フランス啓蒙史學展開の一様相︵河瀬︶
フラン
ス啓蒙史學展開の一様相
河
瀬
明
雄
θコンドルセの進歩の概念への系譜
近代フラγス史學は︑所謂普遍目的概念によって支えられて一六
七九年頃から記述されたボスェ同.しご.しdoωω自︒叶︵一六二七−一七〇
四︶の﹁世界史論﹂ ∪一のOOq鴇のω自N一︑ぼ︒︒叶O膣①q巳くO円の⑦崔①一六
八一より展開したものと解して大誤なかろう︒即ち︑彼の歴史はボ
ーダン旨●b⇔O山回︵一五二九−一五九七︶の企圖せる合理主義的・自
然主義的試みの軍なる継承にすぎぬ点は指摘されうるとしても①︑
キリスト教的本質をその根底に置きつ︑も︑諸自家の民族性を充分
に考慮して︑歴史を嚢展的に捉えんとした点は︑皮相的であったとは申せ︑史記皮的には大いなる意義を有し︑從って彼は歴史的諸事
象間の關蓮性に注目し︑これをば紳の恩寵に露せしめたことは悉知
のことである︒
而して︑後に啓蒙期の史家たち1就中チユルゴ↓qNぴqoけ︵一七二
七!一七八一︶やコγドルセOO昌幽O﹃OΦけ ︵一七四三一一七九四︶
が︑この關十哲を神學的史観よりする神意という概念によって把握
したボスェに封して︑新たに進歩という概念に還俗せしめ︑これに
よって人聞精聯の歴史を解塗せんとしたが︑更にロマγ圭義史學に
於て︑三一ストル孟母ω霞⑦︵一七五三−一八︼=︶やシャトーブ
リアγOず鉾〇四更ぴ二鋤旨α︵一七六八一圃八四八︶等は再び神の御手
の働きによって歴史的嚢展を理解せんとしたこと︑考え合わせて興
昧深いものがある︒
ボスェの皮繭理解の根本にあるものせ︑歴皮が一蓮の磯展をなし つ︑現在まで進んできた因果の鳶頭を如何に理解すべきであるかという点であったし②︑又十七世紀末に早くも︑彼ぱ歴史研究の主なる目的が風俗習慣や人聞の内的諸傾向にあるということを明らかにして政治と同様に諸汝の國民性の究明に力点を置いたのである︒從って︑彼はモγテスキユー竃O算Oのρ乱⑦自︵一六八九一一七五五︶やヴオルテールく︒犀巴同Φ︵一六九四一一七七八︶が歴史に見出した新な方向︑即ち政治皮・王朝皮とは野立せる丈明史的立場の意義を既に牛世紀も以前に認識していたともい︑うるのであるQ 人当活動の將來に亘る確乎たる予見の可能性を歴史研究の主眼に置かんとする啓蒙史學の概念とは全く謝.立するものではあるが︑ボ
スェの一皮的思惟の態度には近代性を認めることは可能であろ到q旨
ボスェにあっては︑先にも述べた如く歴史家の主たる仕事は︑歴
皮的諸事象を惹起せしめる隠れたる諸汝の關連に深く注意することであり︑歴史の中の予期せざる結果が如何なる因によって生じたか
という不可解な難問こそ史家の常汝等され︑且つ解きほぐすべきも
のであり︑かのルネサγスの史家マキアヴェルリ冨90げ貯く9嵩︵一
四六九一一五二七︶も亦その例に洩れす︑ブオルチユナ国︒簿⊆昌9
という莫たる概念によってこれを把握せんとし︑ために彼は歴史嚢
展の科學的法則を理解することなく︑人間心理の分析という消極的
面と同時に︑人聞行動の積極性によりて︑この機を捉え︑且操縦す
ることによって歴史の進展を明らかにしたのである︒また心隈に一
八世紀の歴皮家ぱこの困難な問題を解決するに際して︑歴史事象を
個汝の明瞭な方法に還元することによって把握せんとし︑例えば植
の
¢
物的自然界にみられる緩慢にして無意識的な生長という概念を人聞
の歴史に導入したパーク国.切=﹃犀①︵一七二九一一七九七︶等の立
場がそれであり︑ その後この概念は世界精神という形でヘーゲル
国︒ひqO一︵一七七〇1一八三一︶によって大きく把握されてゆくので
ある③︒ 普遍皮の叙述はチュルゴの﹁人聞精血の継継的画展に關する哲學
的考察﹂↓鋤鑓①鋤q娼げ目︒ωo娼ぼρ二①働①ωbNoσq目①ωωqoo①ωω龍ω山①
一、純ヨ切回叶げ信ヨ巴昌 一七五〇に於て大きな攣化をみるに至った④︒
チュルゴは進.歩こそ人間の歴皮の支えであることを確信し︑ヴオル
テール的・微温的進歩観を遙かに超えて︑人類完成への進歩を普遍
的法則性のもとに捉えんとした︒則ち︑規則正しい反覆する環をも
つて人間の獲展を自然界のそれと相封立するものとして出心し︑自
然界が同一の閉された環の中を永却に悪露するのに反して︑人聞精
榊は時代から時代へと新生してゆくものであることを強調したので
ある︒それは宛も個性的なるものからして︑人類自体一つの大ぎな
個体に︑初期からゆっくりと嚢展向上という方向に成長しつ︑形.成
せられるかの如くである︒ ﹁同一の感情・器官︑同一の見解は︑何
処に於ても︑宛も同一の必要や同一の性向が常に同一の技術を生す
るが如く︑同一の思想を生むものである︒﹂⑤とチュルゴは述べて
いるが︑歴史に於て︑すべてのものは相互に關蓮し︑すべての時代
はすべてのものを導いて現在の歌態に到達せしめたところの原因と
結果との継綾によって堅く結びつけられているものとし︑而も人間
の歴皮は段階的に獲展進歩するものであることを明らかにし︑人闇
肚會という全体竃9ωのは丹碧の秀でた六二の指導のもとにはじめ
て夫汝の段階を経て今日の歌聖にまで到ることが出來たものと解し
たのである︒ ノ
彼は一王朝︑一民族といった個汝のものの歴史からは離れて︑人
フランス啓蒙史学展開のム様相︵河瀬︶ 類垂体という総体の嚢展に於て歴史を把握しながらも︑︷方︑それを押進める力として︑天才・英雄を認め︑ヴオルテールと同様にルイ十四世の治世を︑矛盾の姿を逸すて︑︑偉大なる世紀として讃えざるを得なかったのである⑥︒ アメリカの処女林に於て︑樫の木が何世紀もの間︑つぎ一と絶 えることもなく相継がれて現在に到っているのをみると︑それは 落菓の上に老木が朽倒れ︑それが大氣と雨によって分解して土地 を肥沃にし︑残ったものがそこから新な︑一倉掛氣のよい枝幹を 張出してゆく︒これと同じように︑この地上にある政府は︑すべ ての過去の政府を撃つぎ︑國家は國家の滅亡から生まれ︑このよ うにして動揺と卒穏を反復し︑悪と善とを繰返えしつ︑︑人類全 体はその完ゑ性へと確實に進むのである⑦︒ こ︑でみたチユルゴの人間精神の段階的磯展の概念と︑その人類全体の嚢展を押進める光としての天才の是認といった二つの面を一書明瞭にi自然科學的法則の下に理解するという一せんとしたのが
コγドルセであった︒チュルゴが歴更的進歩を集團としての人類と
いう総体に於て達せられつ︑あることを認識しながらも︑その総体
以外に︑偉大なる個人が夫欧の時代︑夫汝の地域に存在することを
認め︑そのものの力を重観したのに舅して③︑づγドルセは小繋の
人汝の歴史を否定して︑人類全体のみを等外として考察すべきこと
を強調するのである︒
コγドルセは貴族出身であり︑本舗の幼時は不幸が取巻いていた
ようであったが︑青年に達するや︑そのすぐれた天分はダランヴエ
ール自.︾δヨぴONけ︵一七一七−一七八三︶︑エルヴェシウス踏¢守
−慰事︒ロ ︵一七一五一一七七一︶ ヴオルテール等當時の名士たちに
よって認められ︑學界︑政界に於て大いにその名聲を博したのであ
る︒就中チユルゴにば最も私淑し︑政治生活は勿論︑その歴史観に
の
@
フランス啓蒙史学展開の一様相︵河瀬︶
於てもチュルゴの多くを継承している︒而も彼の性格からして象牙
の塔に閉翻ることは出來す︑大革命の危機が身にひしくと感ぜら
れるや︑或は國家経濟の問題に︑或は計 會時事に不正不義と取組ん
で論戦を張り︑更に革命が勃畿するや︑ジ買γド党に比して立法議
席︑國民協議會の一員として︑己の所信を賢現せんと努力し︑特に
その公儀育計画ば非常に優れ.たものであった⑨︒しかし︑ 一七九三
年ジロγド党とジヤコバγ党との軋礫が表面化するに及んで︑彼も
告嚢され︑逮捕令を受ける身となり︑その後一年足らすの危瞼極ま
る野業中にものした﹁人間精鋼進歩史概略﹂国︒︒ρ巳ωω①α.=昌冨ぴ∵
︒碧匡の8ほρq①山︒ω嘆︒σqN仙ω9一.①︒︒b葺けゴ目巴昌こそは最もよ
くコγドルセの意志を表明しているものということが出量る︒即
ち︑参考すべぎ資料にも乏しく︑一身の危瞼に常にさらされつ〜筆 エスキスしたこの﹁概略﹂は︑か︑る暗い環境には似てもっかぬ朗らかな︑
手離しの樂観主義で満され︑その内容も未來に封ずる無限の進歩と
いうことであった︒この﹁概略﹂は勿論論考として完成されたもの
ではなく︑それに到るスケッチでしがなかったが︑その骨組だけで
あるという点に反って︑むしろ彼の歴史的態度・歴史観が明瞭に窺
えるともい︑うるのである︒人聞精華の進む路が直ちに歴史となる
とする彼にあっては︑人類の歴史を貫いて流れいるものは︑無限の
完成へと向う進歩の思想であった⑩︒
㊥ルソーの場合
か︑るブイロゾーフ特有の啓蒙的進歩主義に強い抵抗を現わして
いるのがルソー園oqo︒の09餌︵一七一一一一一七七八︶ であり︑ いろ
くの問題は内藏しつ︑も︑彼の不亭等起源論UδoO霞︒陰ω霞一.O−
ユひq貯①α①一.言似σq豊津似b謹言=①のげO軽羅⑦ω一七五五に当て最も
よく窺うことが出置る︒ 即ち︑ルソーの歴更観に就いて前川氏は︑ルソーには史.學史の野望となるような歴皮叙述は何一つないと前提して︑歴史観を究明するのならば︑彼の代表作品の一つである﹁人間不亭等起源論﹂に最 ロ ロ もよく明確に示され︑これば一般.に人間退歩の歴史観として知られているものであると述べているが⑪︑この人言退歩の問題に躍れて酒井氏ぱ︑ルソーの自然観を手がかりにして︑彼の歴皮具をヴイコ<一〇〇︵一六六八−一七四四︶の反覆二〇〇触ωoの継承とみなし︑一定の歴史的震旦がその最終点に曾て再び繰返される所謂薫冨血︒雫び︒冠q昌ひqであって︑園qo指樽昌ではなかったものと論じているが⑫︑この点に満して本論の主旨に二って考察してみると︑確かに前記前川氏の言を侯つまでもなく︑自然状態から法・國家の成立を経て乱舞の肚會に至るに從い人類は次第くに救い難い罪悪に陪ってしまったことを記述しているのではあるが︑更に些細に槍賊すると︑ルソーは人間嚢展を四つの段階に分って︑第一の純粋な自然笹野の段階から人類の青年期ともいうべき自然的杜會歌態の第二の時期へと進み︑やがて現身杜絶の直接的始源である法及び國家成立後の時代に入るのであるが︑それに到る間を過渡期としているのである◎而してこの人類の歩みの路が最初から直線的に下降・退歩しているのでないことは勿論である⑬︒ 即ち︑ルソーによれば︑第二の時期こそ︑人類の最も幸幅な時代であり⑭︑換言すれば︑この第二の時期へと純輝自然状態の段階から遅汝ながらも無限に進歩し︑嚢噛してきたのであるが︑この第二の段階を経てから後は人類は︑その自然早酢を維持し得なくなりやがて祉禽は混乱を重ねて人類滅亡の一歩手前1これこそ現實の津和である一まで急降下してくるのである︒ 以上が﹁入間不第等起源論﹂にみられる歴史観であるが︑これか
ら推してルソーの考えていた歴史嚢展はごつの部分に︑從って二つ
の
¢
の嚢展形熊に分けることが黒砂る︒即ち︑第一期の純粋自然扶態か
ら第二期の肚會的自然盛暑へ移行する前事の部分と︑第三の過渡期
から第四期の國家成立後の就・會歌態へと到る後牛の部分がそれであ
る︒即ちこの二つの部分は大別して言えば人類の最も幸幅な自然五
障と腐敗堕落せる阯會歌態である︒而して︑か︑る人間歴史の歩み
の中に於ける︑或は向上進歩の原動力は︑或ぱそれから急に低下退
歩へ到るモメγトをルソーは一体如何に考えたのであるか︒ 彼はこれを大きくは︑遼遠の起点たる自然歌態から現在みるが如
き人間社會一人聞の種を鍛つことによって理性を完成し︑肚交的に
することによって人闇を悪人たらしめた一に到る間の歩みを押進め
る力は﹁種汝の偶然﹂⑯であり︑些細な原因でも︑たゆみなく働く
時には驚くべぎ力を有するという︑そのような﹁時の経過﹂⑯であるとみなした︒しかしそれだ馨り荘∬純粋な・自凱歌能掛から群−
會的自然へ︑或はそれを経て現在の國早撃會への稜展の跡は理由づ
けることば出営ない︒即ち︑ ﹁完成能力や肚會的な徳やその他自然人が潜能として亭甚した諸能力が決してそれ自身では嚢憎し得なか
ったこと︑そのためには多くの外からの原因1それは必ずしも起ら
の ゆなくてもよかったものではあるが︑それがなo︐れば人平は永久にそ
の原始状態に止まったろうと思われる一が偶然これに協力する必要
があったこと⁝⁝﹂︵点線筆者︶と述べている如くになるのである︒
﹁自然状態の絡点に到達するまでには︑多くの進歩をなし︑多くの
産業と明知とを獲得し︑これを時代から時代へと傳達し増加しなけ
ればならなかった︒﹂⑰のであり︑而もこれらの獲展は︑間もなく
家族生活へと人類を導き︑これは﹁相互の愛着と自由とがそれの唯
一の紐帯であったため一聯よく統一された小肚魯﹂⑲を形成したが
この新しい事熊の中に︑ ﹁彼等の氣付かない﹂ ﹁不幸の源﹂⑲があ
ったのである︒それから先の目ざましい外観上の出展は︑とりもな
フランス啓蒙史学展開の一様相ハ河瀬︶ おさす人類を堕落させたものに外ならないとルソーぱ考えた︒こ︑に恐るべき黒砂等があらわれ︑ついで最.も恐ろしい無秩序が到証し︑人間聖寿ぱ絶え間なき悪闘早態に陥ってしまうのである︒これがルソーのいう肚會⁝状態への展開であり︑若干の野心家のために︑爾後至人類は勢働に︑隷属に︑且貧困に屈服せしめられてきたのであったQ 即ち︑肚會的利釜と個人的利釜とが事汝に防塁し︑矛盾樹.立という形が︑それ以後永遠に解消することなく︑人類が混乱の中に沈んでゆくとみたルソーは︑美しき肚會としての杜會的自然の人類獲展と︑それから以後の人類の堕落の歴史との一大韓換に於けるモメγトを人間精榊の目だたぬ嚢展向上そのものに内在せる必撚的悪の急激なる膨脹増大1それを貫く運命的なるもの一に求めたのであり︑
一般にルソーの歴史観の本質は退歩の思想であるといわれるが︑こ
れはルソーの歴史観の零墨であって︑その他の面は一不李等起源論
では第一部から第二部週番で論じられているが一無限への嚢展の可
能性を乏いた進歩の概念であって︑この撃茎を併せ考えれば︑﹁ル の ソーに於ては︑歴史は磯展ではなく還元であり︑復露でなければな
らぬ⁝⁝﹂という意味は多くの問題を残すものと考えられる︒㊤マラの場合
ルソーのか︑る上昇と下降という二面の中の後者︑即ち人類⁝が計一
會童名釜と個人的利釜との謝.立を解消せんとして考案した母家とい
う團体の形成は︑逆に反って一暦人類を不亭等へと陥らせ︑堕落し
ていった有様にのみ眼を注ぎ.そのため︑それ以前に存在した一悪は存在したと想像した1自然状態へ再び露ることによって人闇が救
われるというルソー的立場は無硯せられ︑時代の進展と共に母家杜會1これを支配と服從という關係で把握し!が救い難い罪悪に蔽わ
@ の
フランス啓蒙史学展開の一様相︵河瀬︶
れ︑人類の大多湿を占める被支配者が如何に︑不自由︑不亭等の現
實社會を改造するかという立場で歴史を観たのがマラ竃鎚暮︵一
七四三一一七九二︶であったQ彼は或は﹁奴隷の鐡鎖﹂目︒ω6び巴昌①の
自.①ωo耀く蝉ひqΦに於て︑或はまた﹁ポーラγド人の手紙﹂℃o嵩ωげい①
洋①Nのに調てみられる如く︑か︑る点にメスを入れて︑入間心理の
解剖を通して人聞救濟の方法を考察したのである⑳︒
從って︑ルソーが﹁人間不亭等起源論﹂の後鞘に於て展開した理
論と同じく︑マラも歴史を押進めてゆく力を︑﹁時の流れ﹂︑﹁蓮﹂
一輿ノはマキアヴェルリ流に力く一憎叶降と認め︑フイロゾーフ︑によっ
て打建てられ︑ルソーにさへ引継がれた進歩の概念は無謬にも打棄
てられてしまい︑歴史磯展の關蓮性は亭板︑曖昧なものに還元され
ていったのである︒ 即ち︑灌力を握った支配者は一度その座につくや否や梅謀術籔・
恐喝懐柔あるとあらゆる手段を弄して自己の模力の維持損大を希
い︑一方一般人民は殆んど魔術にかけられた者の如くに喜んで︑支
配者の鎖に小犬の如くにつながれてしまう有様を累汝解剖し︑その
闇に人閤の歴史を襯て取ったのである︒
ルソーが人爵の本源的不等を問題として︑歴史を跡づけたのに封.して︑マラは自由をぱ入聞の根本的善とみなし︑この自由を喪失し
た現實砒會が如何なる因に由來するかを理解するために歴々をひも
どいたのである︒即ち︑基盤に苦しむ人民を目の前で︑姐上の魚を
料理するが如く︑鮮かに読明しているのである︒而して彼がこのよ
うにして求め得た唯一つの人間救濟の方法は︑人民の無知からの解
放ではあったが︑しかし理性の光に照らされることによっても㈲且
つ︑完全にはその束縛から解放せられることは出來ぬとみた彼ば︑
悲襯的熊度の中に︑やがて最後の手段︑力には力をという︑かの大
革命に血で血を洗った滲然たる歌況をも肯定し︑そのためにカの弱 い人民が一致團結することの必要性を強調するのである⑳Q
⑳再びコソドルセへ
ところがルソーの他の一面︑即ち人類が原始的自然の万態から︑
逞汝たる歩みではあったが次第に美わしき黄金時代へと進む様を人
類の嚢展的向上とみた面を︑直接ルソーの影響としてではないが︑
而も一廻徹底的に原始時代から現賢の肚會︑更には未來祉會へと無
限に進歩をつゴけるものであるという理論を展開させたのがコγド
ルセであった︒
彼は進歩という概念を歴史の上に於て如何に捉えたかという問題 エスキスを解決するためぱ︑先ず彼の︑前述せる﹁概略﹂の内容の槍討から
始めなければならぬ⑳o
コγドルセは現在の人類をその嚢展の第九の段階にあるものとし
て︑それまでの原始肚會形成から現在までを九つの時期に分ち︑人
⁝間計肛會が絶えず完成へと鞭って進み來つた跡を因果必然の蓮鎖とみ
なし︑從ってそれは當然未來への進路を決定づけること︑なり︑や
がて來るべき第十期に於て︑人類の無限完成が達せられることを論
じているのである︒而もそれらを一貫して流れているものが進歩の
概念であることは論を倹たない︒
こ︑で問題とする点は︑彼は︑この﹁概略﹂に側て十の夫汝の段
階を人聞歴史に設定し︑夫等を順次経過することによって一歩一歩
と完成に進んできた人類の歴皮の因︵歴皮を推進める力︶を一体何
に︑また︑その進歩の因は如何様に働いてゆくものなのかをどう考
えたか◎不完全なるもの︑蒙妹なるものから︑より完全な︑より光
り輝ける時代が︑理る段階から次の段階に移行する場合をどのよう
に解輝すれば︑人聞精神は無限に進歩しつ︑あるものとの確信と現
實の姿とを一致せしめうるか︒コγドルセにみられる歴史把握の根
の
@
本問題は將にこの点にか︑つていると考えることが出贈る︒即ち︑
そこに彼の進歩の概念の基本的態度があり︑これを究明することに
よつて︑彼の歴史槻を解明し︑よってもって啓蒙史學に於ける共通
課題並に個人的特殊性に鯛れることが出來る︒
㊥という時期が︑時間的にそれに買置する③という時期に移行し
ている場合に︑③の時期が④なる時期よりも人聞精華に於て進歩し
たものであると確信をもつてい︑うるならば︑そこに如何なるカが
作用したとコンドルセは考えたか︒例えば︑第一期として彼が定め
た﹁人聞は集って群を作る﹂H①のび︒日導①のωo葺はq三ω①昌bo亨
娼訂創OQ︒⑳から第二期の﹁遊牧民族1この歌態から農耕民族の⁝状態へ
の推移﹂目①のbo=覧①ωb鋤︒︒仲①自同ω●lb鋤ωの①oqo自①ooけ杁叶9け節︒①冨一
傷Φのbog覧①ω鋤鴨一〇巳け①貫︒︒の時代⑳に︑或ぱそれから﹁アルファ
ベット文字の嚢明に至るまでの農耕民族の進歩﹂勺同︒αqNσω自︒ωbo﹃
覧⑦ω①ひqユ︒巳9qN9甘ωρ¢︑節一︑貯く①旨鉱︒昌一.へ︒ほけq円︒耳漏ず鋤ぴ争
二ρ二①の第三期⑳に⁝⁝というふうに段階を設けて︑短信の段階を
経るごとに人間の精神が次第に向上して來たものと解する場合に︑この第一期から第二期に︑第二期から第三期へと嚢冷して︑最後の モメント第十期までの間︑期の移り攣りの所謂韓換期に於て︑何らかの動機
が作用し︑而もそのモメγトは前期より次期へと人間肚會を進展せ
しめるが如き因子をもつたものであるということが考えられねばな
らぬし︑更に︑⑪の時期が④の時期よりも進歩したものであるとい
うことは逆に④は⑧よりも劣れる時期であったということであり︑
人間歴史を一蓮の︑断層をもたぬ継退した進歩の跡とみなした際
に︑か︑る︑より低次の段階から次第に高次の段階へは何を手がか
りにして蓮還せしめることが出來るであろうか︒
④から⑧に移行する際に︑そこに飛躍が行われ︑全く異質のものが
生起し︑⑬は④よりも進歩した時代であるとするならば︑即身的段
フランス啓蒙史学展開の一様相︵河瀬︶ 階的歴史把握は成立ち難く︑これを逆に蓮歩した一貫せる進歩とみるならば︑より進歩した時代へは低次の時期からどのようにして嚢些したとみるのか︒既に多く論じられている如く︑コγドルセは啓蒙期特有の人聞理性に絶封の信頼を置いて︑科學決定主義的態度で歴史に臨み︑過誤・無知・偏見が人間精瀞の進歩を妨害せしことを強く論かんがために︑こ︑に別の偏見一余りにも樂観的・一方的1に陥ったのであるが︑この矛盾した立場を彼は如何に処理せんとしたか︒ ﹁コンドルセが文明の進歩嚢展を認め︑凡ての定心段階が自然法則によって相互に關連せることを認め︑その自然法則は過去の哲學的観察によって嚢見せられ得ることを認め︑且つ肚禽各部分及び全体について綜合的に進歩毅階を測定を辮えていた如き︑その著しい点であるが︑併し遺憾乍ら︑最も重要なる時代短慮の仕方に一貫せる原理を用いることなく︑徒らに過去を褒貢するに急であって︑あらゆる事象に進歩の契機を見出すことをなさす︑而かも此の誤りたる過去測定によって正しき未來を見透かすことが出來なかった︑というふうに︵オーギュスト・づγトが︶批評せしば︑づγトの實証主義という立場からであることは断る迄もないにしても︑なお我等を肯かしめる⁝⁝﹂⑳とあるが如くに論を結ばれる所以も亦こ︑に エスキスあると思う︒併し︑こ︑に引用せる﹁概略﹂批判ぱ勿論多くの眞實を物語るものとして異論はないが︑先に提出した本論の問題点からすると︑更に伺︑若干の問題を降すのである︒ 即ち︑﹁あらゆる事象に進歩の契機を見出すことをなさす﹂しかも省﹁づγドルセーが文明の進歩嚢展を認め﹂て人類の歴史を完全無限なる進歩にありと断じたものとするならば甚しく矛盾せるものといわざるを得ないのである◎而して︑彼の︑この矛盾をそのま︑認めて︑コ7ドルセが理性と科學の勝利によってもたらされる樂天地
@ の
フランス啓蒙史学展開の一様絹︵河瀬︶
を︑たば軍なる画餅的な理想郷としてではなく︑現實に自然・必然
に到甘し得るものなることに急にして︑歴史磯展のモメントを充分
に分析し得なかったとするならば︑彼の歴史哲學は余りにも猫断す
ぎるものといわざるを得ないわけである︒
彼によれば︑人間の理性は文明の自然的進歩によって徐汝に形成
されてゆく︒が︑この場合︑その形成の過程を杜會三段史的にぱ正しく詮明していないことは勿論であるが︑づγドルセは全然この点
エスキスに捺して考慮をはらわなかったのであろうか︒例えば︑ ﹁概略﹂の
第四期の中にある次の文をみる・と︑
い①のO器69き8暮錯罵ρ菩自ω警〇三餌①ω三8の血︒冨冨旨
ぴq墲W目目⊆昌p切︒霞U22ω霞竃ω窪ω号の日gpbo霞
①已び霧島のω霞目.①ω嘆津α彗の9§δ珍9三〇ω似ρ巳く8器pbo霞
一、ラ鎚①さ窪︒×bほ8き什雲08ωωぞ①ヨ〇三b母g昌昌①白①
の茜器αΦ︒︒弘治の象新円窪け︒ω.O①洋Φの郎等ま似α8昌巴け8b孚
吐きけ号巨財冒ΦωωΦ碧×oω腰詳9窪日Φ目①8口銭●ρ自.①濠
似b三ω寒天δ=憎暁oNo⑦ooコ爲①良ooぼ︺8甑ユρ=oω&h臣︒巳け似ω・⑳
ギリシア民族の優れた民族性を論じつ︑︑精紳の問題に言及し︑ギ
リシアに凍て諸學聞の根本となった哲學は︑まつ夫等の學問のため
に精密な言語を形成し︑諸襯念の表現に一つの統一を與えたが︑そ
れと同時に本來正確なるべき言語を用いて相異る襯念を表現し︑こ
コ ︑に混乱を起させ︑ためにギリシア人の精棘を消耗せしめたと同時
に鏡敏さを同じ精榊の中に與えた点を直明しているが︑このように
同一事象が全く相異る二面を其有していることを前記の事賢のみで
はなく︑あらゆる時代の精淋の中にも繰返えし観察しているのであ
る︒以下稚汝繁雑とは思われるが︑二三列記してみると︑
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かくの如く︑人聞精神の進歩認証という観点からして重要な要素
と考えられる夫汝の段階の諸事象の中に︑常に相容れざる︑封溢
せる意味を認めたことは何を物語っているのであろうか︒思うに︑
それは人闇進歩の︑より低い段階には存在しなかった︑ある便値を
次の段階に認めんとすると︑先にも己れた如くその場合爾段階間に
一つの断暦を設け︑前期中には見出し得ぬ︑ある力によって後期へ
と飛躍が行われたことを肯定せざるを得す︑而も且︑か︑る莫たる
力は常に人闇を進歩の方向に進ませるものとは限らないが︑一方こ
れは人類の歴皮を︑低い段階から︑より高い段階に蓮綾的に無限に
進訂するという圖式に以て捉えんとする立場からすると大きな矛盾
に陥らざるを得ないのであって︑このジレγマを解消せしめる方法
が上述の如き歴史叙述となって現われたものと考える︒即ち︑一つ
の事象に二面の相反する意義・性質を求め︑その二つの働きの中に
歴皮三思のモメγトを求めようとしたのである︒このようにして︑
一事象の中にひいては歴巡全体の中に相反する二つの意味を認める
という在り方は︑先にも蓮べたルソーに於てもマラに於ても等しく
一夫汝のニユアγスの差は認めつ︑も−窺うことが出來るのであ
り︑マラの明暗二面とい︑︑ルソーの矛盾も︑更にはコンドルセの
場合の︑か︑る在り方には偶然の一致を超えたものが存在するので
ある︒ かの百科全書派の人山は歴史というものを次のように定義づけて
いた︒即ち︑墜皮を讃むことは︑我汝に経験を與えるために︑極め
フランス啓蒙史学展開の一様相︵河瀬︶ サて有用であるとQその場合︑歴史は有用でなければならぬという確 信︑而もその有用な経験も歴皮的雨空に反省が加えられて始めて︑そうなり得るものであると彼らは考えたのである⑫︒而して︑この反省の在り方によって︑いろいろの歴史把握がなされたことは申すまでもないところである︒がしかし︑その反省の根底には︑フラγ アンシアンレジロムスの現欺−旧制度1に封ずる危機感及び︑その危機打開という啓蒙期個有の積極的態度が存することは否定し得ぬ事誤である︒而らばその反省の在り方とは何かというと︑その一つは︑啓蒙期の最も明瞭に表面に現わされた性質であるところの⁝樂観的・合理的・底意的進歩思想であり︑將にご︑にみるコンドルセのそれである︒即ち
﹁最後の哲學者﹂或は﹁百科密書派の最後の締く〜り﹂ともいわれ
たコγドルセの歴史把握の根本は︑全く百科全書全般にみられる強
き人類進歩への確信であった︒この場合彼にも百科全書の他の人汝
と同じく︐進歩を拒む暗き力︑不安の陰がないでもなかった︒これ
ば遷しく彼の塞ぎた時代の反映でもあったが︑コγドルセはこれら
の暗き面︑破棄さるべきものの内に︑逆に人受精榊を向上進歩させ
る他の輝かしき力を認め︑暗き面は啓蒙せられてやがて來るべき完
成された時代一第十期1を信じたのであった︒彼に於ては︑人間
精神の進歩という所謂科断的必然的法則と︑かくありたいと念じた
信仰との二つが︑いつの闇にか一つに重なってしまった如くであっ
た⑳︒ 至るにルソーにあっては︑先にもみた如く︑人間精神の救濟とい
う倫理的性格が強くみられ︑これがルソーの性格の不安定さともか
らみ合った結果︑明暗の矛盾が一層露わに現われたものと考えられ
ようQ從って︑一般にいわれるようにルソーには︑歴野臥事賢︑非
事實ということがどうでもよい問題であったのでは決してなく︑彼
の
@
フランス啓蒙史学展開の一様相︵河瀬︶
が歴軍事實に殊更に目をつむって論を推めようとしたのは︑先にの
べた啓蒙更學に於ける有用の問題に於てみた通りであり︑彼がそこ
から引出そうとしたものは︑何が歴史に於て存在したかというので
はなく︑何が存在すべきやという点であったのであり︑從ってか︑
る在り方は︑將來の予言でもなく︑むしろ現實枇會を批判するとい
う倫理的嚴しさの現われとみなされるのである︒現賢の世界の中の上層部にみられる腐敗堕落︑下興部の貧困︑爾暦闇の不卒等︑而し
て肚會全体にみられる罪悪といったものを強く認識し︑これらを打
破するために︑出罰点に立露って︑その湖濁の根源1かく世の中は
悪化・邊則してきたものであること一を理論づけねばならなかった
のであり︑こ︑から彼の所謂退歩観が生じたのである︒爾またルソ
ーの︑か\る歴史観と同じ基盤に立ってマラは師の教えを一門に行
動によってールソーの倫理的齢しさが軍純な政治的力にすりかえら
れて1成就せんとしたがこの情熱は人間の歴史を︑より一隅一面的
・効用主義的なものと解せしめ︑職闘的・マキアヴエリズム的傾向
を濃くしていったのである︒
かくの如く︑歴史を實用的なものと解し︑その中から未來形成の
原動力を導ぎ出そうとした点ぱ︑三者一様であるが︑そのあらわれ
たものぱ三者三態であったが︑その主たる理由として次の如く考え
ることが出來る︒即ち︑一つには百科全書派!或はブイロゾτフー
の人達に代表せられるブルジョアジーとの結びつぎに於て︑肚會を
新しく一建設的に1認識せんとしたものと︑下落直前にあって而も
その危機を何とかして切抜けんものと實践への道を摸索していた小
農民・小市民的なものとの立場の相異であった⑭︒即ち︑コγドル
セはやがて遷るべき肚會の指導者となるべぎ力を充分に充實せしめ
つ︑あったブルジョアジーが︑自己が主体となるべぎ肚會の自生的.展欄を予想し得たために樂観的な︑とMうより當然・必然のこと︑ して未來像を描ぎ得たのに比べて︑弱ぎもの・正しぎものが自滅しつ︑ある現實の肚會を人筆墨に︑或は倫理的面から︵ルソーの場合︶︑或は力をもつて︵マラの場合︶再建し直すべく努力せんとしたのであり︑殊に小農民的立場に立ちつ︑もブイ冒ゾーブ批判から出登したルソーは⑳祉會的攣革の正夢性を論じながらも尚且︑現實的には革命を非入間的なものとして嫌悪した所謂倫理的性格ぱ︑生涯を通じて或はその論旨に︑或はその行動に︑多くの矛盾を号すること︑なったのである︒ 以上の如く︑歴史を讃み取る仕方は︑三態の別はあるが︑あくまでも將來︑未來に像を描き︑それに到る必然的因果の法則を求めんとした点では同一であり︑且︑相反する明暗二面を認めた心的態度は︑明らかにフランス啓蒙後期にみられる普遍的傾向である︒王朝史的・政治史的立場を極力離れんとして︑新たに人類嚢展を人間理性の無限進歩という見地の下に解せんとする啓蒙期の史劇は︑一騎家︑一民族を超えて世界主義的立場に立てることは一般に是認しうるであろう︒か︑る文明更に於て︑ ﹁科學﹂が重覗され得たのは︑その科學は歴史的過去の事實としてよりもむしろ︑あくまでも現在を要とした未來的希望としてのものであり︑從ってそれば現賢を指導する理念に置換えられたのである⑳︒この科學主義的熊蝉は啓蒙期にみられる一般的現象の一つであり︑遡っては︑ルネサγスに於ける科學主義iそればむしろ職人的技術主義的傾向が強いが!と似通う点が存し⑰︑ 一七世紀までの主として人間活動の全分野の有史以來獲得・傳博せる岡宮的技術の集大成とみなしうるエγサイク質ペデイアの編纂という一大事象が最もよく︑その時代思潮をあらわしているのである︒勿論︑こ︑でいう科學主義とは︑先にも鰯れた如く︑その根底には効用主義が強く働き︑科學は︑その場合本身的
歴史飼里心の封象と獄ならす︑專ら思想嫁のユートピア函期待に整
G の
つていることば勿論である⑯o
而して︑それらの内には︑﹁知は力なり﹂という心性がヴオルテー
ル以來フイロゾーフの最後の人コンドルセに到るまで普く窺われる
が︑大革命という危機解決の一大事象を経るに及んで︑先に夫汝立
場・階暦の相異によってニュアンスは異っていたが︑描き出してい
た未來像は或ぱ無衛にも破れ︑或は依然として未解決のま︑に止る
とこ︑に人間理性の完全性を全面的に樂観しうる立場は急に弱まり
ボスエやヴイつの詮いた︑ ﹁帥の御手﹂を再び改めて想起し始めた エスキスのである︒即ち︑コンドルセの﹁概略﹂が書かれてから三年後の一
七九七年にメーストルの﹁フラツス考﹂いΦωOo昌ω凶自①居9葺︒昌の自村冨
聞冨昌ooが刊行されたが︑その中には︑歴皮に於ける人聞には不可
知な︑超越的力︑人間の希望的観測を微塵に破ってしまうところの
力に封ずる畏敬の念がまざまざとみられ︑その同じ年にシヤトーブ
リアンの処女作﹁革命論考﹂国ωω鉱ぼの8ユρ鐸①ω貫冨︒︒村α<O寄・
口︒コω曽昌︒一〇昌Poω①けヨ︒自①Nロ︒の●が出ているのである⑳︒彼が歴
史は哲學ではなく叙述にありと詮く点は︑︑全く啓蒙史學を離れたも
のであるが⑳︑しかし伺シャトーブリアγがコントの格言とせし﹁
知ることは予見せんがためなり﹂という句と同意のことを述べてい
ること︑考え合わせると︑コンドルセからコγトへの系譜と共にシ
ヤトーブリアンからコントへのつながりの面︑換言すると︑コγト
的實証主義は啓蒙・手義からと共に︑それと封.比せられる・マγ主義
との系譜を有する点から判断して︑すでに啓蒙主義のもの〜中に存 在した上記の二面性は決して相反するものだけには止らぬというこ
とに思い到るのである︒
註①宮本叉次︑歴史と経済社会 八五−九二頁
千代田 謙︑啓蒙史学の研究第一部概論篇五入五頁
フランス啓蒙史学展開の一様相︵河瀬︶
②
④ ③
⑥ ⑤
⑦
⑨ ⑧
⑩
⑪
⑫
⑲
⑭
⑯ ⑮
⑱ ⑰
⑳ ⑲
⑳
bコ︒ωω⊆o計U宏ooq鴇のωq賠憎ぼω8マ①償黒くΦ補ω9一Φ・o儀・切融郎図Φ一一Φ⑳
(H p◎tN︶昌℃ト象●
千代田 謙︑前掲書︑=八−一一九頁
↓信同αqo計O国信くΦ厭ω・090●ωoゲ⑦一一〇︵ドゆドい︶
一び一α・℃やや NH駆 庸●
<o一叶蝉冒Pω一①o一ΦαΦ冒oq一ω 図三
日障弓αqO一一び一山ご弓b● NQ◎い 龍●
一ぴ一α.℃弓・ NH㎏●
O一二ρ B曾Bo胃Φのω⊆陛一.一ロ馨厭信︒寓O昌b⊆ぴ一一ρ自9
渡辺 誠︑コンドルセーフランス革・命教育・更
全 Oo昌山︒円og9昌似Ho営Φ試①目 教育学部︵九州大学︶紀要
第二輯 一−二三頁
本田喜代治︑最後の﹁哲学者﹂コンドルセ 思想 第二八番号 三二
一−三四〇頁
ルソーと歴史︑京都大学人交科学研究所報告 ルソー研究 一七四頁
上段ジヤンージヤツク・ルソーの歴史観︑法交論叢 ︵熊本大学一一学会︶
第七号 文科篇 四一頁
杉之原寿一︑ルソーの社会思想︑京都大学人交科学研究所報告︑前掲書
九五一一〇四頁
ルソー︑人間不平等起源論︑ ︵本田喜代治訳︑岩波文庫︶ 一〇四−
一〇五頁
前 掲 四三頁
前
前
〃 前
拙稿︑
掲 掲 掲
九三頁
九四頁
一〇一頁〃
﹁奴隷の鉄鎖﹂について︑
︾oO目び℃bロαq一〇bゲOび一9一昌司同寸昌09 史学研究第四八号一五i二三頁
昌$−昌◎oや.︵¢UO︶℃や心H〜&
O G
⑳ ⑳
⑳
⑳
⑳
⑳
⑳
⑳
⑳
⑫
⑳
⑭
⑱
⑭
⑱ ⑰
⑳ ⑳
フランス啓蒙史学展開.の一様栢︵河瀬︶
OO口αO嚇OO3国ωρq一ωのΦ伽.仁昌幹9一び09皿酎一ω酔O聴一ρqO山Φω弓吋Ooq隔σω
αO一.Oωb触一けげq巳9一昌.︵口O一く一口O魯O一Φ︶
一び一幽・噛℃や ド劇〜H9
一び一自●℃づb・ NO〜鵠い
一び一亀・輸弓弓. Nも〜蔭U
千代田 謙︑前掲書︑二入Ol二八一頁
O言αo言⑦計皆筍b●Uρ
一び一山●℃℃● ド◎◎.
一び一山ご遣● Dい●
一ぴ一αご弓● 旨ドN●
一び一侮●矯弓● ドゆM︒
09ωω一婦O厭魎日び¢bげ一一〇ωO弓ぴ団O出紳げO国昌=o自げけO昌目O昌計ハ弓h9口ω●び鴫
司陛津NO甘9︵ドやいド・︶ぐドA門げOOO昌ρ信Φω廿O鴎甘ゲOげ一ω酔O厭一〇掌Ω一妻OH一伽・
弓b・ H9刈〜Dいい●
口O聴O≦詳N℃O一9口血O鵠O一くΦ試qのbぴゆ一〇ωObゲO見O崩伽O目OO﹃90矯9昌α
O昌一一〇qげけO昌目①づe︵Hやい倦︶目同●訪oqΦOh国ロ一一αqびけ①昌︼昌Φ旨け・弓弓・︶O〜刈O・
千代田 謙︑前掲書︑三八−五四頁
河野健二︑フランス革命の思想的﹁原型﹂ 思想︑第三五八号四一五
−四二六頁
知︒器89︒q℃コの8自のの霞一︒ωω9窪8ωg冨ω母宏︵トdρ︶
下村寅太郎︑精神史としての科学史︑科学基礎論研究︑第四号 一一
一〇頁
拙稿︑ルネサンスの一側面︑社会科学論叢 第五号︑四五頁
b.国.国9一一噛 日ゲOのO一Φ口け一馬一〇HO<O一β叶一〇ロドUOO〜ド◎QOO●︵ドゆい心・︶
拙稿︑シャ︐トーブリアンの﹁革命論考﹂に就いて︑史学研究第二集
シヤトーブリアンの歴史論について︑
Oωの一﹃Φけ讐一び一負︒愉弓や・ ドや刈〜Nいい弓
9
︶
2 3
︵