現代の翻訳劇
佐和田 敬司
はじめに
今、翻訳劇について論じようとすれば、 「今更、翻訳劇論?」と言われかねないムードがある。例えば実際、
歴史的にこの分野を、特集を組んで積極的に取り上げてきた雑誌『悲劇喜劇』は、 80年代を最後に翻訳劇につ いての特集を組んでいない。こうした状況の理由の一つとして、海外の最先端の演劇状況を日本語で語ること 論じることがあっても、海外の最先端の戯曲を日本語に翻訳することに、人々がかつてほど切迫した必要性を 感じていないことがある。敢えて原作の中の何かを損なう恐れのある翻訳劇を通して、最先端の演劇状況を語
らずとも、劇団そのものが来日したり、観客自身が海外で本物に接する機会が多くなっている。田之倉稔は
「かつては、情報は一部の専門家によって占有されていたものである。 「原テクスト」の生成の現場に立ち会う
∴ I
人も多くなってきた。 (中略)翻訳劇だけがお呼びではないのである」と言う。もう一つの理由として、翻訳 劇を上演してきた新劇自体が抱える間麺がある。この新劇の劇団が、現代の海外の最先端の演劇状況を伝える
ものとしては、 (一見)不向きな演劇空間になっていることがあるだろうO
しかしながら、世界の演劇の先端を日本で表現するのに新劇というスタイル(ジャンル)が万能ではなくな ったからといって、翻訳劇そのものが上演価値を失ったわけではない。実際に、新劇も含めて様々なジャンル の演劇で、翻訳劇は手がけられている。また、ある時期にみられた英米戯曲一辺倒ではなくなり、様々な地域
の演劇にも目が向けられている。例えば2003年の朝日新聞では、 「新劇は翻訳物で勝負 東欧や南米の傑作発 掘」と題し、劇団昂ではブルガリアの『ゴンザ‑ゴ殺し』、青年劇場ではチリの亡命作家の『顔』、演劇集団円
(2)
ではチェコの『マクロプロスー300年の秘密』が上演されたとして、その潮流を紹介している。
筆者自身、 1990年代から今日に至るまで、オーストラリア演劇の翻訳に携わってきた。その間に、いくつか の作品は舞台にかかり、また新劇の劇団に取り上げられた作品もあった。オーストラリアの戯曲は、英語圏の 作品ではあるけれど、前出の記事が指摘するような馴染みの薄い国の戯曲の掘り起こしの中で上演作品として 取り上げられたと考えられる。
本稿では、まず、翻訳劇がかつて担っていた知の牽引者という役割が過去のものとなったという現実をふま えた上で、現代の翻訳劇が担う新しい意義について考える。そのための材料として、 2002年に日本で上演され たオーストラリア戯曲『嘆きの七段階』 『ストールン』 『オナー』を取り上げてみたい。
翻訳劇
演劇の分野における翻訳の問題については、 「翻訳劇」というジャンルとして把捉される場合が多かった。
「翻訳劇」は、日本人の劇作家が書く「創作劇」と対置されるものであった。また、新劇が翻訳劇を扱うこと が多かったために、新劇の歴史と翻訳劇の歴史が不可分の関係にあるかのように扱われた。
「翻訳劇」か「創作劇」かという議論は、創作劇がふるわないという状況がその背景にあっただろう。例えば
(3)
1957年に、中村俊一が「いずれわれわれも近い将来、創作劇を上演することになろうが」と言っており、小劇 場第一世代が登場する前夜とも言えるこの時期に、創作劇が少なかった状況を浮かび上がらせることになって いる。このような状況の中で、翻訳劇に匹敵する戯曲を書く劇作家がいないこと、演出や役者の表現力の乏し
(4)
さを嘆く意見も数多くあった。このように、日本で上演される戯曲を「翻訳劇」か「創作劇」かという二項対 立でとらえる姿勢は、 1980年代になっても見られる。扇田昭彦は、翻訳劇を相当積極的に扱う大手の劇団と、
翻訳劇に目を向けず集団のリーダーが作・演出する作品ばかり上演する小劇場系の劇団にわかれると指摘し
(5)
た。さらに扇田は大手劇団が日本の若い劇作家を育てる努力を欠いていると指摘する。確かにこの点について は、 1950年代の状況とほとんど変わりがない。
翻訳劇は、創作劇がうまれない状況の中で、手本・教科書の役割を担っていた。倉橋健は50年代に日本を訪 れたポール・グリーンらの言を引きながら、 「新劇における翻訳劇の上演が、グリーンやエルンストが指摘す るように、単に外国の戯曲を舞台の上で紹介するという表面的な現象だけにおわっている傾向がないわけでは ない。若い観客層は、原作の戯曲を読むよりはわかりやすい絵解きとして舞台をながめ、演じる側は、変わっ た役割をやったということで自己満足し、見る側も演じる側も、共に原作とはかけはなれたところで陶酔感に
‑
蝣
S
あでのw
ヽ一
、 .
∨
て
つ
たひ 」とし、何か新しいものを手に入れるために観客は劇場に足を運んでいると述べてい
ォo
ところで、翻訳劇にまつわる、創作劇との二項対立のとらえ方や日本演劇の質を向上させる手本・教科書と いった議論は、ある時点からほとんど意識されなくなったとの指摘もある。その時点を70年代とするか80年代 とするかは発言者によって様々だ。そして、 1998年にが大場健治が、 「翻訳劇と創作劇という二つのジャンル
(7)
の境界線がいずれ消えていくことになるかもしれない」と指摘している。硯に筆者はオーストラリア戯曲を翻 訳しているが、創作劇に対する「翻訳劇」というジャンルに携わっているという意識はない。冒頭で紹介した
ような東欧などの戯曲を翻訳する者も、その戯曲を上演する者もそれを見る観客もおそらくは同じではないだ ろうか。 1990年以降の翻訳劇を考える場合には、ジャンルとしての「翻訳劇」という定義から解き放たれて、
日本語に翻訳された海外の戯曲として新たな意義が模索されはじめていると言って良い。
従って、戯曲の翻訳の手法についても、論点が変わってくるだろうと思う。かつては、翻訳が如何に原作の 持ち味を損なうかという点が盛んに議論された。例えば、英語を逐語的に日本語に置き換えた時に生じる間の
8 9
びといったテンポの問題、原作の韻や文章構造の妙味を日本語でどう表現するか、ユーモアやしゃれ、生活習
10
慣や宗教的な感性などの違いをどのように乗り越えるか、原作の方言を日本語のどの方言やどの職業の人の言
、11、
葉に置き換えるかといったスピーチレベルの問題、などなどである。安西徹雄は、 「文学作品の翻訳は、普通 もっぱら黙読という、コミュニケイションのさまざまの形の中でも事に抽象的、概念的な形で受容される」の に対して、戯曲は「俳優の肉体という、動かしがたい一つの現実を通して、言葉の問題が、単にテキストだけ の抽象的な次元を超えて、いわば生理的次元で立ち現れてくるし、また、観客の代表している社会を通じて、
ひろく文化的・社会的なコンテキストも視野に入ってこざるをえない。戯曲の翻訳が、翻訳の可能性や限界を 考える上で、やや特殊かもしれないけれども、問題をもっとも尖鋭にあらわにすると考える所以である」と指
12
摘している。
これらの問題は、文学ではなく戯曲の翻訳である故に大きな課題となっているのだ。
演劇である故に、原作も演出家の手にかかればどのようにも変わりうる。したがって、 「絶対的なオリジナ ルが存在する」というのは幻想で、また翻訳者がいくら忠実に翻訳しても演出や役者の演技によってさらなる 変化が生じる場合もある。忠実な翻訳を無視するわけではないが、原作のテクスト‑演出された舞台‑ (翻訳)
‑日本語のテクスト‑日本語で演出された舞台という過程を経る以上、忠実・誠実をどの時点で押さえるかは、
文学とは異なるのである。
さらに、近年の国際交流が盛んな状況は、戯曲の翻訳にも影響を与えている。日本語へ翻訳した戯曲の上演 を見るために、原作者・演出家・プロデューサー・パフォーマーが来日することも少なからずある。これは、
来日公演のためだけではなく、日本版となった自分たちが手がけた作品を見たり日本の翻訳者・制作者そして 観客とディスカッションするためである。さらに、オーストラリア作品の日本上演には、毎回オーストラリア 人の観客がよく見に来る。このように、オリジナルを現地で見た、オリジナルが上演された土地の観客さえそ の作品を見ることもあるのだ。文学では日本語に翻訳された者を原作者が読むことは難しいかもしれないが、
戯曲は違う。翻訳された日本語台本を読めなくとも、日本版の舞台を観ることは可能だ。このように、日本版 の舞台に触れたオリジナル制作者の意見を聞くことによって作品がさらに発展していくなら、原作のテクスト のみが唯一絶対の動かしがたい、再現すべきオリジナルではないことは自明である。また、新劇や「翻訳劇」
が新たな思想や文学をもたらしインテリを刺激して大衆を啓蒙する役割を持たなくなった今、観客の反応から、
原作者や翻訳者や舞台の制作者(オリジナル版・日本版共に)が何らかのフィードバックを受けられることも 重要だ。
次章からは、筆者が実際に関わった作品について、オリジナルの制作者、日本版の制作者、そして観客にま で視野にいれた聞き取りを通して、新しい翻訳劇の使命や位置づけを考察する。
アボリジニ戯曲『ストールン』 『嘆きの七段階』
2000年に筆者は、オーストラリア先住民アボリジニの戯曲の翻訳をした。アボリジニは既にオーストラリア の社会の中で、先住民としての権利を中心に、国家にとって最も重要で根元的な議論を呼び起こしていた。
1990年代には、先住権を認めるマボ判決、ウイツク判決という画期的な判決が最高裁から出され、一方では刑 務所でのあまりにも高いアボリジニの獄死率に対するロイヤル・コミッションの調査や、後述するストールン ジェネレーションの悲劇に対する調査が行われたりした。かつての同化政策を含む様々なアボリジニに対する 不正義を精算する意味で「和解」という言葉がクローズアップされるなど、まさにアボリジニを取り巻く状況 が激動した時代であった。この社会状況に連動して演劇の世界でもアボリジニよる作品、アボリジニに関連す る作品が、問題提起だけでなく高い芸術性を伴って、オーストラリア演劇界の中心的存在になりつつあった。
オーストラリアの演劇を翻訳し紹介してきた筆者は、是非ともアボリジニの作品をいくつか紹介したいと思っ て翻訳にとりかかった。それが、 『ストールン』 『嘆きの七段階』であった。
筆者がアボリジニの戯曲を手がけたのは、オーストラリア国内の大きなうねりにつき動かされたことが勿論 あるが、加えて日本でも、先住民に対する認識の変化をもたらすいくつかの重要な出来事があったことも関係 している。 1993年、国連が国際先住民族年を制定したことで、日本でもアイヌに対する認識に変化が見られ、
1995年人種差別撤廃条約に日本が批准し、 1997年にアイヌ文化振興法の制定と北海道旧土人保護法の廃止など の出来事があった。日本人がアボリジニ問題を考えることと、日本の先住民問題を考えることは、当然深く結 びつく。先住民問題を扱ったアボリジニ戯曲を日本で紹介する機が熟し始めていたのだ。
翻訳者である筆者が予期しなかったことが上演をめぐっていくつかおきた。まず、演出家で最近先住民演劇 を含めてカナダの戯曲を手がけることが多かった和田喜夫が、 「カナダ先住民演劇をやったので、オーストラ リアはどうなっているのか」という関心から、アボリジニ戯曲の演出に意欲を燃やし、リーディング上演とい う形で『ストールン』 『嘆きの七段階』を上演した。これとは関係なく在日オーストラリア大使館が『ストー ルン』 『嘆きの七段階』のオリジナル版の演出者であるウェスリー・イノックを日本に招聴し、日本で先住民 芸術を紹介するセミナーを企画していた。関連もなく立ち上がった二つの企画は、 2001年の秋に連動したプロ
ジェクトとして展開した。イノックは、日本版の演出の現場にも立ち会い、上演を見、観客と語り合った。
さらに、 2002年には、日本版『ストールン』 『嘆きの七段階』はリーディング上演という形態を残しつつも より本公演に近い形で演出しなおされ上演された。その一月も経たぬうちにメルボルンの代表する劇団プレイ ボックスによる、イノック演出の初演そのままのオリジナル版『ストールン』の来日公演があった。いずれも 東京国際芸術祭のプログラムとして上演され、観客は日豪の競演をほぼ同時に見比べるという奇跡とも言える
ような環境が準備された。
筆者はこの二つの戯曲をめぐって、翻訳、日本での上演、来日公演、セミナーなどの各過程で制作者たちに インタビュー調査をし、観客‑のアンケートを実施した。様々な興味深い点があるが、その中から翻訳をめぐ る問題を、二、三取り上げたい。
一つは、プレイボックスのプロデューサーが「アボリジニを日本人が演じることができないのではないか。
ただ日本人が上演しただけだったら、問題が起きる」と指摘、それを回避するためには、 「アイヌをキャスト に入れるべきだ」などの提案をしたことである。プレイボックスは、オーストラリアの白人劇作家による戯曲 を積極的にアジアを中心に上演してもらいたいという強い方針をもった劇団である。しかしながら、アボリジ ニ戯曲に関してこのプロデューサーがつけた留保は、アボリジニ戯曲の翻訳上演に関わる問題を考える上で、
注目すべき事である。
所謂「翻訳劇」の上演の歴史では、日本人の役者が「西欧人になりきる」ことの不自然さ、滑稽さ、限界が
「翻訳劇」への懐疑の原因でもあった。日本人がアボリジニなりきれるのかという問題がある。特に『ストー ルン』は、肌の色が重要な意味を持つストーリーである。ストールン・ジェネレーションとして知られる、ほ ぼ20世紀を通じて行われたアボリジニに対する同化政策を扱う『ストールン』では、アボリジニと白人の混血 の子供を施設に収容し、より白人に近い子供が好まれて白人の養子になるというエピソードがある。アボリジ ニの子供たちが肌の色の漉きの順番で並ばされるシーンを、日本人キャストの演技だけでは、いくら翻訳を工 夫しても演出を工夫しても、表現することは不可能だ。技術的な点で言えば、かつての「翻訳劇」が抱えてい
た問題点と共通する。
しかし、プレイボックスのプロデューサーの発言の背景には、オーストラリアの社会状況も関係している。
かつて、オーストラリアの演劇界ではアボリジニの俳優がおらず、アボリジニ役を白人が演じた。しかし今日 では、アボリジニの社会進出とともに役者の層も厚く、アボリジニの役者だけで舞台を創り上げることも普通 になった。先住民を二村する意識の劇的な変化から、アボリジニを迫害した白人が舞台上でアボリジニの役を演 じることが季む矛盾や政治的な問題は日本人には想像がつかないほどである。マイノリティの問題を語るとき に、語り手が当事者か否かというのはきわめて重要な問題だ。プレイボックスのプロデューサーの目から見れ ば、日本人キャストはオーストラリアの白人キャストに相当するものであり、その点において不安を表したの だろう。結局日本版『ストールン』では、キャストはすべて日本人だったが、リーディング風の演出を通して、
ある程度前述の技術的問題は観客の想像力で補われた。さらに、上演後のディスカッションに、ノーザンテリ トリーのアボリジニのコミュニティと深い交流をもっているアイヌのパフォーマーを招いて、先住民問題につ いて観客とともに議論する機会を設けた。
このように、アボリジニ戯曲を翻訳する段階では顕在化しないことも、上演という段階に踏み込んだときに、
立ち止まるべき大きな問題となる。さらに、日本版『ストールン』 『嘆きの七段階』を見た、イノック‑の聞 き取り調査からも重要な証言を得た。その一つが、 「文化の所有権」の問題である。イノックは日本語を知ら ないが、日本の舞台を見て感動して泣き、他言語の上演を見て改めてこの戯曲の重さに向き合ったとして、日 本人がアボリジニ戯曲を上演することを意義あるものとして高く評価した。ただ一点だけ、日本人に限らず、
アボリジニ以外の人々がこの作品を上演することに関して、 「文化の所有権」の見地から一つの留保をしたい と言った。その留保とは、白人入植以後、土地を奪われ、言語を奪われ、生活習慣を奪われ、民族が存続の危 機に瀕するまでに奪われ続けた歴史を抱えるアボリジニにとって、自らの文化の所有権を明確にすることは最
(ユ3)
も重要な主張なのである。
かつての「翻訳劇」と言えば、日本人が西洋に文化を学びとるという姿勢しか存在していなかった。しかし、
21世紀に入った今、日本人が戯曲を翻訳し、上演することによって、文化を収奪してしまうかもしれない可能 性を学んでいるのである。これは、日本における翻訳というパラダイムが根底から変わってゆくことを意味し ている。
日本の観客からのリアクションが示唆することも少なくない。 『嘆きの七段階』は、アボリジニの女の一人 芝居である。
本作はモノローグによって、彼女の、特に自分や家族にまつわる個人的な体験や思い出を横軸に、アボリジ ニの過去と現在を縦軸として、脈略なく様々なエピソードが語られていく。彼女は、時には詩を朗読するよう に、時には漫才師のように、また時には出来事の当事者になりきって、語る。語られるものは、例えば、アボ リジニの歴史の七段階、すなわち、ドリーミング、侵略、虐殺、保護、同化、民族自決、リコンシリエーショ ン(「和解」)だ。伝統的なアボリジニ社会における厳密な婚姻の淀と、それを破壊してしまった、ストールン ジェネレーションに代表される同化政策。そして、現実にあった社会的な事件。例えば、現実にいたクイーン ズランドのアボリジニ青年ダニエル・ヨク(先住民舞踊のダンサー)が警官に逮捕された際に死亡したこと。
そして、ブリズベンのマスグレーヴ・パークで、アボリジニの人々によって、ヨクの死を悼む無言の「嘆き」
の行進が行われたこと‑・・・などなど。彼女がしようとしたのは、アボリジニとして、女性として、そして人間 として、 「嘆く」ということで、幾多の悲劇や、そのときの人々の気持ち、家族の喜びや悲しみを浮かび上が らせようとすることだった。だが、 「どんなものにも時は流れている」と彼女は言う。 「嘆く」ための心さえ、
時が経つにつれて徐々に摩耗しつつある。その虚しさを、彼女は観客に切々と訴えるのである。
東京で、 『嘆きの七段階』は『ストールン』と入れ替わりに上演されたのであるが、観客のアンケートでは、
先住民の問題として衝撃を与えるのみで、彼女が先住民というマイノリティである上に、さらに「女」である という点に言及した観客はいなかった。
『嘆きの七段階』において、女が語る人生は、女が体験した唯一の人生ではなく、彼女が見聞きしたアボリジ ニの様々な女性たちの人生がコラージュという形で凝縮されている。翻訳は、そういった重層性を生かせるよ うに注意深く行ったつもりである。演出の和田喜夫も、アボリジニの悲劇の歴史を教科書的に披涯するよりは、
女性の様々な人生をより立体的に見せるために、あえてオリジナルの一人芝居の形式ではなく、二人の女優を 配した。さらに、そのうちの一人に韓国人女優を配することで、文化や歴史が違っても同じように負わされて いる女の人生を表現しようしたようだ。
観客は、先住民の問題に心を揺さぶられ、日本が抱える類似の問題、例えばアイヌ、在日コリアン、同和の 問題などを想起したようである。日本の演劇は、社会に対して閉ざされた態度をとり続けることによってある 時期から政治性と乗離してきたとよく言われる。 1999年にリーディング上演されたオーストラリア戯曲『真珠 を拾うもの』を見た斉藤憐が、 「重々しい社会問題、労働問題を扱ったこのような芝居は、今の日本演劇では ほとんど見ることのできないもの」であり、 「労働者と劇作家が非常に近いところにいある。こうしたものは
14
もちろんかつての日本にもあったけれども、 50年代までで終わっている」と指摘する。
観客の反応を分析してみると、演劇が社会の状況をどこまで反映させているかということに関する、オース トラリアと日本の違いが見えてくる。また、個別のテーマごとに注意深く見ていくと、先住民問題には反応を したけれども、さらに踏み込んで先住民でかつ女性であること、あるいは女性であることには反応がなかった。
日本の観客が共有して持っている関心がどのあたりにあるのかが、アンケートから浮かび上がってきた。
翻訳劇というキーワードで論じる場合、どこまでオリジナルを伝えているかということへの関心の比重があ るが、翻訳や演出という作業以外にも、作品の核心を伝えるためのツールを活かさないと伝わらないメッセ‑
ジもある。例えば、類似の問題を抱えるアイヌのパフォーマーとのディスカッションというオプションや、パ ンフレットへの解説などにも細心の注意を払っていく必要があるだろう。
15
解説が必要な芝居は見る必要がないという翻訳劇への批判がかつてあった。翻訳劇から導き出される普遍的 価値が、戯曲の文学性や高連な哲学であると思われていた時には、逐語訳を怠ったために損失があるかとか、
説明臭いセリフで格調が失われたなど、テキストのレベルでの議論に終始していた。けれども、アボリジニ戯 曲を翻訳上演する場合には、ローカルで特殊な状況を観客も共有してはじめて、先住民とか女性の生き方とい ったグローバルで普遍的な問題が浮かび上がってくる。ローカルで特殊な、歴史的、政治的、文化的な差異に 目を閉ざすことは、劇場を社会に対して閉ざされた空間にするだけだ。そして、これらの情報はテキストのレ ベルの忠実な再現では伝えきれない。翻訳者の仕事が、テキスト以外の面でも求められる作品もあるのだ。
『オナー』
アボリジニ戯曲のように、ローカルで特殊な状況を共有しなければ議論が深まらない作品に対して、家族や 男女間など既に日本人の日常生活と何ら変わらない作品世界を持つオーストラリア戯曲の一つとして次に『オ ナー』を取り上げる。
『オナー』は、 50代後半の、美しく知性的な女性オナーと、その夫であるガス、そして24歳の娘のソフィー、
そしてガスを奪い取る野心的な20代後半のクローデイアの四人の物語である。オナーは、もともと文学者であ ったが結婚を機に第一線から退き、文芸評論家の夫のサポートにまわっている。クローデイアはガスのインタ ビュー記事を担当する編集者で、知的な人々にあこがれている。クローデイアがガスを奪ってしまったことか
ら、オナーがこれまでの人生を見つめ直す葛藤の過程が措かれる。本作は、夫婦・男女・親子・世代の違う女 同士が向き合い葛藤し理解し合おうとする姿を描き出す。定石通りの不倫ものとは異質なフェミニズム的視点 が色濃く表れている点が、男を挟んだ二人の女性の対峠の仕方である。オナーとクローデイアは、実はガスと クローデイアが出会うずっと以前から魂の交流のようなものがある。オナーはクローデイアを一目見て自分の 若い頃に似ていると感じ、クローデイアはずっと昔からオナーの文学の信奉者だった。この関係は、男を取り 合う女同士の争いとは、全くかけ離れたところにある。この魂の交流によって、オナーはクローデイアに目を 見開かされ、クローデイアはオナーに関わりを持つことで成長する。クローデイアと娘のソフィーが向き合う 場面でも、父を取った女とその娘という間柄であるにもかかわらず、お互いに刺激を受け合うことになる。そ
してガスをめぐる関係にさえ影響を与える。このように舞台上で登場人物たちが常に一対一で向き合う設定に よって、お互いの生き様をぶつけ合い人生そのものを揺さぶる様が効果的に描き出されるのだ。
本作は、 1999年にリーディング上演された。このときには作者のジョアンナ・マレースミスも来E]し、ワー クショップやディスカッションにも参加した。さらに2002年には、演劇集団円と文学座がそれぞれこの作品を 上演した。まだ古典化する以前の現代戯曲としては珍しい出来事だった。ちなみに本作は、ニューヨークやク アラルンプール、ロンドンでも上演されている。
筆者は、翻訳にあたってマレースミスに頻繁に質問や意見交換をすることができた.他の国の戯曲を翻訳し ている人たちの事情は知らないが、筆者が関わったオーストラリアの劇作家や演劇人たちは皆積極的に、日本 語への翻訳に協力をしてくれた。この状況も、 「翻訳劇」の歴史からみれば隔世の感があるだろう。原テキス トが侵さざるべき聖典に奉られていた時代は既に過ぎ、原作者と翻訳者が協力しあいながら翻訳を生み出すこ とが可能な時代である。例えば、作中にオナーとガスが、離婚を控えて財産分与の話をしているときに株への 投資が話題になる。その時の銘柄は、原作ではオーストラリアの大手スーパーマーケットであった。マレース
ミス自身が、この企業名では日本には馴染みがなかろうといって「何か日本で株価の好調な企業を選んでくれ」
と提案したために、翻訳時には日本企業名に改めた。このように、原作者自身が翻訳上漬される国の状況を考 慮して原テクストの変更を提案するようなことがありうるのだ。
オーストラリアの劇作家がこのようなスタンスであるのは、オーストラリアと日本の関係にも拠ると思う。
日豪の経済の結びつきや人的交流は、日本人が意識する以上に密接だ。日本語学習者の多さが世界有数である 事から見ても、日本に対する関心は高い。 『オナー』の中で、ガスとオナーが、知性豊かな妻を捨てて若い女 に走る愚かな友人の噂話を、やがて自分の身に同じことが降りかかるのも知らずにしている場面で、 「何で君 は、ロールス・ロイスを売ってダイハツを買うようなことをするんだ?」というセリフがある。 『オナー』日 本上演時の観客のアンケートでは、この「ダイハツ」も翻訳者の下手な工夫かと指摘するものもあったが、実 はこれは原作通りなのである。
このように、オーストラリアと日本が共有するものの多さの点においては、これまでの「翻訳劇」を取り巻 く環境とは全く異なる状況にある。演劇集団円での『オナー』の上演にあたってマレースミスが寄せた文章に、
「教養あるミドルクラスの人々の間に、時間を経た愛の複雑さをドラマとして見たい、そしてその難しいもの の多様な側面をどう解釈するのか見たい、という世界共通の欲求があるように私には思えました」とある。確 かに、マレースミスが言う通り、新劇の観客たちは、 「教養あるミドルクラス」であろう。だからこそ、マレ ースミスのねらい通りリアリティのある設定の中から、観客は自分たちが日常的に抱いている身近な問題を改 めて考えるきっかけを得たことがアンケートから浮かび上がってくる。
しかし、観客のアンケートを見ると、夫を奪われた状況を受け入れて新たな人生を歩む妻、老いたボーイフ レンドを最後に捨てて自立した女性を目指す愛人といった、登場人物が選んだ人生そのものに共感や反発をし たりするものは一つもなかったO これらの登場人物の行動は日本の演劇、映画、テレビドラマでもよく措かれ るもので、さして目新しいものではない。観客が反応したのは、リアリティのあるセリフだった。
その最も象徴的なキーワードが「愛」であった0 日本人同士の人間関係の中では、未婚の男女、夫婦、親子 を問わずその関係の中で抱く感情を「愛」と称して語り合う習慣があまりない。日常生活の中では、その感情
を敢えて抽出して客観的に見つめようとはしない。ところが、作品を見たアンケートでは「愛」という言葉を めぐる感想がきわめて多く見られた。作中での「愛」という訳語の連発で、愛の意味、愛と人生のバランス、
愛の単位である家族を考えるきっかけになったのかもしれない。あるアンケートで、 「「愛」と「家族」との関 係が我々世代には理解できないが、この芝居で何となく理解出来たような気がした」と72歳の男性が感想を述 べている。あまり違和感を感じない設定の中で、しかしその隙間からふと覗く、日本人の日常にはない概念に 接することで、自分たちの問題を客観的に見ることができる。そういう体験こそが、現在の翻訳劇が果たして いる大きな役割の一つかもしれない。
マレースミスは、フェミニスト的視点から戯曲を書いていると評される機会の多い劇作家だけれども、来日 時の本人の証言に拠れば、フェミニストからは『オナー』が批判されているのだという。 『オナー』の主人公 は、文学者として第一線を退き、母として妻として生きてきた。一方、作者のマレースミスも、母として妻と して生きている。劇作家で演出家である桃田のんは、結婚し、子供を身ごもりながら「演劇という表現に携わ
くk)i
る一人の女」であるために「保守性を指摘」されで悩んだ時期があったと述懐する。マレースミスのスタンス、
或いは彼女が措く女たちは、条件が整いずば抜けた強固な意志を持った一握りの女性しか実現し得ない理想を 追求するのでなく、社会に潜む性差の抑圧や矛盾に挑んでは押し戻され、悩み、そしてまた挑んでゆくという、
きわめてリアルな女性を描き出そうとしているために、保守的として批判されているのかもしれない。
かつての『人形の家』のように先鋭的で啓蒙的な新しい女性の生き方ではないけれど、せいいっぱい能動的 であろうとするリアルな女性たちが彼女の作品の中にはいる。
『オナー』を手がけた劇団は偶然にも二つとも新劇を代表する劇団だった。新劇というと現代の演劇の潮流で は何か古くさいもののように思われている。新劇の客層には、日本の演劇では奇跡的に、性別・年齢構成とも に比較的バランスがとれているという特徴がある。女性が社会に潜む性差の抑圧や矛盾に挑もうとしては梼蹟 し、悩み、そして一歩踏み出す作品を、男性も見ることによって、この作品の意味は大きく変わっていくだろ う。古くさいものと思われていた新劇にこそ、 「愛」という言葉を日本語で伝え、女と男の模索を措くこの翻 訳戯曲の可能性を引き出す力があったのかもしれない。
翻訳に携わっていると、不思議な体験をすることがある。 『ストールン』を上演した時のエピソードにもあ るように、全く異なる経緯で日本にアボリジニの戯曲を紹介しようとするいくつかの動きが、不思議にシンク ロしてしまうことがある。 『オナー』を二つの新劇の劇団が同じ年に手がけたのも翻訳者が全く予期しないこ とだった。 「翻訳劇」の是非が、テクストレベルのの翻訳の議論に集中する時期は終わったのかもしれない。
世界が同時に類似の問題を抱え、それを直接観客に訴える劇というメディアを、改めて「翻訳」というアング ルから見つめ直すことが必要だと思う。
注(1)田之倉稔「遠ざかるヨーロッパ演劇」 『悲劇喜劇』 1986年10月 (2) 『朝日新聞』 2003年2月28日
(3)中村俊一「翻訳劇の上演はそれほど難しいか」 『悲劇喜劇』 1957年4月 (4)例えば、内村直也「創作劇と翻訳劇と」 『人間』 1950年3月 など。
(5)扇田昭彦「翻訳劇をめぐる二極化の問題」 『テアトロ』 171号1982年5月 (6)倉橋健「翻訳劇の問題」 『新劇』 60、 1958年
(7)大場健治「国際化の中の翻訳劇」 『テアトロ』 1998年9月
(8)例えば、川上秦「演劇は言語を超越しえない‑翻訳劇の問題」 『悲劇喜劇』 1959年3月 など。
(9)例えば、鳴海四郎「戯曲翻訳の楽しさ」 『悲劇喜劇』 1971年2月、
倉橋健「翻訳劇におけるテキスト・レジ」 『悲劇喜劇』 1971年2月 など。
(10)例えば、麻生直「翻訳劇の違和感」 『劇と評論』 17巻3号1975年 など。
(ll)例えば、茨木憲「戦後の翻訳劇について」 『悲劇喜劇』 1981年11月
「方言による翻訳劇」 『言語生活』 1979年1月
吉田美枝「戯曲の翻訳と地方靴」 『悲劇喜劇』 2002年12月 など。
(12)安西徹雄「翻訳の可能性と限界一戯曲の翻訳上演を中心に」 『英語青年』 1981年12月
(13)翻訳上演というレベルだけではなくさらに議論を深めるなら、原テクストの言語である英語で上演され、英語話 者の観客がそれを鑑賞する場合でも、その読解を戦略的に阻むことでアボリジニとしての抵抗が表現されるアボ
リジニ戯曲さえある。詳しくは 佐和田敬司「アボリジニの言語と演劇」 『囲文学解釈と教材の研究』 2003年3 月 参照。
(14)佐和田敬司「キャサリン・トムソン『真珠を拾うもの』の日本上演について」 『オセアニア研究』 11巻1999年 (15)杉山誠「四ケ月目の翻訳劇」 『悲劇喜劇』 1966年1月
(16) 「ジェンダー、視線、誘惑、そして演技」 『シアターアーツ』 7号1997年1月