• 検索結果がありません。

女性と技術史教育(1)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "女性と技術史教育(1)"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

女性と技術史教育(1)

一原始共同体社会一

永島利 明*

は じ め に

技術史教材を研究すると,人間が作ったものであるにもかかわらず,誰れが作ったものか特定できな いものが多い。近代の欧米の発明の名前は,例えば,ハーグリヴス(1764年,紡績機の発明),ワット

(1766年,蒸気機関の改良),アークライト(1768年,水力紡績機),フルトン(1807年,蒸汽船),

スティヴンソン(1814年,汽車)等の名前は比較的よく知られている。しかし,これらの名前は例外で ある。現在の生産を支えてきた,あるいは生活を豊かにしてくれている基礎となっている技術の遺産の 多くは無名の人々の努力や工夫の積み重ねによって成立してきた。このような歴史に名の残らない人々 によって歴史が作られてきたことを理解することが歴史学習のねらいであるD。

しかし,教育に限定して考える場合,投術・家庭科は社会科のように歴史を教えることが目的ではな いために,技術史教材にあまり多くの時間を配当することはできない。技術・家庭科では歴史教材を取 り上げるのは歴史の本質を教授することが目標ではない。技術・家庭科では歴史教材を通じて,生産技 術や生活技術の本質を教えることにある。このために技術・家庭科では生産力を飛躍的に高めた技術に 特定して教えることになる。例えばモズレーの旋盤エリアス・ホウのミシン,ワットの蒸気機関な

ど生産の結節点にある技術を教えることになる2)。

この方法はひとっの大きな欠点をもっている。とりあげる技術の発明家がほとんど男性であり,女性 が技術の発達のなかでどのような役割を果してきたかということを無視してしまうことになるからであ る。技術史のなかで女性が除外されていることにっいて,ジョアン・ロスチャイルドはその意味にっい て「第一に,技術史において,女性の貢献は多かれ少なかれ度外視されてきたということだ。第二に,

生産者,再生産者としての女性の仕事一 (中略)子どもを産み育てる者,労働者,そして主婦として やっていること一や「女性の仕事」と技術の発達や変化との関係が,ふっうの本ではなおざりにしか 触れられていないことである(後略)」3)とのべている。

この研究の目標は技術の発達のなかで女性がどのような役割を果してきたかを明かにし,技術・家庭 科教育の授業で役立てることを目標にしている。

前氏族制社会

人間は労働によって自然に変化をあたえ,人間が必要とする物質を生産してきた。ながい間の労働に

*茨城大学教育学部

(2)

106      茨城大学教育学部教育研究所紀要第22号(1990)

よって手と頭を発達させ,それを世代から世代へと伝えてきた。人類が誕生した頃,原始共同体社会が 形成されていた。その頃は私有財産も搾取も階級も国家もなかった。この社会は大別して2期に分ける

ことができる4}。第1は前氏族制社会である。第2は氏族社会である。前氏族制社会ではまだ生産手段 としては道具しかなかった。道具といっても石器や棒しかなかった。これによって食物を集めたり,あ るいは猛獣から身を守った。食物は果物類や小さな鳥獣をとらえて食べた。人間は熱帯か亜熱帯の森の なかに住み,木の上にかんたんな雨を防ぐことのできる家を作って生活していた。その居住地に生活用 品がなくなると,っぎの場所に移動していた。生産は不安定で定住していなかった。労働の分業はまだ 行われていず,かんたんな共同作業がおこなわれていた。

人間が独力で自然の力や動物とたたかったり,ほかの人間集団の攻撃にたえることができず,共同で 働き,みずからを守り,食物をうるよりほかはなかった。したがって,道具も共同で使い,共同して食 事をしたので,私有財産はなかった。集団は30〜50人くらいで共同して活動していた。家族関係にっい てはマルクス主義者は乱婚したという説をとっているが,文化人類学はその証拠はないとして批判して おり定説はみられない5)。そこには搾取とか隷属とかの関係はなく,両性の平等の生活が行われていた。

火の発見,弓矢,骨製の道具が発明されて,前氏族制社会の生産力をおしすすめた。火によって,植 物や動物や魚の肉を調理することができるようになった。そうすることができるようになって,生で食 べるより多くの植物を食べることができるようになった。弓矢,骨製の道具は漁猟の発展に役立った。

そのようにして生産物の種類が増えた。火の発見により暖かさをとることができるようになって,人類 の住む範囲は比較的寒い地帯にも広がった。住むための住宅を作ることを知った。

生産力の発展によって分業も行われるようになった。っまり性別や年齢による分業がそれである。女 は植物性の食物の採取に,男は漁猟の仕事をした。年齢上からは幼年集団,児童集団,成人集団,さら に老年集団にわかれ,生産に必要な分業の集団となった。血縁家族が生まれてきた。

イスラエルからペルシヤ湾にいたるいわゆる三日月地帯が,村落社会の発展動植物の飼育・栽培,

文字の起源といった無数の発明の原郷とみられているω。栽培種の穀類と原始的な農耕技術は,栽培種 化が行われた近東から伝わった。ヨーロッパには栽培種化が可能な穀類はほとんど自生しなかった。野 菜類も同じと考えられているが,西地中海の旧石器時代の終末の遺跡には発見例がある。これは東地中 海よりはるかに原生種が存在していたことを示している。植物遺存体が出土し,正しい年代がわかる遺 跡によって,栽培種の出現地図をかくことができる。ところで,このような社会において女性は農業に おいてどのような役割を果していたのであろうか。ルイス・マンフォードはつぎのようにのべているη。

「園芸文化は,後の畑文化とは違い,顕著に,独占的といえるほど女性の仕事である。栽培は明ら かに女性の手で始まった。政治的には母権制文化ではないにしても,この文化の重点は,にもかかわ

らず母性,すなわち生命を守り育てることであった。女性はいちご類や木の根,葉,草本,r薬草』

を識別できる採取者であったが,この役割は今日にいたるまで農民の間で引き継がれ,薬草のあり場 所や,それらが鎮痛や熱さまし,傷ぐすりとしてどういうr効き目』があるかを知っているおばあさ ん(まじない師)にみられる。新石器時代の栽培化はこうした役割を拡大した」。

マンフォードが初期の野性植物の栽培化と関連技術で女性が中心的役割を果したことを認識した。そ

して彼は「生命を守り育てる」女性的特質が技術発展において重要な役割を果したことを主張して,農

業を初期に担ったのは男性であるという意見を批判した。技術史家として女性による農業の役割を認め

たのはマンフォードが最初であったが,マルクス主義者は19世紀の終わり頃にこのような考えに達して

いた。1884年にエンゲルスは「私有・家族および国家の起源」を書いて同じ意見をのべている。従って,

(3)

マルクス主義の立場に立つ著作には,性と年齢による分業にっいてつぎのような意見がみられる。

「有名なロシヤの旅行家ミクルポ・マクライは,19世紀の後半にはニューギニア人のパプア人の生 活を研究したが,かれは農業における集団的な労働過程において,つぎのように書きしるしている。

まず,数人の男が一列になって,さきのとがった棒を地中につっこみ,それから,ひとおこしで土の かたまりをほりおこす。そのあとを,女が膝でいざりながらつづく。彼女たちは棒を手にして,男が ほりおこした土をくだく。女のあとにはいろいろな年令の子どもがっづき,手で土をほぐす。土をや わらかくしたあとで,女は小さな棒で上にあなをあけ,そこに種子や植物の根をうめるのである。こ のばあい,労働は共同的なものであるが,それと同時に性別と年令別との分業が行われている8)」。

生産力が発展するにつれて,このような分業は明確になってきたものの,地域によっては男性が農業 を行うことがみられる。メキシコや北アメリカの南西部のインディアンのなかでは男たちが大部分農作 業を行った。これらの地域では漁業や狩りがそれほど重要ではなかったのである。蛋白質が農耕や自然 から簡単に得られたのであろう9)。

このような分業の傾向はまだ一部には現存している。アフリカや東南アジアの多雨森林の赤道地帯や 農耕民によってとりあげられないような場所には,なお生存している。G・クラークおよびスチュアー

ト・ピゴットは1965年にそのような例をあげている。大部分は主として植物性食糧を常食としており,

多少の違いはあるが,狩猟で食糧を補っている。彼等の多くはピグミー・ネグロイドあるいはネグリト 一である。東南アジアではマライ半島のセマン族,フィリピンのアエタ族,スマトラのクプ族,セレベ ス島のトアラ族である。アフリカではコンゴー森林でくらしているピグミーがおもなものである。

セマン族の主要な食糧は一般に女性が火で堅くした掘り棒を使って集めた塊菜,とくにヤム芋である。

そして堅果,いちご類植物の若芽のようなものも重要である。さらに男性がネズミ,リス,トリ,ト カゲ,またときには猿などの小動物を弓と毒矢,わなあるいは火で堅くした棒などを使って狩る。簡単 なわなややりを使って魚をとるには男性と女性がともに加わる。

この氏族社会では家政は女性の役割とみられていた。しかし,アメリカの人類学者,マーガレット・

ミードはニューギニアの原始民族の研究をして,女性が子どもを保育することをきらい,両性が育児に 共同責任をもっていたケースを示している1°}。彼女の書いた「男と女」は1960年以後の女性解放運動 に大きな影響をあたえた。現代社会においても母親だけが,あるいは祖母だけが子育てに熱中している 家族には母親殺し,祖母殺しがみられる。子育ては両性の共同責任ということを痛感する1D。

性的役割の分担といっても,100%女の仕事,100%男の仕事というものはなく,セマン族が簡単なわ なややりを使って魚をとるときには女も協力していたようにすべきところでは協力していた。そのほう が豊かで楽しい生活ができたからである。女性が海や川で泳ぐときには木の幹を浮きとして利用した。

そのほか水辺に自生している芦(あし)やいぐさの束(たば)を組みあわせていかだを作り,あるいは 樹皮をっなぎあわせて,樹皮船をっくることもあった。男性がこれらにのって,さおをさし,女性が泳 ぎながら後部をおして出発した12)。いかだや舟は魚をとる能率をあげようとすれば,必需品であった ら,それに女性も協力したのであろう。性的役割といっても厳守されるほどのものではなかったであろ

う。

ソビエト極東のイルクーツクの女性の墓からも日用品だけではなく,新石器時代後期の石ぞく,鈷,

植刃式短剣までが発見されている13)。これは,おそらく,女性も狩猟や漁業にたずさわっていたこと を示している。

しかし,一般的にいうと,女の仕事は植物性の食物の採取と家事が,男の仕事は狩や猟とみられた。

(4)

108      茨城大学教育学部教育研究所紀要第22号(1990)

こうした役割分担によって労働生産性はすこしずつ高まっていき,氏族性社会へと移っていった。

氏族社 会

原始共同社会の第2の時代は氏族社会であった。牧畜が芽ばえ,はじめは犬,羊,豚,鳥などの小動 物からのちには比較的大きな動物も飼いならすようになった。農業も発生し,植物の根や茎を植えたり,

さらに種子をとって,これをまくことをはじめるようになった。このような食用作物の栽培ができるよ うになった。これとならんで,道具の作り方も進歩し,石器とならんで土器も作るようになり,手工業 も始まった。

道具はまだ発達していず,農業の経験は乏しかったので,集団的な労働,生産手段の共有,生産物の 共有が続き,家屋も共同で住んでいた。氏族社会は前氏族制社会の原始人とことなって,おなじ先祖を

もち,血のっながりのあると考える人々の集団である。いくつかの世代をこえて,血縁関係のある人々 によって氏族ができた。氏族は人口が増加すると,いくつかの氏族へと別れていった。

このようにして氏族集団による部落ができた。この氏族社会では母親が血縁を同じくするうえの標準 であったこと,さらに基本的には女性が集めた植物性の食料が生活上重要であったので,母権制が発生

した。氏族社会の最初の段階で女が指導的地位を占めていたのは,当時の生活事情からきていた。きわ あて幼稚な道具をっかっておこなわれる狩りや漁は男の仕事であったが,それだけではくらしていくこ とはできなかった。狩りや漁は偶然によることが多かった。あるときは多くとれても,あるときはまっ たくとれないこともあった。このような状況のもとでは,芽ばえたばかりの栽培や動物の飼育は大切な ものであった。これらの仕事は狩りや漁とくらべると,安定して食物を供給することができた。このよ うな役割を果していたことについて「原始女性は太陽であった」という表現はまことにぴったりとして いた。その典型的なものとしてあげられているのは,前世紀のなかばまで続いていたアメリカ・インデ イアンのイロコイ族の生活である。

イロコイ族のおもな生業は,狩り,漁業,木の実の採集,それに農業であった。男女のあいだに分業 が行われていた川。狩りと漁業,武器や労働用具の製作,土地の開拓,小屋や外敵からまもるとりで やさくの建設は男の義務となっていた。特に狩猟は男の重要な仕事であった。これは戦争に必要な腕を みがく訓練として,大切な非経済的な価値をもっていただけではなく,部族の食事に必要な蛋白質と衣 服のための毛皮の供給源としての経済的な重要性をもっていた。秋の狩猟期間中,男は鹿をさがして1 ケ月あるいはそれ以上の間部落にいなかった。ほかに男の仕事として交易,カヌー造りがあった。

イロコイ族の女性は農業上で重要な役割を果たした。男は狩猟で不在となることが多かったので育児 に参加することができないことが多かった。農業は定住して行っていたので,女性は育児の責任をもっ ことになったのである。

女性が権力をもっていたイロコイ族は食物の貯えが豊かであった15)。食料の分配は年上の女性の自

由裁量にまかされていた。彼女たちは部族の会合のための食料や戦闘隊用の食料さえ増減でき,部族集

団の決定に影響力をもっていた。年上の女性はイロコイ部族連盟の最高統治機関で日本の国会のような

役割を果していた部族協議会の長老たちを指命し,また,戦争の指導と条約の締結に発言権をもってい

た。彼女たちはイロコイ部族連盟の組織の構造を示す共同長屋の管理者として,部族内部を支配し,仕

事が適切に割当てられるか,共同貯蔵物が平等に分配されているかを監督した。

(5)

ギリシヤやローマの神話のなかにも農業に関連した女神があらわれる16}。古代社会ではフィクショ ンで書きあらわすことは発達していなかったので,伝承はなんらかの事実と結びっいていた。デメテー ルはギリシヤの穀物および大地の生産物の女神であった。彼女はケレオスの子トリプトレモスに穀物栽 培の方法を教え,彼は全世界にその知識を伝えた。彼女は娘が誘拐されたため,娘をさがしまわってい るあいだに各地に彼女の行動についての伝承が残された。シキユオーンでは水車を発明したといわれた。

また,ほかでは豆,いちじく等の栽培を教え,多くの土地の彼女の神殿は彼女の滞在とその縁起をとい ている。麦の穂けし,水仙が彼女につらなる植物となっている。

デメテール信仰は紀元前13世紀のミケーネにおいてすでに確固としたものになっていた1η。デメテ 一ルはギリシアの農民に19世紀まで女神として崇拝されていた。1801年にクラークとフィリップスとい う2人のイギリス人がデメテール像をケンブリッジの博物館に持ち去ったため,農民の間で暴動が起き た。これほどまでに彼女は農業の神として信仰されていた。

氏族社会で注目すべきものに土器の出現がある。土器の製作は女性の仕事であった18)。実験考古学 によれば,この仕事が女性の役割となったのは,彼女たちの作ったっぼの方が出来がよかったからであ るという。土器の大部分は粘土をひも状にして,ぐるぐる巻き上げていく方法で製作された。その後,

自然乾燥,ついで焼成された。調理の仕事も女性の役割であったが,女子のチームはよく話し合い,良 く笑う。これらはお互に気心が知れ合うようになるから,必要なことである。しかし,このため集中力 が弱まり,生産性を低める傾向がもたらされた。農業もしだいに男性に役割が移行したのも,この点に あるかもしれない(なお,後述のように土器作りは女性の仕事ではなく専門の工人によるという説もあ

る)。

新石器時代の石器には黒曜石が使われていた。新石器時代のイタリアのプーリア地方でもこの石が使 われていた19}。その薄片は,穀物や草を刈る鎌の刃のような働きをしていた。それは古代の近東でも みられた。作物の収穫後,穀物は石の平らなひき日の上におかれ,杵(きね)でつかれた。杵は日本で はおもちをっくときに使われる大きな木で作ったハンマーのようなものである。骨から作られた針や木 地のうず巻きは,それぞれ裁縫や紡ぎ器として女性に使用された。

プーリヤ地方のパリ・デイ・コルポの遺跡からは2週間の発掘だけで4000ほどのいろいろ土器の破片 が発見された。このなかには非常に美しい容器,皿や物を洗うために使うたらい,っぼなど形,色,飾

り,地はだのすべてにおいてすばらしい多くの土器があった。プーリア地方は卓越した土器をもち,発 達したすぐれた共同体をもっていた。

世界の多くの地域で粘土で作った土器のかわりに木製および樹皮製の容器が使用されていた2n)。北 米東部のシラカバの生える土地のインディアンがカバノキで容器を作っていたことは有名である。通常 の雪線より高い地域に育つ,きれいな白い樹皮をもつシラカバの樹が選ばれる。このとき黒節病のある 皮は避けられる。適当な木をみつけたら,薄く切り取り,そこから樹皮をはぐ。さらに,何日もかけて 樹皮を平らに延ばす。長さ90cm,幅65cmの樹皮を一枚選び出して,両端と両サイドとそれぞれ20cmほど 上へ折り曲げる。こうすれば,残った底の部分は50×25cmになる。このとき,角のV字状になるたれの 部分は,容器となるものの内側に折り込む。木の針か根を使って,折り込まれたたれの部分を容器の端 に縫いつける。恵まれた女性ならば,1200〜1500個ものカバの容器をもっていたかもしれない。

こうしてごく簡単にっぎ目のない,っまり水を通さない容器ができあがる。これはサトウカエデの採

集の季節に樹皮を集めるのに便利である。このカエデ糖でアップルパイを作った。この樹皮容器に集め

た液は粘土製のっぽに入れて煮っめるか,このなかに焼いて熱した石を落としこむ。やがて粒のあらい

(6)

110      茨城大学教育学部教育研究所紀要第22号(1990)

砂糖ができる。これを貯蔵しておき,ゆっくりと使っていた。

やがて漁猟や農業が発達して男が農業にも従事するようになったため,生産において男の占める役割 や家族内での地位が向上し,父権制の時代がやってきた。父系氏族あるいは家父長制氏族があらわれた。

指導的な地位は男に移った。男が氏族共同体の長となった。血縁関係は父かたの血すじによってたどら れるようになった。平和な母権制の社会は争いの多い社会へと変化した。

ソ連の考古学者の定説では男の埋葬と同時に女(妻・奴隷)も殺して殉葬することが,母権制から父 権制へ移行する時期と一致していたという21)。ソ連のイルクーツクの遺跡では,戦争で男子が死ぬと 女性も殺されてともに埋葬された。男性とともに発掘された女性の頭蓋骨が損傷していることがこのこ とを物語っている。男性とともに子どもの遺体があったことは,子どもの親権は男性にあることを立証 している。これらのことは,また,部族間で衝突がひんぱんに起きていたことを示している。狩猟器と して使われていた石ぞくは武器としても使われるようになった。この遺跡は女の時代から男の時代へと 転換した悲劇的なケースであった。

遊牧や穀物栽培はしだいに男の仕事となっていった。牧畜と農業にうっると,分業が生まれた。はじ めはいろいろな共同体が違った生産活動をしていた。水のない地帯,例えば砂漠のようなところで生 活している人たちはラクダを飼いならし遊牧をするようになった。彼等は家畜の世話をすることによっ て,多くの肉,毛,乳を手にいれることができるようになった。生活に必要な量の産物は共同体の内部 で消費されたが,あまったものは農産物と交換された。農業をしている人たちも,技術が進歩し,交換 する余裕ができてきた。農耕族と遊牧民とはお互いに自分たちのところで手にはいらないものがほしか

った。このようなところから交換がはじまった。

女性の生活にも変化がみられた。一般的には女性の地位は低下したが,それほどでない場合もあった。

例えば,アフリカでムシロや動物の毛皮のテントに住む遊牧民は,ハム族といわれている。彼等は北ア フリカの最初の定住民であり,彼等をイスラム教に改宗させたアラブ人が侵入してくるまでこの土地を 支配していた。改宗にもかかわらずハム族は,古くからの自分たちの言語や法律や技術を変えなかった。

イスラム教に改宗した他の遊牧民が黒テントに住み変えたが,ハム族だけはムシロや毛皮のテントの住 居を順守した22)。

このテントは黒テントよりも作るのに時間がかからず,また簡単に組立てることができる。それは糸 紡ぎやはた織りが女たちの仕事であるというセム族の性的役割分業観にハム族の女性が反対したからで あろう。ハム族の女性はアラブ女性より多くの権利をもっていた。これはハム族の者には母権制の女家 長制の伝統が根強く残っていたからであろう。

ハム族のなかでも砂漠に住むトアレグ族やテダ族の女たちは嫁入り道具として,テント,寝具,そし てテントの付属品をもっていくが,離婚に際してもこれを手ばなさない。また,彼女たちは,自由に離 婚することができる。女たちはすぐれた皮細工の腕をもっている。毛皮でテントをつくるだけでなく,

色鮮やかなふとんかけや鞍袋を作る。また,テダ族の女性は兵士としても知られている。彼女たちは腕 に短剣を皮帯で結びつけているが,いっでもすばやく抜けるように柄を下に向けている。ハム族だけで はなく,アメリカインデイアンの女性も皮を加工する仕事をしていた。衣服やテントのカバーとなる皮 は乳白色になめされた23》。

衣服もしだいに発達してきた。装身具をっける風習がはじまった。これは美のセンスのめざめを示

していた。骨や象牙に装飾を施すことが鋭いフリント石器を使用して作られた24)。ヨーロッパでは衣

服をトグル,ボタン,ピンで留めるようになった。トグルは現在でも防寒服やスポーツ用の衣服に用い

(7)

られている装飾用の棒型ボタンである。これは獣皮で作った衣類に適している。ボタンやピンは織物,

とくに古代のゆるい織り方に適している25}。

古代東方ではピンは金属を熱処理して作られたと思われる。金属をとかして,ピンを作ることが始ま ったのであろう。前2000年紀の初めには,ボタンでとめる衣服は北部・中央ヨーロッパで発達してしだ いに普及した。ピンの発達は婦人を葬った墓のピンの位置から,前2000年の後半には,そのピンは首ま たは肩の下に,一っずつ,または対になってつけられている。ピンの使用が豊富になっている。

農業や動物の飼育とならんで,その他の生産も発生した。すでに石器時代に,粘土から土器をっくる ことを知った。っついて,手による機織(はたおり)があらわれた。土器作りや機織は女性の仕事とい われている。しかし,これらをただちに女性の仕事と断定はできない。縄文土器を復原した後藤和民は 土器づくりには女と男の差はなく,土器づくりに専従するベテランの工人がいたとのべている26)。

生活用の土器を転用した土器棺は縄文時代からあった2η。子どもをっぼに入れて埋葬した例は中国 にもみられる。佐賀県吉野ケ里遺跡の事例では子どもだけではなく,大人たちもかめ棺に納められてい た。権力者だけが厚葬された古墳時代と違い,庶民もかめ棺であった。この風習は世界的にみても,吉 野ケ里のある北部九州だけであった。「土器作りは女性の仕事であったが,かめ棺は大きいので,男性 の工人が粘土ひもを指と手でねじりつけるように積み上げる輪積みの技法で作ったとみられる。工人と 回転板を回す二人がかりである。熟練が必要で時間がかかる」と朝日新聞は報道している。この報道か らみると,土器づくりは女も男もしたという見方も成立っ。また,その方が自然のように思われる。も のを作るのに簡単なものを作れないものが複雑なものを作ることはできないからである。

原始共同体社会が終る頃になると,鉄をとかすこと,金属製の道具(鉄のかしらのっいた木製のすき やくわ,鉄のおの)や武器(鉄の刀)をつくることができるようになった。女性が金属加工においてど のような役割を果したかを示す資料は非常に少ない。アフロデイアはギリシアでは愛の女神といわれる が,キプロスでは鍛冶の神として信仰されている28)。アフロデイアは彼女にささげられた島キプロス の銅山と金属細工師養成所を統轄していた。アテネでは技術の女神ミネルバが織物・陶器・冶金の女神 として信仰された。日本にもこれと似た神話がある。鍛冶屋は石ごりどめ(石凝姥)を女神として祭っ ていた。また石ごりどめは石作姫を意味するので,石工にも関係があったらしい。玉造部の祖神も女神 らしい29)。弥生時代の遺跡には,玉造所や石工場や製鉄をするたたらもみられる。このようなところ にも,女性が働いていたであろう。

農業においても,伊勢の外宮の豊受姫を最高神として,オホゲツ姫やウケモチの神などすべて女神と されている。また,平安京(京都)の国営市場には守護神として市姫神が祭られていた。このように原 始共同体の日本においては農工商のいずれの分野においても,女性が指導的地位にあったと推定される。

中国において氏族社会で問題になることは,母系制か父系制かということである3°)。たとえば,ヤ ンシアオ(仰しよう)時代には,性別によって,墓地に区別があったことは,生活面においても,厳格 な区別があったと推測される。女性の墓からも矢じりが発見されることもあり,女性が狩猟に積極的に 参加していたといえよう。したがって,性別による両性の身分的な違いは少なかった。しかし,ヤンシ アオ時代に続く青蓮歯時代になると,石斧や鉄のおのなどは男に多く,これに対して糸(麻)をつむぐ ときの紡輪は女の墓に多い。装身器では石製の腕輪は女に限られ,腰につけたと考えられる亀甲は男の みである。

このような副葬品の違いは,生前における分業がはっきりしたことを示している。また村落内の儀式

における男の優位も明確になった。ヤンシアオ時代には成人の副葬品が多いのに対して,青蓮南時代に

(8)

112      茨城大学教育学部教育研究所紀要第22号(1990)

は多いものは50〜60に達するものもあるが,少ないものはゼロ,あるいは1〜2となっている。とくに,

50〜60と多いものはすべて男である。これは社会的に男が中心となったことを示している。青蓮醐時代 の末期になると,墓に大中小の規模の差があり,副葬品は規模によって異なり,貧富の差が出てくる。

それとともに夫婦や夫婦と子どもといった家族をひとっの墓に葬ったものが発見されている。氏族内の 性別組織がうすれ,家族関係が重視されようになる。

原始共同体研究の示すもの

原始共同体社会は両性の分業はあったが,それは後の時代より,ゆるやかなものであった。女性の仕 事としてみられたものは,農業であった。食用の植物の採集や作物の栽培がおもに女性によって行われ たことを否定するものは,現在はほとんどみられない。男性の仕事とみられるのは,狩猟と漁業であっ た。これを上野千鶴子は「狩猟は威信をかけた社会ゲーム」とのべている31)。この考えは狩猟が人間 の生活に欠かせない蛋白質を供給していたという側面を見のがしている。現在の狩猟は趣味やゲームの 場合が多いが,狩猟ゲーム観は現在と原始共同社会または未開社会を混同している。蛋白質が不足する

と,腹部がふくれて栄養失調になることは,現在でもアフリカその他の飢餓地帯でみられることである。

狩猟や漁業は生存にかかわることであった。したがって,蛋白質資源が不足するところでは,男性だけ ではなく,女性もその獲得に参加せざるをえなかったのであろう。原始人は栄養素のことは知らなくて

も,体験的にその欠乏がどんな結果をもたらすかを知っていたはずである。

現在,農業技術を学ぶものは,男性が多い。日本の農業高校で学ぶものは, (農村の家庭科ともいう べき生活科を除くと),1972年に女子は9.7%,1978年12.3%,1988年18.3%となっている。アメリカ では女子で農業を学ぶ高校生は1972年5.3%,1978年17.3%となっている。アメリカではそれ以後全国 統計がないので,カルフォルニア州をみると,1986年33.2%となっている32)。農業の分業意識はアメ リカでは大きな変化がみられるものの,日本はアメリカほど大きな変化はみられない。性的分業は古く からあるという思い違いがあるが,変化してきたのである。原始人は環境に応じて生活を切り開いてき たのである。

原始共同体社会を扱って感じたことは,まだ,十分に解明されていないことがあるということである。

例えば,日本で出土する人体は性別が不明であるために,その役割が明確ではない。1892年頃に発見さ

れた倉敷市の船元遺跡では発見者は女性であるというし,同じ遺跡を扱った別の論文では男性になって

いる。この人体には石の矢じりが打ち込まれているが,女性だったとすると,当時の社会では女も狩猟

や戦争に参加したことになるし,男性ならば狩りや争いは男の仕事ということになる33)。このように

実態を立証することには困難がともなっていることを補足しておく。

(9)

1)秋山慎三r歴史的教材としての技術』(ぎょうせい,1989),13頁。

2)池上正道氏の理論による。

3)ジヨアン・ロスチャイルド編(綿貫礼子他訳)r女性VSテクノロジー』(新評論1989),13頁。

4)古在由重編r史的唯物論』 (青木書店,1953),207−212頁。

5)石川栄吉他編r文化人類学事典』 (弘文堂,1987),246頁。霊長類の結婚には一定のルールがあ るので,乱婚はなかったとしている。乱婚説はモルガンの「古代社会」(岩波文庫,1958)にある。

6)クリスティーヌ・フロン編(田辺勝美監訳) 『世界考古学大図典』 (同朋社,1987),38−41頁。

ミシエール・ジュリアンは「旧石器時代の女性」のなかで「昔の先祖たちの性的分業は未だにはっ きりわかっていない」とのべている(30頁)。

7)ジヨアン・ロスチャイルド,前掲,18頁。

8)ツ同盟科学院経済学研究所著(マルクス・レーニン主義普及協会訳)r経済学教科書第1分冊』

(合同出版社,1955),26頁。

9)W・Eウォシュバーン(富田虎男訳)rアメリカ・インディアンーその文化と歴史』

(南雲堂,1977),46頁。(Wilcome E. Washburn, American Indian, Harper&Row,1965)

10)マーガレット・ミード(田中寿美子・加藤秀俊訳) r男と女』上巻(東京創元社,1961),75頁。

ムンドグモ族の話がある。

11)朝日新聞89年8月31日(夕刊)に単親の母が「進路で対立」して高1生に殴殺された事例がある。

12)江上波夫監修r図説世界の考古学1一考古学とは何か』 (福武書店,1984), 158頁。

13)ゲ・イ・メドヴエジオフ編(岩本義雄訳)rシベリア極東の考古学③一束シベリア編』(河出書房 新社,1983), 158頁。

14) r経済学教科書』,前掲,27頁。

15)ウオシュバーン,前掲,49頁。

16)高津春繁rギリシヤ・ローマ神話辞典』(岩波書店,1960),165−166頁。

17)バーバラ・ウォーカ(山下主一郎他訳)r神話・伝承事典』(大修館書店,1988),179頁。

18)ジョン・M・コールズ(河合信和訳)r古代人はどう暮らしていたか一実験考古学入門』 (どうぶ つ社,1985),335−336頁。

19)レオ・デューエル(石黒昭博訳) r空からみた考古学』 (学生社,1983), 152−153頁。ドイツ 人女性考古学の業績が書かれていて興味深い。      , 20)同上 299−300頁。カモシン靴と樹皮製容器の図面がある。

21)ゲ・イ・メドヴエジオフ編前掲,314頁。

22)トーボー・フエーガー(磯野義人訳)r天幕一遊牧民と狩猟民のすまい』(エヌ・ピー・エス出版,

1985),72頁。

23)同上,23頁。

24)G・クラーク他(田辺義一他訳)r先史時代の社会』 (法大出版会,1970),72頁。

25)同上;394頁。このほかに移動式住居など示唆にとむ図面がある。

26)森浩一対談集r古代技術の復権』 (小学館,1987),235頁。

27) 「特異かめ棺の風習」(朝日新聞,1989年8月30日夕刊)

(10)

114      茨城大学教育学部教育研究所紀要第22号(1990)

28)バーバラ・ウォーカ,前掲,747頁。

29)高群逸枝全集r女性の歴史1』(理論社,1976)17頁。

30)伊藤道治r図説中国の歴史1一よみがえる古代』(講談社,1976),96,97頁。ヤンシャオは唐の 都洛陽より80キロの距離にある。

31)上野千鶴子r女は世界を救えるか』(勤草書房,1986),65頁。

32) Evaluation and Training Institute, The Evaluation of State Sponsored Sex Equity and Single Parent/Homemaker Programs Conducted for the California State

Department of Education (Los Angels,1988),P.48

33)森浩一編r女性の力(日本の古代12)』 (中央公論社。1987),20−23頁。

参照

関連したドキュメント

睡眠を十分とらないと身体にこたえる 社会的な人とのつき合いは大切にしている

仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必

点から見たときに、 債務者に、 複数債権者の有する債権額を考慮することなく弁済することを可能にしているものとしては、

て当期の損金の額に算入することができるか否かなどが争われた事件におい

活用することとともに,デメリットを克服することが不可欠となるが,メ

基準の電力は,原則として次のいずれかを基準として決定するも

モノづくり,特に機械を設計して製作するためには時

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ