尚絅ブランドに見るキリスト教精神について (特集 尚絅とキリスト教)
著者 田所 義郎
雑誌名 尚絅学院大学紀要
号 79
ページ 9‑12
発行年 2020‑07‑31
URL http://doi.org/10.24511/00000474
中に存在するという事実こそが、神に必要とされ、選ばれ、用いられていることの証拠なのだ。
歴史の中で働かれる神が、尚絅学院の今を、そして未来を、どのように導いてくださるのか、
私たちは知ることはできない。唯一知り得ることは、「尚絅学院を導かれる神は愛である」と いうことだ。その愛を信頼し、その愛に依り頼み、今与えられている使命を精一杯に果たすこ とこそが、尚絅学院の新しい歴史を作り出すことになる。そしてその歴史の中で、愛の神は尚 絅学院を導くために、まどろむことなく働き続けておられるのだ。
尚絅ブランドに見るキリスト教精神について
尚絅学院宗教主任 田 所 義 郎
今回、「尚絅とキリスト教」というテーマでエッセイの依頼を受け、何を書くか非常に悩み ました。「尚絅とキリスト教」という場合、やはりミード宣教師やブゼル宣教師など学校の創 設者たちの働きなどがまず思い浮かびます。これはそれほどに創設者たちの働きや実現しよう とした建学の精神が強烈な印象を持っていることを反映していると考えられます。しかし、「尚 絅とキリスト教」について語られるときに、その話題のフォーカスが過去にばかり向けられる のであるとすればいささか寂しい思いをさせられます。そのような思いから今回は現在に視座 を定め、エッセイの執筆を試みたいと思いました。
現在の尚絅を知る一つの手がかりになるものとして 2018 年度に発表された「Passion With Mission 熱い心、響かせる」というブランディングコンセプトがあります。ブランディングの 基本は、まず自己分析から始まると言われています。この自己分析は、学校側の自己イメージ はもちろん、学生・卒業生、地域が持つ尚絅に対するイメージをも含めて分析された結果です。
今回のエッセイにおいては、このブランドコンセプトから現在の尚絅とキリスト教について考 察し、現在の尚絅にもキリスト教のかぐわしい香りが放たれていることを読み取りたいと願い ます。
本題に入る前に、「尚絅」という校名にまつわる興味深いエピソードを紹介したいと思います。
『尚絅女学院 100 年史』によると当時、婦人宣教師たちに日本語を教えていた久保寺豊太郎が『中 庸』の「衣錦尚絅」をもって「尚絅女学会」と名付けたとあります。その後、仙台にやって来 たブゼル宣教師はこの校名について「文字は難しいが意味は立派だ」と言って聖書のペテロの 手紙一3章3、4節を示して「この意味を以て学校の精神とすべきである」と熱心に主張した ことが記されています。『尚絅女学院 100 年史』では、特筆すべきこととして、もともと「衣 錦尚絅」は婦人の徳についての教えではありませんでしたが、ブゼル宣教師によって婦人たち への教えを説いたペテロの手紙一3章3、4節からの裏打ちをされたことによって女子教育を 支える理念を持った校名にバージョンアップされたことが語られています。
私はこのエピソードを知り、聖書からの裏付けが後からなされたという点に驚かされました
(当時、広く「衣錦尚絅」とこの聖書の箇所が並べて理解されていたのではないかという指摘 もある)。今回、大学から出されたブランドコンセプトには、「衣錦尚絅」同様にキリスト教に 直接関わる言葉は使用されていません。私はここに重要なポイントが隠されているように思え
てなりません。それは、かつてブゼル宣教師が既に定められた尚絅という校名の中に聖書の教 えを見出し、新たな教育理念を生み出したように、現在の尚絅を象徴的に表すブランドコンセ プトにも、その中に込められているキリスト教的精神を見出し、新たに学校を支える理念を生 み出していくことが出来るのではないかと考えたからです。
そこでまず最初にブランディングという行為そのものについて考えてみたいと思います。ブ ランドの語源は、家畜などに押した焼き印(burned)だとされます。自分の家畜を焼き印によっ て他者のものと差別化することに由来しています。それは、まさに自分の生産物のすばらしさ を消費者の心に焼き付ける行為だともいえます。聖書のガラテヤの信徒への手紙には、パウロ が語った言葉としてその6章 17 節に「わたしは主イエス・キリストの焼き印を受けているの です」という言葉が記されています。この時、焼き印という意味で使われている言葉はスティ グマタ(スティグマの複数形)というギリシア語です。一般的にスティグマというと烙印、不 名誉、汚名、恥辱、レッテルを意味する言葉として用いられています。初代教会の時代におい ては、イエスの十字架の死、その受難によって、私たちの罪の代価が支払われ、私たちの罪が 完全に赦されたと信じることは、他の人々からすると馬鹿げた話、戯言のように考えられてい ました。当時は、旧約聖書の律法を忠実に守ることが救いの条件であり、ただ信仰のみによっ て救われるなどという主張は多くの人々にとっては受け入れることの出来るものではありませ んでした。よって、そのような主張を宣べ伝えようとしたパウロは行く先々で迫害を受け(Ⅱ コリント 11 章 23 節など)、その体には多くの傷があったと言われています。しかし、この傷、
スティグマこそがパウロにとって、主イエス・キリストから受けた焼き印であり、自らのアイ デンティティーそのものだったのです。
私たちの学校の歴史に関わる先達たちの苦労も同様なものであったと言えます。仙台に最初 にやって来た宣教師である P・T・ポートがキリスト教講演会を行った際には、大勢の僧侶が 終始やじり、大声をあげて、あらん限りの妨害をしました(1882 年)。また仙台に最初に定住 した宣教師である E・H・ジョンズも日本にこの頃普及した超国家主義の影響により、外国人 の話を聞くことを拒否され、過度の批判的精神が広がっており(1890 年)、政界も教育界もわ れわれとその宗教が秩序を乱す一番の原因だと非難し、われわれの集会は嘲笑され、妨害され たと報告しています(1892 年)。
一般的なブランディングとは、顧客からの支持や評価を高めることにより、自らの企業価値 を高めたり、競争力をつけることと考えられますが、キリスト教的に考えるならば、イエスが 十字架上で人々のために死なれたように、自己犠牲の精神、自分の利益については顧みずに他 者のために進んで損をすることであると言えるかもしれません。「十字架の言葉は、滅んでい く者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(Ⅰコリント1章 18 節)と聖書にもあるように、一般的なブランディングの発想とキリスト教的なスティグマ の間には、明確な緊張関係が存在しています。それは尚絅が自らのブランド価値を高めようと するときに、また尚絅が尚絅らしくあろうとすればするほどに、世間的にみるならば愚かとも 思われる道を選ぶことが避けられないというパラドクッスです。
それは、尚絅学院大学のブランディングコンセプトに Passion という言葉が使われているこ とにも表れているかもしれません。Passion とは、非常に力強い意味を持つ言葉です。英英辞 典によると Passion とは、何かに必要とされる以上のエネルギーを注ぐこと。また Passion は 単なる熱狂(enthusiasm)や興奮(excitement)以上のものであり、それは具体的な行動を伴
い、その人の心、精神、身体、魂を最大限に注ぎ込む大志(ambition)であると説明されてい ます。この定義からは、聖書の「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」(ルカによる福音 書 10 章 27 節)という言葉が想起されます。これはイエスが聖書の中で最も重要な掟として示 された言葉です。尚絅学院大学ではブランドコンセプトの Passion with Mission に、「熱い心、
響かせる」というキャッチフレーズが添えられています。私は、宗教主任として、第一にこの
「熱い心」というフレーズにルカによる福音 10 章 27 節に示された神と人を熱心に愛する情熱 の意味が込められていることを読み取りたいと思います。
また、Passion は一般的には上記のような情熱や愛情の意味で認識されていることが多いと 思いますが、しかし今一つ見出したい意味があります。それはご存じのように、キリスト教に おいては、何よりも大切な事柄がこの Passion という言葉によって表現されるということです。
それは、キリストの受難、キリスト教の救いの象徴である十字架を指し示す言葉であるという ことです。十字架とは、神がその独り子を犠牲にして表された人間に対する愛の象徴でありま す。しかし、この十字架にかかった主イエスを見て人々は罵り、唾を吐きかけて辱めました。
先ほど、一般的なブランディングの発想とキリスト教的なスティグマの間には、明確な緊張関 係、パラドックスが存在すると述べさせていただきましたが、Passion には、非常に能動的で 力強いイメージがあるのと同時に、そこにはすべての人のために命を捨てるキリストの愛、聖 書の言葉で言うならば「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、
わたしに従いなさい。」(マタイによる福音書 16 章 24 節)にあるように、誰もが避けて取り組 もうとしないことを、進んで背負って行う精神という第二の意味があることをしっかりと受け 取らねばならないでしょう。
(例えば、宣教師たちが当時日本では軽んじられていた女子教育に志を見出すなど)。さらに 言うならば Passion という言葉はそもそも 1200 年頃にキリストの死の意味で用いられたのが 始まりで、このキリストに倣うという意味抜きには語れないものであるのです。
ここまで尚絅のブランドコンセプトにある Passion という言葉がいかにキリスト教精神の上 に創設された尚絅にとって意義深い言葉であるかを見て参りましたが、この Passion がさらに with Mission という形容詞用法の句によって修飾されていることにも注目してみたいと思いま す。Mission は一般的には任務、使命という意味で認識されていることが多いと思います。そ の語源を調べてみますと、最初は 1590 年代にイエズス会の宣教団(ラテン語では missionem)
を示す語、また彼らを送り出し派遣するという意味で使われたのが始まりであることが分かり ます。その後、政治・商業などの外交使節団についても使われるようになり、最終的には個人 の人生における召命、その人が果たすべき任務へと送り出されるという意味で使われるように なって行きました。よって Mission という言葉に最もふさわしい聖書の箇所は、「わたしは天 と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子 にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことを すべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マ タイによる福音書 28 章 18 ~ 20 節)でしょう。かつてこの聖書の言葉に励まされ、多くの宣 教師たちが世界の各地へと派遣されていきました。私たちの尚絅の歴史もこの Mission によっ て始まったのです。最初、極東と呼ばれる日本の最も貧しいとされる東北の地を目指してやっ て来た宣教師ら(ポート宣教師は、プロテスタントの宣教師としては最初に仙台で伝道を行っ
た人物、ジョンズ宣教師は、仙台に初めて定住した宣教師、その息子は東北で生まれた初めて の外国人とされている)がおりました。そして、仙台において最初のプロテスタント教会であ る仙台第一浸礼教会(現・仙台ホサナ教会)が 1880 年 10 月 10 日に設立され、この教会を拠 点に女性宣教師らが活動し、キリスト教を基盤とした信仰共同体に近い私塾を始め、ここに尚 絅の萌芽が見られます。この Mission の宣教という意味をしっかり私たちが受け取ったときに 見えて来ることがあると思います。それは私たちの学校は、Mission という意味においては、
仙台において最も古い血統(仙台における元祖プロテスタント)に属し、まさにそれはブラン ドと言える私たちの大きな誇りとなるということです。
蛇足になりますが、最初とか二番煎じとかということはキリスト教においては本質的な事柄 ではありませんが、宣教師たちの報告書には、「メソジスト派が活動開始。組合協会の活動も 始まっている。」や「他の教派には豊かな宣教師や教育機関があり、大きな成果をあげている。
われわれにおいても教育施設の増加と改善を期待する。」などの報告から宣教師たちが他教派 の活動について相当意識していたことを垣間見ることが出来ます。宣教師たちは自分たちがそ の地域で最初に教会を設立するのだという意気込みを持っていたのではないでしょうか(日本 語訳聖書の発行についても同じような様子が垣間見られます。日本初の日本語訳聖書発行を成 し遂げた栄冠を手にしたのもバプテスト派の J・ゴーブル宣教師でした)。ちなみに東北学院 や宮城学院は尚絅よりも学校としては数年歴史が古いものの、教会について言えば 1881 年5 月1日とバプテスト派よりも半年遅れての設立に甘んじています。宣教師の働きについて語る 上では馴染まない表現になりますが、私たちの先達たちも Passion with Mission の精神に生き、
結果としてある種の競争力を与えられていたと言うことが出来るのかも知れません。
また Mission について聖書には「良い知らせ(福音)を告げ知らせる人の足は、なんと美し いことか」(イザヤ書 52 章7節)という言葉があります。主イエスが十字架にかかる前日に、
高価な香油をもって主イエスの足を洗ったマリアの話は有名ですが(讃美歌にもなっている)、
この際に主イエスは、マリアに対して「わたしに良いことをしてくれた」(マルコによる福音 書 14 章7節)とおっしゃいました。実は、イザヤ書で語られている「美しい」とマルコ福音 書で語られている「良い」は同じ言葉で書かれています。そのことからここで言われる「美し い」とは外見上のことではなく、それは衣錦尚絅に通じる内面的な事柄についてが語られてい ることが分かります。尚絅ブランドに with Mission という形容がもたらせるものとは、先達 たちが築き上げてきたものへの誇りを呼び覚まし、また尚絅という校名にふさわしい美しさを 与えることであると言えるのではないでしょうか。
現在の尚絅学院大学にも創立以来のキリスト教精神が豊かに保持され、それがブランドコン セプトの中にも息づいていることに神の導きや支えがあることを信じつつ、これからも Passion with Mission の精神により尚絅ブランドが世にあって価値あるものとされていくこと を祈り求めたいと思います。