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研究活動報告 : 1999年度

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(1)

研究活動報告 : 1999年度

雑誌名 東西南北

巻 2001

ページ 158‑178

発行年 2003‑03‑20

URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003634/

(2)
(3)

研究活動報告︒九九九年度

BⅡ表象・文化研究系フェミニズム・ジェンダー研究会/表象研究会/シンボル文化研究会 AⅢアジア・地域研究系譲踊蘇蕊勾鵬仙憩灘廻灘胎泓蕊舗究グル︲プ/スリランカ研究フォーラム

cⅢ教育・生活研究系譲譲鋤濡譲維獅蕊獺淵剰学︲タ利用

伊罰

ご・咳

X

ぃ.画・ 皇提.宙、

L−一一一一一一一一

一や

(4)

今年度の当研究会の年度テーマは︑中国東

北︵旧満州︶研究ということにした︒新しい n現代中国研究会 nアジア研究・交流フォーラ

﹁アジア・地域研究系﹂所属プロジェクト

チームの共同の討論の場である本﹁フォーラ

ム﹂では︑次の三回の研究集会を開催した︒

第一回︵一九九九年六月二五日︶

ラヴレンティー・ソン︵アルマティ在住の

朝鮮人映像作家︶﹁旧ソ連中央アジア諸国

の社会・政治・文化的状況﹂

第二回︵一九九九年二月一九日︶

福田誠治︵都留文科大学教授︑人間発達学

科非常勤講師︶﹁ソビエト・ロシアにおけ

る民族問題と文化﹂

第三回︵二○○○年一月三一日︶

シンポジウム﹁内モンゴルー多民族の世界

から﹂

報告一・バー・ボルドー︵千葉大学大学院

テーマなので︑夏に現地調査の第一回目を

大々的に実施しようと計画したが︑諸般の事 三回のフォーラムは︑テーマや報告の内容 に応じて︑講演会︑研究会およびシンポジウ ムとそれぞれ異なる形式を取り︑それによっ 社会文化科学研究科都市研究専攻博士課 程︶/﹁ブフ︵モンゴル相撲︶文化の現代 的位相﹂ 報告二・フフバートル︵和光大学人間関係 学部非常勤講師︶/﹁エスニック・マイノ リティの標準語11内モンゴルにおけるモ ンゴル語標準語の問題﹂ 報告三・ソハーン・ゲレルト︵早稲田大学 大学院文学研究科史学専攻博士課程︶/ ﹁エヴェンキ族自治旗における諸民族の伝 統文化と教育問題﹂

情で参加者は山村・佐治の二名のみとなり︑

1・鈴木は別の形でこの調査活動を担うこと て参加者の規模や層も違っていたが︑いずれ も簡単にはふれられない︑貴重で︑なかみの 濃いものであった︒三回ともいわゆる﹁民族 問題﹂がテーマとなったのは︑企画者の関心 にもよるが︑系に属している各プロジェクト チームからの積極的な提案や参加があまりな かったことがなによりも大きかった︒﹁民族 問題﹂はこれからも重視されていかなければ ならないだろうが︑それへの認識をより深め ていくためにも︑専門分野や対象地域を異に するより多くの人びとがかかわる必要がある と思うし︑そうなってこそ﹁フォーラム﹂の 意義もより大きくなると思われる︒なお︑第 一回の講演会の記録は﹁東西南北2000﹂ に掲載されている︒︵ユヒョヂョン︶

‑ → 6 0

(5)

とした︒

ハル

八月二○日から一○日間︑大連・沈陽・吟

ピン

爾漬を回った︒

大連では満鉄・﹁満州国﹂時代の大連の地

図を片手に︑かつての町の様子を思い描きな

がら︑古い建物がどう利用されているか︑ど

ういう物が取り壊され新しい建物に変わって

いるかを確かめた︒特に旧満鉄本社︑旧満鉄

病院︑旧大和ホテルなどはそのまま市の中心

に残されており︑かつての大連の町が満鉄を

中心に形成されていたことがよく理解された︒

新潟大学柴田幹夫氏ら大連研究会の人たち

の紹介と案内で︑開放されたばかりの旅順を

訪ねた︒旅順博物館の大谷探検隊が収集した

シルクロードの週物を見学することと旅順軍

港を見ることが目的だったが︑開放されたと

は言え︑途中の道も旅順の町も警戒が厳重で︑

写真を撮ることも車から降りることも許され

なかった︒また旅順博物館は外国人禁止で︑

館内では日本語会話を自粛︒後で分かったこ

とではちょうど江沢民の旅順視察の日と重な

ったらしい︒旅順の開放ぶりを再度確かめた

いと思った︒伊藤虎丸氏の母校旅順工科大学

の跡も︑遠くから窺い知るのみであった︒ 沈陽への列車では偶然遼寧医大へ出張に赴 くという大連医大の女性教授と同席した︒九 大医学部などとも共同研究をしているという 血液学の教授で︑日本語も達者なので︑旧時 の大連のことなど話がはずんだ︒

沈陽では東北中山大学教授王桂良氏の紹介

で遼寧省桜案館の資料調査が中心となった︒

趙雲鵬館長の出迎えをうけたが︑本人は法輪

功の学習会で忙しそうだった︒夜には招待宴

を開いてくれ︑山村一人が出席することにな

った︒

いざ満鉄関係の資料を閲覧し始めると︑こ

れは見せられない︑これは整理中だと︑なか

なか思い通りに出てこなかった︒﹁満州国﹂

時代の文学関係の資料の多くは省図書館に保

存されていて︑見るべき物は少なかった︒そ

れでも桜案館出版の資料を多数購入できた︒

沈陽での最大の収穂は本学のかつての非常

勤講師孫歌氏の紹介で︑遼寧大学出版社に勤

める劉雪楓氏と知り合い︑交流したことだろ

う︒北京大学歴史系の出身で三国時代の歴史

が専門なのだが︑今では第一線の音楽評論家

として著名︒彼のアパートに招待され︑若い

文化人の自由で常に世界の最先端を見つめる 思考に触れ︑中国社会を見直す思いだった︒ まだごく少数だろうが︑孫歌氏を含め︑こう した若手がこれからの中国をリードしていく のだろう︒

九・一八︵満州事変︶紀念館は大増築中で

参観不可︒満州事変の舞台となった北大営跡

の兵営︑張作課爆殺現場の皇姑屯なども参観

した︒

晧爾漬では吟爾濱師範大の哀国興氏の接待

を受けた︒

まず衰氏の案内で晧爾濱師範大の歴史系や

中文系の先生達と交流会を持った︒この大学

は教員養成だけではない総合大学︑学生数七

○○○人位︑教職員一九○○人︑留学生招致

や国際交流も盛ん︑日本とも北海道教育大な

ど六つの大学と姉妹校提槻をしている︒教員

の待遇改善が進んでいるとは聞いていたが︑

今年から給料が三○%位アップしたというこ

とだった︒学内の食堂で昼の招待宴︒

黒龍江省格案館は糞氏らの紹介では壁が厚

く︑一般の閲覧室で︑目録の閲覧も制限され

ており︑資料閲覧はあきらめざるを得なかっ

た︒その代わり佐治は衰氏の案内・大学の車

で女性作家粛紅の呼蘭県の旧居と記念館︑山

1 6 1 ‑

(6)

本年度発足した地域環境研究グループは︑

一︑一九七二年のローマクラブの報告書

﹁成長の限界﹂が刊行されて以来︑二七年が

経過し︑人びとの環境や資源に対する意識は

確かに変化した︒そして酸性雨︑二酸化炭素

の増加︑オゾン屑破壊︑ダイオキシン・環境

ホルモンの拡散などにたいし︑世界が一致団

結して取り組まなければならないことが認識

された︒

二︑一九九二年︑一八○余国が参加して開

催されたブラジル﹁リオデジャネイロ﹂におけ

る﹁地球サミット﹂で︑経済優先から環境重視

に向かって﹁持続可能な発展﹂命5国旨号行

ロg堅呂ョ⑦己が不可欠であるという一致に

至った︒

三︑その後一九九七年の京都会議︵COP

3︶を経て︑現在持続可能な発展をめざす ︑地域環境研究グルー 村は東北地方史の専門家張政助教授の案内で 近郊の平房にある七三一部隊罪証列品館を参 観した︒

11由云体的な活動の視点

第一︑二回目は地球環境白書やアジア環境

白書などを参考にして全体的な現状把握のた

めの会合を持った︒

第三回目からはテーマごとの発表を行なっ

た︒その場合の視点としては︑地球全体︑国

全体の方向や政策についての提言はより大き

な組織にまかせることとし︑この研究グルー

プは比較的限定された地域の環境問題︑自然︑

企業活動︑消費生活︑生活スタイル︑農業︑

環境政策︑環境教育などに焦点をあて持続可 種々の努力が世界のいろいろな地域で行なわ れている︒

という現状認識に基づき︑それら先駆的な

施策を取り上げ︑比較検討し公開していくこ

とを目的としている︒ 建国五○周年に向けて吟爾潰の町は工事だ らけで︑かなり難儀な散策ではあった︒

1は九月モスクワのアルヒーフを中心に中

能な方向への取り組みを取り上げて行くこと

にした︒その趣旨は︑一九九○年二月に出

された﹁新しいヨーロッパのためのパリ憲章﹂

にある﹁環境改善に関して市民や個人がイニ

シアチブをとりうる社会とは︑情報が十分に

提供されることが重要である︒それゆえ︑わ

れわれは︑市民の意識を高め︑政策やプロジ

ェクトの環境への影響を市民に伝えると同時

に︑環境教育を行なうものである﹂に基づく

ものである︒もとより︑直接環境教育を目指

すわけではなく︑この研究グループの研究結

果がそのための一つの資料として役立つこと

を目ざしている︒

一九九九年は﹁エネルギー﹂と﹁資源﹂を

キーワードとして選び︑例会八回︑現地視察

二回を行なった︒

研究会および現地視察の内容は以下のとお 露関係の資料︑鈴木は三月台湾・香港で日系 企業の資料の調査収集にあたった︒研究会に ついては省略する︒荏治俊彦︶

‑ I 6 2

(7)

りである︵すべて公開で行なった︶︒

・一月例会﹁日本を含むアジアの環境の現状

について﹂

発表者三浦郷子・和光大学経済学部教授

・三月例会﹁日本を含むアジアの経済活動

︵エネルギー消費︶の現状について﹂

発表者岡本典子︑武田巧・和光大学経済

学部教授 ・四月例会﹁省エネルギー︑省廃棄物を目指

すエコビジネスの動向﹂

発表者岡本喜裕・和光大学経済学部教授

・五月例会﹁自然環境と農業﹂

発表者持田恵三・和光大学名誉教授

・六月例会﹁ゼロエミッションの科学技術﹂

発表者高木要・和光大学非常勤講師

﹇七月〜八月現地視察﹈

・国内恥富士フィルム︵資源の有効利用リサ

イクル︶/七月一九日︵参加者・浦本︑持田︑

滝本︑高木︑岡本︵喜︶︑岡本︵典︶︑三浦︶

・外国皿ドイツのフライブルグ︵エネルギー

自立環境都一也/八月三一日〜九月六日︵参

加者・高木︑岡本︵喜︑岡本︵典︶︑三浦︑学

生二および他六名︶

・一○月例会 初年度の取り組みとして︑一︑三︑五月の 例会で︑基本的な現状把握をし︑四︑六︑一 ○月の例会では︑いろいろな先駆的試みの紹 介と問題点などが討議された︒環境問題は多 岐にわたり︑また多くの側面を持っている︒ それに加えて︑研究会員は経済︑人間︑人文 学部に所属し︑各々専門が異なるため︑毎回 発表される問題に議論が沸騰した︒

国内および国外における現地視察では︑や

はり強いインパクトを受けた︒いずれも経済 .ジェネレーション施設︵岡本喜裕︶︑ ソーラー施設︵三浦︶︑ エコグッズ︑都市交通︵岡本典子︶︑ パリの化学物質管理展︵高木︶ 二︑研究発表﹁有害化学物質規制の現状﹂ 発表者内田正夫・和光大学総合文化研究 所員 一二月例会﹁環境問題と自然概念︵自然観ご 発表者浦本昌紀・和光大学人間関係学部 教授 フライブルグ環境辱郁市視察報告 一︑現地視察報告会 フジフィルムーリサイクルエ場見学報告 優先から環境重視にむけてパラダイムの転換 をどのようなプロセスで実行して行くかに苦 慮する姿があった︒それらの一部は本号の論 文として公表された︒また収集した資料は今 後の本グループの活動のために保存している︒

一二月例会は一年間の活動を︑もう一度︑

原点にかえって思索する場となった︒そもそ

も人類は環境をどのようにとらえてきたか?

そして︑環境保護思想の起源を十九世紀後半

まで辿り︑改めて現在の環境問題への対策が

いかに重要であるかを認識する会となった︒

﹁発表論文﹂

岡本喜裕﹁環境志向のマーケティング﹂

﹁明大商学論叢﹂篭﹄忠.昌己

岡本喜裕﹁環境保全とエコビジネス﹂﹁和

光経済﹂篤瞭喜賓鴇閉﹄$P

持田恵三﹁自然環境と農業﹂﹁東西南北﹂

︵本号︶

内田正夫﹁︿紹介﹀シェルドン・クリムスキ

ー著﹁ホルモン・カオスー環境内分泌仮説

の科学的および社会的起源﹂︵ジョンズホ

プキンス大学出版会︑唖負邑﹂︑﹃化学史研究﹂

喝.盟温院98.

︵三浦郷子︶

l d 3 ‑

(8)

第七回フォーラム

五月二二日︵土︶

発表一︑中村誼子氏︵飽谷大学講師︶

﹁シンハラ文学の魅力﹂ スリランカ研究フォーラムは︑一九九五年

に開始して︑九九年度で四年目︵九六年度は

休会︶を迎えた︒プロジェクトの目安の年限

三年を越えて継続しているのは︑日本では情

報の得にくい地域に関する研究であること︑

日本人およびスリランカ人研究者の交流が進

行しており︑継続を強く望んでいることによ

る︒アカデミズムの世界でも大国主義的な傾

向の強い日本において︑小国スリランカの文

化︑社会をテーマとするフォーラムが四年間

も存続できたことに︑主催者である小生自身︑

少なからぬ驚きを感じている︒地道で息の長

いフォーラムでありたいと切に思う次第であ

ヂ︵︾◎

さて︑九九年度は二回のフォーラムと一回

の特別研究会を催した︒ ︑スリランカ研究フォーラム

発表二︑野口忠司氏︵シンハラ文学・言

語研究者︶

﹁シンハラ語のおもしろさ﹂

今回はシンハラ文学にかかわるお仕事をさ

れている方々から発表していただいた︒中村

禮子氏は︑﹁わたしのスリランカ﹄の筆者で

あり︑シンハラ文学﹁明日はそんなに暗くな

い﹂と﹁熱い紅茶﹂の訳者である︒ご自身の

スリランカでの生活から文学との出会いにつ

いて語っていただいた︒妻として赴いたスリ

ランカで主婦として親として過ごしたこと︑

帰国後の老人介諏が意外と自己拡大となり︑

ノンフィクション文学と接近させたことなど︑

説得力のあるお話しであった︒

野口忠司氏は︑日本におけるシンハラ語研

究の第一人者であり︑﹃シンハラ語・日本語

辞典﹂︑﹁日本語・シンハラ語辞典﹂を編纂︑

刊行しておられる︒また早くに︑日本を舞台

にしたサラッチャンドラの作品﹁亡き人﹂の

訳者で︑日本で最初のシンハラ文学の紹介者

でもある︒今回は日本語と比較しつつ︑具体 lよ弟八回フォーラム

二月一三日︵土︶

テーマ﹁スリランカ圃一外のスリランカi△

鱸騨蔑睡陽氏︵ジャーナリスト︶

サーンタシーラン・力ディルガーマル氏

︵明治学院大学講師︶

ウェズレイ・ムッタイァ氏︵社会活動家︶

今回は﹃スリランカ国外のスリランカ人﹂

というテーマのもとに三人の方々に発表して

いただいた︒ジャーナリストの綿井氏には︑

ヴィデオを用いながら︑ロンドンを初めとす

るヨーロッパ在任のタミル人コミュニティに

ついて報塵口していただいた︒カディルガーマ 例を示しながらシンハラ語表現の特徴につい て解説していただいた︒走っている自動車か ら看板が読めるようになったら中級レベルに 達しているとか︑シンハラ語はインド・ヨー ロッパ語族に属するが︑日本語と思考がにて いる点があるなど︑興味深いお話しを伺うこ とができた︒

‑ 1 6 4

(9)

九九年度の南西アジア研究会の活動成果は︑

研究成果報告会の開催︑そしてインドにおい

て第一回目のフィールドワークを実施したこ

とにある︒

研究メンバーは南アジァ︑西アジアの歴史︑

宗教︑言語︑考古に研究領域を持つ教員およ

び有志参加の学生からなり︑報告会︑フィー

ルドワーク成功に向けて積極的に自由な討論

をもった︒以下に活動概略を記す︒ ル氏は︑イギリスの植民地統治︑独立と民族 紛争など近現代史のなかでのタミル人移民に ついて報告された︒シンガポールやマレーシ アに始まり︑今や移民や離散民は欧米各地︑ オーストラリア︑インドに広がっている︒ム ッタイァ氏は︑出稼ぎという視点から︑スリ ランカのプランテーション労働力としてイン ドからタミル人が移住したこと︑一九七○年 ︑南西アジア研究会

111掬笙尽云

一九九九年四月二四日和光大学にて 代後半からはスリランカから中東への出稼ぎ が増加したことを指摘された︒今日では長期 化している内戦が国外在住者を増加させてお り︑移民と難民︑出稼ぎを区別することが困 難と思われる︒

このほか︑特別研究会として力ディルガー

マル氏の帰国を前に﹁スリランカにおける議

会制度と民主主義﹂と題してお話しいただい

﹁イラン学術調査の現場から﹂

報告者山内和也︵本学非常勤講師︶

この報告会では︑イラン考古学を専門とす

る山内和也がイラン南東部からペルシア湾に

かけて自ら踏査した地域の紹介と︑イランに

おける学術調査の動向について語った︒報告

は貴重なスライドの上映とともに始まり︑海

流の影響を受けて栄枯盛衰の運命を背負った

港湾都市遺跡︑例証の少ないユニークな墓所︑

発見したいくつかのゾロアスター教拝火神殿

チャハールタークの遺構︑キャラバン古道の

再検証などについて︑最新の調査報告の成果 た︵二○○○年二月五日︶︒カディルガーマ ル氏は一七年間にわたり日本で研究・教育に たずさわり︑本フォーラムには当初から積極 的に参加してこられた︒氏のおかげで︑スリ ランカのマイノリティとしてのタミル人の立 場からの見解を聞くことができ︑フォーラム をより深い豊かな議論の場にすることができ たと思う︒

︵澁谷利雄︶

2lインドにおけるフィールドワーク

インドにおけるフィールドワークは︑仏教

美術調査︵前田龍彦︶と西インドにおけるヒ

ンドゥー巡礼調査︵村山和之︶が実施された︒

これらの調査報告は﹁東西南北9︵豆に﹁イ

ンド調査報告﹂として成果を掲載している︒

詳しくはそちらを参照されたい︒

一○年来続けているパキスタンのバローチ

スターン州調査との関連点から見ると︑イン

ド︑パキスタン分離後に隔絶された両国間の を聞く︑またとない機会となった︒

I 6 5 ‑ ‑

(10)

ヒンドゥー・ネットワークが問題点として浮

かび上がってきたが︑今回の西インド・フィ

ールドワークでは︑インド側の最西端に位置

するかつての巡礼ルートを可能な限り︑現パ

キスタン領に近い位置までたどり直そうとい

う試みとしては画期的であったといえる︒

現地においては︑楽師調査と寺院調査にお

いて博物館の主任学芸員己ョ①普詞﹄且旨氏の

全面的な協力を得て共同作業が行なわれたこ

とは︑今後の研究活動にとって明るいきざし

となった︒

本研究会は︑二○世紀の終末を迎え︑〃国

のかたち〃が問い直される程に大きな転換期

にある日本の進路を︑近代の形成期に立って

再検討することを意図して発足した︒本年は︑

第二年目に入り︑メンバーの分担テーマを一

層具体化しながら︑充実した研究活動を進め

ることができた︒

研究活動は︑①月例研究会における分担研

究の研究報告︑②ゲスト講師を招いての特別 ︑一九世紀末を中心とする日本の進路決定

研究会︑③研究所主催のシンポジウムへの協

力︑④共同調査と各メンバーによる個別調査︑

⑤合宿研究会等︑多岐にわたった︒以下に要

点を記して︑一九九九年度の報告とする︒ 3︲1人マ後の課題

一九九九年八月︑調査期間中に高まったイ

ンド︑パキスタン国境地帯の緊張が災いして︑

我々の調査グループが目的としていたコーテ

ーシュワル︑ラクパトの二カ所に対する入域

許可が得られなかったことから︑来年度の再

調査の必要性が高まった︒これらの寺院にお

ける調査なくしては︑インドとパキスタンを

つないでいた信仰の道を再構成する試行は成

功しないであろう︒

調査で得た知見と情報から︑海を隔てて東

111月例研究会

︵各回とも和光大学文学科資料室︶

第一回︵一九九九年五月一二日︶

橋本尭︵本学人文学部教授︶﹁明清楽によ アフリカや湾岸諸国へ移民したインド人と母 国とのネットワークも念頭に入れて︑本グル ープが追求しているヒングラージ女神聖地 ︵パキスタン︑バローチスターン州︶への巡 礼の多様性を考えなくていけないことが分か ってきた︒二○○○年度の調査においては︑ さらに対象地域をアラビア海沿岸の港湾貿易 都市にまで拡大して︑聞き取りおよび︑寺院 の調査を続けていく所存である︒︵村山和之︶

る文化交流の一端﹂

第二回︵六月九日︶

佐治俊彦︵同人文学部教授︶﹁日本におけ

る唐人町の研究llその二﹂

︵同︶山村睦夫︵同経済学部教授︶﹁世紀転

換期における日本人実業者の中国認識ll

三井物産の中国進出を中心に﹂

第三回︵一○月一日︶

松永巌︵同経済学部教授︶.九世紀末長

‑ I 6 6

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21ゲスト謂師研究報告

︵七月日︑於文学科資料室︶

孫歌氏︵中国社会科学院文学研究所研究員︶

﹁近代中国における日本イメージについて﹂

近年︑近代中国における日本観・日本人イ

メージに関して鋭い歴史分析と問題提起を行

ない︑広く注目されている孫歌氏を招いて︑ 崎における﹁下層社今至の形成﹂ 第四回︵一○月二○日︶ 原田勝正︵同経済学部教授︶﹁大アジア主 義思想から﹁大東亜共栄圏﹄論へ﹂ 第五回︵二月一○日︶ 山村睦夫﹁日本企業のアジア進出とアジア

認識﹂

第六回︵一二月八日︶ 福島達夫︵同人間関係学部教授︶﹁明治国 家と地域民衆運動ll長野県立科入会地闘 争を中心に﹂ 第七回︵二○○○年二月八日︶ ユヒョヂョン︵同人間関係学部教授︶﹁二 つの世紀転換期における在露中国人︑朝鮮 人社会ll極東ロシアにおける﹁黄色人種 問題﹂の展開﹂ 研究会を行なった︒内容詳細は﹁東西南北 9つ昌所載の通りである︒報告のなかでは︑ 中国人の日本観の二重構造11政治的嫌悪の 日本論と茶・生花文化的日本論との分裂の指 摘︑言い換えると近代中国における﹁日本理 解の不在﹂の別出と︑それを越えるべく︑普 遍的知としての日本における思想資源の探求 を進めるその姿勢が︑強く印象に残った︒ 311総合文化研究所シンポジウム

﹁二つの世紀末と日本・アジア﹂参加

一九九九年度の研究所主催のシンポジウム

︵二月二七日︑於本学J301教室︶に関

しては︑本研究会において︑シンポジウムの

準備と問題提起をすることとなったが︑横浜

開港資料館研究員・伊藤泉美氏および中央大

学教授・姫田光義氏の協力を得て熱のこもっ

た議論を行なうことができた︒シンポジウム

での問題提起と討論内容に関しては﹁東西南

北︾受豆参照︒

411調査活動

本年は︑共同調査としては︑二○○○年二

月二一日〜二四日に︑大分・熊本調査を実施 した︵参加者・原田︑橋本︑福島︑佐治︑山 村︶︒大分市︵大分大学経済研究所︑同地域 産業研究所︑大分県立図書館︶︑熊本県荒尾 市︵宮崎兄弟資料館︶︑熊本市︵熊本県立図 書館︑唐人町旧跡︶にて︑資料蒐集と史跡調 査を行なった︒その他︑個別調査として︑岐 阜県︑愛知大学︑名古屋商工会議所︑京都大 学および関西地域資料センター各所︑モスク ワ国立公文書館等にて︑各自関連資料の蒐集 を行なった︒

511研究合宿

年度の研究活動を締めくくり︑次年度の研

究方針の討議のために︑二○○○年三月二○

日〜一二日に合宿研究会をもった︵於箱根静

雲荘︶︒ほぼ全メンバーの一○名の参加で︑

分担テーマに関する全員の研究報告とともに︑

共同研究の基本視角と課題についての検討を

行なった︒次年度以降の課題として︑日本の

近代国家形成過程における﹁国民﹂概念の形

成および﹁国民統合﹂の内実に関する歴史的

分析に取り組むこととした︒また︑﹁国民﹂

統合の再検討に際して︑﹁統合と隔離﹂とい う視点が提起された︒︵山村睦夫︶

1 6 7 − −

(12)

nフエミーズム・ジェンダー研究会

第一回は︑五月一二日に︑オックスフォー

ド大学ハートフォード・カレッジの田中圭子

氏による﹁広告・雑誌の中の女性11日本と

イギリスの事例から﹂と題する講演会で︑O

HPを駆使して︑女性雑誌の画像と言葉の関

係や︑男性雑誌の日英比較分析を披露された︒

雑誌の美容・ファッションページのコピーの

特徴を︑言語学の立場から詳しく分析し︑目

上の人が目下の人に何かを要請する際の語法

や︑命令文の代用としての叙述文︑依頼文の

省略形の多用や︑intelligence

等の言葉の意味の水増し化現象などが指摘さ 一九九九年度のフェミニズム・ジェンダー

研究会は︑フェミニズム・ジェンダーに関す

る研究・講演会と︑ジェンダー・フリー・ス

ペース︵仮称︶設置に向けての準備とを︑二

つの柱として活動を展開した︒

今年度の研究・講演会は︑フェミニズム・

ジェンダーとコミュニケーションに焦点を絞

り︑ゲスト講師を迎えて︑二回開催した︒

ジェンダー・フリー・スペース︵仮称︶設

置に向けての準備として︑この年度は他機関

への視察訪問︑および学内での検討会をおこ

なった︒他機関訪問は︑東海地区に的を絞り︑

れた︒

第二回は︑一一月一○日に︑長らく本学非

常勤講師を勤められた新井和子氏をお招きし︑

﹁フェミニズムから見る戸井田道三の﹁妹匡

と題するお話を伺った︒新井氏は︑ご自身の

エッセイ﹁現代の紀貫之ll戸井田道三先生﹂

と︑今福龍太﹁思考のヘルマフロディーテ﹂

含戸井田道三の本﹂2解説︶を参考文献とし

つつ︑戸井田の︿方法としての女﹀について

論じられた︒イリイチ評価等をめぐって︑司

会と論争になってしまったことなどのために︑

氏の論点を十分に展開していただけなかった

のは︑司会を勤めた井上の責任であるが︑新

井氏から︑後に﹁反省記﹂と題して︑当日お

つしやりたかった内容を詳しく文書化してい

ただき︑感謝している︒ 七月一九〜二○日に︑愛知淑徳大学ジェンダ ー・女性学研究所︑東邦学園短期大学女性自 立支援センター︑東海ジェンダー研究所を訪 問した︒

愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所は︑

一九九四年に当初五○○万円の予算で設置さ

れ︑年二回のシンポジウムとニュースレター

の発行︑図書・資料の収集︑学生相談などの

活動をしている︒学長任命の所長のほかに︑

四〜五名の運営委員が事業を企画・実行して

いるが︑専属の職員が常駐し︑図書・資料の

整理・貸出その他の事務をおこなっており︑

頼極的な活動を展開している︒

東邦学園短期大学女性自立支援センターは︑

大学での女性学関連教育と市民教育の開発と

支援を目的に︑一九九六年に東邦学園名東コ

ミュニティ・カレッジと同時に開設された︒

センター長には大学の女性教員が就任し︑事

務局員として専属スタッフが一名採用されて

いる︒コミュニティ・カレッジの女性自立支

援コース受講生が研修を受け︑センターのボ

‑ I 6 8

(13)

第一回研究会

七月二日小関和弘

九九年度第一回の研究会は︑昨年度末の会

で取り上げた﹁満鉄記録映画﹂をめぐって︑

ふたたび︑小関氏が報告を担当した︒また︑

氏の報告に先立ち︑軍隊史・鉄道史の専門家

で︑満鉄研究の第一人者である経済学部の原 ランティァ相談員に成長し︑センター事務員 とともに月二回の電話相談︵一般市民の女性 を対象︶を実施している︒私たちは︑この電 話相談も参観したが︑ひっきりなしに電話が かかり︑この電話相談が市民に信頼され︑活 用されていることが実感された︒

東海ジェンダー研究所は︑名古屋在住研究

者による﹁現代フェミニズム研究会﹂が中心

になり︑そのメンバーの一人の寄付により︑

一九九七年に全国規模の財団として認可され︑

発足した︒研究プロジェクト︑若手研究者の

育成︑入門講座・講演会・シンポジウムの開

催︑研究雑誌・ニュースレターなどの発行︑

︑表象研究会 情報収集と提供などを実施している︒

このほか︑キャンパス・セクシュアル・ハ

ラスメント全国ネットワーク東海ブロックの

メンバーと懇談したり︑東邦学園高校で開催

された第二回愛知サマーセミナーでのジェ

ンダー関係講座に参加するなど︑東海訪問は

充実した内容であった︒

一九九八年度の高知大学女性の人権委員会

訪問及び立教大学ジェンダー・フォーラム訪

問の成果と合わせ︑東海地方訪問の成果を基

に︑当研究会では︑二○○○年二月二日に学

内で懇談会を開催し︑九九年一月に大学施設

建設委員会に提出した構想を練り直すなど︑

田勝正氏に戦時下のニュース映画とプロパガ

ンダについてのコメントを頂いた︒

小関氏の報告は︑資料として用いた﹁満鉄

記録映画集﹂の資料としての性格についての

コメントから始まり︑記録映画を製作した

﹁満鉄映画製作所﹂の満鉄組織内の位置づけ

の問題に触れた後︑記録映画集に収められて 本学にジェンダー・フリー・スペースを早急 に設置する準備を重ねてきた︒けれども︑新 組織の所属先が未定との理由で︑二○○○年 二月現在︑まだ設置に至っていないのは︑ まことに残念なかぎりである︒

このほか︑当研究会では︑九九年六月二三

日に︑ボスニア・ヘルッェゴビナにおける紛

争下での女性に対する暴力についての証言の

記録ビデオヲーリング・ザ・ゴースト﹂の

上映会を実施︒また︑この年度に︑活動大写

真トーキー版三点を含む︑戦前の日本映画の

代表作品一五点の寄贈を受けたことも付記し たい︒︵井上輝子︶

いる作品の内容上の分類を示すところから始

まった︒﹁日本帝国﹂の国策に沿って﹁満洲

国﹂を讃美する作品群の他にも︑観光誘致を

狙った宣伝映画や入植者募集の宣伝映画など︑

多岐にわたる作品のあることが示され︑そう

した製作物のなかに﹁記録映画﹂として評価

の高い﹁草原バルガ﹂や﹁秘境熱河﹂などの

I 6 9 ‑

(14)

第二回研究会

一二月三日﹁トリン・ミンハ﹂ 発表者上野俊哉

発表者の上野は九九年の二月にスロヴェ

ニァの首都リュブリアナで開かれたシンポジ

ウム︑言g︲園里に参加し︑トリン︒T・ミン

ハと講演し︑一緒にラジオ番組に出演もした︒

このときのビデオがあったので︑ミンハの語

りのスタイルを知ってもらうために参加者に

見てもらった︒

ミンハの講演はそれ自体︑一種のポエトリ 作品があるのだという点を意識する必要性が 語られた︒

次に︑映画の字幕使用やトーキー/サイレ

ントの別など︑製作手法上の問題にも触れて︑

そうした﹁言語﹂表現がプロパガンダとして

どのような企図と効果を持ったものと考えら

れるかに関する見解も提示された︒

そのあと︑﹁秘境熱河﹂や﹁満洲帝国大観﹂

など︑実際の作品︵ビデオ化されたもの︶数

編を見て︑映像による大衆操作の問題や︑植

民地主義と︿観光﹀の問題等々︑出席者相互

の活発な意見交換が行なわれた︒ 1.リーディングのようであり︑自作の映像 を見せながらのワークショップにはどこか癒 し系の匂いすらする︒発表者はこのミンハの スタイルがかなり計算された︑彼女による複 数のポジショナリティーの相互移動の戦略と して選びとられたものであることを主張した︒ 彼女が提起している複数の分節︑対立の構図 は以下のようなものだ︒

表現者/分析者︵受け手︶︑フィクショ

ン/ドキュメンテーション︑第三世界/第一

世界︑詩学/政治学︑女/男⁝⁝といったも

のである︒通常は二項対立に閉じ込められて

いるこうした位置を別の文脈に開いて見せる

ような試みとして︑彼女の映像とテクストは

構築されている︒このことを確認するために︑

ミンハの作品﹁ルァサンブラージュ﹂︑﹁姓は

ヴェト︑名はナム﹂︑﹁核心を撃て﹂などを見

てもらった︒

討論に入って︑文学科の村井からは詩学と

政治学の間には峻別すべき線がないと危険と

いう意見が出されたので︑発表者はミンハと

も思想的に関係がある人類学者ジェイムズ・

クリフォードのこの件についての解釈につい

てコメントした︒文学科の小関︵現・表現文 ll1第三回研究会

三月二四日 化学科︶からはキャメラの細かい動きと独特 のモンタージュ︑編集について質問が出た︒ 発表者は﹁月が赤く満ちる時﹂から﹁機械の 目﹂についてのミンハのテクストを引用して 答えた︒

発表者はレジュメこそ用意しなかったもの

の︑かなりミンハの理論と映像そのものに突

っ込んで発表したが︑参加者の多くはミンハ

の映像についての印象批評的な感想を述べる

にとどまり︑発表者としては若干フラストレ

ーションを感じた︒

表象研究会のあり方として︑ゲストやイン

フォーマントを招いた聴き取りも大切だが︑

何よりも最近の各ディシプリンの研究動向を

お互いにフォローしあい︑そのなかから映像

をはじめとする様々な表現文化のテクストを

まずは徹底的に理論的に再文脈化するような

議論ができなければいけないと痛感した︒

ミンハの一見︑感性のうねりを活かしたよ

うな語りの背後にも強力な理論の背景がある

からである︒

‑ 1 7 0

(15)

丸山尚氏による問題提起

テーマは﹁ミニコミがはぐくんできたもの

lその意義と役割﹂

丸山氏は住民図書館館長として戦後のミニ

コミ紙の主要なもの︑貴重なものを収集して

こられた方で︑長く本学の非常勤講師として

もう一つのメディアとしてのミニコミの重要

性を説かれてきた方である︒表象研究会がド

キュメンタリーをテーマに研究活動を続けて

きて︑表現媒体としてのミニコミを視野に入

れる必要があるのではないかという意見があ

り︑丸山氏にミニコミの戦後社会での位置づ

けについてお話を願った︒氏のお話の概要は︑

大概以下の通りであった︒

ミニコミと称されるメディアは︑六○年安

保闘争の挫折から体制への異議申し立て︑市

民としての意見形成の場として登場した︒六

○年代半ば︑知識人の個人誌とく平連運動に

︑シンボル文化研究会

シンボル文化研究会は古今東西のシンボル

を︑美術史︑歴史学︑考古学︑神話学︑宗教 参加した若者たちの出すミニコミ誌がそれに 加わり︑活況を呈した︒七○年代︑それを引 き継いだ若者のカウンターカルチャー的ミニ コミが︑︿ヤングミニコミ﹀として一方の雄 であったという︒

もう一方の雄は︑六○年代後半からの反公

害運動および消費者運動のキャンペーンのメ

ディアとしてのミニコミがあった︒両方とも

当時は対決︑告発型であったため︑﹁大量の

ミニコミが紙爆弾のように︑全国の闘争現場

に舞い散った﹂

八○年代︑日本の経済成長が先進国を凌駕

するようになり︑社会体制の選択をめぐって

の対立というよりも︑環境や福祉︑高齢化対

策など生活条件の基盤整備をテーマにしたミ

ニコミが多くなっていった︒またこの頃から

主婦の活動参加が目立つようになったという︒

九○年代は︑NGO︑NPOといった国内外

学︑人類学などの学際的研究によって解明す下の四回の報告会を行なった︒

ることを目的としている︒二○○○年度は以 を問わない活動範囲を支えるミニコミ誌が飛 躍的に増加しているそうだ︒

こうしてミニコミ誌の歴史をまとめていた

だくと︑ミニコミという表現媒体が︑戦後果

たしてきた役割の重要性にあらためて気づか

されたことであった︒丸山氏の問題提起のあ

とで意見交換をおこなったが︑昨今のインタ

ーネットなどのニューメディアとこれまでミ

ニコミが果たしてきた役割との関係について

さまざまな意見がだされた︒

さいごに︑ドキュメンタリーというジャン

ルへのミニコミ表現の寄与11事実は捉える

側によって微妙にその色合いを変えるし︑伝

達する価値があるという選択をするときには

必ずある種の態度決定が行なわれているのだ

という当たり前の認識を忘れがちであること

を確認させられたことllを確認して研究会 を閉じた︒︵杉本紀子︶

I 7 1 ‑

(16)

第一回五月八日︵土︶

﹁ヒッタィトの神々の起源を求めて﹂

紺谷亮一︵本学講師︶

ヒッタィト古王国︵前一六五○年以降︶の

神々については文書が少なく︑不明な点が多

い︒今回の発表ではその解明に有益であろう

資料と︑神々の起源を探る研究の進展状況が

紹介された︒

まず︑紹介された資料とは︑古王国時代を

代表する宗教遺物であるイナンデュック遺跡

出土の大型壷である︒この壷の浮き彫りに描

かれているのは﹁聖婚﹂もしくは春を祝う新

年祭と思われ︑メソポタミアとの文化的関連

が想定される︒

次に神々の起源についてだが︑これは古王

国時代直前︑前二○○○年紀前半のいわゆる

アッシリアコロニー時代までは確実に辿るこ

とができる︒この時期のアナトリアは︑交易

を通してシリアやメソポタミアの文化的影響

をうけた︒そのことは円筒印章の図柄にメソ

ポタミア神話の影響が強く見られる点から支

持される︒しかし同時にそうしたメソポタミ

ア的図柄を改変したものも見受けられ︑この

時期にアナトリア内部で独自の神々が誕生し 第二回一○月二三日︵土︶

﹁女神考11著者による解説﹂

松村一男︵本学教授︶

著書﹁女神の神話学実平凡社︶の内容紹介︑

そしてその後の研究課題について報告した︒

課題の第一点は︑神話に描かれた女性や女

神をどのように考えるべきか︑である︒神話

は女性を真剣に考えているのだろうか︒可能

性は︑考えている︑いない︑誤って考えてい

るの三つである︒もちろんそのいずれか一つ

であるとは思えないが︑しかしどのような立

場からどのような意図で描かれているかをつ

ねに考慮すべきだと思う︒そしてその理由も

考えるべきである︒

第二点は﹁現代の女神﹂である︒ダイアナ︑

マザー・テレサ︑マドンナ︑藤原紀香らを女 はじめたことがうかがえる︒しかし他地域か らの影響については︑メソポタミアに限定す るべきではないだろう︒スズの交易によるバ ルカン半島︑黒海︑ダニューブ海などとの結 びつき︑クレタ島のクノッソスやエジプトな どとの交易の可能性もまた視野に収めるべき である︒ 第三回二月二四日︵土︶

﹁ヴェスヴィオとポンペイー火山の麓で

営まれたローマ人の生活﹂

ゥムベルト・パッパラル典ナポリ大学教授︶

ポンペイ考古学の専門家であるパッパラル

ド氏は︑ヴェスヴィオ山の噴火によって火山

礫や軽石︑熱い火山岩津によって埋没したポ

ンペイやエルコラーノといったローマ都市が

現在どのように発掘されているか︑当時の人

びとの生活や文化についてどのようなことが

分かっているかといった興味深い問題を︑豊

富なスライドを用いて紹介した︒

今から一九○○年も前の西暦七九年の大噴

火によって埋没したポンペイは︑人びとの記

憶から長く忘れ去られていたが︑一七四八年

に発掘がはじまり︑当初は財宝目当ての乱掘

も行なわれたが︑現在は慎重で科学的な発掘

が継続して行なわれている︒しかし残りやす 神というのは比較的たやすい︒しかし個化の 進む現代にあって︑女神の細分化も考慮した い︒主婦向け雑誌の表紙を飾る料理研究家を ﹁主婦の女神﹂とする神話学を夢想してみた

い︒

‑ I m

(17)

第四回二月五日︵土︶

﹁神道マンダラの世界﹂

山本ひろ子︵本学教授︶

曼陀羅は仏教︑わけての密教の産物である

が︑中世日本では本地垂通説による神仏習合

の影響下に︑神道においてもマンダラが用い いのは貴族や金持ちの大邸宅であり︑人口の 半ば近くを占めていたと思われる貧民や奴隷 の生活ぶりについては分かりにくい︒こうし た発掘の限界を弁えつつ︑古代人の文化的・ 精神的世界の再構築はされねばならない︒

nアジアの教育l研究と交流

本プロジェクトは︑一九九七年度スタート

の三年間計画で︑したがって九九年度は最終

年度である︒そこで本年度の記述に先立って︑

当初の目的と簡単な経過をかえりみ︑本共同

研究の意義を考えつつ報告しよう︒

スタート前年の二月に︑プロジェクトの

﹁趣旨﹂を掲示して︑メンバーを公募した︒

﹁趣旨﹂の主内容は二項あり︑︑アジアの発展 られるようになった︒そこから両界曼陀羅︑ 垂迩曼陀羅︑社寺参詣曼陀羅など各種のマン ダラが生み出される︒こうした過程は神々に 伝来の意味や姿の変更を迫るものであった︒ そしてこうした神観念の変革は神官よりも僧 侶によって早く着手された︒彼らの活動の拠 点となったのは︑神宮寺︑山岳寺院︑寵り堂︑ 御厨などである︒曼陀羅は平安末期に聖所に 参髄して神から啓示を受けるという神秘体験 から生み出されたらしい︒そしてこうした霊 的曼陀羅観をペースとしつつ︑鎌倉中期に神 道論として整備されたのが両部神道である︒ 途上国の﹁現況を調査・解明する﹂ことと諸 矛盾の﹁是正に力を貸す﹂具体的活動として︑ ﹁教員を目指す青年と和光大生の交流﹂をは かることである︒前者の調査研究は︑九七年 春のラオス︑カンボジアを皮切りにパプアニ ューギニア︑ネパール︑を対象に実施し︑後 者の交流は九七年度に︑ラオス教育大学学生

と和光のプロゼミ生との文通に実現した︒ 伊勢神宮の内宮を胎蔵界大日如来︑外宮が金 剛界大日如来とする両部曼陀羅もこうして編 まれていった︒

第二回以外の発表はJ104の視聴覚教室

において︑スライドやプロジェクターによる

多数の写真や図版の紹介とともに行われた

︵第二回は図書館会議室︶︒毎回︑三〜四○名

の熱心な参加者があり︑多方面からの質疑応

答も行なわれ︑充実した例会であった︒

︵松村一男︶

一九九九年度も︑この調査研究と交流の二

大領域でプロジェクトは進行した︒

一︑インドネシアの教育と社会・現地調査

年度初め二回の研究会は︑たまたま前年度

学外研究で外国にいたメンバー二人が︑研究

報告をした︒奥平康照の﹁イギリスの教育改

革の現実﹂︵四月二八日︶と︑加藤三由紀の

l 乃 一

(18)

﹁中国の幼児教育l応試型から素質型へ﹂

︵五月二六日︶である︒前者も小学校が中心

だったから︑幼少年期の教育を両面から比較

検討できた︒夏休み前に︑前年度のネパール

調査報告がまとまり小冊子化できたので︑こ

れの検討をするとともに︑本年度の調査計画

を立てた︒いくつかの国︑地域が候補に挙が

ったなかで︑インドネシアを対象とすること

が九一○月に決定した︒すでに訪れた四カ

国の東で円環を閉じる多島国であり︑四カ国

になかったイスラム国で︑東チモールに見え

るように政治・経済不安定な国などが選択理

由であった︒

二月初めに法政大学教授鈴木佑司氏に︑イ

ンドネシアの政治・社会状況についてご教示

いただくとともに︑現地JICA事務所にご

紹介頂いた︒調査の実施は二月末から三月初

めの正味九日間で︑インドネシア大学︑バン

ドンエ科大学︑インドネシア教育大学︑バリ

芸術大学︑同ホテル・旅行カレジの五大学を

訪問調査し︑他方ジャカルタ郊外のスラムに

ある小学校と︑バンドンのストリートチルド

レン施設も訪れた︒

インドネシアでは三つの教育改革が進行中 二︑﹁窓ぎわのトットちゃん﹂訳本出版・

配布のための募金活動

九九年九月に︑前年度から進行していた黒

柳徹子著﹁窓ぎわのトットちゃん﹂ラオス語

訳本ができ︑本学非常勤務講師チャンタソン

さん主宰の﹁ラオスの子どもに絵本を送る会﹂

が︑ラオスの子どもや教員志望の青少年に配

ることになった︒その資金援助とともに︑こ

れを機会に和光大学生にアジア途上国への関

心と行動を促すために︑一○月の二週間学内

で募金活動を行なった︒原価である三○○円

を寄金すると﹁あなたからの一冊がラオスの

ある子どもに届きます﹂とし︑さらに﹁東西 で︑教員の質の向上︑理数工系の教育の充実︑ 教育の地方分権である︒理数工教育に関わっ て日本から指導に派遣された人びとと会い︑ 教育援助のあり方について考えさせられたし︑ 地方分権はスカルノ以来の集権国ゆえ困難が 多い現状を見た︒経済危機が子どもの就労を 増す反面︑格差を埋める努力も行なわれてい た︒全学校階梯にイスラム学校︵生徒は一 ○%︶があるのは珍しく︑国立大学にも祈り の施設があった︒

こうして本プロジェクトは︑アジア発展途

上五ヵ国の訪問調査と︑文通指導・良訳支援

募金の二方式による学生への働きかけの二方

向で﹁研究と交流﹂を実現し︑当初計画通り

二○○○年三月に終了した︒年毎に報告小冊

子を公刊したが︑別にまとめの本をできれば

﹁東西南北﹂別冊として出そうと︑目下計

画・執筆中である︒

︵石原静子︶

南北﹄$望の石原論文﹁アジアに羽ぱたけト ットちゃん11現代子ども労働の一考察﹂コ ピーを置いて︑持ち帰って読んで考えるよう にという︑二重の〃教育的しかけを工夫し

た︒

平行して三教援会で募金袋を回し︑職員に

も事務局長を通じて依頼した︒善意の輪は望

外に幼少中高職員法人事務室にも広がり︑研

究所のシンポジウムで市民の寄金も得た︒学

生を通じて父母からも志がよせられた︒すべ

て合わせて募金総額一五万円余︑五○○人の

ラオスの子や青少年の手に﹁トットちゃんは

羽ばたいた﹂ことになる︒

‑ I "

(19)

本研究会では︑一九九九年度は日本企業と

外国企業との比較分析のための活動を行なっ

た︒外国企業の実態調査対象国を中国とした︒

一九九九年八月二四日〜八月三一日︑鈴木

岩行がアンケート調査をし︑回答を得ていた

武漢市と西安市の日中合弁企業六社を訪問し

た︒

武漢市では造船メーカー一社と電機メーヵ

ーニ社のヒアリングをした︒揚子江中流の武

漢に造船メーカーがあることは少し奇異に感

じられるが︑武漠に造船メーカーがあること

が揚子江中流までかなり大きな船舶が遡れる

証明でもある︒電機メーカーではテレビを作 n企業行動分析研究人

︑高等教育革新の実践的研

一九九九年度一年きりの共同研究である︒

最初からその計画で申請し早めに準備して予

定通り研究を進め︑成果を年度内に学内外に

公表し︑二○○○年三月にすべて終了︑解散 っているが︑いまや世界最大のテレビ生産国 となった中国では︑中国企業の技術水準もか なり向上し︑日系電気メーカーも価格競争に 巻き込まれ苦戦中とのことであった︒

西安市では観光ホテル︑重電機器メーカー︑

素材メーカー各一社のヒアリングをした︒中

国でも有数の観光地である西安では観光ホテ

ルが乱立し︑安値競争となっており︑訪問し

たホテルも経営が大変だとのことであった︒

素材メーカーでは納入した製品の代金が二年

先にしか支払われないとのことで︑中国に着

任したばかりの日本人副総経理︵副社長︶が

困惑していたのが印象的であった︒

した︒当研究所では例のない仕方で︑緊張持

続の中で集中して研究を遂行でき︑適切な時

機に成果を世に問い得る実例として︑記録・

記憶にとどめてほしいと思う︒ 九月二日〜四日︑妖冨延久と鈴木岩行が成 都市で開催された第一五回日中企業管理シン ポジウム︵日中人文社会科学交流協会企業管 理委員会と中国企業管理協会の共催︶に参加 した︒テーマは﹁非国有企業の経営改革と発 展11中小企業︑流通企業を中心として﹂で あった︒中国は社会主義体制下で流通業の発 展が妨げられていたため︑中国側はイトーョ ーカドー常務の方の発表に強い関心を寄せて いたようだ︒中国側の発表では︑現在急速に 発展している民営企業家の報告が非常に興味 深かった︒︵鈴木岩行︶

研究内容は﹁最近一○年にできた人文社会

系大学院修士課程の状況﹂を解明することで

あり︑方法は全国公私立当該研究科を対象と

するアンケートと︑その回答中から選んだ八

】 だ 一

(20)

研究科の訪問調査の二つである︒メンバーは

三学部にわたる教員七名︑九六年まで本研究

所C系にあった通称﹁入門研﹂のラスト・メ

ンバーの再集合であった︒メンバー公募とし

なかった理由は︑右の研究内容が﹁入門研﹂

の研究志向を継いで対象を大学院に広げたも

のであること︑および右の研究方法が︑九六

年までの施行で有効と判ったものの踏襲であ

るためである︒

研究目的は二つで︑第一に︑九八年一○月

の大学審議会答申が大学院拡充を提言の柱と

し︑それ以前から社会での高学歴化が進行中

で高等教育の重点が大学院へと移行しつつあ

る状況の中で︑最新の修士課程の実状を把握

したいと考えた︒第二は周知の通り和光大学

は戦後高等教育の探究をモットーとして発足

したが︑今ようやく大学院設置の気運が高ま

ってきたため︑実現に備えて現況を知り参考

事例を収集するという実際的な目的である︒

アンケートは︑旧帝大系と特殊な内容の所

を除く二二○研究科に四月発送︑五月末の回

答を求めた︒回答は一八○研究科回収率八

二%︑信頼度の高いデータとなった︒

結果と考察は︑二○○○年一月に学内で刊 行した小冊子﹁最近一○年にできた人文社会 系修士課程の状況lアンケートと訪問によ る実態調査﹂および﹁東西南北go皇所載の 石原論文﹁未来への大学院を目指してl調 査報告に基づく提言﹂に詳しいので︑参照し てほしい︒

要点のみ列挙すると︑平成に新設・大改組

の修士課程の多くは院生一○〜二○人︑単一

学部に乗る単一専攻の単純小規模で︑財政的

人的ともに学部依存が強いが︑ほとんどの科

が社会人を入れて再学習を重視し︑教育科目

を必要とするなど︑研究者養成中心だった旧

来の大学院からの変化が明らかである︒教員

の過重負担︑制度不備等の困難は多いが改善

をめざして各科努力中の様子が︑アンケート

の自由記述欄に表れていた︒

訪問調査は一○月〜一二月にメンバーが手

分けして︑関東周辺五︑関西方面三研究科に

実施した︒前述の第二目的から中小規模の私

大︑領域は教育・人文・法経・社会・国際・

人間科学にわたるようにした︒詳細はこれも

前記二文献を見てほしいが︑要点を述べると︑

社会人受け入れに伴い昼夜・夜間開講やカリ

キュラムの工夫がどの研究科にも見られ新 設・改組にあたった間に合わせでなく︑当の 学問の基本に立ち返り社会の今後を見通して の研究科づくりが可能なこと︑そうすれば当 面の経営的困難は増すが志望者を確保でき下 の学部にも良い影響を生ずるなどメリットの あることが明らかになった︒また︑推進者た ちの熱意とそれを広げる運動とが︑不可欠で

碗︸つ︵︾◎

なお︑研究成果がまとまった九九年二月

一七日に報告と討論のための研究会を学内で

開き︑多数の教職員の参加を得て右の諸結果

を共有のものとすることができた︒この研究

会は︑前述した﹁﹁九八年大学審議会答申﹂

を機に大学の今後を考える﹂全学研究会シリ

ーズの第三回で︑前の二回は九八年一二月と

九九年六月実施で︑教育学の専任教員による

答申の解説と﹁学生の学習と指導問題﹂の討

論とから成っていた︒

日本の高等教育はいま︑行政側からも現場

においても大きな変化に直面している︒現状

を明らかにすることと事実に基づいて考え合

うことは︑大学人の手で未来をひらく重要な

契機となろう︒先述の報告小冊子は︑回答研

究科全部に送っただけでなく︑大学教育学会

‑ 1 7 6

参照

関連したドキュメント

[r]

1) 定めている 2) 定めていない 3) 課題が残されている 2) 十分である 1)

1) 特に力を入れている 2) 十分である 3) 課題が残されている. ] 1) 行っている <選択肢> 2) 行っていない

〔注〕

ても情報活用の実践力を育てていくことが求められているのである︒

 本研究所は、いくつかの出版活動を行っている。「Publications of RIMS」

(注)本報告書に掲載している数値は端数を四捨五入しているため、表中の数値の合計が表に示されている合計

協⼒企業 × ・⼿順書、TBM-KY、リスクアセスメント活動において、危険箇所の抽出不⾜がある 共通 ◯