明治三十九年十月十九日早行
三巴.=二+四第
一一一一一>Hij〈F・一一一一
(品 質 奔》
思置面墨專期嬰桑余會
十全會雑誌第四十二號目次
O原著及實駿
O北國婦人ノ月縄初潮年齢二就テ
特別會員小川勝陳 特別七三八田二野
O蟹姿勢不定症︵ロワhO昌O塑酔財①沖○ロ︒①︶ノ一例
特別會員松浦轟太郎
特別會員岩砂鈴次郎
O石川縣朋咋郡菅池地方二於ケル奇病調査報告
特別會員岡本京太邸 外高名
0窺知朕網膜炎ノ實例 特別曾員 高安右人
O一報
O丈部省訓令O馨學科第三年予々會記O膣學科第二年三々會記O第三+・七
回十全會講話大會◎太田友市雪逝く
O通信
O飯盛益太耶君通信O企君片信O松原三耶君通信 O會 告O寄贈及交換書目◎會費領収O殿 0廣 告件
一日遅▲Ψ:←不←崩→←⁝→轟崩→+・全・参・−
3〜!〜〜 ≦〜〜/〜/〜〜〜〜〜; 〜〜〜!一〜〜︐ノ︑ヘ へ 謝 辞
へ 本號簡μ六月下旬登行す.へき豫定な叫しも︑會員諸君より寄
ぜられれろ玉稿實に豫想外の多きに及び︑何れも精の精︑
粋の粋なろもの㌧みなれば︑空しく之か編輯局裡に葬り去
らんも潰憾となし︑少々分外の編纂に取りか㌧の︑加ふる
に木版の作圖は一厨の光彩葎添へんとして却って甚だしき
延滞か來し六る爲あ︑労を襲行期日の今日に立ち到りれろ
〜所以︑乞ふ會員諸君幸に御宥恕あらむことか︒
難誌部委員一同
〜〜≦〜〜〜〜〜 5
!▲Ψφ︒+←不轟巾→←崩→止→よ夢・夢・一
鍾
麺〜〜愚〜、糊気:講購、無意
︵會 報︶
顧島=農口薗部胴=翻謬口=四圏匹■口鱒置旨==層回隅ロロ=齢窪瞬髄雷口固脚闘踵嗣呂ロ幽欝=り
會
華畏
O文部省訓令第一號
學生生徒ノ本分ハ常二健全ナル思想ヲ有シ確實ナ〃目的ヲ持シ刻苦精脚他日ノ大成ヲ期スルニアル一蓋ヨリ
言ヲ寒心ズ殊一一戦後ノ導出旧主來ノ國民二期待スル所盆々多ク今日ノ學生生徒ダル者ハ其ノ責任一層ノ重キ
ヲ加ヘタ〃ヲ以テ各々忍業ヲ働ミ一意愚心其ノ目的ヲ.
ゆ沌Eスルノ轟兄悟ナカルベカゆフズ
然ルニ近來青年子女ノ間二往々意氣轟沈シ風紀頽搬セ
ル傾向アルヲ見ルハ本大臣ノ憂慮二堪ヘザル駈ナリ現
二修業中ノ者ニシテ或ハ小成二安ジ薯移二流レ守瓜塞
想二煩悶シテ慮世ノ本務ヲ閑却スルモノアリ甚シキ心
尽⁝縦覧薄切シテ操行ヲ駆り悟トシテ心恥チザ〃.瀞膚ナキニ
アラズ斯ノ如キハ家庭ノ監.督其方ヲ誤り學校ノ規律漸
ク弛緩セルノ致ス所ニシテ今二於テ嚴二戒愼ヲ加フ〃
ニアラズン.ハ禍⁝害ノ及ブ雨声目測リ知〃ペカラズ
魅會一部ノ風潮漸ク輕薄二流レムレスルノ兆ア〃一際
シ書只年り十ムメニ⁝樹スル誘㎝蔵ハ日曇盆々多キヲ加ヘムトス
就中近時登列ノ文書圖書ヲ見ル■二一或ハ危激ノ言論ヲ掲 圭
ゲ或ハ厭世ノ思想ヲ説キ語口随劣ノ情態ヲ描キ漱育上有害ニシテ断ジテ取ルベカラザ〃モノ勘シトセズ故二
墨丁生生徒ノ閲口調ス川圖書目宜︵内・容ヲ粘脚査シ有碁盆ト認ム
〃屯ノハ之ヲ渤奨スルト共二筍モ不良ノ結果ヲ生ズベ
キ虞アルモノハ學校ノ内外ヲ問ハズ嚴二之ヲ禁遇スル
ノ方注ヲ取ラザルペカラズ
又頃者極端ナ〃肚會主義ヲ鼓吹ス〃モノ往々各所二出
没シ種々ノ手段ニョリ敷員生徒等ヲ雛戴セムトスル者
アソト聞ク若シ夫レ斯ノ如クシデ建國ノ大本ヲ貌親シ
杜會ノ秩序ヲ棄乱ス川ガ如キ危験ノ思想敏育界二傳播シ我敏育ノ根抵ヲ動カスニ至ルコトァラバ國家將來ノ
爲メ最毛寒心スペキナリ殊二敷育二當ル者宜シク留意
戒心シテ矯激ゐ僻見ヲ斥ケ流毒ヲ未然二防グノ用意ナ
カルペカラズ
本大臣ハ國運二照シ時弊並鑑〜W・特二鼓二訓示ス漱育ノ
當局者及ビ學稜長敏員等ハ克ク本大臣ノ旨ヲ体シ父兄
保護者ト協心鐵力シテ風紀ヲ振粛シ元氣ヲ作興スルニ
努メ學生生徒ハ自ラ修メ已二︑克ク學業ヲ成就スル昌專
ニシラ上下胃ヒ率ヰ以テ敷育ノ効果ヲ完ウセムコトヲ
期スペシ
明治三十九年六月九日 文部大臣牧野伸顯
號ご十四第翻難會蛮十
O讐學科第三年適々會零雨城 生
仰いて蒼々れろは天ふり︑伏して落々創るは地なり︑花釘ひ鳥歌ひ︑
三舞ひ月踊ろ︑松韻ゆうやかに駿なうてば白雲れなびくあれり天使の
悌あり︑吾人ば六尺の三四ル以て徒らに九十の春光か恣にし天上天下
他に幸幅あろものなうな知らす︒
蒔や今︑深線滴るが如く︑悪寒血に哺いて畷量れめに主な・り︑吾入に
艶好機に際して奇抜なろ理想的級曾な開き︑一に以て浩然の氣を養ひ︑
一ば以て野鳥運動會の振興か圖らんと欲し︑百余の級友諸君に駒りて
其の讃同な得︑此に六月三目旭トして一日の清遊た貧れり︒いでく
余に當日の概況秘有の儘に語らむ︒
︵上Y舟 遊
天は清くして一点の雲騎を止めず︑吹く風は和にして
遍く︑地子にして一塵の起るなし︑余は全宿せる季子を
誘ひ︑親友︐春山︑紫花の両子ε相携へて堀川方面に向ふ○
定刻淺野川鉄橋に到れば己に集与會せる者歎ナ入︒
午蘭入時︑先登の二葉は徐うに危して撹を解けり︑船
員凡て+八人︒ 我が級友の全員は十艘の船に舜乗し︑午前八時三十分
といふに堀川を浮す︒淺野川はその名の如く水上くして
舟をやるに難く︑舟夫の水中に入りて舟を押すこざ累次︑
亦一興なう︒清風水の面をゆるく吹き渡って面的しく︑
小波音なく打寄せ來うて舷を敲く︒誰が捨にけむ︑鼻緒 ちぎれし古下駄の漂へるを後a逡り︑︑解けては集る水の泡の浮べるを前に迎へつ︑悠々として川を下る︒水は清例ならずざ誰も︑河底の砂石を歎ふるに足るべく︑細鱗の縷渕どして餌をあさるなざ心地自ら爽かなうQ試みに双眸を放てば︑動乱鑑くるあ沈ウ︑孤村の茅屋三々五々徴在し︑鶏犬の聲遠く聞俊て書鮪刷くらん竈の煙︑長閑にして鰻鍵恰も曲の帯をなせり︒両岸には膏草生ひ茂りて名も知ら臓鳥の坐礁し○風一陣︑略暦れて堤上の入現はる︒ 水稽深くなるに從ひ︑船はますノ\緩かに進めり︑詩吟の舟︑琵琶歌の舟︑快談高笑せる舟︑舳艦相脚んで下うゆくさま︑宛ら一幅の活書に似たり︒ 今や︑舟は三ッ雇の堰に劉らんとす︑水勢急にして飛沫四散︑石に激し岩を噛み.叢々轟々︑乾坤だめに震動し︑暦象把めに狂奔す︒舟の落下するこε約四尺︑︑水は器然こして恰も水晶簾を禦ぐるが如く︑水沫散琶て征衣を濡す︑爽叉快︒ 前の船は後の離を顧みて其危険を綴じ︑謙辞を遍過する時︑同行一晦に手を拍ちて快哉を叫ぶ︑勇叉計︒ 談笑牢時にして蔦津村に着し︑再び舟筏を傭ふて大根布に向ふ︒危橋の下を過ぎ︑大河端を出つれば廣漠たる
菅野なり︑左右水田には己に早苗の植ゑ付けられて︑鳶
︵會 報︶壷
へ會膠茜
塞蒼に輪を物して舞ひ︑雨岸には慮雲斎まだ若き葦生ね よし り て剖葦噂ら.小魚飛んで水面に紋を作すb
顧れば自由蓬かに群曲を写して銀閣をいπだき︑臥龍
曲は遍く其の着き胸をむけて我が一行を途るが如く︒金
城の自戯書かに讐ねて︑馬主セる老松亘柏の聞に隠見す︒
乎 右手には薄る︑龍州の山々.高く低くほの見於て心地い
撫職 q撫総噸羅鶴鼎難罪
嚢 自煙なご︑書黒いと深きものあり︒
翻…
Sなき書.多情多恨なる葦を撃て進み㌘︑前な鷺欝欝鰹鹸篇郭↑一行激弔慰
+森漫たる河北潟譲響る夏の湖よ・碧波静かなる所藪
患多の漁舟︑木の葉の如く散在し︑自営は軟風に孕みて此方
號難癖雛藍蝋鵬欝魏論詰
折しも轟く午砲一磯︒
︵申︶級 陰
雨璃に至れば字並委員の霊力到らぎるなく︑三面なる 石膏紳肚の境内に︑翠緑箪めセる樹の蔭に張られだる稜章の慢幕︒紅紫の彩旗ξうる︑に美を競ひ常磐の緑ゆかしき老松の幹には﹁式事﹂と籍せる雄大の文字の活躍する﹁あり︑質朴にして而か竜雅を離れざる研喜ぶべし︒ 臆て余は口を轍ぎ手を洗ひ︑.韓殿に詣づ︑︐宮居は臼木
造にして質素を旨ざし︑千木鰹木︑古代の面影奪さいは
ん方なく︑紳難の氣自ら入に趨り︑拝赫蒔を久うす︒
紳溢しき董垣の丙外に舞ひ狂ふ胡蝶の姿も︑就前に遊べる小盗の態もこよなう嬉しげに見ゆ︒鍬肩げ誤る男.自
手拭冠れる女︑口さがなき漁村の童女なご老松の蔭に婁
の身をよせたるは︑正装せる余輩の一行を見惚れてにや
あらん︑此君なければ春も春ならずこいふらん動く︑酒に酵を借多て浮かる舟夫の一入元氣なりけるも亦可笑し︒
あ︑註しき哉︑卒和なる漁村O 都の如くいかめしき懸麗の建物や.肚大の橋梁はなきも︑清楚にして汚れなき漁家︑小川に月を浮ぶる土橋に
自ら自然の美趣あり︒入車牽牛︑雑沓頻繁なる紳戯佛閣
のいかめしきはなきも︑古松老杉︑鰐乎として生ひ繁れ
る鎭守の森に若巻共の書休の角力賑はし︽㍉︑⁝茅葺のゐ寺
に心から善男善女の寄り集ふ盆正月あム︒︑椰容胴郷なる
藝女︑緑衣紅袴花をかざる女學生はなきも︑天眞にして
飾うなき重言の祭禮見物に行く姿よは︑無心の漁夫もふ
暑梶. :b十・四第六楽三叉塗曲
り返るらむ︒岸うつ波に無限の韻致あり︑松ふく風に天
暦をきくべし︒
春は花︑秋は紅葉︒あ︐≧摂しき哉此閑村Q
時は膨れ・9︑午後一時︑第三年級第二次摸範的級會は
將に開かれんとす︒松風颯々として吹き寄するが如き幽
妙の申より︑君が代の崇高なる調は起れり︑一睡叉一曲︑
奏し絡うて幕上に座せば︑太田委員開曾の僻を述ぶ︒数
に級長宮田先生は流暢なる辮をふるはれ︑知者樂の事よ
ウ説き起して・山紫水明の美にうつう︑智︐仁︑勇に及ぼし玉へる一叢の説話︑入をして慈母の膝下に耳を傾く
るの威を懐かしめたう︒次で稜長高安先生の語論あう︑
而懲懇篤なる訓戒を以てせらる︑吾入登に轟々に聴き嘉
すぺけんや︒ 此に一同團話して各自の冷寒を開く︒
︵下︶余 興
水上運動會
河北潟に於て墨行せらる︒會瘍は湖畔に設けられ︑銘
旗翻る灘︑勲爵席あり︑學生席あり︑磯艇準備務ありて
整頓こ\に至り鑑せり︑管掌には小舟の浮べるあり︑之
れ秀審鋼官の詰所ならむQ 湖上波稔かにして︑青函を敷きπるが如く︑我が級友 の健見はけふ晴れの瘍所に隔日頃の鉄腕を試みんご意氣軒昂︒而も三隻の端艇にて久し振うに花々しく競漕せし有様は︑余が拙筆の満足に退し能はざる所︑逡憾千秋・ 臨弟一回︒高砂︑八雲︑千歳の三艇に孚甑ひ上る二十一の健兜︑さすがは︑かねて鍛錬せる手腕ご技彌Qいざ示さんは今なりご︑相懸の命与野に三艇毒しく波を蹴る.鷹援の聲︑或は岸に或は沖にひマき渡りてクラッチの膏澄しく︑親客何れも手に汗を握り︑勝敗いかaと見る間に︑途に勝は高砂に書し訟O 第二圃︒更に二十一の健見潅みて艇に乗ずるや︑齊しく鉄腕を伸してオールを握れり︑殺氣湖面を歴し︑観者轟然だら︑スタートは最も公李にして三艇共に湖面を滑るが如く⁝進めり︑舵手︑漕手︑意氣相合して輔呼︑一漕︑艇の進むこと恰も飛ぶが如し︒陸上に見るものは或は帽子を振り︑或は手を拍ち︑獣呼して思ひくに聲援す︑熟親するこε暫あくにして二艇に先んずること牢艇身︑途に千歳の勝εなり臓○ 暗君に月桂冠を得たる勇士の芳名を録せん ︵第一回︶ 朝 日 額 第 塚本 臼井 鈴木 老川 へ第二回︶宮田先生谷道鷹見黒田高木小黒植木 第三回和舩競漕
時悶の都合によウて・中止せ動︑
︵會 報︶謹
︵會 報︶七穴
號ご十四:第言論蕪綾三面幸
陸上蓮動會 會蕩は小面紳肚の裏手にして︑青松の間に紅燈彩旗を
以て饒らしだる駈︒樹問に見下ろす河北潟は膏藍を堪ゆ
るむεく︑自室点々鴎の浮ぶに似たり︒
親れば紗詑だる日本海︑自砂路遠くして青松蚕び茂り︑渚
に寄する小波の泡沫を散じては美妙の調を齎らし來る︒
瀬々天に接する蒼海︑艶々限りなき廣野︑我が氣をし
て宏大ならしめ︑狂濤注淋鞍轄たるは︑我が心をレて剛
幾ならしむ︒溶鉱歌曲の愚なきも漁歌牧笛のわが耳を清くするに足るものあ参︑漁夫蟹婦の漁る様を見︑耕田萩
圃の農高ε語るも︑亦快ならん︒ 偶︑報あり︑之より競技を開始すと︒
ム第一回 鉦叩競技
競技者の眼を手拭にて蓋ひ︑二十メートルの距離にある錐を叩くの技なり︑嚴重なる委員が指揮の下に勇士交
あb︑樹木に衝突して眼華閃磯をも起しカらん如き者あ 々.エ技を試むρ申には方向を誤って観者の列に飛び入る
う︑棒腹絶倒︑喝采の聲山河を動かす︒
優等賞を得たる竜の
計見馨員 植 水 ︑竹 内
△第二︑三︑四回 提灯競走 ︵第二圃︶一着黒田 二着塚本 三着高木 ︵第三回︶一着.井上 二着鈴永 三着田中 ︵第四回︶ 一着 佐 藤 二着 谷 滋 三着 高 井 禽第五回 來賓︵提灯︶競走 一着 近藤副手 二着 宮田先生 三着 高安先生 四着 齊藤讐員 論調ムハ回 異ハ装雌既走 其の名の如く異装して走る竜のなり秘競技は奇抜にして滑稽︑腹をよらせ顧を解かしむ︑風呂敷遡の歎個三内に散在す︑越する竜の何ず︑開けて悔しき玉手籍︒巡査の服あ参︑看護婦の服あり︑大工あり︑女瓦生あ参︑紳士あり︑下女あわ︑其着け方の順序は一々認めて包の中にあう︑急がぎるべからす︑然れ共急いで用具を取落すべからす︑急いで急ぐべからずごはそれ此れの事なるか〇 一着吉田 二着浮戸 三着武藤 △第七︑八回 角・力 企第九︑十圃腕押中止せり かくて樂しき陸上運動會竜喝釆の申に千秋樂を告げ鳳 勢 * 鮪 鱒 * * 静 * * * 級友一同更に式場に集り︑賞品授與式並に茶菓の饗慮あウo
號. :。al一四笛齢難會憂十
h−N.v−vwhvvrw ww・. vvWW WNi WV..NVN−v 一vSL VStN
級長宮田先生は我が盛大なる級會に着して至當なる公
評ご満足なる讃僻を賜ひ︑太田委員が閉會の僻に次いで
後︑校長高安先生一歩を進めて 爾⁝陛下萬歳︑第三年.︐
級萬歳を唱へ︑一同之に和し︑喝釆更に起る︑時正に四時︒
之よ動一行は根布の濱より船によりて粟ヶ崎に上陸し
此に散會して患ひ!\の管路につけう︑晩鴉塒を求めて
夕月塞にいざ朧うなりO
* 艶 * * * * * 曇 箭 *
當日の重なる來賓は馬長高安先生︑級長宮田先生葎始あ特別會員にては
上田先生︑小原講師︑辞見︑齊藤の爾謄員︑近藤︑申野の諸君にして︑
別けて現代の貴顯なる御易ながらも︑質朴清楚ふろ小舟に滴足し給ひて︑
此行存壮にぜられ.六るに︑實に感謝の塁に堪えざうなり︑競に委員一同
か代表し謹んで其御厚志秘謝し奉る︒
倫︑全曾の獲実入として︑種々斡旋ぜられたる委員の聾名か録し︑以て
その勢な多謝す︑
藤井﹂雄︑赤尾肇三︑谷道清︑中村欣一郡︵以上撰扱委員︶
太田勘市︑高野宗重︑佐藤武︑懸口榮︑小黒仁太郎︑吉田宗一︑
野村義雄︵以上幹生︶の諸君
くご〜〜 ︑ ミ㌧〜
O第二年級々會記事
春を飾つだ櫻花も既に昨日の夢ご過ぎ去りて︑婚嫁滴
︵會 報︶ らんεする初夏︑郊外面一親むべき頃こなつカ︒此時此︑際︑我第三次の級會が墨描せられんこするのである︑しかも最理想的に最薪愚なる方法に於て︒會塩は天帝の活眼から見だならば︑一掴の密柑箱に過ぎない様な等々堂や︑金谷舘を以て行雲しごオるが如きは︑井底の蛙は愚か︑点滴中の細菌ご術揮ぶ所なし老云ふので︑議は一決して鼓以正大無限の室を撰む事とし詫〇
五月二+日︑號報一登温き獲夢を破るや︑素早ε床を
刎ねのけて雨戸を排すれば︑スtッご︑射入する光線︑
銚へだ様な室摸檬︑用意もそこノ\馬會傷へ向って︑駈
足を初めだ︒
余城市街を足下に轍下す大乗寺山工兵作業蕩︑一点の雲
影もなく︑瑠璃のやヴに澄み渡った蒼湾を天井に︑.青々たる緑草を馨に︑軽目の漱をつくさんεするのである︒
既に用意も整頓した︑松林の間に幕を張りつめて︑國旗
を飾つイや︑︑之を拾ぎなふ事こした︑嘱寸氣の利いた會傷
である○雪丸新緑を以て覆はれ︑.点々其間を彩るものは
時を得顔の山跳燭︑恰も刺繍をほどこしたかのやうに︒
颯ご一陣の冷風襟をかすめ去る一刹那︑心棘︑倶に天外
に飛躍する威がある〇九時開會の鈴が構を傳ふてひやき
亘るや︑所々の木蔭草かげより會埼目蒐けて⁝馳せよつた託言約九十︑奏樂につれて恭しく
七七
︵會報︶
號ご十四第講配湯杢十
tVNiN.X. VVWVvlitvVWVVW.一 WN.VN.N−tJN VNVk一. .
七八
﹁君か代﹂を醸しみはったO
酒井君 開會の僻 開會の餅は︑常に酒井君の專有物である︑潜例の如く
趨って︑我級會が夙に智仁勇の三要素を具備する事につ
いて蓮べられた通なご些の遺憾ごする事がない︑最後に︑
級長こしての上田先生が蒔に吾入の爲に鑑くされだ好意
に甥して深く戚謝の嚇をの.︵︑られπo
上田先生 先生研鰻千金の鯨暇粉骨砕身吾人に鑑さる\
慈母竜たやならぎるに︑叉更に吾人が前途に出する注意
懇々心騎を刺すものあり︑吾人只肺肝に銘して其万一に
も鷹ふる能はざるを盛る︒
小林唯四郎君 ﹁吾一夕微吟橋上を宿律す︑聲あウ︑吾を呼ぶもの︑﹁
如し︑省みれば﹂漢懸慰吾に云ひけらく︑︵我入を相す
るや久し︑然れども未だ足下の如き奇相に接せず︑足下
正しく非凡の兆あり︑願くば我に槻相をゆるし玉へ︶と匿
吾唯々之をゆるせり﹂など︑昔ばなしにてもあり相な文一
句をならべて先づ聴者の耳を傾けきせてみいて悠然英雄
氣取で先生が過去の歴吏を英雄蘭に解繹しセ御はなし︑
七珍々々︒.
伊藤哲︸君
勉學の飴虚勢國の謎についての研究支那濁乙日本等にヒ 於ける謎の数例を墾げられカ︑趣味多端糸をくり出す檬一な所は確に君が雄辮の然らしむる所だ︒小林進君 伊藤君の欠をれぎなふて英語の謎々数例を墨げられπ寺田君 寒中休暇︑團豪族行印中越の節を最も思臼くロ演せられπ 之れにて一先づ會を中止して後當日の鯨興にうつるの.だ︒其間に常日の大命日だる肉林の饗あり︒午後一時愈々︑大蓮動會を開催するに鋼つカ︑蕩の中央 みには各自よう持墾し力國旗を以て満艦飾をなし國無数旅蕩の周邊をめぐらして︑堂々ご運動にとりか︑つ陀︑今其競戯の種類及受賞者の姓名を鎌して當日の唾壷を彰さん
垂繍望藩入三脚謙
三
連
拾
脚
の へ へ
吉金伊守 川子藤部
ひ 五四三ご一
ぬ も セ カ も
久尾加小鈴 高崎藤林木 嘩
蓋
肌 走
セ ら カ
松中宮 浦野田 先助先 生手生
盲目
戯 馬
尾山萩 崎崎野
蛙 競
走
コ も も
服申早
捌 島Jil
六百ヤード 一︑金子二︑宮城三︑副田
其他藍革競走角力等あり︑十二分の漱をつくして鼓に目
號ご十四第概観2晶晶}F 〜 西海に没せんεする頃であった︒ 及び上田先先の萬歳を三唱して夢路につきしは夕陽將に 出度閉會する事εなった︑終りにの夢み第二年三の萬歳
O第三十七回十全會講話大貝
正に是れ吾人の口角沫を飛ばして懸河の辮を振ふの好
時節︑我が十全會講話部は五月十七日午前八時より本
稜濟筋鞘に於て大越を開けり︒
副書長櫻井激授先づ拍手に迎へられて登壇し開會の辞 を告げらる︑や︑部長上田予輩は﹁講話會騰催に就て
の所見﹂を蓮べられ殊に辮士の既論を批評するが如き
無責任の方言あるべからす︑能く本會の圭冒を奉じて
部員たるの責任を垂ふせられよと望まる︒遜れよう雄 禦交々出で\各得慧の論説を吐き︑實駿を報告し︑標
本の供覧をなせるなど︑辮士叙爵の裡に幽没し︑墨蕩 にごよめき時に沈む︒ 策一席精紳巴疾病この醐係 中村欣帰郎君
精神作用が滞る疾病ご少からざる關係を有するこεを説き紳経衰弱症に接て氏の断見を述べらる 第二席 虹彩の結核 吉池省吾書
虹彩結核の極めて稀有の疾病なるござを述べ︑氏が金澤
︵曾 報︶ 病院に於て實験せられセる一例を報告せらる︑何れ委細は他日を期して諸君に見ゆるの榮あるべし︒ 第三席 諸君の前途洋々唱言 松 浦 敏 授抑も世の學生多くは﹁ノイラステニー﹂︑﹁メランコリー﹂等ごなるの傾きあり︑一は學問よ平する憂慮ε一は後來の方針に就てなり︑即ち卒業前に取越し苦勢をなすことは大に戒めざるべからす︒健康なる精轡は健康なる体に宿るの銘言の如く︑更に一は學学界の前途に於て釜体力の強健を要し︑一は鷹用界に於ける諸霜の前途は有望にして決して範園狡きにあらず︑年な卒業する霧學生の籔は大學にて百二十三入︑千葉︑抽豪︑騨山︑金澤︑長崎等にて囲百十入︑その他京都︑大阪.愛知︑熊本︑壷灘︑及私立道書綾に撃て確かならぎるも二百五十階位な垂︑総訂約七百五十入が年々輩出し︑総計上少くも是丈けは翻す寵いふも︑三十六年度の醤士総数は三萬七千百入十人なり即ちO領硲へ慰OOOメ厭な6︑而して實際開業瞬士は二千乃至三千人に饗して一名の比となれ参︑此の比はほ団正確なれば決して今日の壇撫興る︑に足らず︑實に洋々如春なり︑況んや清韓その他の諸國に於て十勢の飴地あるに於てをや︑こて最後に藩論會の事に至らる︒ 第四席 一二二の標本説示 小 原 講 師
一は二十四歳の男︑肺結核にょう死しだる叢論う得られ
七九
︵會 報︶八0
たるもの︑肺動豚の辮が二つのみなり︑即ち辮は通例の
ものよら大にして位置にも差あり︑肺測鎖の起根部畳縁
は著しく大なう︑その他辮の附着せる一部分に内膜炎の
症状πる増殖肥厚あり︑從來の報告は極僅かにして望時
一の六+二例は他の時轟轟等をも含めり︑余は胎生時に
+
翌ッる崎形のま私登燃せるものならんε断定するに客な
らざるなわ︒ へ
黒蟻塀糠鹸露霜鰻腰越糠蝦寡三論雑 懲
観標本は需に轟膜に附せるもの奪と︒講 第五席 慢性胃病埴舌苔巴の關係柴田順三幽幽
か試織の疾病ど舌苔蓬の關係に就て諸家の説を陳違し馳縄謁
四…
Iに關主なしと結論せらる︒
+ ッ慧購経過護憲あうて賠勲驚ず・
箭遽に腎臓が籏張す之を腎水腫と稻するなり先天性には輸
號耀磯部糖購鞭響け灘r罐
で辮の如くなりろの爲に起る︑腎動静豚が纒過置形の柁
め轍尿管の塵迫により起る︑副鹸⁝尿管の膣迫の爲めに起
るこ巴あり︑胎生時にミユーレル民管の嚢状に膨脹する
こごあり︑か︑る胎見は分娩後天死す︑ろの他原因とし・ ては尿道の働盛︑高度の包皮︑腎臓結石の輸尿管に引懸りて閉鎖するとこ︑膀胱に故障ありて叉は簸痕の墜追により尿が膀胱に入る能はすして遥る︑又輸尿管が塵追せらる\爲めに叉n骨盤内の結締織炎の爲めに起る︑叉輸尿管の疾病例へば新生物殊に露命腫の爲め叉は外優性に例 へば腹部を馬︐に蹴らる\時に起⁝るQ後天性には遊走腎︵多きが如し︶︑輸尿瞥が曲り又は折れπる青めに來る︑か\る時は譲没饗化するものにして︑ことに問歌性腎臓水腫の名あウ︒一病解 腎孟中指墜迫のために塵追萎縮に隅り途に腎組織の全く喪失することあり而して其内容は始めは尿ご粘液となう漸次萎縮すれば液の性質簿じて漿液粘液二又は膠一様又はゴレステァリンの結晶を見るに至り叉は壁ば破裂.し褐色叉は緑色こな与︑恰も血液の如き時は甑性腎水腫の名を附し叉仮性腎水腫と名ぐべき瘍合あり叉膿を混ずる時は逸事水腫ご名くるこごあり︒症候 急性の時は著し隠れ共慢性に要る時は著憎き症候を呈せす患者自身知らざるこごあゲ︑大こなるに從ふて附近の諸陰欝を座重しこεに胃︑膓を歴潤する爲め嘔氣︑嗜難︑渇︑便秘等を起し猶甚しければ背部の疹痛を戚す︑ろの位置は腰部ε前外腹壁︵肋聞の下にて︶下に位し遽に
横隔膜を歴迫し小骨盤に入り︑正中線よ鉱反調側に來る
こごは稀なり︑.硬度は波動あり︑物新しくして︒塵疸の
強きものは波動不明なり︒
豫後 自治することあり︑廼例は漸次大ごなり心︑語弊 を逼迫し胃膓を障害し溝化不良に陥らしめ虚脆によりて
死し叉外傷性のものは破壊し出血して死することあゲ〇
+ 診断 露岩書癖胃ざの關係を知ること必要なbQ誤診す
謙騨灘辮糧轟鰻罵繊礪
画聖の準備をなすべし︒
欝欝離藤饗聴穆驚・
遡 療法膀胱よりのカテーテル質入法︑穿刺術︑切開︑腎試.
ノる前提εして一般に知らしめん婆心に出でられたるも
ご
フなり・熊第七席全上種の撲等 上田敏瞬ぎ敷は宮田驚の譲の如し︑u名水賢・些し西洋に
は稀ならざるが如し然れども我國に於ては比較的少なき開
襟にて余が實見に徴するも果して然らんご思はれしもの 二例あるのみ︑宮田卑下の途られたる液は淡褐煤色︑孚透
明混濁してや︑粘調なり振蕩すれば炭酸墨画含有のだめ .泡沫は容易に消了す謡講十五度にて比重一〇一〇なり︑アルカ︑ソ性著明にして少し.ぐ甘味を有し申に四檬の自血球を槍畿したり〇一︑辮斌の大軍核を有しヘマトキシリンに染色する細胞なり︵此細胞は恐く目爵円︒貯σQ8なら ゆん︶二︑小軍核細胞︵鼠爵δ壁σp窪ならん︶〇三︑細胞中四つ迄の核を有するものあウ〇四︑團︒︒・営①露Φ国① 露にして薄く染まれり︑エオヂン︑ゲンチアナ甘オ.レヅト等にて染めしが不明なゆ︒岡子鳶口ご異なる点鳳耐○㏄に二.・︑リグラムの稀薄アリカリーを加ふれば振蕩を待力ずして溶一献は殆ど瞬間なう︑叉玉%の食魎水にも溶く而して液は課程粘調なう︑今之に稀麹酸の一滴を茄ふれば沈澱し︑酷酸を耐滴加ふるも.亦全量の沈澱を見る︒か︑るものは何なりやεいふに恐くは類粘液春窮①幾罎魯財なるべしごて分択表を掲げ仔細に研究の結果を報告されだりO 第八席bす︒窪露藁① 林 篤君−本病は一入八六年佛國寓帥鼠Φ氏の登見せる所︑ロンプロド勢い大骨症の名の下に報告し︑或は豆大忌育症ごしての報告もありと○寄れより海外及び本邦に於ける報告の数を墨げ︑次で本病の原因︑症獣等遺憾なく講演せられ︑一終りに氏は患者を供覧せしめ︑充分なる説朋の勢をとっ
て局を結び玉ひ綴○
︵曾 報︶
八
︵會 報︶降﹁
_愚心+_四第.蕪麩三曲、まし_
第九席 外科的實験の数例 菓 良 李着
一円①蜜臥密の六例 氏が金澤病院に二例︑日露戦役に二
例・自宅開業中に二例を得られだる有釜なる實験談な
︐90二竜門に於ける痩管一例 親しく手を下し給へる實例に
つき詳述せられπり︒ 第十席 国画轟 ﹁ 中西島吉君本病の病歴症候︑原因に嘗て洩れなく陳述せらる℃
第+一席入ピ・へータ・パルゾダ・ .須貝門太郎君.
二%φボスホールフクシンにより染色しセるものを供覧
ぜらる・ 第十二席 顔面神纒の侵襲を蒙りたる筋病性進行筋肉n
萎縮⁝の脊髄に於ける病理解⁝剖的知見 小原講師
本丁病理金将仁於て親しく研究せられ︑﹁大a獲るとこみ
あゆて講演きれπるものなるが︑詳細ヅ匁本誌に乞弘て次.
號の光彩を添ふごビ︑せん
第十三席幽初生見の生死産鑑定に就て 村上一敏広
幅づ生産か死産か︑もし生産とすれば如何なることによ一
らて死せしや︑その時候ろの他種々の閣係上︑生産にも ても死産の如き瘍合あるを以て︑か︑る蕩合aは+分探究して破格の傷合も思はざるべからすごて激高が實見例ま就て諄々撫ぜられ︑綿密なる雲隠を要すεて懇々注意を加へられたり︒ 第十鶴席 字形幽門の供覧 小 川 敷 授
顧井霧關業轡波ρ伯部繁政君の寄贈にか︑る腹部臓器の.殆ど全部露出せる胎見の一例に就て供覧せられ︒猶後來
か\る稀有の標本に接したる蕩合には本綾に寄贈ありπ
・しざて降壇せられ全君の厚意を謝せらる○ 第十五席■乳児脚氣診漸 岡本京太郎君
氏が實見せられセる︑式例に就て述べられたり︒ 第十六席股ヘルニアの根治的療法 木 村博士層
﹁余・も本融々員の一人なるが大坂に趣きて三年︑未だ何等の央策もなズ現職にあるは自ら欣ぶご全爵に諸君の後援
あるに依るもの鑑に深く謝する駈以なりとで謙遜の僻を
述べられ︑さて股ヘルニアに就ては本日何等の﹁リテラッ
f〃﹂を有せず然れ共真蹟へ﹂卿ニァは非常に多きに反し一股ヘル昌アn余の二十鯨年配の實験によ︒れば少なくεも
日本aは稀なるが如七即ち金澤にて二入見πるのみ︑︐然
るに今より約一ク月桿前大坂山窟綾外來に一入の女ゲ來
ら股ヘル一一アに露ならすと診断し手術せんこする時︑又
顎鷺二・一一F四.第隷嵩直増塗十
全︑時に全患者と診断すべき細入の老婆が為れう依て是に
も入院を勘め多分昨今入院せるならんと存ず︑蛙には前
患者に就ての實見を述べん︒
抑も股ヘルニアの比軟的婦人に多きεいふはプー.ハルト
氏靱帯︑骨盤等の關係により男ごは差ある所以なり継れ
共余は鼓に想像を云ひ得るのみ︑こ蓬に日本の埋入は帯︑下紐︑腰巻等グルく七ヅも締め︑外藩婦人はコルセッ
トを締む︑か\る点三差あるを以て或は后本婦人には少
なきならんか〇
一般ヘルニアの根治的手術ば危険なし︑総じて余の考に よれば内方より串でしものは内方よう過つるを可とす○
今£迄の虜は多く﹁バツシイー﹂の法を用ひ僅かに﹁コッへ〃﹂の法を用ひ遵う︑叉元は大入に行ひしが手術の危
険少なきを以て少数大なる小供に竜行ひ得︑余は満二歳
迄は平めず︑三歳に至ればや\拗め︑五歳に至れば是非
にざ勘め︑十歳に至れば全く危瞼なしごて勧む︑一般にヘ
ル嵩アの嚢を剥離す︑豚管等も愈着あれば嚢より剥離し
精系も殿くるなくして剥離せざるべからず︑然らずんば・始めに睾九の螢養障害等を起すこご少なからざるべし︑
ろの他凡ての危険なる方法は改めざるべからす︑而して
内方よウ閉つるを可どす︑もし嚢水腫起れば強て剥離す
るのみ︑唯君達面倒なり︑誤れ共根治的の事に就ては最 も然らん︑此事に就ては余は一昨年大坂の雑誌にも書けり︑・而して余の苫葺は卵大以下なり即ちプーパルト氏靭帯の上にて切開し脂肪下迄出し︑もしヘルニア頸が愈着すれば腹腔の様子を伺ひ全く他に愈着なき時始めて鎖すなb︑時としては切開すれば嚢を見る能はざるこごあれば細心注意せざるべからず︑嚢内の膜は恰も心臓の内面の如し更に腹壁を切りプーパルト民靱帯の一撃を外側にて切う縫ひ付く然れば豚管の間隙が獲るため静豚の醗︸積を來す恐れみり故に恥骨に縫合し見たり︒而して余は從來の方法は一も首肯し得るものなきを以て自ら大謄にも陶以上の方法を考案せしなウ︑舐れ共余は深く自信を有す︒こて終始噺獲せる昔聲.を射精せられ︑ろの熟心なる聴者をして一驚せしむるばかりなりき︑かくて拍子大掲載の下に降壇せらる︒ 第十七席 下顎嚢腫の一例 山本長助君
下顎嚢腫の症状︑診漸より氏の實験例を遺憾なく述べら
れ陀り 第十八席肋膜内皮細胞腫の槻察島田吉二郎君
先づ組織學上の説明よ参︑本病の甚だ稀有なるこ巴︵一
八九七年末の調査によれば外藩に+八例︑本邦に五例あ
るのみ︶並に本病の學説を陳述せられ︑氏は之を第一︑︐富鉱︑第三の黒鍵に分ちて登生上の親察に及び︑結局肋
︵會 報︶八三
︵曾 報︶入四
膜内皮細胞腫は眞性の腫瘍なりご断定せらる︒ 第十九席 再磯角膜實質炎 加藤慶三看 屡々目撃する所にして六歳−二十歳の女見に胃され易
く︑原因は先天性梅毒︑腺病︑溢泌質量等なりご︒之よ
難第二審重重激の必要 若槻寛隆君 會概難糧祷瞬に護膜腫の病理を説ミ有畜なる 塗 第二+席肺︑心臓の謹膜腫 近藤勇記君 +なく語られたう︒ 醒b氏は六歳の錦見に實験せられたる臨床上の報告を洩れ い
講 能癖にして荘重なる態度︑術聲音の抑揚其宜しきを得て︑
鞭氣
ウ難に難星ぜ督
し 村山常三郎君
滞
本腫瘍螢生の原因に就て諸家の説を述へ︑其のポリープ
森羅鵜糠慰昌難頃
第二十三席 水泡性結膜炎の治療に就て 奈良入郎君
通常用ふるは蒸潜性沖乗なれこも氏は他の一法こして五
%の古手重量を点眼し︑麻雀の來りたる後カルボー〃を 二言注射すれば一時は俘署するも︑翻帯する時は激時間にして効を奏すご 第二十四席涕泣の親察 高野宗重君悠々壇上に現はれ漏る輕快なる風采の一士︑徐うにコップに水を注ぎながら﹁涕泣﹂の字義を解等し次で生理的観察形象的︑音聲的︑色彩的の三段に厩別して講演せらる︑所︑滑稽輕妙︑−思はず聴者をして候笑せしめπり︑いかに氏が観察眼の銃なることよ 第二十五席閉會の嚇 上田敷授 ミミー 一︾︾ ︑O太田友市君逝く◆生はこれ寄︑死はこれ臨︑老少不定は浮世の常ごいふもの㌔︑天道是か非か︑年未だ肚ならす︑業宇なる此君に壽をかさ団るとは︑臆悲しい哉︒・君は長崎縣の人︑夙に郷關を僻して我校に學び︑去る三十六年十一月欝血を卒へられ︑金澤病院眼科馨員こして勤務中︑﹈年志願兵に合格し︑入隊後程なく陸軍三等軍讐こして征露の役に從ひ︑偉功赫々︑昨年四月目出度郷里に凱旋せられ︑笹丘研王将に爲すあらんとせしも︑一朝病痛の襲ふ所こなりしかば︑去うて故山に静養せしも病勢日に危篤に隔り途に七月二十一日室しく前途多望の形⁝骸を留めて幽冥の境に紫立たれぬ︑憶悲しい哉︒
一 ︐ ︑︑︑竜恩︽ ︽〜
号痴ニイ幽弓鋸5翻楽躍へ三論一}一幽
twwVua.s.... x−FStwtwvVvtw rvvYtwV一 vV−Vtwv wh
﹄厭鳳回嘱瞬隈嗣国〆切諏瑚隅隅鯛周贈品q閏呵凪噌浅尾旧閥凋剛聞網閥q岡隅閲眉口摺口剛囲臓罎詔団﹄隅切四﹂卿騒国四隅昭耀団湿ヨ
鏡
◎飯森廉太郎君麺信 ︵郁朋糠翻噸鼠獲︶
舞啓厳君碑野宮海賀候貴論により何か通信六度考の還
元來筆不精の某不諦延引致し候段幾電に為御容赦被下
度候襟巻小閑を得クダラヌ事二三瀦報知摩上歓聞若し會誌にも葎掲載破下候はマ偏に御斧正相碗度候敬具
民領置て ・飯 森 生
︑民事雑信 飯 森 生
禽面懸に於ける二本留學生が如何に生活し如何に六義し
つ\あるかを知るは將素適學ヒ企圏する入の厨子多少滲
考になる事と思ふから左に其二三を報告する事ごしだ
血先︒つ狸乙︵︑主撫し陀ら我な殿酋越者︻は鱈舜一に大.湧一へ人餓子・す
る芋纏をせねばならない夫れにぽ臼本公箆館の.誇︑明・書が
必騙畳だそこで一義唱距骨備髄春−度殿隅科大愚苧へ入學一欽晦反論に掃U.
別紙履歴書差上候聞右御台明相成度候也﹄ご云ふ襟な願.
書を翻すと閥烹目の換濁乙文の履歴讃明∴慧のド附怠なる 夫れに自勢の隠隠券・墨入隠隠二十マークを添へて大學の瀞務膚へ蜜鵠れば三鞭樋の華に入學が許され︑﹁レギチマチオンス・.カ.そこを受くる事が出寒るのだ尤も入學は學期開始㌦一ケ月↑位迄は差支ない豊の話だ禽公斑館イ︑は中學を卒業し内務省開業発状を所持する薯には飼時でも讃回して呉れるが何発外回の事だから怪しい入物と見れば容易に讃甥書を下附せ瞬場合竜あるらし
蕊大盤へ鶴田の手績が濟んだら學科の幕際が必要だ外國 い
の留馨者には何科で磁随意だから畢寛自勢の專門に依め 一科で乃至五六科でも妊きな程取ればよい聴講料は一
舞が三十マーク乃至購牽マコグの間であるA初に一寸決煮せねばなら織のはB本で獅乙語をやった
入でも補乙入の云ふ署は中々舜らない狂こで初めに講義
鶯を取ても一向而臼くないから學科の撰澤は耳の墨悶よ
.り翼の寧⁝同の方を曇るのが肝賢だ毒言乙へ激て誰で︐﹂一番困るのは.冨學であるH本で大の︐
漆塗學蓉を気取b鼻を.講くして居る者でも最初は丸で語
墨釣.蜂鴎者であ.る習ふよう誉れ・沸騨云ふ諺の如く先づ掌年
許マ万ねば一入前に亙れない
ムだから濁乙へ着する・こ第一に必要なのは語學敷師であ
る幸ひ常地には濃由の男窪しくば女の敏師があみから撰
︵遡 信︶沁五
︵通 信︶八六
、 遡ご十四第講購曹塗.草
取見取一時聞一﹁マーク﹂乃至︑一﹁マーク﹂五十﹁ペンニー
ヒ﹂と云ふが普蓮の相瘍である
▲余は余の経験上語學の練習が極めて必要である事を戚じたから他日留學でもしょうと思ふ入には少なくも年年
許内地で濁乙人に就き會話の下稽古をする事を切に渤饗
する▲寸地大學の本部は﹁ルートゥッヒ﹂町と云ふ市の東端に
あるが讐科の方は中央停車瘍より程遠からぬ﹁ぺ・テン
コープア﹂町﹁ヌスバウム﹂︑町に散在してある其建物は日
本の割合から云ふと差して驚く程でもないが内部の携造
器械の設備書籍の︒多数なるには成程濁乙だ五十服する震
である△濁乙では大同の数が二十五ヶ所斜生が六萬鯨と云ふ話
だか唐風には馨科のみで千三四百位居る多くは他地方の︑人で當地在籍者は少ない檬だ一体濁乙學生の多数は一學
期毎よ各大熱を巡歴して一所に永く留るざ云ふ事は稀な方だ
A學生には別に制服ど云ふ者もなくモーニングか或は背
贋を着し多くは髭を貯へ風彩が中々立涙だから一見し控
腱では敷藁か面謝か舜らぬ程である學生の申には女も居
る併し御島上には漏れず美入は少い方だ先づ万緑叢申紅
一点ビ竜云ふべしだ 盒學生の生活費は濁乙人では二百二三十﹁マーク﹂位で潜むε云ふ話だが日本人には月二百﹁マーク﹂では少々肩が痛い授業料や墾考書や前壷を合算すれば二百六十﹁マーク﹂はケチにやつても是非必要だ其一例は小生か月々下宿屋へ支彿ふ金高は聖代四十二﹁マーグ﹂︵コーヒニ杯ブ
ロートニ個の朝食附︶書ご夕食が各︑一マーク宛其点燈料
﹁声イッング﹂洗濯物等でザット百五十マークになる跡百マーク計が小遣や授業料等の李均額だ他國に居るご兎角
入る潔は金!
ム民賢讐科大鷹の敷師はプロフ記スソ〃四十二名プリファ
ートー3ッェント三十三名居る此人々が各專門科に就き皆
講義や﹁クルス﹂を憺當して居る其申に有名な追々はU鮮
く鼻︵餅艦︶摺磐望ま匿︵鰍諭︶∪鉾翻・田鑛Φ二塁長滋︶
穿塞︒葺草跨︵輩︶図蜜Φ螂Φ︸置︵灘︶O見潮器が匡自Φス2︶
穿●bお鍵段︵享︶O鯵曾暮霞︵麟︶曽●臣題Φ甘曾︵懸︶
切暮冨言︵覇︶寓︒目盛︵蕃︶国葭白豊畠︵識︶団︒ωωΦ犀︵涛欝︶
切爵︒観︵掴︶ω①欝︵夢︶控①創霞︵爾瀞︶等諸氏で其他は所
謂陣笠連だが此中には壇家頭角を現す人も不勘ざの評鋼
でめる細民賢には此頃伯林に次で多歎の留學生が居る毎H曜に
は日本人會があって﹁レストラン﹂で暴食する事に定てあ
る其人々は藤井健治郎︵文︶唐木保藏︵婦︶宮田哲雄︵外︶門
脇章甫︵内︶新藤北三︵内︶三浦新七︵商︶宮羅馬熊︵眼︶二木
謙三︵菌︶大場茂馬︵法︶長岡︵農︶鶴見助︵眼︶岡本正喜︵外︶
西村︵外︶佐々木蓬︵菌︶速水︵同︶中井長三郎︵財︶の諸氏と
小生ε都合十六人であるへ▲以上の人々の内佐々木︑蓬水︑二木︑長岡︑藤井の五
十 氏を除き弛は皆ドクトル試験を焼くる筈で勉強して居る
が此三四年前迄は該試験も容易で僅か内外解の三科だつ
喩 πうたが現今は内︑外︑産︑解︑生︑病︑衛の七科を受
烹 けねばなち浅手れが日本語でやるならそ5六ケ敷もない
贈 が濁客語でパラく喋らねばならぬから中々大役さ
講 急ドクトル︑エキザーメ﹂を漸くる資格は讐術開業晃状
所有者には馬弓後一﹁ゼメス二一﹂を経過すればよいのだ第1
鰍 併し從來の受験者は言語の關係上大抵三−凶學期目に受
+ くるが多い様だ當捨て﹁ドクトル﹂に成π人は殆んど二十
入もあるさうだ
二… 血﹁ドクトル﹂受験には先つ敷授より﹁テーマー﹂を受けて
號…
論交︵H轟罐霞亭崔︒︒孤Φ詳自陣凶8N醇騨︸自σq目σq翼翼U・ぽ8苧 ミ貯8首山霞冒①亀N貯︶を掲出せねばなら澱問題の難易に
も困るが之れのみにても一寸三四ケ月はか\る此﹁ジス
セルタチオン﹂が甘く逓過するξ之れを百部斗印刷に附
し受験料四百五十﹁マーク﹂︵濁乙人は三百マーク︶を添へ
て試験を願出するのである 盒試験の方法は別段内地ε異なつπ事はないが外國入には蓋果的容易な様に聞て居る併し是迄の受験者中落第の不幸に遭遇しだ人も少なくない若し落第する時は更に二百五十マークを追加して三ヶ月後に再試問を受ける規定である︽試験の評点はωΦぼσ凶音Φ罫QΦ息σq窪9dβσQΦ巳σqΦ巳
の四ッに別れて居る若しd謁Φ昌σqΦ鼠を頂戴すると落第
の不面目を家すのだ
血一体猫乙で﹁ドクトル︑エキザーメ﹂を受ぐるのは我々には宴に馬鹿げπ話で其準備に一年・は費さねばならぬ能
く考ふれば此時間を自分の志野へ利用しだ方が絵程得策
πが日本では未々﹁ドクトル﹂巴云ふ看板がきくから誰でも一苦古するのだ
血話は別だが目下余の下宿には佐々木學士初め六人の留
學生が居る食事の時食堂へ寄るビ矢鱈に日本語を喋て時
問を消費するから日曜日の他は濁乙語でなければ話をす
る事が幾來ぬ規劉を設けてある若し観れを犯す者は一回
五ペンニッヒ宛の罰金よ科せらる玉のだ余興ざして夫を
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卸ぞ貯gげ宅曾魯N目dび§σq動霞留暮訟︒冨β己Q鷲き冨
︒・訂ま画霞鐡窟巳︒︒魯自臣詣︒・幽昌︒犀Φ馨Φ威働Φ暮︒︒9ΦN自
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︵通 信︶八七
︵濫 信︶八八
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奉︒匿Φ拝芝農︒・欝︒︒辟蔑σ⇔Φ嵐曾①ぽN§5鰺︐8餌ぎ博
無ΦロoQ①一びΦ障 働①β く○β 面冒の びΦロD鐵B目酔Φ眉 螢Φび円騨爵O財
目当ぽ露・
即ち罰金は日曜昌に菓子を食ふ資金と戒るのだ余の如き
は思はす不識日本語を喋て取られだ銭が二=・一クL許に
もなるだろうよ
〜ーミ質眠ン匙覧覧残●甑8ヤ粘隻 ﹁︑ぜ亭︑〜酔ζ
◎飯森盆太鄭君軽信
一
︵前略︶職業に忠實なるべきことは導師どしての本辞には
相違なきも⁝背は晶膿に一塩へ・られずご澄す諺∵も紛屑之﹄二間何ざ
か少しぐ身体の休梁る様獅寒風有之襟甥に獅糊二幅上古
か生は不相之無事遊び片手に勉學致居候問御休三密丁度
一昨日近藤搏士來曇;百中に南濁逸を巡遊して巴里倫 候
敦へ赴かれ候に付小生も此頃春季休業豊岡行可致かと考中に有之無題の手紙は臨地養脇浜二麺しか墾らす甚だ心
細一景居候賜セメタニク月二三度位獅卜し陛下度候
︵中鷺︶言言は二三臼迄春暖の候に候ひし竜昨今は隠々降
雪寒氣甚しく候. ︑︑ ﹂−
佐々木㈱學士來ふ學期よ・り轡秘記へ診る旨報︸青膚之候不相繍客故
郷の様な面白き華無之只細腰大町の濁逸婦人か眼底に映
するのみに有之候
三月十四日 昆賢﹁にて
二
昨舅蕨行先よら露今ましだ繭後二十一目聞諸方をZタク
リ廻り中々面傷きこεでしだが大に疲れ裟しセ伯林では
し の佐々木氏に面會し大広漱麹せられ捜した畏は中々の麺人にて言語も充瀞識來非常に勉強して居られ懐す此二十日
よゆ庫生の下宿ぺ墾られ一ぜメスター丈滞在せられ腰す
︵バタテ〆ジ方ロ鹸ヤー1︶鶴頃敷波焦巴愚行にて三入Y近・日女.馨一各摩民の筈です兄も一・奮獲一二年間來貧してはドー
デス総々年を取つ荒入子供の澤轟ある入が來て居ますよ
︑輝月十三縄 ︵以上森酷彦矢野宛︶
_還臓二+四籔舗輔璽盃・斗凸 三
詳細の御通信甚だ量感く讃了致しまし尤這般の蓮信は予
の最も霊迎する腱決して辞儀は薫じませんから野々御投
法あらんことを乞ふ去月三+日敷津氏愚民予の室にて六
日間滞在せられしも折悪く予は巴里倫敦旅行申にて面饗
するを得ず甚だ遺憾に思ひまし陀伯林にては佐々木空士
に面會致しまし泥氏は來二十.日より民顯へ來らる︑筈です目下當大學はフェリエン中にて毎日プラく遊て居り
ます來十八日よう當地に内科學會有之國内有名の學者が
蝟集し各大氣媚を吐くそうです︵中暑︶此頃は濁逸もメッキリ暖くなりまし陀が日本ならば花見ぎ︸云ふ奴で大に浮
かれる庭なれども夫れも出曝す遙に東の一角を睨んで誕
ε云ふが落位のこごです此段は有名なるウイースtデンのクルスハウスです西洋の沼田は日本と違ひ沐浴する
ことなく只毎朝此慮に來ゲガブλ\呑む斗です
四月十三日
四
伊勢登の芳墨只今落手生の爲成功を漏り被下候由而も本電は暗愚蒸すなく只濁逸の南端に端々として日を漏り申
候
佐を木學士先日來着同宿折々の故郷談に族情を慰め居申候同氏は目下グ〃iバ氏の下に蓋置學を研究せられ頗る
熟心断て墨入以來既に三四の大なるアルバイトを有せら
る㌔εの事に御座候寡言下旬には當地を出溢せらる︑豫
定ざの乙εに候
五月+入日
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︵以上入田智覚君宛︶
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O松原三郎氏片端
一
明治三十九年を迎へ御健康を祝す
小生は去八月より研究所の一員こなり他の同僚助手ご共
に病院内の讐員宿含に起居致居候
小生の居る病院は狂者四千二三百人あり世界人種の展覧會檬のものにて論人殊に多く診察酪濁佛語を要するこざ
甚陀多し=一の日本人患者もあり建物無数にて一寸し力
町をなす男病院女病院研究所は全一濁立し從て三ク所に
︵逸信︶別置
︵會 管︶九〇
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Les 堵霞幽︑ψHω冨鼠u 舅暮げ90σQざ巴胃のま暮Φ..NwwNwwzzwwmu 五月+五日 地球の裏より 三 郎 本月一日より一週間斗ウ櫻ざ梅と桃と一時に険き申候 のみで.・・⁝..⁝宜敷御駕被下度候 多忙に勉學する課でもないが例によウて諸兄へ卸無沙汰 御必要あるこご︑存ぜられ候︵手署︶小生は相獲らす重篤vNt盆御健全にて伊勢廟御覧拝の由出雲の紳様の御三も既に vN,NN−N 二 正月 紐育にて 苦しきこと無し vNww氣候は金澤よりも寒暑共に強し併し生活の贅露なる始め 白し るこご世界第一なり騰員看護婦等も各回人混合し随分面 の狂者を施療し毎年一千万圓以上を支出す其制度の大な 此他よも数多の紐育府立精紳病院ありて二万五千人以上 クリニックあう
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︵以上入田君宛︶ 刷隅胴隅闘=霞層諸一ロ回置■一口醤印匿疇嵩昌==闘國冨口富脚昌口■口口陶躍昌旧騨雷嵩団ロ■m騨會
ρ寄贈及交換書目 ︵九月三+呈領収ノ分︶
東京馨學會雑誌二〇ノδ︑︑二︑三︑四︑識量八︑全
中外腎事新報 山全八充︑三〇︑購︑二︑三︑四︑五︑六︑ 全
鎭西讐報 九八︑一〇〇︑
衛生談話六ノ五︑六︑七
國家馨學會雑誌 一三九.三〇︑一︑こ︑三︑
東京塵事新誌 翼よ誌轟照語酒単離ル︑吉︑
軍讐學會雑誌﹂五二≒四︑五︑
日本馨事週報画期帰難夕露い﹃語︑
讐海時報墓⁝嚢い麓い邸い麓四
藥石新報 五七一︑二︑三︑四五︑六︑七︑八︑九︑八O︑一︑二︑三︑四︑
大日本私立衛生會雑誌 二七六︑八︑九︑
藥學雑誌 二九一︑二言四︑五︑
藝備讐事 三〇︑一︑二︑三︑四︑
助産之栞 三〇.一︑ニャ三︑四︑
廣島衛生讐事月報.八九︑九〇︑一︑二︑三︑
慰事新聞 主O︑一︑黒四︑五︑零七
岡山馨學會雑誌 一九五︑山へ七︑八︑九︑ 會 肚全 肚通俗衛生茶話會全 會全 局陸軍々讐學會
日量全霊全
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本藥學會藝備馨學會
緒方助産婦學曾全 肚
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