第 二 の
覚醒
‑
ア ポ ‑ ジ ナ ル 口 頭 伝 承 の 十 七 世 紀 ‑
一はじめに
オーストラ‑ア大陸の懐に入らずに原住民アポリジナ
ル諸部族が伝えてきた口裏文芸を理解しょうとするのは'
至難のわざである。宇宙の造物主はオーストラリア大陸
に'自然のすべてを集めた。海'珊瑚礁'細い地峡でへ
だてられている幾つもの湖'沼地'無数の中島のあいだ
をうねり流れる大河'雪山'大山脈'砂漠'肥沃な緑地'
熱帯雨林'世界最大の一枚岩。自然界の巡礼は'オース
トラリアで間に合う。そのうえ'オースーラ‑アの自然
界に存在する1つ1つのもの'砂漠にころがっている石
の一つ一つ'ユーカ‑のそう林にひときわ目立つ巨木'
水の湧き出るウォーターホール'水の枯れたウォーター
ホールの跡'川の湾曲部のアシの茂み'何万というスイ
レソの花が浮かぶ大池'そのどれにも'口承文芸は言及
している。
一九九一年五月'サウス・オースーラリア州のナラソ 竹内佑利
子
ジェ‑部族の人々から'部族に伝わる創造先祖の話を聞
かせてもらった。伝東のにない手たちにとって'「ド‑
1ムタイム(夢の時代)」といわれる創世神話時代の教
えは'現代オースーラ‑アに生きる今も有効であること
を知った.小文では'謙虚に見積っても何千年間の歳月Fを'口頭伝承の形で生き延びてきたアポ‑ジナルの夢の
46
世界について考えたい。
一
二大地の子どもたち
M・クラーク(1九一五I九こは'原住民をそっけ
なく扱っている歴史書の中で次のように書いている。
「オーストラ‑アには'もともと二つの文化が存在し
て今日に至るー一つはアポ‑ジナル文化であり'もう
一つはヨーロッ.ハのそれである。・・・アジアおよび近
隣諸島がバーバ‑ズムから文明へ次第に進歩をとげてい
た間も'(オーストラ‑ア大陸およびタスマ:ア島の)
アポ‑ジニーズは'原始的な石器文化にとどまっていた。
専耕に適した植物と'家畜化できる動物がいなかったこ
とが変化が起きなかったおもな理由だろう。だが'彼等
の宇宙観もこれに関わっていただろう」(一九六三)0
これだけである。「彼等の宇宙観」の何たるかについ
ては述べられていない。オース‑ラ‑ア社会における多
元文化の1番古い柱のはずであるが。クラークと対照的
な史観をもつのは'オーストラ‑アと同じ‑大英帝国の
植民地だったニュージーラソドの歴史を執筆した
K
・シソクレア(一九二二‑)である。彼はニュージーランド
先住民マオ‑の創世神話から説き起こす(一九五九)0
彼の歴史書の邦訳版(初版一九八二)は'前半は「おと
ぎ話嵐で歴史書にふさわしくない」と不評であったが'
複数文化共存の受け入れに及び腰の我が社会では当然の
反応だろう。ただし'クラークのためにいえば'大陸占
有に関する了解は'アポ‑ジニーズとヨーロッパ系の人
々を。ハラレルな関係においている。時間の流れをさてお
けば'クラークなりにデモクラティックな史節といえる
かもしれない。シソクレアのほうは'先住者=被征服民
族に対するヨーロッ。ハ人‑征服民族の図式を用いており'
やや思い込みがある。
ミシェル・パノフの論文「オセアニアの神話」は'オ
ーストラ‑ア原住民についての一般的な了解を出ていな
い。「(推定人口三
〇
万は)驚くほど少ない・・・苛酷 な自然や'これらの人間集団の極度に初歩的な生活様式を結びつけて考えられるべきである。鳥耕も製陶術も知
らず、ディソゴ犬以外に家畜ももたず'彼らは狩猟と採
集の放浪生活を送っていたのである。だが'甚だしい窮
乏という共通性があるからといって'オーストラ‑ア諸
社会を完全に同質的なものと思ってほならない」(一九
六三)
クラークやパノフへの疑問は幾つかある。「農耕に適
した栖物と'家畜化できる動物」が大陸に存在しなかっ
たゆえに'アポリジナルは「石器文化にとどまっていた」
のだろうか。オース‑ラ‑ア諸社会に共通していたのは
「甚だしい窮乏」だけだったのか。クラークのあるいは
パノフの論評の基本'つまり'西欧の歴史と発展のバク
ソが人類の豊かさと幸福に至る唯1の型であると評価す
る発想は'どうやら絶対的なものでもないらしいと'私
たちは気がつきはじめているのではなかったか。さらに'
オース‑ラ‑ア原住民の世界を見渡すとき'大地の広さ
は'地形の複雑さは'人口は'動植物の種類は'地下の
大水脈は'往来を妨げる地理は'考慮されただろうか。
「彼等の宇宙観」は'詳細に言及する価値のないものな
のだろうか。原住民の窮乏は'大陸全土に共通だったの
だろうか?果して'窮乏があったのだろうか?石器文化
にとどまっていたのはたしかだが'農耕および家畜化が
4 7
必要だったか'それらが発達したと仮定して'アポ‑ジ
ナルの暮しはどう豊かになったのだろうか。
大英帝国植民地オーストラ‑アは二百年前に建設され
た。それ以来白人政府は一九六七年まで'原住民を「オ
ーストラリア大陸の生きもの」あるいは「ネアンデルタ
ール人」扱いしてきた。原住民が石器文化にとどまり鉄
器文化へ進歩しなかったのは'原住民の知能程度と関わ
りがあるといいたい気持ちもほの見える。四半世紀前ま
で'「アポリジ:‑ズには'小学校までの教育は可能'
それ以上はとても無理」と公言する人は少数派ではなか
った(ロビンスソ'1九六六)oLかLt1九七
〇
年代から活発になったアポ‑ジナル自身による文化復興運動
の進め方が'知能に関するいいがかりに対して根拠なし
と答えている。この文化復興運動を支える奥深い発想に
ついてはtのちほど述べる。
アポ‑ジニーズの人口は'ヨーロッ.ハ人渡来以前は大
陸でおよそ三
〇
万㌧タスマニア島で三千人といわれている。このあたりは推定にすぎない情報をもとにしている
のだが'三
〇
万人のアポ‑ジ:‑ズは'およそ六百の部族に分れ'おのおのの部族が異った言語(方言を含む)を使っていたといわれる。一つの部族に属する人数は'
五百人から五千人までと幅があったらしい。部族はさら
に小さい集団にわかれ'境の線をへだててそれぞれのテ リトリーに隣りあって住んでいた。つまり地理分布上か
らいえば'集団は六百と数えていい。
日本の二
〇
倍以上もある大陸に'六百の集団が暮らしているようすを想像してほしい。日本列島に'わずか三
〇
の集団が散っているという計算になる。六百の集団の中でたがいに近‑にいた集団は'往来Lt物々交換をし、
情報交換もしたらしい。また'ときには全‑言葉の通じ
ない'そして外見も異なる個人あるいは集団と出会った
こともあった。それらの出会いは大きな事件だから'伝
説の中に悪魔とか妖精などとの遭遇として記憶されてい
る。けれども'他部族と全‑出会わなかった部族もた‑
さんあるだろう。石器文化は'ナランジェ‑部族の首長
のいうように'自分たちにとってはそれがいちばん(チ
リト‑1の)大地に合った暮し方だからこそ維持された。
大陸の先住者たちの文化がどれも石器時代のものから発
達しなかったといっても'足並み揃えて石器文化を選択
し至高のものとしてはぐ‑んできた結果ではむろんない。
つまり'大陸のどこかで'全‑異なった文化が'鉄器
を使った文化が'あるいは農耕や家畜化を進めた文化が
発達して'他の部族はそれを知らないでいてもいいわけ
だ。例えば千年前に'赤道に近い北部準州のアランダ部
族が石器を'南極に近い南部のナラソジェ‑部族が鉄器
を使っていたって理論上のふしぎはない。一続きの土地
4 8
で発達の違いがある例は'現代ですらい‑らでも挙げら
れる。ところがオース‑ラ‑ア大陸では、ほとんどの集
団が類似の石器文化を営み'遊動生活あるいは半定住生
宿(季節ごとの移動)を送っていた。大陸の先住者たち
はどの部族も'石器文化で満ち足りていたと仮定してよ
いのだろうか。彼等もいずれ人口増加に伴う食糧問題の
解消のために'農耕や家畜化への道を歩み'鉄器ももつ
ようになったかもしれない。けれども今から二百年前ま
で'時間はゆっ‑り流れていた。彼等をせかせかと明日
の発明へいそがせる要因は'外圧であれ人口過剰による
貧困や争いであれ'少なかった。のちに述べる第7の覚
醒時において'すべてが予測なされ、すべての法則は取
り決められた。それ以上、何が必要だろう。「すべての
一日は‑きのうも'きェうもー生きていくだけで精
1杯の一日」(パル..'1‑ス'一九八四)というのが「ほ
んとうのところ」ではなかっただろうか。しかもそれは
充足した一日であったはずだ。このことをのちにナラン
ジェ‑部族のところで述べたい。大地の子どもたちは、ギ‑シアやLi‑マの神殿
も
知らず'東洋の黄金
の
国も知らず'印刷された本を手にしている人々のことも知らなかった。夢の時代の錠にしたが
ってサ'''1ィ.''1ルの1日一日をすごしていた.人間が自然
を征服するという概念もなかった。万物の霊長であると いう自覚を支える哲学は'進化論に基いたものではなか
ったOもてる者ともたぎる者と'そういう分輝の仕方で
人間を分け得るということを知らなかった。知らないこ
とで'不幸ではなかった。ただ'遠く北半球で白い翼を
つけた海鳥が'幻の南方大陸の捜索の命をうけた探険家
という部族を背に乗せて'大海原へでようとしているこ
とも知らなかった。彼等に欠けていたのは'第二の覚醒
がこんなに早く‑大陸を占有してからわずか五万年か
十万年かのちに‑やって‑るという情報であった。オーストラリア大陸全土およびタスマニアの先住者た
ちが'共通して窮乏に苦しんでいたとする証拠はない。
むしろいかに多種多様の豊かな食生活を'不足ない衣お
よび住生活を送っていたかが'1・プレイニーによって
明かにされている(11ァボ‑シナルLjll九八二)。西欧
では'尊桝が始まり定住生活と共同体が人間の多数派の
選ぶ生き方として産着した時代に飢餓や貧困や若年労働
はより厳し‑なったrJ農耕によって作物の種額を特定す
る。いったん天候が悪‑なったり害虫が発生したりする
と'融通がきかない。飢餓に襲われる。これは定住社会
の不便さの単純な一例にすぎない。プレイニーが証明す
るのは'アポリジナルの物質的豊かさである。家をもた
ない'畑をもたない'着替えをもたない。もっているの
は'広大な土地である。恵みを惜しまない土地である。
49
母(先祖)なる大地を'現在生きている人々が母のよう
に世話すれば'土地は(例え一区画がだめでも'ほかに
い‑らでもあるし)生きてい‑うえに十分なものを与え
て‑れる。アポ‑ジナルはそう信じている。クラークも
アポ‑ジナルと土地の密接な結びつきについて'目を向
けなかったわけではない。だが'結びつきの強靭さを計
りかねただけか'「彼等の宇宙観」の洞察は深まらない。
我々はクラークからあまり助けを得られない。
パノフはどうか。.ハノフはオセアニア神話に共通する
基本的特長として「人間が自らの思考と行動を従わせる
べき理想的模範を'最も遠い過去に'1般的には世界の
始まりの時点に置こうとたえず気を遣っている」(1九
六三)ことをあげる。後の章で述べるナラソジェリ部族
の人々から聞いた話のように'その通りのことを私も体
験している。バノフは'オーストラ‑アほかオセアニア
地櫛の神話の考察から'この特長を導きだした。私をナ
ランジェ‑のユーカ‑樹林へ導いて‑れたのも神話だった。
西オーストラ‑ア州のアポ‑ジナルの画家サリー・モ
ーガンは'「大地はあなたのものではない。あなたが大
地のものなのだ」と'「口伝」で教わったという。やは
り'オース‑ラ‑ア・アポ‑ジニーズに関わる疑問の数
々を考えるためには'口頭伝東にあたりたい。それが試 論の初めとなるのではないだろうか。
三第一の覚醒
アポ‑ジナルの口頭伝承は'多‑の人々が採話して出
版している。私がplランド・ロビンスソ(一九二一‑)
の採話集(1九六六)から幾編か神話を選んで邦訳紹介
したのは五年前である。デイジー・ベイツ(一八六一‑
一九五一)の採話にもひかれ迷ったあげ‑tPピソスソ
を選んだ。その経緯を簡単に述べる。
ベイツは四
〇
年という長い月日を費して'オースーラリア原住民の暮しと口伝を記録したアイルランド女性で
ある。最後の十六年間は'ナラボ‑平原のアポ‑ジナル
の中で暮し'夜ごとに口伝を聞き書きした。白いお祖母
さん(カバル‑)と慕われるほど'アポリジナルの一員
になりきっていた。彼女は望んだけれども'生きている
間に聞き書きした話が本にまとまって出版されることは
なかった。当時彼女がたまに通る汽車にた‑して町に送
った話は'新聞の埋め草として使われただけだった。べ
イソの業績を死後に認めた人々は'原稿を集め'編者の
名を付してイラストもつけて刊行した。収められた話は'
長さも同じように揃えられ'かなりこじんまりとまとま
った物語ばかりである。編集にあたって'ヨーロッ.ハ昔
話やギ‑シア・ローマ神話になじんだ人々が理解しやす
50
いようにとの配慮がなされ'力強さが薄まっている。ベ
イツが砂糖や小麦粉の袋の裏がわに書きとめた原稿は博
物館に収まっているが'そのままの形で読者に提供され
るべきである。
いっぽうロビンスソはベイツほど長い間'アポ‑ジナ
ルの人々と関わっていないO時代も新しい.ヨIPッ.ハ
文明に同化させられたアポ‑ジナルも増えた時代の人で
ある。けれど白人の同化政策にも関わらず'居留地にと
どめられたり'白人とまじわることを禁止されたために
7‑ソジ(周縁)居住者として長い年月を送るアポリジ
ナルも多かった。そのためpピソスソのいうように'シ
ドニーに近いような地域でも'口伝は絶えてしまってい
なかった。私がロビンスソの採話集を選んだ理由は'本
の編集をしようというのに矛盾するようだが'詩人であ
る彼が「本はアポ‑ジニーズの文化を伝えるのにふさわ
しい形ではない。アポ‑ジナル口伝は'詩と同じく聞か
れるべき文学である」と述べているのを知ったからだっ
た。そのときの私は'五年後にアポ‑ジナルの語りに耳
を傾ける日がくるなどと思っていなかったから'せめて
口伝の本質を知る彼の話を訳出しようと思ったのである。
ロビンスソはある夜'ノーザンエア‑トリーのジャウ
アソ部族の人々とともにキャンプの火を囲んですわって
いた。大コウモ‑(フルーツコウモリ)が出現する季節 で'火の上では'大コウモ‑がおいしそうなにおいを放
って焼けつつあった。そのとき'l人の老人が'「まだ
火がなかったとき‑」と語りだしたという。ロビンスソ
はすぐにこれが「ド‑1ムタイム(夢の時代)」の語り
だとさとった。以来ロビンスソは'十七年間'大陸北部
で中央で東南部で'アポ‑ジナルの話を聞き書きした。
アポ‑ジナルの創世神話は'夢の時代といわれる時期
に起こったもろもろを記録する口承文芸である。そこで
活躍するの.は'河口から姿をあらわしたというクーナビ
ッビ(大地母神)であり'最高位の‑1テムは虹蛇であ
る。虹蛇は大陸をくね‑ねと旅しへその跡に'山や谷間
や川や平原ができた。それだけでな‑'虹蛇は行‑先々
で'人々に文様と歌と踊りを定めた。コロボ‑1(祭儀)
を行うこととそれに必要な全てを伝授Ltそれぞれの部
族の印を定めたと伝える部族もある。コロボ‑1の際に'
部族の民は決められた文様を白粘土あるいは紅土で体に
描く。コロボ‑1には'天の川の星となった先祖たちも
天から下ってきて歌や踊りに参加する。
夢の時代というからには'夢の終わり‑あるわけだが'
夢は、創造主たちが使命を果たし終えたときに醒めた。
アポリジナル口頭伝承における第一の覚醒である。
ロビンスソは'聞き書きに触れて、北部や中央部のア
ポリジナルが伝えてきたクーナビッビ(大地母神)の話
51
のほか'虹蛇神話や悪魔の犬の神話を各地で聞いたとい
っている。ノーザン:ア‑ト‑1でも聞いたし、:ユー
・サウス・ウェールズ州でも聞いた。それにまつわる善
霊や悪霊も、南北両地域に共通して伝えられていると記
している(一九六六)。さきに全く出会わなかった部族
もあるだろうと書いたが'伝承に共通する部分があると
すれば'出会いがあったのではないか'矛盾するではな
いかtという疑問がでそうだ。しかし'パノフの'「オ
ーストラ‑ア諸社会を完全に等質的なものと思ってはな
らない」という記述は'何万年も離れて出会わなかった
ための質的変化に言及しているとみなすことができる。
そしてやはり.ハノフのいうように「神話資料の採集も'
地域によっては大きなむらがある」(一九六三)のは事
実である。ロピソスソの記録によってへ質量ともに共通
しているところが多いと理解することは危険だと思う。
ただし'年月をどうとらえるかによって矛盾は解消され
る。
ア'ポリジニーズがオース‑ラリア大陸を占有したのは
三万年から五万年らしいというのは'大方の歴史書や事
典の記述に共通している。だが'最近アポリジナルの文
化復興運動に関わる人々の中には'アポ‑ジナルの大陸
占有の優位を強調するために'十万年前から大陸に居任
していたという説をかつぎたい気持ちがある。その議論 は考古学者にまかせるとして'例えば三万年前にわかれ
た人々(の子孫同士)が'その後三万年の問に出会わな
かったということはあり得るだろう。つまり文化の質的
変化をたがいに認識する機会がなかった部族もある、と
いう意味である。
ただし'ロビンスソのいうように非常に似通った話が
伝えられているという事実は否定できない。「口伝の正
確さ」は'文字をもたない民族の大きな特長である。私
たち文字人間の多くは'口伝えの話がどれほどゆがめら
れ間違って伝わるかを'一つ二つの古傷の痛さとともに
知っている。書類と印鑑(署名)の信用はそこからきて
いる。けれど'無文字民族の口承文芸は'日本のあるい
は西欧の昔話などと同じレベルで受けとめられない。私
はニュージーランド先住民マオ‑の口伝を聞いたことが
ある。彼等は四
〇
世代以上の部族の名前を正確にたどり繰り返す。また
'
類似の神話や伝説が広‑ポ‑ネシアの島々に流布しているのは知られている。ポりネソアの海
洋民族は離合集散を繰り返して'太平洋の三角形といわ
れるポ‑ネシア海域にそれぞれ定住地を定めた。彼等が
伝える神話や部族伝説は'現在の定住地に移る前から伝
わっていたに違いない。同じょうに'アポ‑ジニーズが
オースーラリアナ陸へ移住し分散する前に'創世神話
S
.大師は語られていたものと推察できる。
5 2
オーストラ‑ア大陸であれ'アポ‑ジニーズがその前
にいた土地とされているボルネオであれスラウェシであ
れ'どこであれ神話を創り伝え始めた人々のいた地で'
虹の色をした大蛇が‑ねくねと地面を削ってのた‑り犬
が人を呑込む話が発生したのだ。口頭で伝東されてきた
その話群を'アポ‑ジニーズは夢の時代の物語と呼ぶ。
夢の時代は'英語ではド‑1ムタイムであるが'部族の
言語によって'アルチェ‑ソガ'ビエイソガナ'カルド
‑レアなどといわれる。そしてこの夢の時代という名前
はそのまま'神話先祖の部族名でもあった。
神話の中の先祖たち'つまりアルチェ‑ソガ部族の民へ
ビエイソガナ部族の民'カルド‑レア部族の民と呼ばれ
る先祖たちは'トーテムとする獣や鳥や魚に変身するこ
とができた。そして夢の時代に全ての地理鼠土が定まり'
全ての命あるものの「形」が決まった。人間の形も'動
植物全ての形状も決まった。
それだけではない。儀式や綻'社会組織'信仰'通過
儀礼についても決まった。狩りや食料採集へ調理法も決
まった。そして、魚の釣れる漁場'水の湧いている土地'
木ノ実の採れる森の位置が決まった。全てが定まると'
創造主は'その土地になった。最期の変身は'大地への
同化だったのである。創造主自身の体が'漁場になり'
泉になり'森になった。これらの土地の特性は全て'ア ボ‑ジナルの衣食住に関わり'生存に関わっている。ア
求‑ジナルの足跡は'これら夢の時代の先祖の体から一
歩も出られないことになる。
アポ‑ジニーズは'夢の時代のできごとを見てきたよ
うに語るが'それは夢の時代の創造主が大地に同化して
い‑時期、人が夢から醒める時期'第一の覚醒の最中を
「見てきたように語っている」のだと私は思う。夢の時
代に存在したのは'創造の決定をなす「意志と力」をも
ったものたちと'人とはいえ変身自在で'まだこれから
人間として生きるか'あるいはカソガルーとして生きる
か'決っていない人たちだった。語り部となるべき人間
もいなかった。
現場目撃者は'夢から醒めなければならない。魔法は
終わり'目覚めてみれば'現実の世界が誕生しようとし
ている。第一の覚醒期の現場には'創造主の最期の営み
があり'人間が登場する。夢の時代にはみな人間だった。
けれど'人間の中には'鳥や獣へ二度と元に戻れない琴
身をとげたものがいて'それも覚醒の段階で起こったこ
とだった。
ここにあらすじを書‑話(ロビンソソ'1九六六)は'
夢の時代からの覚醒がどのように語り伝えられているか
の一例である。
53
「エリンチャ・ヌーリヤ」
夢の時代に'一人の老人がいて'楯とブーメランをも
っていた。老人が眠っていると'嵐が東西南北から吹き
つけてきて'老人の体は土や砂でおおわれてしまった。
嵐がやんで老人は起き上がった。老人の姿はエリンチャ
・ヌーリヤ(有袋類のデビルドッグ)になっていた。犬
は砂山から出ると'南にむかい'池をすぎ'クリークの
ほとりで蛙を集めている二人の娘の足跡を見つけた。犬
は足跡をつけて'峡谷や山を越えた。娘たちは火を起こ
してカエルをあぶり'ユーカ‑の木の下にキャソプをは
った。
犬はこっそり近づき'姉も妹も呑込んでしまった。そ
れからク‑1クぞいに下っていった。コロボリー(祭り)
の音が聞こえた。長老たちが若者に'部族のしきたりや
按を教えているところだった。儀式がすむと'皆列にな
って眠った。犬は男たちをぜんぷ呑込んだ。
そこへ人間の若い男がやってきた。長老の手をはなれ
て飛んでいった祭りに使ううなり板が'地面に落ちたと
たん'人間に変わったのだ。男は'板が飛んできた方角
に走っていった。とちゅうで'木の根元に刺さっていた
石槍を投げつけた。石槍は'犬の口に命中Lt犬の裂け
たロから'腹の中にいた人々が皆とびだしてきた。
犬はその場で地中にもぐり、もとの土地へもどると' また老人にもどった。
老人は地面に横たわっている。風が四方から吹いて'
土と砂で老人の姿をおおいか‑す。老人はときどき起き
上がり'また横になる。また風が吹‑0(語り手・トナソガ'アランダ部族)
老人は'大地に埋もれて'犬に姿を変える。これは老
人が夢の時代のトーテム先祖だからである。楯は戦いの'
ブーケフソは生活手段として狩りをする民族の象徴であ
る。語り手にとって話の中の砂山'池'ク‑1ク(蛙が
採れるところ)'峡谷'山は'それぞれ実在Lt暮しに
必要なものを恵んでくれる土地だ。部外者にとっては'
ひど‑ぼうはくとした話に思えても'聞き手たちにとっ
てはなじみのある具体的な場所ばかりで'いちいちうな
ずきながら老人や娘たちや男の足跡を脳裏で辿ることができる。
アポリジナル文化の重要な要素の一つは'通過儀礼で
ある。成人式は男女とも受けなければならない。娘たち
は'食料をさがして‑るように出される。これは少年た
ちを林や森にサバイバルゲームに追い出す男のための試
練と同じく'女のための通過儀礼の試練の一つである。
犬が娘と男たちを呑込むのは'死を経て再生する通過儀
礼の象徴である。
54
けれど'成人式をとっくにすませ秘伝を授かっている
はずの長老たちも呑込まれた。ここで私は'成人式と夢
の時代からの覚醒が同時に行われたのだと思う。覚醒時
には'人間のままでいる人間と'人間以外のものに変身
する人間とがいた。犬の腹に入ってのち'人間の男によ
って救出された人々は'覚醒ののちも人間としての姿を
保ち続けることが約束されたのではないだろうか。
老人は元の地に戻り'土と砂の中に埋もれる。この場
所は特定されている。アポ‑ジナルの話は'常に部族の
テリト‑1と結びつけられて語られる。「エ‑ソチャ・
ヌー‑ヤ」は'アポ‑ジナル名をウソゴルタレンガ'現
在白人がバート・ウェルと呼んで牛の水飲み場にしてい
る湧き水の近‑がその舞台である。そこにいまでも老人
は横たわっている。老人は'夢の時代の民であり'全て
の使命を果たし終えて'オーストラ‑アの大地に同化し
たのである。モーガンの「あなたが大地のものなのだ」
という宇宙観は'創造主の最期の変身に源を発する。
人間の若い男がなぜ突然登場したか。これは'うなり
板のせいである。うなり板は'‑ナソガの部族のことば
ではナマツーナと呼ばれる。平たい板の端に穴を開け'
髪の毛を編んだ紐をつけたもの。振って投げると'牛の
うなり声みたいな音を立てて遠くへ飛んでい‑。この音
は'出産のときに女が発する声と似ている。うなり板の 落ちた所に誕生がある。北の河口から登場するクーナビ
ッども'これに似た音を立てて誕生に至る旅をしたとさ
れている。
しかし人間は誕生しただけでは'不十分な存在だ。大
人にならなければならない。若い男は道中'石槍を入手
する。槍は大人の男性の象徴であり'それに対して大人
の女の象徴はイグサなどで編んだかごである。石槍を入
手したことにより'男は男らしさを完成する。その力で'
男は犬の腹の中の人々を解放できたのだった。
老人は'帰路は地中を旅する。夢の時代は終わったか
らだ。そして地面に横たわる。ときどき起き上がること
の意味は'アポ‑ジナルでなくて‑'私たちはよ‑知っ
ている。大地がときどき示す意志ほど'恐いものはない
からだ。大地は生きているのである。
pピソスソの聞き書きした話だけを読んでも'アボリ
ジニーズが伝えてきた神話の主人公や舞台が多種多様で
あることがわかる。それでいて大地母神や虹蛇や有袋類
の犬や'その他共通する要素は多い。そして夢の時代に
と語り始めるけれども'じつさいにはさきほどもいった
ように夢とうつつのマージナルなところを語る。
ロビンスソが収めた話の一つに'とても長い「虹の大
蛇」がある。トーテムを虹蛇とする父親と'‑Iテムを
オウムとする娘たちが'まず登場する。娘たちは夫さが
5 5
しの旅に出るが'気に入らない男につきまとわれたので'
帰ることにする。娘たちは魔法を使ってスナバエを呼び
出し'男をやっつけることもできるのだが'よい夫は魔
法をもってしても見つけられないらしい。しつこい男を
だまして山から落しその体をばらばらにして'父親のも
とに帰ってしまう。
男の体は'ふしぎなことにまた元に戻る。そしてこり
ずに娘たちを追って'虹蛇の父親とその部族の者がいる
ところへい‑。皆が眠ったところを'男が襲うと'黒い
人々は'みなそれぞれちがう種類の鳥に変わり'めいめ
い違う土地をめざして飛び立っていく。男も'コウモリ
になって飛んでい‑。この烏になった人々は'物語には
二度と登場しない。このまま鳥になって'いまでも烏な
のだ。アポ‑ジナルの人々は'夢の時代が終わったから
だという。夢から醒めるのをきっかけに'すべて人間だ
った人々のうち'ある者はカソガルーとなり'ある者は
p‑キー‑鳥となり'ある著は月まで飛んでいって月の
人となった。夢が醒めた以上'二度と元の人間になるこ
とはない。幸か不幸か'人間のまま残った我々は'だか
ら動物たちに対する責任が'昔の同胞を慈しみ世話をす
る義務があるのだという。
さて'虹蛇の父親の話は'まだ終わらない。父親は'
妻と三人の息子を連れて旅に出る。そのときどきに休息 した場所は'じつさいにある土地で'今でも水が湧いて
いる。独り旅をするならば'アポ‑ジナルの物語をよく
記憶しておいて'主人公たちと同じルートをたどれば'
渇いて死ぬこともない。伝承物語にそった旅は'現在オ
ーストラ‑アで試みられている。その結果'砂漠の地下
に大水脈が発見されるなど'アポ‑ジナルの知恵が確か
なものであったことが証明されている。父親が1個おい
ていったこう丸は'丸石になって今もある。妖精の子ど
もたちの石といわれている。また父親は道中、長い木の
笛をおいてい‑。これはアポ‑ジナルの楽器ディジ‑デ
ュ(木製の長い笛)である。ここの部族の音楽は'木笛
が主になっている。
こ‑して父親は'部族のあるべき文化と地形を決めて
いった。最期に'父親は川へ入る。入水の動機は'他の
‑1テム先祖たちと同じである。もう用がない。言い替
えれば'するべき人がするべきことを全てし終わったと
き'彼は退場し'夢は醒めるのだ。父親は'たいまつを
手にかざして水中に入ってい‑。ところがそのとき'妻
が息子たちを呼ぶ。「はや‑'はや‑0(おとうさんが)
火をもっていってしまう!」
息子の一人が川に飛びこんで'父親の手からたいまつ
をひった‑つて岸に上がる。それだけ余裕があったら'
父薪を救助すればいいのにと思うが'父親はすべての使
5 6
命を果したのだから'もうすることがない。救いの対象
にはならない。夢から醒めてそのあとを生きる人間にと
って大事なのは'火のほうであった。
息子は'たいまつの弱々しい火が消えたら大変なので、
とりあえずあたりの草原に火を移す。これはアポリジナ
ルの火の保存法で'ひんぽんな野火は'例えば根に水を
貯えるユーカ‑のようなユニークな植物を育てることに
なった。
燃えさかる草原で'母親は'息子たちに鳥におなりと
いう。「煙や火を見つけたら'そのまわりをとぴなさい。ト
カゲやフクロネズ・,、やバッタが逃げてい‑のを見つけし
だいつかまえて'えさにしなさい」
こうして虹の大蛇一家の旅路は終わった。父親は水に
入ったのち'虹蛇となって再生する。母親はマダラモズ
ガラスになり'息子たちはそれぞれ'マグソタカとハヤ
ブサとハイタカになり'いまでも草原の火事でいぶり出
される小動物を空の上からねらっているのである。
ロビンスソの聞き書きした話を読むと'私なりにアポ
‑ジナルの世界を描くことができる。夢の時代に'自由
自在の力'変身や呪いや祝福の力をもつ‑1テム先祖が「様式作り」を始めている。夢の時代後のあれこれを定め
ていく。男‑女も'大人になるとはどういうことか'通 渦儀礼はきちんと守らせなければならないなどなどを決
める。けれども'何よりも心を砕いたのは'生存に関わ
るもろもろだったろう。人間に不滅の生命を与えないこ
とにしたのは'人間をよ‑わかっていたからに違いない。
いや創造主はけっこうユーモアに満ちていて'人間にた
‑さんの悪の芽を授けることにしたのかもしれない。夢
の時代の物語には'人間のなす悪事の見本が陳列されて
いるではないか。
こうしてそれぞれの部族の創造主は'全てを定めた。
夢の醒めるときがきた。そして'まず目を開けたのは'
語り部ではないかと思う。語り部たちは'夢の醒める過
程をじっ‑りと眺めた。それが語り続けられている。
この想像は'べつの想像と重なる。それは大げさにい
えば地球の歴史であり'人類の誕生であり'自然界の大
きな流れである。変身雷の展開を絵に描いて想像してい
くうちに'新人の誕生するまでの過程'系統樹の分かれ
方が浮かんでくる。自然界の摂理'大地のもつもろもろ
の力はきちんと把握されている。アポ‑ジナルの宇宙観
は'今私たちが知っている科学のかなりのところまでを
解明していたのではないだろうか。それを語り伝えるこ
との重要性も'認識していたのではないだろうか。夢の
時代に'「変身できる人間」がいた。彼等は'旧人'あ
るいは煩人猿ではないだろうか。もっともこの想像は私
5 7
の妄想にすぎない。想像は(妄想を含めて)宝さがLと
いう楽しい作業であるけれども'いまは白い巽の海鳥が
先をいをがせる。もうすぐ十七世紀'白い鳥は赤道を越
えようとしている。
四ヌランデリ皇じょうの旅路
虹の大蛇の話'エリソチャ・ヌーリャの話'そして私
の夢がかなってオーストラリアで聞‑ことができたナラ
ンジェ‑部族の話も、旅をする人々の話である。イギリ
スのトム・ウィチソトソや日本の一寸法師は'宝捜しや
運試しのために旅に出る。アポ‑ジナルはへ食料捜しや
異性を追うという目的が目に見える旅をする。アポリジ
ナルが'語り手と聞き手たちの故郷であるテ‑‑‑1の
地理を'主人公たちの旅路に辿るのは'無文字民族の語
りにおける工夫の一つでもあるだろ‑。覚えやすいよう
にへけっして忘れないように。
しかし'旅にはそれ以上の意味がある。エ‑ソチャ・
ヌーリャも虹蛇の‑1テム先祖も'旅をしながら地形造
りにいそしむ。同じょうに旅をするヌラソデ‑は'オー
ストラリア'サウス・オーストラリア州のマレー川下流
地域およびクーロン地域の'地形'風土の全てを創造し
た人である。この一帯に居住していたナランジェ‑・ア
ポリジナルにとって'第一の覚醒は'⁝フソデ‑が天の 川の星になったときに起こっている。
ナランジェリの口頭伝承は'夢の時代に錠を定めた人'
一帯の地形や生きものを創造した人≡フソデ‑の足跡を、
次のように辿る。
「ヌラソデリの話」
ヌラソデリほ'二人の妻をさがLに'樹皮のカヌーに
乗って'マレー川を下っていった。妻たちが逃げだした
ので'追いかけてい‑ところだった。
巨大な魚ボンデがカヌーの先に見えた。ヌランデ‑は魚
を追った。魚をめがけて槍を投げた。が、槍は魚に当た
らなかった。
川が湾曲しているところで'ヌラソデリはもう一度'
槍を投げた。巨大な魚はすごい勢いでまっしぐらに川を
下ってい‑0
ヌラソデリはt,ネべレに助けをもとめた。ネ.へレの助
けを借りてやっと'魚に槍を突き刺すことができた。魚
はマレー川の河口から湖へと泳ぎ入ってそこで力つきた。
≡フソデ‑はナイフで魚を切りわけ'たくさんの新しい
魚を創った。
いっぼう'ヌラソデ‑の二人の妻たちは'キャソプを
はった。火をおこして'トゥカ‑を焼いて食べていた。
ヌラソデ‑ほ魚のにおいをかぎつけて'妻たちが近‑
5 8
にいることを知った。そこで自分のキャンプもカヌーも
捨てて'妻たちをさがLにいった。
ヌランデ‑の足音を聞きつけたとき'妻たちはちよう
どアシとグラス・ツリー(ユ‑科ススキノキ属'ニオイ
シュロランの仲間、筆者註)のいかだをしあげたところ
だった。二人はいかだで対岸へわたり'いかだをおりる
と南へ逃げた。ruフソデ‑も妻を追って南へいった.ところがそこで'
偉大な魔術師パラム.ハイに出‑わした。
二人は戦った.武器と魔術を駆使して戦った.ついに'
ヌラソデ‑が勝った。
≡フソデリは大きな火をおこして'パラム.ハイの体を
焼いた。
そこから海ぞいに'北へむかった。キャンプをはるた
びに'真水の穴を掘り'魚をとって食べた。ruフソデ‑は'マレー川河口へむかってすすみ'湾を
ぐるりとまわっていくあいだに'巨木を海に投げこんだ。
それからアザラシを一頭つかまえて殺した。それからま
たキャンプをはり'魚をとったが'妻たちの姿はどこに
も見えない。こみあげる怒りにまかせて'≡フソデリは
槍を海に投げこんだ。
そのうちTuフソデ‑はカイケの岩かげで休んだOする
と、浜辺のほうから'笑ったり水をかけてふざけたりし ている'妻たちの声が聞こえてきた。ヌ一フソデ‑は梶樺
を地面にたたきつけると'妻たちのいるほうへいそいだ。
妻たちは恐怖にあおられて海岸をすっとんで逃げ'半
島の先の細い地峡を'向こうがわへいそいでわたろうと
した。
けれども'そのときにはもう'ヌランデ‑は妻たちの
すぐうしろにせまっていた。それでもまだ妻たちが自分
から逃げていこ‑とするのを見て'雷のような大声で海
に向かって叫んだ。
高波よ'上がれ!
妻たちは'高波に足をすくわれ'細い地峡から海に落
ちておぼれ死んだ。
≡フソデリは'自分も霊の世界に入るときがきたのを
さとった。細い地峡を渡り'ずっと西をめざして歩いて
いった。
まず海のなかに槍を投げ入れ'それから飛びこんだ。
やがてヌランデ‑は海から空へ上がっていき'天の川の
星になった。
(ナラソジェ‑部族・クーロン・キャ
ソプ'南オーストラリア)
物語は'語られるととても短い。短いわりには'とて
も覚えにくい。ナランジェ‑以外の人間にとってはとい
5 9
う意味である。ただし語り収めの.ハタソは'他の民族‑
もつ天の川の由来貢の収め方と共通している。
ヌランデ‑が何のために旅をし何をなしとげたのかt
もしこの話だけを聞いたのなら判然としないかもしれな
いが'小論の前章を読まれた方はわかって頂けるだろう。
ヌラソデ‑の旅は'ナランジェリ部族のテリト‑1の境
界線をひ‑ことと'キャソプにむいた土地を用意する旅
であった。キャソプをする地には'蔑つかの条件が整っ
ていなければならない。真水が湧いていること、海や川
や池には魚があふれていること'差しかけ屋根を作るた
めにも'カヌーを作るためにも'ユーカ‑の樹皮が入手
できること'道具の材料であるアシやイグサが生えてい
ること。ヌ一フソデ‑がカヌーで川を下り'キャソプをは
って旅したというス‑1‑1は'聞き手にとって'⁝フ
ソデ‑の足跡の残るところ'手ごろなユーカ‑が育ち'
真水が湧いているという意味だ。ヌランデ‑の旅につい
て知るのは'ナランジェリ部族のテ‑ト‑1の肥沃な自
然についての事典や図鑑の貢を‑つてい‑のと同じである。
ところで'≡フソデリの豊じょうの旅には'二つ不可
解な点がある。一つは'魚(トゥカ‑)を焼‑においを
かいだだけで'どうしてヌランデ‑には料理をしている
のが妻たちだとわかったか'もう一つは'ようやく妻た ちが見つかったというのに'どうしてruフソデ‑は高波
を呼び起こして'妻たちを溺死させたのかである。前の
疑問の答えは'「口頭伝承につきものの様式」だろう。と
すると'アポリジナル口伝にも昔話の方程式があてはまる
部分があることになる。後の疑問は'平凡ながら倫理的
な規定とも考えられる。夫の元から逃げだした妻たちの
受ける罰は'死なのかもしれない。ヌラソデリはもとも
と妻たちを連れ戻すためでな‑'殺して罰するために追
いかけていたのかもしれない。それとも'女には禁止さ
れている魚を食べた罰なのだろうか。女が所属集団の食
物のタブーを犯したために死の罰を受けた話は'日本の
口裏文芸にもある。それはともかく'高波を起こす呪文
を使うことのできるヌラソデ‑が'普通の男のようにど
たばたと女を追いかけたのは'そして'魚をねらう槍が
はずれたりするのは'英雄のわざからほど遠い。
しかしここで虹蛇を‑1テムとする男の話が'二部に
わかれていたことを思いだきなければならない。虹蛇の
話は'前半は女の'後半は男の話として構成されていた。
ヌラソデ‑の話の前に'妻たちの話'例えば妻たちがク
ーナビッどのような役割を果す部分があったのかもしれ
ないと考えることはできないだろうか。いつからそれが
消えて語られな‑なったのではないか'その可能性につ
いても調べてみる必要があると思っている。これは推測
60
による仮定にすぎない。課題にしておきたい。
そこで'逃げまわる妻たちはtruフソデ‑を旅に出し'
旅を続けさせる動機として登場させられたのだとしてお
こう。ひど‑人間臭‑'ロマソのない設定である。しか
し口頭伝東は'象徴的あるいは抽象的な内容よりも'男
女の追跡というような'または食べ物をめぐって争うと
いうような'もっとも人間臭い次元の話があってこそ'
よ‑記憶され'よ‑聞かれるのではないか.至フソデ‑
が妻たちを高波に溺れさせたのは'ヌラソデリの豊じェ
うの旅が終わりに近づいたので'旅の動機を消す必要が
あったからではないか。そのはかに'テリト‑1内を移
動するさいの注意事項としての役割もあっただろう。妻
たちが転落した地峡は'いまでは海面が上がって海峡に
なっている。海峡の向こうにカンガルー島がある。まだ
地続きだったころ'地峡を渡るのほとても危険だったに
違いない。妻殺しの‑だりほ'部族のl同に食料採集の
折りなどの注意を喚起するのにも役立っただろう。こう
してみれば'妻たちの死を悼む'あるいは妻たちを死に
至らしめた行動を後悔するといった動機が語りからは伝
わらないのも理解できる。≡フソデリは、虹蛇を‑1テ
ムとした父親と同じ役目を背負わされていたのだ。創造
先祖として'人間(ナラソジェ‑部族のテリトリーに居
住するようになる人々)のために必要な全てを定める旅 が'妻追いの旅だった。
さてヌランデ‑雷の最後に'急展開がある。ヌランデ
‑ほ'もう自分が死ぬ時期がきたとさとる。ヌラソデリ
はカソガル1島へ去り'島の西端から海に飛びこむ。い
ったん海中に入ってから天へ昇り、天の川の星の1つに
なるのである。
⁝フソデ‑の話は'次のように解釈できる。つまり'
≡フソデリには他の部族の創造主と同様'ナランジェリ
部族の生活と地理を定め'夢から覚醒した部族が'豊か
な贈物を大地より得られるようにしてお‑責任があった。
だからヌランデ‑は旅をした。彼の足跡にしたがって線
をひ‑と'幾つかの支部族を含めたナランジェ‑大部族
のテ‑トリーが決まる。話を伝えてきたナランジェ‑那
族によれば'このテリト‑1は本来五千エーカーあった
という。現在のナランジェリ部族が使用を許されている
のは'二千エーカーである。あとの三千エーカーは牧場
になり'風景に二百年前のおもかげはまるでない。
話を聞いただけでは判然としないだろうと書いたが'
語りの場がナランジェリの人々だけで構成されていると
きは'短いストーリーが語られるだけで済んだ。いちい
ち川のどこの湾曲部といわなくても、共通理解に頼って
いられた。けれども'そういった前提は'二百年前から
ほじよじ上に通用しな‑なった。部族は以前の語りの場
6 1
を維持できな‑なったからである。そこで現代の語りの
場に少し触れなければならない。ナランジェ‑部族だけ
でな‑'アポ‑ジナルの伝承を護っていこうとする人々'
現代オーストラ‑アでアポ‑ジナルの文化復興運動を行
っている人々は'他の文化圏出身者tと‑にヨーロッ.ハ
やアジア系の若いオーストラ‑ア人と伝承を分かち合い
たいと思っている。ヌランデ‑貢は'部族の中で通過儀
礼を経た人々だけが知ることのできる部類の話だったが'
現在では関心を寄せる人には誰にでも聞かせる。語るた
めに'学校や集会に出かけていくこともある。サバイバ
ルをかけた語りの旅である。こうしてなるべ‑多‑の耳
に入れてお‑ことによって'短‑見積っても何千年かの
歳月を生き延びてきた伝承を'さらに何千年も生かして
おこうというのである。新しい語りの場では'部族の中
でだけしか理解されないような語り方ではいけない。と
いうわけで'口承文芸の近代化がうながされ'具体的に
地名や解説が挿入されるようになった。
≡フソデ‑の話を例にとると'次のような形に変わり、
ヌランデ‑の偉業が'地名などを特定して語られる。
(+印は物語の筋*印は挿入される註)
+ヌランデ‑がカヌーでマレー川を下った。
*ダー‑ソグ川と合流する地点から下流。昔は 小川だった。
+魚のポソデを追いかけた。
*ボンデは'タラの一種。
+魚は逃げた。
*逃げながら'魚は現在のように川幅を広げて
いった。
+魚に槍を投げた。
*マレー橋のあたり。魚を突きそこねた槍は'
ロング・アイランド島(ナラソジェ‑部族名
‑レンテ‑ソ)になる。
+湾曲部でまた槍を投げられた魚は'まっすぐ川を下
った。
*タイレム・ベンド(湾曲部'部族名タガラン
グ)から先'川は直線に長‑流れる。
+ネペレ
*ネペレほ二人の妻たちの弟である。
+魚はマレー川の河口から湖へ入った。
*河口にある巨大なアレグザソド‑ナ湖。+トゥカリ
*ブ‑1ムの一種。ナランジェ‑部族の女性た
ちほ'この魚を食べることを禁じられている。
+ヌランデリほ'キャンプもカヌーも捨てて'妻をさ
がLにいった。
6 2
*キャンプのために作った二つの差しかけ小屋
は'二つの丘になり'樹皮で作ったカヌーは'
天の川になった。
+妻たちは対岸でいかだをおりた。
*いかだは'素材であるアシとグラス・ツ‑I
に戻った。
+ヌラソデ‑は魔術師を火葬にした。
*その後には今'花こう岩がごろごろしている。
+北へ向かった。
*クーロン・ビーチに沿っていった。
+真水の穴を掘り・・
*それ以来'そこの砂地から真水が湧‑ように
なった。
+魚をとって食べた。
*それ以来'クーPソエフグーソはよい漁場に
なった。
+湾をぐるりとまわって・・・
*エソカウソクー湾をまわりビクター・ハーバ
ーへむかった。
+巨木を海に投げこんだ。
*、、、ドルトソによい漁場を作り'海底に沈んだ
巨木に海草が付着するようになった。
+アザラシを殺した。 *その断末魔のうなりは'まだ岩のあいだにこ
だましている。
+またキャンプをはり・・・
*これはポート・エリオットのあたり。
+槍を海に投げた。
*場所はビクター・ハーバー'槍から島々がで
きた。
+カイケの岩かげ。
*カイケは'今のグラニト・アイラソド。
+浜辺のほうから・・・
*キソグズ・ビーチ。
+梶棒を地面にたたきつけた。
*梶棒は断崖の岬になった(部族名=ロソクワ
ル)
+半島の先。*ケープ・ジャーヴィス。
+向こうがわ。
*カンガルー島。海面が低いときは'地続きだ
った。
+ヌランデ‑は妻たちのすぐうしろに・・・*ケープ・ジャーヴィス。
+おぼれ死んだ。
*二人の妻たちは'岩だらけのペイジス・アイ
63
ランズになった。
+西をめざして・・・
*カンガルー島の西端まで。
こうして整理してみると'*印の多きが目立つ。話の
長さは約二倍になった。*印は'ナランジェ‑部族のテ
‑ト‑1にナラソジェ‑部族の民しかいなかった時代に
は、必要なかった説明である。盛りだ‑さんの説明は、
ナランジェ‑の人々の口頭伝承への危機感のあらわれと
もいえるLt他文化圏出身者の理解がより深まるのを望
んでいる証拠ともいえる。そして'第二の覚醒はこうした著しい変化のきっかけだった。
五第二の覚醒
最初の白い海鳥が'オース一‑ラ‑アのヨーク半島に異
を休めたのは'一六
〇
六年である。帆船に乗っていたのは'オランダ人ヤソスであった。彼は'「そこは良いこ
との役には何も立たない」と帰朝報告をした(クラーク'
一九六三)。当時テレビでもあって'ヤソスの談話がヨ
ーロッパ全土に伝わったら'アポ‑ジナルの夢の時代の
伝承に'第二の覚醒もなかっただろう。けれどむろんテ
レビはな‑'あったのは探検家魂だった。スペインから
もトレスがやってきた。一六一六年にはオラソダからハ ルトオが'一六四二年と四四年にクズマンが渡来した。
イギ‑スのダソビアが訪れたのはそれから四
〇
年後'十七世紀末である。多‑が幻の南方大陸テラ・アウスーラ
‑スの探索航海が目的で'赤道を越えてきた。これらの
招かれざる客たちは'大陸やタスマニア島の一部に上陸
あるいは視認をし'帰国して様々の勝手な解釈を伝えた
のだった。
航海者たちがそれぞれ大陸やタスマニア島の異なる場
所で得た原住民の印象を'クラークは手ぎわよ‑紹介し
ている。クズマン「惨めで'極端に貧し‑て敵意に満ち
た人間どもだけ・・・大地の産物を見つけようとする者
はその上を歩かなければならない。」ダソビア「世界でも
っとも惨めな人びと・・・人間の形をした外観を除けば
獣と何ら変わるところがない。」(l九六三)
ルソー以前の十七世紀'西欧の人々がイメージするオ
ーストラ‑ア大陸原住民は'当時の探検家の感想がもと
になっていた。ダソビアなどの報告を修正したのは'一
七七
〇
年にオーストラ‑ア大陸へ上陸したキャプテン・クックである。けれども十八世紀末から始まった大英帝
国のオーストラ‑ア植民地化における原住民対策は'十
七世紀の初体験者たちの強烈な印象に影響されていたと
しか思えない。以来一九六七年まで'アポ‑ジニーズは'
人口減少'土地の収奪'母語の喪失'伝統の破壊など'
64
被征服民族のあらゆる苦難を'アメ‑カ大陸やア7‑カ
の原住民諸部族と分かち合うことになる。
口裏文芸も例外ではあり得なかった。強制的な土地の
収奪や働き手と女の調達や伝染病や草語の強制は'部族
の解体をもたらした。語り部を失い'キャンプ77イア
という語りの場を失い'多‑の口伝が失われていった。
ところが、そんな状況の中でも'新しい語りが生まれ
た。それはおもに'娯楽を目的として語られる分野にお
ける現象である。
アポ‑ジニーズの口承文芸は'創世神話だけではない。
日常生活のあらゆる面1食料'医療'道具'儀礼'娯
楽‑を'伝統的な口伝はカバーしていた。民話や昔話
に分類される伝承のキャソプ・ス‑I‑‑は'小文では
紙幅の都合で紹介しなかったが、こっけいな話やほろり
とする話など多彩である。歴史物語もあった。タスマニ
ア島のアポリジナルの歴史葦に'トリゲ‑ル=白い鳥=
帆船の話がある事実(ロ''',‑ツ'1九七七)は'口伝え
の改訂版あるいは増補版があったことを示す。口伝にか
ぎらない。白人の渡来後は'踊りや歌にも'白い鳥や馬
が登場するようになった。新しいものや概念を取り入れ
るアポ‑ジナルの才能は'「失われた夢の時代」後に発
生した民話に触れれば明かである。
近代国家建設が始まると'キャソプ・スト1‑‑が徴 妙に変えて語られるようになった。ここにその一例があ
る.‑との話は'エ、、、ユーの肉を孫とわけずに自分1人
で食べてしまったお祖母さんが'エ‑ユーに変身し人間
に戻ることができな‑なったという筋である。
「ハリモグラ」
むかLtお祖父さんと二人の孫がいた。ある日'お祖
父さんは'ハ‑モグラを料理してやるから'クーラバの
葉を集めておいでと孫たちにいった。
孫たちは出かけていった。孫たちはときどき、お祖父
さん'ここでいいの?と大声できいた。けれどそのたび一に'お祖父さんは'もっと遠くへいって集めておいで'65
とさけびかえした。そして'孫たちがいないすきに'お一
祖父さんは'ハ‑モグラの肉を食ってしまった。誰にも
見つからなかったと'お祖父さんは安心していたけれど'
近所の人々が'このようすを見ていたんだね。
孫たちがふと見ると'お祖父さんの後を'チョウチョ
の大群が追いかけていく.Jiぅく見てみると'チョウチョは'槍をもった小さな男たちだった。
お祖父さん'お祖父さん'槍をもった男たちが'追い
かけて‑るよ。孫たちはいった。けれどお祖父さんは'
なんの男であるものか'チョウチョだよtといった。
チョウチョの男たちは'お祖父さんを襲った。孫たち
へのひどい仕打ちのおかえしだ。男たちは'お祖父さん
に槍を突き立てた。体じゅうに槍を刺されたお祖父さん
は'ハ‑モグラになった。
孫たちは'どうしたって?チョウチョの男たちがひき
とってtだいじに育てたのだよ。(語り手・マ‑ア・ボニー'
ヨアラライ部族)
短い話ながら暗示されている役割や'新しい状況を口
伝の改編にどう託して措いているかが'わかって頂ける
だろう。
ざれ歌も作られた。ニュー・サウス・ウェールズ州の
黒い人々がいまでも歌っているものを紹介しょう。tl.IiJ
ソスソほ'友人のアポ‑ジナルをバイクの後ろに乗せて
走っているときにうたってもらったという(一九六六)0
ジャッキィ=ジャッキィかしこい男
ゆかいでいつもはりきり屋
結婚した‑てたまらない
まえの女に逃げられた
ク‑ケタバブラワイルディマイア
ビレイナイアジィソゲ‑ワア(繰り返し) 狩人だったジャッキィ=ジャッキィ
白人きたから狩りはできない
故郷は柵でかこまれた
狩りのうでまえにぶったろ
ク‑ケタバブラワイルディマイア
いまじゃ白人の税金で
ジャッキィ=ジャッキィごうせいな暮し
生まれ故郷のゆ‑末なんぞ
知ったことかとむさぼり食らう
ク‑ケタバブラワイルディマイア
赤字経済だってさこの国は
ジャッキィ笑いがとまらない
故郷をおかえしいたしましェう
いまさらなんだよ白人さん
ク‑ケタバブラワイルディマイア
ジャッキィ=ジャッキィエミュー狩り
槍と梶棒のつかい手だった
ジャッキィだけが知っている
エミューとカンガルーのものがたり
ク‑ケタバブラワイルディマイア
66
オーストラ‑アはイギ‑スが
E C
に加盟したあと'貿易相手国をアメ‑カとアジアに求めているが'失業率も
高‑赤字経済に苦しんでいる。それでも建国以来の伝統
である平等主義の理想は崩したくない。ジャッキィ=ジ
ャッキィのような失業者に納税者が手当を払う。近代国
家を建設した移住者は'スケールは違っても'生存のた
めに旅をした人々であった。そこにはr(ランデリの旅と
相通じるものもある。けれども'「ジャッキィだけが知
っているエ、,、ユーとカンガルーのものがたり」とうた
われるように'この大陸をよ‑知っていたのはアポ‑ジ
ナルであり'新し‑渡来した人々'エ・,、ユーもカンガル
ーも初めて見るという人々にとっては'辛い厳しい暮し
を強いられた土地であった。オーストラ‑アには'世界
で最初の無記名投票を行った国'整った福祉社会である
との誇りがある。けれども'いまだかってこの大陸の恵
みを完壁に享受できたのは'アボリジニーズ以外にいな
いではないかという告発が歌を借りてなされている。エI,、ユーとカンガルーのものがたりを知る人々は'土地と
付き合い'土地に関わる特長を学んだ結果をきちんと子
孫に伝えてい‑知恵をもっていた。繰り返しになるが'
生存を左右する知恵袋とはむろん口頭伝承である。
白い鳥で始まった侵入は'充足したアポリジナルの歳
月を断ち切った。覚醒は一回では済まなかったのだ。十 七世紀にまた'夢から揺さぶり起こされた。けれど'第
一の覚醒はアポリジナルの精神世界の内部における必然
的なそれであったのに対して'第二の覚醒は'アポ‑ジ
ナル宇宙の崩壊につながるものだ。しかし'新たに発生
し口伝されている話に触れると'アポ‑ジナルの柔軟性
や改革精神が救いであったことがわかる。
それだけではない。一九七
〇
年代以来アポ‑ジナルは'部族の父祖の地の返還をもとめ'伝統文化の再興に努力
している。部族によって個人によって手だては異なるも
のの'めざすところは同じ'第二の覚醒以前に戻ること
である。第二の覚醒がなければ'どんなによかっただろ
う。私たちはどんなに昔の暮しに戻りたいと思っている
か'願いは強烈なんですtとruフソデリの子孫も語って
いた.けれど‑、私たちの惑星が一つしかな‑'その上
に発生する文化の過程が様々に異なる中'ある文化が魔
物のいる海を越える道具を発明したと責めることはでき
ない。アポ‑ジナルが石器文化しか発達させなかったと
非難がまし‑いわれる必要のないのと同様'船の発明を
非難しても仕方ない。混乱を経て'いまアポ‑ジナルた
ちは'動きだしている。
これまで述べてきたように'口頭伝東の中の'夢の時
代から覚醒する時期に焦点をあてて語りつがれてきた話
群は'地勢の学習を含めたアポ‑ジナルの生活の知恵の
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ガイドブックであった。大陸の景観も開発によって変化
したが'それでもこの地に居住し続けるかぎり有効な教
えもあるはずである。
大陸に住む四
〇
以上の民族の中で'アポ‑ジニーズはもっとも少数派になった。それだけではない'私のよう
に空を飛ぶ鳥に乗ってやって‑る人々すらいる。こうな
ると改訂版は'世界中の不特定多数の人々を想定して作
られなければならない。さきに示した註つきの語りはそ
の1例である。第二の覚醒は'こういう変化を余儀な‑
させた。
六ナランの人
ナランの人々に会った。ナラソとはへカジュアリーナ
の木のナランジェ‑名である。ナランジェ‑部族の人々
の精神的な支柱は'四章に登場したヌランデ‑だ。神話
にはないが'ヌラソデ‑ほ他界へ旅だつ前に、ナランの
木の下で一刻をすごした。ナラソには'細い枝に針のよ
うな葉がついている。下を向いたその葉が'夙に吹かれ
ると泣き声のような音を立てる。r二フソデ‑は'この世
界を去るのが'人間を残して去るのが悲しかったのだと'
ナランジェ‑の人々は信じている。そして木の下にすわ
ると'覚えておくべきことを思いだすという。人間はテ
‑‑‑1とする土地や'そこに生きる人々や、動植物の 世話をする義務があることを思いだす。思いだしながら'
励まされる。ナラソジェ‑部族の長老の家族に'クーロ
ン・キャンプを設立して'そこをナランジェ‑文化の保
存と広い文化交流のセンターにするアイディアと気力を
与えたのは'このナランの木だった。
ナランの人々がもっと‑熱を入れているのが'子ども
たちの教育である。彼等が学校へ通っていたころは'キ
ャプテン・クックがオースーラ‑ア大陸を発見したと教
師はいい'歴史の勉強はそれでおしまい。自分たちの先
祖が太古からここにいたことは何も教えて‑れなかった。
最近アポ‑ジナル・スタディーズが教科に加えられた。
しかし担当する教師も'何を教えたらよいのかわからな
い。図書館へ走っていって手当りしだい本をつかみだし
て'適当に教える。そうやって'子どもの内に混乱を起
こす。
クーロン・キャンプでは資料を充実し'子どもたちを
招‑。アシやグラスツ‑1のかご編みを実演して見せ'
ブーメランを手に取らせる。楯に彫られた文様の説明を
する。キャンプス‑I‑1を語る。時間のかかる伝統教
育だが'アポ‑ジナル文化は時間を気にしない。何万年
もの歳月をこの土地ですごしてきた自信が'そういう態
度を取らせる。ゆっ‑りと確実に浸透してい‑ようなや
り方が'彼等に合っているのだろう。
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