埋蔵文化財調査のなかで発見された平安時代の表層 地滑り痕跡 : 静岡平野北部の静清バイパス関連の 遺跡発掘現場から(地学散歩(50))
著者 矢田 勝
雑誌名 静岡地学
巻 70
ページ i‑iv
発行年 1994‑11‑20
出版者 静岡県地学会
URL http://doi.org/10.14945/00025292
静 岡 地 学 第
70号
(1994)のなかで 滑り
地学散歩
(50)一静開平野北部の静清バイパス関連の遺跡発掘現場から
田 勝 *
1
.はじめに
静岡県内でも、最近の盛んな開発にともない、埋蔵文化財の発掘調査が、沖積平野のいろいろな所 で進められている
Oこの発掘調査は、同時に表層部の地層の断面を各地で出現させることになった。
発掘調査では、排水溝や集水穴を兼ねた地層観察用の深掘りを行い、土居断面の観察と記録が行われ ているだけでなく、 して、人間活動の行われた可能性のある については、その上 面の起伏を に掘りだして、 と記録が行われている
Oこのように遺跡の発掘現場は、
や完新
t伎の古環境の変遷過程の研究には、またとなし をもたら 山である
Oは 、 ( 図
1)し 中で、 によっ し り につい て報告したい
02. え 同
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4. 5.年度に当研 究所が古代水田の発掘調 を行った静岡市北部の
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排水溝
矢印は力の方向 太矢印は断!日の上盤側 細矢印は断層の下盤側
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20m 図3 立石l区9・10層の断層群( r
研究所報jNo.53,1994)立石l区の周りに掘っ た排水溝北壁の断面を観 察すると、838(承 和5)年 7月5日(1)~こ伊豆神津島 天上山が噴出した広域火 山 灰([2‑Kt)の 薄 層 ( l
m m程)が上下2層 に 重 な っ て 見 え た と こ ろ が あった(写真1・図4。) 上下の間隔は 2~5 cm、重なっている距離は約80cmで、この重なり部分は極めて低角(約3.50)の逆 断層となっていた。断層は 9・10層の泥炭層に生じ、標高の低い方から高い方に向かつて、泥炭層が 95cm も横滑りしていた。これらの事実から、まず、滞水した湿原であった麻機低地の表層土が地震で ゆさぶられ、次に、未分解の植物遺体が多かった 9・10層が、揺動のストレスに耐えかね、引き裂か れ、押し上げられ、逆断層となったのではないかと推定している。なお、この断層の直下の 11層上面 には泥炭層が滑った痕跡とみられる乱れが観察できた。 11層以下の粘土層は軟弱であったので、伸縮 することができ、亀裂が入らなかったようだ。このような低角の逆断層は、 l区では、同一層位のも のが他に 3例観察できた(図 3)。これらの大半は北東 南西方向の断層であり、北西方向からと南東 方向からの力がぶつかり合って発生したと考えられる。 1区は麻機低地の最深部付近であり、地震に
よって発生した軟弱層表層部の揺動 (f地波J)が、衝突しやすい場所とも考えられる。
条呈水田作土居
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写真 l・図4 立石l区A地点
(排水溝南壁)の逆断層 ([研究所報JNQ 53,1994)
3 断層ができた(=地震が発生した)時 代 は い つ か ?
9 .10層に断層が観察できるからといって、 9層上面が地表面であった時期に地震が発生したと考 えてよいだろうか。実は、押し上げられた泥炭層の先端部分は、障害物に衝突したようにひしゃげて いる。この障害物が8層腐植質粘土層である。 8層も軟弱層であったので、切断されずに撰んだだけ
であった。図 3 のB地点では、引っ張られて裂けた 9 ~12 層の正断層崖の段差の上位にある撰んだ 8
層上面の凹部が湿地化し、より暗色になっていた(写真2・図5)。そこで、8層上面が地表面であっ た時期に地震が発生した可能性がある。年代としては、 838 年の火山灰降下から、 2~3 cmの泥炭層 と数cmの腐植質粘土の堆積を経過した時点である。泥炭層の堆積が1cm/10年であるとすれば問、
870年前後の可能性が考えられる。これに該当する東海 地方の歴史地震は史料からは発見されていな いが、887(仁和3)年の仁和南海地震と並行した東海地震の可能性もあるし、静岡地震のような直下型 かもしれない。(裏表紙裏に続く。)
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写真 2・図 5 立石l区B地点
(排水溝東壁)の正断層 ([研究所報jNo. 53,1994)
すべり商
ー ー ー
写真3
立石3区奈良 平安 時代の条里型水回全景 手前に東北東西南西 走向の地害Ijれ(正断陪) 群が見える。ただし、こ の地割れは、中世に発生
した地震でできたもの で手ある。
地学散歩
(50)続き 4.まとめ
これまで、埋蔵文化財の発掘調査では地震に伴う噴砂痕跡の報告は、各地で行われているが、表部 地滑り c r 側方流動
J)痕跡、の報告はまだ少ない(恥しかし、
1964年の新潟地震では、信濃川河口部の
]11幅が
16'""'‑'24mも縮まっている(れしたがって、今後、軟弱層の発掘調査では、地震による遺構の側 方変形を考慮に入れて調査を進める必要があろう
Oまた、このことは、変形条盟が地盤の軟弱な地域 に多く見られる現象とも何らかの関係がありそうである(恥噴砂を生起させるのが、自然堤訪状の微高 地斜面からの表層土のずり落ちで生じた亀裂である
(6)とすれば、今自発見されたのは、後背湿地にずり 落ちてきた表罵土の衝突がもたらしたものといえるかもしれない。
注1)
r 続日本後紀
j承和
7年
9月
23日条。
2)坂口豊『泥炭地の地学
j1974での尾瀬ヶ原泥炭地で の計測による
o 3) 神奈川県立埋文センタ~r 砂田台遺跡
1j
1989、大阪府教委
III j 19930 4
)浜田政期他「液状化による地盤の永久変位の澱定と
376号 19860 5 )1
ヲ、る し
( )
と
19930 6 ) 27号 19860
と呼んでいる。
8月9
日(火)、 自
P.f研究所報