The Chemical Society of Japan
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The Chemloal Soolety of Japan
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ア メ リカ
・
ペ ン シ ル パ ニ ヤ州の いわ ば片田舎に (カッ ト参 照)
,
意 義 深い記 念の 家が,
博 物 館 と し て 修 復,
保存, 公開されて い る。 酸 素な どさ ま ざまな 目に見え ない 空 気 (気 体 )の発 見 研 究で有 名な
Joseph
Priestley
(
1733−
1804 )が, 母国イ ギ リスをの が れて 1794 年,2か 月 間の 太西洋 航 海の の ち移住し
,
そ の 晩 年の 10年 間を過 し た,
彼の好みで 建て ら れ た家で あ る (表 紙 写 真上 段参 照 )。 こ の 場所で は 酸 素 発 見100年 記 念の集 会 が1874
年にもた れ, そ れ がぎっ か け でアメ リカ化 学 会 が創立された (1876年 )ゆか り の場所で もあるe 同学 会 賞の プ リー
ス トリ・
メダル と 創 立100
年の 際の 記 念 切 手 な ど もカッ トに示 す。か ね て か ら こ こ に
一
度 行っ て み たい と思っ てい た私
は, 2年 半 前の ボ ス トン で の IUPAC 集 会の あ と, ピ
ッ ツバ
ー
グ か ら小 型飛行 機 便で ウ イ リ アム ポー
ト空 港に降り
,
タ ク シー
で こ こを 訪ね た。 あ らか じめ電話
(714
−473−
9474)で連 絡し て お い たの で管 理 担 当 者が 待っ て お ら れ た (月 曜 日休館,
日 曜 日は午 後のみ 開 館 )。 ま ず前 庭にあるパ ネル や参 考 図 書 展示の小屋で,多面的な プリ
ー
ス ト リ の 生涯の 説明 を 受 け た。
つ ぎに案 内された 本 館は, 昔の たたず まい (表 舐 写 真 下 段 参 照 )の ま まで あっ たo
【世
界 の 大学 ・博 物 館】
ノ ー サ ンバ ラ ン ド の
プ リ ー ス ト リ
・ ハウ ス
阪
上正
信
1階中央む か っ て右の部屋ば記 念品展示室とな っ て お り
,
神 学者。
教育者 と して の コー
ナー
に は,
講 義の 補助に も 用い た有 名な伝記図表 や 地球 儀が 執筆 図 書とともに展示 さ れ て い る (写 真
1
)。 ま た歴史 学 者と して関心 深か っ た電気学や光 学それぞれの コ
ー
ナー そし て天 秤や顕 微 鏡を展 示した化 学の コ
ー
ナー
があ り,
ほ か の哲 学の コ
ー
ナー
, 遣 品コ
ー
ナー
と と もに要 領よく展示 さ れ て い る。
何よ り興味深い の は建 物の 向か っ て右 翼の
,
復 元 さ れた 実 験 室と その内 部で,
醸 造 発 酵で生ずる気 休を水に 吸収させ て初め て ソ
ー
ダ水を考 案した装 置や,
大口写 真
2
写真 1
径 凸レ ソ ズ で 集め た太 陽 光 加 熱で赤 色 酸化水 銀か ら 酸 素 (彼の い う脱 フ ロ ギ
ス ト ソ空気)を得た 装 置な ど が展示さ れて い る (写 真
2
)。 な お 建物左 翼の 台 所に近い部 屋の暖 炉の棚に は,
彼が 空気の良 度 測 定に よ く 用い たガ ラ ス 鐘 内のハ ツ カ ネズ ミ の剥 製を み かけた。2階は 居 室
・
寝 室で,
そこ に は在イ ギリス 時代か ら 交友関 係の深か っ た フ ラソ ク リンの 肖像画 が あるo この よ うに片田 舎にあ りな が ら 忘 れて はな らぬ 味 わい深い博 物 館で あるo なお
,
彼のア メ リカ移 住 前 後の事 情につ い て は 次 に詳しい。 杉 山 忠 平,
“
理 性と革命の時 代に生 きて
一 J .
プ リー
ス ト リ伝”
,
岩 波 新 書 (青 版 907)。
(
Masanobu
SAKANOUE ・
金 沢 大学名 誉教授)
200
(68
) 化 学 と 教 育N工 工