1 博士論文要約
明治前期の在外日本人保護問題
―領事官制度と通商条約を中心に―
鈴木 祥
●目次 序章
第一節 近代国家の建設と在外自国民 第二節 領事官制度と領事裁判 第三節 通商条約の片務性 第四節 本論文の課題と構成 第一章 江戸幕府と名誉領事官
はじめに
第一節 幕府の商人領事認識
第二節 遣仏使節と商人領事禁止要求の失敗 第三節 親仏政策とパリ名誉総領事の任命 第四節 サンフランシスコ名誉領事と日本人保護 おわりに
第二章 明治政府と領事官網の展開 はじめに
第一節 明治政府の成立と領事官任用のはじまり 第二節 領事官網の展開
1 北米 2 清国・朝鮮 3 ヨーロッパ 4 ハワイ 5 極東ロシア 6 オーストラリア 7 東南・南アジア おわりに
第三章 明治政府と在外窮民救助制度 はじめに
第一節 在外窮民の発生
第二節 在外窮民救助制度の策定 第三節 救助制度改正の試み
1 窮民の変化と救助対象基準の模索 2 諸外国の在外窮民救助制度
2 第四節 新救助制度の成立
おわりに
第四章 名誉領事官と領事裁判権 はじめに
第一節 明治政府と商人領事の裁判 第二節 商人領事による裁判の実態 第三節 日本の名誉領事官と領事裁判権 おわりに
第五章 通商条約と在外日本人の権利 はじめに
第一節 条約改正準備の開始 第二節 改正掛の双務化構想
第三節 在外日本人の権利をめぐる国際認識 1 ハワイ条約と部分的双務化の達成 2 岩倉使節団の条約改正交渉 第四節 ペルー条約と双務化の達成 おわりに
終章
第一節 自国民保護と領事官制度の形成 第二節 条文の双務化と「不平等条約」
第三節 近代国家形成期の在外自国民保護 第四節 今後の展望
●各章概要 序章
1868年の成立直後から西洋型の近代国家建設を目指した明治政府にとって、在外日本人 の保護は重要な課題であった。日本人が海外で困窮あるいは不当な待遇を受けることによ り、国家の威信が損なわれ、西洋諸国から近代国家として承認されなくなる恐れがあったた めである。そこで本論文では、日本が条約改正を達成し、日清戦争に突入していく1894年 までを近代国家形成期とし、当該期明治政府が行った在外日本人保護策およびその性質・特 徴について明らかにする。一般に、当該期日本の近代化の過程は、主権国家あるいは国民国 家の形成・確立といった観点から説明されることが多いが、その問題関心は自国領域内の事 象あるいは対外的自立を脅かす条約改正問題、領土・国境問題、軍事問題などに集中してい る。したがって、明治政府による在外日本人保護を検討することにより、従来の研究視点で は十分に捉えられない近代国家形成の過程を解明することができると考えられる。
上記課題を具体的に検討するべく、本論文ではまず自国民保護および通商の促進を主務
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とする領事官制度に注目する。従来の日本領事官研究では、明治政府が「領事報告」(領事 官による現地通商情報の報告)制度の確立に力を注いだことが重視され、海外貿易情報の提 供者としての領事官の側面が強調されてきた。そこで、明治政府による在外日本人保護につ いて検討することにより、通商情報の獲得のみならず自国民保護手段としての領事官制度 の形成過程を明らかにすることができると考えられる。
もう一つ本論文にて注目するのが、幕末から明治初年にかけて日本が西洋諸国と結んだ 通商条約(=「不平等条約」)である。従来の研究では、領事裁判権や協定関税といった日 本における外国人・外国貿易に関する規定に主眼が置かれてきたが、これら諸条約にはもう 一つ重要な特徴があった。通商条約では通常、相手国に渡航・居住する自国民の生命・財産 の保護、旅行、商業などに関する基本的な権利が双務的に規定される。しかし、当該期にお ける日本と西洋諸国との通商条約は、在外日本人の権利に関する規定がない片務的なもの であった。こうした条約の片務性を明治政府による自国民の権利保護という観点から検討 することにより、従来の研究では解明し得なかった条約改正交渉の過程や、条約の「不平等」
性について明らかにすることができると考えられる。
第一章 江戸幕府と名誉領事官
第一章では、明治政府による領事官制度形成の前提として、江戸幕府による領事官任命に ついて検討した。1859年の開港以降、日本に領事官を置いた国の多くは商人領事(領事任 務を委託された在日商人)を任用したが、武士身分による官職の専有を原則とする幕府は、
商人を官吏として待遇することに否定的な態度をみせた。しかし、開港後の政情不安により 国内主権者としての地位が揺らいでいた幕府は1864年末以降、権力基盤を強化すべくフラ ンスとの関係を深めていった。その中で幕府は、駐日フランス公使ロッシュの勧めに従い、
パリ在住の銀行家フリュリ・エラールを総領事に任命し、製鉄器械や武器購入の事務処理な どを委託した。政権の危機に陥ったことにより、幕府は自らも商人を領事官に登用したので ある。さらに、幕府は、1866 年の日本人海外渡航の解禁および1867 年の太平洋横断航路 開通に伴い、アメリカに渡る日本人の保護を国家の体面に関わる重要な問題と考えた。そこ で、サンフランシスコ在住の親日商人ブルークスを領事に任命し、日本人保護を委託したが、
その直後に幕府は崩壊に至った。
第二章 明治政府と領事官網の展開
第二章では、明治政府が展開した領事官網の特徴について明らかにした。幕府外交を引き 継いだ明治政府は、成立直後から海外情報の収集と自国民保護を主務とする領事官制度の 重要性を認識した。そして、成立からわずか4年の1871年、外務省の官制上に領事官の官 職を設け、1894年までに北米、ヨーロッパ、清国、朝鮮、ハワイ、極東ロシア、オースト ラリア、東南・南アジアに領事官網を展開した。その内、日本人が少なく、通商情報の獲得 が主な目的であったヨーロッパには名誉領事官が配置された。一方、北米、清国、朝鮮、極
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東ロシア、そして官約移民開始後(1885年~)のハワイには、留学生、商人、出稼ぎ労働 者、売春婦など様々な職業の日本人が数多く渡航・居住した。明治政府はこれら自国民の保 護・監督のため、上記の地域には原則として日本人の本務領事官を派遣した。ただし、オー ストラリアでは、日本人労働者が増加し続ける一方、1880年代末以降は有色人種排斥の動 きが強まっていたにもかかわらず、予算の問題のためか本務領事官を派遣せず、名誉領事官 に日本人保護を委ね続けた。また、東南・南アジアへの本務領事官派遣は、1880年代末以 降対欧米・清国・朝鮮依存の貿易に限界を感じ始めていた外務省の販路拡大構想に基づいた ものであった。
第三章 明治政府と在外窮民救助制度
第三章では、明治政府が在外窮民(失業、病気、その他の理由により海外で困窮した日本 人)に対する救助制度を形成する過程を明らかにした。在外窮民の救助を国家の義務と考え た明治政府は1875年、在外公館が帰国費用を窮民に貸与し、帰国後20日以内に返済させ るという救助方法を定めた。しかし、時期が下るにつれて、徴兵忌避者や遊手無産の者など、
明治政府にとって好ましくない窮民が増加した。さらに、貸与金額の増大も次第に問題視さ れるようになった。そこで、外務省は1883 年より救助制度の改正に着手し、1888 年、ド イツの領事官訓令を参考にして新たな救助制度を確立した。新制度の骨子は、可能であれば 現地官憲・慈善団体に窮民救助を委ねること、救助対象者を「名誉上毫モ恥ツル所無クシテ、
真実不慮ノ禍難ニ遇フテ、自活ノ道ヲ失ヒタル者」と定義し、軍隊から逃亡した者、軍艦・
商船から脱走した者、徴兵忌避者、売春婦を対象外とすることであった。外務省はこの制度 により、財政負担の軽減を図ると同時に、国民の義務を果たさない者、国家にとって不名誉 と見做された者を棄民することを定めた。
第四章 名誉領事官と領事裁判権
第四章では、商人による領事裁判について検討した。第一章に記した通り、当該期日本と 通商条約を結んだ国の中には、商人領事を任用する国が少なくなかった。また、明治政府も、
1871年締結の日清修好条規により領事裁判権を獲得した清国の牛荘、芝罘、厦門において 現地商人を名誉領事官に任命した。これら商人が領事裁判権を行使した場合、原告・被告と なる内外日本人に不利益が生じる恐れがあった。こうした問題について明治政府がいかに 対応したかを明らかにした。
明治政府は1868年の成立直後から、商人領事の不適切な裁判により原告側日本人の利益 が損なわれることを危惧した。しかし、商人領事による裁判を全面的に禁止することはでき ず、明治政府は1882年の条約改正予備会議や1892年のポルトガル領事裁判権廃棄事件を 通じて、商人領事の裁判は日本側・外国側双方に弊害をもたらすと訴え続けた。一方、自国 民の利益保護の観点から商人による裁判を嫌う明治政府は、清国駐在の名誉領事官には裁 判権を付与せず、その管轄区域で事件が発生した場合、最寄りの本務領事官に対応させた。
5 第五章 通商条約と在外日本人の権利
第五章では、明治初年の条約改正問題に注目し、明治政府が通商条約の双務化を試みてい く過程を追究した。1869年、明治政府は領事裁判制度の改正、低関税の是正、そして在外 日本人の存在を前提とした条文の双務化を課題として、条約改正準備に着手した。その後、
明治政府は次第に法権・税権の回復に主眼を置くようになっていくが、在外日本人の権利記 載も条約改正の課題の一つとして認識し続けた。明治政府が条文双務化を目指した意図は、
自国民保護の姿勢をみせることにより、近代国家としての国際的評価を高めることにあっ たと考えられる。また、1871年に結ばれたハワイとの通商条約には、片務的最恵国条項と ともに、通商に関する双務的最恵国条項が記載された。さらに、1872年の岩倉使節団との 条約改正交渉の際、アメリカは法権・税権の回復という日本側の要求には応じなかったが、
在外日本人の権利記載については容認する姿勢をみせた。外国側権利に変更がない限り、条 文の双務化は国際的に承認されていたといえる。こうした状況の下、外務卿副島種臣は1873 年、ペルーとの条約交渉に臨んだ。副島は、前述のハワイ条約や対米交渉およびペルーが移 民獲得を目的としていることを踏まえ、条文の全面的双務化を要求し、日本・ペルー通商航 海仮条約には在ペルー日本人の権利および双務的最恵国待遇が明記された。
終章
終章ではまず、第一~四章を総括し、さらに明治期以降旧幕府留学生や長崎通詞出身者が 多く領事官に登用されたことを加味して、明治政府による領事官制度の形成を次のように 説明した。明治政府は、幕末の経験を発展的に継承し、従来の研究が強調してきた海外貿易 情報の獲得とともに、日本人渡航者・居住者が多い地域への本務領事官派遣、在外窮民に対 するセーフティーネットの構築、商人による領事裁判の防止など、自国民保護を軸に据えて 領事官制度を展開した。ただし、自国民保護の目的は国家の体面を守ることにあったため、
この目的にそぐわない在外日本人は必ずしも保護の対象とはならなかった。
次に、第五章の成果を踏まえて、日本が法権・税権回復の目処が立たない明治初年におい て、条文の双務化という外交的成果を挙げたことを強調した。さらに、条文の双務化が国際 的に承認されていたことから、従来「不平等条約」の骨子の一つとされてきた片務的最恵国 待遇は、国家間の本質的な不平等を示すものではない可能性があることを指摘した。
最後に、当該期明治政府による自国民保護には、近代国家の根幹となる制度、法律、予算 の不備・不足に起因する問題を孕んでいたことを指摘した(領事任務に特化した専門官僚を 養成する体系的制度が未確立であったこと、清国・朝鮮にて領事裁判を行うにあたり、その 根拠法となる本国の近代法典が未整備の状態にあったこと、予算の問題のためかオースト ラリアにおける自国民保護は名誉領事官に依存したこと、ペルー以外の国々との通商条約 を双務化するには、法典整備をはじめ国内諸制度の近代化により、領事裁判権の撤廃を西洋 諸国に認めさせた 1894 年の条約改正を待たなければならなかったことなど)。そして、明 治政府は、成立と同時に在外日本人の保護を国家的課題と認識し、幕末の経験・人材などを
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活用しながら積極的に在外自国民保護策を講じたものの、明治政府が目指した近代国家の 尺度からみると、それは必ずしも十分に基礎付けられたものではなかったと結論付けた。
終章末尾には、今後の展望として以下2点を挙げた。
まず、近代国家形成期の明治政府は、一部の在外日本人により国家の体面が汚されること を懸念する一方、貿易振興など国益に適う海外渡航は奨励していた。そのため、三井物産、
同伸会社、大倉組などの日本商社が次第にロンドン、リヨン、ニューヨークなどに支店を展 開していった。通商の促進を主務とする領事官は、これら緒に就いたばかりの在外日本商社 の経済活動を保護・援助していたと推測される。こうした観点から国家と在外自国民との関 係を追究することにより、通商の発展・拡大を目指す明治政府による国益増進のための自国 民保護策について明らかにすることができると考えられる。これも、国家の体面維持と並ん で、近代国家建設の過程を考えるうえで重要な意義を持つといえよう。
次に、19 世紀後半は世界資本主義の発展により、清国や朝鮮も西洋諸国との通商関係に 入った時期である。したがって、程度の差はあれ、各国とも日本と同様に在外自国民の保護 が問題となっていたのではないかと推測される。在外自国民の保護を東アジアの視点から 捉え、他の諸国がみせた対応との比較検討を行うことができれば、日本における近代国家建 設の過程についてより多面的かつ客観的な評価を与えることができると考えられる。