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ドイツ第二帝政期 の エルザ ス自治運動 H DieAutonomiebewegungim EIsaB im deutschenKaiserreich

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(1)

弘前大学教育学部紀要

6 2

号 :

l l ‑2 3( 1 9 8 9

1 0

月)

Bul l .Fa c .Educ .Hi r o s a kiUni v. 6 2:l l ‑2 3 ( Oc t . 1 9 8 9 )

ドイツ第二帝政期 の エルザ ス自治運動 H

Di eAut o no mi e b e we gungi m EI s a B

i m de ut s c he nKai s e r r ei c h

浩 *

K

ak

uHi r o s hi ( 1 9 8 9.7.2 0.

受理)

は じめに

1.併合後 の抗議運動

1 8 7 0 ‑1 8 7 9

2. 1 8 7 9

年 の 「憲法」 (以上本号)

3.

日治要求 の高 ま り

4.

州議会法制定後

1 9 1 1 ‑1 9 1 8

おわ りに (以上炊号)

1 8 7 0 /7

1年 の独仏戦争 の結果, ドイ ツ帝国 (第二帝政)が成立 し, ドイ ツ統一が達成 されたが,それ と同 時に フランスか ら ドイ ツに‑ルザスと ロー トリンゲソとい う二つの地方が割譲 され た。 この領土割譲は国際 的には ドイ ツとフランスの対立を, 国内的には政府 と住民 の緊張関係を恒久化 させた。 ドイ ツとフランス と い う両民族 には さまれた この地 の住民は最初 ドイ ツへ の併合に抗議 し,後に ドイ ツ国家 内での 自治を求めた。

しか し ドイ ツ政府 の政策 の一定程度 の肯定的な側面 と自治要求 に対す るあ る程度の譲歩に もかかわ らず,節 二帝政が持つ構造的な問題点 のゆえに,ついに ‑ルザス ・ロー リンゲ ソほ ドイ ツに完全に統合 され ることは なか ったO

は じめに

‑ルザ ス

EI s aL

Sは, ロー トリンゲ

ソ Lot hr i nge n

, ザ ール

Sa a r l a nd

と並 んで, ドイ ツ ・フランス とい うヨ ー ロッパの

2

つ の大 国間でたびたびそ の帰属が争われ,戦争 のたびに支配国が変わ った地域 として知 られ て

1) い る。わが国では,戦争 中に愛 国意識を高め るべ く国語教育 の教材 とされ た ドーデ 『最後 の授業』 の場面,

2)

あ るいは マル クスが 『フランスの内乱』 の中で‑ルザス ・ロー トリンゲ ソの併合に反対 した ことが よ く知 ら れ, いずれ も

1 8 7 0

年 の独仏戦争 (普仏戦争)におけ る ドイ ツの防利で, この両地方が フランスか ら切 り離 さ れ, ドイ ツに併合 された際に,それが住民 の意 に反 して行われた ことが強調 され てい る。そ して

1 9 1 8

1

のアメ l)カ大統領 ウィル ソンが いわゆ る1

4

ヶ条 の中で, この併合を不正 だ と認定 し,第一次大戦後 フランス に返還 された ことで, この問題は最終的に決着 したかに見え る。つ ま りフランスの不可分 の一部であ る‑ル ザス ・ロー トリンゲ ンが戦争 の結果,暴 力的に祖 国 フランスか ら切 り離 された とい うのが,広 く承認 された 解釈 とな ってい る。従 って

1 8 7 0

年か ら約半世紀に渡 る ドイ ツ支配は 「他民族支配」であ り,それは‑ルザス・

ロー トl)ソゲ ソ住民に とって暗黒時代 であ るとい うことにな るこ しか し,実際には事情はそ う単純 でないL, とい うのは, ‑ルザス と ロ‑ トT)ソゲソは言語的 ・文化的に ドイ ツ的 ない しゲルマ ソ的 であ りなが ら,政治

3) 的帰属意識は フランスであ るとい う複雑 な事情が あ るか らであ る。

本稿 では, ドイ ツ第二帝政

( 1 8 7 1 ‑1 9 1 8 )

と全 く時期を同 じ くす る ドイ ツの‑ルザス ・ロー トリンゲン支

*弘前大学教育学部社会科学科教室

De pa r t me nto fSo c i a lSt udi e s ,Fa c ul t yo fEdu c a t i o n,Hi r o s a kiUni ve r s i t y

(2)

加 来

配 の時代を見 ることに よってNat

i o n(国民,民族) の意味を考察 しよ うとす るものであ る。そのために, ‑

ルザスの 自治運動を取 り上げ ることにす る。普通 自治運動 とい うと,あ る複数民族国家内の少数民族が,多 数民族 とは異 な る独 自の民族的特性 (言語,宗教 生活習慣等) の保持を要求す るものであ るが, ドイツ第 二帝政期 の‑ルザスの 自治運動の場合は,あ くまで も主権 国家の連合体 としての ドイツ帝国内で,他 の邦国 と同様に独立 の主権を持 った邦国

La nd

としての地位を要求 しよ うとす るものであ り,その点で特殊であ るC 彼 らの主張の検討 ・分析を通 じて,上述の問題に接近 しようと思 う。

最後に本稿 の扱 う問題 についての研究史について触れてお く。第二帝政期 の‑ルザス ・ロー トリンゲソに 関 しては当然 のことなが ら ドイツ ・フランスで盛んに研究が行われている。 フランスの研究では一貫 してこ の地方 のフランス的性胤 そ して住民が ドイ ツへ の鮮こもかかわ らず, フランスへ の帰属意識を保持 した4) ことが強調 され, フランス‑の復帰 の正当性が主張 され る。一方 ドイ ツにおいては総 じて ドイツの政策の

5)

比較的 リベ ラルな部分を指摘す る傾向がある。 ヴ ェーデル総督の時代を取 り上げた ヒエ リーの研究は,その 6)

典型 といえ る。 しか し弁 明的な立場 とは距離を置 いた, グェーラーの よ うな ドイ ツ支配の時代の様 々な矛盾 を第二帝政 の本質 と結び付けて論ず る者 もいる。上述の

2

つの フランス ・ドイ ツの主流的見解 と一線を画す

7)

のが, ‑ルザスの 自治主義者に よる研究であ る。 これは ドイツに よる併合 とその後の ドイツの政策の批判 と い う点では フランスの主流的見解 と同 じであるが, 同時に ドイツ支配 の 「光 と陰 の部分」を公平に見 るとい う立場 を取 るOそ して 「‑ルザス ・ロー トリンゲソを‑ルザス ・ロー トリンゲン人の手に」 とい うス ローガ ンを掲げて ドイ ツ帝国の枠内での 自治権の獲得のために戦 った 自治派の運動を高 く評 価す るO

8) 我が国では最近宇京頼三 ・早苗両氏に よる論文,訳書が相次いで出版 されている。

1) 『最後の授業』 (『月曜物語』 〔桜 田佐訳,岩波文庫〕所収)のアメル先生 の言葉 については, 田中克彦

『ことば と国家』(岩波新書,

1 9 81

年)はそれを 日本の朝鮮におけ る 「創氏改名」な どの 「皇民化政策」に 比喰 している。

2)

正 しくは 「独仏戦争に関す る (国際労働者協会)総務委員会 の第二の声 明

( 1 87 0

9

9

日)。マル ク スがェルザス ・ロー トリンゲソの併合に反対 したのは,住民の民族 自決権を擁護す るため とい うよ り,む し ろ プロイセ ン軍 国主義の強化 と独仏関係の悪化を警戒 したか らであ る

3)

ドイ ツ政府は第二帝政期に言語調査 (母語調査)を

4

( 1 8 7 8

,1 ㈱

,1 9 05

,1 91

0年)実施 し ているが,それに よれば第

1

次大戦前の

1 91

0年では上エルザスで

9 3. 0%

,下 エルザスで

95. 8%

, ロー トリン デンで

7 3. 5%

の住民が母語を ドイ ツ語だ と申告 している。 この数は フランス時代になってもそれほ ど変化 し ていないO参照

,DasEI s a j 71 870‑ 1 932,Ba nd 4 ,Co l mar 1 9 3 8,S・1 9 8

(ドイ ツ時代)

,S・1 99

(フラ

ンス時代の

1 9 2 6

年 と

1 9 31

年)。

4)

フランスの文献については,以下 の ヴェーラーの論文 (

6)に詳細に紹介 されているので参照

0

5)He r mannHi e r y,Zwi s c he nScyl l aundChar yb di s ,i n: Ze i t s c l m' ftfZ i rdi eGe s c hi c ht ede sOb e r r he i n s

,

Ba nd 1 3 4,1 9 86,S. 2 9 9‑3 2 8.

6) Ha ns

I

Ul r i c h We hl e r ,EI s a

13

Lot hr i nge n vo n 1 8 7 0 bi s 1 91 8. Das " Re i c hs l a nd" a l spl t i s c h・ s t a at s ‑ r e c ht l i c he sPr o bl em de sZwe i t e nde ut s c he nKai s e r r ei c hs ,e b e n da ,Ba nd 1 09,1 9 61.

7)

Do sEI s as sv a n1870‑1932 ,4 Bde

L

,Co l mar 1 9 3 6 u. 1 9 3 8.

8)

宇京頼三 「アルザス学事始」『人文論叢』(三重大学)第

4

,1 9 8 7

年 ;オ ッフェ, 宇京頼三訳 『アル ザス文化論』(みすず書房

,1 9 8 8

年);アサール,宇京早苗訳 『アルザスのユダヤ人』(平凡社

,1 9 88

年);ロ レ‑ ヌ,宇京頼三訳 『フランスの中の ドイ ツ人』(未来社

,1 9 89

年)

1.併合後の抗議運動

1 8 7 0 ‑1 8 79

1. 1 8 7 0

年以前 の前史

1 )1 6 48

年以前の ドイ時代

1 8 7 0

年以前の‑ルザス (フランス語ではアルザス

AI s a c e)の歴史は 1 6 48

年, 即ち

3 0

年戦争後の グェス ト7 1)

ァ‑ レン条約を画期に二分 され る。

(3)

ドイツ第二帝政期のエルザス目冶運動H

1 3

この地 の先住民族 は,他 の西 ヨ‑ ロッパ地城 と同様, ケル ト人 であ った。 ローマに よるガ リアの征服 とと もに, ライ ‑/川左岸の この地 域は ローマの版 図 とな るOその後, 「諸民族 の移 動」 に よ り.紀元 後

5

世紀に は ゲル マ ン化 され たOその場合, ゲルマ ン族 とは, ア レマ ン族 と フランク族 であ る。前者が先に定住 したが.

後に後者 に よって征服 された。以来 ヴ ォージ ュ山脈 とライ ン川に挟 まれた この他では, ア レマ ン語 と フラン

2)

ク語 とい うゲル マ ン語 (ドイ ツ語 の方言)が話 され ることにな ったO この時形成 された言語境界線 (ゲル7

3)

ソ語 と ロマ ン語. な い し トイ ソ語 とフランス語)は

1 5 00

年後の現在 に至 るまで基 本的に変わ ってない。

西 ヨー ロッパを統一 した カール大帝 の死後, ‑ルザス ・ロー トリンゲ ンは最初皇帝 ロメ‑ ル の 国 に 属 し

( 843

年 グェル ダソ条約), pタ‑ルの死後

87 0

年 の メル 七 ソ条約に よ り,東 フランク (トイ ソ王 国) に属 し, そ の後.「ドイ ツ民族 の神聖 p‑マ帝国」に属 した。 トイ ツ時代 は

1 7

世紀 の

3 0

年戦争

( 1 61 8‑1 64 8

年) まで 続 いた。

中 世にお いては

,St r aE 3 bur g( St r a s t x) ur g),Co l ma r ,Mul haus e n( Mul ho us e ),Me t z

等主要都市は 「自由帝 国都市」 と して 自治権 を持 ち ,皇帝 の専制に対 して共 同で戦 った。例えは ‑ ルザ スの

「 1

0都市 同盟

」( Co l 血

ar

Ha ge na u,Ka ys e r s br g,Mt i l haus

e

n,Muns t e r ,Ot xr e h nh ei m,Ro s he i m, Schl e t t s t a dt ,Tur khe i m,WeL Be nbu r g) 4 )

が知 られ ているO近代 ‑ルザ スにおけ る自治運動は 自らの起源を この中世都市 の 自治権闘争 に求め ている。

ル ネサ ンス期 のエルザ スほ多数 の傑 出 した人物 を出 したo活版 印刷術 を発 明 した とされ る クーテ ンベル ク もシ ュ トラス ブル クで構想 を凍 った と言われ てい る。 オ ッフェに よれば ェルザ スの歴 史 で最 も輝 か しい時代

5) が この時代 であ るo

Lか し宗教改革 とそれ に続 く宗教観争 の始 ま りとともに, 「神聖 ローマ帝国」 の国家的統制 力は弱 ま りつ つ あ った。宗教改 革では シ ュ トラス ブル クは町全体が新教に移行 した

01 5 38

年 ジ ‑ネーブを追われた カル グ ァンは ここに

2年間 亡命 してい るO同 じ見

フランスの東方‑ の膨張が始 まった.国王 ア ン リ2世 の時,帝 国都市 メ ッツ ・ヴェル タ ン ・ トクールが フランス領 とな った

O (1 648

年 の ウェス トフ ァー レン条約で正 式に 承認)

そ して‑ルザ スに とって運命的 な

3 0

年 政争 の結果, シ ュ トラス ブル クを除 くほ とん どの‑ルザ スが フラン スに併 合 された。

(1 64 8

年 の ヴ ェス トフ ァー レン粂約) 自由郡市 シ ュトラス ブル クも

1 6 81

年, フランスに包 囲 され.つ いに降伏 した。 ‑ルザスは ドイ ツか ら初め て切 Y)離 され, フランス支配が始 まったO ロー ト1)ン ゲ ンは

1 76 6

年に フランスに併 合 され たo

1) ‑ルザスは ロー トリンゲ ソ (フランス語では ロレー ヌ

Lor r a i ne)

と合わせ て 「ユルザス ・ロー トl)ソ ケ ン」 と一括 して表 記 され ることか多 いが, この両地方 が行政的統一を成 した のは

,1 8 7 0

‑1 91 8

年 の ドイ ツ時代 のみ であ るoそれ以前及びそれ以後 の フランス時代 は,上 ラ イ ン,下 ラ イ ン, モ ー ゼ ル の 三 県

d6 阿 t e me nt

(トイ ツ時代 の上 ・下 エルザス, ロー トリンゲ ソ県

Be z l r k

に対応)に区分 され ていた

01 9 4 0

に この地 が ナチスに よって再 び ドイ ツに併合 され た時. ‑ルザ スは/ll‑デ ソ大 管区に, p‑ トリソゲ ソはザ ール ・プフ ァル ツ大 管区 (後 ヴ ェス トマル ク大 管区)に別 々に併合 された。 ナチス支配 の時代 につ いては,

l . ot h arKe t

t

e na c ke r ,Nat i o na L s o Z i al i s t i s c h eVo l ks t ums ♪o l i t i ki m EI s a B,St ut t ga r t1 973;

PL/‑ ヌ 『フラ

ンスの中の トイ ソ人』(原題

J a c qu e sl 刀r r a i

n

e ,Le sAl l e man dse nFr an c e , Pa r is1 94 4)

を参照 0

2)

オ ッフェ 『アルザス文化論』(原題

Fr id6r i cHo f f e t ,Ps y c han al

y

s edel ' AI s ac e ,Par is1 951 )

の訳者芋 京振三氏に よる解 説

2 6 0‑2 67

頁 ;宇京頓三 「7ルザス学事始

」;EugenePhi l i pps ,Sc hi c ks aLEI s a

j

?

.

Kri s e e i ne rKu l i u ru n de i ne rSpr a c he ,Ka r l s r uhe1 98 0.

(原題

L' AI s ac ef ac e a s o nde s t i n.Lac r i s ed' i de nt i t G , S

t

r a s l x) ur g1 97 8); " Dl ede u t s c h eunddi ef r a nz 6s i s

che

Sp r a c h el m EI s a s s " ,i nニDasEI s as sv o wz87 0‑

1932,Ba nd3,S. 3 7‑97̲

3)

もち ろん.第二次大戦後

4 0

年 以上経過 した今 では, アルザス ・PL/‑ ヌにおけ るフ ランス語 の優位, トイ ソ語 (ない し‑ルザ ス ・トイ ソ語) の後退は銃著 な事実 であ り,そ の消滅 の危険性 を深刻に危供 し,そ の国家 に よる承認を求め る声は

1 9

60年代 末 よ り強 くな った

,1 981

年社会 党 の ミッテ ラ‑/の大統領当選 に よ り, 小学校 におけ る ドイ ツ語教育は戦後

4 0

年近 くた って よ うや く復活 した。参照 ,宇京頼三 ,前掲雪

,2 51 ‑252

頁 ,

26 2

頁 ;田中克象 前掲害

,1 27 ‑1 2 8

頁 ;方言 と標準 ドイ ツ語 の公認 を求め る 「詩人 ・作家 ・作曲家 ・文化

(4)

創造者 の声明」(

1 9 8 0

1

3E

])

,i n:Euge nePhi l i pp s ,Ze i t ge n o s s eEI s d s s e r ,Ka r l s r uhe1 9 87, S・1 4 5

(

Led占 fial s ac i e n ,St r a s t x ) ur g 1 9 82)

4)" Aut o no m is musunda ut o no mi s t i s c hePa r t e i e n" ,i n: DasEI s as sv o wI87011932 ,Ba nd2,S・ 1 2 2

f

5)オ ッフェ,前掲書,1 2

貢。

2)

フランス時代

1 6 4 8‑1 87 0

オ ッフェが言 うよ うに, フランスに よる併合が‑ルザスの一般 の民衆に とって果 して幸福な出来事であっ

たか ど うかは疑問であ る。宗教 面では, この地方は再び カ トリックに改宗 させ られた。新教徒は迫害 された。

ドイ ツ時代に 自治権を獲得 していた帝 国都市の住民は 自治権を奪われ ることを心配 した。 しか し,全体 とし てフランス絶対王政は同化政策を取 らなか った。1

7 8 9

年 の革命に至 るまで, ‑ルザスほ 「外 国」 として取 り 扱われ ていた。経済的には フランスの関税地域外 に置かれ,む しろ ライ ン対岸 の ドイ ツや, オ ランダ ・スイ スと結びついていた し,法令 ・法律は ドイ ツ語に翻訳 され,官庁用語 ・裁判用語で も ドイ ツ語 の使用が認め られていた。社会 の上層では フランス語が使われた と言え,文化的には依然 ドイ ツ語文化圏に属 していた と いえ よ う。加えてルイ1

4

世 の治世が この地方に もた らしたあ る程度 の物質的繁栄に よ り,住民は フランス支

2) 配を受容 した。

状況が変わ ったのは革命以後であ る。革命は社会 のすべ ての階級 ・階層を とらえた。当初革命を支持 した のは,絶対王政か ら迫害を受けた新教徒 と, 「自由 ・平等 ・友愛」 の理念に共感 した都市 の上層市民だけで あった。 しか し後になって,土地改革に よって土地 を手に した農民大衆が これに加わ った。特 に干渉戦争 の 開始 とともに,民族問題が社会問題 と結合 した。 フランスの敗北は革命で手に した土地 の喪失を意味 した。

‑ルザスほ,革 命期及びそれに続 くナポ レオ ン時代に多 くの 著 名 な 軍 人 を フ ラ ンス 国 家 に 提 供 した。

( K1 6t xr ,Ke l l e r ma nn,Ra pp等) フランス国歌 「ラ ・マル セイエーズ」は‑ルザスの義勇軍 で歌われた 曲 を

基礎に している。 ‑ルザスほ革命‑ の積極的参加に よ り, 自らを フランス国民

Na t i o n

の一員であ ると意識

3) す るよ うになった と言われ てい る。

但 し,革命期 のすべ ての政策が支持 されたわけではない。例えば言語問題において, 「単一不可分 の共和 国」 とい う理念を強調 した ジャコ/ミ./支配 の時代に,極端な中央集権主義が取 られた。‑ルザスでは ドイ ツ 語 の使用が禁 じられた。 しか し,公文書でのフランス語以外 の言語 の使用を禁止 した1

7 9 4

7月 2 4

日の国民

4

) 公会令は 「テル ミドール反動」後廃止 された。 ナポ レオ ンの時代 の言語政策は全体 として寛容だ った。

‑ルザスは革命期に フランス国家に堅 く統合 された。革命初期には まだ ドイ ツ‑ の復帰を求め る声が存在 したが

( 1 7 9 3

年末には約

2

万 の‑ルザス住民が撤退す る ドイ ツ軍 とともに ライ ン川を越 えて ドイ ツに亡命す る事件が起 こっていた)

,1 81 4 /1 5

年 のウィー ン会議 の頃にはそのよ うな声はただの一つ もなか った。このよ うに‑ルザスが フランス革命を通 じて初めてフランス国家 と緊密に統合 された ことは, い くら強調 してもし 過 ぎることはない。革命に続 く王政復古, 7月王政,第

2

共和制,第

2

帝政 の時期においても,個 々に同化 政策が取 られた ことはあっても,全体 として‑ルザスの特殊性を考慮 した政策が取 られた。従 って,1

87 0/

7

1年 の独仏戦争 の時, ‑ルザスの住民は ドイ ツ語を初め とす るゲルマ ン的特性は保持 した まま,政治的 ・国 家的帰属意識は フランスであ るとい う歴史上極め て例外的な珍 しい現象が生 まれ ていた。わずか

2 0 0

年 の7

5 )

ランス支配はそれ以前の1(X氾年以上の ドイ ツ支配 と同程度 の刻印を‑ルザスに与えた ことにな る。

1)オ ッフェ,前掲書,1

4

頁。

2)Rudo l fBuc l me r

,〟

Di ee l s a s s i s c heFr a geundde ut s c h‑ f r a nz 6s i s c heVe r hal t ni si m 1 9.J a hr hunde r t " ,i n:

Ei nLe b e nausfr e i e rMi t t e .Fe s t s c hr i f tfi i rUl r i c hNo ac k ,G6t t i nge n 1 9 61,S・ 5 7 ‑1 09;オ ッフェ,前

掲書,1

4‑1 5

貢。

3)Buc hne r ,S. 5 8‑6 0.

4)

フランス革命期 の言語政策については,Buc

h ne r ,S. 6 0‑7

1;田中克彦,前掲書,7

7‑1 05

貢。

5)Buc h ne r ,S. 7 2

ff.;オ ッフェ

,1 5‑1 6

貢。

(5)

ドイツ第二帝政期のエルザス自治運動H

1 5

2.

併合

1 8 7 0 /

71年 の独仏戦争は, ドイ ツの側か ら見れば ドイツ国民国家 の樹立 のための統一戦争 であ り,統一を 1)

妨害す る皇帝ナポ レオ ン3世治下 の フランス第二帝政 との戦争は正義 の戦争であった。 マル クスを中心 とす

2)

る国際労働者協会 (第‑イ /クナシ ョナル)は最初 この戦争を ドイ ツに とっての防衛戦争であ ると評価 した。

ところが ナボ レオ

ソ3

世 自身が セダ,/で捕虜 とな り,第二帝政が崩壊 した後 も, ヒスマル クは戦争 を続け, ユルザスのほぼ全奴 と ロー トリンゲソの ドイ ツ語部分 (東半分, フラソスのモーゼル県に相当)の併合を要 式 し始めた時, マル クスは戦争 の性格が征服戦争に転化 した と評価を変えたOつ ま り, ‑ルザス ・p‑ トリ

/ゲソの問題が独仏戦争 の大 きな争点 とな って来たのであ る。戦争は結局

1 8 7 0年1 2

月末に始 まる ドイ ツ軍に よるパ リ総攻撃 の後

,1 8

7

1

1

2 6

日に休戦が成立 したCその直前の

1

1 8

日に, ヴェルサイユ宮殿 の 「鏡 の間」で ドイ ツ帝国の成立が宣言 された ことは周知 の通 りであ る。

ドイツ国内では開戦後直 ちに,軍部のみ な らず一般 の国民 も

2 0 0

年前に失われた領土の 「奪還」を熱狂的 に要求 した。 トライチ ュケを初め とす る多数 の著名な歴史家が, ‑ルザス ・ロー トリンデ ンの併合が言語 ・

3)

人種 ・歴史 ・文化 の面か ら正当であることを主張 した. これに関 して

,Na t i o n

(国民,民族)の概念につい て独仏の神学者であるシュ トラウス Da

v i dF

r

i e d

r

i c hS

t

r a uB

とルナ

ソEr ne s tRe n a n

間で論争が行われた。

この論争は結局 のところ

Na t i o n

とい うものが個人 の意志 とはあ る程度独立 して存在す る, 言語 ・人種 ・文 化を共有す る集団であ るのか (いわゆ る

Ku l t u r n at 1 0

m論),あ るいは共通の歴史的過去を基礎 とす る個人の

LI) 意識的共 同体であ るのか

(

いわゆ る

St a a t s n a t l O n

論)をめ く.るものであ った。

戦争 とそれに伴 う愛国主義的熱狂 の中で ドイ ツ国民の大多数は‑ルザス ・ロー トリンケ /の併合を支持 し た。併 合の不当 さを主張 し,それか もた らす危険について認識に していたのは

,1 8 6 9

年に結成 されたばか り の トイツ社会民主労働者党 (いわゆ るアイゼナ‑派) と一部の人 々のみであ った。同党中央委員会は

1 8 7 0

9

5

日に次の よ うな声 明をだ した。

我 々は‑ルザス ・p‑ トリソゲソの併合に抗議す る。我 々は トイ ツ労働者階級 の名において語 っている.

フ ランスと ドイ ツの共通 の利益 のため,平和 と自由のため,東方 の野蛮か ら西洋 の文 明を守 るため, ドイ ソ 5)

の労働者はエルザス ・ロー トリノゲソの併合を容認 しないだろ う」

社会主義者以外 では, リベ ラ/レと して知 られ る 『プラソクフル ト新聞

』 Fr a n kf ur t e rZe i t u ng

が併合に反 対 した。その主な論拠は併合に よって正義 の防衛戦争が征服戦争に変質す るとい うことてあ り, この点でマ ル クスの主張 と一致す るが, ここでは‑ルザス ・ロー トリンゲソの住民が併合を望んでない ことが暗黙 の内 に了解 され ていたC併合に反対す る人 々の懸念 ・予言は的中 したが,戦勝に沸 き立つ国民大衆 のナシ ョナ リ

6) スムを抑 えることはで きなか った。

1 8

715月10日に フランクフル トで独仏間に正式 の講和条約が締結 された。 エルザス ・ロー トリンゲソの 取 り扱 いについては, 5月の帝国議会で議論 された。 当時考え られたのは,1) プロイセ‑/‑の併合,2)い くつかの邦国‑の分乱

3)独立 の政体 の樹立であ った。 この うち 1)のプpイセソ‑ のOf

合を要凍す る声 が当然 なが ら強か った。 国民 自由党に所属す る歴史家 トライチ ュケは

5

2 0

日に帝国議会で済説 し,‑ルザ ス ・ロー トリンゲソを 「一個の独立体」 とす ることに反対 し, プロイセソ‑ の併合後 「プロイセソ人」 とし

7) ての自治権を行使すれば よいと述べた.

これに対 して宰相 ビスマル クは 自ら 「ェルザスの弁護人」を任 じ, プロイセ ン‑の併合に反対 したo彼は 525日,同 じく帝国議会で 「この地方 の住民は完全に成熟 した子供であ り, 自分 の仕事を完全に理解 して いる。なぜ この地方に後見人を置 こ うとす るのか私 には理解で きない」 と述べ. いつか この地方に フランス

8)

が与えなか った 自治権を与えるだろ うと約束 したc Lか し, この約束はついに果 た され ることが なか った。

結局エルザス・ロー トリソケンは新 しく創設 されたはか りの ドイ ツ帝国の 「統合 のかすがい」として利用 しよ うと考え る ビスマル クに よ り, トイ ツ帝国を構成す るすべ ての邦国の共有財産 としての帝 国領土

Re i c hs l a nd

とな った。国家権 力は連邦参議院

Bu n d e s r a t

に代表 され る ドイツ諸邦に移 り,皇帝が帝国の代表 としてそれ を行使 した。

9

)

1 8

71

6

9

日の統一法

Ve r e i ni gu n gs g e s e t z

に よ り,エルザス・ロー トリンデ./の行政 の組織が定め られ た。立法権は皇帝が連邦参議院 の同意 の下に行使 し,行政権は皇帝に負 う帝 国宰相 Reichskanzlerが行使 した0

(6)

最高官庁 として帝 国宰相府 ‑ルザス・ロ‑ トl)ソゲソ局

e l s a

L

S l l ot hr i ng is c heAbt e i l ungde sRe i c hs ka nz l e r amt e s

が設置 され た。 (この機関は1

877

1

1

日を もって‑ルザス ・ロー トリ‑/ ゲ ソ庁

Re i c hs ka nz l e r a m t f or

10)

EI s aB

lI

. ot hr i nge nに改組 され,帝 国宰相府か ら独立 した)

一方 これ と並 んで,1

871

9

月6日に州知事

Ot だr pr aS i de ntの職が設け られた。 これは プ ロイセ ンの地方

行政長官 であ る。 初代 の州知事には メラー

Eduar dvo nMGl l e rが就任 した。 これに よ り,帝 国の行政機 関

(皇帝,帝 国宰札 ‑ルザス ・ロー トt)ンゲ局) とプロイセ ンの地方行政機関 (州知事) とい う‑ルザス ・ ロー トリンゲンの行政 の二重化 の状態が発生 した。

1 87

1

6

9日か ら帝 国憲法が ‑ルザ ス ・ロー トリンゲ ンに適用 され た1 874

1

1日まで ,

皇帝独裁」

の時代 と呼ばれ るOそ の意味す るところは,皇帝 の命令が唯一 の立法形態であ り, ‑ルザス ・ロー ト1)ソゲ ソは帝 国議会

Re i c hs t a gに代表に送 ることがで きなか った ことであ るO皇帝は無制限 ・半絶対主義的 な権 力

を行使 した。 これ は最初 は一時的 な暫定措置 と考え られ ていたが,長期 間続 くことになった。 また,1

871

1 2

3 0

日の 「組織法」 の中に,悪名高 い 「独裁条項」 (第10条)が盛 り込 まれた 。これに よ り州知事に

,

「公 共 の安全が危機に曝 された時,必要 と思われ るあ らゆ る措置を取 る権 限」が与え られた。 ビスマル クは これ

11)

を導入す るにあた って, フランス時 代の法律 を根拠に した。それは戒厳令施行 の際に軍 司令官に与 え られた 権限であ り,治安を乱す恐れ のあ るとされ る人物 の家宅捜索 ・国外追放, また出版 ・集会 の禁止を命ず るこ とがで きた。 これ も過渡期 の措置 と説 明 され ていたが,撤廃 された のは1

902

年にな ってか らであ った。

1)独仏戦争につ いては,望 田幸 男 『ドイ ツ統一戦争』 (教育社歴史新書,1

979

年)

2)

「独仏戦争に関す る総務委 員会 の第一 の声明」(

1 870

7

月23日)

3)We hl e

r

・S・1 40

f・ 併 合論 に関 しては更 に参照,

b t har Ga

ll,"

Da s Pr o bl e m EI s a

L31

Lot hr i nge n" ,i n:

The odor Schi e de r /Er ns tI kue r l e i n ( Hr s g . ) ,Re i c hs gri E ndung 1870/7 1,St ut t gar t1 97 0,S・ 366 ‑385・;

Fr i t zBr o nne r ,1870/71. EI s a PI Lo t hr i nge n・Ze i t ge no s s i s c heSt i mme nfi i rundu ) i de rdi eEi ngl i e de r ung i n dosDe ut s c heRe i c h ,Fr a nkf ur ta .M・1 97 0.

併 合を決定 した ビスマル クの意 図につ いて

Hi s t o ri s c he Ze i t s c hr i ft ( HZ)誌上 で1 969

年代に論争が行われたOこの論争は, ビスマル クは世論 の圧 力に押 され, 自ら の意に反 して‑ルザス ・ロー l)ンゲンの併合 の決定を行 った とい うグァイマル時代以来 の通説に対 して庚 を 投げかけた リープゲンスの論文

( W・Li pge ns

,

" Bi s mar c k,di e Gf f e nt l i c he Me i nung und di eAnne xi on vo n EI s aL 3u n dLot hr i nge n 1 870" ,i n:

HZ

,1 9 9 〔 1 964〕・S・ 31 ‑1 22)に始 まったO リー プゲンスに よれば, ビス

マル クは世論 の圧 力を受けた どころか,む しろ意 図的に併合を要求す る世論 を作 り出 した とい う。 これに対 して, ガル の批判

( Lot harGa

l

l ,ZurFr a gede rAnne xi o nvo n EI s aL 3und Lot hr i nge n 1 87 0 " .e b e nda,2 0 6

〔 1 9 68

,S・ 265 ‑386)

, 1)‑ プゲンスの反論

( Li pge ns

,

" Bi s ma r c k und di e Fr a gede rAnne xi o n 1 87 0・Ei ne Er wi de r ung" ,e b e nda ,S・5 86‑61 7

, コル プに よる総括

( Et だr ha r dKo l b

,"

Bi s mar c k und da s Auf ko mme n de rAnne xi ons f or de r ung 1 87 0" ,e b e nda ,2 09 〔 1 969

,S. 31 8135 6)

と続 いた。

4)

シ ュ トラスとルナ ンの論争 につ いては,Fr

i t zBr o nne r ,S・1 43‑1 57.

5)

「独仏戦争に関す る総務委 員会 の第二 の声明」

6)Ga

l

l ,Da sPr o bl e m EI s a

f

3 ‑ Lot hr i nge n,S・374

;

We hl e r ,S.1 42.

7)We hl e r ,S11 44; DosEI s as sv o w 1870‑1932 ,Ba nd 1,S.1 06f . 8)DasEI s as sy o n 1870‑ 1932 ,Ba nd 1,S.1 07.

9 )DasEI s as sy o n 1870‑1932 ,Ba nd4・S・264f

・〔I

hk・Nr . 4〕

1 0)We hl e r ,S・1 46u・1 51.

ll )併合後 の‑ルザス ・ロー トリンゲンでは法制度が極め て複雑で混乱 した。即 ち, ドイ ツ‑ の併 合 に も

かかわ らず フランス時代 の法律は革命以前 の法律 も含めて依然 効力を持 ち, これに加えて ドイ ツの軍政時代

(1 870

8

月‑ 1

87

1

6

月) の法令, ドイ ツの法律,州知事 の政令な ども有効であ った。特 に前近代的な法 律が残 っていた ことは, ‑ルザス ・ロー トリンゲ ソの住民に非常 な不利益 を もた らした。We

hl e r ,S.1 5 8.

(7)

ドイツ第二帝政期のエルザス自治運動‖

1 7 3.

抗議

1) ボル ドーの抗議声 明

ドイ ツの併合要求に対 して

,1 87

1

2

8

日に講和 のために選挙 され た フランス国民議会 の‑ルザス ・ロ 1)

‑ ト.)ソゲソ選 出議 員は,

2月 1 7

E], ボル ドーに召集 された議会において,抗議 の意志表示 を行 ったO この 抗議声 明を起草 した のは南 フランス人 ガンべ ッタLe

o nGa mt 光t t

aであ り,朗読 したのは軍服 を着た‑ルザ ス 人 ケ ラー

Emi l e Ke l l e r

だ った。それ は, ‑ルザス ・ロ‑ トリソゲソの民族 自決権 を要求 し, フランスが‑

ルザス ・ロー トリンケ ン割譲 を拒否 し, ドイ ツとの戦争 を再開す るよ う呼びかけ るものであ ったO声 明は次 の よ うに述べ る。

「‑‑領土 の割譲 のため の講和は破滅的な休戦 とな るだけで,決 して最終的な講和 とはな らないであろ う。

‑‑我 々‑ルザス ・ロー トリンゲソ人に関す る限 り,我 々は今 日,明 日, いかな る時, いかな る瞬間に も再 び戦争を始め る用意があ る。 ‑ルザス とロー トリンデンはあ らゆ る割譲に抗議す る。 フランスは これを譲 る ことはで きない。 ヨー ロッパは これを承認す る ことはで きないO ・‑・我 々は最初か ら‑ルザスと ロー トリン ゲソを全部であれ一部であれ外 国に引 き渡すあ らゆ る文書,あ らゆ る条約,あ らゆ る投票,住民投票を無効 だ と宣言す るO ここに我 々は‑ルザス ・ロー トリンゲ ソ人が フランス国民の一員であ り続 け る不滅 の権利を 永遠に持 つ ことを宣言す る。そ して我 々の名において, また我 々の子孫 の名において, この権利を永遠 に,

1) あ らゆ る手段 と方法に よ って,不法権 力者 に対 して要求 し続け ることを誓 う」

この よ うな‑ルザスの代表の必死の訴えに対 して,首相格 のテ ィエ ール

Thi e r s

は, 議員たちに冷静 さを 保つ よ う呼びかけた。結 局国民議会 の決議は 「ケ ラー氏 とそ の同僚たちの声 明を強 い共感 を持 って聞いた国

2)

民議会 は,講和交渉での我が代表 の賢 明 さと愛 国心を信頼す る」 と述べ るに留 まった。か くて,休戦 の破棄, 戦争 の再開を求めた ケ ラーの要求は却下 され,‑ルザ ス ・ロー トリンゲンの運命 は決 まったO

国民議会 は

1 87

1

3

1

日, ヴェルサ イユ仮講和条約について審議 したO ケ ラーが再び登壇 した。

「‑‑ ドイツ人はあなたがたに言 う。 ‑ルザ スを永久に割譲す る, と。私 はあながたに宣言す る。 ‑ルザ スは フランスであ り続 け るだろ う, と。 ‑‑私 は この議場を去 る前に, ‑ルザス人 として フランス人 として, 私 の 目には不正であ り,虚偽であ る講和 に抗議 したい と思 う。 もし国民議 会が この講和 を承認す るな ら,私 は正義 の守護者 であ る神に訴え る。私 は後世 の人 々に訴え る。彼 らが判決を下す であろ う。‑‑・私は心あ る

3) 人 々の剣に訴え る。 この憎むべ き講和をで きるだけ早 く打破せ よ, と」

しか し‑ルザ スの再度 の訴えに もかかわ らず, フランスの政府及び軍 の指導者 は戦争 の再開が不可能であ るとの結論 に達 していた。結局仮 の講和条約が国民議会 の多数に よって承認 された。‑ルザ ス と ロー トリン ゲソの議員たちは,仮条約が承認 された場 合には,議場か ら退場す ることをあ らか じめ決定 していた。彼 ら は 自分たちが フランスを救 うために国民議会多数派に よって犠牲に供 された ことに深 く失望 した。 しか しな が ら, この地方の住民が フランスか ら切 り離 され る瞬間において, フランスに対す る忠誠 を表 明 し, 自らの 意に反 して行われた ドイツ‑の併合に抗議 した ことは記憶 され るべ きであ る。 彼 らに とって

Na t i o n

とは, 言語 ・文化 ・歴史等の先天的な共通性に よる共 同体ではな く,共に生存 しよ うとす る自発的な意志に基 づ く 共 同休であ ったQ この抗議 と怒 りは長 い間 この地方 の政治状況 を決定 したO ‑ルザ ス ・ロー トリンゲソの指 導者 は この後 ドイ ツ当局か ら 「抗議派

」Pr ot e s t l e r

と呼ばれた。

1

)DasEI s as sy o n 1870‑1932,Ba nd4・S・ 2 6 2‑2 6 4

・〔

わk・Nr ・ 3〕

2) Eb e nda.

3)DosEI s as sy o n 1870‑ 1932,Ba nd 1,S. 6 2.

2)‑ルザス同盟

1 87

1

6

3 0

日, ドイ ツ‑ の併合後初めての市町村議会選挙が行われた。 この選挙に際 して

1 871

3

月に ガンべ ッタの発案 に よ り結成 された秘密結社 「‑ルザス同盟

」Li gued' AI s a c e

は住民に選挙 ボイ コ ッ トを呼

1)

びかけたO結果 は

8 0%

の有権者 の棄権だ ったQ これは ドイ ツに対す る住民 の明白な不信任 の表 明であ ったO

‑ルザ ス同盟は住民に ドイ ツの行政‑ の参加の拒否 を呼びかけた。官吏に対 しては, フランス‑ 出国後 の

(8)

相応 の就職 と昇進が約束 されたので, ドイツの官吏 とな る者は少なか った。市町村長のみが全員その職に留 まった。中等学校 と大学 の教員は ご く一部,小学校 の教員は約半数が ドイ ツに留 まった といわれ ている。そ の結果大量の官吏が ドイツ国内か ら流入 した

。1 87 2

年末には官吏に占め る地元 出身者の割合は

2 6%

に過 ぎず, プロイセ ン人が

46%,

バイエル ン人が

9%

を 占め,残 りは他の ドイツの諸邦及びル クセンブル ク,スイスの

2) 出身者だ った。

ドイ ツに対す る住民の反発は

,1 87 2

1

0月に徴兵制が実施 された時に顕著に現れた。 この年の兵役義務者 3)

3

3 45 7

人であ ったが, これに応 じたのは

7 45 4

人に過 ぎなか った。兵役忌避者は国量を越 えた迷亡 したO 兵役拒否問題 よ りさらに注 目を集めたのは,国籍選択問題であ った。 フランクフル ト講和条約は ドイツ国 民 とな ることを望 まない‑ルザス ・ロー トリンゲソ住民が 自発的に フランスへ 出国す ることを認めていたO そ してこれは現に‑ルザス ・ロー トリンゲンに居住 している住民だけではな く, フランス国内に住んでいる

‑ルザス ・ロー トリンゲン出身者に も適用 され た。‑ルザス同盟は これを事実上の住民投票 の代わ りに しよ うと活発な宣伝活動を行 った。

「直 ちに フランス国籍 を選択せ よ。全員選択せ よ。 と りわけ追放を恐れ てい る者は。 ドイ ツは フランス国 籍選択を理 由に君たちを追放 しよ うとしているのではない。暴力に よって閉 じ込め よ うとしているのだ。君 たちの立場はは っき りしている。 フランス国籍を選択せ よ。そ うでなければ,君 たちは意に反 して ドイツ人 に され てしま う。‑‑ これが最後の住民投票であ る。 これに よ り抑圧者が全世界を前に して受け る恥辱は,

4)

我 々の最初の復讐だ」

その際, 「同盟」は郷土への愛着が強 い住民感情を考慮 して,実際には出国 しな くても, フランスの どこ かの市町村に架空の住民登録をすれば十分であ るとして, フランス国籍 の選択を呼びかけた。 これに対応 し て ドイツ当局は

,1 87 2

1 0

1

日までに実際に住所が移動 しなければ, フランス国籍選択 は無効だ との立場 を明 らかに した。結果は次の通 りである。人 口約

1 5 0

( 1 87

1年)の うち

,1 6

0 87 8

人が フランス国籍を選

5 )

択 した。 これに加えて フランス国内に居住す る

37

877 7

人が フランス国籍 を選択 し,全部で

5 3

9 65 5

人の‑

ルザス ・ロー トリンゲ ン人が フランスを選択 した ことにな る。 もちろん

1 6

0 87 8

人の うち実際に出国 したの

4

9 9 2 6

人であ り,残 りの者は無効 とされた。 この数は決 して多いとは言えないが, フランスは

5 3

9 65 5

人 とい う数字 を

60

万ない し

8 0

万 の‑ルザス ・ロー ト1)ンゲソ住民が フランスを選択 した として, この後の 7

6) ランスへの返還の宣伝の材料 とす ることができた。

1 87 4

1

1

月に帝国憲法が‑ルザス ・ロー トリンゲソで施行 され

, 2

1

日,初めて帝国議会選挙が行 われた。 この選挙で‑ルザス同盟は従来 のボイ コッ ト戦術を撤回 し,選挙へ の参加を呼びかけた。 この戦術 変更は前年

6

月に実施 された第

1

回県議会選挙 (上下 ‑ルザス とロー トリンゲ ンの

3

県)で対独協力派が全 員当選 していたためである。‑ルザス同盟は選挙への参加に よって 「抗議派」だけを当選 させ,改めて ドイ ツへ抗議の意志を表明 しよ うとした。選挙の結果,割 り当て られた

1 5

の議席は全員が 「抗議派」で占め られ

7)

た。 もちろん この頃になると, 「抗議」 と言 って も,併合その ものに対す る抗議 と,併合後の 「独裁」に対 す る抗議の二つの意味があった。

( 1 87 4

3

3

日の帝国議会での ヴ ィンテ ラー

Wi nt e r e r

議員の演説)時

とともに後者 の比重が大 き くなった。

1 87 4

2

1 8

日,‑ルザス ・p‑ トリソゲ ン選 出議員が初めて帝国議会に登院 したo彼 らを代表 して ツァ ーベル ン

Za br

n選 出の トイチ ュ

Te ut s c h

が抗議の意志表示を行 った。彼は フランス語で演説 しよ うとした が,それを禁止 された。彼は次の よ うな決議案を提 出した。

「帝国議会は, フランクフル ト講和条約に よってその意志を問われ ることな く ドイ ツ帝 国に併合 された‑

8) ルザス ・ロー トリンゲ ンの住民に, この併合につ いて意志を表 明す る機会を与えることを決議す る」

トイチ ュは激 しいヤジ,笑い声,そ して議長の制止に もめげず,決議案の説明 とい う形で 「文明国の権利 の枠を越 えた」 ドイツに よる併合に対す る抗議声明を読み上げた。

「‑ルザス ・ロー トリンゲソ人民の名において,私は権力の悪用に抗議す る。‑‑我 々の同意な しに行わ れた併合は我 々を精神的奴隷にす るものである。‑‑・理性 と普通 の法 の原則か ら見 ても,そのよ うな条約は 無効であるO精神 と知性を持 った市民は売 り買いされ る商品ではない。・‑我 々の心は祖 国 フランスに向け

られている。‑‑・

( 1 87

1年

2

1

日の選挙で)我 々を選 んだ人 々は,それに よって祖国 フランスへの共感 と,

(9)

ドイツ第二帝政期のエルザス自治連動

H 1 9

自分の ことを 自分で決め る権利を表 明 したか ったのであ る。 ‑‑我 々 と君 たちの間 の家族 の粋 は切れ た。我 々を真 の家族てあ るフランスに帰す ことを拒 む限 り,我 々は君 たちを兄弟 とみなす ことはで きない‑‑我 々 に正義 を与 え よ. そ うすれば我 々は過去

3

年 の苦 しみ のすべ てを忘れ るだ ろ うoそ して君 たちの高貴 な精 神

9)

を記憶 に留め るだ ろ う」

トイチ ュの演説 の次に発言 したのは, カ トリ ック司教 レース

Ra e s s

だ った。彼は突.IA次 の よ うな爆弾発言 を したO

「我 々,即 ち私及び私 と宗派を同 じ くす る人 々に関す る不愉快 な誤解 を避け るために,良心 の名において 次 の簡 明な声 明を出す ことを義務 とみ なすO私 の宗派 の‑ルザ ス ・ロー トリンゲ ソ人 は,二 つの大国の間で 結ばれた フランクフル ト講 和条約を問題 に しよ うとは考えていないO (ブラボー)私か まず最初に述べた い

10) のは これてあ る。 (盛 んな拍手

)」

レースの この発言はェルザ ス ・p‑ トリ‑/ゲ ソ選 出議 員に とっては正に嘘耳に水だ った. F,‑ ト1)ソケ ン 選 出の議員 プニェ ト

P o u gn e t

1 8 7 4

2

1 9

日に述べたC

「この中で シ ュ トラス ブル ク司教 レース議員は, 同 じ宗派 の人 々の名 にお いて語 ってい る。私 は この発言 が本 当に行われたか ど うか疑 問に思 う。我 々は これ を聞 いていない。 これが本当に行われ た とす るな ら, 司 教 は 自己 の名にお いて発言 しただけであ り.決 してェルザス ・ロー トソケ ンの カ トリ ック議員の名にお いて

11) ではない」

同 じロー トリンケ ン選 出の議員 シェル マ ン

Ge r ma

in も

1 8 7 4

2

2 7

日の手紙 で書 いてい るO

「レース司教 は抗議声 明の文言 もそれ 自体 も承認 し, い ささか の異 議 も唱えなか った。 ただ,各人は 自分 の観点か ら問題 を検討 し,正当 と思われ る考えを主 張す る権 利を持 つ,但 し,根本 に愛 国心の表明は絶対必 要, と述べ ただけであ る。‑

‑ 2

月1

5

日にベル リンの レース司教 の家 で直ちに提 出す るために作成 され た決 議案には

1 5

人 の議 員全 員が署名 したo筆頭者は レースだ った。 トイチ ュの次に‑ルザ スの代表 として グ ィ

. /

テ ラ‑が発言す る予定だ ったOその後 トイ ツ語がで きな い p‑ トリンケン出身議 員が ェルザ スの同僚の支持 演説 を フラ ンス語で行 う予定 だ った。 レースは発言予定者 でなか った。彼 自身討論 に加わ りた いとは一度 も

1 2)

言わ なか った。 ‑・この よ うに彼 の行動は全 く弁 明の余地が な く,いかな る声 明に よって も正 当化 され ない」

この よ うに レースの発言が ‑ルザス ・ロー トリンケ ンの議員 の同意 な しに行われ たのは間違 いないが, レ ース自身 の発言 の動機につ いては, ビスマル クを刺激 しな いよ う求 めた とい うフランス大統 領 マ ク マ オ ン

Ma c Ma h o n

の手紙に よる ものか. トイチ ュの発言に よって予想 され る ドイ ツ政府 の‑ルザス‑ の報復を避け

るために既成事実 を確認す る声 明を出す ことを忠告 した とい う中央党議員 ウ ィン トホル ス ト

Wi n d h o r s t

の働

1 3

)

きかけに よるものか諸説があ る。 しか し. いずれに して も ドイ ツ支配 とい う現状 を肯定す るレースの発言は 併 合後

3

年 を経過 した

1 8 7 4

年 において も‑ルザス ・ロー トリンゲ ンで拒否 された。

1)「同盟」は抗議派 のスポー クスマ ンとして併合後 の数年間活発 に活動 した。主要 な活動 は宣 伝 ビラ ・パ ンフレ ッ トの発行で,住民 は ドイ ツへ の抵抗を呼びかけ, トイ ソ当局に対 して少 しで も協 力的 な態度 を示 し た者 に対 して激 しい攻撃を加 えた。会 員数 は 自称40万 であ ったか,実態 は ミュルノ、ウゼ ソの市民2

0

名に過 ぎ か った とい う。 しか しその影響 力は大 き く, トイ ソ当局 と住民 の対立を深 め る の に 成 功 し た。参 照

,Dos EI s as sI87011932 ,Ba n d

1

,S . 6 9f

2) Eb e n d a ,Sl7 0

f

3) Eb e n

d

a ,S . 7

1

. 4)Eb e n

d

a ,S ・ 7 3・

5)

この中には 「スケー ターズ ワル ツ」 「女学生」な どの ワル ツ曲で知 られ る 「パ リの ワル ツ王」 ワル ト トイ フェ

ル Eml eWa l d t

eufelも含 まれ る

。1 8 3 7

年 シ ュ トラスブル ク生 まれ の彼 は独仏戦争 で志願兵 として プラ./スのために戦 った。 参 照

,P・Ec k ," Emi tWa ldt e u

L

e L Zu r l C O.Wi e d e r k e h rs e l n e S Ge bu r t s t a g e sa m 9.De z e mt

r ' ' ,i n: EI s as s ・ Land ( St r a s s bu r g) ,1 7,1 9 3 7,S ・ 3 7 3 ‑3 7 6.

6)Eb e n

d

a ,S . 7 4.

地区毎 の フランス国籍選択 者教 につ いては

,Eb e nda ,Ba n d4,S . 6 3.

7 )1 8 7 4

年か ら

1 9 1 8

年 までの‑ルザ ス遠 出帝 国議会議 員の名前 ・略 歴 の一覧は

,Eb e nda ,S . 6 6 17

1.

(10)

2 0

加 来

8)Eb e n da,Ba nd I ,S. 65.

9)Eb e n da ,S. 65

f.

1 0)Eb e n da,S. 6 6.

ll )Eb e nda,S・ 6 7.

1 2)Eb e n da,S・ 6 8.

1 3)Eb e nda ,S. 66

i.

4.

州委員会 の設置

ドイツ帝 国内部での 自治権 を獲得 しよ うとい う考えは, ドイツ‑の反感 とフランス‑の復帰‑ の期待が強 か った併合直後の数年 の‑ルザス ・ロー トリンゲンではほ とん ど支持を宿 ることが出来なか ったO もちろん, 支配層の中に ドイ ツ支配に適応 しよ うとす る動 きが全 くなか ったわけではない。既に

1 87 0

年秋 のシュ トラス ブル ク陥落の際に,市長 キ ュス

Kds s

は 「もし我 々‑ルザスが バ‑デソ大公国の ようになれた ら,それはあ

1)

らゆ る点で素晴 らしいことだ」 と述べ ていた。 ミュルノ、ウゼ ソの資本家たちは, 自己の経済的利益 の防衛の ために

,1 87

1年春か らベル リンとの接触を始めた。そ こでは 「最大限に拡大 された 自治,帝国議会及び連邦

2)

参議院‑ の代表権, フランス県議会 よ り広範な権限を持つ地方議会」が要求 されたC ミュソス ター

Mdns t e r

の資本家で, ボル ドーの抗議声明の署名者の一人であ ったノ、ル トマン

Ha r t ma nn

1 87

1

6

月,エルザス同 盟の攻撃に対 して次の よ うに反論 した。

「私は 自分 も署名 した抗議か ら一歩 も後退 しない。 しか し,今は もはや法 の名において征服の暴力的行動 に抗議す る時ではない。我 々は一つの現実に直面 している。我 々はその中に引 き入れ られ,好む と好 まざる とにかかわ らず,その中で生 きなければな らない,‑・モ リエールの言葉に よれば,民衆はおいしいスープ

3) で生 きるのであって,美 しい言葉に よってではない」

しか しこの よ うな声は,併合直後においてほ抗議 の声 と反 ドイツ感情の中で完全にか き消 された。 自治派

1 87 0

年代を通 じてほんの少数派に留 まった。彼 らはほ とん ど例外 な くプロテス タン トであった ことは注 目

4)

すべ きである。 ビスマル クとの協力に よ り,段階的に 自治を獲得 しよ うとした。 ビスマル クは 「‑ルザスの 弁護人」を 自任す るだけでな く,その反 カ トリック的 「文化闘争」に よ り自治派の好意を得た。 ビスマル ク として も抗議派 との対抗の上か らも自治派 の要求をあ る程度認め ることを得策 と考えた。併合後時間が経過 す るにつれ,一時 の激越 な感情が次第に収 ま り,現実に対す る冷静な見方が徐々に強 まってきた ことも自治 派に有利に働 いた。

前述 の如 く

,1 87 3

6

月の県議会選挙で抗議沢はボイ コ ッ トしたため,全員 自治派が当選 していた

。 3

の県議会は

1 87 4

1

月以後,相次いで普通 ・直接選挙に よる州議会 h

l l dt a g

と憲法を要求 した。 ビスマル ク は この要求に答え

,1 87 4

1 0

2 9

日,皇帝の勅令に よ り初めての議会 として州委員会

La nde s a us s c huf

3が設 置 された。

州委員会は間接選挙に よ り

3

つの県議会 の議員の中か らそれぞれ

1

0名ずつ計

3 0

名が選ばれて構成 された。

その権限は‑ルザス ・p‑ トリソゲソの法律 (州法)案が連邦参議院及び帝国議会 の審議にかけ られ る前に, それにつ いて意見を述べ ることがで きるとい うものであ り,従って事実上の審議権が与え られた。 しか し議 決権は持たなか った。 このよ うに州委員会は議会 としてほ不十分な権限 しか持たなか ったが,‑ルザス ・ロ ー トリンゲソ住民,特 にその指導層は このささやかな議会に期待 した

。1 87 5

6

月の最初の会議で長老議長 に選ばれた ロー トリンゲソ出身の フ リュ‑ レ

Fl ur e r

は, 州委員会が 自分たちの求めている自治‑の道を切 り開 くもの と評価 し,議長に選ばれた上‑ルザス出身のシュル ンベルガー

S c hl umt xr ge r

も, この議会が早

5) い時期に議決権を持つ議会になることを望む と述べた。

この希望は

1 87 7

5

月の改革で部分的に満た された。帝国議会は州委員会に立法権 の一部を付与す る法案 を可決 した。 この背景には直前に行われた帝国議会選挙 の結果があった。 この選挙で 自治派は

5

つの選挙区 で抗議派候補を破 り,全部で

1 5

議席の うち

1 /3

を占め (すべ て下 ‑ルザス), この ことが ドイツに好意的に 受け取 られた。 この時期の 自治派 の指導者が シュネーガンス

Augus t

S

c h

n

e e ga ns

であ る。彼は ビスマルクと 良好な関係を持ち,‑ルザスの権利の拡大のためベル リンの諸政党に活発に働 きかけた。

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