叉主食のパ ンは、 小麦粉にスコ ットランドから入ったオートミールを混ぜて焼いたもの. ば教育は本能の開発と指導であるから、 これを伸ばすた 9 ) の話の如きことも必要であろう。 めに、 次のルソー (. である」。かかる事実は、 古くから人々によって選ばれた 処であって、肝臓など濃厚で刺戟性のものは、あまり子供. (告白鎌の中にある一節) …… 「母は小説類を残してお. に食べさせない風習が一般に行われていた。 夜の寝室に. いた。 父と私と二人は夕飯のあとでそれを読み始めた。 最初は面白い本で、 読書の力をつけるという目的にす ぎ. 入る前にチーズな どを多量 に食べることを避けているの. なかったのが、 やがて非常な興味となり、 二人とも代る 代るに休む間もなく読み続けて、 その楽しみに夜を過し た。 一班の 終りまで行かなければ、 どちらも止められな - 5. 頃に必ず砂糖大根のように噛みつけるものを添えること. (9) ル ソー : 告白鎌 1850 . (1) ラッセル : 教育論 (lo) ア ソナ ・ カ ミ ング 博 士 : ロ ン ド ンタイ ム ス 1953 . Deぐ ,.
(7) . 田. 所. 哲. 太. 郎. たものであろう。 も同一の経験から出●. は云う、 かの胎児が原生動物から人間にまで進化する経. よって、 著者は学齢前の児童の食 品に就いて、 次の如 ID する。 即ち主として蛋白 き選釈Lを要することを 主唱(. 路を辿ったように、 色々の野蛮な、 そ してまた女化の低 いものは高いものへと変化 してゆく。一般的概念として.. 質であるが、 獣肉特に内臓物な どの料理を橋版せしめぬ こと、 乳製品例え ばチーズなどの適量を遇さぬ こととす. 叉は麦那流にいうならば、 哲学は一種の道徳的な実践的. る。 日本人ならば、 まず魚肉中の内臓物を避け、 赤肉魚 よりも白肉魚、 例えば蝶や鱈などは最も好適である。 著 者の実験によれば、 極めて過量の蛋白質量として掃駁し た場合にも、 何等弊害の栄養に及を な いことを証明して いた。 また植物性の蛋 白質ならいくら多量に興えても可 なる べく、 特に豆腐及び納豆 を推賞するものである。. な良識にもなり、科学は実利的なものともなる。叉・テーヌ はわれわれの魂の心理を考えたとき、 そこに時代的心理 を見出すように、 基礎的精神状態は 3個の や民族的心理・ 本源的な力によって生み出されるとも云っている。即ち、. 第1は人種叉民族にあって、 かれらの血縁関係は破壊さ れていない。 異文化の侵蝕、 気候風土の差異、 幸運叉不 運も影響を及ぼし得なかった原始形態の大きな特色を今. 次に ビタミンCを多量に供 給することは、 性ホルモ ン の分泌を阻止制限するから必要 である。 青年に達し性欲. なお残存 している。 第2は環境で、 人間はこの世に唯独 りで存在するのでないから、 まわりの自然と人々とによ. の最も旺盛な時期にな り、 壮年となるに従 って体内の ビ タミンCの貯蔵は急速に減少する。 ビタミンCを多く供. って、 第2次的なものが特色づけられる。 即ち、 二千五 百有余年の昔、イ ン ドに発 し、一切虚無の観念の中に生れ た悌教による影響や、 四界海をめ ぐら し、 山高く水滝き. 給する意味において新鮮野菜や果実が最も適 している。 英国のアソナ氏が、 3 食共に野菜を主成分とした副食物 を選んだのも、 かかる理由から出たものであるとも考え られる。 魚肉とあるのも、 軽い動物 蛋白質を云う。 紘に児童の食事に就いて、 ペスタロッチ-の採用 した 例 を挙げて再考して見たい。 即ち、 かの ブルク ドルフの 学園において採用した食事は次の如くである。 「彼等の 食事は単純であり、 朝はス← プのみ、 書はスー プと肉と そして野菜であり、 夜は パ ン (著者の想像だが多分黒パ ンだと思う) と林檎、 夜食にはスー プに野菜並びに馬鈴 薯とされている。 これは単に安値であると云うば かりで なく、 栄養と精神及び肉体教 育の場から考えたものであ り、 長い経験を基盤と し、 その上に建てられたものと思 う。 もちろん全面的にこれを以って理想食だと云うので はない。次の点に留意 して、われらも採用する必要を考え る。 1日に3度ともス プを用いたこと。 この間に色々 のものが入 り、 特に穀粉製品や野菜が入ると思う。 次に 1日、 肉即ち、 動物蛋白質は1回であること。 日本人なら 1回豊富に魚肉をとればよい と思う。 第3には、 野菜食が 多く、 特に馬鈴薯が採用されたこと。 更に最も留意 せね ばならぬことは、 ビタミ ンCその他貴重養分の資源であ る果実を毎日必ず採用 したことであり、 日本人なら容易 に行い得て最良の方法である。. 第2章 家庭教育の中で道徳性の育成 第4節 人間と云うものから家族へ 諾々の結晶体が如何に多種多様でも、 もとは核なる粒 子の簡単なものから発達 している。 同様に人間の多種多. 様性が存在しても、 精神の示す心像の表象は、 一般的概 念に発展するか、 或は能動的決意に成長する。 前者は理 1 2 ) i ne( 論的で後者は実践的 である。 伸女学者テrヌTa. ー 6. 風 土により影響された生活から生ずるものである。 第 3. には、 時代即ち封建時代から民主主義時代になったため の影響や、精神主義、観念主義から実利主義、 現実主義と 時代が変ったための影響 である。 す べてこれらの事柄を 記憶して、 家庭教育に も当らねばならない。 さて家庭で は妻と子が父と夫の指導の 下に行動 しようとするから、 服従の感情が流れている。 家族は、 自然的な原始的な制 限された国家 でもあり、 社会でもあると云うこ とを考え ながら、 教育指導が家庭において必要である。 第5節. ルソーとモ ンテニューの児童教育から. 幼 児は、 家庭 での玩弄物 ではありえない。 誓えば、 か の シェイ クス ピア 「多の夜ぱな し」 に出るポーリック・ サニーズの言葉をかりてみると次 のようである。 「国におれば、 幼児めはわたしの労働 でもあれば、 娯楽 でもあり、 叉大事件 でもあるのです。 今親友かと思うと 忽ち仇敵になります。 陪食者にもなれば、 大将にもなれ ば、 大臣に でも何にでもなります。 彼児がいると、 6 ・月 嵐 の日も12月のそれのように短かくもなります。 を濁ら せ るよラな厭な思いも、 彼児の取りとめのないあどけな さには慰められます……」 (坪 内遭逢氏訳) とあるよう 3 1 )が云うのは 「人間というものは、 に。 モ ンテニュー( 不思議に虚 しく怪奇 且つ浮動常なきものである」 と。 叉 「きまった日当を持たぬ心はさまよう」と。かくして、本能 を伸すことに於て、教育は家庭で最も大切なものである。 モンテニューは、 彼の教育に心を用いた慈しみ深い父親 (11) 田所 : 北海道大学紀要 (12 ) テーヌ : 英吉利文学史序 論 (13 ) サ ン ト ブ ー ヴ : モ ンテ ニ ュ ← 小 伝.
(8) . 学齢前は道徳教育の定礎 の手で育てられた。 揺藍時代からラテン語を教えられた ……モンテニューを16世紀の 「エミール」 のように、 農. の創見とも云う べきは遊戯による学習と、 瀬制の廃除と. 村へやって育てさせたり、 洗礼に身分の極く騰 しい人達. である。 またルソーは子供は戸外で鍛え泣く時に泣かせ る。 そして、 手工と体育を重んずる徳を、 魅力あるもの. を名付け親になって もらったり して、 誰をも軽蔑 しない ように、 特に貧しい人々を軽蔑しないように教え込み、 却って貧しい人 に恩義を感じ愛情を持たせようと した。. にすることを主張した。 ルソーの病弱に生れついた多感 な子供は、 敏感な心だけを両親から受けたと云っている ことに留意すべきである。 そして、 子供を善良に育て自. ……子供の目を覚ます時には、 何か楽器を奏でるという. 由にする自然を尊 べ、 社会には虚偏があると云うのが彼 の主張であった。 然も、 子供の性格に腰 じ て、 よ く 観 察、 吟味、 検証 して教育すべきであるとした。 友との遊. ようなことまでした。 ……彼はこうして成長したが、 気 性は機かで温和しく、 かなり柔弱なところもあり、 遊 び 好きであったが……既に心密かに大胆不敵な空想を抱 き もしていたのである。 ……かようなのが幼児の心であろ う。 モンテニュー(M)は云う。 父と親しむことを避けて、 かれらが冷淡から畏怖と服従を得ようとするのは狂愚で ある。 父には自分を愛することも、 自分の贋値を認める ことも出来ないのだと信じて逝った子供のことを偲ぶべ きである。 叉彼は ピンを謀.魔化した。 「ピンだからだ、 よもやお金を誤魔化そうとは思うまい」 とつ よく不徳を 本質の上から憎むように教えるべきである。 幼弱な子供 の魂を、 厳格と拘束の中で屈従的にすべきではない。 過 失を懲ら しめるにも、 寛大さをもつべきである。 然も男 の子は、 女子よりも服従的でなく生 れ、 自由独立の精神 を拡大さるることを望んでいる。 汗や、 寒さや、 風や、 太陽に対 して無感覚にあらしめ、 衣食の料より安楽質沢 を除く べきである。 ホラチウスの言葉に 「彼をして野辺 に伏し、 草原のただ中に生きしめよ」 とあるは、 両親の 膝の上で育てることを避けよと云うのである。. 児童への歴史的人物の話や、 読物は、 事実や女章を教 えるのでなく、 人物の心性を学ばせるために役立つので ある。・そして歴史から人生哲学を学ぶべきで、 哲学は生 れたての少年のためにも論説があると述 べる。 それは、 哲学は人間を論じ、 人間の義務を論 じ、 人間の鍛錬だか らである。 児童の最も甘き満足は、 父母を喜ばせること であるから、 好い事をやったら大いに喜んで や る べ き だ。 夫に妻が敬意を完うするために、 愛情をかく すよう に、 父母が子供に愛情をかくすべきで、 憎みなく典えて はいけないのである。 ルソーは、 古き教育思想家は家庭教師としての才能を 持っていて、 それは柔和で骨惜しみなく勉めることだと 云っている。 そして、 彼の繊悔鉄の中に、 感情と理屈と 憤怒は最も教師に有害なものであるとしているo ルソー , は僻蘭西が現実尊重の時代であるからこ そ、 教育に最も 力を入れねばならぬと云っている。 これと同様に、 幼弱 な児童は人生での現実的な 時代であるから、 特に教育に 力を致すべ き大事な時 であ ると云えょう。 また、 ルソー. 戯の中からも、 自己愛は他人を害すること .なく、 自己の 善を篇すことを学ぶべきだとした。 大人は、 子 供 を 愛 し、 子供と遊戯し、 娯楽を共に して、 愛すべき本能を大 事にして、 常に笑を唇にたたえて教えよ。 子 供 教 育 か ら、 服従や命令や強制を除く べき であるとした。 第6節. ペスタロッチの児讃歌育から. 6 L ) から--胎教は絃か ら 初 め ら れ、 新婚生活日記( 「私が熱心に私の改善のために祈り、 私の生涯の虞実な る伴侶のために祈っても、 最も卑しい楽しみの動機があ れば、 す ぐ再びこれに身をまかせようと準備する。 最も 小さい動機があれば、 私の罪は止め度もなく従がおうと 用意する。 そして、 最大のことは、 おお神よ、 汝が私の ‘この過 愛の担保 (胎児) を特に護りたまわぬときには、 失が彼にまで影響を及ぼす危険に至るの である。 わが神 よ……われを助けたまえ」 と。 また、 彼女の日常の生活 は姫娠中次の如くであった。 「私の身体の歌態は、 有難 いことにはいつも同様によろしい。 私は、 身体に果実を 云うに云われぬ容易さを以て担っている。 私はそれにつ いて、 神の親切を讃美しつくし得ぬほ どである。 この日 日は、 私にとって新約全書の読詞、 特に祈りの讃歌が大, 好きになった。 好んで私はこれを読む」 と。 また 「夫と 私とはあわれな争いをしていた。 おお神よ、 力づけたま え……如何に甚しく私の精神 が善きことに欠けているか を、 汝はまことに知りたまう……ああ何卒平和を私の中 にあ らしめたまえ。 私を助けたまえ主よ……私 が私の大 切な子供をささげるときには……私をして満足 せしめ給 え」 と。 そして、 今は妊娠の終りであることを知りつつ 彼女は云うのである。 「私のあこがれ望 んでいるひそか なる修練 (祈り) に、 私をさほどしばしば入れないので ある。 私の子供が生れるに際 しての私の運命を、 私は朗 らかな心の落着きを以て次のように私の神におまかせ し てある。 私の二人とも命があったならば、 神は彼の最上 (14) モ ンテニュー : 臆想鍬 (15) 雨鳥政雄訳 : ペスタロッチ新婚生活日記. - 7 -.
(9) . 田. 所. 哲. 太. 郎. の助けを以て私共につき添いたまえ…」 と。 そして、 よ うやく出産の近づいた時の日記の中に次のように書いて. ・駆り立て過 つた結果である。 冷たい心になって教えよ。 ぎから、 子供は時には元気を失い、恐れ易くなり、落ちつ. ある。 「神が、 .余の妻を余の罪ゆえに取り去りたまわぬ の犯せる罪ゆえに打ちたま わ 神が余の子供を余 ように。 倒れてわが罪に泣いて ざるように。 余をして 、 神の恵み. かないようになる。 こんな形跡があれば、 子供に注意と 寛大とが必要とな ると述 べられている。 また快活と喜 び. を乞わしめることをさせ給え」 と。 そして、 新たに生れ 「神よわれを護りたまえ。 た嬰児については神に祈って、 余が汝の魂にな んらの罪悪をも植えつけないように、 汝 愛する子よ」 と。 胎教を終り、 子を持って知 る親の恩の意味を しみじみ と味うのも、 嬰児教育の一つとなろう。 日記はかく書い ている。 「私のお母さんは、 自身でその翌晩に私のとこ ろへ来た。 そして私の幸頑な出産について- 彼女のよろ. とが彼の顔にあらわれている間は、 また凡ての遊戯に朗 かさと元気と生命とを持ち、 喜 びと幸幅とが彼の感 じの はるかに優勢を 占めた部分 である間は、 私は何も怖 れる ことはないとも述 べている。 瞳用にまで導き、 張制なしに判断を求めよとは、 越え. て行かねばならぬ街路に横たわる濠に向った場合を指す のである。. こびをあらわした。 私の生れてから今日まで、 私共はこ の面談の時ほ ど全き楽 しみを感 じたことはなかった。 私. あまやかした事をやる口実と して、 率直に受け入れな い場合がある。それは、彼が率直に言わない場合、 彼の願 を拒絶せねばならぬことがある。 彼が何か逃れようと思 う時には、 たとえば私が髪を洗えと云うと洗わないと言. 共は嬉しさの涙で泣いた。 私は今はじめて、 母からどん なお蔭を蒙っているか を心に思う」 と。 また子供を育て. わないで「私は勉強する」という。それは、勉強で彼をよほ どあまやかしたことを彼が知っているためだ。 自由を束. る架みを次のように述 べている。 「私が可愛い子供のこ とで仕事をしているときは、 それを崇高なる楽 しみであ. 縛する人への憎悪を子供の心におき、 自由によって子供 の心に安静と恒心と喜悦を興える。 社会的生活において. り、 私の第一の務めである。 私はす べてを神に対する祈 りを以って、 また感謝 を以って行うというところまで行. 束縛せられざる自由だけによっては形成できない能力を. くことが出来たならば、 私は如何に幸頑であろう」 と。 そして、 子供と共に寝床に入るときの心ぐみは、 次の如. そなえ、 それに習熟することが必要である。 束縛せられ ざる自由は死であると彼はいう。 速かに結果を生ずる境 「はや く一種の抑制をせ 遇は沢山ある。 ルソーでさえも・. 「 努力し く ,であった。 私自身を祈りに熟達させよう と た。 そして、 自分のため、 夫のた め、 また子供のために 行った。 ……今日私共は最も快き日をイ緒に した。 私共. ねばならない、 むずかしい性格は火が危険であると同様 だ」 と云 りている。 全く自由な幼年時代があった人も、 少年時代には姪禍や束縛が確かにあると云うのである。. にまだ宗教というものを主要事とすることがあまり少い. 「子供は、 彼があり得るだけ自由であれ。 彼に自由と安 静と恒心とを興え得るす べての可能の時を大切にせよ。 汝が事物の内面的本性の結 果によって教え得るすべてを. ことを認めた。 そして、 神に感謝 した」 とある。 」か ら-- 「私は彼に2~3の動 物 を 教 え 育見日記 nG た。 ……それから私が彼に問うた時に彼は独特のほほ笑 を以って正しくなく云うのだ。 この正しく言いたくない 心は、 私にはわがままが如何にして行われ得るかという 怒れない試みである」 と。 それ故に、 鏡き観察を必要と するのである。 子供が病気に躍ったが、 極めて少量の服 薬をさせるにも苦労することが多い。 「彼の 健 康 な 時 に、 彼に時々筈にならない程度の、 しかし不愉快な飲物 や粉を奥えて、 それによって彼が必要な場合に、 それを. 言葉を以って教えるな。 彼を して見聞き、 発見し、 且つ 倒れて起き、 而 して迷わしめよ。 行動や行篇が可能であ る処に、 言葉を用いず、 彼が自分で出来ることはそれを 鴬すべきである。 汝は自然が人間よりも彼をよく教える るであろう。 しかし、 汝が彼を従 順ということ ことを見, に慣らす必要を見る時には、 彼をこの自由教育で困難な 務めに向って、 あらゆる配慮を以て教育するように汝自 身準備せよ」 とも説く。. 服用しないということに同じ反抗力をもはや用いないよ うにするというの である。 それで教育上では、 す べて熟. 「す べての阻止 は、 不信顔を生むという事を考えよ。 故 に汝の子供の心を確に捕え汝を彼に必要なものとせよ。. 練とか克己とかいうものは、 それは極めて稀な場合に必 要であって,も、 よほ ど以前から必要な時が来る前に、 準. 彼を、 汝より外に気 に入りの一層愉快な友達を持たない ようにし、 汝を信頼 させよ。 命令はただ必然に行われね ばならぬ。 むら気とか、 虚栄とか、 不必要な知識への傾. 備的に慣らされなければならぬ。 何となれば、 熟練を是 非用いなければならぬ時というものは、 稀ではあるが重 大な用をするものであるからだ」 と云う。 病気でわがままが目に見えて 強くなったのは、 いたわ - 8. 向な どは、 決して命令の動機となってはならぬ。 暫くあ (16) 両島政雄訳 : ペ スタロッチ育兜日記.
(10) . 学齢前は道徳教育の定礎 る機会を待って、 事物が自然に誤りを感じさせ、 その結 果子供が命令の必要について自然に感ずるようにせよ。 汝は、 魂全体をこめて、 子供の信頼のためにはたらい た。 汝は、 彼にとって彼の喜びにおいて必要である。 汝 の性格の中には、 気ままな命令に傾くようなものは何も ない。 然らば、 子供にこの必然の従順への配慮と知慧と を以って準備せよ。 本務と従順とが彼の喜びとなれ。 自 由の最大の喜びを楽しむに際 しては、 最も愉快にして子 供に興味を起すような方面の仕事を手に取れ。 荷を負わ せ過ぎるな。 仕事で喜びに向い、 汝の仕事に関心を持つ ように、 彼にも関心を持たせよ。 従順と労働とを愉快に するためにす べてこの状態を一にせよ」とも説いている。 隠者の夕暮から--次の名句を発見する。〈純なる子供 の従順は、 日々の親の賜物を楽 しむことに、 その基礎を 有する〉。であるから、 これを敷街することが必要であろ う。 また道徳内面的純潔は、 従順と信仰とに基礎を有 し 人間の聖き編の源泉であるとも述べて、 人間の聖塙は信 仰の力であることを力説している。 虞理と純なる人間の心とは、 煩わされることが無いと も述べ、 純潔の尊さを教えている。 平静と瀞なる慰めとは、 人間教育の第一つの目的であ る。 そこに人間が世の寵児となる理由がある。 知識や名 誉は、 この高い目的の下に置かるべきである。 然らずん. ば好奇心と名誉欲は身を噛む。 単純と無邪気、 感謝と愛とに対する純粋の人間の感情 こそは、 信仰の源泉であるとも説く。 低き虚飾に固執することと、 素質と力とを反射 して自 己の弱点を覆いかくそうとする衝動とは、 最もひく き最 も賜き人類にも存する教育からはずれる。 自由を正義の上に建設するにも、 単純と愛とに一致せ しめられて開発された人世でなくば正義がない。 リーンハルトとゲルトルート「”) から-一家を尋ねて 家庭教育を見る場がある。 朝の食事が済んだばかりであ ったので、 家族一同驚いて客を迎えた。・子供連は健康 で 働き、 皿を洗うものと、拭くものとあり、仕事終れば朝の 讃美歌を歌い、 そのあと糸車を引いて座に着いた。 ゲル トルートは聖書を朗々と読み、 子供連は母の口について 繰返した。 長女はこの間隣室で子供の寝床を遣りながら. 小声で繰返すのだ。 長女は畑に出て、 書食の用意の野菜 を取ってきて、 弟妹と一緒に洗いなが ら聖書の詩句を復 唱した。 子供連は3人の珍客に心を惹かれ糸引きながら頭を上 げて客の方を見る。 母は、 お前は糸に注意するよりお客 様に顔を向ける方が多いでないかと一言する。 すると、. 子供は私達一生懸命やってます。 何時もより立派な糸を. お目にかけますと答える。 母は糸車や綿に間遠が出来れ ば、 それを直してやった。 糸繰りの出来ない幼い子供は 綿など揃えて硫く用意をした。 母は子供の手仕事を励ま したが、 読み書きを教えることは急がなかった。 ただお 話することが立振に出来るように仕込んだ。 そして、 生 活そのものについて、 贋実に理解させることが大切であ った。 ……そして、 隠者の夕暮でも述べるように、 父の. 家での日毎日毎の家業や労作に即した、 全身的な生命的 な認識の教育を主張しているb このように して、 彼は自 然に従う道徳教育は居間においてのみ、 また家庭的な誠 実と1 曹みとに依ってのみ行われるとした。 精神の潔味と 神に仕える心とを、 神を畏れる母の膝下で培わない人間 は、一人前の人でない。 ルソrの〈自然に帰れ〉のように、 「山は平原に言った (僕は君より高いよ。)平原は答えた (そうかも知れない。 だが僕は一切なのだ。 そして君は ただ僕の特別な場合に過ぎないのだよ) …… 「幾千とな き多くの人々は、 自然に依って作られものと して、 肉欲 的快楽という堕落に耽溺して、 それ以上を欲 しない。 幾 万の人々は、 社会の重荷に……屈し、 それ以上を欲 しな い。 わたくしは、 それ以上を欲した一 人の人を知ってい る。 彼には純潔な歓喜と僅かな人が味う人間に対する信 仰とが存在し、 心は親切であり、 愛は彼の天性であり、 誠は心であった。」 8 1 )から--「道標は、児童たちが平素 ペスタロッチ億( 慣れてる活動、 勤勉、 秩序などをそれ自身尊重するよう に導くから、 学校へ来ても効果が多いのです。 自負に対 立する自尊から……総ての道が生じ、 そ して小さい時に 出来て、 長く継続した総ての他の行罵に結合している習 慣は、 未来の公民として彼の義務を遂行することを容易 にならしめます。 公民ペスタロッチの教育所は、 両親に 本式の家政と道徳教育との明白な槙 g範を輿えるのです。」 居間の教育として、 彼は学校をまず自然の家庭に似さ. せ、 健全な居間に存する豊富な精神的の力を学校の教育 力と した。 ……家庭教育の有つ長所は、 公けの教育に依. って模倣されねを ならないこと、 そ して人間の教育 に必 要な完全な精神を把握するには、 家庭関係の完全生活に 建設されたものでなくてはならぬと云うのである。 人間の知識は、・直観の知識でなければならない。 また あらゆる教授部門は、 児童の幼稚な力で達 し得るような 単純な初歩点に還元されねばならない。 初歩点は練習に よって児童の精神となる。 ペスタロッチがニーデラーに送った手紙の 中 に あ る (17) 長田新 : ペスタロッチ伝上巻 (18) 長田新 : ペスタロッチ伝下巻. - 9 -.
(11) . 田. 所. 哲・ 太. が、 児童たちへの平和教育こそ尊い道徳教育であった。. 郎. 自分自身の幸禰への志向を捨て去ることであった。 そし. 「私は彼がこの力で鷲の翼にでも駕 して舞上るのを望む. て、 物質的形態と観念的形態において表現する不可分の. が、しかしそれにも拘 らず、彼の平和に役立つものを彼の 耳に瞬くことを喜びとしたあのよい鳩のことを考えるこ. 自然性と社会生活の発展への教育であるのだ。. とを望む」と云う。また、「弟子達の個性を写 してこれに即. 非難 している点から、 自由教育にあったことがわかる。. して指導したのは、 孔子が論語の中で先哲の個性に即し て指導 しているのと同一であり、 よい身近の先生のお話 をすることが必要だと思う。 そして、 子供を殴打するよ うな事は、 良心を押えつけ , 、 人間に牛馬の如く手綱を付 け、 自由を退散させるのだ」 と云う。 母親は児童を寝床から目覚ませる。 そして衣服は整頓 されているものを着させ、 同時に汚れや破れを観察 し、 身体清潔の面も検する。 髪を整理 し、愛撫の言葉はく好い 子〉 である。 叉 ペスタロッチは、 母の教官力について 次 のよう速 べている。 「子供が母の手許で学 び、 且つ練習 することは、 彼の後年の凡ての精神的及び心情的の陶冶 の実質的 の基礎である。」 第7節 1 ・ルスー ・イ とマカ レソコの亮童教育から-- トルス トイは、教育者として造詣も深く、学校も建て著 作もあり、児童と生活を共にもした。近代のソ聯教育家マ カ レソコとも思想的に共通なもののあるのは、 ロ シアの トエフスキーや ゴー ゴ 良心によるのであろう。 かの ドス. リを経てトルストイ に至って、 ロ シアの良心が、 教育精 神の上に、 大きく鯨統として表われた。 ドス トエフスキ 1 9 」が 自分を軽蔑・してやがて自己放棄に進んだその ー( 、 思想は、 ローマ数から離れギリ シャ正教に寄 りそうた。. 然も、 東洋の宗教的無政府状態、乃至は、虚無思想的であ り、 静寂主義の伊 E数にも近いものであった。 即ちロ シア 人独特の人類への愛は、 人間の生み の親としての神の姿 である。 あたかも、 漫婦が生める赤児を初めて見たとき の愛にも似たものである。 そして農民礼讃がロシア精神 であり、 人道主義思想と投合 して現実の姿 に 鞭 打 ち つ つ、 自由を生命と している のである。 それだから、 マカ, 2 0 )に至っても 「過去の教育はすべての人を一つ レソコ( のサイ ズにあてはめ、 標準的な紋切型に押 しこめ、 種類 の少い一連の人間タイ プに教育しようと間違って努力し. 2 1 1の教育思想は独逸の学校を次の言葉で トルス トイ ( 「独逸の学校は、王様のための、 祈祷と体刑と暗諏づくめ だ。 そ して、 児童は皆解かされ、不具にされている」と云 うのである。 また「ロシアの従来の学校でも、数話と言え ば員実よりも虚偏を教えるこ との方が多いから、 これを 授けるのは有害だ」とも述 べている。トルストイの学校 で は、 生徒が遅刻しても、 別にこれを責めない。 生徒の座 席も定めずに、 何処に坐ってもよかった。 授業は牽砥対自 由主義 で、 何等の拘束もない。 学校には罰則もなく、 も ちろん体刑などは絶対になかった。 当時他の学校 では、 何処でも体刑は普通とされていた。 そして生徒の理解し ないのは、 教師の説明能力が足らないからだと云うので あった。 授業のあと、 トルス トイ は生徒と連れ立って林 の中を散歩もした。 生徒と一緒に体操もしたり、 轍にも 乗った。 生徒が余り激しく騒 ぐと、 「どうぞ静かに」 と 云うだけ であった。 春には、 ÷町歩の土地を生徒等に提 供して、 勝手に老粥乍させ、 好きなものを作らせ、 収穫物 は分配 した。 また農民教育には、 農民から出た優秀な学 校卒業生を用いてやることを考えた。 そ して、 形式的な ものを避け、 自由なむしろ放任主義的な開発主義的な点 はルソー教育法に似ていた。 ルソーの自然に帰れの教育 主義を、 そのまま実行 した、 ペスタロッチの教育にも似 たものであった。・トルス トイ は、 秩序や規則は他から狐 いらる べきものではない。 人間の員の活力から、 天性の 不羅奔放が生れる。 その中か ら何等張制なく して秩序が 生れ来る。 内部からの秩序こ そ虞の秩序であると主張す るの である。 だから、 一様に能力の発達を目標とせずに 人々の個性をあくまでも尊重す べき教育が必要だ。 そし て社会にあっても、 個人の強制さるべきものでないと云 う, 信憐を実行することにあった。 即ち、 児童の個性尊織 と自由の尊重が教育の生命であった。 そして人生に対す. ていた」 と、 失敗を指摘 している。 そして同氏は親のた めの本を書いて、 その中に道徳教育の基礎は家庭にある. る児童の興味を、 聾術なり、 自然なり、 文学なりに向け ・ればよいと した。 児童に向って提供した 好奇 心を刺戟す. ことを述 べている。 また、 同氏が教育上の問 題を解決 し. 問題を解いてやればよい。 即ち、 疑問を心の中に喚起せ しめて、 その解決に力を添えてやる事であり、 開発主義. た一つは、 児童集団は作業団であり、 農業労働を組織 し たことであった。 これによる道徳上の教育は 「孤立の う ちに野生化した個性を発揮するのには、 どのようなこと をしてもよいという、 勝手気ままな状態になること」 を 打破するのであった。 同時に、 個人主義エ ゴイ ズム、 民 族反目、 貧欲、 我欲を捨てて、 孤独感から呼び起される. の教育である。 例えば、 作文でも題を輿えずに各自が一 . (19 ) ア ン ド レ・ ジイ ド : ドス トエ フ ス キ ー 論 イ マ 20) メ デ ソス キ - : カ レ ソコ ・ 人 と作 品 ( 21) 昇曙夢 : トルス トイ 研究 (. ー lo -.
(12) . 学齢前は道徳教育の定礎 番興味を惹かれたことを自由に書かせることである。 し かも児童は現実の問題に執着するものであるから、 これ をとらせるようにするの である。 試験によることは、 子 供にそれ以上如何なる事についても、 勉強 しようという 気力を無くするようにな る。 学校精神を説く に、 教育学 に関係なく、 自由な空気の中に教師と子供との間から発 展させる。教えることが長くなれば減退するが、子供から. 子供へ、 先生から子供へと感染し、 言葉や眼の表情や手 足の動作の中にも現われて来る尊い精神である。 即ち、 生徒たる子供の目から進んで学ぼうとする自発精神 であ るのだ。 されば・トルストイの最も重ん じたものは、自由 と云うことである。 それだから教師は権威をもって人に 臨む道徳的権利を持っていな いと述 べている。 不消化な 知識は、 無知よりも遥 かに悪いとも言う。 も し、 今 日ソ 聯に西欧よりも自由な室気 が学校にあれば、 トルス トイ の賜であろうと多くの人々は考えている。 2 2 ’の近代教育は かく してロ シアの停統 マカレンコ( 、 の上に立って発展 して来た。 そして、 社会主義的社会に 必要な、 個人の計画された性格を作ることこそ、 人間個 性形 成のプログラムであると云う。 就学前の子供即ち幼 稚園では、 仲のよい集団の一員として教育されることで ある。 その上に、美の教育、璽術の意義、 人間に対する共 通な経験と云うように、 集団主義を小さい子供から発達 させねばならない。 そして、 集団は人々の共同目的と作. 業のみでなく、 作業の協同組織や、 他集団との有機的関 連等の教育 である。 それには、 友人への 服 従 や、 責 任 や、 同意の原則が重要なことを教える。 即ち、 集団をし て社会的 有機体たらしめるには機関を持ち、 全権や責任 や部分の相互関係、 相互依存を有するものであることを 自覚させる教育が必要だと している。 どの生徒の個性を も考慮に入れた教育に始まり、 ひとりひとりの生徒は、 自分の小さなグルー プの利益のみで生活するのでなく、 学校全体の目的を達する喜 びを経験させ ねばならない。 そして、 集団の博統に慣れさせ、 その名誉を守り、 集団 の共通課題を充分に知らせる。 労働はつねに人間生活と人生の幸編と文化にとって、 基礎的なものであるという観点から、 労働教育は実施さ れねばならない。 労働能力は生れつきでなく、 教育され て出来上がるものである。 労働は張制的でなく、 創造的 労働である。 即ち、 社会の富と勤労者の文化を創造する からである。 そして、 労働教育は、 道徳教育の最も大切 な係件であるとして実施される。 それだから労働は身体 を発達させ、 精神の諸関係においても、 人間を発達させ る。 そして、 個人生活にも、 自分の力と大き な 満 足 感 と、 幸編感とを興える役割がある。 年少者の 労 働 作 業. は、 相互援助の原則によって行われ、 そ して、 人間主義 の下に、 道徳的に行われねばならぬ。 子供の遊 びは労働 の準備だ。 「人間を尊敬すればするほどその人間に対 し て、 より多く要求する」 と云う原則をお し進めて、 義務 感や、 正直や、 意志と性格の教育をやる。 仕事の上に、 自分の受持区域、 自分の機械、 まわりの人々の仕事、 生 活行動に対 し、 言葉だけでなく実際に援助することが出 来、 そのため個人の安楽を犠牲にすることができるよう にする教育である。 子供の日課 に、 起床、 就寝の時間を正確にし、 清潔に すること、 仕事、 食事、 遊び、 散歩の時間を定める。 親 と子の愛撫と、 お話、 譲歩と不屈も必要だ。 第 8節. ショペ ソハウェルの児童教育. 哲学者は教育学者でもあるから、 多く児童の嬢け問題 3 2 」が 「死にいたる病」 をも論じている。 キ ルケゴール( の中で、 人間が虞なるものより快なるものを幸幅とする のは、 知性的なものより感性的なものの優勢で あるため だと している。 即ち、 精神とか、 虞理とかに訣別 してい るのは、 あまりに人間が感性的なことに原因する。 そ し て人間は、 霊魂と肉体の統合と しての精神 であるのに、 精神と訣別するのは死に至る病だとしている。 人間は往 々にして、 自己自身を精神として意識することを忘れて しまう。 そして神のうちに自己の根拠を求めず、 漠然と して抽象的な一般社会や国家の中に安住し、 投入して、 自分というものを忘れ、 自分の才能は唯だ働くための力 としか考えな い傾向は近代の病気であり、 児童時代の教 育に由来することが多いのだから、 都会教育に最も留意 せ ねばならぬことを警告 している。 4 2 )も亦、 児童は畝 舎性に富み、 孤 シヨペンハウエル( 独性の乏 しいものであることを述べ、 社会性は年令に反 比例するとした。 小さい子供であればあ る 程、 2~3 分 間でも独りぼっちにされると、 心配と悲嘆の叫び声をあ げる。・少年にとっては、 独りでいるのが大きな苦業 であ り、 青年たちはともすれば集合団結したがるが、 彼らの うちでもやや高尚で、 心の優れた人々だけは早く 孤独 を 求めるのだと述 べている。 朝の早起について、 次のように述べている。 悟性は、 肉眼のよ 封こ明るいときにはっきりするもので、 朝は精 神的な仕事はもとより、肉体的な仕事にも適している。朝 はその日の青年期であり、 快活と新鮮と軽快とが自分を ・力強くさせる 一切の私らの能力は完全な待機の姿勢を 。 (22) マカ レ ソコ : 人 と 作品 (23 ) キ ルケ ゴ ー ル : 死 に い た る 病 24) ショ ペ ソハ ウェ ル : 随想 録 (. - 11 -.
(13) . 田. 所. 哲. とっている。 この朝の起 床を遅らせたり、 仕 事 や 雑 談 で朝の時間を浪費してはならない。 早起の習慣は、 幼年 時代から養わねばならぬものだと教えている。 それは、. 太 郎 べていることに留 意す べきだ。. われわれに、 健康状態や、 睡眠や、 栄養や、 温度や、 天. 気取り屋について次のように教えている。 自然と人間 性とについて考えるに、 ナ ポ レオンの言葉をかりれ ば、 「自然でないものは、 総べて不完全なものである」 とい. 候、 なおその外の外部的なことが、 わたしたちの気分の 上に、 またこの気分がわた したちの 思想の上に張力な影 響をもっているから、 気 分の最もよい朝の時間を最も有. うことは虞実 である。 この言葉は、 肉体的な も の で あ るうと、 あるいは道徳的なこと であるうと、 総 べてのこ とにも、 個々のことにも該当する一つの規則 である。 そ. 効に費すべきだと云う。. れだから、 ここでありとあらゆる気取りに対して警告し ておこう。 この気 どりと云うことは、 総じて軽蔑をよび 起すもので、 第1には詐りと してである。 詐りは恐怖に. 見童の健康を保つ習慣を養うことは、 躯が全体として も、 また各部分でも、 適度に努力と労苦とをくり返 し、 あらゆる種類の不利な影響にも抵抗し得るような習慣を,. な状態が現われたならば、 速に治療せねばならぬ。 病気. 基ずくものであるから、 それ自体として卑怯である。 第2には、 自分をもっとよいものと代えたものに見せか けようと思うことである。 なにかしら一つの特質を気ど. をいたわり看護するのは、 この時は鍛錬するわけに行か ないか らである。 筋肉は強度に使用することによって強. って、 それを自慢することは、 自分がその特質を持って いないことをみ ずから告 白することで、 何によらず欠乏. めら れるものだが、 神経はその反対で、 そうすることで 弱められる。 筋肉は適度に修練を怠らず、 神経は努力を. しているからであるというわけである。 父母からの遺博は、 次のように述 べられている。 賢さ. つけ、 自身を鍛えることにあるのだ。 そして、 ある病的. 避けるよう用心すること である。 眼はあまり明るい光線 騒 にあてず、 また暗がりで仕事をせぬように、 耳は強い. 菩をさけ、 脳は強制 され持続的な努力を せぬよう用 心す べきだ。 食物を消化している間、 脳を休ませて置くこと は、 思想をつくると同一の生命力 が、 胃と内臓で乳卵の 消化物を作るために 働いている。 著しい筋肉努力の間や 直後は、 脳を休ませなければならない。 人が限度の筋 肉 活動と精神 的緊張とを同時に嘱いるか、 叉は相前後 して す ぐに強制させるだけでも脳髄は明 かに障害を受ける。 また睡眠は、 死のひとつの切片で、 利息の前払いだ。 睡 眠は死に払 う当座利息で、 死その ものは元金の返済であ る。 利息の払を充分に規則的にやっていれば、 元金の返 済はますますゆっくりでよろ しいことになるのだと教え. は母から、 勇気は父から、 そして幸幅は両者の特質から 作り上げられる。 然し遣停とても心掛けと修練とによっ て、 既に存在するものを押進めることの出来るものであ る。. 気にかけぬことd とっおいっ思いなやませないこと。 他人の不作法や、 蔭口三 昧などは小石のよ うに蹴飛ばし て、 自己の思慮に入れぬ。 夢見る小見期は記憶す べきであり、 青年期のように喜 びにのみ 溢れるときでも、 壮年期のように苦労が多かっ たり、 老年期のように難渋してやがて臨終における死と の職があるようなものでもない、 小児期は楽しくロマン チックな夢を 追うのが特色であるから、 これを育てねば ならないo. る。. 第9節. 5 2 )の教育思想から児童へ デューウイ ー(. 世渡り上手について、 次のように遊べている。 い くぶ. 補導から--子供に興える教育は、 生の員相は社会的. んでも高尚な性質と優れた天賦に恵まれた人たちは、 往. 関連においてあるが故に、 刺戟を典えながら、 子供のエ 、めに補導する。 そのために、 ネルギーの寮費をはふくた. 々にして特に年少時代には、 識別力と才智 が乏 しいから ややもすれば欺かれたり、 さもなくば迷わされたりしや すいのに、 低劣なる天性の人々の方は、 ずっと速く、 ず っと 上手に世渡りを心得ている。 その理由は、 人が経験 の足りな いときには、 先天的に判断しなければならない ことと、 一般に経験は先天的なものと競争し得ないもの であるということとによるのだ。 つまり、 先天的なもの は、 普通の種類 の人間には、 彼ら固有の自我を授けるけ れども、 他の人々とは滝に異った、 高尚で卓越 した人た ちにはそうはしない。 それで、 この人たちは、 自己の思 惟と行篇とだけを基として、 他の人々のそれを計算する のであるが、 そのため計算が合わなくなるのであると述. 行動に秩序があるようにする。 然も刺戟によ る 反 懸 を ば、 子供の素質によって補導することである。 換言すれ ば、 子供に何一つも瀬いたり、 抑えつけたりすることを せぬよ うな補導の仕方で ある。. 社会的環境から補導する場合、 子供が幼くて結果を予 見することが出来ない場合が多いから、 試みにやらせて みたり、 また反対する傾向を呼 び起して心を他に向ける が、 常に子供の協同的な素質を誘導する機会を捕えるに あると云う。 誓えば、母親が自然に 補導 して行く仕方は、 ・ (25) 田尾一二 : デューウイーの教育思想. - 12 -.
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