資 料
ドイツ連邦共和国における差別の経済的諸基礎 一外人労働者問題紅よせて−
ベルリン自由大学経済学助教授 マリオス・エコリナコス博士
中 村 賢二郎 訳
ま え.が き
1969年国連総会は1971年を人種主義および人種差別と斗う国際行動年InteIn飢ional Year for Action to combat Racism and RacialDiscriminationと宣言した。これを 記念する行事のユつとして一,1971年8月アムステルダムでオランダ国連協会仙eNether・−
1ands United NationsAssociation(NetherlandsUNA)とアンネ・フランク財団the Anne Frank Foundation(AFF)を共同主催者 とする「われわれの社会の外国人」
FoIeignersin ouICommunityという名称の会議が開催された。この会議の主たる目的 は,国連意童と世界人権賞言および欧州人権保護条約の精神にのっとり,ソシアル・ワ・−
カ−,社会科学者,労働組合運動家,差別撤廃運動家,教師,政党人等に広く呼びかけ,
今日の西欧諸国内に様々の問題を投げかけている地中海沿岸諸国,とりわ桝日植民地諸国 からの外人労働者にたいする人種差別問題をあらゆる角度から自由討議すること′紅より,
問題状況の相互濾解を深め,西欧社会に根深く存在する外人嫌いⅩenOpIlObiaを克服する 方法と対弟を見付け出すことにあった。
事実この会議には英国,西独,オランダに在住するポルトガル,スぺイン,イタリア,
パキスタン,西インド諸島,ラテンアメリカ諸国の労働組合運動の指導者,社会学者,政 漁運動家等約160名の参加をえて終始熱心な討議がなされ,4つの決議と6項自にわたる 勧告を採択して会議をおえている。この会議は結果的紅ほ,その後1974年11月22−24自に オランダa)Wagenipgenで開催された第1回全ヨ−ロツパ移住労働者会議the FiI・st
(訳注1)
Pan EuropeanConference of Migrant Workersの準備会議という役割をすることに
(訳注4) なるが,問題の国際性にもかかわらず,従来国際的規模での会議が少なかっただけ紅,当 1
常50巻 欝2号
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ーヱ0β−時マスコミの注目するところとなり,かなり広く会議内容についても報道されたようであ る。西欧諸国とりわけEC諸国の当面する国際的労働力自由移動問題,ガスト・アルバイ ター・問題史上だけでなく,外人労働者の連帯が一周内をこえて国際的な連帯へと広がり,
それが西ヨーロッパ労働運動の基本的な潮流の一つとなりつつある時,本会議のもつ政治 的意義の重要性をここ.にあらためてうんぬんする必要もない。この記念すべき会議の詳細
な報告書はEditors:Hansvan HouteandWillyMelgert, ForeigneISinourCom−
munity−a neW European problem to be soIved −Keesing PublisheIS.Am−
(訳註2)
sterdam.AntweIp1972,p.202,となって出版されているので,その会議の討議内容 等全体に.ついての紹介ほ別の機会紅ゆずり,これ以上立入らない。ここ紅訳出紹介したエ コリナコス論文もての会議での報告をまとめて同番に掲哉されたものであり,(p・78−97)
その論文原名ほDI.Marios Nikolinakos:Economicfoundations oidiscrimination in the FederalRepublic of Germanyである。
次に本論文の筆者マリオス・エコリナコスについて,同氏より最近送られてきた履歴書 にもとづいて簡単に紹介しておく。同氏は1935年8月30日アテネ生れのギリシャ人で,
1953年11月入学したアテネ大学法率部で1961年12月まで法律学・政治学・国東経済学 を学び,1962年5月からほ,ケルン大学経済学・社会学部紅入学,WeisseI・教授の下で DoktoIandとなる。1963年12月からほケルン大学社会政策研究所で研究活動のかたわら 1966年1月より1969年8月までDeutsche Welleにも関係する。この間に.1967年7月紅学 位論文「所得配分と発展過程」で政治学博士となる。1971年3月から1975年3月までベル
リン自由大学の国民経済理論の助教授,この翻訳論文もこの期の作品である。1975年7月 より1977年6月まで酉ベルリソのWissenschaftszentrumのInternationales hstit11t ftir Vergleichende Gesellschaftsforschung Qe:L所属し,同研究所員のAyseXudatや 〜
Yilふazozkanと共同でこの研究所を中心紅きわめて楷力的な調査研究活動をして,そ・の 研究成果を続々発表している。同氏のこれまでの研究業績砿ついては本資料の末尾に叫括
(訳注3)
掲載した。そのかたわら,彼らと共同で外人労働者(移民を含む)問題研究の国際的組織化 のための機関誌以Migration and DevelopmentH,European Association for・Deve−
lopment Research and TrainingInstitutes,Working,Group,InformationBulle−
tin no.1・⊥3を編集し,現在第3号までを発行している。彼の組織i皆勤はこうした研究面 だけでない。前述の1971年8月の会議中に結成された国際準備零点会theInternational Preparatory Committee(Ⅰ一.P.C)の発足当初からの議長として,1974年11月開催の第
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1回全ヨ一口ツパ移住労働者会議を準備組織化してきたこの遊動の事実上の中心人物でも あり,同時にその会議の有力な理論的指導者の1人でもある。
本論文の論旨の詳解はさけるが,その特色は,①「差別」概念を被差別者の「繹溺的不 利益」だけに還元し,「搾取」概念と「差別」概念を同一祝していること。⑧今日の西ヨ ーロッパの外人労働者というマイノリティ問題を近代社会の階級間題の一側面としてとら えたこと。⑨外人労働力の導入がその受入国の景気回復のためだけでなく,送出国のイ革 命係数」減少の安全弁にも利用され二重の緩衝機能をして−いること。④したがって後期 資本主義社会でのこうした差別ほ,1階級としての外人労働者というマイノリティを搾取
する1国内の全階級甲共謀となっで現れるだけでなく,送出国・受入国双方の支配体制間
の国際的準諜という性格をもっていることなどを指摘した点である。とりわ机労働組合
(例えばDGB)の外人労働者政策の微妙な姿勢を分析した個所は,今日の体制内化して しまった西欧の労組体質の一面をみ.ごと虹指摘してい鼠。(p.12ト・128)
本論稿の提起したいくつかの命題の妥当性とか実効性を,このような報告形式の論文の なかで検証するのは適切でない。しかし,石油ショック軋よる景気後退のため1973年秋 以降の新規外人労働者受入の一時停止とか,(西ドイ
者の受入れの停止措置をとったのは1973年11月2ノ3日である)1972年1月15日付の新寝首協 議会法の制定等,西独の労働市場ぁその後の動向は本論稿が発表された1971年頃とは国際 的にも国内的紅もかなりの変化がみられるが,エコリナコス論文の基本視座は少しも古く なってはいない。出稼ぎ外人労働者の諸樅利の擁護という問題が,西ドイツの労働運動に おいてきびしく提起され,もろもろの対質がこうじられているにもかかわらず,事態ほ改 普の方向へむかうどころか,その矛盾を叫そう露呈しはしめており,他方では差別から外 人労働者を守るためのヨ一口ツパ規模での連帯斗争が国際的レベルでなされつつある今,
本論稿は外人労働者問題にかぎらず,現代西欧資本主義社会の内包するある種の問題の考 察にも有益な示唆をあたえてくれる。
第 1 節
講義をはじめるにあたり,私ほ本論文タイトルの「経済的」という用語を終始「古典派 的」意味で使っていることに注意してほしい。「差別の経済的基礎」について語ることは,
実ほ差別の政治経済学ないしは別の言葉でいうと,差別の政治的経済的諸要素を語ること 匠なる。差別discI・iminationとはもろもろの事件の一局面,ないしは色々な形をとって
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−・Jヱ0−
あらわれる山つの態度attitudeであるとすると,差別を生んだ,あるいほそれを説明す る色々な理由がなければならない。この問題を他の視点からアプロ−チすると,差別の機 能乾かんする問題を提起することになる。したがって,私の指摘したい点ほ,差別とほあ
る原因の給果だけでなくて,逆に.それ自体−つの原因となって,ある姶果をもたらすもの であるということであって,この点を我々がこれから解明しなけれはならないのであ′る。
私は経済学者の観点からこの問題をみるが,私は経済的問題をすべて尊純に数式に.還元し
て溺なせりと考えて小るような経済専門家のグル一夕に属してはいないっもりである。本 論文のなかで,私はどんな経済的諸利益が差別の背後にかくされているのか,また差別の 経済的機能とほ結局庵んであるのか,を見つけだすことにより多くの関心をもっている。
そんなわけモ,私は特異とはいえないが,ある特別なマイノリデイ(少数派グループ),
すなわち現在ヨ−・ロツパ諸国に滞在する外人労働者というマイノリティにたいする差別紅 ついて−若干考察し,まとめて−みたい。
私は特に西ドイツのその現況をいくつか例示するが,他の国の状況紅ついて無視しで いるわけではない。若干つけ加えて云うと,この間題はきわめて多面的にしてかつ復姓で
あり,その形態や原因はそれぞれの国の伝統,政治状況,社会階層,経済データ,心理的 理由などによっヱ■それぞれ異るかもしれないので,普偏妥当性をもった一般化や緒論はそ
れぞれの国の特殊性を考慮したうえでないとできない。このことは,この間題の背景に明 らかな違いがあったとしても(例えば,英国では問題が有色人種紅たいする人種差別とし てあらわれるのに,西ドイツでは今までのところ,人種問題として−の色合↓、を魂せていな い),マイノリティにたいする差別は,結局同じあるいは類似の社会・経済・政治体制の国 において,同じ経済的機能をするものであるという考えと矛盾するものではない。
第 2 節
まず,差別とは何かを明らかにし.よう。この用語は統合integrationの反対概念とし て普通もちいられている。ここでは数年まえにケルンで行った実地調査でもちいた区別に 従うことにするが,それ紅よると統合を3つの種類に分けている。この区別の第1はマイ ノリティの完全同化fullassimi1ationであり,第2はマイノ9ティ自身の特性やそれ自 身の生活様式を固持すること(同化なき統合dissimilatedintegration),算3はマイノ
リティとその社会を構成するそれ以外の者とがお互いにあゆみよって1つの新しい共同の
ドイツ連邦共和国紅おける差別の経済的諮基礎
−ヱヱトー 297
(1)
生活様式に合流するこ.とである。以上の3個のモデルとも色々な実験の産物,ないしはマ イノリティ問題庭何か解決策をたてる際に.役立つしかるべき解釈に従来もちいてきた指標
である。
第1のモデルである同化の問題は,ここでは我々と関係しない。同化がなされやすい状 況とは,マイノリティが数的に重みをもたず,かつまた密集していないので同化がグルー プよりもむしろ個人の問題となるような場合である。またこれがなされやすい時とほ,マ イノリティが重要度をもたないために.,社会がそれに.脅かされているとは受けとめていな い場合払おいてである。統合の第3のモデルについては,これまた差別を排除するもので あるから我々とは関係しない。第3モデルのような場合,マイノリティは十分尊重され,
平等なものとしてノ取扱われる。
差別が問題となるのは統合の第2モデルの場合である。ゲットーとか隔離segregation がこ.うした例となる。こうした場合,マイノリティは社会的にかあるいは場所孤立す るか;もしくは社会的にも場所的に.も孤立しで存在するか,のいずれかである。社会的ゲ ット山と地域的ゲットー,ないしはそのいづれかを諸君はご承知甲ととと思う。私が申し ■ あげたい点ほ,この「同化なき統合」ないしは隔離は,一般にそうであるように.かならず しも差別をともなうとか,差別によって生ずるものでは決してないということである。そ れは自己の特性を失おうとしない,ないしは自己の生沼様式を捨て去ろうとしないマイノ
リティの態度によって■生ずる場合に発生する。こうした場合,多少とも平和的共存が行わ れる。大蛇の国のユダヤ人の場合がこれである。その他Hallet氏の最近の研究例にある よう紅,キプロス島のトルコ人,連合王国・マレーレア・インドネシアの華僑が・その例で
(3) ある。他方このような第2モデルは,普通マイノリティにたいする社会−・般の態度の結果
としてもあらわれるのである。
−般的に去って,そうなる理由はマイノリティが数的にも社会的紅も重要性をもち,多
(1)Bingemer/Meistermann−Seeger/Neubert,郎Leben als GastaI・beiter, K61n undOplade平,1970,p・19−20・のBingemer論文0
(2)Becker は,これを居住上の隔離 residentialsegregation とか生態学的隔離
ecologicalsegregationという。G.S.Becker, The軌:OnOmics ofDiscrimina−
tion,〃Chicago1957,p.59参照。
(3)G.Ha11ett: The politicaleconomy ofimmigration contr91,〃inEconomic IssuesofImmigration,Instituteof EconomicAffairs!LQndon1970!p.135Q
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ーJム才一
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(4)
数グループにとり危険な存在となるからである。しかし,この危険性なるものは普通何の 根拠もないのであるが。したがって,問題点は「隔離」はどんな場合でも,マイノリティ 側がそれに敵対する周囲のものに横棒的に反作用を加える結果であるということである。
このような場合,マイノリティは1つの現実のカとなり自信をえる。いいかえると,隔離 ほ主として.■差別の副産物であり,それはまたどんな場合でもグループとしてのマイノリテ ィの経済的不利益を意味している。欝−の場合,多数派は社会的レベルに.おける反感に・よ ってのみ「差別」を表現しうるにすぎない。この場合上述の「同化なき統合」キなる0第 二の場合,差別はあらゆるそれに附随する経済的帰路を伴っでマイノリティを第2クラス の市民にひきさげる形をとる。この場合,差別は貨幣の一面であって,他面は「搾取」で ある。私がここで使う「搾取」と云う用語は,マイノリティ・グループの各構成員を弟2 クラスの生産要素として取扱うこ.とにより,不当な経済利益をえる
述の2つの場合とも,マイノリティほ,その時々において形を異に.するが,一定の経済的 機能を演ずるのである。
このように考え.て−くると,何故差別を統合の対立概念として定義しなければならないの か理由がわからない。それ故,差別は統合の一都なのである。私が上述のケルシの研究で 示された統合の3点の定義に,差別という第4の定義をつけ加えるわけは以上のようなも のである。この差別という用語ほ,多数派が所有すると同じ社会的地位や権利を・マイノリ ティに.は,社会的レベルだけではなく,経済的レベルに.おいても認めない状態を意味する。
しかもこの権利の否認ほこれまでしばしば「制度化」された形のなかで,換言すれば,法
(5)
的マントをまとった形のなかでなされることを意味している。例えば,アメリカの黒人,
ロ−・デレアや南アフリカの有色人種,連合王国やアルジェリアの他の形態,フランスゐ黒 人,西ドイツやスイスの外人労働者の場合がそれである。「人種」が差別それ自体に.おいて
(4)この場合BeckeI氏が偏見の増大する理由としてあげているのは,マイノリティ の成長力にたいする恐怖だけでなく,交際の頻度,日常性および持続性をあげている。
Becker前掲番p・8,124,およぴ,P・Foot,Immigratiop andRaceinBritish Politics,Baltimore−Maryland,1965,p.130参照。この両著者とも「脅迫」「恐 怖」,ないしは「不安」を差別−般と関連付けるが,その論証は本論文の区別にも有 効である。
(5)CollaI■d氏は,「差別はすぐれて移.民規制の場合行われ」「公共の福祉」という用語 の名のもとでなされるという事実を指摘している。D.Collard, Immigration and
Discrimination:SOme eCOnOmic aspects ,in EconomicIssuesinImmigra一 tion,p.86.、参照。
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でなく,歴史的諸理由と偏見から一定の役割をしており,またこうしたものがもろもろの
(¢)
社会状況のなかに.あらわれて−いることほ明らかである。
差別に.かんする私の定義は,被差別者が経済的にも不利益をうけている場合紅,差別が
あるというのである。こうした判断基準私達しなくとも,なお隔離が行われるかもしれな いが,それは大なり小なり個人的感覚の問題であり,さらにマイノリティにたいして搾取や
支配ができない場合の心理的反動のあらわれである。マイノリデイ・グル−プの成員ほ,
他のいかなる階級やグループも差別されているからという同じ不合理な理由のために・,社 会的根拠に.おいてグル−プとして差別される。要するに,私の定義する差別はそれが経済
的にあらわれる時にはしまるのである。差別が心理的ないしは社会的レベルでしか存在し
(7) ない限り,むしろ社会学的力学の問題であるが,その原因ほ結局経済的なものである。換
言すれば,人種・知性・国民性・社会行動等々といったもろもろの要素も非合理的偏見に よって経済的搾取の不可能性,ないしほ可能性へと転化する。搾取の不可能な場合は,心 理的反動の結果としてそうなのであり,搾取の可能な場合ほ見当はずれの説明のため紅そ
うなるのである。差別をその社会・経済的文胱のなかでとらえよう,そうすれば階級斗争 の仙形態として−の差別の本当の意味をとらえることができる。歴史を顧みると,19世紀の
労働者階級ほ経済的に.搾取されていただけでなく,社会的基盤においてもまた差別されて
(6)Foot氏は,英国の有色移民にとり最も邪魔紅なる要因は「彼らの階級的劣等感」
であるとみる。(Foot前掲苔p。236)馳tt氏によると,有色人種紅たいする偏見が いまだに.残存しているのは,有色人穆に.たいする経済的差別と不正の原因よりもむし ろ結果である。非白色人種の経済的劣性の永続化といった経済的諸要因を適して有色 人種に.たいする偏見が持続して.きたと云う。
W.H.H11tt:The Economics of the Colour巧ar,Institute of Economic AffaiI・s,London1964,p.30.
(7)私の「差別」概念が,Becker氏のそれ(Becker氏前掲酋p.7,122)と臭って いることは,明らかである。同氏ほ,差別とは「無益性」disutility,雇用主に.とって は「非金銭的生産コスト」,被用者檻とっては「非金銭的雇用コスト」,そして消焚者 に.とっては,「非金銭的消費コスト」であると定義する。同氏に.とってほ,「隔離」は
「経済的孤立」(pル14)であり,「■差別」ほ「隔離」と確か紅相関する。本論に.かん して云うと差別の核心、は「統合」の状況下でマイノリティのこうむる「経済的孤立」
ではなくて,「経済的不利益」である。BeclくeI氏は,差別を個人的有益性無益性の レベルでしか論じないので,差別の社会・経済的基礎に横たわっている問題の核心を 完全に無視することに.なる。差別は先ず,ある特殊目的と特殊な階級利益に奉仕する
ために社会の多数派により創造されたメカニズムとしてあらわれる。個人が差別をお こなうのはその者の階級帰属性の結果として,またその者の階級利益征したがって行 うのである。
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−JJ4−
いたしさ逆もまた同じであったことを知る。今日おかれているマイノリティ問題は,近代 社会に.おける階級間題の一側面である。差別は,後期資本主義社会の今日きわめて複雑化
した関係のもとに.おいては,あたかも一個級としての一外国人マイノリティ,ないしは複
(8)
数マイノリティを搾取するため一国内の全階級の共謀とな・つて現れるのである。
第 3 節
それでは,上述のような差別が後期資本主義社会ではどういう形をとってあらわれてい るのか,その形態の問題に.うつろう。私ほ次の6点に.しばって述べる。
(1)一年契約
ドイツ連邦共和国と外人労働者の本国との間に締結される協定によって,西ドイツに入 国した外人労働者はその者の就職席望先の企業と最初ほ一年間契約を結ふ▼当該企業を離 職し自由軋他紅求職できるのはその一年後である。西ドイツの外人労働者のうちの8%し か1年契約に.しばられていないといった,時たま示されるパーセント実数ほ誤っている。
例えば,この実数は.1966年の連邦労働庁Bundesanstalt ftir AIbeitの提供したもので
(9)
ある。
(10)
にも拘らず,1969年紅.はその実数は,約18%に上昇している。この実数の誤りは,それ が西ドイツで現在就労している外人労働者総数にたいする新参の外人労働者数にかんする
ものであるからである。西ドイツ当局が外人労働者の本国で斡旋した新参者数をそれを含 めた仝新参者数と比較するならば,1969年には1年契約をした新参者の割合は約70%であ
るから,このような正式の機関の斡旋をへずに入国した新参者theinvited newcomerし か不定期契約をして−いないことが常に.考えられる。このことは要する紅,新参者の4分の
3の者が転職の梅利をもたずに.当初1年契約をした同じ産業部門ないしほ企業に.滞留する
ことを義務づけられていることになる。かくして,外人労働者は最初の1年間は,国内労 働者と較ぺると差別されること紅なる。外人労働者の流動率は国内労働者の2倍高いし,
(1965年の外人労働者の流動率が22・5%にたいし,国内労働者のそれは11%),しかも 1969年の最近の資料に・よると,少くとも外人労働者の半数がより良い収入の機会をえるこ
(8)Foot氏は英国における移民者をsub−prOletariatとよふP.Foot前掲番p.236.
(9)西ドイツ雇用者協会発行の Informationenzur Ausl畠nderbeschaftigqng IV/
16/1966,p..4参照。
(10)Bundesanstalt餌rArbeit;AuslandischeAIbeitr!ehmer1969;N批nberg1970,
p.3,34.
ドイツ連邦共和国に.おける差別の経済的諸\基礎 −ヱヱ5−
301
とを転職理由にあげていることからする1年奥約はこのような新参外人労働者を雇用 モ)
する企業にとってほ利益であり,外人労働者に・とって不利益になると考える○
(2)搭 在 許 可
ドイツ連邦共和国は外人労働者の本国政府との協定で,彼らの滞在ピサの更新および更 新拒否の権利を留保してきた。このため外人労働者の本国は,彼らの送還をいつなりとも 受入れる義務をおっている。ユ−・ゴスラヒアは西ドイツに帰るユ−・ゴスラビア市民で有効 な滞在ピサを所持しない者の送還を受入れる,と規定した1969年のコ・−ゴ政府との協定寛
20条,および1961年10月30日付のトルコ政府との協定第10条(1964年修正)を例としてあ げることができる。ロ−マ粂約貨48条および第49条の保静する共同苗場の構成国に・所属す る外人を除いて,西ドイツ政府は外人労働者を必要としなくなった場合に・は,彼らを送還 する機会を結果的に.もっている。西ドイツの本間題の研究者ClausRichterほ1966年に いたるまでの期間中,当該現行諸立法が濁に市場の状況に適合するよう修正されてきたこ
(12) とを緒論として、のぺている。従って−,外人労働者の運命ほ凝済の景気循環に依存すること
になる。彼らほ失業時には失職だけでなく,本国送還の危険きえ.ももっているのである。
1967年の景気後退時にすべての失業外人労働者が帰国したわけではないし,さら軋帰国労 働者が自らの意思でそうしたことが事実としても,要するにこのこ.とは,彼らが合法的に
裁可された差別をうけたことになる。一般に,滞在許可漁1年ないし2年という⊥定期間 しか認められないことを忘れてほ.ならない。これについてはもう一度後述■する。しかしス イスでは,この点についてよりきびしい規定を設けており,最初は普通1年間特定の仕事と
(18)
特定の住所があるということを条件に滞在許可が出されることに留意してはしい。
(3)家 族 移 入
1965年6月3日と4日に開催された西ドイツ連邦内務大臣会議の決定に・よると,外人労 働者は次の3条件をみたす場合に.家族を同伴できる。①当該外人労働者が最近3年間西ド
イツに滞在していなければならない。⑧西ドイツに更に長期紅就労の意思のあること。⑧ 一般のドイツ人労働者と同水準の「普通の」条件をもった適切な住居をもつこと。①の3
(11)前掲書p.72
(12)C.Richter:Umfang,GIenZらn und Auswirkungen der Besch畠ftigung ausl翫1discher Arbeitskr畠ftein der BundesrepublikI)eutschland,Diss.
Mannheim1968,p.78.
(13)D,Maillat:Structuredessalairesetimmigration,Neuchatel−Paris,p・85・
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302
年間滞在という規則の例外は,西ドイツに1年間滞在し,さらに労働者とその家族が苦労 なしに.西ドイツの生活条件に自らを適応させることが「期待できる」場合にのみ認められ
ることほ注意してよい。この例外の適用,すなわち外人労働者の家族が西ドイツの生活条 件紅適応できるかどうか,その困窮度等の裁畳ほ.当局にまかされて小る。算2の条件は,
外人労働者が西ドイツに長期滞在め意思があるか否かがとわれているのであって,具体的 に.その期間をとうているわけではない。ノルトライン・ヴェストファー・レン州内務大臣の WeyeI氏が1965年8月3日の布嘗のなかで,外人労働者の家族を無制限に.受入れると,
特に「州別政に二不当な負担に.なる」と説明したのは皮肉である。同氏は外人労働者のその 家族を同伴したい希望を理解し,家族生活の積極的影響を強調するが,こうした希望ほ漸 次的に,かつある限度内でのみ実現できると判断する。「数年後には帰国予定の外人労働 者紅ついて,その家族の移入ほ問題にならない」と彼ほ云う。そしで最後軋披はそうした 方が,
してはじめこて,ドイツの生活様式を理解し,判断できるのだからと考える◇換言す卑と,
外人労働者のその家族を同伴する権利を否認すること紅よって,西Fデイツ国家は外人労助 者とその家族を「保護する」のである./西ドイツ内務省大臣会議の決定によると,その家 族が労働者として入国するなら滞在は許可され,その場合上述の3条件は適用されないこ
とを云って.おかねはならない。したがって,外人労働者の近親者等が労働者として雇用さ れ,したがって西ドイツ経済に貢献するかぎり,彼らは歓迎されるが,生産的でない場合 は,本国に.留っていなければならないとWeye工一氏は云う。
適切な住宅を所有するという第3の条件ほ,片手で取去ったものを他の片手にあたえ.る といったことの最も顕著な例である。外人労働者に彼らとその家族のために適切な住居の 保障をしなけれはならぬのは,西ドイツ政府と西ドイツの雇用主ではなくて,苛酷な産業 環境のなかで,なげかわしいことに何の生活指導もなく,疲れの多い時間外労働とたどた
どしいドイツ語しかしゃぺれない外人労働者等自身なのである。そして−,西ドイツの住宅 市場のジャングル払わけ入って自分の家族のため適切な住宅をみつけださねばならないの
も彼らである。次に.,1居住条件について詰を進めよう。こうした条件のため,家族の移入
が3年を経たのちも,大抵の外人労働者に.は無理なこととなっている。これがごく少数の 外人労働者しか西ドイツに家族をつれてこられない理由である。1970年9月に・は外人労働
(14)
者の約29%が婦人で,そのうちの4分の3(21.、75%)が既婚者である。1968年に.はこの
(14)Bundesanstalt ftir Arbeit:Amtliche Nachrichten,nO小12/1970,p.93.
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303
(15)
うちの3分の2をわずか超え.る婦人が夫と同居している。西ドイツで夫と同居している婦 人は全外人労働者総数の約18%乃至20%阻すぎず,しかも仝家族が共同生活しているわけ では.ない。大抵の場合,子供たちは本国に威されて,祖父母の保護をうけている。この西
ドイツに入国した婦人の大部分は,既述のように.西ドイツに労働者として入国する家族に ついて規定した1965年6月3日と4日付の西ドイツ内務大臣の決定に.より開かれた屏を通
じて入国してきたものに外ならない。現在の資料に・よると,非ドイツ系の外人労働者の婦
6〉
人の約76%が雇用されてい他加96時に作成され,昨年発行の連邦労働庁の調査紅よ ると、,男子労働者の約40%が妾と同居していること紅なっている。既婚者総数と比較する と,このグルー・プほ58%になる。
しかし/これらの平均数より岬そう顕著なのが各国籍別のデータである。例えば,りレ コ人,.ユ−ゴステビア人は全外人労働者申それぞれ82%と76%と既婚者率が最高であるの に.,妻と同居しているのほそのうち各々3分の1にすぎない(各国外人労働者総数のうち 委との同居者率ほトルコ人㌘%,ユ・−づステビア人25%)。ポルトガル人は比較的その点
ましな方であるが,それでも全既婚外人労働者78%のうら妻との同居者率ほ44%(ポルト ガル外人労働者総数の34%)であり,この点では最もめぐまれた部類に属するギリレヤ 人(既婚者率78%),スぺイン人(既婚者率74%)でも秦との共同生活者は・それぞれ78%
(仝ギリシャ外人労働者のうちの60%)と60%(全スぺイン外人労働者のうちの44%)に すぎない。以上のような状況は既述の西ドイツ内務大臣会議の規則に合致する。すなわち 長期滞在の外人労働者しか妻と同居できないということである。トルコ人や、ユーゴスラピ ア人ほ西ドイツでほ殆ど新参者である。既婚者の約半数しか妻と同居して−いないイタリア
外人労働者の場合は,若干例外かもしれないが,これはイタリアからの外人労働者の動き
(17)
が最近鈍化したことと相関している。
しかし,一部の人がきわめて適隕であると考えている上述のような就労状況も,実はド イツ経済が婦人労働者を多数必要としているせいであることを云っておかねばならない。
(15)Bundesanstaltfiir Arbeit:Auslandische ArbeitnehmeI,Erfahrungsberi申t
1968p.21.
(16)E。Klee:Die Nigger Europas,D(isseldorf1971,p.124。参照。本稿で紹介
した連邦労働庁め実地調査ほ西ドイツ滞在の約40万の外人労働者の子弟紅関する詳細 な資料を報告していない。したがって,家族関係にかんする正確な叙述ができない。
Auslandische ArbeitnehmeI1969p.56−57参照。
(17)Auslandische Arbeitnehmer1969,p.53巾
−−ヱJβ−
発50巻 第2号304
このような規制ほ,外人労働者の家族の移入や,とりわけ婦人の入国を経済の需要に応じ て西ドイツ当局が調整できること紅よってなされる。最近の婦人労働者の大幅な不足こそ が,適切な住居の用意等の受入準備上のさまざまな困難にもかかわらず,多くの企業に本 国よりカタプルの外人労働者の導入政策をとらせることに.なったという事実を連邦労働庁
の最近のレポー†が指摘して小る01969年に・ほ,このよう紅して約3200世帯のやツプル
(18)
を導入できたが,そのうち4分の3はスぺインとギリシャからの看である。産業が婦人労 働者を必要とするかぎり,住宅問題はかなり簡単に.解決するという点は注意してよい重要
なことがらである。上述のような差別的立法や取扱いがなされるのは,EC以外の国から の外人労働者にたいしでであるということも注意しなければならない。したがって,ベル ギー・,オランダないしはフランスからくる外人労働者の法的地位は,スぺイン,ギリシャ ないしほトノソコからくるそれらとはちがうし,南ヨーロッパからの外人労働者は,その他 のヨーロッパ地域からくるそれらとも法的地位かことなっている。EECの私生児として 取扱われてきたイタリア外人労駁者の現状は,EECの労働者に.とってさえ.事態が楽観的 でないことを示している。家族との別居が物質的・心理的福祉の点で外人労働者にとり何 を意味するのか,また労働者として受入れる以外に外人労働者の家族の受入れを義務付け られない,しかもそれも西ドイツ経済の利益となる限度内でしか受入れを義務づけられな いという事実から,ドイツ連邦共和国がどういった経済的利益をえているか,あえて強調 する必要もないだろう。
(4)住 居 条 件
英国およびフランスで最近発行された実地調査の出版物は,経済的マイノリティの外人 労働者が住宅問題でこうむっている搾取の大きさを明らかに・した。西ドイツでその全貌が 表面化したのは新聞のおかげである。例えば,1970年10月19日発行の「シュピ」−ゲル」誌 第43号のレポ−トについて−ふれると,企業の準備した36人につきバスル−ム1,トイレ2
という不健康な寄宿舎(普通は,木造倉庫,バラック,作業室,老朽建物等)に.,1ベッ トあたり月額60マルクから85マルクの寄宿代を支払わねばならなかった。4人家族で12平 方メ−トルの部屋を借りるの紅120マルク(フランクフルト),5人家族で改造したパルコ ニ−を借りるの紅350マルク(マインツ・モンバッハ),夫婦で日原のない地下室の2部屋を
借りるのに200マルク(マインツ・ゴンセソハイム),近く出産予定の夫婦がノ\シゴを利用
(18)前掲書p.33.
ドイツ連邦共和国把.おける差別の経済的諸基礎 −JJ9−
305
しないと使えない1部屋半の鶏舎を借りるのに180マルク(以上の家賃に・は光熱水費ほ
(19)
一切別)であった。1970年の5月と6月にノルトライン・ヴュスt・プァ−・レン州労働省 の実施した外人労働者の2674世帯の予備的アンケ一一F・調査の集計を次に引用して魂たい0
それによると,外人労働者世帯の80%が老朽家屋紅居住していたし,全住居の57%が40平 方メ−トル以下であり,そこに居住する世帯数の39%が5人家族以上であった0そうした 家屋の40%が調理場をもたヂ,64%は便所がなく,13%ほ調理場・便所・水道もなかっ た。こうした家屋の39%に1平方メートルあたり5マルク以上の家賃が支払われていた。
すなわち,調理場,便所,もしくは水道もない家屋の半数以上の家賃ほ1平方メートルあ たり5マルク以上であったし,そうした世帯の67%が1人につき1ペット以下であるの だ./アンケート調査の対象となった世帯主の89%が,彼らめ住宅事情に満足してなかっ た。したがって,前述した1968年度の連邦労働庁の実地調査では,調査対象となった夫婦
(20)
の60%が彼らの住宅施設に満足してこいる,と調査結果をまとめているのほ驚きであるo F ルコ,、ユー・ゴスラビアといった南ヨーロッパ諸国からきた夫婦の場合,この率が52%乃至 56%であるとのさら紅詳細な情報を,上述のノルトライン・ヴェストプア−レン州労働省 の調査結果と比較すると驚かざるをえない。連邦労働庁の公式調査は,外人労働者夫婦の 拓%が私宅紅居住し,その90%以上が調理室を含む3部屋以上の住宅に住んでいると述べ ている。にも拘らず,外人労働者自身の借りた私宅と企業の用意した住居に格差のあるこ とほ注意してよい。例えば,私宅で調理室を含む1乃至2部屋しかないのは,わずか8%
であるのに,企業が用意した住宅では,それが34%にもなっている。後者の住宅の場合 で,トルコとか・ユ・−・ゴスラビア等の南ヨーロッパからきた外人労働者のグル−プで4乃至 それ以上の部屋に居住する者はわずか28%にすぎないのに,その他のヨー・ロアパ諸国から
きた外人労働者の場合は62%である。しかし重要な点ほ,連邦労働庁のやや楽観的な謂査 結果にもかかわら・ず,4人家族以上の世帯で2部屋に居住するものは20%,3部屋紅居住 す・るもの37%であるの紅,3家族以上の世常でn部屋に居住するものが21%もいることで ある。この公式調査によると,独身外人労働者の60%が企軍側の用意した寄宿舎,ないし
(19)Klee:Die Nigger EtlrOPaS,p.46.,
(20)連邦労働庁の調査によると,ノルトライン・ヴェストプァ−レン州では,満足する 者53%,不満足なカップルが25%であった。(A11SlandsicheArbeitnhmer1969,p.
63)これは,本稿で引用した同州労働省のごく最近の予備的調査結果とひどく対照的 である。
第50巻 第2号
−−J20− 306
(21)
ほ共同施設紅居住していることが印象的である。「シ′ユ.ピ】−ゲル」誌のレポートにヒント をえて,新聞が恐るべき現況の一面として最近暴露したのほこの種の住居である。この連 邦労働庁のいわゆる「典型調査」はこのような寄宿舎の一部屋の収容者数,部犀のサイ ズ,その施設はバラック,畜舎,倉庫等を利用したものかどうかという建物の様子,収容 l されている独身労働者の何%がその住居に満足しているかといったことについて何の報告
もしていない。また住居の具体的条件・特性(調理垂・便所・部屋の1オイズ・水道等)な いしは家賃紅ついても報薯していない。
外人労働者の雇用を開始した時から,彼らを収容する住宅条件の開発が誤っていたよう 把.思える。1960年8月25日付の連邦住宅大臣の回状についてのぺると,同大臣はそのなか で,外人労働者の雇用を海望する雇用主が建築費の安あがりを理由に彼らを収容するため
(22) の簡易家屋の建設申請を認可しないように各州住宅大臣.宛紅要請している/外人労働者
の住宅事情にふんして新聞が暴露したため,連邦労働・社会秩序大臣は.この年の3月に.,
(23)
外人労働者の住居のための一阻シ.ミ則を制定した。これほ,醜行の1964年の原則を少し修正 したものなのに,社会民主先議員のTalleIt氏ほ,世界の最強最大のエ業国の丁つの収
(蝕)
穫以外の何ものでもないとのべている。1971年の世界で最も豊かな国の1つの政府が,いわ ゆる外人労働者はすべて1人1ペットを持つこと,2台以上ベットを積上げて使用しては ならぬとか,岬部屋に・4台以上のベットを配窟してはならぬ,とかいった外人労傲者収容 のためのバラックの居住条件の規制をしているのは,実紅恥しいと思う。20名につき}ヤ
ワーー・浴場1,男子10名紅つき便所1,女子8名紅つき便所1。このような男女別の異った
\ご51 規則に西ドイツ政府がどんな規準をもらいたのか理解匿・苦しむ。ただこうした新しい原則
を守らない企業常.は,連邦政府ほ外人労働者を斡旋しないという制裁を企業が予知してい たかったなら,この新しい一般原則もほとんど守られなかったろうということを附言して おかねはならない。ここでまた既述したケルンの実地調査の緒果,すなわち外人労働者は 法的には.ドイツ市民と同様に処遇されている,ということを引用しておく。しかし現実
(21)AuslandischeArbeitnehmer1969,
(22)Bundesar beitsblatt,21/1960,p・67ト672
(23)Amtliche Nachrichtender Bundesanstalt ftir Arbeit,19thyeaI,Nr,5,21.
5.1971,p.㌘7−280い参照。
(飢)1971年6月18日付 Die Zeit〃の論文参照。
(お)私の知るかぎりでは,これは,女子が男子より有利紅差別されている社会法制上の 唯一のケ」−スである。
ドイツ連邦共和国に.おける差別の経済的諸基礎 −ヱ2ヱー 307
に.は,若干の例外を除いて,ケルンの住宅関係当局は外人労働者の場合1軒も斡旋していな い。外人労働者は最低所得階層であるの
法的に保障している利益を草受していない。ケルンの外人労働者の家賃は,ノルトライン
(2¢)
・グェストファーーレン州および西ドイツ全体の平均家賃よりもかなり高い。BeckeI氏は,
−一定の質の住宅について,ある者が他人与り高い家賃を支払っている状況を「居住差別」
(27)
residentialdiscrimination とよんでいる′。
(28)
最後に,BeckeI氏に.よれば,そのきぎしが現われはじめたが,まだ十分な現象となっ ていない「居住隔離Jresidentiasegregationにふれないわけにほいかぬ。多くの都市 で,普通同一周無の外人労働者がある特定地域,普通ほ労働者地区に集り住み,このよう な場合ドイツ人はそこを避けているのである。既にケルン,ベルリン,ハンブルク,ミュ ンヘン, フランクフル†・等に・これと類似の居住ゲットーが存在している。Becke‡氏は,
こうしたアメリカの黒人のゲットー・化のような発展現象について2つの理由を述べてい る。すなわち,住宅市場に・おける公共政策と私的選択についでである。西ドイツの外人労 働者についても,この2つの理由ほ若干異った背景があるにせよ妥当するかもしれない。
外人労働者が岬L定の場所紅集合して住みつきたがるのは,彼らが同国人の近隣紅居住する
ことがより良いと感じるからであるか,あるいは経済的紅も社会的にも生酒水準の高い住 民,すなわち一般にドイツ人のために・用意された都市の他の部分紅住宅を見付けられない
からである./これでは公共政貨の要素が消極的意味に,すなわち外人労働者を統合するた
(29)
めの具体的公共政策がないという意味に解さざるをえない。しかし現実ほそれどころか,
住居施設問題を雇用主と公開市場状況の問題に.することに.よって,国ほこのゲットー化傾
向を是認していぁのである。したがって,既存の問題の焦点はワルシャワの・ユダヤ人ゲッ ト「,ニユ−ヨ−−クのハレムの黒人ゲットー,ないしほシカゴのプロクツェンビュとか,
マンハッタンほプレッカー街沿いのイタリヤ人地区のよう紅・現其のゲットー問題へと漸次 移っていくだろう。
この点をさら紅追求し,職業訓練,児藷の学校教育,外人労働者が実際に就労している 職経,労働組合,政治生活等のなかでなされている差別の実態を探究できた。が,ここで
(26)Bingemer/Meistermann−Seeger/Neubert:Lebenals GastaIbeiter,p.136.
(27)Beckerの前掲苔p.59−60。
(28)前掲書p。59。
(29)差別的状況を一掃するという意味での。
貨50巻 第2号 308
−J22膚
は次に時間の節約もあり,差別の他の2つの型態,すなわち,賃金問題と法的・司法的状 況についてのみ簡単にふれておこう。
(5)負 金 問 題
外人労働者が虚低所得層であることをスイス・英国およびフランスの調査が明らかに・し
(30)
て:いる。CollaI・dほ選国の現状紅かんする最近の研究のなかで,就職市場で最悪の地位に あるのは移住労働者であり,昇給が困難のうえ.,失業率がきわめて高レ、ことを述べてい
(31)
る。Becker氏の「市場差別係数」marketdiscriminationcoefficientに・よると,外人 労働者は賃金紅おいて差別されており,同一・の仕事にたいしても,報酬がはるかに低いので
(82) ある。しかし,このことを実証できないことほないにしても,非常に難しいこ・とを云ってお
く。まず,ここで西ドイツ連邦の外人労働者の現状の賃金率にかんする資料についてふれ て畢とう。既紅引用した連邦労働庁のきわめて非典型的な典型調査によると,南ヨ一口ツ パの男子外人労働者の約70%ほ1968年紅は1時間あたり5マルク以下という賃金率であっ
(38)
た。一般的に云って,女子労働者ほ男子労働者よりも賃金水準が低ぐなっている。この調 査でもう1つ明らかに′なったことは,1時間あた、り4マルク以下の賃金の労働者の大部分 が,年令25才とそれ以下め年令層であるということである。25才から45才の年令層だけが
1時間あたりせいぜい5マルク以上か,5〜6マノウクの贋金をえていた。この典型調査は そのデータを西ドイツの国内労働者のそれと比較して報告していない。UISula叫eb卜 ほndeI:が1967年紀行ったもう1つのより啓発的な実地調査の結果を利用しよう。そのなか で最も興味をひく点は,外人労働者に支払われた負金が彼らの資格と明らかに相関関係紅 ないという、ことである。1時間あたり貸金3.51〜4マルクのグループ紅属するものは,イ タリア人熟練工の17小4%,一般の有資格者乃至ほ半熟鱒工の12・5%,および無資格者と不 熟練工の加.5%であった。1時間あたり費金単価4.01〜4.50マルクのグループ把属した者 ほ,熟練工のうちの13%,半熟練工の62.5%,および不熟練工の41.1%であった。
以上のことほ,他の国籍の外人労働者の場合に.も同じことが云える。例えば,スペイ,ン
人の熟練労働者の50%が1時間あたり3・51〜4マルク中質金であるの紅,半熟錬エの33一′3
(30).Mai11at:StruCtureSdes salaire$etimmigration,およぴ Hommes etMi−
gI−ations〃No.797,1−15.11.1970・
(31)CollaI・d:Immigration and discrimination,p.82.
(32)Becker前掲番p.9。
(33)Ausほndische Arbeitnehmer1969,Pl,80−83.
ドイツ連邦共和国における差別の経済的諸基礎
−ヱ2β−
309
%は1時間あたり,4巾51〜5マルク,不熟練工の43..4%が4..01〜4.50マルクの賃金をえて
(34) いた。Me加・ほndeI氏は外人の熟練工が半熟練エや不熟練エより高賃金をえている明確な
(35)
証拠がないとのべている。これは驚くはどのことではないが,注意してよいことがらであ る。例え.ば,フランスで略アルジェリア人の熟練工の50%ほ不熟練エと同じ賃金率であっ
(36)
た。こうしたことが,どこまで純粋に差別によるものであるのか,ないしほ市場の状況の せいであるのかこの場合云々することほ容易でない。このような現状を西トイツ連邦の 熟練工の要求による差別的かけひきのせいに.するこ一■ともできないわけでほない。各産業問 の賃金構造についていえほ,農業部門を除くあらゆる産業部門の外人労働者の大部分(鉄 ′ 鋼産業部門の61%,鉱業・・エ・ネルギ一部門の80%,手工業部門の70%)が平均賃金率より
(37)
低い1時間あたりの賃金率しかえていなかったとMehI・ほndeI女史は算定している。
問題はこうした差異がなぜ生ずるのかという旗由である。MebI1andeI女史は,先ず第 1に2つの理由をあげている。弟1ほ,多くの産業部門とりわけ,主として外人労働者を 雇用している企業での実際の支払賃金率は,Mebl・1andeI・女史自身の算定した平均賃金率
よりもかなり低いということ,欝2の理由ほ当該産業部門に支払われる平均賃金率以外の 諸要素,例えば生産グル−プごとの仕事の格付けとか,企業への雇用期間といったものが
(38)
外人労働者の1時間あたりの賃金額の決定に.ある役割をするということである。連邦労働
庁の典型調査は,企業の所在する都市の規模,本人の語学力,順応度,超過勤務時間,夜 間作業,汚染度ないしほ危険作業手当等といった様々の要素が賃金の違いを生ぜしめる理
(39)
由になっているとのべている。イギ.リスの研究家Co11aId氏は,イギリスの国内労働者と 外人労働者間の賃金格差の説明に,外人労働者の低い労働生産性と低賃金でも彼らの労働 供給紅弾力性があること,そして最後紅純粋の差別を緒論としてあげてい前述のよう 0)
に,これらの要素がどれだけ賃金格差の説明に.なるか明らかにすることはきわめて困難で ある。熟練労働者の支払賃金紅かんするMehI・1細deI女史の調査結果は,外人労働者の
(34)U.Mehrlander:寧esch畠ftigungaus15ndischer Arbeitnehmerin der B11nd−
esrepublikI)eutschland unter spezi畠11er Berticksichtigung von Nordrhein−
Westfalen,Koln und Opladen1969,p.,99−100.
(35)前掲苔p.106。
(36)㍑Der Si)iegel〃Nr,24,1971年6月7日p.92.の情報。
(37)MellI・1細deI■前掲沓p.107。
(38)前掲番p.108。
(39)Auslandische Arbeitnehmer1969p・82
(40)CollaI・d前掲育p.82。
第50巻寛2号 310
−・J24−
賃金が彼らの労働生産性によってさえ支払われてないと云う見解を支持するものである。
さらに,西ドイツ全金属労働組合の報告によると,外人労働者は一般に・彼らの職種に応し た賃金類型漉したがって格付けすらされていない。また−般に.少くとも,西ドイツ紅雇 用された初年度は,労働組合と雇用者団体との協約でとりきめられた資金率が支払われる のであり,外人労働者の就労する場所で普通支払われている賃金率でほない。なぜなら,
(41)
そうしたものをまるで考慮しないからである。以上説明してきたこの実地調査のいづれ も,現に存在しているこうした賃金格差の本当の理由を探り出そうと試みていないし,上 うした格差がどれだけ企業側の差別行為のせいであるかを発見しようともしていない。こ うしたことを探るとすれば,普通の統計資料の分析では不可能である。こうした方法は,
調査結果を統計表の上位檻組込んで,外人労働者の現状を簡定的に描く連邦労働庁の報告 書のような見せかけの試みをさせることに.もなる。例えば,1968年の秋には,男子外人労 働者の4分の3以上が1時間あたり4マルク以上の貸金であったと報告して,連邦労働庁 ほ現状を望ましいものとして描こうとする。ところが,資料を下から上へとみていくと,
男子外人労働者のうちの70%が1時間あたり5マルク以下の賃金しか受取っrていないこと を発見したのであるが,こうした現状は決して望ましいものでは査い。しかし,こうした 試みも,ノ我々がドイツ人労働者のそれに.相当する仕事の格付けや現存する外人労働者とド イツ人労働者の資金格差の理由を認めたわけでもないので,あまり意味はなト。連邦労 働庁の調査報告がドイツ語のできる外人労働者ほ,それのできない者と比較しで高賃金を えているとのべているのは参考になる。もちろん,この場合,それのできる外人労働者の 生産性が高いということと同時に,外人労働者把.ドイツ語の知識があるということが,企
業紅よる搾取の可能性を制限することを意味しているのかもしれない。ところで,特殊な 資格を必要とする職種を除いて,あるいは同一職種のドイツ人労働者の生産性と比較し
てご,外人労働者の生産性が低いかどうか,いちがいにほ云えない。他方,外人労働者に′た いする差別扱いがおもに新参者の場合,西ドイツへ就職した初年度に.おこなあれていると 予想されるが,これ亨で甲ところ,このような視点からなされた実地調査はない0
(6)法律上および司法上の地位
以上述べてきた差別の形態の大部分ほ制度化されている。すなわち,滞在許可,家族移 入または一年契約であれ,それぞれが法律鱒よって管理されている○外人の法的地位を−
(41)D Peters:AusIAndische Arbeiterin der Bundesrepublik,mimo,p・41・
ドイツ連邦共和国における差別の経済的諸基礎 丁ヱ2β−
311
般的に規定した1965年のいわゆる外国人法紅ついて一大衆的議論がなされたが,とりわけこ こ2年間において,外人の処遇について関係当局に・いかに多くの自由裁患の鱒が委ねられ ているか明らかにされた。西ドイyの弁護士Hans Heinz Heldmann博士は外人法につ いて,それほ「外人を差別する道具」であり,「この法律の差別性を裁判判例が証明してこい
(42)
る」とのぺでいる。問題を正しくとらえるために.は,万人は法の下に渾等であることを確 認した西ドイツ憲法そのもの,ならびに国連の国際人権規約および欧州人権保護条約から は.しめねはならない./滞在許可,追放,政治活動,難民の権利等紅かんするかぎり,外 人が差別をうけている無数の事件がある。西ドイツの裁判官の〕釣itzFIanZ博士は,こ
(43)
のような事件について.「警察国家」だとのぺている。自治体への参政権とか,各社会保障
に関連する部局(故病・失業・年金・災害等)への参加権のような西ドイツ国家の安全を 危くしない権利すら外人に題められていない。労働関係に・ついて二,外人はある種の例外を
除いて,国内人と平等であると宣言されている。企業の労働者委員会workersco品mittee への被選挙権が外人労働者紅ほ香認されて.いるが,これはEECの構成国外の労働者につ
(44)
いてのみ適用されるというさらにきびしい差別規定があることをここでふれておく。納税 負担に.ついては,ドイツ人より多くの外人労働者のはうがより負担の重いこともここでふ
れておこう。例えば,MebIl紬de工女史ほ,家族を本国に残してきた既婚の外人労働者
(したがって,一喝的にその家族と別居をしている者)は,妻と継続的に別居生活卑して
(45)
いる既婚の外人労働者の場合よりその地位がはるかに不利であるとのべている。西ドイツ 連邦の立法のなかに.既に定着した外人の差別問題が,実際のところいまだに徹底的な調査
の対象となったことはなかった。このことは,外人労働者にたいする現在の差別が,′個々 人の私的態度ではなく,外人労働者を現存秩序の構成要員として組織し合法化してきた現 状の政治的・法的・経済的・社会制度のなかにより深くその根源をもっているということ
の事実を示したものにほかならない0
これについて,最近議論の多いいわゆる不法移住労働者問題軋ついて一寸ふれておく。
不法移住労働者とほ,西ドイツ当局の仲介によらずに乃至は招聴をうけずに西ドイツ連邦
(42)ForschungsinstitutderFriedrichEbertStiftung・発行の Ausl畠ndergesetz 65−Alte工nativentwurf,70,〃March1970,p.9.
(43)AusIAndergesetz 65−Alternativentwurf 70,p・27▼
(亜)MebI・ほndeI■前掲番pり93。
(45)前掲番p.117。