富 山大学教 育学 部 紀要No.5 4:4 9
‑
61 ( 平成12年)明治 時代 の 師範 学 校
への 音 楽 教 員 の 配 置
‑ 東京音楽学校卒 業 生 の 勤務校
の調 査 か ら 一 坂 本 麻 実 子
(1 9 9 9年1 0月2 0 日受理)
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ed u .toya m a ‑u.a c.] pキ ー ワ ー ド: 西 洋 音 楽 受 容, 音 楽 教 育, 音 楽 教 員, 東 京 音 楽 学 校, 師 範 学 校
Key w o rds :Intr odu ctio n of W e ste rn M u sic, M u sic E du c atio n,M u sic Te a che r s,Tokyo Ac ade m y of M u sic, No r m al Scho ol
は じ め
に筆 者は, 無 名の音 楽 教 員た ちの視 点か ら近 代日 本 音 楽 史を検 証す る試み を続けて い る が, 教 員の 中でも, 田山 花 袋の小 説 『田舎 教 師』 の主 人 公の よ う な音 楽 好きの代 用 教 員に とっ て, 師 範 学 校,
中 学 校, 高 等 女 学 校で教え る中 等 音 楽 教 員は, 義 望の的で あ っ たこと か ら, 今 回は師 範 学 校の音 楽 教 員を取り上げ る(1)。 中 等 学 校でも, 中 学 校では,
音 楽 教 育は任 意だ っ たので, 音 楽 教 員 を 置か なく
ても よ か っ た。 高 等 女 学 校は, 音 楽を必 修にし た が, 女 子 教 育の不 振か ら, 音 楽 教 員が各 府 県に配 置さ れ, 音 楽 教育が軌 道に乗るのは, 明治3 2年(1 8 9 9)
の高 等 女 学 校 令 公 布以後であ っ た( 2)。 し か し, 節 範 学 校は, 早く も明 治5 年(1 8 72) の学 制 公 布以後,
教 員 養 成 を 目 的と して各 地で設 置さ れ始め, 明 治 1 9年 (1 8 8 6) の師 範 学 校 令によ り, 東 京に中 等 教 員 を養 成 する高 等 師 範 学 校, 各 府 県に初 等 教 員を養 成す る尋 常 師 範 学 校を置 くことに な った。 尋 常 師 範 学 校は, 明 治3 0年(1 8 9 7)の 師 範 教 育 令に よ り,
師 範 学 校と改 称し た。 明 治3 0年 代以降, 府 県によっ
て は, 2 校 目の 師 範 学 校が開 校し, あ るいは師 範 学 校 女 子 部が女 子 師 範 学 校と して独 立し た。 高 等 師 範 学 校も, 明 治 末 年まで に, 東 京に高 等 師 範 学 校と女 子 高 等 師 範 学 校, 広 島に高 等 師 範 学 校, 秦 良に女 子 高 等 師 範 学 校が設 置さ れ た。 こう して,
各 府 県に1 校以上 設 置さ れ た師 範 学 校は, 唱 歌を 必 修と し, 音 楽 教 員を求め た。 本 稿は, 師 範 学 校
へ の音 楽 教 員の配 置という観 点か ら, 明 治 時 代,
各 府 県 下の師 範 学 校に勤 務し た音 楽 教 員を調 査し,
その結 果を も とに西 洋 音 楽の普 及 過 程の 一 面を考 察 する もので あ るo
明 治 時 代の 師 範 学 校の音 楽 教 員に つ い ては, 今 日に至る まで調 査さ れ たこと が なく, 大 方の教 員 た ち は音 楽 史 上で は忘れ ら れ た。 し か し, 明 治 時 代に設 立さ れ た師 範 学 校の多 くは, 国 立 大 学 教 育 学 部と して存 続して いるので, 師 範 学 校の音 楽 教 員は, 各 大 学の学
校
史の 旧教 員 一 覧 表か ら判 明 す る と考え た が, 実 際には簡 単で は な か っ た。 戦 災 や新 制 大 学へ の移 行に伴う混 乱にも 起 因して いるのだ ろ う が, 師 範 学 校 時 代の 旧教 員 一 覧 表が作 成 さ れて い な か っ たり, あ るい は見っ か ら ない場 合 が あっ た. 旧教 員 一 覧 表を入 手できても, 担 当 科 目が記 載さ れ ていない た め, 誰が音 楽 教 員なのか,
特 定できない場 合が あっ た。 旧 教 昌 一 覧 表に音 楽 教 員の出 身 校まで記 入さ れて い ること ば稀であっ
た。 学 校に よっ て資 料 事 情が ま ち ま ち なの で, 全 国の 師 範 学 校に音 楽 教 員を送 り 込ん でいた東 京 音 楽 学 校の側か ら調 査を始め て み る ことに し た。
『東 京 音 楽 学 校 一 覧』 ( 明 治2 2年 度 ‑4 5年 度 版。 東 京 芸 術 大 学 附 属 図 書 館 蔵. 請 求 番 号 3 7 7.1
‑
0‑
1 ‑ 5) の 「 卒 業 生 姓 名」 欄に は, 卒 業 生の就 職 先 が記 載さ れて い るの で, まず, 東 京 音 楽 学 校 卒 業 生で師 範 学 校に就 職し た者た ち を確 認し た。 次に,
入 手できた範 囲 内で は あ る が, 師 範 学 校の 旧教 員
一 覧 表に よ って, 東 京 音 楽 学 校 卒の音 楽 教 員と東 京 音 楽 学 校 卒以外の音 楽 教 員を区 別し な が ら, 杏 校の音 楽 教 員の変 遷を跡づ け たo J 口教 員 一 覧 表が 入 手で き ない場 合, 市 販の学 校 職 員 録 ( 筆 者は明 治3 4年 度 版, 3 5年 度 版, 3 7年 度 版, 3 9年 度 版, 4 1 年 度 版を参 照で き た) が, 担 当 科 目 も 記 入さ れて い て参 考にな っ た。
以上, 『東 京 音 楽 学 校 一 覧』, 師 範 学 校の 旧教 員
一 覧 表, 市 販の学 校 職 員 録, 以 上3 種 類の 資 料を 照 合し, 筆 者の判 断を加えて, 明 治 時 代の 師 範 学 校の 音 楽 教 員 人 事を復 元し た成 果が, 5 4頁か ら 6 1 頁まで の 「 明 治 時 代の師 範 学 校 音 楽 教 員 一 覧 表」
(以下, 「
一
昔 楽 教 員 一 覧 表」 という) で あ る。 「 音
楽 教 員一 覧 表」 の最 後には, 学 校ご とに典 拠 資 料 をあげたo
明 治5 年の学 制 公 布 当 時, 唱 歌は 「 当 分 之ヲ欠 ク」 という条 文が っ き, 明 治4 0年 (1 9 0 7) の小 学 校 令 改 正の暗まで随 意 科 目であ ったこと を考え れ ば,
明 治 時 代を通じて, 師 範 学 校が唱 歌を必 修と し,
音 楽 教 員を採 用し たこと は注 目して よい。 そ して,
師 範 学 校 音 楽 教 員の最 大の供 給 源が東 京 音 楽 学 校
であっ た。 本 稿は, 師 範 学 校ご と に採 用 状 況を述
べ ること は し ないが, 師 範 学 校と東 京 音 楽 学 校の 人 的 関 係は, いっ 頃か ら始ま り, どの よ う に展 開 して い くのか, ま た, 師 範 学 校が東 京 音 楽 学 校 卒 以外の音 楽 教 員を採 用 する場 合, その音 楽 教 員は どのよ う な出 自なの か という観 点か ら, 音 楽 教 員
の 配 置を検 討す る。
1 .
音 楽 取 調 掛 と 師 範 学 校
まず, 東 京 音 楽 学 校の前 身で, 明 治1 2年 (1 8 79)
に設 立さ れ た音 楽 取 調 掛と師 範 学 校の関 係か ら検 討し よ う。 音 楽 取 調 掛は翌1 3年か ら伝 習 生を募 集 する が, 早 く もその第1 回 生で, 明 治1 5年2 月 付 けの 「 修 業 讃 状 付 輿 伝 習 生」 であ る吉田 キ サ が長 崎 師 範で教えて い る。
音 楽 取 調 掛の 伝 習 生は, 履 修の仕 方に よ っ て,
「 全 科 卒 業 生」 と 「 修 業 謹 状 付 輿 伝 習 生」 の削が あ った が, 地 方の師 範 学 校に とっ て, 「 修 業 讃 状 付 輿 伝 習 生」 は即 戦 力にな った よ う だ。
た と え ば, 埼玉師 範の高 橋 成 則は, 明 治7 年 (1 8 74)の関 学 当 初か らの教 員であっ た。 洋 学を学 ん で い たの で, 恐ら く その点を買わ れ, 音 楽 取 調 掛に派 遣さ れ たの だ ろ う。 そ して, 明 治1 6年(1 8 8 3)
7 月 付けで修 業 讃 状 付 輿 伝 習 生に な る と, さ っそ く, 1 0月か ら唱 歌の授 業を始め た。 高 橋の教え子
であ る入 江 祝 衛 ( 明 治1 5年 入 学, 1 8年 卒 業) の回 想に よ れ ば, オルガ ンは教 師 用に 1 台し か な か っ
たの で, 入 江ら生 徒た ち は撃で 「ヒ ー ヨ ー , ヒ‑ イ ー , フ ‑ ム ー」 ( 現 在の音 名で言え ば, ドフ ァ,
ドソ, レ ラ) と弾 くこと を教え ら れ た。 当 時, 節 範 学 校の唱 歌の 授 業は, 県 知 事が視 察 するに値し た。 県 知 事が来 校し た と き, 入 江は, 「 春の弥 生
の 曙に」 ( 音 楽 取 詞 掛が明 治1 4年に編 集し た 『小 学 唱 歌 集』 初 編の第1 5曲 「 春のや よ ひ」 の こと。
現 在 も 「 越 天 楽 今 様」 という タ イ ト ル で小 学 校の 歌 唱 教 材であ る。) を, 間 違えて, 撃の頭 部では な く尻の方で弾いていた が, 県 知 事は気づ か な か っ た という。 こう して, 等を使っ て唱 歌を指 導し た 高 橋は, 明 治3 1年に埼 玉 師 範を退 職し( 3), その後,
埼玉女 子 師 範の嘱 託と なっ た。 た だ し, 明 治3 0年 代には オルガ ン は普 及してお り, 高 橋は, 埼 玉 女 子 師 範で は女 子の伝 統 的な芸 事であ る 「 挙 曲」 を 担 当し た。
一方, 音 楽 取 調 掛で も, 明 治1 7年(1 8 8 4)か ら全 国の府 県 庁に働き か け, 伝 習 生を派 遣してもらっ た。 その結 果, 翌1 8年7 月 付けの修 業 讃 状 付 輿 伝 習 生た ち は, 各 地の師 範 学 校に赴 任し ( 青 森, 宮 城, 秋田, 山 形, 栃 木, 埼 玉, 新 潟, 長 野, 石 川,
明子台時代の師範 学校への音 楽教 員の配置
岐 阜, 三重, 滋 賀, 大 阪, 奈 良, 和 歌 山, 徳 島,
愛 媛, 福 岡, 熊 本), 唱 歌の パ イ オニ アに な っ た。
な かで も 宮 城 県か ら派 遣さ れ た 四竃 仁 適は, 明 治 1 8年か ら4 4年まで宮 城 師 範に在 職し て宮 城 音 楽 教 育 界の総 帥と な り, その後 も 非 常 勤で大 正7 年ま
で教 壇に立っ た (『宮 城 師 範 学 校 同 窓 会 名 簿』)0
2
.期 待 さ れ た 東 京 音 楽 学 校 卒 業 生
音 楽 取 調 掛は, 明 治2 0年 (1 8 8 7)に東 京 音 楽 学 校 と し て開 校し た。 東 京 音 楽 学 校には, 演 奏 家コ ー ス の専 修 部と音 楽 教 員コ ー ス の師 範 部と が あっ た.
師 範 部に は, 初 等 音 楽 教 員 養 成 課 程と中 等 音 楽 教 員 養 成 過 程の区 別は な か っ た。 む し ろ, 東 京 音 楽 学 校は, 明 治2 7年(1 8 9 4) に小 学 唱 歌 講 習 科を新 設 しており, 中 等 教 員の養 成よ りも 初 等 教 員の増 産
の方が先で あ った と み え る。 ま た, 専 修 部で も,
教 職 科 目を履 修 すれ ば, 音 楽 教 員 資 格を取 得でき た。 師 範 学 校は, 専 修 部 卒 業 生も師 範 部 卒 業 生も 採 用して い るo
明 治32年 (1 8 9 9) の学 科 改 正で, 専 修 部は本 科 ( 声 楽 部と器 楽 部と歌 楽 部) と な る。 師 範 部は中 等 教 員 養 成 課 程の 甲 種 師 範 科, 初 等 教 員 養 成 課 程
の乙 種 師 範 科に分 化 する。 以後, 甲 種 師 範 科が,
中 等 音 楽 教 員 養 成の本 道と な る が, 本 科で も, 節 範 部 時 代と同 様, 教 職 科 目を履 修し, 中 等 音 楽 教 員 資 格を取 得でき た。 ま た, 本 科を卒 業して研 究 科に進 学 する と, 在 学の ま ま, 教 壇に立っ こと が できた。 「 音 楽 教 員 一 覧 表」 を見る と, 研 究 生が 教えて い るのは, 東 京 高 等 女 子 師 範, 埼玉師 範,
埼 玉 女 子 師 範, 神 奈 川 女 子 師 範で, や は り東 京と その隣 接 県に限ら れて い る。 その他, 科 目 履 修の 選 科の修 了 生も, 師 範 学 校に採 用さ れて いる。 た だ し, 選 科では中 等 教 員の免 状は出ない の で, 滋 賀 師 範や鳥 取 師 範で教え た菊 地 盛 太 郎は, 検 定 試 験で中 等 教 員 資 格を得て い る (『音 楽 界』(4)第1 巻 第8 号 「 楽 人 動 静」 欄 5 0頁 明 治4 1年8 月)o
さて, 「 東 京 音 楽 学 校 卒」 の肩 書は, 特に地 方 で は重み が あ った よ うであ る。 た と え ば, 和 歌Ll」
師 範は, 「 音 楽 教 員 一 覧 表」 を見る と, 音 楽 取 詞 掛 時 代の明 治1 6年7 月 付けの修 業 護 状 付 興 伝 習 生
で あ る恒 川 錬 之 助や金 津 鹿 之 助に よ り音 楽 教 育を
始め た が, 明 治3 4年に東 京 音 楽 学 校 卒の教 員の赴 任が決まっ た と き, 当 時 学 生であ っ た坂田冬 太 郎 は, 「 恩 師 近 森 先 生」 と題して次のよ うに 回 想し ている。
赴 任さ れ るに先っ て, こん な評 判が伝 っ た。
「 今 度 近 森 出 来 治とい う先 生が此 方 へ お出でに成 る。 先 生は音 楽 学 校を優 等で卒 業さ れ ( 筆 者 注. 東 京 音 楽 学 校 師 範 部 明 治3 0年 卒), 中々出 来る人
で あ る が, 和 歌 山 市の音 楽 界を振はす 為め に特に 選 抜さ れ て此 方 へ来ら れ るの で あ る。」 といふの であった。 果し て先 生は其の期 待に反か な かっ た(5)0
こう して, 東 京 音 楽 学 校 卒 業 生は各 地で期 待さ れ, 明 治3 0年 代 前 半ま でには, 東 京 音 楽 学 校 卒の
一
昔 楽 教 員が 一 度 も 赴 任して い ない府 県は な く な っ た。ところで, 東 京 音 楽 学 校は, 師 範 部か ら甲 種 師 範 科へ の改 組を機に, オ ルガ ンだ けでなくピ ア ノ
もカ リ キュ ラム に取り入れ た。 ピア ノが弾け るこ と は, 明 治 後 期 音 楽 教 育 界で は, 言わ ば最 先 端 技 術で あ った。 た と え ば, 明 治3 6年の甲 種 師 範 科 第 2 匝I 卒 業 生で, 茨 城 女 子 師 範に赴 任し た年 足 (旧 姓 岩 堀) 源は, 次の よ うに回 想して い る。
その当 時は オルガ ンだ けで, 幾 度か県 庁に嘆 願 し ま してや っ とピ ア ノを購 入して頂 きま し た処,
そ れ が大 評 判にな り ま して県 下の先 生 方が か わ る が わ る見 学に見え ら れ, み な その音 色のすば ら し さ に驚 嘆さ れ, そ して羨 望さ れ たのを覚えてお り ます( 6 )0
甲 種 師 範 科は, 明 治3 5年か ら 4 5年まで, 男 性6 4 名, 女 性1 2 9名, 合 計1 9 3 名の 卒 業 生を 出し た (『東 京 音 楽 学 校 一 覧』)。 今日の音 楽 教 員 養 成 系の 学 科 同 様, 女 性 優 勢で あ る が, 高 等 女 学 校は女 性 を採 用し ( 注2 前 掲 論 文 参 照) , 師 範 学 校は男 性 を採 用 する傾 向が あ る。 た だ し, 師 範 学 校 女 子 部
の担 当と して女 性を採 用 する場 合が あ る. ち な み に, 東 京 府で は, 師 範 学 校と高 等 師 範 学 校の音 楽 教 員は, 男 性で あ る。 そ れ に対して, 女 子 師 範 学 校と高 等 女 子 師 範 学 校の音 楽 教 員は, 男 性 も 女 性
もい る。 な お, 女 子 師 範の教 員は, 府 立 第二高 等 女 学 校 も 兼 務し た。 東 京 府の師 範 語 学 校のよ う な 男 女 教 員の棲み分け は, 各 府 県の 師 範 学 校でも 見 ら れ る。
3
.東 京 音 楽 学 校 卒 以 外
の音 楽 教 員 た ち
男 女の別は あ れ, 東 京 府では, 師 範 学 校, 女 子 師 範 学 校, 高 等 師 範 学 校, 女 子 高 等 師 範 学 校とす
べ て の師 範 学 校が, 東 京 音 楽 学 校 卒 業 生を採 用し た。 し か し, 地 方の師 範 学 校で は, 東 京 音 楽 学 校 卒 業 生を採 用し たくても, な か な か来てくれ な か っ た り, 採 周しても 短 期 間で異 動さ れて し ま うこと が あっ た。 そ れで, 地 方の 師 範 学 校で は, 東 京 音 楽 学 校 卒 以 外の音 楽 教 員た ち が少な か らぬ戦 力に なっ て い た。 「 音 楽 教 員 一 覧 表」 で は, 東 京 音 楽 学 校 卒以外の音 楽 教 員は, [] を付けて示し た。
今 回, 調 査し た範 囲では, 東 京 音 楽 学 校 卒 業 生以 外の 音 楽 担 当 教 員は, ① 東 京 音 楽 学 校 中 退 者, ② 東 京 女 子 高 等 師 範 学 校 卒 業 生, ③その他, に分 類
でき る。
① 東 京 音 楽 学 校 中 退 者
『東 京 音 楽 学 校 一 覧』 には 「 生 徒 姓 名」 欄が あっ
て, 在 学 生 名 簿を掲 載して いる。 実は, 師 範 部で も専 修 部で も, 本 科でも師 範 科でも, 各 学 年で毎 年の よ う に中 退 者が出て い る。 科 目 履 修の選 科で ち, 1 ‑ 2 年 在 籍して退 校す る者がい る。 中 退に は, いろい ろ な 理 由が あ る だ ろ う が, 卒 業あ るい は修 了 証 吾をもら わずに師 範 学 校に就 職し た看た ち がいる。 こう し た中 退 者に つ い て, 『東 京 音 楽 学 校
一
一 覧』 で確 認で き る在 学 年と, 勤 務 校を次に 示す。宮 島 慎三郎
石 川 清 信
植 松 延 毘 植 村ク ニ 香 川 実 村 上 一 郎
範
荏田 一 郎 明 治3 1,3 2年 選 科 ‑ 福 岡 女 子 師 範,
三重 女 子 師 範
島 長 代 明 治3 1年 仮 入 学。 32,3 3年 選 科 ‑ 宮 崎 師 範
青 木 克 明 治3 4年 声 楽 部2 年,3 5年 選 科 ( 唱 歌,オルガ ン) ‑ 新 潟 師 範
小 林扉豊 明 治3 5年 器 楽 部2年 ‑ 山 梨 師 範 平 川 千 代 明 治3 6年 甲 種 師 範 科3 年‑ 島 根 女
子 師 範
東 京 苦 楽 学 校を中 退 すれ ば, もち ろ ん無 資 格で あ る が, 先に就 職口 を確 保し, 勤 務し な が ら検 定 試 験を受けて 中 等 音 楽 教 員 資 格を取ること も可 能 だ った。 た と え ば, 三重 師 範の村 上 一 郎は, 東 京 音 楽 学 校 選 科に1 年 間 在 籍し, 三重 師 範 在 職 中の 明 治4 3年に検 定 合 格して いる (『三重 県 師 範 学 校
一 覧』 明 治4 3年 度 版)。
② 東 京 女 子 高 等 師 範 学 校 卒 業 生
東 京 女 子 高 等 師 範 学 校は, 女 性 中 等 教 員を養 成 する が, 音 楽 教 員の免 許 状は出さ ない。 し か し,
次に示 すよ うに, 女 高 師 卒の女 性 教 員 ( 女 高 師の 卒 業 年と学 科は 『桜 蔭 会 名 簿』1 99 0年 版によ る) は, 師 範 学 校に音 楽の専 任 教 員がいない とき, 自 分が専 門にする科 目に加えて音 楽 も 担 当さ せ ら れ た。
明 治2 2年 専 修 部2 年 ‑ 長 野, 山 形 師 範
明 治2 4年 専 修 部3 年‑ 山 形, 沖 縄 師 範
明 治3 0年 師 範 部1年 ‑ 山 梨 師 範 明 治3 1,3 2年 選 科 ‑ 長 岡 女 子 師 範 明 治3 1,3 2年 選 科 ‑ 三重 師 範
明 治3 2年 選 科
‑‑ ‑
+ 福 岡 師 範, 三重 師常 川と よ 明 治3 8年 技 芸 科 卒。
千 妻 女 子 師 範 図 画, 家 事, 音 楽 担 当。
大 村よ ね 明i台3 4年 高 等 師 範 科 卒。
静 岡 師 範。 修 身, 歴 史, 唱 歌, 遊 戯 担 当。
橋 本ひ さ し 明 治3 6年 文 科 卒。
明 石 女
‑
f 師 範。 日本 史, 地理, 普 字, 唱 歌,体 操 担 当。宮 村じ ゆ ん 明 治3 4年 国 語 漢 文 専 修 科 卒。
島 根 女 子 師 範。 国 語, 漢 文, 音 楽 担 当。
近 藤ま さ 明 治4 0
年
技 芸 科 卒。島 根 女 子 師 範。 家 事, 裁 縫, 音 楽
明治 時代の師範 学 校‑ の音 楽 教 員の配置
担 当。
明 治3 4年 高 等 師 範 料 率。
岡 山 女 子 師 範。 国 語, 音 楽 担 当。
明 治3 6年 技 芸 科 卒。
広 島 師 範。 音 楽, 裁 縫, 家 事 担 当。
以上の女 高 師 卒 業 生に音 楽を指 導し たのは,
「音 楽 教 員 一 覧 表」 に示 すよ うに, 東 京 音 楽 学 校 卒の教 員た ちであ る。
③その他
①と② 以 外では, 次の 3 名の経 歴のみ判 明し た。
三浦 波 治 岩 手 師 範。 私 立の東 京 音 楽 院 卒 (『岩 手 県 師 範 学 校 一 覧』)。 明 治4 1 年に中 等 教 員 免 状 取 得。 (『音 楽 界』
第1 巻 第8 号 「 楽 人 動 静」 欄 5 0 日 明 治4 1年8 月)
武 内 岩 尾 滋 賀 師 範。 滋 賀 県 師 範 学 校 卒。 母 校に採 用。 (『滋 賀 県 師 範 学 校 創 立 六 十 年 史』)
奥 山 朝 恭 岡 山 師 範。 明 治1 6年か ら2 0年まで
音 楽 取 調 掛 勤 務(7)。
師 範 学 校で は, 私 立 音 楽 学 校 卒 業 生や師 範 学 校 卒 業 生も採 用さ れ ること が あ っ た。 た だ し, 三浦
の母 校の東 京 音 楽 院も, 学 監の天 谷 秀が東 京 音 楽 学 校 専 修 部 明 治3 0年 卒であ るのを始め, 教 授 陣は 東 京 音 楽 学 校 関 係 者で 占め ら れ る (『中 等 語 学 校 職 員 録』 明 治4 1年 版)。 ま た, 奥 山の よ う に音 楽 取 調 掛 職 員か ら師 範 学 校 教 員に転 出 する という ケ ー
スもあっ た。 な お, 唱 歌 「 桜 井の別れ 」 ( 青 葉 蔑 れ る桜 井の) は奥 山の作 曲であ る。
む す び
に.音 声メディ アが未 発 達の時 代に は, 音 楽は, 人 間の移 動と と もに伝 播 する。 制 度 上は明 治4 0年ま で, 小 学 校の 唱 歌は随 意 科 目であ っ たに もか か わ らず, 師 範 学 校は, 地 域に お け る西 洋 音 楽 振 興の 拠 点と な り, 師 範 学 校の音 楽 教 員は, 西 洋 音 楽の 伝 道 師と して赴 任し, 歌や楽 器の演 奏 技 術を教 授
し た。 その結 果, 師 範 学 校を卒 業し, 東 京 音 楽 学 校に進 学 する者も出た( 8 )。 た だ し, 師 範 学 校の音 楽 教 員は, その前 身の音 楽 取 調 掛を含め, 東 京 音 楽 学 校で訓 練を受け た者が主 流で, 東 京 音 楽 学 校 な ら, 卒 業 生は学 科を問わず 師 範 学 校に迎え ら れ,
中 退 者で も採 用さ れ た。 地 方の師 範 学 校に は, 礼 立の音 楽 学 校 出 身や師 範 学 校, 女 子 高 等 師 範 学 校 出 身の音 楽 教 員 もいた が, や は り東 京 音 楽 学 校 卒 以 外の音 楽 教 員は非 主 流であ っ た し, 彼ら が学ん だ学 校 もま た, 東 京 音 楽 学 校 卒の音 楽 教 員が教え て い るの であ る。 明 治 時 代の師 範 学 校の音 楽 教 員
の変 遷は, 東 京 音 楽 学 校 流の西 洋 音 楽の伝 道 師た ちの 布 教 活 動の軌 跡とい っ てよいだ ろ う。
注
.(1) 拙 稿 ① 「『田舎 教 師』 の モ デル にみ る明 治 3 0年 代の西 洋 音 楽 受 容」 『人 間 文 化 研 究 年
報』 第1 3号 1 9 9 0年3 月 1 3
‑
2 5頁 拙 稿 ② 「 代 用 音 楽 教 員の領 域‑
『田舎 教 師』か らの近 代 音 楽 史 展 望
‑
」 『人 間 文 化 研 究 年 報』 第1 9号 1 9 9 6年3 月 9‑
1 5頁 拙 稿 ③ 「 明 治 青 年の立 志と西 洋 音 楽‑
『田 舎 教 師』 と その時 代‑
」 『桐 朋 学 園 大 学 研 究 紀 要』 第2 5集 1 9 9 9年1 1月 掲 載 予 定, 印 刷 中(2) 拙 稿 ④ 「 明 治 時 代の公 立 高 等 女 学 校へ の音 楽 教 員の配 置
一
束 京 音 楽 学 校 卒 業 生の勤 務 校の調 査か ら‑
」 『富 山 大 学 教 育 学 部 紀 要』 第5 3集 1 9 9 9年2 月 4 5‑
5 5頁(3) 百 年 史 編 集 委 員 会 編 『百 年 史 埼 玉 大 学 教 育 学 部』 百 年 史 刊 行 会 浦 和 1 9 7 6年 3 9,
7 2,4 1 6頁
( 4) 本 稿で は 『音 楽 界』 は復 刻 版 ( 大 空 社 東 京 1 9 9 5年) を使 用 する。
(5) 和 歌Ll」大 学 教 育 学 部 編, 発 行 『1 0 0年の あ し あ と』 和 歌 山 1 9 7 5年 2 4頁
(6) 樫 村 勝 『茨 城 女 子 教 育 百 年の歩み』 川田 プ リン ト 水 戸 1 9 7 6年 1 6 6頁
(7) 奥 山 朝 恭に つ い て は, 『東 京 芸 術 大 学 百 年 史 東 京 音 楽 学 校 篇』 第1巻 ( 音 楽 之 友 社 東 京 1 9 8 7年 2 6 9頁:) に経 歴が あ る が, 音
楽 取 調 掛 退 職 後の活 動は詳しく 伝え てい な い。
(8) た と え ば, 秋田県 師 範 学 校 編, 発 行 『創 立 六 十 年』 (1 9 3 3年 / 1 9 8 1年 復 刻 東 京 第
一 書 房) には, 「 上 級 学 校 入 学 者 一 覧」 と いう項 目が あ る。 そ れ に よ れ ば, 明 治 時 代,
秋田県 師 範 学 校か ら は, 九 島 和三郎 ( 明 治 3 2年 卒), 田 口隆二 ( 明 治3 3年 卒), 小田島 豊 治 ( 明 治3 4年 卒) が東 京 音 楽 学 校 甲 種 師 範 科に進 学し た。 大 正 時 代に な る と, 成田 為三 ( 大 正2 年 卒), 黒 沢 隆 朝 ( 大 正5 年 卒) ら が続く。 7 0 6
‑
71 1頁明 治時代 の 師範学校音 楽教 具
一覧表
北 海 道
[ 北 海 道]
① 北 海 道 師 範M 1 9: 専2 5成 川 熊 雄2 5
‑
2 9, 師2 8玉 川 瓶 也3 1‑ , 甲4 2徳 増 春三 4 2 ‑ , 甲4 2 工藤 富 次 郎4 3‑
4 4東 北
[ 青 森 県]
① 青 森 県 師 範M 9 : 伝1 8
‑
7傍 島マ ネ◎2 2‑
2 4, 取2 0山本 生2 5, 取2 0白 井 規 矩 郎2 6‑
2 7, 師2 8林 重 浩( 甚 蔵)2 8‑
2 9, 師2 6北 村 季 暗3 0‑
3 1, 師2 8林 重 浩( 甚 蔵)3 2‑
3 3, 専2 2高 木 次 雄3 4‑
3 7, 甲3 8釜 濁 善 作 ◎3 8 ‑[ 岩 手 県]
① 岩 手 県 師 範M 9 : 伝1 6
‑
7山 内 卯 太 郎 ◎2 2‑
2 6, 取2 0白井 規突巨郎2 31
2 4, 専2 2高 木 次 雄2 5‑
3 3, 師2 9黒 部 峯三3 4‑
弧 専2 5成 川 熊 雄3 6
‑
4 0,[
三浦 波 治4 1 ‑]
[ 宮 城 県]① 宮 城 県 師 範M 8 : 伝1 8
‑
7 四竃 仁 適 ◎1 8‑4 4, 甲4 4古 岩 井 久 平4 4‑
4 5, 甲4 5若 狭 寓 次 郎4 5 [ 秋田県]① 秋田県 師 範M 6 :[ 畑 江ツナ 1 9
‑
2 1], [ 京 極シゲ2 0‑
?]
, 伝1 8←7半田左 武 郎 ◎2 1‑
3 3, 専3 0神 山 末 吉3 3‑
3 4,[
揮 保 治郎3 5‑
4 4], 甲4 2 釜滝 清 蔵4 5② 秋 山 県 女 子 師 範M 4 2: 甲4 3園 部チヨ◎4 3
‑
4 5 [ 山 形 県]① 山 形 県 師 範M l l: 取2 0山 本 生2 1, 伝1 8
‑
7加 藤 精一 郎 ◎2 1‑
2 4, 取2 0松 本 昆2 4, [ 石 川 清 信 ◎2 6‑
3 3], 専3 0稲 岡 美 賀雄3 4‑
3 7, 甲3 8松 本 徳 蔵3 8, 師3 4新 清 次 郎3 9, [宮 島 慎三郎4 0‑
4 4], 師3 2渡 遺 森 蔵 ◎4 5 ‑②uJ形 県 女 子 師 範M 3 5: 師2 6大 畠( 紺 野)サ ダ3 6
‑
41( 兼 山 形 高 女), 醤 甲3 7島 津光 治◎3 9‑
4 1( 兼 山 形 高 女), 専2 4 石 岡( 小 関) トク4 2( 兼Ll」形 高 女), 甲4 0山 本さ だ◎4 31
4 5 ‑ , 甲4 4上 村なっ◎4 4 ‑[ 福 島県]
① 福 島県 師 範M 7 : 師2 6清 水( 長 尾) ヒデ 2 6
‑
2 7, 淑2 0L【̲
体 生3 1, 取2 0深 揮 登 代 吉3 2, 2 8師 吉田信 太3 2休 職, [ 渡 蓮 貞 雄3 3‑][ 茨 城 県]
① 茨 城 県 師 範M 9 : 専2 2鷹 野 国 蔵2 2
‑
2 5, 取2 0深 葎 登 代 吉2 5‑
2 7, 師2 4福 長 竹 雄2 8‑
3 4, 専2 9片 岡亀 雄3 5 ‑② 茨 城 県 女 子 師 範M 3 6: 肇 甲3 6岩 堀( 牛 尾) 蘇( 兼 水 戸 高 女)3 6
‑
4 0, 師3 0石 井( 西 川) シゲ◎4 1‑
4 4( 兼 水 戸 高 女),甲4 4菅 原 秀4 4‑ [ 栃 木 県]
① 栃 木 県 師 範M 6 : 伝18
1
7加 藤 精 一郎2 4‑
2 6, 取2 0山 本 生2 6‑
2 9, 師2 8河 原 林 吉 利3 0‑
3 3, 専3 1栗 本 清 夫3 4, 師 3 4山本 恭三 35‑
4 4( 兼 栃 木 女 師), 甲4 3荒 木 栄 次 郎4 5 ‑② 栃 木 県 女 子 師 範M 3 7: 甲3 8 日F 部 千 穂4 3
‑
4 5 [ 群 馬 県]① 群 馬 県 第 一師 範M 7 : 取2 0内田粂 太 郎 ◎2 2
‑
3 5, 師28大 塚( 川口) ヲト3 5‑
4 1, 取2 1岩 城 寛3 6‑
4 0, 甲4 1大 西 正 直4 ト4 4, 甲4 1野口米 次 郎4 5‑② 群 馬 県 第二師範M 4 5: 甲4 5Ll」本 妻4 5
明治 時代の師範学 校への音 楽教 員の配 置
③ 群 馬 県 女 子師 範M 3 5: 奮 甲3 7遠 藤( 山口)と よ3 7, 甲3 8増田( 山 本)とく3 8
‑
4 0, 甲4 1本 多( 小 松)ひ ろ4 1‑
4 2, 甲 4 3大 谷‑ ツヱ4 3‑
4 4, 華 甲3 7責 問( 西 川)きく4 5[ 埼 玉 県]
① 埼 玉 県 師 範M 6 : 伝1 6
‑
7高 橋 成 則 6‑
2 9, 伝1 8‑
7妹 尾繁 松 ◎1 8‑
1 9, 取2 0深 揮 登 代 吉3 0‑3 1, 専3 2益 山 鎌 吾3 2 ( 研), 専3 1石 野 魂3 4‑
3 9( 研), 甲3 9草 川 宣 雄3 9‑
4 0, 器4 1成 津 潤 蔵4 1‑ (4 卜4 2研)② 埼 玉 県 女子 師範M 3 2( 浦 和 高女と兼 任): 専3 4安 井( 中 村) コ ウ34( 研), 伝1 6
‑
7高 橋 成 則( 嘱 託。挙 曲 担 当)3 4一
?,師2 4高 木タ ケ3 5
‑
3 6, 専3 4天 野( 北 村) ‑ ツ3 7‑
3 8( 研), 華 甲3 6牧 野( 堀 江) ◎む め 3 9‑
4 0, 器4 1揮 蓮( 落 合) 責4 卜 4 2( 研), 甲4 3橋 村その◎4 3‑[ 千 葉 県]
① 千 葉 県 師 範M 7 : 師2 8野 村 成 仁2 9
‑
3 2, 専2 8前田久八 3 3, 師2 8河 原 林 吉 利3 4‑
3 7, 甲3 8 田 口隆二3 8‑
4 0休 職, 膏 甲3 7長 谷 部巳津 次 郎3 9‑
4 0, 器3 6堤( 山 本) 正 夫4 1, 甲3 9 八木 原道三4 2 ‑② 千 葉 女 子 師 範M 3 7( 千 葉 高 女と兼 任): 器3 7横 山( 陶)イト3 9, [ 宮 武ト ラヨ( 嘱託)3 9
]
,[
常 川と よ4 0]
, 伝1 8‑
7 宮 武 唯輔4 1 ‑[ 東 京 府]
① 青 山 師範M 9 : 取2 0小 山 作 之 助2 2
‑‑
2 4, 専2 2LLJ田源一 郎 ◎2 5‑
2 7, 専22小 出 冨 吉2 8‑
3 9, 甲3 9松 岡 保4 1 ‑ (卦豊 島 師 範M 4 2 : 器3 6堤( 山 本)正夫4 2‑
4 5③ 東 京 女 子 師 範M 3 3( 府 立 第二高 女と兼 任) : 専24丸 山( 小 津) ト メ◎3 6 ‑ , 声4 2大 和田愛 羅4 4 ‑
④ 東 京 高 等 師 範M 1 9: 取2 1鈴 木 米 次 郎2 4
‑
3 6, 専2 8 田村 虎 蔵3 2 ‑⑤ 東 京 女 子 高 等 師 範M 2 3: 取2 0林テフ◎2 3 ‑ , 師2 8吉田信 太3 3
‑‑
3 4, 専3 4中 村( 安 井) コ ウ3 5‑
4 5(3 5‑
4 2研),専3 4天 野( 北 村)‑ ツ3 5
‑
4 5( 研), 専3 5 三上タ ケ3 7( 研), 専3 1安 達カ ウ◎4 3 ‑, 甲4 1本 多( 小 松)ひ ろ4 3‑
4 5( 請 師)[ 神 奈 川 県]
① 神 奈 川 県 師 範M 9 : 伝1 6
‑
7浦 守 謹 吾2 2‑
2 4, 取2 1鈴 木 米 次 郎2 2, 取21小 林 錠 之 助2 3 ‑ , 師2 8大 塚( 川口)ヲ ト 3 ト 34( 附 属 小)(卦神 奈 川 県 女 子 師 範M 4 0: 甲3 9芋 川 宣 堆4 1
‑
4 3, 器4 1滞 遺( 落 合) 寅4 4甲 信 越
[ 山 梨 県]
① 山 梨 県 師 範M l l : 師2 2山田ヨネ 2 3
‑
2 5, 師22下 田( 宗 像) フサ 2 5‑
2 7, 専2 5中 村( 宮 崎)テ ル2 7‑
2 9, 専2 2鷹 野 国 造2 9, 取2 0山 本 生3 0‑
3 1, 専3 0稲 岡 美 賀 雄3 1‑
3 3, [ 行 方 正 彦3 4‑
3 5( 嘱 託)], [堕担堅 塁
◎3 5‑
3 7( 嘱 託) ], 苫3 7 横田 三郎3 7‑
3 8, [少埜 壁
4 1‑
4 3( 嘱 託)]
, 甲4 4伊 達 愛4 4 ‑[長 野 県]
① 長 野 県 師範M 8 : 伝1 8
‑
7加 藤 精 一郎1 9‑
?, 専2 4依田塀 之 助 ◎2 6‑
3 1, 師2 6北 村 季 晴3 2‑
3 3, 伝1 8‑
7門 奈ク リ 3 3=‑
3 7, 専2 4依田群 之 助 ◎3 4, 師2 9早 川 喜 左 衛 門3 7( 嘱 託), [ 宮 島慎三郎 ◎3 7], 善 甲3 5福 井 直 秋3 7‑
4 1, [ 藤 沢 清 美4 1( 嘱 託)]
, 専3 0神 山 末 吉4 2 ‑② 松 本 女 子 師 範M 3 8: 奮 甲3 6豊 島 盈◎3 8
‑
4 4(‑ 4 0兼 松 本 高 女), 膏 甲3 6井 出茂 太 ◎4 1‑ [新 潟 県]① 新 潟 師 範M 9 : 伝1 8
‑
7高田セ ン◎2 2‑3 3, 専2 6石 原 重 雄2 6‑
2 9, 専3 0神 山 末 吉3 0, 師3 1入 江 好 治 郎3 2‑
3 5, 節3 0高 井 徳 造3 6, [
葺杢昼
∋7( 嘱 託)], 甲3 8西 村 甫 也3 81
4 0, 甲3 8輿田甚二郎4 1 ‑(診高田師 範M 3 2: 師3 0近 森 出来 治3 3
‑
3 4, 専3 0神 山 末 吉3 5‑
3 7, 師2 9早 川喜 左 衛 門3 7‑
3 8, 奮 甲3 7渡 蓮 禰 蔵3 91
4 2,器3 7槙田 三郎4 3 ‑
③ 長 岡 女 子 師 範M 3 2:[ 植 村クニ( 訓 導 兼 嘱 託)3 7, 3 9], [ 前田 レン( 嘱 託)3 7]
北 陸
[ 富 山 県]
① 富 山 県 師 範M 6 : 取2 0松 本 長2 3, 取2 0探 滞 登 代 吉2 4, 専2 2鷹 野 国 蔵2 6
‑
2 8, 師2 9安田俊 高2 9‑
3 2, 師2 9島 村 吉 門3 2‑
3 4, 蓉 甲3 5福 井 直 秋3 5‑
3 6, 奮 甲3 7杉 江 秀3 7‑
4 0, 専3 0高 塚金堅爾4 1 ‑ , 甲4 3鈴 木ミ ツ子4 3, 甲4 4井 上 初 枝4 4 ‑[ 石 川 県]
① 石 川 県 師 範M 7 : 伝1 8
‑
7行 山( 柿)スガ◎2 2‑
2 7, 師2 6大 畠( 紺 野)サダ2 6‑
3 3, 師34新 清 次 郎3 5‑
38, 奮 甲3 7村 岡 重 任3 9‑
4 0, 器4 1大 西 安 世4 1 ‑[ 福 井 県]
① 福 井 県 師 範M 6 : 師3 0吉田恒三◎3 0
‑
3 4, 専3 2益Ll」鎌 吾3 5‑
3 8, 甲3 9 八木 原 道三4 1, 器3 8安 藤 弘4 2‑
4 4東 海
[ 岐阜 県]
① 岐 阜 県 師範M 6 : 伝1 8
‑
7亀 井 虎三郎( 千 尋) ◎2 2‑
3 0, 師3 0高 井 徳 造3 1‑
3 3, [ 野田喜一 郎3 4‑
4 1], 甲4 3竹 滞 貞 次 郎4 3‑
4 4, 甲4 5林 仙二 4 5② 岐阜 県 女 子 師 範M 4 4: 甲4 1松 井あい◎4 4
‑
4 5 [静 岡 県]① 静 岡 県 師範M 8 : 師2 2前 川( 内 山) 幸 作2 3
‑
2 8, 専2 9永 井 幸 次2 9‑
3 3, 伝1 6‑
7戸 城 伝 七 郎3 3‑
?, [ 大 村よ ね3 4,3 5, 3 7],
[
大 橋 純二郎3 4, 3 5, 3 7]
, 菖 甲3 7内藤 俊二3 7‑
4 2, 甲4 0原田彦四郎4 4 ‑② 静 岡 県 女 子 師範M 3 9: 甲3 9平 林た み 39
‑
4 5 [ 愛 知 県]① 愛 知 県 第 一 師範M 9 : 取2 1岩 城 寛2 2
‑
3 2, 師2 9安田俊 高3 3‑
4 5 ‑ , 専2 5成 川 熊 雄4 1,② 愛 知 県 第二師 範M 3 6: 専2 6石 原重 雄3 2
‑
3 4, 師2 4福 島 竹 男3 5‑
4 0, 専2 5成 川 熊 雄4 2, 師3 2鈴 木 毅 ‑4 4‑③ 愛 知 県 女 子 師 範M 3 4: 器4 5吉田トキ 4 5 ‑
近 畿
[三重 県]
①三重 県 師 範M 3 4: 伝1 8
‑
7金 津 鹿 之 助 ◎1 9‑
2 3, 伝1 8‑
7恒 川 錬 之 助2 4‑
3 9,[ 査 り 茎
( 嘱 託)38‑‑‑
3 9]
, [ 村 上 一郎 3 9 ‑]②三重 県 女 子 師 範M 4 1 :[
亘
)1L3 f
;3 9], [揮田 一 郎4 1] [滋 賀 県]① 滋 賀県 師範M 3 4: 伝1 6
‑
7太田政 徳2 ト 2 3, 伝1 8‑
7門 奈ク リ2 2‑
2 4, 師2 4福 長 竹 男2 4‑
2 8, 伝1 8‑
7野 中 武 雄2 5‑
3 0, 取2 0深 揮 登 代 吉2 8‑
3 0, 師2 8今 野 大 膳3 0‑
3 2, [ 滞 保 治 郎3 3‑
3 5], 専3 5中 村 忠 雄3 5‑
3 7, 講3 2/ 選3 6‑
3( 唱 歌) 菊 地 盛 太 郎3 7‑
3 9, 奮 甲3 7布 村う た3 7‑
4 1( 女 千 部), [ 武 内 岩 尾3 9‑]② 滋 賀 県 女 子 師 範M 4 1 : 膏 甲3 6牧 野( 堀 江) む め4 2, 甲3 8 田淵はつ4 3 ‑ [京 都 府]
① 京 都 府 師 範M 9 : 取20松 本 長1 0T2 2, 師2 2酒 井 良 忠◎1 2
‑
2 6, 師2 2楠 美 恩三郎26‑
3 5, 師3 0吉田恒三 3 5 ‑ (卦京 都 府 女 子 師 範M 4 1 : 膏 甲3 5志 水 操 ◎4 2 ‑[ 大 阪 府]
① 天 王 寺 師 範M 8 : 伝1 8
‑
7柴田鼎2 2‑
2 3, 専2 5中嶋( 多) 梅 椎2 5‑
3 3, [ R 賀田寓 代 吉( 兼 大 阪 女 師)3 4 ‑]② 池田師 範M 4 1: 甲4 2 工藤 富 次 郎4 2, 甲4 2 釜滝 清 蔵4 3
‑‑‑
4 4, 甲4 1小 郡 卯八 4 5 ‑③ 大 阪 女 子 師 範M 3 3: 甲4 0望月 清4 0
‑
4 1 [ 兵 庫 県]① 御 影 師 範M l l :[ 奥 山 朝 恭2 1
‑
2 5], 専2 6元 橋 義 致2 6‑
2 8, 専2 8 臣l村 虎 蔵2 9‑
3 1, 専2 9米 野 鹿 之 助3 2 ‑② 姫 路 師 範M 3 4: 師3 4矢 野 盛 雄3 4
‑
4 0, 4 2‑
4 4③ 明 石 女 子 師 範M 3 6:[ 橋 本ひ さ し3 7], 甲3 8津田( 高 須)な を 3 8
‑
3 9, 甲4 0 田中( 清 水) 寅 之 助4 0, 甲4 1松 井あい 4 1‑
4 3, 甲4 4川 下 秋4 4 ‑[ 奈 良 県]
① 奈 良 県 師範M 2 1: 伝1 8
‑
7野 中 武 雄2 1T2 4, 専2 4依田研 之 助2 5T2 6, [ 目 賀田寓 代 吉2 6‑
3 4], 師3 0高 井 徳 造3 4‑
3 6, 遠3 6‑
1 2( 唱 歌) 吉田丞 雄( 兼 奈 良 女 師)3 6‑② 奈 良 県 女 子 師 範M 3 8: 甲4 4安 藤 憲4 4‑
③ 奈 良 女 子 高 等 師 範M 4 1: 甲4 0 田中( 清 水) 寅 之 助4 2‑ , 甲4 3宮 内 薫4 3 ‑ , 声4 3幾 尾 純4 4
一 ‑
4 5( 兼 訓 導) [ 和 歌 山 県]① 和 歌 山 県 師 範M 8 : 伝1 8 1恒 川 錬 之 助2 2
一 ‑
24, 伝1 81‑
7金 津 康 之 助2 5‑
3 4, 師3 0近 森 出 来 治3 5 1 7, 奮 甲3 7南 能 衛3 8‑
4 0, 膏 甲3 7長 揮 光 治4 2‑
4 5明治 時 代の師範 学校への音 楽 教員の配置
中 国
[ 鳥 取 県]
① 鳥 取 県 師範M 1 9: 専2 2小 出苗 吉2 2
‑
2 7, 師2 8立 花 季 太 郎3 0, 専2 9fl̀
岡 亀 雄3 2, 専2 9永 井 幸 次 ◎3 41
3 7, 専3 0神 山 末 吉3 8‑
3 9, 専2 9高 橋二 三 四 4 0‑
4 1, 講3 2/
選3 6‑
3( 唱 歌) 菊 地 盛 太 郎4 1‑
?[ 島 根 県]
① 島 根 県 師 範M 8 :[ 風 間 金 次23
‑
3 0], 2 8師 林 甚 蔵( 垂 浩)3 0‑
3 1, 師2 8今 野 大 膳3 2, 専2 5成 川 熊 雄3 3‑
3 5, 器3 6 堤( 山本)
正 夫3 6‑
3 7, 甲3 8輿田甚二郎3 8‑‑
4 0, 甲4 1新 谷八太 郎4 1‑
4 2, 甲4 3荒 木 栄 次 郎4 3‑
4 4, 甲3 8君 塚正志4 5② 島 根 県 女 子 師 範M 3 6:[ 宮 村じゅん 3 7], [
里 り王 埋
3 9], [ 近 藤ま さ 4 1], 甲4 2窪田 た か4 2‑
4 4, 甲4 4天 野ヨ シ4 4
‑
4 5 [ 岡 山 県]① 岡 山県 師 範M 7 : 伝1 6
‑
7森 岩 太 郎 ◎2 2, [ 奥Lh 朝 恭2 6‑
3 5], 専2 7高 潰 孝 一3 6‑
3 9, 師2 9早 川 善 左 衛 門3 9‑
4 1,甲3 8小 笠 原 良 造4 2 ‑
② 岡LLl県 女 子 師範M 3 6( 岡 山 高 女と兼 務):[ 山 下 寅 吉3 5
]
, [ 丸 岡増3 7]
, 膏 甲3 7赤 尾 寅 吉4 1 ‑ [ 広 島 県]① 広 島 県 師 範M 7 : 取2 0Ll」本 生3 2
‑
3 3, 3 5‑
3 7, [ 滝u」コ ウ3 7], 器3 8成田蔵 巳3 8‑
3 9, [ 井 上トヨ3 9], 声3 8外 山 国 彦4 1‑
4 2, [ 赤 堀 静4 1], 奮 甲3 7渡 遠 禰 蔵4 3 ‑②三原 女 子 師 範M 4 2: 甲4 3鈴 木あ や 4 3, 甲4 4山田( 赤 川) フ ミ4 4
‑
4 5③ 広 島 高 等 師 範M 3 5:
.
師2 8吉田信 太3 6 ‑ , 奮 甲3 5荒 島( 藤 村) すゑ4 2, 華 甲3 7内 藤 俊二 4 3‑
4 5 [ 山口県]① 山口県 師範M 7 : 伝1 6
‑
7高 橋均1 5‑
2 7, 取2 0倉 知 甲子 太郎2 3‑
2 5, 師2 6飯田 三 三堆2 6‑
2 7, 専2 6元 橋 義 教2 9‑
3 1,[ 揮 保 治 郎3 ト 3 3
]
, [ 大 橋 純二郎3 2‑
3 3], 師2 9松 山 若 拙3 4 ‑四 国
[ 徳 島 県]
① 徳 島 県 師 範M 7 : 伝18
‑
7妹 尾 繁 松2 0‑
3 0, 専2 8鈴 木 重 太 郎3 0‑
3 2, 華 甲3 5甲斐( 内 藤) 蝶3 5,[
渡 蓮 貞 雄3 2‑
3 3], 華 甲3 6九 島( 松 村) 和三郎3 6‑
3 9, 甲39大 槻 貞一3 9‑
4 4, 甲4 3竹 滞 貞 次 郎4 5‑② 徳 島県 女子 師 範M 4 1: 甲3 9小 串信 太 郎( 徳 島 中 学 教 諭)4 1 ‑ [ 香 川 県]
① 香)fl 県 師 範M 2 2: 師2 2楠 美 恩三郎2 3
‑
2 5, 取2 0松 本 長2 5T2 7, 師2 8吉田信 太2 8‑
3 1, 師3 1川 添 安 蔵3 2‑
4 5, 声4 5 中尾リヨ ウ◎4 5‑[ 愛 媛 県]
① 愛 媛 県 師 範M 9 : 伝1 8
‑
7宮 武 唯輔1 9‑
3 0, 専2 5成 川 熊 堆3 0‑
3 2, 専2 8鈴 木 重 太郎3 3 ‑ [高 知 県]① 高 知 県 師 範M 7 : 伝1 6J7芋 賀 春 樹 ◎2 2
‑
2 6, 伝1 8‑
7門 奈ク リ2 5‑
2 9, 師3 0近 森 出 来 治 ◎3 0‑3 2, 師2 4福 島 竹 男 4 1′‑九 州
[ 福 岡 県]
① 福 岡 師 範M 7 : 伝1 6
1
7甫 守 護 吾1 7‑
2 0, 伝1 8‑
7庄 野(三浦)五郎 ◎2 2‑
2 9, 師2 9島 村 吉 門 ◎3 0‑
3 1, [ 3 5‑
3 9], 奮 甲3 7松 園 郷 美4 1 ‑② 小 倉 師 範M 4 1: 甲4 0栢 森 亨4 ト4 3, 甲4 4山 内常 光4 4 ‑
③ 福 岡 女 子 師範M 3 6:[
星 型
二些
3 9], 甲4 0秋 山 升4 2 ‑[ 佐 賀 県]
① 佐 賀 県 師 範:[宮 野 常 吉2 2
‑
2 4]
, [ 金田留 平2 4‑
3 5]
, 師2 9島 村 吉 門3 5‑
4 0( 兼 佐 賀 県 高 女), 専3 2益 山 鎌 吾4 0‑
4 5, 甲4 5牧 野 一郎4 5 ‑[ 長 崎 県]
① 長 崎 県 師 範M 7 : 伝1 5
‑
2吉田 キ サ2 2, 選 科 修 業 証 明 書 付 与 伝 習生23‑5松 浦 潔2 3‑
2 7, 師2 8池 上 長 贋2 8‑
3 2, 専3 0高 塚 鐙 爾3 3