女性と技術史教育(1)
一原始共同体社会一
永島利 明*
は じ め に
技術史教材を研究すると,人間が作ったものであるにもかかわらず,誰れが作ったものか特定できな いものが多い。近代の欧米の発明の名前は,例えば,ハーグリヴス(1764年,紡績機の発明),ワット
(1766年,蒸気機関の改良),アークライト(1768年,水力紡績機),フルトン(1807年,蒸汽船),
スティヴンソン(1814年,汽車)等の名前は比較的よく知られている。しかし,これらの名前は例外で ある。現在の生産を支えてきた,あるいは生活を豊かにしてくれている基礎となっている技術の遺産の 多くは無名の人々の努力や工夫の積み重ねによって成立してきた。このような歴史に名の残らない人々 によって歴史が作られてきたことを理解することが歴史学習のねらいであるD。
しかし,教育に限定して考える場合,投術・家庭科は社会科のように歴史を教えることが目的ではな いために,技術史教材にあまり多くの時間を配当することはできない。技術・家庭科では歴史教材を取 り上げるのは歴史の本質を教授することが目標ではない。技術・家庭科では歴史教材を通じて,生産技 術や生活技術の本質を教えることにある。このために技術・家庭科では生産力を飛躍的に高めた技術に 特定して教えることになる。例えばモズレーの旋盤エリアス・ホウのミシン,ワットの蒸気機関な
ど生産の結節点にある技術を教えることになる2)。
この方法はひとっの大きな欠点をもっている。とりあげる技術の発明家がほとんど男性であり,女性 が技術の発達のなかでどのような役割を果してきたかということを無視してしまうことになるからであ る。技術史のなかで女性が除外されていることにっいて,ジョアン・ロスチャイルドはその意味にっい て「第一に,技術史において,女性の貢献は多かれ少なかれ度外視されてきたということだ。第二に,
生産者,再生産者としての女性の仕事一 (中略)子どもを産み育てる者,労働者,そして主婦として やっていること一や「女性の仕事」と技術の発達や変化との関係が,ふっうの本ではなおざりにしか 触れられていないことである(後略)」3)とのべている。
この研究の目標は技術の発達のなかで女性がどのような役割を果してきたかを明かにし,技術・家庭 科教育の授業で役立てることを目標にしている。
前氏族制社会
人間は労働によって自然に変化をあたえ,人間が必要とする物質を生産してきた。ながい間の労働に
*茨城大学教育学部
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よって手と頭を発達させ,それを世代から世代へと伝えてきた。人類が誕生した頃,原始共同体社会が 形成されていた。その頃は私有財産も搾取も階級も国家もなかった。この社会は大別して2期に分ける
ことができる4}。第1は前氏族制社会である。第2は氏族社会である。前氏族制社会ではまだ生産手段 としては道具しかなかった。道具といっても石器や棒しかなかった。これによって食物を集めたり,あ るいは猛獣から身を守った。食物は果物類や小さな鳥獣をとらえて食べた。人間は熱帯か亜熱帯の森の なかに住み,木の上にかんたんな雨を防ぐことのできる家を作って生活していた。その居住地に生活用 品がなくなると,っぎの場所に移動していた。生産は不安定で定住していなかった。労働の分業はまだ 行われていず,かんたんな共同作業がおこなわれていた。
人間が独力で自然の力や動物とたたかったり,ほかの人間集団の攻撃にたえることができず,共同で 働き,みずからを守り,食物をうるよりほかはなかった。したがって,道具も共同で使い,共同して食 事をしたので,私有財産はなかった。集団は30〜50人くらいで共同して活動していた。家族関係にっい てはマルクス主義者は乱婚したという説をとっているが,文化人類学はその証拠はないとして批判して おり定説はみられない5)。そこには搾取とか隷属とかの関係はなく,両性の平等の生活が行われていた。
火の発見,弓矢,骨製の道具が発明されて,前氏族制社会の生産力をおしすすめた。火によって,植 物や動物や魚の肉を調理することができるようになった。そうすることができるようになって,生で食 べるより多くの植物を食べることができるようになった。弓矢,骨製の道具は漁猟の発展に役立った。
そのようにして生産物の種類が増えた。火の発見により暖かさをとることができるようになって,人類 の住む範囲は比較的寒い地帯にも広がった。住むための住宅を作ることを知った。
生産力の発展によって分業も行われるようになった。っまり性別や年齢による分業がそれである。女 は植物性の食物の採取に,男は漁猟の仕事をした。年齢上からは幼年集団,児童集団,成人集団,さら に老年集団にわかれ,生産に必要な分業の集団となった。血縁家族が生まれてきた。
イスラエルからペルシヤ湾にいたるいわゆる三日月地帯が,村落社会の発展動植物の飼育・栽培,
文字の起源といった無数の発明の原郷とみられているω。栽培種の穀類と原始的な農耕技術は,栽培種 化が行われた近東から伝わった。ヨーロッパには栽培種化が可能な穀類はほとんど自生しなかった。野 菜類も同じと考えられているが,西地中海の旧石器時代の終末の遺跡には発見例がある。これは東地中 海よりはるかに原生種が存在していたことを示している。植物遺存体が出土し,正しい年代がわかる遺 跡によって,栽培種の出現地図をかくことができる。ところで,このような社会において女性は農業に おいてどのような役割を果していたのであろうか。ルイス・マンフォードはつぎのようにのべているη。
「園芸文化は,後の畑文化とは違い,顕著に,独占的といえるほど女性の仕事である。栽培は明ら かに女性の手で始まった。政治的には母権制文化ではないにしても,この文化の重点は,にもかかわ
らず母性,すなわち生命を守り育てることであった。女性はいちご類や木の根,葉,草本,r薬草』
を識別できる採取者であったが,この役割は今日にいたるまで農民の間で引き継がれ,薬草のあり場 所や,それらが鎮痛や熱さまし,傷ぐすりとしてどういうr効き目』があるかを知っているおばあさ ん(まじない師)にみられる。新石器時代の栽培化はこうした役割を拡大した」。
マンフォードが初期の野性植物の栽培化と関連技術で女性が中心的役割を果したことを認識した。そ
して彼は「生命を守り育てる」女性的特質が技術発展において重要な役割を果したことを主張して,農
業を初期に担ったのは男性であるという意見を批判した。技術史家として女性による農業の役割を認め
たのはマンフォードが最初であったが,マルクス主義者は19世紀の終わり頃にこのような考えに達して
いた。1884年にエンゲルスは「私有・家族および国家の起源」を書いて同じ意見をのべている。従って,
マルクス主義の立場に立つ著作には,性と年齢による分業にっいてつぎのような意見がみられる。
「有名なロシヤの旅行家ミクルポ・マクライは,19世紀の後半にはニューギニア人のパプア人の生 活を研究したが,かれは農業における集団的な労働過程において,つぎのように書きしるしている。
まず,数人の男が一列になって,さきのとがった棒を地中につっこみ,それから,ひとおこしで土の かたまりをほりおこす。そのあとを,女が膝でいざりながらつづく。彼女たちは棒を手にして,男が ほりおこした土をくだく。女のあとにはいろいろな年令の子どもがっづき,手で土をほぐす。土をや わらかくしたあとで,女は小さな棒で上にあなをあけ,そこに種子や植物の根をうめるのである。こ のばあい,労働は共同的なものであるが,それと同時に性別と年令別との分業が行われている8)」。
生産力が発展するにつれて,このような分業は明確になってきたものの,地域によっては男性が農業 を行うことがみられる。メキシコや北アメリカの南西部のインディアンのなかでは男たちが大部分農作 業を行った。これらの地域では漁業や狩りがそれほど重要ではなかったのである。蛋白質が農耕や自然 から簡単に得られたのであろう9)。
このような分業の傾向はまだ一部には現存している。アフリカや東南アジアの多雨森林の赤道地帯や 農耕民によってとりあげられないような場所には,なお生存している。G・クラークおよびスチュアー
ト・ピゴットは1965年にそのような例をあげている。大部分は主として植物性食糧を常食としており,
多少の違いはあるが,狩猟で食糧を補っている。彼等の多くはピグミー・ネグロイドあるいはネグリト 一である。東南アジアではマライ半島のセマン族,フィリピンのアエタ族,スマトラのクプ族,セレベ ス島のトアラ族である。アフリカではコンゴー森林でくらしているピグミーがおもなものである。
セマン族の主要な食糧は一般に女性が火で堅くした掘り棒を使って集めた塊菜,とくにヤム芋である。
そして堅果,いちご類植物の若芽のようなものも重要である。さらに男性がネズミ,リス,トリ,ト カゲ,またときには猿などの小動物を弓と毒矢,わなあるいは火で堅くした棒などを使って狩る。簡単 なわなややりを使って魚をとるには男性と女性がともに加わる。
この氏族社会では家政は女性の役割とみられていた。しかし,アメリカの人類学者,マーガレット・
ミードはニューギニアの原始民族の研究をして,女性が子どもを保育することをきらい,両性が育児に 共同責任をもっていたケースを示している1°}。彼女の書いた「男と女」は1960年以後の女性解放運動 に大きな影響をあたえた。現代社会においても母親だけが,あるいは祖母だけが子育てに熱中している 家族には母親殺し,祖母殺しがみられる。子育ては両性の共同責任ということを痛感する1D。
性的役割の分担といっても,100%女の仕事,100%男の仕事というものはなく,セマン族が簡単なわ なややりを使って魚をとるときには女も協力していたようにすべきところでは協力していた。そのほう が豊かで楽しい生活ができたからである。女性が海や川で泳ぐときには木の幹を浮きとして利用した。
そのほか水辺に自生している芦(あし)やいぐさの束(たば)を組みあわせていかだを作り,あるいは 樹皮をっなぎあわせて,樹皮船をっくることもあった。男性がこれらにのって,さおをさし,女性が泳 ぎながら後部をおして出発した12)。いかだや舟は魚をとる能率をあげようとすれば,必需品であった ら,それに女性も協力したのであろう。性的役割といっても厳守されるほどのものではなかったであろ
う。
ソビエト極東のイルクーツクの女性の墓からも日用品だけではなく,新石器時代後期の石ぞく,鈷,
植刃式短剣までが発見されている13)。これは,おそらく,女性も狩猟や漁業にたずさわっていたこと を示している。
しかし,一般的にいうと,女の仕事は植物性の食物の採取と家事が,男の仕事は狩や猟とみられた。
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こうした役割分担によって労働生産性はすこしずつ高まっていき,氏族性社会へと移っていった。
氏族社 会
原始共同社会の第2の時代は氏族社会であった。牧畜が芽ばえ,はじめは犬,羊,豚,鳥などの小動 物からのちには比較的大きな動物も飼いならすようになった。農業も発生し,植物の根や茎を植えたり,
さらに種子をとって,これをまくことをはじめるようになった。このような食用作物の栽培ができるよ うになった。これとならんで,道具の作り方も進歩し,石器とならんで土器も作るようになり,手工業 も始まった。
道具はまだ発達していず,農業の経験は乏しかったので,集団的な労働,生産手段の共有,生産物の 共有が続き,家屋も共同で住んでいた。氏族社会は前氏族制社会の原始人とことなって,おなじ先祖を
もち,血のっながりのあると考える人々の集団である。いくつかの世代をこえて,血縁関係のある人々 によって氏族ができた。氏族は人口が増加すると,いくつかの氏族へと別れていった。
このようにして氏族集団による部落ができた。この氏族社会では母親が血縁を同じくするうえの標準 であったこと,さらに基本的には女性が集めた植物性の食料が生活上重要であったので,母権制が発生
した。氏族社会の最初の段階で女が指導的地位を占めていたのは,当時の生活事情からきていた。きわ あて幼稚な道具をっかっておこなわれる狩りや漁は男の仕事であったが,それだけではくらしていくこ とはできなかった。狩りや漁は偶然によることが多かった。あるときは多くとれても,あるときはまっ たくとれないこともあった。このような状況のもとでは,芽ばえたばかりの栽培や動物の飼育は大切な ものであった。これらの仕事は狩りや漁とくらべると,安定して食物を供給することができた。このよ うな役割を果していたことについて「原始女性は太陽であった」という表現はまことにぴったりとして いた。その典型的なものとしてあげられているのは,前世紀のなかばまで続いていたアメリカ・インデ イアンのイロコイ族の生活である。
イロコイ族のおもな生業は,狩り,漁業,木の実の採集,それに農業であった。男女のあいだに分業 が行われていた川。狩りと漁業,武器や労働用具の製作,土地の開拓,小屋や外敵からまもるとりで やさくの建設は男の義務となっていた。特に狩猟は男の重要な仕事であった。これは戦争に必要な腕を みがく訓練として,大切な非経済的な価値をもっていただけではなく,部族の食事に必要な蛋白質と衣 服のための毛皮の供給源としての経済的な重要性をもっていた。秋の狩猟期間中,男は鹿をさがして1 ケ月あるいはそれ以上の間部落にいなかった。ほかに男の仕事として交易,カヌー造りがあった。
イロコイ族の女性は農業上で重要な役割を果たした。男は狩猟で不在となることが多かったので育児 に参加することができないことが多かった。農業は定住して行っていたので,女性は育児の責任をもっ ことになったのである。
女性が権力をもっていたイロコイ族は食物の貯えが豊かであった15)。食料の分配は年上の女性の自
由裁量にまかされていた。彼女たちは部族の会合のための食料や戦闘隊用の食料さえ増減でき,部族集
団の決定に影響力をもっていた。年上の女性はイロコイ部族連盟の最高統治機関で日本の国会のような
役割を果していた部族協議会の長老たちを指命し,また,戦争の指導と条約の締結に発言権をもってい
た。彼女たちはイロコイ部族連盟の組織の構造を示す共同長屋の管理者として,部族内部を支配し,仕
事が適切に割当てられるか,共同貯蔵物が平等に分配されているかを監督した。
ギリシヤやローマの神話のなかにも農業に関連した女神があらわれる16}。古代社会ではフィクショ ンで書きあらわすことは発達していなかったので,伝承はなんらかの事実と結びっいていた。デメテー ルはギリシヤの穀物および大地の生産物の女神であった。彼女はケレオスの子トリプトレモスに穀物栽 培の方法を教え,彼は全世界にその知識を伝えた。彼女は娘が誘拐されたため,娘をさがしまわってい るあいだに各地に彼女の行動についての伝承が残された。シキユオーンでは水車を発明したといわれた。
また,ほかでは豆,いちじく等の栽培を教え,多くの土地の彼女の神殿は彼女の滞在とその縁起をとい ている。麦の穂けし,水仙が彼女につらなる植物となっている。
デメテール信仰は紀元前13世紀のミケーネにおいてすでに確固としたものになっていた1η。デメテ 一ルはギリシアの農民に19世紀まで女神として崇拝されていた。1801年にクラークとフィリップスとい う2人のイギリス人がデメテール像をケンブリッジの博物館に持ち去ったため,農民の間で暴動が起き た。これほどまでに彼女は農業の神として信仰されていた。
氏族社会で注目すべきものに土器の出現がある。土器の製作は女性の仕事であった18)。実験考古学 によれば,この仕事が女性の役割となったのは,彼女たちの作ったっぼの方が出来がよかったからであ るという。土器の大部分は粘土をひも状にして,ぐるぐる巻き上げていく方法で製作された。その後,
自然乾燥,ついで焼成された。調理の仕事も女性の役割であったが,女子のチームはよく話し合い,良 く笑う。これらはお互に気心が知れ合うようになるから,必要なことである。しかし,このため集中力 が弱まり,生産性を低める傾向がもたらされた。農業もしだいに男性に役割が移行したのも,この点に あるかもしれない(なお,後述のように土器作りは女性の仕事ではなく専門の工人によるという説もあ
る)。