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専 攻

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Academic year: 2021

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戦前期日本における歴史教育論と教師の実践 一 大 松 圧 太 郎 を 中 心 に ‑

専 攻 人間教育専攻 コース

氏 名

人間形成コース 脇村真未

研究の目的と方法

戦前の日本の歴史教育は、文部省が定めた教 育制度のもと、多くの教師たちが実践を行って きた。戦前の歴史教育は、国家主義的であり、

それは教育令キ教科書の内容をみると明らかで ある。明治から大正、昭和と時代が進むにつれ て国家主義自句傾向が強くなり、新ヰ書によって 神話や天皇の歴史を学ぶことで国体を明らかに しようとした。そして、当時の教師たちは、そ のような新ヰ書を熱心に児童たちに物語るとい

う、説話型授業を行うのが一般的で、あった。

本論文は、大正期を中心に歴史教育の実践を 行った一教師 l こ焦点を当て、その実践の特質を 明らかにすることを目的とする。大正期は、戦 前において最も様々な実践が試みられた時期で ある。明治期の教師主体の教育を批判し、子供 が主体である教育を行うことを重視した。本論 文はその中でも、奈良女子高等師範附属小朝交 (以下、奈良女高師附小)において歴史教育を 専門として訓導をしていた大松庄太郎の教育論 キ教育実践を分析する。大松は、奈良女高師附 小の主事・木下竹次が提唱していた「学習法」

や「合科学習」、 を基礎として、それを歴史教育 にも応用した。

大松は奈良女高師附小の司iI導として大正 1 3 年に就任し、昭和 1 2 年に離任するまで 1 3 年間 在職した。この在塙槻間中に、奈良女高師附小 の機関紙『学習研究』に論文を寄稿したり、著

指導教員 木 内 陽 一

書を書いたりしている。本論文はこれらを主な 資料として研究を進める。

各章の要点

第一章では、戦前の教育制度の変遷や、新ヰ 書の内容、当時の教師の実践の何故をまとめた。

戦前の歴史教育の制度や新ヰ書は国家主義自句傾 向が強く、その教科書を使って児童に物語るこ

とで歴史を教える教師中心型の授業が行われる ことが多かったが、大正期には児童の活動を重 視した授業も行われた。

第二章では、大松の教育観や歴史教育理論に ついて述べた。大松は、奈良女高師附小の木下 の考えに基づき、児童が中心となって学習を進 める自衛句学習が大切であるとしていた。また、

低学年での歴史教育の重要性に注目しており、

合科学習によって歴史教育を低学年に行おうと した。

第三章では、大松が実際に行った実践例や指

導案から大松の授業の特質について考えた。児

童が記したノートや、指導案、大松と児童との

やりとりをみることで、より具体的な大松の教

育方法を述べた。独自学習や相互学習によって

学習を進め、そこでは児童が中心となって活動

し、教師はそれを少しだけ助けるという役割で

あった。また、低学年における歴史教育の実践

は、身近なものを耕オとして用い、読み方や算

術などの耕才と関連させることで展開していた。

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考察

本論文では、戦前の歴史教育を専門とした教 師である大松の論文や著書を分析することで、

大正期の歴史教育の一実践の様態を明らかにす ることがで、きた。その教育は、明治期までの注 入主義の教育や説話型授業をふまえてそれを批 判し、児童の活動を葺見した自律的教育で、あっ た。教自市の一方的な説話によって進められる授 業とは異なり、学習のほとんどは児童の活動や、

児童の発言で進んでいた。このように、受動的 な姿勢ではない、能動的な姿勢で児童が学習に 臨むことは、児童自身の思考力をつけること、

児童自身の学習の訓搬につながる。大松は、子 供達自身で発展しようとする「自発展」を重視

した教育を行おうとした。

また、大松は、歴史教育とは児童にとって「生J の教育であるとし、低学年における歴史教育を 行うことが自然であると考えて歴史教育の研究 を行った。そして、児童にと'つての環境を整備 して合科的に歴史を教えることで、自然に歴史

教育を行っていたということができる。低学年 児童が問題意識をもって進める授業は、戦前期 においては鞘敷的なもので、あったとし、うことが できる。

しかし、この教育にも限界があったと考えら れる。まず、低学年での歴史学習においては、

学習問題が子供の恋意性にとどまってしまうと いうことである。大松の低学年での歴史学習は、

指導内容や教科書が決まっておらず、子供が考 える学習問題のみで授業カ2構成されていた。そ のため、学習課題は子供自身で定めなければな

らないどころに、難しさがあると考える。

もう一つは、大松の歴史学習は、方法としては 児童の自由で、あっても目的や結論としては国家 主義的なものに行きついていたところである。

大松の実践では、子イ共は独自学習によってそれ ぞれが自由に活動を行うようにし、相互学習で も児童が主に発言をする児童中J心主義の形式を とっていた。しかし、大松の国史学習の目的は、

文剖濯、の定めた「小学令施行規則

J

と同じく「国 体ノ大要ヲ知ラシメ兼テ国民タノレノ志操ヲ養フ」

ことで、あった。大松の授業では、教科書も扱う こととしており、天皇や武将の高徳を教えるこ とを目的とするのが基本だ、ったのである。また、

教科書に載っていながらも事実でなし沖申話を、

大松は低学年の児童に教えることで、理解させ ようとしていた。つまり、大松の歴史教育の目 的は教科書と同じものに終わってしまっており、

国家主義的で、あったというところに限界をみる ことができる。

今後の課題

本研究の課題は、大松の教育実践を客在期句に 見ることがで、きなかった点で、ある。本研究では 大松の論文や著書を資料として見てきたが、全 て大松によって書かれたもので、あるので、当時 の他の教育者等による大松の教育論や実践に対 する批判に目を通すことがで、きなかった。また、

児童にとって大松の教育がどうで、あったかとい う資料も得ることがで、きなかったため、児童に どのような教育効果があったかが分からなかっ た。大松の歴史教育実践をより明らかにするた めには、2鶴見的にそれをみる資料が必要であり、

それが本研究の課題であると考える。

大松の歴史教育をみるだけに留まってしまっ たため、他の歴史教育の教育者の実践をみるこ とも本研究の課題である。大松の教育を当時の 他の歴史教育実践と比べてより相対的に分析す ることで、大松の教育実践の特質がより明らか になるのではなし、かと考える。

参照

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