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飛 鳥 ・ 藤 原 宮 発 掘 調 査 出 土 木 簡 概 報 ㈲

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(1)

九 八 七 年 五 月

飛 鳥 ・ 藤 原 宮 発 掘 調 査 出 土 木 簡 概 報 ㈲

奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所

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藤 原 宮 第 四 七 ・ 五 〇 次 出 土 藤 原 宮 第 五 四− 一 次 出 土 藤 原 宮 第 三 七− 六 次 出 土 和 田 廃 寺 第 三 次 出 土 橘 寺 一 九 八 六− 一 次 出 土

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藤 原 宮 第47 次 井 戸S  E4740 出 土

藤 原 宮 第41 次 出 土       藤 原 宮 第48−  3  次出 土    石 神遺 跡 第 5 次出 土

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(4)

この概報は︑さきに公刊した﹁藤原宮山土木簡内﹂︵一

九八三年五月︶以後︑飛鳥藤原宮跡発掘調査部の行なった

発如調査で出土した木簡について︑その主要なものを収録

した︒木簡が出土したのは︑藤原宮第三七・三七−六・四

一次調査︵以上藤原宮︶︑藤原宮第四七・五〇︵西︶・五

四−一次調査︵以上藤原京︶︑和田廃寺第三次調査︑橘寺

の調査である︒以上の他に石神遺跡第五次調査︑藤原宮第

四一・四七・五〇︵西︶・四八−三次調轟で出土した木簡

以外の文字資料についても主なものを付載した︒

次に木簡等の出土地点と状況について略述するが︑その

詳細については当該年度の﹁飛鳥・藤原宮発掘調査概報﹂

﹁奈良国立文化財研究所年報﹂等によられたい︒

なお︑この概報については従来藤原宮出土の木簡が大部

分を占めていたことから﹁藤原宮出土木簡﹂と題し︑正式

名称の﹁飛鳥・藤原宮発掘調介出土木簡概報﹂を副題とし

てきたが︑今回は藤原京や飛鳥の諸寺出土の木簡が多く︑

このままの題では不適切であるので︑後むの題だけを掲げ

ることにする︒今後藤原宮出土木簡のみを収載する場合も

これを継続し︑﹁藤原寓出土木簡﹂の名称は用いないこと

にする︒

1111 一︑木簡等出hの地点と状況

藤原宮第三七次調査︵6AJK−F区︶

一九八三年八月?匸一月

本調査圸は藤原宮の西面で︑宮の東西中軸線上の西面中

門推定地および西面外濠地域である︒而耕はI〇〇八㎡で

ある︒検出した主な遺構は︑酉面人垣と外濠で︑予想され

た酉而中門は後匣の削平をうけて検出できなかった︒その

他には藤原宮期以後の外戸や上坑がある︒木簡は外濠から

二点出上した︒

大垣SA二瓦八は調査区南端で四問分の哇掘形を検出し

た︒西而中門は険出できなかったが︑大垣の哇掘形がとぎ

れる所から北が巾門跡と考えることができる︒宮の中軸線

と今回険出した人埴の北端まで︒の距離を北へ折り返すと南

北三〇・四mとなり︑これまで調査した宮城門と同規模の

門が存在したものと考えられる︒

西面外濠SD二六〇は人埴の西方匸二mにあり︑北流す

る︒現状では後世の氾濫や浸食により東岸がかなり広がっ

ているが︑当初は他の外濠と同じく瓦・瓦ml六・〇m程

であったとみられる︒深さは二・一mである︒宮の廃絶後︑

(5)

濠の中火付近に南北にシガラミが作られ︑その西では堆砧

が固定したらしいが︑瓏では水流が阿度も流路を変えて流

れた︒濠はI〇ほ紀木頃には埋没したらしい︒総じて藤原

宮時代の辿物は乏しく︑出上土器の七〇%は奈良時代前半

のもので︑平安時代のものも混じる︒木簡は︑一点は雌下

屑のシガラミ設定以前の層で検出したが︑これは奈良時代

か藤原宮期に入るのかは決定できない︒小断片で文字は判

読できなかった︒他の一点はシガラミ付近から山上したも

ので︑奈良時代の可能性がある︒

他の遺物としては︑上器︑瓦のほか︑円而硯︑上馬︑銭

貨︵和同開珎・神功開宝・隆平永宝・富寿神宝・饒隘神宝︶︑

帯金具︑鉄釘︑鉄棒︑多足机等が出上し︑黒埀⁚ヒ器では

﹁宮﹂と記したものが六点ある︒

藤原宮第三七一六次調査︵6AJMIC区︶

一九八三年八月l九月

本調査圸は宮の西南方に当たり︑南外濠と六条大路北側

溝との間の外周帯と仮称している空閨地内で︑一部大路北

側搬も含んでいる︒面積は六三〇㎡である︒

検出した主な遺構は︑南北溝一条と井戸一基である︒木 簡は井戸から一点出上した︒

南北溝SD三四六〇は西二坊坊問路の中軸線の位置にほ

ぼ一致し︑幅丘〜六m︑深さI・四mで︑宮の外濠と同規

模であることからみて︑南町外濠へ注ぐ京内の基幹排水路

として作られた可能性がある︒

井戸SE三四六一はSD三四六〇の西一四mのところに

あり︑深さ二・六mで︑井戸枠が六t七段残っており︑井

厄絹で︑東西九瓦9南北ヒハ四ある︒埋匕は灰色粘質上

で︑その中から木簡が一点出土した︒他に遺物は少なく︑

弥生式L器片︑ヒ皀紀末頃の上器片がある︒

藤原宮第四一次調査︵6AJF−B区︶

一九八四年四月〜一〇月

本調査地は大極殿の束北で︑内裏外郭塀の朿約四〇m︑

宮朿而大垣の西方二二〇mに当たる東方官衙地域で︑面倣

は匸一六〇㎡である︒

検出した主な遺構は︑藤原宮期の約匸一・七m離れて並

行する二条の掘立柱東西塀で︑長さ五〇m以上あり︑それ

ぞれ東端で南と北にL字状に曲り発掘区外に延びる︒この

塀は南北二つの官衙ブロックを区画する塀とみられ︑北堺

2 −

(6)

SA三六三〇の北と南塀SA三六三二の南が官衙内であり︑

両塀の間は通路であろう︒この狸の塀としては宮内ではじ

めて検出したものである︒この他の遺構としては︒孚安時

代の小規模建物や塀・井戸︑古墳時代の︑角柱を用い棟持

柱を持つ総柱建物や搬等がある︒

造物は︑木簡・墨書土器・瓦・須恵器ミニチュア杯・緑

釉陶器・新羅上器・滑石製石鍋・銭訝︵抻功開宝︶等があ

る︒坐占土器は平安時代初頭の井戸SE三六瓦程から出七

したものである︒

木簡は東西塀SA三六三〇の三個の住掘形中から三点︑

東西塀より占いヒ匣紀後半の七坑SK三六四七から一点出

丸した︒掘形中のものは断片や削屑で︑うち一点は企く挧

読できない︒SK三六四七出Lのものは長さ四斤・斤9

幅四・二心あり︑曲物用材のような薄い皈で︑表衷に心痕

があるが︑腐触が甚だしく判読不能である︒

藤原宮第四七次・五〇次︵西︶調査︵6AJC−N・6A

JD−H区︶ 一九八瓦年一一月?一儿八六年匸一月

橿原市木之本町の香久山西麓において肖研究所飛鳥藤原

宮跡発掘調轟部の新庁舎建設のため一九八瓦年の第四μ・

四六次訓合に続いて第四ヒ次・屁○次︵西︶調査を行なっ

た︒庁舎予定圸は総而積二〇〇〇〇㎡で︑ほぼ藤原京左京

六条三坊の束北坪と東南坪に当たる︒このうち第四七次・

丘○次︵西︶調査圸は庁舎予定地西よりで︑六条三坊の中

心部および東北坪西南部に当たる︒両調だ地は東西に接し

ており︑而倣は合わせて四〇〇〇㎡である︒

第四瓦次から第丘○次までの調杏の所見を簡略に述べる

と︑辿構は占墳時代から室町時代まであり︒そのうち藤原

宮期はA・B二時期に人別できる︒

A期は道路と区画の塀を中心とした時朗で︑束三坊坊間

路︑六条条闇路︑坪の周開を限る塀︑坪を東西あるいは南

北にこ分する塀などである︒坊間路は八二m︑条問路は六

〇m分を検出したが︑条闇路は想定匳置より約一四m北に

ある︒両路は調心地西端で交差する︒姓物は︑東南坪に小

規杖建物﹃棟︑東北坪に三棟ある︒このごI棟の建物は柱筋

を揃える関係にあるが︑その性格は今のところ不明である︒

条間路の北には東西人溝SD四匸二〇があり︑奈良時代に

も存続する︒調査圸東端の6久山に近接する付近には幅︸

儿m以L︑深さI・︒一mの南北人溝SD四一四三があり︑

束三坊大路想定位置に当たるが︑人規杖であることから藤

(7)

原京の朿堀河である可能性がある︒亢の瓏西人溝SD四一

三〇はこのSD四一四三に接続する︒

B期は道路や区画の塀が大きく改められ︒大規模な建物

が整然と配されて坊内の利川状況が一変する時刻である︒

まず条間路・坊問路や︑東南坪を南北に分ける塀は廃され︑

東北坪・東南坪とも坪内を朿西に二分する南北塀SA四三

二〇より西が一体のものとして利川され︑東半部は空閑地

となっていたようである︒

建物は︑坊間路・条間路が交差していた位置のやや南の

位置で︑坊の中心に当たるところに七間×三間の身舎に七

庇のついた東西棟建物SB厶OOOがあり︑これを中心に

八棟の東西棟建物や南北棟建物が整然と並ぶ︒SB丘OO

Oはこの建物群の正殿とみられ︑前殿や脇殿に相当すると

みられる建物もある︒

これらの建物群は正殿が坊の中心部に来るので︑一坊全

体の占地に基く配置と考えられるが︑一坊の占地は藤原京

では初めての検出例である︒その性格については明確では

ないが︑一応官衙的なものと考えている︒もしそうであれ

ば︑そのような大きな占地をとる京内官衙は何であるか︑

その京内での位置も含めて十分検討する必要がある︒

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次に奈良時代になると︑人規模な区画施設や惟然とした

建物群はみられなくなるが︑なお建物TU棟が検出されて

おり︑引続き重要地域として機能していたようである︒

調査地南方では塀と海による方形区画内に南北に並ぶ二

棟の束西棟建物を配置しており︑北方では総搾の介庫風建

物や︑東西に並ぶ小建物がある︒また藤原京A期以来の東

西大排SD四匸二〇がこの時代にも存続しており︑その第

四七・瓦O次︵西︶洲査地内で木倒・墨睛⁚L器が出Lした︒

また四七次調轟地には大海の南岸に接して拜戸SE四七四

〇があり︑呪符・墨占ヒ器が出Lした︒

束西大海SD四匸二〇は坊の想定心から三六m北の位置

にあり︑総艮匸一〇m分を検出した︒束方では幅四・八m.

深さI・丘mであるが︑西に向かって次第に深くなり︑調

査地西端では幅一一m︑深さI・八mを測る︒東端は南北

大清に接統するが︑搬底のレベルからみて西流していたと

みられる︒北岸は比較的直線的で︑当初の姿をとどめてい

るとみられるが︑南岸は大きくえぐられた部分がある︒堆

積ヒはFから茶褐色砂礫・肖灰色枯質ヒ・灰褐色粘質七お

よび淡い褐色括質上に分けられる︒茶褐色砂礫削は海底に

わずかに残存し︑七世紀代の遺物を含み︑この海の開削が

(8)

藤原宮期にまでさかのぽることを示している︒青灰色枯質

土は奈良時代の層で︑何度も流路を変えながら流れた様子

がうかがえるが︑しだいに潜水するようになり︒平安時代

になって埋め立てられた︒

この溝からは多数の遺物が出土しているが︑藤原宮期の

ものは少なく︑奈良時代から平安時代にかけての遺物が多

い︒主な遺物としては︑木簡二瓦点︑墨書のある斎串一点︑

﹁香山﹂の墨書土器三点など墨書土器六一点︑陶硯・緑釉

獣脚硯・黒色土器風字硯・土馬・製塩土器・ミニチュア匕

器・鞴羽囗・パルメット押捺文軒丸瓦・人形・斎串・刀子

形・馬形・木針・櫛・琴柱・鉄釘・和同開珎が山上した︒

木簡と墨書のある斎串は東西大海のうち︑南岸に接する井

戸付近から西の奈良時代の層から出土した︒霊亀三年の年

紀のみられるものがあり︑他の木間も奈良時代前半のもの

とみてよいであろう︒

奈良時代の香久山西北麓は木簡・墨舎土器の内容からす

ると︑養老四年に存在の知られる香山正倉のあった可能性

があり︑東四大海SD四一三〇はその物資運搬のために利

用されたことも考えられる︒

東西大沢SD四匸二〇の南岸に接する井戸SE四七四〇

4 で

は︑方形成板紹で︑内法一辺O・儿mあり︑枇板はず均一

二枚程のこり︑高さ三・〇m内外である︒掘形は上端が径

約六mの不整円形で︑底部は一辺一・ヒm内外の方形とな

る︒深さは三・六mある︒井戸枠内からは呪符︼点の他︑

墨書土器三一点︑上師器・須恵器・黒佰﹈卜⁚器・瓦・鎌・環

状鉄製品・鉄釘・小環付企銅製細棹・無文銀銭・和同開珎

等が出Lした︒上器は最ド層から飛鳥Ⅳから嘔城寓Ⅲ段階︑

ド川から嘔城宮Ⅲ段階︑巾川から嘔城宮Ⅳ段階︑上川から

は九附紀〜十世紀初頭のものが出Lした︒呪符は最下層か

らであり︑墨書卜ぷ心の人部分は下層からの出十である︒

藤原宮第五四−一次調査︵6AJCIL区︶

一九八七年四月

本洲占地は藤川京左京六条三坊西北坪の朿南部に当たり︑

弟斤O次︵西︶調査地の西約二〇mの地点である︒南北一

二・八m︑東西三mの調在区で︑而積は三八㎡である︒

検出した遺構は第凡○次調査地より続く東西人膚SD四

一三〇であるが︑想定位置より約一〇m北で南岸を険出し

たので︑この地点と第五○次調査地との間で膚が屈曲して

いるとみられる︒調介地の関係で搬の南岸から北二・六m

(9)

まで検出しただけで北岸に逹していない︒深さはI・六m

で︑堆積は三削あり︑巾咽の占灰色粘Lから木簡一点が出

土した︒その他の遺物としては上層からパルメット抑捺文

軒蔘瓦︑下層から四天王寺系丸瓦等が出土している︒

橘寺一九八六一一次調査︵5BTB−B区︶

一九八六年九月〜一一月

本調査地は明日呑村大字橘にある橘寺の北酉約一ヒOm

の地点で︑橘寺とその北に位一吐する川原寺との旧境界と考

えられる里道の南側である︒調査地は朿西二か所に分れ︑

而積は一六〇㎡である︒検出した主な遺構は︑朿四倔立哇

塀とその北雨落溝︑朿西築地塀とその雨落溝︑L坑等であ

る︒遺構は大別してI期︵ヒ既紀後半︶・u期︵八皀紀巾

頃︶・m期︵巾皀︶の三時期に区分できる︒

I期は東西知立住塀とその北雨藩溝で︑掘立注解は朿区

で二間分︑西区で一間分を眺認し︑一圧問分が復原できる︒

雨落溝は塀心から三m北にある素掘り溝である︒

n期は土坑で︑朿西四・五m.南北三・五m︑深さ︸・

五mある︒炭灰や礫を多はに含む黒灰土と︑木材片や木葉

を大量に含む茶褐色土が堆積しており︑一度に埋められた

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らしい︒上E・瓦・材木片・木簡・薪の燃えさし・鉄鎌な

どの金鳩製品・獣骨等が出上し︑造営工小の廃材や塵芥を

投東したゴミ捨て穴と推定される︒この匕坑やU期整地層

から出ヒの瓦は川原寺創建瓦を含む七皀紀後半のもの︑土

罸は藤原宮期から奈良時代中頃のものである︒中に﹁山﹂

﹁凵月﹂と記した墨占上器がある︒木簡は九点出ヒした︒

Ⅲ闡は東西塀から儿・瓦m北に設けられた築地堺とその

北田落溝︑上坑等である︒築地は捐底部幅三m︑残存高約

丘Omで︑築地本体は削平されていた︒雨落溝は築地の北

二mにあり︑深さI・二m︑復原幅二mで︒鎌倉時代〜室

町時代叨期のh器・瓦が大量に出土した︒この築地は以前

確・認している橘寺北限の築地塀の西延長部で︒今回北門心

から一斤四m分確認したことになり︑西限はさらに西に延

びる︒築地基底部山上の遺物からみて︑前身の築地があっ

たとしても八皀紀中頃以前にはさかのぽりえない︒それ以

前は南の朿西塀が北限施設であった可能性が生じてくる︒

これらの塀や築地は川原寺の伽藍方位に一致し︑辿物の

上でも同寺と共通するものが多いから︑古代においては橘

寺の北限は︑官の大寺で寺勢が盛んであった川原寺の強い

彫響Fにあったと考えられる︒

(10)

和田廃寺第三次調査︵5BWD−G・K区︶

一九八六年一〇月〜一一月

本調衣地は橿原市和⁝⁝⁝町に所在し︑古代の山剛道の後身

かと推定される県道橿原神宮東口停車場線の北側に接する

水田である︒第二次調査で倹出した塔跡︵大野塚︶の東南

約匸一〇mに当たり︑寺域東南部の状況と藤原京朱雀大路

および山旧道との関辿の解明などを目的として調査した︒

調査地は南北二地区に分れ︑面積は一一四五㎡である︒

北区は全体が東南から西北への流路内とみられ︑弥生時

代から中匣の遺物まで混じりあっており︑そのド限は匸二

皀紀頃と推定される︒占墳時代卜心むや中皀の上器類は多ほ

に出土したが︑藤原宮期︑奈良時代の上器・瓦は少ない︒

他にるつぼ・鞴羽囗・鉱滓など鋳造関係の避物︑滑石製行

孔円盤一点︑延喜通宝一点︑木簡二点が出上した︒木簡は

古代のものとみられるが巾皀遺物と共に出丸したので︑はっ

きりした時期はわからない︒

南区では東西長九m計一一個の中皀の立石列を検出した︒

現県道が﹁山田道﹂を踏襲しているならば︑巾吐の﹁山Ⅲ

道﹂の北路一月の護岸の可能性があるが︑また西に存在する

薬師堂の前身遺柵とも考えられる︒ 石神遺跡第五次調査︵6AMD−TK︶

一九八丑年匕月〜一九八六年二月

本調査地は明日呑村飛鳥の飛鳥寺の西北約三〇〇mに当

たり︑面積は九六〇㎡である︒石呻辿跡はいわゆる須弥山

石や石人像が発見された場所であり︑斉明朝の饗宴施設で

はないかという想定で昭和瓦十六年以来調杏を継続し︑斉

明朝から藤原宮朗に及ぶ建物・塀・石敖・石組溝・井戸な

どの遺構を確認している︒その結果︑多数の遺構が密集し︑

しかもかなりの広がりを持つらしく︑また短期間に多くの

変迷があることがわかってきた︒だが︑その範囲や具体的

な性格の確認に至るにはなお時日が必要である︒

第八次調査においてもヒ匣紀中頃から八世紀初頭に至る

時朗の避構の内容と変遷がより明らかになったものの︑状

況は同じである︒

本調査においては︑藤原宮期とみられる素掘り南北溝S

D六四〇からヘラ占き銘のある須恵器壺一点が出七した︒

この溝は幅二m︑深さ三〇?四〇四あり︑朿に一一m距て

て並行する同規模の溝があるので︑南北道路の側溝の可能

性がある︒この搬の造物は犬武朝から藤原宮期までのもの

を含んでいる︒

(11)

藤原宮第四八−三次調査︵6AJB−R区︶

一九八六年四月〜瓦月

本調査は藤原宮大極殿の東北約三〇〇mの東方官衙の一

画でおこなった︒面積は三〇二㎡である︒

検出した主な遺構は︑藤原宮期の掘立哇東西棟建物SB

四八六〇で︑桁行六間以上︑梁行二間以上とみられる建物

の西妻往と南側哇筋の七個の柱穴を検出した︒哇掘形は一

辺約一・三m二m︑深さ〇・九mの不整隅丸方形で︑住

根や往痕跡の残るものと︑柱抜取穴のあるものとがある︒

その一つの掘形の底から墨書のある須恵器皿が出土した︒

なお南側往から南へ三・一m距てて小哇穴が柱筋を揃えて

並び︑広縁風の露台の可能性かおる︒

この他の遺構としては藤原宮に先行する四条条間路とそ

の側溝︑古墳時代の掘立往建物などがある︒

二︑凡例

日 口絵写真のうち木簡は同一縮尺であるが︑墨書土器等

は大小の差が大きいため縮尺は考慮外とし︑文字部分だけ

の写真を掲げたものもある︒法量も特に示さなかった︒

口 釈文は出土避構ごとに掲げ︑同一遺構の中では︑内容 分頬によって︑文眈︒︑付札︑その他の順に配列するのを原

則とした︒

目 雌上段に出上地点を示す小地区名︵アルフ″べ″卜・

数字︶︑次の段に現在避存の形態を︒小す型式侑号を記した︒

型式乕号は次の通りである︒但し本研究所では聖式番号は

四桁の数字を川いるか︑本概報では時代を示す千の位を竹

き三桁の数字で表わした︒なお端とは︑木簡を木目方向に

おいた時の上下両端をいう︒

呂︼︸型式 長方形の材のもの︒

呂S型式 長方形の材の側而に孔を穿ったもの︒

6019型式 一端が方頤で︒他端は折損・腐蝕などによって

原形の失われたもの︒原形は6011 ・ 6032 ・ 6051

型式のいずれかと推定される︒

6021型式 小形矩形のもの︒

6022型式 小形矩形の材の一端を圭頭にしたもの︒

6031型式 長方形の材の両端の左右に切り込みをいれたも

の︒方頭・圭頭など種々の作り方がある︒

否S型式 艮方形の材の一端の左右に切り込みをいれたも

の︒

6033型式 長方形の材の一端の左右に切り込みをいれ︑他

8 −

(12)

端を尖らせたもの︒

呂39型式 長方形の材の一端の左右に切り込みがあるが︑

他端は折損︑腐蝕などによって原形の失われた

もの︒原形は6031 ・ 6032 ・ 6033型式のいずれか

と推定される︒

呂51型式 長方形の材の一端を尖らせたもの︒

呂昭型式 長方形の材の一端を尖らせているが︑他端は折

損・腐蝕などによって原形の失われたもの︒原

形は6033 ・ 6051型式のいずれかと推定される︒

呂2型式 用途の明瞭な木製品に墨舎のあるもの︒

呂呂型式 用途未詳の木製品に墨書のあるもの︒

呂2型式 折損・割截・腐蝕その他によって原形の判明し

ないもの︒

呂巴型式 削屑︒

四 釈文に加えた符号はつぎの通りである︒

ζ ζ 抹消した字画のあきらかな場合に限り原字の左傍

に付した︒

■■ 抹消により判読困難なもの︒

口口口 欠損文字のうち字数の確認できるもの︒

目口﹂ 欠損文字のうち字数が推定できるもの︒

χ︒χβ1︲

冂 凵 凵 冂

欠損文字のうち字数が数えられないもの︒記載内容からみて上または下に少くとも一字以上の文字を推定したもの︒

﹁  ﹂ 異筆︑追筆︒

﹁   合点︒

・   木簡の表嚢に文字のある場合︑その区別を示す︒

ヵ   編者が加えた注で疑問の残るもの︒

ママ  文字に疑問はないが意味の通じ難いもの︒

︹  ︺ 校訂に関する注のうち︑本文に置き換わるべき文

字を含むもの︒

︵  ︶ 右以外の校訂注および説明注︒

圃 釈文下段のアラビア数字は︑木簡の長さ・幅・厚さを

示す︵単位はミリメートル︶︒欠損・二次的整形の場合︑

現存部分の法ほを括弧つきで示した︒なお長さ・幅は木簡

の字の方向による︒

内 釈文の上に付した括弧付き数字は図版一に︑朱印は図

版二に写貞を掲げたものである︒

(13)

諱 哨

( &) CA 22

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第三七次調査︵6AJKIF︶

外濠SD二六〇

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第三七一六次調査︵6AJM−C︶

井戸SE三四六一

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第 四 一

次調査︵6AJF−B︶

東西塀SA三六三〇

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10  −

(14)

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五〇次︵西︶

調査︵6AJC−N・6AJD−H︶

井戸SE四七四〇

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東西大溝SD四匸二○

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第五四一一次調査︵6AJC−L︶

東西大溝SD四一三〇

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(16)

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和田廃寺第三次調査︵5BWDIG

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︽墨書土器等V

第四一次・調査︵6AJFIB︶

井戸SE三六五五

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第四八−三次調査︵6AJB−R︶

東西棟建物SB四八六〇柱掘形

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13

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(17)

第四七・五〇次︵西︶調査︵6AJC−N・6AJD−H︶

井戸SE四七四〇

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︵ 土 師 皿 底 却 外 面 ︶

︵ 土 師 皿 A 底 部 外 面 ︶

︵ 立 師 杯 A 底 部 外 面 ︶

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東西大溝SD四ニニ○

香 山

香 山

口 山

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︵ 須 愍 藐 底 郊 外 面 ︶

14

(18)

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石神遺跡第五次調査︵6AMD−T︶

南北大溝SD六四〇

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15

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(19)

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藤原宮木簡等出土地点略図

﹂ 口 口 ﹂ 口 口 |  匸 」│ ││  | し 口 匚 口 匸 ﹈ T I ﹂口 口 ﹈ 口 口 口 口 口 口

口口 口 口口 口 口口 口 口口 口 ]口 口 口 口 口 口 口 口 口 口 口 匸 ]口 ロ ロ ロロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ニ 冂口 口 口 口口 口 口 口 口 口 口 口

○   木号 収 絨分出土 地

●  既出 土地

▲  奈良 県調 査出土 地 数字:調 査次 数

l ぞ.         ,

1       18 ル

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●  219

●        48‑ 3 20   

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口口 口口 口口 口口

口口 口口

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