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駒澤大学佛教学部論集 7 020袴谷 憲昭「唯識の学系に関するチベット撰述文献」

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(1)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

唯 識

学 系

撰 述 文 献

袴  

 

 

は  じ め   に

 

E

Oberrniller

が イ ソ ドの 唯 識 学 派に 関 し て 「聖典 追

従唯

luh

 gi rjes 

hbrafts

sems  

tsam

 pa ;

agama

勃nu 語 ri  vij柩 navadinap )」 と 「

唯 識派

(rigs  pahi rjes

bbrafis

 sems  tsam pa= nyaya ・anusdriBo  vijfianavadinall ) と 二 学 系 がある とするチ

ト の 伝 承紹 介 は よ く知 られ 。 1) し か し , 遺 憾 な が らこ の 伝 承 を 直 接チ ベ ッ ト文 献に 当っ て 確 認し直 すとい う手続 きが永い こ と放 置 され てい た よ うに思わ れ る。 2) もっ と も, か よ うな

況を もた ら した

責任

の 一・

は , 相 当 チ ベ を脚 註に 示 す の み で そ の 典拠を 明 示 し なか っ た

Obermiller

自身 に あ る か もしれ ない が,

学の 怠

に ある こ とに 変 り は な い 。 本 稿が その よ うな

況 の 欠 除を補 う捨石 に な れ ば

い であ る。

 

稿

で採 り上 げるチ ベ ッ ト撰 述 文 献 とは , イ ン ドに おけ る仏 教の 「

宗 義

(grub

mthall )」 3)

っ た , 

bJam

 

dbyafi

 

bshad

 

pabi

 rdo  rje 

Nag

 

dbafi

 

brtson

bgrus

1648

1722

)の

GrUb

 mthahi  rnam  

bSad4

略 号 

JGN

) と こ れ を受け

ICah

 skya  

Rol

 

pabi

 rdo  rje

1717

− 1786 )の

Grub

 

pabi

 mthabi  rnam  

par

bshag

 

Pa

 5)略 号, 

CGAr

) とで

る が, 本 稿の 性 格 上, 特に唯 識の

学系

する

 

1

) 

E

Obermiller

,‘‘

The

 

Sublime

 

Science

 of the 

Great

 

Vehicle

 to 

Salvation

’, 

AO

, 

IX

,     (

1930

), p .

99

.   2)

M

Hattori

1

)∫8

8

・ α, 

On

 

Perception

,(

1968

 p .

73

お よび桂 紹 隆 厂ダ ル マ     テ ィ に お ける 「自 己認識 」の理 論 」『南 都 仏教』 第

23

号 (

1969

), p ・

10

な ど近 年の も     の もすべ 上 記

Obermiller

典 拠 。  

3

) grub mthab とい うチ ベ ッ ト に お ける著 作の ジ ャ ン ル に つ い て は , 立 川武 蔵 『西 蔵

  

仏 教 宗 義 研 究 第

1

巻一 トウカ ン 『一 切 宗教 サ キ ヤ 派 の 東 洋文 庫 (

1974

,     pp .

1

(ト

12

照。   4) 東京 大 学所 蔵チ ベ 文 献 目録 (以 下東 大 目録 ),

Nos

90

95

稿 取 扱 う の     は, こ の 第

10

章 (

No

93

) ‘ ’

Sems

 tsam pabi skabs  

kyi

 

bgrel

 pa” の ごく一部であ る。

 

5

) 東大 目録,

Nos

86

88

っ た箇 所は こ の 中の

Ka

. 

112

 

b5

208

 a2 ,なお 本     稿に おい て,

IGN

よ り もこ の CGN を よ り多 く参照するの は, 後 者の 方が読み やす     い とい う筆者の 恣 意に よ る もの であるこ と を諒 とせ ら れ たい 。

CGI

> 全体は 目下 山口

  

瑞 鳳 先 生に よ り駒 沢 ・東京 大 学におい て読み す すめ られて お り近い 将来その 全 貌が明     らか に さ れ る こと と信 ずる。 一 256 一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(2)

2

) 唯識 の系に 関するチ ベ ッ ト撰 述 文 献 (袴谷) 記

の みを問 題 とする こ とに し たい 。 まず,

i

両 書の 当

該 箇

所 を註 記 と ともに

介し, 次に ,

ii

)そ の

記述

起 する問

題点

理 し, 殻

に , 

iii

の テ キ ス ト と して の 特 殊性 に み ,6) 和 訳に 応 ず るチ ベ ッ ト原文 を 提示 す るこ と に し よ う。 従 っ て, 本稿は なに か 一 問 題採 り論 ず る体の もの で は な く, 全 くの 紹 介に す

ぬ こ とを 予め お断 りして お きた い 。

1

 

和 訳

      

G2

Na

6bi

7ai

 

7)

〔唯識

〕 区

つ い て い え ぽ,

 

1

典 追従派

1uh

 gi rjes 

bbrah

)で 〔

Asahga

部 (

Sa

 sde 8)な ど を 主 と し

ll

Dignaga

Prama4a

sam κccaya

Kun

 

btus

)と 〔

Dharmakirti

〕 知 識 根 拠 prama4a )

に 関 する七部 (tshad ma  sde 

bdun

9)を 主 と し て把 持 す る論 理追 従 派 (rigs pabi rjes

hbrah

) との 二 が あ る が, 

Bodhibhadra

論 師は, 「こ れ に 関 し, 瑜 伽 行 派

Yogacata

)は 二 で ある。 有形象 派 (rnam  pa 

dafi

 

bcas

 pa , sakara )と 無 形

(rnam  pa med  pa nir …

ik5ra

) とで ある。 その うち,

形 象 派は

Dignaga

論 師な

どで あ り,

象派

Asahga

論 師な どで ある」

10) 仰 言

, 

Jitari

Dse

・tti

6

) 蔵 外文献で ある ため 一に は入手 困難。 しか し, 東大 ・東洋文庫所蔵 蔵外文

 

他大学の場 合 とは異な り求めれば入手で きよ う。 他大学の場 合 も早 急に 「求め よ さ   らば 与 え られん」 とい う態 度を実 行 し て欲 しい ものである。

7

) 以下は , ‘‘

dbye

 

ba

 lufi rig rjes 

ljbrafi

 rnam  bden rdsun ” とい うrtsa  

ba

Ne

90

6a

 

に 対す る説 明の一段。 これは 既 に 拙 稿 「〈清浄 法界 〉 考」 (

2

23

日脱稿, 『南都仏

 

教 』 掲載 予 定 ) 中で し た の で 重複に なるが, 先の 拙稿で は 省略 し た箇所 もあ り,

  現 時 点で未 刊 行で あ るか ら, あ えて こ の 一段 全 てを提示 した。

8

) 詳し くは

Sa

 sde

ina

〉の 五 部 )。 すな わ ち, (1)∫σ亟 伽 0395 砺,(2)

gshi

 

bsdu

 

ba

, (3)rnam  8rahs  

bsdu

 

ba

, (4)rnam  

p

αr bSad 

pabi

 sgo  

bsdec

加 , (5>rnem  

Par

  gtan  

la

 

dbab

 

Pa

 

bsdu

 

ba

の五 部 全体で

Asahga

yog4ca

’rabhtimi

。 cf.

 

CGN

, Ka ,115 a2 − 3. 

Tatranatha

 

Schiefner

 

ed

 

p

88

1

7

お よ Bu  ston  

Obermiller

  tr.,

1

,pp .

54

56

も 同 じ。

g

CGI

>, 

Ka

116

 as

列挙 う と

, (1)rlVam  

bgrel

, (2)rNam  

ftes

, (3)

Rigs

 

thig ,(4

gTan

 tshig thi8 ,(5)rG 丿ud  

gshan

 8尸rtth ,(6)

hBrel

 

ba

 

brtags

 1短 ,

    rTshod  

Pahi

 rigs  

Pa

の 七論 書。 宮坂宥勝 「ダ ル マ キ ール テ イの生涯 と作品(上)」

   『密教文 化』

No

.91 (1970 ),  pp .15− 29 参

10

)  引用 の細に つ い て は, 山口益 『中 観 仏 教 論 致』, p .

308

お よび

Y

. 

Kajiyama

  凸℃ontroversy  

between

 the 

Stikara

− and  

Nirak

訌 a・v盃

dins

 of the 

Yogtichra

 

Schoo1

(3)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

唯 識の系にす るチベ ッ ト撰 述文献 袴谷

3

ri)11)は ま た

多 様

sna  tshogs 

gfiis

 med  pa

, citradvaita )12

Dharmakirti

に よっ て

された 」 と

い てい る が 〔彼の 著 書で ある

Pramdua

−〕vdrttilea

      ノ

(rlVam  

bgrel

) 〔の 立 場〕を

Devendrabuddhi

(1Ha)と

Sakyabuddhi

§akya )

両 者13)形 象 真 実論 rnam  

bden

) とな  

Praliakaragupta

rGyan  mkhan  

po )14)

と して 形 象 虚 偽 無 垢 論 rnam  rdsun (iri med )〔とな し〕 

Dhar

皿 ottara Chos

mchQg は 主 と し て形 象 虚 偽

垢論 (rnam ・rdsun ・

dri

bcas

と説

。 rGyal  

tshab15

は 「

Dharmakirti

七 部の 立場 (skabs )で あ る唯心 (sems  tsam pa)の 定立 (rnam

bShag

) を な す ときに は, 形 象 虚

論を規 定 と な さね ば ならな い 」16)と仰言 っ て お

り, mKhas  

grub

 rie17

こ の

々 の こ とが う と

も, 形

実 ・虚

論二 つ の うち形 象 真 実の 宗 義

grub

 mthah

深 奥

な もbrlifi 

ba

あ る か ら, 〔

Dharmakirti

の 〕 七 部は形 象真 実 論で あ る とせね ぽ な らぬ こ とは

多 くの 聖典お よ び論 理 に よっ て も知 られ る」 と仰 言 っ たが, そ うで あろ うとも,

18)

追従

そ れ

典 籍 gshufi)

て も, 形 象の

実 ・虚 偽 論

二 っ づ っ の 主 張 (rnam  bshag ) が あ り うる こ と を, 

Tsofi

 

kha

 

pa

(rJe yab sras)

で ある イ ソ ド ・チ ベ 者 がめ る る か

, こ の 二 つ の 各々 を 周 延 させ 等し くなし て こ る よ うな こ とは 決 し てすべ

る。

11

JitAri

につ い て は, 

G

. 

Tucci

, 

Minor

 

B

ddhist

 

Texts

, 

L

 pp . 

249

252

参照 引用   箇所は 筆 者未 詳。 12 ) 沖 和 史 「Dharmakirti の 《citradvaita 》理論 」印仏 研 , 

XXI

−2, pp .

88

−−

94

参照

13

両者に つ い て は, 宮坂前 掲 論 文 (上) pp .

39

41

, (下 )『密 教文 化』

No

94

1970

  pp

. 

1

2

参照 。 サ ン ス ク リッ ト呼 称は これ に従 っ た。

14

 

rGyan  mkhan  po

Prajfiakaragupta

指す い て

,  Th . 

Stcherbatsky

 

Buddhist

 

Logic

, 

L

 p .

324

, n.2 参照。 なお , 宮 坂 同上 (下), 

pp

6

−一一

7

もあわ せ て 参

  照 さ れ たい 。

15

) Tsofi kha 

pa

の 弟子 (

1364

1462

)。 Dhar ma  rin chen に 同じ。 

CGN

で は rGyal

  tshab thams  cad  mkhen  pa とし て出る。

16 )

 

東 大 目録・

No

・ 

63

か らの 引用 と 思 わ れるが, 正確な 箇所未詳。 なお この 引用 文 末

 

尾は “一・

byed

 

dgos

 gsufis shes  gsufis Sin /” とるが下 線の gsuhs は なきがご と く

  に.訳 した。 目下 引用 箇所の 確 認 が必要。

17

) Tsoh kha pa の 子 (

1385

1438

)。 

CGN

で は mKhas  grub thams  cad  mkhen  

pa

 

mKhas  grub smra  babi fii ma と して出る。 なお, rGyal  tshab, mKhas  grub rje 二

 

人 と

dGe

 

bdun

 grub (

1391

1474

) を合 した

Tsoh

 kha 

pa

の三 弟子に つ いて は,  

Stcherbatsky

, op. cit., 旺, p .

325

,n.

1

参 照の こと。

18

) これ 以 ド, 「… 決 し てすべ きでは ない の で あ る」 ま で の文は

CGN

  に引用 さ れ

 

る。 前後の文 も合わせ て

CGV

の 同段 と比較せ よ。

一 254 一

(4)

4

       

唯識の に 関するチ ベ ッ 撰 述文献 (袴谷 )

 

そ れ は ま た, 形 象 (rnam  pa, akara )の 観 点よ り (sgo  nas ), 形 象 真 実

・ 虚

偽論

の 二 つ 〔次の よ うに 区 分 さ れ る〕。

1

真 実 論 におい て は ,

i

)主客

1

司数 論

(9。ult 

l

d

・i・ g・a血・ mfiam ), 

ii

卵 半

論 (

g

h

phyed

t

・h・1), 

iii

多 様不二 論 (sna  tshogs gfiis med , citradvaita )の 三

19)

, 

i

) 主 客 同 数 論 に は

a

身 〉

(rnam  

ges

 tshogs 

brgyad

) を認め る もの と

b

) 〈六 識 身

(rnam  9es tshogs 

drug

を 認め る もの との 二 ,

iii

不 二 論 〔に は〕 a

)〈

を 説 くも

の と

b

一識

(rnam  Ses gcig 

bu

) を説 くもの との 二 が ある。 

ll

偽論

に お い て

は,

i

) 有

論 (

dri

 

beas

ii

) 無 垢 論 (dri med ) との 二 が あ る。

 

ま た識を認め る観 点に よ れ ぽ四 つ 。 す なわ ち,

1

) 〈八 識 身

2

六識 身

3

)〈

一識

くもの との 三 が あ る が,

4

) 〈 九 識 身 〉を認め る 人20)も名 存 在 する か る。

      

CGI

 

Ka

117bL3

 

21)〔唯

〕 区 分

 

D

Asahga

の 〕

の 部 な どに 追 従 し 聖 典 (luh)を主 とし て述べ 聖 典追 従 派  

ll

) 〔

Dharmakirti

〕 知 識

関 す

る匕部の 論 書 (tshad mabi  

bstan

 bcos sde  

bdun

)を 経 (mdo 22)と もに 説 明 す る ご

とき論理 追 従 派 との 二

り とす るの が

名で あるが, 形 象の 認め方の 観 点

よ り区 分 す れぽ, 形 象 真

・ 虚

偽論

二 派があ り それ は ま た 聖 典 ・ 論 理 追 従 派 そ れ ぞれ に も, 形 象

虚 偽 論二 つ づつ の 主 張 (rnam  

bshag

)が

る と多 くの

(gshufi )

ec

よっ て 説かれ るの で ある。

真実

・虚

偽論

内部

区 分 (nafi 

gses

kyi 

dbye

 

ba

と認め 方は に説 明 され る であろ う23)

      

CGI

 

144

 

b3

145

 

b5

 

24)追 従 唯派 (rigs pahi rjes

brah

 gi sems  tsam pa )は, 直 観 (mhon  sum ,

19

 

以上三 つ の 細 分に つ い て は, 後註

46

)参照。 三 分の論理 的可能性につ い て は , 沖前

 

掲論文参照。 呼称に つ い て は , 現 在の ところ , citradvaita 以外は, サ ソ ス ク リッ ト

  文 献に trace で き ない 。

20 )

 

こ れの み 別格に 扱わ れて い る。 後 註

37

)の箇 所を見よ。

21

 

以下 「所 依の 典籍よ り派生し た宗義の立」中.第三 とし て の 「区分 」。

22

) 経 (mdo は , こ こ で は, Dignaga の Pramd4asamteccaya (

PS

) を才旨す もの と

 

思 わ れ る。 例え ば,

CGN

, 

Ka

149

 

bti

で は mdo と し

PS

9

引 き , 同

150

 

bl

  で は

Tshad

 ma  mdo し て

PS

10

偈を引用 して い る。 23 ) 本 稿 所 引

CCN

  を指 す 。

24

 

以下 「認 識主体で ある知覚の 定立 」中, 第 一 般的知覚定 立 」 記述   一部。

(5)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

唯識の 系に す るチ ベ ツ 撰述文献 (袴谷)

5

pratyaksa )に して, 感 覚 器 官 (dbafi, indriya ) と自我 意 識 (yid, manas ) と 自己認 識 (rafi rig , svasarpvedana )と瑜

師 (rnal 恥yor, yogin) との

19Ll

つ の 直

25)を認め

るの で る。 聖 典追 従 唯心派 (

lu

血gi rjes り

brah

 gi sems  tsam pa )は 他の 三 つ を認め

るけ れ ど

己認 識を

め る か 認め ない か に つ い て は

ら か に

い て は い ない

が , rJe  

btsun

 

dam

 

pa

 

hJam

 

dbyahs

 

bshad

 

pa

i

 rdo  rje は , 「〔

Asahga

〕〈

追 従 す る唯心派 は 自 己認識を 認め い 。

の 五部 (=

ybg

爾 7β毓 励 の

に は 説か れ て い な い か らで あ る 」26) と

言っ た の で ある そ うで あろ とも 聖 典

追 従 唯心 派に して

己認 識 を 認め い こ とで 充 分だ と す る こ は,

bJam

dbya

血s 

bshad

 

pa

rJe 

btsun

御 自身が 御 承 認 な さ らない の で ある。 な ぜ な ら, 御

自身

は, ア ー ラ ヤ 〔

〕(

kun

 gshi) と自己認 識の 両 者 を 認め る

心派の もの が あ

る と説い て い る か らであ る。 す な わ ち

Grub

 mthab  chen  mo (=

JGN

) に お け る

真 実

で , 「ア

〔識 〕

自性

自己

っ て

受 され る

(myofi  

bya

もの に ほ か な らず, その カよ り生 じるか ら,

分別〉に よ っ て そ れ

らが 主 ・客 (gzu 血

hdsin

) と して 仮 構 (sgro  

lld

。gs, sama ・

RUH

・) され るけ れ ど も, そ れに よっ て

仮構

さ れ た よ うな

主 ・客の 〕二 が虚

なの で あっ て , 二 で ない も

の は 虚 偽で は な い か らで る 」 27)

っ て い るか らで あ る

 

Tark

α

ivala

に よれ ぽ, 「大 乗 の もの である論 師

Asahga

, 

Vasubandhu

な ど他

の もの が28)

っ て ,

ら二 人 が 認 め る こ と を述べ る

所 29

, 

Mahdy

々nasa 一

8

愬 加

Theg

 

bsdecs

に 説か れ て い る

三 相 〉mtshan  fiid gsum  tri−lakapa

立 (rnam  

bshag

) と ア ー ラ ヤ 〔識 〕 と汚 れ た

意 識

fi

。n yid , 

kliSta

・manas )の

認め 方な どを説 き, そ の 後に , 3Q

自身

, か の 瑜 伽師 (rnal  

llbyor

 pa )に

お い て は, 自

と して 顕

する (rafi

du

snan ・ha , sva −pratibhsa) 主

象  

dsin

25

) 亙

y

の の 初

4

麗,

BB

U

,PP .

10

11

‘‘tat (=

= pratyak

ミarP )caturvidham :

indriya

jfianam

_

  mano −vijfianam ...sarva −cittataittanam  atma ・samvedanam ...yogi ・

jfianarP

 c6ti ”

参照。

26

)  引用 箇所未 詳。

JGN

, 

Na

65

 a6 に は ‘’rafi

 rig kyah 

Sa

 sder  ma  

bSad

 cifi ま た

  自己認識は

Asaga

血 の 〈地 〉の に は説かれ て お らず )” とある。

27

) ノ’

GN

, 

Na

68

 a7

bt

28

Madhyamakah

.rdayav tti・

TarkaJ

’v々

iti

, 

P

, 

ed

.t 

No

5256

, 第

5

章, 第

1

偈, 

Dsa

 

219

 aZ. 29 山口益 『仏教に おける 無と有 との , pp .

71

164

で取 扱わ れる 「前 分 所 破     (

Piirvapak

$a)」 を指 す と思わ れ る。

30

) 以 下の正確

i

な 引用箇所に は 当っ て い な い。 山 口 益同 上 書 に よ れ ば, 「後分 能 破   (

Uttarapak6a

)」 中 「識が二 性 と して顕現 する義の論 破pp .

236

256

を指 すか と思   われ る。 一

252

一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(6)

6

) 唯識の 学系するチ ベ ッ ト撰述文献 谷 )

pabi

 rmam  

pa

, grtihakalcara)と, 対 象と して 顕 現す る (yul du snah  

hat

 viSaya ・pra ・

tibhasa)

客観

gzun  bahi mam  pa grahyakara ) と し変 化 しつ つ yohs su

gyur )顕 現す る。 外 的 対 象 (phyi rol 

gyi

 

don

, bahydrtha )は

存 在

しな い か ら, 心 の

み を観 念 対 象 とする こ と (

dmigs

 

pa

に 依っ て , 対

観 念対

象 とせ ずに生 じ る が, 客 観が存 在 しなけ れば 主

も ない か ら, 客 観を

観念対

象と しな い こ とに 依っ

て , 主 観で

る 六種 の 認 識を観 念 対

とせ

に 生 じる。 その か ぎ り, ア ー ラ ヤ

で ある心 の 本 質 sems  kyi chos  

fiid

は 表 象 (rnam  par rig pa vij五apti ) とい われ るもの に 住 す る こと な く」 とい っ て , ア

〔識 〕 両 者

定を説 明 し, その 同 じこ とを否

定す

所 に おい て , 「

象 と して 顕 現 する こ

とな くし て , どの よ う な 心 自身 が 顕 現 す る とい うの か 」 な ど とい うの は, 自己認 識を否

する論理 を

言 っ た もの で あ る。

 

ま た

Madhyamakdvatara

dBu

 ma  

la

 

hjug

 

pa

に お い て も, 「

伽師 は 師 の

教誠

に よ り」 とい う

〕よ り 「

〔内的〕知

もない と, こ の

意 味

るべ

で ある」

とい う

〕まで 31)に お い て, 〈

識 〉(rnam  pa rig pa tsam , vijfiaptimatra )を成 立 する規 定を

Mahdydnasampgraha

に 出て い る とお りに 否 定さ れ

うた が , そ の

後に , 「もし客 観が な く主観 す らも

れ て お り」32)な どと,

〈 依

他 起

(gshan

dbah

, paratantra)を 成立 させ る

己 認 識 を 否

定 す

る論 理が 仰 言 られ

後の

結合

関 係に つ い て

討 し て も,

Asahga

な どに追 従す る もの に は 自 己 認 識 とア ー ラ ヤ 〔識 〕 の 両 者を認め る, ある唯心 派 の もの もあっ た と 思 わ れ る。 し か しな が ら,

Madhyamafedvatdra

bJug

 

Pa

認識

否 定

す る そ れ らの お言 葉 に よ っ て, 論理追 従

心 派を も 否定で な い とは思わ ない min の であ る。                     

CON

  (

151aL152a1

 

33)一 , 実 在 (

dhos

 po, vastu )に つ い て 論 ず る宗 義を 主張 す る もの た ちの な

か に は ,

1

識 身

(rnaln §es tshogs, vijfiana ・

kaya

)を

一一 認め る もの ,

2

31

) 1レ

f

α助 α7呶 航ησ’廊 α

BB

 

IX

 pp .

163

6

J

69

71

箇 所

32

ibid

.,第

72

偈を指 す。 すなわ ちこ の 偈以下で論 じ ら れ る 自己 認識否定の 条に 言及 し   て い る。 こ の 条につ い て は , 山口益 前 掲 書, pp . 

283

295

参 照 。 なお, 本稿を準 備 す   る間に, 松 本 史 朗 氏の “

CandrakirtiPs

 

Criticism

 of the 

Svasa

vedana  

Theory

 

in

 the

  M

α

4

勿砌 2盈  磁 7の擁 §yα”な る発表 (

6

月19日 於 東 洋文 庫) を 聞 き , その 発 表プ   リン ト よ り多大 の益を 得た こ とを 記 して す。 氏は ま さに こ の 条を問 題 とし,

CGN

  の こ の所に も言及 された。

33

) 以下 「認 識主体で ある知覚の 定立」 中, 第二 「識の 数の 多 少の認め 方」に 関す る記   述の前 半 。

(7)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University

唯識の学系に 関するチ ベ ッ 撰述文献 袴谷)

7

と認め る もの ,

3

)六 と認め る もの ,

4

)七 と

め る もの ,

5

八 と

め るもの ,

6

) 九 と認め る もの との 六 種があ る と説か れ るの で あ る。

 

1

第一 に して , ア ー ラ ヤ識 (kun  gshi垣 rnam  

Ses

, alaya・vijfifina) だ けを認め

る もの と,

意 識

(yid kyi rnam  

Sles

, mano ・vijfiana )だ け を認め る もの との 二 種

が ある と説か れ るが, 根 本の 宗

(rtsa  

babi

 grub mthah ) 

Vik

, 「〔識 を 〕た だ

であ る と述べ

菩薩

」 34 っ て 認め られ る もの と

連づ け て説かれ るの で あ る。 そ れは ま た, 一 〈 識 〉 自身が , 依 り どころ (rten , aSraya )で あ

る そ れぞ れの

覚 器 官 dba血 p・ indriya に 依っ て , それ ぞれ の

象 (yul , vi§aya )

に 向 うこ と rgyu  

ba

に よ り, そ れ ぞ れ の

の 名

を得 るの であ っ て, た と

え ぽ, 多 くの 空 洞の ある家 (

kha

血 pa 

bug

 man  po yOd  pa )に お い て一一つ の 灯が

ち あ げ られ る ご と くで ある。 その

分 (cha  gcig ) が

don

, artha) と

して わ れ認 識 され るけれ ど も, 執

分別

す る こ とは な い の で

る。

 

の 他

が対 象 とし て 現わ れた もの を執

し分 別す るの で あ る か ら,

〈 識〉

に は ,

全 く分 別 が な くな て しま う とい う過 失は ない とい い

六識

(rnam  par 

ges

 

pa

drug

, Sad .vi伽 a)は

〈 意

(yid kyi skye  mched , _ ayatana )で ある とい う経 証

(lufi, agana )35)を

用する の で ある。

 

2

)二 と認め る の は,

染 汚

意〉

fion

 

yid

, 

kli

§

ta

・manas ) と

く 転識〉

hiug

 

Ses

pravrtti−vij砿 na ) との 二 つ を認め る と, 

Kha

 che  

Laksmi36

)が 説い た もの で ある。

 

4

)七 と認め る の は , 〈六 〔識 〕 身

(tshogs drug , Sad −vijfiana ・

kaya

)と

執 持 識

len

 

pabi

 rnam  

ges

 

tadana

・vijfiana ) とをの であ る と も明

かれて い

る もの で ある。

 

6

九 と認め る の は , 真 諦 (

Yah

 

dag

 

bden

 pa )37

論 師 の で

る。

六 〔識 〕 身

識 〉とア ー ラ ヤ 〔識 〕と

無 垢 識

((

hi

 ma  med  pabi

34

) Mahaydnas α

mpgraha

MS

), 

Lamotte

 ed., 

ll

, §

12

を指 す。 

MSBh

P

. 

ed

., 

No

5551

 

Li ,173 a6)に ‘‘byah chub  sems  

dpab

 kha cig  ni 

yid

 kyi rnam  par §es  pa gcig 

bu

 

fiid du 

hdod

 do

/”とあ

35

 

‘‘

yah skye  mched  

bcu

 gfiis 

bstan

 pa 

las

 rnam  per §es  pa 尊

i

 

tshogs

 

drug

 ni yid

 

kyi

 skye  mched  

do

§es 

ji

 skad  gsufis pa 

lta

 

buho

//1±(

MS

, 

ibid

).

36

fGA

Na

78

 bi “Kha  che

i

 mkhas  pa LakSmis  

Rim

 

lfia

 

hgrel

 

par

とある

 

セこよ り,

 P

・ed・・

No

・2905 ・

Rim

 

P

σ

lha

 

hgrel

 

P

α rim

 

pahi

 

don

 

gsal

 

bar

 

byed

 Pa

 

shes 

bya

 

ba

 

dPal

 

Lak

mi の こ と と推測 し うる。

37

Yah

 dag 

bden

 pa は , 恐 らく, 漢 訳 名 「真 諦」か らの 訳 出 と思われ る。 以下に 述べ   ら れる 内容か ら判 断 し て も真 諦三 蔵の 説 がわ っ て い た もの ら しい。

250

(8)

8

) 唯 識の系に 関するチ ベ ヅ ト撰述文献 (袴 谷

rnam  SeS, amala −Vij鉱 na ) とで九つ で ある。

 

3

〈六 〔識〕身 〉を認め るの は , 〔

Dharmakirti

の 〕 七 部に 追 従 する唯心

(sems  tsam pa ) あ り , そ して ,

 

5

八 と認 め るの は , 〔

Asahga

の 〕 〈 地 〉の 部 な ど に 出て い る よ うな聖 典 追

従 唯

で ある。

 

以 上の よ うで る と して , その

(gsuh  rgyas  pa ) チ ベ ッ ト に 翻訳 され ず有 名で もない grags chu  fi 

ba

)か らこ こ で は 論 じる必 要は な 38) 。

       

CGN

 

155aLb5

 

39)論 師

Bodhibhadra

rAsa

ga

形 象 虚 偽 論 rnam  rdsun  pa )

Dignaga

師 資

は形 象

真 実

論 (rnam  

bden

 paで ある」40)説 くけ れ ど も, し

な が ら, 〔

Dharmakirti

の 〕七

を経 (mdo )41)と と もに もつ もの の

図が形 象 真

論で

る とい うの は

確 定

した もの で は な い 。 なぜな ら,

Devendrabuddhi

(旧a

dbart

 

b

】o

SfikyabuCldhi

(§iikya 

blo

P7

α 溜 〃一痂 7 ”鋤σ rNam  

bgrel

意図 を 形象

真実

論 と解釈 (

bkral

) し, 

Prajfiakaragupta

Ses

 rab  

hbyuh

 gnas sbas

pa )は形 象 虚 偽 無 垢 論 (rnam  rdsun  

dri

 med

釈 し 論 師

Dharmottara

形 象 虚 偽 有 垢 論 (rnam  rdsun 面

bcas

) と

釈 す か らで あ る。 

Asafiga

師資の

図 も形

論 と確 定 し て い るわ けで は い 。 な ぜ な ら,

Tarka7

’ vala rTog  

ge

bbar

 

ba

に お い て , 彼 ら 〔

Asahga

師 資 〕が

承 認な さ る こ とを否 定 す る

所 (skabS は , 形 象 真

論 が 認め る こ とを説い て い るか らで あ る。 そ れ ゆえ, 「聖 典 ・ 論 理 追 従 派の そ れぞ れの 典

に お い て も , 形

真 実

偽 論二 つ づつ の 主 張があ り うるこ とを,

Tsoh

 

kha

 

pa

師 資で ある イ ソ ド ・チ ベ ッ ト の すべ て の 学 者が 認 め るの で あるか ら, こ の 二 つ の 各々 を周 延 させ等 し くな し て こ じつ け るよ うな こ とは 決 し て すべ で はい の で る 」42 rJe  

btsun

 

dam

 

pa

 

hJam

 

dbyafts

38

) 以 下 「論 じ る 必要は ない が, 〈六 〔識〕身〉と認め られる もの は ま た知られ やすい

  

か ら, こ こ で はく八識 身 〉 中の ア ーラ ヤ 〔識 〕と汚れ た 自我 意識の認め 方をい さ さか     述べ で ある。」 と続 くが, こ こ に は省 略 する。

39

こ の

CGN

  と以 下の

CGN

 

記述は , 「認識主体で ある知覚の定立」 中, 第三     形 象が真実か 虚 偽か とい う区 別 」 に つ い て 「根本 」(

dfios

)を述べ

40

) 引用箇所未詳。 師資 (yab sras )な どの 言葉か らみ て その ままの 引用では ないか も

  

ない 。 しか し, 直接の引用で あろ う が, あるい は , 前註 10 )の 言い 換 えで あ ろ う

  

が, い ず れに せ よ,

CGN

Bodhibhadra

が無形 象派= 形象虚偽論, 有形象派 = 形 象     真実 論 と考えて い た と み な し てい るこ とは 明白。

41

)  前註

22

) 参 照。

42

)  前 註

18

)で指 摘 し た箇所の 引用。

(9)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

         

唯識の学 系する チ ベ ッ 撰 述文 献 (袴谷 )

       

9

bshad

 

pabi

 rdo  rje が仰 言 っ た こ とは 非常に よい こ とで ある か ら 我々

, ま っ た くそ の とお り に 認め る の で ある。

       

CG1

 

157a5

bS

 

実 論 ・ 虚

区別

 

1

) 唯心 形象 真 実 論 老 (sems  t・an ・rn ・m  bd・n p・)は, 感 覚 器 膏 (

db

・h p・, 

i

d

iy

・)

の 直

mfion  sum , 

pratyak

§a)に お い て 主 ・客 (gzufi 

hdsin

, grahya ・grahaka ) が分

離 し て rgyafi  chad  du )顕 現 す る

〕 と,

(sh・, nila) な どの

的 対 象 (phyi

rol 

don

, 

bahyirtha

) とし て顕現 す る 〔場 合 〕 と

名称

mih 言語 tha sfiad

基体

gshi

)と して 個 別相 (rafi m 亡shan , svalakSarpa に よ っ て 顕

する場 合 (cha )に

は,

無 明

の 影響 (

bslad

 pa ) がある け れ ど も, 青な どの ご とき粗 大 な も の

(rags  pa, sthitla ) と して 顕

する

合に は

無 明〉 の 影 響は い さ さか もない と 認め る (

bdOd

43)

 

1

)形

虚偽論

者た ち (rnam  rdsun  

pa

 rnams

eaz

 ,

凡 夫

(s・ so skye  

bo

, prtha9 蜘 a)

相 続

rgyud , samtiina に お い て は,

己認 識 (rafi rig , svasarpvedana )で あ

る直

を除け ぽ,

〈 無

に よっ て

わ れ ない ( 

bslad

 pa )

直観 知

(mh ・n sum

gyi 

Ses

 pa pratyakSa ・

jfiana

な どの ごとき粗 大 な もの と して顕 現 す る場 合に も, 錯 乱  

khrul

 

ba

, 

bhranti

)の 影 響が ある と御 承 認な さる (

bshed

)44)

の で

る。

 

そ れゆ え, 形

象真実

論 者は, そ の ご と き (de lta bu )粗 大 な形 象 と して顕

る もの も, 知 (9es pa , 

jfiAna

) 自身の 実 質 (rdsas )で ある か ら

(ma  

bkhrul

ba )で ある と認め るが, 形 象 虚

論 者は, 粗 大な もの が 明

に 顕現 する もの は,

た とえ知の

であ っ て も, そ の ご とき粗 大 な もの と して 顕 現す る場 合 (cha )は , 無 明に よっ て 損われた

に よっ て顕 現

る錯 乱 し た もの (

llkhrul

 

ba

 

flbab

 shig )

と し て 認め るの で る。 そ れを

図 して ,

象 真 実 論 者に 対 して は 形 象 が 実 体

dhos

 

po

)で あ る と認め る もの , 形 象 虚 偽論 者に対 し て は 形 象が 無 実 体 (

dhos

 po

med  pa ) る と認め る もの い う定 義 (tha sfiad) が, イ γ ド

ベ ッ トの 学

た ちに よ っ て

かれ る の であ る。

43

) 文 頭の 「唯心形 象 真実論 者」を受ける動詞。 次 註の 箇所 と比較せ よ。 44 ) 文 頭の 「形 象論 者た ち」 を受 け 。 前 註の

hdOd

に対 し その 尊敬語で あ   る

bshed

が使 用さ されて い るこ に 注 意。 一 248 一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(10)

10

) 唯識の学系するチ ベ ヅ ト撰 述文献 (袴谷)

       

CG2

 

Ka

158b2

160a3

 

45)

識 学 派 内部 〕 区 分

 

1

実論

し て い え ぽ,

i

sgo  ha phyed  tsha1) と

ii

客同数

(gzufi 

bdsin

 grafis mfiam  pa ) と

ii

量) 多 様 sna tshogs ghis med  pa,

citradvaita ) とで 三 つ

, そ れ らの 規 定(tshuD は外 的 対 象 (phyi don , bahyartha ) を

い こ とを 別す れぽ, 経 量

の 箇 所 (skabs )

46)

 

皿) 形 象 虚

論 に 関 し て い え ぽ,

i

) 有 垢 論 (

dri

 

bcas

) と

ii

) 無

dri

 med )

との 二 つ で る。 こ の 両 者の 区 別に つ い て い えば,

1

〈 世俗

kun

・rdsob

, sarpv τti)の すべ ての 顕

(snah  

ba

, abhasa )は ,

無 明

(ma  rig , avidy の の

習〉

bag

 chags , vasana )の 力に よっ て 顕 現 した もの であ

る か ら, そ れ ( = 〈

)が転 換 し た な ら ぽ (

log

 na ) , 〔

世 俗 〉 の 顕 現 も〕 転 換 する (ldog 

pa

か ら, 仏に は虚 偽の 顕 現は ない と 認 め る の が無 垢 論で

り,

俗〉

の 顕

無 明

と結びつ い た もの

bbrel

 ba )は い ささ か もない が ゆ え に そ れ (=

無明〉 ) が 転 換 した と し て も , 〔〈 世 俗 〉の 顕 現が 〕 転 換す るこ とは な い か ら, 〈 仏 〉に も虚 偽の 顕現が ある と認め る の が有 垢 論で あ る 47) , とい う 〔以上 の よ うな〕 説 き方が一 つ

2

) また , 〔仏が〕 形 象 を 知 り給 うこ と (rnam  mkhyen , 

akalra

jfia

)に 関 し,

が 顕現 す る る か 顕 現 しない か に 区別はな い

khyad

 par med け れ ども, その 規 定

(tshul) を多 く採 用 す るか 用 しない か (

bsgrub

 mi  bsgrub )に よ っ て 有 垢 論か 無

垢 論か を 立て る, た と えぽ,

〈 声聞〉

独 覚

(fian rafi)は

〈 種姓 〉

が確 定せ

るこ と (rigs  hes ) 〈 法 無我 〉 chos  

kyi

 

bdag

 med , 

dharma

−nairatmya ) を悟

らぬ もの とい うこ とで 一 して い るけ れ ど も, そ の よ うに 説 くこ と が多い か 少な

い か mafi  mi  mah に よっ て, 〈 法 無 我 〉を悟 る こ と があるか ない か を認め る

立の 二 (rah  rgyud  

pa

 gfiis) とさ れ る もの の ご と くであ る 48), とい う 〔以 上

45

) 前 註

39

)と同主 題で , 先の 「根本」に対 し て特にその 内 部の 「区分 」に 言 及する箇

  所。

46

CGfV

, Ka ,87 a3−5 に 「知 (Ses pa 

jfiana

) が形 象を 有 する と認め る仕 方 に三 つ あ

 

る。

に多 くの形 象が現わ れ る   char  

ba

と 主 張 す る (khas len pa ) 多様不

 

と, 一 に形 象 も一つ の み現わ れる と主 張する一卵半魂 論 と, 多 くの形 象が   現わ れ る な ら ば 知 もま た多 くあ る と主張する 主 客 同 数 論 との三 つ で あ る。」 と あ る。

47

)  「転 換」 とい う質的 変 化を境に して 虚 偽の 顕 現の有 無を 論ずる。

48

) か よ うな 自立の 二派に関 し て筆 者 未 詳。

JGN

, 

Na

74a5

−6 に も全 くの 同文で 言及が

 

ある。 い ずれにせ よ, 上註の 箇所に 比 して 量的程度の差が判 断の基 準に なる もの と 思   わ れる。

(11)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

唯識の に 関するチベ ッ ト撰述文献 (袴谷) (

11

の よ うな〕 説 き方が一つ と,

3

また , 心 の

自性

(ho 

bO

, svabhava )に 〔主 ・客の 〕 二 は顕 現

るが ,

れ は〕

(dri ma  mala よ っ て

われた もの で ある (bslad pa)と認め るの

有 垢

論で あ り,

垢〉

は 偶然 的な もの (

blo

 

bur

 

ba

, aga皿

t

ka

)であ るか ら, 心の

自性

に は い さ さか も損わ れた もの は ない と認め るの が

論で ある 49), とい う 〔以上 の よ うな〕 説 き方 〔計 〕 三 つ が て い るが, 前の 二 つ が 非 常 に

(grags che で あ り, 三つ の 規 定 とも (lugs gsum  

ka

Asahga

の 〕

の 部や 〔

Dharmakirti

識根

る 七部や

Jitari

Dse

 ta ri) な ど権 威 あ

典 籍 (lu血) をく引用 す るの で ある。 mKhas  

grub

 thams  cad  mkhyen  

pa50

sDe  

bdun

 

Yid

 

kyi

 mun  selsiに お

, 前の 規 定の

の み を説 くの で

る。 こ れ ら形

= 有

論 ・ 無 垢 論 ) 区 別を

Tsoh

 

kha

 

pa

(rJe yab

sras ) が 詳 細に 確 認された もの は み られ ず, 特に , 「心 の

自性

主 ・客の 〕

二 は 顕 現す る が, 〔そ れは 〕

に よっ て 損 われ た もの で ある」 と認め る こ と も,

象 虚

偽 有

垢 論 の 規

と して 成立 しがた い もの で あ る。 仏に おい て 〔主 ・客

二 の 顕 現が ある とい う意 味を ,

Sa71zt

δndntarasiddhit . 

ik

δ(rGPtnd  gshan  

bsgrub

加 ゐ晒望 81 加 )52)に お い て

Vinitadeva

Dul

ba

lha

)カ: 「〔仏 〕そ の

(ye 

9es

jfiana

)は, 主 ・客 (gzuh  

hdsin

, graliya−gr2haka )〔の 二 〕 を

っ て い て も,

転 換

た もの log pa fiid) と 御 覧 に な る (gzigs pa ) る 」 とい うよ うな意 味に

えて, 主

の 二 顕 現

もな す

地 〉 (safis rgyas  

kyi

 sa 

buddha

bhitmi

に お い て そ れぞれ の 対 象 (yul , viSaya ) を もつ 顕 現が絶 対に

る (

gtan

 med  pa ) と言 う な ら ば 〔その 立 (mi

bthad

 pa )は 理

しや すい し, 主 ・

が分

して (rgyah  chad  

du

)顕

する こ とが 〈 仏地

もあ る と言 うな らぽ, こ の 規 定に は 大

な 矛 盾 (sin tu 

bgal

) が あ る

の で

る。 そ れ ゆ え, 規 定の 形 態 (par ba )に つ い て い さ さか 説 くこ と が あ ろ う

とも, ある決 定 的 判 断 (mthab  chod  pa shig )は困 難に 思わ れ る。 これ らを始め と

して,

べ るべ きこ とは

常に

い が, しばら くは

く。

49

) 〈 如 来蔵 〉 的な考え が判 断基 準に なっ て い る と思われる。 し か し, 後の 記述で前二   者に し て あま り有名で ない よ うに取 扱われ るの は ど うし た わ けか 。 あ るい は, < 如   来蔵〉的 な

Jo

 nam  pa の教 義がチ ベ ッ ト仏 教の正統説か ら排 斥された こ と と関 係が   あ るの か 。

50

)  前 註

17

) と同一人 物。 51) こ の 書は

Stcherbatsky

, op . cit., 

ll

, p .

325

, n.

1

で言及 さ れて い る。

52

P

。ed ., 

No

. 

5724

.以 下の 引用 箇 所は確認 し て い ない 。 一一 246 一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(12)

12

      

唯 識の系に関 する チベ ッ ト撰述文献 (袴谷)

形象 真 実 ・虚偽 論二 つ の う ち, 形象 虚 偽 論 (rnam  rdsun ) の

定 義

が 深

で あ る

(brifi ba) rGyal  tshab  thams  cad  mkhyen  

pa53

承 認 され (

bshed

),

mKhas  

grub

  thams  cad  mkhyen  

pa

形象 真 実 多

不二.論 (rnam  bden sna

tsh。gs gfiis med )の

宗義

が深

で ある と説 く (

bSad

)の で あ る そ の 両者 とも各

の その 説 き方は

Tsoh

 

kha

 

pa

rJe 

bdag

 fiid chen  po )意 図

る とお っ しゃ っ

てい る の で るか ら,

一一

般 に そ れ ら

有 な 大 菩 薩た ちの

図 が どの よ うな もの で

あるか を私 ごと きもの が ど う して 知る こ とがで きよ う。 し か し な が ら, 〔

Dharm

akirti の 七 部の skor に関 して ,  rGyal  

tshab

 

thams

 cad  mkhyen  

pa

は大 学 者 (

parP

 chen

Dharmottara

註 釈を 主 と し て お

りに な り,  mKhas  

grub

smra  

babi

 

fii

 ma54 )

Devendrabuddhi

IHa 

dbah

 

blo

の 註 釈 を 主 と して お 作

りに な っ た の で あ る か ら,

Tsoh

 

kha

 

pa

が 〔

Prama4a

varttika rNam  

bgrel

を与え給 うた gnafi 

ha

そ れ ぞれ の 註 釈 の 規 定に依 っ て説 明 し た 仕 方 に 区 別 (khyad  

par

が 生 じた の で は ない か と思 うの で

る。 皿

 

問 題 提

 

以上 , ノ

GN

お よ び

CGN

よ り, 唯 識の 学 系に言及 する

関連 箇

所を抽 出 し, 和 訳に よっ て こ れを提 示 した。

に は, 具 体 的 内 容に関 して不 明の まま

され た

所 も

か っ た し ま た こ の 種の 無知の た め に 思わ ぬ誤 訳が潜ん で い る か もし れぬ が, 大 略の 記

述 内

容は 伝い えた と思 う。 こ こ で は , こ の 記 述を整理 し, 更に これ が我々 に 提 起 す る問 題 点を指

す る こ とに し た い 。

 

さて , 以上 に 示 し た

GIV

, 

CGIV

の 記

は , 

E

. 

Obermiller

の 紹 介する学 系

と基 本

に は一 致 す る。 従 っ て

は なん らか の 形 に お い て こ の 種の チ ベ ッ ト文 献 を 典 拠 と し た と思わ れ る。

, 比 較を容 易に す るた め , 彼の 紹 介 した学 系 を 図示

る こ とに し よう55) 。      

1

Asahga

, 

Vasubandhu

の 学 系         聖 典追従派 一 盃1aya−vij茄 na のを主張      皿)Dignaga の学 系         論理 追従派 一 alaya −vijfiana の存 在を認めない              (その 機能を〈六識身〉中に 配 分 )

 53

) 前 註

15

) と同一人物。 彼に 対 し て は bshed と尊敬語を使用。 次の mKhas  grub  i 

iC

    に対 し て は

bgad

とする。 対 応 する動詞 で は ないが前 註

43

),

44

)で指 摘 したの と同

    様の こ と がい る。

 

54

) 前註

17

) と 同一人物。

(13)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

         

唯識のに関す るチ ベ ヅ ト撰 述 文 献 (袴谷)

       

(13 )

IGI

>, 

CGN

に 比 べ て 極め て

単な 記述で あ る か ら, 殊 さ ら問 題 とすべ き

もな

と思 わ れ るが, 呼称に関 し て は注 意を むける必要があろ う。 こ こ で

りに 聖 典

追 従

派 ・論理追 従派 と し て示 した 呼称 に つ い て ,

Obermiller

luh

 

gi

 rjes

bbrahs

, rigs  

pabi

 rjes 

hbrafis

とい う

1GN

, 

CG2V

と同じチ ベ ッ ト語を挙げ なが

ら, 実 際に は そ れ ぞ れ を

agama

・amusarin  nyaya ・anus 亘rin と

元して い るか ら

元 来イ ソ ドに あっ た 呼 称 と み な し た の で あ ろ う そ れ ゆ え

, 彼 以降 の 学 者 もむ し

ろサ ソ ス ク リ ト の 呼 称を 用 い る よ うで ある 56)

。 し か し,

者 と し て は そ の 裏 付

け と なる よ うな

所が サ ソ ス ク リッ トもし くはその

訳 文

献 中

に指

された例を

聞か な い 。 もっ とも山

rl

益 博士 は , 

figarna

−anusarin に つ い て は, 

Sthiramati

Madhy

δntavibhdgagik あ の

以 下各 章 の りで こ の 呼 称が 形容 詞 と し て用

い られる例 を指

されて い る 57)。 こ 才しは非

に 示唆に 富む 指

で ある こ とに 間 違

い は ない が , これ を直ち に nyaya −anusarin と

に な る学 系

呼称

の 典

とは み な

せ ない で あろ う。 筆 者 と し て は , 今 後文 献 的 裏 付け が進む こ と を期

しな が ら も,

段 階で は ,

lu

gi

 rjes 

bbrafis

, rigs  

pabi

 rjes  

bbrahs

をチ ベ ッ ト仏 教の 伝 統

に お ける学 系

とみ な し, その 伝 統に 添 っ て 呼 称の

意 味

を考え るの が

も順

当で あ ろ う と

え る。

 

GN

, 

CGI

> の 文 脈に お け る両 呼 称 の 意 味は , 既に 和訳 中で 明らか であろ う。

そ れ に よれ ば,

luh

 

gi

 rjes 

hbrafi

(s)は 「〔

Asahga

の 〕

の 部 な ど を主 と

して る も

Sa

 sde  s。gs gtso 

bor

 smra  ba)」

7GN

い は 「

Asahga

な どに 追 従 し聖典を 主 と して

Sa

 sde  sogs  kyi ries 

ljbrahs

 

lufi

gtso 

bor

 slnra  

ba

)」 (

CGI

  ) と内 容が 限 定 さ れ,  rigs  

Pabi

 rjes  

bbrah

(s)

bX

「〔

Dignaga

Prama4a

samuccaya

Dharmakirti

〕 知

識根拠

に 関 する

七 部を 主 と して 把

す る もの

Kun

 

btus

 

dart

 

Tshad

 ma  sde  

bdun

 gtso 

bor

 

hdsin

 pa )」

IGN

) あるい は 「

Dharmakirti

の 〕 知 識 根 拠に 関す る七 部の 論 書を経 と と も

に説 明す るご とき もの

Tshad

 mabi  

bstan

 

bcos

 sde  

bOun

 mdo  

dah

 

bcas

 Pa nas  

bSad

pa 

ltar

)」(

CG2

>  ) と内容が 限定さ れ て い る。 こ の こ とか ら分 る よ うに , 

lu

gi

rjes  

hbrafi

s

luh

(聖

) とは, 主 と し て

Asahga

な わ ち

Yogac

δrabh  

tZmi

を 指 す の で あ る58)

。 「〔

Asa

ga

の 〕

の部 に 追 従 す る 唯心

56

 

前註 2 )で げた論 文に おい て は, すべ て サ ソ ス ク リッ ト名の み が採用 さる。

57

) 山 口益 『中 観仏教 論 攷』, p .

314

,n.

8

58

) 詳 し くは前 註

8

) を見 よ。 一

244

一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

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