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CitizenshipStudiesinaGlobalEra:TowardPosLnationalcitizenshipandlocality グローバル化時代におけるシティズンシップ

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(1)

グ ローバ ル化 時代 にお け る シテ ィズ ンシ ップ

ー ポス トナ ショナルな シテ ィズ ンシップとロ⊥ヵ リテ ィの関係 の構築 に向 けて ‑

沢 真 貴

Ci t i z e ns hi pSt udi e si naGl obalEr a:

Towar dPos Lnat i onalc i t i z e ns hi pandl oc al i t y

MakilsHIZAWA

Abstr礼ct

Thispaperaimstoshow thelimitsofnationalcitizenshipwhichisbasedonthemodernnation‑

Stateandconsiderstheproblemsassociatedwith"postnational"citizenship.Thetraditionaltheories anddiscussionsonnationalcitizenshiphavepresupposedthereglmeOfthenation‑state,Sothatthey havebeenapttofocusonthequestionsaboutthe.expansionandretrenchmentoftheformalcitizen‑

shipwhichisgroundedontheequalitywithinanationalcommunity.However,thistraditionalframe workofnationalcitizenshipcannotdealwiththesubstantialcitizenshipandtheculturalrightswhich recognlZeCulturaldifferenceandsocialparticipationofdiversepeoplebeyondthenationandthena‑

tion‑stateintheglobalera.Recently,thispostnationalcitizenshiphasbeenwidelydiscussedagainst thebackdropofthegrowthofcrossbordermigrationandlabormobility,andtheheighteningofthe universalhumanrightsconsciousness.

Thispaperplacesthelimitationsofthenationalcitizenshipinthecontextofthesocialchanges causedbytheglobalization,especiallyafterthelate1980'S,andanalysestheconditionsoftheemer genceofpostnationalcitizenship.Asaconclusion,Isuggestthatitisimportanttothinkaboutpost nationalcitizenshipintermsofsocialparticipationinlocalcommunitytorealizetheimpactofcultural changeanddifference.

Keywords

citizenship,culture,participation,localcommunity

1 は じめに

グローバル化時代 にお ける シテ ィズ ンシップ(1)の議論 において,文化的 シテ ィズ ンシップをは じめと したポス/ トナ シ ョナルな シテ ィズ ンシップの議論 が台頭 して きて いる。社会学的 に シテ ィズ ンシップを考察す る礎 とされ るマー シャルの議論 だ けで な くその批判 的議論 を含 め, 従来 の シテ ィズ ンシップ論 は,結果的 に国家を前提 と し た議論 の枠組みを越 えず, あるコ ミュニテ ィにおける平 等性 を重視 した形式的 シテ ィズ ンシップの議論 に終始 し て きた。 そ こで は国家 内の平等性 を根拠 に した権利 や義 務 の拡大, あるいはその縮小が議論 の中心 とな り,文化 的差異 をふまえた参加 の議論 を十分展開 して こなか った。

こうした従来 のナ シ ョナル ・シテ ィズ シップは,産業経

済 の グローバル化 の進 む今 日,国境 を越 え る移民労働者 の急増や普遍的人権意識の高揚を背景 に,その意義を失 っ て きた (Soysal1994)。 で は, ポス トナ シ ョナル ・シ テ ィズ ンシップ論 において, この文化的差異 を重視 した 参加の議論 は, どのよ うに展開 され うるのだろ うか。

本稿 で は, まず1980年代後半以降の グローバル化 によ る社会変化が,国家を前提 としていたナショナル ・シティ ズ ンシップ論 の限界 と,文化的 シテ ィズ ンシップをは じ めと したポス ト・ナ ショナルな シテ ィズ ンシップ論への 関心 を もた らした流 れをみ る。 そ して現代社会 システム としての福祉国家体制 に結 びっいて成立 した社会的 シティ ズ ンシップに注 目 し, ポス トナ ショナルな議論 にお ける 再考の方向性を示す。そ して, グローバル化のなかで様々

‑9‑

(2)

な文化的変容 を余儀 な くされ る地域 コ ミュニテ ィにおい て,文化的差異および社会的 シテ ィズ ンシップと結 びつ いたポス トナ ショナルな シティズ ンシップ,参加 の議論 の必要があることを論 じたい。

2 シテ ィズンシップ研究の動向

(1) シテ ィズンシップ再考の社会的背景 1)国民国家の相対化

ナ ショナルか らポス ト・ナ ショナルな シティズ ンシッ プ論への展開をみるために, まず1980年代後半以降の社 会変化 を概観 してお きたい。国家のあ り方 その ものに対 す る社会変化 として, まず資本主義 と社会主義 あるいは 自由主義 と社会主義 の対立 と して描かれて きた冷戦構造 の崩壊があげ られる この東西 イデオ ロギー対決の消失 は, アメ リカ ン ・イデオ ロギーと称 され る個人的 自由, 市場原理主義,民主主義,人権思想の グローバル化を も た らした。 そ して1989年,ベル リンの壁 の消失 に象徴 さ れる東欧 ・旧 ソ連など社会主義国家の解体で,統一 ドイ ツが誕生 し旧 ドイツ東側 の民主化, 自由化が進んだ。 そ の一方で, たとえば旧 ソ連各共和国内 ・間の民族紛争が 激化す ることにより難民問題が生 じた。 これ らは国家 の あり方が変化することにより,東側か ら西側への移民,

れた ことを意味す る。 また,1970年代後半か ら経済成長 の停滞を機 に,経済成長 を前提 と して築 かれて きた福祉 国家体制 の危機論が批判 のかたちを変 えつつ論 じられて きた。 さ らに,1990年代初頭か らのEUの展開は,通貨 統合 をは じめ,共通外交 (政治的統合),安全保障 ( 辛),司法 ・内務協力等 の国家の枠組 みを超えた政治経 済的な システムの可能性 を具現化 して きている こうし た国家の変化 は,国家を所与 の ものと した社会科学 の理 論的パ ラダイムに大 きな動揺 と新 たな論考の必要を もた らした。国際社会学 と称す る研究領域 が脚光を浴 びるよ うになるの も, こうした背景 によるものである。

2)社会の文化 による構造化

こう した国家的 レベルでの社会変化 と時を重ね るよ う に, アイデ ンティテ ィなどの文化的諸問題 にかかわ る社 会変化 も生 じてきた。 グローバル化 による移民の増加 は, 一方で移民排斥運動 や暴動 に典型的にみ られるナ ショナ

リズムの動 きゐ激化 と同時に,属性 による差別問題への 関心が高 ま り,社会科学 において は レイ シズムに対す る ェスニ シテ ィの議論 を活発 に し, また同様 にセクシズム に対す る ジェンダー研究, エイ ジズムに対す るエイジン グ研究が展開 した。 それ とともに,国家の相対化 の上 に 近代の再考 を促すポス ト・コロニア リズムやフェ ミニズ ム, カルチュラル ・スタデ ィーズ等 も注 目され るよ うに

なる。

こうした国民国家 を前提 とした社会構造および社会理 論が再考 を迫 られ るに至 った背景 には,多文化主義,相 違への権利,普遍的な人権 とい った思想への関心 の高ま りがある 思想的な変化 として,たとえばソイザルは, 普遍的な人権 と,国民以外の存在 に対 して排他性 を もっ シテ ィズ ンノシップ とのパ ラ ドキ シカルな関係 を指摘 し, このナ ショナル ・シテ ィズ ンシップの限界 と普遍的人権 の優位性 を強調 している (Soysal1994)(2)。 ターナーは, こうした思想 を基盤 に して, シテ ィズ ンシップの拡大 に 対す る関心を寄せてお り,多様 な国家 における リベ ラ リ ズムの多様な歴史 と,現代 におけるジェ ンダー, アボ リ ジニ,移住者,多文化主義 とデ ィアスボラ,豊かで安定 した国家 における大量 の難民 ・亡命者や移民の シティズ ンシップの諸問題, またホモセクシュアルの権利闘争や AIDS被害者 の社会的権利,国家や親 による児童虐待 に 対す る子 どもたちの権利,女性 によって選択 され る中絶 の権利 などを扱 う新 しい シテ ィズ ンシップの概念 ゐ提言 を論 じている (Turner1986,1993:13)

文化への関心 は思想面 にとどま らず, たとえば2001 9月 に起 きたアメ リカにおける同時多発 テロに象徴 され るように,冷戦構造の次 に現われてきた社会構造 として, 世界のアメ リカ化を もた らす グローバ リズムへの対抗 に

よる世界構造の変化 として論 じられ るようになっている。

これ らは, これまで はみ られなか った,文化の政治的問 題化が生 じ,社会構造が文化 によ り構造化 されて くるこ とに対す る議論が高 まりをみせて きていることを示 して いる

(2)ナ シ ョナル ・シテ ィズンシップ論の問題点 ̀ 1)社会的 シテ ィズンシップに対する批判

概観 した二つの面での社会変化 は, シティズ ンシップ 論 にいかなる影響 を もた らしたのだろ うか。以下では, それが国民国家を前提 としたナショナル ・シティズンシッ プの批判,再考の契機 とな った ことを示 してい く

まず,現代の福祉国家 と密接 に関連 した社会的 シテ ィ ズ ンシップの批判があげ られ る。1980年代, グローバル な資本主義 における構造的な再組織化 によって,福祉国 家体制 に対す る懸念が社会科学 における議論で高 まりを みせ ると (Turner1990:189), それに対す る新 自由主 義やマルクス主義か らの福祉国家批判が生 じた。だが,

1980年代後半 にはフェ ミニズム,反 レイ シズムやさらに は反 エイ ジングの視点 か らの批判 が本格化 し (Turner 1990,伊藤周平1996), シティズ ンシップ論 においては, それが社会的 シテ ィズ ンシップへの批判 とい うかたちで あ らわれた。 マーシャルが福祉国家成立 において重視 し た社会的 シテ ィズ ンシップは,権利へのアクセス手段を

(3)

得 に くい貧困者や失業者,人種的マイノ リティ等が社会 的サー ビスの受給権 を得 るかたちで国家 に依存す る構造 をっ くりだす,受動的性格を もっ とされ る。 このため, 社会的 シテ ィズ ンシップが制度化 されて福祉国家が確立 してい くなかで,本来 そなわ っていた シティズ ンシップ の能動的 な側面 の理念である参加や 自己実現の権利が希 薄化 されてきたという (伊藤周平1996:150‑155,184‑

185)。 しか し, マー シャルの議論では,市場原理 によ り もた らされ る社会的不平等 を,国家が社会保障によ って 介入す ることで緩和す ると考え られたため, それ以上議 論 され る ことはな く (Delanty2000‑2004:35‑42), 結果的に社会的 シテ ィズ ンシップは,福祉国家の制度 の 枠組みに制約 される諸権利 という性格を帯 びることとなっ た。 とりわけグローバル化時代 において は,1980年代以 降顕著化 してきた移民の定住化によって,非市民の シティ ズ ンシップの諸問題 を生 じさせて きた。定住化 した移民 の実際の地域生活面で重要 となって くるめは,雇用や医 痩,教育 などの社会的経済的な保障であ る しか しこれ らに関わ る社会的 シテ ィズ ンシップは,各国家の社会保 障制度 によ って排他 的 に決 め られ,「トランスナ ショナ ルな福祉 国家 とい うもの はいまの ところ存在 しない」

(Delanty2000‑2004:12)ため, まさにその トランス ナ ショナルな場 に生 じて くるこうした文化的差異 の問題 に十分対応で きないことになる (Deranty2000‑2004:

36‑42)

2)形式的 シテ ィズンシップ論の限界

権利 と義務 の諸形態 に関心 をよせ る形式的 シテ ィズ ン シップの研究 は,成員間の平等性 を重要視す る点で, こ れ も国家 における資格付与 としての,ナショナルなシティ ズ ンシップの限界を もっ ものといえる この形式的 シティ ズ ンシップの議論で は,平等性を希求す るなかで シテ ィ ズ ンシップ拡大の主張がなされてきた傾向があり, シティ ズ ンシップ議論の深 ま りとい うよ りは, シテ ィズシップ 論 による対象の拡大 に対す る議論 を生んだにす ぎない。

権利 ・義務 の観点を重視 した シテ ィズ ンシップ論 は,そ の対象が移民,女性,子 ども,高齢者,同性愛者,環境, 動物,‑ と拡大を示す傾向がみ られた(3)。 これ らは, ター

ナーによ る同性愛者 やHIV感染者 などのマイノ リテ ィ や, はて は動物や 自然環境 にいたるシテ ィズ ンシップの 拡大の議論や人権‑の言及 (Turner1986,1993)によっ て もた らされていると考 え られ る(4)。 この主張か ら派生

した諸議論 は,単 に権利拡張の主張あるいはその反対 に 義務 を強調す るとい う議論の枠組 みを超 えない。 また, シティズ ンシップを システム化 し権利 にアクセス可能 に さえなればそれでよいとい う帰結 にな りがちで,能動的 な シテ ィズ ンシップ と しての参加 にかかわる議論 を展開

す るものにはな っていない。

また,人 びとのグローバルな存在状況 にいかに対応す るのか とい うとき, どのような シテ ィズ ンシップの資格 付与 を認 めあるいは制限 しているのか とい う,国家間の 制度的な比較研究を もって シテ ィズ ンシップ論 とされ る 傾向が,形式的 シテ ィズ ンシップ研究 にはみ られ る 本英樹 は,社会学 におけるシテ ィズ ンシップ研究の現状 として, その理論的視角 自体がなん ら検証 もなされない まま,比較移民政策論 において 「理論」 として用 い られ ている点 を指摘 し,形式的なメ ンバー シップの状態を各 国間比較す るとい うこうした研究の積み重ねに対 し,疑 問を付 している ′(樽本 2000)0

さ らに, ブルベイカー (Brubaker1989)は,移民の 増加 によ って国家の枠外 との関係で シテ ィズ ンシップを 考察す る糸 口を, マー シャルが軽視 したとす る形式的 シ テ ィズ ンシップの議論 において再考 している。 ブルベイ カーは,移民の社会的経済的な権利が拡大 され ることで 国籍 を取得 しな くとも生活の諸問題が ク リアされている 現状 を示 し, また非市民 の形式的な シテ ィズ ンシップは 形骸化 して市民 と永住外 国人 の差 はあ ま りない とい う シュ ック (Shuck1989)の研究 を引いて,外国人への 完全 な シテ ィズ ンシップの付与 に賛意 を示 している うした, ブルベイカーやハマーに代表 され る移民 を対象 とした シテ ィズ ンシップ論 は, ナ ショナルな シテ ィズ ン シップの もつ限界 を示 したことによって,国民国家を相 対化す る視点を もた らしたといえる しか し,それは各 国家の枠組みによって制約 され,ある国家の完全なシティ ズ ンシップの付与が重要であるとい う主張を している点 (Brubaker1989;Hammer1989),形式的な シティ ズ ンシップの権利 ・義務論 における理論的枠組みを超え るもので はな く, ポス トナ ショナルな議論 とは一線 を画 す ると考 え られ るのである

3)社会科学による社会変化の看過

さ らに もうーっ,国家 の分析枠 を前提 とした シティズ ンシップの問題点 と して,社会階級 とシテ ィズ ンシップ との関係 をあげてお こう 社会学的な シテ ィズ ンシップ 論 の考察 の代表的な論者 として位置づ けられるマーシャ ルは,社会階級が もたらす社会的,経済的不平等 とシティ ズ ンシップの平等性 の矛盾 に注 目 し, そ うした不平等を 解消 してい く装置 と して シテ ィズ ンシップを捉えていた (Marshall1963:88)。 こうしたマー シャルに対す る批 判 の多 くは, マー シャルが階級闘争 を進化論的に捉え, 闘争 において不利 なエスニ ック ・マイノ リティ等の シティ ズ ンシップ獲得の困難 さなどを看過 しているといった点 を批判す るマルクス主義 や社会学の議論 によるものであ (Turner1986)(5)。 この社会階級 に注 目した議論では,

‑ ill

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国家内における市場 のつ く.りだす社会的,経済的不平等 問題 に関心が集中す ることとな り,国家を相対化す る社 会変化への関心を希薄化 させたといえ る

しか し, ターナーは, この社会変化への関心の低 さは, マー シャルに限 らず, マー シャルへの批判議論 における マルクス主義や社会学 自体が,あまりに社会階級の分析 に偏 った議論 を展開 して きたため とみている (Turner 1986:67)。 よ って国内 における社会階級 を越 えて,多 様 な属性 の人 々によ って構成 され る集団や共同体 による 社会運動やマイノリティゐ権利運動 (Turner1986:85‑

92), また国境 を越 えた移民労働者 とい った,社会的 な 移 動 性 に関 す る議 論 が 軽 視 され て き た経 緯 が あ る (Turner1993)0

もっとも, マー シャルはイ ングラン ドの福祉国家を事 例 と してお り,国家 その ものを相対化 して分析 している わけではない。 よ って,国内における階級の不平等 には 注 目 して も,国家間を移動す る移民等 の存在 によって生 じて くる文化的差異が もた らす不平等 に言及 しえなか っ たとい う点で,批判 の対象 となるのは避 けられないこと ではあ った。時代的な制約があるにせ よ, こうした国内 だけではな く,国境 を越 えた移動 に対す る関心 を もちえ なか った ことが,結果的 に今 日における文化的差異 に関 わる諸問題 の軽視 と して批判的に議論 され る要因 にな っ ている。

3 ポス トナショナルなシティズンシップ論へ (1)文化的 シテ ィズ ンシップ

ナ シ ョナルな シテ ィズ ンシップ論 は,国内の シテ ィズ ンシップの平等性 を重視 し,その平等性 を形式的に拡大 す る主張 を してきた。 しか し, グローバル化時代 にお け るシテ ィズ ンシップ研究 の動向は,形式的な平等性 を重 視 した権利 ・義務論,平等性の議論か ら,文化的差異 を 前提 に し, その承認 を求 めるアイデ ンテ ィティ,参加 の 議論 に移行 して きている。 そこで注 目されてきているの が文化的 シテ ィズ ンシップである(6)。 それ は, 同質 とい うことで はな く対等であるという意味 においての平等性 に加え,文化的な差異 を承認す ることを も求めるもので ある (Delanty2000‑2004:257)

デ ランテ ィは, こう した議論の変化 の理由として,以 下のような点を挙げている 第‑ に, ほとんどの市民的, 社会的権利が出生で はな く,居住 によ り決定 されている

こと 第二 に, シテ ィズ ンシップ と人権の区分が唆味 に なって きてお り, マイノ リティは人権 に訴えることで権 利を要求す るようにな っていること。第三 に,新 しいテ ク ノ ロ ジ ー の 開 発 は , 社 会 の 性 質 と人 格 的 個 性 、 (personhood)を変え る力があるため, シティズ ンシッ プの意味 自体 を転換 しうるということ 第四に, フェ ミ

ニズムの主張 によるシテ ィズ ンシップの私的な ものへの 拡大が, シテ ィズ ンシップをアイデ ンテ ィテ ィの権利 と して議論す る方向をっ くりだ した こと。第五 に,平等か ら集団の差異への関心、に置 き換わ って きてお り,集団的 権利や文化的権利が台頭 して きたこと。 こうした シテ ィ ズ ンシップの今 日的な展開を整理 して,デ ラシティは, シテ ィズ ンシ、アブが文化 の領域 にかかわ って きた ことを 強調 す る (Delanty 2000‑2004:iv‑Ⅴ) この ことは 同時に, マー シャルの議論 において福祉国家の成立 と密 接 に関連す る社会的 シテ ィズ ンシップが, こうした文化 的権利 に対 して対応で きない排除の問題 を含み もっ点で 批判 され ることを示 してい る (Delanty 2000‑2004:

37)。今 日にお けるシテ ィズ ンシップの論点 は, このよ うに国家 を超えたところに発生す ると同時に, きわめて ローカルな場 において具体的に発生す る文化的差異 と関 連 させた議論が非常 に重要 にな って きていると考え られ

る。

(2)ポ ス ト・ナ シ ョナルな議論 における社会的 シティ ズンシップの再考

ここで問題 にな って くるのは,社会的 シティズ ンシッ プ と参加 の関係である 文化的 シテ ィズ ンシップの台頭 は, デ ランテ ィの整理 にみたよ うに,現代 において福祉 国家を枠組に展開され完成 したマーシャルの社会的 シティ ズ ンシ ップ論 の限界 を示す ものだ とい うことがで きる (Delanty2000:35‑42)。 この社会的 シテ ィズ ンシッ プの性格 は,平等か ら差異への議論 に移行 している現在 において台頭 して きた,文化的差異 を重視す る文化的 シ テ ィズ ンシップを包含で きない。 なぜな らば,文化的差 異を表面化させる大 きな社会変化 としての トランスナショ ナルな移民 (移動) は,経済的不平等 を緩和す るための 福祉国家の市場への介入 とい う,社会的 シテ ィズ ンシッ プのナ ショナルで静的な,そ して受動的な性格 と対立す るか らである。

しか し, ナ ショナルな シテ ィズ ンシップの限界が明 ら かにされたか らといって,社会的 シテ ィズ ンシップ自体 の重要性が減 じることにはな らない。 とい うの も,社会 的 シテ ィズ ンシップはグローバル化社会 において増加 し て きた移民の シテ ィズ ンシップ, あるいはデニズ ンシッ プ 議 論 に お い て 焦 点 化 さ れ て き た か ら で あ る (Brubaker1989,Hammer1989)。今 日の社会的 シティ ズ ンシップは,出生地を根拠 にす る.よ りも,その地 に居 住 していることによ って,実質的にデニズ ンにも付与 さ れ るもの とされ,実際の多様 な生活者 の生活面 に密接 に 関わ っている以上, その保障やサー ビスに対す るアクセ スをお こな うための重要 な位置 にある また, ターナー によれば, シティズ ンシップ問題 は 「医療ケアシステム,

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教育制度 そ して福祉国家への アクセスに関 した実践的な 政治的諸 問題 のみな らず,社会的統制 と社会的連帯意識 の条件 に関す る社会学 の伝統的理論 の討議 において も中 心的な問題 と して再浮上 して きてい」 て,一つの制度 と しての シテ ィズ ンシップ は, 「社会的 コ ミキニテ ィの本 質である」 と している (Turner1990:189)。 ここにお いて重要視 されているシテ ィズ ンシップ は,社会的権利 と密接 に関わ りあ った社 会的 シテ ィズ ンシップの性格 そ の ものを示 している

また, 伊藤修平 は, 「市民権 を成立 させ る基盤 とな る 共同体社会 は,村落や都市 や農村 などの地域社会で もあ りうる し;職業団体や労働組合 などの職能団体で もあ り うる」 と し, 「歴史 的 に多様 で あ る と推 測」 して い る (伊藤1996:163)。 この ことは シテ ィズ ンシップが場所, 時代 に応 じてその内容や形態 を変化 させ る可能性を示 し, 社会的 シテ ィズ ンシップは,国民国家 を前提 にす る近代 の シテ ィズ ンシップ論 を超 えて, ポス トナ ショナルな コ ンテクス トの中で試論 す ることも可能 で あることを示唆 している。

ナ シ ョナルな シテ ィズ ンシップか らポス トナ シ ョナル な シテ ィズ ンシップへの議論が模索 され始 めている現在, 福祉政策 的な課題 に密接 に結 びっいてい る社会的 シテ ィ ズシ シップは,今後 の ポス トナ シ ョナルな状況下 におけ るシテ ィズ ンシップ研究 の展開の鍵 を握 る, いわば限界 点 を示 している もの といえ る。

(3)社会的 シテ ィズ ンシップと参加 に関す る議論 さて,社会的 シテ ィズ ンシップ と参加 に関 してだが, ここで は主 に伊藤周平 (1996)の整理 に依拠 して論 じる ことにす る。 伊藤 は, 「主 と して左派 や フェ ビア ン主義 の論者 か ら,市民権,特 に,社会的市民権 をたん に社会 サー ビスを要求 し,受給 す る権利 に とどま らず,個人 の 自律や 自己実現, さ らに,積極的な社会 的,政治的参加 を保障す るための権利 と して位置づ けよ うとす る議論」

が 主 張 さ れ て い る と し, た とえ ば プ ラ ン ト (Plant 1985), ホール とヘル ド(HallandHeld1989)J,やパ ー カー (Parker1975)の議論 をあげ る(7)。 しか し, これ らの主張 の意義 をみ とめっっ も, そ こで は自己実現や政 治参加 における国家の積極的な役割が前提 とされてお り, 従来の シテ ィズ ンシップの枠組みを越 え るものではない 点 で問題点 もあるとい う そ して,福祉国家が個人の社 会的 シテ ィズ ンシップを保障す る最 も有力 な機構である 以上,保 障の範 囲が広が ること昼,一方 において国家権 力 の拡 大 を も意 味 す る (Pierson 1991:202‑203, Plant1985:24)。 この点 で いえば,社会的 シテ ィズ ン

シップの限界 は, いまだ明確 な形で克服 されてはいない ことにな る

しか し, そ うであれば逆 に,国家 の枠組 みで はない文 化的差異や参加の議論 と結 びついた社会的 シティズ ンシッ プ とい うものへの構想が, この先 にあ るシテ ィズ ンシッ プ論 の一つの焦点 となるともいえ るだろ う これ はデ ラ ンテ ィのい うコスモポ リタ ンの シテ ィズ ンシップ論 の主 張 と重 な るところで あ る デ ラ ンテ ィは, 「コスモポ リ

タニズムが グローバ リゼー ションに抵抗す る力を引 き出 す市民共 同体 と結 びつ くな らば, コスモポ リタニズムが 成功す る可能性が あ ると考 え られ る」(Delanty2000‑

2004:3)と主張 している

社会的 シテ ィズ ンシップは国家の枠組 みに制約 され る ため, その権利保障の拡大 は福祉国家 に依拠せざるをえ ないとされて きた。 しか し, これ は権利 ・義務 の形式的 な シテ ィズ ンシップの主張 において は妥 当であるが, そ もそ もそ うした法制度的 な形式的 シテ ィズ ンシップの拡 大,縮小問題 に限定 されて しまわず,多様 な状況,形態 の参加 にお ける関係性 と して捉 え るな らば,議論 の余地 はあるので はないだろ うか。 ブルベイカー らが示 したよ うに,完全 なナ シ ョナル ・シテ ィズ ンシップを得ていな い永住者 がなん らかのかたちで社会的 シテ ィズ ンシップ を共有 しうるとい う事実 か らいえば (Brubaker1989), それは実 際の地域 コ ミュニテ ィとの関係性 によ って状況 的 にかたちづ くられているものであると考え られ るか ら である

文化的差異が様 々な場 において現 出す る社会 において は, ナ シ ョナルな レベルで論 じられて きた社会的 シテ ィ ズ ンシップ と,民主主義論 の場 で語 られて きた文化的差 異 を承認 す る,参加 の問題 との関係 を再考す ることな く

して, シテ ィズ ン㌢ップ論のポス トナ ショナルな展開を みいだす ことはで きないように思われ る グローバル化 が シテ ィズ ンシップに突 きつ ける課題 と して,民主主義 とシテ ィズ ンシップ との関係 を重視す る必要が ここに生 じて くる

4 シテ ィズンシップと参加 をめ ぐる議論 の問題 (1) リベラ リズム にお ける参加 の議論への無関心

前章 まで に,文化的 シテ ィズ ンシップを とりあげ, ポ ス トナ ショナルな シテ ィズ ンシップの台頭 と,それによっ て従来受動的でナ ショナルな枠組 において成立可能 とさ れている社会的 シテ ィズ ンシップの, ポス トナ ショナル な議論 にお ける再考が必要であることを示 して きた。 そ れ はつ ま り, ナ シ ョナルな シテ ィズ ンシップ論 において は議論 されて こなか った文化的権利 に関す る視角 と,参 加の議論 との関係で,社会的 シテ ィズ ンシップを考察す る必要である ここで,再度 デ ランテ ィの議論 を もとに, シテ ィズ ンシップ議論 における,文化的権利 と参加 に関 す る主張 の違 いを整理 してお こう

‑ 13‑

(6)

デ ランテ ィは, まず, リベ ラル派が市場 と国家 を中心 に考 え,主 に権利 と義務 の形式的 な シテ ィズ ンシップの 主張 を し, アイデ ンテ ィテ ィの承認 や参加 の権利 を自明 視す ることによ って文化 的差異や参加 に関す る考察 に関 心 を示 さなか った とす る (Delanty 2000〒2004:19‑

20)。 さ らにネオ リベ ラルに至 って は, 福祉国家批判 を 展 開 し社 会 的 シテ ィズ ンシ ップを軽視 し (伊藤1996:

119), そ して市民 に代 わ って消費者 を設定 して社会的 シ テ ィズ ンシップを消費世界へ と拡張 させ る それによ っ て シテ ィズ ンシップの平等化 の機能 は失 われ,社会的, 経済的不平等 を拡大 させ,かえ って規制 の要求 をっ くり 出 した とい う (Delanty 2000‑2004:42)0

(2)コ ミュニタ リアンにお ける民主主義論の希薄 さ 一方, コ ミュニ タ リア ンにおいて は, シテ ィズ ンシッ プを 「政治化」 し, 「参加」 を強調 した。 この参加 を重 視す る議論 は, コ ミュニ ク リア ンの主張す るところで あ るが, それ は 「シテ ィズ ンシップの政治化」(Delanty 2000‑2004:47)といえ る ワ‑カ リテ ィに着 目 し,地 域 コ、ミュニテ ィにおける シテ ィズ ンシップを主張す るの もコ ミュニ ク リア ンか ら出て きて いる議論 である。 デ ラ ンテ ィは コ ミュニタ リア ンを3つ に分 けて議論 し, その うち リベ ラルな コ ミュに ク リア ンにつ いて言及す る の代表 とされ るテイ ラー (Taylor1994)は, リベ ラ リ ズムを文化的差異 の現実 と文化的共 同体 を保護す る必要 の両方 に適応 させて修正 しよ うとす る立場 にたっ とす る (Delanty 2000‑2004:53)。 彼 は シテ ィズ ンシ ップを 文化的差異 の承認 と して理解 しつつ,文化 的共同体 を承 認す るコ ミュニ ク リア ンの主張 との折 り合 いをつ ける契 機 を示 している

こうして,権利 ・義務 を強調す る リベ ラ リズムに対 し て, コ ミュニ ク リア ンは 「参加」 と 「アイデ ンティテ ィ」

へ の道 筋 を つ け た しか し, デ ラ ンテ ィ (Delanty 2000‑2004)やヘル ド (Held 1995)の い うよ うな,氏 主主義の議論 には結 びつ けられなか った。つまり, ラデ ィ カル ・デモクラシーが主張す るよ うな, マイノ リテ ィに 対す る文化 的差異 の承認 に結 びつ くよ うな考察 まではい た らない。 なぜな らば, コ ミュニ ク リア ンが文化 とい う とき, それ は集団的な文化的粋, コ ミュニティに限定 さ れてお り, 「政治的共 同体 が成立 す る基 盤 に歴史的 に先 行 す る文 化 的含意 を仮 定 して い る」 (Delanty 2000‑

2004:80)とされ るか らである よ って, デ ランテ ィの 主張 にお いて は, リベ ラ リズムと同様 に コ ミュニ タ リア ニズム も,討議的 な民主主義 を考慮 しない主張 と して批 判 の対象 とされて いる

(3)コスモポ リタ ンな シテ ィズンシップ

こうして, リベ ラリズムは参加を軽視 し,一方で コ ミュ ニ タ リア ンは参加 につ いて主張 しシテ ィズ ンシップの政 治化 を主張 しているものの, マ ジョリテ ィの文化的支配 に重 きをおいているとい う点 で,双方 とも民主主義 とシ テ ィズ ンシップの関係 を無視 して展開 していない, とい うデ ランテ ィの整理 をみて きた。 これ らは国家や国民七 いったナ ショナ リティと密接 に結びついた議論 にとどまっ てい\るとい う (Delanty2000‑2004:97‑98)

また, 「差異」 につ いての見解 は異 な り, リ'ベ ラルに おいて は個人 の 自由を, コ ミュニク リア ンにおいて は個 人 の自由を制限す る集団 の文化的権利 と して捉 え られて お り (Bauman 1993),両者 はともに文化的差異 を主張 す るフェ ミニス トや多文化主義者が問題 とす る参加 の政 治的問題,つまり参加す るうえで必要なコ ミュニケーショ

ン手段が そ もそ も得 に くいとい う問題 を看過 しているこ とになる

こうした国家や国民 に関心を寄せ るナ ショナルな シティ ズ ンシップ論 を越 えて, ポス トナ ショナルな シテ ィズ ン シップの提唱をす るのが コスモポ リタニズムによる主張 である コスモポ リタ ンな コ ミュニテ ィにおける シテ ィ ズ ンシップに関す る議論 は,ハ ーバ ーマス,∫., フォー ,R., ターナー,B., ア‑ リ,J., リンクレーター,A.,

‑ル ド,D., サ ッセ ン,S., ギデ ンズ,A.らが代表的で あ るが (Delanty 2000‑2004:6), コスモ ポ リタニズ ムは国内外 にお ける参加 と権利 を視野 に入れ, アイデ ン テ ィテ ィの多元性 を強調 す る。 しか し, コスモポ リタニ ズムは, グローバル化 が もた らした議論 といえ, それは

「グローバルな市民」 とい う構想 を強調す るあま り,人々 が実際の生活 を営 む コ ミュニテ ィとの結 びっ きを欠 いた ままの議論 にな りが ちである点で, デ ランテ ィは支持を 示 しっっ も批判的な立場 を とる このポス トナ ショナル な議論 によるコ ミュニ タ リア ンへの批判 も, コ ミュニク リア ンによるポス トナ シ ョナルな議論への批判 も, それ らが代替的な ものであればいずれ もその論拠 を失 うとし, 双方 の過剰 な主張 を退 け,「「ポ リス」 と 「コスモス」

の どち ら も必要 で あ る」 (Delanty 2000‑2004:272) と主張す る ここか ら彼 は,文化 的基盤 を重視 し, 「 議をとお して構成 されたコ ミュニティ」(Delanty2000‑

2004:279),つ ま り対話, コ ミュニケー ションの本質 と しての コ ミュニテ ィとの関連 を重視す る。 この立場 を彼 は 「市民的 コスモポ リタン」 と称す る (Delanty2000‑

2004:279)

5 ローカ リテ ィとのかかわ り

デ ランテ ィが批判 しっっ も議論 の余地 を残す コスモポ リタンの シテ ィズ ンシップは,異体的な ローカ リテ ィと

(7)

の関係が明 らかでないとい う問題をは らんでいることが わか った。実際 に文化的差異が, ある地域 コ ミュニテ ィ に存在す るときに, そ うした背景 を もつ他者同士が地域 コ ミュニテ ィに参加す るための シテ ィズ ンシップに関す る議論 は,十分 に展開されているとはいいがたい。 また, グローバル化 の議論がなされ るほど,地域的な ものへの 課題 も注 目され る点 を重視す るな らば, コ ミュニク リア ンにおける文化的基盤 とシテ ィズ ンシップの葛藤の問題 に,再度立 ち戻 って考察す る必要 もあるのではないか と い う疑問 も残 る。

生活す る者 にとって, どの程度か は別 と して,何 らか の居住 を伴わず して生活す ることが不可能であることを 考えれば, いずれかの歴史的,文化的基盤 を もった場所 を起点 とせ ざ るをえない。 だか らこそ, 地域 コ ミュニ テ ィ, ローカ リテ ィを全 く度外視す るよ うな コスモポ リ タンな シテ ィズ ンシップは, デランテ ィも批判す る

ここにおいて, コ ミュニク リア ンで もな く, リベ ラル で もな く, またコスモポ リタンを も批判的に議論す るう えで, ローカ リティとの関係 に注意 を払}必要があるだ ろう。 なぜな らば, シテ ィズ ンシップの成 り立 ちは, そ もそ も地域 的 な もので あ り (Marshall1963:79), ま た都市国家の起源にさかのぼれば,都市的な ものであ っ た (斉藤 +岩永1996:264)とい うこと もで きるか らで ある マー シャルはまた,福祉国家 において重要視 され て くる社会的 シティズ ンシップの起源 について も, それ が地域 コ ミュニティや機能的なアソシエー ションのメ ン バーシップであったと論 じている (Marshall1963:81)

討議 をお こな う,複数 の相互 に異質 な文化的基盤の存 在がまず先行す る そ して,実際には,住民が実際に生 活す るあ る地域 コ ミュニテ ィが討議 の場‑ 「コスモポ リ

タ ンな公共圏」(Deranty2000‑2004:283)にな らざ るをえない。だ とすれば,地域 コ ミュニテ ィがなん らか の文化的基盤を もった現実の生 きられた世界である以上, その文化的差異 の生 じている現実か ら, いかに対話 によ る文化的変容の可能性が示 され うるのか というところに, 討議の課題が見出されて くるのではないだろうか(8)0

6 むすびにかえて シテ ィズンシップの領分一都市 と 農村の二項対立を越えて

アイデ ンテ ィティや参加 において焦点 となっているの は, シテ ィズ ンシップの在 るべ き領域である。斎藤 日出 治 は,近代産業都市が 「国民国家 による市民社会の組織 化 にとっての媒介」 として機能 して きた と し,特 に首都 は本来多様性 のある不均質 な人々を,「政治的,文化的, 経済的に均質 な国民 として組織す るための場」 とな って

きたとい う (斎藤1998:100)。 しか し,今 日の多民族が 流入 し混在 している世界都市 においては, もはや国民国

家 による社会統合が不可能であるか ら,「多言語,多民 族,多文化 の人々が共生す る都市 の市民権 を独 自に うち たて,都市 の論理 による社会形成 の理念を再構築す る」

必要 があるとい う。 つ ま り,「都市」 が新 しい市民権 を っ くり,新 しい市民社会,あるい'は公共的空間をっ くる 場であると主張す る (斉藤1998:100)0

また,都市空間 における異質性 を捉えようとしている 議論 として,新原道信 は, エスニ シテ ィとコ ミュニテ ィ が交錯す るところにおいて, それ らの関係が現れ るとこ ろに 「"個 々人の内なる社会変動''の "場"があ らわ れ るとし (新原1995:269), また吉原直樹 は,空間的差 異 (ローカルなヴァリエーション) を とお して, エスニ シテ ィや ジェンダ二への新 たな視点を示唆 している ( 2002:70)0

た しか に,都市 とい う空間 は, ある意味多様 な異質性 を包含 した空間 として際立 ったロ‑カ リテ ィを もってい その点 において,斎藤 日出治や岩永真治 (斉藤 +岩 永1996,斉藤1998)をは じめ とした,都市 を シテ ィズ ン

シップの議論 と結 びつ ける議論 の主張 は,一方の,参加 の場を抽象的なままにする政治哲学的な リベラルなシティ ズンシップ論 と, もう一方の,文化的な粋によって シティ ズ ンシップの場 を具体化 しうるけれども国家 によって承 認 された支配的な文化 によるコ ミュニテ ィ (共 同体), た とえば アメ リカの農業社会 (Delanty2000‑2004:

67)を前提 にす る点で文化的多様性 を容認 しない傾向の あるコ ミュニク リア ンの シテ ィズ ンシップ論,双方の議 論のどち らで もない方向性を示 しているということがで

きる

しか し,都市 はそ もそ も多様性 を包含 してい くことに よって成長 してい くとい う側面 を もち,多様性 を容認 し 得 るとい う点で,多様 な シテ ィズ ンシップが議論 され得

る基盤がある。 また,文化的多様性 は,今 日世界都市 に のみあるのではない。今 日多様性がよ り激 しくたち現れ ているのは, もともと多様性 を排除す る性格の同化的 コ ミュニテ ィのあ り方が強 いぶん, よ り一層大 きな文化的 変容を迫 られつつある農村的エ リアであり,新 しいコ ミュ ニテ ィのあ り方 に向か って一歩踏み出そ うとしている最 前線 として,都市以上 に議論す る必要 に迫 られている場 ではないか と考え られ る しか し, グローバルとローカ ルの関連性が指摘 されていなが ら, シテ ィズ ンシップの 地域性,場所性,風土性 とい った ものを正面 に見据えた 議論 は展開 していない。 それは, たとえば吉見俊哉 によ る 「カルチ ュラル ・ター ン」 の文脈 で い うところの,

「文化 を社会の実践 にかかわ る脱領域的な問いの場 とし て組み立 てなお してい こうとす る企図」 と関連 して くる

ものであろう (吉見2003:25)0

シテ ィズ ンシップと民主主義 の関係 を議論す る上で,

‑ 15‑

参照

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