• 検索結果がありません。

意志表現をめぐる日中対照研究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "意志表現をめぐる日中対照研究"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

神戸市外国語大学 学術情報リポジトリ

意志表現をめぐる日中対照研究

著者 孫 樹喬

学位名 博士(文学)

学位授与番号 24501甲第44号 学位授与年月日 2014‑03‑04

URL http://id.nii.ac.jp/1085/00001682/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

1

論文内容の要旨

孫 樹喬

話し手の意志を表す表現は、どんな言語においても最も基本的なものとされている。日 常生活の中でわれわれは、何か決心や決定を下したり、予定や未来の行為を伝えたり、ま たある行為についての意欲や態度を表したりする時、意志を表す表現を使うのである。本 論文は、このような話し言葉に現れる話し手の意志を表す表現を扱うものである。

近頃、モダリティ形式をめぐる日中対照研究が多く見られる中、意志のモダリティをめ ぐる対照研究は、まだ個別の形式に留まるものが多い。また、有標形式が多く取り上げら れているが、意志を表す無標形式は無視されることも多い。このような事実を受けて、本 研究は、意志のモダリティを表す形式についての体系的な日中対照研究を目指す。また、

日中両言語の意志表現の特徴を更に明らかにするために、従来日本語の意志のモダリティ に対する聞き手要素も一括に扱うという考え方を取らず、命題めあてのモーダルな意味を 文レベル、対人関係機能の意味を談話レベルの二つに分けて考察することにする。

本研究の目標は、意志表現をめぐる日本語と中国語との対照研究を通じて、両者のそれ ぞれの形式・意味・機能における特徴を明かにし、それに基づき、意志表現の全体像を見 据えて両言語の共通点と相違点を明らかにすることである。また、本論文の議論の骨格と なるものは、「意志」という意味のカテゴリと「日中対照」の研究方法の二つである。更 に、「話し手の意志」を表す表現と「日中対照」の研究方法の二点に基づき、次の七つの 表現、つまり日本語の「シタイ」「シヨウ」「スル」「スルツモリダ」と中国語の「要」「想」

「動詞無標形」を研究対象とした。

本論文は、意志のモーダルな意味を表す日本語の「シタイ」「シヨウ」「スル」「スルツ モリダ」と中国語の「要」「想」「動詞無標形式」について、文レベルと談話レベルにおい て、両者を対照しながら考察を行った。文レベルでの考察は、二つの内容が挙げられる。

一つは、上記の表現形式と意志のモダリティとの関係について文の意味的構成構造におい ての考察である。もう一つは、上記の表現形式による具体的な意志のモーダルな意味の特 徴をめぐる考察である。談話レベルでは、上記の表現形式を用いる意志のモダリティを表 す文を具体的な談話場面に置きながら、発話としての機能と聞き手への対人配慮の二つの 側面から考察を行った。

論文の主要部となる第 3 章~第 6 章の内容及びお互いの関係について、次の図 1 で示す ことができる。

図1 本論文の研究対象とその関係

(3)

2

ローマ数字のⅠが書かれた矢印で表される関係は、意志を表す表現形式と文の意味的構 造における意志のモダリティとの関係を示し、第 3 章が扱う内容である。この章では、意 志のモダリティを表す文の意味的構造を提示した上で、意志を表す表現形式はどんな振る 舞いを見せるのかについて、一人称主体の表示・不表示、話し手の対象動作に対する制御 性、各表現形式の現実性のあり方の三つの側面から考察を行った。両言語の意志を表す形 式は一人称主体の表示・不表示の問題において、明らかな違いを見せた。中国語の「要」

「想」「動詞無標形式」が用いられる意志のモダリティを表す文は常に一人称主体を表示 するのに対し、日本語の「シタイ」「シヨウ」「スル」「スルツモリダ」は、一人称主体の 不表示が多く見られる。また、話し手の対象動作に対する制御性の有無から言えば、日本 語は表現によって、はっきりと分化しているのに対し、中国語、特に有標形式は制限ない のである。更に、ほかの表現と較べて、中国語の「動詞無標形」自身に非現実性を備えな いという点はかなり目立つものである。

ローマ数字のⅡが書かれた三つの矢印で表される関係は、第 4 章が扱う内容である。こ の章は、意志を表す表現形式を軸にして、こられの表現形式に見られる意志のモーダルな 意味と意志以外のモーダルな意味を提示し、お互いの関係を考察する。この章では、意志 のモーダルな意味の細分化の意味範疇に情意的性質と認識的性質との連続性が見られる だけではなく、意志のモーダルな意味と意志以外のモーダルな意味の間にも情意的性質と 認識的性質との連続性が確認されたのである。第 4 章で確認された日本語と中国語の意志 を表す表現の最も大きな違いは、有標形式と情意的・認識的性質との関係に見られる。日 本語の「シタイ」「シヨウ」「スルツモリダ」は、情意的性質か認識的性質かのどちらの一 方を持つのに対し、中国語の「要」「想」は情意的性質と認識的性質の両方を持つのであ る。更に、三人称主体の文に日本語の意志表現は使われにくい傾向があるのに対し、中国 語の意志表現は制限なく使えるという両言語の相違もかなり目立つ。

ローマ数字のⅢが書かれた矢印で表される関係は、意志のモダリティを表す文が談話レ ベルにおける機能との関係を指し、第 5 章が扱う内容である。意志のモーダルな意味に見

日本語の「シタイ」「シヨウ」「スル」「スルツモリダ」

中国語の「要」「想」「動詞無標形式」

文の意味的構造 における意志の モダリティ

意志以外の モーダルな意味 聞き手への対人配慮 談話における

機能が関わる意味

意志のモー ダルな意味

談話レベル

文レベル

(4)

3

られる情意的・認識的対立は、上記の各表現形式が用いられる発話の談話における機能に も反映されている(次の図 2 を参照されたい)。この章で確認された日中両言語の意志の モーダルな意味を表す形式の最も大きな違いは、聞き手存在に対する姿勢である。談話に おける機能から見ると、日本語の方は聞き手の存在を重視しているが、中国語の方は全体 的に言えば聞き手が存在するか否かについてあまり意識していない。

図 2 意志のモーダルな意味を表す形式の談話における機能に見られる情意的か認識的か の対立

ローマ数字Ⅳが書かれた矢印で表される関係は、談話における意志のモダリティを表す 発話と聞き手への配慮との関係を意味している。これは、第6章が扱う内容である。この 章は日中対訳の方法を使って、「シタイト思ウ」「シヨウト思ウ」と「要」「想」との対照 を行ったうえで、日中両言語の意志を表す表現形式に見られる対人配慮の姿勢の違いを明 確にした。その中で、日本語の意志表現の選択が人間関係に大きく影響されているのに対 し、コミュニケーションにおける中国語の意志表現の選択は主に事柄の負担度に大きく影 響されているということがわかった。このような現象は、意志表現の有標形式だけではな く、先行研究を見ると、ほかの表現、例えば、意志表現の無標形式や文末表現にも確認さ れている。

以上、本論文の主な内容をまとめ、更に各章の論述によって明らかになった日中両言語 の意志表現の間に見られる著しい相違を一部取り上げた。日中両言語の意志表現について の考察を通じて、両言語間の最も顕著な違いは三つ挙げることができる。一つ目は主観性 の程度の違いで、二つ目は文法化の程度の違いで、三つ目は聞き手に対する姿勢の違いで ある。主観性の程度の違いは、二つの面に反映されている。一つは、人称主体の表示と不 表示の傾向で、もう一つは、情意的・認識的性質の特徴である。文法化の程度の違いは主 に両言語の意志表現に見られるモーダルな意味に反映している。聞き手に対する姿勢の違 いについて、聞き手存在の制限の有無や対人配慮の工夫の有無に反映されている。

情意的なもの ―― (聞き手めあてではない場合)感情そのままの表出 (聞き手めあての場合)聞き手を対象動作に巻き込む 認識的なもの ―― (聞き手めあての場合が殆どだが)話し手の意志について

の説明

参照

関連したドキュメント

噸狂歌の本質に基く視点としては小それが短歌形式をとる韻文であることが第一であるP三十一文字(原則として音節と対応する)を基本としへ内部が五七・五七七という文字(音節)数を持つ定形詩である。そ

前章 / 節からの流れで、計算可能な関数のもつ性質を抽象的に捉えることから始めよう。話を 単純にするために、以下では次のような型のプログラム を考える。 は部分関数 (

線遷移をおこすだけでなく、中性子を一つ放出する場合がある。この中性子が遅発中性子で ある。励起状態の Kr-87

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

つの表が報告されているが︑その表題を示すと次のとおりである︒ 森秀雄 ︵北海道大学 ・当時︶によって発表されている ︒そこでは ︑五

(注)本報告書に掲載している数値は端数を四捨五入しているため、表中の数値の合計が表に示されている合計

第二期アポーハ論研究の金字塔と呼ぶべき服部 1973–75 を乗り越えるにあたって筆者が 依拠するのは次の三つの道具である. Pind 2009

本論文での分析は、叙述関係の Subject であれば、 Predicate に対して分配される ことが可能というものである。そして o