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(1)

「満洲国」の都市における 民族資本の戦時と戦後

―― 奉天市の機械器具工業を中心に ――

張 暁 紅

目 次 はじめに

一 年代初頭の奉天市における機械器具民族工場 二 民営資本に対する社会主義改造の展開

新中国建国まで( . − . )

社会主義改造の初期段階において( . − . )

「五反運動」から改造の発展・完成まで( . − . ) 三 民営工場の事例分析

年名簿による分析 興奉鉄工廠と成発鉄工廠の事例 おわりに

は じ め に

本論の目的は, 年から 年まで,いわゆる戦時期から, 「満洲国」 (以下

「 」を省略)の崩壊,内戦,中華人民共和国(以下,新中国)の成立を経て,

民営資本に対する社会主義改造が完了するまで,満洲国における民族資本がそ の後どのように変容・編成替えされていくのかを,奉天市(現・瀋陽市

)の機 械器具工業を事例として明らかにすることである。同プロセスを検討すること によって民族資本にみられる戦時と戦後との連続性と断絶性を考えてみたい。

( ) 年 月に「奉天市」から「瀋陽市」に改称された。

第 巻 第 号 年 月 −

(2)

先行研究

中国では,新中国建国( 年 月)までの経済遺産を「旧中国の経済遺 産」と呼び,その新中国への継承については,建国初期( − 年)経済 史研究の最も重要な問題の一つとして位置づけている。その理由は,この時期 の研究は新中国の起点に対する評価に関わるからである。しかし,侵略に対す る認識の複雑性や資料上の限界などのために,当該領域の研究は十分に行われ てきたとはいえない。たとえば,中国では近現代経済史研究において,「民国 経済史」と「中国共産党史」(「根拠地経済史」も含む)という二つの研究領域 が形成されたが,戦時と戦後を融合し, − 年代を研究対象時期とし て,東北地域も包含した研究は数少ない。中国東北経済史領域の代表研究者孔 経緯氏は戦時と戦後との連続性と断絶性に着目した研究成果はあったが

,研究 対象時期は 年代末に限定したため,新中国時期への言及はほぼなかった。

これまで新中国の経済起点に関する研究では, 年の経済基礎データを用 いて新中国設立時の経済背景の初期条件として考察するものが主流であった

。 しかし,筆者は,こうした基礎データに基づく分析はマクロ的な情況の理解に おいて有効であるが,経済の実態への把握はその担い手に対する実証分析なし には困難であると認識している。

一方,日本では,担い手を対象とする研究は近年活発に展開されるように なった。実証分析に基づく研究成果として松本俊郎( ),峰毅( ),飯 塚靖( , )などの研究がある。これらの研究は日系大工場が牽引役を 果たした重化学工業化について,「満洲現地へのインパクトや環流」(戦後「満

( ) 孔経緯『新編中国東北地区経済史』吉林教育出版社, 年, − 頁。

( ) それは主に① 年の経済指標と工業・農業製品の生産量をもって新中国の経済発 展の起点とし,国民党政党時の経済崩壊状況をもって新中国経済が直面する困難な現状 とする,② 年の経済指標を日中戦争開始前の 年(東北部は解放前最高水準の 年)と比較することによって,戦争による経済破壊を強調する,③ 年の中国 経済指標を同時期の先進国やソ連,インドと比較することによって新中国創立時の経済 が遅れた状況を説明する,といったものである。中国社会科学院経済研究所,中国近現 代経済史研究者である武力氏は, 年の論文で上述した先行研究の限界性を言及し,

研究の深化を呼びかけたが, 年の壁を超えることはまだこれからの課題である(武 力「建国初期経済史研究的若干思考」中国社会科学院『当代中国史研究』 年第 期)。

(3)

洲」史研究会, )の側面から重要な視点を提供している

。しかし,経済の 担い手として民族資本を取り上げた研究は未着手のままである。

満洲国期の史料によれば, 年の民族資本は工場数が 万軒を超え,職 工数が 万人に達した

。旧日系資本と異なり,満洲国崩壊後も政権交代や経済 状況の激変する中で,生き残った民族資本は変容しつつ,しばらくの間は同じ 経営主体で生産活動を行ったと思われる。満洲国期にあったこれらの民族資本 はどのように新しい経済社会に取り込まれていき,担い手としてどのような役 割を果たしたのであろうか。性質も全く異なった新政権と旧政権のもとで彼ら の活動には連続的,あるいは断絶的側面がみられたのであろうか。これらの課 題の究明は,満洲国支配が経済に与えた長期的な影響のみならず,新中国経済,

あるいは工業化の初期条件を理解する上でも必要不可欠である。

問題の所在

後掲表 は, 年瀋陽市機械器具工業の代表企業名簿とその前身を列挙 したものである。 年の瀋陽市機械器具工業において,満洲国期の民族資 本が前身となる企業はどれほど存在するのかを,まず同表で確認しておきた い。

表にある①工作機械製造,②鉱山機械製造などの機械器具工業内訳分類は出 典資料の分類に基づくものであり,会社所在地にある, 年現在の瀋河区,

和平区,鉄西区はおおよそ満洲国時の瀋陽区,大和区と鉄西区に当たる。ちな みに,瀋陽区は旧来,中国人が密集して居住する地域であり,大和区は満洲国 時に日本人口が比較的多い地域,いずれも商業と消費財生産工業が盛んな場所

( ) 松本俊郎『「満洲国」から新中国へ:鞍山鉄鋼業からみた中国東北の再編過程 −

』名古屋大学出版会, 年;峰毅『中国に継承された「満洲国」の産業:化学工 業を中心にみた継承の実態』御茶の水書房, 年;飯塚靖「『満洲』における化学工 業の発展と軍需生産:満洲化学工業株式会社を中心として」『下関市立大学論集』第 巻,第 ・ 合併号, 年 月;飯塚靖「国共内戦期・中国共産党による軍需生産:

大連建新公司を中心に」『下関市立大学論集』第 巻,第 号, 年 月;戦後「満 洲」史研究会「なぜ「戦後満洲」か?」『近きに在りて』第 号, 年 月, 頁。

( ) 経済部工務司『満洲国工場名簿』( 年末現在) 年。

(4)

であった。一方,鉄西区は大規模工場が立ち並び,東北地域の代表的な工業地 である。

主に「前身分類」の欄について説明を加えたい。筆者は名簿にある企業の由 来を歴史資料と照らし合わせたうえ, 分類を行った。前身は満洲国期の日系 資本であった企業を第 類とした。第 類と第 類はいずれも,職工数 人以 上を有する民族資本が中心となって設立され,社会主義改造で「公私合営化」

方式で改造された企業である。ただ,第 類は満洲国期に存在したことが確認 できるのに対して,第 類は満洲国期に存在したことを現時点で資料によって 裏付けることはできない。なお,筆者は第 類中に第 類に該当するものも多 数含まれると推測している。第 類は社会主義改造方式が「合作化」に分類さ れた,職工数 名以内の町工場同士で合併して設立した企業,第 類,満洲国 期との関連性が薄いと思われる,新中国設立後の産業構造編成替えの過程にお いて設立された企業,あるいは前身が確認できなかった企業の類である。ちな みに,公私合営化や合作化とは,社会主義改造実施初期の民営工業を対象とす る改造政策である。つまり,これまでの民営工業を職工数に基づいて,職工数 人以上の民営工業は「私営工業」(民営工業)とし,公私合営化の改造形式 をとるのに対し, 人以下は「個体手工業」(個人手工業)とし,合作化の改 造形式をとる

表 は 分類順に後掲表 の企業を集計したものである。本論で分析対象と しているのは,第 類の企業である

が,表で確認できることはまとめると以下 の通りである。

第一に,第 類は,総数に占める割合は %, 割以上が鉄西区に位置す る大規模工場である。これらの工場は満洲国期の日系資本が前身であったこと から, 年現在は満洲国期と比べると,その規模や地域分布的な特徴がほ

( ) 董志凱『中華人民共和国経済史 − (上)』社会科学文献出版社, 年, − 頁。

( ) 第 類に該当する民族資本零細工場も筆者の関心領域ではあるが,とりあえず,今回 の内容から省いた。

(5)

ぼ変わっていないといえよう

第二に,第 類の満洲国期にあった 人以上の職工数を有する民族資本が中 心となって設立された企業は, 年機械器具企業総数において %を占め ている(第 類中にも該当するものも含まれると考慮すると,実際はこの比率 がもっと高いはずである)。これらの企業は中規模工場がほとんどであり, % の工場は鉄西区に位置していた。第一の結論と関連してみれば,大工場と中規 模工場のかなりの部分は鉄西区に集積していたことがわかる。

第三に,第 類の職工数 人以内の個人経営零細資本は,満洲国期最終消費 品生産を営む零細資本,あるいは町工場により構築されたため(後掲表 ),

地域分布において消費人口分布に適合した特徴がみられた。

最後に,なぜ奉天市の機械器具工業を事例としてとりあげたかについて言及 しておこう。冒頭で述べたように,本論は中国東北地域の都市における民族資 本の戦時と戦後の変容に焦点を絞った研究である。その理由について,別の機 会に詳しく検討した(張暁紅 )ように,満洲国の建国とともに,奉天は

大工業都市の つに指定され,都市人口や市域の拡大,工業生産額の増加な

( ) 満洲国期の特徴について,拙稿「『満洲国』期における奉天の工業化と中国資本」柳 沢遊・木村健二・浅田進史編著『日本帝国勢力圏の東アジア都市経済』慶應義塾大学出 版会, 年を参照されたい。

( ) 前掲拙稿「『満洲国』期における奉天の工業化と中国資本」。

年名簿の企業の 前身に基づく分類

企業数

(軒)

総数に

占める割合 規模 工場所在地「鉄西 区」が占める割合

第 類 % 大規模 %

第 類 % 中規模 %

第 類 % 中規模 %

第 類 % 小規模 %

第 類 % 混合 %

総 数 % − %

後掲表 の集計

出典:同表 。

(6)

どに伴う都市経済規模の急速な膨張がみられた。そうしたなかで,機械器具工 業は満洲国の経済統制政策のもと代表的な新興産業として成長した。奉天の機 械器具工業の発展において,日系大規模工場は主導的な役割を果たした。それ に対して,民族工場は核心的な地位を占めていなかったが,大規模工業への部 品供給や現地市場を意識した消費財生産において,無視できない存在であった。

民族工場は戦争中の略奪と生産資料の不足による打撃を受けながら,積極的な 活動を行い,一貫した工場数の増加を実現した。また一部の有力資本は重化学 工業化の重要な一環を担うほどの力をもつようになっていた。以上の理由か ら,奉天市の機械器具工業における民族資本の存在は,本論の課題究明に絶好 の事例であるといえよう。

一 年代初頭の奉天市における機械器具民族工場

表 で 年奉天市の機械器具工業の民族工場の概況をみてみよう。A の 生産内容別工場数では,民族資本 工場の業種内訳は普通機械器具 ,精 密機械器具 ,電気機械器具 ,車輛 ,その他機械器具 となっており,

普通機械器具の生産内容は,織布機部品,ミシンも多いが,鉱山用ウインチ・

ローラ・運搬車,水圧機・送風機・圧縮機・リフト生産工場も少なくない。精 密機械器具の生産内容はほぼ砲弾弾丸加工,兵器・兵器部品,軍需品部品加工 に集中していた。車輛は荷車や自転車・三輪車・人力車部品などが中心であ り,自動車・機関車部品生産はわずかである。その他機械器具の生産内容は,

車輪・車軸・歯車が一番多く,暖房水道器具はそれに次ぐ形で,ほかにも雑多 な生産内容があった。

B の規模別工場数では,職工数 人以上の工場は 軒の .%, − 人は .%, 人以下の工場は全体の 割以上を占めており,そのうち 人 以下の小規模・零細工場が全体工場数の 割以上を占めていた。

C のように,これらの工場の多くは大西区,小西区,瀋陽区などの中国人口

密集地域に分散しており,出典資料によれば,小規模・零細工場は周辺市場向

けに車輪,製菓機,切面機,金属熔接,包丁類などの生産を行っていた。鉄西

(7)

業種別内訳 工場数

普通機械器具製造業 織布機部品,ミシン 鉱山用ウインチ,ローラ,運搬車 水圧機送風機圧縮機リフト 印刷機部品

旋盤及附属品 加工修理 汽缶蒸汽缶 機械部品 煉瓦機 切面機 農業器具 その他 精密機械器具製造業

砲弾弾丸加工 加工 兵器及その部品 軍需品部品 電気器具ボックス 電気機械器具製造業

電池 車輛製造業

荷車

自動車機関車部品 自転車三輪車人力車部品 加工

その他

その他機械器具製造業 車輪車軸歯車 暖房水道器具 バルブ及コック 加工修理 その他

職工数別 − 人 − 人 − 人 人以上 合計 工場数 .% .% .% .% .%

No. 工場名 所在地 主要製品 職工数

大陸工作所 鉄西区 旋盤附属品 振東製作所 鉄西区 旋盤 政記鉄工廠 鉄西区 運搬車 春栄鉄工廠 大西区 砲弾加工 飛輪自動車機械工廠 朝日区 加工 東北鉄工所 鉄西区 運搬車 利民工廠 鉄西区 自動車附属品 東盛鉄工廠 朝日区 水道器具 成発鉄工廠 朝日区 水道器具 興奉鉄工廠 朝日区 水道器具 日満機械製造所 鉄西区 暖房水道用品 東洋金属機工業 鉄西区 バルブ・コック

No. 所在地 工場数

合 計 瀋陽区 大西区 小西区 北関区 東関区 敷島区 朝日区 大和区 鉄西区 皇姑区 大東区

年奉天市の機械器具工業における民族工場の概況 A)生産内容別工場数 B)規模別工場数

C)所在地別工場数

D)職工数 人以上の民族工場名簿

出典:経済部工務司『満洲国工場名簿』( 年末現在), 年により算出。

(8)

区や朝日区のような工業地域及びそれに隣接する日本人密集地域に進出した工 場も多く存在したことも注目したい。 D の職工数 人以上の民族工場名簿と 照らし合わせてみると,これらの鉄西区や朝日区に進出した工場は規模が比較 的大きく,その生産内容は旋盤,砲弾加工,水道器具などを中心としていたこ とがわかる。これについて,張暁紅 によれば,鉄西区は日系重化学工業 大工場の密集地域であり,一部有力民族資本は鉄西区あるいはそれに隣接する 朝日区に進出することによって,日系大工場の下請業務を引き受けるための便 宜を図っていた。実際 D 表にある興奉鉄工廠(水道器具,朝日区, 人,事 例として後述する),利民工廠(鉄西区,自動車附属品, 人),東北鉄工所

(鉄西区,運搬車, 人),政記鉄工廠(鉄西区,運搬車, 人),大陸工作 所(鉄西区,旋盤附属品, 人)などは,日系大工場立地の周辺を拠点とし て営業を展開していた。これらの工場は本渓湖煤鉄,吉林人造石油会社,奉天 省土木庁,満洲炭鉱,満洲電業,満鉄,同和自動車,満洲工廠,満洲計器,奉 天造兵所などの日本の有力金属機械器具工場の下請工場となり,重要資材の供 給製作や部品の請負生産を行った

資料によれば,満洲国最大の自動車会社同和自動車工場は, 年本社お よび支店で合わせてバス約 , 台,トラック約 , 台を生産していたのに 対し,下請工場ではバス約 台( %),トラック約 , 台( %)を生 産

していたという。このように,一部の民族資本を含めた下請工場は,親工場 にとって生産目標を達成するために欠かせない存在であった。奉天では鉄西区 で大工業が先行して立地し

,下請の組織化を通じて関連部品工場が展開してい た。

下請工場として規模と経営を拡大していくという民族資本の積極的な動きを 評価する一方,民族工場は下請工場群,あるいはひとつの層としての産業界に おける成長に至らず,数的にも質的にも大工場の生産を支えるほどの力を有し

( ) 前掲拙稿「『満洲国』期における奉天の工業化と中国資本」。

( ) 満鉄新京支社調査室『満洲に於ける機械器具工業の構成(上)』 年, 頁。

( ) 奉天商工公会『奉天産業経済事情』 年, 頁。

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ていなかった,という事実も指摘しなければならない。たとえば,満洲国の工 業化という視点から中小下請工場を論じる際の,当時のひとつの見方として,

資料では次のように記されている。

「(下請工場…引用者)内部的には歴史が浅い丈に未だまだ経営も幼稚であり 特に満人職工の技術の低級及移動性による製品の粗雑性は親工場をして勢ひ資 材不足の折柄自己生産に向わしめる結果となる」「量的にも発達の余地が認め られると共に質的にも未だまだ高度の規格化を要求される製品に就ては現状の 下請工場では生産出来ず

(下線は引用者)

わざわざ日本に発注しておる状態で非 常に手間がかかる…」

実際,満洲現地での中小下請工場不足の問題を解決するために,日満両政府 の間で,日本中小工場の満洲移植計画が考案され,実行される結末となった

二 民営資本に対する社会主義改造の展開

新中国建国まで( . − . )

満洲国崩壊後から新中国建国までの間,東北地域において政権交代が頻繁に 行われた。 年 月 日から 日までソ連軍はわずか 日間で哈爾濱(ハ ルビン),長春(新京),瀋陽(奉天),斉斉哈爾(チチハル),承徳,吉林,旅 順,大連を占領して,関東軍政府関係部門,空港,鉄道,放送局,新聞社,郵 便局などを支配下に置き,旧日系資本大規模重化学工場などの接収にも着手し た。奉天に関していえば,満洲国崩壊直後の 月 日から東北の支配権をめ ぐる国民党と共産党の間に繰り広げられた争奪戦が激しく続くなかでの,

年 月 日の瀋陽には国民党董文琦市長の着任があったものの,ソ連軍の撤 兵が正式に完了する 年 月 日までには,その行政権は実質的にはソ連 軍によって握られていた。その後, 月 日から国民党政府が代わって,

年 月まで瀋陽を統治し, 月 日以降,瀋陽は全国に先駆けて解放され,

( )「満洲国の工業化より中小下請工場を論ず」『奉天商工公会調査月報』,第 巻 号,

年 月, − 頁。

( ) 拙稿「政府主導下の日本中小工場の満洲移植−日満両政府の政策意図と実績との乖離 をめぐって−」『三田学会雑誌』 巻 号, 年 月。

(10)

中国共産党政府が瀋陽を支配し,今日に至っている。

日中戦争終了後のいわゆる内戦時期において,東北地域は戦乱が続き,統計 の作成や調査などの実施が困難であったため,当該期の工場数の動向を示すデ ータはほとんどない。瀋陽市の民営工場数の変化について,いくつかの資料を つなぎ合わせてえたのが表 である。

同表によれば,瀋陽市の民営工場数は 年から 年まで, 年間で 倍に,職工数は 年 月から 年 月までの 年半弱において 倍以 上も増加した。表には列挙していないが, 年までと 年 月以降の 二つの時期に分けて工場数を増加させた業種別の内訳をみると, 年から 年までには,織物,被服,精米,製粉,大豆油,醬油などの生活必需品 関連業種が大幅に増えた。それに対し,金属機械器具工業,建築業,窯業など は減少したものの,前者の増加幅が大きかったため,民営工場数は全体として 増加したのである。満洲国時代の日系大工場からの発注や建設ブームに依存し た重化学工業や建築関係工場,とりわけ重化学大工場の大半は破壊され,内戦 が続く中で,生産力の発展は限定的であった

一方, 年 月以降の工場数の増加は重工業にも軽工業にもみられた現

( ) 陳立英『建国初年瀋陽市私営工業経済簡史』遼寧民族出版社, 年, 頁。

年 次 工場数(軒) 職工数(人)

年 , −

年 , −

年 月 , ,

年 月 , −

年 月 , ,

年瀋陽市における民営工場数の変化

出典: 年は遼寧省政協文史資料委員会『遼寧文史資料

(遼寧工商専輯)』第 輯,遼寧人民出版社, 年,

頁; 年は陳立英『建国初年瀋陽市私営工業経済簡史』

遼寧民族出版社, 年, 頁;ほかは朱其文市長 年 月 日報告「為進一歩恢復発展瀋陽市公私経済爾 奮闘」瀋陽市機電工業局『東北機械工業資料選編 −

』瀋陽市工具工業印刷廠, 年, 頁。

(11)

象であり, 年までと違っていた。その要因としては,東北地域全土が解放 され,都市と農村地域の経済的なつながりが深まったこと,国営企業生産の回 復が金属機械器具工業を代表とする民営工業の増加を牽引したこと

,中共指導 部が「国計民生」(国家計画と民生)にとって有益な民営資本の存在に肯定的 な態度を示したこと

などが指摘できる。瀋陽市が解放された後,新中国政府は 産業構造の調整を図る際に,現存産業を奨励する産業と転業・淘汰させる産業 とに二分類した。金属,機械器具と化学工業は重要産業に指定され,同業種に 属する民営工場は国家計画と民生にとって必要不可欠であるため,国営企業か らの発注を請負う形での発展が期待されていた

。機械工業でみれば, 年 月から 年 月まで,民営工場は 工場から 工場に,資本金は

, 億元から , 億元に,従業員数は , 人から , 人に増加した。

民営工場は下請企業としての関係を確定することによって,国営企業から予約 金を預かり,それを流動資金として活用することが可能となった。実際,予約 金を受取ったことによって生産回復できた企業は多数いたという

年度の瀋陽市内の民営企業に対する調査によると,代表的な民営企業 はいずれも経営状況がよかった。鉄工業の利潤率は最も低いとはいえ,それで も %を超えていた。調査報告は民営企業の市場重視が高利潤をもたらした 要因であると結論づけた

。民営企業の経営について,中共中央東北局副書記を

( ) 遼寧省では, 年 月の解放後から全国解放戦争を支援するための武器・弾薬お よびその他の軍需品生産工業が再建された(遼寧省統計局『遼寧工業百年史料』 年,

頁)。

( ) 年 月公布の臨時憲法にあたる「共同綱領」の原型となる『新民主主義論』(毛 沢東)では未来の新中国における資本主義経済発展の必要性について強調しており,ま た 年 月の中国共産党第七回全国代表大会の席における毛沢東の報告においても,

「民営資本主義を国民生計を指導できない範囲内において発展させるべきだ」という見 解を示していた。(『毛沢東選集』第 巻,人民出版社, 年版, − 頁。)

( ) 瀋陽市朱其文市長が 年 月 日瀋陽市人民代表会議報告「為進一歩恢復発展瀋 陽市公私経済而奮闘」で示した内容である(瀋陽市機電工業局編輯部編『東北機械工業 資料選編 − 』瀋陽市工具工業印刷, 年, 頁)。

( ) 前掲朱其文報告, 頁。

( ) 王漢義,劉中軍「東北解放区的私人工業」東北三省中国経済史学会『東北地区資本主 義発展史研究』黑竜江人民出版社, 年, 頁。

(12)

務める彭真氏も 年 月に開かれた北満財経会議での報告で「民営企業は 剰余価値を搾取する点以外,多くの場合はその経営は国営企業より優れてい る」と評価した。

社会主義改造の初期段階において( . − . )

新中国設立後,民営資本を対象とした, 年間にわたる社会主義改造(実質 的な国有化・国営化)政策が施行された。 年から 年までの間に,改 造は国内外情勢に翻弄されながら推進された。

表 は − 年瀋陽市の工業における所有制構造の変化を表したもので ある。民営工場の企業数と生産額の変化をみていくと, − 年は工業総 計に 割前後の割合を維持しつつ,企業数は , 戸から , 戸に,生産額 は , 万元から 億 万元に急増したことが確認できる。しかし,

年以降は企業数も生産額も右肩下がりに一変した。 年から始まる「五反 運動」による打撃と,その後にクライマックスを迎える社会主義改造政策が奏 効したため,民営工場は 年と 年に急速に減少し, 年に完全に 姿を消した。前述したように,社会主義改造において,民営工場は公私合営化 の改造方式がとられたため,企業数も生産額も激減し,同時に公私合営の増加 も右表から確認できた。以下では,社会主義改造政策の初期段階にあたる共同 綱領の時期とその後の時期に分けて,それぞれ政策の展開を踏まえたうえで,

民営工場の変容を検討していく。まずは,共同綱領の時期についてみてみよ う。

新中国政府は建国に先立って, 年 月 日に臨時憲法にあたる「中国 人民政治協商会議共同綱領」(略称「共同綱領」)を公布した。共同綱領は「中 華人民共和国は無産階級が指導し,各革命階級の聯合専制のもとでの新民主主 義国家である」と定義し,新民主主義時期の国民経済発展の総目標は「発展生 産,繁栄経済,公私兼顧,労資両利」(生産を発展させ,経済を繁栄させ,公

( )「彭真在北満財経会議上的報告」, 年 月(前掲王漢義,劉中軍論文 頁より引 用)。

(13)

総 計 国営工場 公私合営 民営工場 合 作 個 人

戸数 , − ,

% . . . . .

生産額 , , − ,

% . . . . .

戸数 ,

% . . . . .

生産額 , ,

% . . . . .

戸数 ,

% . . . . .

生産額 , ,

% . . . . .

戸数 ,

% . . . . .

生産額 , , , ,

% . . . . .

戸数 ,

% . . . . .

生産額 , , , ,

% . . . . .

戸数 ,

% . . . . .

生産額 , , , , ,

% . . . . .

戸数 ,

% . . . . .

生産額 , , , , ,

% . . . . .

戸数 ,

% . . . . .

生産額 , , , , ,

% . . . . .

瀋陽市の工業における所有制構造の変化( (単位:万元)

出典:単承申等編『中国資本主義工商業的社会主義改造』遼寧巻瀋陽分冊,中共党史出版社,

− 頁。

注釈:職工数 人以上の民営工業は「公私合営化」の改造形式をとり, 人以下は「合作化」

の改造形式をとった(董志凱『中華人民共和国経済史 − (上)』社会科学文献出 版社, 年, − 頁)。

(14)

私両方に心がけ,労資ともに利益がある)であると強調した。つまり,国は経 営範囲,原料供給,販売市場,労働条件,技術設備,財政政策,金融政策など の側面において,「各種所有形態の社会経済構成要素を国有経済の指導のもと で,各自の長所を発揮させ,協力し合うことによって社会経済の発展を促進す る」ことを目指すというものであった。

総目標を実現させるために基本経済政策も公布された。そこでは,国有経済 は主導的な立場に位置づけ,優先的に発展する方針であったのに対し,公私合 営経済と合作経済は奨励・補助,民営経済は利用,制限,改造,個人経済は協 力合作の方法を活用して積極かつ慎重にその発展を導くなど,経済主体の性質 に応じた発展方針が定められた。しかも,民営企業に関しては,国は(国有企 業などを経由して)「出租,加工,訂貨,代売」(設備借用,加工依頼,生産委 託,製品買取)などの手段を活用し,その生産と経営を手助けする,などの具 体的な方策も明記された。

全国の重化学工業基地である瀋陽市は社会主義改造の先頭に立ち,いち早く 行動し始めた。機械器具工業を含めた 業種にわたって,民営工場の連携組 織を組成し,人力,物力,財力を融合させ,規模を拡大することによって,国 からの委託を受け取るように努めた。その結果,動員された 軒の民営工場 は の連携組織を形成し,国営企業と下請契約を結んだ。下請加工に対して,

当事者は「民営生産は原料不足で困っているときに,下請加工に恵まれたら,

徳政だと感激し」たという。 年瀋陽市の下請加工生産額は前年より 倍 以上も増加し, 民営工業総生産額に占める下請加工の割合は .%にも達し,

自主経営の .%を大きく上まわった。

( )「中国人民政治協商会議共同綱領」 年 月 日。

( ) 単承申等編『中国資本主義工商業的社会主義改造』遼寧巻瀋陽分冊,中共党史出版社,

− 頁。

( ) 前掲王漢義,劉中軍論文, 頁。

( ) 前掲単承申等編著, 頁。

(15)

「五反運動」から改造の発展・完成まで( . − . )

⑴ 「五反運動」

年代初頭,全国において朝鮮戦争や国家経済建設に向けて,資源が集 中されていった。ところが,この動きに反した官僚や資本家による賄賂,脱税,

経済情報窃盗などの不法行為がたびたび確認され, 年 月から,民営資 本家による贈賄,脱税,情報漏洩,手抜き工事,公共財の窃盗を禁じることを 目的とする取締りは全国範囲にわたって繰り広げられ,いわゆる「五反運動」

であった。

このように,「五反運動」の取締り対象は,本来は不法資産家のはずであっ た。しかし,労働者の「階級」としての意識が高まる中で,対象者は次第に不 法者のみならず,資本主義の象徴となる資本家階級全体(民営資本経営者も含 めて)へと異常に拡大された。その後,中央の呼びかけによって運動は静止さ せられたが,表 にあるように, 年の民営工場の戸数と生産額を急減さ せるほどの打撃を与えた。 年 月,瀋陽市政府が必要な軍需と民需産業 の下請加工業を対象とする融資補助政策を打ち出したため,民営工場の生産額 はある程度回復したものの,この運動は,民営企業の労使関係に後遺症を残 し,その後の民営資本の経営に甚大な負の影響をもたらした。

具体的には,五反運動後,資本家による妥当な経営管理活動は実行しにくく なり,経営状況に応じた給与調整と人員解雇もできなくなった。しかも社会的 地位の低下,労働者側の闘争の対象となるという精神的な重圧などを抱えて,

多くの資本家にとって,この時期の企業はすでに資産ではなくなり,重荷に なっていたという。鄧小平が言うように,「彼らは経済的にはすでに進路がな」

かった。窮地に立たされた資本家たちにとって,この時の公私合営はある意 味,差し伸べてくれた「援助の手」にも見えたのかもしれない。

( ) 桂勇「産権制度的政治建構:以H廠的改造為例」(日本語訳:政治による資産所有権 制度への干渉:H社の改造経験を事例として)『広西民族学院学報』第 巻第 期,

年 月, 頁。

( ) 鄧小平「関于整風運動的報告」人民出版社, 年(桂勇「私有産権的社会基礎:歴 史的啓示」『華中師范大学学報(人文社会科学版)』 年 月, 頁より引用)。

(16)

⑵ 「過渡期の総路線」の実行と『公私合営工業企業暫定条例』の公布

前述したように,内戦終結後,新中国の最重要課題は国内の再建,とりわけ 経済復興と国家統一であった。しかし,朝鮮戦争をきっかけとして,その課題 は国防力の近代化,国民経済の社会主義化を推進する方向へと急転換した。そ の象徴は,急速な工業化の実現と近代的な軍事力の確立を目標とする「過渡期 の総路線」と呼ばれる新政策の実行である( 年 月 日,毛沢東が中央 政治局の会議において正式に提出)。ちなみに,「過渡期」は社会主義社会を築 きあげるまでの時期を指し,その期間は 年ないし 年と想定されていた。

総路線は,社会主義化を完遂していくために,五ヵ年計画に基づき,国有企 業による重化学工業化の推進をはかると強調し,民営企業の経営に関しては,

年ないし 年のうちに,政府が民営企業に参加する形を通して,すなわち公 私合営を図ることによって,将来の全般的な国営化の基盤作りを行うという方 針を示した。同時に,政府は民営企業経営者に対して「思想改造」(思想教育)

を行い,経済社会の現状に対する認識を深めさせることによって,民営企業に とって公私合営のやり方は賢明かつ唯一の選択であると認識させることにし た。

年 月に政府国務院はさらに,民営企業の公私合営をはかる際に遵守 すべき規則として『公私合営工業企業暫定条例』を公布した。条例には,各地 方政府レベルにおいても容易に施行できる,企業の株式の所有,株主の権限,

利潤の分配,経営者の選出など所有権と経営権の移行に関わる具体的な諸規程 が盛り込まれており,公私合営を推し進めるうえで画期的法令であった。たと えば,企業の買戻しの実施について,全業種における公私合営の実現を期に,

実現前には利潤分配の形式をとり,実現後は旧経営者の出資分に応じた定期利 息を 年間支払い,国が経営者の勤務先の用意と調整を行い,できるだけ管 理や技術に関わる仕事に従事させると定めたのである。同条例の施行ととも に,全業界にわたる大規模な公私合営運動が引き起こされた。その結果,

( ) 中共中央文献編輯委員会『陳雲文選』( − 年),人民出版社, 年, − 頁。

(17)

年初の全国民営工業 万 , 余軒が, 年末になるとその %が公私合 営化され, 年になると,完全になくなった。

瀋陽市は条例の公布を受けて,「私営工業安排領導小組」(民営工業処置指導 組)を組織し,全市内の民営工業を対象とする公私合営化を促進した。具体的 には,独自に下請加工業務を引き受ける能力を持たない中小企業を実力のある 企業と合同させていった。この結果,鉄工業では の中小企業が の合同生 産組に統合され,農具,ポンプなどの 業種 企業は の合同生産組に編 成替えされた。瀋陽は全国より一足早く,表 のように, 年において民 営資本の社会主義改造をほぼ完成し, 年に民営工場は瀋陽市から完全に 消えた。

社会主義改造を通して瀋陽市職工数 人以上の民営工場はすべて公私合営化 された。改造後の工場において,もとの経営者は企業に対する所有権を完全に 失い,かわって,国が企業の新たな所有者となった。国家の実質支配下に入っ たこれらの中小規模企業はすぐさま小中規模同士の間での合併が行われた。規 模が拡大された旧民営企業は五ヵ年計画の実現と国営大企業を中心とする重化 学工業化に,より寄与する形で生産計画に組み込まれていくことになったので ある。

三 民営工場の事例分析

年名簿による分析

この項目では,後掲表 の前身分類第 類の工場の戦時から戦後への変容を みることによって,これらの工場の特徴を探る。以下各事例の[ ]内は表 にある番号と企業名である。

( ) 前掲董志凱著書, 頁。

( ) 合同生産は①合同生産・合同作業(参加者は一箇所あるいは数箇所に集まり生産を協 力して行う),②合同生産・分離作業(合同して請負い,独自に生産する),③工場と工 場の間,工程と工程の間は協力して生産を行う,という三種類がある。(前掲単承申等 編著, 頁。)

(18)

[No. 瀋陽鍛圧機床廠] (鍛圧機械) 同社の前身は満洲国時代の民族資本東 洋金属機工株式会社( ,鉄西区)である。東洋金属は 年に従業員 人,バルブ・コックなどの鋳物部品を生産していたが,満洲国崩壊後に中華鋳 鋼股份有限公司,新中国設立後に建興鉄工廠に改名した。 年に公私合営 を行い, の民営工場と合併し,職工数 人,設備 台の規模まで拡大し た。 年に瀋陽市建興沖剪機床廠へと社名変更したが,同年会社は二分割 され, 年現在の瀋陽鍛圧機床廠はその一つである。ちなみに,瀋陽での 鍛圧機械製造は 年後半において同社の転業から始まったという。

[No. 瀋陽市帯鋸機床廠] (木工機械) 年に設立された興安鉄工廠は 瀋陽最初の民族木工機械工場であり,同社の前身である。 年の企業合併

(瑞東鉄工廠,合興との 社合併)と公私合営を経て瀋陽市木工機械廠に社名 変更し,新中国最初の木工機械製造の専門業者となった。

[No. 瀋陽機床歯輪廠] 同社は 年に設立された民族資本明遠鉄工廠 と 年に設立された栄生鉄工廠が 年に合併し,さらに 年に和泰 鉄工廠,安泰鉄工廠と合併して成立した会社である。明遠鉄工廠は奉天で歯車 部品生産を初めて行った民族資本である。

[No. 瀋陽第二量具刃具廠] (測量機・切断機) 瀋陽では 世紀末期から 民族資本による工具製造はすでにあったが,近代工業生産は日系満洲蹄鉄株式 会社( )から始まった。同社のほか日系満洲呉製砥所も比較的規模が大き い。民族資本の代表は 年初めに設立された精勤鉄工廠(大東区)がある。

同社は 年に公私合営を完成し, 社の旧民営工場と合併することによっ て,大東量具廠を設立,従業員 人,設備 台の規模になった。 年さ らに広発合鉄工廠など数社と合併し,現会社を創立した。

ほぼ同じ時期に,工具製造業領域において,多数の民営小規模企業の公私合 営と合併による工場創立が相次いでいた。名簿にはないが,東大工具廠は東大

( ) 瀋陽市人民政府地方志辦公室『瀋陽市志』第 巻, 年, 頁, − 頁。

( ) 同上, 頁。

( ) 同上, 頁。

( ) 同上, 頁, 頁。

(19)

鋳造所( ,瀋陽区, 年職工数 人),双盛鉄工廠( ,朝日区,

年職工数 人)など 社の鉄工廠の合併によって設立された。このほ か,従業員 人以下の個人資本・手工業者も合併することによって規模を拡大 して新工場の設立が多数みられた。[ No. 瀋陽市砂布廠],[ No. 瀋陽市砂 輪廠],[No. 瀋陽市第一工具廠],[No. 瀋陽市第二工具廠],[No. 瀋陽 随機工具廠]などがそれである。

[No. 瀋陽空気圧縮機製造廠] (空気圧縮機) 同社は新中国の小型空気圧縮 機を主力分野とする有力メーカーである。前身は民族資本三星鉄工廠( ) と同義興鉄工廠( )であり,満洲国期において,両社は日本製品を模倣し て生産を行ったという。公私合営と合併の潮流に乗せられて,両社は 年 に合併し, 年さらに瀋陽市新東動力機械廠と合併して,社名変更して現 企業に至った。

[No. 瀋陽高中圧閥門廠] (バルブ) 同社は 年に設立した民族資本大 陸工作所を母体としている。当初は鉄西区に位置し,工作機械用ベルトと暖房 機などを生産していた。 年,日本資本が加わり,隣接民族工場振東製作 所と奉天鉚 廠(リベット溶接)を合併して,大陸機械工業株式会社へと名称 変更した。 年現在の工場敷地面積 万 , 平米,職工数 人,機械 設備 台の規模を有した。大陸機械は満洲国崩壊後も経営を継続したが,損 失によって休業状態に陥った。 年 月,日本資本が加わったことから官 僚資本として瀋陽市政府によって接収され,さらに同社に日系徳昌製作所が合 併されて瀋陽市機械廠が設立された。新中国の瀋陽における金属切削製造業の 発展は 年の瀋陽第一機器廠,瀋陽第三機器廠,瀋陽第五機器廠と瀋陽市 機械廠の 社の工作機械製造工場の設立から始まったといわれ,前 社は満洲 国時期の日本資本が前身となっていたのに対し,瀋陽市機械廠だけは民族資本 に由来したものである。その後,同社はバルブ生産にシフトし,社名も現在の

( ) 同上, − 頁。

( ) 同上, 頁, 頁。

( ) 同上, − 頁, 頁。

(20)

ものに変更した。

[ No. 瀋陽第一閥門廠] (バルブ) 奉天の民族資本によるバルブ生産は民族 資本成発鉄工廠( )から始まった。 年,同社を中心として前後二回,

同盛,裕発,大華,東昇などの 社,岱山,三義,義昌,振興などの 社の 民営企業と合併,公私合営を行った。成発鉄工廠について次項で事例として取 り上げる。

[No. 瀋陽真空設備廠] (真空設備) 同社は民族資本天利興鉄工廠を中心に 合併・発展した真空設備の全国指定生産メーカーである。天利興鉄工廠は 年に創立されて,職工数 名,設備 台を有し,スパナを生産していた。内 戦時は職工数 名前後にとどまっていたが,瀋陽解放後の 年 月に,

職工数は 名に増加し,鉱山,鉄道,電力,暖房水道,機械修理に必要な金 具と機械部品の生産に業務内容を拡大した。 年 月に公私合営化され,

さらにその後,計 社の民営企業と合併を行った。

[No. 瀋陽市低圧鍋炉廠] (ボイラー) 瀋陽市におけるボイラーの兼営生産 は − 年の間,東聚興鉄工廠,大亨鉄工廠,東北大学工廠が相次いで創 業され,他業種より比較的早い時期から始まった。 年ボイラー生産専門 業者の興奉鉄工廠と東方鉄工廠が設立され, 年同領域の代表的な民族資 本は東北大学工廠,東民鉄工廠,同興鉄工廠,成発鉄工廠,政記鉄工廠の 社 となった。 年,瀋陽市内ボイラー生産業者 工場のうち設備を有するも のは 工場であった。公私合営と合併を通して,同興鉄工廠を中心とした 社の旧民営資本から久和鉄工廠( )が結成され, 年現在の同社となっ た。一方,成発鉄工廠は公私合営を経て,生産内容を拡大して,前述した普通

( ) 瀋陽第一機器廠の前身は旧満洲三菱機械株式会社,第三機器廠は満洲国時の協和工業 株式会社と前田鉄工廠の 工場を合併,第五機器廠は旧満洲工作機械株式会社,満洲鋳 物株式会社と満洲工廠の 工場の跡地に設立したものである。

( ) 前掲『瀋陽市志』, − 頁, 頁。

( ) 同上, 頁, 頁。

( ) 同上, 頁。

( ) 興奉鉄工廠は日本資本の参入が半分以上を占めるようになったため,民族資本ではな くなった(同上, 頁)。

(21)

機械製造の[No. 瀋陽第一閥門廠]に成長した。

[ No. 瀋陽小型䇪拉機廠] (ハンドトラクター) 同社の前身は 年に設 立した民族資本東盛鉄工廠(職工数 人,銅製バルブ生産)であった。

年 月,東盛鉄工廠は利民,久興と合併,さらに 年 月,遼瀋,福順な ど の民営鉄工廠と合併して,瀋陽市東盛 鉄件廠を設立した。 年 月,

瀋陽市農業機械廠と改名し, 年からトラクターの生産に専念するように なり,それをきっかけに 年現在の社名に変更した。

[No. 瀋陽機車車輛配件廠] (機車車輛部品) 同社は蒸気機関車と内燃機 車の部品を生産する企業である。その前身となる民族資本玉林機器廠は 年に設立され,開業時は設備 台,従業員 名を有した。当初はレコードプ レーヤーを生産していたが,一年後に,注油器,客車エンジンなどの機関車部 品生産に転換した。 年,同社は民営資本新興鉄工廠と合併,瀋陽市玉林 機器廠時代を経て, 年現在の同社になった。

以上第 類の一部工場を取り上げてその変容をみた。次の 点の特徴が確認 できた。

第一に,戦前の民族資本を前身とする企業は主に工作機械製造と普通機械器 具製造に多くみられた。それはこの二つの分野において満洲国時代の民族資本 の蓄積は比較的多かったからである。

第二に, 年以降,民営資本は頻繁に合併を繰り返し,規模が急速に拡 大されていった。多数の企業による合併を行う際に,満洲国期に創業された民 族資本が中心となるケースが多かった。

興奉鉄工廠と成発鉄工廠の事例

次に, 年の機械器具工業において,代表的な民族資本の事例を二つみ ていこう。職工数 余人かつ機械器具工業の民族資本において唯一株式会社

( ) 前掲『瀋陽市志』, − 頁。

( ) 同上, 頁。

( ) 同上, 頁。

(22)

化された興奉鉄工廠の事例と,戦時に急速に発展し,新中国において模範工場 として讃えられた成発鉄工廠の事例である。

⑴ 満洲国期

興奉鉄工廠は奉天省出身の徐慶釗を中心とした 名が資金を集めて 年 月に設立された株式形態の民族資本である。徐は大連南満鉄道工業専門学校 を 年に卒業し,満鉄勤務などを経験した日本語堪能な技術者である。同 社開業当初の業務内容は主として暖房用放熱器および鋳物品であったが,大株 主霍酉年が経営する印刷所で使用される印刷機なども生産するなど,注文生産 も行っていた。満洲国設立後,同社は奉天に本店を置く日本人機械器具金物商 篠田頼に株式の所有を依頼して,販路の開拓に成功した。さらに規模拡大を図 るため, 年 月に工場を鉄西工業地帯に隣接し,日本人の居住地域であ る朝日区に移転した。この時点で工場敷地面積は約 , 平米に達していた。

年代初頭,同社の重役は,董事長兼専務董事:徐慶釗,常務董事:霍 酉年(創業時からの重役),経理:王自貴,副経理:徐慶鈺(徐慶釗の従兄弟)

である。また会社組織を工務課,業務・材料課,検査課,総務課,会計課の つに分け,各課の課長に河村重遠(日本人),于錫三,于長金,于長金(兼),

徐慶鈺(兼)を任命した。河村重遠は株主篠田頼の弟,于長金は大連南満鉄道 興業専科学校卒業の技術者である。ほかに,鉄道関係において豊富な管理経験 と技術力をもつ馬秉符を工場長に起用して技術の向上を図り,対外業務担当に 日本人吉田大次郎を任命することによって,日本資本との摩擦の解消および日 系企業や日本人との取引拡大に努めた。

年代初頭同社は職工数 余人に達し,業務内容は拡大して,木型,

鋳造,鋳銅,機械,組立,鍛造,熔接など多部門に分かれて生産する体制が

整った。 年 月現在資本金 万円,機械設備 台以上,製品搬送用

トントラック 台,馬車 台,乗用車 台を有する有力工場に成長し,水道器

具,暖房用放熱器,ボイラー,瓦斯用ジョイント,バルブなどの製品を一般市

場に供給する一方,本渓湖煤鉄公司,吉林化工廠,四平市石炭液化工廠などの

請負生産も行うようになった。

(23)

成発鉄工廠は 年に李成海によって設立された民族資本工場である。李 は旅順出身で株式会社川崎造船所(大連)学徒,大連盛発鉄工廠(民族資本,

搾油機械製造販売)学徒,大連機械製作所従業員,大冶鉄工廠(民族工場,奉 天,兵器加工)従業員,興奉鉄工廠(民族工場,奉天)従業員の経験を持つ。

年 月, 李は , 円の資本金で成発鉄工廠を設立, 創業当時職工 人,

暖房用部品,機械部品加工販売を行った。 年に生産規模を拡大し,日本 商人団体「睦商会」の特許消火器生産を請け負うようになった。 年以降,

日本製機械を購入して暖房用・水道用バルブなどの鋳物品の製造販売を行っ た。同社製品は日本からの輸入品より低価格で,土木工事の拡大に伴う需要の 増加に牽引されて生産量が大幅に増加した。 年春,鉄西区に分工場を増 設し,従業員数を 人以上に増加した。また,同社は大連機械製作所との間 で,報酬を払う代わりに相手の名義を借りるなどの契約を交わすことによっ て,鞍山製鉄所の下請となり,鉱山用機械部品生産分野に本格的に乗り出した。

ほか, 年に新市街地域において 万円を投資して成発洋行を設立し,同 社製品を中心とする暖房用機材,金属製品などを販売した。 年,生産分 野の拡大と生産材料の確保を図るため,日本資本が中心となる奉天市暖房統制 組合への加入を試みるが,何度も失敗し,最後に,会員企業と合弁することに よって組合への加入に成功した。奉天の代表的な機械金物取扱商店である高橋 商会(経営主高橋由太郎は奉天商工会議所議員,奉天居留民会第二区会長,奉 天金物同志会幹事などを歴任)と製品販売契約を結ぶなどして,製品の販路を 拡大した。 年には同社は資本金 万円の規模をもつ奉天の代表的な民族 資本となった。

⑵ 社会主義改造期とその後

満洲国期のみをみれば,興奉鉄工廠も成発鉄工廠も日本語堪能な技術者が満

( ) 于長金・李成海「興奉鉄工廠史略」文史資料研究委員会編『遼寧文史資料』第 輯,

遼寧人民出版社, 年, − 頁。

( ) 李成海「瀋陽市成発鉄工廠創業経歴史」文史資料研究委員会編『遼寧文史資料』第 輯,遼寧人民出版社, 年, − 頁。

(24)

洲国における重工業化が進展していく中で生まれた市場の需要に応え,積極的 な経営を行うことによって成功した事例である。

ところが,満洲国崩壊後,成発鉄工廠は代表的な民族資本として発展促進の 対象になり, 年 月以降,民営企業の模範として注目され,外賓見学の 場所となっていたのに対し,興奉鉄工廠は 年初頭における日本資本の比 重が資本金の . %を占めるようになったため,民族資本と認められず,国 民党政府時代に,前田鉄工廠,大満鉄工廠などの日系資本と共に接収され,銃 砲,戦車などの軍需製品を生産する企業となった。 年 月,東北人民政 府企業管理局は興奉鉄工廠を接収し, 月に東北企業管理局奉鉄工廠股份有限 公司と改められ,ボイラーと暖房器具の生産を再開した。

成発鉄工廠は 年瀋陽市政府の下請加工と製品買取対象企業となり,生 産に活気が戻り,同年職工数 人,生産額 万元を記録した。 年に公 私合営後,社名を公私合営瀋陽市成発鉄工廠に変更し,さらに振興模型廠を合 併することによって職工数は 人を数えた。 年,中共中央は『関於当 前国営機械工業情況及今後工業部署的指示』(国営機械工業の現状と今後の計 画に関する指示)を公布し,機械工業部は大中規模企業に対して,生産内容の 分配を行った。これによって,瀋陽市普通機械廠は木工機械からバルブ生産に 方向転換されるようになったため,市内各企業も国の計画に基づく生産内容の 調整と企業合併が要求された。 年,公私合営成発鉄工廠は同盛,裕発,

大華,東昇など 社の小規模鉄工廠を吸収合併して企業名を公私合営瀋陽市 成発閘閥廠に変更した。 年代後半,同社は主に水道用と空気用バルブ製 品の生産に特化し, 年に当時中国で最大規格の メートル口径電動式 ウェッジゲートバルブの開発に成功した。同製品は 年に北京で開催され た工業展覧会において展示され,話題を呼んだ。

公私合営時,工場経営者李成海は 万 , 元を企業に投資し,瀋陽市に おいて 年公私合営企業投資で二番目に多い資本家となり注目を浴びた。

( ) 前掲『瀋陽市志』, 頁。

( ) 同上, − 頁。

(25)

公私合営後も,李は依然として工場長の役職につき, 年にはエンジニア の称号も獲得し,商工業界の著名な人物としてたびたび人民代表や商工業連合 組織の委員に選ばれた。また李は外交領域でも活躍し,フランス前総理エドガ ール・フォール,日本青年社会党青年部代表団,朝鮮青年代表団,モロッコ代 表団,インド代表団などの接見にあたっていた。

最後に,事例の代表性についても言及しておきたい。まず,両事例の共通点 である経営者が技術者,日本語堪能者という点については,民族資本全般でみ れば,ごく一部の規模の比較的大きいものに限られる可能性があるが,林采成 の 年度経営史学会報告「中国大陸における満鉄の鉄道技術」によれば,

満鉄勤務中国人は 年 , 人, 年 , 人, 年 , 人とさ れており,日系企業経験者が実際ある程度いることも確認できるのである。

第二に,日本人・日本企業とのつながりをもつことによって経営の成功をは かり,日系大企業の下請工場となることによって生産を拡大していく点につい ては,これは機械器具工業が満洲国とりわけ戦時期における軍需生産の拡大と いう背景のもとでの生産財生産を行う民族資本の生産経営拡大をはかっていく うえでの必要条件であると思われる。

第三に,公私合営化され,合併されていくという点については,どの民営企 業も経験した道であった。

最後に,投資することによって,公私合営後の経営者になる,ということに ついては,表 にあるように,瀋陽市では, 年の公私合営の時に,旧工

( ) 前掲単承申等編著, 頁。

( ) 瀋陽商会志編纂委員会『瀋陽商会志』白山出版社, 年, − 頁。

総人数 本部経営者 本部長 工場長 技師 生産部長 課長,股長 瀋陽市 年公私合営時に旧工場経営者を「股級」以上の職務に任命した人数

(単位:人)

出典:単承申等『中国資本主義工商業的社会主義改造』遼寧巻瀋陽分冊,中共党史出版社,

頁。

注釈:「股級」とは課長と課員の間に設けた最下位幹部である。

(26)

場経営者を「股級」以上の職務についた人は 人,一方,同年公私合営化さ れた企業は , 社もあったこと,さらに,企業経営に関わる職務で高いポス トについた旧経営者は実際少なかったことから,投資することによって職を得 るケースは半分程度にとどまり,一般的ではなかったように考える。

お わ り に

本論は戦時期の 年から公私合営化が完了する 年までを対象時期と して,奉天の民族資本が戦時から戦後への変容・編成替えされていく過程を検 証してきた。得られた結論をまとめると以下のようになる。

満洲国期の都市における民族資本は,奉天の事例でみれば, 年の工場 数では奉天全市の 割以上,生産額では 割弱を占めていた。民族工場は日系 大工場に比して規模が小さいものの膨大な数を誇っており,中国人口の密集地 域である旧市街を拠点として生活必需品生産を行っていた。一部の有力民族工 場は日系資本や日本人が密集する鉄西区と朝日区に進出して,日系大規模工場 の下請工場となって経営規模を拡大していった。

満洲国崩壊後,民族工場(⇒民営工場)は政治・経済の影響を受けながら,

旧日系企業と異なり,生産活動を継続し, 年代初頭までに,重化学工業 生産と市民生活規模の拡大にともなって,企業数を大幅に増加させた。しかし,

新中国設立後の民営工場は国営工場の受託生産を引き受けて生産を維持する側 面が強く,自律性に欠けていた。そのため,社会主義改造の波に簡単に飲み込 まれてしまう結果となり, 年末− 年の社会主義改造のピーク時に公私 合営化された。改造後の民営工業では,経営者は企業に対する所有権を完全に 失い,国が企業の新たな所有者となり,五ヵ年計画に基づく編成替えの対象に なっていった。

満洲国時の民族資本の新中国体制への移行に関する研究はほぼ未着手の状態 であり,経営者や技術者,技術,設備における連続性と断絶性については同研

( )「股級」とは課長と課員の間に設けた最下位幹部である(前掲単承申等編著, 頁)。

(27)

究領域の今後の課題であろう。本論はその初歩的な試みではあるが,この点に ついて今回の検証を通して以下の 点を指摘しておきたい。

第一に,戦後の鉄西区にみられる機械器具大工業と中規模工業による産業集 積は戦時期から受け継がれた側面が強かった。担い手となる企業に関していえ ば, 年名簿の分析からわかるように,中規模企業の中には戦時の下請民 族工場を中核として編成替えされたものが多数存在した。

第二に,下請生産(受託生産)の構造について。満洲国期の奉天において,

日系大企業の下請工場として発展しその過程で技術も習得していた企業群が

(後の民営企業から編成替えされた企業も含めて),中国共産党政府の全国解放 に貢献した東北地域の軍需生産においても,第一次五ヵ年計画で重要な役割を 果たした重化学工業基地の形成においても,受託生産業者の元になる基盤を形 成していたと考えることができる(なお受託生産のメカニズムに対する検討は 今後の課題である)。

興奉鉄工廠や成発鉄工廠の事例からわかるように,両工場経営者はいずれも

日本語堪能な日系大企業勤務経験者であり,先行研究のように,当時満鉄のよ

うな日系大企業で技術を習得する中国人も少なくなかった。また日系大工場生

産による需要に牽引されて短期間に技術力を高めた企業が続出した。だが,高

度な技術の習得は中国人には困難であった。この限界性は,戦時から戦後へと

継続される民族資本の技術能力の未熟さにも反映されている。戦時期に形成さ

れた民族資本の下請的な構造,そして産業界に占める下請企業群(層)の力不

足という側面が戦後にも露呈され,これが国営企業への高い依存と国策によっ

て合併を余儀なくされていく運命の要因になったといえよう。

(28)

後掲表1985年瀋陽市機械器具工業の代表企業とその前身 番号年現在企業名所在地性質・規模前身を含めた企業情報前身分類 ①工作機械製造 瀋陽第一機床廠鉄西区国有大型満洲三菱機械株式会社()第類 中捷友誼廠大東区国有大型満洲鋳物株式会社()と満洲工作機械株式会社()第類 瀋陽第三機床廠鉄西区国有大型日本資本前田鉄工廠()と協和工業株式会社()第類 瀋陽液圧機床廠鉄西区国有小型瀋陽市冶金機械修配廠()第類 瀋陽市機床廠大東区国有小型瀋陽市螺釘廠()第類 瀋陽磨床廠東陵区国有瀋陽市第三研究所()第類 瀋陽市機床刀具廠大東区集団小東刀具弾簧廠()第類 瀋陽市壌床廠蘇家屯集団瀋陽市油杯廠()第類 瀋陽鍛圧機床廠鉄西区国有中型

前身は民族資本東洋金属機工株式会社(年,鉄西区)。東洋金 属は年に従業員人,バルブ・コックなどの鋳物部品を生産 していたが,満洲国崩壊後,中華鋳鋼股份有限公司,建興鉄工廠に 社名変更した。年に公私合営を行い,の民営工場と合併し, 職工数人,設備台の規模まで拡大し,年に瀋陽市建興沖 剪機床廠に改名した。同年工場一部を鉄西区に移転するとともに, 会社を二分割して,移転した部分は工作機械生産の同社に,移転し なかった部分は普通器具生産の瀋陽第三鋳造廠となった。

第類 瀋陽液圧機廠皇姑区国有瀋陽砿車廠第類 瀋陽市沖剪機床廠皇姑区集団昆山小五金生産組()第類 瀋陽市帯鋸機床廠蘇家屯国有

年に設立した興安鉄工廠は瀋陽最初の民族木工機械工場であ り,同社の前身である。年の公私合営と企業合併(瑞東鉄工廠, 合興との社合併)を経て瀋陽市木工機械廠に社名変更し,中国全 国最初の木工機械製造の専門業者となった。

第類

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瀋陽市木工機床廠大東区集団小型大東区遼瀋公社第十総合廠()第類 瀋陽機床附件廠瀋河区国有年,民生(),文元,振生,万徳()など社の鉄工 廠の合併第類 瀋陽機床歯輪廠鉄西区国有 年に設立した明遠鉄工廠は瀋陽歯車部品生産の初めての民族資 本である。同社は年栄生鉄工廠(年設立)と合併して明生 歯輪廠を設立し,さらに年和泰鉄工廠,安泰鉄工廠を合併し, 歯車生産の専門業者となった。

第類 遼寧精密機床修理廠鉄西区瀋陽設備修理廠()第類 瀋陽摩擦片廠瀋河区瀋陽市冶金機械修配廠()第類 瀋陽市機床配件一廠皇姑区集団皇姑区鍋炉鉚廠第類 瀋陽市機床電器廠大東区集団小型瀋陽低圧電器合作社()第類 第一砂輪廠蘇家屯国有大型満洲呉制砥所()第類 瀋陽市砂輪廠大東区集団中型瀋陽市建設化学社()第類 瀋陽市砂布廠大東区集団小型北市区砂布生産合作社()第類 瀋陽量具刃具廠大東区国有中型

前身は年初めに設立された精勤鉄工廠(大東区)である。同社 は年に公私合営を完成して,ほか社の旧民営工場と合併する ことによって,大東量具廠を設立,従業員人,設備台の規模 になった。年さらに広発合鉄工廠など数社と合併し,現会社を 創立した。

第類 瀋陽第二量具刃具廠大東区国有集団合営瀋陽市紅衛螺釘廠等工場合併して結成()第類 瀋陽市第一工具廠瀋河区国有集団合営南市区第二機械工具生産合作社()第類 瀋陽市第二工具廠大東区集団瀋陽市第八鉄製品廠()第類 瀋陽組合夾具廠于洪区国有南市区第二機械工具生産合作社()第類 瀋陽随機工具廠大東区集団小型鉄製品合作社()第類

参照

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