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地域計画における産業遺産の技術史的評価に関する研究

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(1)

地域計画における産業遺産の技術史的評価に関する研究

殴ヨiij 尚 之

1.は じめに

2.地域計画における産業遺産 とその評価 (1) 環境構成要素 としての産業遺産

(2) 地域計画の記録情報 としての産業遺産 (3)産業遺産 に対す る技術史的評価の重要性

3.産業遺産 としての鉄道構造物 (1) 鉄道構造物の供用 と産業遺産 (2)供用が終わった鉄道構造物の増加

(3)供用の終わった鉄道構造物に対す る評価

4.北海道における戦前期鉄道 コンクリー トアーチ橋の技術史的評価 (1) 鉄道 コンクリー トアーチ橋の建設年代

(2)旧国鉄士幌線 コンクリー トアーチ橋梁群

(3) 旧国鉄根北線 コンクリー トアーチ橋梁 (4) 旧戸井線 コンクリー トアーチ橋梁群

(5)戦前期鉄道 コンクリー トアーチ橋の技術史的評価 5.まとめ

255〕

(2)

1.はじめに

地域の環境を整備 し,よ り文化的な生活環境の創造のために,明治以降に導 入 された近代工学技術 によって作 られた数 々の機械,建築物,構造物など日本 の近代化過程を記録す る現物史料,すなわち産業遺産 (近代化遺産)の保存, 活用を模索す る取 り組みが近年見 られ るようになって きた。

しか しなが ら,産業遺産の保存に対す る関心の大部分 は一地域 における郷土 史的な観点によるものが ほとんどである さらに,時にはある種の片寄 った観 点か らそれ らの産業通産を意味付 けす ることが行われ,技術史的な観点か らの 評価が全 く行われないことも見受 け られる。実際の地域計画においては,産業 遺産を地域の歴史的,文化的モニュメン トとして保存,活用 してい くための経 費負担のあ り方などについて合意形成が必要である。そのためには産業遺産の 評価を多角的に行 うことが不可欠であ り,特に技術史的評価が重要な項 目とな

る。

本研究 は,現在供用 されていない産業遺産は,当時の地域計画や投下 された 技術 にかかわる意思決定を現在,そ してさらには未来に伝える貴重な現物史料 (記録情報源)であるという観点 より,地域計画において産業遺産の保存,宿 用を図るために必要な技術史的評価を,北海道の戦前期鉄道 コンクリー トアー チ橋に対 して試みモデル化を行 うものである。すなわち,技術史的評価の実施 により,北海道 におけるコンクリー トアーチ橋の技術的な特徴 とその系譜を明 らかに し,地域計画において産業遺産の保存を行 うために必要な地域計画情報 の提供を目的とす るものである。

2.地域計画 における産業遺産 とその評価 (1)環境構成要素 と しての産業遺産

近代化遺産が地域の生活環境を形成 し,産業文化を育んだ歴史的モニュメン トであることを認識す ることは,従来に比べ市民権を持つようになってきた。

(3)

地域計画 にお け る産業遺産の技術史 的評価 に関す る研究 257

例えば土木構造物など規模の大 きい ものは地域 のラン ドマー クであ り,地域 の 自然環境 と同様 に重要な環境財 として評価す る動 きも見 られ るようにな ってき 1) 。 この ことを実際の行政 レベルの事業で見 るな らば,例 えば,建設省 は 歴史的土木施設調査 として河川や道路の整備 において,運輸省 は歴史的港湾施 設の保存 と活用 として港湾の整備で,明治以降西洋近代技術 によって構築 され た社会資本 にかかわ る施設 ・設備 (近代化遺産)を保存,活用 し,新たな地域 環境の整備を行 うことに取 り組み始 めている。また,文化庁 は明治以降の産業 遺産,遺跡を 日本における近代化過程を記録す る文化遺産すなわち近代化遺症 と して調査 を全 国規模で展 開中であ り2),その調査 によ って明 らか とな った 近代化遺産の保存によって地域の文化環境の創造 に活用す るべ きことを提言 し ている。 さらに, これ らの様 に国 レベルの関心のみな らず,地方 自治体 におい て も,近代化遺産の保存,活用を地域環境整備 に取 り組む ことに強い関心を持 ち始 めている3)

札 幌市で は1995(平 成 7)12月 に札 幌市環境基本条例 (条例第45号)杏 制定 した。 この条例 は環境の保全 に関す る基本的な施策などにつ いて制定 され た もので, 「2 環境の保全 に関す る基本的施策」第 7条において 「(4) 自然 との豊かな触合 いを確保す るとともに,潤いのある都市景観の創 出および 保全並 びに歴史 的文化的遺産 の保存及 び活用を図 ること」 4)と して,産業遺 産などを含めた近代化遺産の保存 も,環境の保全 にとって考慮すべ き点である

ことを明文化 している。

このよ うに,産業遺産を地域環境の整備や計画に結 び付けること行政の課題 とな り, さ らには,市民団体の活動 において も見 られ るよ うにな った。産業遺 産,近代化遺産 とい うキーワー ドについて,それ らを町づ くりに活用す るため の シンポジウム,勉強会などが開催 されている*。また,「街か ど博物館運動**

例えば,小樽市の市民が作 る町づ くりの住民団体 「小樽塾」では,1995(平成 7) 11月 に,国立科学博物館の研究員を招待 し,近代化遺産を町づ くりに活用 してい

る事例の勉強会 と小樽市の産業遺産の見学会を行 っている。

*例えば,東京都墨田区や三重県伊勢市など。

(4)

なども,市民が 自らの生活環境のなかに存在す る歴史的環境 として産業遺産を 活用す る取組みの一つの事例であろ う。

これ らの例か らわか るように,現在,官,民挙げて産業遺産,近代化遺産 に 強い関心 と地域計画への取 り組みがなされ始めている。 したが って,歴史的環 境,文化的環境 は,地域計画 に置いて欠 くことの出来ないキーワー ドとな り, 地域計画,都市計画において歴史 とい う言葉が馴染 まないーとい う意見 はもはや 過去の もの とな ったのである。

(2)地域計画の記録情報 と しての産業遺産

産業遺産,特 に明治以降に導入 された近代工学技術 によって作 られた数 々の 機械,建築物,構造物 などは, 日本の近代化過程を記録す る現物史料 として, 近年,近代化遺産 と呼ばれている。 これ ら近代化遺産 は,産業,文化などにお いて,近代 (明治)以降,西洋技術を取 り入れ独 自技術 としていった過程を示 す ものである。 このため,技術史研究における貴重な現物史料 としてその研究 対象 となるのである。

さ らに,近代化遺産 は,近代 における地域の営み (発展)を端的に表す現物 史料で もあ る。海岸 に残存す る間地石積みの入潤 *は,かつてその地方が練漁 で栄えた ことを端的に示 しているなど,近代化遺産 は書類や帳簿,図面 などと 同様 に重要な記録史料である。それ ら史料 は,過去 と現在そ して未来 とい う時 間軸上で 情報を共有す るための記録媒体である。近代化遺産 もまた,地域計画 や投下 された技術 にかかわ る意思決定を伝える貴重 な現物史料である。われわ れが近代化遺産 に対 してモニ ュメン ト性 などを求めるのは,過去 における意思 決定 に関す る情報を3次元的に保有 しているためで もある。

近代化遺産 は供用 されているときには,産業施設 ・設備 としての機能が一番

*北海道積丹半島に点在する袋潤,入潤は練漁業家による自家製造の港湾である。

その多 くが石積み漆喰止めのため,冬季の荒天によって侵食され,その維持管理に は莫大な費用がかかったという。袋潤,入潤を維持できることはその漁業家の経営 が裕福であることの現れであり,その地方の主要産業が練漁であったことを示すも のである。

(5)

地域計画における産業遺産の技術史的評価に関する研究 259 大 きく,またその ことのみが評価 されるものである。そ して,時間の経過 と共

に部材が消耗 し,投入 された技術が陳腐化す ることによって産業施設 ・設備 と して期待 され る機能が徐 々に低下す る。 しか し,作成 された時点 において,記 録情報 としての機能やモニ ュメ ン トとしての機能 もまた有す るのであ り, これ

らの機能 は時間の経過 とともその機能が徐 々に増加 して くる

さて,産業施設 ・設備 は,求め られた機能を満たす ことが出来な くな ったと き供用が解かれ,その時点 において産業施設 ・設備 としての機能 は全 く無 くな り,記録情報やモニ ュメ ン トとしての機能のみ有す るよ うになる。一般的には, この時点で,近代化遺産 として保存,活用 に関心が持たれ るよ うになるもので ある。

もし,供用中において,記録情報やモニ ュメ ン トとしての機能が施設 ・設備 に求め られた本来機能を上回 るのな らば,現用の施設 ・設備 と近代化遺産 とし

供用中は,産業施設 ・設備および記 録情報、モニュメントとしての機能

を併せ持っ

1 時間 と産業施設 ・設備 に求められる機能の変化

(6)

ての機能を併せ持っ ことになる この ことは,一面 においては現役使用であ り なが ら遺産価値を持つ ものであ り,その価値 は高そ うである しか し現実 にお いて, このようなケースはコンフ リク ト問題の引き金 となることが多 い。図 1 は,時間の経過 と求め られ る機能の変化 について図示 した ものである

(3)産業遺産 に対す る技術史的評価の重要性 現在,斜里町に残存す る旧国

鉄根北線の幾品川第一橋梁 ( 称越川橋梁,写真 1)について 地元 の郷土史 家 を始 め多 くの 人 々がその保存 に高い関心を示 して い る5) 。 人跡希 な国道244 号線の峠越え区間に突如 として 長 さ144m,高 さ18mの コンク リー トアーチ橋の偉容が現れ る とい う,モニ ュメン ト性の高 さ

写真 1 旧国鉄根北線幾品川第一橋梁 (撮影 ;河野哲也氏)

みな らず,タコ部屋 に代表 され る過酷な労働 によって建設 された うえに,一度 も列車が渡 らずに現在 に至 るという悲 しい歴史を持つ ことが評価 された結果で ある。

しか し, この橋梁に関 し,北海道の交通史や技術史上 どのよ うな位置付 けと なるか,地域計画あるいは技術史的な観点か らの評価 は十分なされているとは いえない*。 この橋梁 に対す る現在の評価 は一地域 における郷土史的観点か ら の評価 によるものであ る6)。 この ことは,北海道 の鉄道建設 に対す る技術史 的研究が不十分であることが背景 に存在す るものであ り, この分野の研究の進 展 と理解が必要である。

*例 えば, イ ンターネ ッ ト上 のホームペ ー ジで も紹 介が な されて い る。 しか し,必 ず しも技術史 的 な評価 も考慮 した記述 とはいえ ない。http://oropas.sec.or.jp/

News/LIBRARY/212DB/Sa/SHARI/BUNKA3.html

(7)

地域計画における産業遺産の技術史的評価に関する研究 261

3.産業遺産 としての鉄道構造物の特徴 (1)鉄道構造物の供用 と産業遺産

近代化遺産 の対象 とな る産業遺産の うち社会資本 にかかわ る鉄道構造物 に は,現在で も供用 されている構造物 と,供用が終 った ものの取 り壊 されなか っ たために,残存 し遺構 とな った構造物の2種類 に大別で きる。

特 に鉄道構造物 は,構造物 自体の寿命が残 っていて も鉄道 システムの運用が 終了 した段階で廃物 となる例が ほとん どである。廃物 と行 って も単体で見 たと

き,まだ十分機能す る場合が多 い。 しか し, この段階において,鉄道施設 とし ての機能 は全 く無 くな り,かつての鉄道の存在を示す産業遺産すなわち現物史 料 としての機能が全面 にあ らわれ るようになる。

(2) 供用が終 った鉄道構造物の増加

1880(明治13)年,手宮 一札幌間の開業 を始 ま りとす る北海道 の鉄道 の歴 史 は,明治20年代 にかけて空知,夕張の産炭地 と小樽,室蘭の港湾を結ぶ こと

に主眼が置かれそのネ ッ トワークを広げていった。 この時建設 された路線のほ とん どはその後の幹線を形成す るものであったが,末端部分 は石炭産業の盛衰 と密接 にかかわるもの となった。また明治30年代 に入 ると内陸部‑の開拓の進 展 と並行 して旭川など内陸部‑向か う幹線の建設が積極的に進め られ るよ うに なった。

その後,1922(大正11)年 の鉄道敷設法 の改正 (法律第37号)後,北海道 では網の 目を伸 ばすような形で地方路線の建設が行われた。 これ らは沿線の資 源開発 と拓殖 に重点が置かれた幹線へ とつなが る培養線であ り,経営基盤が極 めて脆弱な路線であ った。このため,後 に沿線周辺の過疎化,モータ リゼー シ ョ

ンの進展 によ って経営が悪化 し,1980(昭和55)年 の 日本国有鉄道経営再建 促進特別措置法 に基づいた特定地方交通線 として指定 され るに至 った路線が ほ

とん どであ った。

その結果,総延長約1,400kmが廃止 され, さ らに未成のままで終 った路線 も

(8)

数多 く存在する。そのため構造物の大部分が未供用 とな り,陸道や一部の橋梁 など規模の大 きな構造物などは現在 もその姿を残すなど,結果 として未供用の 鉄道遺産が大量 に発生す ることとなった。例えば,現在,戦前期に建造 された コンクリー トアーチ橋 はすべて本来の用途に供用 されてお らず,遺構 として存 在 しているのみである。なお,現在それ らの大部分 は日本国有鉄道精算事業団 が所有 してお り,平成9年度 までに橋梁などの構造物の撤去がなされることと なっている

(3) 供用の終 った鉄道構造物 に対す る評価

構造物は種々検討がなされ建設 され るものである。 このため,当時の地域計 画や投下 された技術 に関る意思決定の貴重な情報源 ともいえる。供用が終 った 構造物は本来的に与え られた機能的な制約か ら開放 されると同時に,次には史 料 という機能をよ り強 く持っ ことになる。

その意味か ら,近代土木遺産 は自立で き,安全性 に問題が無いのな ら,その まま現状のままに して置 くことが望ま しい。

現時点では,構造物 に対す る働 きかけよりも,逸散 しやすい建設 にかかわる 経緯の記録など,現物だけでは伝え切れない しっか りと集めて,アーカイブス

として保存す ることが第一の課題 となろう

現状では遺構の再利用などの方策が無 くとも,後世 において新たな利用方法 が出て くることもある*。遺構 として残存すれば,活用 は後世の人が改めて検 討す るであろう

従来,近代土木遺産の記録の収集や評価 は構造物本体の永久保存を前提 とし ていたが,必ず しも永久保存を前提 とす る必要 はない7)。 将来の取 り壊 しに 対 し含みを持たせた評価を行い,現状を維持す ることもまた地域計画における

旧国鉄士 幌線 は音更川 にそ って帯広 一十勝三股 間を結んで いたが,1987(昭和62)

年 に廃止 された。 しか し,音更川 にそ って架橋 された コンク リー トアーチ橋の大部 分が残存 してい る。 この残存 してい るコ ンク リー トアーチ橋の一部 を上士 幌町糠平 地区にある温泉排水路 と して再利用す ることが検討 されて いる。 これ は,温泉か ら の排水が河川汚染 の元 凶 とな ってい ることが指摘 された ことによるもので,近年の 環境保全意識 の高 ま りによって生 じた ものである。

(9)

地 域 計 画 に お け る産 業 遺 産 の技 術 史 的 評 価 に関 す る研 究 263

一 つ の 選 択 肢 で あ る。

4.北海道における戦前期鉄道 コンク リー トアーチ橋の技術史的評価 (1) 鉄道 コンク リー トアーチ橋の建設年代

現在,土木学会 によって 日本の近代土木遺の所在調査と評価が行われてお り,その結果 はデータベース化 されてい 海道 におい452件の近代土 木遺産が登録 され るに至 り, この うち橋110件 と登録 さた構造物1/

4を占めている 。 このデータベースより戦前期の鉄道用 コンクリー トアチ橋 を検索 した結果を1に示す。

これ よ り,a)コ ンク リー トアーチ橋が建設 さ れたのは,旧国鉄の士幌 線,戸井線,根北線の 3 線である。②建設時期 は 全 て 1935 (昭 和 10) 年 か ら1941年 の短 期 間 に 集中 している。③士幌線

に架設 されたコンクリー トアーチ橋の数が最 も多 い。④士幌線に建設 され た ものが一番古いことな どがわかる。

当 時 の 鉄 道 省 北 海 道 鉄 道 建 設 事 務 所 で は , 音 更

1 北 海 道 に お け る 戦 前 期 鉄 道 用

コンク リー トアーチ橋

路線名 竣工年 長‑ 備 考 p 士幌線 第一音更川橋梁 1936 73.50m 撤去済み

第二音更川碍梁 1936 72.95m 撤去済み 第三音更川橋梁 1936 71.00m

第‑音更川 陸橋 1936 39.80m ダム工事 第二音更川 陸橋 1936 62.88m ダム工事 第四音更川橋梁 1936 91.24m ダム工事 第五音更川橋梁 1938 109.00m

第六号更川橋梁 1938 96.00m 十 三 の 沢 橋 梁 1938 58.00m 十 四 の 沢 橋 梁 1938 50.00m

根北線 幾品川第‑橋梁 1938 144m 一部撤去 戸井線 1941 75m

瀬 田 来 陸 橋 1941

※ 「ダム工事」 と記入 されてい るものは, ダム工事 に伴 う 線路付替 によ り1955(昭和30)年か ら供用 されていな か った もの

線混凝土扶橋工事概要8)とい う大部の工事概要を刊行 してお り,その工事記録 の序文において 「・・・鋲桁二代 フルニ混凝土 ヲ以テシ現地二産 スル工事材料 ヲ利用 シタル‑本工事 ノ特色 トスル虞ナ リコレガ設計及施工 ノ大要 ヲ述べ以テ

(10)

諸彦 ノ参考 二資セ ン トス」9)と述 てい る。 この音更線第二工 区 (上士 幌 一糠平 間)の工事が爾後の コ ンク リー トアーチ橋架設 の範 とな った ことは第二工区の 工事概要が刊行 された ことか らも考え られ る。 したが って,士幌線 におけるコ ンク リー トアーチ橋の技術的特徴がその後の第三,第四工 区における工事や他 の路線 に引 き継がれた もの と思われ る。本研究で は以上の点 よ り,士幌線 を中 心 に各線 の コ ンク リ‑ トアーチ橋 につ いて技術史 的特徴 の整理 と評価 を行 っ

( 2

) 旧国鉄士幌線ンクー トアチ橋梁群 (a) 士幌線 (上士一十三股 問)の建設10)ll)

鉄 士 幌 線 (工事期間中は音 更線 と呼ばれた) 上士幌一十勝三股 間は,1926 (大正 15)年 に開通 した 士幌線の終端上士 幌駅 よ り北進 し, 三股 に至 る延 長 37.9kmの 路 線 で,改正鉄道敷設 法別141に該 当 す る 「十勝国上士 幌 ヨリ石狩国 「ル ベ シベ」ニ至ル鉄 道」 の 一 部 で あ

る 。 この線 は沿線 森林資源,鉱物

2 旧国鉄士 幌線 にお けるコ ンク リー トアーチ橋 の 所在 と諸元

全長(m)

̲第‑音更川橋梁 50km415m96 73.50 1×1G+10mXIR十30mx2R6.4m

第二音更川橋梁 52km028m96 72.95 3×3R6.4mXIG+10m

第三音更川橋梁 53km813m74 71.00 11R+10mx2R十30mXIR2mX

第一音更川 陸橋 55km050m* 39.80 10mX3R

第二音更川 陸橋 56km150m* 62.88 10mX5R

第四音更川橋梁 56km413m* 91.24 1×1G+10mx2R+30mx2R6.4m

第五音更川橋梁 71km892m08* * 109.00 11R+10mX6R+20mXIR3mX

第六音更川橋梁 73km292m08* * 96.00 11R0mX6R+23mX

十 三 の 沢 橋 梁 76km065m99 58.00 10mX5R

十 四 の 沢 橋 梁 77km730m99** 50.00 10mX5R

キ ロ程 はすべて帯広起点である。

Rは連数 を意味 し,Gはプ レー トガーター (鋲桁)である。

*ダム建設 による付替前 のキ ロ程で平面図か らの実測である。

**ダム建設 による線路付替後のキ ロ程であ る。

(11)

地域計画 における産業遺産 の技術史的評価 に関す る研究 265 資源の開発,搬 出を主 目的 と して1934(昭和 9)年 よ り工事が開始 され,193 8(昭和13)年 に開通 した12)。開通後 は既存 の帯広 一上士幌間 と合わせて,帯 広 一十勝三股間が士幌線 と呼ばれた。

この線 は最急勾配が1,000分 の25,最少 曲線半径が200m,終着十勝三股 は 海抜661.8mと北海道 の鉄道駅最高地 に位置す るなど本格的な山岳路線であ っ た。 このため,第二工区の清水谷 一糠平間,第三工区の糠平 一幌加,第四工区 の幌加 一十勝三股間は,音更川の渓谷 による急峻な地形 に沿 うこととな り数多 くの架橋が必要 とされた。なお, この線の清水谷 一幌加間は電源開発株式会社 による糠平 ダム建設 に伴 い1953(昭和28)年か ら1955年 にかけて別線付替工 事が行われ,新 たな コンクリー トアーチ橋が5橋架橋 された。 しか しそれ らは 戦後の建造であるため,本研究では対象 と しなか った。

(b)士幌線 におけるアーチ橋の技術史的特徴13)

アーチ橋の所在 と諸元

旧国鉄士幌線 におけるコンク リー トアーチ橋梁の所在 とその諸元を表 2に示 した。第二工区であった清水谷 一糠平間には第一か ら第四までの音更川橋梁 と 第‑および第二の音更川陸橋の計 6橋が架設 された。 さ らに,第 3工区,第四 工区の糠平 ‑十勝三股間では,第五,第六音更川橋梁 と十三の沢,十四の沢の 両橋梁が架設 された。なおアーチ径間は大部分が10mであ り,第三音更川橋梁

の河川横断部が32m,第五,第六音更川の河川横断部が23mである

コンク リー トアーチ橋の採用 14)

鉄道省北海道建設事務所では音更線第二工区において,急峻な地形を刻む音 更川を多数の コンク リー トアーチ橋 によ り横断す ることとした。

この理 由について北海道建設事務所 は,橋梁の製作会社に近い都会 において 鋲桁を用い,砂利,砂などを得 られやすい地方部において コンク リー トアーチ 橋をっ くるべ きであるが,現在 はその逆 にな っていると指摘 し, 「北海道二於 ケル建設線路二於テ‑東衷又‑阪神地方ニテ製作セラル 、鋲桁二噸嘗約25囲 ノ 運送費 ヲ支排 ヒ山間ノ渓谷二架設 シ居ル状態ニテ基礎地質其他 ノ状況ニ ヨリー

(12)

概ニ‑鋼桁架設 ヲ不経済 トノ ミ 、̀.I

‑云 ヒ難キモ少ナク トモ本工匠 覧 ノ如キニ於テハ不得策 卜認 メラ ル 、ニ ヨリ現地二産 スル材料 ヲ 利用 シ混凝土披橋 ヲ施工スル コ ト、セ リ」15)と説明を している。

さ らに,工事概要の別表で第 三音更川橋梁 における鋲桁 とコ

ンクリー トアーチの両者の費用 比較を行い,32m径 間のコンク

写真 2 建設当初の第三音更川橋梁 (音更線混凝土鉄橋工事概要) リー トアーチ橋による施工が2,186.080円の減 となることを算出している○

これ らよ り理解 され るよ うに, コンク リ‑ トアーチ橋の採用は,材料の現地 調達 による工事費の低廉化を第一の 目的 とし,今後増大す ると考え られた山岳 線,および人 口希薄地 における鉄道建設のためにコンク リー トアーチ橋の導入

を試みた ものであった といえ る。

コンクリー トアーチ橋の径間割 りの決定

径間割 りの設定で は,音更川が急峻で一時的な出水量が大 きい こと,倒木の 流出が多 い こと

か ら第 一, 第 二,第四の各音 更川橋梁では, 河川横断箇所 に お い て32.4m スパ ンの鋲桁を 一 .W 用い,河川内に 橋脚を構築す る ことを避 け,そ

4 ・ . 雷 ナ 雷 班F . e 雷 r

の前後の陸橋部 2 第三音更川橋梁 (音更線混凝土抜穂工事概要)

(13)

地域計 画 にお け る産業遺産 の技術 史 的評価 に関す る研 究 267

分 において径間10m の コンク リー トアー チを架設 している。

さ らに,第三音更 川橋梁で は両岸 の地 形 および基礎岩盤の 状況が良好であるこ

とか ら径 間32mの鉄 州 筋 コンク リー トアー チ が 施 工 され て い

る。 3 音更川第4橋梁 (音更線混凝土抜穂工事概要) また,第‑,第二音更川陸橋 は10m径 間の コ ンク リー トアーチが連続 して施 工 されている

そ して,第五,第六音更川橋梁では10m径 間のはか に23m径間の コンク リー トアーチが架橋 され,十三 の沢,十 四の沢橋梁で は10m径 間の コンク リー トアー チが架設 されている

コンク リー トアーチ橋の設計 (i)10m径 間 コンク リー トアーチ橋

10m径 間の コンク リー トアーチ橋で は,扶肋部 には鉄筋 を用 いず,畳石 アー チ と考えて計算 と図式解法 によ り各部の応力を求 めてい る

また,扶側が余 り高 くない ことか ら扶側鉄筋 コンク リー トを採用 し,所要鉄筋量 を吉 田徳次郎著 の鉄筋混凝土設計 法の表か ら求めてい る。

(ii)32m径間 コンク リー ト アーチ橋

32m径 間 の コ ンク リー ト

4 10mスパ ン換橋 (音更線混凝土扶橋工事概要)

(14)

アーチ橋で は,扶肋部の コンク リー ト容量 を少 な くし強度を増す こと,及 び温 度の変化, コンク リー トの凝縮 によ って生 じるアーチの亀裂を防 ぐために鉄筋 が使用 され,弾性理論 によって設計計算が行われてい る

また扶側が高 くな るので鏡壁鉄筋 コンク リー トが採用 され,所要鉄筋量 は吉 田徳次郎著 の鉄筋混凝土設計法 に記述 され る式 よ り算 出 し,土木学会鉄筋混凝 土標準示方書 によ って主鉄筋間隔を20cmと決定 している。

なお,設計 にあた り何れの径 間に置 いて も活荷重 はK.S.15が用 い られてい る。一方,第‑,第二,第四音更川橋梁 において架設 された鋲桁 の設計荷重 は

K.S.12であった。

コンク リー トアーチ橋 の施工 (i)基礎工事

地下水位以上 の基礎工事で は人力 によ る岩石発破 によって岩盤を均 しを行 い, 地下水位以下あ るいは水中工事で は締切 法が採用 され,岩盤上 に堆積 していた砂 利 は人力 によって掘削,削岩機 によ って 岩盤を均す方法が用い られた。地盤が良 好であ ったため工事 は比較的容易 に進め

られ,主 に冬季の渇水期 に行われた。

(ii)アーチの架設

10m径 間 コンク リー トアーチ橋 10m径 間の コンク リー トアーチ橋の架 設で は,松角材(10cmX30cmx5cm) 1

写真 3 根掘エ

(音更線混凝土抜穂工事概要) メー トル間隔 と し3mの コンク リー トアーチに対 し4列の配置で組 み,ボル ト 締 め された。 また棟 は長 さ50cll,幅20C 1/12の傾斜がつ け られた ものが用

い られたほか,上越 しは2cmとされた。

32m径 間コンクリー トアーチ橋

32m径間の コンク リー トアーチ橋では,25mmの主鉄筋を採用 したため自重で

(15)

地域計画 におけ る産業遺産 の技術史 的評価 に関す る研究 269 鉄筋の保持 をす ることが困難

であ った。 このため支保工型 枠が採用 されたが洪水対策の ため方杖が採用 され,上部荷 重が両橋台下の岩盤 に掛か る よ うに施工 された。部材 は松 角材が用 い られ,方杖 には18

×15cm,綾構材 には15×9cm, 肋材 は15×30皿 1枚 と10×30 cm2枚 とを交互 に繋 ぎ合わせ

写真4 32mスパ ン抜穂支保工組

(音更線混凝土扶橋工事概要) た ものが使用 され,棟 は用 い られず上越 しはアーチ頂部 において 4cmとされ た。

(ia)コンク リー ト工

※10m径 間 コンク リー トアーチ橋

二音更川橋梁の第一橋脚 は高 さ20mと高いために橋脚を4区分 して打設 さ た 。 コ ンク リー

は橋脚側 で 8才りバ ッチ ミキサ ーによ り練 り合 わせ ら れ,円野式巻上機で橋梁上部 まで巻上げ られ充填 された 。 アーチ部 は型枠 を 一時的に組 み立て施工7区分 し下より側圧を加えないよ うに打設が行なわ

れた。 また10m径間は無鉄筋 であることか ら温度変化 によ る凝 縮 に よ る亀 裂 防止 の た め, 1区分 の施工2日間放 置 してか ら次の区分の打設が 行われた。

※32m径 間 コ ンク リー ト アーチ橋

コンクリー トの混合 は第一 橋台側 に設置 された 8才練 り

真 5 第 2音更川陸橋におけるコンク リー 打設 (更線混凝土扶橋工事概要)

(16)

バ ッチ ミキサーによって行われ,搬出は部材運搬 に利用 した軌条を利用 し,鍋 トロによ って運搬 し漏斗 によ って充填 された。打設 は最初 アーチ項部 よ り行 い,ついで左右両下腹部,左右 中腹部の順 に行われた。

(C)士幌線 コンク リー トアーチ橋梁群の現状

士幌線 は1987(昭和62)3月に廃止 され, コンク リー トアーチ橋 は供用 さ れてお らず, 日本国有鉄道精算事業団の所管 とな っている。現在 までに第‑普 更川橋梁,第二音更川橋梁の2橋が撤去 され,今後1997(平成 9)年 までに第 五音更川橋梁,第六音更川橋梁,十三の沢橋梁,十四の沢橋梁の撤去が予定 さ れている。なお,第三音更川橋梁 は糠乎温泉か らの下水排水路橋への転用が検 討 されている。

(2) 旧国鉄根北線 コンク リー トアーチ橋梁

(a) 根北線 (斜里 一上越川間,一部未成線)の建設16)

根北線 は改正鉄道敷設法別表第149号 「根室国厚床付近 ヨリ標津 ヲ経テ北見 国斜里二至ル鉄道」に該当す る路線の一部 として,オホーツク海側 と太平洋側 を短絡 し,沿線 の資源開発 と拓殖を 目的 として建設 された。1938(昭和13)

年 よ り斜里 一越川問の工事が始 ま り,続 いて越川 一上越川 間の工事が着手 さ れ,幾品川第‑橋梁などが架設 されたが 日中戦争の影響で工事 中止 とな りその まま放置 された。1953(昭和28)年,工事が再開 され1957(昭和32)年 に斜 里 一越川間が開通 したが輸送需要が極端 に低 く1970(昭和45)年 には廃止 と な った。なお残存す る構造物 は日本国有鉄道清算事業団が所有 している。

(b) 幾品川第一橋梁の特徴

幾品川第一橋梁の全長 は144m,高 さは18mで,現在国道 と交差す る2連分 が撤去 されている。

この橋梁が架設 された時期が 日中戟争中であ ったために,鉄筋の代わ りに竹 筋が用い られたともいわれてたが,現在 は無筋 コンク リー ト橋 として評価 され ている 音更線の コンク リー トアーチ橋の例か ら類推す るな らば本橋梁のアー チ径間よ り,扶肋部が無筋であることは十分考え られ る。

(17)

地域計画 における産業遺産 の技術史的評価 に関す る研究 271

また,民衆史の観点か らタコ部屋による過酷な労働 によって建設 された構造 物 として高 く認識 されてお り,地元斜里町では歴史的,構造的に意義があると

して保存を検討 している。

(3) 旧戸井線 コンク リー トアーチ橋梁群

(a) 戸井線 (五稜郭 一戸井問,未成線)の建設

戸井線 は改正鉄道敷設法別表第128号 「渡島国函館 ヨリ釜谷二至ル鉄道」に 該当す る路線であるが,戸井にある軍の要塞 に対 し軍需物資の輸送力を確保す るため,函館駅を起点 として五稜郭よ り分岐 して戸井 に至 る32.6kmの区間が1 937(昭和12)年か ら五稜郭側 より工事が着手 された。工事 は旧日本陸軍 によ

るもので請負業者 は熊谷組であったとい う17)0 1942年 までに25.6kmの工事が 完了 した ものの,第二次世界大戦の激化 に伴い工事が中止 された。第二次世界 大戦後,国鉄 によって線路用地および構造物が沿線市町村に払い下げ られた。

(b)戸井線のコンクリー トアーチ橋の特徴

戸井線 には函館側か ら汐首陸橋,瀬 田来陸橋,蓬内川橋梁の3つの コンク リー トアーチ橋が架設 された。戸井線 は海岸を避 け海岸段丘上 に線路を敷設 し てお り,侵食崖や河谷を渡 るために架橋 された。

現在,蓬内川橋梁 は河谷の対岸を結ぶ人道橋 として利用 されているが他の 2 橋 は供用 されていない。さらに,3橋 とも老朽化が著 しく進みその自立 も危ぶ

まれる状態 となっている。戸井町は地域住民の安全性確保のため撤去を考慮 し ているが,予算の関係上現状を維持 したままとなっている

4.戦前期鉄道 コンク リー トアーチ橋 の評価

(1) 鉄道 コンクリー トアーチ橋の噴矢 は士幌線の清水谷 ‑糠平間に架橋 され 6橋である。以後士幌線の延長部,根北線,戸井線で架設 された。

(2) コンクリー トアーチ橋 は,建設資材の現地調達による架橋費用の低廉化 を 目的 とされた。

(18)

(3)士幌線では10m径間のアーチは無筋,32m径間のアーチは鉄筋で建造 さ れ,列車荷重が小 さく,径間の小 さい ものは無筋で十分建設が可能であ

ることを実証 した。

(4) 士幌線の工事では今後の参考 となるよ うに,計算式,工事費など工事記 録が整理 された。

(5) 実際に列車が運行 され,地域開発 に供せ られたのは士幌線の橋梁のみで あ り,他 は未利用 に終 った。 また士 幌線 自体 も1987年 には廃止 とな る など輸送需要の極めて少ないところに建造 され,建設の結果が地域開発 に結び付いた とは必ず しも言えない。

(6)士幌線の橋梁 は系譜的に も技術的に も高い評価がで きる。根北線の橋梁 は地元の高い関心が評価 され るものである。戸井線 に関 しては安全性の 面か ら早急な検討 と手当が必要であろ う

5.ま と め

本研究で は,産業遺産特 に明治以降工学技術 によ って作 られた近代化遺産 が,地域計画などにとって重要 な現物記録情報源,そ してモニ ュメ ン トとして の機能を持っ ことを指摘 した。そ して,その機能 は時代の経過化 とともに高 く な り,施設,設備本来の機能が失われた場合,記録情報源,モニュメ ン トとし ての機能が従来の機能 に変わ ることを説 明 した。近代化遺産の保存で はこの点 を十分 に考慮 しな くてはな らず, さらには現物史料の持つ技術史的価値を十分 に検討す る必要がある。

本研究では,北海道 における戦前期の鉄道 コンクリー トア‑チ橋梁を技術史 的評価の対象 とした。その結果,旧国鉄士幌線清水谷 一糠平間に建設 された6 橋が戦前期の鉄道 コンク リー トアーチ橋 として技術,地域社会への影響を含め て,高 く評価 され ることが明 らか となった。

産業遺産の うち現在供用 されていない遺構 は,設置や建設当時を現在,そ し て未来 に伝え る貴重な現物情報源 (歴史資料) として高い価値を持っ ものであ

(19)

地域計画 におけ る産業遺産 の技術史 的評価 に関す る研究 273

る。・安全性 に問題がないことが確認 され るのな らば現状で保存 し,その活用を 将来 にゆだねることが望ま しいもの と考え られ る。

本研究 においては,北海道旅客鉄道株式会社事業部工務部船山三幸氏, 日本国有鉄 道精算事業団北海道支社計画工事課鶴見匡代氏,戸井 町役場藤崎久男氏,鉄道総合技 術研究所小野 田滋氏,北海道大学経済学部河野哲也氏他多 くの方 々に資料を提供 して いただ くなどお世話 にな りま した。特 に,小樽商科大学経済研究所今野茂代氏 には工 事記録 な ど貴重 な資料 の探索 にお手数 をお掛 け した。 ここに記 して謝辞 といた しま す。

(20)

1)今 尚之,中岡良司,佐藤馨‑ :近代化遺産の保存を考慮 した地域環境整備計画案 の作成,第18回土木計画学研究発表会講演集,土木学会,1995

2)今 尚之 : 「歴史的社会資本の評価 と保存事業化の課題 に関す る研究」,pp.319 322,小樽商科大学商学討究第45巻第3,1995

3)今 尚之 : 「Fuzzy測度 を用 いた社会資本の評価法 に関す る研究」,p.176,小樽 商科大学商学討究第46巻第 1号,1995

4)札幌市 : 「札幌市環境基本条例 (平成 712月13日条例第45号)」,札幌市,1995

5)例えば,北海道新聞199410月17日朝刊,19968月15日朝刊など

6)今 尚之,中岡良司,佐藤馨‑ :戦前期鉄道用 コンクリー トアーチ橋の地域計画的 評価,土木学会北海道支部論文報告集第52 (B),1996

7)今 尚之,中岡良司,佐藤馨‑ :シューパ ロ湖三弦 トラス橋の評価 と保存に関す る 研究,土木学会北海道支部論文報告集第51 (B),p.429,1995

8)士幌線の上士幌一十勝三股間は建設時は音更線 と呼ばれていた.

9)鉄道省北海道建設事務所 : 「音更線混凝土扶橋工事概要」,序,1937

10)日本国有鉄道札幌工事局70年史編集委員会 : 「札幌工事局70年史」,pp.128‑129, 日本国有鉄道札幌工事局,1977

ll) 日本国有鉄道北海道総局 : 「北海道鉄道百年史 中巻」,pp.155‑157,1980 12)鉄道図書刊行会 : 「鉄道百年略史」他 によると,清水谷 一糠平 間の開業 は1937

9月26日,糠平 一十勝三股間の開業 は193911月18日となっている.

13)鉄道省北海道建設事務所 : 『音更線混凝土扶橋工事概要』,1937

14)日本国有鉄道札幌工事局70年史編集委員会 : 『札幌工事局70年史』,p.129, 日本 国有鉄道札幌工事局,1977

15)鉄道省北海道建設事務所 : 『音更線混凝土扶橋工事概要』,pp.1‑ 2,1937 16)日本国有鉄道札幌工事局70年史編集委員会 : 『札幌工事局70年史』,pp.135‑136,

日本国有鉄道札幌工事局,1977

17)戸井町 :土木学会近代土木遺産調査回答票,1994

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