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「歴史遺産の保全と活用をめぐる地域ネットワークに関する研究」岡山史料ネットIII

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岡山大学文学部プロジェクト研究報告書

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歴史遺産の保全と活用をめぐる地域ネットワークに関する研究

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章二

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岡山史料ネット

2009年9

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代表者今津勝紀二・二J

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(2)

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事業計画 と経過 .

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1.1

計画 の概要

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事業の経過

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岡 山史料 ネ ッ ト講 演会

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2.1

開会 にあた って

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2.

2

小野市 が め ざす 地方博 物館 の役 割 につ い て.

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……大村 敬 通

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2.3

保 存活動 体験報告一 官 の立場 、民 の立場 ‥‥….

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34 2.4

討論 …

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3.1

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6世紀 以 降 の東 方 キ リス ト教 (

正教会 ) の文化財 ‥.

鐸 木 道 剛

51

3.2

史料ネ ッ ト、各 地 の動 向 ……‥‥‥‥.

………

‥今 津 勝 紀

56

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(5)
(6)

1

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計画 の概 要

これ まで 、2005年度 「災害 な ど緊急時 にお ける歴 史遺産 の保 全 に関す る県内 自治 体等 との連携事業」(平成 17年度学長裁量経費 ・地域貢献支援事業費)・2006年度 「歴 史遺 産の保全 と活用 に関す るネ ッ トワー ク・岡山」(平成 18年度 学長裁 量経費 ・地域貢 献支援事業費)を実施 し、それぞれ報告書 を 『岡山史料ネ ッ ト』・『岡山史料ネ ッ トⅡ』 として刊行 した。本 プ ロジ ェ ク ト 「歴 史遺 産 の保 全 と活 用 をめ ぐる地域 ネ ッ トワー クに関す る研 究」(代 表者 今 津勝 紀) は、それ に 引 き続 くもの で 、平成 19年 度 岡 山大 学文 学部 プ ロジ ェ ク ト研 究経 費 の交付 を受 けて実施 され た。 申請 時 の計 画 は、(丑自治 体 に所 属す る文化財 行 政 の担 当者 、博 物館 や 文 書館 ・資 料館 の学芸員 ・アー キ ビス ト、県 内 の研 究諸 団体 、当該 問題 に関心 の深 い諸 個 人 と 連 携 し、歴 史遺 産 の保 存 と活 用 に 関す る講 演 会 を開催 す る。 ② 大 地震 に よ る史料 の保 全 活 動 に従 事 した神 戸 大 学 ・島根 大 学 ・愛 媛 大 学 ・東 北 大 学 ・新 潟 大 学 な どの事 例 を検 証 す る。 ③ 史料 ネ ッ トセ ミナ ー を開催 し、西 崎 家 文 書 の整 理 を行 う。 学 内 の歴 史遺 産 の保 全 状 況 を調 査 し、必 要 に応 じて適 切 な措 置 を講 ず る。 ④ 以 上 を報 告 書 『岡 山史料 ネ ッ トⅢ』 にま とめ、県 内 に広 く配 布 す る、 とい うもので あ る。 これ まで本 学教員 は、自治 体 史 の編纂 や 文化 財 行 政 へ の助 言 な ど、岡 山県 内 の文 化 財 の保 存 と活 用 に少 な か らず 貢 献 して きた が 、文 化 財 保 護 法 に よって制 度 的 な 保護 の対象 と され て い な い 、地域 の古 文 書 な どの歴 史遺 産 の多 くは 日々消滅 しつ つ あ るの が実情 で あ る。 と りわ け、 こ う した状 況 は水 害 や 地 震 とい った 災害 時 に 深 刻 で あ り、生活 復 興 の 陰 に、多 くの歴 史遺 産 が失 われ る こ と とな る。 現状 で は、 こ う した緊急 時 に、歴 史遺 産 の保 全 活 動 を既 存 の行 政機 関 だ けで行 うこ とは不 可 能 で あ り、 関係 機 関 ・団体 ・個 人 の緊密 な連 携 に よる保 全 活 動 が必 要 とな る。 本 プ ロジ ェ ク トで は 、歴 史遺 産 の保 全 と活 用 に 関す る 日常 的 な取 り組 み を重視 す る と ともに 、災 害 時 の史料 の 消滅 を最 小 限 に食 い止 め るた め の予 防 を 目的 と した連 携 の構 築 を模 索す る こ と と した。 言 うまで もな く、地域 社 会 は 、そ こに生活 す る人 々 の歴 史認 識 に よ り支 え られ て い る。 そ うした歴 史認 識 の よ りどころ とな る もの が 、地 域 に残 され た古 文書や 行 政 文書 、絵 画 、考 古 学 的 な遺跡 ・遺構 ・遺物 な どの歴 史遺 産 で あ る。 未 来 に向 けて 、 よ り豊 か な地域 社 会 を形 成 す るた め に は 、 こ う した歴 史 遺 産 の積 極 的 な保 存 とそ の活 用 を前提 と した科 学 的 な歴 史認 識 が不 可 欠 で あ る。 こ う した取 り組 み は、歴 史遺 産 の保 全 と活 用 を はか りつ つ 、地域 社 会 の 「町 づ く り」に貢 献 す る こ とにつ なが る と言 え るだ ろ う。 なお 、本研 究 は 岡 山大 学 中期 目標 ・計 画 の

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「社 会 との連携 、協 力

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に関す る基 本 方針 」同2)「産 官 学 連 携 に関す る基 本 方針」に も従 った もの で あ り、 大 学 の知 や 技 術 の成 果 を社 会 に還 元 す る と ともに、地域 社 会 ・自治 体 な ど との双 方 向的連 携 を 目指 す もの で あ る。 研 究組 織 :今 津勝 紀 (代 表 者 日本 史)・倉 地 克 直 (日本 史 )・久 野修 義 (日本 史) 松 木武 彦 (考 古 学 )・鐸 木 道剛 (美 術 史 ) 6

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事業 の経過

本 年 度 の プ ロジ ェ ク トで は 、① 一 昨年 、 岡 山大 学 に搬 入 され 保 管 され て い る西 崎 家 の襖 下 貼 文 書 の整 理 を継 続 す る必 要 が あ り、 これ を実施 す る こ と、 ま た② 昨 年 同様 に史料 ネ ッ ト講 演 会 を開催 す る こ とで 、 当該 問題 に 関 わ る岡 山県 内 の諸 機 関 ・諸 個 人 ・諸 団 体 の交 流 の機 会 を設 け る こ と、③ 他 県 や 他 大 学 で の地 域 資料 の 保 存 と活 用 を め ぐる取 り組 み につ い て 知 見 を得 る こ と、④ 報 告 書 を作 成 し広 く県 内 の諸機 関 ・諸 個 人 に配布 し、交 流 の場 を提 供 す る こ と、 を 目指 した。 本 プ ロジ ェ ク トで は 、 災 害 時 に顕 著 な歴 史遺 産 の散 逸 や 消滅 を防 ぐた め の 岡 山 大 学 と県 内 の 関係 諸 団 体 との連 携 の構 築 を 目的 と して い るが 、 い ざ とい うとき に 力 を発 揮 して くれ るで あ ろ う学 生 を は じめ とす る若 い人 々 に 、 こ うした 問題 - の 関心 を喚 起 す る こ とが 大 切 で あ る。 本 年 度 は文 学 部 プ ロジ ェ ク ト研 究 と して 実施 す るた め 、 文 学部 で 開講 す る博 物 館 実習 の な か で 学 生 に襖 剥 が しを体 験 して も ら うこ と と した。 さ らに 、県 内 で 当該 問題 につ い て最 も重 要 な役 割 を果 た して い る岡 山県 立記 録 資 料 館 と共 同 して 、 関係 す る諸 団体 や 個 人 を対 象 とす る講 演 会 を開催 す る こ とを 目指 し、 岡 山地 方 史研 究 会 ・岡 山近 代 史研 究会 ・岡 山古 代 史研 究 会 な どの県 内 の研 究 団体 に 、それ ぞれ の会 員 - の情 報 提 供 な どの協 力 を仰 ぐこ と と した。 本 年 度 の事 業 1. 西 崎 家 文 書 の整 理 (当初 計 画 の① に対応 )

博 物館 実習 の授 業 を使 って 、本 学 部 学 生 を対 象 と した文 書整 理 の体 験 学 習 を行 った。 授 業外 で も襖 よ り剥 が した文 書 の整 理 、 写真 撮 影 を行 った。 2. 岡 山史料 ネ ッ ト講 演 会 の 開催 (当初 計 画 の② ③ に対 応 )

岡 山県 立記 録 資 料館 と共催 で 、2008年 3月 2 日に 同資 料館 にて講 演 会 を 開催 した。

小 野 市 立 好 古 資 料 館 館 長 大 村 敬 通 氏 が 地 域 に根 ざ した博 物 館 活 動 の 実 践例 を講 演 した。

鳥 取 地 方 史研 究 会 田村 達 也 氏 は、鳥 取 県 西 部 地 震 で の被 災 資料 の救 出活 動 や 鳥 取 市 で の歴 史 と文 化 を活 か した 町 作 りの 実 践 例 を講 演 した。

これ らはいず れ もテ ー プ起 こ しを行 っい 、本 報 告 書 に収 録 した。

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以 上 が本 年 度 実施 した活 動 の概 要 で あ り、これ らの 内容 は本 報 告 書 に収録 した。 本 報 告 書 が 、 当該 問題 に 関 わ る方 々 の 交 流 の場 と して の役 割 も果 たす こ とが で き れ ば幸 い で あ る。 なお 、積 み 残 した課 題 も多 い。西崎 家 襖 下 貼 文 書 につ い て は整 理 の途 中で あ り、 内容 を紹 介 す る こ とが で き な か った。 ま た 、 史料 ネ ッ トの メー リン グ リス トにつ い て も準備 中で未 だ 運 用 に 至 って い な い。 これ らは何 れ も次 年 度 以 降 に持 ち越 さ ざ るを え な か った。 次 年 度 以 降 も継 続 的 な取 り組 み が 必 要 で あ る。 (文 責 今 津勝 紀 ) 2007年 7月 21日 博 物館 実 習 に て襖 下 張 り剥 が し体 験

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8-l 岡山大学文学部 .岡山県立記録資料館共催

2007

年度 岡山史料ネット講演会

歴史遺産の保全と活用をめぐる地域ネットワ-ク

【講 演】 大村敬通(小野市立好古館館長) 「小野市が目指す地方博物館の役割について

【コメント】 田村達也(鳥取県地域史研究会 ) 開催日 :2008年3月2日 (日) 開催 時間 :13:00-17:00 会場 :岡山県立記録資料鋸 〒700・0807 岡山市南方2丁 目13-1 TEL:086-222-7838 ち .. . a ● Jli剛LT駅 か ら徒 歩約20分 ● TR岡山 駅 か らFnlJ駅7番の りば津 高宮 某 所 行 きバ ス、跨 線 橋 東停留 所 下 市 徒歩 約10 分 r二間 電バス) ● JR岡山 駅 か らRLj山駅13番の りは国立病院 行 きバ ス 、探 偵機 棄 停留 所 下草 徒歩 約10 分 F.中敵 バス) 〒700-8530岡LLl市津島中3-1-1岡山大学文学部 今津 勝紀 この講演会Eも2007年度岡 山大学文学部 プC]ジェクト研究 「歴 史遺産の保全と活用 をめぐる 地域ネットワークに関 する研究」の一 環で実施するものです. 電話 086(251)7408

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2

岡 山史料ネ ッ ト講演会

2008年 3月 2 日

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2.1

開会 にあた って

今 津 :ど うもみ な さん こん に ちは。 お忙 しい ところお集 りくだ さい ま して あ りが と うご ざい ます。 今 年 で 三 回 目に な ります けれ ども、 岡 山 の史料 ネ ッ トの講 演 会 をは じめ させ て い た だ きた い と思 い ます。 今 年 は標 題 に あ ります よ うに 『歴 史遺 産 の保 存 と活 用 を巡 る地 域 ネ ッ トワー ク』 とい うタイ トル で 、 日頃 か らこ うい う 文化 財 の保 存 と活 用 に ご関心 をお持 ちの皆 さん に集 ま っ て い た だい て 、各 地 の経 験 を色 々 うか が って 、 明 日か らの糧 に しよ うとい う集 ま りで ご ざい ます。 本 日拙 い進 行 で あ ります けれ ども司会 を務 め させ て い た だ きます 、今 津 で ご ざい ます。 よろ しくお願 い致 します。 まず 最 初 に 岡 山県 立記 録 資料 館 館 長 の在 間 宣 久 さん か らご挨 拶 を頂 い て 、進 め させ て い ただ きた い と思 い ます。 在 間 さん よろ しくお願 い します。 在 間 :失 礼 します。 よ うこそ お 出 で いた だ きま した。 今 申 し上 げ ま した よ うに第 三 回 にな ろ うか と思 い ます。今 日私 は午 前 中に あ る雑 誌 を読 ん でお りま した。『歴 史評 論 』 とい うご存 知 の もの です が 、神 戸 の奥村 先 生 が書 い て い らっ しゃ る もの で史料 の活 用 を市 民 と共 有 す る とか 、 そ の研 究成 果 を社 会 と共 有 す る、 い うこ と を書 いて い らっ しゃ って 、 そ うだ な あ と思 い なが ら読 ん で お りま した。 そ して最 終 的 に定着 す るに は ど うした らよい か とい うこ とで一 ・二 ・三 挙 げ て い らっ しゃ ったの です が、そ の三つ 目に人 々 のネ ッ トワー クの形 成 が必 要 だ とい い うこ と と、 そ の場 が必 要 だ とい うこ とを書 い て い らっ しゃい ま した。 な るほ ど我 々 さ さや か な施 設 で は あ ります けれ ども、 こ うい う場 に皆 さん をお 迎 え して 、 岡 山大 学 文 学 部 との共 催 で こ うい う会 が持 て る こ とを幸せ に思 い ます 。 ど うか この会 を盛 り上 げて い た だ く と同時 に、記 録 資料 館 もせ いぜ い利 用 して い た だ い て 、我 々 をま た 盛 り上 げてい た だ けれ ば幸 い か と思 うところで ご ざい ます 。 今 日は とて もいいお話 が 聞 けそ うで私 も楽 しみ に して お ります。 い ろい ろな情 報 を得 て 、今 後 の我 々の糧 に致 した い と思 い ます 。 今 日は ご苦 労様 です。 よろ し くお願 い致 します 。 今 津 :あ りが と うご ざい ます 。 それ で は本 日の講 師 のお 二 方 を私 の方 か ら簡 単 に 紹 介 させ て い た だ きます 。 お話 しい た だ くの は兵 庫 県 の丁 度 、加 古川 中流 域 の と

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ころ に小 野 市 とい う所 が ご ざい ます けれ ども、 そ の小 野 市好 古館 の館 長 さん で い らっ しゃ る大村 さん と、鳥 取 県 地域 史研 究会 の会 長 を して い らっ しゃ る 田村 さん です 。 大 村 さん は長 ら く兵 庫 県 の埋 蔵 文 化財 行 政 を リー ドされ て きま した。 埋 蔵 文 化 財 事 務 所 長 をな さって お り、兵 庫 県 の考 古 学 の分 野 を リー ドされ て きた の です け れ ども、 そ の後 、小 野 市 の好 古館 に移 られ ま して 、現 在 館 長 さん を務 め て い らっ しゃ い ます 。 兵 庫 県 は も とも とこ うい う運 動 の ス ター トした 阪神 淡 路 大震 災 が あ りま して 、 そ の後 、被 災 史 料 を ど うしよ うか とい う風 な運 動 が始 ま るの です けれ ども、 史料 を保 存 ・活 用 す る とい う点 で先 ほ どもあ りま した よ うに地 域 で の 、 そ うい うネ ッ トワー ク を生 か した形 で 、 な ん とか上 手 く保 存 と活 用 して 町づ く りに 生 かせ な い だ ろ うか 、 とい うよ うな段 階 に至 るわ け です 。 そ の 中で大村 さん は大 変 ユ ニー クな活 動 を な さって らっ しゃい ま して 、 それ を今 日これ か らお話 くだ さ い ます 。 ぜ ひ とも岡 山で も役 に立 った ら良 い な とい う思 い で 、大村 さん をお招 き 致 しま した。 ま た 田村 さん は 、 岡 山 に近 い ところです と鳥 取 県 西 部 地 震 、鳥 取 県 の 日野 を 中 心 と した 地震 で あ ります けれ ども、それ が起 こっ た 時 に鳥 取 県 の公 文 書館 にお 勤 め で い ら して 、被 災 史 料 の救 済 活 動 な どに携 わ られ ま した。 そ の ほか最 近 では鳥 取 市 の 町 並 み保 存 の運 動 も積 極 的 に な さってお り、 これ もま た 岡 山に とって大 変 有 益 なお話 に な るの で は な い か と思 ってお ります 。 岡 山の文化 力 を高 め るた め に 、ぜ ひ 兵庫 と鳥 取 の経 験 を学 べ れ ば と思 い ます 。 長 々 と話 して 申 し訳 あ りませ ん で した。 それ で は大 村 さん の方 か らお 話 を進 めて い た だ きた い と思 い ます 。 よろ しくお願 い します 。 - 14

(16)

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2

小野市がめざす地方博物館 の役割 について

大村

敬通

(

小野市立好古館)

大 村 :皆様 こんにちは。 ただいま紹介頂 きま した小野市立好古館 、好む に古い と 書 きます けれ ども、歴史系博物館 の館長 を しています大村 といいます。 よろ しく お願 い します。 今 日は知 って る方 もお られ ます ので非 常に喋 りに くいのです けれ ども、『小野市 の 目指す地方博物館 の役割 について』 と い う非常にかっ こ良い タイ トル で 中身 は 全然充実 した話 にな らない と思 います け れ ど、今津先生がお っ しゃいま した よ う に私 は兵庫県で埋蔵文化財行政 をや って いま して、平成 13年度 に退職 し四月一 日付 けで小野好古館 に雇 っていただ きま した。色 々事前 に話 はあったのです けれ ど好古館 に行 くとい うの は全然思い も し なかったです。 いい加減 にハイハイ とい う感 じで返事 を していたのです け ど、三 月 の末頃に市長 と教育長 と前館長 が、明 石 まで来 られ 、話 したい と言 われ てお 目 にかか りま した。 そ こまで され て しまいま して断 り切れ ず に四月一 日か ら好古館 に行 っています。 その時に市長 か ら言 われ たのはただ一点 だ けです。今 まで好 古館 は平成2年度 か ら 13年度 までず っ ときてい るのです が、 入館者 が五千∼六千人 だ とい うこ とで何 とか活性化 を図 って欲 しい と。 この一点 だけです。 それ を言 われ ま して、人 口五万人でそ れ の一割 は最低入 っていたのです が、そ れ を どれ だ け伸 ばせ るか とい うこ とにつ いては 自信 も何 もあ りませ んで した。 前 段 の話 ばか りにな ります けれ ども、好古 館 が歩んで きた平成 2年度 か ら 13年度 までには年 間計画 の展示会 とか出前講座 とかい ろい ろや ってい るのです け ど、そ れ を調べ ま した ら残念 なが ら一点だけ欠 点が あったのです。展示会 は非常 に よ く や っています。 小野 ・加 古川 の流域 の歴 史 を掘 り起 こ し、それ を展示 して皆 さん に見ていただ くとい った こ とは非常 に よ くや っています。 それ か ら小野市立好古 館 なので平成 2年度 か ら 13年度 の間 に 小野 の市民 と連携 した展示会 を どれ だ け や ってい るか、 とい うことを見てみま し た。職員 は小野 出身 の者 は誰 もお りませ ん。小野市外 の 出身者 ばか りです。 それ

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が学芸員 として展示会 を行 っていたので す けれ ど、残念 なが ら私 か ら見れ ば市民 と連携 した展示会 は一切 あ りませ んで し た。 また平成4年 か ら市史編纂 室がで き て全八巻 が平成 15年度末 に完成 したの です けれ ど、 13年度末 まで に市史編纂 室 に古代 ・中世 ・近世 の文書専 門の先生 方が 10人お られたに も関わ らず好古館 と 何 の縁 も連携 もない との ことで した。 そ こで好古館 の職 員 に聞 きま した とこ ろ、考古編 を出す 時 に 自分達 が掘 った 史 料 を市史編纂 室 に全部取 られ て市史の 中 で発表 され て しまった、使 われ てばか り だ との苦情 を聞か され ま した。 つ ま り市 民 との連携 もな く、行政 の横 の連携 もな く好古館 が独 立独歩 で歩 んでいたのです。 これ では、や は り市民のいわゆ る市立好 古館 にはな らないだ ろ うとい うこ とを最 初 に気 がつ きま した。 それ か らが出発 で した。 これ につ きま しては、大 した物 ではな いのです けれ ど今 か ら レジュメを使 って 話 を させ ていただ きます。今前段 で話 を しま した経過 につ いて ち ょっ と話 を して い きたい と思 います。 好古館 の成 り立 ち ですが、 「1.は じめに」 と書 いていると ころを見ていただ くと平成2年 の11月3 日にオープ ン しています。 この好古館 が ど うい う施設 を利 用 した ものなのか とい うこ とです が、 これ は新 設 ではあ りませ ん。小 野市立小学校 とい う

120

年 ほ どたつ小学校 の講堂 を再利 用 して好古館 に充てています。 そ の絵 が 2ペ ー ジの一番 下の写真 です。 暗 くて よ く見 えませ んが、 こ うい う情景の小学校 です。 これ の一番左側 にあ ります のが今 ー 16一

(18)

好古館 として使 ってい る元 の講堂です。 戦前 の昭和

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年 にで きて講堂 としてず つ と使 われ たのです が、58年度 か ら新 しく校舎 を造 る とい うこ とで この講堂 を 含 めて校舎 を全部解 体す る とい う話 にな りま した。 その時 に小野 に歴 史 を知 る会 (今 36 0名 の会員 なのです が) の会員 が非 常 に 年季 の入 った講堂で卒業生 も非常 に多い ので、講 堂だ けはぜひ残 して欲 しい と市 長 に談判 され 、 この講堂だ け残 そ うとい うことにな りま した。 それ で現在 この講 堂、外観 は当時のままです。講 堂ですか ら非常 に天井が高いので二階 に展示室 を 設 け、 旧校舎 の ところに事務所兼 とい う こ とで新 たに二階建 ての収蔵庫 を造 って います。 そ うい う経過 が あ りま して現在好古館 としてや ってい るのです が、資料 につ い ては、 ここに書 いて あ ります よ うに一柳 家 とい う一万石 の陣屋 が あ るのです がそ の 当主か ら文書 を市 に寄贈 して もいい と い う話 が 出ま したので、その文書類約 三 千点 を市か ら愛知県 にあ る徳川美術館 の 保存会 に依頼 して 目録 を作 っていただ き ま した。 それ を基礎 に して この建物 を改 造 した上で、好古館 (歴 史博物館 ) に し よ うとい うことにな り、約 三億 つ ぎ込 み 平成 2年 11月 3日に博物館 としてオープ ン しま した。元 の小学校 の講堂です。 昭 和12年 の もので小野市唯一 の鉄筋 コン ク リー ト建 ての建物 なので、冷暖房施設 が非 常 に不備 です。 その 中で展示会 を平 成 2年度 か らず っ とや って きてい るので す が、 この よ うに十分防湿 ・防音 ・耐震 を備 えた施設 ではあ りませ んので、残念 なが らいわ ゆ る国の重要文化財 ・県指定 は展示 をで きない、貸 していただ けない のです。 そ うい う施設 で小野市 の五 万人 の方 々 に どれ くらい来 ていただ き、また小野市 以外 の周辺 の方 々に どれ くらい来ていた だ けるのか、それ には ど うした らいいの か。私 が行 った 四月 ・五月 の二 ヶ月間で 全部調 べ上 げて、百人 ア ンケー トとい う のが市 の行政 にあ るのです け ど、それ で ア ンケー トを取 りま した ら、小野好古館 の名前 を知 ってい る方 が百人 の うち二十 五パーセ ン ト、好古館 に来 た ことがあ る 方 は十五パーセ ン トで した。 百人 の うち それ ぐらい しか小野市の好古館 に来た こ とが あ る、知 ってい る とい う人がいなか ったのです。 これ で はい くらがん ばって も市長 か ら 言 われてい る五千か ら六千の今 までの入 館者 の活性化 を図 る ことは難 しいです。 それ では ど うした らいいか。 先程言 いま したが、狭 い考 えで はあ るか と思 うので す け ど、地方 の博物館 はや は り地方 の市 民のための もので市民 に慕 われ て初 めて 好古館 (歴 史博物館 ) は成 り立つ と思 う のです。それ プ ラス周辺 に影響 を与 えて、 周辺 の方 々 も一緒 に来ていただ ける とい うのが地方博物館 だ と私 は思 っています。 その時 に地方博物館 であれ ば地元の住 民 の方 々に一緒 に参加 を していただ くよ う な展示会 を計画すべ きだ とい うことを考 えま した。後 か ら冊子 が回 る と思 うので す け ど、ひ とつ の町 を選 んで町の歴 史 を 展示す る とい うことです。 お宮 か ら遺跡 か ら、町 々にはい ろんな 歴 史が あ ります。 それ につ いて好古館 に

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来 られ た小学 生 に聞 いて い ます と、お 父 さんお母 さん に 自分 の町 の歴 史 の話 を聞 い た こ ともない とい うこ とで した。 また お じい ちゃんお ば あ ちゃん に聞 きます と、 そ うい う自分 の町 ・村 の話 を しよ うと思 って も孫 は何 も聞 い て くれ ない 、そ ん な 古臭 い話 は要 らな い と言 われ る とい うこ とで した。 これ は全 て の町 がそ うい うな 状 況 のなのです。それ な らば余 計や ろ う、 今 や る しか ない 、 とい うこ とで言 葉 は悪 い です けれ ど、 六月 あ る町 に仕 掛 けま し た 。 話 が前 後 す るの で ご勘 弁願 い た い と思 うの です け ど、 6ペ ー ジの左 上 に 「わ た した ちの ま ち ・阿形 」 とあ るの です が 、 こ この町 がた また ま公 民館 の改築 を して いて 、私 が行 く前 の年 の

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1月 に改築祝 い を され て いま した。 この 町 は慶 長 年 間 の 文書等 が非 常 に よ く残 り市 史 の方 で 目録 野 慧 慧 欝 . 欝 .一問 .・

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・. 、 .▲丁 二二 てこ ・、'爺 を全 部 作 って い るの です が 、改築 祝 いの 時 に市 史編 纂 室 の先 生 を公 民館 に呼 び 、 一部 の史料 を選 ん で約 二時 間展 示 会 を さ れ たそ うです 。 私 は新 聞 を捲 って いてそ れ を見 た わ けです。そ の時 に平成 13年度 の秋 に町 が市 史編 纂 室 の応 援 で こ うい う 展 示 会 をや って い た の だが行 った こ とは あ るか 、 と学 芸 員 に聞 いた ところ、知 り ませ ん とい う返 事 が返 って きま した。 誰 も行 って い な い の です。 私 の思 い です け ど、本 当な らばそ うい う事 業 を好 古館 が や るべ きだ と思 うの です。 地 元 の公 民館 で 自分 達 が そ の史料 を市 史編 纂 室 と一 緒 にな って解 読 して 、 それ を市 民 の方 ・村 の方 に見 て い た だ く。 それ が公 民館 で行 われ て 、 なぜ 好 古館 が 関係 して い な い の か。 これ に は シ ョックを受 けま した。 好 古館 とい う歴 史博 物館 が あ りなが ら 新 聞す ら読 ん で い ない 、兄 に も行 って い ない。 これ は本 当に シ ョックを受 け ま し た。 何 の た め の好 古館 なの か。 こ うい う こ とが あ った の です が 、約 二時 間 ほ ど し か この町 の公 民館 でや って い ない とい う 情 報 を聞 い て い ま した の で 、 四月∼ 六 月 にそ うい う調 べ をや り六月 に こ この町 の 区長 さん に好 古館 で あ らた めて文 書 のお 披 露 目をや りませ ん か 、 と飛 び込 み で頼 み ま した。 そ の時 訴 え ま した の が 、 ただ展 示 をす るだ けで は な く調 査 は好 古館 と村 に住 ん で い る小 ・中学 生 が総 合学 習 の一 環 と し て行 い 、そ してお 父 さん 、お 母 さん 、お じい ちゃん 、お ば あ ちゃんが子供 に教 え、 批 ノ、日脚 脚 ㊨ それ を子 供 が 聞 い て模 造紙 に絵 を描 い て cD 平成1・5年2

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ふ _ー't__ ま とめた もの を展 示 しま しょ うとい うこ とです。 ま た それ 以 外 で村 に とって非 常 - 18

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-に重要な文書 については、好 古館 と市 史 編纂室 と古老 の方 と一緒 に選 んで展示 に プ ラス しま しょ う、 とい う発想 で ご相談 に行 きま した。 最初 は食 わず嫌 いだ と思 うのです が、 そ の時、区長 さんか ら 「私 の町 は他 の町 と比べて何 の変化 もない、 これ とい った お宝物 といわれ る史料 は何 もない。 だか ら今 更 こ うい う展示会 を行 うのはあま り 賛成 しない」 と言 われ ま した。最初 はそ う言 われ たのです が、一度役員会 に諮 っ てみ る とい う回答 を頂 きま した。 六月 の 時点です。 それ か ら一 ケ月ほ どた って連絡 が あ り ま した。好古館 か らの話 を役員会 で諮 っ た ところ、前年度 の区長 さんがたまたま 町有地が どれ くらいあるのか とい うこ と を法務局で色 々 と調 べ てお られ 、そのた めの史料 が非常 にた くさんあったのです が、その前 区長 さんが是非や るべ きだ と 発言 され て、そのおかげで全役員 さんが 賛成 された とい うこ とで した。 そ うい う ことで六月 に好古館 と一緒 にや りま しょ う、や らせて くだ さい とい う回答 を受 け ま した。 これが最初 のきっかけです。 私 が行 ってか らの 四月 ・五月、調べ る 中で新 聞のそ うい う記事 を見つ けなかっ た ら、恐 らくこ うい った企画 は出なか っ た と思います。 たまたま新 聞に出てお り 職 員 も兄に も行 っていない とい う状況 が 分 かったので、これ は是非や るべ きだ と、 反 対 に こち らの方か ら村 の方-話 を繋 い でい けたのだ と思います。 当然十三年度 の事業計画 ・予算 は全部決 まっていま し た。 それ を強引に次の年 の二月 にや りま しょ うとい うこ とに しま した。 二月 を選 んだのは丁度役 員 さんが替 わ られ る時だ か らです。役員 は十一人お られ るのです が丁度交代す る時期 なのです。 その時 に や ります と現役員 さんまた次の役員 さん に もその趣 旨を分 か っていただ ける とい う発想 で二月 に取 り組 んだわけです。 当然小学生 が 自分 の町の歴史 を調べ 、 掘 り起 こす とい う事業 なので、その準備 は小学校 が休 み の七 ・八月 の盆までの間 とい うこ とに しま した。残念 なが ら中学 校 につ いては、行 きたい、参加 したい け れ ど運動 クラブ に入 ってい るので練習 と か試 合 とかの関係 でなかなか参加 で きな い とい うこ とにな りま した。 です か ら参 加 はほ とん ど小 学生 です。 これ は非常 に 重要 な こ となのです が、小学生が調べ る 時ひ と りでや っては駄 目です。や は り大 き くなって社会 に入 った時、周 りとのい ろんな コ ミュニケー シ ョンを と りなが ら 生活 してい くのは当然 であ りそ うい う社 会 であ るので、ひ と りで はな くグループ を作 って も らいその 中でテーマ を 自分達 で選 んで も ら うとい うこ とに しま した。 お宮 につ いて調 べ たい人 はお宮 のグルー プ、古墳 を調 べ たい人 は古墳 の グループ とい うこ とに して、 20項 目ほ どを役員 さん と作 って小学生 に 自分 で決 めて も ら う。 そ して七 ・八月 の夏休 み に この こ と につ いて村 の 中で一番 よ く知 ってお られ る とい う方 の元-小学生 の グループが 自 分達で訪 ね に行 くわ けです。 もちろん役 員会 の方 か ら子供 が この期 間に話 を聞 き に行 くか ら十分対応 してや って欲 しい と い う話 はで きています。 そ うい う状況 を作 って一番最後 に重要 な点 は、普段私 た ちは小学生 とあま り接

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触 がないです か ら小学生 に動 いて も ら う には ど うした らいいか とい うこ とで した。 それ を効率的 に上手 く動 いて も ら うこ と は私 た ちにはなかなかで きない と思われ ま した。 その時 に考 えたのが学校 に行 っ て小 学校 の先生 に対 し、 こ うい う町 を取 り上 げて こ うい う事業 をや ります とい う こ とを伝 え、それ ぞれ の地 区担 当の先生 方 に小学生 が調 べ る 目、ま とめ る 目の全 て に来 て頂 くこ とに しま した。 それ を校 長 先生 と話 して、総合 学習 の一環 だか ら 地 区担 当の先生 も現場-行 くよ うに、 と 指示 を していただきま した。行政 ・学校 ・ 地域 の全部 がひ とつ になって調 べ上 げ、 展示 も一緒 にす る とい う風 な事業 を考 え たわけです。 これが始 ま りです。 そ うい う状況 を作 ってや って きたので す けれ ど、最初 に言 われ た のは、や は り 今 までや った こ とがない方法 だ とい うこ とです。 ま してや好古館 で こ うい うこ と を住 民 と一緒 にや る とい う事 は経験 がな いわ けです。 だか ら非 常 に反 対 され ま し た。なぜ住民 と一緒 にや って苦労 を して、 夏休 み を削 って、現地 を調 べ て、子供 と 接触 しな けれ ばな らないのか と。 休 み が 取れ ないのです。 七月 ・八月 は絶対夏休 みが とれず、年休 も消化 で きないのです。 そ うい う状況 もあ るので、非 常 に反対 さ れ ま した。 です が これ を地域 の博物館 と して定着 させ るには とにか く一番最初 に バ ン ッとひ とつ のア ドバル ー ンをあげて しま うこ とが大切 ではないか と考 えてお りま した。 よほ どの こ とで もない限 り小 野 の好古館 の名 前 を覚 えていただ くとか、 また展示会 に来 ていただ くきっか けを作 る とい う発想 で強引に押 し切 りま した。 しか しただ展示会 だ けをす るのでは あ ま りに も能 がな さ過 ぎる、そ う思 った と きに も うひ とつ考 えたのが 「江戸 時代 の 村」 とい うテーマで講演会 をす る とい う こ とです。筑波大 の 田中圭一先生 の本 を 新書版 で読 んだ こ とがあったので飛 び込 みで電話 をか けて、 こ うい った 内容 で講 演会 をす るので講 師 に来 ていただ きたい、 とお願 い した ところ非常 に喜 んで来てい ただ きま した。 普通 です と大学 の先生 に 来ていただいて江戸時代 の農村集 落 は こ うい う生活 だ、 とい う内容 で終わ る と思 うのです が、 しか しこれ だ けでは村 はな かなか盛 り上 が らない と思 うのです。 そ の時 にひ とつ のポイ ン トとして考 えたの は、 これ だ け住 民全体 と学校 と行 政 を連 携 した事業 を村 が賛成 したか、賛 同 した か とい うこ とを 田中先生 の講演 の前 に区 長 か ら話 を して も ら うとい うこ とです。 これ は ものす ご く人気 があ りま した。 自分 の町 を、 自分 の歴 史 を、なぜ今 こ うい う風 に取 り組 む のか とい うこ とを 自 分 の 区長 が 自ら話 を した とい うこ とで住 民 も非 常 に感動 され ま した。 そ してそ の 後 にいわ ゆる専 門の先生方 に話 を してい ただいた とい うこ とです。住 民の世帯数 は大体 8 6世帯 で、江戸時代 の 53世帯 とほ とん ど代 わ りあ りませ ん。 人 口は約 380人 です。 この話 ばか りになって し ま うのです け ど、 も う暫 くお付 き合 い く だ さい。 阿形 町 とい うのは小野市 内の一 番南側 にあ るのです が、小野 の街 -行 っ て阿形 町 と言 って も 「阿形 町 とは どこの 市 にあ るのか」といわれ るよ うな町だ っ たのです。 ところが講演会 をや ったお か げで、阿形 町 とい うのは小野の一番南 に - 20

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-あ る町だ とい うこ とを分か っていただ く こ とがで き、 これ に も非常 に感動 され て いま した。 これ も嬉 しい話 なのです が、そ うい う 状況 で この事業 を終 えた翌年 の年度初 め に、小野 の ロー タ リー クラブか ら小野の 地域 の方 と好古館 と一緒 に地域 を選 んで 展示会 を したい との話 があ りま した。 ロ ー タ リー クラブ とい うのは町 に補助 を し た こ とがないのです。や は りロー タ リー とい うひ とつの趣 旨があ るのでそ うい う 関連 した ところには補助 を していたので す け ど、初 めての試 み と して小野 の文化 に役 立っ補助 を したい と担 当の方 が相談 に来 られ ま した。 それ な らばいいチ ャン スだ とい うことで、 この町の下 には 自然 歩道 が通 ってい るのです が、その ことと 引っ掛 けて 自然歩道 を歩 かれ る方 に も阿 形町 を知 っていただ こ うとい うこ とでそ れ に費用 を充て させ て頂 きま した。 この補助金 (全額負担) を ど うしよ う か とい うことで、役員 さん全員 に集 ま っ ていただいて内容 を検討 して選 びま した のは、村 のお寺 ・お宮 ・お墓 いわ ゆる無 縁墓 ・参 り墓 ・個人墓 、古墳 ・公 民館 か ら十三箇所選 んでそれ の各場所 に説 明板 を作 ろ うとい うこ とにな りま した。 さら に、公 民館 に町全体 の地 図 を作 り、それ に十三箇所 の説 明写真 を入れ 、また現地 に説 明板 を立てま した。公 民館 か ら十三 箇所-の距離 を 自分た ちで測 っていただ き、全体で何 キ ロ、何十分 で歩 ける案 内 地図 (A3)を作 りま した。 これ も嬉 しい話 なのです が、 当 日のオ ープ ン式 の市長 の挨拶 で小野市で最初 の 地域 づ く りの典型例 であ る と評価 を して 頂 きま した。 そ の時 にそれ だけでは能 が ない とい うこ とで、町の方 の発想 か ら十 三箇所 を歩 いていただ こ うとい うことに な りま した。 10時か らセ レモニー を始 めて終 わ るのが大体 1 1時です。歩 くの は、 1 1時か ら大体一時間半かか るので、 村 の方 々が 自分達 でお にぎ りを作 り、お にぎ りを二つ とペ ッ トボ トル なのです が、 それ を来 られ た方全員 に進 呈 して一緒 に 歩 くとい うこ とを しま した。 これ は村 の 方 の発想 です。 その費用 は全て村 が負担 して 下 さい ま した。 そ して案 内 は村 の 方 々に していただ きま した。文章 も、多 少私 も下書 きはや りま したが、最終的 に は街 の役 員 さんが全部 チ ェ ック し自分 で 直 して点検 した とい うこ とです。 公 民館 にあ る村 の全体 の地図の中に、 十三箇所 の場所 と距離 、それか らいわゆ る江戸時代 の街道 について、村 の中を通 ってい る道 で どの道 が 当時の もの と重 な るのか とい うこともカ ラーで入れ ま して、 公 民館 と好古館 に置 いています。 自然歩 道 を通 られ る方 が も し十三箇所 をまわ る とい うこ とで あれ ば、それ を 自由に持 っ てい っていただ け る とい うことです。 こ れ も三千部 作 られ ま して 自由に持 ってい ける と。 この費用 も自分 たちの町の費用 で印刷 され ています。 そ うい うことで、 小野市全体 で 6 6町 あ るのですが、非常 に話題 にな りま した。

これ は どこに行 って も同 じなのです が、 最初 は町の方 も私 の ところは何 もない、 どこにで もあ るよ うな こ とばか りで、子

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供 に教 えるよ うな こ とな ど何 もない とお っ しゃ られ ていま した。 ところが14年 度 に阿形 町の事業 をや ってか ら、実際 は 15年 の二月 です けれ ど、 よ うや く他 の 町か らも自分達 の町 もや って欲 しい と言 われ るよ うにな りま した。 と申 します の も、15年度 か ら小野の 中で町づ く り協議会 がで きたのです。 六 箇所 あ るのです け ど、その町づ く り協議 会 の 中で何 をす るか とい うこ とを役員 さ んは考 えなけれ ばい けないわ けです。 自 分達 の町の活性化 を図 る とい う時 に、好 古館 が阿形町の活性 化 を行 った、子供 ・ 大人 ・学校 ・行政 の全部 が一緒 になって 行 った、その上 自分 の ところの費用 はほ とん ど要 らない (実際阿形 町 は ウオー キ ングをや って非常 にお金 を使 われ たので す けれ ど) とい う評判 にな りま して、次 の年 か ら自分 の町 もや って欲 しい との言 われ るよ うにな りま した。 そ うい うわけ で14年度 か らず っ と毎年や っています。 そ して 、神 戸大学 の奥村教授 が小野市 史の関係 で小野へ来 られ る時 にたまたま 市史編 纂室 の方 と一緒 に好古館 へ来 られ ま し た。そ して展示 を見て、 こ うい った展示 の方法 もあ るのだな、 との評 価 を していただ きま し た。 これ も偶然 だ と思 うのです が、神 戸大学 文学部 に地域連携 セ ン ター がで きたのが平成 15年 で、そ うす る と 神 戸大学 も地域 に貢献 す る とい うこ とで地域 と連携 した何 か をす る必要 があ る とい う こ とにな りま した。好古館 で行 われ た 1 4 ・15 ・16年 の展示 を見てお られ た のです が、 16年度 に入 って小野 の好古 館 と連携 を しよ うと、声 を掛 けていただ きま した。 私 どもの所 は、私 が専任 嘱託 で、その 下に男性 の学芸員一人 、常勤嘱託 の学芸 員 が一人 、臨時 の学芸員 が一人のスタ ッ フで支 えています。 これ だ けのス タ ッフ で これ か ら毎年 地域 に取 り組 んでい くに は、夏休 みや 盆 も休 めない といった よ う な問題 があ りま した。 その時に神戸大学 との連携 の話 があったのです が、私達 に は研 究的 な問題 や 人的 な問題 もあ り、連 携 させ て いただ くこ とに よって好古館 や 小野 に非常 にプ ラスの結果 が もた らされ るだろ うと思 い大賛成 いた しま した。 それ か ら連携 を した い との 旨を市長 に 話 したのです が、その時市長 は小野か ら 少 し北 に行 った ところにあ ります 兵庫教 育大学 とい う国 立の教育専門の学校 と覚 書 を交わ したい と思 ってお り、 も う既 に

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2-話 は進 んでい るので神 戸大学 については ち ょっ と待 って欲 しい、将来 に して欲 し い、 とい うこ とをお っ しゃいま した。 し か し、私 どもの方 は神戸大学 とい う総合 大学 といろんな部 門で連携 も したい、た だ文学部だ けではな くい ろんな部 門 も一 緒 にや りたい、とい う思い もあったので、 市長 を押 し切 って神戸大学 と連携 させ て いただ きま した。 そのおかげで好古館 に 来た小学生 を指導す る時 に も神 戸大学の 連携 セ ンターの先生方 、また博 物館学 を 受講 され てい る学生 さんに博物館 学の一 環 として来ていただいて小 学生 を指導 し ていただ くとい うことがで きるよ うにな りま した。 町 も神戸大学 の先生方 が 自分達 の町 に 来て くれ た とい うこ とで非常 に誇 りを持 つ よ うにな りま した。 そ うい うこ とが全 体 のプ ラスにな り、おかげ さまで

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年 に神 戸大学 と具体的 に覚書 を結び ま した。 神 戸大学か らや って来 る費用 については 神戸大学が負担す る とい うこ とにな りま した。 それ と蓄積 され た さま ざまな学問 的内容 もこち らの方-教 えていただ ける とい うこ とにな りこのふたっ のメ リッ ト があったので非常に順調 に行 き、17・18

19年 と今年で三年 目にな ります。更新の 時期 です が も う三年 間延 ばす とい うこ と にな り、現在 来年 に向けて次 の町 に取 り 込んでい く準備 を しています。 神 戸大学 と結 んでや ってい るのです が、 14年度 にや った阿形町の時は偶然国の芸 術文化形成事業 とい う文化庁事業の補助 金利用 がで きま したので、 これ は幸 い と い うことで 申 し込 んだのです が、たまた ま当選 し補助金 をいただ きま した。 それ が 14年度か ら今年 (19年度)までず っ と 続 いています。 また通常は図録 を作 って 販売す るのです が、私 どもは町全体 にな って一緒 にや ってい るので町 と連携 して い る以上 は各世帯一冊ずつ図録 を配分す る とい うことが 当初 か らの大前提 となっ ていま した。 あ りがたい こ とにそれ につ いて文化庁 の方 は 「OKです、冊子代 は 全 て文化庁 が持 ちま しょ う」 とお っ しゃ って くだ さいま した。 なぜ な らこ うい う 事業 を全 国的 に 申請す る中で こ ういった 内容 の ものは初 めてだ と評価 していただ いたか らです。

最近 の こ とにな ります が一番感動 した こ とを話 したい と思 います。 私達 は、大 人 は 当然 と して、子供 さんが 自分 の町 を 調 べ るにあた り親 に聞いて グループ を組 んで作 品 を作 って展示会 をす る とい うこ とや 、そ うい う時間 を とってそれ に打 ち 込む とい うこ とに対 して ど う感 じたか、 とい うこ とを調べ てま とめの 目に感想 を 書いて も らい全部 図録 に収集 しま した。 それ を見 る と、「今 までお じいちゃん、お ばあちゃん、お父 さん、お母 さんか ら自 分 の町の歴 史 につ いて話 を して も らった ことは一 回 もなか ったが、 自分の町が ど んな町で江戸時代 以降の ものやそれ よ り ももっ と古 い歴 史的 な文化 を持 ってい る とい うこ とが今 回 自分 で調べて始 めて分 かった。 そ うい う町 に僕 はず っ と住 んで いたい」 とい う感想 が出てい るのです。 これ には私 も泣 けま した し、勇気付 け ら れ ま した。や っぱ りや って良かった と思

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いま した。 神戸大学の先生方 と連携 した時で も全 ての役 員 さんにア ンケー トをす る し、子 供 さんにつ いては小学生全員 に も感想 を 書いて も らいます。 これ が図録 の一番 良 い所 だ と思 うのです。 と言 うの も役員会 の時 に 「今 の高齢者 (私 も昭和十六年生 まれ なので も う高齢者 なのです が)の次 を引 き継 ぐのはあなた方 しかお られ ませ ん。 それ はその町 に とっての責任 です。 だか らそれ は何 も難 しく考 えず に、 自分 た ちが聞いて きた こ とや学 んで きた こ と をあなた方が次 の世代 に話 してや って く だ さい」 とい うことを訴 えて きたのです が、それ が小学生の感想文 を見た らや は り出て くるのです。 これ は私 た ち好古館 に とってや って きた一番 の メ リッ トだ と 思います。 勇気付 け られ た内容 だ と思 う のです。 もちろん神 戸大学 もそ うです。 それ か ら本 来です とこれ を先 に話 した か ったのです が、そ うい った事業 をや り なが らど うい う体制 でや っていたのか と Rり 1 け l ′ト中 学 /fl.に よ る 濁せ い うことです。最初 に先 ほ ど 15年度 につ いて話 しま したが、好 古館 の平面図 を見 ていただた くと、一番 下の講 堂 を二階建 てに して一 階 ・二階 を展示場 に していま す。 そ して、図の一・階 にあ る白抜 きの方 を見 ていただ くと研修 室 ・研 究室 ・作業 室 とあ ります。 これ は好古館 に歴 史博物 館 と して展示場 をプ ラス し建 て られ てい るのです。 全 て を歴 史博物館 の施設 と し て使 ってい るのではない とい うこ とです。 上図の 白抜 き部分 の作業室 ・研 究室 ・研 修室 は文化財係 の事務 室 と して使 われ て いたわ けです。 好古館 の職員 は ここにい ないのです。 どこにいたか とい うと、図 面の左側 に ち ょっ と飛 び 出 してい る とこ ろがあって これ は元 々 この講堂の玄関な のです が、 この玄関を区切 って事務 室 に していたのです。 ここに書 いてあ るよ う にその (好古館)の職 員、館長 ・学芸員 ・ 学芸員嘱託 ・臨時任用 の四人が この狭 い 所 に入 っていたのです。 元 々好 古館 と して造 られ た部屋全体 を 9月51j 小学校での党衷会 7月30口 古文.li:m査 - 24

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-文化財係 が使用 していま した。 それ はな ぜ か とい うと付 け足 しだか らです。 文化 財係 (好古館)。かっ こですか ら文化財係 の主幹 が人事権 か ら財政面 の全 てにおい て力 を持 ってい るのです。好古館 に行 っ て年 間予算 を決 める時 に ど うしてい るの か と聞 くと、文化財係 の主幹 が全部や っ てお り、 自分達 は後 で報告 を も ら うだ け だ とい う回答 を受 けま した。 こ うい う状 況 なのです。せ っか く好古館 の活性化 を 図 って欲 しい と言 われ て もこれ では何 も できないのです。 よ うや く 14年度 か ら地域展 をや りだ したのに体制 は過去 のままだったわ けで す。 これ ではたま らない、 とい うことで 14年度末 に市長 に、い ろんな提案 を持 って きま した。最初 は好古館 を市長部局 に して教育委員会 の管轄 か らはず して欲 しい、 とい った もので した。 これ は教育 長抜 きです。私個人が独 断で市長 の元-相談 に行 きま した。その時に市長 か ら 「そ れ は良い、それで行 こ う」 とい う返事 を いただ きま した。 ところが年度末 に行 わ れ る次年度 にか けての ヒア リングの時 に 教育長 に呼 ばれ て、市長 に相談 した 「文 化財課 か ら独 立 して市長部 局 に移 り好古 館 を頭 にす る」 とい う内容 につ いて 「教 育委員会 か らはずす の を待 って欲 しい。 何 とか館長 の思 うよ うな格好 にす るか ら 市長部局 に移行す る とい う考 えは降 ろ し て欲 しい」 と言われ ま した。 そ こで教育委員会 の教育長 か ら提案 さ れ、 15年度 になって説得 され てで きた のが 「教育委員会生涯学習課好古館 」で す。 そ して好古館 の下 に文化財係 があ り ます。組織 はあ くまで も好 古館 が頭 だ と い うこ とで鞍替 えを しま した。 そのおか げで嘱託 です けれ ど人事査 定か ら人事考 査 ・予算 な ど全部館長 がや るよ うにな り ま した。普通嘱託 はそ うい う権 限がない のです が、それ をや らせ て も らっていま す。 そ して文化財係 も要求 を挙 げ、それ を一緒 に上-上 げて行 きます。 それ がで きて この研 究室等 を文化財係 も含 んだ好 古館全体 の部屋 に して しまお うとい うこ とにな りま した。 作業室等 に も考古資料等 い ろんな もの があったのです が、それ は移せ ないので、 それ な らば市長 に談判 して予算 をも らい 収蔵庫 を造 って も らお うとい うことに し ま した。 この小野小学校 には新 しい講 堂 があ るのです が、二月末 に約 二千万いた だいて、その講 堂 に上 が る階段 の下の踊 り場 に、収蔵庫 を作 り考古史料 と博物館 史料 を入れ ま した。 15年度 に市史が全 部終 わ り、それ を行政 史料 として どこ-移 管す るか とい うこ とが非 常に問題 にな りま して、私 もそのメンバー に入 ってい たのです が、図書館 に置いて も専門家 は いない し公 開 もで きない。 専 門家 がいて 施設 さえで きれ ば公 開 して、いっ で も市 民 に見ていただ ける状況 にできる とい う こ とで最 終的 に好 古館 が全 て引き取 りま した。 その代 わ り、収蔵庫 を造 って欲 しい と い うことで、今現在新 しい小野小学校 の 講堂の一 階の床 下が空間 になってお り、 柱 なんか あ りませ んので、それ を間仕切 りに して収蔵庫 に しています。 です か ら 市民 と一緒 にや るよ うな事業 も行 ないま す が、それ に応 え られ るよ うな体制 も当 然必要だ と思 うのです。好古館 として、

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博物館 として動 きやす い体制 をつ くる。 今 までの通 り (好古館 ) で は何 もで きま せ ん。権 限が何 もない状 況 で は身動 き も で きない とい うこ とで、 この体制 を

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年度 に変 えていただ き非 常 に動 きやす く なっています。 今 は も う何 かあれ ば市長 の ところに相 談 に行 くのです が、非 常 に動 きやす くな りま した。職 員 に とって は一番 の メ リッ トです。 この括弧書 きの好 古館 の時 は正 職 の学芸員 は一人 で あ とは嘱託 の もので した。 そ うす る と文化財係 とは勤務体制 が違 って きます。文化財係 は行政 なので 土 日が休 みです が、好古館 の方 は土 日出 勤 です。 交代すれ ばいいのです け ど、正 職 がひ と り、臨時が一人 、嘱託 が一人 の 三人 しかいないので、 これ ではや ってい けないのです。 そ うい った こ ともあった ので、 とにか く体制 を変 えて しまお うと い うこ とにな りま した。好古館 ひ とつ に すれ ば、出勤体制 も今 まで文化財係 にい た職 員 と全体 で コマ 回 しを してで きるよ うにな るので、 よ うや く好 古館 ・歴 史系 の博物館 の職員 も何 とか年休 を取れ るよ うにな りま した。 私 は こ うい う地方展 をや っています が この体制 をひ っ く り返 さなか った ら恐 ら く続 かなか った と思 うのです。や は り上 司がいて人事権 か ら財 政権 を握 っていま す。 こち らは館長 として、お伺 い した上 でない と何 もで きないのです。 これ では や は り何 もで きない、 とい うこ とで変 え たのが非 常 に良か った と思 うわ けです。 それ か ら博物館 とか 史料館 とか非常 にい ろんな ものがあ ります が、予算等 の権 限 を握れ る体制 は最初 に作 らね ばな らない と思います。途 中で変 えよ うと思 って も、 史料館 ・博物館 が よほ どの実績 を上 げて 市長 の評価 をあげた上でない とで きない と思 うので、 これ は非常 に困難 なわ けで す。そ この所 が非常に難 しい と感 じます。 おかげで 15年度 に強 引です が こ うい った形 に体制 も改善 しま した。神 戸大学 さん との連携 に関 して も恐 らく前 の体制 で した ら括弧付 きです か ら勝手 に こ うし たい、 これ だ け予算 が欲 しい、だ とか要 求 で きなか った と思 うのです。 それ を変 えて しま ったので神 戸大学 との連携 もで きた とい うことだ と思います。

も う余 り時間 もな くなって この話 ばか りで 申 し訳 ないのです けれ ど、 14年度 につ い て は企 画 展 (D 「わ た した ちの ま ち ・阿形 」 をや りま した。 これ が最初 で す。 それ か ら 15年度 になって 「わた し た ちのま ち ・中番」をや りま した。 それ か ら 16年度 にな る と、 この二年 間の地 域展 の実績 が非常 に反応 も良かったので 特別展 で持 ってい こ うとい うこ とにな り、 企画展 か ら特別展 に変 えま した。大体一 カ月半 とい うこ とで16年度 か ら現在 ま で春 か秋 に、現在 は秋 にや っています が、 特別展 をす るよ うにな りま した。 それ か らも うひ とつ 目玉 に してお ります のは、 16年度 をち ょっ と見ていただ きたい と 思 うのです けれ ど、 16年度 の企画展 の 中で①② 、これ を新 たに立 ち上げま した。 地域展 がそ ろそ ろ定着 して きたので好 古 館 とい うのは市 民のためにあるのだ、新 たに市民 にがんば って も らお う、 とい う - 2 6

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-ことで地域展 と同 じよ うな内容 で立 ち上 げたのが 16年度 の企画展① 「市民が考 えた企画展」です。 これ の中心 は小野 の歴 史 を知 る会 のメ ンバー の方 々です。 その方 々に 『橋 と池 の歴 史 と写真 展』、翌年 の 17年度 には 『拓本 で見 る隠れ た小野 の史跡』 をや っ て もらいま した。それか らも う一本 は 「小 学生が考 えた企画展」で、 これ も 16年 度 か ら立 ち上げています。今 までは地域 と好古館 で地域展 をや っていま した。今 小 学 校 で は総 合 学 習 とい う年 間 百 時 間 (現在 は五十時間に減 ったみたいです け れ ど) の授 業があるのです が、その授 業 の中で特徴 ある学校 を 目指 して各学校 が い ろい ろや ってお られ ます。 その三年 か ら五年 の間にや って こられ た こ とについ て、市民全体 にその小学校 でや って きた こと、特徴 ある小学校 で あ る とい うこ と を見知 っていただ くとい う企画展 があっ て もいいのではないか とい うこ とにな り ま した。 それで最初 にある小学校 に行 き、『水辺 の楽校展』 の構想 を持 ち込み ま した。 学 校 のす ぐ横 に小川 が流れ てい るのです け ど、そ こに県の河川課 が水辺 を作 って鯉 とか蛍 とかい ろんな もの を蘇 らせ る事業 をや ってい るのです。 それ を小学生が生 物 の先生の指導 で、 この川 には何 がい る か と、いろんな調べ をや ってい るのです。 それ を水辺 の楽校 と呼んでいます。 その 実績 を市民 に広 く公 開 し、冊子 は好古館 が作 り、小学校 1年生か ら6年 生の全体 の写真 を撮 り、 これ も好古館 で撮 って、 それ を冊子 の表紙 に使 うこ とに しま した。 中身 につ いて は先生方 が小学生 と一緒 に三年 か ら五年 の間 に総合学習でや って きた作 品 を出 し、 自分達独 自で好古館 に きて展示 を して頂 く承諾 を得 ま した。 そ こで、始 めてひ とつ の小学校 が 自分達 で 考 えた企画展 にな ります とい う話 を させ て頂 き、学校側 も賛 同 して頂 けま したの で、そ うい うこ とで始 めま した。 その時 に、 これ もひ とつ のポイ ン トです けれ ど も、県が河川事業 と して改修 し、蘇 らせ た川 を使 って学校 が学習 してい るので、 冊子作 りにつ いては県の河川課 か ら補助 をも らお うとい うこ とにな り、相談 に行 きま した。 「実 はお宅 が管轄 され る河川 を小学校 は こ うい う風 に非 常 に喜 んで使 ってお ら れ 、 これ は県 の PRに もな る」 と河川課 の県民局 に持 ちか けま した。河川課 は補 助 についてなかなか判 断 をす ることがで きなか ったので、本庁 の河川課 に交渉 し て くれ て、約 二十ペー ジの冊子 にかか る 費用全額分 の補助金 を もらいま した。私 どもの好古館 の展示会費用 とい うのは年 間五百万 しか あ りませ ん。 た ったの五百 万です。 五 百万 しかないが ど うして もこ れ だけは費用 が要 る、 とい う時 はい ろん な こ とにか こつ けて、今 み たいに 「水辺 の楽校 を県 が してい るか ら県の補助金 を も らえないか」 と相 談 に行 きます。 大体 成功 しています。 また、神 戸大学 とのい ろんな連携 を し てや ってい くには これ だ けの費用 が必要 です と、市長 に直談判 に行 きます。 市民 と一緒 に事業 をや ります 、ある地 区の市 民が参加 し、共 同で事業 を行 な う説 明 を すれ ば、今 までの実績 か ら承諾 を得て き ま した。 しか し、何 回 も市長 との直談判

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は財政課 の方 か らよ く思 われ ていないの が実状です。 最近財 政 ヒア リングで財 政課 か ら 「館 長 、 こんな ものはいい」 と言 われ るので す。 ま あ押 しか けてい きます が。非 常 に 今予算 が厳 しいです か らそれ ぐらい しな い と予算 とい うのはなかなか取れ ないの です。 小野 の市長 は民間 出身 です。非常 にシ ビアです。 実績 を上 げない と予算 は つ け られ ない と言 うのです。極端 です け どそれ くらい割 り切 ってお られ ます。 で す か ら逆 に言 えば、実績 さえ上 げれ ば予 算 を くれ るわ けで、好古館 には非 常 にプ ラスなのです。 市民 と常 に一緒 にや る し バ ックに市民がつ いてい るので こんな強 み はない と思います。 表 を見 ていただいた らいいのです が、 14年度 か ら入館者全体 が右肩上 が りで す。入館者数 の こ とはあま り言 いた くな いのです けれ ど、 しか し市長 に訴 えるに は これ が非常 に有効 なのです。 学芸 員 は 入館者 が増 えた ど うの こ うの とカ ウン ト す るの を非常に嫌 います。 しか し私 は館 長 です か ら割 り切 りま した。館 長 の仕事 とい うのは二つ しかあ りませ ん。 まず 人 事 と して職員 を増やす こ と、それ か ら予 算 を取 るこ と。 これ がで きない様 な館長 は辞 めた らいいのです。館 長 とは言 えま せ ん。私 はそ う思 ってい るのです。 それ ぐらいの覚悟 で 当た らない となかなか市 民に応 えていただけませ ん。 え らそ うな事 ばか り言 って本 当に 申 し 訳 ないのです けれ ど、や は りそれ ぐらい の気持 ちでや っていかない と岡 山市の よ うな七十万人 の市 と違 い ま して高 々五 万 人 の市です。 好古館 は国の重要文化財 ・ 県指 定等 は展示 で きない欠 陥のあ る施設 であ り、 しか も予算 が少 ないのです。 こ うい った 中で、入館者数 は人 口の一割 で した ら簡 単です け ども、二割 か ら二割 五 分 ぐらいまで維持 しなが ら毎年や ってい くには ど うした らよいか と考 えています。 や は り一番 、判 断す る基準、 とい うの は 数字 です。 い くら市民か ら良い もの を寄 贈 していただいて 「これ ぐらいの重要 な ものです 」 と言 って も 「あ あそ うか、重 要性 はわか る」と言 う程度 なのです。や は りそれ に反応 す る結果 が出ない となか なか評価 は していただけませ ん。 学芸員 と市民 の方 々には私 の考 えにつ いての反発 はい くらで もあ ります。 これ も止む を得 ないです。 それ か ら一番 上 の 表 につ きま して は、 11年度 か らいわ ゆ る小学生 ・中学生 の子供 さんが どれ ぐら い入館 され てい るか とい うことを表 して います。 これ をず っ と見ていただ けた ら いいか と思 うのです け ど、例 えば 13年 度 は 6233人 の内いわ ゆるココロンカ ー ド、 これ は小学校 中学校 無料 の制度 が 兵庫県 にあ るのです が、その無料 で来 て いただいてい る人数 が2674人。 それ と比べ て一番 下 の表 の 18 ・19年度 を 見ていただ きたい と思 います。 19年度 二月末現在 の数字 を言 います ので入れ て いただ きたいのです が、 19年度 の二 月 末の個人が 3618人、団体が 1634人、合 計 5252人 にな ります。 好古館 は、小野小学校 の校 内の一角 に あ ります。 小野小学校 は1年 か ら6年 ま での生徒 は大体800人 くらいです。 そ の生徒 が3時 ごろに帰 るのです が、18 年度 にな ってか ら4時 ごろにな る と大体 -

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