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儒家の人間観 : 民衆観を中心にして(その一)

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Academic year: 2021

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(1)Title. 儒家の人間観 : 民衆観を中心にして(その一). Author(s). 西岡, 孝治. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 45(2): *1-15. Issue Date. 1995-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4311. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 ( 第 一部A)第四十五巻 第二号 平成七年三月. 「 儒 家 の人 間 観 - ーー‘ 民 衆 観 を 中 心 に し てL ( その 二. 岡. 孝. 治. だがかれは、多 く の点 で孔子を修 正 し、孟子 に反対 し て いる。儒家 の範曝 に は お さ ま ら な い。L ( 杉本達夫 氏)とも、 「 古代思想 の偉大 な総合家」 とも い われ て いる。 つまり、荷子 には儒家 ( 特 に孔 子)的要素と共 に、非儒家的要. 西. 「 「 子日、性相近也、習相遠也こ ( 論語」陽貨) 「 凡同類者、拳相似也、聖人輿我同類者こ ( 孟子」告子章句上) 1 「 「 塗之人可以為鴇、聖人者、人之所積而致也ぷ ( 萄子」性悪篇). . 社会改革を めざ し て いた であ ろう。特 に儒家 は、現実改革 に燃え た理想家肌. 現実 に流 されある いは追随し て いる者 はなく、手段方法 こそ異 な れ、必ず や. いわ れ る こ の時 代 に お いて、 今 日 ま で伝 え ら れ て いる 思 想 家 に し て、 お よ そ. 恐らくそ の答 は推測 の域を出な いであ ろう 。それはさ ておき、春秋 ・戦 国と. 当人 の出身階級 や性格 、 経験等 の要因 が絡 み合 って いる複雑 な問題 であ って、. 人が何故 これこれ の評価をす る のかと いう問題は、歴史的、社会的背 景と、. 第 一は、民衆 の政治 ( 倫 理)的能力 に対 す る評価を考察 してみた い。あ る. よう と‐ す るも の であ る 。 各 々 に つ い て、. 本 稿 の テ ー マに従 って 三 人 の いさ さ か の変 遷 あ る いは 発 展 を た ど って み も 、ー. 素 も 十 分 にあ って、 そ れ ら が 彼 な り に総 合 さ れ て いると 考 え ら れ る 。 こ こ で. 子. . ( ※原文の字体のいくつかは、印刷を考慮して、支障がないと思われる場合には新字体を代用した。 ). . 第 」 章 ・孔. 子〉. 序 . ・論. 第 二 章 ー 孟子 ・ 〈 第 三 章 萄. 論. 〈 結論V -. 序. であ る。とすれば、理想的政治 の実 現をめざ す に当 って、民衆 の政治的能力. に期待 でき な いなら民衆以外 の為政者達 に期待す る外 はな い。リ ンカ ンの例. の言 葉 に よ れ ば Y 「人 民 に よ る」 合 洋のけの ) に代 って、 「 為 政 者 に よ る」 oロー ①. 儒 家 ″ と は ひとま ず 、孔 子、孟 子、萄 子 の三人 の初 期 の代 表 的 人. かれ は自身 を、孔 子 を受 け つぐも のだと考 え 物 とす る。な お、萄 子 に ついては、 「. 合{音のき - ) と いう こと に な る 。 で は そ の為 政 者 に対 L て期 待 す る事 を の『 の. こ こ に いう. て いるし、思想史 の上 でも 、 だ いた いは代表 的な儒 家 のひとりと みな され てき た。. 1 i.

(3) . . 西 岡 孝 治. 第 二と し て、 そ のう ち で、. 積徳」を みよう。 「 H為 政者自身 に対 す る 「 徳 ヲ積 ム」 と いう こ の言葉 は 『 修 得 」、 「 積 善 」 な ど と 言 い換 え る こと も 蓄 徳 」、 「 小 学 』 外 篇 にあ る が 、 「 でき る 。 荷 子 にお い ては 、 「 積 偽 」 と いわ れ る 。 こ れ は 「 君主有徳」 ( 為 政者. が有徳とな る)場合と、 「 有徳 為君」 ( 有 徳者を為 政者 にす る)場合 が考え ら れ る 。 プ ラ ト ン の言 う 「 哲 学 者 た ち が 国 々 に お い て王 と な って統 治 す る か 、. あ る いは現在 王と呼ば れ権力者と呼 ば れ て いる人 々が、真実 か つ充分 に哲学 . す る」 よう になると いう条件 と同様 であ る。 □為 政者 の民衆 に対 す る心 遣 いとし ての 「 愛 民」を みよう 。 この言葉自体. 自 然 科学 と は違 って歴史 には非 人格 的 物 的 な面 の他 に人 間的 な面 があ る の. で、単 純 で平面的 な論理 で歴史を解釈 し て 一方 では史実を無 理 に割 り切 った り、他方 でこ の論 理 の適 用困難 な領域 や事 実を無視す ると いう非合 理 に陥 る. ク ロー チ ェ)と か 、 危 険 が あ る 。 こ こ に は 、「す べ て の歴 史 は 現 代 史 であ る」 (. 「 歴史 は つね に未来 を はらむ過去 の、現在 におけ る判断と いう基本的な性格 をも つ」 と いわれ るよう に、歴史学自 体 の相対 的性格 があ るが、更 に 「宗 教 や芸 術」 ( あ る意 味 では思想も) 「一言 で いえば人間 の精神的価値 の領域 で は、古代も現代も な い」 と いわれ るよう な客体化 し難 い個性的 な知恵 に関わ. と いう 言 葉 で表 現 し て い る 。 人 間. . 歴史 る 側 面 が あ る 。 こ れ ら に つ い て は 、 か つ て生 の哲 学 者 デ ィ ル タ イ が 、 「. 的意 識」 ( 忌 め鞠 のo ES g s のめのミヒいけ の のき. の思想 に関し ては、 歴史 に残り伝えられ て いる思想 はど れも個性的 であ ろう。. 由来 す る いく つか の問題的発言を認 めながらも、西欧的合 理主義 に儒家的合. 孔 子 の全体的評価 に関し ては、例えば、金谷治氏 のよう に、時代的制約 に. しかも、 それらを研究 し評価す る人間も個性を持 って いる のであ る。. ) に相 当す る であ ろう 。残念 な がら前 項の が現実 にお いては容易 守の富o ① ℃-. 論 語』 や 『 孟 子』 に は、 『 老 子』 や 『 荘 子 』、 認旬子 』 に出 て いる が 、 勿 論 、 『 ざ「 お い ても 主 張 さ れ て いる考 え であ る 。 リ ン カ ン の言 う 「人 民 のた め の」 (. に実 現 されえ な いと いう状況 のもと では、 「 愛民」 など無視 され るか、高 々. 理主義 を対置 して 、 「 未 来 を開く伝統」と しようと す る野心的 解釈 があ る 一. 孔. 子. ・. ( 為政) を始 めと し て実 践的 か つ合 理的 な発言 が諸. ( 於師 」 ( 衛 霊公) など厳 し い真塾な求道精神 を示 し 街霊公)、 「 当し 仁 不譲二 ー 泰 伯) のよう に精 進 を 示 し た言葉 、 ヨロレ末 見 二好 し徳 た言 葉、 「 死而 後 巳」 ( 之者、不レ 好し 子 牢) ( 街霊公) のよう な 一種 の エロス論、 「 知し 也」 ( 如し 色者 ー. 謀 道 不 謀 食」 里 仁 )、 「 朝 聞 道 、 夕 死 可美 」 ( 々 に存 在 す る 。 あ る いは 、 「 し し し し. . 不し知 為 不知、是知也. には ソク ラ テ ス の 「 知 之為 知、 無 知 の知 」 に似 た 合 理 主 義 の モ ット ー 、 「 し し. ても藤堂 氏 の指摘す るよう に長年 の間伝統 的思想 とし て権威づ けられ てき た が、近代 以後 は 雲ホ教的伝統的孔子崇 拝」 は否定 され て いると いわれる。本 論語』 稿 では孔 子 の全体像 に ついて評価を 下す意 図も余裕も な い。 私見 では、『. 与 し てき た」復古反動 の徒とす る解釈 もあ る。 そも そも出身国 の中国 にお い. 側. 建前 をれ いれ いしく飾り た てる のに最大 の便宜を供 た儒教 の元祖、従 って 「. 方 で、藤堂明保 氏 のよう に、孔子を前漢以後権力支 配 のイ デオ ロギ ーとな っ. . 民衆支配 のため の単 な る建前と し て利用 されること にな る。 治民」を最後 に考察 しよう 。 こ の言葉 ◎為 政者 の民衆統治政策と し ての 「 自 体 は、 孝皿子』、 『 老 子』、 隷旬子』、 そ の他 に朱 子 雲ホ名臣言行録』 の欧陽修 論語』 では 「 使民」 ( 民 ヲ使 フ)、 『 管 子』 では 篇等 の後世 の文献 にみえ る。 『 「 牧 民」 ( 人 民 の」 ( 民 ヲ牧 ス) な ど が 用 いら れ て い る 。 リ ン カ ン の言 う 「 o-. 一章. ) に相 当 す る であ ろう 。 吾の℃8 ℃- ①. 第. 歴史 上 の人物 の評価 は容 易 でな い。そも そも歴史学自体 が、単 な る窓意的 実証的か つ合 理的) であ ろう とす る のであ るが、 意見 にとどまらず科学的 (. ハ ム.

(4) . 儒家の人間観 (民衆観を中心にして) (その一). 奉 し、ど んなばあ いにでも適用 でき ると考え る のは誤りだ」 それ でも なお問. 聖人が練り に練 った文章 であ るか のよう に考え て、 それを金科 玉条と し て信. 論 語 』のな か の 一言 一句 を 、 考 え と い った も のも 、考 慮 に いれ る 必 要 があ る 。『. も念 入り になされたも のとは限らな い。それを記録した人 の個性 やそ の時 の. 「『 論 語 』 は お り に ふ れ て の こと ば の記 録 であ る 。 し か も そ の記 録 は 必 ず し. 考 停止 の惰 眠 に陥 って精神 の成 長 を中止 させ ると いう ことも 予想 さ れ る。. す る人 々のよう に、 一切 の批判詮索 は禁止 されたり、そう でなくとも自 ら思. ではな い。神格化 は 一種 の虚構化 であ る。そ の結 果は、教祖 や神 の下 に拝脆. も望まな いであ ろう し、哲学 の道 でもな い。尊敬す る のと崇拝す る のは同じ. されよう とも、廟 に祭 り上げ て無暇癖 の聖人とす ることは、恐らく孔子自身. であ る。しか し、孔子も人間 に他 ならな い筈 であ る。たとえ 四聖 の 一人と称. ってと いう よ り は 、 様 々 の深 刻 な 問 題 を 抱 え て いる我 々 に と って大 き な 損 失. 欠点を強調 して先人 の個性的な知恵を葬り去 ることは、孔子と いう 先人 にと. 之者、不し 楽し 之者 ー 薙也) の如く実践的 でおおらかな 好し 之者 。好 し 如二 如二 」( 態度を示す言葉 など、現代人 の我 々の関心を引く多く の言葉 が含ま れ て いる。. 的 現 実 を 改 め る こ と こ そ 、 ラ イ フ ワ ー ク であ った と 思 わ れ る 。 そ の際 に、 王. 堕落、覇者と言 われる新 興諸侯 たち の謀略と抗争 と い った現 下 の乱脈 な政治. 与易 ー 也L ( 述而不し 作 。信而好し 古」 道、丘不二 微 子)と言 い、「 いる。「 天下有 し ( 述而)と断言す る孔子 にと って、祖国魯 にみられ るような周王朝 の衰退と. 武王、周公、成王、康王 ら西周 の先王 らと彼 ら の名宰相 ら の言葉 が多 く出 て. 夏 の祖禽を始めとし て、段 の初代 の帝王湯王と彼 ら の名宰相 ら、周祖文王、. が学 の基本文典とす る 基日 経』には、亮、舜と い った伝 説上 の上古 の聖天子、. 立 てた のが周 の武王 であり、 そ の弟周公旦 であ った。孔子を始 めとす る儒家. 。 不思議 に思わ れ る。 」 と 貝塚氏 は書 いておられ る こ の段 を滅 ぼし周王朝 を. 滅亡ま でそ のまま維持 し て いた段王朝 人とは いかなる人びと であ ろうか、 を、. 力 や兵力を自 ら失う こと にな る)近代人 の立場 から見 ると愚 かし いこ の慣習. るであ ろう。王が国家と等 置 され、王 の死後 の生活を確保す ること が、国家 莫大 な生産 の生命 を確保す ることだと考え られ て いた のかも知 れな い。 」 「(. 股王朝 の専制主義 に結 び ついて、極度 に肥大化 した原始宗教的慣 習と解 され. いて生前と同じ生活を つづけさせる ことを目的と したも のであ ろう。 それは. 期 の王墓 に多数 の殉葬 が行 われた根拠 は、王 の埋葬 にさ いし、王 に地 下 にお. 語録体」と呼 ば れる文 体 からな る 尋鯛語』 の言葉 には対機 説法 題は残 る。 「. . 的な要素も ありう ると か、比較的 に短 かく て含畜 のあ る表 現 が多 いがそれだ. や諸侯と い った政治 の主体 そ のも のが問題な のではなく、彼 ら の則 る べき政 周初 のような天下 治 理念 や為政者 とし ての態度 が問題な のであ る。孔子 は 「. . け に立ち入 って理解 しようとす ると暖昧とならざ るをえ な い場合 があ る。 そ. 的世界観を復興しようとす る」 と言わ れる。. . こに古来 さまざまな解釈 が登場 し て来 た 一因 があ ろう。さまざ ま の解釈 のあ. . ること ろには、 それぞれ の解釈者当人 の思想傾向 が現われず には いな い。. .. 「 子張 問、十 世可 知也 。子 日、段 因 於 夏礼 \ 所 損益 可 知也 。周 因 於 二 し 二 ず し 二 八 段 礼 、所 損益 可し 也。其或 継し周者、難 百世 可し知也」 ( 為 政)計 ( : ー ー 二 ー 知 俗 9). 態度) 一、民衆の政治倫理的能力に対する孔子の評価 (. 「 八倫 ) 子 日 、 周 監 於 二代 、 郁 郁 乎 文 哉 。 吾 従 周 」 ( ー し 二. 、乗 段之轄 、服 周 之発 ( 衛 霊公 u) 「 行二夏之時 ー こ と は夏 と段 のそれ 二 ー 二 ぞれ の短所を捨 て長所 を取り込 んだ総合体とし ての周を、 いや更 に周をも取. 従 って、. て いる 。 ま た 奴 隷 を 主 と し た 殉 葬 も 、 ス メー ル の ウ ル王 墓 な ど でも 見 ら れ る. り込 み三国 の総合体を示 し て いる のだと平岡氏 は言う。しかし、 そ の孔 子 の. 民衆 の政治的能力 に期待 でき な いなら民衆以外 の為政者達 に期待 す 先に 「 る外 はな い」 と書 いたが、 これは民主主義 になじ んで いる現代人 の立場から - 奴隷制 は古 代文 明国 にはかなり普及 し みた論理的 判断 の - つに過ぎ な い。 「 :・ )段後 けれども、中国 の殿 王朝 ほど大 規模 な殉葬 はたえ て見ら れな い。 (.

(5) . . 西 岡 孝 治. 邑制国家)を踏襲 した。周 は同族 や功臣を諸侯と し て各地 に封 じ、諸侯 は (. 配氏族 の連合体 の長 であ る。段を継 いだ周王朝 も、基本的 には こ の支配形態. 集落 で、数千 の邑 が数百 の有力氏族 や王族 に隷属 し ていた。段王 は これら支. 確認 の夏 王朝 はさ ておき、 「 段 代社会 の基本 単位 は邑 と呼 ば れ る氏族 ごと の. れ て いるのではな いか。再び歴史家 の言う社会 制度を振り返 ってみよう 。未. 鑑と し て待望 される のであ って、およそ民衆 はそ のような聖人 に対 し ては ひ たす ら従 順す る にしかずと いう こと にな ろう。 「 学而 不し思則 悶」 ( 為 政) と は言う けれども、土以上 の人間 に語りかけら れ て いる のであ って民は除外 さ. 「 十 世」 「 百世」 の展望 の中 には、権力 と礼 と仁 とを兼 備 した聖王 が万人 の. 葉 であ る。 」と補記 し ておら れ る。 ここ には民 の政治的無 能力 説を な る べく. 件付き で) これは孔子 の思想、天下的 世界観 から いえば、当然 に出 てく る言. 天子 の手 にあ ること、政治 の最高責任 の所在 がは っきり し て いる ( と いう条. 政治 は成立 しな い。また、天下に道有 れば 、民は議 しな い ( :・ )礼楽征伐 が. し か し 、 政 治 は 民 を 治 め るも の であ る が 故 に ( :・ ) 民 の信 頼 のな いと こ ろ に. ける者と が いる。後者 が民 であ る。民は本来、政治を分担 しな いも のであ る。. 為 政者を戒 めたきび し い言葉 であ る。政治 には、政治をす る者 と、政治 を受. れは、為政者 に政治 の全責 任を求 め、民 に責任 を求 め てはなら ぬことを いう、. も のとす る観点」 に立 って いると考え られ る。 「 道 理を知 らせ る ことも でき. 「 君子而不仁者有英夫、未有小人而仁者也」 ( 憲問). 考 え て いる 〃 君 子 ″ と は いか な る 人 間 であ ろう か 。. た ことば」 であ り、 「 孔子 の考 え た君子像 に、伝統 的 な教養 を身 に つけ た治 者階級と し ての貴族 の像 が重 な って いた こと は、確実 であ る」。 では孔子 の. 認塞 ぎ に は 更 に 〃 君 子 ″と 〃 小 人 ″ と の対 比 が し ば し ば 現 わ れ て い る。 〃 君子 ″と は 「 殿 さまと いう意味をあ らわす君 の字 に美 称と し て の子 が つい. 「 陽貨) 唯上知輿 下愚 不移」 ( 「 女 子輿小人、為難養」 ( 陽貨) など があ る。. 「 君君、臣臣、父父、子子」 ( 顔淵) 「 中人以 下、不可以語上也」 ( 雅也) 「 不在其位 、不謀其政也」 ( 泰伯). 目立たさな いで、 そ の説から の帰結を強調す ること によ って釈明 しようとす. . 一人 は 、 「民 は 政 治 に頼 るも の、 政 治 を 知 るも の では な い」 と 通 釈 し て、 「こ. な い文盲 が民 であ る。 」 と言う のも同 じ解釈 であ る。現代 の孔 子研究者 の今. . 一族 お よび土着支 配氏族 で卿 ・大夫 ( 氏族 長)、土 ( 氏族員)と呼ば れ る支. る印象を受 け る。 ( 問題 は、 そ のよう な孔 子 の思想 が現代 に如 何 な る意味 を. し. 配階級 を構成 し、城壁を めぐらした国都 に住 ん で、公 田耕作 と いう名 の奴隷 労働 に従事す る周 辺小邑群 を支 配した」と いわれ る。 こ のような いわ ゆる封 建社会 にお いては、古代中 国 に限らず民衆 の主体性と か何 らか の政治参加 な. 持 つか であ る。 ). たい ふ. どと いう観念 は、支 配者 のうち にも被支 配者 であ る民衆 のう ち にも全く思 い. そ の他 に身分差別を公言す るよう な言葉と し ては、. けい. も及ば ぬも のであ った ろう 。そ のよう な観念 が出現 し て来 る のは封建体制 が 動揺 しあ る程度 以上弱体化 した、例えば孔 子没後 十余年後生まれた墨子 の活 躍した戦国時代 であ る。孔 子 の時代ま では恐 らく言明す る必要もなか った。 「 子 日、 民可使由之 、 不可使 知之」 ( 泰 伯) と いう 言葉 ほど孔 子 の民衆 の 政治的能力 に対す る評価を明確 に示し て いるも のはあ るま い。 この言葉 の解 釈 にあ た って は 、 〃べし ″を命令 や禁 止 の意味 にと って、 〃 人民と いう のは、 命令 によ って従わせればよ いので、原理 ・方針を説明す る必要 はな い″と統 治 政策を示すも のとす る説もあ るようだが、稀 であ る。孔子 に民を手段と み. な し支 配者本位 の思想 ありと断ず るならともかく、そう でなければ こ のよう な 政 策 を 述 べ る 理 由 を 考 え る と 、 〃べ し ″を 可能 の意 味 にと る多数 説 に帰着. す るだ ろう 。 〃 人民と いうも のは、指導 し て従 わせ る ことは でき るが、 そ の 道 理 を 説 い て理 解 さ せ る こと は む ず か し い″ 「つま り 人 民 の能 力 に つ い て そ. の現状を そ のまま に述 べた ことば卿 であり 「 人民を政治 の対象とし て無 智 な.

(6) . - 儒家の人間観 (民衆観を中心にして) (その-). 「 子路間君子、子 日、修 己以敬 ( :・ )、修己以安 人、 ( ー)修 己以安百姓 、 子欲善而民善美 ・君子之徳 風也・小人之 修己以安 百姓・秦舜其猶病諸馴 「 、草 匿 ( 也、 草上 上之 之風 風必 徳 顔淵 淵) 徳草 草也 必催 」顔 「 君子壕於義、小人除於利」 ( 里仁). 「 子謂子産、有君子之道 四鷺、其行己也恭、其事 上也敬 、其養 民也恵、其. 「 陽貨) 性相近也、習相遠也L (. など のョ塁木 も・民を除 いた土以上 の人 々に訴え かけ て いるも のと解釈 せざ る を え な い。. 二、為政者に対する孔子の期待. らぬと いう大前提 に、民衆 の政治的無能力 と いう小前提 が加われば 、為政者. H為政者自身 の積徳. 使民也義」 ( 公冶長) 「 衛霊公) 君子疾没世而名不称烏」 ( 「 君子憂道、不憂貧」 ( 衛霊公). に政治 の全責任を求 めざ るをえ な いと いう結論 にな る。理想的政治 の手本を. . 「 君子食無求飽、居無求安、敏於事而慎於言、就有道而正痔」 ( 学而). 「 不能正其身 、如正人何」 ( 子路). ※ 「 方方有罪、罪在 朕窮」 ( 亮 日) 〈 湯王〉 ※ 「 百姓有過、在与 一人」 ( ヶ ) 〈 武王〉 「 為政以徳、警如北辰 居其所、而衆星共之」 ( 為 政). 孔子は過去 の聖王 や先王等 に求 めた。. 現下 の乱脈な政治状況 とそ の結 果と して の社会的混乱を改革 しなければな. 「 尭 日) 不知命 、無以為 君子也」 ( 「 君子有 三畏、畏天命 、畏大人、畏 聖人之言、小人不知 天命而 不畏也、秤 季 氏) 大人、侮 聖人之言」‐ ( 以上 の諸例 からも孔子 の いう 〃君 子 ″ と は 一つ の理 想 概 念 であ って、 〃修 己 治 人 ″、 即 ち 、 徳治 ″ の資 格をも つ理想的人間 であ ると推定 でき る。孔子は 聖人 ″ を わ ず か し か 語 ら な いが 、 そ れ よ り 下位 の 〃君 子 ″ です ら 容 易 な ら ぬ 目 標 であ る 。 一般 的 には 〃 君 子 ″ と は 有 徳 者 であ って、 し か も 天 子 を 除 い. 君 子 ″ の対 概 念 であ る ″ 従 って、 〃 身分 の 小 人 ″ は 「つま ら な い人 」 即 ち 、 「. ずしも君子ならず。しかし君子 は常 に為政者 であ ること に関心を寄 せ て いる。. 不以其道得之、不去也。君子去仁、悪乎成名。君子無終食之間達仁」( 里仁). 「 富奥貴、是 人之所欲也、不以其道得之、不処也。貧輿敗、是 人之 所悪也 、. ( 為政). ※ 「 子 日、詩三百、 一言以蔽之、日思無邪」 ( 為政) 「 道 之以 政、 斉 之 以 刑、 民免 而無 恥。道 之以 徳、 斉之 以礼、 有 恥 旦格」. 低 い者」 ( 徳 の無 い者」 ( 民、被治者) かあ る いは、 「 無徳 の為政者)と考え. た諸候、卿、大夫、土 なる者、あ る いはそ の候補者と いえ よう。為 政者は必. ら れ る。 民 は す べ て ″ 小 人 ″ と 考 え ら れ る か ら 、 こ こ にも 民 衆 の政 治 倫 理 的. 「 政者 正也、子師而正、執敢不正」 ( 顔淵) 「 上好札、則民莫敢 不敬、上好義、則民莫敢不服、上好信、則 民莫敢 不用. 「 子日、君子 不憂不濯 、 ( :・ )内省不抜 、夫何憂何催」 ( 顔淵). 而尽力乎溝池」 ( 泰伯). 「 古者、言之 不出、恥窮之不逮也」 ( 里仁) 、 、 「 所 否 者 天 厭 之 天 厭 之 薙 ( 也 ) 予 」 ふつべん 「 禽吾無 間然炎 、非飲食 、而致考乎鬼神、悪衣服、而致美乎繊発 、卑 宮室、. 能力 に対 す る低 い評価 が現われ て いる。しかし孔子 の意 図はむし ろ、すぐ れ た為政者 、 又は有徳 な為政者候補を育成す ること にあり、 〃 君子″と ″小 人 ″ を対比す ること によ って新 し い理想 的人間像を浮き彫り にした のであ ろう。 以上 の考 察 に従えば、 「 目 行束修以上、吾未嘗無譲器」 ( 述而) 「 有教無類」 ( 衛霊公).

(7) . . 西 岡 孝 治. 「 其身 正、不令 而行、其身 不正、雑令 不従」 ( 子路). 子路) 情」 (. 「 迫哲」) ベし、轍 は踏むなかれ。 哲を適む (. 「 不由古 訓、干何 其訓L)、先 人 の 訓 によらなければ何 によ って教え る のか (. な お 認醐語』に時折引用 され る 『 詩経』、最日 経』 にも次 のような言葉 があ る。 「 明明上天、照臨 下士」 ( 小雅 小明). けな い。例えば王 の地位 と権力 と は、天 の許す限り で維持 されるが、人間 は. 「 舎 己従 人」) よ。安楽 な生活 に慣 れ ては い てはならな い。我 がままを捨 て (. 重責 に相応 し て、正を守り、仁 や礼 の徳を自 ら率先 し て実行 し万民 の師表と. ク). 0為政者 の民衆 に対 す る心遣 い. では あ る ま いか 。. . 理想 の為 政者と考え て いた孔 子は、以上 のよう に為 政者達 に期待 し て いた の. はな い。民 の生活 の安定を はか ることを 政治 の目標 にす べき であ る。周公を. 強大 な権力 を持 つと つい、 それを己 のため に用 いると いう誘惑 に負 け てしま. ならなけ ればな らな い。与え られた強大 な権力を自 ら のため に安易 に行使 し. 「嵯 爾 君 子 、 無 恒 安 息 ( ク 」. う のであ ろうか、王命を維持 す ることは難 しく王 であ ること は容易な こと で. これ. 「 段壁不遠 、在夏后之世」 ( 大 雅 蕩) 「 宜墜干段 、駿命 不易」 ( 大 雅 文王) まこと. 「 大 雅 大明) 天難沈斯 、 不易維王」 ( まさにう)くや しかくえいえいする 「 天之方鍬、無然掻世」 ( 大 雅 板) 以上 『 詩経』 、( 「 舜 日、 ( 大鴇諜) :・ ) 不虐紐崖口 :・ )舎 己従人」 (. 「 天工人其代之」 ( 皐陶諜). 顔淵) 信不立。 」(. 「 徳惟善政」 ( 大鴇諜) 「 天吏逸徳、烈千猛火」 ( 胤征) 「 伊訓) 作善降之百祥 、作 不善降之百狭」 ( 「 常厭徳、保 厭位、厭徳摩常 、九有 以亡」 ( 威有 一徳). 言葉 ほど、孔子 の民衆 に対す る気遣 いが強く現われ て いる言葉 は他 にあ るま 民を し てこれを信 ぜ い。も っとも、先 の孔子 の民衆観 を合 わ せ考え ると、 「. 「 葵 遅問仁、子日愛人」 ( 顔淵) 「 学而) 子 日、道 千乗之 国、敬事 而信 、節 用而愛人」 (. ど の程度 のも のか問題が残 る。. しむ 」 ( 人 民 に信 を 持 た せ る 。人 民 に信 じ ら れ る 。)と は ど のよ う に成 立 し て、. 国家 にと って軍事 はもと より経済 よりも重要な のは民心 であ ると いう こ の. 何先。 日去兵。日必 不得而去 、於斯 二者 、何先。 日去食 、目古 皆有 死、民無. 「 子貢 閏政、子日、足食足兵 、民信之炎 。子貢 日必 不得己而去、於斯 三者 、. 「 皇 天無親、惟徳是輔」 ( 薬仲之命 ・周公) 「 :・ 周公 日、 ( ) 天命 不易、 天難難」 「一夫 不獲、則 日、時 予之章」 ( 説命 下) み そ 「 相小 人、厭 父 母勤労 稼稽 。厭 子乃不知稼椿 乃銀難」 ( 小 人を相 る に、厭 の 父母稼椿 に勤労 す。厭 の子乃ち稼稽 の難難を知 らず。 )人民 のようすを見 ると、. ど も に は わ か ら な い のだ 、 と 『 書 経 』 に周 公 の言 葉 が伝 え ら れ て いる 。 周 公. 「 汎愛衆而親仁」 ( 学而). 親 たち が過去 に農事 にどれだけ苦労を重ねたかなど、安楽 の中に生ま れた子 はしかし、 この言葉を為政者達 に向 け て語 って いる のであ る。父母 の苦労を. 「 子貢 日、如能博 施於 民、而能済衆者 、何如、可謂仁乎 。子日、何事於仁、. 必也聖乎、義舜其猶病諸」 ( 薙也). 子知らずとは、 ひとり人民だけ の事 ではな い。人民より は るか に重 い責任を 「 担 う 天子を始 めとす る為 政者 達 よ、古 人 の徳 を考え よ ( 稽古 人之徳」)、古.

(8) . . を. 7. 観. 儒家の人間観 (民衆観を中心にして) (その一). 「 季 氏富於周公、而求為之衆鰍而附益之 。子 日、非吾徒也、小子鳴鼓而攻 之、可也」 ( 先進 ). 「 子適衛 、再有僕、子 日、庶突哉 。再有 日、既庶突、 又何加寿。 日富之。 日既富交 。又何加鷺。 日教之」 ( 子路) 「( 有若)対 日、百姓足、君教典不足、百姓不足、君執輿足」 ( 顔淵). 日為政者 の民 衆統治政策. 「 「 時」 使民 民以 学而 而) ) 使 学 以時 ( 」( 「 曾子 日、慎終追遠 、民徳帰厚突」 ( 学而) 「 哀公 問日、何為則氏服。孔子対 日、挙直錯諸柱、則民服、拳柱 錯諸直、. 為政) 則民不服」 (. 「 季康 子間、使民敬忠 以勧 、如之何 。子 日、臨之以荘 則敬 、孝慈 則忠 、挙. 「 公冶長) ‐ 其使 民也義 」 ( . 「 君子篤於親 、則民興於仁、故 旧不遺、則民不倫」 ( 泰伯). 善而教不能則勧」 ( 為政). か、 〃 民 心 ″を強調 した最初 の言葉 の他 にはあまり印象 愛 民 ″ に関 し ては 〃 深 い言 葉 は な く 、 言 及 も 少 な い。 む し ろ、 『 詩 経 』、 『 書 経』 に 〃 民 ″を重 し. 『 君子」 の実現 にあ るため であ ろう 論語』 の主た る目的 が理想的 な為政者 「. とす る印象 を受 ける。孔 子 の弟 子十哲 の 一人と され る再 有 に到 っては、人民. 「 道之 以政、斉之以刑、民免而無恥」 ( 為政) 「 上好礼、則民易使也」 ( 憲問) 「 衆悪之必察 蕩、衆好之必察寿、 衛霊公) 」(. 「 及其使人也 、器之」^ 子路) 「 善人教民七年、亦 可以即戒突」 ( 憲問) 「 以不教民戦、是謂棄之」 ( 憲 問). 情、夫 如是、則四方之民、機負其子而至突」 ( 子路). 「 顔淵) 使民如承大祭」 ( 「 上好 礼、則民莫敢 不敬、上好義、則民莫敢 不服、上好信、則 民莫敢 不用. を豊か にす ることを言 いながら q求也為之 、比 及三年、可使足民也」( 先進》 、 実際 に季 氏 の家宰 とな るや、主 君 のため に民から重税をとり た てた ので、孔 . 子からも はや仲 間 ではな いと叱責 され て いる仕末 であ る。 ( 先 進) 『 詩 経 』 は 比 峨 を 用 い て言 う 、 「餅 之 餅 炎 、 維 曇 之 恥 」 ( 霧 の尽 く る は 、 こ らぃ. れ嚢 の恥なり) 民 の生活 が苦 しくな るのは、 そ の民を治 め て いる者 の恥辱 で あ る、 と 。. 『 ) 不虐 無告」 ( 舜 日、 ( :・ 書経』 に言う、 「 力 弱 い境 遇 の人 々を虐 げ ては い けな い). 「 有国有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安」 ( 季氏). 「 陽貨) 君子学道則愛人、小人学道則易使也」 ( 「 恭則 不侮、寛 則得衆、信則人任烏、敏則有功、恵則足以使人」 ( 陽貨). には若 干 の思想 的相 違 があ るよう に思う。蓋 し、 『 詩』 の 「 作者 は王候 より. 「 鴇 日、 ( 大隅譲) :・ )政在養 民」 ( 「 :・ )殺 不幸、寧失 不経」 ( 大喪諜) 皐陶 日、 ( 「 皐陶 日、 ( :・ ) 天聡明、自 我民聡明」 ( 皐陶諜) ・ 「 民惟 邦本、本固邦寧」 ( 五子之歌) 「 太 甲下) 伊 予日、 ( :・ )民間常懐、懐千有仁」 ( 「 泰誓上) 武王 日、 ( :・ )民之所欲 、天必従之」 (. って いる」 と 言 わ れ 、 『 庶 民 ま で各 層 に わ た- 書 』 は 聖 王 、 名 君 、 賢 臣 が残 し. . 孔 子 は時 折 『 論 語 』 と の間 詩 』、 『 書 』 を 引 用 し て いる が 、 そ れ ら の古 書 と 『. . 「 子夏 日、君子信而後労其民、未信則以為腐己也」 ( 子張). 「 人無於水監、当於民監」 ( 酒語) 〈 周公〉. た語録、宣言集 と言わ れ ているに対 し て、時代的か つ社会的状況 の相違もあ るが、 認細語』 の孔 子自身 の立場 は聖人 であ るかも しれな いが、 決 し て大 成. 7十.

(9) . . 西 岡 孝 治. した王候 でも な いしまた庶民 でも な い。庶民 は庶民 の立場 から直裁 に暴君 の 虐政 や悪 政を嘆 く。「 蕩蕩上帝 、 下民之群」 ( 〈 周 の霊王 と いう〉 悪君 が いま わ れわ れ下民 の君主 と な って いる)、 「 わ たし の生ま れた時期 が 我 生 不辰L ( 悪 か った)。. 金谷治氏 の 『 孟子』 ( 岩波新書) に尽き て いると思う 。. 一、民衆の政治 ( 倫理)的能力に対する孟子の評価. すう. 孟 子は孔 子没後、 ほぼ百年を へて孔 子 の故 郷 の魯 に近 い郡と いう小 国 に生. ま れたと いう 。彼 が孔 子を敬 す る心 は並 々な らぬも のであ った。 「 生民有 り 人 間あ って以来 、孔 子 ほど の人 は て以来、未だ孔 子 〔 の如 き者〕有 らず」 ( か つてな い) と弟 子 の公孫 丑 に答 え て いるし、最終 篇 の最終 章 で、 「 孔子か. 他方 で、大 成 した名君達 はあ る自 信をも って いる ので、偉業を共 にし てく 功績も無視 できな いから であ る。「 可畏非 民」 ( 君はそ の人 民を畏 れ つ つしま. ら今 日ま でわず か百余年 。聖人 の時代 を去 ること さほど遠 くはな い。ま た聖. れた臣 や民 に対し て感謝 こそす れ、特 に民 に対 し ても無能視 はしな い。民 の な ければ ならな い)、 「 人 民 こそは国 の根 本 であり、 民惟邦本、本 固邦寧」 (. 近 いのに、も し今 にし てこ の聖人孔子 の道を見 て知 って伝え るも のがな いと. こ の事 を考え ると、孟 子が孔 子 の考え を引き継 いで いると 一般 に考え られ る。勿論同 じ儒家 であ っても、個性も時代も違う ので、共通点だけ ではなく. あ ろう か〕」 と し め く く って いる 。. 凶. 〔 こ の聖人 の道 を永 く後 世 に伝え るも のは、自 分を措 いて外 に い った い誰 が. お. す るならば、 今後 は ついに伝え聞 いて知 るも のがなくな ってしまう であ ろう。. 人 の居られた魯 の国と ここ郡 の地と は、かくも甚だ近 い。時も所もかくま で. そ の根本を 固くし て いけば、国は安 らか に治ま る。民をうと んじ てはならな い。 )「 天恥 明、自 我 民恥明」 ( 天はあ ら ゆ ることを耳ざ とく聞き、人 民 の望 みをわが望 みと し て いる。 )「 民之 所欲、 天必従之」 ( 天 は必 ず人 民 の望 みに 従 う も の であ る 。 ). 論語』にな い特徴 であ ろう。勿論、 このよう な天と民と の密接 な関連 こそ 『 な いことも承知 し て いる。「 悶偉道以干百姓之誉 」 ( 正し い道 をはず れた こと. 相違点もあ ろう 。. 名君達 は孔子 に指摘 され るま でも なく、民が常 に正し い声 を伝え るわけ では ま でし て、 人 民 の好 評 を 得 よ う な ど と 考 え て は いけ な い。) そ れ でも 、 「 閏暁. 人 民 の希望 にそむ いて、 お のれ の欲 に従 ってことを行 な 百姓 以従 己之欲」 (. 中期 の安藤昌益 の言葉を借 り れば、直耕主義者)が同じく文公 の下 に来 て民. 小 国膝 の文公 の下に滞在 し て いる時 、許行と いう 反分業主義者 ( 江 戸時代. 民 の政治的能力を否定す るなら、民 の声 を天 の声 と みなす ことも、民 の声. とな って暮 らし て いた。 こ の許行 に共鳴 した元儒者陳相と の問答 の中 で孟子. 『 って は いけ な い) の であ る 。 ( 書 経 』). によ ってわが身 を反省 す ることもむ つかし い。 孔 子 の立場 が これだとす ると、. は得意 の二文法 を用 いて言う 、 ( 分業 を廃 し て神農 氏 の言う よう に為 政者 も. 民と共 に耕作 し、自 分 で朝夕 の炊事 を しながら政治をす るなん てことは非 現. 孟 子はどう であ ろう か。. 子. 実的 であ る) たいじん 「 大人 の事あり、小人 の事 あり」 ( す べての仕事 にはそれぞれ分担 があ って、 人 の上 に立 って政治 をす る人君 や役人 の仕事もあれば 、人 の下 にあ って いろ 孟. 第 二 章. 勝文公上〉 いろな物を つく る農 工商 の仕事もあ る) 〈. 「 心を労す る者 は人を治 め、力を労す る者 は人 に治 めら る。人 に治 めらる. 孟子は情熱的な理想主義者 、 レト リ ックを多用す る雄弁家、対照効 果 のあ 孟子 の比較的客観的 でやや好意 的な全体 的評価は、 る二分法 の多 用者 であ る。. n x U.

(10) . を. 撒. . 中心にして) (その-). る者 は人を やしな ひ、人を治むる者 は人 にやしなはるるは、天 下 の通義な tめソ」. 「 はた君子たり、 はた野人たり、君子 なく んば 野人を治む るなく、野人な く んば君子を養 ふな し」 「( 孔 子日く)君 子 の徳 は風なり、小 人 の徳 は草なり。草 これ に風をく は. あ る いは 民 心 と 政 治 に つい て、. 「 集約 の天下を失 ふや、そ の民を失 へばなり。そ の民を失 ふ者 は、 そ の心. を失 へばなり。天下を得 るに道あり。そ の民を得 れば ここに天 下を得。そ. あつ. にく. 鞠. の民を得 るに道あり。そ の心を得 れば ここに民を得。そ の心を得 るに道 あ. けもの くわう. り。欲 す る所は これを与 へこれを衆 め、悪む所 は施すなき のみ」. 「民 の仁 ( 政 ) に帰 す る や 、 な ほ水 の ひ く き に就 き 、 獣 の城 に 走 る が ご と. 卑官 の者 は言 いつけられた仕事をす るだけ でよ い、尊位 にあ る者 は道を (. 天 下を得 ること の第 一条件 にもなりえ な いであ ろう 。従 って、孟 子 の民衆 の. 民 の声 が天 の声 ( 天命)を代行す ることも 不可能 であり、民心を得 ること が. 二分法 による峻別は、対照効 果があ って明解 であ るが、単純化 に過ぎ ると い. し 」 と 言 って いる 。 〈 離婁 上〉. 万章 下〉 行う権利と責任と があ る) 〈 「 君子 のなす所 は、衆人もとより知 らざ るなり」 「 仁者 はそ の愛す る所を以 て、そ の愛 せざ る所 に及 ぼし、不仁者はそ の愛. 政治的能力 に対す る評価 が孔 子 より低 いとす るには及ば な いであ ろう 。藤堂. ふれば必ず ふす」 「 膿文公 下V 順を以 て正となす者 は、妾婦 の道 なり」 〈 「 人 の本朝 に立ち て道行 はれざ るは恥なり」 日高きは罪なり。 位卑 しく し てき. 仁者 は愛す る者 に対 す る心 を せざ る所を以 て、 そ の愛す る所 に及 ぼす」 (. 倫 理)的能力が決定的 に劣 ると したら、 う短所もありう る。も し民 の政治 (. も って、 ま だ 愛 さ ぬ者 に及 ぼ し 、 不 仁 者 は 愛 さ ぬ者 に対 す る心 を も って、. 明保氏 は、孟子 の民 に対す る具体的 で生 々し い心遣 いを示す言葉 を紹介 し つ つ、 「字皿子は)孔子が心底 ではなお認 め て いなか った 『 民』 と いうも のの立. 倫 理)的能力も孔 と被治者 とを孔子以上 に峻別 して いる、従 って民 の政治 (. 民衆)、 即ち、治者 これら の言葉 から受 け る印象 は、君 ( 為 政者) と民 (. 肉体労働をす る 『 小民』 は、人 に治 められるー ー これが天下 の常 識だ」と い 文 明 の本質 にかかわ る大問題 でろう。たしか に分業 によ って人間 の う のは 「. 大 人』 は 人 を 治 め、 精 神 労 働を す る 『 いを 受 け は じ め た 。」 し か し な が ら 、 「. 愛する者に及ぼす)怠 心土. 子 以 上 に低 く 評 価 さ れ て いる の では あ る ま いか と いう こと に な る 。と こ ろ が 、. 文 明は進歩 した。そ の分業 の いちば ん基本的なも のは、精神労働 と肉 体労 働. 場 を 、 いさ さ か 前 に押 し 出 し た 。」 「よう や く こ こ で 『 民 』 は 、 半 人 な み の扱. 書』 の天命思想を引用し、あ る いは主張 し 孟子は、孔子が言及 して いな い 『. 大 人』 の仕事 であり、後 者 が下等 な の二 つであ ろう。だが、前者 が高尚 な 『. 『 :・ ) 分業 は 小 民 』 の や る べき こ と だ ー ー と 断 言 す る こ と が でき よ う か 。 (. て いる 。 み. 「天 の視 る は 我 が 民 の視 る に よ り 、 天 の聴 く は 我 が 民 の聴 く に よ る」 〈 万. . 差 別 に つな が るも のな のだ 。 だ か ら こ の問 題 は 、 我 わ れ の永 遠 の宿 題 と し て. 、 。 残 るだ ろう。 倫 」と結 ん でおら れ る 我 々は少 なくとも 民衆 が極低 い政治 (. 章上〉 「む か し 、 菟 、 舜 を 天 に薦 め て、 天 こ れ を 受 く 0 こ れ を 民 にあ ら は し て、. 理)的能 力しか認められて いな い状況 下 で のこの種 の分業 は身 分 や階級と い. . 天 も の いは ず 。 行 ひ と 事 と を 以 て、 こ れ を 示 民 こ れ を 受 く 。 故 に日 く 、 『 さか. った決定 的な人間差別 に つな がり易 いことを確認 し ておきた い。 したが. す の み』 と 」. 「 天 に順 ふ者 は存 し、天 に逆らふ者 は亡 ぶ」 〈 離婁上〉.

(11) . . 西 岡 孝 治. 孟子 の人間観 とし ては性善 説が有名 であ る。 「 人 にはみな人 に忍びざ る の心あり。先 王は人 に忍びざ るの心 あり て、す. 説は 「 人間かくあ る べしとす る道徳的な要請 にもとづ」く のであ って、 三 つ. 間 の内心 にあ る貴重 な道徳的欲求を重視 し て、 それだ けを性と よ ぶ」と いう 無理を した のは何故 か。金 谷氏 は更 に萄 子 の性悪説とも比較 しな がら、性善. じゆつてき. 人 にはみな人 に忍びざ る の心ありと なわち人 に忍びざ る政あり しなり。 」「. にく. しか. 統制 にも連な る のとは全く逆 であ った。純 粋 な道徳論 とし ては、人間性 に信. み. 側隠 の心あれば なり。交りを濡子 の父母 に内ぽ んとす るためにもあらず、. せい. いう ゆえ んは、今人 にわか に濡子 の井 に入ら んと す るを見 れば、 みな様 傷. の意義 を持 つと いう 。第 一に 「 人 々の道徳 への意欲を はげま し、微 弱な道 徳 的欲求 の覚醒を強くう ながす」第 二に 「 道徳 の教えと いう 面から みると、上 から のおし つけを強化 す るより は、人 々の内面的な自覚を主 とす る立場 に連. じゆ し. 誉 を郷党朋友 にもと めんとす るため にも あらず、 そ の声 を悪 み て然す るに. な」 る。 「 荷 子 の性悪 説 が、外 から の規制 を 強調 し、韓 非 の主張 す る法律 的. むす. もあらず 。 これ により てこれを観 れば、側隠 の心 なきも のは人 にあらず」. 公孫丑上) (. 頼を おく この性善説 の楽天的 な思想 がま さ る のは、 いうま でも な い。性悪説. をおさえ て、 性善 説 が儒 教 の正統思想と し てのち の世 に強く継承 された のは、. 金谷氏 によれば増孔子 には 「 おおむね の人間 に いわ ゆる良心 と でも いう よ 人 間性 に対 す る信頼感L、 「 楽 う な善性 が備 わ って いることを 認 め信ず る」 「. か 一種 の平 等 思 想 と み ら れ る も のが あ る。 ( :・ ) お よ そ 人 間 であ る 限 り は 、. 決 し て偶 然 のこと ではな いであ ろう」と いう。第三 に 「 性善説 にはな にほど. 門人 たち のあ いだ では、どちら に重点を おく かに対立 が生 じ、 曾 子派と子涛 ・. だれ でも ひと しく善性を持 って いると いう主張 は、人間 の生ま れ つき の血統. . 子 夏 派 に分 裂 し た 。 「 孟 子 は こ の曾 子 派 に学 ん だ 」 と いう 。 従 って、 孟 子 の. や身分 にかかわりなく、道徳的立場 におけ る基本的な平等性を認 めたも ので. あ る。人 は みな秦 ・舜 にも なれ る、だれ でも修養努力 によ って聖人 にも なれ. に よ って、 内 な る 善 性 が く ら ま さ れ て いく と いう 」 のな ら 、 「そ う し た 悪 に. か」 「 悪 はわれわ れ の外 にあ り、わ れわ れ の感覚器官 がそれ にひかれ る こと. 「 人間性 が善 であ るなら、 こ の現実世界 にはび こる悪 はどう し て出 てく る の. 科 学 的 な 論 理 と 比 べ る と き 、 そ れ は 一層 あ いま いな も の に な って」 お り 、 「人 間 性 を 善 だ と い いき る こ と に は 、 客 観 的 に み て、 や は り む り が あ る 。 」. 場」 は為 政者 の責任を内 面的 な自覚 に任 せ ることを奨励 す ること に連なり、. とあ るけ れども 、重点 は諸候 を主と した為 政者 にあ る のであ って、民は 二次 内面的 な自覚 を主とす る立 的 であ ると考えざ るをえ な い。従 って、第 二 の 「. 政徳 一致 の 「 道徳 政治」を孟子は説 いて いた筈 であ る。第 一にお いて 「 人 々」. し か し な が ら 、 忘 れ ては な ら な い。 我 々 は 「 純 粋 な 道 徳 論 」 を 扱 って いる わ け では な い の であ る 。 『 孟 子』 は 「 為 政 者 のた め に 説 か れ た 書 物 であ り 」. る と いう 思 想 は 貴 いL と いう 。. ひかれると いう事実 は、 やはり それ に対応 す る悪 への傾向性 が内部 にも存在. 民 に よ る チ ェ ック は 軽 視 さ れ か ね な い。 政 治 が か ら む 分 野 に お い て、 道 徳 の. 性善説は 「 孔 子 の忠信説をうけ て直証的 に導 かれたも のであり、 必ず しも 」「 経験的 に把握 され た現実 認 識か ら得 られたも のではなか った」 と いい、 「 人 間 の本性は善 でも なけ れば悪 でもな い」( 本 本性 は生ま れ つき の素朴 なき じ 〈 始材朴〉 であり、道徳 はそれ に対す る後 天的 なしわざ)と主張す る 嘉口子 の. し て いることを証明す るも のであ ろう」 「さら にま た孟 子 は修養 や教育 の必. . 要を力説す るが、人間性が善 であ るなら、どう し てそ の必要 が起 こ ってく る のか」 問題 であ る。かく て 「 人間性 が善だ と いう ことを、 そ のまま額面ど お. 内 面性 が法律 の外 面性 より優位 にあ ると割 り切 ること は問題 であ る。 先 に「 先 王は人 に忍びざ る の心 あり て、すなわち人 に忍びざ る の政あり しなり」とあ ったが、正 に為 政者が念 頭 に置 かれ て いることを示 し て いる。先 の孔 子 の言 り に受 けとれな いこと は、も は や明白 であ ろう」と結論す る。では孟子が 「 人. ( =V 1 1.

(12) . 儒家の人間観 (民衆観を中心にして) (その-). 王道 為 政者 に対 す る期待 ″は、 「 遊 説時 代 の孟子 に戻 ろう。孟子独特 の ″. 「. :・ )力を以 て人を 服す る を以 て仁を行 なう者 は王 たり。王 は大 を待 たず。 (. 、. 葉 「 君子道 を学 べば即ち人を愛 し、小人道 を学 べば即ち使 い易 し」も思 い出. 「 覇道」 王 道 論 蜘 と は 例 に よ って 王 道 」と 「 論と革命論L であ る と いう たも と を対 照 させる。 「 力を以 て仁 を仮 る者 は覇 たり。覇 は必ず大国を有 っ。徳. われ 贈撒憐 て尭舜為たる可べし」 ぞやo予何人ぞやo為す有る者亦是 の若し』と壌 「. 者 は、心服せしむる に非ざ るなり、力足らざ ればなり。徳を以 て人を服 せし. 嫌. およそ類を 同 じうす る者 は、 され る。第 三 に関し ても確 か に孟子 は言う 、 「 なんびと 舜何人 顔淵は日く・ 『 聖人も我と類を同じぅす る者なり馴 「 みな相似たり」 「. 性、相 い近 し。 と。か つて孔 子が ふと 一度だけ主体 を明記 せず に語 った言葉 「. 公孫 丑上〉 む る者 は、中心 より悦び て誠 に服せしむるなり」 〈 よ 「 善を以 て人を服せしめんとす る者 は、未だ能く人を服 せしむ る者あ らざ. 二、為政者に対する孟子の期待. によ る仁愛 の政治を行なう ため には、君主個人 の徳 が立派 でなけ れば ならな. し て王 た ろ者 は 、 未 だ こ れ あ ら ざ る な り 」 と 孟 子 は いう 。 〈 離 婁 下〉 と こ ろ で、 道 徳 徳 の政 治 」 と の対 照 が あ る 。 「 こ こ には 「 力 の政 治 」 と 「. るなり。善を以 て人を養 いて、然 る後 に能く天下を服せしむ。天 下心服 せず. やしな. あら. 習 え ば 、 相 遠 し 」 と 比 べ ると 、 主 体 が は っき り し てき て い る。 「人 皆 」 と あ 土 」 以 上 が 念 頭 にあ る と 考 え ざ る を え な い。 こ ろう と も 、 「民 」 を 除 いた 「 れは 「 平 等 思 想 」 と は 言 え ま い。. ⑳為政者自身の積徳. 惟仁者 のみ宜 しく高位 に在 る べし。 と説 いて いた。孟子も断 固とし て言う、 「. 為 政 以徳 」 る 。」 いや そ れ ど こ ろか 、凡 庸 な 君 主 も 資 格 は な い。孔 子 も か つて 「. か った 。 『 仁 者 に敵 な し』 と いう そ の仁 者 と は 、 も ち ろ ん 君 主 の こ と を さ し. 君」 に期待 せざ るをえ 民」 は当 然 の被 治者 であ るから 「 孟子 にお いても、「 春秋」 な いと いう定式 は孔子と同様 であ る。 いく らか相違 があ るとす れば、「 から 「 戦国」 へと いう時代的変化 があり、 そ こには度重 な る戦 いのため に収 中 国 の最大 の異端 思想」と いわ れ る 民」 がおり、 「 奪 され てあえぎ苦 しむ 「. . この. ぞ. ただ. あ. 必 要 が あ った。 でた ら め な背 徳 者 では、 君 主 と し て の資 格 は な い のであ. 民 の父 母 』 と し て の心 を 持 つ て いる の であ る 。 ま こと に、 君 主 た るも の は 『. 墨家が宿敵 とし て現われ る。情熱的 な人孟 子ならずとも 、為政者 に対す る激 孟子』 七篇を分析す る。上孟三篇 は遊説時代 の の文献批判 を手掛 り にし て 『. . 励 や更 に責任追求すらも昂じ て来 る のは当然 であ ろう。金谷氏 は、伊藤仁斎. 孔子日く、 『 道 は二 不仁 にし て高位 に在 るは、是れ其 の悪を衆 に播くなり」 「 そこな 其 の民を暴う こと甚 しけ れば、則ち身 殺 せら れ つ、仁 と不仁 と のみ』 と」 「 けず これ ゆう れい 国亡 ぶ。甚 しからざ るも、 則ち身 危 く 国削 ら る。之 を名 づ け て幽 ・周 と 日. 義Lと、 仁 義 」 あ る いは 「 も の であ り 、 例 によ って得 意 の 二 分 法 を 用 い て 「 あ. 「 王何 ぞ必ず しも利と いは ん。 利」とを対照 させ る第 一篇第 一章から始まり、「 また. ちゆう. そ く 「 仁を賊う者之を賊と いい、義を賊う者之を残 と いう 。残賊 の人 は、之を いっぷ. 一夫 と いう。 一夫紺を課せ ろを聞け るも、未 だ君を斌 せろを聞かざ るなり」. 亦 仁 義 有 る の み」 と い った 覇 気 に富 ん だ 若 々し いこと ば が あ る。 と こ ろ が 、. 政治 への積極的な関心は ほと んど見 られな い。主と 最後 の尽心 篇 にな ると 「. 〈 梁恵王下〉. 調 した記録 であ る。そこ では、段王朝 の徳 が衰えたため に新 た に周 が天命を. 「『 書経』 の内容 の中心 部 は、段 をた おした周王朝 がそ の革命 の正当 性 を強. 革 命 の是 認 と いう 側 面 」 が 出 て来 る鮪 金 谷 氏 に よ れ ば 、 こ こ に孟 子 の 「. す ると こ ろは士た るも のの個人的な修養 であ る。 そし て、世俗 の世界 に背を ) こ の篇 の中 心 は実 :・ 向 け た 説 き 方 の強 いこと が と り わ け て印 象 的 であ る (. :・ )( そ の極ま ると ころは) ろう)( は孟子 の退隠後 のことば の記録 であ った ( 精神主義 の強まりと 天命 の自覚」 と いう のであ る。. n.

(13) 西. 態 度 に 後 二 命 論 い み 子 』 君 批 以 臣 じ の 書 判を 者 」 上 に 、 相 務 き説 書 を も 差 、 に 集 め つ い 君「て 為 な 積 ん で 臣 政 、 相 に れ 者 が 無 は 務 説 あ中 つ い どて の 積 徳 を も く る 視 さ 、 る 、 中 国 」で の も 日 に 船 れ と 辿 は の た 、 本 も とは 沈 没 当 り も 後 世 の 然 心 っ 削 神 日 て き たに だ 除 本 で に の す 、 し さ 御 み る と い た 君「 意 こ こと ろ れ も 古 。 政 君 た に 合い た う こ り 来 れ 徳 の う 一 致 ら わ ず 風 説 し ら で た 危「 の ず と 難 あ の 道 と 』 険 う る さ い い えな 思 」 ち え 徳 う も ど ど あ 想 「 政 。 」 、 と 王 道 治 を 「 っ 臣 も い た わ と が 国 しで は 論 は ら 、 以 わ て 嫌」 わ れ 「 し 王 道 は て れ く 臣 た さ て お き 、 、 論 た ら」。 ま た 孟『 子 」、 、 ざ 様 「 は 孟『 々 る 、 革. が あ い も っ 野 り精 一 る 明 は た 解 な や宣 愛言 想。 が 」 は と そ げ し い い 尽 、 が 尽 き い 現 実 孟を 子 さ 篇 ま り れ た と 下で に て の 、 そ 印 中 正 れ 象 的 もで い の し を 一 う 章 く ふ 敢ま 論 で 然 あ の で が 右 と る え 言 。 あ で 金 ろ あ て い い 放 谷 氏 う る ら」 た せ た のか 。 は こ 。 孟 る 章 頭 子 、 こ の とに み 我 と は の 一 民 を が 国 だ は に 遊 句 他 説 と 愛 は 説 下「 を し に し も か ら か れ た は 社 機 を 保つ べ 爆「 弾 解 ち ろ 釈 小 る の 的 な し の 。 力 ん 、 よ の 盛 り 宣あ 言 うで か い も な の く 国 に 、. み ず で も 問 題宇 か ら そ に 氏 の 尊 な は っ に て 「 お お り あ ご 、 っ て (: ・ に 過 は ) な ら ぬ こ 激 人 な 君 た る と を 述 べ たあ 者 、 る か ま さ も. る の が よ い 」 と. 治. 視 を 視 は 臣 臣 る 何 の 服 更 こ とる 」 こ る に 冠 讐 との こ ( 顔、 孔 全 国 と 腹 か 淵 ) 人 の こ 心 れ 如 、 が に し 如 の 如あ と 君 臣 相 L ら 語 し 関 務 的 と 。 し ん っ 。 」、 て い 係 い 君 に な も うの と の み た君 「 。 臣 の 君 の る つ 金 を 視 臣 の い を 視 臣 に て 谷 氏 を 対 る 君「 視 こ る し の 。 言 と こ とる て 君 主 葉の 土 つ 芥 ちの こ と 、 臣 以 あ を 〈 犬 孟 子 た 馬 の 手 足 借 り 、 待 如 く は 臣 遇 れ 如 く の 事 如 く 「 君 い ば な ( 臣 か ん に、 れ な ば れ な れ と 「 孟 し 」 、 ば よ 子 則 ち 、 ば て 君( 八 則 、 っ は 倍 ま た 君 臣 の 君 を 視 ち 則 の ) 冠 て ) 、 臣 ち 、 こ う 臣 臣 「 の 君 を の 君 ゆし う君 下 の と 君 臣 に 、. 盛 せ 既 も に 潔 さい の 金 谷 氏 の 説 く よぎ 心 、 祭 記 時 に よ 以 て れ ば 、 最 。 然 し 終 篇 の 尽 心り 而 し し て 早 乾 は す. 退「 隠 後 の こ と ば の 記 諸 侯 達 録 」 で あ. 孝. と の 関 係異 を 完. 先 の」. 大. 岡. 水 あ れ ば 、 則 ち を 変 置. た 治 う 受 衆 の そた 西 れ紀 し 周 る の 結 果」 思 想 思を 想 継 で け る て 考王 あ 朝 る の 王「 が め 前 十 も二 え ら のれ 内 こ の こ 朝と で っ 子 た と 民 衆 と 革 承 す、 で に 部 あ に 命 し 世 の 意 た思 へ の な戒 し る て よ 、 の 是て に べ き 紀も の の こ も の っ ま 、 確 立 た か た 孟 認 も そ に は め と もと れ 何 し 説 ろ よ ろ う 子 の は、 を 一 て よ り も 民く衆 の 安 で と っ や 」 、 考 て 。 し い 天 の は 層 と い た そ え ら でれ た の で げ し り は 」 あ れ 権 威 王 道 を 「 を う る っ そ 使 。 き り な て い と あ い 意 し に お さ る 気 可 能 し て ざ る 寧 幸 。 よ れ 礼 っ ご た 形 で、 り が た そ て に 書『 経 に 、 。 福 み し 段 、 す す そ ん 周 で て の 服 改 革 る 真 強の 仁』 君 の る 王 あ 、 朝 調 な 古 い こっ こ の 中 と 以 忠 従 革 命 し に の た の を 要 求 燃 え 成 立 が た の に ば 、 あい み ら れの 危 書. 口 た に 得 民「 を 為貴 。 ) 。 ら れ 政 者 諸 侯 社 穣 をた 危つ と て 天 し子 と の な 民 衆 と な. いな. る. を く すす れ ば 、 か則 ち. り. し に 、 対 す 社 穣. る 心 遣. 、. 天 子 之 に に 次 い 得 ぎ ら 、 か れ 君 を ﹇其 て 諸 侯 と な 軽 か の ろ 君 し を と 溢 ﹈ な 変 置 りす す 、 。 諸 侯 是 こ 。, の 犠 牲 に既 故 得 に 社 機 ら れ 丘 民( 衆 に 成 り て 大 夫 茶. 、 し. とー. た い ふ. 民 ). が る ろ 熱 情 出を 示 、 険 に 現 を 孟 子 るで 周 が 、 あ 政 切 望 治 は 初 る す も あ と い の す 民 っ 政. 深 政 里 い 治 社 に 隠 世 界 会 で 退 す へ の 注 視 を の る 敗 。 北 は そ. 挫 れ 折 し 対 か に す あ し 、 る っ た 「 孟 王 道 子 。 そ の れ は し 進 実 現 う 、 て な 道 モ や、 つ 的 を ね が 徳 ラ は い し 主 リ り ま に が 姿 た の 義 ス者 は う 遊 と ト 十ぎ 孟 で と れ 説 を 子 の を あ う し も な 断 る か て 悲 」 念 が の く 孟 子 現 実 世す 界 で 願 は ( 以 上 る 、 て に 国 に ( : 金 至 谷 家 る で. 氏 を や の 政 治 敗と は ( 引 用 北 し つ つ 違ま っ た と 別 め の. 、 ま た 天 す 、 そ 徳 の る れ と は 意 と お お がよ 内 も 知 容 と に ら 、. に 対 す の. 調 さ 可. ﹇孟 れ る こ 子 のた の う し 双 は の た 務 説わ 非 難 が 歩 の 国 で か ら ﹈ な の こ 、 章- を 攻 撃 勢 わ れ わ あ れ っ し は た た( 逆 っ に (『 玉 か ) 当 わ よ 時い が の つ ・ 専 ) 制幾 ま た 国. か ら ず. 」 (『 古 文 孝 経 』と で の 序 ) と い. :う ・. 片 務 説. が 出 て. 』. で は 来 あ ろ 体 巻 十 四 ) る : ・ ) 制 の き 、 が う 本 び 、 居 宜 長「 か 」 」 し び し -が の い た か 、 も ま も 特 さ と. そ で し あ て っ つ た ま 。 い ( :に ・ し) 郷 い. そ. 、. 「 孟 子 に. た こ. に 強 12.

(14) 儒 家 の 人 間 観. 例. 与 是 賊 な 我 ず を 群 はき 告 と 案 を 輔 能 、 か ひ 政「 う ら 在 養 と民 難 り く 仁 子 篇 く 民 を 、 た 。 君 の に為 志 こ こ府 ろ 下 に く す 君 き も 軽 」 道 み さ ざ 庫 、 、 るな ざ を 充 もす み し に に 君 与 る 民「 惟 朝一 も り 郷 み た 。 わ 国 に ら を 今 ず を 、 と れ 重 邦 居 す 本 る お の 道 、 約 。 る こ 仁 、 能 あ た し れ 今 、 る 、 を 富 の 所 「 不 仁 精本 固 わ に に 今 由 志 さ 戦 い よ ざ え ま 語 わ ゆの る 君 邦 り 臣 良 臣 寧 る 、 ざ ば さ な に 下 達 」 今 の る俗 を 必 変 ん こ 、 り は 事 つ か に ず 克 庶「 民 」 子 と を 求、 む う る 、 と 古 い に し こ つ い し れ が と の え所 者 は 日 く 来 う ず 。 。 い わ非 難 」 為 今 の 所。 謂 謂 、 従 る 是 こ れ民 の く こ と に 無 、 し 貴「 が弟 いっ君 子 強 案 戦 を 賊 我 能 て て て い 、 く 良 臣 富 ま な せ よ い 孟 子 ば ん こ と を 求 むり く る 。 君 の 節 、 、 は し 同 、 む 君 き道 民 之 と父 母 之 み 為 様 の 古 る し の に 天 下 を の な に に て 民 り 郷 むわ 土 は か 旨 」 地 。 の 。 、. 刑 す 。 是 こ れ 民 を. 無 な す て け れ る い こ る ば と を の 、 で 放 群 為 す あ. 関 あ す る な り 。 嵩 い んく ぞ 仁 人 位 ら に 在 あ る 有 っ て 、 民 を. み邪. と い っ た 書『 』 、 詩『 』 の 本 来 の 神 を 強 調 し た の で あ ろ う 。 な お 、 最 後. く. 。. 修. 民 の. 為 さ ざ づる 無 し 。 罪 いに 陥 る に 及 ん で 、 然悶 る 後 従. 塙 き は 則 ち 恒 産. 、. 無 け れ ば 、 因 っ て 恒 心 無 し 。 荷 いも. し て 為 っ く お さて む 之 を 恒 心 ベ 1 1 . 者 沢 に つ ま り 孟 子 は 耽 ふ 、 未 、 は け 王 者 第一 だ る よ こ り た ら 篇ん と れ る 第一 章 有 。 も ら そ若 の 、 ざ 仁 義 す る で は 理 、 る な 由 即 ち 諸民 梁 り は 侯 の 」 、 に は 恵 「 恒 を 王 産 無 安 民 に 定 さ に 言 く 重 税 っ し せ た て る や 「 恒 事 兵 王 心 を 役 を 何 必 有 る 第 日 一 と課 す 利 者 し は て 亦、 有 仁 、 る 戦 惟 士た の よ 力 だ う を 義 而 ざ に 増 み 能 と し 巳 勧 、 突 く め 賛 」. (民 衆 観 を 中 心 に し て). 重 税 深を い と 民 失 と 取 望 を り 立 が 込 較 し て ため ら れ て 軽 門 人 て い 重 の 再 求 るを を 明 の と 思 言 責 わ す め た れ る を 厳る こ 。 が 、 孔 子 言も 孟 子 は 葉 は 、 そ に 孟 の 不 徳 の 君 例 当 を 時 そ の っ く り 引 主 に に 用 民 対 し か ら る て. の. 王 た 道 め 比 論 は に 元 来. 一 言 弁. 、 ざ と 君 が る 仁 え を 政 を 得. の. も ない っ て 民 だを ろ う 」 と. 先治 節 め 。 る こ と を 子 の の 大た め 前 提 諸 に侯 す る 。 す そ の 君. (そ の -). は え ら 専 制 主 溝 谷 に 体 れ 、 に て 制 か 奪 時 府 倉 転 ま い て っ る 代 び る ぜ て れ は 充 、 。 で 説 苦 あ こ し み 壮 な れ に れ つ み 」 、 た る あ 、 え ( 梁者 恵 対王 篇 御 お も 孟 子 ぐ は 散 し 上 か みの で 様 て 先 に な ら をず 対 す は じ な 殺 下 て四 の 藤 る 」 摘 ) 方 い 堂 氏 不 し も て い 引わ 用 孫 し に に 、 侮 行 し て は し た 野 辱 て く (﹇ 、 民 為 れ貴 て め も の 「 き わ も に 、 に 満 凶 、 る 年 国 の と て つ 諸 ま い 、 、 く 千 飢 歳 る 。 「 ( :そ 財 と 、 城 大 人 ・) 君 の 悲 人 に 胆 を 兵 の の源 で 争 あ 。 は な 言 の葉 肉 を 劇 、 う さ 為 君 の 代 れ に 軽 を 食 ど 戦 い で ﹈ ま ら ざ 君 の 民倉 膜 し あ と う 、 て と れら を ) ま る 後 ざ 筈 の も の も そ う老 「 民 と り ん弱 の っ 」 、 見 せ つ け ら れ. 民 そ て が 収 の 罪 し. 地「 、 を さ は 人 争 い 死 て はを 殺 う を 客 に 戦 い の がし れ て を ず 城 に も 」 っ (離 婁 み つ て 。 し 篇 、 指と 上 ) こを れ 人 を 、 土 地 の. 載 たせ い校ず を 兄 易 とく 始 め こな と が争 ( ) の 捷う に っ 諸 侯 子 た 事 つへ 揺 くさら て い か ぎ り 。 教 おし し 、 が ) { 老 ろ 者 うを え謹 む 富 、 し 」 爾 王 道 る 時 国 出 い め し つ つべ 宗 や ばし し で て 、 王「 で に 強 をく み 」 孟 兵 壮 も あ 衣 き 、 民「 を は 者 子 策 し る 、 之 と 以 は に は 暇 仁 肉 を に 申安 て 孔 よ 政 い 子 同 っ 其 日 を 民 う か ん 食 い ぬ さ じ の を 。 て 国 る て 王 長た 以 て に其 の 「孝 悌様 、 に 上 の 事 へ 施 ( 民 に の ) の生 を 養 い 繋 れ民 孝 悌 の 義 を 以 て せし 民 衆 武 い み ん 力 、 ら 飢 え ず ば 刑 に や 生 活 経の 安 定 罰 、 ば 済 之 を 能、 忠 を 寒 ニ 力 や 艇 てを 信 省 は も っ ぷ い え コず を き 死 権 く 禦 制 修 め 、 を 喪 力 税 ぜ 。か ば ふ せし 然 くの 、 ぐ て 以 て、 鰍 い れし ん (経 済 を く と) 頒 た な 入 を 薄 て 憾 無 き 拡 い う ら) み と 大 り に 白 くは き な 秦 楚 て はく し の し 者 り 教 互 し て 王 、 」 、 は 育 い の 以 、 を た 道 座「 し 堅 て 深 に ら 路 序 (うよ 甲 其 の く父 王 与 え 覇 じ ざ に 権 を 耕 道の よ 利 る し る 負 ふ 学 兵. は 実 ち. み. 日 為 も 政 結 局 者 の 民 こ. 路れ. 、. 王 道 論 が 中 心 と な る. 。 か つ て 孔 子 が 言 っ た 、 「 富 之(. : ・ ) 、 教 之 」. 衆 統 治. の 更 に. は. 、. 、 『 左 政 伝 』 に も あ る. 策. 、. 向. か ら と い う ニ ュ ア ン ス の 違. 子 の 民 衆 へ の. 遣 い を 強 調 す い. る 侯 は阪 雇 立 場 あ か る ら が 時と 、 、 後 者 「. 民 同 楽 」. 民 も 、 亦 「 そ の 民 の. の 心 を 我 が 心 と す る ″ と い う 主 旨 の も. れ る 。 前 者. 為 政 者 か のれ 立 場は 孟. 憂 を 楽憂 のた を し 楽 う し L む 者 な ど は 「 視 民 、 の 民 如 民〃 も 亦. 傷 」 が あ る 。. 守 的 なわ. 恐 ら は く 伝 当 の 君統. 的 保. の 愛 、 民 君 と の 他 の 民 を 父 母 と 赤 表 ふ 現 せぽ き み と し て し は に 、 讐 え 「 民 と る 借 の は に 孟 子 楽. そ し も の む 少 な 楽 を 楽 故、 く し 能に と も む く 。 楽 三 民 の 憂 を度 し 用 ‐ むつ なれ い て い い 憂 り L う る る 、 。 者 興「.

(15) 西. 儒 し 一 致 的は 家 ″ て と い い 思 想 の し問 る な い う こ の と 題 が は に 、 な 点 を 何 外 的 ろな ら う 明 か かに の. 子 果 を 」 を 期 調 べ 待 で た 後 き る に 取か も り あ し れ げ な い る こ と 。 し に か し し よ こ の う 。 課 題. 相. し 互 つ つ 関 、. 現 代 の. の 詳 細 は. 、 次 の 第 三 に 賦 活 効. 儒 者 荷「. 岡. 園. 小 こ 林 勝 人「 れ 之 人 言 日の 訳 注 出 、 典 為 君は 孟「 子 難 書『 」 、 下( 為 岩 』 臣 不 ※ 波 易 ) - 。 器 詩-『 如 知 』 為 又 ℃ 君 は . 食 N難 也 『 書 、 不 』 幾 乎一. 而 興 邦 乎 」 (子 路 ). 回. ㈱. 平 ら岡 武 夫. 例. 回. 藤 堂 金 谷 明 保治. 鰯. 前 掲 書 、 前 の 世 学 掲 経 界 館 書 軍 ャ 」 ) . N N 毎 -w ℃ 」昭 ※ 前 掲 書. . 小. . 和 57. . 経 言. ほ備 ぼ 同 じ で あ 君 っ た. 。 「政 こ 純「 相 対 徳 。 粋 と こそ の 道 現 実的 分 離一 徳 致 れ に 」 」 、 の を 」 思 政 よ 峻 で 想 の 治 っ 別 あ て し る 破 縦 権 、 な い 。 〃 力 我 を 示 と 相 々 で 対 万 は 、 あ る. 論「 語 」 (集. ) ℃ ・ 窓 口 -. ⑩. 回. は 違 っ た 別 の 深. 治. の で 考 え て. は る ‐い 安「 民 様 、 「 る 々 虐 の 」、 の 民 用 に 」 「 、 視 他を な 足ら 民 な 例 が 「 」 登 場 暴 民. H の. あ る 終 。 っ り た し はい 世 界 へ 。 の か注 、 し 孟 子 、 そ で れ い あ し 」、 が 政 が て 賊「 。 る 治 民 衆 の「 の く 民 遊 社 る に 」 説 家 の 一 会 で 敗 北 、 こ と で、 利 現 実 と 「 岡 益 う を 通 あ 民 な が は 人 と 全 る 」、 よる し 」 。 「 く し て 狭 さ モ ラ て こ し 逆 勿 論 民 て れ の こ 」、 、 状 そ の たこ とと リい は ス 得 孟 子 態も ま れ た 「 は 腐 ら れ ト に 、 う と な 王 」民 金 谷 し氏 の 言 葉 る っ 道 の 目 な 」 て て ど と 彼 支 配 い 的 国「 家 る 的 の 民 は 者 の こ と をが 憂 え 主 や 養「 張 利 で 政 結 治 と す 益 を 民 し 」 め ん る 、. 凹. 回. ◎. 金 谷 治 金 藤 堂金 未「 不「 谷 治 知 語 明 保 生 怪 「論 語 の、 世 、 界 メ 中「 鯛 驚 力 語 中「 国 中「 国 ク 知 、 の 世 古 代 名 死 乱 」 、 界 言 集 英 社 再 」 先( 神 」 発 ℃ 進 )」 ( 」N H K - 上 る ( ー 」見 の 8 伽 O (述 L 而 ) ( 朝( (岩 波 日 新 公 ) ( ー の譲 ) 聞 新 社 ) ( の は ℃ . ) ー の q ヤ ヤ W) ) ー N ー き の ℃ . - 鷲. 平 岡 武 夫貝 塚 ク 茂 樹. ). 経. し た 仁「. だ 。 孔 子 の 道 も. と し て 」 」 を は と 内 、 待 望 いえす 「 民る 的 政 う の で 徳 の な. 回松 枝 茂 鯖 夫 鰯 他 側. 国 語. 大 辞 「 、 論 語典(. 結 現「 実 果. 政 係 を 認 め治. 主 主 義 思 想. 。. 人 の 師 表 た ろ 徳 を 兼. 孝. 岡. 鰹. . ◎. 谷 名治 堀 プ 米 ラ . 豆 庸 ト 喜 ぼ 三 ン 国 思 想 を 考 え 歴「 国「 ” O 史 家 溺 と 」 人 間な 名 泰 窺 琶 巳 ) ( - 」 岳 (N H 「 中℃ ヨ K 5 書 8) ( ℃ o ー 滋 -は z ) の の符 号 龍 ヨ き F 粋 長 済 駕 r o 鴇 も. .. の 8. ④. ◎ ( 閃一 ). ◎. ◎. 金 金 の2O 縄 W 擾目 乱空 谷 谷 反 治 他 正( 乱 け 荷「 子 萄「 3 世 を 子 」 」 号 の ひ ら上 上 吊 8 き 治 (集 英 (集社 扉 英 g め、 3 正 し S 壌 s) の 冨 8 い 僻 ) 世 に 節 14 14 反 頁 頁 旨 す ) . 誓 の 需 8 溺 誓 塾 8 ﹇ 常 ユ. 誓け. d ヨ 9 ゆ 窪 ユ ゴ ・. 足 」 有〈 若 〉. 子 』 尋 で は 網 語 』 治「 民 に は 」. 、 「 用 民 」 も 使. け ん 君「 子 憂 道 不 憂 や 」。 こ こ. 「 民 を 使 う (. 。 し か し 何 と い. 使 民 ). 人 」. が 思 い 出 さ. 、 「可 便 足 民 れ る 、 」 「 君 〈 再 有 〉 子 峨 於. う 言 葉 が 四 回 以 上 出. 百「 義 姓 足 、 小 、 人 職 於 君 執 奥. っ て をも 苦 て く る 印 象 が 的 な 、 『孟 の. の 的 な 響 は 端 的 な な お 松葛 枝 治 思他 け 想 っ 思 は し 想 子 の 夫 他 、 て 家 っ 小 と な 「 「 い さ い も の そ での 中 後 の 国 の に っ 儒 た 古 教 の 正 統。 典 湊 名 は 代 著 社 な に 思 か な 想 と っ っ 史 総 解 た て か し 。 儒 ら て 」 教 す 」 は が の る (自 由 、 受 復 と け 天「 と 興 人 が 、 入 れ ら れ な 高か 民 行 な 子 は社 と ) の 分 わ 離 れ つた と8 2 い 頁 に 儒 っ に た 代 き 教 の 伝 統 」 表 さ 、 と 萄 子 い れ う る の 解 よ 思 想 説 う も な が 及 あ 萄 、 る 子 の ぼ む 。 し し 科 た 影ろ 異 学. に も 孔 子 の 言 葉. 、 節「 用 而 愛. わ れ 」 て い とい る. 貧 L. 利 」. 不. 茂. 、. (. “. 思 想 の 歴. 説. 国. の 中 で は. 14. 注 ).

参照

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