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「死首の咲顔」における一考察 ―「死首」の意味するもの― 利用統計を見る

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(1)

「死首の咲顔」における一考察 ―「死首」の意味

するもの―

著者

中田 妙葉

著者別名

Wakaba NAKATA

雑誌名

東洋法学

62

2

ページ

238(1)-216(23)

発行年

2018-12

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00010281/

(2)

一   『春 雨 物 語』 の 稿 本 と し て 上 げ ら れ る の は、 「春 雨 草 子」 、 天 理 冊 子 本、 文 化 五 年 本、 富 岡 本、 天 理 巻 子 本 の 五 種 類である。これらの五種は生成過程については、様々な意見があり、最終稿について結論が出ていない。その内、 現 在 唯 一 の 完 全 本 が、 巻 末 に「文 化 五 年 春 三 月」 の 年 記 が あ る 文 化 五 年 本 で あ る。 そ し て、 「死 首 の 咲 顔」 と い う 題 名 が つ け ら れ て 収 録 さ れ て い る の も、 こ の 文 化 五 年 本 の み で あ る。 天 理 巻 子 本 に は、 「死 首 の 咲 顔」 の 末 尾 部 分 だろうという断片が残ってはいるが、その断片には「死首の咲顔」という題名がついているわけではない、内容か ら考えて、 「死首の咲顔」の結末のところであると思われている。 (前 欠) へ に て 空 し く 成 り た り と 人 告 た れ と、 一 族 た れ も 〳〵、 に く し と て、 問 も ゆ か す。 五 蔵 法 師 は、 父 な れは舟のたよりもとめて行。死からたもとめて、又、舟にのせて庵にかへり、是も冢ならへてつきたれと、宗 《 論    説 》

死首の咲顔」における一考察

――

「死首」の意味するもの

――

 

(3)

か 墓 は 改 装 と い ふ 事 し て、 す こ し 隔 て 祭 り た つ。 よ ろ つ に 心 ゆ き て 行 ふ。 か の 親 か 鬼 也 と て、 人 皆 い ふ。 い な、おやに似ぬは、五僧法師こそ鬼子なれとて、鬼律師と名よひしとそ、かたりつたへたりけり。   それに対し、文化五年本の「死首の咲顔」は、次のように結ばれている。 五 曹 は や か て 髪 そ り て 法 し と な り、 こ の 山 の 寺 に 入 て、 い み し き 大 と こ の 名 と り た り。 元 助 は、 母 を た す け て、播磨のそうの方へしりそきて、鋤秋(鍬)とりて、むかしに同し。母も機たてゝ、たくはた千ゝ姫の神に 似たり。曾次かつまは、おやの里へかへりて、これも尼となりしとそ。妹か首のゑみたるまゝにありしこそ、 いとたけ〳〵(し)けれと、人皆かたりつたへたり。   森田喜郎氏は、天理巻子本の断片の内容と、その断片に題名が未提示という状況を踏まえ、天理巻子本に修めら れている断片は「いな、おやに似ぬは、五僧法師こそ鬼子なれとて、鬼律師と名よひしとそ、かたりつたへたりけ り。 」の箇所が、五蔵の賛美で結ばれているとし、文化五年本の結びは、 「妹か首のゑみたるまゝにありしこそ、い とたけ〳〵(し)けれと、人皆かたりつたへたり。 」と、宗の賛美で終わっていることに注目し、 「両者を比較して みるとわかるように、その結びが前者は五蔵、後者は宗となっていることから、天理巻子本は内容がよほど異なっ ていたものと思われる。文化五年本はその結末から「死首の咲顔」という篇名にふさわしいものになっているが、 も し か し た ら、 天 理 巻 子 本 は 五 蔵 に 即 し た 篇 名 に な っ て い た の か も し れ な 1 ) い 。」 と、 文 章 の 推 敲 の み な ら ず、 執 筆 意図の変化まであったと指摘している。これは、大変特筆すべき意見だと思われる。

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  確 か に、 「死 首 の 咲 顔」 が 同 題 材 と し て い る の が 源 太 騒 動 で あ り、 そ の 源 太 騒 動 の 顛 末 に 基 づ き 執 筆 し た「ま す ら を 物 語」 で は、 「死 首 の 咲 顔」 の 五 蔵 と 同 じ 立 場 で あ る 右 近 の 登 場 が ほ と ん ど な く、 そ の 人 物 像 が 全 く 見 え て こ ない。   対 し て、 「死 首 の 咲 顔」 は 五 蔵 に 沿 っ て 話 が 展 開 し て い く と い っ て も よ い ほ ど、 彼 の 人 物 形 象 は 際 立 っ て い る。 自 ら の 考 え を 持 ち、 自 ら の 考 え に 即 し て 行 動 す る 人 物 と し て 描 か れ て い る の で あ る。 そ れ 故、 五 蔵 像 の 読 み 方 も 様々であるが、このことからも、森田氏の「五蔵に即した篇名になっていたのかもしれない」という意見は、大変 説得力をもつのである。森山重雄氏は、篇名を変えたとまでは言わないものの、五蔵の人物形象の豊かさに注目す る。   ただ「ますらを物語」で明瞭に書かれていないのは右内である。右内は弟姫や団次を通じて間接的にしか書 かれておらず、この事件に対して、どう処したかあいまいなのである。おそらく、そのことが一つの重要な動 機 と な っ て、 「死 首 の ゑ が ほ」 が、 改 め て 書 か れ る こ と に な る が、 こ の 時、 秋 成 は 実 説 か ら 大 き く 離 れ、 右 内 (五 蔵) 中 心 の 物 語 を 新 し く 創 造 す る こ と に な る。 そ れ は も は や 実 際 に あ っ た 源 太 騒 動 の 右 内 で は な い。 新 し く創造された秋成的靑年の像で あ 2 ) る 。   五蔵の人物像については、賛否両論意見の分かれるところではあり、どちらかというと優柔不断の矛盾した人物 として、評価はあまり高くない。しかしながら、森山氏はそれらの意見を踏まえ、異なる角度から見たとき、次の ように豊富な人物像として五蔵を捉えている。

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  この五蔵像を、矛盾に満ちた前後撞着したものと考えるか、それとも暗示的な沈黙を蔵した深い心の持主と してみるかで、評価がわかれてくる。わたしは「死首のゑがほ」の価値は、五蔵像の創造にあるとみるもので あって、この一見優柔不断にみえる五蔵の弱さこそ、近世文学に稀にみる複雑な心情を表現していると考えた い。周囲の誰をも不幸にしまいという五蔵の配慮が、遂に悲劇を招来するという典型的な例がここにある。わ た し は か つ て、 『雨 月 物 語』 の 勝 四 郎 と か 豊 雄 は、 運 命 が 外 か ら 襲 っ て く る も の で、 そ れ を 甘 受 し て い る に す ぎないのに、五蔵は運命を自分の中に集中してしまって、自分の行動を縛ってしまうという、一段と高められ た人間になっていると述べたことがある。豊雄や勝四郎らは、自分の悪を知っていないけれど、五蔵は自分の 悪を意識している。自分のみが善で、五曽次が悪だという観念はないのである。五蔵は地平線的に理解しうる 部 分 と、 理 解 を 絶 し た 沈 黙 の 部 分 を 秘 め た 人 間 と し て 描 か れ て い る。 こ う し て 弟 姫 中 心 の「ま す ら を 物 語」 は、五蔵中心の「死首のゑがほ」として改作された。この五蔵像は、豐雄や勝四郎に萌芽していたものの一層 の 深 化 で あ る。 こ う い う 五 蔵 像 を 創 造 し た「死 首 の ゑ が ほ」 は、 「ま す ら を 物 語」 の「二 番 煎 じ」 で は あ り え ないし、また「大衆の再ぶ甘い恋愛小説」でも な 3 ) い 。   この森山氏の「五蔵の弱さこそ、近世文学に稀にみる複雑な心境を表現している」という指摘は、大変傾聴すべ き 意 見 で あ る。 五 蔵 は 社 会 規 範 の「孝」 と、 あ だ 心 の「情」 の 間 で 大 き く 揺 れ て い る。 「周 囲 の 誰 を も 不 幸 に し ま いという」配慮が、彼を「優柔不断にみ」せるのである。五蔵は森山氏が指摘するように「秋成的青年の像」であ り、 「社会的規範」と「あだ心」の間で常に揺れていた、秋成自身に他ならない。 『癇癪談   下』に、この道理に対 する記述がある。

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其のことわりをおしいただきても、そのをしへのままにおこなふ人はあらぬげなり。あるじも、これがたぐひ な る べ し。 よ し や な す も な さ ぬ も、 わ れ さ か し お ろ か の み に は あ ら で、 か し こ き 人 も、 世 に お し た て ら れ て は、おこなへど猶かひなきものか。 道理を大切に行おうとしても無理であり、それは賢さとは関係ないものであり、無理にさせようとしても効果がな いと述べている。秋成が如何に実社会で道理を遂行しようと頑張り、悩んだかと言うことがわかる。彼のため息が 聞 こ え て き そ う で あ る。 「孝」 を 尽 く そ う と 努 力 は す る も の の、 最 終 的 に は や は り「あ だ 心」 で あ ろ う と「情」 を 選ぶという五蔵の選択は、秋成の価値観を表現したにすぎない。   秋成には、人は銘々の生業にいそしむべきであって、それに従う精神が「まめ心」であり、反対に学問や芸術に 従 う 精 神 は「あ だ 心」 で あ り、 「ま め 心」 を 脅 か す と 考 え て い た ら し い。 五 蔵 の 父 五 曾 次 は、 そ の「父 に 似 す、 う まれつき宮こ人」の五蔵が「手書、詩や文このみ習」うことについて、不満をもっており、五蔵に書物は福の神が 嫌うので、処分するようにと忠告する。 おのれか部屋には、書物とかいふものたかくつみ、夜は油火かゝけて、無やくのついえする。是も福の神はき らひたまふと云ふ。反古買には損すへし。もとの商人よひて価とれ。親の知らぬ事しりて何かする 書 物 を 福 の 神 が 嫌 う た め、 書 を 好 む 者 は 福 の 神 か ら 嫌 わ れ る と い う こ と を、 秋 成 は『癇 癪 談   上』 で、 述 べ て い る。

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書をよむは、貧をまねくためなり。とあながちにいはれけり。蛍の火かげ。雪のひかり。隣の壁のこぼれをた のむたくひ。おほかりけり。みやこに。浪華に。書籍あまた買ひつみて。もたりといふ人も。こがね千ひらを つひやせし人は。いと稀なりとや。 五蔵が「あだ心」を体現化した人物であるとすれば、五曾次は「まめ心」を体現化した人物である。五曾次は右記 したように、貧を招かないために、五蔵に書を処分するよう、厳しく言いつけている。また、確かに『蛇性の婬』 の豊雄は、自らの手で真女子を退治したことから、彼の「まめ心」が「あだ心」を排斥したという見方をする事は 理 解 で き る。 し か し、 秋 成 が「ま め 心」 の た め に、 「あ だ 心」 を 排 斥 す る 対 4 ) 象 と 考 え て い た か と い う と、 そ れ に は 疑 問 が 残 る。 な ぜ な ら、 「ま め 心」 が あ る こ と か ら「あ だ 心」 を 表 現 す る こ と が で き る の で あ る。 反 対 も し か り で ある。この二つの心は非なるものであることから、互い互いの様相を映し出す。五蔵と五曾次も同じである。自分 が何者であるかを自覚するためには一人ではできない。自分を映し出す、陰となるもの陽となるものが、必要であ る。五曾次はまさしく、五蔵を映し出す鏡の役割をしているのである。 二   前述したように、 『春雨物語』の五種の稿本のうち、 「死首の咲顔」が収められているものは、文化五年本、天理 巻 子 本 の 二 種 で あ り、 そ の ど ち ら が 最 終 稿 で あ る か に つ い て は、 ま だ 検 討 途 中 で あ る。 も し、 「ま す ら を 物 語」 → 「死 首 の 咲 顔」 (文 化 五 年 本) → 天 理 巻 子 本 で あ る な ら ば、 「ま す ら を 物 語」 の 弟 姫 を 受 け て、 宗 に 注 目 し た 話 が 書 き 表 さ れ、 そ の 後 五 蔵 を 中 心 に し た 話 に 展 開 さ れ て い っ た と 推 測 で き る。 し か し も し、 成 立 過 程 が、 「ま す ら を 物

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語」→天理巻子本→「死首の咲顔」 (文化五年本)ということになると、 「ますらを物語」では唯一「明瞭に書かれ ていない」右近に「複雑な心情を表現」した五蔵を中心人物においた話しに作りかえられたものの、さらに宗に注 目する話しになるということは、弟姫の立場から話を展開することに立ち返ることになる。つまり、成立過程が変 わ る こ と で、 「死 首 の 咲 顔」 の 執 筆 意 図 の 変 化 に も 大 き く 関 わ っ て く る こ と に な る。 そ う 考 え る と き、 木 越 治 氏 の 言 う「ま す ら を 物 語」 か ら「死 首 の 咲 顔」 へ の 改 槁 の 様 相 を 検 討 す る こ と が、 「死 首 の 咲 顔」 の 執 筆 意 図 を 考 察 す るには重要だという説く意味が理解できるのである。 一 方、 「死 首 の 咲 顔」 は、 天 理 巻 子 本 に 末 尾 部 分 の 断 片 が 残 る の を 除 け ば、 文 化 五 年 三 月 の 奥 書 を 持 つ『春 雨 物語』に収められているのが唯一のテキストである。 このことは『春雨物語』の改槁過程を考えるうえで重要な意味を持つ。特に、従来の富岡本・天理巻子本最終 稿説に疑問が出され、文化五年本最終稿説が提起されている現段階にあって、 「ますらを物語」 「死首の咲顔」 という組み合わせは、成立時期を確定しうるテキスト同士であってしかも比較が可能な唯一の例ということに な る か ら で あ る。 そ れ ゆ え、 「ま す ら を 物 語」 か ら「死 首 の 咲 顔」 へ の 改 槁 の 様 相 を 検 討 す る こ と は、 そ の ま ま文化五年本の執筆意図が那辺にあったかを考えることにつながる。そして、その方向性をどこまで押し広げ て い け る か に よ っ て、 文 化 五 年 本 最 終 槁 説 の 是 非 は 内 在 的 に 決 定 で き る は ず で あ る。 「ま す ら を 物 語」 を「秋 成 集 中 の 傑 作 で あ る ば か り で な く 日 本 文 学 中 の 絶 品」 (佐 藤 春 夫) と 評 す る こ と は 簡 単 で あ る が、 そ う し た 評 価をいくらくりかえしても、それを捨てて「大衆小説的気味があ」り「二番煎じのあじきなさ」しか感じ取れ ない「死首の咲顔」になぜ代えたのか、というきわめて素朴な問いに答えることさえできないので あ 5 ) る 。

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「ま す ら を 物 語」 は、 文 化 三 年 四 月 十 七 日、 德 川 家 康 の 命 日 に あ わ せ て 京 部 近 郊 の 一 乗 寺 村 円 光 寺 で 催 さ れ た 東 照 宮祭の宴席で出会った渡辺源太翁の人枘に触発されて書かれたものである。残る二種のテキストは、ともに文化四 年には成立していたとみられる。 「ますらを物語」の導入箇所には、その執筆理由が書き記されている。 「まさし事」を伝えていない都賀庭鐘の『西 山物語』は「よき人をあやまついたつら文」であるから、 「まさし事」を伝えようと筆を執ったとある。 西山物語と云ふもの、なまさかし人の作りなしたりしは、かへりてよき人をあやまついたつら文也けり。唐土 の演義小説、此国の物かたりふみ、其作りし人のさかし愚にて、世に遺れると、やかての時に跡なく亡ふにい ちしるけれは、いふもさら也。是もはやくにほろひし数にそ有ける。さて、此のまさし事、おろそけの筆には 書とゝむましけれと、譌りならぬには、後長くつたへよとそ思ふ。読見ん人、くり言めきたるをおしはかりし て、又かたりつけよかし。 渡辺源太翁にあった感動に推されて、書き進めた作品である。その文章からは、秋成の意気込みが伝わってくるの であるが、なぜ『春雨物語』に収録しなかったのであろうか?『春雨物語』は「物がたりさまのまねひ」という趣 旨 で つ く り あ げ た も の で あ る か ら、 「ま さ し 事」 を 伝 え よ う と し た「ま す ら を 物 語」 は 志 向 が 違 う と し た の で あ ろ う か。 し か し そ の 最 後 に は、 「今 日、 こ の 翁 か 人 に 交 り て、 い と、 う ら ゝ か に 心 よ け な る を 見 れ は、 そ の む か し の 有りさま、実にしかこそ有つらめとおもふ給へらるゝ」と確信し、 「くはしき事は聞き漏らしつべし。 」と思いつつ も、 書 き 表 し た 結 果「老 が た ど た ど し き 筆 に は、 又 も 瑾 つ け や す ら ん。 さ る は、 味 気 な き さ か し ら 事 な り け り」

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と、 締 め く く っ て い る。 「ま す ら を 物 語」 も、 書 き 記 し て み た 結 果、 ど う や ら「さ か し ら 事」 で あ る と い う 思 い に 至った感想をもらすのである。この感想と同じ内容が『春雨物語』の序にある。 されと、おのか世の山かつめきたるには、何をかかたり出ん。むかし此頃の事ともも、人に欺かれしを、我い つはりとしらて、人をあさむく。よしやよし、寓ことかたりつゝけて、ふみとおしいたゝかする人もあれはと て、 (富岡本)   こ こ で も「い つ は り」 と 知 ら ず に「人 を あ さ む く」 と あ り、 「ま す ら を 物 語」 で も 当 初「ま さ し 事」 を 記 そ う と 筆を執りつつ、物語の収束に当たって振り返ると「味気なきさかしら事なりけり」と、漏らした感想と同じである ことがわかる。 「ますらを物語」が『春雨物語』に収められなかった理由が、 「まさし事」を書き記したからという 理由ではないことが見て取れる。秋成は、源太騒動から離れて、その話しの骨子を使いつつ、秋成独自の世界を創 作したかったと考えるほうが、妥当ではないだろうか。   このような創作方法は、まさしく『雨月物語』の「菊花の約」や「蛇性の婬」が中国白話小説の「範巨卿雞黍死 生交」 (『古今小説』 )や「白娘子永鎮雷峰塔」 (『警世通言』 )の骨子を使いつつ、自らの世界をその中に落とし込む という手法と同じである。むしろ秋成が得意な表現方法であり、創作方法といえる。源太騒動を記したことによっ て、 話 を 構 成 し て い る あ る 要 素 に、 秋 成 が 触 発 さ れ 筆 を 執 っ た。 そ の 結 果、 「死 首 の 咲 顔」 が 執 筆 さ れ た と、 考 え るべきであろう。   そ こ で、 「死 首 の 咲 顔」 が「ま す ら を 物 語」 か ら 大 き く か わ っ た 部 分 に 注 目 し て み た い。 源 太 騒 動 と い う 事 件 の

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縛 り が あ る た め「ま す ら を 物 語」 で は 表 現 で き な い 要 素 に 注 目 し た と き、 真 っ 先 に 思 い 浮 か べ ら れ る の は、 「ま す ら を 物 語」 を 展 開 さ せ る た め の 重 要 人 物 で あ る 弟 姫 は、 「死 首 の 咲 顔」 の 宗 に 至 っ て、 全 く 別 人 に 仕 立 て ら れ て い ることである。彼女は一切の思いを口にすることはなく、五蔵の言うことに素直に従う女性である。弟姫のように 自ら死を選ぶことで、右近への想いの強さを表現するようなこともなく、宗はただじっと五蔵が来ることを待ち、 五蔵の訪れを喜ぶ。その様子から周囲は宗の五蔵への愛情を感じ入るのである。つまり宗は五蔵に沿ってその存在 を周囲に感じさせるような表現をされている。読者はいわば、五蔵や母、兄の目を通して、宗という存在を認識し ていると言ってもよい。   このように弟姫と宗の愛情表現の違いを比べてみると、まず五蔵中心の話しが記され、弟姫の描写は五蔵に合わ せた宗という人物像に変化していたと考える方が自然であるように思われる。勿論五蔵中心の話の表題は「死首の 咲顔」ではない。五蔵が物語の核だと分別できるものである。ただ、秋成が何度も手直しをしたといっても、登場 人物の名前自体に変化がないことから、表現の細かな書き直し程度で、人物形象への大きな改作はないのではない だろうか。 「ま す ら を 物 語」 で 影 の 薄 か っ た 右 近 だ っ た か ら こ そ、 そ こ に 秋 成 は 自 分 の 創 作 を 織 り 込 ま せ や す く、 筆 を 加 え た。それが「死首の咲顔」の前身の形ではなかっただろうか。つまり、五蔵中心の話しを書き進めている内に何か に 詰 ま り、 宗 を 核 と す る 話 に 変 更 し た。 そ れ 故、 後 半 部 分 を 変 え る こ と に な っ た。 と す る と、 「文 化 五 年 本」 は 「天理巻子本」よりも後の作品だということになる。

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三   「ま す ら を 物 語」 の「ま す ら を」 は 誰 を 指 す か と い う 議 論 は さ て お き、 弟 姫 は 思 い 人 の 右 近 の 心 変 わ り を 疑 い、 悩み苦しんだ末の決心として、自らの死を選び、母にその許しを請うのである。 度々の御さとし、ほね身にしみて侍るを、たゝおに〳〵しき心の、おもひをもやさせて、死ねとしふるにぞ、 胸つふれてうつゝなく侍る、さらは尼に成てんと思へと、親兄の御心にそむきて入へき道にもあらし、あはれ 今まての命そとおほしなして、御暇たまはらはや、たゝうらみつへきは男の心也。親ゆるしなくは、一たひは いつちにも逃かくれて、出交はる世をまつへきものにいひしは、なくさめかねし偽りか、死は安し、ひたふる に頼みてあれといひしは、きのふの事也、我先死なん、云かひなき人の音つれは待たしとて、深く思さためた るつらつき也。 母は弟姫の様子をみて、決心をかえることはできないと見て取り、兄の源太には、右近方の父の出方を見て、弟姫 の行き先の決まりをつけてくるよう言い含める。 此子は物のつきたるそ、されと、犬ねこさまにてあらんには、後の世をいとほし、かの翁か心は常の事なり、 右 内 こ そ い ふ か ひ な け れ、 養 ふ と も す つ る と も、 い か に も せ よ か し、 つ れ ゆ き て、 か し こ に て 事 行 な へ よ と て、おほしさためてのたまへり。

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この母の言葉は、娘弟姫の死を既に覚悟した言葉であり、それならば「犬猫の様な私通」という畜生道に堕ちたま まにせず、人間らしく死なせたいという母の思いがこもっている。そうして弟姫は右近の気持ちを確かめようと、 兄の源太と右近の家へ行き、右近の父団次に、右近に会わせてくれるよう頼むが聞き入れられない。団次は「とく いね」と声を荒げて、威丈高に二人を追い払おうとする。右近は「おとつ日の夕暮れに紛れて失ぬ」という状況だ という。 「今はいかにする」という源太の問いに対し弟姫は、 「はた死なんとおほして、いつちしらす出で給ふなら む、かた時もおくれてあらし、御手を給はらすは、ふところの物もていさきよからん」と「こゝにてたゝ今」と、 この場で死ぬ願いを申し出る。源太は「其為にこそ、母のつきそひゆけと」言い含められてきたのであるから、団 次 の 許 し が な く て も「こ ゝ 汚 さ ん」 と、 弟 姫 の 死 の 援 護 す る 立 場 を 表 明 す る。 団 次 は 死 を 決 し た 弟 姫 と 源 太 に 対 し、 そ う は い っ て も す る 筈 が な い と 高 を く く り「い つ れ の 所 也 と も」 と、 弟 姫 と 源 太 の 決 行 す る 意 思 の 表 明 に 対 し、形ばかりとはいえ弟姫が自分の家の仏壇の前で死を遂げることを、団次は承諾したことになる。   このように「ますらを物語」は周到な手順をふんでから、弟姫を斬首することになるので、読者には弟姫の死に 納得が い 6 ) き 、その死を決して不自然には感じないのである。この点が「死首の咲顔」で宗の首が突然切られること と、大きく異なるところであるし、それどころか、後世の読者から「ますらを物語」は、死を望みその意志を貫い て 死 ん だ 弟 姫 や、 死 に 導 い た 源 太 を「ま す ら お」 で あ る と い う 評 価 を 受 け る 一 方 で、 「死 首 の 咲 顔」 は 不 可 思 議 な 作 品 で あ り、 「大 衆 小 説 的 気 味 が あ」 り「二 番 煎 じ の あ じ き な さ」 し か 感 じ 取 れ な い、 と 思 わ せ る 原 因 を 作 り 出 し ている要因でも あ 7 ) る 。

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四   更 に、 も う 一 つ「死 首 の 咲 顔」 で は 削 除 さ れ た 要 素 が あ る。 烈 婦 は「お み な し か ら ぬ も の」 つ ま り、 「女 の 仕 合 せを知ら ぬ 8 ) 者 」であるという考えである。弟姫の死を覚悟している母が、弟姫本人にかける最後の言葉に記されて いる。出立の朝に、弟姫の母は、悲しい心情をあらわす言葉として、次の言葉で娘弟姫に繰り言を述べる、 女はよき家にめとらるゝとも、又、其家のをしへをいたゝきて、おのか心なる世はなき者也、たま〳〵義と信 との為に刃にふし、くひれなとするを、烈女とて語りつたへしも、おもへ、それ身幸ひなきものゝ、死にせま りたるにて、おみなしからぬものにて是にかそへあけられ、ほまれ有むは、貞操にかへて命をおとし、孝忠に たかふ罪かろからす、今かく帰るへからぬ迷ひ路に入たるは、いと苦しからめ、とくゆけとて、涙見せす、奥 にゐさり入給ふ。 人倫をはずれ「迷ひ路に入」ってしまっている娘はさぞかし辛いであろうと、貞操のために死ぬ娘の悲しさを、涙 を押し殺して述べる母の言葉である。義だの信だので貞操の為に死に、烈婦として褒め称えられ語り伝えられてい ても、その女性達はその身に幸せが訪れなかった者にすぎなく、女の幸せを知らない女でしかないという。思い人 右近のために死を選んだ弟姫は「貞操にかへて命落」すという烈婦の行為をしようとしているけれども、それはた だ「孝忠に違ふ罪」であり、決して軽くない罪だ、とその言葉は厳しい。しかしその裏には、若くして死にゆく娘 への深い愛情と悲しみが感じられるのである。

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  そして、この考え方は秋成自らの考え方のようで、 『胆大小心禄』や『茶瘕酔言(異文) 』にも同じような一節が ある。 すへて、忠臣、孝子、貞婦とて、名に高きは、必不幸つみ〳〵て、節に死するなり。世にあらはれぬは、必幸 福の人々なり。   (『膽大小心録』一五五) 義士烈女の世に名をのこせしを見れは、大かたは不幸の人々なり。   (『茶瘕酔言(異文) 』五五) 「ま す ら を 物 語」 に は 記 さ れ て い な い が、 世 に 名 を 残 す 人 は 必 ず 不 幸 な 人 で、 幸 福 な 人 と い う の は 世 に 名 を 知 ら れ ないという、いかにも秋成らしい言い回しである。ここで注意したいのは、幸福な人は世に名を知られるような事 を し な い と い う 逆 説 で あ る。 つ ま り、 「ま す ら を」 と 称 え ら れ て い る 弟 姫 は、 世 の 中 が ど ん な に 称 え よ う と、 彼 女 人自身は少しも幸福ではなく、女としての幸せを知らないままに死んでいった可哀想な女性でしかない、という見 解なのである。弟姫の母の嘆きは、秋成本人の弟姫へ対する悲しくやるせない思いを表しているように思われる。 世に名を馳せることがなくても、幸福な生活をしていることが何よりも大切なことである。特に女性は烈婦などと いう冠を被せられることなく、無名で女の幸せを味わえるような生活を送ってほしいという、秋成の願いを感じる のである。   そして、最後に幸せな思いに包まれ、咲顔で亡くなった宗には、母から右記の言葉を投げかけられることはない のである。今にも死にそうな宗を送り出す母は、宗と対面できるのも、これが最後だと思っていたであろう。しか

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しその送り出しは至って自然な、母が嫁ぐ娘にかける言葉でしかない。 我もわかきむかしのうれしさ、露わすられすそある、かしこにまいりては、たゝ父のおに〳〵しきをよくみ心 とれ。母君は必すよ、いとほしみたまひてんとて、よそほひとりつくろひて、駕にのるまて、万ををしへきこ ゆ。 「万を教へきこゆ。 」というのは、嫁ぐ娘を心配する母として、非常に普通の表現である。宗とそれに付きそう元助 が 出 て 行 っ て も「母 は 門 火 た き て う れ し げ 也。 」 な の で あ る。 娘 の 死 に 対 す る 心 配 や 悲 し み な ど 微 塵 も 感 じ ら れ な い。だからといって、この時に母が宗の死を覚悟していなかったわけではない。何故なら元助が宗の首を刎ねたこ と に 驚 い た 庄 屋 が、 元 助 の 母 は 知 ら な い だ ろ う と 息 せ き 切 っ て 伝 え に 行 く と、 母 は い つ も の 通 り に 布 を 織 っ て お り、聞いても取り乱した様子はなく、 しかつかうまつりしよ。こゝろえたれはおとろかす、よくこそしらせたまふとて、おり来てゐやまひ申。 と冷静に対応したことに、庄屋は更に驚いたとある。宗の母はしっかりと「こゝろえたれは」という一言を口にし ている。この一言で、自分の心情を何も口にしないだけでなく、微塵も見せないで、宗の事だけを心配するという 気丈に振る舞う母の強さと、宗への深い愛情を感じずにはいられない。では、秋成は「死首の咲顔」では母に何も 語らせなかったのであろうか。それは、宗が死んだとしても、その死は弟姫のように貞節を貫いた「一たひたてし

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みさをに、玉と砕けても、瓦のまたきに習はし」という思いでの死ではなく、幸せに包まれた死であるということ を、母は解っていたということになろう。そうであるから、出立の時に「うれしげ」だったという解釈が可能であ る。 五   「ま す ら を 物 語」 で は、 物 語 り の 焦 点 は、 や は り「な ぜ、 兄 は 妹 を 殺 す こ と に な っ た の だ ろ う か」 と い う こ と を 中心に、話が展開していることが伺われる。事の発端は、弟姫と右近の密通である。それに気づいた母は弟姫に戒 め る が、 弟 姫 の 様 子 を 見 て い る と 諦 め る ど こ ろ か、 そ の 思 い を 断 ち 切 ら せ る こ と の 難 し さ を 感 じ る。 も し、 「強 く 云 へ ば、 淵 に や 沈 ま ん、 木 に や 下 が り な ん。 」 と 弟 姫 が 苦 悩 の 内 に 自 殺 を す る こ と を 心 配 し、 右 近 の 父 団 次 に 縁 談 を申し込んでくるよう兄に申しつける。しかし、心中は団次はその縁談に頓首することはないと思っていたので、 母 は 上 の 言 葉 に 続 け て、 「縁 談 申 し 入 れ る と も、 彼 人 か た く 赦 す ま じ。 た ゞ 是 が 思 や り ば か り に」 と、 あ く ま で も 弟姫の意を汲んであげるだけでもしてあげようという行動に出るが、思った通り団次は右近と夫婦になることを取 り合わない。団次に拒まれてからは、右近も初めの勢いはどこへやら、一向に姿を見せなくなってしまった。悲し みに暮れた弟姫は思い詰めてしまい、母に死なせてほしいと切望する。その思いを止められないと見た母は、せめ て娘の死が犬死にならないように、という一点に考えを向けるのである。そこで、死に場所を団次の家の仏壇とい う、家のまさしく象徴となるべく場所で、弟姫の嫁ぎたいという悲願にできるだけ近い形で、その思いを遂げさせ てあげようとするのである。   ただし、それを強行に行ってしまっては、それこそ弟姫の我が儘になってしまうので、森田氏がいうように、慎

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重 に、 周 到 な 手 順 を ふ み、 団 次 の 許 可 も も ら っ た 上 で、 弟 姫 を 斬 首 す る の で あ る。 弟 姫 の 健 気 な 思 い を 根 底 と し て、右近や団次の源太一家を愚弄する態度、母の娘への深い愛情から導かれる死に際に対する思慮深い見解、そし て源太の豪胆な行動という、要素の一つ一つが、どれも読者には、兄が妹弟姫を断腸の思いで斬首した行為に同調 させ、その死を決して不自然には感じないように導いているのである。   それに対し、 「死首の咲顔」では話しの焦点を、 「ますらを物語」と同じようには定めていない。兄が妹を殺さざ る得ない理由や経緯を読者に理解させるために、秋成は執筆したわけではないと、筆者は考えている。では、何を もって「死首の咲顔」を執筆したのであろうか。 「ま す ら を 物 語」 で は、 母 は 弟 姫 の 死 へ の 切 望 た る 思 い を 戒 め て、 烈 婦 と い う も の は、 ど ん な に 世 に 名 を 語 り 伝 え られても「女の仕合せを知らぬ者」であると、強く諫めている。しかし、弟姫は母の愛情深い忠告も聞かず、烈婦 の 道 を 選 び、 「女 の 仕 合 せ を 知 ら ぬ 者」 と な っ て し ま っ た。 そ こ に 着 目 し て 宗 を 見 て み よ う。 彼 女 の 死 に 際 に、 孝 行 者 で 決 し て 親 に 背 か な か っ た 五 蔵 が、 烈 火 の ご と く 怒 る 父 に 対 し、 「こ の 女、 我 つ ま 也。 追 出 さ る れ は、 こ ゝ よ り 手 を と り て 出 ん と、 兼 て 思 う に た か は さ る こ の あ し た 也。 い さ」 と、 宗 の 手 を 取 っ て 出 て 行 こ う と す る の で あ る。   作品中には宗の不安の言葉は一切書き記されてはいない、しかし、度々床に伏してしまい、今日や明日の命かと 思われるほど憔悴しきった状態に対し、読者は自然と宗にとっては五蔵の心がいかばかりかとその不安な思いと、 その反対に彼の心を信じたいという思いとの板挟みからくる苦悩、散々思い煩った末の事態なのだろうと、容易に 思いつく。その憔悴し切った宗は、やっと五蔵の口から、自分を愛することへの覚悟ともいえる思いを聞くことが でき、彼の愛情をしっかりと心に受け止めることができたのである。まさしく「女の仕合せ」に満たされた、究極

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の幸せな状態である。そのまま、元助に斬首されたので、彼女の最期は最高に幸せな状態であった。   上述の通り、弟姫も確かに右近の愛情を信じ斬首されたので、その点では「女の仕合わせ」の境地で死に至った と い え る。 し か し そ れ は 上 述 の 通 り、 彼 女 の 早 と ち り と も い え る 思 い 込 み で あ り、 本 来 の 状 況 を 知 っ て い る 読 者 は、弟姫の死になんとも心地の悪さを禁じ得ないであろう。このように、死に際に立たされた弟姫と宗は、どちら も思い人の愛情を受け止めながら死に向かうのであるが、その境地は全く反対の状態なのである。   このように考えると、秋成は宗が何の不満を言わなくとも、彼女の心は命を削るほど思い詰めていたこと――― それは、五蔵の優しさが故に、様々なところに気を遣い、その結果、五蔵の気持ちが宗に分かりにくくなるという 状況を作り出していた―――を読者が同調できるように、人物形象や状況を創作したことがわかる。宗は何も言わ ない、しかしながら、彼女の心の不安な情景は、五蔵の行動に対する母や元助の反応で読者は追いかけることがで きる。さらに、どんなに憔悴していても、五蔵のいうことを素直に聞き、五蔵さえいれば体調は良くなる宗の健気 さと愛情深さは、その切なさが読者の心をくすぐるのである。この宗の人物形象は、言葉のないところ、言葉と言 葉の空間から行間から、読者に彼女の心情を想像させている。秋成の筆致の極地が表れていると、筆者はみるので ある。 六   源 太 騒 動 に お い て、 や ゑ が 斬 首 さ れ た か 否 か は、 実 は あ き ら か で は な く、 『百 箇 条 調 書』 に も『西 山 物 語』 に も そうは書かれていない。首が切られたことをはっきり記しているのは、渡邊家につたわる言い伝えを除けば、歌舞 伎の『けいせい節用集』と秋成のこの二作品のみである。つまり、秋成はこの源太騒動のプロットに対し、斬首と

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いう結末に強い思い入れがあるということがわかるであろう。   森山重雄氏は「 『西山物語』と「死首のゑがほ」 」で、斬首の意味について以下のように述べている。 折 口 信 夫 に よ れ ば、 木 や 水 で 死 ぬ の は、 血 を 落 さ ぬ 死 に 方 で、 禁 忌 を 犯 さ ぬ 自 殺 法 だ と い う。 「死 首 の ゑ が ほ」はその逆であり、首を切るというもっとも残酷な、血をあやす方法をえらんでいる。中国の法制史家であ る仁井田陞によれば、斬首は首と胸とが離れ離れになるから、再生不可能であり、あの世における復活の可能 性を奪う方法だという。…(中略)…この論理を「死首のゑがほ」に適応すれば、首を切られた宗の霊魂は、 あ の 世 に お い て 再 生 復 活 す る こ と は 不 可 能 だ と い う こ と に な る。 し か し、 「死 首 の ゑ が ほ」 の「ゑ み」 が、 恨 みを呑んで死んだのでないとすれば、その「ゑみ」は、あの世における復活再生の代償として設定されたので はないか。 「ゑみ」によって死の世界から生の世界へ、満足して死んだ合図を送っているともと れ 9 ) る 。   右記から「ますらを物語」と「死首の咲顔」は、家の和解や、恋愛が主体で相手との一体という主題とはかけ離 れた物語であると、森山氏は述べている。   前述したように、 「ますらを物語」で弟姫は、右近が失踪したと父団次から告げられた途端に、 「はた死なんとお ほして、いつちしらす出給ふならむ、かた時もおくれてあらし」と自分の死を決する。彼の失踪は自分との婚姻を 許してもらえないことから、死を選んでの行為と思い、自分も遅れてはいけないと、右近の死を追いかけようとす る。しかし読者には、右近は決して弟姫との愛を貫かんと失踪しわけではないことを感じている。前段での父の叱

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責に対して何の表明をしない右近の様子から、結局兄源太が言ように「親大事なりとて、人の子を犬ねこ」同然の 扱 い を し た こ と に な っ た と、 読 者 は 気 づ い て い る。 弟 姫 が 母 に 訴 え た よ う に、 右 近 が 以 前 彼 女 へ 伝 え た、 「親 ゆ る し な く は、 一 た ひ は い つ ち に も 逃 か く れ て、 出 交 は る 世 を ま つ へ き も の に い ひ し は、 な く さ め か ね し 偽」 で あ っ た。弟姫の読みは正しかったのである。   故に読者は、自分との愛情のために死を決する弟姫のその恋心、その純真さと、現実のギャップを感じながら彼 女が死に歩を進めていく様子を見守ることになる。このような状況は、弟姫の死に対してより意味を持たせ、彼女 の思いに愛おしさと同情を感じさせられずにはいられなくさせるのである。兄が妹を斬首するという行為は、いく ら妹の意志とはいっても、どうしても猟奇的に見えるものである。しかし、この右近の薄情さが対照となって、よ り弟姫の情の深さを浮き立たせ、読者は同情と理解をもって彼女の死を受け入れるようになるのである。秋成の見 事な手法といえよう。   何より読者に弟姫の死を受け入れさせるポイントは、彼女は当初母に自らの自決の意志を告げ、許しを請いた時 のように、右近の裏切りを責め、恨んで死ぬわけではないところである。死に際には彼の愛情を信じ、彼への愛か ら死を決したと言うことにある。たとえそれが、勘違いであったとしてもである。   彼女は、彼への愛を純真に心に抱いて死を結実させた。彼女の心の中は、愛で満たされていたのである。ただ残 念 な こ と に、 そ の 死 に 顔 は 描 写 さ れ て い な い。 何 故 な ら、 「ま す ら を 物 語」 は、 あ く ま で も 源 太 が 妹 を 斬 首 し た 経 緯と彼の豪胆振りを綴ることに焦点があったからである。弟姫の死に対する彼の振るまいが、最もその豪胆振りを 描 写 す る タ イ ミ ン グ に 他 な ら な か っ た。 筆 者 は、 こ の 弟 姫 の 死 に 際 の 境 地 や 状 況 が、 「死 首 の 咲 顔」 で 秋 成 が 表 現 したかった宗の最期に繋がっているとみるのである。

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  弟姫は思い込みで右近の愛情を感じつつ、自らの命を兄に斬首させた。死を覚悟した心中は、いくら気丈な弟姫 であっても、さぞかし恐怖に満ちていたであろう。それに対し、宗は、最愛の五蔵が自らの言葉で、自分を妻だと 五曾次へ宣言し、それを聞いた間際、まだ仕合わせに満ち足りていた中で、兄に突然その命を絶たれるのである。 心の中は、恐らく仕合わせで充ち満ちていたはずである。   斬首ということは、首が体から切り離される行為である。つまり、体の痛さを頭が感じないということにあり、 引いていえば表情が変化しないということになる。秋成はその状態を狙ったのではないであろうか。頭が痛さを感 じなければ、宗の咲顔はいつまでもそのままである。死に顔が苦痛の表情になることはない。宗はその死に顔に、 咲顔を保ったままでいられるのである。愛しい五蔵の脳裏にも、その美しい咲顔のみを焼き付けることになる。こ れが女性の究極の幸せでなくてなんであろう、と秋成は考えたのではないだろうか。   「ま す ら を 物 語」 の 母 が、 弟 姫 の 死 が 無 駄 死 に な ら な い よ う、 少 し で も 意 味 の あ る 死 を 迎 え ら れ る よ う に、 そ の 死 に 際 に 精 一 杯 の 配 慮 を 行 っ た。 こ の こ と が、 秋 成 に、 死 に 際 と、 そ の 大 切 さ に 注 目 さ せ た。 そ し て、 「死 首 の 咲 顔」を執筆させる意欲を起こさせたのではないだろうか。死に際が幸せであれば、どんなにそれまでの生活が苦労 続きであっても、幸せな気持ちを抱いて死を結実させられるのではないか。ということは、最高に幸せな気持ちで 死を迎えることが、詰まりは究極の幸せなのではないだろうか、と。   では、女性にとって幸せとはなにか。思い人の深い愛情に包まれることが、幸せの一つにあげられるのではない かと考えた。つまり、女性の究極の幸せの一つとして、思い人の愛情を感じつつ深い愛情に包まれ、死を迎えるこ とである。ということを意図として、創作されたのが「死首の咲顔」ではないかと、筆者は考えるのである。

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( 1 )  森田喜郎『上田秋成の研究』笠間書院、一九七九年、三九八頁。 ( 2 )  森山重雄「 「ますらを物語」の成立」 (『幻妖の文学   上田秋成』三一書房、一九八二年)二〇九頁。 ( 3 )  森山重雄「 『西山物語』と「死首のゑがほ」 」( 『幻妖の文学   上田秋成』三一書房、一九八二年)二二三、二二四頁。 ( 4 )  小林勇「 「死首のゑがほ」小考」 『読本研究』第五輯上套、一九九二年、渓水社刊、三七頁。 ( 5 )  木 越 治「 「俗 へ の 意 思」 ――「死 首 の 咲 顔」 の 意 味 ――」 (「国 語 と 国 文 学」 第 千 十 四 号   平 成 二 十 年 五 月 特 集 号、 東 京 大 学 国 語国文学会、至文堂、二〇〇八年五月)六四頁。 ( 6 )  森田喜郎『上田秋成』 、紀伊国屋書店、一九九四年、一七一頁。 ( 7 )  拙者「 「死首の咲顔」クライマックスの不思議」 (「東洋法学」第六十二巻第一号、東洋法学会、二〇一八年七月)二一四頁。 ( 8 )  中 村 博 保 校 注「ま す ら を 物 語」 (中 村 幸 彦・ 高 田 衛・ 中 村 博 保 校 注・ 訳 者『英 草 紙・ 西 山 物 語・ 雨 月 物 語・ 春 雨 物 語』 小 学 館、一九九三年)六二九頁。   そ し て、 「死 首」 と は、 一 つ の 女 性 の 究 極 の 幸 せ の 状 態 を 具 現 化 し た も の で あ り、 女 性 の 最 も 美 し く 幸 福 な 表 情 である咲顔を損なわないで、閉じ込めたものに他ならないのである。まさしく究極の幸福で美しさの表現なのであ る。 し か し な が ら、 「死 首」 を も っ て 女 性 の 猛 々 し さ も 含 め た、 全 体 的 な 美 し さ を 表 現 し よ う と し た、 そ の 秋 成 の 思考を表現するための発想力に、ただただ感服を禁じ得ないのである。   「死首の咲顔」 、「ますらを物語」 『癇癪談』の原文は、中村幸彦代表編者『上田秋成全集   第八巻』中央公論社、 一九九三年によった。   『膽大小心録』 (『茶瘕酔言(異文) 』の原文は、中村幸彦代表編者『上田秋成全集   第九巻』中央公論社、一九九 二年によった。

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( 9 )  同注( 3 )、二二七、二二八頁。 ―なかた   わかば・東洋大学法学部准教授―

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