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ネットを利用していたことになる では なぜ年齢層で明確な選択の差が生じたのだろうか さらに注目されるのは 投票率の増加 とりわけ若年層のそれである 投票率は七五 八%で 前回二〇〇七年大統領選挙の六三 〇%を大きく上回り なかでも三〇代以下の投票率は 大幅に増加している(図2参照)

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Academic year: 2021

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(1)

二〇一二年一二月一九日に行われた韓国第一九代大統領 選 挙 は、 与 党・ セ ヌ リ 党 の 朴 パク 槿 ク 恵 ネ 候 補 が 当 選 し、 「初 の 女 性大統領の誕生」で幕を閉じた。 一 九 八 七 年 の 民 主 化 後 、 五 年 ご と に 大 統 領 選 挙 ( 再 選 は 禁 止 ) が 実 施 さ れ る よ う に な っ て 、 二五 年 が 過 ぎ た 。 そ の 間 、 韓 国 の 政 党 は 頻 繁に 離 合 集 散 ・ 党 名 変 更 を 繰 り 返し て き た が 、 基 本 的に は 、 民 主 化 以 前 の 政 権 党 の 流 れ を く む 保 守 政 党 と 、 そ れ に 対 抗 す る比 較 的 リ ベ ラ ル な 政 党 が 二 大 勢 力 と し て 争 っ て き た 。 民 主 化 後 も 政 権 党 は 継 続 し た が 、 九 七 年 選 挙 に よ る 政 権 交 代 か ら 一 〇 年 間 は 、 金 キム 大 テ 中 ジュン 、 盧 ノ 武 ム 鉉 ヒョン を 大 統 領 と す る リ ベ ラ ル な 政 党 の 政 権 が 続 き 、 二 〇 〇 七 年 の 選 挙 で 再 び保 守 政 党 の 李 明 博 が 勝 利 し た 。 今 回 の 選 挙 は 、 李 イ 明 ミョン 博 バ ク 政 権 に 批 判 が 集 ま る な か の 国 民 の 選 択 、 そ し て イ ン タ ー ネ ッ ト 選 挙 運 動 の 影 響 に 注 目 が 集 ま っ た 。 選 挙 は 、 与 党 ・ セ ヌ リ 党 の 朴 槿 恵 候 補 と野 党 ・ 統 合 民 主 党 の 文 ムン 在 ジェ 寅 イン 候 補の 一 騎 打 ち と な っ た が 、 両 者 に 縁の あ る 二 人 の 元 大 統 領 、 朴 正 煕 と 盧 武 鉉 の 幻 影 が 選 挙 戦 に も つ い て 回 っ た 。 朴 槿 恵 は、 朴 正 煕 元 大 統 領 (六 一 年 に 軍 事 ク ー デ タ ー で 権力を掌握し、七九年に暗殺されるまで長期執権) の娘で、 前 回 の 大 統 領 選 挙 は ハ ン ナ ラ 党 (セ ヌ リ 党 の 前 身) の 予 備 選で李明博に敗北したが、その後ずっと次期大統領の最有 力候補とみなされてきた。父の朴正煕は独裁者と批判され る一方で、今日の発展の基礎を築いたとする高い評価もあ り、成長時代に郷愁を抱く人々を中心に人気が高い。他方

第Ⅲ部

選挙

壊す社会、

出す絆

社会

選挙

民主主義

韓国

大統領選挙

世代対立

磯崎典世

(2)

ネットを利用していたことになる。では、なぜ年齢層で明 確な選択の差が生じたのだろうか。 さらに注目されるのは、投票率の増加、とりわけ若年層 のそれである。投票率は七五・八%で、前回二〇〇七年大 統領選挙の六三・〇%を大きく上回り、なかでも三〇代以 下 の 投 票 率 は、 大 幅 に 増 加 し て い る (図 2 参 照) 。 そ の 原 因として、ここでもインターネット利用の影響が考えられ るが、やはりそう単純ではない。同じようにネット選挙が 初めて全面解禁された同年四月の総選挙の投票率は五四・ 六 % で、 前 回 の 四 六・ 一 % か ら の 上 昇 は さ ほ ど 大 き く な く、 二 〇 代 の 投 票 率 は 四 一・ 六 % に す ぎ な い。 つ ま り、 ネット選挙を導入すれば投票率が上昇すると、単純に言う ことはできないのだ。では、理由は何だろうか。 本稿では、今回の選挙で顕在化したこうした現象の解明 を通じて、韓国民主主義の現状を検討する。急速な経済発 展と社会の変化、そして政治システム自体の「民主化」の なかで、人々の要求に国家が応じる政治システムはいかに 機能しているのか、そしてその機能を人々がどう評価し、 選挙を通じて何を実現しようとしたのか。こうした観点か ら、今回の選挙過程に焦点をあて、民主化から二五年を経 過した韓国の民主主義について考える。 投 票 行 動 の 世 代 差 を 解 明 す る 際、 (一) 「何 を 問 題 と 見 な し、どう解決するか」という政治アジェンダと対応策の選 択 に、 自 ら の 経 験 が 判 断 の 準 拠 枠 と し て 作 用 す る、 (二) 急速な社会の変化でその準拠枠が世代間で大きく異なる、 という仮説を設定する。六一年の軍事クーデターから約五 〇年、民主制は後半二五年に過ぎず、他方、五〇年間で一 人 当 た り G D P は 一 五 〇 ド ル 程 度 か ら 二 万 ド ル を 突 破 し た。政治面でも経済面でも大きな変化を経験するなかで、 各世代で現状認識に差が生じることが推測されるからだ。 54.2 47.2 74.0 47.0 41.6 68.4 54.9 45.5 70.0 66.3 52.6 75.6 76.6 62.4 82.0 76.3 68.6 80.9 19歳 20代 30代 40代 50代 60代以上 2007 年大統領選 2012 年総選挙 2012 年大統領選 図2 大統領選挙における年齢別投票率の推移 (注)大韓民国中央選挙管理委員会 HP データベース (http://www.nec.go.kr)より筆者作成。 の文在寅候補は弁護士出身で、盧武鉉の側近として大統領 秘書室長などその政権の核心を担った。盧武鉉は、庶民の 代表として既得権層への切り込みを掲げ、ラディカルな手 法で政治に多くの混乱を生じさせたが、不公正に挑んだ政 治家として支持者も多い。 さ ら に 、 今 回 の 大 統 領 選 挙 は 、 イ ン タ ー ネ ッ ト を 利 用 し た 選 挙 運 動 が 全 面 解 禁 さ れ る 選 挙で あ っ た 。 ネ ッ ト 選 挙 運 動 は 、 二 〇 〇 二 年 大 統 領 選 挙 で 初 め て 威 力 を 発 揮 し た が 、 こ の 一 〇 年 間 は 公 職 選 挙 法 が そ の 利 用 に さ ま ざ ま な 制 約 を 課 し て い た 。 し か し 、 そ う し た 規 制 が 二 〇 一 二 年 の 選 挙 か ら 撤 廃 さ れる * 1 こととなり、政治に与える影響が注目されたのだ。 選挙結果は、朴槿恵が五一・六%、文在寅が四八・〇% の得票率となったが、何より注目されたのは年齢層による 選択の差であった。図1は、当日のKBS・MBC・SB Sの放送三社による出口調査 * 2 である。若年層の野党候補支 持、中高年層の与党候補支持が明確に現れ、世代間の対立 としてメディアなどでも大きく取り上げられた。なぜこの ように、年齢層によって候補選択に明確な差が現れたのだ ろうか? すぐに思い浮かぶのは、インターネットによる選挙運動 の影響で、ネットを利用する若者としない高齢者の間に選 択の差が現れたという解釈であろう。しかし、事実は異な る。 ス マ ー ト フ ォ ン の 急 速 な 普 及 (二 〇 一 二 年 の 利 用 率 は、 五 〇 代 で 四 六・ 八 %、 六 〇 代 で 二 三・ 四 %) で ネ ッ ト へのアクセスが容易になり、二〇一二年のインターネット 利 用 者 の 割 合 は、 五 〇 代 で 六 〇・ 一 %、 六 〇 代 以 上 で 三 八・五%に達している * 3 。こうした「スマホを使う中高年」 の 圧 倒 的 な 朴 槿 恵 支 持 は、 韓 国 で は「五 〇・ 六 〇 代 〝人 差 し 指 族〟 が 二 〇・ 三 〇 代〝親 指 族〟 を 押 さ え た」 (『東 亜 日 報』 二 〇 一 二 年 一 二 月 二 一 日) と 報 じ ら れ、 日 本 で も「ス マ ホ 中 高 年 朴 氏 援 護」 (『朝 日 新 聞』 二 〇 一 二 年 一 二 月 二 二 日 朝 刊) と 伝 え ら れ た。 つ ま り、 多 く の 中 高 年 も イ ン タ ー 60代 50代 40代 30代 20代 全体 27.5 37.4 55.6 66.5 65.8 48.0 72.3 62.5 44.1 33.1 33.7 51.6 文在寅 朴槿恵 図1 2012年大統領選挙における世代別得票率(%) (資料)KBS・ MBC・SBS 出口調査。 (注)『朝鮮日報』2012年12月20日朝刊第2面より筆者作成。

(3)

ム の 大 転 換 は、 「万 年 野 党」 だ っ た 政 党 の 執 権 下 で 行 わ れ、それ以降、政治の流動性も高まった。

社会

変化

急速な経済成長下で社会は大きく変化したが、顕著に現 れ て い る の は 少 子 化 の 進 展 で あ ろ う。 合 計 特 殊 出 生 率 (女 性 一 人 が 一 生 に 生 む 子 ど も 数 の 平 均 値 に 相 当) は、 一 九 六 〇年には六を超えていたものが、八四年に二を切るまで急 速に減少した。日本でも少子化対策は喫緊の課題となって いるが、韓国は日本以上に急速に問題が進展し、現在は日 本より深刻な状況となっている (図4参照) 。 12 10 8 6 4 2 0 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011(年) 日本 韓国 日本の若年層 (15‒24 歳) (15‒24 歳)韓国の若年層 (%) 図3 日本と韓国の失業率 (注)OECD Library 統計データベース (http://www.oecd-ilibrary.org/statistics)より筆者作成。 7 6 5 4 3 2 1 0 1 9 6 0 1 9 6 2 1 9 6 4 1 9 6 6 1 9 6 8 1 9 7 0 1 9 7 2 1 9 7 4 1 9 7 6 1 9 7 8 1 9 8 0 1 9 8 2 1 9 8 4 1 9 8 6 1 9 8 8 1 9 9 0 1 9 9 2 1 9 9 4 1 9 9 6 1 9 9 8 2 0 0 0 2 0 0 2 2 0 0 4 2 0 0 6 2 0 0 8 2 0 1 0( 年 ) 日本 韓国 図4 日本と韓国の合計特殊出生率 (注)OECD Library 統計データベース (http://www.oecd-ilibrary.org/statistics)より筆者作成。

韓国

急速

経済発展

社会

変化

* 4

経済

急成長

二〇一二年の段階で、韓国の名目GDPは一兆一五〇〇 億ドルを超え、世界一五位の経済規模となっているが、そ の成長はまさに急進展であった。 一九六〇年段階で一五〇ドル程度にすぎなかった一人当 たりGDPは、朴正煕政権下で推進された国家主導の経済 開発計画によって、その政権が終焉する七九年には一七九 五ドルとなっていた。その後、八二年に二〇〇〇ドル、八 九年に五〇〇〇ドル、九五年に一万ドルをそれぞれ突破し た。九七年の通貨危機によってマイナス成長に陥るもすぐ V字回復し、一人当たりGDPは二〇〇四年に一万五〇〇 〇ドル、二〇〇六年に二万ドルに達し、その後一時減少し たが、二〇一〇年に再び二万ドルを突破した。六一年クー デ タ ー の 公 約 で、 「絶 望 と 飢 餓 に 喘 ぐ」 と 描 か れ た 国 民 の 生活は、五〇年間に大きく変化した。とりわけ、それ以前 の貧困を経験した世代には、朴正煕政権期こそが「豊かに なる」過程を実感できた時代だったであろう。 八〇年に軍が再び政治介入し、経済は初のマイナス成長 と な っ た が、 権 威 主 義 体 制 を 再 構 築 し た 全 チョン 斗 ドゥ 煥 ファン 政 権 の 下 で、マクロ経済は回復した。八七年の民主制への移行は好 調なマクロ経済の下で進展し、民主化後に噴出した利益分 配の要求にも、ある程度対応できる余裕があった。九〇年 代半ば、OECD加盟に向けて自由化が急速に進められた が、経済システムが抱える核心問題は手つかずで、問題を 先送りにしたまま経済は膨張を続けた。 そ の 経 済 運 営 は 、 九 七 年 に 破 綻 し た 。 財 閥 系 企 業 が 大 量 の 外 資 を 借 り 入 れ て 多 角 経 営 を 展 開 し て い た韓 国 経 済 は 、 アジ ア 通 貨 危 機 の 煽 り で 急 速 に 資 金 が 回 収 さ れ 、 負 債 の 返 済 が 不 可 能 な 状 態 に 陥 っ た 。 政 府 は I M F に 緊 急 融 資 を 要 請 し 、 融 資 条 件 と し て 提 示 さ れ た 経 済 シ ス テ ム 全 般 の 構 造 改 革 や 貿 易 ・ 資 本 取 引 の 完 全 自 由 化 な ど の 実 施 を 迫 ら れ た 。 構 造 調 整 の 過 程 で 、 金 融 機 関 ・ 財 閥 系 企 業 の 淘 汰 や 労 働 市 場 の 柔 軟 化 も 推 進 さ れ 、 V 字 回 復 後 、 経 済 シ ス テ ム は そ れ ま で と 大 き く 変 わ っ た 。 対 外 開 放 が 進 み 、 グ ロ ー バ ル 経 済 に 晒 さ れ た 企 業 は 人 件 費 抑 制 で コ ス ト ダ ウ ン に 努 め 、 二 〇 〇 〇 年 代 に な る と 、 若 年 層 の 就 職 難 ( 図 3 参 照 ) や 非 正 規 化 、 ワ ーキ ン グ プ ア 問 題 が 深 刻 化 し た 。 G D P は 引 き 続 き 拡大する一方で、格差社会化が懸念されるようになった。 他方、通貨危機を契機に、民主化前から継続して政権を 担ってきた与党の失政に対する批判が高まり、九七年一二 月の大統領選挙で初めて与党候補が敗北した。経済システ

(4)

会のあり方を判断する際の基準となりうる。それゆえ、民 主 化 の 過 程 で、 社 会 か ら の 要 求 が ど う 政 治 に 反 映 さ れ、 人々がそれをどう評価してきたのか。そうした政治的経験 と政治に対する認識、そしてその世代間の変化を検討する ため、民主化と政治意識の変遷をたどってみよう。

民主化

展開

政治意識

民主化

政党政治

反共を国是とする韓国では、政党が存在できる政治的ス ペクトルは非常に限定され、民主化以前は政党結成の自由 は大きく制約されていた。クーデターで政権を掌握した軍 が与党を組織して民政の体裁を整え、反共イデオロギーを バックに強権を維持し、それに対して保守源流の野党が民 主 化 を 要 求 し た。 与 野 党 の 対 立 軸 は「権 威 主 義 vs. 主」 であったが、八〇年代後半、大統領直接選挙への改憲を要 求する民主化運動が高まり、一九八七年六月、与党内から 「民 主 化 宣 言」 が 出 さ れ た。 改 憲 を 経 て 同 年 末 に 大 統 領 選 挙が実施されたが、当選したのは与党候補の 盧 ノ 泰 テ 愚 ウ であっ た。こうして民主化後も政権政党は継続したが、漸進的に 民主制は整備されていった。民主化当初、社会からの要求 を政策によって実現するメカニズムに、次のような特徴が 生じた (磯崎 二〇〇四) 。 第 一 に 、 八 七 年 大 統 領 選 挙 に 立 候 補 す る 政 治 家 を 中 心 に 政 党 が 組 織 化 さ れ 、 政 党は 有 力 政 治 家 が 政 権 を 狙 う た め の 組 織 と な り 、 社 会 か ら の 要 求 を くみ 上 げ て 立 法 に 繋 げ る 機 能 は 二 の次 と な っ た 。 権 威 主 義 体 制 期 の与 党 も 民 主 主 義 の 担 い 手 と し て 装 い を 新 た に し た た め 、 政 党 間 で の 政 策 理 念 の 差 異 や 対 立 軸 は 曖 昧 に な っ た 。 政 党 は 、 有 力 政 治 家 の 地 元 を 票 固 め の 基 盤 と し 、 与 党 は 歴 代 大 統 領 の 地 元 の 慶 尚 道 を 、 野 党 は 金 大 中 の 地 元 の 全 羅 道 を 基 盤 と し た 。 両 党 は 、「 旧 体 制の 与 野 党 」、 「 支 持 基 盤 と す る 地 域 」 の 違 い は あ る が 、 理 念や掲げる政策に大きな差異はない包括政党であった。 第二に、社会からの要求を政治で実現させる機能を、N GOや市民運動団体が代替した。彼らは、公正な分配や環 境問題など生活圏の問題で威力を発揮し注目される存在と なったのだが、当時利用が広がりつつあったインターネッ トを利用してアドボカシー活動を展開し、政党政治の外か ら圧力をかけて法制定などで成果を上げた。民主化による 市民社会の活性化とインターネット普及が重なり、改革勢 力がネットを利用して政治活動を展開することとなった。 しかし、それは政党の発展にはつながらなかった。 権威主義体制下で、社会保障制度の整備は軽視されてお り、 年 金 や 雇 用 保 険 な ど が 制 度 上 整 備 さ れ た の は 民 主 化 後、通貨危機後に最低生計費の保障が制度化されて基本制 度 は 整 っ た も の の、 未 だ 公 的 社 会 支 出 の 割 合 は 少 な い (図 5 参 照) 。 従 来、 家 族 に よ る 扶 助 が 補 完 し て き た が、 二 〇 一〇年には単身世帯が二人世帯に次ぐ比率に達するなど、 家族の形態が大きく変化し、社会保障制度の充実への要求 は い っ そ う 高 ま っ て い る。 O E C D の 自 殺 率 デ ー タ (人 口 一 〇 万 人 あ た り の 自 殺 者 数) を み る と、 韓 国 は 近 年 急 増 し、 二 〇 〇 四 年 以 降 O E C D 諸 国 で 最 も 高 く な っ て い る (二 〇 一 一 年 の 指 標 で 日 本 二 〇・ 九、 韓 国 三 三・ 三) 。 ま さ に韓国は「生きにくい社会」になっているのだ。 他方、経済成長と同時に注目されるのは、ITの普及で ある。韓国のIT化は、経済の先進国化を上回るレベルで 進 展 し、 世 界 最 高 水 準 に 達 し て い る。 国 際 電 気 通 信 連 合 (I T U) は 毎 年、 前 年 の 情 報 通 信 技 術 (I C T) 発 展 指数 * 5 を公表しているが、最新レポートによると、韓国は二 〇 一 〇 年 か ら 世 界 第 一 位 を 維 持 し て お り (二 〇 一 二 年 の 日 本は一二位) 、 二〇一二年のスマートフォン普及率は六七・ 六 % に 達 す る ( International Telecommunication Union 2013 ) 。 I T の 普 及 に 伴 い、 ネ ッ ト 利 用 が 社 会 や 政 治 に 与 える影響も大きくなり、今回のネット選挙展開の背景にも なっている。 本 稿 で は、 社 会 が 急 激 に 変 化 し て き た 状 況 で は、 同 じ 「現 実」 を 評 価 す る に し て も、 世 代 に よ っ て 経 験 に 起 因 す る判断基準が異なるという仮説をたて、そこに注目してい る。しかし、現実を評価する際の基準は経済の豊かさのみ ではない。自分たちの要求を公的に実現するシステムがい かに整備されているのか、社会のなかで自分たちが公正に 扱われているのかなど、まさに政治問題の認識が、その社 1 9 8 0 1 9 8 2 1 9 8 4 1 9 8 6 1 9 8 8 1 9 9 0 1 9 9 2 1 9 9 4 1 9 9 6 1 9 9 8 2 0 0 0 2 0 0 2 2 0 0 4 2 0 0 6 2 0 0 8( 年 ) 25 20 15 10 5 0 日本 韓国 OECD 平均 (%) 図 5 公的社会支出の対 GDP 比率 (注)OECD Library 統計データベース (http://www.oecd-ilibrary.org/statistics)より筆者作成。

(5)

かけたのだ。この時期、在韓米軍の事件に義憤を覚えてい た若年層が、ネットで発信される情報に接し、この新しい 政治参加に引き寄せられていった。有志が政党組織の外で 始めた運動が、まったくのダークホース候補の大統領当選 に貢献し、ネット選挙活動が注目される契機となったので ある。 しかしその後、盧武鉉は国政運営に失敗して支持を失っ て い く (キ ム 二 〇 〇 九) 。 二 〇 〇 三 年、 彼 は 金 大 中・ 全 羅 道の党という色彩が強かった民主党を離党し、全国政党を 目指すウリ党が結成された。そのウリ党が二〇〇四年総選 挙で勝利し、政権運営基盤も確保されたはずが、そこで国 政は国民不在のイデオロギー抗争に終始して支持を失うの である。盧武鉉の側近やウリ党の新人議員には三八六世代 の学生運動出身が多く、経験に乏しい彼らが運動の論理で 国政を担おうとして問題が露呈した。この時期、非正規雇 用は増加し * 7 、格差拡大が問題になっていたが、政治はイデ オ ロ ギ ー 対 立 に 終 始 し、 社 会 経 済 問 題 へ の 対 応 は 後 手 に 回った。国民からすると、国会で展開されている政治は、 攻守が逆転したイデオロギー抗争という「旧態依然とした 古い政治」にすぎず、国民の生活とはかけ離れた「彼らの 政治」であった * 8 。 こうして、グローバル化の影響を受けて深刻化した社会 経済的な問題への対応が最重要課題として浮上したが、政 党は対応のために政策を練り直し、それをビジョンとして 掲げて党の組織化を図るよりも、経済問題や国民の生活を 重 視 す る 姿 勢 を 掲 げ て、 「選 挙 で 勝 利 す る」 こ と を 優 先 し た。 二 〇 〇 二 年 大 統 領 選 挙 以 降、 「地 域」 の 支 持 基 盤 も 弱 まり、政治の流動化によって無党派層も増えるなかで、選 挙の「不確実性」が一層高まり、選挙対策が最重視された のである。選挙では、複雑な政策論議よりも候補のイメー ジを前面に出し、広く支持が得られそうな政策を総花的に 盛り込んだ。重要政策は政党間で類似して争点にならず、 イメージ戦略にいっそう拍車がかかった。李明博も「CE O出身で経済運営能力が高い」というイメージを掲げて当 選したが、具体的な政策は理解・支持されておらず、執権 二年足らずで経済政策実績はまったく期待外れと見なされ た (ハン 二〇一一) 。

政治

若者

認識変化

政党政治への不信、さらに李明博政権の経済政策への批 判 が 高 ま る な か、 二 〇 一 一 年 ご ろ か ら 当 時 ソ ウ ル 大 教 授 だ っ た 安 アン 哲 チョル 秀 ス に 対 す る 若 者 の 人 気 が 高 ま り、 ま っ た く 政 治経験のない彼の大統領選挙出馬を求める声が高まった。 なぜこのようなことが起こったのだろうか。

政治潮流

挫折

九 七 年 末 の 大 統 領 選 挙 で 野 党 候 補 ・ 金 大 中 が 勝 利 し 、 民 主 化 か ら 一 〇 年 後 に 政 権 交 代 が 起 こ っ た 。 従 来 「 万 年 野 党 」 だった政党の執権が、ここから一〇年間続くことになる。 民 主 化 後、 政 党 間 の 政 策 の 違 い・ 対 立 軸 は 明 確 で は な かったが、金大中政権以降、急速に左右のイデオロギー対 立が激化した。政党の対立軸もそれに準じたが、この左右 対立は九〇年代の市民運動が提起したような社会経済的問 題 が 争 点 で は な く、 「親 北・ 反 米 vs. 北・ 親 米」 と 単 純 化 さ れ る 外 交・ 安 保 問 題 だ っ た。 北 朝 鮮 の 核 開 発 疑 惑 に 対 し、金大中政権の太陽政策に始まる関与政策とブッシュ政 権の強硬政策にも摩擦が生じ、対北朝鮮政策や韓米関係を め ぐ る 韓 国 内 の 対 立 軸 が 浮 上 し た の だ (磯 崎 二 〇 〇 五) 。 冷戦の残滓が存在し、ポスト冷戦期の地域秩序も形成され ない不安定な国際環境のもとで、いかに現実に対応するか を め ぐ る 対 立 が 顕 在 化 し た と も 言 え る が、 そ の 左 右 対 立 は、右派の反共イデオロギーと左派の対抗という「冷戦的 思考」のイデオロギー対立に矮小化されることも少なくな かった。 この対立激化の過程で、古いイデオロギー対立を脱却し た政治を求める動きも登場した。二〇〇二年に展開された キャンドルデモ、同年一二月の大統領選挙における盧武鉉 フ ァ ン ク ラ ブ (ノ サ モ) の 活 動 で あ る。 両 者 は イ ン タ ー ネットを通じて二〇代・三〇代に拡散し、社会運動や選挙 運動におけるネットの威力が注目される契機となった。 前者は、在韓米軍の装甲車により女子中学生が轢死した 事件を契機に、在韓米軍の地位協定の不平等性が明らかに なったことが発端だった。ネットの掲示板で被害者哀悼と 米国への抗議活動が呼びかけられ、多くの若者が参加する キャンドルデモへと拡大した。これは「反米運動」として 注 目 を 集 め た が、 イ デ オ ロ ギ ー 的 に「反 米」 と い う よ り も、若者が不条理な韓米関係に抗議した運動であった。保 守政治家がそれを親北勢力に背後操縦された運動と批判し たことで、保守勢力の古い冷戦的思考に対する若者の反発 も呼び起こした。 後者は、インターネットを利用した選挙運動として展開 された。ポスト金大中のリーダー不在に悩んだ与党・民主 党が、非党員にも開かれた大統領候補予備選を実施したの を契機に、党内で非主流だった盧武鉉を「三八六世代 * 6 」を 中心とする支持者たちが候補に押し上げ、大統領に当選さ せ た。 彼 ら は ノ サ モ を つ く り、 「勝 手 連」 的 に 支 援 運 動 を 展開して、新しい政治の実現を訴えた。旧世代のボスが支 配 す る 政 党 政 治 を 批 判 し、 新 し い タ イ プ の 政 治 家 を 担 い で、既存の政党政治に対抗する新たな政治への参加を呼び

(6)

安 哲 秀 を 支 持 し た現 在 の 大 学 生 の 政 治 へ の か か わ り は 、 自 ら の 苦 境 を 社 会 的 背 景 で と ら え る と こ ろ か ら 始 ま っ て い る 。 こ の よ う に、 個 々 の 若 者 が 自 ら の 社 会 的 な 位 置 を 認 識 し、若年層というアイデンティティを獲得して政治的な要 求をするようになった過程に、インターネットが重要な役 割を果たしている。ネット上で、安哲秀の講演を視聴し、 面識のない他の若者たちと同じ境遇であることを確認し、 現実社会で要求が軽視されている「我々若者」というアイ デンティティを確立していったのだ。さらに、若者が彼を 大統領にしようと現実社会で何か行動を起こしたわけでは な く、 「ネ ッ ト 世 論」 が 注 目 さ れ て 安 哲 秀 現 象 と な っ た こ とも重要であろう。 こうして、ネット上の動きが現実の政治に影響を与える ようになったが、バーチャルな政治が現実の政治過程にそ のまま直結するわけではない。実際の選挙過程に、ネット 政治がどう影響を与えたのか次に検討しよう。

政治

選挙戦

展開

二〇一二年九月、安哲秀は無所属での大統領選出馬を表 明したが、候補登録直前の一一月二三日、突然立候補を辞 退した。朴槿恵に対抗するため文在寅と候補一本化の折衝 を重ねたが合意に至らず、最終的に彼が立候補を辞退した のだ。こうして有力候補が二大政党候補に絞られ、選挙運 動が始まった。選挙戦終盤、安哲秀は街頭で政権交代の必 要性を訴えて文在寅を応援し、若者に対して「政治を変化 させる投票」を訴えた。自らの支持層に野党候補への投票 を呼びかけ、若者の政治不信を政権交代に繋げようとした のである。 民主党・文在寅陣営は、安哲秀支持者の若者層を取り込 むことが重要であった。安哲秀が文在寅の応援演説を行っ た 際 の 映 像 を ホ ー ム ペ ー ジ や YouTube に ア ッ プ し、 自 ら が安哲秀の意志を託された政治家だと印象づけ、安が唱え た新しい政治を実現するためにも政権交代が必要だと強調 した。李明博政権下での格差拡大を強調し、与党の朴槿恵 も既得権層を優遇する政治を行う、民主化に逆行するなど と 訴 え た が、 「政 権 交 代 の 必 要 性」 を 説 く も の の、 自 ら が 行う政治の積極的ビジョンを具体性に提示できなかった。 他方、セヌリ党・朴槿恵陣営は、福祉や経済民主化など それまでリベラルが重視してきた政策を前面に掲げて、李 明 博 政 権 と は ま っ た く 違 う 政 権 を め ざ す と 訴 え た。 さ ら に、文在寅が運営を担った盧武鉉政権の混乱、統治能力の 欠如を想起させ、自らは安定した政権運営が可能な「信頼 大学病院の教授だった安哲秀は、アンチウイルスソフト の開発を契機にコンピュータセキュリティー会社を立ち上 げ、自ら開発したソフトを個人ユーザーに無料で提供しつ つ会社を発展させた。公益を重視した企業経営の成功で注 目された後、米国留学を経て、二〇一一年にソウル大学融 合科学大学院長となった。このころから若者の抱える問題 を重視し、各地で対話集会を重ね、自殺率の高さや出産率 の低下に象徴される若者が希望を持てない状況を、個人の 問題としてではなく社会の問題として捉え、政治を変える 必要性も訴える活動に取り組んだ。その考えに共鳴した若 者たちが、彼が政治家として自分たちの希望を実現してく れ る こ と を 望 み、 「安 哲 秀 現 象」 と 呼 ば れ る 動 き と な っ た のである。 政府も若年層の貧困対策を謳っていたが、投票率が低い 若年層向け政策に取り組むインセンティブは低く、若年層 も李明博政権には期待していなかった。さらに若年層の不 信は、政府・与党の政治家のみならず、民主化運動を牽引 して現在は社会の中核を担う世代や、民主化運動を経て政 界に進出し政党の中堅を担っている人々にも向けられてい た。 例 え ば、 二 〇 〇 八 年 に 出 版 さ れ た『八 八 万 ウ ォ ン 世 代』 は、 「新 自 由 主 義」 の 隆 盛 で 若 年 層 の 大 多 数 が ワ ー キ ングプアにならざるをえない経済状況を描き、若者の貧困 の要因を「世代間搾取」と呼んで反響を巻き起こした。八 〇年代の学生運動を経て、良い職場に終身雇用ですべりこ んだ「三八六世代」のせいで、現在の二〇代が就職から排 除 さ れ て い る と し た の だ (ウ / パ ク 二 〇 〇 七) 。 そ の 単 純 化 さ れ た 議 論 に 対 す る 批 判 も 多 か っ た が、 民 主 化 運 動 を 担った政治勢力も自分たちを代表していないという、若年 層の既成政治への不信を刺激するインパクトがあった。 それゆえ、若者の問題解決を最重視した安哲秀が、彼ら の利益を代表する政治指導者として期待されることとなっ た。 彼 が 能 力 と 富 を 有 し、 既 存 の 政 治 と は 無 縁 の 存 在 で あったところにも、若者は改革実現の可能性を見いだした のだろう。安哲秀自身は政界進出を明言せず、まったく政 治 経 験 の な い 彼 が ど ん な 政 策 を 提 示 す る の か も 不 明 な ま ま、若者の期待が先行して大統領選出馬が取り沙汰される という「ある種異常な状況」が進行したのだが、それは、 若年層が既成政党を信頼していないことの裏返しだったの だろう * 9 。 こ こ で 注 目 さ れ る の は 、 一 〇 年 間 の 若 者 の 政 治 意 識の 変 化 で あ る 。 同 じ よ う に 、 若 年 層 が 新 た な 政 治 勢 力 に 期 待 し て い る が 、 二 〇 〇 二 年 は不 平 等 な 韓 米 関 係 や 旧 体 制 残 滓 の 清 算 な ど 、「 大 文 字 の 政 治 」 に お け る 政 治 権 力 構 造 を 問 題 と し て いた の に 対 し 、 二 〇 一 二 年 に は 、 自 ら の 苦 境 を 糸 口 に 社 会 経 済 的 な 問 題 の 政 治 的 解 決 を 求 め て い る 。 八 〇 年 代 の 学 生 運 動 は エ リ ート の 前 衛 運 動 の 特 徴 を 帯 び て い たが 、

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憶が政治的選好を形成するという仮説については、今後実 証 を 重 ね る 必 要 が あ る。 表 は、 二 〇 一 二 年 時 点 の 各 世 代 が、二〇歳前後に体験した政治的イベントをまとめたもの であるが、世代としての政治経験が非常に異なることが見 て取れる。政治を初めて意識したころの政治経験が持続的 に投票行動に影響するか否かを追跡できるデータはまだ多 くないが、それぞれの経験によってその後の行動が規定さ れ て い る こ と を 確 認 し た 研 究 も 出 て き て い る (ノ / ソ ン / カン 二〇一三) 。 なお、選挙後に韓国ギャロップが行った世論調査では、 朴 槿 恵 に 投 票 し た 人 (四 八 二 人) の 選 択 理 由 は、 信 頼 感・ 約 束 (二 二 %) 、 公 約・ 政 策 (一 四 %) 、 最 初 の 女 性 大 統 領 (一 四 % * 10 ) 、 能 力 (一 二 %) 、 所 属 政 党 (一 〇 %) 、 逆 に 彼 ら が 文 在 寅 を 否 認 し た 理 由 は、 公 約 の 乱 発・ 無 内 容 (一 三 %) 、 所 属 政 党 が 嫌 (一 二 %) 、 国 家 安 保・ 親 北 性 向 (一 二 %) 、 盧 武 鉉 政 権 の 延 長 (一 一 %) 、 信 頼 不 足 (一 〇 %) と な っ た。 他 方、 文 在 寅 に 投 票 し た 人 (四 六 二 人) の 選 択 理由は、 政権交代・審判 (二六%) 、 公約・政策 (二〇%) 、 対 立 候 補 が 嫌 (一 五 %) 、 信 頼 感・ 約 束 (一 〇 %) 、 所 属 政 党 (一 〇 %) で あ り、 彼 ら が 朴 槿 恵 を 否 認 し た 理 由 は、 独 裁 者 の 娘・ 過 去 の 認 識 (二 二 %) 、 資 質・ 能 力 不 足 (一 八 %) 、 所 属 政 党 が 嫌 (一 五 %) 、 T V 討 論 の 失 敗 (一 四 %) 、 現 政 権 の 延 長 (一 三 %) と な っ た (韓 国 ギ ャ ロ ッ プ 調 査 研 究 所 二 〇 一 三: 八 七 ― 八 八) 。 現 状 を 批 判 し 政 権 交 代を訴えた文在寅に対し、生活重視政策と安定したガバナ ンスを掲げた朴槿恵が勝利した形である。

選挙

投票行動

次に、選挙キャンペーンでのインターネットやSNSの 活用に関して、具体的に見てみよう。前述のように、民主 化後のインターネット活用は改革勢力が先んじていたが、 その威力を痛感した保守勢力も全力を傾注し選挙での活用 表 世代と政治経験 (注)ノ/ソン(2013:167)を参考に著者作成。 2012年時の年齢 成人前後の政治経験 25歳未満 米国産牛肉輸入反対行動 25~33歳 2002年キャンドルデモ・大統領選挙 34~42歳 通貨危機(IMF世代) 43~52歳 80年代民主化運動(386世代) 53~60歳 維新体制(70年代の大統領独裁) 61~70歳 軍事クーデターから経済成長へ 70歳以上 朝鮮戦争 できる政治家」であることを強調した。 図6の支持率推移をみると、安哲秀の出馬辞退後、その 支持の大半が文在寅支持に流れたのが見て取れる。これま で検討してきた若者層の現状への不満は、野党候補が掲げ た「政権交代」実現へ収斂したと言えよう。では、中高年 層はなぜ朴槿恵を支持したのだろうか。 まず、中高年層の安哲秀評価に関するデータは入手でき ていないが、若年層が彼を支持した背景にある「現実社会 での苦悩」自体が、中高年層には「甘え」と見なされてい る可能性がある。彼らはちょうど親子にあたる世代になる が、もっと貧しい状況で必死に努力してきたと自負する親 世代には、子ども世代の就職難は、努力不足や仕事のえり 好みが原因と見なされかねない。 さ ら に 、 め ざ す 社 会 の方 向 に 、 過 去 の経 験 が 反 映 し て い る こ と が 考 え ら れ る 。 た と え ば 、 今 回 の 選 挙 で 、 朴 槿 恵 ( 一 九 五 二 年 生 ) と 同 世 代 の 女 性 た ち に よ る 地 方 で の 支 持 活 動 が 注 目された が 、 彼 女 たちは 、 七 〇 年 代に開 始 された 農 村 近 代 化 の セ マ ウ ル 運 動で 、 末 端 行 政 区 単 位に 設 立され た セ マ ウ ル婦 女 会で社 会 活 動 を 始 めた経 験 を も つ と指 摘 さ れ て い る ( ハ ン 二 〇 一 四 : 三 二 ) 。 女 性 が 主 体 と な っ た 地 元 密 着 の 社 会 組 織 の 活 動 を 通 じ て 、 高 度 成 長 期 の 発 展 を 担 っ たと い う 経 験 の記 憶 が 、 現 状 認 識や 政 治 意 識に 影 響 を 及 ぼし 、 再 び 活 気 のある 時 代 を つ く ると 訴 え て 、 生 活 重 視 の 政 策 を 掲 げ る 朴 槿 恵 に 支 持 が 集 ま っ た こ と が 推 測 さ れ る 。 七 〇年 代 の維 新 体 制は 、 政 治 的 自 由 も政 治 参 加 も 大 き く 制 限 された 権 威 主 義 体 制 だ っ たが 、 地 域レ ベ ル で 組 織 さ れ た 社 会 団 体 の 活 動 を 通 じ て 、 地 方 の 住 民 に は コ ミ ュ ニ ティ建 設 に 主 体 的 に か か わ っ た と いう 記 憶 が 残 っ てお り 、 七 〇 年 代 = 非 民 主 的 な 時 代 と 否 定 的 に 片 付 け ら れ な い の だ 。 経済的な経験のみならず、社会参加や政治的な経験や記 50 45 40 35 30 25 20 15 10 5 0 1 月 2月 3月 4月 5月 月6 7月 8月 9月 10月 11月 12月 朴槿恵 安哲秀 文在寅 (%) 図 6 有力候補の支持率推移 (注)韓国ギャロップ調査研究所(2013)が毎週実施した調査結果より筆者作成。

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ト上の情報が「候補決定」に重要な役割を果たしたとは言 い難い。 ここから、選挙運動が開始され候補者陣営がネットやS NSで情報を提供し始める以前に、有権者の多くは投票す る 候 補 を 決 め、 意 中 の 候 補 を 決 定 し た 後 に そ の 情 報 を チェックしていたと考えられる。中高年層の多くは朴槿恵 への支持を決めていたため、カカオトークで朴槿恵の情報 にアクセスし、同じようにカカオトークで情報提供をして いた文在寅の情報には、アクセスしなかった。いくら文在 寅が情報を提供しようとしても、朴槿恵支持を決めた人々 は、彼の「友達」にはならないだろう。他方、安哲秀を支 持した若者たちは、彼の出馬辞退に直面し、ネットで情報 を集めて文在寅への投票を検討しても、すでに批判対象と みなした朴槿恵を選択肢として検討したとは考えがたい。 つまり、ネット選挙キャンペーンで多くの情報が流通して も、有権者は「見たいものしか見ない」傾向があり、ネッ ト情報を候補選択の参考にする場合でも、ある程度明確な 選好によって情報を選んでいることが推測されるのだが、 この点の実証も今後の課題となる。 では、ネットやSNSによる選挙キャンペーンは大した 効果はないかと言うと、決してそうではないだろう。今回 の選挙では、候補に関心や好意を持っている程度の有権者 を確実にとらえて投票所に足を運ばせる、潜在的支持者を 確実に投票に向かわせる、そうした「最後の一押し」とな る関係性の構築に威力を発揮したことが確認できる。民主 党陣営は、若者が投票すれば政権交代が実現すると若者層 に 訴 え、 彼 ら を 投 票 所 に 誘 っ た。 と り わ け 選 挙 戦 終 盤 に は、多くの若年層が選挙運動に呼応し、それによって実現 可能性も大きくなった。他方、そうした野党側の追い上げ に直面したセヌリ党陣営は、支持層の危機感を刺激して投 票の重要性を訴え、個々の支持者も周囲の票固めに乗り出 した。こうして、若年層の投票率は大幅にアップし、もと もと高かった中高年の投票率はいっそう高くなった。つま り、二〇日間あまりの選挙運動期間では、情報を流通させ て新たな支持者を増やすよりも、潜在的な支持層を確実に 取り込むところで有効に機能していることが確認できるの である。冒頭で述べたように、ネット選挙が投票率上昇に 直結するわけではないが、投票の重要性・有効性が喚起さ れれば、ネットでのキャンペーンは潜在的支持者の取り込 みに効力を発揮し、結果的に投票率の上昇につながったと 言えるだろう。

本稿では、二〇一二年大統領選挙の投票結果に現れた世 に 臨 ん だ の で あ る。 李 (二 〇 一 三) を 中 心 に 両 党 の 戦 略 を まとめると、以下のようになる。 セヌリ党・朴槿恵陣営は、中高年層になじみやすいソー シャルメディアであるカカオトークを利用して選挙キャン ペーンを行うという戦略をたて、情報源を一本化して拡散 する仕組みを構築した * 11 。カカオトークは、スマートフォン の無料電話・メッセンジャーのアプリケーションで、単純 な機能で簡単に使いこなせるため、中高年層の使用者が多 い。ツイッターなどとは異なり、友人からの招待によって 加 入 す る 閉 鎖 型 ソ ー シ ャ ル メ デ ィ ア で あ る が、 有 名 人 を 「友 達」 に 追 加 し て 情 報 を 受 け 取 る サ ー ビ ス が あ り、 朴 槿 恵陣営は彼女を友人登録した人にメッセージやプライベー ト写真など情報を提供し、中高年層を中心とする彼女の支 持者たちと緊密なコミュニケーション空間をつくった。他 方、民主党・文在寅陣営は、政治の現状に対する不満が強 く、変化を求めている若者を投票に向かわせることを最優 先課題とし、オープン型のSNSで多くのメッセージを発 信した。ツイッターで多くのフォロワーを有するリベラル 志向のオピニオンリーダーをサポーターとし、オープン型 ソーシャルメディアを通じて、文在寅への投票を促進する 情報を多角的に発信した。両陣営の戦略の差を反映して、 カ カ オ ト ー ク の 友 達 申 請 で は 朴 槿 恵 が 文 在 寅 を 上 回 っ た が、ツイッターやフェイスブックでは文在寅の方が多くを 動員することとなった (高 二〇一三:七四) 。 では、こうした選挙キャンペーン戦略が選挙結果に与え た 影 響 は ど う だ っ た の だ ろ う か。 李 (二 〇 一 三) は、 選 挙 の現場を知る研究者の論文として重要だが、本稿の議論と の関係で検討せねばならない問題がある。彼は、セヌリ党 はカカオトーク利用で中高年の支持を獲得し、その利用に 遅れた民主党は中高年層にアピールできなかったとして、 ネット選挙キャンペーン戦略が支持層形成に影響したとい う因果関係を示唆している。しかしながら、本稿の仮説に 依拠すれば、過去の経験から政治的選好が形成され、選挙 戦が始まる前に中高年層の朴槿恵支持はかなり固まってい たことになる。実際はどうだったのか検討してみよう。 ギャロップ社の調査で、投票候補を決定した時期につい ては、朴槿恵に投票した人の七六%、文在寅に投票した人 の五七%が、二三日間の選挙運動の開始より早い一ヶ月前 ま で に 決 定 し た と 答 え て い る (韓 国 ギ ャ ロ ッ プ 調 査 研 究 所 二 〇 一 三: 八 九) 。 さ ら に、 投 票 候 補 の 決 定 に 参 考 に し た メ デ ィ ア を 二 つ 答 え る 質 問 に 対 し て は、 T V 討 論 (五 四 %) 、 新 聞・ テ レ ビ 報 道 (二 三 %) 、 イ ン タ ー ネ ッ ト (一 八 %) の 順 で、 候 補 別 に み る と、 文 在 寅 候 補 は イ ン タ ー ネ ッ ト が 二 位 (二 八 %) 、 S N S が 五 位 (九 %) だ が、 朴 槿 恵 候 補 で イ ン タ ー ネ ッ ト は 五 位 (一 一 %) と な り (韓 国 ギ ャ ロ ッ プ 調 査 研 究 所 二 〇 一 三: 九 〇) 、 特 に 後 者 で ネ ッ

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示されている。 * 3 韓国インターネット振興院によるデータ(李 二〇一三: 一一一) 。 * 4 特 に 明 記 し て い な い 限 り、 経 済 指 標 は I M F、 社 会 経 済 指標はOECDのデータベースのものを使用している。 * 5 携 帯 電 話 の 加 入 者 数、 パ ソ コ ン の 所 有 率、 固 定 お よ び モ バ イ ル の ブ ロ ー ド バ ン ド イ ン タ ー ネ ッ ト サ ー ビ ス の 普 及 率 な どを指数化している。 * 6 彼 ら が 社 会 で 頭 角 を 現 し て、 世 代 と し て 注 目 さ れ る よ う に な っ た 一 九 九 〇 年 代 に、 彼 ら は「三 八 六 世 代」 (当 時 の 年 齢 が 三 〇 代、 八 〇 年 代 に 大 学 生、 六 〇 年 代 生 ま れ) と 呼 ば れ るようになった。 * 7 構 造 調 整 後 も 非 正 規 労 働 者 数 は 増 加 し、 韓 国 統 計 庁 の デ ー タ に よ る と、 賃 金 労 働 者 全 体 に 占 め る 非 正 規 労 働 者 の 割 合 は 二 〇 〇 一 年 の 二 六・ 八 % か ら 二 〇 〇 四 年 の 三 七・ 〇 % に 増 加、 そ れ を ピ ー ク に 少 し 減 少 し た が、 盧 武 鉉 政 権 期 は 三 五 ~三六%台であった。 * 8 世 論 調 査 デ ー タ の 分 析 の 結 果 で も、 盧 武 鉉 政 権 が 生 活 問 題 を 軽 視 し た 政 策 に 傾 注 し て 支 持 を 失 う 過 程 が 明 ら か に な っ ている(ハン 二〇一一) 。 * 9 こ の 時 期、 日 本 で も 既 成 政 党 へ の 不 信 を 背 景 に、 橋 下 徹 の よ う な 第 三 勢 力 を 代 表 す る よ う な リ ー ダ ー が 現 れ、 そ の 共 通 性 が 注 目 さ れ た。 し か し、 韓 国 の 安 哲 秀 は 政 治 的 に リ ベ ラ ル で、 国 家 主 義 的 な 主 張 は な く、 画 一 的 な 価 値 観 か ら の 脱 却 を 重 視 す る な ど、 目 指 す 政 治 の 方 向 性 は 大 き く 異 な っ て い る。その相違の理由を探る日韓比較は重要であろう。 * 10 「最初の女性大統領」をアピールした保守陣営に対して、 リ ベ ラ ル な 女 性 団 体 は「我 々 に 女 王 は 必 要 な い」 と、 む し ろ 不 支 持 を 表 明 し た。 他 方、 伝 統 的 に「妻」 「母」 の 役 割 が 重 視 さ れ た 韓 国 社 会 に お い て は、 エ リ ー ト 女 性 も 家 庭 と の 両 立 が 求 め ら れ、 朴 槿 恵 の 年 齢 で ず っ と 独 身 と い う の は 非 常 に 珍 し く、 人 間 味 の な い イ メ ー ジ で、 孤 高 の「鉄 の 女」 と 称 さ れ る こ と も 多 か っ た。 そ れ に 対 し て 選 挙 戦 の 後 半 で は、 「国 を 守 る 母」 イ メ ー ジ を 前 面 に 出 し、 選 挙 戦 最 終 日 の 記 者 会 見 の 演 説 で も、 「私 に は 世 話 を す る 家 族 も、 財 産 を 譲 る 子 ど も も い な い。 国 民 が 私 の 家 族 で あ り、 家 族 の た め に す べ て を 捧 げ る 母 親 の 気 持 ち で 国 民 に 尽 く す」 と 述 べ、 広 い 層 に 訴 え る ジェンダーイメージを提示した。 * 11 ハ ン ナ ラ 党 朴 槿 恵 陣 営 の キ ャ ン ペ ー ン 担 当 者・ 金 チ ョ ル ギ ュ S N S 本 部 長 も イ ン タ ビ ュ ー で、 カ カ オ ト ー ク 利 用 に よ る 五 〇 代 へ の ア ピ ー ル を 成 功 要 因 と し て 重 視 し て い る(セ ヌ リ党 二〇一三:一五一―一五三) 。 ◉参考文献 日本語文献 磯 崎 典 世(二 〇 〇 三) 「韓 国 の 市 民 社 会 と 政 治 参 加

二 〇 〇 二 年 大 統 領 選 挙 過 程 を 軸 に」 『現 代 韓 国 朝 鮮 研 究』 三 号、 一 九―二九頁。 磯 崎 典 世(二 〇 〇 四) 「体 制 変 動 と 市 民 社 会 の ネ ッ ト ワ ー ク」 辻 中 豊・ 廉 載 鎬 編 著『現 代 韓 国 の 市 民 社 会・ 利 益 団 体

日 韓比較による体制移行の研究』木鐸社、五二―八三頁。 磯 崎 典 世(二 〇 〇 五) 「金 大 中 政 権 の 対 北 朝 鮮 政 策 と 国 内 政 治 代間の選好の違いの解明を通じて、韓国民主主義の現状を 検討してきた。とりわけ、インターネット利用が政治参加 を促進して民主主義を発展させるという単純な図式は成立 しないことが実証的にも明らかになったが、最後に二点付 言したい。 今 回 の ケ ー ス で 、 イ ン タ ー ネ ッ ト は 既 成 政 党 の 代 替 を 探 る 際 の ツ ー ル で あ っ た と 同 時 に 、 政 党 が 有 権 者 を 動 員 す る ツ ー ル で も あ っ た 。 双 方 向 性 メ ディ ア の 利 用 で は 、 参 加 と 動 員 の 区 別 が 曖 昧 に な るが 、 た と え ば 、 オ バ マ が 当 選 し た 二 回の 選 挙 で も 、 ネ ッ ト キ ャ ン ペ ー ン の 方 向 性 の 違 い は 確 認 され て い る ( Str omer -Ga lley 2 01 4 ) 今 後 は ビ ッ ク デ ー タ を利 用 で き る 資 源 の 有 無 が 結 果 を 左 右 する 可 能 性 も あ り 、 ネ ッ ト 選 挙 は 民 主 主 義 に 有 効 だ と 単 純 に 言 え な い だ ろ う 。 また、今回の選挙では、政党や制度よりも政治指導者個 人 の 指 導 力 や 政 治 的 影 響 力 が 強 く 働 き、 「政 治 の 人 格 化 ( personalization of politics ) 」 と し て 注 目 さ れ る 現 象 ( MacAllister 2013 ) が、 対 抗 勢 力 の 側 に も 保 守 の 側 に も 現 れた。安哲秀現象がネットで拡散し、朴槿恵は政治家個人 の違いを強調して、同一政党の李明博政権からの断絶をア ピ ー ル し た (イ 二 〇 一 二) 。 し か し 近 年 の 韓 国 で は、 選 挙 過程で作用した大統領当選者の影響力が政権運営過程では 弱化し、大統領が与党を統制できない事例も散見される。 二元代表制である大統領制では、執政府と議会を繋ぐ政党 の役割が重要であるが、総選挙も個人を前面に出した戦略 に シ フ ト し た こ と で、 政 党 の 凝 集 性 が 弱 化 し、 「社 会 か ら の要求を政策プログラムとして集約し、実現する責任を負 う」政党機能の低下が、ガバナンス低下を招いている。 選 挙 の 際 に 主 権 を 行 使 す る だ け で は 民 主 主 義 と は 言 え ず、社会と国家を媒介する制度が重要となる。民主化後の 韓 国 に お い て 政 党 や 議 会 に 対 す る 国 民 の 信 頼 が 低 い こ と は、 た と え ば Norris ( 2012 ) の よ う な ク ロ ス ナ シ ョ ナ ル な データ分析でも確認できるが、持続性のない運動では一時 的な媒介機能しかない。機能不全と言われながらも中核を 担ってきた政党が、インターネットというメディアでどう 変わるのか、そこで民主主義はどう機能するのか。先進民 主主義国でも政党不信が顕著になるなかで、韓国はこれか らもこの問題を検討する絶好の事例を提供するだろう。 ◉注 * 1 そ れ ま で YouTube で の 映 像 や ツ イ ッ タ ー・ フ ェ イ ス ブ ッ ク な ど S N S に よ る 選 挙 運 動 は 禁 止 さ れ て い た が、 二 〇 一 一 年 一 二 月、 憲 法 裁 判 所 は、 公 職 選 挙 法 に よ る ネ ッ ト 選 挙 運 動 規 制 が 憲 法 違 反 に あ た る と い う 判 決 を 出 し、 二 〇 一 二 年 四 月 の 総 選 挙、 一 二 月 の 大 統 領 選 挙 か ら、 「全 面 解 禁」 さ れ ることとなった。 * 2 出 口 調 査 に よ る 誤 差 は 念 頭 に お く 必 要 は あ る が、 こ こ で 注 目 す る「政 治 的 選 好 の 世 代 差」 は 各 種 世 論 調 査 で も 明 確 に

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Revisited, New York: Cambridge University Press. Stromer-Galley, Jennifer ( 2014 )Presidential Campaigning in

the Internet Age, New York: Oxford University Press.

Woo-Cumings, Meredith ( 1999 )The Developmental State,

Ithaca, New York: Cornell University Press.

データベース OECD Library 統 計 デ ー タ ベ ー ス http://www.oecd-ilibrary. org/statistics 韓国中央選挙管理委員会 http://www.nec.go.kr 韓国統計庁 http://kostat.go.kr ◉ 著者紹介 ◉ ①氏名…… 磯崎典世 (いそざき・のりよ) 。 ②所属・職名…… 学習院大学法学部・教授。 ③生年・出身地…… 一九六二年、和歌山県。 ④専門分野・地域…… 比較政治・韓国政治。 ⑤ 学 歴 …… 東 京 大 学 教 養 学 部 教 養 学 科( 相 関 社 会 科 学 分 科 )、 東 京 大 学 大 学 院 総 合 文 化 研 究 科( 地 域 文 化 研 究 専 攻 )修 士 課 程 お よ び 博 士 課 程 単 位 取 得 中 退( そ の 間、 韓 国 高 麗 大 学 大 学 院 政 治外交学科に留学) 。 ⑥職歴…… 助手 (東京大学) 、助教授・教授 (学習院大学) 。 ⑦ 現 地 滞 在 経 験 …… 韓 国( 二 八 歳、 二 年、 院 生 )、 ア メ リ カ( 四 三 歳、二年、客員研究員) 。 ⑧ 研 究 手 法 …… 文 献・ 統 計 デ ー タ の 利 用、 現 地 で の 資 料 収 集・ インタビュー調査。 ⑨ 所 属 学 会 …… ア ジ ア 政 経 学 会、 現 代 韓 国 朝 鮮 学 会、 日 本 国 際 政治学会、日本政治学会、日本比較政治学会。 ⑩ 研 究 上 の 画 期 …… 韓 国 に お け る 民 主 化 と 冷 戦 秩 序 の 崩 壊 が 同 時 期 に 起 こ り、 国 際 環 境 の 流 動 化 と 新 興 民 主 制 下 の 国 内 政 治 が相関して進行するようになったこと。 ⑪ 推 薦 図 書 …… 久 米 郁 男『 原 因 を 推 論 す る

政 治 分 析 方 法 論 の す ゝ め 』( 有 斐 閣、 二 〇 一 三 年 )。 受 容 す る に せ よ 批 判 す る にせよ、一読をお薦めします。

冷 戦 構 造 解 体 の 方 向 性 と 国 内 対 立 軸 の 変 化」 『東 洋 文 化 研究』七号、一七七―二一二頁。 高 選 圭(二 〇 一 三) 「ネ ッ ト 選 挙 が 変 え る 有 権 者 の 政 治 参 加

二 〇 一 二 年 韓 国 大 統 領 選 挙 に 見 る 市 民 ネ ッ ト ワ ー ク 政 治 参 加」 清 原 聖 子・ 前 嶋 和 弘 編 著『ネ ッ ト 選 挙 が 変 え る 政 治 と 社 会

日 米 韓 に 見 る 新 た な「公 共 圏」 の 姿』 慶 應 義 塾 大 学 出版会、六七―九二頁。 李 洪 千(二 〇 一 三) 「若 者 の 政 治 参 加 と S N S 選 挙 戦 略 の 世 代 別 効 果

二 〇 一 二 年 韓 国 大 統 領 選 挙 に お け る リ ベ ラ ル の 敗 北」 清 原 聖 子・ 前 嶋 和 弘 編 著『ネ ッ ト 選 挙 が 変 え る 政 治 と 社 会

日 米 韓 に 見 る 新 た な「公 共 圏」 の 姿』 慶 應 義 塾 大 学 出 版会、九三―一一八頁。 韓国語文献(カナダラ順) キ ム・ ヒ ョ ン テ(二 〇 〇 九) 『憤 怒 す る 大 衆 の 社 会

大 衆 世 論で読む韓国政治』ソウル:フマニタス。 イ・ サ ン シ ン(二 〇 一 二) 「政 治 の 私 人 化 と 大 統 領 選 挙 候 補 の 認知的評価

朴槿恵、安哲秀、文在寅のスキーム分析」 『韓 国政治学会報』四六(四) 、一四九―一七〇頁。 ノ・ フ ァ ン ヒ / ソ ン・ ジ ョ ン ミ ン(二 〇 一 三) 「世 代 亀 裂 に 対 す る 考 察

世 代 効 果 な の か 年 齢 効 果 な の か」 パ ク・ チ ャ ヌ ク / カ ン・ ウ ォ ン テ ク 編 著『二 〇 一 二 年 大 統 領 選 挙 分 析』 ソ ウル:ナナム、一三九―一八四頁。 ノ・ フ ァ ン ヒ / ソ ン・ ジ ョ ン ミ ン / カ ン・ ウ ォ ン テ ク(二 〇 一 三) 「韓 国 選 挙 に お け る 世 代 効 果

一 九 九 七 年 か ら 二 〇 一 二 年 ま で の 大 統 領 選 挙 を 中 心 に」 『韓 国 政 党 学 会 報』 一 二 (一) (通巻二三号) 、一一三―一四〇頁。 ウ・ ソ ッ ク ン / パ ク・ ク ォ ニ ル(二 〇 〇 七) 『八 八 万 ウ ォ ン 時 代

絶望の時代に書く希望の経済学』 ソウル:レディアン。 ハ ン・ ク ィ ヨ ン(二 〇 一 一) 『保 守 大 統 領 vs. 歩 大 統 領

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参照

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