痒み刺激により延髄および上部頸髄ニューロンに誘導され る extracellular signal-regulated kinase のリン酸化
日本大学大学院歯学研究科歯学専攻
越前谷 澄 典
(指導:岩田 幸一 教授,篠田 雅路 准教授,片桐 綾乃 助教)
1
緒言
痒みは非常に不快な感覚として知られているが,その詳細な発症機構に関し ては不明な点が多く残されている。これまでの多くの研究により,痒みの発症に
は
C-線維の末梢端を形成している自由神経終末の膜上に存在する histamine
受容体が関与することが報告されている1-4)。一方で,C-線維の末端部を構成する自
由神経終末には,痒みだけでなく
transient receptor potential
(TRP)チャンネルやATP
受容体などの侵害受容に関与する受容体が多く存在することから,痛みと痒みは同様のメカニズムで引き起こされると考えられていた 5)。しかし最近,
histamine
の刺激に対して特異的に反応するC-線維が同定され,痛みと痒みの情
報処理は異なる末梢神経機構による可能性が考えられるようになってきた6)。脊
髄レベルにおいては,ネコ足裏への
histamine
投与にのみ応答し,機械および温度侵害刺激には応答しない視床投射ニューロンが存在することが報告され,脊
髄レベルにおいても
histamine
に特異的な応答を示すニューロンの存在が確かめられた7)。このようなニューロンは受容野が不明瞭で,
histamine
の注入のみに反応することから,特異的侵害受容ニューロンや広作動域ニューロンと異なり,
histamine
特異ニューロンとして分類されている。また,結合腕傍核に軸索を送る三叉神経脊髄路核ニューロンにおいて,histamine, chloroquineおよび
capsaicin
2
を顔面皮下に注入することによって発現する
c-Fos
タンパクを調べた研究において,侵害刺激と痒み刺激とが同一ニューロンによって活性化する可能性も示 されている8)。以上の結果から,痒みの情報処理において,三叉神経脊髄路核ニ ューロンは痒み特異的な応答を示すものと,侵害情報と痒み情報の両方の情報 処理に関係したものが存在する可能性があると考えられる。これまでの複数の
研究で用いられてきた
c-Fos
発現は,刺激後1-2時間がピークであることから,Vcにおける様々な介在ニューロンの興奮が引き起こされた後の結果しか見 ることがでず,刺激後の早い時間に起こる現象の解析には適さない。一方,ニュ
ーロンに発現する
MAP kinase
ファミリーの一つとして知られているextracellular
signal-regulated kinase
(ERK)は,興奮後数分以内にリン酸化されることがわかっており,リン酸化
ERK(pERK)は興奮マーカーとして用いられている。
口腔顔面領域を支配する
C-線維刺激によって数分以内に Vc
およびC1-C2
に分布するニューロンにおいて
ERK
のリン酸化が始まると報告されている 9)。また,抗
pERK
抗体に対して陽性を示す細胞(pERK陽性細胞)数は刺激強度依存的に増加することが明らかにされている。このようなことから,
pERK
陽性細胞は口腔顔面の
C-線維入力を受けて興奮したニューロンである可能性が高いとさ
れている。
そこで,本研究では,痒み刺激によって早期に活動するニューロンを視覚化す
3
る手段の一つとして,pERK を指標とし,痒みを誘発することが知られている
histamine
を顔面皮下に投与することによって発現するpERK
陽性細胞の延髄における分布様式を検索し,痒み感覚情報処理機構の一端を明らかにした。
4
材料および方法
本研究は,日本大学歯学部実験動物委員会の許可(AP16D008)を得,同委員 会の指針および国際疼痛学会の基準に従って行われた 10)。実験には
Sprague-
Dawley
系雄性ラット10
匹を用いた。1.
Histamine
投与2% isoflurane
にて麻酔し,さらにsodium pentobarbital(80 mg/kg, i.p.)で深く
麻酔したラットを保温パッド上に仰臥位にした状態で,
0.9%
生理食塩液に溶解した
histamine
溶液(10 l,5 g/l)を左側口ひげ部皮下に静かに注入した。また,
vehicle
として0.9
% 生理的食塩液を同量,同部位に注入し,コントロールとした。
histamine
溶液注入5
分後,500 ml
生理食塩液にて脱血後,0.1 M phosphate
buffer
にて希釈した4% paraformaldehyde
溶液(pH 7.4, 4℃)500 mlを用いて灌流固定を行った。灌流固定終了後に延髄を含む全脳部位を摘出し,同様の固定液で
4℃にて 2
日間,後固定を行った。2. 抗
pERK
抗体による免疫染色方法取り出した脳脊髄標本を
0.01 M phosphate buffered saline(PBS)にて希釈した
5
20%
スクロース溶液(w/v)に移し換え,2日間,4℃に保存した。その後、脳標本を
O.T.C. Compound(Sakura Finetek,Torrance,CA,USA)で
包埋してドライアイスで凍結し,三叉神経脊髄路核を含む延髄の連続切片標本
(厚さ
50 μm)を作製して 3
切片毎に1
切片を取り出し,以下の方法によってnickel-cobalt
加3.3’-diaminobenzidine tetra hydrochloride
(DAB,Sigma, St Louis,
MO,USA)染色を施した。まず,厚さ 50 μm
の切片を0.3% H
2O
2加0.01 M PBS
に
30
分間浸漬し,内因性ペルオキシダーゼを不活性化した後,0.01 M PBSにて5
分間の洗浄を3
回行った。洗浄終了後,0.3% Triton X 100/5% normal goat serum(NGS)-PBS
に1
時間浸漬し,ブロッキングを行った。その後,一次抗体であるrabbit anti-phospho-p44/42 MAP kinase antibody (1: 1000,Cell Signaling Technology,
U.S.A)
に4℃で 3
日間浸漬し,0.01 M PBS
にて10
分間の洗浄を3
回行った。次いで切片を二次抗体である
biotinylated goat anti-rabbit IgG (H+L) (1: 500,Vector
Labs,Burlingame,
CA, USA)
に室温で2
時間浸漬した。その後ABC kit (Vector
Labs,Burlingame,CA, USA)
を用いて室温で1
時間,反応させた。0.01 M PBSによる
10
分間の洗浄を3
回繰り返した後, 0.01% hydrogen peroxide加DAB
を用いて反応産物を可視化した。次いで,切片を
0.01 M PBS
にて洗浄し,MAS-GP
(Matsunami, Tokyo, Japan)でコートしたスライドガラスに貼り付け,室温にて乾
燥させた後,アルコールとキシレンにより脱水・透徹を行い,封入した。また,
6
pERK
陽性細胞をDAB
反応させた切片を光学顕微鏡下で観察し,Neuro-Lucida(Micro Bright Field Bioscience, Williston, VT, USA)
を用いて描画し,pERK
陽性細胞の分布状態および細胞数の解析を行った。
3. 統計学的解析
データは平均 ± 標準誤差で表し,有意差検定には
Student’s t-test
を用いた。また,有意水準は
p < 0.05
とした。7
結果
本研究では麻酔ラットの口ひげ部皮下に
histamine
を微量投与し,Vc
を含む延髄および
C1-C2
領域のニューロンにおけるERK
のリン酸化について検索した。その結果,
Vc, RF, C1-C2
およびNTS
から多くのpERK
陽性細胞が検出された。1. 延髄および C1-C2 領域における pERK 陽性細胞発現
第1図には,口ひげ部皮下に
histamine
あるいはvehicle
を微量投与して5
分経過したラットの延髄において,Vcおよび孤束核(NTS)で観察された pERK陽 性細胞の代表例を示した。
pERK
陽性細胞数はVc
とNTS
に多く,他の領域においては少数であった。また,本研究で観察された
pERK
陽性細胞は細胞質および核が共に黒色に濃染された小型の円形を呈するものと,第1図
E
に示したように線維状の構造物を有し比較的大型の楕円形の細胞体を有するものが観察さ れた。
本研究では,細胞質および核が黒色に濃染された細胞を免疫陽性細胞と判断
して顕微鏡下で検出し,
Neuro-Lucida
で描画しパーソナルコンピュータ上に表して
pERK
陽性細胞の分布様式および発現数を算出した。第2図にはNeuro-Lucida
にて切片を描画した分布図を示した。この分布図から明らかなように,
histamine
8
および
vehicle
投与ラットともに,Vc
において両側性に分布していたが,同側においてより多くの陽性細胞を認めたのに対し,
NTS
およびVc
腹側部のRF
においては刺激測でやや多い傾向を認めたが有意な左右差はなかった。
2. Vc および C1-C2 領域における pERK 陽性細胞の吻尾側方向の広がり
本研究ではさらに,多くの
pERK
陽性細胞発現を認めたVc
について, pERK陽性細胞数の吻尾側方向の分布様式について解析を行った。第3図に示したよ
うに,
pERK
陽性細胞はhistamine
投与群で投与と同側において,obexから1800
m
尾側部(-1800 m)の部位にピークを示す分布を示していた(第3図の矢印)。 また,特にobex
の600 m
尾側からその1800 m
尾側においては,histamine投 与群の方がvehicle
投与群に比べ有意に多くのpERK
陽性細胞を認めた。これに対し,histamine 投与の反対側においては,第4図に示したように,吻側から尾 側にかけて,
pERK
陽性細胞数の分布に明らかな偏りは認められなかった。また,histamine
投与の同側と対側におけるpERK
陽性細胞の発現数を比較すると,obex
から300 m
吻側部から600 m
尾側の範囲および, obexから尾側へ2400
m
から3300 m
の範囲では左右差は認められなかった。一方,vehicle
投与群では吻側から尾側にかけて一様な分布を示した(第3図および第4図)。
9
3. Vc および C1-C2 領域における pERK 陽性細胞数の比較
Vc
およびC1-C2
領域において検出されたpERK
陽性細胞数の違いを第5図に示した。本研究では
Vc
およびC1-C2
領域において検出されたpERK
陽性細胞数を加算して,histamine投与群と
vehicle
投与群とで発現数を比較した。その結果,histamine注入と同側および対側ともに,注入群の方が
vehicle
注入群より有意に多かった(同側:p < 0.01,対側:p < 0.05)。
10
考察
1. 顔面皮膚の痒みに対する
Vc
およびC1-C2
ニューロンの働き従前の研究から
Vc
およびC1-C2
領域には口腔顔面領域からの侵害情報を含む様々な感覚情報が投射すると報告されている 11)。これらの領域は細胞が層構
造をなして配列しており,表層部には無髄の
C-線維が深層には有髄の A-線維
が投射している。Vc
領域はC1-C2
と同様な構造を有することから延髄後角とも呼ばれている12,13)。また,第一層には強い侵害刺激にのみ反応を示す
NS
ニューロンおよび侵害刺激と非侵害刺激の両方に反応する
WDR
ニューロンが認められ,深層には
WDR
ニューロンと低閾値機械受容ニューロンが存在することが知られている 14)。これまでの脊髄後角の侵害受容ニューロン活動を解析した研究
では,多くの
WDR
ニューロンはhistamine
の足底部皮下への注入に対してspike
応答を増加させ,これらは脊髄表層だけでなく深層からも検出されたと報告さ
れている15)。また,これらの
WDR
ニューロンはhistamine
投与によって受容野が拡大したと報告されている16)。一方,本研究では
histamine
の口ひげ部皮下への投与によって検出された
pERK
陽性細胞はVc
およびC1-C2
領域の表層のみから検出された。従って,histamine 投与によって興奮する
Vc
およびC1-C2
ニューロンは主に顔面皮膚の
C-線維入力を受ける可能性があると考えられる。ま
11
た,histamine投与に反応する
WDR
ニューロンはC-線維の入力だけでなく,有
髄の
A-線維入力を受けた介在ニューロンから間接的に入力を受ける可能性が高
い。
また,本研究で検出された
pERK
陽性細胞の形態をみると,第1図E
に示したように,小型の細胞体を有するものと,矢印で示した線維状の構造物を有する 大型の細胞も多数検出された。これまでの,脊髄後角ニューロンの形態を解析し た研究から,上位中枢へと投射軸索を送る投射ニューロンの多くは脊髄後角の 表層に分布し,その細胞体は扁平で大型であるといわれている 17)。一方で,局 所介在ニューロンは小さな細胞体を有する円形の細胞であることが明らかにさ れている。以上のことから,histamine 投与によって発現した
pERK
陽性細胞には投射ニューロンと介在ニューロンの両方が含まれると考えられる。おそらく,
histamine
感受性の投射ニューロンは痒み情報を直接上位中枢へ伝えるのに対し,介在ニューロンは痒み感覚の変調に関与していると推察される。
これまでの口腔顔面の侵害入力を受ける
Vc
およびC1-C2
ニューロンにおける
pERK
陽性細胞発現パターンを調べた研究では,口ひげ部皮下へのcapsaicin
注入によって検出される
pERK
陽性細胞はobex
よりやや尾側部を中心とした領域であるといわれている9)。本研究で検出された
pERK
陽性細胞の分布領域も,これまでに報告された口ひげ部への
capsaicin
投与によってpERK
陽性細胞発現12
が認められた領域とほぼ一致していた。このことから,histamine 投与によって この領域に発現した
pERK
陽性細胞は,histamineによって活性化したC-線維入
力だけでなく,皮膚の侵害情報を伝える
C-線維や A-線維からの入力も受けてい
る可能性があると考えられる。
histamine
によって駆動されるVc
およびC1-C2
侵害受容ニューロンの多くは皮膚の侵害情報処理に対しても重要な役割を担って いる可能性がある。
2.
NTS
およびRF
の顔面皮膚の痒み情報処理に対する役割本研究では
Vc
およびC1-C2
領域だけでなくNTS
やRF
においても口ひげ部皮下への histamine 投与によって
pERK
陽性細胞発現を認めた。従来の研究からNTS
およびRF
は自律神経系調節に密接にかかわっていることが知られている18)。特に
NTS
は嚥下や味覚など口腔の運動や感覚情報処理に対して重要な役割を有する核として知られており19),histamine刺激によって活性化し
pERK
を発現したニューロンは痒みの感覚情報処理だけでなく,痒み感覚に随伴した自律 神経系の調節にも関与する可能性が考えられる。また,RFは自律神経系の調節 だけでなく,全身の侵害入力を受けるニューロンが存在することが知られてい る20)。従って,histamine刺激によって駆動され
pERK
を発現したニューロンは痒み感覚情報処理と同時に全身の痛覚情報処理にも関与する可能性がある。
13
結論
麻酔ラットの口ひげ部皮下への
histamine
投与によって,延髄および上部頸髄における
pERK
陽性細胞発現様式について詳細な検討を加え,以下の結論を得た。
1.口ひげ部皮下へ
histamine
を投与したラットの延髄では,Vcの背側部とVc
腹側部の
RF
およびNTS
に pERK陽性細胞発現を認めた。2.
histamine
投与ラットのVc
およびC1-C2
において刺激と同側で多くのpERK
陽性細胞発現を認めたのに対し,
NTS
およびRF
においては,発現数において左右差は認められなかった。
3.pERK陽性細胞は
histamine
投与群で投与と同側において, obex から1800
m
尾側部(1800 m)の部位にピークを示す分布を示していた。また,obexの600 m
尾側からその1800 m
尾側までの範囲においては,vehicle投与群よりもhistamine
投与群の方が有意に多くのpERK
陽性細胞を認めた。4.Vcおよび
C1-C2
領域において検出されたpERK
陽性細胞数はhistamine
注入と同側および対側ともに,注入群の方が
vehicle
注入群より有意に多かった。以上から,顔面領域の痒み情報処理は
obex
からやや尾側部のVc
およびC1-
C2
の表層に分布するニューロンによって行われ,その中でも大型のニューロン14
は上位中枢へ痒み情報を送るのに対し,小型のニューロンは局所回路を形成し て痒み情報調節に関与している可能性が示された。
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