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遠藤文彦

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長崎大学教養部紀要(人文科学篇) 終刊号 第38巻 第1号 (1997年9月)

交通と落下

ピエール・ロチ『秋の日本』論

遠藤文彦

Circulation et chute

Sur Japoneries d'automne de Pierre Loti

Fumihiko ENDO

はじめに‑「ジャポヌリ」とは何か

『秋の日本』はピエール・ロチが1885年秋の日本滞在をもとに1889年に上梓した作品で ある。ただし書き下ろしではなく、かれが1886年から1887年にかけて執筆し、 『ヌーヴェ ル・ルヴユ』誌に寄稿したっぎの九編のテクストをまとめたものである。

「聖なる都・京都」 《Kioto, la ville sainte≫

「江戸の舞踏会」 《Un bal h, Yeddo》

「じいさんばあさんの奇怪な料理」 《Extraordinaire Cuisine de deux vieux》

「皇后の装束」 《Toilette d'imperatrice》

「田舎の噺三つ」 〈Trois Legendes rustiques〉

「日光霊山」 《La Sainte Montagne de Nikko》

「サムライの墓にて」 《Au tombeau des samouraiis》

「江戸」 《Yeddo》

「観菊御苑」 《L'Imperatrice Printemps〉 (「皇后‑ルコ」)

まず、作品のタイトルから見てみよう。 『秋の日本』という題名は、この作品の邦訳が 昭和1 7年、青磁社より上梓された際の、訳者である村上菊一郎と吉永清とによるもので ある(上記各テクストの標題も両氏の訳による)。同書は当時、 「時の情報局からきびしい 干渉を受け、本文中数カ所削除の止むなきにいたった」ものであり、ようやく昭和28年に

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なって角川文庫より完全なかたちで出版された。訳者もあらかじめ断っているように、原 題はJaponeries d'automne、すなわち「秋のJaponeries」であり、 「秋のJapon」では ない。

原題を直訳すれば《秋の日本的なるもの〉または〈秋の日本風物》というところであろ う。訳者らが本書を《秋の日本》として、あえて口調のいい《日本の秋》を採らなかっ たのは、原作の題名になるべく近接して、原作者の内容に対する真意を多少なりとも汲 まんとした以外に他意はない(1)

「日本の秋」が「秋の日本」よりも「口調がいい」のかどうかは別にしても、

《japoneries》の原義に比較的近い「日本的なるもの」ないし「日本風物」を避け、単純 に「日本」としたのは、なるほど単に「口調」の問題に配慮したからにすぎない(「他意 はない」)のであろう。

では、 japoneriesとは正確にいって何なのだろうか。辞書によると(2)、それは一義的に は「日本的様式をもった日本の美術品(objet d'art)、ないし骨董品(curiosite)」のこと である。 「ジャボヌリ」 《japonerie》は「ジャボネ‑ズリ」 《japonaiserie》と同義であ るが、後者の方が初出は古く(1868年、ゴンクール兄弟の『日記』、前者は他ならぬ『秋 の日本』の1889年(3)¥、現在でもより一般的に使われている。それは、はじめは単に日本 の美術品・骨董品を意味していたが、やがてその種の事物への審美的関心を指すにいたり、

日本流の美的様式を志向する俗流美学、いわゆる「日本趣味」のような意味を持っことに なる。さらにそれは日本に関する一般的知識、共通の概念を指すこともある。 『秋の日本』

では、もともとの物質的意味(279)、第二の審美的意味(286)、第三の観念的意味(78)のい ずれもが認められる。表題の《japoneries》は、複数形で用いられていることからしても、

純粋な抽象的観念というより、対象の具体性を合意する第一の意味をベースにしていると いえるが、いずれ日本の美術工芸品の諸特徴を備えた日本的なものを喚起する諸々の文化 的表象(都市、建築、風景、習俗、人々、衣食住等々)に差し向けられ、結局、一般

、 ヽ ヽ 、 ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、

に日本的とみなしうるもの全てを指しているように恩われる(「あらゆる種類の日本的な るもの」 《toute esp芭ce de Japonerie》 (271)といったときの含意)。その意味でそれは

ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ

特定の対象というより、明確な定義を欠く漠然としたイメージ(既に見たことのあるもの) にすぎない。いってみれば、固有性を代表し、譲渡不可能な価値を担うものとしての芸術 作品ではなく、非固有性を代表し、イメージとして流通する工業製品(それも実用性より

も装飾性が優位を占める商品)の類である。

さて、このような意味での「ジャボヌリ」についていうと、われわれはそれをめぐって、

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かって「珍妙さ」という概念を作品読解の鍵として『マダム・クリザンテ‑ム』を論じた 際、若干の考察を加えたことがある(4)事実「珍妙さ」は、ほかならぬ「ジャボヌリ」の 第一義である日本産の置物(bibelot)を修飾する語として導入されていた。そしてそれ

は、細部性、無道徳性、表面性、模造性など、いずれ否定的、軽蔑的なニュアンスをもっ て描かれていた。取るに足らないこと、大して価値のないこと、まともな興味に値しない こと、要するに非本質的であることが「ジャボヌリ」の本質的特徴なのであった。 『秋の 日本』の語り手は、京都の「陶磁器製造所」 《ces fabriques de porcelaine》を見学す る場面で、自分が日本の皿や壷、すなわち、もともとの意味での「ジャボヌリ」には特別 な関心を払いえないことを殊さらに記している。 「あまり興味はないのだけれど、やはり、

世界中に数え切れないほどの皿や壷をばらまいた、かの焼き物工場を訪ねておかないわけ

にはいかない」 《Bien que cela m'interesse assez peu, il faut cependant visiter ces fabriques de porcelaine, ayant seme par le monde d'innombrables milliers de

tasses et de potiches》 (36‑7)。だが、まさしくこうした冷淡で侮蔑的な態度こそ「ジャ ボヌリ」の定義に対する律儀なほどに忠実な反応にはかならないのだ0

以上は『マダム・クリザンテ‑ム』にも認められる「ジャボヌリ」の一般的・辞書的意 味である。ところで問題の『秋の日本』に描かれているのは、その冒頭に既に示唆されて いるように、ある種の特徴を備えた「既に見たことがあるもの」という意味での「日本的 なもの」ではない(少なくともそれだけではない)。というのも、この作品がとくに志向 しているのは、まさしくそれまでは不可視だったもの、近づきえなかったもの、したがっ て未知のものであるからだ。語り手は「聖なる都・京都」をこう始めている。 「ここ数年 前まで、それ[‑京都]は西洋人には近づくことができず、神秘に包まれていた」 〈Jus‑

qu'a ces derni芭res annees, elle etait inaccessible aux Europeens, mysterieuse.〉

(1)。また「皇后‑ルコ」では、皇后のことを、 「まさしくその人の不可視性ゆえにこそ私 が見てみたいと夢みる、かの滅多に見られない皇后」 《cette presque invisible imperatrice, que je rSve de voir a cause de son invisibilite mァme ≫ (310)と述べ

ている。ここには、 『マダム・クリザンテ‑ム』に措かれた徹底した世俗性・表層性・日 常性(現在の日本)の次元とは対照的に、聖性・神秘性・超越性(過去の日本)の次元

(たとえそれが近代化のただ中にあって平板化しつつあるのだとしても) ‑の志向が認め られる。

ところで、イメージにすぎなかったものの現実を目で見、触れることのできなかったも のに実際に触れ、書くことによってそれらについての客観的情報(たとえば、西洋人が日 本女性のキモノと思っている華やかな衣装、あれは今では遊女のみが着るものであって、

庶民の着るものはもっと地味であり、また、宮廷の装束は古代から伝わるもので、西洋で

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はまったく知られていないものであるという情報(308))を提供することは、一種の脱神 話的ないし啓蒙的機能を担うことである。また、それは同時に涜聖の意味をも帯びるであ ろう。というのも、本来不可視かつ不可蝕のもの、その限りで聖性を維持しているものを 痛く、すなわち、目に見え手で触れうるようにするということは、語り手が嘆いているか に見える世俗化の動きに、まさに書くという行為において彼もまた荷担し、それを遂行す ることにはかならないのだから。見聞録としてのこの作品において書くということは、そ の本性上、見えざるものとしての聖なるものに接近し、それを見えるようにするというこ

とであり、したがって、それが観念上は非難し抗議しているところの事態を物理的には実 行することなのだ。

加えて、この作品のもう一つのライト・モチーフをなしているのは、日本に固有の特徴 としての「ジャボヌリ」を消し去りつつある近代化‑欧風化のテーマである。これは上の 第三の意味で使われた「ジャボヌリ」、つまり日本に関する一般的知識や概念にかかわる テーマである。すなわち、鹿鳴館に招かれた語り手が欧化政策の下にある日本の建築や風 俗習慣を前にしてこう独りごちる。 「正直いって、これ[‑鹿鳴館で催される舞踏会への 招待状]は私が長崎に滞在して得た日本的なものの概念をことごとく混乱させる」

《j'avoue qu'il con fond toutes les notions de japonerie que mon sejour a,

Nagasaki m'avait donnees》 (78)。この点についても、いかに語り手が日本の西洋化 を榔旅しようとも、彼が旅行者として日本に滞在していること自体が、日本に、そしてテ クストに異質なものを混在させる主たる要因となっており、彼が一方では嘆いている日本 の非日本化に貢献し、それを遂行しているのである。

こうして『秋の日本』においては、 「ジャボヌリ」の概念をめぐり、その一般的意味に 加えて、この作品に国有のものと恩われる三つのモチーフを区別することができる。すな わち、 1)日本における世俗的次元を代表し、日本に関して流通する諸々のイメージ(こ

ジャポヌリビプロ

れを物理的に形象化するのが商品としての日本の美術品であり置物である)、 2)日本に おいて世俗的なものを超越し、聖性・神秘性を代表する次元(これを語り手は「古代の日 本(人)」としてイデオロギー的に形象化している)、 3)固有に日本的なものを浸食し消 去しつつあるもの(その代表的象徴が「鉄道」である)、あるいは、日本に関するイメー ジを混乱させる非日本的なものの介入としての西欧化・近代化(その狂操的舞台が「ロク メイカン」である)0

第一の意味は、異国趣味の内容としてすでに流通している日本のイメージであり、日本 に関する既得の一般的知識(通説)を構成する。第二の意味は、旅行者としての語り手が その特権的報告者となるべき未知の日本、類型的に「現在」と切り離された「過去」の日 本に関係する(しかしこれも当の報告を通していずれ異国趣味を構成する新たな要素とな

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るものであろう)。以上二つの意味は、いずれも伝統的という意味での日本の固有性・純 粋性を合意するO第三の意味(これも「ジャボヌリ」の意味の一つとみなすならば)は、

第一の意味および第二の意味とは矛盾するように見え、それらを消去するように機能する 日本の逆説的イメージである。

さて、日本における俗性(ジャボヌリI)と聖性(ジャボヌリⅡ)についていうと、そ れらは別の次元に属する互いに相容れない世界であると同時に、ある種の隣接関係をもっ ものとして提示されている。 「近代日本」 《le Japon moderne》 (26)と「古い日本」 《le vieux Japon》 (192)は、内容的に絶対的隔たりをもっていながら、空間的には隣接して おり、しかも両者の境界が哩味で困惑をおぼえさせる。連続してはいないが隣接している、

いわば連録しているこの奇妙な関係に由来する困惑は次の真面目とも皮肉ともっかない問 いに端的に要約されている。 「どこまでが神で、どこからが玩具なのか」 《Oもfinit le dieu, ou commence le joujou?》 (17)。要するに聖と俗の境界か不分明なのであり、そ の意味でいうと、ここにはいわゆる境界侵犯の条件が欠落している。俗から聖への超越も、

聖から俗‑の失墜も、ここでは原理的にありえない(5)。

似たような受け入れがたい連接性は、日本的なものと西洋的なものの間にも認められる。

何度もくり返し語られるように、日本人と西洋人は人種に由来する絶対的隔たりに刻印さ れており、互いに他を理解することは原理的に不可能だとみなされている。例えば、 「こ の日本とわれわれとの間には、諸々の原初的起源の相違によって穿たれた大きな深淵があ

る」 《Entre ce Japon et nous, les differences des origines premisres creusent un

grand ab壬me》 (92)。にもかかわらず、純日本的なもの( 《[les] plus idealement japonaises》 (197))とごく西洋的なもの( 《tout ce qu'il y a de moins japonais》

(79))は、互いに異質なものとしてけっして融合することがないまま結合し、混在する。

上に示唆したとおり、こうした事態の狂操に満ちた場面を措いているのが「江戸の舞踏会」

であり、それを表す物理的イメージが「混合‑合金」の比愉(「日本と十八世紀フランス の混ぜ合わせ」 《cet alliage de Japon et de XVIIIe si芭cle frangais》 (86))である。

しかしながら「日本的なものの概念をことごとく混乱させる」 (78)もの、つまり、日本の 固有性ないし純粋性を変質させるものとしての近代化・西洋化は、たとえ否定的価値しか 認められないとしても、それもまた第二度の、いわば一段ひねった意味においては日本に 固有のものに属するのではないだろうか。少なくとも作品においてはその通りである。事 実、日本は本来的に本来性を欠いた国、元来「バラバラで、異質なものからなり、本当ら

しくない」 《disparate, heterog芭ne, invraisemblable》 (5)ところ、 「すべてが奇妙で対 照をなしている」 《tout est bizarrerie, contraste≫ (40)場所なのではないか。同じこ とを逆から見ることもできる。 「聖なる都・京都」で建設中の寺院を目にした語り手は、

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そのことが「かくも突然に蒸気機関と進歩に夢中古手なった国民における、これもまた矛盾 のひとつ」 《une contradiction de plus chez ce peuple si subitement affole de vapeur et de progr芭S》 (47‑8)であると言う。要するに、 「ジャボヌリ」の第三の意味と

しての西洋化・近代化は一方通行的・不可逆的過程ではないのであり、逆にいえば、まさ にそうでないことにおいて、一筋縄ではいかない、奇妙に歪んだ概念としての「ジャボヌ

リ」を構成しているのである。

かくして「ジャボヌリ」の三つの意味のあいだに融合や統合はないが、ある種の関係、

ないし連絡はある。というのも、作品が、それにどのような価値評価を与えるにせよ描い ているのは、第一の意味と第二の意味が連接するということ、すなわち両者の境界が結局 のところ不明瞭であるということ、そしてまさにそのことが日本に固有の特徴と思われる ということ(ジャボヌリI')であり、他方、第一の意味と第二の意味が代表する日本の 固有性・純粋性は、第三の意味に完全には消去されることなく浸食されることによって一 部喪失し一部存続するということ、そしてそれもまた日本的なものに見えるということ (ジャボヌリⅡ')である。要するに、テクストがもっぱら象ってみせているのは、第一の 意味でも第二の意味でも第三の意味でもない。重要なのはそれらの意味自体ではなく、第 一の意味と第二の意味が代表する「日本的なもの」における明確な境界の不在(「どこま でが神で、どこからが玩具なのか」)であり、また、前二者と第三の意味との関係におけ る「日本的なもの」の固有性・純粋性の部分的喪失、それにともなう概念的混乱(「日本 的なものの概念をことごとく混乱させる」)である。

じつのところ日本に固有と恩われるイメージのみが「ジャボヌリ」なのではない。 「ジャ ボヌリ」は元来矛盾をはらむ不純な概念である(6)。あるいは概念というよりも、矛盾をも 含むある種の突飛な関係が成立する場、さらにいえば、そもそも矛盾が矛盾として機能し ない場の形象である。 「ジャボヌリ」という語が、そもそも異質なものからなる歪んだ意 味関係を表象しているのだとすれば、日本における聖なるものと俗なるものとの境界の欠 如のみならず、日本固有のイメージをある意味では消し去り、ある意味では混乱させるそ の仕方(欧風化)自体も、日本に固有なもののように思われてくるであろう。さらには、

むしろ矛盾しつつ存続する、その執拙さ、強度こそが非固有性・非純粋性としての「ジャ ボヌリ」を特徴づけているのだと思われてくるであろう。すでに第一の意味と第二の意味 との連接関係が日本の固有性を構成的に規定しているのならば、第三の意味がもたらす矛 盾と困惑は、そのようなものとしての「ジャボヌリ」の本質的意味を一段上のレベルで、

いわば累乗的に遂行するものなのだ。固有性や純粋性ではなく、明確な境界の不在と異質 な要素の混在こそが「日本的なもの」を構成する。 「ジャボヌリ」、それは定義可能な固有 の内容をともなう実体的癖恵というよりも、固有の内容を持たず、極言すれば園有性の欠

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落そのものに差し向けられたネガティブで空虚な彪象なのである。

われわれは以下、顕在的には実体的に分類可能と思われる三つの意味を出発点としなが らも、それらを絶対的に隔たったものとしての限りで疎通させ、切り結ぶテクストの潜在 的構造、その動き、振る舞い、リズムに焦点を当てて作品を読んでみたい。テクストがそ の物質的運動において遂行してみせているのは、この観念的には可能な区分と境界線の、

実践上の疎通と横断なのである。

I交通について

テクストの下部構造としての「交通」

『秋の日本』には、端的にいって何が語られ、何が描かれているだろうか。それは、語 り手が1885年秋に滞在した日本のこと(7)であり、個々のトピック‑話題‑場所‑と しては、その際訪問した都市(京都、鎌倉、江戸、日光)のこと、具体的にいうと、主と してそこで見た名所旧跡の類(清水寺、三十三間堂、聚楽第、鶴ケ岡八幡宮、浅草、浅岳 寺、大仏、上野、吉原、東照宮‥.)、付随的には聞いた話(「田舎の噺三っ」)、偶然の出 会い、出来事などである。これはあらためて述べるまでもない自明のことであろう。それ は要するに日本を対象とした紀行文なのだから。

しかるに、それらのトピックのあいだにあって、ときに明示的に語られ、ときに暗黙の うちに想定されるもの、だが常にそこに現前しているもの、それはそれらのトピックをっ なぐ「交通」である。 「交通」は、それがなくては旅行記ないし紀行文としての『秋の日 本』が成り立たない、いわばテクストの下部構造をなしている。必ずしも明示的に語られ ず、とりわけ書かれてはいても大抵の場合意識的には読まれることのない「交通」は、常 にそこに現前し、それを物語るテクストの形式を規定している。

そもそも「交通」については、第‑のテクスト「聖なる都・京都」の冒頭から、近代化 にともなうある種の失墜のテーマと結びっけられ明示的に語られている。

ここ数年前まで、それ[‑京都]は西洋人には近づくことができず、神秘に包まれて いた。今ではそこにも列車で行ける。つまり、通俗化し、失墜し、終わってしまったと いうことだ。

Jusqu'^. ces derni芭res annees, elle etait inaccessible aux Europeens,

lヽ

mysterieuse; a present, voici qu'on y va en chemin de fer ; autant dire qu'elle

I

est banalisee, dechue, finie.(l)

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「ジャボヌリ」の第一の意味は、商品として流通する日本の事物であった。いったい商 品というものを第一義的に規定するのは、それが何に値するかというその内容ではなく、

それがいずれ何らかの価値として流通するということそれ自体であろう。神秘を維持して きたものが、その固有性を喪失し失墜してゆくということは、ここではそれがイメージと して流通するということ、すなわち商品化するということと同じである。引用した冒頭の 一節で嘆かれているのは、 「ジャボヌリⅡ」、すなわち神秘を秘めた対象としての日本が、

西洋化・近代化の過程において「ジャボヌリI」、すなわち固有性を欠いたものとしての イメージに堕してゆく、あるいはもうすでに堕してしまっているという事態であろう。注 目してみたいのは、この失墜が西洋化の一つの現れとしての近代的交通手段(鉄道)の導 入と結びつけられているということである。物の移動としての流通が人の移動としての交 通と重なり合う。この作品においては「交通」というテーマが「流通」のそれとともにテ クストの下部構造的(それゆえ多かれ少なかれ無意識的)主題系を構成し、そこからいく つかのモチーフが派生してきて、テクスト上にさまざまな形象となって現れてくるのでは ないか。以下の考察の出発点となっているのは、このような仮説である。

世俗的なものが聖なるものに通じ、西洋的なものが日本的なものを横切る。この疎通と 横断を可能にしているのが「交通」なのだが、ちな射こ、後者(ジャボヌリnoを遂行 しているのが日本の近代化・西洋化を象徴する「鉄道」だとすれば、前者(ジャボヌリI') を実現しているのは、前近代的で日本に固有のものと恩われる「人力車」である。いずれ にせよ、それが内容の交流や価値の交換をもたらすかどうかは別にしても、確実に言える のは、 「交通」は空間の疎通と事物の流通を保証するということである。そのようなもの として「交通」は『秋の日本』におけ.る「ジャボヌリ」の奇妙な意味構成の原理であり、

ひいてはテクストを生成する動力でもある。それは歴史的な現実であるとともに、テクス ト的形象でもあるのだ。

疾走するジン‑速度とリズム

『秋の日本』にはいくつかの交通手段ないし輸送機閲が描かれている。すなわち、作品 ではその影しか垣間見ることはできないが、語り手が世界中を移動することを可能にし、

彼をここ日本にまで運んできた船舶。海上に停泊している艦から港までの往来をになう解。

都市と都市を結ぶ鉄道。そして市中の移動には欠かせない人力車。先はど見たとおり、こ こで特に近代化のテーマを担い、神秘の喪失というテーマと結びつくのは鉄道である。こ れに対して、語り手の日本における主要な移動手段であり、語り手にとって他に類をみず、

前近代的という意味で日本に固有なのはどれであったかといえば、それはいうまでもなく 人力車である。事実、人力車で市街を駆けめぐったことが語り手にとっては特に印象的で

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あったことについて、やはり「聖なる都・京都」のはじめの方にこう記されている。

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こうやってジンに引かれて駆け回ったことは、いろんなことを大急ぎで見たり行った りした京都滞在の日々でも、心に残る思い出のひとつである。速歩の馬のように、普通 の二倍の速さで運ばれて、轍から轍へと飛び跳ねたり、群衆を押し倒したり、崩れかけ た小さな橋を越えたり、人気のない一画をただ独り通り抜けたり。階段があれば登った り降りたりもする。そんなときは、一段ごとに、ぽんぽんぽんと、座席の上で跳ねたり、

弾んだりする。とうとう夕方には、ぼうっとしてしまい、ものが次から次に回って見え てくる。まるで、あまりにも速く動かすものだから、くるくる変わる光景で目が疲れて しまう、万華鏡の中の風景のように。

Ces courses en djin sont un des souvenirs qui restent, de ces journees de Kioto ou Ton se dep6che pour voir et faire tant de choses. Emporte deux fois

vite comme par un cheval au trot, on sautille d'orni芭re en orm芭re, on bouscule des foules, on franchit des petits ponts croulants, on se trouve

voyageant seul a travers des quartiers deserts. M6me on monte des escahers et on en descend ; alors, a chqque marche, pouf, pouf, pouf, on tressaute sur

.ヽ

son siege, on fait la paume. A la fin, le soir, un ahurissement vous vient, et on voit defiler les choses comme dans un kaleidoscope remue trop vite, dont les changements fatigueraient la vue. (p.ll)

「ジン・リキ・シャ、走る人間が引く一人乗りの小さな車」 〈Djin‑richi‑cha, petite voiture h, une place, trainee par un homme coureur〉 (3)。 「ジン・リキ・シャを 引く人間、ジン・リキ・サン」 (Djin‑richi‑san, homme qui tra壬ne la djin‑richi‑cha》

(7)。人力車の車夫のことを、彼ら西洋人たちは「ジン」 《djin》と呼ぶ。その方が言い やすいからというだけでなく、 「悪魔の子」 《diablotins》 (8)のように常に迅速に走り回

るその独特の動き、そしてまさしくその悪魔的な雰囲気がより的確に表現されるからだ。

それは例えば京都のようにかなり「広く」 (8)、かつ小路が入り組んで「迷路」 《dedale》

(8)のようになっている都市を移動するにはこの上なく便利な乗り物である。

‑ハッ、 ‑ッ、ホッ、フッ。ジンは気合いを入れたり、通行人をどかすために、け ものじみた掛け声をとばす。かなり危ないものだ、こんな風に、全速力で走る人間に運 ばれて、ひどく軽いごく小さな車に乗って市中を駆け回るというのは。石にぶつかって

は跳ね上がり、急な曲がり角では傾いて、人や物があれば引っかけたり倒したり。とて

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も幅の広い並木道のところで、急な勾配の堤に挟まれた轟々と流れる川があり、そのす ぐそばをわれわれは疾走する。一瞬ごとに私は、その中に落っこちてゆくわが身を思い 描く。

‑Ha! ha! ho! hu! Les djin poussent des ens de bete pour sexciter et ecarter les passants. Assez dangereuse, cette mamsre de circuler dans un tout

petit char d'une leg芭rete excessive, emporte par des gens qui courent, qui

courent a toutes jambes. Cela bondit sur les pierres, cela s'incline dans les tournants brusques, cela accroche ou renverse des gens ou des choses. Dans certame avenue trss large, ll y a un torrent qui roule, encaisse entre deux talus a pic, et tout au ras du bord nous passons ventre a terre. A toute

minute言e me vois tomber la dedans.(9)

疾走と巡回、偏向と転落。この記述には、作品全体をっらぬくテクストの動き、その速 度とリズムが凝縮されている。確実に目的地に通じ、方向性が明確で、行程があらかじめ 決まっている鉄道とは対照的だ。直線性と不可逆性を特徴とする鉄道とは逆に、ジンは機 動性と融通性を持ち合わせてはいるが、その分っねに奇妙な不安定感を与え、転落の危悦 を抱かせる。目的地はあらかじめ決まっていても、そこまで行くのにどこを通過して行く のか、その道程は定かでない。それを知っているのはジンであり(ジンは交通手段である

ガイド

と同時に案内役でもある)、乗っている者はどこかに向かっているという感じよりも、ど こかに「連れ去られていく」 《emporte》という、何かしら主体性を奪われたような感じ を抱く(それはまさしく「悪魔にさらわれてしまえ!」 〈Quele diable t'emporte !》

というがごとくであり、これもまたジンが「小悪魔」 〈diablotins〉に喰えられているこ との一つの意味であろう)。宇都宮から日光に向かう場面も含めて、京都や江戸や鎌倉な どの都市をジンに乗って駆け巡る場合は、一定の方向性をもった移動というよりも無方向

ルート

的な漂流ないし迷走のイメージの方が優勢である。逆に鉄道の場合は、道筋が固定してお り、目的地もはっきりしている。鉄道旅行においては単調さと眠気が支配的である(神戸・

京都間と横浜・宇都宮問の鉄道旅行の記述(2‑6,155‑159)を見よ。そこには有意味な差異 の知覚に乏しく、 《toujours》 、 《partout》 、 《pareil》 、 〈m&me〉といった同一者 の反復を示す語が頻出する)。いずれにしても「鉄道」が引く不可逆的な直線と「ジン」

が描く迷宮的なジグザグとの組合せ、交替は、作品の軸となる運動を形づくり、テクスト の特異な綾を構成しているように思われる。

さて、ジンがそこにおいて主要な交通手段となっている都市空間は、ごく物理的にいっ て予想外の広さとして捉えられる。たとえば京都については、 「なんとも大きなところだ、

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この京都という都市は」 《Quelle immence ville, ce Kioto〉 (8)、江戸については、

「この都市は、私の間違いでなければ、バリよりも広い」 《cette ville [‑], si je ne me trompe, est plus etendue que Paris》 (273)、 「桁外れの広がり」 《une etendue demesuree》 (279)、宇都宮については、 「それは非常に大きく、広い」 《C'est trss grand, trss etendu》 (162)‥.といった記述が見られる。都市の第一の属性、それはデ カルトの物体よろしく「延長」 《etendue》なのである。事実、この広さは一定の視点か

ら望まれる遠近法的空間の展開ではなく、中心・方向性・意味を欠いた漠たる物理的広が りである。主体はそこでみずからの位置を画定することができない。そこから今度は、都 市を「迷宮」 《labyrinthe》ないし「迷路」 《dedale》にみたてる建築的喰えが出てく る。ジンも含めてこのテクストにおける重要な形象として案内役がいる(聚楽第、泉岳寺、

日光、鶴ヶ丘八幡宮などの場面を見よ)。彼らの役目は、目的地‑連れて行くこと、禁止 されたところ‑立ち入らせないこと、出口を示すことなどであり、文字通りの交通整理的 機能を担っている。 「われわれが迷い込みそうなあらゆる四辻には、赤いチョッキを着た 大勢いる例の従僕のうち誰かが必ずいて、どの道を通らなければならないか、どの道を行っ てはならないか、教えてくれる」 《A tous les carrefours oil nous pourrions nous

egarer, quelqu'un de ces laquais a. gilet rouge, qui sont legion, se tient pour

! 1 I

nous indiquer quelle route il faut suivre, quelles allees il nous est intercut de

prendre》 (328)。彼らはまた、空間の導き手であるばかりでなく、知識の供給者でもあ る(京都の人力車夫カラカワと‑マニシ、聚楽第や泉岳寺や日光の番僧など)。通行を制 御ないし許可するという意味で権力を表象するとともに、知を所有し神秘に通じていると いう意味でも、それは悪魔的形象なのだ。

迷宮

ジンがその担い手となる交通は、鉄道による交通が単調で眠気を催させ、均一化する視 像をもたらすのと対照的に、断片的で、変化に富んだ、文字通りの万華鏡的視覚をもたら す(鉄道をめぐる記述自体、この作品においては、近代批判のお決まりのトピックとして

どちらかというと独創性に乏しく、またジンをめぐる記述のような豊かさは見られない)0 ジンが与えるスピード感も、実際の速度というより、むしろ一所に十分に静止しないこと、

ひとつの場所を深化させることなく他の場所に移動する、そのせわしなさに由来している

カL/イドスコープ

ように思われる(ちなみに「万華鏡」とは、 「美しいQialos)形‑外観(eidos)を見せるも

エイドスイデア

の(‑scope)」の意だが、ここでいう形‑外観は、形相‑本質に通じる語である。しかし

イデア

ながら、万華鏡の比職の中に観念の単一性・全体性・固有性は感じられない。それは複数 化・断片化し、非本質化してしまっている。ここに、全体的外観の美しさが全体性の破砕

(12)

に由来するという、万華鏡の美学を語ることもできよう)0

実際、ジンによる交通は、ばらばらの点と点、隔離され断絶した場所と場所を繋ぐもの ではあるが、その間の弁証法的対話を可能にしたり、そこに何らかの(失われた)全体性 ないし統一を回復したりするものではない。個々の場所は、統一的全体の有機的部分では なく、むしろその全景を見通すことのできない迷宮的空間の機械的部品のようなものだ。

このことは作品全体にも通じることであるが、ここでは、作品のまさしく一断片である

「タイコーサマの宮殿」 (聚楽第遺構)の場面を例にとってみよう。この宮殿は、通過する ことはできるが、振り返っても見極めることのできない空間的構成の形象となっている。

都市を「迷宮」とみる建築的比職は、建築的表象をとおして文字通りの展開を示している のである(8)。

タイコ‑サマの宮殿は、その周囲に「大きな壁の囲い」 《Une enceinte de grands murs》をめぐらし、その他の空間から隔離された空間をなしている。語り手がその内部 に「侵入する」 《penetrer》 (涜聖ないし探検のテーマ)と、

宮殿の巨大な建物は、はじめ全然その全体の図面が見えてこない一種の無秩序において 私の眼前に現れる。

Les immenses batiments du palais m'apparaissent d abord dans une esp芭ce de

I

desordre ou ne se dem6le aucun plan d'ensemble.(26)

そこで、 「誰の姿も見えないので、私は行き当たりばったりに進んでゆく」 《Ne voyant personne言e me dirige au hasard》 (ibid.}。しかしその内部で、語り手は文 字通り堂々巡りして同じ場所に戻ってくるという危険をおかさずには一歩も前進すること

ができない。 「向かう」 《se diriger》という動詞が、特定の方向性・目的性(〜の方に versの目的語)を失ってしまうのだ。そこで語り手‑訪問者は、実際上および物語上の必 然として、いずれ案内役の僧侶に出会うことになり、かくして宮殿内の各部屋、各区画に 侵大しては、そこを通過してゆくことができるようになる。宮殿の内部、奥の方の部屋は、

それぞれ隔離すると同時に通行を可能にする扉で、とにもかくにも互いに通じてはいるの だから。すなわち、 「それら[‑内部の部屋]は見慣れず思いがけない形をした一種の扉

で通じている」 《Us [les appartements interieurs] ccmmuniquent entre eux par une espsce de portiques dont les formes sont inusitees et imprevues》 (30)<

ここで「通じる」 《commumquer》という言葉に注目してみよう。この語は、いわゆ る意思の伝達という意味での「コミュニケーション」ではなく、物理の実験用具で「通底 器」 (vase communicant)というがごとく、文字通り物理的意味での疎通を意味してい

(13)

交通と落下

99

る。この迷宮においては、二つの場所の間に一方向的通行はあるが、双方向的な交流はな い(たとえ逆方向からの通行があっても、それはやはり相互的交流ではなく、あいかわら ず一方通行的交通であり、それが単に折り返してきたものにすぎない)。個々の部屋は隔 離されていると同時に、まさにそれゆえに通じているが、それも双方向的にではなく、一 方通行的にであり、その間に対話は存在しない。なるほど、ここに認められるのはコミュ ニケーションである。ただし、そこで重要なのは意志の疎通ではなく、空間の疎通、言い かえれば、伝達ではなく交通である。解釈し理解すること、すなわち意味や観念に達する ことではなく、通路を設け、交通を可能にすること、そうやって現象や物質の間に連絡を

インフラ

つけること‑下部構造を確保すること‑が問題なのだ。

さて、宮殿の内部には、 「例のごとく、なまの自然の風景をミニチュア模型のように縮 小して模した小さな中庭」 《des petits jardins interieurs, qui sont suivant l'usage japonais, des reductions en miniature de sites tr芭s sauvages》 (30)があって、金

でできた壮麗な宮殿とは「意外なコントラスト」 《Contraste inattendu au milieu de ce palais d'or》 (ibid.)を示している。しかるに、こうした突飛な統辞論的構造こそがま

さしく迷宮の迷宮たる由縁の一つであろう。

さらにこの突飛な統辞を強化するように思われるのは「タイコーサマ」の私室である。

「同様に意外なのは、この偉大な征服者にして皇帝たるタイコーサマが自分用に選んだ個 室である。それは極々小さなもので、あらゆる中庭の中でも最もかわいらしく、凝った庭 に面している」 《Ce qui surprend aussi, c'est l'appartement particulier qu'avait choisi ce Taiko‑Sama, qui fut un grand coquerant et un grand empereur. C est

trss petit, tr芭s simple, et cela donne sur le plus mignon, le plus maniere de tous

les jardinets》 (31)cこの迷宮的宮殿の中心(少なくともいずれその内部に位置するど こか重要な地点)には何もない。何も、とは、とくに見るに値するものは何も、という意 味である。迷宮の中心にあるもの、それは財宝ではない。考えてみれば当の迷宮自体が金 でできているのだから。中心にあるもの、それは意外なもの、予期せぬもの、ここの文脈 において端的にいえば、央垂である。

迷宮の突飛な統辞論的構造と中心の空虚に由来する驚き‑失望という心理的効果は、さ らに概念的効果として、全体の全体としての意味を、すなわちその全体性を不確かなもの、

捉えがたいものとする。宮殿全体を見学したはずの語り手は、それを全体として構成する はずの中心を発見することができない。ゆえに、結局それを全体として把握することがで きない。そこで彼はこの全体性の欠落を、ほかならぬ「迷宮」という観念によって事後的 に合理化しようとする。

(14)

いまや確かに宮殿の全部を見たように恩う。だが、相変わらず部屋の配置、全体の図面 が把握できない。一人では迷宮の中にでも入ったように迷子になってしまうだろう。

.I

Je crois bien que j ai tout vu mamtenant dans ce palais ; mais je continue a n'avoir pas compris l'agencement des salles, le plan d'ensemble. Seul, je me perdrais la dedans comme dans un labyrinthe. (35)

迷宮全体を通過し終えてみて、訪問者は結局何も兄いだすことなく、せめて迷宮の全体 の構造を見通すことさえできず、何の収穫もなしに手ぶらで帰ってくる。通過の前後にあ るべき弁証法的変化も、超越的なものへのイニシエーションもえられない。何も発見でき なかったということではない。発見に値するものがないことが発見されたのだ。いくら

「迷宮」の喰えで合理化してみても、この迷宮は奇妙な迷宮だ。まず、この迷宮というト ポスないしシークエンスにおいて、その行為論的帰結は中心‑の到達、未知との遭遇、怪 物との格闘ではない。それは出口であり、たんに脱出することである。それも自力で難関 を突破し脱出に成功するというのでもない。実際、この迷宮ではそもそも迷う心配はなく、

脱出の努力など必要ないのだ。というのも、 「幸いにも私の案内役が私を、わざわざ靴を 履かせてくれた上で送り返してくれる」 《Heureusement, mon guide va me reconduire, apr芭s m'avoir rechausse lui一m6me》 (35)のだから。お帰りはこちら、と いうわけだ。迷いを制御してくれる(交通を整理してくれる)ガイドのおかげで「迷う」

というトポスさえここでは空回りしてしまう。 「冒険」という物語が意味を持たず、成立 しないのだ。結局ここで迷宮のトポスを主題論的に決定しているのは「探求」ではなく

「交通」のテーマである。より正確にいえば、ここでは交通のテーマの方が探求のテーマ よりも支配的・決定的に作用しているのであり、それも顕在的テーマである後者が潜在的 テーマである前者を合理化・自然化するという形で展開されているのである。

二つの橋

語り手はジンに乗っていたるところを駆け巡るが、ジンによって形象化されるテクスト 上の交通は原理的にはあらゆる場所に通じていながらも、差異や隔たりを還元するもので はない。類型的にいえば、俗(ジャボヌリI)と聖(ジャボヌリⅡ)は、互いに疎通し合 う空間でありながら、それによって融合することは決してなく、一方の他方に対する差異 はあくまで維持される。哩味なのはその境界線の位置であって、それがどこにあるか判然 としなくも、境界線自体は厳然としてあるのだ。階層化する隔たりをあざやかに形象化し ているのが、日光における俗界と聖山をっなぐ二つの橋である。

(15)

交通と落下

101

村はその[‑聖山の]丁度ふもとのところで終わっているが、聖山からは、雑然と崩 れ落ちた岩の上を轟音をたてて流れる広く深い急流で分け離されている。

二つの湾曲した橋がその激流の上方、ずっと高いところに架けられている。一方の橋 は花尚岩でできており、われわれがいまから渡る参詣者の橋、一般庶民の橋である。か たや、その向こう側にある壮麗な橋は、五世紀前に当時の皇帝たちとその驚くべき行列 のためにつくられたもので、一般庶民が渡ることは禁じられている[‑]。

Le village finit juste a. ses pieds, mais il en est separe par un torrent large et pro fond, qui roule avec un fracas de fureur qui roule sur un chaos de roches effondrees.

Deux ponts courbes sont jetes sur tr芭s haut au dessus de ces eaux bomllonnantes ; l'un, en granit, le pont des p芭Ierins, le pont de tout le monde, celui par lequel nous allons passer ; l'autre, la‑bas, le merveilleux, interdit aux simples humains, qui fut construit il y a cinq siscle pour les empereurs d'alors et leurs etonnants cort芭ges [‑ ] (190)

橋は異なるものをっなぎ、通じさせるもの、交通を可能にするものであるが、橋と橋の 問を渡ることはできない。ここで橋は双数化し、通じさせるものの象徴であるとともに、

到達することのできないものの象徴、ひいては到達ということ自体の否定の例証ともなっ ている。聖と俗の差異は絶対的なもので還元することはできない。その上、それは単に空 間だけの問題ではなく、より本質的には時間(「五世紀前」)の問題である。二つの橋は

「古い日本」と「近代日本」を隔てる「時」の空間的形象なのである。過去に達するには 向こうの橋を渡らなければならない。しかるに、こちらの橋からあちらの橋に架かる橋 (橋と橋をっなぐ橋)などというものは存在しない。

さて、聖と俗の空間は、差異を維持しながらも、交通によってとにもかくにも通じては いる。ただし先に示唆したように、両者を隔てる明確な境界線は見あたらない。 「どこま でが神で、どこからが玩具なのか」。もとより境界そのものがないというのではない。境 界はいずれどこかにはあるが、どこにあるのか、その位置を画定できないのである。一方、

上の引用個所では、境界は「激流」によって明確に指示されている。が、その境界は橋に よって容易に越えられてしまう。一方では位置づけがたさにおいて、もう一方では越境の あまりの容易さにおいて、 「境界」というものの意味が平板化し、非本質化してしまう。

っまり、境界のこちら側とあちら側は通じてはいるが、こちら側からあちら側に達すると いうことはない。それゆえ、越えるということに然るべき価値が認められなくなる。越境 (境界侵犯)はあっても、もはやそれが超越的・神秘的なものへの到達、ないし本質的な

(16)

ものの獲得を意味することはないのである。実際、 「交通」というものは、むろん上昇や 下降の動きをも示しはするが、ほかならぬ上昇や下降においてさえも、それは本質的に平 面性であり、表面性なのであって、飛躍や深化ではない(落下は、次節で見るように、交 通が不可避的に合意する不測の事態として、いわば必然的かつ偶然的に交通に組み込まれ

、 ヽ 、 、 、 、 ヽ ヽ ヽ 、 ヽ 、 ヽ 、 ヽ ヽ ヽ 、 ヽ

ている)。交通はその本質において平増さを合意する。逆にいえば、交通があるところで は常に超越性や根源(始原)などの目的性の次元は消失する。その意味でいうと、目的地 (destination)は交通の自然主義的口実にすぎない。ここでもまたこのテクストの本来的 テーマが到達や獲得ではなく、交通それ自体であることが明らかになる。二つの橋、それ は交通を肯定するとともに到達を否定するもの(あるいはむしろ、到達を否定することに よって交通を十全的に肯定するもの)であり、その意味で「通過」の反語的形象なのであ

る。

対話/会話

語り手は日本のことも、日本人のことも、結局のところ何も理解できない。それもたま たま(理解力不足、知識の欠如から)そうできないというのではなく、そのようなことは そもそも不可能であるとアプリオリに、つまりイデオロギー的に(人種主義的説明に基づ いて)断じられているのである。ところでこのような理解不可能性の設定は、しかしなが ら、対象の理解という深さの方向(交流‑交換の垂直的次元)とは別な方向づけ(交通‑

流通の水平的次元)をテクストに付与しているように思われる。実際、語り手の日本人と の関係においてはいかなる種類のコミュニケーションも成立していないというわけではな い。類型化して述べるなら、そこには本来的コミュニケーションとしての対話はないが、

非本来的なコミュニケーションとしての会話は随所に見られる。たとえば、大阪から京都 へ向うの車中での日本婦人との会話(6)、花魁とその身内や友達との「会話」 (46)、鹿鳴 館で婦人たちとの会話(96)、通訳嬢との「会話」 (100)、日光の宿の女中たちとの「会話」

(181)等々。

京都から神戸へ戻る途中、立ち寄ったある表具屋らしき店の前で用が終わるのを待ちな がらたたずんでいた語り手は、外国人を見っけて物珍しさからおそるおそる近寄ってきた 小さなムスメの一群に取り巻かれる。彼女達は、はじめおずおずしていたが、やがて馴れ てきて「おじさんはフランス人かイギリス人か、年は幾っか、ひとりで何しに来たのか、

箱には何が入っているのか」などと、他愛のない質問をする。

と突然、彼女たちの言うことが理解でき、大して困難を感じずに彼女らに分かるよう に答えることができることに、わたしは驚きをおぼえた。この日本と日本語とはごく最

(17)

交通と落下

I tlK

近のつきあいであり、頭の中でもちゃんと整理されているわけでもないのに[‑]。も はや私には自分が発音するこれら未知の単語の中に自分自身の声の響きを認めることが できない。その響きはもう自分自身ではないかのようだ。

Un etonnement me vient tout h. coup de pouvoir entendre ce quelles me disent, et de savoir, sans trop chercher, faire des reponses quelles comprennent ; c'est encore si recent, si peu classe dans ma tfite, ce Japon et

ce langage japonais [・‑]. Et je ne reconnais plus le son de ma voix dans ces

mots nouveaux que je prononce, il me semble n'6tre plus moi‑m6me.(71‑72)

ここで「分かる」、 「理解できる」のは相手の言葉の字義通りの意味であり、もとより相 手も文字通りの意味以上のことを伝えようとしているわけではなく、また、こちらもそれ 以上の意味を読み取ろうとしているのでもない。しかもこの会話は、複雑な推論や深い感 情や未知の情報を内容とするものではなく、外国語学習でいういわゆる会話の初歩で習う ような型通りの(挨拶や自己紹介等としてコード化された)問答にすぎない。この字義通 りの単純素朴なやりとりが含みとして持っている唯一の意味は、 「わたしはあなたの存在 を認知しています」あるいは「あなとと共にこの同じ場にいることを私は是認します」と

いう、いわゆる「交話的」意味(R・ヤコブソン)である。

ちなみに、 「会話」 《conversation〉の原義は「習慣上一つの場所に身をおくこと、誰 かとともに過ごすこと」 《se tenir habituellement dan un lieu, vivre avec quelqu'un》

(TLF)である。会話への欲求が自己の存在を他者に認知させたいという欲求であるとし てみよう(語り手が誘ってはならない「皇族の妃殿下」の一人を踊りに誘う場面(98‑99)

には、そうした欲求が認められる)。仮にそうだとしても、そこにヒステリックな内容は ない。そこでいう存在とは、充実した人格としての「私」ではなく、たまたま今ここにい て、あなたと出会い、一つの場を共にしている偶然的個別的存在としての私であるOそし てここでいう認知とは、他者とのいわばヘーゲル的な緊張関係(主人と奴隷のそれ)を合 意する認知ではなく、単に他者と場を共にしていることの確認(書くことの次元でいえば 場所を共にしたことの記録・証し)にすぎない。それゆえ、会話の意味は本質的にはむし ろ他者の存在の是認にあるといえよう。会話の遂行を通しておこなわれる他者の是認は、

他者が属する場所、習慣、規約への同意である。そしてそれは、対立と否定を介在させな い主体の非弁証法的変容を合意する(「それはもう私自身ではないかのようだ」)。前段の 引用個所に続いて、語り手が、 「その晩の私は、それらの娘たちをほとんど美しいと思う。

それはきっと、すでに私がそんなアジアの端っこの人達の顔に慣れてしまったからなのだ ろう」 《Ce soir言e les trouve presque jolies, ces mousmes ; c'est sans doute que

(18)

deja je m'habitue a ces visages d'extrsme Asie》 (72)と考えるのは、そうした同意 のあらわれであろう。このような他者化の経験は、いわゆる疎外のそれであろうか。なる ほど、そこには自己自身に対する疎速さや、本来性・固有性の喪失が生じているのかもし れない。しかしながら会話とは、そもそもそうした本来性・国有性への執着を(完全に絶 つといのでなければ)暫定的に(相手に対してというよりも自分自身に対して)緩和ない

エポケ‑エポノク

し中断する時間‑空間なのではないだろうか。たとえ愚かしいほどに素朴な会話ではあっ ても(あるいはまさにそれゆえにこそ)、自分自身の変容を不思議に感じる語り手のよう に、そこにある種の驚きと喜びが生じないともかぎらない。会話は、本来っねに初級にと どまる意志を合意し、中級ないし上級への格上げというヒステリックな欲望には結びつか ないものなのではないだろうか(逆にそれに結びついたとき対話への欲望が芽生えるとい うべきか)。してみると、 (初級)会話が言語のある種のユートピアを指しており、倫理的 企図に結びっくということもありうるのではないだろうか。

四十七士の墓(泉岳寺)を訪れた語り手は、案内の僧侶の説明(四十七士の物語)を聞 くが、その日本語は日常の会話の日本語より数段高度(《en une langue dont la plupart des mots malheureusement m'echappent〉 (268))で、彼には何を言ってい るのか十分に理解することができない。しかし、 「私は退屈せずに聞く」 〈Mais je l'ecoute sans ennui》 (268)。ここでは説明(情報の提供)が会話へと変容してしまって

いる。聞き手は話を聞くこと自体には集中しておらず(そもそも彼はその内容をおおよそ 知っているのだから)、そのかぎりでは不謹慎な聞き手であるともいえよう。だが、そも そも会話における話の内容は口実(pretexte)にすぎないのではないか。会話の本当の意味 (そこでまさしく交わされるもの)はその中にではなく、むしろその癖らにある。そして、

そこを流れて行くのは、固定した意味ではなく、まさしく流動的意味、むしろ感覚(

sensation)に近い意味(sens)なのだ。

「皇后パルコ」の観菊御宴において、皇后‑ルコは招待された各国の婦人たちを一人ず つ呼んでここと三こと、ごく簡単な言葉を通訳を介して交わす(語り手はこれを「閑談」

《causenes》 (349)と呼んでいる)0

ニエマ嬢はフランス語で、妙に上品な調子で通訳する。それは意図的に素朴な驚くべ き質問である。昔日の仙女たちが、彼女たちの世界に迷い込んだ人間たちにしたであろ うような質問だ。 [‑]

「皇后様におかれましては、貴女様が日本をお気に入りかどうか、お尋ねで御座います。

「皇后様におかれましては、貴女様が私どもの庭の花をお気に入りかどうか、お尋ねで 御座います。

(19)

交通と落下

105

「皇后様におかれましては、貴女様が本邦での御滞在に御満足されますことをお望みで 御座います。

いやはや!人種のかくも異なり、おそらくは観念と感情の全領域にわたってたった一 個の接点さえ持たないであろうこれら婦人たちの間で、ほかに何を話すことがあるとい うのだろう。このような子供じみた愚言が交わされるあいだ、皇后さまは非常に繊細で 優しい様子で微笑んでおられる。

〈Mademoiselle Nihema》 traduit en frangais, avec son accent d'une

bizarrerie distinguee : ce sont de ces questions stupefiantes de naivete voulue, comme les fees d'autrefois en devaient faire aux mortelles qui s aventuraient

sur leurs domaines[.‥].

《L'imperatrice demande si vous vous plaisez au Japon?

《L'imperatrice demande si vous aimez les fleurs de nos jardins?

《L'imperatrice desire que vous vous trouviez heureuse dans son pays.〉

Mon Dieu! que dire autre chose, entre femmes de races si differentes,

n'ayant peut‑fitre pas, dans tout le domame des idees et des sentiments, un

I

seul point de contact? Pendant que s echangent ces niaiseries d'enfant, elle sourit, l'imperatrice, d'un air tr∂s fin et assez doux.(349‑350)

ここでは、そのもっとも愚かしい意味での会話が交わされている(愚かしさがあらゆる 会話の規定そのものであるというのでなければ)。そこでは何かが交換されている。しか

しそれは観念でも感情でもない。意味のないもの、無に等しいものだ。重要なのは、通じ そL、、為という事実それ自体であって、その内容は副次的な意味しかもたない。質問の内容 が「意図的に素朴」と言われるのは、どうせ本質的なことは何も通じはしないだろうとの 予測(逆に言えば、本来ならそこには伝えるに値する何ものかがあるはずだ、というイデ オロギー的予断)があるからであろう。だがこうしたシニカルな事態の想定は、むろん皇 后自身によるものではなく、皇后に同一化して語る語り手エロチによるものであるにすぎ ない。じつのところ、この質問の素朴さはあるテクスト的機能を担っている。すなわち対 話への誘惑を挫く、あるいはむしろ、対話への欲望を殺ぐという機能である。そして、と りわけそれは通じなL、、という事態を是非とも回避するための配慮に由来する。対話がなく 会話があるのは、交流よりも交通(交通という意味でのコミュニケーション)そのものの 方が重要だからである。ここにはテクスト上の一つの倫理的賭金が掛けられている。なる

ほど会話は儀礼的なものにすぎない。だがそれは、交流よりも交通を、伝達よりも疎通を 重視するテクスト的エートスに適うものなのである。

参照

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