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朝倉文夫の彫刻制作に関する考察 : 『彫塑技法』(昭和二十八年~三十一年)を中心資料として

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Academic year: 2021

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(1)朝倉文夫の彫刻御作に関する考察 (昭和二十八年∼三十一年)を中心資料として一 一『彫塑技法』. 教科領域教育学専攻 芸術系コース(美術). M 102 13B 山本将之 1.研究の動機と目的.  2.工部美術学校廃止から第1回文展まで.  筆者は、学士卒業論文で荻原守衛について.  3.第1回文展から明治期の終わりまで. 研究した際に荒々しい荻原彫刻と対照的な、. 皿.朝倉文夫の生涯と作品. 静かにたたずむ朝倉文夫の彫刻と出会った。.  1.生誕から東京美術学校彫刻選科入学頃. 同時期に活躍していた両者は常に比較の対象.  2.東京美術学校在学時. であったが、荻原の彫刻を知る程、対照的な.  3.卒業後から帝国美術院会員就任頃. 朝倉の作品に興味をもつようなったことが本.  4.就任後から没. 稿執筆の直接の動機である。. 皿.『彫塑技法』について.  朝倉文夫は第二回文部省美術展覧会(以下.  1.執筆の背景. 文展)でく闇〉を初出品し、当時最高賞であ.  2.『彫塑技法』の概要. る二等賞を獲得した。そして第四回文展に出.  3.『彫塑技法』の価値. 品したく墓守〉もまた、同様に二等賞を獲得.  4.『彫塑技法』に見る朝倉彫刻に関する考察. した。特にく墓守〉は近代日本彫刻史におけ.   ①人体(自然). る塑造による自然主義への開眼と謳われてい.   ②制作の手順. る。彼はその後官展を中心とする多くの展覧.   ③実践的研究. 会での入選・受賞を経て、一1948(昭和二十三). おわりに. 年に六十五歳で文化勲章を授与された。.  このような経歴をもつ朝倉は日本における. 3.研究の概要. 自然主義的写実主義の完成や、近代彫塑の基 礎を築いた人物と評されている。しかし朝倉.  第I章では、まず明治期から昭和中期まで. を対象とした研究の数は少なく、朝倉の彫刻.  明治期から昭和中期にかけての彫塑芸術の. 観について詳しく見ていきたいと思ったこと. 流れは大きく三つに分けられた。伝統的な木. が本稿執筆の背景である。. 彫の流れ、写実の追求を重んじたヴィンチェ.  今回、今までの朝倉研究に用いられなかっ. ンツオ・ラグーザ(VincenzoRaguza1841−1927). た『彫塑技法』(朝倉著)を研究の中心資料に. の流れ・そして生命感の実現を目指したオー. 据えた。本書から読み取れる朝倉の彫刻観を. ギュスト・ロダン(AugusteRodin1840一・1917). 紐解くことに主軸をおきながら、このような. の流れであった。. 視点から日本彫刻史における朝倉の立ち位置.  ラグーザの流れは彼の弟子である長沼守敬. についても見ていった。. や藤田文蔵を経て朝倉へと受け継がれた。朝 倉は現在、近代彫刻における写実彫刻の完成. 2.論文の構成. とされているが、この本源にあたるのがラグ. はじめに. ーザであると筆者は考える。. I、明治期以降の彫塑芸術の流れ.  日本ではこのようなラグーザの流れに対し.  1.開国から工部美術学校廃止まで. て、荻原守衛の文展出品により、ロダン彫刻. の彫塑芸術の動向を傭鰍した。. 一386一一.

(2) (平成十二年)の中で概ね再編されたものが. の流れが生まれた。現在では朝倉が東洋のロ ダンと形容されることもあり、しばしば朝倉. 今回の中心資料『彫塑技法』である。. 彫刻とロダン彫刻の流れが混同されることが.  『彫塑技法』の内容は四十もの細かな見出. ある。同時代に活躍し、共に自然の中に彫刻. しで分かれている。本章では、筆者が見出し. の本質を求めた両者であるが、彼らの彫刻は. を内容に応じて(1)自然(人体)、(2)制作手. モデル(自然)の構造をどのように解釈した. 順、(3)実践的研究に区分けし、朝倉の言葉や. のか、という点で立場を明確に分けることが. 彼の制作方法などを基に、彼の彫刻観を明ら. できた。. かにしていった。.  ロダンにとってモデルの構造は再構築の対.  (1)∼(3)を通して朝倉が、造形の原理や. 象であり、造形的な意図に基づく大胆なデフ. 法則を用いることによって合理的に制作を進. ォルメを特徴としている。これに対して朝倉. めていたことがわかった。造形の原理や法則. 彫刻は、大胆なデフォルメを排したモデル構. とは、例えば人体の構造において、奥にある. 造の的確な表現を特徴の一つとしている。こ. 塊(骨)に連動して皮相に近い塊(筋肉)が. のような点からも両者の立場を分けることが. 動くことなどを意味する。また、朝倉は独自. できるのではないかと筆者は考える。. の人体比率(頭の幅を一としたときに全高が.  第1I章では朝倉の生涯と作品を、時系列に. これの十倍になる比率)を心棒組みや組付け. 沿って紐解いていった。便宜上ここでは朝倉. に活用することで合理的に制作を進めようと. の生涯を通史的に見た上で、主だった節目を. していたことがわかった。このような制作に. 境に区分けした(論文の構成を参照)。. よって朝倉はモデル(自然)の構造を的確に.  第II章では、朝倉が終生海外で彫刻を学ん. 表すことを求めていたと筆者は考える。的確. でいなかったことがわかった。これは、ロダ. な構造表現とは、構造と言う側面から人体を. ンの流れを汲む彫刻の隆盛が目覚ましく、ま. 塊の建築物として捉え直したときに、重力の. た留学を経て活躍する彫刻家が増える当時の. ある三次元空間で倒れそうに見えることなく. 日本彫刻界において、朝倉が日本から出るこ. 立ちえる構造のことを意味する。構造の的確. となく写実彫刻を突き詰めた彫刻家であるこ. な表現は、彫刻に安定感をもたらし、倒れそ. とを示している。また朝倉が生涯を通して官. うに見えない自然な立ち姿を実現させる。朝. 展に出品を続けたことにも着目したい。官展. 倉はこのような自然な立ち姿を彫刻に求めた. 創設と同時期から半世紀にかけて出品を続け、. と推察する。このような自然な立ち姿を通し. その中で若くして入賞を果たし、かつ多くの. て朝倉が終局的に彫刻に求めたもの、それは. 門弟を官展に輩出した朝倉は、官展彫刻の底. モデル(自然)の個性の表出であった。『彫塑. 流を築いた人物として評価の対象になりえる. 技法』の中で用いられている個性とは、指先. のではないかと考える。. に到る全体と細部構造の整合性の中に内包さ.  第皿章では、『彫塑技法』の内容を基に朝倉. れるものであり、言い換えれば、的確な構造. の彫刻観を考察した。. 表現によって形態が均整と調和を有すること.  『彫塑技法』の原本は昭和十二年、朝倉五. で発揮されるものである、と筆者は考える。. 十四歳の時に完成した『彫塑綱要』(朝倉著・. 未刊)であり、これは日本彫塑家倶楽部発行 の『彫塑』No.1∼No.32(昭和二十八年∼昭和 三十一年)にr彫塑技法」として掲載された。. 主任指導教員  喜多村明里. この内容が『日本彫刻会史一五十年のあゆみ一』. 指導教員    前芝武史. 一387一.

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