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法のグローバル化における意思決定・自由・秩序

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(1)法 科 大 学 院 論 集 第 5号. 法のグローバル化における意思決定・自由・秩序. 浅. 野. 有. 高 己. 一章はじめに 現代社会の不安定さは,人々の活動領域の拡大と,それに伴う既存の秩序の 機能不全としてあらわすことができるであろう O 活動領域の拡大の原因をグロー パル化にみれば,既存の秩序の機能不全は,従来の主権国家的秩序のあり方が, 人々の直面している問題に適切に対処できないことに由来しているということ ができるであろう。このような事態は,環境問題,テロリズム,飢餓や戦争に よる難民問題,国際金融や取引の規制のあり方,国際結婚や国際養子縁組など 多岐にわたる領域に共通してみられるものである. 10. 既存の主権国家的秩序が十分に現代的問題に対処できないのであれば,新た な秩序の構想が必要となる O しかし,それは L、かにして可能か。 主権国家間での国際協調の促進や,国際的に活動する国連や. NGOや企業. や研究団体などの組織による対応の必要性が論じられている。しかし,個々の 対応策を論じるだけではなく,これらの方法論を整理し,理念的に基礎付ける 作業が必要であろう。本稿はこのような作業の一端となることを目指している。 新たな秩序の構想、が必要となると述べたが,本稿ではまず,そこでいう「秩 序」の内容を検討したいと考える O このとき, I 秩序」と対置される概念とし て「意思決定」をとらえる。 秩序」が社会なり国家な 「意思決定」が個人によって為されるものであり, I ~. 7 5一.

(2) 法のグローハル化における意思決定・自由・秩序. りの集団によって形成されると考えるとき,この両者は矛盾の可能性を有して いる。また,個人の「意思決定」が,個人の「自由」の内実であると考えられ 自由」と「秩序」も矛盾の可能性を有することになる O しかし, 自 る場合, i 由主義あるいはリベラリズムに属すると一般に理解されている法理論において, しばしば「秩序」が重視される O ハイエクの擁護する「自生的秩序 2 J しかり, ロールズの提唱する「よく秩序付けられた社会勺しかり,である O 自由と秩 序は対立するのか。また意,思決定が個人主義的理念であるという理解は正しい ものか。 自由 Ji 秩序 Jは , どのように矛盾し,またどのように調和す 「意思決定 Ji る可能性があるのか。本稿では,この間いについて,主権国家的秩序の意義と 限界という問題意識を念頭におきつつ考察する。 次の二章では, i 意思決定 Ji 自由 Ji 秩序」の三つの理念の中世から近世, 近代への歴史的展開をみることにより,法における意思決定の重視がすぐれて 近代的な事象であることを確認する O 国家主権による意思決定としての法,私 人の意思決定としての契約概念はともに,歴史的には比較的新しい意思主義の 産物である O それに対して,中世の自然法的秩序においては,慣習法や既得権 が,他者の恋意的意思決定に左右されることなく維持されるという意味での自 由が観念されていたこと,これが今に至っても,私法秩序に対する国家介入の 排除や基本権の思想の基盤となっていることを確認する O ここでは,意思決定 の自由と,秩序的自由の対立関係が明らかにされる。 三章では,意思決定の尊重の意義が確認される一方で,その偏重には問題も あることを論じる O 意思決定は秩序的自由を侵害することがあるからである O 同章では,その具体的な対立関係を見るための素材として,意思決定の自由 の拡大とされる例を,国際取引の分野と国際私法の分野から一つずつ挙げ,そ れに対して批判的な検討を加える O 五章では,意思決定と秩序的自由の対立関係を緩和する可能性のある理論と 7 6.

(3) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. して,近年の国際法理論に注目する。それは,国家に必ずしも限定されない国 際的,あるいは国内的な規範的共同体による多元的・社会的規範決定を促進す る制度的構想、を提唱する理論である O 以上の論述は,意思決定・自由・秩序の三つの理念の関係が,通常は,意思 決定の自由と強制的秩序の対立と理解されることが多いのではないかと思われ るところを,意思決定と秩序的自由の対立として整理しなおすものである。こ れによって新たな視点が得られることが期待される O この視点は三つの特徴を 伴う O 一つは,法における主権国家の役割の相対化である O 秩序は必ずしも国 家的なものではないという理解にたつからである。しかし,意思決定の主体と しても,非国家的秩序の保護者としての可能性を持つものとしても,国家の存 在には理由があることが示される。本稿は,法における国家の役割を格別重視 する意図は有しておらず,どちらかといえば,非国家的規範による自由な秩序 の可能性に魅力を感じるものであるが,国家を否定する意図はな L 。 、 二つ目は,主権的意思決定の主体としての国家の役割が相対化されると同時 に,意思決定による私的自治の正当性も相対化されるため,本稿では公法私法 の区分が暖昧になる O 他者の志、意にさらされない自由を含んでいるという意味 での規範的秩序は,国家においても私的な社会関係においても共通に妥当し, その原理に違いはないと考えるからである O 歴史的な経緯や,強制の質や程度 の差による公法私法の区分の妥当性や意義については,本稿では不明確な部分 。 、 が残ると思われるが,それは今後の理論的整理における課題とした L 三つ目は,国家法を格別重視しないことから,非国家法的現象として国際的 な私人間関係における法や国際的規範の発展に関心が広がることである O グロー パル化を背景とした社会関係や秩序の広がりにおいて,意思決定と秩序的自由 の対立の意義を考察することは,議論に現代的な意義をもたらすことができる と考える O. 7 7.

(4) 法のクローハル化における怠思決定・自由・秩序. ニ章. 「意思決定JI 自由 JI 秩序」の歴史的理念展開. 1 国家決定としての制定法と自然法 フリッツ・ケルンは,ヨーロッパ中世の法と国制についての歴史的分析を行っ ており,ここでは「意思決定」と「自由」と「秩序」の関係について理解する 国家主権Jと「自然法」の理念の歴史的展開につい のに大きな助けとなる. I て詳細な検討を加えている O 以下,本稿の基礎として必要な限りで,彼の議論 を紹介する O 現代においては,われわれは私法であろうと公法であろうと,法が原則とし て国家主権によって決定されたもの,あるいは国家主権によって認められたも のであるということに疑問をさしはさまな L、。しかし,フリッツ・ケルンによ れば,中世における法理解はこれと全く異なっていた 40 中世においては,法とは「古きよき法」であり,このような法は書かれてい ようが書かれていまいが存在しており,国家の君主であろうが個々の国民であ ろうが,例外なく全ての人聞を拘束していると考えられていた。古い法はよき 法であるとされたが,実際には,そのときによき法であると考えられたものが, 歴史的な事実にかかわらず古い法であると主張されるという面も存在した。だ が,ある時代からの法慣習であるとか,ある王から与えられた権利であるとか は,それと矛盾する,より古い時代の法慣習を記した文書や,より古い壬から 与えられた権利を記した文書が発見された場合には,当然覆されなければなら なかった。現代においては,制定法は新しいものが古いものを破る O しかし, 中世においては,古いものが新しいものを破るのが法であった。 このような「占きよき法」は,国家と人民の上にあり,国家と人民によって 作り変えられたり,廃止したりできない自然法として観念されていた 5。この 中世の自然法の大きな特徴は,国家の権能に関わる公法と私人の権利に関わる. 7 8.

(5) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. 私法の区別を持たないことである。なぜなら,王の権利も臣民の権利も,全て 自然法によって定まった神聖な権利であって,これらの権利を正しく尊重する ことが,王の義務であり臣民の義務であったからであるん国政に関わるよう な王の権能の行使の方法についても,それが自然法に反することがはっきりと 指摘された場合には,例えそれが臣民の一人による指摘にすぎなくても,王に は正当化の余地はなかった。勿論,政治的な操作は可能であり,実際しばしは なされたが,理論的には,法の内容確認と遵守において,人々は同等の責任を 有しており,このような責任を果たすために一臣民が国王に厳然と反論するこ とも正当といわざるを得ず,それを理由とした処罰はできなかった。また,取 引に関する自然法の内容は,古代ローマ法の遺産を受け継いだヨーロッパの普 通法(ユース・コムーネ)において,高度の完成度と通用性を持つに至ってい たことも認められている. 70. しかし,中世の自然法には明らかな欠点があった。それは,理論的には法は 一貫し固定したものであるはずが,実際には不明確で,人々の主観的判断に依 拠したものとならざるを得なかった点である O 当事者の権利主張が矛盾すると き,正しい権利状態の証明は文書がなければ困難であるが,当時文書の保存状 態、は悪かった上に,いつ,より古い文書が発見されるかもわからなかった。実 際には,古い文書の偽造が,重い罪であったにもかかわらず, 日常的に行われ ており,権利状態の不確定性に一役も二役も買っていた。人々は,古い文書の 真正性を保証してもらうために,代々の王に保証書を求めて,自らの権利を守 る努力をしなければならなかった 80 また,自然法は変化に対応することができなかった。産業構造や社会関係や 国際情勢の変化に対して,古い慣習を維持し,既得権を保護する臼然法は,新 たな時代の国家統治や社会の再編の要請に応じることができなかった。 そして,近世,近代への過渡期を通じて,国家が制定する国家法の観念が徐々 に生じてきた。従来の自然法における,不明確な個別的権利を国家が一般的に 一 7 9.

(6) I tのグローハル化における意思決定・自由・秩序. 確定し,権利を証明する真偽いりまじった多数の私文書を,国家の公文書であ る制定法によって代替する O また,国家は政治体として,教会や封建領主や他 国に対して主権を主張するようになり,統治における特別な権能と責任を有す るものとして自らを位置づけるようになる。このことは時代に要求された変化 であった。ケルンはいう。法的な「概念が洗練され,技術が改良されたために, 中世の国政の目的としたところは,近代的立憲国家においては,より平穏でよ り確実な仕方で充足されることになり,. しかも右の目的が何らかの形で消失し. てしまったというわけではないのである. 9 J。. こうして,主権国家が成立し,法が国家の主権による産物となってはじめて, 国家組織に関わる公法と国家の介入を阻む私法の区別が必要となった。という のは,自然法としての法観念に立つ場合には,国家はおよそ法内容に介入する ことができな L、。国家が人為的に法を制定することができるという前提にたっ てはじめて,国家が介入できない領域を確保することが必要となってくるから である O 権利の明確化,法を通じた統治の合理化,変化への積極的対処のため に国家は法制定を行うが,その一方で,恋意的な権力行使により正しい法秩序 が乱されることのないように,かつての自然法の内実が,自由な社会的自治の 領域における私法として再編された。また,国家が侵害できない個人の権利や 私権という考え方も,主権国家成立以降の,かつての自然法の残像である O 以上のようなケルンの整理からは,自然法と主権国家による制定法との歴史 的対置が理解され,後者は前者における不都合を解決するための組織的,合理 的技術として登場したことが理解される。しかし,ただ必要だからというだけ で,国家が自然法の下においては認められなかった法制定の力を持つことが正 当化されるとは思えな L、。そこには,理念的な正当化が加わらなければならな いであろう O. 8 0.

(7) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. 2 意思決定と自然法 フリッツ・ケルンの描き出した自然法は,正しい権利状態が国家を含めた全 ての人によって守られなければならないことを意味するものであった。すなわ ち,自然法は,全ての人の権利が他者による侵害から守られるべきことを命じ ていたのであるが,このような権利保護による,正しい秩序の恒久的維持とい う考え方とは異なる自然法の流れが存在していたことが J ・フィニスによって 指摘されている O この,. もう一つの異なる自然法思想、の流れとは,ストア派の自然法論の流れ. 0,サミュ を汲み,スアレスやガブリエル・ヴァツケスを経て,グロティウス 1. エル・クラークに続き,現在の主権論者にまで至るものと論じられている意思 主義的自然法論である 110 こ の 意 思 主 義 的 自 然 法 論 は , 法 を 国 家 主 権 の 意 志 Cw i l l ) あるいは決定. C d e c i s i o n ) により形成されるものと考える. O. その典型は法の本質を国家主権. による制裁規定であることにみる純粋制裁法理論 ( p u r e l yp e n a llawt h e o r y ) に見い出される。これは,例えば「人を殺したものは死刑に処す」というよう 人を殺してはならない」という行為義務を規定している な義務賦課規範を, i のではなく,人を殺した場合には国家によって死刑に処せられることを受け入 れる義務を規定しているのだと考える立場である O このように考えることによっ て,法的義務は道徳的義務とは区別される O また,法的義務は主権者がそのよ うな義務を課すルールの創設を意思決定したことの結果として生じるものであ ると説明されることになる 120 通常の場合,主権者にはそのような法的義務を 規定する様々な正当化理由や合理的理由が存在するであろうが,法制定におけ る最も本質的な要素はその意思決定に存在していると考えられる。 このような主権理論は,国家という政治的領域における法理論として論じら れているが,重要なことは,個人の私的な意思決定の領域においても,これに 対応する意思主義が存在していることである 130 8 1.

(8) 法のグローパル化における意思決定・臼山・秩序. そもそも,意思主義は,個人の行為義務がどのようにして生じるのかを説明 するための理論として考えられたものであった。 意思主義の母体となったストア哲学においては, i 理性に適った判断あるい は正しい判断が,その判断に従った行為を義務づける」という主張がなされて いた。この場合「義務づけられる」ということには,実際にそのような行為に 導かれる,という意味が含まれていた。その意味では「動機づけられる」とい う方が理解しやすいかもしれな L 。 、 しかし,これに対しては,批判者からは,人が正しい判断をしても,その判 断に従って行為するとは限らないという反論がなされていた。誰もが知ってい るように,現実には,人々はしばしば感情や自己利益の追求にかられて,正し くないことを知りながら行為をする O あるいはそもそも判断なしに行為する。 したがって,正しい判断はそれに対応した行為を導く力を有しているとはいえ. t , H。 、 ここで登場するのが,判断と行為の聞を結合する「意思」である O しかし, これはもともとは人間の意思ではなかった。神の意思であった。神においては 正しい認識と行為が一致する O 神が悪を為すことはあり得な L、。神は「義 J , 正しいことが行われるように意思する O 人間の意思はその神の意思に従うので ある。人間の意思は神の意思の反射であり,その神の意思は絶対的であり,動 機づけるものであり,義務づけるものである。 この理論は,神を上位者とみて,下位者である人間はそれに従わなければな らないという考えにつながる一方で,人間の理性と神の理性は同質・同内容の もので,神にとって正しいことと人間にとって正しいことは同じであるという, 神と人との同一視にもつながるという特徴を有している O フィニスは,このような神と人の理性を同一視する意思論と対置されるもの として,アクイナスの自然法論を挙げている O アクイナスの自然法論において は,周知のように神の法である永遠法と人間の法である自然法が区別されてい. -8 2.

(9) 法 科 大 学 院 論 集 第 5弓. るが,それは,人間の理性には限界があること,神の義・道徳と人間の幸福. C w e l l b e i n g ) とは区別されることを理由としている O 人聞は,神の全能には 及ばない,限界のある理性を用いつつ,自分たちの平和と幸福を目指して行動 する O このときには勿論意思も働くが,この意思は,理性と一緒になって,幸 福の実現をめざす方向性を表わすものに過ぎない。何が幸福であるか,その実 現の手段は何であるかを理性が判断し,その目的と手段の関連性を意識するの が意思の働きである。この場合,意思は,意思主義的自然法論で想定されてい るように,絶対的理性的判断と身体的アクションの分裂を結合する強力な魔法 のようなものではなし超越的な動機付けの力でもなく,幸福をめざす実践理 性の一部分にすぎな L 。 、 アクイナスの考える,神ならぬ人間の,限定的な実践理性に基づいた自然法 論を,フリッツ・ケルンの描き出した,既存の権利と伝統の維持としての秩序 的自然法論に重ねて理解することは容易であるように思われる。いずれも,人 間の現状を前提として調和的・安定的な秩序を維持しようとする考え方である からである。 この保守的な秩序的自然法論に対して,意思主義的自然法論は,革命的な色 彩を帯びている O 神の超越的な意思により,世界が動かされる O 意思は,たと え日常的な常識から逸脱したものであっても,正しい目的を実現するための新 規な行動を起こす原動力となる。ストア哲学からスコラ哲学に受け継がれた意 思主義的自然法論は,確かに最初はこの意思の力を神に帰していた。しかし, 時代が下り,世俗化が進むにつれて,次第に,神の意思のみではなく,意思一 般の性質としてこの力が理解されるようになった。既存の秩序や, (意思主義 において)意思とは区別される理性から切り離して,意思が,義務付ける力, 動機付ける力として独自の重要性を有するようになった。意思の主体が,神で はなく,国家や個人の場合にも,意思が神における場合と同じ力を持つと考え られるようになった。このような考えが,国家に適用される場合には,国家主 ←. 8 3.

(10) 法のグローハル化における意思決定・自由・秩序. 権の意思によって法的義務が創設されるという理論となり 14,個人に適用され る場合には,個人の意思によって契約を中心とする私法上の義務が発生すると いう理論となる O. 3 議論の整理一自由・自己決定・秩序 前節で,伝統的な秩序的自然法と対置される,合理的意思決定制度としての 国家主権の理念的正当化の基礎を探った。それは自然法思想のもう一つの流れ である意思主義的自然法論であった。法的義務の発生根拠としての意思の根源 は,スコラ哲学において当初,超越的真理や超越的道徳の判断と,人間の実際 の行為を結ひ つける(行為を義務付ける)力としての神の意思に求められてい o. たが,そのような意思理論の世俗化が,国家主権の義務創設力の承認として表 現されたのであった。国家主権による法の制定・創設という法理論の受容は, 秩序的自然法論の非効率性や非合理性に対処する技術的必要性から生じたと同 時に,理念的にはこの,. もう一つの自然法である意思主義的自然法論の展開の. 流れに悼さす形で生じたということができる。 このような法理念史的理解の上で,重要な点は,意思が法的義務を創設する 力を持つことを認めることが,国家主権の理論においてのみならず,私人間の 私法理論においても同様に受け入れられたということである O すなわち,意思 主義は,中世から近世・近代への過渡期に生じた国家法と私法の分離の両者に おいて,それぞれの理論的帰結を生じたのである O 国家においては主権による 法制定,私人においては自己の意思決定による義務の発生である O 私法理論に おいては,意思表示による自己拘束として説明される契約上の債務が典型であ るが,不法行為における過失責任主義も当然そのコロラリーであると見なすこ とができるであろう。故意による損害惹起行為か,故意はなくとも本来ならば 意思のコントロールにより避けられた損害を招いた過失のある場合に,その意 思主体に責任を負わすことは,法的義務や責任を行為者の意思に還元すること - 8 4.

(11) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. を意味しているからである O このように考えると,国家主権理論は,通常自然 法論と対立する法実証主義と親和性を持ち,国家法とくに公法の場における正 当化理論であるとみなされているにもかかわらず,そこにおける意思主義は, 私法理論にも全く共通していることが明らかとなる。そのような意思主義は, 法実証主義に特有のものではなく,公法私法にまたがる,意思主義的自然法論 の一つの帰結としての側面を持つものなのである O フリッツ・ケルンは,中世の秩序的自然法の不便に対処する意識的技術とし ての国家法の成立を歴史的に描き出した。ここに,秩序的自然法対国家主権的 制定法の対立が生じる O そして,秩序的自然法は国家介入から免れた私法領域 を基礎づけるもの,国家意思は公法領域を基礎づけるものと説明されている O しかし,フィニスによる意思主義的自然法論の祖述によって,私法と公法の区 分の両者にまたがる形で,秩序的自然法論と意思主義的自然法論の対置がみて とれることが理解された。意思主義的自然法論は,国家主権論と私法の両者に おける,自由意思論,意思による法的義務の創出を正当化する。 さらに,秩序的自然法論も,実は公法と私法の両者にまたがる合意を持っと 考えられる O フリッツ・ケルンは,国家介入のない私的自治の中に中世の自然 ……私的な権利や自由の一定の最後の領域が,今日 法の残影をみているが, I でも,. 自然法的に,絶対的な主権をもった国家の干渉の及ぶべからざる領域. とされ……正にこのことがいわゆる人権ないし基本権なるものの意味なのであ り・…・1. 5 Jと述べている O 公法である憲法のうちに,伝統主義的自然法の内容 が刻み込まれているということができるであろう。 以上のように考えるとすると,意思決定と自然法的秩序の対立について考察 する際には, (ある程度は念頭におかれるにせよ)これを私法と公法の対立と 結びつけて考える必要は必ずしもなく,むしろ法全般において,一方における 近代以降の合理性や技術的要請と結びついた意思主義(意思主義的自然法論) と,他方における既得権に代表される実質的権利の秩序体系(秩序的自然法論) 8 5.

(12) 法のグローパル化における意忠決定・自由・秩序. との対立・調和が問題であると理解することができる 1 60 また,このような理解にともなって,私法における自由といえども,必ずし も意思決定の自由と必然的に結びつくものではないことが明らかになる。確か に私法においては自由意思による契約上の義務の発生や意思主義的不法行為責 任が自由主義的原理とされている O しかしながら,秩序的自然法論の文脈にお いては,国家法と区別されるべきものとしての私法における白由は,私人の既 得権を主とする権利が国家の恋意的変更や侵害にさらされないこととしての私 的自治を意味した。ここでは,自由の基本的なエッセンスは , I 自分で決めら れること」ではなく「他者による恋意的変更にさらされないこと」である 170 他者にはもともと権力者も他の私人も含まれていたが,主権国家成立以降は主 に国家が念頭に置かれた。この自由は他者に乱されない現状維持,あるいは平 穏,その意味での秩序の維持を意味する。このような,秩序としての自由が静 態的な社会においては尊重されていたが,変化し発展する社会においては,物 事を動かして L、く意思決定としての自由が要求されるに至ることには,容易に 理解できる 18。しかしながら,いつの時代においても,現代においても,人々 の既得権の安定や,人間関係・社会関係の継続的維持,それに支えられる生活 の安定や安心感は,やはり法によって守られるべき価値のあるものである。そ のような秩序的な基盤が存在してこそ,人々の私的自治も可能となると思われ るからである O. 三章意思主義と秩序的自由 1 意思主義に対する理論的批判 前章では,意思主義的自然法と秩序的自然法の対置から,自由が必ずしも意 思決定の自由に還元されないことを明らかにした。そして,秩序的自然法論に おける私的自治の自由が,秩序と親和性のあるものであることを論じた。本章. 8 6.

(13) 法 科 大 学 院 論 集 第 5弓. では,秩序的自由の観点から,意思主義的自然法論を批判するフィニスの見解 。 、 をみた L フィニスは,国家意思により法的義務が創設されるという意思主義的自然法 論に対して次のような例をあげて反論している O 連邦国家において,連邦政府の裁判所が連邦的権利義務に関わる事案につい ては専属管轄を有しておりその専属管轄の対象の明確化のために憲法が連邦的 義務と地方的義務が区別されるべきことを定めているとする。そして連邦的義 務は連邦法によってのみ規定されるものとする O 今,ある基準によってクラス. Cに属すると判断される全ての人が φの義務を負うと連邦法が規定し,そのよ うな義務は地方議会によって課されてはならないと憲法が定めているとする O したがって,. φという義務は連邦法によって課され,連邦の裁判所でのみ判断. される O ここで,. oの義務を負うクラス Cに人々が属するかどうかの具体的判. 断を地方政府に委任したとしよう。依然として φは連邦的義務にとどまる O さ らに,クラス Cの定義,つまりクラス Cの選別基準の設定が地方議会に委ねら れたとする。それでも,. φは連邦的義務にとどまる. O. 地方議会ではなく,地方. の官僚の意思決定や裁量に委ねられたとしても同様である。地方官僚のクラス 分類の意思決定は,そのような決定があれば,連邦的義務が特定の個人に課せ られるという単なる事実的条件にすぎな L、。地方政府や官僚の意思決定は,事 実的条件にすぎず,義務の根拠ではな L、。さらに, φの義務を負う特定のクラ スに属するかどうかを個人の申請や,個人の決定に委ねたとしても,この義務 の根拠は連邦法にあって,個人の申請や決定にあるのではない 190 以上のように,ある法的義務が存在する場合に,その義務の課される基準が どのように決定されようとも,その義務の発生が連邦議会,地方議会,官僚, 個々人の裁量や意思決定にかかるものとされようとも,義務の根拠はそのよう な意思決定ではなく,法自体にある O フィニスによれば,その法とは,共通善 の追求のために,ある種の義務を何らかの基準によって課すことが不可欠であ. 8 7.

(14) 法のグローパル化における意思決定・自由・秩序. る,という理性認識である O このように考えるとき,連邦法上の義務 φの根拠 は,実は連邦議会の意思決定でさえなく,連邦議会の決定により実現されよう とする共通善そのものにあると結論されることになる。このような共通善の実 現のために要求される人々の義務が何であり,どのような方法で具体的に実現 されるのかは実践理性により判断され,ここでは当然,様々な組織的対処や決 定権限の配分が必要になるが,国家機関や個人の意思決定は義務の発生の条件 。 、 あるいは根拠の一部であるにすぎな L 意思主義によって,意思による自己拘束として説明される,契約上の義務の 根拠についても同様である O 契約上の義務は,本来的に相手方や第三受益者と の人間関係を前提としたもので,当事者間での相互の役割や係わり合いや地位 に基づいて,一般には負わない特別な義務を,相手方に対して負うものである O 約束が実現されること,人間関係における信頼が存在することは基本的な共通 善に適う O 人々の相互協同は見知らぬ者の間でなされるよりは,まずは関係の ある当事者間でなされるのが望まし L、。その方が強制の必要性も少なく実効的 0。意思表示はこのよ でもあると,実践理性の観点から判断されるからである 2. うな,関係当事者間における特別な義務の負担を正当化するための条件の一つ 。 、 に過ぎな L このようなフィニスの自然法論は,意思主義と異なり,共通善とその実現に 関わる実践理性として法を説明しようとするものである O ここでは,私的自治 は,社会的相互協同の実効的な方法として必要とされている O 契約上の義務に おいては,当事者の意思はひとつの重要な要素であるが,. しかし決して根拠で. 。 、 はな L 本稿の文脈においては,次の三つの点が重要である。 第一に,秩序的自由は「他者による恋意的変更にさらされないこと」である が,本節におけるフィニスの反意思主義的自然法論の検討では,このような他 者の恋意的介入が何を意味するかについて,共通善の実現をめざす実践理性に 一 8 8一.

(15) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. 反するような他者の意思決定,という内容を付け加えることができた。 第二に,秩序的自由は,既存の社会的相互関係を前提としたものであり,そ の意味で保守性をおびていることは疑えな L、。そこに秩序の安定性や,非強制 性が見出されている O むしろ強制は,神にとってかわった上位者としての国家 の主権的意思による法制定と義務の創設という,意思主義のうちにより多く含 まれた要素-である 210 つまり,秩序は,国家主権による意思決定の産物とされ るときに強制性を帯びる 22。また,私的自治においては契約上の意思主義を通 じた強者の意思決定の貫徹というかたちで強制性は発現する O 第三に,共通善実現の継続的試みとしての自然法という主張は,法内容が一 定の発展性や変更の可能性を有していることを意味する O 次節でみるように, 意思主義からは自然法の保守性が非難されるが,既存の社会規範に照合されつ つ,意思主義とは違った形で法内容が発展する可能性がある。そのために,フィ ニスの議論は,契約締結上の過失から生じる義務や,安全配慮義務,労働契約 や消費者契約における強行法的義務,家族聞の扶養義務など,私的領域におけ る,様々な非意思主義的義務を説明するに適した理論となっている 230. 2 秩序的自由に対する理論的批判 秩序のうちに含まれる自由は,秩序的自然法論によれば,既得権の保護や慣 習法の維持により「他者の恋意的変更にさらされないこと」と考えられ,許さ れない恋意とは,フィニスによれば共通善の実現を目指す実践理性に反するよ うな意思決定であると考えられた。とすると,既存の規範や既得権を理由とし ないような, I 自由な」意思決定が,国家や社会的強者の実力により押し付け られるとき,それは自由の秩序にはふさわしくないものとして排除されること になる。 しかし,事実,国家意思による客観的法制定は,秩序的自然法の不明確性や 主観性や固定性を克服するための合理的技術として必然的に要請された手段で. 8 9.

(16) 法のグローパル化における意思決定・自由・秩序. あった。また,私的自治の領域における私人の自由意思による契約の自由は, 資本主義の発展を促し,人々と国家の経済的富と利益を増大させてきた 240 このような,合理的技術としての意思決定の重要性は,効率性の追求を正当 な法目的であると論じる経済分析の立場から強調されるものである。キャプロー・ シャベルは,既存の法秩序において内面化されている社会規範が,法における フェアネスの理念を支えていることを指摘し,その例として約束の遵守や応報 的正義や矯正的正義などを挙げている O そして,このような社会規範に支えら れたフェアネスの理念は,個々人に内面化されているがために安価に行動を導 くことができ,またこのような社会規範やフェアネスの原則は多くの場合,社 会厚生を促進する近似的原則でもある点に利点があるとする O しかしながら, 法の目的は社会的厚生の長期的増大であるから,人々の幸福が促進されないと いう社会的帰結が明らかな場合には,フェアネスを独立の評価基準として法政 策分析に持ち込むことは許されない。その場合,社会規範によってはコントロー ルできない機会主義的行動を統制するための合理的制度設計としての厚生経済 学的知見に指針を求めるべきであるとする 250 また,合理的意思決定による新しい政策提言やその法的実現の試みが,権利 の観点から抵抗を受けることがしばしばあるが,このような権利主張は既得権 を無批判に保護しようとするものであって,かえって公正な社会の実現をさま たげる利己的なものであると経済分析の立場からは批判される 260 社会規範を支える道徳的直感が,実際の不都合な結果の観点から疑われ,既 得権が差別や利己主義の温床となるときに,経済分析や政策的分析にあらわさ れるような合理的・技術的思考によって既存の法秩序が改変されるべきことは 当然であるように思われる 27。このとき,国家の政策的意思決定や,当事者間 の合意に基づ L、た新たな社会関係の創設による自己利益の追求は,現状変革の 有効な手段となるはずである 280 企業の合理的計算における組織的な利益追求 の仕組みも同様であろう O 人々の福利厚生水準の向上は規範的にも評価できる - 9 0. 十.

(17) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. ことであるという厚生経済学なとの指摘それ自体には,反対する理由はないも のと思われる O このとき,意思主義的自然法論の出発点であったストア哲学における, I 理 性に適った判断あるいは正しい判断が,その判断に従った行為を義務づける」 という主張は,ここにおける理性を,既存の社会規範に内在する道徳的直感と は対置される,実証的・社会科学的知識(例えば経済学がその候補になる)と 理解することによって再度正当化されることになるであろう 290 秩序的自然法 論を支えた限定的な人間の実践理性だけでは,単なる既得権の保護に堕して社 会が行き詰ってしまう場合に,社会的実証データや数学的分析によっていわば, より神の判断に近い客観性を標梼できる純粋理性が,新たな社会構成の指針を 示す役割を担うべきである O 意思主義的自然法論の現代版は,このように説明 することができるであろう O. 四章意思主義における問題の具体的様相 1 国際取引における意思決定の自由の拡大における問題点 しかし,前述の通り,自由意思論には既存の秩序の変更により人々の秩序的 自由を侵害するという側面も存在している O この章では二つの事例を挙げて, 現代の法状況におけるこの問題の一端を検討する O 国際取引においては,近年国家法の規制を受けずに運営される私的自治の拡. n n e l i s eR i l e s は,その典型的な例として,国際的な 大が指摘されている o A スワップ市場における取引の実態を分析し,そこでは制度的・技術的・マテリ アルな改革が活発になされている反面,規範的なルールや意識の醸成や社会的 なネット・ワークの創出などの私的自治に期待される効果はほとんど生じてい ないことを論じている 300 国家聞の金利差を利用して利益をあげるスワップ取引は,銀行間などでの国 9 1. ←.

(18) 法のグローハル化における意思決定・白向・秩序. 際的なデリパティブ取引の一環としてなされているが,先物取引やオプション 取引とは異なり,組織された取引所が存在しないため,当事者は自らルールを 作り,契約を締結し,. リスク処理を行わなければならないとされる O この状況. に対応するために当事者が用いている方法の特徴は二つある O 第一に,大量の 取引におけるドキュメントの作成のための取引標準フォームの使用である 310 この標準フォームは m asteragreement と呼ばれ, 1 9 8 5年に創設された銀行. n t e r n a t i o n a l Swaps and や 証 券 会 社 に よ る 私 的 業 界 団 体 で あ る The I ISDA) の下で作られたものである。これにはディー D e r i v a t i v e sA s s o c i a t i o n( ラーにより話し合われた契約の内容を確認する文書である c o n f i r m a t i o n. document の使用や,資金繰りに因ったときの債務履行の手続などの主要な c h e d u l e と呼ばれる任意的な特約の余 契約上の権利・義務が記されており, s 地も残されてはいるものの,コンビューター画面をみながら電話で取引をする ディーラーは,基本的にはこの標準契約書の選択肢を Oで囲み,空欄に必要事 項を書き込んでいくだけである O 書き込まれた契約書は,別の部署に集められ て整理され,相手方に送付されると同時にこちら側でも相手のものを受け取り, 組踊や矛盾がある場合には問い合わせをし,訂正して,前述の確認文書である. c o n f i r m a t i o n document の作成にいたる 320 契約締結作業はこのように進行 する O 第二に,自己救済の方法としての担保の常時的な利用である O 当事者で ある銀行などは,各国の担保法の定めにしたがい,破産や倒産の場合に裁判所 を通じて担保を実行するだけではなく,破産にまで至らない債務不履行の危険 に際して,担保権者が私的に担保実行できる諸々の要件が ISDAの標準フォー ムにも規定されており,こちらの担保特約は,相殺やクレジットの約款におけ る特約などと同様に当事者間でのリスク処理において重要な役割を果たしてい る,とされる O このようなリスク処理としての担保の利用について興味深いことは,破産や 倒産における担保の実行にせよ,特約による担保実行にせよ,各国法や裁判所. 9 2.

(19) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. において有効性を承認されなければ実効性を持たないが, ISDA は各国法の 規定や判例が自らの標準フォームの条項に合致しない場合には,標準フォーム を変更するのではなく,各国法を変更しようとしていることである o ISDA は法律家を雇い,政府や裁判所に対するロビー活動を行うことによって,法を 変えるようにあるいは判例を変更するように働きかけている。同様に,いくつ かの国際組織に働きかけて,担保に関する国際的実質法を作り,それが国家管 轄とは別に適用され,あるいは国内法に優越する仕組みを形成するように企図 し,条約締結に向けての運動も行っている。この結果, EU における金融担保 処理に関する指令や UNIDROIT における統一的ルールの制定に影響を及ぼ. しf こ3 30 しかし, このような ISDA による,その標準フォームを通じた各国の立法 府や裁判所,また国際的な法制定機関への働きかけは,取引業界において既に フォームが広範に使用されているという,単なる事実上の,量的技術的な理由 を根拠としており,どのような金融担保法が望ましいのかという実質的な規範 的議論に基づいたものではないと,批判されている O 標準契約書の普及に,国 際取引市場における権威と正統性を見い出し,これを「国際取引における私的 法形成へのパラダイム転換である」と賞賛する向きもある O しかし,実際に行 われているのは,単に膨大な量のフォームの空欄に書き込むこと,そしてその ような書類作成のための howt o の知識の蓄積であって,その作業に従事し ている当事者はフォームに書き込まれている規範を読むことは想定もされてい ないし,実際にも無関心である O 彼らの行動は規範的な意味を有さず,企業に 。 、 おけるガパナンスにのっとったルーティーン・ワークであるにすき、な L さらに,標準契約書による金融担保のルールの変更には,私的自治における 新たな規範形成の母体となるような規範共同体とその意識の存在がみられな L 。 、 取引従事者は互いに匿名的な電話の声にすぎず,自分たちが何らかの社会的集 標準 団に属しているという意識はな L、。インタビューされた取引当事者は, I. 9 3.

(20) 法のグローハル化における意思決定・自由・秩序. フォームの条項を意識もしないし,相手方との紛争が生じたときに紛争解決手 続の条項に従って処理しようともしていないし,紛争や不履行が一定の範囲内 のものであれば問題とせず,一定の範囲を超えれば単に新しい合意をしなおす にすぎな L、」と答えたという 31。標準フォームに規定された担保取引は, 自動 的なリスク処理の仕組みであって,担保が成立すれば紛争を解決する規範につ いて改めて考える必要はなくなり,その意味で担保という技術的仕組みは法の 対立物ともいえる, とされる。 以上のような金融取引におけるルールの合理化と担保の実態の分析からは, 規範的な議論がなされず,当事者によってさえ規範として意識されないままに,. ISDA というー業界団体が作成した標準書式が,既存の担保法を変更してい くことが可能であることが明らかにされている。金融機関のリスク処理の合理 化と効率化のために,標準フォームと裁判の回避につながる担保技術が新たに 導入され,規範的議論をむしろ抑制する方法でそれが広範に活用されていく, ということである O 国内法における議論において,仮登記担保や代物弁済など の契約形態が,当事者の意思決定に完全に委ねられることなく,判例や立法を 通じた清算義務などの規範的確認につながった経過に鑑みれば 35,国際取引に おける金融機関の一方的なガヴァナンス的処理が事実上の力を背景に法として. i l e s はこのような企業の技 受け入れられていくことには懸念があるだろう o R 術的なガヴァナンスの対応物が,近代国家における法の官僚制化と手続化・形 式化にみられるとし,グローパル化における私的自治の拡大は,国家のこのよ うな統治の方式が企業のガヴァナンスにとってかわられていくことを意味して いる,と論じる。そして,企業的ガヴァナンスに代替され得ない国家の規範形 成の役割や,ガヴァナンス的処理とは対置される国際仲裁における私的自治的 規範形成に期待がよせられているお。本稿の文脈においては,国家や企業にお ける効率的意思決定に基づいたガヴァナンスが,法秩序に必要な規範の受け入 れや,合意や,共通善に基づいた議論を回避し,無批判に従わざるを得ないルー. 9 4.

(21) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. ルや規則の変更をもたらす面のあることの指摘がなされていることが重要であ る370. 2 国際私法における準拠法選択の自由の拡大 次に,意思決定の偏重に対する批判として,国際私法における当事者自治の 拡大として論じられる,準拠法選択の自由に関する議論を検討する O 今日のグローパル化は,国際的な取引や国際結婚や養子などの国家を超えた 私法関係の増大を伴っており,これらの関係に適用されるべき法をめぐって, 従来の国家法的私法の限界を露呈させている。各国は内国私法のみならず,国 際的関係において他国の私法を適用する国際私法の規定を有しているが,これ は,ローマ法や中世ヨーロッパの普通法(ユース・コムーネ)などとは異なり, 各国国内法であると認識されている。したがって国際私法の内容は各国の決定 に委ねられており,各国において,ある国際的事例に適用される法が異なるこ とを避けられな L、。このことは,国際的な私法関係における権利の実行を,例 えば相手方の財産の所在地という偶然にかからせることで,当事者の地位を不 安定にし,取引費用を高めている O この問題に対処するために,講じられている方法は,三つに分けられる泊。 第一に自律的仲裁機関による紛争解決と仲裁判断による自律的私法形成,第二 に UNIDOROIT やヨーロッパ契約法原則などの非国家的統一私法の形成, 第三に当事者による準拠法選択の是認である。このうち,第一と第二の方法は, 仲裁機関の設置や非国家法制定機関という制度を必要とし,資金や支持母体を 必要とするため,国際取引を行う一部の企業には適したものであっても,国際 的家族関係などの当事者によっては利用できな L、。これに対して第三の方法は より一般的に利用できるものである O また,国内における仲裁判断の承認や統 一私法の適用は,通常当事者の仲裁合意や当該法の準拠法としての選択を要件 とするため,結局最も重要であるのは第三の方法であるとされる 390. 9 5一.

(22) 法のグローパル化における底思決定・自由・秩序. 事実,当事者による準拠法選択の範囲は,統一的国際私法に関する条約であ るローマ条約などにより近年拡大の傾向にある 40。この動きは,準拠法選択を 認めることは当事者にとっての効率性を高めると考えられることから,法と経 済学の立場からも支持されており 41,また契約の自由の拡大という観点からも 支持されている。 しかし,当事者の準拠法選択を認めることには問題があることも指摘されて いる O 仮にそれが当事者の取引の予見可能性を高め,効率性に寄与するとして も,当事者の準拠法選択の自由は,当事者を拘束するべき法に対する民主主義 的統制を不可能とし,法共同体における平等な権利の理念を否定してしまうか らであるとされる O なぜなら,当事者が自分たちの意,思で準拠法を選べるとす ると,既存の実質法の側からは自らの適用範囲を示すことができないわけで, それはひいてはある実質私法をそのようなものと定めた共同体の意思が無視さ れるということにつながる。例えば,遺留分の規定や親権の競合に関する規定, 雇用契約における労働者保護,会社役員に対する報酬の上限制などの私法規定 は,一定の範囲の当事者関係に適用されるべきものとして意図されている。そ して,このような法が民主的な手続きで定められているということは,相互に 同じ法が適用されるという平等を条件として,人々が法に合意しているという ことを意味する。そのような相互に適用されるべき実質私法から,自由に自ら のケースを除外することを認める当事者の準拠法選択の自由は, このような平 等な権利保障を逸脱する効果を持つとされる 420 これに対して,準拠法選択の自由は,国内法における契約の自由の,国際私 法における対応物であり,両者には当事者の自由意思・自己決定の尊重という 共通の基盤があるといわれる O しかし,両者には根本的な違いがあることが指 摘されている。それは,国内法における契約の自由は,ある秩序枠組みの中で 部分的に許容されているものであり, もともと当事者は特定の法秩序の中に自 らが置かれていることを前提にしているのに対して,国際私法における準拠法 9 6-.

(23) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. 選択の自由は,既存の秩序の外に立って,並存する秩序のうちから選択するの である,という違いである。このとき準拠法選択を行う当事者は,法秩序自体 を選ぶことができるという意味で自由が拡大されているとともに,自分に適用 される法の内容に対しては民主的参加の権利を有していないという意味で自由 が縮減されているが,いずれにせよ,契約の自由と準拠法選択は特定の秩序に 拘束されているか否かという点において,全く異なった性質を有しているとさ れる。 筆者は従来,当事者の準拠法選択については, ピーター・ナイの議論に依拠 しつつ,. 自由と秩序の矛盾を解決する一つの手段として肯定的に評価してい. た43。この場合, 自由を意思決定の自由として捉え,個人の意思と既存の秩序 内容との聞に衝突がある場合に,それでも法の存立のためには何らかの秩序が 不可欠であるとするならば,その秩序を個人が改めて選びなおす方法として, 準拠法選択の自由が有効であると考えた。準拠法選択を,既存の秩序に対して, 秩序の存在を否定することなく,当事者の自由意思を通して関わって L、く手段 であると位置づけたのである。秩序を前提としてそこに主体的に関わる手段と しては,この準拠法選択と,裁判への当事者の参加をあげた。裁判においては, 当事者の観点から法適用の具体的あり方に関して論じることができ,それが時 には新たな判例や制度改革につながることがあるからである。 本稿においては,前稿におけるこのような準拠法選択に対する肯定的な見方 が一定の修正を迫られると考える。第一に,前稿においては,自由を意思決定 に重きをおいて考察していた点である。前稿においても,意思決定の自由や合 意はそのままでは法の根拠としては不十分であるという問題意識は本稿と同様 であった 440 しかし,準拠法選択における意思決定の自由に含まれる危険に対 する問題意識が薄かった。準拠法選択は確かに自由意思を使用して,そうでな ければ適用される法を回避するものであり,その点で当事者の自由を拡大する ものであるが,それは,本稿で伝統主義的自然法論における自由の意味として. 9 7.

(24) 法のグローパル化における意思決定・自由・秩序. 捉えた「他者による恋意的変更にさらされないこと Jに対して侵害的に働くこ とが理解されなければならな L、。このことは,自由意思の限定に関わる規制が, 先ほど挙げられていたような,遺留分の規定や,解雇規制や役員報酬の上限, また消費者や借家人などの保護のように,多分に現状維持的期待の保護を含む ことからも理解される。このように,当事者の意思の自由は尊重されるが, 「他者による恋意的変更にさらされな L、」という実質的な法内容における自由 が侵害される点が,平等な権利の保障にもとるとして準拠法選択が批判される 理由となっていると考えられる O 当事者の自由といっても,実際には各国の法 についての知識と経験が豊富で,予めどの国の法が自己に有利であるのかを知っ ている企業が,自己の選択する準拠法を示し,他方当事者が受け入れるに過ぎ ない場合が容易に想定されることから,実質法の意図する平等な権利保障が回 避される危険は大きい 450 第二に,前稿では,準拠法選択を裁判と同様に,既存の法秩序に対する当事 者の自由意思による関わりとして捉えたが,準拠法選択は裁判とは異なり,自 己の選択した法の内容に対しては当事者の発言権がない点が指摘されており, いわば準拠法選択においては当事者はいくつかの中から自己に有利なものを選 ぶという,法に対して外的な視点を取っているのに対して,裁判においては当 事者は自ら具体的適用における法決定に関わるという内的視点を取ることがで きるという点の違いが理解されなければならない。 このような修正の結果として,準拠法選択は,自己利益の追求と予見可能性 を高めるための技術的手段としての自由意思の利用であって,裁判と比べて, 法に対する規範的な関わりが希薄であり,秩序に対して敵対的な側面があるこ とに留意されなければならないことになる。 ところで,先に上げた遺留分の限定や労働契約・消費者契約の規制や会社法 を通じた規制などは,私法領域に対する国家による政策的介入であると理解さ れており,そのように考えるならば,ここでの問題は国家の意思決定と個人・. 9 8.

(25) 法 科 大 学 院 論 集 第 5弓. 当事者の自由意思との聞の衝突あるいは優先関係の問題であるように思われる。 他者の恋意 しかし,弱者保護や既得権保護は,あるべき規範的秩序として, I にさらされな Lリという秩序的自由とも重なる規範的な内容を有しており,国 家主権の合理的意思による技術的法改良に還元されるものではなし対立は意 思主義的自由と秩序的自由の間にあると問題を整理することも卜分に可能であ ると考えられる。この時,国家的なものであれ,私的なものであれ,自由意思 の特徴は,既存の秩序の枠内に立つのではなく,その外部にたって,自己の目 的の達成のための合理的手段として法を用いることであり,近年国際私法にお いて当事者の自由意思の拡大として論じられている準拠法選択は,その一例で ある O そして,そこには,国内法における契約の自由とは異なる,実質的法秩 序に対する否定的契機が含まれていることが示された。. 3 議論の整理 以上,自由意思の拡大として指摘される近年の二つの状況に対して,批判的 な検討を加えてきた。繰り返しになるが,自由意思のもたらす技術的改良や合 理的制度設計や社会発展をもたらす新たな関係の創設という側面は,評価され なければならないであろう O しかし,その偏重には弊害がある O 当事者や社会 における規範意識の衰退,規範創設能力の衰退,それによる協働関係の規範的 意義の喪失,そこから当然に生じる結果としての,一方的支配や権利や平等の 軽視,既存の秩序の崩壊である O 支配が,従来のように主権的な暴力によるも のだけではなく,制度や契約標準フォームや企業の経済的支配の形で現われ, そのような一見して見えにくい支配的性質が,自由意思や意思決定の本来的性 。 、 質の中に含まれていることが理解されなければならな L 次の章では,このような自由意思の理念の危険に対処しつつ,その利点もい かすために,集団的規範決定の方法について考察する。本章の議論では,私的 自治規範の望ましい形成の方法について,組織的ガヴァナンスに代わる仲裁機 9 9.

(26) 法のグローパル化における意思決定・自由・秩序. 聞の利用や,準拠法選択とは区別されるべき裁判における当事者の規範形成へ の参加の視点が触れられた。次の章で検討する集団的規範決定論においては, グローパル化を背景として,国家とは必然的に結びつかない共同体の規範決定 が重視されるとする国際法の理論を検 の方法と,それを現実化する裁判の役割l 討する O. 五章集団的規範決定の新しい形 1 多元主義的非国家法理論 秩序的自由と意思決定の矛盾を緩和しつつ,必要な法規範の変更や発展,法 規範に対する人々の自発的関わりを可能にしていくために,社会的規範を背景 とした集団的規範決定の方法を模索することは一つの方向であろう。 近年,国際関係論と国際法理論の相互言及が進んでおり,そこでは,従来の 国際関係論における支配的傾向であった合理主義は,国際法理論において重視 されてきた法の規範性の承認と組み合わされて用いられなければならないこと が指摘されている 46。国際関係論における合理主義とは,主に主権国家を国際 社会におけるアクターと見て,アクターには明確で固定的な自己利益があるこ とが想定され,その実現の合理的手段として,国際法や国連などの組織や制度 が形成されるとする見方である。これに対して,法を単に自己利益追求の手段 とみることはできず,法の独自性はその規範性にあり,その規範は正しいもの として人々に受け入れられることで,追求可能な自己利益の範囲を限定し,あ るいは利益追求行為を規範的な行為に変化させる効果を有するといわれる。ま た,規範は国家のみならず非国家的な当事者や社会において醸成され,形成さ れるものと考えられる 470 しかし主権国家による合理的制度設計の企図とは異なる意味での規範は,社 会においてどのように形成されるのであろうか。上述の国際関係論と国際法理 1 0 0.

(27) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. 論の連携においては,規範の形成過程を具体的に分析する作業が多くなされて いるが,この章では,そのような方向に示唆を与える Berman の理論をとり あげた L 。 、 国際法学者である B巴rman は,現代のグローパル化における非国家法の拡 大,そこにおける国家的強制の不在に着目し,強制のない新たな規範的秩序の あり方を論じている 480. Berman は非国家法の拡大の例として次のようなものを挙げる。チリの独裁 者であったピノチェトがスペインからの要請によりイギリスで拘束され,従来 の国家主権免除の例外を構成する新たな普遍的管轄が認められる先例となった。 ピノチェトの健康上の理由により裁判は継続しなかったものの,このことはチ リでの人権運動の活発化に対する国際的支援を招来し,最終的にはチリ国内で のピノチェ卜訴追につながった。 また,インターネットのプロヴァイダーである Yahoo! がナチスの装身具 をネット上のオークションにかけるとともにホロコーストを否定する内容の文 を掲載していたものをフランスの裁判所が消去を命じた事例では, Yahoo! はアメリカの裁判所でそのようなフランスの裁判所の差止命令が効力を有しな いとする判決を得たにも関わらず,実質的には自発的な消去という形で対処せ ざるを得なかったことも挙げられる O これらは,法判断が,原理的には特定の 国家権力の後ろ盾がなくとも通用することの例証であるとされている 490 このような法は,具体的には,当事者が訴える裁判所による判決として表現 されるが,その裁判所のうちには,従来の各国の司法部門である裁判所だけで はなく,仲裁機関や諸々の社会的共同体における紛争解決機関,国際刑事裁判 所などが広く含まれる,とされる 500 また,法は,従来の国家主権の範囲を超えて,あるいは国家内部における諸々 の社会的共同体の中にも,例えばグローパル化に伴い形成されている新たな. l e xm e r c a t o r i a やサイノ fースペースにおける自立的規範などの私的自治規範 n u u.

(28) 法のグローパル化における意思決定・白由・秩序. の形で多元的に存在し,そのいずれもが従来の国家法と同等の規範的効力を有 する傾向にある, もしくはそのように考え方を変えていくべきであることが主 張される。 このような理論は,法多元主義 O egalp l u r a l i s m ) 5 1 あるいはコスモポリタ. u n iv e r s a l i s m ) との違いを ン多元主義と名づけられている。これは普遍主義 ( 明らかにする意図を表わすものである O 普遍主義とは,国家法を超えた法が, 全世界的に同じであることを目指すものであるのに対して,多元主義とは,そ れぞれの国家において法が異なっているように,国家以外の共同体においても 法がそれぞれ異なっている状態を示したものである O 普遍主義は全ての個人を 同じ世界市民としてとらえるため,人々の,異なった共同体への多元的帰属意 識を無視し,また多元的な法規範の衝突や相互作用を無視する点で過ちを犯し ているとされる 520 多元主義は法における普遍主義と属地主義の中間的な考え方として説明され ており,人々は必ずしも場所的共同体としての国家のみではなく,国家内の, あるいは国家を超えた異なった文化的グループや取引社会や家族などの社会的, 経済的,情緒的紐帯に多元的に属しているとされる O そして,紛争や利益対立 において解決されるべき規範を提供する共同体がいずれの共同体であるかは, 場合によって異なっており,必ずしも国家には限らな L、。このような多元的共 同体においてコミットされているそれぞれの規範は,相互作用の中で,それぞ れの場で,再確認されるとともに,常に新しい発展を遂げている O 裁判におい てはこのような非主権的な共同体の規範が,法として用いられるべきことが主 張される O この理論においては,裁判所がどのコミュニティーに属しているのかが不明 確であり,この点は問題であると思われるが,いずれにせよ,裁判の役割は, このような多元的規範の中から紛争解決に対してもっとも適切なものを発見す ることであり,そして多くの場合に,それらの選択の対象となる規範には従来 1 0 2.

(29) 法 科 大 学 院 論 集 第 5号. の国家的強制力が欠けていると言われている 530 しかし,前述のように,それ は法であることの原理的妨げにはならないと解されているのである。 それでは,従来は立法者としての地位を独占してきたとされる国家は,属地 的共同体のーっとして,他の共同体と全く同列の存在に解消されることになる のであろうか。ここにおける国家の独自の役割は二つあるとされる O 第一に国 家は,要するに軍隊と同じように,いずれかの裁判所における判決が当事者に よって自発的に実現されない場合に,裁判所から依頼を受ける執行機関の役割 を担うとされる O 他の共同体,およびそれに属する非国家的裁判所は自らの下. e g a lp e r s u a t i o n ) した判決の正しさを根拠として,国家に対して執行を説得する O とされる。第二に,第一の役割と関連するが,国家は執行機関としてあまりに も非説得的な判決の実行を拒否する役割を担う O このことにより,例えばアル カイダのような社会共同体が裁判所を備え,そこにおける判決を法と主張して 実行しようとしても一定の歯止めがかかることが期待される,とされている O. 2 まとめ一評価と将来の展望 以上のような多元主義的非国家法理論は,多元的規範の中から紛争解決に適 した法を選択する裁判官が,一体どのような知的訓練を受けているのかという 問いに対して,国際法学者を念頭においているようであること.14 など,奇想 天外なようにも思われる。しかし,本稿との関係では,この理論は,三つの重 要な示唆を与える。 第一に,国家法に必ず、しも還元されない法規範の存在を認め,これらの法と しての資格を,国家的強制力を備えているか否かの基準から理論的に切り離し て認識するという考え方は,強制に還元されないという意味での秩序的自由の 可能性を考える本稿の試みと共通している。 第二に,強制に基礎づけられない多元的非国家法は,秩序的自然法論との共 通性を有している O 秩序的自然法論は,法共同体における既得権や慣習の維持 1 0 3.

(30) 法のグローパル化における意思決定・向由・秩序. を特徴としたが,これらの既得権や慣習の具体的内容は,各共同体において異 なると考えると,この自然法は多元的であり,まさに多元的非国家法となる O そして,このような多元的規範の存在は,歴史的にも,現状においても架空の ものではないと考えることができる。 第三に, しかしながら,秩序的自然法論やそれに由来するような秩序論には, 社会変化に対応できない,秩序の発展に合理的・自発的に人々が参加できない という問題点が存在したが,多元的非国家法理論は,このような問題点に対す る解決の視点を備えている。それは,多元的な規範が単に存在するというだけ ではなく,紛争の当事者が裁判所での主張を通じて,これらの規範の適切な適 用について議論していくという,自発性の契機が含まれている点である。また, 当事者が依拠する多元的な規範そのものが,グローパル化に伴う新しい規範共 同体の生成・発展により生じているとされる。これらは独裁者に対する責任追 及の新しい規範や,インターネットにおける新しい規範などの発展的・動態的 なものを含む。このような共同体の規範意識を背景に,具体的には当事者が裁 判で争うという制度的提案がなされていることによって,秩序と集団的意思決 定が接合され,当事者の自発性は活用されながらも,当事者による恋意的意思 決定は回避されている O ここでいう集団的意思決定は,共同体における規範意 識の生成と,それをくみ上げる当事者の主張に対する裁判所の判断の両者を含 む。国家の意思決定にあたる立法制度はないが,規範共同体の存在と何らかの 形での裁判所の制度的利用によって,具体的状況に即した発展的規範の集団的 決定が可能であることを,多元的非国家法論は論じているといえる。 しかし,問題も残されている。この理論でいわれる「裁判所」の実態や,多 元的規範の並存に直面した場合の規範選択基準が明らかでないことや,裁判所 が自己の判決の実行を依頼するとされる,国家への l e g a lp e r s u a t i o n が非現 実的であることがまず挙げられる 55。さらに,多元的法理論が秩序的自然法論 からも支持できることを述べたが,そのことは,この理論が秩序的自然法論と 1 0 4.

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