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パーリ学仏教文化学 (3) - 002片山 一良「十事(dasa vatthuni)について」

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(1)

Society for the Study of Pali and Buddhist Culture

NII-Electronic Library Service Soolety  for  the  Study  of  Pall  and  Buddhlst  Culture

事 (

dasa

 

vatthhni

 

 

 良

1

 

本稿 の 意図 す る ところ は次の 二 点に絞 られる。 第 一 従 来 戒律 研 究一 般が, とくに

我国

に お い て は, 諸 派の 各 種 律 典 を比 較するこ とに 重 きが置か れ, その 成 果が諸

の 異同 を 示すに ま IP  , 律 本 来の 有 する現 実 性 あるい は 生 きた 文 化の 実態が, そ こ か ら伝わ っ て

ない とい うこ との 指 摘に ある。 確 か に様 々 の

の 比

は,

に近

代学

問の

傾向

か ら とい うだけで な

々 日 本の 仏 教が置か れて い 立 場 , と くに “ 大

” とい う

環境

か ら 言 っ て も, ご く白然の 成 行 きで あ り, し か も重 要な研 究手続 きで は あろ う。 またそ れ に よ っ て 戒 律の

本な る もの の構

も, 期 待され る に

い ない 。 し か し

の 生

践の るの であっ て, 研 究の 方 向 も

ずか らそ こ を 主 に定め られ て よい である。 その 意 味で は , これ 迄に提示 され た一 般 的成

は, もち ろ ん大い に 評 価さ れ るべ きで は あるが, ど うし て もそ れ が色 とりど りの い を し た 人 形の よ うに 思われて な らない 。

もの 口をひ く

や か さは ある もの の こに は た だ個々 々 の 部分 的な “戒” とい う着せ替 え 腋 と, 人の 形を し た “ 律” の シ ル エ トが浮か ん で い る に過 ぎず, 生 きた実

が何 も見えない と感じるの は私一 人の こ とで あろ うか 。

日の戒

研 究 の 主 流は,尚か か る外 的な比 較 重 視の 方 向にある よ うであるが, 我々 は こ こ を離れ, 特定 の社会 に おい て実 際に運 用 さ れた, もし くは 運 用され てい る事

に 目を

ける

化 研

Cf

. 

Leach

982

 

P

43

を進み た い と 考 え る。 そ れが文 献研究で あ る場 合 に は, しば ら くは各 派に 伝え られ る律 典をそ れ ぞ れ独立 の もの と し て,各 派固有の

体 系がい か な る もの で る か を

N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

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16      パ ーリ学 仏 教 文 化 学

明する こ とこそ

要で り, ま た それ が 従来のす ぐれた研 究 成 果 を 生か し う

る,

切な方 途であろ う と思われ る。

 第

二 は, そ うし た

点か らい わ ゆる 「十 事」 の 問題を取 り上 げ, これ を ま

た 「相 応不相応」(

kapp

yakappiya

)研 究の 一環 (片 山

1988

1989a

1989b

とし て も扱い つ つ 従 来

を吟 味 し再考 する とこ ろ に ね らい を もつ 。 十 事に つ い て は, 依 然 として 不 明 な部 分 も多い が, パ ー

上 座 部の , 伝

的 出家 社

に おける 一

化の 闘題 と して

え る な らば, 正 し く妥 当 な事柄 として , 理

され るの で は ない か と考え られ る。

 

い ずれに して も本 稿は ,十

の 意

する とこ ろは

か , これ をあ くまで も パ ー

。 重ね て言 うな らば,

仏教

戒律

ない し文 化をめ ぐる研究は , 一 社 会 い て ど う

践 された か , され て い るかの 問い を措い て は成 立ち え ない , これが我々 の基 本 的な立場で

る。

1

  仏 教 史に お い て , 保 守 的な 上座 部 と革新 的な大 衆 部が ,い つ どの よ うに し て分か れた か は , 必 ず し も明らか に さ れて はい ない が, そ の契 機 とし て しぼ しぼ 掲

られるの が,

北伝

の 「大 天の 五

」 と,

今我

々 が

お うと し てい る 南伝の 「十 事」 の

る。 こ の 十 事は, 歴 史上 の 事 柄 とし て 見れぽい か に も唐 突に, あるい は まるで

革 派の

風の 如くに現わ れた 内 容に受 け取 ら れが ちであるが, 事

とし て は早 くか ら, 穿っ て 言え ば釈 尊 在世の 頃に も, 燻っ て い た問題で あっ た に違い ない 。 律の 性格が, い わ ば随 犯随 制の もの で あっ て み れば, 仏 滅

100 年

と され る こ の 時期に, 従 来の

に違

背す

る よ うな 問題の , と りわ け 重 大な

が十力

に して 主張 された こ とは , 当然の 帰 結で ある か も知れ ない。 し か し 一 方で は 「律一

1

沿

う形で 「相 応」(

kappiya

) と い うこ とが釈

以来言わ れ, そ し て仏 減

は とくに これ に

っ て 問題が 適宜 解決 されてい る筈で あるの に, な ぜ こ のを選ん で 改め て十 事が取 り上げ ら れた か , とい う疑 問 もあるで あろ う。 これにつ い て は

で触 れる こ と とし, N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

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      一

1

『』事 (dasa vatth α

P

璽≡つ い て       

7

まずは十 事の 内容がい か な るもの である かを具

的に

討したい と思 う。

 

は じめ に 『律 蔵 』 (

Vi

?%aya −−

Pi

taka

) の 「七 百犠

」 に 伝え られる十 事

dasa

  vatthUni

事件発端

記 事

か ら

介 しよ う。

 

「仏

滅 100 年

を経た時の こ と, ヤ サ (

Yasa

 

Kaka4dakaputta

>な る

 

が ヴ ァ ッ ジ ー国を遊 行し て, ヴ ェ ーに 入 っ た。 … … そ の 頃ヴ ァ ッ

 

ジ プ ッ タ カ ( “ ヴァ ッ ジー族 出身 ” ) 比丘 らは布 薩の

銅 鉢

を満た

 

し, それを比丘 サ ン ガ の 中 央 ( = “ 布 薩 堂”

Mhv

4

i3

に おい て

 

っ て来た ヴ ェ ーサ ー り一の 信 者 らに こ う言 うの だ っ た。 “

よ, 一 ハ ー

 

ナ で も半 ハ ーパ ナ で 一パ ー 一 マ ーサ カ で も 〔お金を〕サ ン ガ

 

し て い ただ きた い 。 サ ン ガの 資 具 として

使

用され る こ とに な るで あ   ろ う” と。 これ を 聞い た ヤ サ 長 老は ヴ ェ ーサ ー り一の 信 者 らに こ の よ うに

 

告 げた 。

 

“ 友よ, 一 ハ ーパ で も… …サ ガ に

施して は な らない

 

門である釈 子に とっ て 金銀 (

jatar

α

parajata

)は相 応し くない し, 沙

 

である釈 子は金銀を取 らない し, 沙 門である釈 子は金銀を

け ない 。 沙 門

 

で ある釈 子はマ ニ 珠 や 黄 金 (mapi −suva44a )を捨て , 金銀を

れ てい る

 

の で る” , と。 し か し ヴェ ーサ ー リーの 信 者 らは サ ン ガ に … …

し た」   (

Vi

’n.

294

) とある。 や がて こ の 金 銭 受

を め ぐっ て ヤサ 派 とヴ ァ ッ ジ プ ッ タ カ派 との 問 に

が 生 じた。 そして十 事の 問 題へ と発展 し,会 議が開かれ, 終に こ う結 論 され た とい う。

 

「これ らの

サ ン ガ に よっ て 決定された 。 こ れ らはい

れ も, 邪

 

邪律

り,

えか ら

れた もの で

る, と 」 (

imani

 

dasa

 vatthttni  sahghena  vinicchitZni  

iti

 

p

imani

 vatthUn 玉 uddhamm 且ni  ubbinay 邑ni apagatasatthus2sanani  

ti

, 

Vin

. 亜.

307

)   後 代の史 書 もこ の 十事が 不相 応 (akappiya  

DPv

 p .

39

で あり雰 法 (a−

dhamma

, 

S

σs. p .

7

)で ある とし, 保守 伝 統 的なヤ サ

され た こ と を

えて い る。

 

そ れで は 問

」 とは どの ような もの で あり, ど う

議され判 定 さ N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

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18       パ ーり学仏教 文 化 学 乳たの で ろ うか 。 その

定に

っ た中 心人

で ある

Revata

長 老 (質 問者 ) と

Sabbak

磊mi 長 老 (答弁 者 )との や り と りの 主 要 部 分 (

Vin

306

307

を 以下に その まま示 し て み よ う。

  

第一

sifigilo4a

kappa

      つ の

 

よ,

器 に塩 を貯える こ とは相応 しい の で し ょ うか」

 

「友よ, その “

を貯える こ と” と は何で か」

 

「尊 者 よ, 塩が な くなっ た場 合に

使

用 しよ うと,

器に 塩を貯 える こ とは

 相

応 しい の で し ょ うか 」   厂友 よ, 相 応 し くあ りま せ ん」

 

「どこで

け られの で か 」

 

舎衛

であ り, 『経 分 別』に お い て です」

 

違 犯 する の ですか」

 

「“

え られた

波 逸

<pacittiya

 

38

, 

Vin

. 

W

87

>です」

 

kapPati

 

bhante

 sihgilo akapPo  ti. 

kQ

 so 

avuso

 si血

gilopakapPo

 

t

  kappati

 

bhante

 sihgina  

lo

a皿

pariharitum

 

yattha

 alo aka 皿

bhavis

 

sati  

tattha

 

paribhufijissami

 ti. n ’

avuso

 

kappati

 ti. 

kattha

 

pa

 

ikkhit

 

tan 

ti

. 

Savatthiya

 

Suttavibhahge

 

ti

. 

kiih

 

apajjati

 

ti

. sannidhik 巨raka −

 

bhojane

 pacittiyan  ti)

  第

dva

gula

kappa

 

「尊 者よ, ご 指 分 まで食べ るこ とは 相 応 しい の で し ょ うか」   「友 よ, その “ 二 指分 ま で食べ ” とは何ですか」   「尊 者 よ, 口影が 正午を二 指 分 過 ぎる まで 食べ るこ とは相 応 しい の で し ょ   うか   「友 よ, 相 応 しくあ りませ ん」   「どこで 斥 け られたの で か」

 

「王舎 城で り, 『経

別』に お い て です」   「何に違 犯するの ですか」

 

「“

非時食

P

設cittiya  

37

, γ初. 

W

85>

」 N工 工一Eleotronio  Library  

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      .「・事 (dasa vatth こni 1’こ っ い て       

19

 (

kaD

. 

pati

 

bhante

 

dvathgulakapPo

 

ti

. 

ko

 so 

avuso

 

dva

gu

ユakappo  ti.

kapPati  bhante  

dva

gul

且ya

 

chayaya

 

vitivattaya

 

vikale  

bhojana

bhufIjitun

 t廴 n ’avaso  

kappati

 ti. 

kattha

 

pa

 

ikkhittan

  ti。 

R

jaga

he

Suttavibhahge

 ti

、 

kirh 

pajjatl 

ti.  vikalabhojd ’ ne

 P

且cittiyan

 

ti

 

第三

gamantara

kap

「尊 者 よ, 村の 中を行 くこ とは 相応しい の で し ょ うか 」 「

よ, その “

を行 くこ と” とは何ですか」 「

者 よ, 食べ

り足

し た者が, 今か ら村 の 中を 行こ うとい っ て ,残 食 で ない もの を

こ とは 相 応 しい の で し ょ うか」 厂友よ, 相 応 しくあ りませ ん

1

「どこ で け られ たの で す か 」 「

り, 『

経分

別』に お い て で す」 「

違 犯 するの でか」 「“非 残 食の波 逸 提” <

Pacittiya

 

35

 

Vin

. 

W

82

kapPati

 

bhante

 

g

且mantarakapPQ  ti. 

ko

 so 

avuse

 9且mantarakapPo

tl. 

kappati

 

bhante

 

id

訌ni 

gamantaram

 

gamiss

盃mi   ti 

bhut

餓 vin

pavaritena

 anatirittam  

bhojanam

 

bhufijitun

 

ti

. n

avuso

 

kapPat

玉ti.

kattha

 

pa

 

ikkhittan

 ti. 

Savatthiya

 

Suttavibhahge

 ti. 

kirh

 

apajjati

 ti.

anatirittabhojane  

Pacittiyan

 ti   第四事 :

avasa

kappa

「尊 者 よ, 多 くの 往 処が

な うこ とは

相応

しい の で し ょ うか 」 「友 よ, その “ 多 くの 住処

な うこ ” とは

ですか」 「尊 者 よ, 同 一 の 結 界に ある多 くの 往 処が別々 の

布薩

を行な うこ とは 相 応 しい の で しょ うか」 「

相 応 し くあ りませ ん」 「どこで斥 け られた の ですか」 「王 舎城で あ り,『布 薩 相 応∫

1

に お い て で

犯 するの で すか」 N工 工一Eleotronio  Library  

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20        パ ー

1

仏 教来隹学 .

  

「“

に反 する悪 作” <

Mah

帥 agga  

L8

3

1

11

1

,  

Vin

1

107

108

 

kapPati

 

bhante

 

avasakapPo

 

ti

. 

ko

 so 

avuso

 avasakapPo  

ti

. 

kapPati

bhante

 

sambahula  

av

設sa

 

samanasima  Ranuposatha

 

katun

 

ti.

 

n

avuso

 

kappati

 

ti

. 

kattha

 

pa

ikkhittan

 

ti

. 

RalagaheUposathasalhyutte

ti

kirh

 

pajjati

 

ti

, 

Vinayatisare

 

dukka

 an

 

ti

  

第五

:anu 臘 ati ・

kappa

「尊 者 よ, あとで承 諾 を得 よ うと行な うこ とは相 応 しい の で し ょ うか」 「友よ, そ の “ あ とで 承 諾

よ うと行な うこ と” とは何で か 」 「

尊者

よ, 比丘 らが

とで 承 諾を

よ うと, 別

の サ ン ガ が

羯磨

を行 な うこ とは相 応 しい の で し ょ うか」 「友よ, 相 応 しくあ りませ ん」 「どこ で斥 け られたの ですか 」 「『チ ャ ン パ ー律 事 』に お い て です」 「何に違 犯 する の ですか 」 「 “律に反 す る悪

” <

Mahavagga

医 .

3

5

, 

Vin

. 

L

 

318

>で す」

kappati

 

bhante

 anumatikappo  

ti

. 

ko

 so 且vuso   anumatikappo   ti.

kappati

 

bhante

 vaggena  safighena  

kamma

katulh

 

agate

 

bhikkhU

anuj 訌nessa τna

 ti

 

n ’

 

avuso

 kappat1  

ti.

 kattha  

patikkhittan

 

ti.

Campeyyake

 

Vinayavatthusmin

 

ti. 

kith

 

apajjatl

  ti. 

Vinayatisare

dukkatan

 ti

  

第六事 :甑cirpa −

kappa

「尊 者 よ, 慣 行を遵 守 する こ と は相応 しい の で し ょ うか」 「友 よ, そ の “

慣行

を遵

守す

る こ と” とは

か」 「尊者 よ, これは 我が和 尚の 慣 行である, これは我が師 匠の 慣 行で ある と して そ れ を遵

するこ とは

相応

しい の で し ょ うか」 「友よ,慣 行を 遵 守するこ とは, 或る部分は 相応 し く, 或る部 分は相 応 し くあ り ませ ん」

 

kappati

 

bhante

巨ciprpakappo  

ti

. 

ko

 so 

avuso

設ciakaPPo  

ti

kaPPa

(7)

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      .±.事一.(d… vatthitni

1

2

い て        

21

ti

 

bhante

da

血 me  upajjhayena  ajjhacippark  

ida

血 rne  

acariyena

 aj−

jh

・ih t

ha

a

itun

ti

a

i

i

・ ・

k

・pP ・

kh

avu

・…

kacc

k

P

pati ekacco  na

 

kapPati

 

ti

 

:amathita −

kaPPa

「尊 者 よ,

半酪乳

を飲む こ とは相 応 しい ので し ょ うか」 「友 よ, その “半 酪 乳を飲む こ と” とは

か」

者よ喰 べ

, 乳の

状態

を離 れ,

の 状 態に まで達し てい ない

非残食

として

む こ とは,相 応 しい の で し うか」 「

よ, 相 応し くあ りませ ん」 「どこ で 斥 け られた の でか」 「

衛城

り, 『経分 別 』に お い て で す」 「

違 犯 すの ですか」 「“ 非残

波 逸

pacittiya

 

35

, 

Vi

− n.

82

>で す」

k

・pP ・

ti

 

bh

・nt ・ am ・thit・

k

pP

ti

. 

k

 

a

・ ・1s・ am ・thit。

k

pP

。 ti.

kappati

 

bhante

 

yan

 

taエ

h

 

khirarh

 

khlrabhavath

 

vijahita asarnpat

tam

  

dadhibh

且va

 

bhuttavina

 

pav

ritena

 

anatirittarh

 

p

tun

 

ti

. n

avu

・・

k

pP

ti

 ti・

k

tth

p

tikkhittan

ti

Savatthiya

 

Suttavibhahg

。 ti.

kim

 

ap

jj

tl

 ti・an

tiritt

bhQj

・ne  

pa

ittiy

・n 

ti

 

jalogi

kaPPa

都 ・ ジ ャ ・ 一 ギ 〔を飲 む こ と〕 財 目応しい の で し 、 うか 」 「

よ, その ‘‘ ジ ャ ロ ー ギ 〔 」 「尊 者 よ, ス ラ ー が な

わせ る酒の

状態

して い い その ス ラ ー は相 応 しい の で し ょ うか

よ, 相 応 し くあ りませ ん」 「どこ で

け られたの で すか」 「

談彌 (コ ー ン ビー) , 『経分 別

に おい てで す」 「

に違 犯す るの ですか」 「 “ ス ラ ー 穀 酒

, メ ー 果 酒 ) 飲む波逸提” <

pa

ittiy

5

ヱ , 

Vin

. N工 工一Eleotronio  Library  

(8)

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22        パ ー旦一教 文 化

W

110

  

kapPati

 

bhante

 

jalogi

 

patun

 

tL

 

ko

 

so

 

avuso

 

jalo9

ti

kapPat

bhante

 ya  sa  sur 且asurata  asampatta  majjabhavarh  sii 

patun

 

ti

. n’

言vuso  

kappati

 ti. 

kattha

 pa さ

ikkhittan

 

ti

, 

Kosambiya

 

Sutt

且vibhahge

ti

. 

ki

 

apajjatl

 

ti。 suramerayap 盈ne

 

pacittiyan

 

ti

  

第九

;nisldana 〔−

kappa

〕 「

者よ,

の 無い 坐具 〔を使用 す るこ と〕は相 応 しい の で し ょ うか」 「友よ,

相応

しくあ り ませ ん 」 「どこ で 斥 け られたの で か 」 「

舎衛

誠で あり, 『経 分 別 』 に お い て です」 「何に違 犯 するの ですか」 「“ 裁 断の

逸提” <

pacittiya

 

89

, 

Vin

1

.171

で す」

 

kapPati

 

bhante

 adasaka 血 nisidanan  tie n ’

avuso

 

kapPati

 ti・

kattha

patikkhittan

 ti. 

Savatthiya

 

Suttavibhahge

 

ti

. 

ki

apajjati

 ti. cheda −

nake

 P

盈cittiyan

 

ti)

  

第十

jEtaTaparajata

〔・

kappa

〕 「

者よ, 金 銀 〔を受け る こ と〕は相 応 し い の で し ょ うか」 「友 よ,相 応 し

くあ

りませ ん 」 「どこ で

け られたの で すか」 「王

舎域

で あり, 『経 分 別 』に お い て で す」 「何に 違 犯 するの ですか 」 「 “金

受 領の 逸提” <

Nissaggiya

 

18

, 

Vin

. 

H

237

>で す」

 

kappati

 

bhante

 

jataraparajatan

 

ti

. n’

5vuso

 

kappati

 ti. 

kattha

pa

 

ikkhittan

 

ti

, 

Rajagahe

 

Suttavibhahge

 

tL

 

ki

apajjati

 

ti

. 且targpa _

rajataggaharPe

 

pacittiyan

 

ti)

 

以 上 がパ ー

部 内 られ る十 事の ほぼ 全

で あ る。 その 内容は衣食

住の 全体に わた っ てい るが, 十 事 各 間に特別な

脈絡

は認め られ ない 。 お そ ら

(9)

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      十 事 (daSit vatthUni につ い て       23 く金 銀

領の 第十 事を最 重要 の こ と と して , 他の その 頃まで 未 決 となっ て い た 九

を含め, こ こ に まとめ て提

したの で あろ う と思 わ れる。 これに対し て形

につ い て は, い ず れ も (厳 密に 言 えば

kappati

kappo

” なる形で られて, そ れ ぞ れ の 相 応が 主張されて い る点に , 基 本的な共 通 部 分を見る。 こ の 定 型的な表 現は, 後 述の い わ ゆる 「

の 四 大教 法」(

Vin

1

250

251

)を規

として 内 容が判 定 されるべ

を なす も で は あるが, こ こ に示 されて い る

kappa

の 用 法は, こ の 箇所特 有の もの である と言っ て よい 。 そ こ で 十

の 検 討に入 る前に ,既に

kappa

全般に つ い て は 他で り上げた とこ

山 1988 )が ,

再び こ こ で の

kappa

に つ い て 意昧 する もの を,

考察

する こ とに し た い 。

 

まずは, こ の

kappa

が最も解釈 され易い 「相 応」 (

kappiya

)の 意

を も つ の である か ど うか で ある。

か に こ の 語は

kappati

“ 相 応 しい ” と

ぽ れ て お り,

形か ら見 れぽ同 一

根 (

Vklp

り,原 義 として “

Regel

” と

するこ と

 

(von  

HinUber

 

1968

 

S

47

るが ,両語の 内容を 同 一 は, 伝 統

の 立 場か ら

め て 困 難である, とい う

は ない 。 つ ま りこ の

kappa

を, 

kappati

と同義に見て 「浄 」 と訳す

平川

1960

p

699f

., 佐

藤1972

 

p

596

) な らば, こ の 語の 前に 置か れ た もの , 例え ば “ sifigilorpa ” な どの すべ て が

る と既に認め られ てい るこ とに な り れな らぼか か る

事件 も起

らなか っ たで あろ う。 主 張 者の 側に 立 て ぽ

であ るとの 見方 も一つ の 道理で は あ るが, こ の 十事の主張 者は あ くまで も上座

丘で あっ て, 他 部 派の者で は ない こ とを承 知すべ きで ある。 したが っ て 同 じ上座部 内にあっ て

な りと一

度 決

定 された もの が再度 問題 とな る こ と は, あり得ない の で あり, そ の 点で こ の

kappa

が, 「浄」 もし くは 「相 応」 (

kappiya

)を 意 昧 するもの で は ない , と しなけれ ぽ な らない 。

実際

に この 語を 厂

」 とする伝 統 的

釈は , どこ に も見 られない の で ある。

 

また ご く一般 的な もの に 「

とする訳 (

平松 1939p

29

, 塚 本

1980p

. ユ

60f

.,生 野

1980

 

p

13

)が ある。 こ の 場合は ,

六事にその意

に近い “

aci

pa

” が示され てい る こ とか ら

支持

され

く, 何よ りもこれ ら十事が “ 習 慣” N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(10)

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 24       パ ーり学 仏 教文 化る とする な らば, 「律の 四大

法 」 の 立 場か ら殆ん ど意

を な さぬ

内 容

とな っ て しま うの で

ろ う。 例 えぽ第二

に つ い て言 うな らば,

dvaftgula

は 「正

の 食」 とい うい わば仏教の 習慣

して 日影二 指 分の

i

非時

」 を

たに 追 加要 求した もの である か ら, これ を仏 教の “

習慣

” と呼ぶ こ とは で

ぬわけで ある。 こ の よ うな “ 習

” の 意 味が妥 当と され るの は samapa −

kappa

などの場 合に 限られるの で

る。

 

るい は ま た, 「認 容」(長 井

1941p

44

), 同じ く “

license

” (

T

W

Rhys

Davids

 and  

H

01denberg

 

1885

 p .

396

とす る解釈 がある。 これ も

“ 認容 される” と訳 される

kappati

とい う語延 長と して の “認 容可” で あるな らぽ, 先の 「

」 「習

」 と共に, 認め

の と言わ ざるを

ない 。

 

その に 可能な

釈 とし て 「行な うこ と」に 近 い もの 立花

1939P

168

) がある。 これ は “

practice

” な る訳 (

Horner

 

1952

 

P

407 )

}’こほ ぼ

し く, 各 事の 説 明に “貯えるこ と” , “

こ と” な どが

され るこ とか らす れ ば

充分

首肯

され うる もの で あろ う。 我々 の実

的 な 訳 も概ね これに沿 うもの であっ た。 し か し パ ー り 伝 統 的

解釈

に は,

Vinayakiriya

,即ち「

為 」 (片山

1988

)を

さぬ 限 り, これ を

極 的に支 持 する もの は

出されそ うに ない 。

 

で は

伝統的

釈は どの よ うな もの であろ うか 。 ま

ア ッ タ カ タ ー は、 『長部 註 』を除 く他の

『中部註

』 (

MA

125)

相応部註 』(

SA

1

15)

, 『増 支 部 註』(ん

A

1

377

)あるい は 『小 誦 経註 』(

KlzA

115

)に おい て すべ て共 通に,

の 説 明が十

二 事を例に示 され て い る。

 

kappati

 

dvahgu

akappo どに おい て は ,

 

kappa

は〕vikappa 〔とい

 

う意味〕 で ある」 これに よ る限り, 少く と も

Buddhaghosa

が十 事に 現われる “

kapPa

” を “ vikappa ” の意味に 解 した こ とだけは 明 らか で あろ う。 後 期の

Aggava

血 sa (

Saddaniti

§1525)

も これ と全 く同じ立場を とっ て い る。

 

また

律蔵註

』 (

S

σ 觚 α漉α麺 sδ

4

漉め の 復

で ある 聾 辮 α渉勿 豌 04 α擁 一勲 σ

γ

ヴ p

24

に よれ ば,

べ て い る。 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

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      十事 (dasa vatthOni に つ い て       25   「

kappa

な る語は vikappa を意 味 す。 それ ゆ え si血

gil

叫 a−

kappo

 

pi

  kappati

とい うこ とで り, 

idam

 

pi

 

pakkhantara

kappati

とい う意

  味

る。 〔これ は十

〕すべ て に つ い て 同

で ある」 こ こ で

kappa

はvikappa と解 されて お り,こに選 択, 未 決, あるい は 謬 見な どの 意 味を当て うるが,

idam

 

pakkhantara

血 とい うこ とか ら言えぽ 「異 見

1

適切

ろ う。 い ずれ に して も, 十

の す べ て につ い て “ こ の 異 見 も相

1

しい ”

しよ う とす るの が, 両 派の 見 方で あると考 えて よ い。 保 守派か らす れぽ 「恥 知 らずの 者た ちは, 十 事を相 応しい と主張した」 (

Mhv

4

11

)と言うよ うに , 十 事はすべ き もの で る か ら,

kappa

は “謬 見” ない し “

想” で あ り,

革 派か らすれば “

” もし くは “ 認 容” と見做した い 言葉であっ た筈で ある。

 

し て

kappa

を vidhana とする

釈が, 『大 史 』(iTlfahdivathsa )の

復 註

る 弼 励 砌 α癬 α肋 (il4hvT .

1

157

さ れ る。 こ こ で は 同 じ く

を註しな が ら次の よ うに 言う。

 

dvahgulakapPa

癜 とは , こ の 場

合 dvahgulavidhanafU

意味す

る」 こ の vidhana は ふ つ “規 定” 訳 され 語で る が, 

Skt

.の

 

kalpa

” 本 来の

意味

で 示 さ れ た もの の よ うに される。 た だ そ うす る と

決の 事 柄が 既 決の “

規定

” と し て 認め られてい る こ と にな っ て こ の

解釈

も問題が残 る もの と なる か ら, こ こ で は 「規 定 する こ と」 と見 られ る べ 。 あ るい はまた vidhana が もつ 「実行」 とい う別の 意 味か ら, 先

の 「行な うこ と」 を こ こ に

き出 すべ

ろ うか 言するこ とは

しい 。

 

以一

E

い くつ か の

解釈

っ た が,

々 が

今十事

kappa

に つ い て 言 え そ うな こ と は ,

の 立 場に 目を向 ける な らば vikappa か ら 「異 見」を,内 容

自体

を問題 とするな らぽ vidhana か ら「規 定 す るこ と」, 「行 な うこ と」 を その 意 味 として

き うる とい う程 度に過 ぎない 。 我々 は 既に こ の

kappa

の 意 味 として 18

意味

る と され る

kappa

か ら “vidhana ” 選び, 「躊

」 を与えた の で ある (片 山

 

1988

)が, ま た もや こ こに鋳

し つ つ 同訳を支持 す る よ

な さ そ う。 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

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26 パ ー

 

次に 我々 は , 十 事の 各々 に つ い て しば ら くその

容を窺 うこ とに しよ う。 た だ し

国に は これにつ い て既に詳 細なす ぐれ た 研究が な され てい る (平 川

1964

, 佐 藤

1972

, 塚本

1980

)か ら, こ こ で は で きるだ け 重

を避 げ, ま た パ ー 立 場

題点

る よ め た

  〈

第一一事 〉

 

食物

の 保 存は

止されて い るが, 塩 に 限っ て 認め られて よい (「塩

」 『

見律 毘

沙 』 大 正

24

677c

) とい う

趣 旨

る。 『大 史

註 』 (

M

τ

1

156

)に よれ ば, 塩とは 「時 薬を混 ぜて使用 し たい と思 う比 丘 が ,牛な ど の

れ て携帯 す る塩 」(yavakalikamissarh  

katva

 paribhufijitukamehi

bhikkhUhi

 

gosihgadisu

 

pakkhipitva

 

pariharita

lo

alh の こ とで る と

される。 し か し塩は, 次の 「

挺 度」(

Mahavagga

 

NI

8

1

)で 言 わ れ る よ う に 病 気尽 形 寿薬 とし て使 用 する以外は許 され て い ない 。

 

「比丘 らよ,

とし ての

は,

海塩

, 黒塩, (白) 岩 塩,地 塩,

塩 で も,

 

また他の

に お い て硬

として に 立 た ない

軟 食

に おい て軟 食 と して

 

役に 立 た ない の で あっ て も薬と して の塩は これ を受 け 生 涯 貯える こ と

 

を, 必 要があれ ぽ使 用す る こ とを許 可 し よ う。 必要の ない 時に使 用 する な

 

らば

悪作

となる」(anujan2mi  

bhikkhave

 

lo

ni 

bhesajjani

 samuddalh

 

k

醍alo a血

 

sindhava 盒

 

ubbhida 舟

 

bilalh

 

yani

 

va

 

pan

 

afifi議ni 

pi

 

atthi  

lorPani

 

bhesajj

且ni, n’ eva  

khadaniye

 

khadaniyattarh

 

pharanti

 

na  

bhojaniye

 

bhojaniyattaih

 

pharanti

, t豆ni 

patiggahetva

 y五vaiiva 血

 parihariturh

, sati  

paccaye

 

paribhufijituth

. asati  

paccaye

 

paribhufijan

 

tassa

 

apatti

 

dukkatass

 

ti

, 

Vin

. 

1

. 

202

 

また

食物

保存

は 次の よ うな 「宿 食 戒」(

Pacittiya

 

38

っ て 認め られ

てい ない 。

 

「また比 丘 が,

蔵 され て い る硬

や軟

を か ん だ り食べ た りす る な ら

 

ば,

波逸提

となる」 (

yQ

 

pana

 

bhikkhu

 sannidhikarakarb  

khadaniya

(13)

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       十事 (dasa vatthitnt )に つ い て       27

 

v弖

bhojaniya

血 v且

khadeyya

 va  

bhufijeyya

 v亘, 

pacittiya

血, γ加

W

 

82

 

eg

−一・事を 不可とする

接理 由であっ た。 い

れ に して も 一 食 用 とし て の

食物

は, た と え塩で あっ て も貯 えて は な らぬ とい うの が

伝統仏

教の 立場で る。 なお こ こ に 言及され てい る 「角 器」 とは ,

の 中を くり抜い て 細工 された

容れ で

り,

日も南方で見るこ との で きるもの をい うの で あ ろ う。

  

〈 第二

 

非 時であっ て も太 陽 の 影 が二 指 分 移動 する問は

事を して も よ い (「二 指

」)とする主張で る。 ア大 史 復註 』 (

MhvT

. 

L

57

)は これ を 厂正 午を過 ぎて二 だけ,

時薬

を摂る こ とがで きる」(

nユajjhantikak 且

lato

 atikka −

ntadvahgulacchayamatte  yavakalika

paribhufijitabbath )

と説 明する。

こ の 主張を斥 けた典 拠は次の

 

「非 時食 戒」 (

pacittiya

 

37

あっ た 。

 

「ま た 比丘 が ,非 時に硬

軟食

をか ん だ り食べ な ら

 

と な る 」 (

yo

 

pana

 

bhikkhu

 vikale  

khadaniya

血 va 

bho3aniya

血 va

  kh

deyya  

v氤

 

bhufijeyya

 

va  

pacittiya

血,

 

Vin

 

]邸.

85

 

正午ま で の正

食事

を終えて し ま うとい こ とは , 現

で も上

座部

比丘 が最 も神経を使 う生活

部分

っ て 昔か ら

kala

/vikala をめ ぐっ て は

問題が 生 じた こ と と思 わ れ る。 正午か ら 日影二 指 分の 時 間を延長 して ほ しい とす るこ の 願い も, と りわけ

外 出時

に つ い て は切 実で あっ た に違い ない が, い か よ うに も認め られぬ もの で あっ た。

 

と こ ろで こ の よ うなパ ー リ の

, 漢 訳 諸律で は 「二 指」 が “ 二 指で

物をつ ま ん で

い うよ うに 全 く異

釈が なさ れ, 主張 その もの が 「足 食 戒」 (

pacittiya

 

35

)に 違 犯 する もの と なっ て い る こ とに, 注 意 して お きたい 。 こ れは 言わ ぽ イ ン ド文 化 圏と中 国

の 理

の 相 違を 示す もの として , 興

深い 事柄で ある。 し か し これ を諸 律の 比較に重 き を 置 き 「そ の い ずれ が 正 しい か は決 定で き ない が, 漢訳諸

が 一致して 同 じ解 釈 を取っ てい る

か らみ る と, パ ー 何 ら

解釈

っ たの で は N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

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28

      パ ーリ学仏教 文 化 学 なか ろ うか」 (平 川

1960P

712

713

とし た の で は伝 統 と文 化を無 視 し た本 末顛 倒の とな らざるを え ない 。

日 まで の パ ー り語 文

に , “ 日影ご ” 以

解釈

が見難い こ と は事

で あ る し, 何よ りもまた 十 事が パ ー 座 部

1

内部に起っ た問題で あるこ とを 忘 れ るべ きで は ない であろ う

  

 

足 食 した者が

行 ぎ び残

で ない の を

い とす る主 張で ある。 『大 史 復註』 (.

Tk

ThvT

1

157)

に は 「足食 し た 比丘 が村の

を行 き, 残 食で ない

時薬

を摂る こ とがで る」 (

pavaritena

 

bhikkhuna

gamantararh

 gacchantena

 

anatirittaka 血

yavak

likarh

 

paribhufijitab

balh

と説 明されて い る。 こ こ に い う 「足

し た者」(

pavarita

)とは “ こ の すべ て は充 分で ず ’ (alam  etalh と言

こ とを意 志 表示 し た

し, 「残

で ない 」

anatiritta )とは, “ こ の て は充 分 わ れて い ない , 不相 応の  (akappiya ) とい う意 味で ある  (

Vin

. 

W

82

)。

 

こ の 第三事の 主張は ,次の “非残 食の 波逸提” ,

i

足食 戒 」(

Pacittiya

 

35

に抵 触す るもの として 否 認 された。

 

縁 た

し た 比 丘 が , 残

でない 硬

軟食

をか ん だ り食べ た

 

りするな らぽ, 波逸堤と なる」 (

yo

 

pana

 

bhikkhu

 

bhuttavi

 pavarito

 

anatiritta 血

khadaniya

h

 va  

bhojaniyarh

 va  

khadeyya

 va  

bhufijeyya

 

va ,

 pacittiyafu

 

Vin

 

V

 

82

 

こ こ で か問題とな るの は

gamantara

を ど う

する か で る。 漢 訳が まちま ち で ある た め, 我 国での 訳 も殆ん ど一致し て い ない 。 た だ その

で 注 意すべ 漢訳 を

示 され と思

他村

」 と

解釈 (

平 川

960p

713

;佐藤

1972

 

p

598

)で る。 これ は antara を “ 他” と理

し た も の で

るが,

し て こ こ に どの よ うな

意味

があるの で あろ うか 。 とい うの は , amtara に パ ー

般 的

ま た は 」を るこ とで こ の 三事の 内容が 明 らか にな るで あろ うか らで

る。 ま

こ こ に言わ れ る

gama

(村 )は , これ が

gamanta

(村 辺 )であっ て も

乞の

囲 とし て は同 じ で あり,い ず れ もarafifia 森 )対 す る もの で る か ら,場 所 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(15)

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      十 事 (dasa vatthani に つ い て       29 として の こ こ で の

意味

に差は な く, gama は gamanta を含む もの と見て よ い 。 し た が っ て

gamantara

を漢訳 の 「近 聚 落」か ら

gamanta

と推 定 する (平 川

1960

 

p

713

)必 要は ない で ろ う。 ま た

gamantara

をあえて 「他 村」 としな くて も,「村 内」 ま たは 「村の 」で 非 残

を 再 度摂 る (立

9E

 

1939Ph

168

, 生 野

1980p

13

) と解 する こ とに よっ て, こ の 場 合の 意趣 は満た さ れ, こ こに は 「他

」 の

意味

まれ るこ とに な ると思わ れる。 勿 論 antara を 「他」 と解 する こ とも可 能で は るが,

くとも上 座 部に お い て この

所を か か る訳を もっ て 当て る こ とは まずない と言っ て よい 。

  

〈第四事

 

同一

そ れ ぞれ の 住処

が それ ぞれ布薩を行な っ て も よ い (「住 処 浄」) とい う趣 旨で ある。 『大史 復 註』 (

Mhv7

「 .

1

157

)は これ を 「大 住 処で ある一精 舎に お い て は結 界 内で, そ れ ぞ れの

布薩

を行なっ て もよ

mah 訌vasamhi  vih 巨re ekasmi 血 simayalh   nanuposatha 血

k

誰 u 血 vattati と解釈し,ま た 『

蔵 復註 』(

y

p

25

, 

S

δ

T

 

p

112

)にも同 じ よ う

に, 「

結 界に お い てそれ ぞれの 坐所で, それ ぞれに

薩な どの サ ソ

羯磨

な っ て もよい 」

ekasimaya   nanasenasanesu   visu 血 visuih

uposath 浸

dini

  sahghakammani  

katu

 

vattati

 

明 さ れて い る。

 

こ の 主 張は ,『律蔵 註 』(

SP

. 

NI

1299

)に指 摘 された通 , 一 布 薩

鍵度

」 (

Mahavagga

皿.

8

3

の 次の 規 定に

る もの とし て

定された と 言わ れる。

 

「比丘 らよ, 一 住 処に お 布薩 堂め る

  (

na  

bhikkhave

 ekasmirh  

avase

 uposath 盃

gar

盃ni sammannitabb 言ni

 

Vin

.  

1

. 

107

) し か し内容か ら言え ば, 同じ 「布薩 撻 度」(

Mahavagga

 

J

11

1

)の 次の よ うな

規定

拠に

けた と

る こ と も

充分

ろ う。   「比丘 らよ, そ の 比 丘すべ て が 一 緒に集ま り布 薩を行な うべ 。 あ

 

る い は長 老 比 匠二が住ん で い る所に 集ま り

薩を行な うべ る。 し か し 別

サ ン ガ に よっ て

布薩

なっ て はな らない 。 もし行なえ ば悪 作 となる」 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(16)

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  30      パ ーV教 文 化 学

  (

tehi

 bhikkhaVe  

bhikkh

hi

 

Sabbeh ’

 

eVa

 

ekajjha 血

 

Sannipa .

titVa

 uposatho  

katabbo

 yattha  va  

pana

 

thero

 

bhikkhu

 viharati  

tattha

  sannipatitva  uposatho  

k

盈tabbo . na  tv eva  vaggena  sahghena  uposa −

 

tho

 

k

巨tabbo .

 

yo

 kareyya

 

apatti

 dukkhatassa

 Liin

 

1

 

108

 

尚これ にして

四事を 不和合 の別

衆羯磨

を 説 く もの と見

し, 漢 訳 の い づい て 「チ ン パ ー

羯度

」 (

Mahavagga

皿 .

3

 

Vin

1

316

319

根拠 を求め る こ ともな されて い る (平川

1960p

717

, cf.佐

1972p

599

)が, これ は次の 第五事が別 衆 羯磨 … 対 象 と し を考 慮 すれ ぽ, 積 極 的に は賛 同し難い 。

   〈

第五

 

事後 承 諾を 得るな らば, 別衆 羯 磨を行な っ て もよい (厂随 意

」)とす る主 張で る。 『大史

註 』 (

MhvT

1

157

)に よれば, 「委 任に相 応 しい 者らの とこ ろ か ら

委任

が届 けられな くて

丘サ ン

どの

行ない

らに 承諾を

て もよい 一

1

(chandarahanain  santika  anaha e

yeva  

chande

 

vaggena

 

bhikkhusahghena

 

upQsathadikamma 血

 

katva

pacch 巨tesa血 anumatilh  

ga ψ

itu

血 va ati

される。 これは 『律蔵

』(

y

7

’.

p

25

. 

Sdi

 

T

. 

p

112

)か ら更にその

内容

が 明らか

なろ う。 すな わ ち 「“ ま だ

て い ない に は 来て か ら承 諾を得るこ とに し よ う” とい こ と で 彼 らが ま だてい い の に

サ ン ガに よっ て

羯磨

を行 ない ,

で 承

を得るこ とは相 応 し く, 躙

衆羯磨

とは な ら ない 」( ‘‘ anagatana 血

agatakale

anumati エ

h

 

gahessami

” ti tesu anagatesu  yeva  vaggena  sahghena  

kam

maTh  

katva

 paccha  anumatim  

gahetu

kapPati

, vaggakamma 皿 na

hoti

との趣 意で

る とい 。 つ ま りこ こで の 主

は ,

羯 磨

が別

サ ン ガ に よっ て 行な われ て も ,後か ら承諾を

れぽ, そ れは 別衆 羯 磨に な ら ない , と い うこ とに 外な らない   し た が っ て こ の 第五事は, 次の よ うな 「チ ャ ン パ ー撻 度」 (

Mahavagga

M

3

5

)に規 定され て い る 「別衆

磨」 を典拠 に して 否認 され た と

え られ る で

ろ う。 N工 工一Eleotronio  Library  

(17)

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      十事 (dasa va もth血ni)につ い て       31

 

「比 丘 らよ,白二 羯 磨に おい て も し羯

に 必 要 な だ けの 比 丘 がまだ 来て

 

い ない場 合, 委任に相 応 しい 者 らの

委任

が ま だ 届け られて い ない場 合,現

  前者

丘〕 らが非

する場 合に は, 別 衆

磨と なる」 (

fiatti

 

dutiye

 ce

 

bhikkhave

 

kamme

  y5vatik 盈

bhikkhU

 

kammappatta

 

te

  anagate

 

honti

, chand 盈rah 且na 由 chando  an 巨

hato

 

hoti

, sammukhlbh α

ta

 patik −

 

kosanti

,  vaggakammalh , 

Vi

 lz.

1

3

8

 

来, 本主張が 「チ ャ ン パ ー鍵 度 」の い 抵触 す るか は指摘さ れて い な い よ うであるが , 上記の 箇所を一応の 主 た る典 拠 と見做 して お きたい と思 う。

   〈

第六

〉  和 尚 や師 匠に よ っ て習 慣 的に 行なわれ て きた こ とはその ま ま実 行 し て も よ い との主張で る。 『大 史

註 』 (

MhvT

1

157

)に は 「和 尚や師匠に よ っ て な わ れ て た もの は, 相

しい もの で あれ相 応 しくない もの で あれ , そ れ は らがなっ て きた もの で ある か らこ そ実 行して もよ い 」

yalh   upaj −

jhacariyehi

 

katarh

 

kappiyalh

 va  akappiya 血 va  

tarh

 tehi 

katatt

yeva

katu

虚 vattati ) と説 明され

 

こ の 主張に す る裁定は すべ て を 否 認 した もの で は な く, 既に示 した よ うに , 一

, 一

うも っ た。 ま た こ こ に は その

拠 も掲 げ られな か っ た。 先の 『大 史 復 註』は これを 「相応 しい も の  (

kappiya

の み実 行し て よい が , は い ない 」 と註し, 『律蔵 復 註 』

レゼτ

p

25

, 

S

δ

γ

「 . 

p

112

も 「如 法 もの

 

dhammika

)は相 応 しく,

法で ない adhammika 相 応 し くない 」 とし てい る。 そ れは 『

蔵 註 』 (

SP

. 

ll

1299

に 「部 分 相 応 如 法 慣 行 (

dham

− mikarh 豆ci a 血に つ い て述べ られ の で ある」 との 解 釈を承 けた もの で あるが, い

れに して も律に 照 して 如 法で ある場 合に はその 慣 行を実 行 し て よい とい の が裁 定

る。 こ の 趣 意か らす れば我々は , 第六

裁 定の 典 拠をい わ ゆ る 「律の 四 大教法 」 に求める よ り

は ない とい うこ と に なろ う。 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

参照

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