• 検索結果がありません。

中央学術研究所紀要 第39号 051金永完「現代中国と宗教」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中央学術研究所紀要 第39号 051金永完「現代中国と宗教」"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

現代中国と宗教

一 は じ め に 二建国初期(1949-1957) 1.中国共産党と宗教 2.マルクス主義の宗教観 3.マルクス主義と宗教との関係 三反右派闘争の時期(1957-1978) 1.「宗教アヘン論」 2.民間信仰をめぐる論争(1963-1965) 3.文化大革命(1966-1976)と宗教 四改革・開放以降(1978-現在) l・全人代第11期3中全会 2.「南北アヘン戦争」(1979-1989) 3.『19号文書』(1982) 4.宗教に対する認識の変化 5.宗教界における国際交流の増加 五 終 わ り に は じ め に

本稿は、現代中国の宗教界が経てきた多様な経験及び変化について、主として思想 的な角度から解明するものである。ここでいう「現代中国」とは、中華人民共和国が 成立した1949年から現在までの時期を指すものとする。この点で本稿のタイトルを「中 華人民共和国と宗教」と題しても良いが、言語の簡潔さを志向し、政治的な色彩を排 除するという意味で、上記のタイトルにした。ただし、本文では「中華人民共和国」 も使われている。「中国」は中性的な言葉として、中国大陸部と台湾を併せて指し示し たり、また海峡両岸のある一方だけを指す用語として使用されてきたが、本稿におけ る「中国」は大陸部を指し示す。現代台湾(中華民国)における宗教の問題は、本稿 51

(2)

の研究の対象ではないということを断わっておく。

現代の中国社会は、宗教との関係から見た場合、次のような三つの段階を経て変化

してきたということができる。即ち、第1段階は、中国が「新中国」の望ましいあり

方を模索していた1949年から1957年までの期間である。第2段階は、全国的に反右派

闘争が起こった1957年から中共全人代11期3中全会(1978)までの期間を指す。最後

に、第3段階は、文化大革命(1966-1976)の終駕を宣布し、改革・開放政策を採択

した中共全人代11期3中全会(1978)から現在までの期間である。本稿ではこのよう に1949年から現在までの中国社会を、そのイデオロギー及び社会風潮の変化を基準に 大きく三つの時期に分類し、中国の宗教問題を論ずることにする。 中華人民共和国が成立してからこれまで60年の歳月が過ぎ去った。紙幅の関係もあ り、この期間中に「巨大国家」中国において変化してきた宗教問題のすべてを紹介す ることは不可能である。したがって、マルクス主義の理論に基づいて成立した中国政 府と宗教との関係、マルクス主義の宗教観及びその中国的解釈などの問題に重点を置 きながら、現代中国の宗教の歴史において里程標となるべき問題を選別し、その思想 的な側面を考察することにする。

建国初期(1949-195ア)

1.中国共産党と宗教 中国共産党は、マルクス主義の理論に基づいて起こした革命で勝利を収め、中華人 民共和国政府を樹立した。このように中国は、マルクス主義を基調として成立した社 会主義国家なので、共産党員をはじめ、少なくともマルクス主義の理論について教育 を受けてきた中国人の多くは、無神論のプリズムを通じて宗教を見ているということ ができる。中国の初期の共産主義者は、マルクス思想とレーニン主義の理論を中心に 集まって、弁証法的唯物論と史的唯物論の世界観を宣伝すると同時に、各宗教に対す る批判を大々的に展開した。したがって中国共産党員は、原則上、無神論者であると いうことができる。現代中国の宗教学者の中にも、無神論者が少なからず存する。黄 杢の指摘するように、「世界の宗教研究者の絶対多数は、宗教・信仰の背景を持ってい る。ところが現在、中国の宗教学に見られる最大の特徴は、宗教・信仰を持っていな い一団の学者が、哲学・人文学科の分野で宗教の研究を行なっている点である'」。こ れは、他の国の宗教研究者からは殆ど見出し得ない、中国の宗教研究者の持つ特徴と いうことができよう。 l黄杢「弓克思主又宗教汎的中国理解」卓新平唐暁峰主編『陀弓克思主又宗教捻』(北京:社 会科学文献出版社,第1版,2009)304頁。 52

(3)

現代中国と宗教 それでは、中華人民共和国が成立した頃の憲法には、宗教に関し、どのような規定 が設けられていたであろうか。当時、中国人民政治協商会議第1期全体会議において 「臨時憲法」として制定された『中国人民政治協商会議共同綱領』(1949)には、「中華 人民共和国の人民は、思想、言論、出版、集会、結社、通信、人身、居住、移転、宗 教・信仰及び示威・行進の自由権を有する」と定められている。この中国人民政治協 商会議第1期全体会議には、宗教界から7人の代表及び1人の候補代表が参加した。 そのような事情もあってか、他の自由権的基本権に並んで、信教の自由に関する規定 も定められている。それから5年後の1954年9月に開催された第1期全国人民代表大 会第1期会議には、宗教界から14人の代表が参加し、「新中国」の最初の憲法である 『中華人民共和国憲法』(1954)及び5つの重要な法律を審議・採択した。この1954年 憲法は、「中華人民共和国の公民は、宗教・信仰の自由を有する」と定め、『中国人民 政治協商会議共同綱領』とは違って、信教の自由に関し、独立した規定を設けている。 『中国人民政治協商会議共同綱領』と1954年憲法は、中国共産党が主導権を掌握した うえで、他の政党と共に起草し制定したものである。宗教に関する規定は、’億人に 上る当時の宗教者を念頭に入れて制定されたのはいうまでもない。中国共産党は、宗 教界を含む社会各界各層からの支持がなければ、社会主義社会を建設することができ なくなるということを、よく認識していた。また中国共産党は、宗教は、結局、社会 主義社会では消滅に向かっていくだろうから、憲法において信教の自由に関する規定 を設けても、然したる「支障」はなかろうと思っていたかもしれない。 2.マルクス主義の宗教観 以下では、中華人民共和国の成立以降、中国大陸で広く広まっていたマルクス主義 の宗教観を、中国共産党の指導部が言及した内容と一緒に紹介し、それについて分析 を行なうことにする。これは、中華人民共和国の成立の初期だけではなく、現在にお ける中国人の宗教観の一面を理解する上にも大いに参考になるものとなろう。 第一に、マルクス主義の宗教観が中国に紹介されて以来、中国では、宗教は、政治、 法律、科学、哲学、芸術並びに道徳と同じような、一種の社会的イデオロギーとして 認識されてきた。このように中国では、宗教はイデオロギー、即ち社会生活について 超自然的な解釈を行なう一種のイデオロギーとして見なされているため、宗教は、少 なくとも中国以外の国の宗教者たちが思っているようなものとは違って、一般の社会 的イデオロギーと同一のレベルに置かれてしまうことになる。このことは、ともすれ ば宗教が超俗的・超自然的な地位から、世俗的・社会的なイデオロギーのレベルに「下 落」してしまったように思われるかもしれない。しかし中国のマルクス主義者は、必 ずしも宗教の「高尚な」地位を認めているわけではない。「共産党員は無神論者で、彼 らは、宗教は、本質上、保守的で、立ち後れているものと考える2」ため、「信教群衆 または宗教徒に同情する3」のである。 53

(4)

第二に、宗教というイデオロギーは、人間と自然との関係及び人間と人間との相互 関係が人類社会意識において不正確に反映されたもので、この点に関する限り、宗教 は他の社会イデオロギーとは異なるという。マルクスは、『「ヘーゲル法哲学批判」序 言」において、宗教の本質につき、次のように指摘した。即ち、「宗教を批判する根拠 は、人間が宗教を創造したのであって、宗教が人間を創造したのではないからである。 ……人間は決して抽象的に世界の外に棲息しない。人間は、正に人間の世界、即ち国 家、社会である。国家と社会は、宗教、即ち転倒した世界観を創り出す。なぜなら、 それらはもともと転倒した世界だからである4」。このようにマルクス主義では、宗教 でいう霊魂の観念はすべて、支配者たちの日常生活の外部的な力が人々の頭脳の中に 打ち据えられている幻想であり、転倒して反映された結果であると見ている。宗教の 根源は天上にあるのではなく、この世にあるため、宗教の発生及び存在の原因は、当 然に人類社会の生活過程の矛盾の中から見出さなければならない。宗教の起源及び発 展は、つまるところ、社会歴史の条件の変化を以って説明しなければならない5. 第三に、宗教は、過去の歴史の「残影」として、決して永遠の現象ではなく、自ら の起源、発展及び消滅という歴史上の規律を持っているとされる。マルクス主義の宗 教観によると、宗教は最後には消滅するが、その消滅の過程は長い。即ち、社会主義 社会では、宗教の存在の階級的根源は、搾取制度と搾取階級が消滅していくことにつ れて、基本的に既に消失した。しかし、人々の意識の発展は、どうしても社会の存在 より立ち後れるものであるから、旧社会から残された旧思想及び旧慣習を短期間のう ちに掃滅し尽くすことは難しい。一定の範囲内での階級闘争及び複雑な国際環境は、 依然として存在するため、社会主義社会において、宗教が長期にわたって一部の人々 に及ぼす影響は避け難い。人類の歴史上、宗教は結局消滅することになる。社会主義 及び共産主義が長期的に発展していけば、すべての客観的な条件が備えられたときに、 宗教は自然に消滅するようになるのである。したがって、宗教が社会主義制度及び経 済・文化の発展につれて、迅速のうち消滅するであろうと思うのは、非現実的であり、 またとても有害であるとされる6.共産党は、現実から出発して、実事求是の観点を堅 2江仁宝「要依法堆抄宗教信仰自由一対宗教和宗教信仰何題的思考」法学陀姪(LegalForum) 第5期(No.5),2000年10月20日,6頁。 3黄杢「弓克思主又宗教汎的中国理解」卓新平唐暁峰主端『陀弓克思主又宗教陀』(北京:社 会科学文献出版社,第1版,2009)300頁。 4号克思「『黒格示法哲学批判』辱言」『弓克思恩格斯逸集』第1巻(北京:人民出版社,1995) 1-2頁。 5 美 学 増 「 中 国 特 色 社 会 主 又 宗 教 理 陀 是 弓 克 思 主 又 宗 教 汎 中 国 化 的 最 新 成 果 」 卓 新 平 唐 暁 峰 主 銅『捻弓克思主又宗教別』(北京:社会科学文献出版社,第1版,2009)92頁。 6江仁宝「要依法錐抄宗教信仰自由一対宗教和宗教信仰向題的思考」法学陀転(LegalForum) 第5期(No.5),2000年10月20日,6-7頁。 54

(5)

現 代 中 国 と 宗 教 持しながら宗教問題を扱わなければならない。社会の歴史的発展の環境の中で宗教が

自然に消滅するような条件が備えられていなければ、宗教が存在するという客観的な

現実は尊重されなければならず、正しい政策を以って群衆の宗教・信仰の問題を処理 するべきであり、歴史の発展の規律を違反してまで宗教の消滅を試みてはならないと いうのである7。 このようにマルクス主義の観点から見れば、宗教は決して永遠の現象ではなく、消 滅に向かっていくものなので、それを消滅させるために慌てる必要はないということ になる。どうせ宗教は、社会主義社会において、既にその存在の社会的・階級的根源 を喪失し、ただ単に過去社会の「残余」として存在するのであるから、このような過 去の「残影」は、いずれ消滅してしまうというのである。このように中華人民共和国 の初期には、宗教はもはや消滅するものであると認識されていたので、これについて 十分な研究が行なわれることはなかった。いずれ歴史から消え去る運命にあるものに ついて、マルクス主義者がいつまでもそれに恋々としているはずはあり得なかったで あろう。 上記のように、建国初期の中国では、マルクス主義の「宗教消滅論」が唱えられて いた。しかし、だからといって、宗教の「長期的存在の可能性」が完全に否定されて いたわけではない。周恩来は、1950年5月、キリスト教の問題に関する座談会で、宗 教は長期にわたって存在すると述べた。同年9月、中国キリスト教の「3自運動」を 促進させる一環として『人民日報』に掲載された社説「キリスト教人士の愛国運動」 には、次のような内容が含まれている。即ち、「宗教は、人類が不可抗力的なものと考 えていた自然法則及び社会法則に直面し、神秘的な現象に助力を求めるときに発生し、 存在するようになる。したがって、人類に自然を支配するような十分な力があり、ま た抑圧的な階級制度及びその痕跡が徹底的に消滅した後に、宗教ははじめて消滅に向 かっていくことができる8」。毛沢東は、1952年9月、「宗教は、社会主義社会において 一層発展し、搾取階級によって利用される。したがって宗教の消滅は、人類が階級を なくし、大いに発展し、自然及び社会の力をコントロールするようになったときに、 はじめて可能となる9」と指摘した。周恩来は、1957年8月、「わが国の民族政策の幾 つかの問題について』において、次のように言及した。即ち、「思想の変化は、政治制 度のように変化.発展することができない。思想の変化の過程は一番遅い。宗教を信 仰する人は、現在、社会主義国家にだけいるのではなく、将来に共産主義社会に入る ようになると完全になくなるのだろうか。今は、そのように死ぬとはいえない。..…. 7岳暁洋「淡如何理解貫初党的宗教信仰自由政策」大庚高等寺科学校学根(JournalofDaqing College)第24巻第2期(Vol、24,No.2),2004年4月,64頁。 8「基督教人士的愛国迄劫」人民日撮,1950年9月23日。 9『建国以来毛洋末文稿』第3冊(北京:中央文献出版社,1989)539-540頁。 55

(6)

宗教は長期的に存在するものであるから、将来にどのように発展していくかについて は、将来の状況を見なければならない'0.李維漢も、宗教の長期性について指摘した。 彼は、宗教には長期性、複雑性、群衆性、民族性並びに国際性があるという「五性説」 を主張したが、これも多くの著者によってしばしば引用されている。宗教の「長期性」 は、次第に強調されつつある。 3 . マ ル ク ス 主 義 と 宗 教 と の 関 係 それでは、マルクス主義と宗教はどのような関係にあるのであろうか。周静が指摘 したように、「もともと、マルクス主義は唯物論と無神論で、宗教は唯心論と有神論で あるから、両者は全く異なるものであるO両者は互いに相容れず、完全に対立するも のである……弁証法的唯物論は、宗教に反対することを要求する。しかし、宗教を消滅 させるのではなく、宗教を科学的に認識しなければならず、これを正しく扱わなけれ ばならない。これは弁証法的唯物論の直接的かつ必然的な結論である。正にこのような 弁証法的唯物論の基礎の上において、信教の自由に対する肯定と宗教の否定は(対立面 の)統一を得るようになる''」。 中国は、マルクスの宗教観の理解を間違えた結果、極端な方法を以って宗教の消滅 を図ったこともあったが、原則上、行政的・強制的な手段によって宗教を消滅させよ うとはしなかった。宗教は、一種の歴史的、社会的現象として、発生.発展並びに消 滅の過程を経るとされるので、教育を通じて宣伝を行なうと同時に、科学の精神を高 揚させることによって解決しなければならない。即ち、革命や弾圧によっては宗教心 を押さえつけることができないため、教育を通じて、それを「解除」するように努め ていかねばならないというのである。「無神論の宣伝や教育も、中国共産党が宗教の消 滅を追求するチャンネルの一つ12」だからであるO 上記のように、マルクス主義は、物質と経済の重要性を強調する社会科学として、 有神論的宗教観とは対時する面があるということを否定することはできない。また、 マルクス主義は科学を重視するため、科学と対時する迷信は強く否定されることにな る。建国初期には、宗教と迷信との区別が正しくなされないまま、宗教に対する批判 が行なわれる場合も少なくなかった。したがって、迷信を信じる人々だけではなく、 宗教的信仰を持っている人々に対しても、科学的な教育を行なう必要があり、またこ れを通じて、彼らをして唯物論的無神論者に転化するように誘導しなければならない、 という結論が導き出されたのである。 10『周恩来銃一哉銭文逸』(北京:人民出版社,1984)383頁。 11周静「弓克思主又陀宗教信仰自由」太原リ而苑大学院学根(社会科学版)第4巻第3期(Vol、4, No.3),2005年9月,9頁。 12何虎生武蓬勃「中国化弓克思主又政教汎研究」卓新平唐暁峰主鋪『絶弓克思主又宗教蛇』 (北京:社会科学文献出版社,第1版,2009)121頁。 56

(7)

現 代 中 国 と 宗 教 宗教が短期間には消滅しないとすれば、それが消滅するまでは、共産党と宗教界は 互いに衝突せずに共存の道を歩むのが上策ということになる。中国社会において、宗 教とマルクス主義及び共産党が平和に共存するためには、互いに干渉せず、各自の事 務に専念する必要がある。周恩来は、1950年5月、次のように指摘した。即ち、「われ われ(共産主義者たち)が遵守している約束は、教会堂の中でマルクス・レーニン主 義を宣伝しないということであり、宗教界の友達も街頭に出て伝道しないという約束 を当然に遵守しなければならない。これは、政府と宗教界との間における一つの黙契 ということができる'3」。 確かに「政教分離」は、政界と宗教界が互いに衝突することなく、平和を維持でき るようにする。これは、一見、とても公平に見えるが、中国共産党は、教会堂に行っ てマルクス主義を宣伝しなくても、全国の学校や国家機関において、活字化された教 材と訓練きれた教師を動員して、いくらでも社会主義の思想教育を行なうことができ る。これに対し宗教者は、教会堂や寺院以外の場所では説教及び説法を行なってはな らない。したがってこの政策は、結果的には、中国社会を掌握した社会主義者に有利 に作用することになる。中国という巨大な社会が一つの巨大な「面」であるとすれば、 教会堂や寺院は、その「面」に散在する「点」に過ぎないという限界が存在するから である。 前述したように、マルクス主義からすれば、宗教は、一方においては、社会主義社 会においてその階級的な根源を喪失したとされるが、他方においては、長期性をも有 するとされるため、宗教及び宗教者を専ら抑圧すべき対象としての敵対階級の問題と 見なすことはできない。宗教信徒も、中華人民共和国を構成する公民であるため、彼 らの協力がなければ国家事務を立派に達成することができない。1957年2月、生産手 段に対する社会主義的改造が大体完成し、ちょうど社会主義制度が樹立したばかりの とき、毛沢東は「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」において、社会主 義の時期における「人民」の意味と範囲の外延について次のような定義を行なった。 即ち、「解放戦争の時期には、アメリカ帝国主義とその手先である官僚ブルジヨア階 級、地主階級及びこれらの階級を代表する国民党反動派はすべて人民の敵であり、こ れらの敵に反対するすべての階級、階層、社会集団はことごとく人民の範囲に属して いた。現段階、即ち社会主義建設の時期には、社会主義建設の事業に賛成し、これを 支持し、これに参加するすべての階級、階層、社会集団はことごとく人民の範囲に属 し、社会主義革命に反抗し、社会主義建設を敵視し、これを破壊するすべての社会勢 力、社会集団はことごとく人民の敵である'4」。 13『周恩来銃一哉銭文逸』(北京:人民出版社,1984)181-182頁。 14毛洋宗「美子正砺処理人民内部矛盾的向題」『毛洋宗文集』第7巻(北京:人民出版社,1999)。 57

(8)

これによると、社会主義の時期の中国において社会主義建設の事業に賛成、擁護及 び参加する人であれば、だれでも人民の範囲に属し、これには宗教信徒であるか宗教 信徒でないかは問題とならない。社会主義の時期においては、宗教信徒も人民の一部 分を成しているため、中国共産党は彼らの利益をも代表しなければならず、信教の自 由及び権利を含む合法的な権益を保護しなければならないのである。同年3月、李維 漢は次のように指摘した。即ち、「個別的な地区を除いて宗教の矛盾は既に人民内部の 矛盾で、基本的に敵対階級の矛盾から人民内部の矛盾に転化し、基本的に敵対階級の 矛盾ではない。……主として、既に有神論と無神論、宗教信徒と非宗教信徒との矛盾 となった,5」。したがって人民は、宗教を持っているか否かとは関係なく、互いに尊重 し、友好的に協力することも可能となる。人民群衆の政治、経済などの分野における 根本的な利益の一致が重視されるべきであって、信仰上の相違は強調されてはならな い。そうでなければ、方向が変わって、大局が妨げられ、党の重要な任務の実現を損 なうものとなり、全国の各民族の団結及び祖国統一の大業の完成を害するものとな るl60 毛沢東は引き続き、上記の「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(,957) において、次のように指摘した。即ち、「行政命令の方法を使用しようとする試みや、 強制的な方法で思想の問題を解決し、問題の是非を問うのは、効力がないばかりか、 有害である。われわれは行政命令を利用して宗教を消滅することはできず、人々が宗 教を信仰しないように強制することもできない。人民が唯心主義を放棄するように強 制することはできないし、人々がマルクス主義を信じるように強制することもできな い,7」。しかし、残念ながら、この指摘とは反対に、同年、全国的に波及した極左思想 の波の影響を受け、宗教は、その時から20余年にわたって甚だしい弾圧を受けるよう になった。

反右派闘争の時期(195アー19アB)

1957年6月以降、中国では、極端に左傾化したマルクス主義に基づいた反右派闘争 が全国的に展開きれた。また'958年以降は、「大躍進」及び「人民公社」運動が大々的 に展開された。このような渦中において、中国では正常的な宗教活動さえ禁止される など、信教の自由は甚だし<燥踊された。宗教信徒は「独裁政治の対象」と見なされ、 信仰の放棄を迫られた。一部の少数民族の宗教及び風俗・習慣は、迷信と見なきれる 15中共中央銃岐部研究室編『厨次全国銃岐工作会以概況和文献』(北京:槽案出版社,1988)324頁。 16江仁宝「要依法雄抄宗教信仰自由一対宗教和宗教信仰同題的思考」法学陀転(LegalForum) 第5期(No.5),2000年10月20日,7頁。 17『毛洋宗文集』第7巻(北京:人民出版社,1999)209頁。 58

(9)

現代中国と宗教 ことも少なからず存在した。この時期では、マルクスの「宗教は人民のアヘンである」 という言葉が大いに強調され、宗教弾圧の道具として用いられた。 1.「宗教アヘン論」 上述のように、1957年から20年間は、「宗教は人民のアヘンである」というマルクス

の言葉が大いに利用された。当時、『文江報」、『紅旗』、『光明日報』、『人民日報』など

に掲載された数多くの社説や論文は、マルクスの言葉を借りて、宗教の消極的な社会 的作用について大々的に宣伝を行なった。

マルクスは、「「ヘーゲル法哲学批判」序言』で次のように指摘している。即ち、「宗

教における苦難は現実の苦難の表現でもあり、この種の現実の苦難に対する抗議でも ある。宗教は抑圧された生霊の嘆息で、精神的活力のない制度の精神と同じように、 無情な世界の心境である。宗教は人民のアヘンである'8」。これは、マルクスが比職法 の形式を借りて、宗教は一定の社会的な条件下に消極的な作用を起こしうると指摘し たものである。だとすれば、マルクスのこの言葉を、時代的・歴史的・空間的環境か ら切り離して受け入れることはできないであろう。マルクスは、当時、ロシアのブル ジョア階級が宗教の消極的な作用を利用し、労働者階級の革命への意志を麻痘させて しまったという意味で、「宗教は人民のアヘンである」と指摘したと見るのが正しい。 張志剛の言うように、「宗教は人民のアヘンである」という言葉は、マルクスが当時の ヨーロッパにおける社会的現象、即ち宗教・信仰が貧困な大衆の中において発揮して いる消極的な作用または否定的な機能について指摘した、一つの批判的な結論という ことができる。そういう意味で、マルクスは、宗教は「現実の苦難の抗議であり、圧 迫を受ける生霊の嘆息であり、(被圧迫)人民のアヘンである」と述べたのである'9。 このように当時の中国では、宗教は人民群衆の間において転倒した世界観を伝播し、 彼らの革命への意志を麻庫させ、消極的で否定的な作用を発揮するものと認識された のである。したがって、これを克服するためには、宗教者にマルクス・レーニンの思 想教育を行ない、人民群衆の間における宗教の消極的な影響力を弱化させ、それを通 して宗教の消滅を促進しなければならないと判断されたのである。 2民間信仰をめぐる論争20(1963-1965) マルクス主義の宗教観の極左化が進められていくなかで、中国社会の基底において 流布していた民間信仰も批判の対象となった。即ち、民間信仰を体系化された宗教と 区別させ、民間信仰の持つ宗教的属性を人為的に否定し、それを「封建的な迷信」と 18号克思「『黒格示法哲学批判』昇言」『弓克思恩格斯逸集』第1巻(北京:人民出版社,1995)1-2頁。 19米志剛「再陀弓克思主又宗教肌的方法沿意又」卓新平唐暁峰主編『陀弓克思主又宗教汎』(北 京:社会科学文献出版社,第1版,2009)21頁。 20詳細については、異可佳主編「中国宗教々宗教学」(上海:上海人民出版社,第1版,2010) 37-40頁を参照されたい。 59

(10)

見なして取り締まった。 中国の学界も、このような極左思想の影響を受けて、宗教と民間信仰の相違を強く 強調し、民間信仰の宗教的属性を否定するに至った。こうして、学界も民間信仰を「封 建的な迷信」と見なし、民間信仰の合法的な活動の空間を奪う作業に寄与した。もち ろん、民間信仰と体系化された宗教には厳然たる相違が存在するが、マルクスの経典 には民間信仰の問題についての直接的な言及がないため、これをめぐる議論は雲散霧 消とならざるを得なかったのである。 中国共産党は、マルクス主義の思想的観点に立脚して、宗教と迷信に対し全く異な る政策を取っている。中国は、宗教に対しては信教の自由の政策を実施しているが、 「封建的な迷信」に対しては、それを排除することを要求している。また、マルクス主 義は科学を重視するため、迷信の存在を徹底的に否定する。当時、マルクス主義とい う科学の前には、宗教さえも封建的階級の「残影」として認識されていたので、迷信 が活動する領域はなおさらなかった。もし「民間信仰=封建的迷信」のような等式が 成立してしまえば、民間信仰の活動の領域は縮まっていくであろう。民間信仰だけで はなく、宗教が封建的迷信と同一視されてしまった場合も、同じことが言えるかもし れない。 3.文化大革命(1966-1976)と宗教 文化大革命の期間中(1966-1976)に、宗教が甚だしい迫害を受けたことは周知の 事実である。人民群衆は、国家指導層の内部の権力闘争に動員され、その結果、非生 産的なイデオロギー闘争が全国的な範囲で10年間にわたって行なわれた。このような 状況の下に、宗教はその活動の「よりどころ」を失いつつあった。聖職者は迫害を受 け、数多くの信徒は教会や寺院を離れた。宗教的活動の空間は閉鎖され、他の用途に 転用された。こうした困難な事態の中で、聖職者が老齢化しても、その後継者を養成 することができなかった。 ある人は、「共産党の任務は、宗教を消滅させることである」などの極左的なスロー ガンを掲げ、宗教事務における「左」の過ちを一層発展きせた。文化大革命の期間に は、中央から地方に至るまで、宗教事務を担当する部門は十分な活動ができず、各宗 教組織もその活動の停止を余儀なくされた。この時期には、宗教信徒の正常な宗教活 動が強制的に禁止され、宗教界は、その愛国人士から一般の宗教信徒に至るまで「独 裁政治の対象」と見なされ、公開集会などで批判闘争にかけられ、大量の菟罪、握造、 誤審等の事件がつくり出された。少数民族の地区では、彼らの風俗・習'慣も「破四旧」 (四つの旧い悪、即ち旧思想・旧文化・旧風俗.│日習慣)の対象となり、禁止され、攻 撃を受けたので、群衆の積極性は大いに削がれた。その結果、宗教信徒は必然的に共 産党の宗教政策に対し疑問を持たざるを得なくなった。注意すべきは、この時期には 宗教を消滅させる作業に空前の努力が尽くされると同時に、個人崇拝及び個人に対す 60

(11)

現 代 中 国 と 宗 教 る迷信も党内及び群衆の中において次第に強くなったということである。即ち、一方 においては、正常な宗教活動が強制的に制止され、他方においては、毛沢東が崇拝の 対象として「祭壇」に祁り上げられたのである。これら二つの不正常な現象は、いず れも群衆及び現実から遊離した社会の一面を表している21。 それでは、文革期の憲法の規定を通じて、当時の信仰の自由のあり方を見てみよう。 すでに指摘したように『中国人民政治協商会議共同綱領』(1949)は、「中華人民共和 国の人民は、思想、言論、出版、集会、結社、通信、人身、居住、移転、宗教・信仰 及び示威・行進の自由権を有する」と規定している。その5年後に制定された1954年 憲法も、「中華人民共和国の公民は、宗教・信仰の自由を有する」と規定し、中国公民 の信教の自由を保障している。これに対し、文革期に制定された1975年憲法は、「公民 は、宗教を信仰する自由と宗教を信仰せず、無神論を宣伝する自由を有する」(傍点筆 者)と定めている。しかし、文化大革命の終罵後に制定された1978年憲法にも、上記 の1975年憲法の規定がそのまま存置され、中国がまだ極左的なイデオロギーから完全 に脱却し得ていない事実が露呈された。

四改革・開放以降(1978−現在)

1.全人代第11期3中全会 1978年になると、中国では1958年から実施されてきた「大躍進」をはじめとする諸 政策に対する批判的な検討が行なわれた。そうして同年5月からは、「真理の基準問 題」をめぐる論争が全国で展開された。華国鋒は「二つのすべて」(「両個凡是」)を提 唱した。「二つのすべて」とは、①「毛沢東主席が決定した方策のすべては、われわれ はこれをすべて堅く擁護しなければならない」(凡是毛主席作出的央策,我佃都要 堅決棚耕)、②「毛沢東主席の指示のすべては、われわれは一切変更を加えることなく これに従わなければならない」(凡是毛主席的指示,我イロ都要始葵不愉地遵循)をい う。これに対し都小平は、「真理か否かを検証する唯一の基準は実践である」と主張し た。彼の主張によると、毛沢東の政策や指示も実践の結果が悪ければ、誤りとして批 判されなければならない。都小平は引き続き、「毛沢東思想」の真髄は「実事求是」と 「大衆路線」であるが、大躍進以降の毛沢東はこの「毛沢東思想」に違反したと主張し た。 1978年12月に開催された中共全人代11期3中全会は、誤った過去に対する反省の結 晶体とも言うべき、現代中国の新しい転換点となった極めて重要な会議であったと言 21誰永床「毛洋末的宗教汎身有中国特色的宗教工作」毛捧末挺辰110周年記念くURL>http://www・ people、com.c、/GB/shizheng/8198/30446/30451/2210715.ht1,1,3-4頁。 61

(12)

うことができる。この会議では、過去にあった極左的な傾向を止揚し、マルクス主義 の本来の姿に戻るだけではなく、中国を資本主義社会に開放し、市場原理を大幅に導 入することが決定された。これにより、経済特区(1980)と経済技術開発区(1984) が設置された。 全人代11期3中全会では、宗教政策の重要性についても議論された。即ち、党と政 府の行なう宗教政策から極左思想を排除し、「実事求是」の態度とやり方で宗教問題を 扱わなければならないと指摘されたのである。この時から、宗教は徐々に正常を回復 していった。文化大革命の期間中に宗教の分野で大量にでっち上げられた菟罪、握造、 誤審事件の多くは是正きれた。この動乱中に強制的に占拠された宗教界の不動産は少 しずつ返還され、少数民族の宗教及び風俗・習慣も回復されていった。社会的宗教生 活も少しずつ正常を回復し、宗教信徒の数も不断に増加し、宗教活動も日増しに活気 を取り戻すようになった。改革・開放政策が展開されていく中で、政治生活の民主性 は向上し、宗教界の人士は不断に各級人民大会及び政治協商会議などに吸収された。 中国の宗教は、新しい時代の歴史的条件の下に迅速度を強めつつ、次第により健全な 発展を成し遂げるようになった22. 2「南北アヘン戦争」(1979−1989) 「宗教は人民のアヘンである」という名言は、マルクス主義の宗教観を論ずる際に、 決して無視することのできない言葉である。この言葉は、マルクス主義が中国に紹介 されたときから現在まで、多くの著作によって引き続き引用されている。「アヘン戦 争」(1840-1842)を経験した中国人にとって、「宗教は人民のアヘンである」という 言葉は極めて意味深いものと言うことができよう。 全人代11期3中全会で改革・開放政策が提唱され、社会的雰囲気が一新されていく 中で、南方学者たちと北方学者たちとの間では、「宗教は人民のアヘンである」という 表現をめぐり、10年間にわたって議論が展開された(1979-1989)。そのため、この論 争には、「南北アヘン戦争」という名称がつけられた。 1979年2月、昆明で開催された全国宗教学研究計画会議(最初)において、当時の 全国宗教学科計画小組副組長の羅竹風とキリスト教の鄭建業主教は、マルクスのこの 言葉に対して新たに解釈を加える必要性を痛感した。引き続き1980年4月には、南京 の『宗教』という雑誌に、「宗教とアヘンから語る」(従宗教与鴨片談起)という論文 を発表した。羅竹風は、1982年、上海市宗教学会年会において、「宗教は人民のアヘン である」という言葉を宗教研究の指導的思想にすることに対し反対意見を述べた。彼 は、「マルクスの宗教に対する主張は、社会的現実から離れて考えることはできない。 22葬洋「筒陀我国宗教友展匂宗教信仰自由政策」中央社会主又学院学根(Journalofthe CentrallnstituteofSocialism)第3期(怠第135期)(No.3,GeLl35),2005年6月,63頁。 62

(13)

63 特定の歴史的背景と各国の事情から離れて考えることはできない。……もしマルクス

の語ったある一句を、その前後で述べた文脈から孤立させてしまえば、『断章取義』(文

章や発言の一部を切り取って文義を歪曲する)となり、その結果必然的に『差之豪厘、

謬以千里』(開始時の僅かなミスが、やがて巨大な誤謬をもたらす)となるだろう23」

と指摘した。1987年、羅竹風はまた、「中国の社会主義の時期における宗教問題』とい

う論文を通じて次のように主張した。即ち、「アヘンは、階級社会において一定の条件 の下に起る宗教の消極的作用を形象化した比職である。歴史上、宗教の作用は時代的・ 社会的条件の相違によって異なるため、これを一律的に「アヘン』という用語で概括 することはできない。況んや、社会主義社会における宗教の作用は、『アヘン』を以っ て説明することはできない。レーニンのいう「礎石』とは、資本主義に適用されるも のであって、社会主義に適用されるものではない24」。羅竹風と鄭建業以外に、素志1舌、 劉建、丁光訓、陳耀庭、業露華、羅偉虹、誤大胎なども、上海及び南京の学者として この論争に参加した。 これに呼応して、中国社会科学院の張継安、呂大吉、唐莞及び趨複三なども、この 論争に参加したので、「南北アヘン戦争」と呼ばれる局面が展開されることになった。 1986年、当時の中国社会科学院副院長の超複三は、『中国社会科学』に発表した論文 「結局のところ、宗教の本質はどう認識すべきか」(究寛窓祥i人狽宗教的本辰)におい て、次のように指摘した。即ち、「マルクスの名言は、マルクス以前のドイツでは既に 広まっていた。マルクスが引用した原意は、決して宗教の本質を概括するためのもの ではない。伝統的な理解は、マルクスの原意に合致しない。特に、わが国の現在の宗 教的現実にこれを適用することができない25」。 3.『19号文書』(19B2) 中共中央は、1982年3月、『わが国の社会主義の時期における宗教問題の基本的観点 及び基本的政策について』(19号文書)を発表した。ここで中共中央は、建国以来、党 が宗教問題を認識し、処理するに当たって経験した「正」と「反」の両面を体系的に 総括し、社会主義の時期において中国共産党が宗教問題をどのように扱うべきかとい う問題に関する基本的な観点と政策について包括的な言及を行なった。この文書を通 じて、中共中央は混乱を収拾して正常な状態に回復させ、マルクスの宗教的唯物論に 再び論及し、社会主義社会における宗教の存在の必然性及び長期性を明らかにして、 信教の自由を尊重し、保護することの重要性を強調した。 この文書は、宗教を人類社会の発展の一定の段階における歴史的な現象として位置 345222 上海市宗教学会、上海社会科学院宗教研究所『宗教向題探索』(内部友行) 雰竹凡主編『中国社会主又吋期的宗教向題』(上海:上海社会科学院出版社, 『中国社会科学』1986年第3期。 (1983)5頁。 1987)169-175頁。 現 代 中 国 と 宗 教

(14)

づけ、中国の宗教が持つ長期性・民族性・群集性・複雑性・国際性という特徴につい て仔細な分析を行なった。とりわけ宗教の長期性を以って、宗教が社会主義社会に存 在することの合理性を説明し、宗教の存在の寛大な許容を図っている。行政命令また その他の強制的な手段によって宗教を一挙に消滅させることができるという考え方と やり方について非難を加え、人民解放以来、中国の宗教的状況には既に根本的な変化 が起こっていると分析した。そして宗教信徒と非宗教信徒は、政治的・経済的な根本 利益において一致し、信仰上の相違は比較的に副次的な問題であると指摘した。また、 宗教の群衆性に基づき、宗教問題の普遍性と重要性を強調しながら、すべての宗教信 徒と非宗教信徒を連合し、彼らの意志と力を現代化された社会主義強国の建設という 共通の目標に集中させることを、宗教問題を処理する際における重要な出発点とした。 『19号文書』を発表して以来、中国政府が発表する文書には、「宗教は人民のアヘンで ある」という言葉は引用されないようになっている。 4.宗教に対する認識の変化 江沢民は、1993年11月7日、全国統戦工作会議において、「党の信教の自由に対する 政策も、法律によって宗教事務に対する管理を強化することも、その目的はすべて、 中国共産党が、宗教と社会主義社会が互いに適応するように導いていくことにある26」 と述べた。これは中国が、宗教と社会主義社会には共通点があり、互いに適応するこ とができるということをはじめて肯定したものである。これは、マルクス主義の宗教 理論の発展史上、最初のものである27. 江沢民はまた、階級社会であれ、国際社会たると国内たるとを問わず、宗教の社会 的作用には、積極的な一面と消極的な一面という両面性があると指摘しながら28、次の ように言及した。即ち、「宗教は群衆性という特徴を持っており、性々にして、一種 の、極めて強大な社会的な力を構成するため、うまく処理すれば、社会の発展と安定 に対して積極的な作用を起こすことになる。下手に処理すれば、消極的な作用を起こ して、ひいては極めて大きな破壊的な作用を起こすことになる。宗教を如何にして有 効に管理し、導き得るかということ、宗教における消極的な要素を如何にして減少さ せ得るかということ、そして宗教における積極的な要素を如何にして発揮させ得るか を見出すことが肝要となる29」。これは、中国共産党が、もはや宗教を一方的に旧時代 の「残余」及び「アヘン」などと見なさなくなっていることを意味する。そして宗教 26「江捧民在全国銃戚工作会以上的洪活」中共中央文献研究室研究姐、国各院宗教事各局政策法 規司輪『新吋期宗教工作文献逸輪』(宗教文化出版社,1995)254頁。 27牟舛釜「中国宗教向題:信公祥?窓公看?窓全力?」卓新平唐暁峰主輔『姥弓克思主又宗教 蛇』(北京:社会科学文献出版社,第1版,2009)164頁。 28『江津民文逸』第3巻(北京:人民出版社,2006)379頁。 29同上,376頁。 64

(15)

現代中国と宗教 は、積極的な作用を発揮することができ、社会主義のために働き、社会主義社会と仲 良く調和を成す社会的要素となり得ることを表現するものである○また多くの宗教信 徒も、社会主義現代化の建設事業を推進する一つの重要な力になり得ることを意味す る30。前述のように、中国は、その成立初期には、マルクス主義の宗教観に基づいて宗 教の消極的な社会的作用を大いに強調していたが、今や、宗教が社会に対し消極的な 作用だけではなく、積極的な作用をも発揮するということを認めているのである。 胡錦涛は、2006年7月10日に開かれた第20次全国統戦工作会議で、「宗教を信仰する 群衆と信仰しない群衆、そして互いに異なる宗教を信仰する群衆の間の関係をうまく 処理することと、宗教と社会主義社会が互いに適応し合うように導くことは、社会主 義の調和的な社会を構築するための重要な業務である31」と述べた。彼はまた、政党関 係.民族関係.宗教関係・階層関係・国内及び海外同胞関係は、中国の政治領域と社 会領域において党と国家業務の全体的局面に関連した重大な関係であると言いつつ、 この五つの分野の重大な関係を正しく認識●処理し、この五つの分野の重大な関係に おいて和睦を保持し、促進することは、中国的特色を持った社会主義事業の全体的局 面に関係するものであり、社会主義の調和的な社会を構築する過程に関係するもので あり、党と国家の勢威ある発展及び「長治久安」に関係するものであると指摘した32・ 中国共産党は、2006年、『中共中央の社会主義の調和的な社会の構築に関する若干の 重大な問題の決定について』(中共中央共子杓建社会主又和i皆社会若干重大同題的決 定)で、「宗教は、社会の調和を促進するに当たって、積極的な作用を発揮しなければ ならない33」と指摘した。引き続き、胡錦涛は、中共'7大報告で、「宗教界の人士たち と宗教を信仰する群衆は、経済的・社会的発展において積極的な作用を発揮しなけれ ばならない34」と言及した。彼はまた、2007年12月18日に開かれた中共中央政治局第2 次団体学習の際に、これを再び強調した。これらの内容は、宗教及び宗教信徒は、積 極的な作用を発揮しなければならないものと総括し得るものである。これは、中国共 産党と国家指導者が初めて、国家戦略における宗教と宗教者の積極的な作用を肯定し たものである35。 30岳暁葬「淡如何理解賞初党的宗教信仰自由政策」大灰高等寺科学校学根(JournalofDaqing College)第24巻第2期(Vol、24,No.2),2004年4月,67頁。 31胡棉涛「不断汎固和壮大統一哉銭,共同建没中国特色社会主又」中共中央銃峨部研究室編『新 世妃新附段統一故銭一一第20次全国銃故工作会Ⅸ精神解答』(隼文出版社,2006)226頁。 32同上,108頁。 33「中共中央美子杓建社会主又和階社会若干重大向題的決定」中国共芦党第十六届中央委品会第 六次全体会波,2006年10月ll日通辻。 34胡棉涛「高挙中国特色社会主又倖大旗帆力寺取全面建没小康社会新姓利而畜斗」在中国共声 党第十七次全国代表大会上的根告,2007年10月15日。 35婁可佳主編『中国宗教与宗教学」(上海:上海人民出版社,第1版,2010)27頁。 65

(16)

これまでの分析を通じて分かるように、中国の宗教に対する理解は、宗教の「消極 的(否定的)な作用」が強調されていた歳月を経て、1990年代に入ってからは「消極 的な作用と積極的な作用」という両面性が肯定され、21世紀に入ると、宗教の「積極 的な作用」が大いに認められるに至った、ということができる。 以上、最近の中国における宗教に対する認識の変化について、共産党の指導者の発 言を中心に若干の考察を行なった。先述の通り、中国は政教分離の国家であり、政治 が宗教より優位を占めているため、社会に対して強力な影響力を発揮している共産党 及びその指導者の発表する内容を軽視することは許されない。 それでは、最近、中国の学界は、自国における宗教の状況をどのように認識してい るのであろうか。もちろん、学者の性向や学問的背景及び宗教を持っているか否かな どにより、その認識のパラダイムは異なってくる筈である。いまだにマルクス主義の 伝道者としての立場に立ち、無神論を唱えながら宗教の消極的作用とその消滅を主張 する学者も少なくない。しかしそうした中にあっても、時代の変化と共に変化してい る宗教の現実を直視している学者も多く存する。以下では、牟鐘鑑の書いた『中国宗 教問題:患公祥?短公看?患公亦?』の「短公祥」(果たしてわれわれの宗教の状況は どうか)という部分に記述されている内容を紹介することにする。ここには、宗教に 対する現代中国人の認識及び現代中国における宗教の状況につき、注目すべき内容が 記述されている。 外国の統計によると、現在、全世界の宗教者の数は総人口の80%以上を占めている。 世界の大多数の人が宗教信徒である。1,2世紀前に、ある人は、社会の発展・教育の 発展・科学の進歩によって、宗教は消滅または代替されると予言したが、この予言は全 然実現されていない。世界化と現代化が極めて急速に発展していく今日において、宗教 は依然として漸進的に発展している。ある局部的な地域においてはやや希薄な部分もあ るが、総体的な形勢は依然として発展の途上にある。これは一つの客観的な現実である。 われわれマルクス主義者、唯物論者はこの現実に勇敢に直面し、これを認め、研究を行 なわなければならない。これを回避することはできない。 宗教の分布地域を見れば、宗教・信仰のない国家、地域、民族は、一カ所も発見され ない。無神論者は存在する。しかし、すべての民族が無神論者である場合はない。ある 人は問う。全世界の人口の80%以上が宗教信徒であるが、残りの20%にも満たない人々 はどこにいるのか、と。ある人は、彼らは主に中国にいるというが、私は賛成できない。 中国にはどの位の信徒がいるのか。1950年代に周(恩来)総理とわが政府は、1億人が 宗教を信仰していると述べた。今、既に半世紀以上の歳月が過ぎ去って、人口は2倍以 上となったが、まさか宗教信徒の数はいまだに1億余名に過ぎないというのか。上海華 東師範大学のある学者一劉仲宇教授一が社会調査を行なった。彼は5,000枚以上のア 66

(17)

現 代 中 国 と 宗 教 ンケート用紙を配り、その結果を推測・判断した結果、現在、中国には3億人の宗教信 徒がいるということが分かった。われわれの関係部署はまだこれを認めていないが、わ れわれは調査・研究を行なっていないので、新しい数字を出すことができない。私は、 個人的に思うに、3億人は誇張された数字ではない。改革・開放以降、地下にあった数 多くの宗教が地上に出て来たし、もっと重要なのは、われわれのこの社会が依然として 宗教を必要としていることである。以前に、われわれには、富裕になると宗教は要らな くなるという考え方があり、知識があった。それでは、どうしてノーベル賞を獲得した 人々の大部分は宗教者なのか。したがって宗教には、その市場があり、その存在の根源 があることが分かる。科学の発展や社会経済の発展は、決して人生の直面するすべての 問題を完全に解決することができない。少なくとも二つの問題は、長期にわたって存在 する。一つは生死の問題であり、もう一つは運命の問題である。個々人の生命はすべて、 有限のものであるが、人間の本性はすべて生死を超脱して、永遠を得るように望んでい る。この問題は、科学や医学によっては解決することができないが、宗教は人々に一種 の心理的な慰安を与えてくれる。宗教は、人間には来世があると認識しているため、も し貴方が善い人であれば、貴方は来世において報いられ、天国に行くことができる。現 実が解決してくれない以上、ある人は宗教的慰安を本当に信じて、死を恐れない。これ は永遠に存在する問題である。また運命の問題がある。以前に、われわれは、人間は必 ず大自然に勝てる(人定勝天)と思っていたが、実は人間は永遠に自分自身の運命を掌 握することができず、ただその一部分だけを掌握することができるにすぎない。なぜな ら、人間は、数多くの外在的な要素を掌握してコントロールすることができないからで ある。このような状況の下で、多くの人々はこの種の力を−マルクスは、これを「異 己」(意見を異にする者、異分子)の力という一神に変える。市場経済は、人生にお ける不確定的な要素を一層増加させる。このような理由から、宗教にはその存在の根拠 がある。これは、貴方が宗教を信じるか信じないかという問題ではない。貴方は、唯物 論者の一人として社会発展の規律を理解し、世界には天国がないことを知っているた め、問題に遭遇した際に、貴方は宗教を求めないだろう。しかし、このような人は少数 である。一般民衆は、この種の哲学的理論体系を確立し、彼の世界観にすることは極め て難しい。そのため、彼らはいとも容易に神の信仰に助力を要請するようになる。この ような状況の下にあっては、宗教の存在は可笑しいことではない。 中国では、3億人が宗教を信仰している。7千万人の共産党員と7千万人の共産主義 青年団員は、無神論者である。それでは、残りの何億もの人々は、何を信じているのか◎ そのすべてが無神論者ではない。私の個人的立場で言えば、真の意味の無神論者は永遠 に少数であると思う。なぜなら、無神論者は一つの哲学的理論を以ってそれを支える必 要があるためだが、これは簡単ではない。歴史上、無神論者はすべて哲学的に支持され ていた。中国の歴史上形成された伝統を見れば、数多くの人々は宗教者の身分を持って 67

(18)

いないのに、宗教の観念や鬼神の観念を持っていた。このような人々は、とてもとても 多い。そして、彼らの観念はすべて混合していて、仏教もあれば道教もあり、その他の 宗教も少しあり、民間のある神もあるといった工合である。このような人々はとても多 い。多分、多数であると言ってよいであろう。このような状況が社会主義社会において 果たして非正常であるのかどうか−これは、われわれの研究課題と言わねばならな い。私は、われわれの観念を変えなければならないと思う。社会主義社会においても、 依然として宗教存在の根源があり、社会主義社会において宗教が消滅することはあり得 ない。今後、数十年の時間の中に、宗教は中国において依然として発展し続け、種々 様々な形で発展していくであろう。これこそ、われわれが直面していくべき現実である。 これこそ、中国の宗教問題の「短公祥」(果たしてわれわれの宗教の状況はどうか)な のである36。 5.宗教界における国際交流の増加 21世紀に入ってから、全世界は一層緊密につながり、グローバル社会が形成された。 中国の政治・経済も、新しい発展の段階に入った。社会主義的生活の中における宗教 の作用は、徐々に、しかも確然として浮き彫りにされつつある。宗教内部の伝統及び 骨格も外部からの影響を受けて変化し、多元的な発展の局面が出現するようになった。 これによって宗教界における国際交流も、日増しに増加の一途を辿っている。このよ うな国際関係及び世界宗教における変化並びに発展は、中国の宗教に対しても、無視 できない影響を与えている。また宗教も、社会に対し、「髪の毛一本引っ張ると全身が 動くように、全局面に影響を与えるような」作用を起こしている37。 最近の例を挙げてみよう。最近、韓国IPCR(IntemationalPeaceCorpsofReligions: 宗教平和国際事業団)は、日本・中国・韓国及びその他の国の人たちを招聴して、国 際セミナーを開催した。2010年8月24日から27日までソウルで開催されたこのセミ ナーは、日韓強制併合(1910)100年を記念するためのものであった。このIPCR国際 セミナーには、KCRP(韓国宗教者平和会議)、WCRP/JAPAN(WOrldConfierenceof ReligionsfbrPeace,JapaneseCommittee:世界宗教者平和会議日本委員会)及びCCRP (ChinaCommitteeonReligionandPeace:中国宗教者平和会議)が推薦した各宗教界の 代表と政界及び学界の人たち並びにその他の国の人たちが集まって討論を行なった。 本セミナーでは、「東アジア平和共同体の設立と国際社会の役割」というテーマの下 に、①「過去の葛藤を如何に克服すべきか」、②「東アジア平和共同体の設立と国際社 36牟舛盤「中国宗教向題:信公祥?患公看?信公力?」卓新平唐暁峰主輔『陀弓克思主又宗教 陀』(北京:社会科学文献出版社,第1版,2009)160-162頁。 37葬抹「筒陀我国宗教友展身宗教信仰自由政策」中央社会主又学院学根(Journalofthe CentralInstituteofSocialism)第3期(忌第135期)(No.3,Ge1.135),2005年6月,64頁。 68

(19)

現 代 中 国 と 宗 教 会の役割」、並びに③「朝鮮半島の平和と東アジア共同体の設立」という三つのサブ テーマをめぐり、論文及び意見が発表された。CCRPの代表としては、高峰牧師(CCRP 副主席、中国キリスト教会会長)、馬英林主教(CCRP副主席、中国天主教愛国会副主 席)及び衛元瑛(CCRP副秘書長)などが参加した。IPCR国際セミナーの主催者であ るKCRP、並びにその主要な参加団体であるWCRP/JAPANとCCRPは、さらに一層 相互協力を深めつつ、東アジアの平和実現のための役割を果たしていくことが期待さ れている。

五 終 わ り に

以上、中華人民共和国が成立した1949年から現在までの中国における宗教の問題に ついて考察を行なってきた。新中国が成立したとき、中国共産党は、宗教・信仰を思 想の問題と見なし、多くの宗教信徒を団結させて、共に社会主義社会を建設していく ことに努めた。当時、中国共産党は、宗教は封建社会の「残津」として消滅の一途を 辿っていくが、それでも長期的に存在すると思考し、宗教信徒と非宗教信徒が互いに 調和的な関係を形成、維持すれば、社会の安定に大いに役立つと認識していた。また この時期には、マルクス主義の宗教観に基づいて、宗教の「消極的な社会的作用」が 強調されたのも事実である。そうしながらも、宗教界の協力がなければ、社会の団結 を図ることができないという認識の下に、宗教に対する弾圧は自制された。 しかし、1957年から展開された反右派闘争により、中国には極左的な宗教観が影解 し、その結果、宗教界は苦境にさらされた。このような逆境は、20年も続いた。この 期間中に信教の自由は大いに侵害されたが、中国はこのような歴史の屈曲を通じて、 宗教を保護することの重要性を一層深く認識するようになったと思われる。 1978年に開催された中国共産党全人代13中全会は、改革・開放政策を提唱し、中国 社会の全般に大きな変化をもたらした。宗教界もその影響を受け、徐々に活躍し始め た。そして'990年代に入ってから、宗教は、社会に対し、消極的な作用だけではなく、

積極的な作用をも起こし得るものと認識されるようになった。即ち、宗教の「消極的

な作用と積極的な作用」という両面性が肯定されたのである。その後、21世紀に入り、 社会に対する宗教の「積極的な作用」が大いに認められるに至った。

このような認識の背後には、愛国統一戦線の形成、民族の大団結、調和的な社会の

建設、祖国統一の大業の達成及び社会主義現代化の建設という社会的任務が置かれて

いる。李維漢は、次のように指摘している。即ち、「われわれの任務は、正に各宗教の

信徒と非信徒という人民群衆を団結させ、共に階級の圧迫や自然の圧迫に反対する解

放的闘争を進めていくことであって、有神論と無神論を利用したり、宗教を持ってい

るか否かの問題を利用したり、人民群衆の革命的団結を分裂させたり、人民群衆の解

69

(20)

70 放的闘争を妨害することではない。統一戦線は、政治によって区分されるものであっ て、宗教.信仰によって区分されるものではない。有神論と無神論は、世界観の問題 であって、政治的に一致しさえすれば直ちに団結することができ、また当然に団結し て共に奮闘しなければならない。これこそが、宗教界の一切の愛国人士の利益を含む すべての革命的闘争の利益に合致するのである38」。周恩来は、1950年5月、キリスト 教の人士たちとの談話の際に、「われわれは、唯物論者と唯心論者は、政治的に協力し 共存することができるから、互いに尊重しなければならないと思う39」と述べた。これ は、「政治的には団結・協力し、信仰においては互いに尊重する」という原則に従っ て、共産党と宗教界が愛国統一戦線の道を歩み、「愛国」と「愛教」が互いに助け合い 補い合って発展し、互いに促進し合わなければならないことを意味する。1982年3月 に発表された中共中央19号文書も、次のように指摘している。即ち、「世界観におい て、マルクス主義と有神論者は、異なる立場に立つ。しかし、政治的行為において、 マルクス主義者と愛国的な宗教信徒は、むしろ、完全に、そして必ず、社会主義現代 化の建設のために、共に奮闘する統一戦線を結成しなければならない40」。 中華人民共和国の宗教観及び宗教政策は、マルクス主義の歴史唯物論を堅持しなが らも、それを中国の具体的な現実と結合させた重要な体現であると言えよう。ここに いう中国の具体的な現実とは、中国社会が担っている愛国統一戦線の形成、民族の大 団結、調和的な社会の建設、祖国統一の大業の完成並びに社会主義現代化の建設とい う任務の達成に他ならない。中国の宗教界も、このような現実に合致するような活動 を行なうことが要請されている。したがって、社会主義国家の中国において、宗教は、 「聖」と「俗」(中国的現実)の弁証法的合一を通じて、その存在と繁栄の道を模索す る必要があろう。そうしていけば、宗教は、社会主義国家の中国においても、その存 在の根源を失わず、むしろその根を一層深く下ろし、その「市場」を次第に拡張して いくものと思われる。中国という巨大な社会に散在している「点」としての宗教は、 今やその存在の領域を次第に拡大していくであろう。 890334 李堆沢『銃一繊銭向題身民族同題』(北京:人民出版社,1982)647頁。 『周恩来銃一成銭文逸』(北京:人民出版社,1984)184頁。 『新吋期宗教工作文献迭編』(宗教文化出版社,1995)62頁。

参照

関連したドキュメント

 中国では漢方の流布とは別に,古くから各地域でそれぞれ固有の生薬を開発し利用してきた.なかでも現在の四川

 トルコ石がいつの頃から人々の装飾品とし て利用され始めたのかはよく分かっていない が、考古資料をみると、古代中国では

インドの宗教に関して、合理主義的・人間中心主義的宗教理解がどちらかと言えば中

現実感のもてる問題場面からスタートし,問題 場面を自らの考えや表現を用いて表し,教師の

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

 調査の対象とした小学校は,金沢市の中心部 の1校と,金沢市から車で約60分の距離にある

「アーサー・アンダーセン」などの事件とともに、その厳しさは増してきた。こうした背景 の中で、ISO26000(社会的責任)のガイド・手引き /Guidance On Social

以上のような背景の中で、本研究は計画に基づく戦