自然保護とその教育を考える 愚
r鈴木 昌友
はじめに
ここ数年の間に自然保護に関する話題は環境問題も含めてそれらの必要性から新聞やテレビで 報道され多くの人々の関心を引きつけている。その関心の強さの割にはこの分野の教育に関する 研究はほとんど行なわれていないと云吟ても過言ではなく,昨年,茨城大学で行なわれた教・研
・連の理科分科会の席上で,市内中学校の教師から「茨城大学では自然保護をどのように考えて いるのか」というような内容の質問があったやに聞いている。これに対して助言者が何とお答え になられたかはさやかでないが,確かに自然保護とは何か,そしてその教育とは何か,というき わめて基本的な問題について互いに理解する必要が感じられた。茨城大学においても,わずかに 先駆的試行が限られた地域で,あるいは限られた人々の間で考えられており,教育関係者の中の わずかな人々がこの事に関心を示しているにすぎない。
自然全体を調和と統一のある集合体としてとらえ,自然のよりよき保護と,よりよき利用に関 する教育のあり方の研究は是非とも必要なものであり,同時に自然科学の基礎に立って医学的な 面,倫理学上の問題点,法的・社会学的側面,そして心理学的分析を加えていかなければならな いものと考えている。
昭和47年に改定された中学校の教科書,新理科1)でも自然保護の項目を取り入れたのは新ら しい試みであるが,現実に当面する諸問題にも理科の目標である「科学的な見方・考え方」勿で 対処できるかどうか,私共なりの考え方を記してみたいと思うので,多少断片的で統一を欠いて いる感がしないでもないが,資料を積み重ねることにより,今後のたXき台となれぽ幸いと思い,
あえて掲載を希望した。御批判,御教示いた黛ければ幸いである。
自然保護とは何か
先づその対象となる自然とは何を指しているのだろうか。一般に自然物といえぽ岩石,鉱物,
勒・植物を指すが,これらの存在する環境だけではなく,私共人間の住んでいる環境全体,すな わち水も大気も土も海も,山も川も野も光も含めた総称であり,人工に対して自然と呼んでいる ように受け止められる。人工に対して自然であるとすれぽ自然保護とは人工による開発または破 壊から自然を守るといった,いわぽ開発を前提とした意味を帯びているように思われる。
自然保護(Conservation of nature)という言葉はヨーロッパやアメリカでは第二次世界大戦
以後,巨大な土木工事が進むなかで問題になりだしたもので,日本ではここ6〜7年位の間に急 激に取り上げられはじめたものである。そして昭和47年4月以後はおそらく都道府県の環境保 全条例が発足するものと思われる。それ以前にもこれと似たようなものはあった。それは大正8 年4月に公布された「史蹟名勝天然記念物保存法」であり,さらに昭和25年5月30日法律
214号をもって「文化財保護法」が公布され,文化財として自然物を取扱うことになった。翌 年の昭和26年5月には「学術上貴重で,わが国の自然を記念するもの」について「特別史跡名 勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準」3)が新たに告示された。これらはいつれも外国 の自然保存(preservatio、 of nature)4)から来ている。従って天然記念物は自然保存の考え 方に近い。
ちなみにconservation なる名詞は保存,維持,保護,管理,監督の意味がありPreservation とは保存,保管,貯蔵の意味で管理とか利用という意味は全く含まれていない。従6て自然保護 とは「自然を人間が維持・管理して人間生活のために役立てる」という意味になる。これに対し て天然記念物は利用することなく自然のまX保存しておくというような融ワンスがあるように思 われる。事実天然記念物については指定するだけにとどまってしまう感じすらするのが現実であ
り,そのひずみが行政上にも表われてきている。
自然保護の意義一植物の場合一
植物学的立場から「緑なす自然」すなわち植物と人間が一つの生活共同体を形づくっていく中 で,植物の人間に対する貢献を考えてみると,おエよそ次の三つに大別される。すなわち,ユ 文化と学問。2 大気をきれいにする働き。3 食糧及び衣料・住居の資材となろう。
1 文化と学問
この中には人間の生活環境のもつレクリェーション効果も含めて考える。工場に緑の植物を植 ●
ヲることの義務化などの簡単なものからグリーン・パークや国立・国定公園のように,人間生活 の中で緑の存在が精神安定上必要なことを意味する。
学問については一般住民に直接の関係はすくないが,まだじゆうぶん研究されていない未知の 学問分野の情報源としての価値である。この場合,地球上の多くの国がその国なりの文化として 研究し,さらにその研究を引用し結合させることによって地球上の科学へと発展することが多く,
単に一国や一地域の無知だけではすまされない場合がある。
一例をあげてみる。茨城県内で最近問題になハている水戸対地射爆撃場の跡地の利用にからむ 植物の問題である。そのクロマツ・アカマツ混合林の中にオオウメガサソウ(Cん珈αpん記α醗一
加〃磁α)というイチヤクソウ科の植物が群落をつく・「て生育している。この種はシベリア,ヨ
一ロッパ,樺太,北海道,本州,そして北アメリカの主として海岸寄りに分布している。これら
の分布は永い間にわたる地史的変化を背景として現在生育しているような分布と変ってきたもの
であるが,北海道において数ヵ所,本州において青森県の数ヵ所と,分布が飛んで茨城県東海村
村松と勝田の射爆場に見られ,勝田の産地がその南限5)となっている。このことは自然環境要因
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勝田市海岸の射爆場内に生育するオオウメガサソウ
との関連性,地史的背景などをじゅうぶんに考慮して解析・考察されねばならず,Hulte、⑤の によるとアメリカ北部に分布する個体群は8磁卿 … 認¢撹α∠z8(RYDB.)HULT,とすべきで,
ユーラシアに分布する鋤加p ㎜加〃α毎 と区別すべきであるとの意見もある。種の分化の点か らは重要な問題を提起している。
このような学問の情報源としての植物は日本だけの問題ではなく世界の人類の文化にか玉わる 問題となる。この他にも茨城県という地域に残された情報源としての植物はフクロダガヤ8),ミ
ヤマスカシユリ9),ヒメマイズルソウ10)などいくつかが考えられる。
2 大気をきれいにする働き
このことについては今さら述べる事もないが,緑色植物は光合成の過程において空気中の二酸
化炭素を吸収し,同じ容積の酸素ガスを空気中に出している。一方,ヒトをはじめすべての生物
はその生命を維持するために呼吸を行なっているが,呼吸の過程では光合成とちょうど反対に酸
素を消費し二酸化炭素を出す。従って,もし植物がなければ大気中の酸素はだんだん喰いつぶさ
れ反対に動物に有害な二酸化炭素が次第に蓄積されて来る。しかし植物が浄化作用を行っている
おかげで,現実の大気中の酸素は約21%,二酸化炭素は約0.03%という一・定の濃度が保たれて
いる。この二酸化炭素0.03%(容量)は2兆3300億トンと見積られている。そして地球上の緑
色植物が光合成で固定する二酸化炭素の量は3000億トン1⑳であるので,空気中の全量の80分
の1程度である。工業による二酸化炭素の排出は光合成量による二酸化炭素固定量の約4%にあ たり・これを酸素にかえすには,日本の国土の数倍のよく茂った森林を必要とする。私共,成人 が1日に出す二酸化炭素の量は約1キログラム(T㎜ 1965による)であり,これを酸素に かえすには約25平方メートルの草地か,直径3メートル程度の樹冠をもつ元気のいい樹木を必 要とすることになる。
3 食糧及び衣料・住居の資材
このことについても新たに記すまでもないことではあるが,植物は太陽エネルギーを使って炭 素を含んだ複雑な化合物(有機物)を合成するという特別な能力をもっている。これが光合成で あり,ヒトをはじめすべての動物は植物が作った有機物を食糧とするのである。また直接それを 食べるかわりに,それを食べて育った動物や,動物の作ったもの(卵,牛乳など)を食べること によって生命を維持している。衣料や住居についても直接,間接に同じようなことが考えられる。
植物のつくnた有機物を動物が食べるが,このさい動物は動き,或いは成長し,というふうに エネルギーを使い,でき上る生物量は消化した生物量よりずりと小さくなる。すなわち栄養段階 を一段上るごとに生物量はほ父10分の1になる。このようにして見るとある地域の植物の量を 土台にして,その上に草食動物を,さらにその上に肉食動物の量を積みあげていけば,いわゆる
ピラミット型となる。数の上でも栄養段階の低いものは,それをつかまえて食べる動物よりも小 さく数も多、、ので,やはりビラ・。ト型となる.E.P.・D脳1の・こよるとムラサキウマゴヤシ(
マメ科)の植物体&097Kgを小牛が食べて1,021Kgの体重となり,それを食べた少年が47.6 Kgになるという。これを個体数で考えてみるとムラサキウマゴヤシ2×107本 に対し小牛が 4.5匹そして少年1人という数になる。このような事から人間が生育するためには,どうしても 一定面積の緑地が必要となり,1970年の世界の人口36億3200万14)人の食糧確保が問題とな ハてくる。緑地の保護は人間の生存のために必要である。
現実の問題一桜川村のコジュリンー
霞ケ浦沿岸に桜川村という旧古渡,旧浮島そして旧阿波村を合併した約7800人の人口をもつ 農村がある。ここでは以前から隣接する東村本新へ通ずる農道を考えていた。霞ケ浦に突き出し た形の桜川村にとハては古くから道路に対する執着が強く道路の整備が村の政治的問題でもあっ
た。
一方,1966年に池谷奉文氏15)が桜川の堤外の通称萱場と呼ばれている村の共有地(浮島財 産区管理)にコジュリン(Eηめ召rtZα3/essoensis)というホウジロ科の小鳥が生息していること を見い出した。その後,海老原龍夫氏16)がくわしい調査を行なって日本に例のない高密度個体 群であることがわかnた。
たまたま,文化庁で取まとめ,茨城県は私共が調査した天然記念物緊急調査1のでも,県内で 辱 緊急に指定すべきものの中でコジュリンが1位となって報告された。その後にも鳥類学者による
専門的な研究18)がなされ,非常に珍らしい種類であり,かつ他に見られない高密度の生息をして
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いることが確認された。
ところが牛久町国道6号線から東村の51号線を結ぶ延長35㎞の大型道「広域農道」が計画 され,新利根川をまたぐ永久橋がちょうどこの萱場にかかることにな^た。日本野鳥の会の茨城 支部では茨城県企画室に申入れをしてう回コースの案を出し,う回路に対して建設省でも認可が
おりたときいている。その辺のいきさつについては知るよしもないが,とに角現在では地元村当 局の案でう回しない橋が計画されている。勿論この間には何度もコジュリン対策研究会がもたれ,
植物学関係・土壌関係,そして野鳥関係の専門家も参加しての会議なのであ吟たがその対立する 両者の主張はだいたい次のようなものである。
村当局考え方:野鳥の保護については村でもじゆうぶんに考えている。だから野鳥コシュリン の生息地が変えられるものなら別の所へ移住してもらおうとして専門家の先生方に調査もしても らりたし今後も研究していく。村では住民運動による政治を尊重している。桜川村では,地元住 民は野鳥よりも自分の生活が先になり,住民意識がコジュリンに対して必ずしも高くはない。道 う回することにも小鳥のために何で道をまげねばならないかと反対が強いのに共有財産である 萱場を小鳥のために天然記念物などにされたら村では手がだせなくなり,萱を利用するにも不便 になる。とかく不安が多い。村長や役場では保護を考えても地元住民が反対なので二の足をふん でいる。コジュリンの生息地が移せるかどうかを考えている。橋はそのまま通すつもりである。
野鳥の会茨城支部の考え方:コジュリンは学術的にも珍らしいことはいうまでもない。自然の 保護は文化国家として当然のことで,そのような貴重なコジュリンを大切にしていかねばならな い。地域と種類を天然記念物にして保護してはどうか。天然記念物にしても萱をかれないという ことがないよう附帯条件をつけれぽいいのではないか。住民意識がひくければ野鳥の会でPRも する。何とかコジュリンを保護してくれないか,お願いする。これを整理すると,
野鳥の会:コジュリンの生息地→学術的に珍らしいもの→保護→天然記念物に。
村当局:住民運動による政治一→住民意識の尊重→共有地にコジュリンが生息(やっかいもの)
→橋に執着→住民の意識が低い→ おいら騨の共有地に よそ者 の意見→未知の不安
→天然記念物に対する不安(自由にならなくなる)→二の足をふむ→コジュリンがどこか へ移ってくれたらなあ。
教育の場ではどうか
, 昭和47年に新らしく改定された中学校の教科書,新理科1)では始めて「自然のつりあいとそ の保護」を取扱い,その内容を「自然界のつりあい」と「自然の利用と保調にわけている。前者 ではさらに「食物によるつながり」と「自然のつりあい」の二章にわけ,主として食物による生 態系(Ecosystem)についてふれている。後者は「自然と人間」 [自然の利用と保護」の二章で,
ヒトとの結びつきと開発と保護との調和についてふれているが,何とも開発に対する意識の方が
, 強いように感じられるのは私共だけだろうか? これらの項目について指導書2)では「自然界の つりあいを考えながら自然の開発や合理的な利用に努めると共に,積極的に自然を保護育成して
いることの重要性を認識させることが大切である」と述べている。そして最後に「第2分野では・
太陽エネルギ ー
石 炭
,口幽[ヨ書匡コ
緑 色 植 物
鉄 鉱 石
@ 水
エ 子 力 ホ 油 植物プランクトン
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微 生 物 くヒ) ヒ ト ・剛喚b
草 食 動 物
@ 魚
、 魯 μ
肉 食 動 物
@ 魚
図2 生態系の中で食物によるつながりとエネルギーの交代と公害を示す。
生物とそれを取り巻く自然闘の探究であるが,この大項目の学習はそれらを総合して最終的に は理科の目標にある 自然と人間生活との関係を認識させる に直接結びつくものである」,と 結んでいる。
「自然界のつりあい」では「食物によるつながり」にしても「自然のつりあい」にしても Ecosystem を考えれぽ教師は理解できることであるが,前記の植物が大気をきれいにする働き,
と食糧及び衣料・住居の資材となることを加えたい。この点については新指導要領の大きな柱で ある「エネルギー交代」に結びつけれぽよい。生物が生れ,育ち,活動しやがて死夕でいく1ife
cycleの根底にはエネルギー交代が存在する。食物によるつながりを通して物質循環を考えると 有機物生産者である緑色植物(第一次生産者)とそれを食べる草食動物(第一次消費者),さら にそれを食べる肉食動物(第二次消費者),またその肉食動物を食べる肉食動物(第三次消費者)
がある。ヒトは米やトウモロコシ,海藻や野菜を食べる段階では第一次消費者であり,小魚を食 べたり牛肉や豚肉を食べたりする段階では第二次消費者であり,さらにマグロやクジラなどを食 べる段階では第三次消費者となり得るものである。次にこれら各段階の消費者の屍や排出物は還 元者としての微生物によ吟て分解され,肥料その他となnて第一次生産者に還元される。このよ
うに生産老,消費者,還元者の物質の変化をエネルギーの移り変りの姿として理解させることが
できよう。そしてこのエネルギーの根源は太陽の放射エネルギーであり,このエネルギーをクロ
ロフィル(Chlorophyll)を持つ緑色植物が光合成の結果,物質のエネルギーに変えて,自から
も生活のために用い,また動物界へのエネルギーの供給源としていることを理解させる。この場
合,呼吸と光合成によるガス代謝についてもふれることができる。ここで緑色植物の存在の必要
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性がでてくるし・なぜ保護しなければならないか,の説明がつけやすくなる(図2参照)。
学術的な必要性から自然保護を教えていく場合には,事実の観察・実験から仮説が提起され,
その仮説がもとの事実を説明し,相互関係を明らかにしていくことについて理解させる。従って その仮説はもとの問題と関係ある新らしい事実を予見し学説になる。これらについて例をあげな がら説明すれぽ理解できると考える(図3参照)。
学 説
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Eの勲予言匡 厘亟][Cの事実]Dの馳予言
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植 物 社 会 の 構 成
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地形的要因 土壌的要因 気候的要因 生物的要因
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地
史 的 背 景
図3 地史的背景が地形的,土壌的, 気候的そして生物的要因に影響をあたえ,さらに それらの要因は植物社会の構成にも関係し,逆に植物社会の構成から各々の要因を知る ことができる。植物社会の中のいろいろな事実から仮説ができて,普遍的な学説となる、
学説はさらにDの事実を予言し,Dの事実は植物社会の構成や各要因の相互関係を明ら かにすることがあるQ
「自然の利用・と保護」では人類の歴史から始まる。たしかに人類の歴史は自然との対決であっ たであろう。しかしその対決の中で人類が100%満たされなかった事実を見のがしてはならな い。また当時地球上の人工はすくなく,とても現代とは比較にならないものであった。自然破壊 の傾向は,産業革命を経て近代産業の発展と利潤の追求によって文明の名のもとに拍車がかけら
れ現在のような環境汚染,破壊,公害と拡大されていnた。日本に於ては戦中戦後の窮乏にこり ●