る。 ﹃ 末 燈 鈔 ﹄ や﹃ 親 鸞 聖 人 御 消 息 集 ﹄ の い く つ か ば 、親鸞の弟子たちの中に、思うままに悪 ば ﹃末燈鈔﹄には、 ﹁煩惱具足の身なれ ば とて、こゝろにまかせて、身 にもすまじきことをもゆるし、くちにもいふまじき ことをもゆるし、こゝろにもおもふまじきことをも ゆるして、いかにもこゝろのまゝにてあるべしとま ふしあふてさふらふ﹂ ︵﹃末燈鈔﹄ ﹃親鸞聖人全集三 1 ﹄ 書簡篇 一一六ページ︶ とある。このような、するべきでないことをも心のま まにおこなってよいという考え方は、一般に造悪無碍と 呼 ば れている 2 。もっとも、親鸞自身が造悪無碍という用 語を使った例は、親鸞の著作中には見受けられない。し かしこれまでに多くの研究者が、親鸞門下で生じた上記 のような説を造悪無碍と呼称してきた歴史がある 3 。それ ゆ え に、 こ の 論 文 で も 先 例 に な ら っ て、 ﹁ 心 の ま ま に 悪 をおこなってよい﹂とする考え方を、造悪無碍と呼ぶこ とにする。 造悪無碍に関する研究は、これまでに数多く行われて
親鸞における造悪無碍について
斎
藤
真
希
いる。それらの研究が造悪無碍を考察する視座は、決し て一様のものではない。例え ば 、造悪無碍を善鸞事件と の関連で考察するもの 4 、造悪無碍をある種の反体制運動 とみなすもの 5 、造悪無碍と親鸞思想とが矛盾するか否か を論ずるもの 6 など、研究の視点は様々である。そもそも 造悪無碍というテーマは、そのうちに多様な問題を内包 しているため、多様な論じ方が可能なものであると言え るだろう。 それでは本論文は、どのような観点から造悪無碍を考 察するものであるのか。本論文が造悪無碍を考察するに あたっては、親鸞にとって造悪無碍はどのような意味を 持っていたのかという問題にその焦点を絞りたい。この 問 題 に 関 し て、 定 説 と 言 い 得 る 見 解 が あ る と は 言 い 難 い。しかし、親鸞にとっての造悪無碍の意味を、造悪無 碍の持つ秩序や体制を揺るがす性質と関連づけて理解す る と い う 見 解 は 広 く 行 わ れ て い る。 そ こ で 本 論 文 で は、 このような理解の仕方を踏まえた上で、親鸞にとって造 悪無碍とは何であったかということを考察してみたい。 一章 親鸞思想について 心のままに悪をおこなってよいという説の発生は、親 鸞思想の特性と大きく関わっていたと考えることができ る 7 。親鸞の大きな特徴の一つは、人間の本性を煩悩悪業 に満ちたものと規定し、真実清浄の他力と対比させたこ とであった。 まず親鸞における他力とは法身と密接に関係する概念 で あ る。 ﹃ 唯 信 抄 文 意 ﹄ に は、 法 身 に つ い て 次 の よ う に 述べられている。 ﹁法身はいろもなし、かたちもましまさず、しかれ ば こゝろもおよ ば れずこと ば もたへたり﹂ ︵﹃唯信抄 文意﹄ ﹃親鸞聖人全集三﹄和文篇 二〇二ページ︶ 法身とは自他の対立といった、相対的なあり方を超え たものである。それゆえに、法身には色も形もないと述 べられている。というのも色や形とは、区別によって成 立する相対的な事物であるからだ。このような法身は仏 の本体であり、衆生が往生を目指す目的は、ひとえに法 身の悟りを得て成仏することにある 8 。 法身は世界の真相である。そのため、輪廻の境遇にあ る衆生であれ、本質的には法身と別のものではない。し
かし輪廻の境遇にある衆生は通常、自他が対立し、色や 形を持つ相対的なあり方に囚われている。そして自他や 色形といった、相対的な事物に執着し、様々に行為する ことによって、輪廻転生を繰り返していく。ゆえに衆生 は、このような輪廻のあり方から離れ、法身の悟りを得 る必要がある。 しかし法身に至ることは、親鸞によれ ば 衆生の自力に よっては不可能である。なぜなら ば 、衆生のあらゆる行 為や心は、常に衆生の相対的なあり方に基づいて生じて いる。つまり、衆生の自力の根底には、常に自己や他者 といった相対的な意識の枠組みが存在している。このよ うな自力をいくら積み重ねても、自他の対立を超えた法 身に触れるどころか、かえって輪廻の境涯に結びつけら れることになってしまう。衆生の相対的なありようから 生じる行為や心は、法身に背離するしかないもので、親 鸞はこれを煩悩悪業と規定するのである 9 。 こうした衆生を成仏させるものとして、親鸞は他力を 説 い て い る。 親 鸞 に お け る 他 力 の 性 質 に つ い て は、 ﹃ 唯 信抄文意﹄の次のような文章からよく読み取ることがで きる。 ﹁この一如よりかたちをあらはして、方便法身とま うす御すがたをしめして、法藏比丘となのりたまひ て、不可思議の大誓願をおこしてあらわしたまふ御 かたちお ば 、天親菩薩は盡十方无光如來となづけ たてまつりたまへり。この如來を報身とまうす、誓 願の業因にむくひたまへるゆへに報身如來とまうす なり。報とまうすはたねにむくひたるなり、この報 身より應・化等の无量无數の身をあらはして、微塵 世界に无の智慧光をはなたしめたまふゆへに盡十 方无光佛とまうすひかりにて、かたちもましまさ ず、いろもましまさず、无明のやみをはらひ惡業に さえられず、このゆへに无光とまうすなり﹂ ︵﹃唯 信 抄 文 意 ﹄﹃ 親 鸞 聖 人 全 集 三 ﹄ 和 文 篇 二 〇 二 ― 二〇三ページ︶ ﹃唯信抄文意﹄によれ ば 、﹁一如﹂ 、すなわち衆生の究 極的な目標である法身そのものから、衆生に法身の悟り を 得 さ せ る 存 在 が 生 じ て い る。 す な わ ち﹃ 唯 信 抄 文 意 ﹄ には、法身それ自体から法蔵という存在が出現し、本願 を 起 こ し 成 就 す る こ と に よ っ て、 阿 弥 陀 仏 と い う 仏 に なった、ということが書かれている。
この阿弥陀仏は親鸞において、肉体を具えた実体的な 存在ではない。阿弥陀仏は世界中に行き渡り、どのよう な悪業にも妨げられず、衆生の無明の闇を払う智慧の光 である。このように、光明そのもの、救いの働きそのも のとされる阿弥陀仏は、親鸞においては他力と同義の存 在であり、法身の活動の象徴的な表現である。つまり親 鸞 に よ れ ば 、 仏 の 本 体 た る 法 身 か ら 他 力 と い う 力 が 生 じ、一切の衆生を法身の悟りへと導いているのである。 それでは、他力は衆生をどのように成仏させているの だろうか。他力が衆生を救う具体的な様相において、重 要であるのは阿弥陀仏の名号である。 ﹁聞名念我といふは、聞はきくといふ、信心をあら わす御のりなり。名は御なとなり、如来のちかひの 名 号 な り ﹂︵ ﹃ 唯 信 抄 文 意 ﹄﹃ 親 鸞 聖 人 全 集 三 ﹄ 和 文 篇 一九五ページ︶ 名号とは他力の最も具体的な現れである。他力には色 も形もないが、名号なら ば 衆生が耳で聞き、口で称える ことができる。名号を通じて、他力は衆生と関わり合っ て い る。 そ れ ゆ え に 、 衆 生 が 名 号 を 聞 い て 念 仏 を 称 え、 信 心 を 起 こ す と い う こ と は、 他 力 が 衆 生 に 働 き か け て、 衆生を摂取する事態であると言うことができる。 ﹁この信心のひとを眞の佛弟子といへり。このひと を正念に住するひとゝす。このひとは攝取してすて た ま は ざ れ ば 、 金 剛 心 を え た る ひ と ゝ ま ふ す な り。 このひとを上上人とも、好人とも、妙好人とも、最 勝人とも、希有人ともまふすなり。このひとは正定 聚のくらゐにさだまれるなりとしるべし。しかれ ば 彌勒佛とひとしきひとゝのたまへり。これは眞實信 心をえたるゆへにかならず眞實の報土に往生するな り と し る べ し ﹂︵ ﹃ 末 燈 鈔 ﹄﹃ 親 鸞 聖 人 全 集 三 ﹄ 書 簡 篇 六六 ― 六七ページ︶ とあるように、ひとたび他力に摂取され、信心を起こし た衆生は、それ以降決して他力から捨てられることがな い。生きている間は常に他力に守られ、死後には真実の 浄土に往生を遂げて成仏する。このような衆生を、親鸞 は正定聚と呼んでいる。 以上のように親鸞思想においては、相対的なあり方か ら生じ、煩悩悪業でしかない衆生の自力と、法身から生 じた他力とは相互に全く異質なものとされている。親鸞 の著書にはし ば し ば 、虚偽であり雑毒である衆生の自力
に対して、真実であり清浄である阿弥陀仏の他力という 対比を見ることができる 10 。 本性として煩悩悪業に満ち、自力では決して成仏でき ない衆生は、仏の本体たる法身そのものから生じた他力 によって摂取され、成仏を遂げさせられる。衆生が往生 を遂げるのは、虚偽であり雑毒である自力ではなく、真 実であり清浄である他力によってのみ可能である。この よ う に 、 他 力 と は 煩 悩 や 罪 悪 か ら 逃 れ ら れ な い 衆 生 を、 そのようなあり方のままで摂取し、成仏を遂げさせる広 大 な 仏 の 力 で あ る。 そ れ ゆ え、 他 力 に よ る 往 生 こ そ が、 衆生に唯一可能な成仏の方法であると親鸞は主張するの である。 ところで、このような親鸞思想の特徴こそが、その門 下に造悪無碍の考え方を生み出した大きな要因であると 考えることができる。親鸞の教えによるなら ば 、往生の ために必要であるのは、他力に摂取されることのみであ る。どれほど悪業を作ったとしても、往生を遂げる妨げ にはならない。また往生を遂げるために、煩悩や悪業を 抑制し、善行をおこなう必要はない。 そもそも、衆生からは煩悩や罪悪しか生じることがな いのだから、煩悩や罪悪を抑制したり、善行を真実の意 味でおこなったりすることは、不可能なことである。ま た、 罪 悪 を 抑 制 し 善 行 を お こ な う こ と に 拘 泥 す る 態 度 は、他力ではなく自力に依ることであるから、往生のた めに望ましくない。 そうであるなら ば むしろ、自分の望むままに、悪を積 極的に行ってよいのではないか。そのようにしたところ で、往生を遂げることは問題なく可能ではないか。この ように、親鸞の考え方を推し進めた挙げ句、造悪無碍の 主張をする者が現れるに至るのは、決して不自然な成り 行きではないだろう。 二章 先行諸説について それでは、親鸞自身は造悪無碍に対して、どのような 態 度 を 取 っ て い る の だ ろ う か。 ﹃ 末 燈 鈔 ﹄ や﹃ 親 鸞 聖 人 御消息集﹄による限り、親鸞は造悪無碍を一貫して否定 し 続 け て い る。 例 え ば 、﹃ 末 燈 鈔 ﹄ に は 次 の よ う な 文 章 がある。 ﹁なによりも聖教のをしへをもしらず、また淨土宗 のまことのそこをもしらずして、不可思議の放无
慚のものどものなかに、惡はおもふさまにふるまふ べしとおほせられさふらふなるこそ、かへす〴〵あ るべくもさふらはず﹂ ︵﹃末燈鈔﹄ ﹃親鸞聖人全集三﹄ 書簡篇 一〇〇ページ︶ 悪 を 思 う ま ま に 行 っ て よ い と い う 考 え 方 を、 親 鸞 は あってはならないこととして否定する。悪を思うままに 行ってよいなどと主張する者は、親鸞によれ ば ﹁聖教の を し へ も し ら ず ﹂、 ﹁ 淨 土 宗 の ま こ と の そ こ を も し ら ず ﹂ というような﹁不可思議の放无慚のもの﹂である。 このように、親鸞は造悪無碍を明確に否定し、そうし た 主 張 を な す 者 を 真 の 教 え を 知 ら な い 者 と し て 批 判 す る。ところで、このような造悪無碍に対する親鸞の態度 は、し ば し ば 議論の的になってきたものである。そうし た議論で問題になっているのは、造悪無碍を否定すべき 理由が、親鸞本来の思想的立場からは生じてこないので はないかということである。 このことについて、末木文美士は次のように述べてい る。 ﹁もっとも、門下にこうした言動が出ることは、必 ず し も 法 然 や 親 鸞 の 思 想 自 体 と 無 縁 と は 言 え な い。 浄土教における悪についての教説は、もともと﹃無 量 寿 経 ﹄ に 説 く 阿 弥 陀 仏 の 第 十 八 願 に、 ﹁ 唯 だ 五 逆 と 正 法 を 誹 謗 す る と を︵ 救 済 か ら ︶ 除 く ﹂ と あ り、 他方で﹃観無量寿経﹄では悪人の往生を説くところ から問題にされ、唐の善導は第十八願の除外規定は ﹁ 抑 止 ﹂ の た め で あ る と 説 い た。 即 ち、 悪 を 犯 し て も阿弥陀仏は救ってくれるのだが、悪を犯さないよ うにとの配慮からのものであり、もし犯してしまっ ても阿弥陀仏は救ってくれる、というのである。法 然 は こ の 善 導 説 を 採 用 し、 第 十 八 願 を 引 用 す る 際 に、除外規定を省いている。それ故、法然の浄土教 の 思 想 体 系 か ら は、 悪 を 禁 止 す る 原 理 が 出 て こ な い。それはあくまで世俗との妥協に過ぎない。した がって、造悪無碍を完全に否定し去る根拠が欠けて いる。 親鸞においては、そもそも親鸞本人が結婚し、子供 を儲けているのであるから、すでに破戒を犯してい る。 ﹁ 煩 悩 に く る は さ れ て、 お も は ざ る ほ か に す ま じ き こ と を も ふ る ま ひ、 い ふ ま じ き こ と を も い ひ、 お も ふ ま じ き こ と を も お も ふ ﹂︵ ﹃ 末 燈 鈔 ﹄︶ の は、
どうしようもないことで、そのような凡夫のために 弥陀の救いがあるのである。そのような煩悩のため に ど う し よ う も な く 悪 を 犯 す 凡 夫 と、 ﹁ わ ざ と す ま じきことをも﹂ する人とを、親鸞ははっきり分けて、 後者を批判しようとするが、それほどうまくいくと は 思 わ れ な い ﹂︵ ﹁ 鎌 倉 仏 教 の 形 成 と 展 開 ﹂﹃ 鎌 倉 仏 教展開論 11 ﹄四七ページ︶ 末木文美士によれ ば 、造悪無碍の発生は、法然や親鸞 の思想の性質と決して無縁のものではない。まず、造悪 無碍を否定すべき積極的な理由は、法然の思想体系のう ちには存在しない。それであるのに法然があえて造悪無 碍 を 否 定 し た の は、 世 俗 と の 妥 協 の た め で あ っ た と い う。親鸞についても同じように、彼が上手く造悪無碍を 批判する論理を導き出せていないことを指摘している。 また、平雅行は次のように述べている。 ﹁服部・川崎両氏は、当時の農民が﹁自力のはから ひ﹂を閉ざされていたと述べているが、彼らをそれ 程までに打ちひしがれた存在と見なすのは、恐らく 歴 史 的 事 実 に 反 す る だ ろ う。 そ う で は な く、 ﹁ 自 力 のはからひ﹂に励め ば 励むほど、宗教領主による分 裂 支 配 と イ デ オ ロ ギ ー 的 呪 縛 の 中 に 埋 没 せ ざ る を 得 な い 世 界 に 、 彼 ら は 生 き て い た の で あ る。 そ れ 故、異端的思想家たちが聖道門否定・諸行往生否定 によって階層的宗教秩序を否定した時、それは分裂 支 配 と イ デ オ ロ ギ ー 的 呪 縛 か ら の 解 放 を 意 味 し た。 専修念仏の行く所、各所で本願ぼこり・造悪無碍が 生起しなけれ ば ならなかった歴史的根拠はここにあ る。領主の支配が神仏の支配に粉飾されている中に あっては、領主への反逆は必然的に神仏への反逆と し て 現 れ ざ る を 得 な い ﹂︵ ﹁ 専 修 念 仏 の 歴 史 的 意 義 ﹂ ﹃日本中世の社会と仏教 12 ﹄二五三ページ︶ 平雅行は鎌倉時代の差別的な宗教秩序を批判し、そこ からの解放を意図するものとして、親鸞思想の本質的意 義を把握している。造悪無碍についても体制の秩序や権 威を揺るがす行為として捉え、親鸞の思想が現実的に展 開したものであると論じている。このような考え方に従 うなら ば 、造悪無碍とは親鸞思想と本質的で密接な関係 を持つ現象だったと言えるだろう 13 。 末木文美士や平雅行らの説によれ ば 、親鸞が造悪無碍 を否定すべき理由は、親鸞思想のうちには存在していな
いと言える 14 。だがそれにも関わらず、親鸞は造悪無碍を 否定しているという事実が存在している。このことはこ れらの説において、どのように理解されているのだろう か。末木文美士は文中では明確に述べてはいないが、親 鸞が造悪無碍を否定することについても法然同様、世俗 との妥協のためになされた行為であると考えているよう である。 これに対して平雅行は、親鸞が造悪無碍を否定したこ とを、親鸞の過ちであると論じている。 ﹁ と こ ろ で 本 稿 は あ く ま で、 数 多 く の 無 名 の 念 仏 者 た ち に よ っ て 担 わ れ た 専 修 念 仏 運 動 の 歴 史 的 意 義 を、 親 鸞 を 中 心 的 素 材 に し な が ら 考 察 し た も の であって、親鸞論ではない。この運動もやがて弾圧 と社会の相対的安定化の中で、孤立と退廃の時期を 迎えるにいたる。しかし敗北とは決して、個々人に 同じ相貌で訪れることはない。勝利とは異なり、敗 北は孤立の中でたった一人耐えぬかなけれ ば ならな い。 そ れ が 敗 北 の 敗 北 た る 所 以 だ。 そ の た め 敗 北 は、常にそれぞれの個性と資質とを刻印した、固有 の蹉跌として表われることだろう。それ故、親鸞論 はいつか、造悪無碍批判に始まる彼の躓きから語り 始 め な け れ ば な ら な い ﹂︵ ﹁ 専 修 念 仏 の 歴 史 的 意 義 ﹂ ﹃日本中世の社会と仏教﹄二五五ページ︶ 平雅行の見解によれ ば 、東国で行われていた造悪無碍 と呼 ば れる行為は本来、親鸞思想と何ら矛盾のないもの であった。しかし、社会的な状況の変化や親鸞の事実の 誤認によって、親鸞は東国の弟子たちの造悪無碍を戒め る必要があると考えるようになった。そのために親鸞は 善鸞を派遣したが、善鸞はかえって弟子たちの間に大き な混乱を引き起こしてしまったという 15 。 親鸞にとって造悪無碍とは、末木文美士によれ ば 、世 俗との妥協のために戒めね ば ならない門下の活動であっ た。また平雅行によれ ば 、造悪無碍は差別的宗教秩序の 批 判 を 本 質 と す る 親 鸞 思 想 に 必 然 的 に 伴 う 現 象 で あ っ た。 彼らの立脚する立場や造悪無碍に対する評価は、それ ぞ れ 大 き く 異 な っ て い る。 し か し こ こ で 気 が つ く の は、 彼 ら が い ず れ も 親 鸞 に と っ て の 造 悪 無 碍 の 意 義 と し て、 その秩序や体制を揺るがす性質を挙げているということ である。
そもそも造悪無碍とは、望むままに悪を行っても構わ ないという、倫理の破壊とも言える内容を持った主張で ある。それが人々の間に通用している様々な規則を失わ せ、共同体を混乱に陥れる可能性を多分に有しているこ とは、誰の目にも明らかであるだろう。 末木文美士の説に従うなら ば 、親鸞にとって造悪無碍 と は、 社 会 に 対 す る そ の よ う な 影 響 力 を 有 す る が ゆ え に、憂慮し戒めね ば ならない活動であった。また平雅行 の説によるなら ば 、造悪無碍とは差別的な秩序を批判し 新たな宗教的秩序を提示するという、親鸞思想に密接に 関わる現象であり、それを否定することは親鸞の過ちを 意味していた。つまり彼らの見解に従え ば 、親鸞にまつ わる造悪無碍とは、社会の体制や秩序を揺るがすという 点で重大な意味を持つものであった。 三章 念仏者と造悪無碍 親鸞にとって造悪無碍とは、秩序や体制を動揺させる 活動であったという、上記のような指摘は妥当なもので あり、親鸞における造悪無碍を考える上で考慮しなけれ ば な ら な い も の だ ろ う。 し か し 親 鸞 の 言 葉 を 検 討 す る に、親鸞にとって造悪無碍は、秩序や体制を揺るがす活 動 と い う の と は、 ま た 別 の 意 味 も 持 っ て い た よ う で あ る。 すなわち親鸞にとって造悪無碍とは、念仏者のあり方 に対立するものとして、問題視されるものであった。親 鸞が造悪無碍を戒める際、繰り返し述べているのは、造 悪無碍の考え方が信心を得た念仏者のあり方とは、根本 的に相容れないということである。例え ば ﹃末燈鈔﹄に は、次のような文章がある。 ﹁まづをの〳〵の、むかしは彌陀のちかひをもしら ず、阿彌陀佛をもまふさずおはしましさふらひしが、 釋迦・彌陀の御方便にもよほされて、いま彌陀のち かひをもききはじめておはします身にてさふらふな り。もとは无明のさけにゑひふして、貪欲・瞋恚・ 愚癡の三毒をのみこのみめしあふてさふらふつるに、 佛のちかひをききはじめしより、无明のゑひもやう 〳〵すこしづゝさめ、三毒をもすこしづゝこのまず して、阿彌陀佛のくすりをつねにこのみめす身とな り て お は し ま し あ ふ て さ ふ ら ふ ぞ か し ﹂︵ ﹃ 末 燈 鈔 ﹄ ﹃親鸞聖人全集三﹄書簡篇 一一五 ― 一一七ページ︶
この文によるなら ば 、基本的に、衆生は煩悩を好み悪 業のみをおこなっている存在である。しかし、阿弥陀仏 の本願を聞き、信心を起こすなら ば 、煩悩悪業を好む気 持ちはなくなり、その代わりに阿弥陀仏の他力を好むよ うになっていく。このような信心を起こした者のあり方 は、 ﹁また往生の信心は、釋迦・彌陀の御すゝめにより ておこるとこそみえてさふらへ ば 、さりともまこと のこゝろおこらせたまひなんには、いかゞむかしの 御 こ ゝ ろ の ま ゝ に て は 候 べ き ﹂︵ ﹃ 末 燈 鈔 ﹄﹃ 親 鸞 聖 人全集三﹄書簡篇 一一八ページ︶ とも述べられるように、煩悩に狂わされ悪業を好むよ うな、かつての状態とは異なっている。したがって、信 心を得た者であれ ば 、自ら進んで煩悩悪業をなすような ことはあるはずもないという。 それではなぜ、信心を得た者は煩悩悪業を好まなくな るのだろうか。ここで信心の性質を考えるに、親鸞思想 における信心とは、おおよそ三つの側面から説明し得る ものである。まず一つの側面を言え ば 、信心とは二つの 認識を含むものである。 ﹁一には決定してふかく自身は現にこれ罪惡生死の 凡夫、曠劫よりこのかたつねに沒しつねに流轉して 出離の緣あることなしと信ず。二には決定してふか くかの阿彌陀佛の四十八願は、衆生を攝受してうた がひなくおもんぱかりなけれ ば 、かの願力に乘じて さだめて往生をうと信ず﹂ ︵﹃教行信証﹄一三六ペー ジ︶ こ れ に よ れ ば 、 信 心 に は 二 種 の 心 が あ る。 一 つ 目 は、 自らは罪悪が深く生死を繰り返す凡夫であり、永遠に輪 廻 し て 出 離 の 縁 も な い と 信 じ る こ と で あ る。 二 つ 目 は、 阿弥陀仏の他力は衆生を摂取して、必ず往生を遂げさせ ると信じることである。 ここから分かることは、信心が自己と他力に関する二 種の認識から成ることである。信心とは総合すれ ば 、自 己の煩悩悪業に満ちた様相を自覚すると共に、そのよう な 自 己 を 往 生 に 導 く 他 力 を 認 識 す る こ と で あ る と 言 え る。信心を得る以前の人間は、このような認識を持つこ とがない。ただ無自覚に煩悩悪業に満ちたあり方に囚わ れ、輪廻を繰り返していく存在である。しかし信心を得 る こ と に よ り、 自 力 で は 成 仏 し 得 な い 自 己 の あ り 方 と、
そのような自己を成仏に導く他力の働きを認識すること になる。 だ が、 信 心 は 決 し て 単 な る 認 識 に 留 ま る も の で は な い。二種の認識は衆生の深い欲求に結びついている。そ れはすなわち、生死輪廻の境涯を逃れ、往生成仏を求め ようとする心である。 ﹁ 佛 を 信 ぜ ん と お も ふ こ ゝ ろ ふ か く な り ぬ る に は、 まことにこの身をもいとひ、流轉せんことをもかな しみて、ふかくちかひをも信じ、阿彌陀佛をもこの みまふしなんどするひとは、もともこゝろのまゝに て 惡 事 を も、 ふ る ま ひ な ん ど せ じ と、 お ぼ し め し あ は せ た ま は ゞ こ そ、 世 を い と ふ し る し に て も さ ふ ら は め ﹂︵ ﹃ 末 燈 鈔 ﹄﹃ 親 鸞 聖 人 全 集 三 ﹄ 書 簡 篇 一一七 ― 一一八ページ︶ という文には、信心を持つなら ば 、煩悩に満ちた自身 の身を厭い、輪廻することを悲しんで、自らを往生させ る阿弥陀仏を好むようになると書かれている。 つまり、煩悩悪業に満ちた自己の有様を自覚すること は、そのようなあり方を厭い、輪廻から逃れたいという 気持ちを生じさせる。また、他力の救いの働きを見出し た者は、他力が導く仏の境涯を望み、他力を好む心を持 つようになる。このように、信心の二つ目の側面として は、煩悩悪業に満ちた輪廻のあり方を厭い捨てて、仏の 悟りを求めるという欲求を挙げることができるだろう。 最後に信心の三つ目の側面として、実践的なあり方を 指摘することが可能である。それはすなわち、自力を捨 てて他力に頼るという態度である。 ﹃唯信抄文意﹄では、 信心について次のような文がある。 ﹁信はうたがひなきこゝろなり、すなわちこれ真實 の信心なり、虛假はなれたるこゝろなり。虛はむな しといふ、假はかりなることなり、虛は實ならぬを いふ、假は眞ならぬをいふなり。本願他力をたのみ て自力をはなれたる、これを﹁唯信﹂といふ﹂ ︵﹃唯 信抄文意﹄ ﹃親鸞聖人全集三﹄ 和文篇 一八七ページ︶ これによれ ば 、信心とは自力を離れて他力を頼む心で ある。衆生の一切の自力は、煩悩に汚染された輪廻の業 であり、虚偽のものに過ぎない。輪廻を逃れて成仏を求 めることは、虚偽の自力では決してなし得ない。衆生を 成仏へと至らせるのは、ただ他力のみである。このこと を認識し浄土を求める者は、往生のために自力の計らい
を用いることを止め、ひたすら他力に依って生きるよう になる。 以上、自己のあり方と他力についての認識、輪廻を厭 い浄土を求める欲求、自力を捨てて他力に頼る態度の三 点から信心を説明した。ここで注目すべきは、信心が自 己の煩悩悪業を自覚すること、及び煩悩悪業に満ちたあ り方を厭い、輪廻からの出離を求めることの二つの特徴 を持つことである。 つまり信心は、自己の煩悩悪業を直視し、煩悩悪業を 厭 う と い う 態 度 を 含 ん で い る。 そ れ ゆ え に 信 心 の 者 に とっては、煩悩悪業は好み喜ぶ対象ではなく、厭い悲し むべきものとなる。といっても、衆生は信心を得た以後 も、依然として煩悩悪業を起こし続ける存在であり、そ のような自己のあり方を自力ではどうすることもできな い。しかし、信心を得た者は、そのようなあり方からの 離脱を、自力の計らいを止めて、他力に頼るという実践 によって求めるようになる。このような信心のあり方と、 意図的に進んで悪をおこなう造悪無碍とは相容れないも のであるだろう。 親鸞は造悪無碍について、次のように述べている。 ﹁ め で た き 佛 の 御 ち か ひ の あ れ ば と て、 わ ざ と す ま じ き こ と ど も を も し、 お も ふ ま じ き こ と ど も を も お も ひ な ど せ ん は、 よ く 〳 〵 こ の 世 の い と は し からず、身のわろきことをおもひしらぬにてさふら へ ば 、念佛にこゝろざしもなく、佛の御ちかひにも こゝろざしのおはしまさぬにてさふらへ ば 、念佛せ させたまふとも、その御こゝろざしにては順次の往 生 も か た く や さ ふ ら ふ べ か ら ん ﹂︵ ﹃ 末 燈 鈔 ﹄﹃ 親 鸞 聖人全集三﹄書簡篇 一〇九ページ︶ この文によれ ば 、悪人も往生させる本願があるからと いって、意図的にすべきでないことをし、思うべきでな いことを思うような者は、煩悩悪業に満ちた自己のあり 方 を 自 覚 せ ず、 そ う し た あ り 方 を 厭 う 心 も 持 っ て い な い。念仏をおこなうにしても、本質的には往生を求めて お ら ず、 他 力 を 好 ん で も い な い。 つ ま り 造 悪 無 碍 の 者 は、信心を起こした者ではない。そのために、念仏した としても往生を遂げることは不可能である。 造悪無碍の主張とは他力を説くことによって、信心と は相反する状態に衆生を導くものである。 ﹃末燈鈔﹄に、 ﹁しかるに、なをゑひもさめやらぬに、かさねてゑ
ひをすゝめ、毒もきえやらぬに、なを毒をすゝめら れさふらふらんこそ、あさましくさふらへ。煩惱具 足の身なれ ば とて、こゝろにまかせて、身にもすま じきことをもゆるし、くちにもいふまじきことをも ゆるし、こゝろにもおもふまじきことをもゆるして、 いかにもこゝろのまゝにてあるべしとまふしあふて さふらふらんこそ、かへす〴〵不便におぼえさふら へ。ゑひもさめぬさきになをさけをすゝめ、毒もき えやらぬに、いよ〳〵毒をすゝめんがごとし。くす りあり毒をこのめとさふらふらんことは、あるべく も さ ふ ら は ず と ぞ、 お ぼ え 候 ﹂︵ ﹃ 末 燈 鈔 ﹄﹃ 親 鸞 聖 人全集三﹄書簡篇 一一六 ― 一一七ページ︶ と述べられているように、造悪無碍の主張は悪人も往生 を遂げるからといって、煩悩悪業を好む生活を送る衆生 に対し、さらに煩悩悪業を好むことを勧めている。これ はまさに酔いのうえに酔いを勧め、毒のうえに毒を勧め ることである。こうした造悪無碍の考え方は、衆生を煩 悩に狂わされる状態にいっそう没入させ、輪廻の境涯に 縛り付けるという結果を生んでしまう。 そもそも、親鸞が阿弥陀仏の他力の救いを説いた目的 は、衆生に信心を得させ、往生を遂げさせるということ であった。つまり親鸞の教えとは、無自覚のまま煩悩に 狂わされる人々に自己のありようを自覚させ、そのよう な状態から出離することを、他力に頼ることで求めさせ るというものである。 しかし造悪無碍の考え方によって、他力の教説は親鸞 の意図とは逆の方向にねじ曲げられてしまう。造悪無碍 の考え方とは、他力は悪人をも救うという教えを口実と して、人々にいっそう煩悩悪業を好むことを勧め、そう したあり方を正当化して顧みないようにさせるものであ る。 このように、造悪無碍は他力の教説を利用して、人々 を親鸞の意図とは真逆の方向に導くものである。親鸞が 造悪無碍を戒めるのは、造悪無碍のそのような性質を憂 慮し、親鸞の意図する真実の教えと造悪無碍とを峻別す るためであったと考えることができる。すなわち﹃末燈 鈔﹄のいくつかの文によるなら ば 、親鸞にとって造悪無 碍とは、彼の他力の教えを歪曲し人々の往生を妨げる論 説であったと考えることができる。
結論 親鸞にとって、造悪無碍はどのような意味を持つもの であったのか。このことを論じるにあたってし ば し ば 強 調されるのは、造悪無碍が秩序や体制を動揺させる性質 を 持 つ こ と で あ る。 す な わ ち 親 鸞 に と っ て 造 悪 無 碍 と は、秩序や体制を揺るがす活動として意味を持っていた とする見解が、広くおこなわれているのである。 なすべきでないことも心のままに行ってよいとする造 悪無碍は、人々の間に通用する規範を乱し、社会を乱し かねない可能性を持つ考え方である。造悪無碍の持つこ のような側面が、親鸞にとって大きな意味を持っていた というのは、妥当な見解であると言えるだろう。 だ が し か し﹃ 末 燈 鈔 ﹄ の い く つ か の 文 に よ る な ら ば 、 親鸞にとっての造悪無碍は、秩序や体制を揺るがす活動 としてのみ意味を持つものではなかった。造悪無碍は親 鸞 と 同 じ く、 悪 人 を 往 生 さ せ る 他 力 の 救 い を 説 い て い る。しかし造悪無碍がそれによって人々に勧める生き方 は、親鸞が理想とする信心を得た念仏者のあり方とは真 逆のものであった。 すなわち、親鸞の教えの本意とは、人々に自己の煩悩 悪業を自覚させ、そのようなあり方からの超出を、自力 を 捨 て て 他 力 に 頼 る こ と に よ っ て 望 ま せ る も の で あ っ た。このようなあり方において、煩悩悪業とは好むよう な対象ではなく、厭わしく感じるべきものであった。 これに対して造悪無碍の主張は、人々に対して煩悩悪 業を好むことを勧め、煩悩悪業の生活に人々をいっそう 没入させるものである。他力の教説は造悪無碍の主張に おいては、煩悩悪業に狂わされる生活を正当化し、人々 に輪廻を繰り返させるためのものでしかない。 造悪無碍とはこのように、親鸞の他力往生の教えを真 逆 の 方 向 に ね じ 曲 げ、 人 々 の 往 生 を 阻 害 す る も の で あ る。 ﹃ 末 燈 鈔 ﹄ の い く つ か の 文 に よ る な ら ば 、 親 鸞 は こ のような造悪無碍の性質を問題として、造悪無碍を否定 していると考えることができる。 以上のことをまとめると、親鸞にとっての造悪無碍と は、二つの側面から把握され得るものであったと考える ことができる。一つは秩序や体制を乱す活動という側面 であり、もう一つは親鸞の教えを歪める教説という側面 である。多くの研究においては、社会的影響力の側面の みが強調されて、親鸞における造悪無碍の問題が論じら
れる傾向があるように思われる。しかし、親鸞にとって 造 悪 無 碍 は 社 会 の 秩 序 を 揺 る が す 活 動 で あ っ た と 共 に、 彼の他力の教説を歪曲する問題であったことを、忘れて はならないだろう。 ︵ 1︶ 親鸞聖人全集刊行会編﹃定本親鸞聖人全集 第三巻﹄法 蔵館 一九六九年 ︵ 2︶ 造悪無碍とされる行為の基本的な内容を、神仏への不拝 行為に限定する見解もある。例え ば 、松野純孝﹃増補 親 鸞 ﹄︵ 東 本 願 寺 出 版 部 二 〇 一 〇 年 ︶ な ど に そ の よ う な考え方があらわれている。造悪無碍の具体的内容を神 仏への不拝行為などに限定することは、親鸞と社会との 関連を重視し、造悪無碍をある種の社会活動と捉える研 究 立 場 に 多 く 見 ら れ る よ う で あ る。 こ の よ う な 見 解 は、 造 悪 無 碍 の 研 究 史 に お い て 非 常 に 重 要 な も の で あ る が、 本論文の論旨とは若干のずれがあるため深く立ち入らな い。 ﹃末燈鈔﹄などから読み取る限り、親鸞の言及する造悪 無碍とは、心に任せて思うべきでないことを思い、言う べきでないことを言い、なすべきでないことをなすこと であると考えることができる。親鸞によれ ば 、人間が身 口意におこなう一切の行為は、すべて煩悩悪業でしかな い。したがって親鸞は、人間が煩悩悪業を作ること自体 を批判することはない。しかし、自ら望んで積極的に煩 悩悪業を作るという態度は、造悪無碍と呼 ば れて戒めら れるのである。以上のように本論文では、造悪無碍の具 体的内容を、自ら意図し好んで身口意に煩悩悪業を作る ことであると理解して論を進めることにする。 ︵ 3︶ 研究者によって造悪無碍という用語が使用されてきた歴 史については、遠藤美保子﹁専修念仏﹁造悪無碍﹂の研 究史小考 ― ﹁親鸞と一念義﹂への序章 ― ﹂︵ ﹃佛教史研究 三六﹄ 龍谷大学佛教史研究会 一九九九年︶ などに詳しい。 ︵ 4︶ 例 え ば 、 山 田 文 昭﹃ 親 鸞 と そ の 教 団 ﹄︵ 法 蔵 館 一 九 四 八年︶ 、服部之総 ﹃親鸞ノート﹄ ︵福村出版 一九六七年︶ など。 ︵ 5︶ 例 え ば 、 平 雅 行﹃ 日 本 中 世 の 社 会 と 仏 教 ﹄︵ 塙 書 房 一 九九二年︶ 、佐藤弘夫﹃鎌倉仏教﹄ ︵第三文明社 一九九 四年︶など。 ︵ 6︶ 例え ば 、石田充之﹃異安心﹄ ︵法蔵館 一九五一年︶ 、藤 村研之 ﹁親鸞における造悪無碍批判と ﹁自然法爾﹂ ﹂︵ ﹃佛 教 史 研 究 三 一 ﹄ 龍 谷 大 学 佛 教 史 研 究 会 一 九 九 四 年 ︶ など。
︵ 7︶ 心のままに悪をおこなってよいという説の発生は、親鸞 の門下にのみ限られた現象ではない。親鸞の師である法 然の門弟のうちにおいても、既に同様の考え方が存在し ていたことが分かる。そのことは例え ば 、次のような質 問から読み取ることができる。 ﹁問うていはく、本願は悪人をきらはね ば とて、この みて悪業をつくる事はしかるべしや。 答ていはく、ほとけは悪人をすて給はねども、このみ て 悪 を つ く る 事、 こ れ 仏 の 弟 子 に は あ ら ず ﹂︵ 大 橋 俊 雄 訳﹁ 十 二 箇 条 の 問 答 ﹂﹃ 法 然 全 集 第 三 巻 ﹄ 春 秋 社 一九八九年 二三四ページ︶ 法然に対して、本願は悪人も往生させるのだからと言っ て、好んで悪業を作ることは、どのようなものだろうか、 という質問がなされている。このような質問に対して法 然は、仏が悪人を捨てないからといって、好んで悪を作 るような者は、仏の弟子ではないとし、造悪無碍の考え 方を退けている。 法然と親鸞の門弟のうちに、同様の主張をなすものが現 れたということは、決して偶然に起こった出来事ではな いだろう。法然と親鸞の教えのうちに、共通して造悪無 碍を生じさせる要因が存在していたがために起こったこ とであると考えられる。 すなわち、法然と親鸞は共に人間を煩悩が深く、罪悪が 重い存在であると規定している。人間は煩悩と罪悪に満 ちた自らのあり方を、自分ではどうすることもできない。 彼らが説いているのは、このような人間が、自己の煩悩 や罪悪を廃する必要なく、ただ念仏のみによって成仏で きるという教えであった。心のままに悪に行ってよいと いう考え方は、このような法然と親鸞に共通する思想の あり方を母胎にして生じたものと考えることができる。 ちなみに法然も親鸞と同様に、造悪無碍を否定している。 法然について簡単に説明するなら ば 、法然にとって成仏 は求められるべき目標であり、煩悩悪業はそのために何 らかの形で克服すべき対象であった。念仏も法然におい て は、 人 間 が 自 力 で 断 じ る こ と の で き な い 煩 悩 悪 業 を、 他力によって克服し成仏を遂げるための方法である。 したがって、念仏者は基本的に、成仏を求めると共に煩 悩を恐れ厭う態度を持っていなけれ ば ならない。もちろ ん、往生のために必要とされるのは、ただ念仏して他力 に救われることのみであって、自力で煩悩悪業を断つこ とは全く不要である。しかし、だからといって煩悩悪業 を好んでよいわけではない。念仏者は自力で煩悩悪業を 断ずる代わりに、念仏に励むことによって、煩悩悪業と 輪廻の克服を目指さね ば ならないのである。
︵ 8︶ ﹁安 樂 淨 土 に い り は つ れ ば 、 す な は ち 大 槃 を さ と る と も、また无上覺をさとるとも、滅度にいたるともまふす は、御名こそかはりたるやうなれども、これみな法身と まふす佛のさとりをひらくべき正因に、彌陀佛の御ちか ひを、法藏菩薩われらに廻向したまへるを、往相の廻向 と ま ふ す な り ﹂︵ ﹃ 末 燈 鈔 ﹄﹃ 親 鸞 聖 人 全 集 三 ﹄ 書 簡 篇 一二〇 ― 一二一ページ︶ ︵ 9︶ このような衆生のあり方を、親鸞は例え ば 次のように表 現している。 ﹁ほかに賢善精進の相を現ずることをえざれ、うちに 虛假をいだけれ ば なり。貪瞋邪僞詐百端にして惡性 やめがたく、事蝎におなじ。三業をおこすといへど も、なづけて雜毒の善とす、またに虛假の行となづく、 眞實の業となづけざるなり。もしかくのごとき安心起 行をなすは、たとひ身心を苦勵して日夜十二時に急に もとめ急になして頭燃をはらふがごとくするもの、す べて雜毒の善となづく。この雜毒の行をしてかの佛 の淨土に生ぜんことをもとめんと欲するは、これかな らず不可なり﹂ ︵﹃教行信証﹄ 一三五ページ︶ 親鸞によれ ば 、衆生はその本性として、煩悩悪業に満ち た存在である。衆生は決して煩悩を離れることができず、 その一切の行為は煩悩に汚染されている。例え熱心に修 行をおこなったとしても、内心には煩悩を抱えているの で あ る。 こ の よ う な 衆 生 の 行 は、 ﹁ 雜 毒 の 善 ﹂ と も﹁ 虛 假 の 行 ﹂ と も 呼 ば れ る も の で、 ﹁ 眞 實 の 業 ﹂ と は 決 し て 言い得ない。 したがって、衆生は自ら修行することによっては、成仏 することがかなわない存在である。 ﹁雜毒の善﹂ とも ﹁虛 假の行﹂とも呼 ば れる自力の行によっては、成仏するど ころか、かえって輪廻転生を繰り返すことになってしま う。 ︵ 10︶ ﹁一 切 の 群 生 海、 無 始 よ り こ の か た 乃 至 今 日 今 時 に い た るまで、穢惡汚染にして淸淨の心なし。虛假謟僞にして 眞實の心なし。こゝをもて如來、一切苦惱の衆生海を悲 憫して、不可思議兆載永劫において菩薩の行を行じたま ひしとき、三業の所修、一念一刹那も淸淨ならざること なし、眞心ならざることなし﹂ ︵﹃教行信証﹄一五二 ― 一 五三ページ︶ ︵ 11︶ 末木文美士﹃鎌倉仏教展開論﹄トランスビュー 二〇〇 八年 ︵ 12︶ 平雅行﹃日本中世の社会と仏教﹄塙書房 一九九二年 ︵ 13︶ 平雅行の説についてより詳しく述べると、当時の社会を 支配していた顕密体制は、顕密仏教的な智者には真の仏 法を、愚かな大衆には簡単な方便をあてがう悪人正機説
により、大衆を宗教的に下等なものと位置づけ、現世的 にも大衆を支配していた。これに対して親鸞は、末法の 人間が平等に悪人であると位置づけ、顕密体制による大 衆蔑視を克服し、万人の宗教的な平等を主張した。さら に悪人の自覚を往生の因とする悪人正因説によって、平 等的悪人たることに無自覚な者に対し、宗教的懲罰を下 すという党派的態度を取り顕密体制と対立した。平雅行 によれ ば 、こうした顕密体制との対立が、現実の社会に おいては神仏への反逆や戒律の軽視などの造悪無碍とし てあらわれたという。 ︵ 14︶ 造悪無碍は親鸞思想と矛盾するものではないとの理解に 対して、造悪無碍は親鸞思想とは相容れないものである とする理解もある。例え ば 、石田充之﹃異安心﹄ ︵法蔵 館 一九五一年︶では、造悪無碍を異安心の一つとして 論じ、親鸞思想とは異質な考え方であると捉えている。 本論文も、造悪無碍は親鸞思想と相反する考え方である とする立場に立っている。詳しくは三章を参照のこと。 ︵ 15︶ このような見解は、平雅行 ﹃歴史のなかに 見る親鸞﹄ ︵法 蔵館 二〇一一年︶においてより詳しく述べられている。 ﹁こうした社会風潮の変化は、親鸞門流にも影響を及 ぼしたはずです。建長年間に親鸞門流の中で、念仏や 造悪無碍をめぐる論争が活発になるのはその表れです。 戒律が重視され、持戒念仏がブームとなってくるなか、 親鸞門徒は否応なく、それへの対応を迫られたのです。 六斎日の精進が当然視され、それを拒否する者は造悪 無碍の徒と非難され、迫害されます ・・・・・・ 。東国の雰 囲気は、親鸞がいたころとは一変しました﹂ ︵﹃歴史の なかに見る親鸞﹄二〇六ページ︶ ﹁情報過疎も手伝って、親鸞は状況把握に失敗しまし た。そして造悪無碍が本当に起きているのだと誤認し、 その封じ込めを善鸞に託したのです。である以上、善 鸞が暴走するのは必然でした﹂ ︵﹃歴史のなかに見る親 鸞﹄二〇七ページ︶ ︻キーワード︼ 親鸞・造悪無碍・悪