著者 横山 泰子
出版者 法政大学国際日本学研究所
雑誌名 国際日本学
巻 8
ページ 165‑176
発行年 2010‑08‑10
URL http://doi.org/10.15002/00022632
横 山 泰 子
1 問題の所在
国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である——そし てそれは、本来的に限定され、かつ主権的なもの[最高の意志決定主体]
として想像される。(ベネディクト・アンダーソン)(1)
田中優子法政大学教授を代表として行われたワークショップ「江戸時代にお けるナショナリズムの表現」に参加しながら、筆者は、アンダーソンによる国 民の定義を思い返していた。彼によると、ナショナリティ、ナショナリズムは、
18 世紀末にいたって創り出された文化的人造物であり、17 世紀から 18 世紀に かけて起こった世界史の流れの上で、まずヨーロッパを中心に国民意識が誕生 した。それが近代的な国民と国民国家を準備したのであり、ナショナリティ、
ナショナリズムなる語自体が、19 世紀末になって広く一般的になった歴史的 存在であるというのだ。
徳川時代の日本文化の諸現象をみるとき、近代的な意味でのナショナリズム そのものは見いだすことができなくても、その萌芽を認めることはできるので はないだろうか。アンダーソンは、「いかに小さな国民であろうと、これを構 成する人々は、一度も会ったことのない人々を同胞として意識し、限られた国 境の向こうに他の国民がいると想像する」と述べていたが、出版資本主義が発 達した近世日本においては、他国との関係の中で日本を位置づける自国意識と、
その中に住む民としての自意識が、かなりの程度育成されていたと考えられる。
ワークショップにおいて、筆者は、唐天竺本朝の三国を舞台とした物語群と
玉藻前説話にみられる自国意識と異国趣味
して玉藻前説話を取り上げてみた。主人公の美女玉藻前の正体は妖狐で、各国 を魔界にするべく悪行を繰り返すという、スケールの大きい物語である。
唐天竺から飛来して日本に渡った妖狐は、美女に変じて鳥羽法皇の寵愛を受 け、玉藻前と呼ばれた。法皇は健康を害し、陰陽師の安倍泰成が泰山府君祭を 行った。玉藻前は那須野に逃げ、三浦介・上総介によって射止められた。狐の 執心は石(殺生石)となった。源翁和尚が石に向かって仏法を説くと、石は砕 けたという筋で、古くは中世にさかのぼる。
江戸期に入ると、従来の玉藻前説話をもとに、新しい長編読本を作る動きが 出てきた。それが、高井蘭山作の読本『絵本三国妖婦伝』(蹄斎北馬画、享和 3 年〜文化 2 年)と、『絵本玉藻譚』(文化 2 年、岡田玉山作画)であった。こ れ以後、玉藻物は小説や演劇、絵画などで多様に展開していった。
玉藻前説話は伝奇的な素材ではあるが、他国との関係において日本が位置づ けられているため、当時の自国意識を知るのに役立つ。また、玉藻物の特徴で ある外国から来た妖魔が美女であるという設定は、当時の人々の異国への憧れ すなわち異国趣味を反映しているのではないかと思われる。こうした問題意識 のもとに筆者は報告を行ったが、後に考察を加えた部分もあるので、本稿で補 足したい。
2 玉藻前説話の近世的変容
玉藻前説話は、謡曲『殺生石』やお伽草子などに見られる。中世の説話では、
玉藻前の来日以前の話に重点が置かれることはなく、天竺時代の妖狐の正体は、
「塚の神」あるいは、班足王の夫人とされるだけだった。また、中国での妖狐 は周の幽王の妃褒 とされていたが、ほとんど活躍もしていない。中世の 人々は、玉藻前が異国で何をしていたのか、興味がなかったのであろう。
ところが、江戸期の読本は、まず名前すら定かでなかった天竺時代の妖狐に、
「華陽夫人」という名を与えて、大活躍させた。そして、中国時代の妖狐を殷 の妲己に変じたという設定にして、彼女の悪行を描写した。殷の妲己とは、殷 王朝最後の王紂王の寵妃(紀元前 11 世紀頃)で、王は彼女を愛し、酒池肉林 におぼれて虐政を行ったので、周の武王に滅ぼされた。つまり、妲己とは国を
滅ぼす原因を作った美女の代名詞 であった。天竺の華陽夫人と殷の 妲己の物語が加わることによって、
近世の玉藻物は壮大なスケールの もとに展開することになった(図 1、
図 2)。永吉雅夫は、「空間としては 三国を舞台とし、内容としてはそ れぞれの王権の危機的状況を描き、
人物としては王を非道に誘うそれ ぞれ絶世の美女を物語り、しかも 九尾の狐の化身という論理は三国 個別の物語をひとつに束ねて、い わば悪王尽くしから三国妖婦の物 語としての安定した体裁と内実を 整備することになるのである」と
図 2
図 1
述べる(2)。
『絵本三国妖婦伝』や『絵本玉藻譚』では、天竺や唐土での妖婦の行いに物 語の多くの頁が費やされ、異国の場面が激増した。異国における妖狐の残虐ぶ りは、はなはだしいが、権力者たちは美女に変じている彼女の虜となり、国政 を傾けてしまう。読本で描かれた唐天竺は、非道な政治が行われるまがまがし い国である。
近世における玉藻前の人気の理由の一つに、題材のエキゾティックな要素が 挙げられる。読本『絵本三国妖婦伝』が話題となったのを受け、演劇でも人形 浄瑠璃で文化 3 年 3 月には浄瑠璃『絵本増補玉藻前曦袂』(近松梅松軒、佐川 藤太作)が大坂で上演された。この作品は、「絵本増補」とあるように、中世 の「殺生石」伝説をもとにした浄瑠璃『玉藻前曦袂』を書き換えたもので、妖 狐の日本渡来以前の出来事を第一段・第二段で見せている。なお、『絵本増補 玉藻前曦袂』の人気の理由については、岡本綺堂が「天竺や唐の土地を書いた のが、増補の方のヤマでしたらう。天竺を見せたので、見物が喜んだのだらう と思ひます」と述べている(3)。
さて、玉藻前ブームは浮世絵界にも波及した。『絵本三国妖婦伝』や『絵本 玉藻譚』の挿絵の影響をも受け、歌川国芳は『三国妖狐図会』シリーズを制作 した。このシリーズは六枚一組で、中国一、天竺三、日本二の配分で構成され ている。天竺の班足太子が獅子を踏みおさえる図では、蘭学書のライオン図を 参考にしたらしく、エキゾティシズムが全面に押し出されている。また、国芳 の『和漢準元治 乙女』の正体を現して飛び去る妖狐の図では、洋風描写が際 だつ。洋風の明暗描写や、建物の異国的な雰囲気など、いかにも異国の珍しい 情景になっている(4)。
このように、玉藻前が異国で何をしていたのかほとんど描写をしなかった中 世とは違い、江戸時代の人々は、妖狐の異国時代を表現することに積極的で あった。そして、彼らは「エキゾティックなもの」と「妖しいもの」を結びつ けて面白がる傾向があった。近世文芸で人気のあったキャラクター、妖術使い の天竺徳兵衛を思い起こしてみよう。天竺徳兵衛は、海外渡航経験を持った実 在の船頭と、文禄・慶長の役の朝鮮将軍をモデルに、日本を転覆しようとする 妖しい異国人としてイメージされた人物である(5)。天竺徳兵衛といい、玉藻前
といい、「妖しいものは異国と関係する」のが、江戸時代の人々の感覚であっ たといえようか。
ただし、玉藻前が天竺徳兵衛と大きく異なる点は、性別だ。つまり、妖狐は、
妖怪であると同時に異民族の女性でもある。それゆえ、玉藻物においては、し ばしば、異民族の女への恐怖と憧れが同時に認められるのである。巽孝之がエ キゾティシズムの問題系として述べる「異民族をまったくの他者として怖気を ふるう視線と、異民族を性的商品として、その魅力に取り憑かれていく視線と が弁別不能になる」という、異民族恐怖と異民族憧憬のアンビバレントなから みあい(6)が、玉藻物にも内包されていたと思われる。
3 辺境の民の自国意識
ところで、異国に対する興味は、自国への意識と無関係ではない。異国は、
常に自国と異なるからこそ、興味の対象となるのであって、自国を自国として 認識していなければ、そもそも意識にのぼることもないのではなかろうか。先 ほど、近世の読本において、玉藻前説話が唐天竺での物語部分を充実させたと 述べたが、そのことによって外国と異なる日本の特殊性が浮き彫りにされてい た。唐天竺での妖狐は傍若無人なふるまいを繰り返し、ひとたび危機を感じる とすぐに他国へ逃げのびるほどの力を持っている。日本においても危険が迫っ たならば、飛行してどこかへ行けばよさそうなものだが、狐にはそれはできな かった。『絵本玉藻譚』では、追い詰められた妖狐は三浦介・上総介の夢に現 れ、こう命乞いをする(図 3)。
元より通力自在、心のままにふるまへば飛で異邦に渡らんとすれど、あな あな恐ろしや、此国は神国にて天上地下四方八隅八百万神守護し給ひ、彼 方へ飛ば蹴落され、此方へ走れば追倒され天地広しといへども今は隠るべ き所もなく遁るべき国もなし
通力自在な妖狐のこと、陰陽師や武士に追われたところで、他の国に飛んで 逃げて行けばよさそうなものだが、それができないのはなぜか。神国日本では、
神々があちこちにいるので、どこにも逃げられないのだ。妖狐の力を失わせる ほど、日本の神の力はすごいという物語の論理は、強烈な自国優位の考え方で ある。
永吉雅夫はこの部分に注目し、室町時代の玉藻前説話との大きな変化を見い だしている。室町時代の玉藻説話では、日本は「そくさんのせうこく」と表現 されていた。「そくさんのせうこく」とは、粟散の小国=粟をまき散らしたよ うな、天竺や唐土のような大国に対する小さな国という意味だが、玉山の小説 では、空間の量的概念など問題にしない、質的な優越の意識がみられるという。
そして、「さらに何処へも行きようのないどん詰まりである点に優越の根拠が あることで、それはまさに三国伝来の順序における本朝の位置から価値を反転 した論理としてたどり着かれた三国一にほかならない」という(7)。
強力な妖狐が非道を尽くした末にたどり着いた国、日本。脱出しようにも他 に行き場のない、どん詰まりの日本という感覚は、もしかすると近世の読本に たまたま現れているのではなく、より深くこの国に根付いているのではないだ ろうか。例えば、梅棹忠夫は『文明の生態史観』において、中国人・インド人
図 3
の自意識と、日本人のそれが異なることを次のように述べている。
日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつね につきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価 とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげの ようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるもの であって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。
おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開す ることのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスター トした民族とのちがいであろうとおもう。中国も、インドも、それぞれに 自分を中心として一大文明を展開した国である。日本は、中国の辺境国家 の一つにすぎなかった。(8)
また、第三回新書大賞を受賞した内田樹の『日本辺境論』は、歴史的に日本 列島の政治意識は辺境民としての自意識から出発し、現代までその感覚を持ち 続けていることを論じ、話題となった(9)。日本列島の住民が、無意識のうちに も世界の中での自国を辺境国として位置づけ続けてきたのだとすれば、辺境民 としての自意識は江戸時代の人々も持っていたと思われる。どん詰まりである ことに優越の根拠があるという近世読本の発想も、辺境民によるかげのある自 国意識といえるのではないだろうか。
4 日本化する物語
文化文政期において、玉藻物は歌舞伎化もなされた。文化 4 年 6 月に『三国 妖婦伝』(江戸市村座、並木五瓶作)が初代尾上松助の主演で上演された。そ の芸を継いだ三代目尾上菊五郎は、文政 4 年 7 月、『玉藻前御園公服』(文政 4 年 7 月、江戸河原崎座、鶴屋南北作)で、妖狐の役で大当たりをとった。さら に、三国妖婦伝はからくり仕掛けの人形で見せる見世物にもなった。歌舞伎の 大道具師・長谷川勘兵衛は、文政 10 年 4 月浅草、奥山の若宮前に大きな仮屋 を作り、中に仕掛けを設置して見世物にしたのである。
かくのごとき玉藻物ブームのさなか、『絵本三国妖婦伝』や『絵本玉藻譚』
の粗筋から逸脱する作品も現れたことに注目したい。曲亭馬琴は『勧善常世物 語』(文化 3 年、読本)を書き、妖狐を退治した者の子孫に災いがふりかかる 物語を展開し、さらに合巻『殺生石後日怪談』(文政 7 〜天保 4 年)では、妖 狐と知らずに玉藻前を帝に勧めた人物・師妙の子孫を主人公にしている。高橋 則子の研究によると、歌舞伎における玉藻物の場合も、文化 4 年の『三国妖婦 伝』は異国の場面があったが、文政 4 年の『玉藻前御園公服』は、天竺の場・
唐土の場を省き、すべて日本での出来事としているという。さらに、高橋は、
文政期の玉藻物の合巻の場合、舞台を全て日本に置き換え、日本古来の伝説等 と結びつける改変が加えられていると述べる(10)。
読本『本朝悪狐伝』(文政 12、13 年、岳亭丘山作)の場合も、悪狐は室壁太 郎によって退治されるのだが、この太郎こそ、日本の昔話や伝説で知られる名 犬しっぺい太郎に由来すると思われる。また、山東京伝の『糸車九尾狐』(文 化 5 年、合巻)も、玉藻説話に加えて昔話「鶴女房」を素材に取り入れた、日 本的な物語にしている。文化年間の合巻には民俗学的分子をあしらう傾向があ り、『糸車九尾狐』はその一例であるとされる(11)。
玉藻物の特徴は異国趣味にあり、そこが人気を集めていたはずなのに、なぜ 作家たちは異国を表現することに消極的になっていったのだろうか。当時の 人々が異国に対する興味を持っていたとはいえ、やはり時代の制約は大きかっ たものと思う。どれほど関心があったとしても、実際に日本を出て外国に行く ことなどあり得ない当時、異国は想像するしかない世界であった。異国に持続 的な関心を持ち続けることができたのは、蘭学者のような特別な人を除き、ご く少数だったに違いない。限られた資料を駆使して異国の描写を行うのは困難 であり(12)、それよりは物語の舞台を日本に限定した方が書きやすかっただろ う。
ともあれ、異国的だった玉藻物は、だんだん重視されなくなり、物語は日本 化していった。この玉藻前の日本化現象も、ナショナリズムの表現という文脈 からみると、大変興味深い。京伝が民俗的要素を作中に盛り込んだことの背景 として、江戸期知識人の民俗学的関心を考慮せねばなるまい。京伝に限らず、
江戸時代の知識人のうちには、菅江真澄や屋代弘賢など、後の民俗学につなが
る仕事をした人物がいた。個々の民俗に関心を寄せ、そこに何らかの古風なも のを認めるという、後の柳田民俗学の基礎的な前提を江戸期の学者たちは持っ ていたのである(13)。
さて、19 世紀のヨーロッパでは、ナショナリズムの勃興と並行し、民話の 採集や研究が熱心に行われていた。グリム兄弟の民話集『子供と家庭のための 童話』が出されたのは 1812 〜 15 年であるが、それはまさに日本の文化年間に あたる。そして、彼らの民話収集の背景には、ドイツ国民意識の高揚という目 的があった(14)。江戸期の知識人は、グリム兄弟のような明確な目的と方法論 を持たなかったので、彼らの民俗学的調査や記録が、日本の国家意識や国民意 識に直接結びつくことはなかったと思う。しかし、プレ国家、プレ国民意識の 時代の産物であったと位置づけることはできるのではないだろうか。
5 拡大しなかった幻想
話は変わるが、ここで若きフランス人作家フローベールのオリエント旅行に ついて考えてみよう。古代世界の伝承に通じた彼は、1833(天保 4)年にエジ プトにおもむき、そこで娼婦の官能的な踊りを眺めた。その経験からユダヤの 王女の踊りを夢想し、小説『ヘロディア』におけるサロメの踊りを書いたとさ れる(15)。そして、もう一人のフランス人作家で、『お菊さん』を書いたピエー ル・ロチのことも思い起こそう。35 歳の海軍大尉であった彼は、1885(明治 18)
年に来日し、長崎で若い娘と同棲生活を送った。その時の経験をもとに書かれ た『お菊さん』は、西欧における日本女性のイメージ形成に大きな役割を果た した。外国で異民族の女性と関係を持ったことが、彼らの作品の要となってい るわけだが、そうした作家は、少なくとも文化文政期、玉藻物ブームの頃の日 本には存在しなかった。
中国やインドに興味を持った江戸期の作家がいたとしても、彼らは現地での 調査や経験を生かした作品作りをすることはできなかったのである。このこと は、近世の玉藻前説話の広がりに箍をはめたのではなかろうか。また、私たち 現代人が海外旅行から帰国すると、国を見る目が変わり、外国と比較して自国 がどうか、あらためて考えたり感じたりすることがあるが、文化文政期の作家
たちには、その可能性も閉ざされていたということである。
繰り返すが、19 世紀初頭の玉藻物ブームの際に海外に渡ることのできた日 本人作家はいなかった。よって、リアルな海外経験をもとに、異国や自国を書 いた作品はうまれなかった。だが、そのことを筆者はただ否定的にみているの ではない。
というのは、ロチの『お菊さん』に典型的に見られる、「日本=ムスメ=西 洋男性の地上楽園」というイメージ(16)に、筆者は辟易するからである。だが このイメージは根深く、蝶々夫人の系譜として繰り返し現代にまで再生産され 続けており(17)、21 世紀に生きる日本人女性である私を困惑させる。それゆえ、
私はこう考える。もし、文化文政期の日本の男性作家が、妖しい美女の国を夢 見てインドや中国に渡ったとしたら、そこでの女性経験をふまえて玉藻前幻想 をふくらませていったとしたら、どうだったろうか、と。玉藻前幻想は拡大し、
後の日本人のインド観や中国観に影響を及ぼしたかもしれなかった。
実際のところは、江戸期の玉藻前幻想は、おのずから拡大が回避されていた。
それは、歴史的な偶然にすぎないとも思うが、私はそのことについ、安堵して しまうのである。
注
( 1 )ベネディクト・アンダーソン『増補 想像の共同体』白石さや・白石隆訳、NTT 出版、1997 年、24 ページ
( 2 )永吉雅夫「三国伝来の狐——玉藻前説話の変容——」追手門学院大学アジア文化 研究会編『他文化を受容するアジア』和泉書院、2000 年
( 3 )「「玉三」と「桔梗旗揚」」『新演芸』1918(大正 7)年 11 月
( 4 )鈴木重三編『国芳』1992 年、平凡社、202 〜 205 ページ
この時期の玉藻物としては、渓齋英泉の『画図玉藻譚』も興味深い。読本を艶本 化したもので、紹介者の林美一は「本書が評判となった理由の一つは、あぶらの のりきったエキゾチックで妖異感あふれる英泉の挿絵にあったのではないか」と 述べている。「資料紹介 英泉自画作の『画図玉藻譚』〈付翻刻〉」『会本研究』18 号、1984 年 11 月参照
( 5 )崔官『文禄・慶長の役』講談社、1994 年
( 6 )巽孝之『メタファーはなぜ殺される ——現在批評講義——』松柏社、2000 年、
第 3 章
( 7 )永吉雅夫前掲論文
( 8 )梅棹忠夫『文明の生態史観』中公文庫、1974 年、35 〜 36 ページ
( 9 )内田樹『日本辺境論』新潮新書、2009 年
(10)高橋則子「南北と玉藻譚 ——『三国妖婦伝』と『玉藻前御園公服』——」、鶴屋
南北研究会編『鶴屋南北論集』国書刊行会、1990 年
(11)『日本古典文学大辞典』第二巻、岩波書店、鈴木重三筆「合巻」の項目、1984 年、
480 ページ
(12)外国を舞台とした物語を表現しようとした時、現地の取材ができず、なおかつ資 料が不足しているという状況は、表現者にとっては非常に苦しいことらしい。現 代の例だが、古代中国を舞台としたマンガ『三国志』の作者横山光輝は、「描き はじめた頃は日中国交回復前だったので、資料も乏しく、活字から想像するだけ で苦労の連続でした」と述べている(『三国志』第 60 巻あとがき、潮出版社、
1988 年)。
(13)和歌森太郎『日本民俗学講座 5 民俗学の方法』朝倉書店、1976 年、55 ページ
(14)西尾哲夫『アラビアンナイト』岩波新書、2007 年 126 ページ。同書によると、
以上のごとき近代ヨーロッパの状況に比べると、アラブ・ナショナリズムはかな り異なる展開を見せたそうである。近現代のアラブ世界では、民衆のアラビア語 による民衆のための文学が必要とされる状況は生まれなかったという。その点、
日本においては、民衆の日本語による民衆のための文学が、江戸期には誕生して いたといえないだろうか。
(15)工藤庸子『サロメ誕生 フローベール/ワイルド』新書館、2001 年、45 ページ
(16)岩田和男「むかし、ムスメ小説があった—『蝶々夫人』と日本女性のイメージ」、
佐々木英昭編『異文化への視線 新しい比較文学のために』名古屋大学出版会、
1996 年
(17)小川さくえ『オリエンタリズムとジェンダー 「蝶々夫人」の系譜』法政大学出版 局、2007 年
図版 図 1 〜 3 はいずれも『絵本玉藻譚』(国立国会図書館蔵)。
資料の掲載を許可して下さった国会図書館に、感謝申し上げます。
<ABSTRACT>
Exoticism and Nationalism in Tamamo-no-mae stories
Y
OKOYAMAY
asukoTamamo-no-mae, a fox demon incarnate, is a famous character in Japanese classics. She changes herself into a beautiful woman to deceive the emperors.
Her purpose is to destroy the human world with her magical power. After violent acts in China and India, she flies to Japan, but is exterminated by Japanese religious experts.
Tamamo stories were in fashion in the 19th century. Novelists tried to increase the number of episodes taking place in China and India, and to depict Tamamo as a femme fatale with exotic charm. Due to there being a policy of national isolation, literal descriptions and illustrations of foreign countries attracted readers. The exotic beauty of Tamamo reflects Japanese interests, and longing for foreign countries.
Tamamo is always killed at the end of the stories. This suggests a wicked witch from foreign lands can never survive in Japan. This pattern of ending shows a Japanese consciousness of superiority over other countries. In particular, in Ehon Tamamo Banashi, we find in Tamamo’s own words that she cannot escape elsewhere, because many powerful gods guard all of Japan. In this part, it is easy to recognize the national identity of the Japanese author.
However, after the rage for Tamamo stories passed, authors stopped emphasizing their exotic elements and began to compose local stories without foreign scenes. It was very difficult for writers in those days to continue describing foreign countries. Since Japanese people were prohibited from going abroad at that time, authors had to use limited materials about foreign manners and customs. As a result, exoticism as well as nationalism in Tamamo stories was not fully developed.