教室マイクロポリティックス前史(I)
The Forerunners of the Micropolitics of Classroom Interaction (I)
石田純
JunISHIDA
教室のなかで教師と子どもの間に交わされる相互的な行為といえばまず第一には教授と学習である が,教室は必ずしも教育的なやりとりで充満しているわけではない.マイクロポリティックスは権威 と服従,権力と攻撃性など政治学的な概念や方法論を教室社会の分析にもちこむが,かといって政治 分析に終始するわけではなく,教授=学習過程をそのうちに包み込む社会的,文化的,政治的な過程 を対象とする最近の研究動向である.本稿前半では問題を提起し,後半はマイクロポリティックスの 成立前史を構成する潮流の一つと思われるグループ・ダイナミックスを考察する. キーワード:1.権威 2.服従 3.権力 4.攻撃性 5.リーダーシップ1 某小学校4年P組
某月某日,某小学校4年P組の道徳の時間.スライド 資料『日曜日の当番』を使って,「うさぎの世話をしな ければならないのに,野球を夢中でしている太郎君たち」 を画面にみながら「責任について深く考え」る授業は私 が参観に行ったときはかなり進んでいた.スライドをみ せたあと,P先生が「さあ,どうしたらいい」と問うた とき,第一にあてられたQ君は,自分でえさをやらずに 担当者の太郎君にさせるか,うさぎがかわいそうだから 自分でやってしまうか,迷っていたらしい.しかるにP先生はQ君を「えさをやらない」に分類したという
(筆者同僚の観察による). 私が遅れて教室に入ったとき,当のQ君はさぼった 太郎君たちの不作為をはげしく攻撃する人物であった. 太郎君たちの担当するうさぎにえさをやったら,彼らに はさぼりぐせがつくんじゃないか,あとで注意しても聞 かないんじゃないか,とまで強引な理由をつけて自分の 立場を正当化した.最初の自分は迷っていたのに,教師 から役割を規定されたとたん,その役になりきるとは, なんと忠実な子どもであろう.もう一人「えさをあげさ せる」グループを代表したR君は,自分の意見を発表 するうちに,どうしたことか「えさをあげる」意見に変 わってしまった.P先生は「なんだ,変わっちゃったじゃ ないか」といって,それ以上の発言を止めさせ,以後発 言のチャンスを与えなかった.教師の設定したカテゴリー に忠実な行動しか期待されていないのだ. 教育学教室 その後のP先生の指導はこうだ.まず,対立する議論 の解決として,うさぎは誰から餌をもらいたいだろうか, と問うことによって「正解」を導き出す.そうしておい て次は,4年P組の児童たちが級務担当でさまざまの 班にわかれていることに言及し,各人に責任があること を言い添え,「さあ,これからみんな,どうしたらいい だろう」と問うと,それまでもたびたび手をあげて模範 回答を述べていたSさんが小さな声で「これからしっ かりやうと思います」とみごとにしめくくる.残るはP 先生の説話である.先生は責任感あふれるエスキモー犬 の物語を説ききかせて,研究授業は終った. P先生は決して権威主義的な教師ではない.むしろ, やさしい.しかし時として,発問が一般的すぎて,その ため,よく考えると,どうとでもとれる不明確さをとも なうのだが,かしこい子どもたちは驚くほど敏感に先生 の期待を察知する.先生の指導案が事前に子どもたちに もれたのではないかと勘ぐりたくなるくらい,要所々々 で方向転換していく. 発言の途中で自分でも気づかぬうちに転身してしまっ たR君は,ほんとうは重要人物だったのだ.全員の討 論を深めるチャンスだったのに,P先生はそれを見逃し た.見逃したどころか,後は,R君に発言のチャンスを 与えずに邪魔者扱いした.つまりP先生は事前につくっ た自分の指導案にそう子どもだけに表現のチャンスを許 す,型にはまった授業を行なった.通常の授業研究では 多分P先生はこの点を突かれるに違いない.しかし,私 の関心は別のところにある. 自分の頭でたどたどしく考えていくうちに教師の設定 した枠をふみやぶって,隣の枠に入ってしまったために発言を停止させられたR君は,何故反援しなかったの か.最初の自分は教師の分類に従いきれなかったのに, いったん分類されるや,Q君はなぜ甲斐々々しくその分 類を護持するのか.もし問題が切実であり,状況がイン フォーマルであったら,QもRもおとなしく引っ込ん ではいるまい.そうならないのは,状況がフォーマルで 人工的,そのうえ問題が絵空事であるからで,彼らにとっ てリアルなのは,Pは先生,自分たちは生徒という事実 だけだったのではないか.しかも,その事実は参加者に よって強化されている.参観者の手前,なんとか授業を 成立させなくては,という思いが教師にも生徒にもあっ た.といっては言い過ぎになるかもしれないが,QやR のおとなしさとSのもっともらしさは教師生徒関係を 前提にしないと理解できない. やさしい教師がしらぬうちに権威者として君臨し,子 どもたちが型にはめられて動いている,ようにみえる. しかし,子どもたちの服従が自発的なものであるところ にも注目しなければならない.子どもにはそのような自 発性がないと,教室社会でよく評価されないのである. P先生の指導案のなかに責任の価値としてこう書かれ ている.「社会の中で生きているひとりひとりが,その 立場や役割を自覚し,責任をもって行動することにより, お互いによりよい社会生活を営むことができる.」P先 生はうさぎ当番というフィクションを使って責任感を子 どもに植えつけようとした.なんのことはない.そんな 必要はなかったのだ.P先生の指導案のなかの「社会」 を「教室社会」におきかえてみると,QやRやSは, P 先生の持ちこんだ教材よりも,教室社会そのものを生き た教材として,その中で「生きるひとりひとり」として 「その立場や役割を自覚し」すぎるほど自覚していたし, 公開授業という晴れの舞台において「責任をもって行動 することにより,お互いによりよい教室生活を営むこと が」できた,という解釈が成り立たないであろうか. P先生を批判したり,笑いのタネにしたりする意図は 毛頭ない.たしかに4年P組のモデルはある.私が数分 遅れて公開授業の教室に入ってしまったという失態も事 実である.しかし,固有名詞をさけたり,他にも数カ所 に手を入れることによって,P学級が特定されないよう に配慮をしたのは,素材を提供して下さった方々への礼 儀であるとともに,P学級のひとりひとりの行動の中に, 古くて新しい普遍的な問題を読み取りたかったからであ る.P先生を冷やかすような書き方になったのは,教室 内の相互行為の過程は教授=学習過程だけではない,そ れと同等あるいはそれ以上に重要な何かを含んでいるこ とを暗示したかったからである. ll 服従の実験 P学級のQ君やR君やSさんは,俗に言う「良い子」 である.P先生がつつがなく公開授業を終えることがで きたのも,この子どもたちに力づけられたからなのかも しれない.多分,P学級の子どもたちは日本中のどこに でもいる普通の小学生たちであったと思われる.次は, 別の極端なケースを想定してみよう.たとえば,教室の なかに「良い子」が一人もいなかったり,多くの子ども が学習困難をかかえている場合,教師の対応はどうなる か.もちろんそれは多種多様であるが,そのなかから一 っの極限を描き出したのが,エール大学(のちハーヴァー ド大学)の心理学者スタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram)による「服従」の実験である.お断りしな ければならないが,ミルグラムの実験の舞台は教室では なL).彼は「ガス室」を想定しながら,人間心理の重要 な側面である「服従」の強さを測定しようとした.それ を教室に置きかえて読んだのは引用者の私である.この
実験には,私が教師と訳したTEACHER一人と,学習
者と訳したLEARNER一人のほかに,もう一人重要
な役者である実験監督者が登場し,教師役の被験者に指 示を与える. 被験者は男性ばかり40人.年齢も職業も学歴もさまざ ま.エール大学によばれて,「どの程度の罰が学習に最 適なのか」を知るための実験だと聞かされたのち,サク ラの学習者役がまちがった答を出すたびに,罰として電 気ショックのスイッチをいれる本番に入る.しかも一回 まちがえるたびに,ショック・レベルを一段ずっ上げて いくよう,実験監督者から指示されている.ショック・ レベルは15ボルトから450ボルトまで15ボルト間隔で30 段.ただし,ショック・ジェネレーターは精巧に作られ た模造品.(Milgram, p.373) サクラ役は隣室の「電気椅子」に革ひもでくくりつけ られ,手首には電極がセットされている.罰が300ボル トになると,彼は苦しげに部屋の壁をドンドンと蹴る. 回答もしなくなる.この境目において大抵の被験者は監 督者のほうに向き直って指示を仰ぐ.彼の指示はすでに 打ち合わせずみである.「無答は誤答とみなし,あらか じめ定められたスケジュールにもとついてショックを執 行して下さい.」学習者の壁を蹴る音は315ボルトのとき も繰り返されるが,それ以後はこれも絶える.(Milgram, P.374) 実験結果を紹介する前に,何人かの人々の予測を考察 してみよう.ミルグラムはここに非常に大事な問題が含 まれていると言う.エール大学の4年生14人,いずれも 心理学専攻の学生に実験の順序や手順を詳しく話してきかせた上で,もう一度注意深く彼ら自身に考えさせ,そ の上で,仮に被験者が100人いた場合の行動を予測させ た.仮想の被験者の行動について,学生たちの回答には かなりの一致がみられた.すべての回答者が次のように 予測した.「極くわずかの無視できるほどの少数が電気 ショックの最終段階まで進むであろう.」予測の幅は0 から3%.即ち,最もペシミスティックな学生が,100 人のうち3人は450ボルトまで実験を続けるだろうと予 測した.平均は1.2%であった.同じ質問をミルグラム の同僚にインフォーマルな形で行ったところ,「非常に 強いショック(195.210.225.240ボルト)」を越えて その先までやる者は殆どいないのではないか,というの が一般的であった.(Milgram, p.375) 被験者は実験の状況が真実であると思っている.自分 は現実に他の人間に電気ショックを執行しているのだ, そして最も協力なショックは極限の苦痛を伴うのだ,と 考えている.多くの被験者が神経異常の徴候をあらわし た.発汗し,身ぶるいし,口ごもり,唇を噛み,うめき, 爪を立て,薄笑いや高笑いをする……にもかかわらず, 40人中26人が,なんの反応も示さなくなった学習者に, 450ボルトまでのスイッチを次々に入れ続けたのである. 300ボルトの段階で実験協力を拒否した者は5人であっ た.すべての者が「非常に強いショック」を越えて,そ の先まで進んだ.(Milgram, pp.375−376) ミルグラム自身,実験は驚くべき結果を生み出したと 言っている.実験報告書の末尾に書かれるディスカッショ ン部分の冒頭の文章である.驚くべき結果のその1は, 人間の服従しようとする性質の強さである.被験者は子 どもの時からの学習で,自己の意志に反して他者を傷つ けることは道徳的にみて基本的に許されぬ行為であるこ とを知っている.しかし,26人の被験者は権威の指示に 従ってこの道徳上の約束ごとを破った.この権威はその 命令を実施するための如伺なる権力も持たなかったにも かかわらず,である.服従しなくても被験者には何の物 質的な損失はなかったし(実験協力の報酬は4ドル50セ ント.ただしその報酬は被験者に実験室に来てもらうた めの報酬であって,実験室到着以後なにがあろうと,そ のお金は彼らのものである,と聞かされていた),何の 罰も科せられることはなかったはずである.大多数の被 験者が自分の価値体系に反しながらイケニエを罰してい たのだということは,彼らの発した言葉と外側に表した 行動とから明らかである.一人の人間の異議申立てを耳 にしながら電気ショックを執行することに,深い否認の 意志表示をした被験者がしばしば登場したし,こんなこ とは馬鹿らしくて無意味だと公然と非難をした被験者 (複数)もいた.しかし,大多数は実験の命令に従った. 26という数字は次のどちらからみても驚異的である.第 1に部外者の予測に照らしてみて.(しかし回答者の部 外者性と,彼らに実験の具体的なディテールを伝えるこ との困難性とがあいまって,服従者の過少評価をもたら したと考えることもできる.)しかし実際の結果はマジッ クミラーを通して実際に実験を観察していた者にとって も予期せざるものであった.被験者が一段また一段とショ ックのレベルを上げていくのを目の当りにして,観察者 たちは信じられないという気持を表現した.この人たち は実験の細部の状況まですべて把握していたのではある が,それでもどの人も被験者の表出する服従度を過少評 価した.(Milgram, pp.376−377) 予測もしなかった結果の第2点は一連の実験手続の進 行によって生じてくる度外れの緊張であった.実験の場 に入った被験者たちはただ単に己れの良心の命ずるとこ ろに従って実験を中断したり継続したりするであろうと 考えられた.しかし,実際に起こったことはまるで違っ ていた.緊張と情緒不安の反応は驚くべきものであった. ある観察者は次のように述べている: 分別のある立派な身のこなしのビジネスマンが笑顔 と自信をもって実験室に入ってきた.20分もたたな いうちに彼は筋肉をひきつらせ,どもりどもり話す 難破船に変貌し,急激なスピードで神経の衰弱点に 到達した.彼はたえず自分の耳たぶを引っぱり,手 で手を揉み稔じった.ある地点で彼はこぶしを額に あててささやいた.「神様,もうおしまいにしましょ う.」しかし,彼は実験担当者のすべての言葉に応 答し,最後まで服従した.(Milgram, p.377) ミルグラムは論文の冒頭で「ガス室」にふれているが, この実験によって彼は「ガス室」が歴史上の極悪非道に とどまらず,極く日常的に発生しうることを証明してみ せた.「ガス室」は戦争という異常状態だから,「ガス室」 はナチスという狂人集団のやったことだから,「ガス室」 は残酷なゲルマン民族のことだから,できたのだという 説明をミルグラムは恐ろしいばかりの手際の良さでひっ くり返してみせた.平和時の,デモクラシーを信奉する, アメリカ人を被験者にして,権威への服従が弱者への攻 撃性となることを証明してみせた. また,異常に高い服従度をもたらした原因の一つとし て,ミルグラムがエール大学の実験だからこれだけの協 力が得られたのかもしれない,と指摘しているのは重要 である.なるほど,得体の知れない人物が,街中のビル の一室を借りて行なっていたら,多くの被験者は途中で 継続を拒否したことであろう.60年代はじめのニュ・一一・
ヘヴンは人工10数万.そのうちの半数は何らかの形でエー ル大学との関係で生計を立てていると言われるほどの大 学町である.新聞広告とダイレクトメールに応じてやっ て来た協力者たちは殆んどが市内または近郊の居住者で あった.この実験の主役は教師,学習者,監督者のほか にもう一人,エール大学という権威が背後に控えていた のである.権威はやたらに怖いだけでなく,己れのやま しさを正当性のヴェイルでつつんでくれる.これはエー ル大学の実験なんだ,自分は科学的真理を追求する実験 に協力しているのだ,と言って自らの服従=体罰執行を 正当化していることになる. エール大学の実験室を学校の教室におきかえることは できないだろうか.もちろん実験室は抽象化された存在 である.しかしミルグラムの実験に抽象された権威と服 従の構造は軍隊はもちろん,寺院や教会にも,病院にも, 会社にも,ありとあらゆるフォーマル・オーガニゼイショ ンの中に存在する.公教育制度としての学校も例外では
ない.TEACHERとLEARNERはそのまま教師と
子どもに変換できる.実験監督者は校長あるいは教育委 員会のような地域の教育当局といったところであろうか. エール大学は州教育委員会あるいは文部省のような権威 的存在に該当するのであろうか.これでタテ系列を構成 する役者が揃った,とすると,公教育の制度内で仕事を するまじめで熱心な教師が実は体罰教師であったという 一見信じられない出来事の背後にひめられたメカニズム をミルグラムは解き明していることにならないだろうか. 学習者からのフィードバックが途絶えたとき(315ボル ト以上)に当然おきる疑問「学習者はどうも実験を続け たくないようだ」に対してあらかじめ用意された返答 「学習者の好みは関係ありません.学習者がすべての課 題を完全に学習しおえるまで続けなければなりませんの で,どうぞ先に進んで下さい」をも思い合わせると,ミ ルグラムの実験は,国民皆学=義務教育=聖職者意識の 為にごく普通の教師が,子どもにとって抑圧ないし強制 の権化と化す瞬間を高速度撮影したのではないか,と思 われてくるのである.皿 教室のマイクロポリティックス
公開授業の参観者がたまたま目撃した小さな事実は多 分どこにでもある教室風景であろう.他方,ミルグラム の実験はその別り出した事実の重さからして多分後世に 残る貴重な実験であろう.しかし,この2っの状況に共 通するキーワードがある.権威と服従である. 石田(1984)がこの2つの状況を並べて提出した時に, 我国にはまだマイクロポリティックスは知られていなかっ たが,今になってみると,既に1982年,イギリスで教育 経営学者として名高いエリック・ホイル(Eric Hoyle) が中心になって組織内政治学の教育版が展開され,イギ リス教育経営学会の機関誌が特集を組んでいることがわ かる(Hoyle,1982).しかし,そこに掲載された発表 はいずれも教育行政の政治学であったり,学校経営の政 治学ではあっても,教室のマイクロポリティックスでは なかった.石田(1984)も「教室内の権力関係」という テーマを頭に描きながら,教室の中にも権力とか権威と か,反教育学的であると同時に非教育学的であるために, 規範拘束的な教育学が決して取り上げなかった,ある種 の社会過程が教師や子どもの行動を観察することによっ て,浮かび上ってくるはずだ,そういうものの存在を確 認しておきたい,とする段階にとどまった.教育学の授 業論がみごとに見落している重要な事実がある,という 警鐘をならしただけであったと言ってもよい. マイクロポリティックスは組織のなかで展開される政 治過程で,他者へのインフルエンスと自己のプロテクショ ンを目的とする戦略的な権力行使のことである(Blase, 1991,p.1).学校を一っの組織とみなした場合に学校 レベルのマイクロポリティックスが成立する.教室に焦 点を当てれば,教室のマイクロポリティックスもありう る.多分,マクロポリティックスは,上から下を見る管 理主義的な学校経営論や学級経営論の対極に位置する組 織論となることであろう.従って,教室のマイクロポリ ティックスでは主役は子どもである.子どもが子どもの 立場から上を見たときに見える世界がマイクロポリティ カルな世界である.ブレイズの定義をあてはめてみよう. 教室のマイクロポリティックスとは,子どもが毎日生活 する教室の中で展開される,教師および仲間へのインフ ルエンスと自己のプロテクションを目的とした戦略的な 権力行使である. いま,筆者の手許にはこれこそ本格的な教室マイクロ ポリティックスの第1号であろうと思われる作品がある (Bloome&Willett,1991).このアメリカ製の第1号 を念頭におきながら,教室マイクロポリティックス前史 をいうどる幾つかの作品を検討していこう.本稿後半の 残された紙面ではグループ・ダイナミックスの潮流のな かでも初期に出された重要な研究をとりあげてみたい.IV 民主主義のイデオロギー
1945年,マサチュセッッ工科大学に招かれたクルト・ レヴィン(Kurt Lewin)は,グループ・ダイナミック ス研究センターを創設し,その初代所長に就任,2年後, 彼の早すぎる死を迎えるまでに数々の重要なプログラム を精力的におしすすめた,というのは一つの事実である が,ナチの迫害の手を逃れてアメリカに亡命したレヴィンに最も安定的な研究拠点となったのはアイオワ大学附 属の児童福祉研究所(Iowa Child Welfare Research Station)であった.ここでも彼のもとには,ベルリン 大学でもそうであったように,多くの弟子たちが集まっ て精力的な研究活動が続けられたが,この時代に彼の研 究関心が個人心理学から社会心理学とグループ・ダイナ ミックスに移っていったといわれる(レヴィン/末永訳, 訳者あとがき).事実,今から取りあげようとしている リピットの民主的ならびに専制的集団雰囲気の効果に関 する実験的研究も,ホワイト=リピットによる継続的な 研究も,この時期のレヴィンの指導の下に書かれたもの である. レヴィンの遺作論文集に寄せた「まえがき」のなかで 心理学者のオールポート(Gordon W. Allport)が, レヴィンの実験の巧みさを賛美するくだりがある.オー ルポートは,レヴィンが集団生活という,本来なら社会 学者が扱うべき「複雑な問題にまで応用することに成功 した.とても実験の枠には収まらないと思われた数々の 問題がかれの攻究のまえに屈した」という.その一つの 例としてであろう,次のように続けている.「10年ほど 前,かれは政治的雰囲気という捉えどころのない問題を 実験計画の中へ取り入れることができるということを証 明したが,社会科学者たちはこの証明によって励まされ た.かれは大胆にも11歳の児童たちの中に専制と民主制 の集団構造を発生せしめ,その結果を慎重に記録した (レヴィン/末永訳,まえがき,iv∼V頁).」オールポー トが言及しているのはレヴィン(1939)である.レヴィ ン自身もこの1939年の論文の冒頭で「私は社会学におい て実験を企てることが可能であると信じている……私は 公けには心理学者であるから,私の分野の境界を踏みこ えることについておそらく社会学者に弁明をする必要が あるのであろう(末永訳,94頁).」なぜ心理学者が社会 学の分野に踏みこまざるを得なかったか.「心理学が, とりわけこの10年ほどの間に,事実あらゆる種類,あら ゆるタイプの行為に対して,社会的要因が圧倒的な重要 性を持っことを自覚してきた」からである.例えば,社 会的地位やリーダーシップの問題に対して「実験的なや り方で近づいていこうとする本格的な試みは,技術的に みると,いろいろなタイプの集団をつくってかかる地位 を変動させる種々の社会的要因を実験的に設定せねばな らない……実験社会心理学者は実験的に集団をつくり, 社会的風土や生活様式を生み出すという課題に習熟しな ければならない(95頁).」このようにして社会心理学者 が集団や集団生活など,いわゆる社会学的問題に踏み込 まざるを得ない事態を迎えた.このような場合に「社会 学者はかれ(社会心理学者,引用者註)がそうするのを 大目にみてほしいと思う.おそらく社会心理学者は社会 学者にとって大きな助けとさえなることがわかるであろ う(95−96頁).」ここには心理学者の大きな自負がきわ めて紳士的なレトリックで表現されている. レヴィンが「社会的空間における実験」と名づけた論 文の主人公は「雰囲気」である.社会的空間の名にふさ わしく(原語はsosial spaceであるが),人と人との 間にある空を雰囲気としてとらえるための装置を開発し た.目に見えるのは人と人.測定できるのも人の行動だ け.しかし,その見えない部分は無なのでなくて空だ. だから光のあて方や,受信装置の工夫次第では,空の世 界になにが浮き上るかもわからず,どんなメッセージが とびこんでくるかもわからない.ちょうど,目に見えな い空間に向って,アンテナを建て,チューナーを設置す ることによって,Bモードステレオとハイデフィニショ ンの画像がつかまえられるように. 世の人たちはあまり気づいていないが,社会科学の分 野に,実験科学の方法論が導入されはじめたことは,原 子科学と同じくらい革命的なことである.これは1945年, レヴィンがMITにグループ・ダイナミックス・センター を設置した当時の言葉であるという.(カートライト& ザンダー/三隅・佐々木訳編,977頁) さて,レヴィン(1939)の本論が「教師が教室で成功 を収める程度はその手腕にもよるが,また教師が醸しだ す雰囲気によるところも大きい」の文章ではじまること からも想像されるように,レヴィンの指導下におこなわ れた2つの実験は,無理な想像力を働かせることなく, そのまま教室状況として読むことができる.どちらの実 験もその主要目的は子どもたちの集団の中に社会的雰囲 気をっくり出して,これを記述する方法と,その雰囲気 が集団や個人の行動に及ぼす影響を量的に記録する方法 を開発するものであった.第一研究は予備実験であり, 第二研究が本実験である.なるほど本実験の舞台装置は 念が入っていて,実験としての精度と信頼性を高めるた めの工夫が随所になされている.しかし本質的なちがい は第一実験のつくり出したのが「民主的」集団と「専制 的」集団であり,第二実験では更に第三の雰囲気として の「自由放任型」がつけくわわったことである.それで は集団をどのように記述しようとしたのか.レヴィンの 文章を借りよう.どの集団も5人の子どもで構成される が「これを5人の観察者が観察するとしよう.クラブの 成員1人に対して常に1人の観察者を配するというやり 方は最も簡単なやり方であると思われるかもしれぬ.し かしその結果はせいぜい5人の個人の5つの並行的な小 生活史がえられるだけである.このようなやり方では一 般的(全体的の意,引用者註)雰囲気のような重要な事
実はいうに及ばす,集団の体制,下位集団,リーダーと メンバーの関係などのような集団生活の単純な諸事実に ついてすら充分満足のいく記録をとることができないで あろう.従って1人の個人に1人ずつの観察者を配する というようなやり方をしないで,ある観察者には集団が 下位集団へと体制化されていく仕方を1分毎に記録せし め,他の観察者には社会的相互作用を記録せしめるとい うようにした.換言すれば,個々人の特性を観察するか わりに,集団そのものの特性が観察された(末永訳,97 頁).」 その結果,どちらの集団においても雰囲気または社会 的風土(social climate)は子どもどおしの関係も子 どもとリーダーとの関係もともに支配していることが確 認された.専制集団では子どもどおしの関係において民 主制の場合よりも即事的(objective)な行動が少なく, 協力することも,服従することも少いが,上位の者に対 しては服従的な行動が多かった. レヴィンはこのような行動の背後にある集団の力学的 構造を次のように解説する.「専制的集団では二つの, 明瞭に区別された社会的地位の水準が存在している.リー ダーは高い地位をもつ唯一の人であり,他の成員はすべ て同じ低水準におかれている.リーダーが保持している 強い障壁は,他の成員がリーダーシップを獲得してその 地位を増大させることを妨げている.民主的雰囲気では 社会的地位の差は僅かで,リーダーシップを獲得するこ とを妨げる障壁は存在しない(末永訳,104頁).」 集団構造が個人に与える影響を記すとき,レヴィンの 胸中は如何ばかりであったか.たとえば末永が個性と訳 すindividualityの大きさに与える影響についてはこ うである.「この実験では民主制におけるすべての個人 は強い“われわれ”感情をもっていたにも拘らず,い なおそらくそのゆえにこそ,かれ自身の分野というよう なものをもち,比較的大きな個性を示した.これに反し て専制集団では児童たちはすべてさほど大きな個性を示 さず,一様に低い地位を保っていた.下位集団化のタイ プはもっと明瞭にこの相違を示した.専制では“われわ れ”感情がほとんどなく,児童の間に自発的な下位集団 化がみられることも比較的少かった.仕事が4.5人の 成員たちの協力を要求するような場合には,リーダーが 成員たちに集合を命じた.民主制ではそのような集団は 自発的に集合し,専制の場合の約2倍もの永きにわたっ て協力の関係を持続した.専制ではこのような比較的大 きい単位が生じても,放置しておくと遥かに急速に崩壊 の道を辿った(末永約,105頁).」 「個性」と「下位集団」が別々の論題ではなく,つな がりをもって論じられているところに注目したい.民主 制においては「個性」と「下位集団」がwe feelingを 仲だちとしてつながっているというように読める.ある いはレヴィンは子どもたちが自発的に作るサブグループ は個の自立を支える制度的条件と考えていたのではない か,とも読めるのである.従って,レヴィンの筆がすぐ 次のような対照的な状況,即ち,従属的な個々人のなか から反社会的で攻撃的なサブグループが発生する様子を 描きはじめることも理解できるのである. 「専制における高い緊張と結びついて,このような集 団構造はリピットの実験(第一実験,引用者註)ではス ケープゴートの状況を生ぜしめた.専制的集団の児童た ちは相携えて徒党を組み,リーダーには向っていかずに 児童の中の一人に向ってゆき,かれを甚だひどく扱った ので,かれはクラブへ出席するのをやめてしまった.12 回の会合の間,2人の異なる児童に対してこのようなこ とが起った.専制的支配のもとではリーダーシップを通 して地位を高めるという望みは全く阻止されており,む しろ他を支配するという試みがその生活様式によって示 唆された.換言すれば,すべての児童は他のすべての児 童の暗黙の敵対者となり,児童たちの支配力の場は,協 力によって互に強め合うよりも,むしろ互に弱め合う結 果になった.すなわち,ふつうなら高い地位に昇れない 成員たちは,1人の個人に対する攻撃に参加することに よって同僚の1人を激しく押し下げ,それによって自ら の相対的地位を高めることができたのである(末永訳, 105−106頁).」 ここまでの要約からわかるようにレヴィンは第一実験= 予備実験=リピットの実験の紹介に主眼をおくことによっ て,専制と民主制のコントラストを明快に描き出す.こ れに対して第二実験=本実験二ホワイト&リピットの実 験については(訳文で)6行の記述しかなされておらず, 素気ない印象を受ける.まるで,民主主義的リーダーシッ プの有効性を鮮明に打ち出した第一実験で事足れりとし ているかのようである.しかし第二実験について大事な ことは書かれている. その後リピットとホワイトは別なリーダーをもつ 四つのクラブを研究した.かれらはこの場合さらに 第三の雰囲気,すなわち,放任の雰囲気を含め,同 じ児童たちを次々に幾つかの雰囲気に当面させた. 全体としてその結果はリピットの結果を支持してい る.これによると放任制と民主制との間に著しい差 異があり,民主制の方がはるかに好ましいものであ ることがわかる.さらに専制的集団には二つの反応 のタイプがあり,一方は攻撃性によって,第二のも のは冷淡さ(apathy)によって特徴づけられる.(末
永訳,107−108頁) ホワイト&リピットの報告からも第二実験の狙いが,一 つは第一実験の結果を補強することであり,もう一つは 自由放任を民主主義の特徴と考える通俗的な誤解に対し て,適切なリーダーシップが民主制に不可欠であること を事実をもって証明することであった,と思われるので, レヴィンの要約は素気なくはあっても的は射ていると思 う. 第一・第二の両実験を総合的に判定した結論はホワイ ト&リピットによると次の6点に要約される.(ホワイ ト&リピット,659−660頁) 1.自由放任型は民主型と同じではなかった. 2.民主型は(専制型と比べて……引用者註)能率的 でありうる. 3.専制型は敵対ならびに攻撃行動を多くつくり出す ことがありうる. 4.専制型は表面にはあらわれなか不平,不満をつく り出すことがありうる. 5.専制型では依存性が大で,個性の発現が少なかっ た. 6.民主型では他と比べて集団意識性の度合いが大で, また友好性の度合いも大であった. この要約は非常に慎重な表現をとっている.ホワイト &リピットによる本実験は実験計画も,信頼性や精度を あげるための配慮がなされていることを前述したが,こ こにみられるように両者による両実験の要約も一般理論 としての通用性を狙ったのであろうか,非常に慎重であ る.同じレポートを青井和夫は次のように読む.上記4・ 5を合体させているため,5点に要約されている.(青井, 17頁) 1.放任的リーダーシップの下ではグループ作業の質 も量ももっとも低下する. 2.仕事の量は独裁的リーダーシップの方が多いが, 仕事への動機づけや独創性は民主的リーダーシップ の方がすぐれている.(青井はautocracyを専制で はなく独裁と訳す……引用者註) 3.独裁的リーダーシップの下ではメンバー相互の間 の敵意と攻撃性が高まり,スケープゴーッを生み出 すことが多い. 4.独裁的リーダーシップの下では潜在的な不満が生 じ,リーダーへの依存性が高まる. 5.民主的リーダーシップの下では集団の団結度と友 好の雰囲気が生まれる. 青井はさらに続けて、ホワイト&リピットが明示的には 言わなかったこと,つまり3種類の集団のうち,どれが いちばんすぐれているのかという価値を伴う判断をして みせる. 要するに民主的リーダーシップ,つまり集団の目 標をグループの対話により決定し,将来の行動に対 する時間的展望がひろく成員に与えられており,成 員の仕事の割あても集団決定にゆだねられ,作業の 評価にあたっても客観的で事実に即したほめ方をす るといったリーダーシップの型こそ,集団の生産性 からいっても,成員の満足度からいっても,はたま た集団の団結度からいっても,もっとも望ましいも のであるということであった.(青井.17頁,傍点 引用者) これは青井のひとりよがりの独断ではなく,論文のすみ からすみまできちんと読めば,こういう価値判断ができ ることを模範的に示したものであって,多くの読者も実 は青井のように理解し,「それからというものは,会議 のもち方においても,教育の場面にあっても,グループ・ ワークの技術面においても “民主的リーダー”がもて はやされ,これでなければ創造的な集団の運営は不可能 であるとさえいわれるようになったのである.(青井, 17頁)」 このように第二実験の当事者たちが慎重な言いまわし の中にひそめてしまった価値判断は,レヴィンがリピッ トの第一実験を紹介する時の無条件のデモクラシー礼賛 と実は同質である. レヴィン(1939)の結論部分で,彼が「子供がすんで いる社会的雰囲気は,その子供が呼吸している空気と同 じほど重要なものである」ということに,筆者も心から の賛意を表する.それに続く文章,「子供が所属してい る集団はかれが踏んで立つ地盤のようなものである」も まったく同感である.しかし,雰囲気をどのようにして 取り出してみせるか,集団をどのように分析してみせる かは別問題である.青井も言うように,専制一民主の分 析枠は多くの注目を集め,アイオワ大学の児童福祉研究 所や,MITのグループ・ダイナミックス・センターの 枠を越えて,全世界にひろまっていった.しかし,専制一 民主の延長上につけ加えられた第三類型としての自由放 任型の中に,専制一民主モデルの破綻を読みとる人間が あらわれた.