「レジャー」の概念
その他のタイトル Toward Establishing a Definition of "Leisure"
著者 岡田 至雄
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 10
号 1
ページ 1‑27
発行年 1979‑01‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/00022907
岡 田 ・ 至 雄
I 問 題 の 背 景
19 世紀から20 世紀へのバトンタッチがまさに始まろうとしていた時, レジャーに関する社会科 学的アプローチとして最初の創始的名著「有閑階級の理論」 ( T . B . V e b l e n , The theory o f l e i ‑ s u r e c l a s s ; an economic study i n t h e e v o l u t i o n o f i n s t i t u t i o n s 1899)が公刊された。 T.B.
ペプレンは,当時の消費やレジャーが,経済的名声を誇示せんとする見せびらかしに動機づけら れたケバケバしい活動であり,この活動の推進者が,コルセットをつけられた「経済の生贅」で あり, 「操り人形」でもある有閑階級であることを,階級的視座から,見事に分析した。しかし,
経済の発展に伴って,第三次産業のウェイトが産業構造の中で確固となることを指摘した C . ク ラークでさえ,現在のように第三次産業が急成長するとは想像もしなかったように,ベプレソも また,今や有閑階級が破棄しようとしている見せびらかしの「消費やレジャー」の嗣子に労働者 階級を中心とする一般大衆がなろうとは考えてもみなかったことであろう。先進的高度工業社会 では, レジャーは一般大衆の日常生活の中に明白なテリトリーを獲得し,そのウェイトも増大し ている。このような推移を反映して,ヴェブレソ以後,久しく途絶えていたレジャー問題への社 会科学的関心,とりわけ社会学的アプローチが,漸く始動するにいたる。
フランクリソ ( B .F r a n k l i n )は , 1 8 世紀の半ばに,すでに「レジャーの時代がやってきた」
と,目前にレジャーの奔流の前徴を垣間見た。しかし, レジャー社会が到来するためには,少な くとも,平和,自由,平等の三要件を内在化し,高度経済成長のメカニズムをもつ社会システム を実現することが先決であった。貧困の悩みから解放されず,生産労働と戦争に全力を注がざる を得ないような社会状勢の下では, レジャーは一般大衆のものとはなり得ず,社会的な関心事と なる可能性も弱い。フラソクリンの予知にもかかわらず, レジャーの奔流が先進資本主義諸国に 実際に押し寄せるまでに,約 2世紀の歳月を経たのも,この先決要件が充足できなかったことに よる。しかし今や,先決要件は充たされ,一般大衆は貧困の悩み ( p o v e r t ys t r i c k e n ) というよ りも,レジャーの悩み ( l e i s u r e s t r i c k e n ) に曝され2 > , レジャーは社会に脅威と危機惑を抱かせ るまでに, 大洪水となって, 先進資本主義諸国を襲い, 文字通り「レジャーの時代」に突入し
1 ) P e n n s y l v a n i a G a s e t t e , 1 7 4 9 .
2 ) R . L e e , R e l i g i o n a n d L e i s u r e i n A m e r i c a , 1 9 6 4 , p . 2 0 .
た 3) 。
豊かな社会は幸福の追求に,栄養十分な社会は精神的健康に,成功した社会は慰安・遊び・個 人的成長に,それぞれ関心を向け,注意をはらう。このような社会的背景をベースにしながら,
1945 年以降ヨーロッパにおいてレジャー問題が大きくクローズアップし,緊急課題となるにいた った 4) 0
歴史的にみれば,古代ギリシャでは, レジャーは自由民 ( f r e eman) の特権的事項であったし,
自己の鍛錬と修養に直結すると同時に,高級文化の創造と維持を目指す至高の活動形態と考えら れた。これに対して,プロテスタントの倫理をイデオロギー的甚盤とする初期西欧資本主義社会 においては, レジャーは経済的生産活動に完全に従属すべきものとして, とりわけ,悪魔の誘惑 に応じやすい危険な時問として忌避されつつも,それが一次的に生産活動に順機能すべく再生産 的 ( r e ‑ c r e a t i v e ) かつ疲労回復的 ( r e s t o r a t i v e )に利用されるべきものという条件付きで黙認さ れていた。ところが現代の先進資本主義諸国では,プロテスタントの倫理は半ば崩壊し,その上,
社会的・経済的変化はめまぐるしく,一般大衆は今や再生産的・疲労回復的に必要な自由時間ミ ニマムをはるかに上回る莫大な自由時間,すなわち,時間的富を得たことによって, レジャーに 対する価値観は急旋回した。そして「すべての人は生活をニンジョイし, レジャーを楽しむ機会 を与えられる権利をもつ」 5) といった考え方が, 社会的通念として一般に定着し,今やいわゆる レジャー民主主義は名実ともに確たる地盤を得た。他方において, とりわけ, レジャーとの対比 において,仕事は自由を拘束し,人間を奴隷的に扱うという意味で「呪い」の活動とさえみなさ れ 6)' いわゆる仕事中毒 (workaholic) を解消する鍵をレジャーに求める傾向が強まった。
このようなレジャーに対する考え方の推移を反映するかのように, 1940 年 代 ま で の レ ジ ャ ー 研 究は,コミュニティ,階級,副次文化,労働といったメイン・テーマとの関連で,付随的に,ぁ るいは補足的になされてきた。レジャーに真正面から取り組んだ研究, とりわけ,社会学的にア プローチした研究は,ほとんどみられず,正統なレジャー研究が量・質ともに枚挙できるように なったのは 1960 年代以降である。しかし,最新課題であるだけにいまだに「レジャーとは何か」
というレジャーの概念すら統一的・標準的に定義されていない実情である。 「レジャーという言 葉は何かバズルでも解くような当惑と混迷を引きおこし」 7) 「レジャーにについて完全に記述す ることは不可能に近い」 8) まさに「レジャーはフランケンシュタインである」 9) と,多くの研究者
3 ) M. Dower, The C h a l l e n g e o f L e i s u r e , 1 9 6 5 , p . 5 .
4 ) B . M. B e r g e r , "The s o c i o l o g y o f l e i s u r e " i n E . 0 . S m i e g e l e d i t . Work and L e i s u r e , 1 9 6 3 , p . 2 1 .
E . A . J o h n s , The S o c i a l S t r u c t u r e o f Modern B r i t a i n , 1 9 7 2 , p . 1 3 3 .
5 ) L o r d ' s S e l e c t C o m m i t t e e , "The f i r s t r e p o r t f r o m t h e S e l e c t Committee on S p o r t and l e i s u r e , "
1 9 7 3 .
6 ) B . M. B e r g e r , o p . c i t . , p . 3 0 .
7 ) M. Young and P . W i l l m o t t , The S y m m e t r i c a l F a m i l y , 1 9 7 3 , p . 2 0 5 . 8 ) C . D . B u r n s , L e i s u r e i n t h e Modern W o r l d , 1 9 3 2 , p . 2 5 6 .
9 ) B . M. B e r g e r , o p . c i t . , p . 3 7 .
が , レジャーの標準的定義の難解さに苦悶してきたわけではあるが,いまだに決定的な解決はな されていない。
I l 概 念 規 定 を す る 上 で の 問 題 の 所 在
「レジャーとは何か」という課題に当面して,まず当惑することは,われわれがすでに実生活 で体得しているレジャー実体・実感に,ぴったりと符合する概念規定が,典型例を除いた時,非 常に難解であるという点である。もともと,だれの,だれのためのレジャーかという問題を抜き にして,主体抜きレジャー論を展開してもあまり意味がないという性質をレジャーは有している。
古典的な意味でのレジャーは,自由人の,貴族の,あるいは支配階級のレジャーを礎石にして,
それに合致する概念規定をしてきた。 「レジャーという概念が無定型で, しばしば歴史的には,
ひどく差別的な意味を内蔵したものであった」という指摘も頷づける 1 0 ) 。また現代の保守的なイ ソテリや文化的エリートが,その独断にみちた「健全なるレジャー」論を展開する場合,その根 底に一般大衆のレジャーを考えていることは明らかで,全く仮想の対象に対して「レジャーとは 何か」を論じているのではない。これらのことは, レジャーが社会的に問題視され,社会的課題 として意味を持ってくる場合には,常に,特定の人々や集団の「レジャーとは何か」という視点 が必要であることを示唆し,またそれゆえに,概念の混乱が生じるということにもなる。しかし,
ここでは,一応,主体抜きの「レジャー」概念に焦点を絞りながら,検討.吟味を試みてみたい。
一般にレジャー概念の標準的定義を困難にしている障害は
( 1 ) レジャーが社会的現象であり,社会体系と密接な関係を保っていること。
( 2 ) レジャー現実の中にいろいろな分析要因がバックされすぎていること。
( 3 ) 具体的なレジャー現実の中から理念型的共通項を抽象することが難しいこと。
の三点にあると考えられる。
まず第 1 の障害はレジャーが社会的概念であり,同時にレジャーに対する分析視点・分析起点 が社会体系と係わりをもつことから生じる。たとえば,古代ギリ、ンヤでは, レジャーが自由人の 特権であったという実情もあり, レジャーは高級文化的活動に結びついた活動と考えられ,人間 の心身を完全に発達させるための機会や,人間が全人的成長を達成するための時間がレジャーで あり,具体的には,音楽 (music) や黙想 ( c o n t e m , p l a t i o n ) を指していたといわれる 11) 。 これ に対して,重商主義時代のイギリス, とりわけピューリクソでは, レジャーは怠惰 ( i d l e n e s s ) の代名詞であり,「悪魔の申し子」という性格を与えられ, 1 2 ) レジャーは人間を堕落させ,社会の 道徳に反するものと考えられた。この対比は,レジャーが社会的概念であることを如実に示して いる。つまり,古代ギリシャでは「レジャーは人間によって必要不可欠である」とするレジャー
1 0 ) R . P o o r e d i t , 4 d a y s 4 0 h o u r s , 1 9 7 0 , p . 1 5 4 . 1 1 ) S . d e G r a z i a , o f Time, 1 9 6 2 , p . 1 6 .
1 2 ) N. A n d e r s o n , Man's Work and L e i s u r e , 1 9 7 4 , p . 4 0 .
肯定思想が根底にあったのに対し, ピューリタンでは「レジャーは忌避されるべきである」とい うレジャー否定思想に支えられていたのである。このような典例はレジャーが社会的・歴史的含 蓄を常に有していることを示唆している。ところで,現代に目を向けると,まず,資本主義社会 においては,収入と自由時間の増大という物理的条件に,民主主義体制というイデオロギー的条 件が加味されて, レジャーは労働者を含む一般大衆の掌中にあり, レジャーの論理は,労働の論 理に匹敵するまでに,その力を急上昇し, レジャー・デモクラシーも実質的に蔓延,定着しつつ ある。これに付随して,労働者の中心的生活関心 ( c e n t r a ll i f e i n t e r e s t ) は仕事以外の生活領 域に指向し 13)' 仕事を軸にした生活システムから, レジャーを核とした生活ヽンステムヘと生活の
コアを移行する H ) といった事態を招いている。
このような状況下にあって,資本主義諸国では, レジャーを積極的・肯定的に評価する傾向が 強く, 「レジャーとは,個人が気晴らし,娯楽,個人的成長などのために,仕事・家庭・社会の 要請や義務から解放された時に,まった<, 自由に行なう活動である」 1 5 ) とレジャーに固有の内 在的価値を是認している。これに対し共産主義社会では, ソヴィエトのように,ボストスターリ
ソ以後,資本主義社会ほどではないにしても,自由時間は着実に増大しており,堕落と混乱と騒 々しさに充ちたレジャーを選ばせるか,それとも積極的で創造性に富むレジャーを選ばせるかに 苦慮し, 1 6 ) レジャー問題に対するイデオロギー的論究は避けつつも, レジャーを人間の文化的・技 術的水準の向上と労働の生産性を高めることに活用すべきであるという考え方を基調としている。
「文化的なレクレーショソや娯楽のための施設を拡充し,若者のためのレジャーの組織化を推進 し,適切なイデオロギー的準備(構え)を啓発することなしに,自由時間が増大すれば,重大な マイナス効果が生じることは必至である」 17) という姿勢に立って, ソヴィニトでは,体制が企画 したチャネルにレジャータイムを押し込む,いわゆる国家によるレジャーの管理が進行中である。
マルクスが人間的成長のための余裕として,またエンゲルスが社会的・政治的な市民活動に積極 的に参加させるための動因として, レジャーを楽天的に評価していたのとは裏腹に, レジャーが むしろ非政治化の要因となり,人民の新しいアヘン (opium) となることに恐れを感じていると いうのが今のソヴィエトの現状である 1 8 ) 。したがって,基本的には, 「レジャーとは,人民の文 化水準を引きあげ,広範な教育,高尚な趣味,豊かな社会生活を得るための手段であり,人間主 義の目標ともなる活動」 19) という理念のもとに, レジャーの全体主義的支配を推進するという色
1 3 ) R . D u b i n , " I n d u s t r i a l workers'world" s o c i a l p r o b l e m , 1 9 5 6 , v o l . 3 , p p . 131142.
1 4 ) M. Young and P . W i l l m o t t , o p . c i t . , p . 2 0 4 .
1 5 ) R e p o r t o f ' I n t e r n a t i o n a l Study Group on L e i s u r e and S o c i a l S c i e n c e ' .
1 6 ) P . H o l l a n d e r , "The Use o f L e i s u r e " J o u r n a l o f S o v i e t and E a s t European s t u d i e s , 1 9 6 6 , J u l y , p . 4 0 .
1 7 ) P r a v ' d a , 1 9 6 6 , 4 , 6 .
1 8 ) J . D u m a z e d i e r , S o c i o l o g y o f L e i s u r e ( t r a n s by McKenzie) 1 9 7 4 , p . 3 3 .
1 9 ) J . R . A z r a e l , "Note on S o v i e t Urban A t t i t u d e s t o w a r d s L e i s u r e " s o c i a l p r o b l e m , 1 9 6 1 , v o l . 9 , p . 7 7 .
‑ 4 ‑
彩が強く, 「人間の心理的・肉体的エネルギーの回復に関係した自由時間の中で, ( 1 ) 生産や社 会的目標に向けてエネルギーの回復を助けるレクレーション, ( 2 ) 精神的豊かさ,道徳的純真さ,
健全な肉体 ( s p i r i t u a l w e a l t h , moral p u r i t y , p e r f e c t physique) の三つが調和した人間の発 達に有益な活動. ( 3 ) 教育的・専門職業的資格の向上に有効な活動, ( 4 ) 直接的にか間接的にか.
政治・経済的な社会活動などに利用されるべきもの」という性格を強く帯び 20), レジャー活動の 功利主義的合理性と集産主義化 ( c o l l e c t i v i z a t i o n ) を教唆し,結局レジャーは遊び ( p l a y )より
も仕事 (work) に近い概念で掌握されている。
したがって,労働との関係から概括すれば,資本主義社会では,労働の場での人間の自己疎外 を克服し,人間性を回復する場としてレジャーを位置づけ,そこでの活動はまった<個人の自由 選択にまかせることを原則としているのに対し,共産主義社会では,労働こそ人間に喜こびと快 楽を与えるテリトリーであり, レジャーは必然的に労働に還元されるべきものとして.とりわけ,
モラール形成とイデオロギー形成を目指す活動領域として考えられ, 「すべての労働者は自分が 至当だと思う方法で自由時間を使えるが.このことは社会がその使い方に対して受身の態度をと ることを意味しない」 21) と . 明白に個人主義的利用を否定する。そのうえ.西洋スクイルのレジ ャーを, 「有毒細菌をもった,無目的な逃避主義的レジャー」 2 2 ) ときめつける。
また歴史的にみれば,すくなくとも 20 世紀に入るまでは.総体としての生活領域からレジャー を分離して.レジャーそのものに価値を与えるという観念は.事実上普及していない 2 3 ) 。一見娯 楽だけを目途としたレクレーショソ活動が,中世にも一般市民によって行なわれてきたようにみ えるが,これとて社会・文化的に社会生活の独立領域として区劃できるものではなくて.あくま でも.市民の心身的健全さの育成が.経済的にも政治的にも望ましいという価値づけを起点にし て唱導されたに過ぎない。だから, レジャーそのものが望ましい活動として評価されたわけでは ない。ユースクラプは.青少年のレクレーションや娯楽のために設立されたのではなくて,有益 な社会人を育成するために,または,不道徳なあるいは非行的な影響を避けるために設立された のであり,スボーツやレクレーションを含むレジャー活動を.人々の社会生活の独立部分とみな すという立場から制度化されたのではない 2 4 ) 。
たしかに,時空を問わず,人間社会には常に,快楽,娯楽,自己実現,自己充実などの見出せ る活動が存在してきた。しかし,前産業社会では,それらの活動の中にいろいろな理想的な文化 的理念を盛り込んだのであって,享楽それ自身を好ましい活動とみなしたのではない。これらの 活動がレジャーと直接,一次的に結びつき,総体としての生活領域から独立した価値を有するも のとして, レジャーの中に位置づけられたのは産業社会の到来以後である。
2 0 ) P . H o l l a n d e r , o p . c i t . , p . 4 2 . 2 1 ) i b i d . , p . 4 1 .
2 2 ) i b i d . , p p . 4950.
2 3 ) I . G r a v e n , " L e i s u r e " E n c y c l o p 邸 d i ao f t h e S o c i a l S c i e n c e , 1 9 3 3 , v o l . 5 , p . 4 0 2 . 2 4 ) K . R o b e r t s , L e i s u r e , 1 9 7 0 , p . 8 9 .
‑ 5 ‑
一方において,個人の生活リズムの中にレジャーがその占有領域を着実に確保し, レジャーの 価値が生活の中心部分を占拠し,他方において, レジャー産業が隆盛をきわめている産業社会で は , レジャーは独自の自立的価値を保有し,社会制度や社会構造に対しても強力なインパクトを 与えると同時に, レジャーの価値が産業や労働の価値を侵蝕し,併せて,社会はレジャーの価値 に適応すべく,その構造や制度を改造しなければならない事態に今や当面している。前産業社会 では仕事が人間的成長や自己表現の場としての機能をもっていたけれども,機械時代の非人格的 労働にあってはこの機能は失なわれ,今や人間的成長や自己実現はレジャー・クイム活動に限定 されつつある。そしてレジャーは,仕事に代って,人間形成や文明への道に通じるものという評 価を受けるにいたった 25) 。このような社会的変化の中で,人はもはやレジャーにふけることを正 当化するための隠れた動機 ( u l t e r i o r motive) を探す必要はなくなり, むしろレジャーは人間 文明に不可欠の要素として制度化されつつある 26) 。そればかりか, レジャーはすでに独立した事 実としての力をもち, レジャーは一次的にそれ自身の見地から考察されるべき対象となり,仕事,
家族,政治,宗教,文化などと対等のウェイトを得て 27), 「レジャーを見逃すな」という鉄則が 現代社会の構造を研究する場合の必須要件にさえなってきた 2 8 ) 。
レジャー問題は以上のように,時代や文化的環境によって著るしい影響を受けてきた。このこ とは,社会におけるレジャーの役割や,他の社会制度に与えるレジャーのインパクトは不定で,
可変的であることを示唆している。加えて,厄介なことに, レジャーに対してアプローチを試み る研究者の視座もまた,社会的な影響を受け,社会体系とのかかわりで形成された分析視点を基 調にしているという問題がある。このような二重の制約が, 「レジャーとは何か」という単純な 問題に対する解答に混迷を与え, レジャーの標準的定義を得ることに障害となってきた。
一般に社会現象に関する研究者の概念構成は,研究者のその問題に対する分析視点に内在する 目的に符合するように思慮・演繹されるという性質をもっている。したがって,いかなる研究者 の概念構成も,社会的・歴史的実在としての研究者によってなされるかぎり,必然的に社会体系 との係わりをもつ。このことは, レジャーの概念構成にも妥当する。その意味で, レジャーの概 念には常に社会的・歴史的・文化的含蓄が内蔵され,文化圏や社会圏の相違によって影響を受け るという側面をもっている。レジャーに関する概念が社会体制と無縁ではあり得ないということ は,そのままレジャーの標準的・普通妥当的概念の構築に障害と困難をもたらすわけである。
次に第 2 の障害はレジャー現実がいろいろな多相次元要因からなる行為概念であるという点か ら生じる。レジャーは,時間要因,活動要因,態度要因,現象要因などいろいろな要因を未分化
2 5 ) K . Mannheim, F r e e d o m , Power and D e m o c r a t i c P l a n n i n g , 1 9 5 0 , p . 2 6 9 . 26) K. R o b e r t s , o p . c i t . , p p . 8990.
2 7 ) J . D u m a z e d i e r , Vers une C i v i l s a t i o n du L o i s i r , 1 9 6 2 , 中島厳訳 2 3 1 頁 。
2 8 ) K . R o b e r t s , o p . c i t . , p . 1 0 2 .
のままパックした行為概念と考えられるが,多くの研究者は, レジャーの本性がもっとも単純で 要素的な要因ひとつに究極的には還元できるという考え方をもっている。この考え方は社会現象 とりわけ人間の活動が自然科学と全く同一の方法で分析できるという仮定に立脚している。たし かに,科学的分析の原理は,事象の徹底的分解を前提としているが,分解された諸要素のうち,
どれを最優先要因とみなすかについて, レジャーについては,統一的見解がないわけで,まさに バラニテイに富んだ定義が横行し,分析的というよりも感覚的なものが目立つ。ただ,それらの 中でも,ほぼ共通していることは,レジャーが活動内容次元から仕事(work) や義務 ( o b l i g a t i o n ) の反対概念・対峙概念として想定されている点である。しかし, レジャー一仕事の関係は,男性
―女性の関係にみられるような明晰かつ一元的な一双カテゴリーではなく,まして,完全な背反 的対峙スキームでもない。将に,内容的に吟味すれば,「仕事のレジャー化」 ( l e i s u r ei n work)
「レジャーの仕事化」 (worki n l e i s u r e )「セミレジャー」 ( s e m il e i s u r e ) に明示されるように,
両者は混然とした形で現実の個別活動に表出しており,両者のケジメ,区分けを活動特性という 面から二分法的に明示することは非常に難かしい。その意味では,時間的次元から,非仕事時間 になされる活動の一部という意味で, レジャーを,仕事に対峙することの方が,類別性という点 からみると有効である。しかし,あくまでも仕事ーレジャーの関係は,カテゴリーの異なる別々 の行為概念であり,少なくとも二分法的関係ではない。たとえば一般に活動内容特性から拘束一 自由を仕事ーレジャーに対照・符合させるわけであるが,両者はかならずしも符合しない。レジ ャーにも拘束されたレジャーがあり,自由なレジャーがあるといった具合である。したがって,
いくつかの基軸座標の中で, レジャーの座位を決めることが必要なのである。このことは仕事に 対峙する概念は, レジャーではなくて,非仕事であり, レジャーの対峙概念が仕事ではなくて,
非レジャーであることを示唆する。レジャーの標準的定義が不可能に近いという主張の多くは,
いわばレジャーに含まれている要因の多元性にその原因を帰着させることができ,このような多 元的要因の記述的分析の難かしさを暗示している。
最後に第 3 の障害は, レジャーの本質的特性を具体的な活動の中から抽象し,理念型を構築す ることの煩雑さに起因している。この点について,まず,抽象的なレベルでの問題点を,次に具 体的なレジャー活動の中からレジャーの本質的特徴を抽出する場合の問題点を,逐次検討してみ
よう。
レジャーは一般に自由時間 ( f r e et i m e ) や非義務的時間 ( u n o b l i g a t e dt i m e ) に人が自己の自
由裁量によって行なう自発的活動にかかわる概念と大まかに概括できよう。この場合, レジャー
が , . . . 「自由」 「非義務的」といった時向的特在と「自由裁量」 「自発的」といった活動的・全体
的特性を主軸とする概念とみなされ, レジャーの本質的特性の一つが,少なくとも「自由」にあ
るという意味で, レジャーの理念的特性として, 「自由」を抽象したと仮定しよう。ここで問題
になることは,われわれの日常生活において,仕事に関係しない時間,仕事に拘束されない時間
という意味での「自由」が,物理的,精神的に果して存在しうるのか。また刹那的に存在し得た としても,自由時間活動とレジャーとの区別をどこでしようというのか, さらに, 自由裁量,任 意的自発的自由意思という意味で「自由」を使うとすれば,このような主体的意味での自由は,
特定の具体的活動に内在する活動特性ではないから,現実の個別活動をレジャーか否かという基 準で類別しょうとする場合どうするのか, といった問題が生じる。その上,「強制されていない」
「義務化されていない」という意味で自由という特性を使うとすれば, M. ウォルヘソシュタイ ンや M. ミードや T . ヴェブレンなどの指摘する現代のレジャーの特性と矛盾することになる。ウ ォルヘンシュタインはアメリカ社会において, 「遊びすぎることに罪を惑じる」という古いモラ ルが崩れ, 「十分遊ばないことに恥を惑じる」という新しいモラルが芽生え, 「楽しいことは善
......
いことだ」という概念が,快楽の義務化・必須化に連動しつつある現実をみて, 「遊びの道徳の 出現」 29) を告げ, ミードは,第二次大戦以後,労働の結果として得る快楽という「制限つきの快 楽」の体系が崩れ,古い「仕事一遊び」のリズムはむしろ逆転し, 「遊びや愉快に楽しむことは,
. . . . . . . .
今や強制的な社会的義務 . . . . . . . . . . . (mandatorys o c i a l o b l i g a t i o n ) になり ,人は今や自由時間を最大の快 楽をもたらす活動に使えという道徳的圧力から,安心して逃避できる安住の場として仕事を位置 づけている」 3 0 ) と現代人のレジャー観を省察している。さらに, ヴェブレンの指摘する有閑階級 ( l e i s u r e c l a s s ) は,社会的に義務化されたレジャーを,また金銭的な見栄や派手な見せつけのた めの消費手段としてのレジャー生活を,送っている。このような現実から, レジャー特性として
「自由」を抽象することが果して妥当なのかといった疑問が生じる。ここから自由だけでは不十 分で「条件つき自由」でなくてはならないことがわかる。 . . . .
レジャーの本質は,活動の主体(人間)とのかかわりを断った活動そのものの中に内在するの ではなくて,主体のその活動への動機や目的に内在するものと考えられる。つまり, レジャーか 非レジャーかの判別基準は,外在的活動そのものではなくて,その活動に従事している主体の動 機・目的に帰属するわけで, レジャーの理念型的特性を活動内容によって演繹しようという発想 が,そもそも非分析的・非科学的であるということになる。
したがって,現象的には, レジャーは人間の生活局面に露顕する活動に他ならないけれども,
レジャーの本質はそれらの活動に従事している主体の不可視的態度の中に潜んでいるとみなすべ きであろう。たとえば, H 曜大工や d o ‑ i t ‑ y o u r s e l fはある人にとってはレジャーであるが,他の 人にとっては仕事となる。また,スボーツはある人にとっては職業や義務であり,他の人にとっ てはレジャーとなる。このことは,明らかに, レジャーか非レジャーかを決める判別基準が,活 動そのものに内在しないことを示しており, レジャーが,つかまえどころのない生活局面である と同時に厳密な意味でのレジャーそのものに充当する活動が具体的には存在し得ないことを 3 1 ) 示
2 9 ) M. W o l f e n s t e i n , "The Emergence o f Fun M o r a l i t y " J o u r n a l o f S o c i a l I s s u e , 1 9 5 1 , v o l . 7 . 3 0 ) M. Mead, "The p a t t e r n o f L e i s u r e i s Contemporary American c u l t u r e " A n n a l s o f t h e American
Academy o f P o l i t i c a l S o c i a l S c i e n c e , v o l . 3 1 3 , p . 1 1 .
唆している。そのために,「レジャーは,それが何であるかを知らない人には存在し得ない」 32) し ,
『「これこそ私のレジャーだ」という人にとって,それがまさにレジャーそのものなのだ』 33) とい った指摘は,誇張はあるにせよ, レジャーの本性を端的に言い当てている。つまり, レジャーと は活動スタイルそのものではなくて,むしろ活動主体に内在する精神的特性に係わりが深い概念 なのである。
レジャーが仕事,職務からの解放を前提として,自由・自己裁量,自発性といった個人の精神 的態度にもとづいて行なわれる活動であるとしても,仕事,労働,職業といった概念のよう.に,
「これこそその中味だ」と具体的に示しうる活動がレジャーには存在しない。そのために, レジ ャーについて理念型的に定義すればするほど, レジャー現実と乖離した概念が造成されるという 矛盾が生じてくる 34) 。だからといって大雑把な概念構成で出発すると現実の分析概念としてはな んら有効性をもたないことになる。このような実情から,苦肉の作として, レジャー主体(つま り個人=人間)にレジャーについて語ってもらうことによって,統計的な意味でレジャーとは何 か,に対する解答を引き出そうという試みも出てくる。
パーカーは, ロソドンの中心部アイリントン地区 ( I s l i n g t o n ) に住む男性96 名を対象にして 若干の注目すべき成果を挙げている。調査によれば, 「半数がレジャーとは自分の好きなことを 何でもできる完全に自由な時問」と考えているにもかかわらず, 「仕事は仕事,遊びは遊び」
(Work i s work, and play i s play) といった考えをもつ人はほんの一部に過ぎず,多くの場合,
仕事とレジャーとはオーバーラップしていたり,両者が往々にして連動していたりする事実を突 き止めている 36) 0
また,ャング等は, ロソドン地区に居住する住民 1 9 2 8 名を対象にした実態調査で「レジャーと は何か」について調べ,その結果を次のようにまとめている 36)0
1 . 大半の人はレジャーを仕事 (work) との関係でとらえ, レジャーと仕事は,相互関係におい てのみ理解しうる双体概念とみなしている。
2 . レジャーと仕事は,相互に排他的な双体概念ではなく,時により同一概念として使われるこ とさえある。
3 . レジャーと仕事を区別する基準として,報酬義務からの解放=自由と,楽しさを味わう=快 楽とがボイントになっている。
4 . レジャーと仕事の二つの各義尺度だけでは,諸活動を完全に分類するカテゴリーとは言えな い。つまり,仕事とレジャーは,相互に独立したものであり,報酬,自由,快楽の三基準で判 3 1 ) K. R o b e r t s , o p . c i t . , p . 7 .
3 2 ) S . d e G r a z i a , o p . c i t . , p . 8 . 3 3 ) M. K a p l a n , L e i s u r e , 1 9 7 5 , p . 5 0 . 3 4 ) K. R o b e r t s , o p . c i t . , p p . 7 8.
3 5 ) S . R . P a r k e r , New S o c i e t y , 1 9 7 4 , I O / O c t . , p p . 7778.
3 6 ) M. Young and P . W i l l m o t t , o p . c i t . , p p . 205208.
別 で き る と み て は い る が , す べ て の 活 動 を そ れ で 説 明 し う る と は み な し て い な い 。
これらの結果から,研究者の概念規定はともかく,一般大衆が, レジャーをどのようなものと し て 把 握 ・ し て い る か を 知 る こ と が で き る 。 こ こ で は , 特 に , か れ ら が 具 体 的 な 日 常 活 動 の 中 で
「レジャー」というカテゴリーに分類した活動とは何かに注目してみよう。
表 1
有 給 の 仕 事 ( p a i dw o r k ) O,W 有給の仕事と関係のある食事や休憩 Mix 家・ 事 ( h o u s ew o r k ) M,W (meals & b r e a k e s c o n n e c t e d w i t h p a i d w o r k ) / /
通 勤 ( t r a v e lt o w o r k ) Mix 成人教育 ( a d u l te d u c a t i o n ) / /
育 児 ( c h i l d c a r e )
市民・社会活動 ( c i v i c & c o l l e c t i v e a c t i v i t y ) , ,
ショッビング ( s h o p p i n g )
旅行 ( n o nwork t r a v e l ) M•L
食 事 ( e a t i n g ) / / 娯楽や交際 ( e n t e r t a i n m e n tand s o c i a l c o n t a c t ) O•L 睡 眠 ( s l e e p i n g ) , I スボーツや散歩 ( s p o r t s & w a l k i n g ) O・L
他のレジャー (TV 視聴など) O•L O•W 75% 以上が 仕事に分類 Mix: 40% 以上が
M,W 50% 以上が 仕事に分類 仕事とレジャーの両面をもつ M•L 50% 以上が レジャー"に分類 仕事でもレジャーでもない
O,L 75% 以上が レジャー"に分類 どちらともいえない"などと分類 37)
これによれば,旅行,娯楽や交際,スポーツ・散歩,テレビ視聴などが, レジャーと呼ばれる 活動内容の典例であることがわかる。われわれの調査でも, 「レジャー」といった時に最初に連 想 す る 活 動 内 容 と し て , 旅 行 (36%) スボーツ (27%) ドライプ (19%) ハイキソグ・ピクニッ ク (11%) 娯 楽 ・ 交 際 (8%) が枚挙され, レ ジ ャ ー に 符 合 す る 活 動 の ア ウ ト ラ イ ン は ほ ぼ 確 定 できるように思われる。しかし,これらから直接, レジャーの定義を導き出すことは難かしい。
またこのような,大衆が述べるレジャーの内容とは別に, 日 常 生 活 の 諸 活 動 を 分 類 し た 研 究 者 としてスザライ等がいる。
A . スザライ ( A .S z a l a i ) らは, 「時間の利用」実態を 12 ヶ 国 ( ベ ル ギ ー , プ ル ガ リ ア , チ ェコ,西ドイツ,東ドイツ,フランス,ハンがリー,ペルー,ボーラソド,アメリカ合衆国,
ソ 連 , ユ ー ゴ ス ラ ビ ア ) に わ た っ て 1965 1966 年の間に調査した。 38)
その中で, v ・バトルチョフ ( V .D . patrushev) は 活 動 の 構 造 を 把 握 す る 場 合 の 基 本 的 パ ク ー ンを,時間の利用法という観点から, 1 . 社 会 的 生 産 労 働 に 当 て る 時 間 (Timedevoted t o work i n s o c i a l production) 2 . 家 事 や 家 庭 の ニ ー ド に 当 て る 時 間 (Time devoted t o house work and domestic needs) 3 . 生 理 的 ニ ー ド を 充 足 す る た め の 時 間 (Time devoted t o s a t i s f t y p h y s i o l o g i c a l needs, 4 . 他 の 肉 体 的 ・ 知 的 ・ 社 会 的 な ニ ー ド を 充 た す た め の 時 間 (Time t o meet other p h y s i c a l , i n t e l l e c t u a l and s o c i a l requirement; i e Free Time) に分類し,そ
3 7 ) i b i d . , p . 2 1 0 .
3 8 ) A . S z a l a i e d i t . , The Use o f T i m e , 1 9 7 2 .
れぞれのパターンに対応する具体的活動を表 2のように要約している 39) 0
この分類は,時間消費の構造という面から.日常生活にみられる主要な活動を類別したもので あり, レジャー活動とは何かについては触れていないが,分脈から判断して,体カ・知力の再生 と啓発を促がす自由時間内活動が, レジャーに符合するものと類推される。このパトルチョフの 分類を発展的に体系化したのがスザライである。
かれは.主要活動を1 0 ケのカテゴリーに分類し,それぞれのカテゴリーに1 0 ケの具体的活動内 容を充当している。 1 0 ケのカテゴリーとは,
1 . 仕事時間と仕事に関連した時間 (workingtime and t i m e connected t o i t ) 2 . 家事労働 ( d o m e s t i cwork)
3 . 育児 ( c a r et o c h i l d r e n )
4 . 家庭管理 (purchasingo f goods and s e r v i c e ) 5 . 私的なニード充足活動 ( p r i v a t eneeds)
6 . 成人教育や専門的訓練 ( a d u l te d u c a t i o n and p r o f s s i o n a l t r a i n i n g ) 7 . 市民的・集団的参加活動 ( c i v i cand c o l l e c t i v e p a r t i c i p a t i o n a c t i v i t i e s ) 8 . 見せもの・催しもの・社交 ( e n t e r t a i n m e n t ,s p e c t a c l e s , s o c i a l l i f e ) 9 . スボーツと能動的レジャー ( s p o r t sand a c t i v e l e i s u r e )
1 0 . 受動的レジャー ( p a s s i v el e i s u r e )
である。このカテゴリーをペースにして,スザライはレジャーに関連する具体的活動内容を,
セミレジャー,マスメディア(受動的レジャー), レジャーの三つに分属させる。その結果は,
次のようになっている。
A. セミレジャー (Semil e i s u r e )
1 . 個人の身の廻りの管理 ( p e r s o n a lc a r e )
[例] 家庭外での身の廻りの仕事や治療,家庭での健康を守るための活動や治療.完全に プライペートな活動など
2 . 学習 ( s t u d y )
[例] 授業に出席,研究,専門職コースに参加,講演に出席,政治や組合に関係する訓練 コースに参加,家庭学習,科学的書籍を読むなど
3 . 宗教活動 ( r e l i g i o n )
[例] 宗教組織に参加,宗教的実践活動,鍛式への参加.など 4 . 組織的活動 ( o r g a n i z a t i o n )
[例] 党員や組合員としての活動,社会的・政治的組織の選出委員としてのボランクリー 活動.いろいろな会合への参加, 無給の市民的活動(ボランティア), 会社のいろ いろな奉仕活動,機能集団への参加など
3 9 ) i b i d . , p . 4 3 3 .
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表