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能(高祖)をめぐる諸問題

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(1)

能(高祖)をめぐる諸問題

はじめに

観世弥次郎長俊(一四八八〜三四一︿2)直談の筆録である作者付﹃能本作者註文﹄

(大永四年(一五二四)奥書) には'長俊の父観世小次郎信光の作品として三十一番

(﹃註文﹄には「珊二番」とあるが実際の掲載曲数は一番少ない)が列挙されている。

そのうちの(高祖)は享徳元年(一四五二) 二月に薪猿楽御社上‑の能で観世大夫音

阿弥(二二九八〜一四六七) が演じた(カンノカウソ)(﹃春日拝殿方諸日記﹄) であ

るとされY信光の父である音阿弥が息子の作品を演じたと考えられてきた。

(2

)

しかし'表章氏のご論考によ‑、信光の生年は旧来考えられてきた永享七年(一四

三五)ではな‑、正し‑は文安七年(一四五〇)であることがわかった。これによ‑、

享徳元年当時、数えで十八歳と考えられていたのが'僅か三歳であるということが判

明し、音阿弥所演「カンノカウソ」は信光作ではないということがわかった。

では、これまで信光作品を特定する第一級資料とされてきた﹃能本作者註文﹄の「観

世小次郎作」の項に、何らかの誤りもし‑は偽書である可能性が存在するのであろう

か。信光の生年が旧来の説よ‑十五年遅‑なったことによ‑'彼の経歴や作品の特定は

再考を要すると考えられる。本稿では、現存曲(高祖)について考察することにより、

信光作品及びその作風について再検討する手がかりとしたい。

一現存へ高祖) について

現存へ高祖)(別名「星祭」「星」)は'今は廃曲となっている。京都大学蔵江戸初期筆十番綴本(音匙)により、構成及びあらすじを示す。

‑[名ノリ]漠の高祖の臣下韓信(ワキ)は項羽との決戦の前に高祖の本命星を祭ろ

うと考える。

2[問答] [上ゲ寄]韓信は紀信(ワキッレ)に会い、本命星を祭ることを相談する。3[問答] [上ゲ寄]高祖の本命星(前シテ)が現れ、自分を祭ることで勝利を約束

江     口     文     恵

Lt

 空

に消

える

4 

︻中

人・

間狂

言︼

5[

サシ

] 

イ]

 [

ノリ

地]

合戦

にな

‑、

高祖

(後

ツレ

)の

軍が

項羽

を待

ち受

ける

6[

口]

 [

(名

ノリ

グリ

)]

 [

ロ]

 [

ノリ

地]

 ︻

斬り

組︼

敵将

項羽

(後

ツレ

)の

軍勢

が現

れ、

高祖軍を攻める。

7 

[ノ

リ地

] 

[ノ

リ地

] 

[□

] 

[ノ

リ地

]高

祖は

秘文

を唱

えて

、軍

神を

呼び

出す

8 

[ノ

リ地

] 

︻舞

働︼

 [

ノリ

地]

 [

ノリ

地]

 軍

神(

後シ

テ)

 が

脊属

(立

衆)

を従

えて

れ'項羽軍を撃破し、高祖に勝利をもたらす。

高祖・項羽の最終決戦を素材としてはいるが、史実とはかなり異なる内容であるこ

とは一目瞭然であろう。例えば、史実では追い詰められて自刺した項羽が、この能で

は攻め込み1度は高祖軍を圧倒するが、高祖が呼び寄せた軍神に「軍神雲よ‑、お‑

‑た‑、鉾をふ‑あけ、はらひ給へは'目も‑れ心も'みたれつゝ'つるきをなけす て'たゝかいめ‑るを、軍神鉾にて、さしとをしきりふせ、さしもにたけき、項羽を

したかへ」 (第8段[ノリ地] よ‑) と倒される。また、最後の決戦以前に高祖の身

代わ‑に人質となって項羽に殺された紀信が'能ではこの時点で生きている設定にな

っている。このように史実とずれた筋立てに合致する説話等、典拠となるものを探し

たが、管見に入らなかった。韓信・紀信が同時に出てくる'もしくは接点を持つ資料

についても現時点では見つからない。高祖の臣下のうち、二人がワキ方の登場人物と

しっして選ばれたのは「信」の字が共通するからであろうか。ただし、「項羽叱する時は、臣は︹敵影するいきほひあり」(第6段[□])のように,﹃史記﹄などの漢籍をふ

まえた詞章は見られる。

第7段の 「もとよ‑高祖の'軍兵は、ノ\'心にたのむ、きおひのい‑さ、面もふらす、き‑かゝれはう 項羽の兵'みたれ入、愛をせんと\ たゝかへは、高祖の兵、

切たてられて'半町斗そ、引のきたる。」から'高祖・項羽 (ともに後ツレ) それぞ

れの軍勢(複数の立衆) が登場すること、第8段「光の中に、軍神あらはれ、九曜は

こ、のつの、まなことけんし、けんそ‑を引つれ'はたをさしあけ、高祖の陣の、上

にあまくた‑、吹‑る風も、きほひをとつて、敵にむかひ、おはします。」及び 「軍

(2)

神の脊属、みさきをはらって、かゝり給へは'面もあはせす、‑つれさつて'項羽の

前に'ひれふしたり。」からは後シテ軍神が春属(複数か)を引き連れて現れること

がわかる。後場はかな‑多人数になる。︻斬り組︼等の輝子事については第三章で後

述す

る。

次に、第七段の高祖が本命星に祈念する場面の詞章を挙げる。

[ノリ地](下)かゝ‑ける所に'く'高祖は陣段の'上にあか‑、三尺の親を'

する‑とぬきもち、いんみやうを観念Lt 天にむかひ、大音あけて、秘文をとな

へ'おはします。

[ロ](上)南無日月星宿三十六天 本命星九曜七星北斗天帝尺天

[ノリ地] 九まん八千の'軍神、二千八百の、軍童子'十二神将'四天大王、力

をあはせて、たひたまへ。

ここで、後ツレ高祖は高祖の剣として有名な「三尺の剣」を持ち、立って秘文を唱

える。ここが本命星をまつる星供の場面に該当するのであろう。この秘文を唱えて星

に祈る場面は'信光作でやは‑中国が舞台の作品(皇帝)の後シテ鐘櫨登場の段にも

ある

信光作(皇帝)第9段(鴻山文庫蔵観世元盛章句本による。適宜漢字を補い、も 。

との表記をルビで示した。)

[(名ノリグリ)]入ハシテ「抑是は'武徳年中にそう‑わんせられし、せうき大臣の

せい

れゐ

也。

[□]詞さても此君てうあひしたまふ貴妃のやまふをたいらけんと、つうりきをも

ってきすひをみす、南無天刑星王我剣降鬼とひもんをとなへ駒に乗し、こ‑う

をかけつて、さんたいせ‑

ここで後シテ鍾櫨はやはり剣を持って登場し'「南無天刑星王我剣降鬼」という秘

文を唱え'「天刑星」に祈る。①剣を持ち、②秘文を唱え、③星に祈る。の三点が(高

祖)の祈念の段と共通する。

中国が舞台であることや'多人数であること、星への祈念の場面が(皇帝)と共通

する点など、作風上の特徴からは、現存(高祖)が信光作であることを否定するよう

な要素は今のところみられない。次項では(カンノカウソ)が演じられた状況や時代

について考えてみたい。

二 春日若宮御社上りの能の演能曲目の中での位置づけ

ここで、冒頭で指摘した(カンノカウソ)の演能記録を引用する。

﹃春日拝殿方諸日記﹄ (日本庶民文化史料集成第二巻による.一部句読点の位置を

私に

改め

た。

)享

徳元

年(

一四

五二

) 

二月

1、二月十日ヨリタキ、ノサルカクアリ'

十日エンマシコンハル大夫マイル、一コンノ代下行事、

料足一貫五百文送、大魚一喉、慈仙二箱'

酒二

桶二

斗'

味噌

・塩

以下

下行

之、

一'ノウノ次第、ワキハ、タカサコ、次ウチノウキフネ、次シントモナカ、次せ ウキ大シン、次ニシキ、、次タンコモノクル、

二十二日'コンカウ大夫、一コン送事'

科足一貫文、酒二桶一斗五升、大魚一喉'

慈仙

二箱

'味

噌・

塩下

行之

一㌧ ノウノ次第、シテ'ワキニハウシヤウカロ、次サタタウ、次タカヤスノ女、

次スルスミイケスキ、次ナカラノハシ、次ワウシウウチキヨ'

十三日クワンせ大夫マイル、一コン送申事'

料足一貫文'酒二桶二斗、大魚一喉、

慈仙

二箱

、味

噌、

塩以

下下

行之

、 一

㌧   ノ ウ ノ コ ト

、 ワ キ こ イ せ ノ 御 タ イ ウ ' 次 ミ チ モ リ

、 次 カ ン ノ カ ウ ソ

、 次

ツカせムラサメ、次ニナキフーウ'次ホ (ト脱力) ケノハラ、

トヒノサワマイラス、

三日間にわた‑、金春・金剛・観世の≡座がそれぞれ六番ずつ'計十八番が演じら

れている。さきほどlで(高祖)は多人数の能であるということを指摘したが、ここ

ではこの十八曲の各登場人物について確認したい。

(3)

︽表︾﹃春日拝殿方諸日記﹄享徳元年二月薪猿楽御社上りの能演能曲の登場人物

︻凡

例︼

二 シテ、ツレ'ワキ'ワキッレ‑アイの順に登場人物を列記する。一㌧前場の役が後場の化身である'もし‑は前場・後場通じて登場する役名は前場の役名の真下に後場の役名を記す。例えば入朝長)の場合'前シテ・後シテともに同じ役者が演じ

るが、別人体であるので、別行に表記する。一、アイが前場もし‑は後場に登場する場合は該当欄に、シテの中人後の間狂言のみに登場する場合は 「間狂言」 の欄に記す。なお'間狂言はこの時代に行われていたかどうかにつ

いてはここでは考慮に入れていない。一、謡本・狂言台本ともに流派の違い等によ‑、登場人物の名称に異同が見られる場合も'

一例のみを挙げている。

︻第

一日

 金

春︼

丹 棉 鍾 進 舟 字 高 曲

後 木 堰 朝 治 ■ 砂

狂 大

臣 長 の

浮 ・ ,

子 シ ワ ワ 前 前 ワ■前 ワ ト前 前 ワ 前 ワ 前 前

方 テ キ キ ツ シ キ シ キ モ ツ シ キ シ キ ツ シ

花 岩 ツ( レ テ ( チ ( ( レ テ /{ \テ /へ レ テ

松 井 レ前 女 男 前 里 前 前 侍 青 前 里 前 木 木

の ●の ●守 守

慕 前 後 化 化 級 ( 後 従 の 後 女 後 姥 の

●) 身 身 ) 脅

三Ⅱ乙 ) 者 長 ) ( 老

後 旅 ) ) 旅 ) 旅 者 旅 化 神 化 人

n 人 の の 敬 (

従 僧

僧 僧 僧 ) ) 化

*

ア ワ 子 シ ワ ワ 後 後 ワ 後 ワ 後 ワ 後 ワ 後

イ キ 方 テ キ キ ツ シ キ シ キ シ キ シ キ シ

岩 岩 花 岩 ツ ( レ テ ( チ ( ■フ■ ( チ ( 7 ■

井 井 松 井 レ前 女 男 前 鍾 前 朝 前 浮 前 任

の の ( の ii <n ●櫨 長 ●舟 ● =ヒ

下 下 僧 某 前 後 亡 亡 後 後 ( (x ^ 後 の口

. ) l重 曹 ) l寿 上、

$ ) 後 旅並 』三 旅 'l> 旅 /へ 神 の

狂 ) の 人 の の 霊 職 神

従 僧

僧 僧 僧 )

ア ア ア ア ア ア

イ イ イ イ イ イ 間

所 所 終 長 所 捕

の の 南 者 の の 狂

L1

男 男 山

麓 の 者

の 従 者

男 男

︻第

二日

 金

剛︼

恒 清

長 夜 空

高 貞 放 曲

柄 安 任 坐

檎の の

女 川 名

ア 女 ワ前 ワ 前 前 ア 前 シ ワ 前 ワ 前 ワ ワ前 前

場 イ 盲 キ シ キ ツ シ イ ツ テ キ シ キ シ キ キ ツ シ

従 子 ( チ ( レ テ ( レ( ( チ ( チ ツ( レ テ

者 前 前 男 前 娘 老 前 源 前 前 里 前 男 レ 前 男 老

◆の <C」J‑

蝣T)

後 化 級 頼 朝 後 後 女 後 化 前 後 (

) 身 都

朝 ) ) 身 ) 化

丹 ) の 佐 旅 化 華 ) 後 神 身

披 の 従 々 の 身 林 ) 敬 )

の 僧 者 ■ 木 僧 ) 院 随

僧 高 の 行

綱 僧 者

7 fi ?re ワ 役 後 ア ワ シ ワ 後 ワ 後 ワ ヮ 後 級

キ シ キ ツ シ イ キ テ キ シ キ シ キ キ シ

′\テ ( レ テ r ( チ ツ( チ

前 小 前 娘 父 後 後 前 前 高 前 貞 レ 前 武

●林 ●の 親

梶 程 後

●安 ●任 ( ● 内

後 上 後 霊 ( 後 の 後 ( 前 後 の

) 野 ) 宙丘に 原 原 ) ) 女 ) l垂

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丹 介 都 ) の 源 佐 旅 ( 華 ) 後 神

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の 霊 僧 者 木 僧 ) 院 随

僧 ) 高 iT > 行

綱 僧 者

ア ア ア ア

イ イ イ イ 間

所 所 所 所

の の の の 衣

[コ

男 男 男 男

(4)

︻第

三日

 観

世︼

価 鳴 ※栓 言 漠 逮 弼

曲 名

原 不

動 2 風

村 雨

置 望 ) 「可視

ワ ワ 前 ワ 前 ア ワ ッ シ ワ ワ 前 ワ ワ 前 前 ワ ワ 前

キ キ シ キ シ イ キ レ テ キ キ シ キ キ ツ シ キ キ シ

ツ( チ ( チ 所 ( ( /へ ツ ( チ ツ ( レ テ ツ ( チ

レ 前 里 前 里 の 前 前 前 レ前 本 レ 前 姥 浦 レ前 老

( ●の ■人 男 ◆ ◆ ( ) 令 ( o /&ー

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前 後 女 後 ( 後 役 後 前 韓 星 前 後 化 老 前 後 (

‑ /=‑

後 都 化 山 身 旅 村 松 紀 LJ ‑蝣化 後 僧 ) ( 後 臣 身

蝣‑ lo 牙 伏 ) の 雨 風 信 身 化 ) 下 、J

従 僧 ) 僧

僧 ( ( 費 費正 三Ⅲ乙

従 身

僧 ) 従

ワ ヮ 後 n ft ワ ッ シ 立 立 立 後 後 後 ワ ワ 後 後 n n IX 級

場 キ キ シ キ シ キ レ テ 衆 衆 衆 ツ ツ シ キ キ ツ シ キ キ シ

ツ ( チ ( チ 後 高 レ レ テ ツ ( レ テ ツ ( チ

レ 前 価 前 給 削 別 別 後 夜 後

ツ 羽 祖 項 高 軍 レ 前 小 平 レ前 輿

( ●御 ■掲 レ の の 羽 祖 神 /へ ●宰 通 ( ●玉

前 後 前 後 羅 春 軍 軍 前 後 相 盛 前 後 の

\‑■/二里と■

後 都 霊 山 子 旅 村 松 /\/\/\ 後 僧 霊 霊 後 臣

) の ) 伏 の 雨 風 = = ) 下

従 僧 僧

僧 ( ( 'fS*els*

三【正‥三m乙

数 数 数

\/ \/ \〉/

僧 従

ア ア ア ア ア

イ イ イ イ イ 間

所 所 臣 描 所

の の 下 の の 衣

男 男 ※

1

男 男

∵1」※‑(高祖)の間狂言は﹃狂言集成﹄によるが'後世に改作された詞章に対応するものである。※2(松風村雨)は厳密には中人のない一場物であるが'前半(第5段まで)・後半(第6

段以降) に大別できるので'右のように示した。

(5)

以上'仝十八曲の登場人物を見ると、(高祖)の特に後場における登場人物のの多

さは'他の十七曲と比較しても明らかである。後場については'ワキ・ワキッレに待

謡を謡うなどの、謡やセリフを発する箇所がない点、詞章に韓信・紀信の名が見えな

い点から、後場には登場しない (前場のみで退場する) 可能性がある。高祖が出陣し

ているのに韓信・紀信が姿を見せないのはおかしいということであれば、登場させた

かも知れないが、立衆が加われば舞台に並びきれないほどの人数となるので、両名の

登場を省略することは当然あり得よう。両軍勢や脊属が複数登場するとしたら、かな

‑の人数が必要であろう。

第二日の金剛の演能曲目は今は廃曲となっている曲がほとんどであるが、それほど

人数を要する曲はない。(カンノカウソ)が演じられた第三日の観世座演能曲目は、(高

祖)以外の五曲へ御裳裾)へ通盛)へ松風村雨)八嶋不動)(悌原)はすべて夢幻能であ

‑、1場物の(松風)以外は複式夢幻能である.これらの曲はアイを含めても三〜五

人の人数しか要さない。享徳元年当時は金春禅竹(一四〇五11四七〇‑) が音阿弥

とならんで第一線で活躍している時代であ‑'禅竹が多‑作った、舞台上にいるのは

シテとワキだけの最低限の人数しか要さないtかつ幽玄性の強い複式夢幻能が観客に

も人気があったのではないだろうか。派手な作‑物や多人数の能が受け入れられた信

光や子息長俊の活躍した室町後期とは少し隔た‑がある。(高祖)は斬組霊験能とい

う作風でもこの曲目の中で浮いた存在だが'それよ‑もこの(高祖)一曲のためだけ

に春日若宮に何人もの役者を連れてい‑とは少し考えに‑い。金春・金剛の二座の演

能に要する人数から考えても、この場合必要最低限能人数を連れて行き、それで演能

可能なものを演じたのではないだろうか。「カンノカウソ」 に現存(高祖)をそのま

ま当てはめるのはいささか無理が生じる。一で考察した作風についてもあわせて考え

ると、現存(高祖)は「カンノカウソ」とは別曲で、﹃能本作者註文﹄にある信光作

(高祖)ではないだろうか。

三 改作の可能性 ‑入力ンノカウソ)から(高祖) へ1

現存(高祖)が作風等から信光作ではないかと類推しても、享億元年に入力ンノカ

ウソ)(漠の高祖) が演じられたという記録は変えようがない。硯に(高祖)冒頭で

もワキ韓信が「かやうに候者は圃勿同視につかへ申韓信と申者にて候」 (第1段[名

ノリ])と名のる場面で、「漠の高祖」という語が出て‑る。ここでは(カンノカウソ)

と現存へ高祖)の関係について考えてみたい。

音阿弥所演(カンノカウソ)は観世座が同時に演じた他の五曲と同じ‑、複式夢幻

能であったのではなかっただろうか。もとは本命星に祈念すると軍神が現れ、勝利を 約束して去ってい‑ような筋立ての神能(カンノカウソ)に、後年信光が後場に新たに斬組を加えて'斬組霊験能に仕立てたのが、﹃能本作者註文﹄所収(高祖)であ‑〜現存へ高祖)なのではないだろうか。二でも触れたが、現存(高祖)にはワキ・ワキツレが出ているという痕跡が詞章からは見られない。後場には前場に登場しない登場人物が次から次に登場する。前・後をつなぐのが、軍神およびその化身の本命星のシテだけとなると、前・後には断絶が生じることになる。これは前場はそのままで、後場のみを改作したために生じたものではないだろうか。もとが複式霊験能であったとすれば'春日若宮で演じられた能では前場に登場するワキ・ワキッレ・シテのほか、後ツレ高祖ぐらいの登場人物しか要さない。他の五曲の人数と変わらなくなる。また'後場である第5‑8段の詞章は大ノリの謡[ノリ地] が大半を占めている。これらの[ノリ地] の詞章は'一で挙げた詞章のほか'「かつ事を'空にしらする'星の名の、

/\、破軍星を'まも‑つ\ 馬をはやめて、大将は、鳥江の野達の、間にあか‑、

よせ‑る勢をそ'待かけたる。」 (第5段)'「たゝかひ其数'つも‑きて、ノ\'七十

余度に、はやなりぬ、けふそ勝負を'決せんと、兵をさきにたて、高祖の勢に'おめ

きてさきをそ、かけた‑ける。」 (第6段) など'いずれも戦闘場面を写実的に表現し

た詞章である。[ノリ地] については信光時代以前から戦闘を表現するのによ‑使わ

れる詞章であるので(高祖)の後場にが多用されることは不思議なことではないが'

信光や長俊の作る詞章は斬組能に限らず神能などでも後場の詞章は [ノリ地] を中心

に構成しているものが多いことにも留意しておきたい。また第6段の前掲詞章「たた

かひ其数、〜かけた‑ける。」 のあと'両軍の戦闘場面として'磯子事︻斬り組︼が

入ると考えられる。この ︻斬り組︼ で項羽軍優勢にな‑、高祖が軍神を呼び出すこと

になる。さらに後シテ軍神登場後の第8段では、後シテの舞事・働事があると考えら

れる。[ノリ地] 「ふしきや白雲、一むらおほひ'ノ\'雷電いなつま'こ‑うにみち

く'光の中に'軍神あらはれ、九曜はこゝのつの、まなことけんし、けんそ‑を引

つれ'はたをさしあけ'高祖の陣の'上にあま‑た‑、吹‑る風も、きほひをとつて'

敵にむかひ、おはします。」 の後に︻舞働︼があるとした。後シテの舞事・働事につ

いては'︻舞働︼かどうかはわからないが、原形にも何らかの舞事・働事が存在した

と考えてもよいだろう。現存へ高祖)は信光が後場に新たに︻斬り組︼および [ノリ

地] で表現する戦闘場面を付け足したことで'結果後場にのみ登場する人物が増え、

後場が多人数の能になったのであろう。

これは元の形を留める本文等が現存するわけでもな‑、証拠のない想定でしかな

い。しかし、他の作品と比較しても、かな‑の役者を必要とする斬‑組霊験能より'

必要最低限の人数で事足‑る複式夢幻能のほうが、春日若宮に出向いて演じる能とし

ては適切であると思われる。

(6)

斬‑組霊験能の成立時期については不明である。比較的古い成立と期待を持たれて

.いる'(放下僧)の別の終曲部「昔のきり」 の成立時期が不明なこともあ‑'特定す

ることができないが、実はそれほど古いものではなさそうである。他の作品に関して<aは、例えば信光と同時代の金春禅鳳が(黒川)を作‑、(人形)にも関与してお‑、

信光子息の長俊は(岡崎)を作るほか'斬‑組能とは少し趣が違うが'戦闘に竜神が

加勢して勝利をもたらす中国物(河水)や'花の精霊同士の戟闘を措いた異類打合物

(花軍)など、斬‑組霊験能の変形とも言える曲も作っている。斬組能及び戦闘場面

を有する能に神霊を登場させることが流行するのは、室町後期以降のことであろう。

現存(高祖)もそうした時代の流れの中で成立したものではないだろうか。

おわりに ‑信光の能作者としての出発点‑

以上、(高祖)について考察を加え'現存曲(高祖)が音阿弥所演の既存曲(カン

ノカウソ)を基にした信光による改作作品ではないかということを論じてきたが、最

後に観世小次郎信光の能作活動について触れておきたい。今まで信光若年期の作品と

'

*

;

考えられてきた享徳元年音阿弥所演(カンノカウソ)が信光作でないことは表氏の論

からもすでに明らかになっているわけだがt では'信光の能作者としての出発点は、

いつごろ、どこにあるのだろうか。

﹃蔭涼軒日録﹄ (増補続史料大成による)寛正六年(一四六五)九月二十五日11十

七日条に以下のような演能記録がある。

廿五日東大寺寺務西堂。延二請諸老及愚老井侍者等一而煎鮎小飲。清茶談笑。

逮レ

帰即

参二

諸子

1来

院御

所l

。偽

四座

猿楽

。今

春金

剛観

世賓

掌。

依1

11

観世

有二

顧1

。第

1番

被レ

抽レ

之。

其僚

≡座

。以

レ圃

走二

次第

10

金剛

o賓

掌。

今春

.偽

如レ

此也

。各

出レ

奇。

尤為

二壮

観1

也。

各勤

二三

番1

.偽

十二

番以

後。

観世

勤t

二番

1也

今春o音阿弥。維レ為二老者一。各勤二1番1也。四座四翁列舞o希代奇観也。申

楽首尾十三番也D

廿六

日 

(略

)

甘七日(中略)前廿五日。四座申楽次第。1番観世習刺。二番金剛二見

ノウラ。三番賓掌浦島。四番竹田大夫小原野花見〇五番観世十郎鶴次郎。六番金

剛クマンキリ。七番賓掌打入ソカ。八番今春梶原二度ノカケ。九番観世音阿サネ

モリ。十番金剛ナカラノ橋。十一番 賓掌 星ノ官。十二番 今春誓願寺。十三

番昔

阿ウ

カイ

 以

上。

(以

下略

)

この一乗院将軍宿所で行われた四座立合の能で'一曲目に観世座が演能した曲が、

「出雲トツカ」である。この曲は﹃能本作者註文﹄で信光作品に挙げられている八大 舵)のこととされている。(大蛇)は有名な素蓋鳴尊の八岐大蛇退治伝説を題材としており'出雲の国が舞台でt かつワキが持つ剣として「十接の剣」が登場するので'「出雲トツカ」で間違いはないと思われる。また'九曲目の(実盛)・十三曲目の(鵜飼)のように'父音阿弥が演じたという注記こそないが、観世座で演じたという記事も'﹃能本作者註文﹄ の作者信光説と呼応しょう。

この(出雲ーツカ)が演じられた寛正六年当時、信光は十六歳という若さである。

(大蛇)は前シテ手摩乳 (神話では妻の名であるが、能では夫婦の名が逆になってお

‑'夫の名である)と後シテ八岐大蛇が別人体であ‑、かつワキ素量鳴尊が主人公の

ごと‑活躍する'シテ中心主義からは逸脱した複雑な劇構造を持つが、﹃日本書紀﹄

巻第一神代上所収の、八岐大蛇退治伝説をそのまま能に仕立てるという、作能法とし

ては極めて単純な方法をとっている。ただ、﹃日本書紀﹄の語句に近似する詞章であ

るとはいえ、﹃日本書紀﹄が直接典拠であるとは考えに‑‑、何か二次的資料をテキ

ストとして、作った作品であろう。一人で作能するにはまだ若すぎるので、父の音阿

弥の手助けを借‑ながら作‑上げたのではなかろうか。

また、信光作(玉井)ち(大蛇)と同じ‑﹃日本書紀﹄巻第二神代下の海事・山幸

伝説を題材としている。この(玉井)も当該説話をそのまま能に仕立てた能である。

(玉井)は(大蛇)と同時期に同じ‑﹃日本書紀﹄を原拠とするテキストを与えられ、

それに基づき作能したのではなかろうか。そうなると'(玉井)ち(大蛇)と同様信

光若年期の作品ということになる。

また'(大蛇)では後シテの八岐大蛇は龍神の体で登場する。原拠を同じくする(玉

井)にも後シテに龍神が登場する。﹃能本作者註文﹄ で信光作として挙げられている

三十一曲のうち、二十四曲が現存しているが'そのうち三分の一の八曲が龍が何らか

の形

で登

場す

る曲

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る 

((

大蛇

)(

玉井

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ほか

は'

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光作

品に

龍の

能が

多い

こと

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いて

は、

金春

禅鳳

が﹃禅鳳雑談﹄ で「よごLやうぐん・ちゃう‑やう、あま‑に鬼・龍をこなしすごし

候て

、し

まず

候な

‑。

」 

(﹃

金春

古伝

書集

成﹄

 に

よる

) 

と批

判す

るほ

どで

あっ

た。

能作

者観世小次郎信光の出発点は、彼の作品の中で最も数が多‑'代表的作風と言っても

よい 「龍の能」であったのではないだろうか。改作(高祖)を手がけるのは'信光が

もう少し年齢を重ねてからのことであったのかもしれない。斬‑組能と霊験能を組み

合わせた「斬組霊験能」に信光が手を染めるのはよ‑派手な作風が好まれるようにな

る応仁の乱以降のことではないだろうか。

注(

‑)

表章

「︽

観世

流史

︾参

究(

その

十四

) 

室町

期の

観世

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「脇

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 (

下)

‑ 

(7)

長俊

・観 世元 頼・ 観世 四郎 左衛 門」  (

﹃観 世﹄  二

〇〇

〇年 二月 号' 槍書 店)  に よ‑

、没 年とされている一五四一年に「‑」を付した。

(2

)表

章「

︽観

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一九

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・八

月号

'櫓

書店

)

(3)内題なし。表紙にも曲名はな‑'かわ‑に第一丁表に仝曲名を列記してあ‑'「高祖」とある。なお'この本は無章句本である。論文で詞章を引用するにあた‑'本文を校訂Lt節付は他本を参照して、小段をつけ'定律の部分に句点・読点を施した。同系

統の法政大学能楽研究所蔵紺表紙上掛番外謡本を中心に役名等注記を()で括‑補った。漢字をあてた箇所には元の表記をルビによって示した。底本の誤脱を訂正した場

合は︹︺ で括‑、訂正の理由及び過程はその都度注を付して示すことにする。(4)底本「へきゑ」。法政大学能楽研究所蔵観世流五百番本等他本にある「樺易」という表記'および﹃史記﹄項羽本紀「赤泉侯為二騎将一、迫二項羽一、項主眼レ冒而叱レ之'

赤泉侯人馬倶驚'蹄易観租.」よ‑「き」 の脱と判断し、訂正した。(5) 田中允﹃未刊謡曲集﹄二十三 (古典文庫)解題では、今回底本にした(高祖)にも対応する狂言台本であるとしているが'以下に﹃狂言集成﹄所収(高祖星)の全文を

挙げ

る。

高祖星  ア星人

早鼓にて出る。「斯様に候者は。楚国の帝高祖に仕へ申す者にて候。唯今この所へ罷出る事飴の儀にあらず。高祖項羽の合戦数度に及び候。然るに高祖の方よ‑は。

粛何韓信契噌張良とて。勝れたる臣あ‑。殊に数は十商館騎と申せども。項羽の勢強く。是に龍虎の争の如‑。未だ勝負決せず。七十徐度に及び候間。此の度は

何卒勝利を得んと思召し。乃ち天へ御祈誓候へば。恭‑も帝釈天納受ましまし。乃ち御守星本命星現れ出で給ひ。此の度の御合戦には。九曜の星現れ出で給ひ。御力を漆へられ。勝利取らせんとの御幸な‑。斎何韓信契暗張良は申すに及ばず。

我等如き者までも。悦び勇み未明よ‑。烏江の原へ打立ち候へとの御幸な‑。皆々その分心得候へ。く。とあ‑、高祖の臣下が戦闘の予告をする内容になっている。傍線部「粛何韓信契暗張

良」と高祖の主要な臣下を列挙する箇所をみると、ワキッレ紀信の名が見えない。改作本文は二種類あ‑、

①ワキッレ紀信が削除された本文(前場はワキ韓信と前シテ本命星のみ)②韓信・紀信ともに削除された本文(高祖がワキとして前場から登場する)と、どちらも紀信が登場しない本文である。これらの本文に対応した間狂言といえよ

う。改作本文や間狂言の作者は、紀信が最終決戦以前に処刑されている史実をふまえて作っているのかもしれない。本論文引用本文(高祖)には別の間狂言があったので

はないだろうか。(6)岩国徴古館蔵草屋謡本へ放下僧)に末尾に記されている異文。西野春雄﹃謡曲改作

史の

l断

面﹄

(﹃

能楽

研究

﹄第

6号

、法

政大

学能

楽研

究所

、l

九八

1年

三月

'法

政大

能楽研究所) に詳し‑紹介されている。現存(放下僧)の終曲部と「昔のき‑」 の詞章を比較してはみたが、一致する文句が少ないこともあ‑'両者の先後関係について

はわからない。但し、結びの段が中音で始まる平ノリの謡[キリ] (古作の能に多いが'時代が下る作品にはあま‑見られな‑なる) である現存(放下僧)に対し'「昔

のき‑」は [ノリ地] で曲を終える。その点では「昔のき‑」にあま‑古さを感じない。現段階では「昔のき‑」 の成立時期を特定する根拠等は見つからないが、草屋本成立の慶長年間頃に「昔の」と記したもののすべてが、必ずしも古形であったとは限

らないのではないかという疑問を呈しておきたい。(7) 石井倫子﹃風流能の時代‑金春禅鳳とその周辺1﹄ (一九九八年九月'東京大学出版会)

(8

)横

道寓

里雄

・西

野春

雄・

羽田

剥﹃

岩波

講座

能・

狂言

 Ⅲ

能の

作者

と作

品﹄

 (

l九

八七

年一

月、

岩波

書店

)'

﹃未

刊謡

曲集

﹄二

十三

・続

十二

(古

典文

庫)

各解

題、

前掲

注(

6)

石井氏著書など。前掲の注(2) 表氏論文以前は'(漠の高祖)を信光若年期の作品であることを前提に作品研究を行うのが常であった。(9)信光は三条西実隆(1四五五〜1五三七))との交流が知られているが、寛正六年(一

四六五) 当時、実隆はまだ十一歳である。い‑ら才人であっても当該資料を提供するには若すぎる。他の教養人と信光との接点を考えるべきであろう0

本稿は、演劇研究センター特別研究生研究発表会(二〇〇三年七月) における口頭

発表にもとづいて作成している。発表の席上及び準備段階において、竹本幹夫先生を

はじめ多くの方にご教示を賜‑ました。厚‑御礼申し上げます。

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