は
じ
め
に
︱ ︱ 比 較 政 治 学 と 地 域 研 究 の 間 と い う 視 点 筆者は二〇〇三年に刊行した著書において、自分の研究 を「地 域 研 究 と 比 較 政 治 学 の あ い だ」 と 規 定 し た (久 保 二 〇 〇 三: i) 。 そ の 考 え 方 は 基 本 的 に 今 で も 変 わ っ て い ない。では、比較政治学と地域研究はどのように違い、地 域研究の特徴や意義、役割は方法論的にどのように位置付 けることができるのか。本稿では、政治学というディシプ リンに足場を置きつつ特定の地域にコミットして研究を一 定の期間続けてきた立場から、ディシプリンと地域研究の 関係性、そこでの地域研究の強み・意義といった問題につ いて、政治学における方法論的な議論や具体的な研究の例 も参照しつつ、考察していくことにしたい。 最初に、比較政治学と地域研究の違いについて簡単に述 べておきたい。まず比較政治学とは何かについて、いくつ か の 定 義 を 紹 介 し よ う。 た と え ば 眞 柄・ 井 戸 (二 〇 〇 〇: 三) は、 比 較 政 治 学 を「さ ま ざ ま な 海 外 の 政 治 を 研 究 し、 そのなかから普遍的な理論を導き出してゆく」学問である と 説 明 し て い る。 ウ ィ ー ア ル ダ は、 「比 較 政 治 学 と は、 世 界中の政治システムを系統的に比較して研究する分野のこ とである。この分野では、各国の類似点だけでなく相違点 を も 説 明 し よ う と 試 み ら れ る」 ( Wiarda 1993: 邦 訳 一 一) と説明する。このように、比較政治学は、さまざまな海外 の 事 例 を 考 察 す る が (こ の 点 で は 地 域 研 究 と 重 な る) 、 そ こ から普遍的な議論を導出したり、諸国間の共通性・差異を第Ⅲ部
新
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地域研究
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地
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説明したりするところが重要な特徴となっている。一般性 (抽 象 性) と 固 有 性 (具 体 性) の 対 比 で い え ば、 比 較 政 治 学は一般性ないし抽象性を志向するのであり、それは端的 には「理論」を重視する姿勢に現れる * 1 。これに対して地域 研究は、特定の地域にコミットし、そこで起こっている現 象を記述し、理解し、説明することに最大の関心がある。 し た が っ て 地 域 研 究 は、 上 記 の 対 比 で い え ば、 よ り 固 有 性・具体性を志向するといってよいだろう。ただし、地域 研究が一般性を否定したり、それに対して無関心であった りするわけでは決してない。この点については以下でくわ しく論じたい。 本稿では、まず地域研究の意義と役割について論じ、つ ぎに一般的な理論の妥当性を実証的に検証する方法として の地域研究の強みと弱みについて考察する。最後に、地域 研究をどう書くかという点について、ディシプリンとの対 話 と い う 視 点 か ら 検 討 し、 本 稿 を 締 め く く る こ と に し た い。Ⅰ
地
域
研
究
の
意
義
と
役
割
︱ ︱ 二 つ の 推 論 の タ イ プ と の 関 連 か ら 実証志向の政治学では、研究の目的は大きく二つあると 考えられる。それは、キングらの用語を借りれば、現実が どのようなものかを明らかにすることを目指す記述的推論 ( descriptive inference ) と、 あ る 現 象 の 原 因 を 明 ら か に す る こ と を 目 指 す 因 果 的 推 論 ( causal inference ) で あ る ( King et al 1994 ) 。 あ る 現 象 に 関 す る 一 般 理 論 を 志 向 す る なら、まず何より、現実に何が起こっているかをさまざま な情報を用いて確認しなければならない。それが記述的推 論である。このようにさまざまな情報から導き出した「現 実」の理解にもとづいて、ある現象の原因は何なのかを分 析し、因果関係について結論を導き出すのが因果的推論で ある。 地 域 研 究 は こ の 双 方 に 対 し て 重 要 な 役 割 を 果 た し て い る。まず記述的推論について考えてみよう。一般に、とく にディシプリン系の研究者の間では「記述」という言葉に やや蔑視的な含みが持たされることがある * 2 。しかし、記述 的推論を軽視すべきではない。現実の状態を確認し記述す る作業には大きな労力が必要であり、それを「適切に」行 うことは必ずしも容易ではない。現実を「完全に」再現す ることは当然できないので、一定の資料を用いて、現実の 一定の側面についてのみ再構築することになり、そこには 資料の選択が必然的にもたらすバイアスが存在するからで ある。たとえば、共産主義時代の歴史を再構成する際、党 や政府の公式文書や当時の新聞に依拠すれば、当時の当局に と っ て 都 合 の 悪 い 情 報 は お そ ら く 入 手 で き な い。 ア ク ターへのインタビューを行えば、そのアクターが隠したい と思う現実は捉えることができない。ある国の現実を描写 する上で英語の新聞だけに依拠すれば、英語新聞の記者が 現地でアクセスできるアクターや資料に基づく情報、英語 新聞の編集部が報道する価値があると判断した情報しか利 用 で き な い。 現 実 を 再 構 成 す る た め に は 何 ら か の 資 料・ デ ー タ に 依 拠 し な け れ ば な ら な い が、 そ れ は 常 に 誰 か に よって選択・作成されたものであり、そこにすでに作為が 存在し、その背後に、選択されなかった無数の情報が存在 するのである。 このように考えると、とりわけ外国に関する「現実」を 再構成することに、多くの困難がつきまとうことは自明で あろう。まず言語の障壁がある。現地語が理解できなけれ ば、 ア ク セ ス で き る 情 報・ 資 料 に は か な り の 制 約 が 生 じ る。さらに、資料の性質について深い理解が必要である。 現 地 語 の 新 聞 に ど の よ う な 報 道 傾 向 が あ る か、 イ ン タ ビュー相手のアクターはどのような経歴の持ち主で、どの ような党派的利害と結びついているかなど、資料の性質に ついて深い理解がなければ、一定の「現実」について再構 成する際に依拠すべき最も適切な資料は何かを判断できな い。このような障壁を乗り越えて外国の「現実」について 適切な再構成を行うことこそ、地域研究者がその強みを最 も発揮できる仕事である。歴史研究において、新たな資料 の発見が新たな事実の発見、さらには歴史の再解釈につな がるように、地域研究においても、これまで用いられてこ なかった資料・データを用いることにより、その国・その 時 代 で 起 こ っ て い た「現 実」 に 関 し て の 理 解 を 改 め、 「現 実」をこれまでとは異なった形で再構築・再解釈すること ができる。 これは、一般化を志向する比較政治学にとってもきわめ て重要である。そもそも現実についての理解が誤っていれ ば、その一般化ないしそこから導出される一般的理論の妥 当性も失われてしまうからである。ところが、一般理論を 志向する研究者は個々の事例についてそれほど細かく現実 を 確 認 す る 資 源 も 能 力 も (そ し て し ば し ば 意 思 も) な い。 したがって地域研究者には、一般理論を志向する研究者に 各地域についての「現実」の情報を提供し、同時に、一般 理 論・ 一 般 化 さ れ た 議 論 に お い て 前 提 と さ れ て い る「現 実」が本当に適切な理解であるかをチェックする役割が与 えられているように思われる。 つ ぎ に、 因 果 的 推 論 に つ い て は ど う で あ ろ う か。 一 般 に、 方 法 論 的 な 議 論 で は、 少 数 事 例 の 分 析 は、 因 果 効 果 ( causal effect ) を 実 証 す る 目 的 に は あ ま り 適 さ な い と さ れ る。少数事例の分析から、ある要因がある結果を引き起こ し て い る (可 能 性 が あ る) こ と が 指 摘 で き て も、 他 の 似 た ような事例でも同様の点が指摘できるとは必ずしも限らな いからである。方法論的にいえば、少数事例で観察される 因 果 関 係 は、 外 的 妥 当 性 ( external validity ) を 持 つ か が 明らかでない * 3 。もしかしたら、少数事例の分析から導出で き る 因 果 的 推 論 は、 事 例 選 択 の セ レ ク シ ョ ン バ イ ア ス に よ っ て 妥 当 に 見 え る だ け か も し れ な い ( Geddes 2003: 89-129 ) 。 も し、 あ る 事 例 で 観 察 さ れ る 因 果 関 係 が そ の 他 の 似 たような多くの事例でも観察されるかどうかを確認しよう とするならば、計量分析に代表されるような、より多くの 事 例 を 観 察・ 分 析 す る 多 事 例 (ラ ー ジ N) の 分 析 が 不 可 欠 になってくる。 しかし、この議論は、地域研究が因果的推論において重 要な役割を果たさないことを意味するわけではない。因果 的推論には理論・仮説の構築とその実証という二つの作業 が必要であるが、地域研究はその双方において重要な役割 を果たし得る。後者については次章でくわしく検討するの で、ここでは、前者の点に関連して二つの点を指摘してお きたい。 地 域 研 究 が 因 果 的 推 論 に お い て 果 た す 重 要 な 役 割 と し て、 ま ず 因 果 関 係 に 関 す る 理 論 (仮 説) の 着 想 源 と な る 点 があげられる。ある現象がなぜ引き起こされるのかが不明 であるとき、研究者はどこから仮説を得ることができるの か。過去の重要な理論を見ると、しばしば少数事例の研究 が重要な着想源となっていることがわかる。実際にそのよ うな現象が起こっている地域について綿密な分析を行うこ とが、それまで誰も思いつかなかった仮説や理論の構築に つながっているのである * 4 。これは、計量分析と対比したと きの地域研究の大きな強みといえる。というのは、計量分 析を行う際には、独立変数を選択して投入する時点で、そ の 変 数 が 結 果 に 影 響 を 与 え て い る は ず だ と い う 考 え (す な わ ち、 仮 説) が 必 要 で あ り、 有 力 な 仮 説 が な い 状 態 で は、 何を独立変数に選べばよいかわからず、データセットを構 築することができないからである。重要な問いがあり、そ れ に 対 す る 有 力 な 仮 説 が な い 状 況 で は、 地 域 研 究 (少 数 事 例 の 綿 密 な 分 析) は 理 論 構 築・ 仮 説 構 築 に と っ て 有 益 な の である (
George & Bennett 2005
) 。 次に、地域研究がしばしば新しい問題そのものを発見す ることにつながる点を指摘したい。研究が因果的推論を志 向する場合、ある現象はなぜ起きるのかという問いが出発 点となる。そもそもその問いを立てるためには、因果的推 論を試みるに値する興味深い現象が起きていること、すな わ ち 興 味 深 い 従 属 変 数 が 現 実 に 存 在 す る こ と (そ し て、 そ れ に 関 す る 十 分 な 説 明 が ま だ な さ れ て い な い こ と) に 気 づ かなければならない。地域研究は、このような興味深い現 実の存在に気づく重要な機会となる。社会関係資本の重要 性を指摘した、パットナムの著名な研究を例にあげよう。
パ ッ ト ナ ム は、 一 九 七 〇 年 以 来、 「初 期 の 州 制 度 の 発 達 を つ ぶ さ に 追 っ て き た」 ( Putnam 1993: xiv, 邦 訳 6) 。 そ し て、 い ろ い ろ な 州 都 を 何 度 も 訪 れ、 そ こ で 役 人 た ち の 行 動・ や り と り を 観 察 し て い る う ち に、 「州 政 府 の 制 度 パ フ ォ ー マ ン ス に 歴 然 た る 格 差 が あ る こ と に 気 づ」 い た ( Putnam 1993: xiv, 邦訳6) 。そして、それはなぜなのかと いう問いを立て、社会関係資本という答えを導くに至った のである。パットナムは、もともと州政府のパフォーマン スの原因を調べたいがためにイタリアを訪れていたわけで はなく、イタリアを何度も訪れるうちに、その問題を発見 した。地域研究は、新しい問題の発見を可能にしてくれる 重要な方法のひとつなのである。 このように考えると、地域研究が志向するものは必ずし も固有性とは限らないことがわかる。地域研究はたしかに 特定の国・特定の時期に関する情報・資料・データに依拠 した分析を行うが、そこから、他の地域にも関連する重要 な問題を発見したり、ある現象に関する一般的な理論を構 築 す る た め の 着 想 を 獲 得 し た り す る こ と が で き る の で あ る。
Ⅱ
実
証
的
方
法
と
し
て
の
地
域
研
究
︱ ︱ 少 数 事 例 分 析 と 多 数 事 例 分 析 の 比 較 か ら では、一般的な理論の妥当性を実証的に検証するための 方法としては、地域研究にはどのような意義や強み・弱み があるだろうか。本章ではこの点について、少数事例分析 (スモールN) と多数事例分析 (ラージN) の対比、ないし 定 性 的 分 析 ( qualitative analysis ) と 定 量 的・ 統 計 的 分 析 ( quantitative/statistical analysis ) の対比という視点から論 じてみることにしたい。これらは方法論的に考えると異な る 対 比 (前 者 は 分 析 対 象 の 事 例 の 数 の 違 い、 後 者 は 分 析 に 用 い る 資 料・ デ ー タ の 性 質 の 違 い で あ る) で あ る が、 一 般 に、少数事例分析は定性的分析、多数事例分析は統計的分 析と結びつく傾向がきわめて強い。そこで、本稿では便宜 的に前者を「事例分析」と呼び、後者を「計量分析」と呼 ぶことにして、各々の方法のもつ長所と短所、そして地域 研究とそれらの方法の関係について考えてみたい。 比較政治学では、実証的な方法として、事例分析と計量 分析がしばしば対置される。たとえば、レイティンによれ ば、比較政治学で用いられる方法は、複数の変数間の因果 関 係 を 論 理 的 に 説 明 す る (理 論 化 す る) た め の「フ ォ ー マ ル 化 (フ ォ ー マ ル モ デ ル) 」、 多 く の 事 例 に お け る 一 般 的 傾 向・ 規 則 性 を 明 ら か に す る た め の 手 法 で あ る「統 計」 、 そ して実際にある原因がある結果を引き起こす過程を歴史的 に追跡するために実際の事例を検討する手法である「語り ( narrative ) 」の三つに大別できる ( Laitin 2002 ) 。ここで、 フォーマル化とは理論を精緻化するために数学やゲーム理 論などを用いることであり、一般理論に求められる論理的 一貫性・厳密性を達成するための方法である。これに対し 一般理論の現実的妥当性を検証するための方法として、統 計 と「語 り」 (定 性 的 な 事 例 分 析) が 対 置 さ れ て い る と 理 解することができる。 このような事例分析と計量分析の対比において、地域研 究は、事例分析としばしば同一視されている。この同一視 は短絡的であると筆者は考えるが、他方で、少なくとも比 較政治学の分野では、計量分析で多国間の比較と一般的傾 向の検証が行われることが多いのに対して、事例分析はし ばしば一国を分析対象とする地域研究的なスタイルを取る ことが多いことも事実である。では、かりに地域研究が事 例分析であるとして、事例分析という方法が、一般理論の 妥当性の検証において有する意義は何であろうか。本章で はまずこの点について、計量分析の強み・弱みと、事例分 析のそれを比較しながら考えてみたい。 前 述 の よ う に 、 事 例 分 析 の 欠 点 は 、 そ こ で 確 認 で き る こ と が 他 の 多 く の 事 例 で も 確 認 で き る か わ か ら な い 、 す な わ ち 外 的 妥 当 性 が 確 認 で き な い こ と で あ る 。 こ れ に 対 し て 計 量 分 析 の 強 み は 、 多 く の 事 例 に つ い て 、 多 数 の 変 数 の 関 係 を 同 時 に 分 析 で き る と こ ろ で あ り 、 少 数 事 例 の 比 較 分 析 が し ば し ば 直 面 す る 「 変 数 が 多 く 、 事 例 が 少 な い 」 問 題 ( Lijphart 1971: 685 ) 、 す な わ ち「自 由 度 ( degree of freedom ) 」 の 低 さ と いう問題を避けることができる点にある。それに加え、計 量分析では、同一の基準で指標化された変数を分析対象の すべてのケースについて測定し、すべてのケースについて すべての変数の影響を平等に考慮する。このような体系性 が 計 量 分 析 の 大 き な 強 み で あ り、 こ れ に 対 し て 事 例 分 析 (地 域 研 究) で は、 あ る 事 例 で は A と い う 要 因 の 影 響 を 重 視してBの影響は無視し、別の事例ではBという要因の影 響を重視してAの影響は無視するといった研究者の恣意的 な (ア ド ホ ッ ク な) 説 明 が 生 じ る 余 地 が 多 分 に あ る。 一 般 的な理論の妥当性が、その理論の説明対象となるべき事例 全般において観察できるか否か、換言すれば理論の含意が 実際に 一般的傾向として 4 4 4 4 4 4 4 4 観察できるかという点を検証する うえでは、やはり事例分析よりも計量分析に軍配があがる であろう。 しかし、計量分析にも弱みがある。それは、計量分析で 示 さ れ る の は 基 本 的 に デ ー タ 間 の 相 関 関 係 ( correlation ) に過ぎないという点である。 たしかに因果関係 ( causation )は 相 関 関 係 を 示 唆 す る (あ る 変 数 と 別 の 変 数 の 間 に 因 果 関 係 が あ る な ら、 そ の 変 数 間 に は デ ー タ の 偏 り、 つ ま り 相 関 関 係 が 見 ら れ る は ず で あ る) が、 そ の 逆 は 必 ず し も 真 で は な い ( Goldthorpe 2001 ) 。 現 実 に は 因 果 関 係 が な く て も、 な んらかの理由でデータ間に相関関係が観察されることがあ り得るからである * 5 。相関関係がなければ因果関係はおそら くないといえるが、相関関係が観察されても、それだけで は因果関係があるとは断定できない。計量分析によって示 される相関関係が、因果関係の証拠となり得るかは、そこ に想定されている因果メカニズムが説得的か否かにかかっ ている。ここでしばしば強調されるのが、因果メカニズム を説明する理論の重要性である ( Goldthorpe 2001: 14 ) 。し かし、因果メカニズムを説明する理論が論理的に一貫した ものであったとしても、高度に抽象化された理論が完全に 机上の空論で、現実にはまったく別のメカニズムが働いて いるが、結果としてその理論が想定するのと同じ相関関係 が起こっているという可能性は否定できない * 6 。 事 例 分 析 の 強 み は こ の 点 に あ る 。 す な わ ち 、 事 例 研 究 は 「 プ ロ セ ス 追 跡 ( process-tracing ) 」 な ど を 行 う こ と に よ っ て 、 理 論 が 想 定 す る 因 果 メ カ ニ ズ ム が 実 際 に 現 実 で 起 こ っ て い る ( と 考 え ら れ る ) こ と を 示 す こ と が で き る の で あ る * 7 。 ある現象を説明する理論がすでに存在するが、その現実的 な妥当性がまだ完全に確認されたとはいえない状況がある 場合に、地域研究者が特定の地域においてその現象が発生 するプロセスを描きだし、それが理論の想定する因果メカ ニズムと合致したものであるなら、理論の妥当性を示すこ とができるだろう。逆に、ある理論が想定する因果メカニ ズムとはまったく異なるプロセスでその現象が起こってい る こ と を 明 ら か に で き れ ば、 理 論 の 妥 当 性 を (部 分 的 に、 あ る い は 完 全 に) 否 定 し、 逆 に 新 た な 理 論 (対 抗 仮 説) を 構 築 し た り、 既 存 理 論 の 修 正 を 行 っ た り す る こ と が で き る。 さて、ここまでは地域研究と事例分析を同一視して、計 量分析と対比させて考察を行ってきたが、先述のようにこ のような同一視と対比は必ずしも適切ではないと筆者は考 える。地域研究は特定の国・地域に研究対象を定めるが、 必ずしもその対象の国・地域を「一つの事例」とみなすと は限らないからである。たとえば地域研究を通じて、ある 国・ 地 域 に つ い て の 一 般 的 な 命 題 (こ の 国 で こ の 時 期 に 起 き て い た の は A と い う 現 象 で あ っ た、 そ れ は B に よ っ て 引 き 起 こ さ れ て い た、 等 々) を 導 出 し よ う と す る な ら ば、 国・ 地 域 レ ベ ル で の 一 般 化 を 行 う 必 要 が 出 て く る。 そ の た め に、ある国・地域内の多数の事例について資料を収集し分 析することは十分考えられるだろう。 ここで、地域研究において、ある国・地域での一般的な 傾向を分析する方法として計量分析を用いることは十分に あり得る。具体的には、たとえば世論調査のような個人レ ベルのデータや、市町村レベルなど下位地域を単位とする データを用いた計量分析が地域研究の一部として行われる ことが考えられる。比較政治学では国家を分析単位とした 比較が最も一般的だが、下位地域単位で比較分析を行い、 ひとつの国のなかで異なる地域を選んで比較することで興 味深い分析が得られることもしばしばある。たとえば、先 述のパットナムの研究は、イタリアという単一の国に関す る 分 析 で あ る が、 州 を 分 析 単 位 と す る 比 較、 計 量 分 析 を 行 っ て お り、 そ れ に よ っ て イ タ リ ア に お け る 州 政 府 の パ フ ォ ー マ ン ス を 規 定 す る 要 因 を 明 ら か に し た。 こ の よ う に、単一国の地域研究であっても、それは必ずしも「単一 事例」の分析を行うことを意味しておらず、その中の多様 な地域、集団を分析単位とした比較や計量分析は地域研究 の枠内で行い得る。 し た が っ て、 事 例 分 析 は 計 量 分 析 と 対 置 さ れ る 方 法 だ が、地域研究と計量分析は必ずしも両立しないわけではな く、計量分析は地域研究の一部となり得るといえる。たと えばカリバスは、内戦状況で生じる暴力の性質という問題 に研究テーマを設定し、内戦状況のなかで生じる暴力が、 一定の地域に集中して起き、その他の地域では起きないの はなぜかという問いを立て、一九四〇年代のギリシャの内 戦で起きたことを調査するためにギリシャを訪問し、公文 書、二〇〇件以上のインタビュー、刊行された回想録や自 伝 な ど の 資 料 を 収 集 し た ( Kalyvas 2006 ) 。 こ こ ま で は 一 般的な地域研究と同じだが、カリバスの研究が他と違うの は、理論的な議論の妥当性を確認するために、村レベルの データセットを構築し、計量分析を使った検証作業を行っ た 点 で あ る ( Kalyvas 2006: 246-329 ) 。 ギ リ シ ャ の 内 戦 に お ける暴力について、一般的な傾向を確認するために、計量 分析という手法を用いたのである。政治学では、本章で述 べ て き た よ う な 計 量 分 析 と 事 例 分 析 の 強 み と 弱 み を 踏 ま え、計量分析と事例分析を組み合わせることがしばしば推 奨されている * 8 。地域研究においても、両者を組み合わせる ことによって、より説得力があり、オリジナリティに富ん だ研究が可能になるのではないかと筆者は考えている。
Ⅲ
地
域
研
究
を
ど
う
書
く
か
︱ ︱ デ ィ シ プ リ ン と の 対 話 の 視 点 か ら 最 後 に、 地 域 研 究 を ど う (論 文 と し て) 書 く か と い う 問 題について、ディシプリンとの対話を行う必要性という視 点から考察してみたい。地域研究がその地域に関心を持っ ている読者・オーディエンスの興味を惹くのは当然である として、その地域そのものには必ずしも関心を持っていないディシプリン系の読者・オーディエンスの関心を惹くよ うに論文を書くためには何をすれば良いだろうか。
1
事
例
選
択
の
理
由
を
論
じ
る
まず重要なのは、研究対象地域をひとつの「事例」と考 えた場合に、なぜその「事例」を選択して考察することが 有 意 義 な の か を 説 明 す る こ と、 つ ま り、 「事 例」 選 択 の 理 由を書くことではないかと思われる。地域研究者は、あら かじめその地域にコミットしているから、その地域につい ての論文を書いている。すなわち、地域研究者にとって、 研 究 対 象 地 域 の 選 択 は あ る 意 味 で 所 与 で あ り、 自 明 で あ る。しかし、理論・一般論に関心がある読者・オーディエ ンスにとっては、ある現象・テーマを考察する際にその地 域 を「事 例」 と し て 選 択 す る こ と は 必 ず し も 自 明 で は な い。したがって、考察対象としてその地域を見ることがな ぜ 興 味 深 い の か、 有 意 義 で あ る の か を 説 明 す る 必 要 が あ る。その理由がディシプリン内で行われている議論に示唆 を与えるものであったり、ディシプリンで受容されている 理 論 の 修 正 や 否 定 を 迫 る も の で あ っ た り す る 場 合 に は、 ディシプリン系の研究者はより興味を持つであろう。 研究対象地域の選定理由を魅力的なものにするひとつの 方法は、方法論的な用語を用いて、ディシプリン内の有力 な学説、すなわち通説に反するパズルとして事例を示すこ と で あ る。 た と え ば 単 一 の 国 を 考 察 対 象 に し て い る 場 合 (「単 一 事 例」 の 研 究 デ ザ イ ン の 場 合) に は、 「最 も 起 こ り に く い 事 例 ( least likely case ) 」 や「最 も 起 こ り や す い 事 例 ( most likely case ) 」 と い う 用 語 を 用 い る こ と が で き る。 「最も起こりにくい事例」とは、ある現象 (従属変数) が、 既存の理論や学説で考えるとその国では最も起こりにくい と考えられるにもかかわらず、それが実際に起きている事 例 と い う こ と で あ る。 逆 に「最 も 起 こ り や す い 事 例」 と は、ある現象が、既存の理論や学説で考えるとその国では 最も起こりやすいと考えられるにもかかわらず、それが実 際には起きていない事例ということである。このように事 例選択を説明すると、事例の存在自体を既存理論では説明 できないひとつの興味深いパズルとして提示することがで き、その地域そのものに関心がない研究者の興味をより喚 起することができる。このような形で事例選択を効果的に プ レ ゼ ン テ ー シ ョ ン し た 好 例 と し て、 当 時 支 配 的 だ っ た アーモンドの学説にしたがえば不安定になりやすいにもか かわらず政治的に安定しているオランダやベルギーを分析 対象として、多極共存型民主主義を定式化したレイプハル ト の 研 究 を あ げ る こ と が で き る だ ろ う ( Lijphart 1977 ) 。 そこでは、オランダやベルギーのような事例の存在それ自 体が、アーモンドという大学者の議論=通説に反するパズ ルだったのである。 少数の国・地域を比較する場合にも、方法論的な用語を 使って効果的に事例選択を説明・正当化できる。まず、二 つの国ないし地域が、多くの点で非常に似ているにもかか わらず、考察対象となる現象では異なる状況が生じている 場 合 で あ る。 こ れ は、 ミ ル の 用 語 を 用 い れ ば「差 異 法 ( method of difference ) 」を用いた事例選択、プシェヴォル スキとトゥニの用語を用いれば「最も類似したシステム・ デ ザ イ ン ( most similar systems design ) 」 で あ る ( Mill 1843 ; Przeworski & Teune 1970 ) 。この場合、似ている要 素 (両 方 の 国・ 地 域 で 共 有 さ れ て い る 要 因) は、 異 な る 結 果を説明することが当然できない。そこで、これらの二つ の国・地域において異なる結果を説明している少数の要因 を析出することが可能になる。この「似ている要素」が、 あるディシプリンにおける既存理論が重視する要因であれ ば、このような事例の組み合わせの存在は通説に反するパ ズルとなる。 つ ぎ に、 二 つ の 国 な い し 地 域 が、 多 く の 点 で 非 常 に 異 なっているにもかかわらず、考察対象となる現象では同じ 状況が生じている場合である。これは、ミルの用語を用い れ ば「一 致 法 ( method of agreement ) 」、 プ シ ェ ヴ ォ ル ス キとトゥニの用語を用いれば「最も異なるシステム・デザ イ ン ( most different systems design ) 」 に 基 づ く 事 例 選 択 で あ る。 こ の よ う な 事 例 の 組 み 合 わ せ を 比 較 す る 場 合 に は、国・地域間で異なっている要因は、同じ結果が起こっ ていることを当然説明できない。このような状況で、もし 二つの国・地域で似たようなメカニズムで類似の現象が生 じていることを示すことができるならば、そのメカニズム が、特殊な国・地域・時代といった文脈によらず、普遍的 に あ る 現 象 を 引 き 起 こ し て い る (可 能 性 が 高 い) と い う こ とを示すことが可能となるであろう。2
理
論
に
対
す
る
含
意
を
考
察
す
る
もうひとつの重要な点は、理論に対する含意を考察する ことである。換言すれば、特定の時期・国・地域について の事実の記述、そこから得られる「現実」についての理解 を読者が得たとき、それがディシプリン内で受容されてい る既存理論にとってどのような意味を持つのかを説明する ことである。大きく分けて、既存理論を補うという方向性 と、既存理論を否定ないし修正・改変するという方向性が 考えられるだろう。 たとえば、一般的な理論と計量分析によって「通説」に なりつつあるが、その因果メカニズムは必ずしも明確でな く、それに関する具体的事例の描写もまだあまりなされて いないという現状があるならば、特定の国における現象を点は正しくても、そのどちらが原因でどちらが結果かを理 論ないし分析者の前提が誤って捉えている可能性は存在す る。もし単一ないし少数の事例の観察から得られた結論で も、そこで起こっている因果関係が、計量分析において想 定されている因果関係と逆のものであるならば、これは計 量分析に基づく議論に対する強力な批判となる。その計量 分析を行った分析者が想定していた理論ないし前提が完全 に誤っているかもしれないことを示唆するからである。 ゲーム理論やフォーマルセオリーを用いて演繹的に構築 された一般理論への反論についてはどうであろうか。ここ で も っ と も 有 効 な 地 域 研 究 (事 例 分 析) か ら の 批 判 は、 理 論 の 前 提 ( assumptions ) を 問 題 視 す る こ と で あ る よ う に 思われる。計量の示す結論は確率論的である。しかし理論 が演繹的に構築されている場合には、そこにはつねに何ら かの前提が存在し、その前提は断定的に「正しいもの」と みなされている。前提が正しくなければ、そこから行うす べての演繹の妥当性が失われるからである。そして理論の 前提は、客観的なデータの裏付けなしに設定されている場 合がしばしばある。計量分析の結果と異なり、理論の前提 に関する議論は基本的に断定的で、正しいか、正しくない かのどちらかしかありえないので、単一事例の観察に基づ く結論であっても、理論の前提を否定する客観的根拠に十 分なり得る。ある事例の観察から、通説となっている理論 の前提を覆し、より現実的な前提は何かを示すことができ れば、あらたな理論の可能性、その方向性を示すことにな り、地域研究の成果は理論家にとってもきわめて刺激的な ものになるだろう。演繹的に構築されているわけではない 一般理論においても、暗黙の前提、隠された前提が置かれ ていることがしばしばある。それが何かを探し出し、事例 研究の成果をそこに結び付けることができるかどうかを考 えることが、地域研究とディシプリンを結び付けるひとつ の方法になるだろう。 このように地域研究における知見を理論・ディシプリン 内 で の 議 論 に フ ィ ー ド バ ッ ク さ せ る う え で、 最 も 有 効 な (そ し て 興 味 深 い) 方 法 は、 各 デ ィ シ プ リ ン の 理 論 家 と 実 際 に (物 理 的 に) 対 話 す る こ と で あ る よ う に 思 わ れ る * 9 。 地 域研究者が理論家に対してある地域で起こっている現象に ついて説明することで、理論家が「この地域の事例はあの 理 論 の 前 提 を 否 定 す る 根 拠 に な る」 「こ の 地 域 の 事 例 か ら 新たな理論が構築できる」といった着想を得るかもしれな い。 逆 に、 理 論 家 か ら 最 先 端 の 理 論 に つ い て の 説 明 を 受 け、 そ の 理 論 の 問 題 点 (た と え ば 前 提 の 非 現 実 性) に 地 域 研究者が気付くこともあるだろう。そうした着想が、新た な理論や仮説、それを検証するための新たな実証的知見を 生み出す。欧米で、理論家とさまざまな具体的現象・地域 の専門家が共同研究を行うことで多くの興味深い理論と実 確認・記述し、ある理論が想定する因果メカニズムが実際 に起こっていることを明らかにしたり、そもそも理論では 不明確だった因果メカニズムを具体的に示したりする役割 を地域研究が担うことができよう。これは、既存の理論を 補い、それを強化する方向性の役割である。 おそらくより刺激的で知的関心を喚起しやすいのは、既 存理論の問題点を指摘し、その修正・改変を行うことであ ろう。たとえば、先述のように、既存理論・通説では説明 できない事例が存在する場合には、それ自体が興味深いパ ズルとなる。そうした事例を深く考察し分析することによ り、新たな理論を構築し、既存理論を修正することが可能 になるかもしれない。 こ こ で 地 域 研 究 (事 例 分 析) が そ の 強 み を 発 揮 で き る と 思 わ れ る の が、 一 般 的 傾 向 か ら 外 れ た 逸 脱 事 例 (計 量 分 析 で い う outlier = 外 れ 値) の 研 究 で あ る。 計 量 的 分 析 が 示 す の は あ く ま で「一 般 的 傾 向」 、 つ ま り サ ン プ ル で 観 察 さ れ る 傾 向 が お そ ら く 現 実 の 傾 向 (母 集 団 に お け る 傾 向) を 反 映したものである可能性が高いということであり、そこか ら 導 き 出 さ れ る 主 張 は つ ね に 確 率 論 的 ( probabilistic ) で あるので、逸脱事例の存在そのものは、それが少数である かぎり、問題にならない。計量分析ではすべてのケースが 平等に考慮されるので、逸脱事例だけが特別に考察される ことはない。ところが、こうした逸脱事例の存在は、事例 分析にとって魅力的なものになり得る。その事例が一般的 傾向から外れているのは、単なる偶然ではなく、既存理論 が考慮していない重要な未知の要因によって引き起こされ ている可能性が存在するからである。その逸脱事例を深く 研究することで、ある現象を説明する新たな要因を発見す ることができるかもしれない。したがって逸脱事例は、新 た な 理 論・ 仮 説 の 構 築 が 強 み で あ る 地 域 研 究 (事 例 分 析) にとって、重要な分析対象となる可能性を秘めている。逸 脱 事 例 に 基 づ く (地 域 研 究 者 か ら の) 反 論 が、 単 に 一 般 的 傾向に反する事例の存在を指摘するにとどまらず、その事 例がなぜ一般的傾向に反するかを説明し、既存理論が無視 している別の重要な要因をあげることができるならば、そ れ は、 既 存 理 論 に お い て「変 数 欠 落 バ イ ア ス ( omitted variable bias ) 」 ( King et al 1994 ) が存在する可能性を指摘 している点で、計量分析に基づいて一般的傾向を指摘する 議論に対する重要な批判となるだろう。 計 量 分 析 に よ っ て 明 ら か に さ れ た「相 関 関 係」 「一 般 的 傾 向」 、 そ し て そ れ に 依 拠 し て 妥 当 性 が 主 張 さ れ て い る 理 論に対して、地域研究・事例分析からの批判として、因果 の方向性を問題視することも有効だろう。すでに述べたよ うに、計量分析が示すのはあくまで相関関係であり、それ をどのように解釈するか (どちらが原因でどちらが結果か) は理論や分析者の前提による。相関関係が現実に存在する
をおき、分析のための資料を直接収集することにある。そ こ で は、 現 地 調 査・ 資 料 収 集 は 現 地 の さ ま ざ ま な 条 件 に よって左右され、つねに多くの不確実性がつきまとう。し かし、地域研究に内在するこの不確実性は、現地を訪れる 前には思いつきもしなかった問題を発見したり、使うこと を検討すらしなかった面白い資料の存在に気づいたりする 機会を提供してくれるものでもある。不確実性を恐れるの ではなく、その不確実性を自分の味方にするように努力す ることが必要なのではないだろうか。 ◉注 * 1 こ の こ と は も ち ろ ん、 「比 較 政 治 学」 や デ ィ シ プ リ ン が 全 世 界 に 適 用 可 能 な 普 遍 的 理 論 を め ざ し て い る、 あ る い は め ざ す べ き で あ る と い う こ と を 意 味 す る わ け で は な い。 特 定 の 事 象 や 限 定 的 な 分 析 対 象(た と え ば、 全 世 界 で は な く、 「旧 ソ 連・ 東 欧」 や「中 東」 と い っ た 地 域) を 説 明 す る た め の 特 殊 理 論 を 志 向 す る こ と も あ り 得 る。 た と え ば 社 会 学 の 分 野 で 「中範囲の理論」 の必要性を強調したマートンの議論 ( Merton 1949 )を参照。 * 2 と く に ア メ リ カ で は 、 歴 史 学 の よ う に 資 料 に 基 づ く 記 述 を 重 ん じ る 分 野 で さ え 、「 記 述 」 と い う 言 葉 に 蔑 視 的 な 含 み が あ る 。 高 根 が こ の 点 に つ い て 、 自 ら の 経 験 を 踏 ま え て い き い きと描いている。高根(一九七九:四一―四四)を参照。 * 3 た だ し、 注 1 で 指 摘 し た よ う に、 少 数 事 例 の 観 察 を も と に 導 出 さ れ た 一 般 的 な 議 論(理 論) が、 そ の 事 例 の 説 明 だ け に 限 定 さ れ た「中 範 囲 の 理 論」 で あ る 場 合 に は、 外 的 妥 当 性 (そ の 事 例 を 超 え て 他 の 事 例 に も 妥 当 す る か 否 か) は 必 ず し も 問 題 と な ら な い。 と は い え、 も し そ の 理 論 が そ の 事 例 に し か 妥 当 し な い の で あ れ ば、 な ぜ そ の 理 論 が 他 の 事 例 に は 妥 当 し な い の か を 理 論 的 に 説 明 す る 必 要 が 生 じ よ う。 し た が っ て、 結 局 は「中 範 囲 の 理 論」 が 妥 当 す る か 否 か を 理 論 的 に 説 明 す る よ り 一 般 的 な 議 論 が 必 要 に な っ て く る と い え る で あ ろ う。 * 4 マ ー ト ン は、 (地 域 研 究 に よ っ て 深 め る こ と の で き る よ うな) 「対象の熟知」が「理論的に鋭い感覚」と出合うとき、 科 学 者 を 驚 か せ 理 論 の 探 求 へ と 向 か わ せ る よ う な 偶 然 的 経 験 が 理 論 の 発 展 を 促 す 機 能 が あ る こ と を 強 調 し て お り、 こ の よ う な 偶 然 的 経 験 を「セ レ ン デ ィ ピ テ ィ( serendipity )」 と 呼 んでいる。たとえば河村(二〇〇五)を参照。 * 5 こ の 点 で も っ と も よ く 言 及 さ れ る の は、 い わ ゆ る 擬 似 相 関( spurious correlation ) の 問 題 で あ ろ う。 す な わ ち、 X と Y に 見 ら れ る 相 関 は、 実 際 に は 観 察(考 慮) さ れ て い な い 変 数 Z に よ っ て 引 き 起 こ さ れ て お り、 X と Y の 間 に は 何 の 因 果 関 係 も な い と い う 問 題 で あ る。 あ る 国 の 各 地 区 の コ ウ ノ ト リ の 数 と 妊 娠 率 に 有 意 な 相 関 が あ る が、 そ こ に は 何 の 因 果 関 係 も な く、 別 の 変 数(た と え ば、 都 市 部 か 農 村 部 か) が 両 者 を 説 明 し て い る 場 合 に は、 コ ウ ノ ト リ の 数 と 妊 娠 率 の 間 に 見 ら れ る の は 擬 似 相 関 に 過 ぎ な い( Goertz & Mahoney 2010 )。 現 在 で は コ ウ ノ ト リ の 数 と 妊 娠 率 の 間 に 因 果 関 係 が あ る と い う 議 論 を 馬 鹿 げ た 迷 信 と 考 え る 人 が 多 い の は、 妊 娠 の メ カ ニ ズ ム が す で に 知 ら れ て お り、 そ こ に コ ウ ノ ト リ が 何 の 影 響 も 証的知見が得られていることは、地域研究者と理論家の物 理 的 な 対 話 の 有 効 性 を 何 よ り も よ く 示 し て い る * 10 。 日 本 で は、 地 域 研 究 者 は 地 域 研 究 者 (し か も、 と く に 同 一 地 域 を 研 究 す る 研 究 者) 、 理 論 家 は 理 論 家 で 固 ま る 傾 向 が あ る よ うに思われるが、さまざまなディシプリンの専門家と、さ ま ざ ま な 地 域 の 専 門 家 が 物 理 的 に 対 話 す る 場 (大 学 で の 教 育 と 研 究、 学 会、 研 究 会 な ど) を も っ と 増 や し、 そ れ を 制 度化していくことが、地域研究とディシプリンの相互作用 を活発化し、多くの画期的研究を生み出す可能性を秘めて いるのではないだろうか。
お
わ
り
に
本稿では、ディシプリンと地域研究の関係という視点か ら、地域研究の強みや意義、その果たすべき役割について 考察してきた。 「地域研究の方法論」という言葉が、 「どの ように地域研究を行うのか」を示すものという意味である ならば、本稿はそれほど多くのことを読者に示せていない だろう。しかし、地域研究という方法を、さまざまな方法 の中のひとつとしてどのように方法論的に位置付けるのか という問題については、一定の議論を示すことを試みたつ もりである。その意味で本稿は、地域研究の方法論という よりは、方法論から見た地域研究論というべきかもしれな い。 筆者は、所属する大学院で未熟ながら「方法論教育」に 携わっている。そこで筆者は、方法論教育の意義と同時に 限界を痛切に感じている。方法論を学ぶことの最大の意義 は、おそらく、何をすべきでないかを理解できることだろ う。それによって、方法論的に誤ったやり方で研究を行う (し た が っ て、 膨 大 な 労 力 や 資 源 を 投 入 し た の に、 そ こ で 得 た デ ー タ や 資 料 は 適 切 な 推 論 を 行 う う え で 使 い 物 に な ら な い) こ と は 防 ぐ こ と が で き る。 ま た、 方 法 論 を 学 べ ば、 あ る 目 的 を 定 め た 時 に そ れ に 最 も 適 切 な 方 法 (道 具) は 何 か を選ぶことはできるようになる。しかし、それをどのよう な目的に使うかは結局分析者しだいであり、教科書はそれ を教えてくれない。方法論を学んでも、オリジナリティの 高い興味深い研究ができるとは限らない。そのためには、 他の多くの人が見過ごしている問題を発見する嗅覚、それ を学術的に興味深い問題として定式化する能力、問題に答 えるためにそれまで思いもよらなかったような事例を調べ た り 新 し い 方 法 や 資 料 や デ ー タ を 使 っ た り す る 発 想 な ど の、決して画一的に教えることも学ぶこともできない要素 が必要不可欠なのである * 11 。 ここにこそ、地域研究の最大の強みと魅力があると筆者 は考えている。地域研究の根幹は、現地に分析者が直接身◉参考文献 河 村 有 毅(二 〇 〇 五) 「マ ー ト ン の『中 範 囲 の 理 論』 再 考 ―― 『著 さ れ た 理 論』 と『実 際 の 探 求 過 程』 の 媒 介 に つ い て」 『立 命館産業社会論集』第四〇巻四号、一二五―一四二頁。 久 保 慶 一(二 〇 〇 三) 『引 き 裂 か れ た 国 家 ―― 旧 ユ ー ゴ 地 域 の 民主化と民族問題』有信堂高文社。 高根正昭(一九七九) 『創造の方法学』講談社。 眞 柄 秀 子・ 井 戸 正 伸(二 〇 〇 〇) 『比 較 政 治 学』 放 送 大 学 教 育 振興会。 Berdal, Mats R. and David M. Malone ( eds. )( 2000 ) Greed and Grievance: Economic Agendas in Civil Wars. Boulder, CO:
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Berdal & Malone
( 2000 )を参照。 * 7 因 果 メ カ ニ ズ ム の 重 要 性 と、 そ れ を 明 ら か に す る 方 法 と し て の プ ロ セ ス 追 跡( process tracing ) に つ い て は、 George & Bennett ( 2005 ) を 参 照。 「因 果 メ カ ニ ズ ム」 を め ぐ る 議 論・先行研究は、 Goertz & Mahoney ( 2010 )で簡潔に整理さ れている。 * 8 少 数 事 例 と 多 数 事 例 の 分 析 を 組 み 合 わ せ る 方 法 論 を 提 唱 している例として Lieberman ( 2005 )を参照。 * 9 た と え ば マ ー ト ン は、 も と も と 物 理 学 者 で あ っ た ク ー ン が 科 学 史 家・ 科 学 社 会 学 者 に 転 じ る こ と に な っ た 契 機 が ハ ー バ ー ド 大 学 の 特 別 研 究 委 員 の 会 で の 経 験 だ っ た こ と を 例 に、 さ ま ざ ま な 分 野 の 研 究 者 が 集 ま り 相 互 交 流 す る こ と が 上 述 の 「セ レ ン デ ィ ピ テ ィ」 を 促 進 す る 環 境 を 形 成 し て い た こ と を 指摘している。河村(二〇〇五:一三五)を参照。 * 10 比 較 政 治 学 の 分 野 で 多 く の 地 域 研 究 者 や 具 体 的 事 象 の 専 門 家 と 共 同 研 究 を 行 っ て さ ま ざ ま な 画 期 的 研 究 を 行 っ て き た 理 論 家 の 代 表 的 存 在 と し て は 、 シ ェ プ ス リ( Kenneth A. Shepsle )、 フ ィ ア ロ ン( James D. Fearon )、 ア セ モ グ ル( Daron Acemoglu )ら が あ げ ら れ る だ ろ う。 彼 ら の 研 究 は あ ま り に 多 様 で あ り こ こ で レ ビ ュ ー す る 紙 幅 は な い の で、 個 々 の 研 究 成 果 を 参 照 さ れ たい。 * 11 こ れ ら の 点 で 最 も 参 考 に な る の は、 他 の 研 究 者 が ど の よ う に 研 究 の 着 想 を 得 た か、 実 際 の 例 を 知 る こ と で あ ろ う。 比 較 政 治 学 で は、 著 名 な 研 究 者 が 自 ら の 受 け た 教 育、 研 究 の バ ッ ク グ ラ ウ ン ド や 着 想 源 な ど を イ ン タ ビ ュ ー で 語 っ た も の が ま と め ら れ て 刊 行 さ れ て お り、 お お い に 参 考 に な る。
Munck & Snyder
(
2007
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and Political Science
博士課程修了 ( Ph.D. ) ⑥職歴…… 大学助手 (二七歳、五年間) ⑦ 現 地 滞 在 経 験 …… セ ル ビ ア( 語 学 研 修 と 資 料 収 集、 二 四 歳 ~ 二五歳、 計四ヶ月) 、クロアチア (博士論文のための現地調査、 三〇歳、一年間) 、その他、短期調査多数 ⑧ 研 究 手 法 …… 現 地 で は お も に 文 献・ 統 計 資 料 収 集、 イ ン タ ビ ュ ー 調 査 な ど を 行 っ て い る。 旧 ユ ー ゴ 地 域 で は よ く「 誰 に で も そ の 人 な り の 真 実 が あ る」 と い わ れ る。 資 料 収 集 に せ よ インタビューにせよ、できるだけ異なる国 ・ 民族 ・ 党派の人々 の 話 に 耳 を 傾 け( 文 献 を 読 み )、 「 真 実」 ( と そ の 解 釈 )の 多 面 性 を意識しつつ分析することを心がけている。 ⑨ 所 属 学 会 …… ロ シ ア 東 欧 学 会、 日 本 比 較 政 治 学 会、 日 本 国 際 政治学会等 ⑩ 研 究 上 の 画 期 …… 個 人 的 に は ボ ス ニ ア 内 戦( 一 九 九 二 ― 九 五 年) が旧ユーゴ地域に関心を持つ契機となった。 ⑪ 推 薦 図 書 … … 拙 稿 で 引 用 し た K K V に 対 す る 地 域 研 究 側 か ら の 反 論 を 含 ん だ 以 下 の 書 を 、 K K V と 併 せ て 読 む こ と を お 薦 め し た い 。
Henry E. Brady and David Collier, eds., Rethinking social
inquiry: diverse tools, shared standards ( Lanham: Rowman & Littlefield, 2004 ). 泉 川 泰 博・ 宮 下 明 聡 訳『 社 会 科 学 の 方 法 論 争―― 多様な分析道具と共通の基準』 (勁草書房、 二〇〇八年)