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利用統計より見た東洋大学附属白山図書館小史 利用統計を見る

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(1)

利用統計より見た東洋大学附属白山図書館小史

著者名(日)

崎村 俊夫

雑誌名

東洋大学史紀要

6

ページ

157-176

発行年

1988

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002580/

(2)

利用統計より見た

  

.

.

東洋

大学附属白山図書館小史

一、はじめに 二、背景 三、蔵書数の変遷 四、図書館資料費の変遷 五、資料貸出冊数の変遷  ア、総貸出冊数と館内・館外貸出内訳  イ、館内閲覧の開架・閉架別内訳  ウ、館外貸出の開架・閉架別内訳

 エ、一日当たり平均貸出冊数  オ、学生一人当たり貸出冊数 六、夜間開館における利用状況の変遷 七、相互協力業務の変遷  ア、文献複写の依頼と受付  イ、閲覧の依頼と受付 八、おわりにー東洋大学附属図書館はどういう位置にあるのか 一 57 ユ  

(3)

一、はじめに  東洋大学において独立棟としての図書館が完成したのは、明治三三年五月のことであった。それまで、哲学館 には図書室があったが、明治二九年一二月に火災のため哲学館は焼失し、図書室内の図書もまた焼亡した。  井上円了が新図書館設立の必要を呼びかけた際に、「学校のみにて図書館なきは恰も兵士ありて武器なく銃砲あ       ばユ  りて火薬なきが如く学生たるもの何程研究を進んとするも奈何とも致すことができません」と、述べたことばは すでに周知のことと思う。  その後、大正一三年五月には、第二回目の独立棟の図書館が落成した。現在四〇歳前後以上の校友の方であれ ば、覚えておられるであろう。蔦におおわれた旧図書館(現在の九号館)は、昭和四年六月の完成であった。こ の図書館は、第二次大戦の空襲に際しても教職員の献身的努力によって焼け残り、架蔵されていた図書は現在で も見ることができるのであり、新制大学として再出発する際の重要な財産となった。  工学部が設置されたのは昭和三六年四月であるが、現在の工学部図書館の落成は昭和四五年七月であった。ひ きつづき昭和四六年六月には、現在の白山図書館が落成し、昭和五二年四月には、朝霞キャンパスでの授業開始 にともない朝霞分館が開設された。そして、昭和六一年三月に創立一〇〇周年記念館として、朝霞図書館が完成 し、これが東洋大学においてもっとも新しく、かつもっとも規模の大きな図書館になっている。

(4)

 東洋大学の図書館の歴史を書くといっても、図書館の建築の歴史、蔵書の内容、大学における図書館政策、館 長や職員とそれにまつわるエピソード等々、さまざまな視点から叙述することが可能であろう。  いまここでは、図書館統計とくに閲覧利用統計という視点から、図書館の歴史をふりかえってみたいと思う。 それは、次の二つの理由による。第一に、図書館は利用者がなければ成り立たない施設であるけれども、利用者 の動きをとらえた歴史が、本学においては、まだ書かれていないこと。第二に、利用統計は、従来図書館広報誌 「コスモス」にその都度公表されてきたし、また公刊資料として『日本の図書館』や『図書館年鑑』(いずれも日 本図書館協会刊)においてみることもできる。しかしながら、これらのデータを時系列的に処理したものは、図 書館事務部以外の方で目にされた方は、おそらくおられないだろう、と思われるからである。  ただ、惜しむらくは、資料の残存が必ずしもよくなく、補充資料を使用しないで描くことができるのは、昭和 四七年前後からという状態である。したがって、この報告では、学長報告、文部省大学図書館実態調査、日本図 書館協会による調査への提出書類の控を基本にし、それらにないものは、『日本の図書館』の数字を用いた。  数字の裏には様々な背景があり、その背景や実情を理解せずに、ただ単に数字を並べては、誤った理解を人び とに与えかねない。そこで、ここでは、工学部と朝霞の各図書館の歴史はひとまずおき、白山図書館(それでも 背景を知っている期間は決して長くはないが)の資料の残っている範囲のことについて記述してみようと思う。 159

(5)

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(7)

二、背 景 数字をみてゆく前に、白山図書館の閲覧サービス態勢と、それに関連する事柄の変遷を簡単に記しておこう。 昭和五一年春休み開館を始める。それまでは、蔵書点検作業のため春休みは閉館していた。ただし、この時       点では春休み中の館外貸出はせず、館内閲覧のみである。 昭和五二年 経済・経営・法学・社会学の各学部の一年生が朝霞に移転。館外貸出を一週間三冊までとする(そ       れまでは一週間二冊であった)。また、春休みの館外貸出を行うようになる。 昭和五三年経済・経営・法学の二年生が朝霞へ移転。教職員貸出が五〇冊六ケ月までとなる(従来は、三〇       冊三ケ月までであった)。 昭 和 五 六 年 昭 和 五 五 年 昭和五九年 昭和六〇年 昭和六一年 指定書制度をやめ、参考書として一般書架へ混配。 館内閲覧は、開架図書・閉架図書を混ぜて五冊までとする(従来は、開架図書は三冊までと制限 されていた)。 卒論用以外の学部学生の館外貸出は、三冊二週間までとなる。 文学部の一年生が朝霞へ移転。 全学部の一・二年生の授業、朝霞で行なわれるようになる。朝霞に新図書館完成。

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三、蔵書数の変遷

       ぽ    「東洋大学八十年史」には、大正一四年度の蔵書数は、 和漢洋書合計六、〇八六冊と記録されている。これが、 現在判明するもっとも初期の数字である。  蔵書数については(図1)、昭和二七年から三五年にか けて奇怪な数字がでてくる(『日本の図書館』による)。 昭和三三年から三五年にかけて二万冊近い蔵書数の減少 があり(通常蔵書数は前年より増加する)、昭和三三年の 数字を回復するのは、ようやく一一年後の昭和四三年に なってからである。数字の誤記・誤植によるものか、蔵        だヨ  書数と整理済冊数の錯誤によるものか、はたまた何らか の他の事情によるものか、いまは不明であるので、参考 までに数字を掲げるだけにしておこう。  昭和三五年から昭和四三年までは蔵書数の増加はゆる 一163一

(9)

図4 総貸出冊数と館内・館外内訳 [コ館外(学生,端その他全て) 1531027 T2,217

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※館内館外で重複あリ ヲ52、53年度は雑誌館外 124,016 T01788 131,205

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図5館内閲覧の開架・閉架別冊数 100、810 冊 万10 93,926

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1

四、図書館資料費の変遷

 白山図書館における資料費は(図2)、昭和五二年まで は急激な上昇をみせていたが、朝霞図書館の開設にとも ない昭和五三年には減少した。その後、徐々に回復基調 に転じたが、大学予算におけるシーリング設定などによ り増減が著しい。  大学総経費の中で図書館資料費にどれだけ割いてきた かをみると、図書館の急激な拡大期があった四六・四七 年は総経費の三%を越える予算をあてているが、朝霞図 書館開設後は、白山図書館の割合は、ほぼ一%前後に終 始している。  白山図書館の資料費を白山キャンパスの学生数で割っ て、白山の学生一人当たりの図書館資料費を出してみる と(図3)、全体として昭和五九年まではほぼ順調に上昇 一165一

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五、資料貸出冊数の変遷

   ア、総貸出冊数と館内・館外貸出内訳  館内・館外を含めた総貸出冊数(図4)は、五九年ま ではほぼ一貫して上昇を続け(例外は五六年であるが、 この年は前年より開館日数が一〇日間少い)、五九年には ピークの一五万冊余を貸出している。総貸出冊数のやや 減少した六]年でさえ、四七年の総貸出冊数の約二倍が 貸出されるまでになった。  館内閲覧が五〇%を超えたのは五二年からである。コ ピー機への依存が次第に増加してきたのではないかと思 われる。セルフサービス・コピー機の導入がいつであっ たかは記録はないが、五九年一月にセルフサービス・コ

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10 度 ピー機が三台になった。この年から、館内閲覧冊数は急 伸する。学生の朝霞への移転は、五九年まではほとんど 影響のない形で貸出冊数は増加したが、もっとも資料利 用の多い文学部の一・二年生の朝霞移転のはじまった六 〇年から総貸出冊数は減少しはじめた。    イ、館内閲覧の開架・閉架別内訳  館内閲覧における開架と閉架の閲覧冊数は(図5)ほ ぼ同数であり、図6の館外貸出の開架・閉架別冊数に比 べて閉架の割合が非常に高いところに特徴がある。これ は、雑誌を含めた閉架の資料は大部分が専門的要素の強 い資料であるために、必要な部分を読むかコピーしてし まうとすぐに返却され、また別の閉架資料を請求するこ とをよく示している。    ウ、館外貸出の開架・閉架別冊数  館外貸出における開架と閉架の割合をみてみると(図 6)、概論書・入門書・教養書の多い開架図書の性格をよ 一 67 ユ 一

(13)

数 館内・館外 館外のみ 冊 l  l  l ㎝’ 肪1  0’ ,イ  92’ ’3 者 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61年度 く表している。資料の一部分だけを利用するのではなく、 全体を読むために借り出していくわけである。  図4から図6までを見渡していくと、高学年と卒業論 文・ゼミナール論文をかかえた学生の多い白山図書館で は、専門性の高い閉架資料を館内閲覧で頻繁に出納を繰 り返えすという状況が浮ぴあがってくる。    エ、一日当たり平均貸出冊数  一日に貸出しされる冊数をみてみると(図7)、館外へ の貸出冊数はほぼ毎年一定しているのに対して、館内と 館外を合せた数字は五九年まではずっと上昇していた。 これは、図4から図6でみたように、館内閲覧が頻繁に 行われているのがよくわかる。  利用者が図書館に多くなるのは、第一時限の終了する 一〇時半ごろからであるから、現在では一分強に一冊の 割合でカウンターでの出納が行われることになる。    オ、学生一人当たり貸出冊数

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珊5 4.5 4 35 3 25 2 61年度 6⑪ 59 58 57 56 55 54 53 52  東洋大学図書館において学生に対する館外貸出が実施 されたのは昭和三四年十月で、しかもそれは、休日の前 日から休日の翌日まで二冊という条件であり、しかもク ラス担当もしくはゼミ担当教員の保証を必要とするとい う厳しいものであった。  教員の保証なしに学生が資料の借出しをできるように なったのは、昭和四一年四月からであって、比較的新し いできごとなのである。  学生一人当たり貸出冊数をみると(図8)、昭和四七年 当時三・三冊であったのが、現在ではその3倍にまで増 加することになった。ことに、朝霞への学生の移転のは じまった昭和五二年以後は、資料利用の多い高学年学生 を対象とする白山図書館における学生一人当たり冊数 は、急激に増加していくことになった。前にみたように、 ここでも館外貸出よりも館内閲覧の増加が多く、現在で は一年間に学生一人が約十冊の資料を出納していること 169一

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52   53   54   55   56   57   58   59   60   61年度 1 になる。  図4と図8を見ると、蔵書の増加と充実が図書館の利 用増加に大きく寄与していることがうかがえる。

六、夜間開館における利用状況の変遷

 夜間開館は、しばしば二部の学部があるために行われ ていると考えられがちである。しかしながら、カウンタ ーでの利用の実情を観察すればわかることであるが、二 部の学生のみならず、昼間部の授業を終えた学生や教職 員の利用が非常に多いことに気づくであろう。図9でみ てみると、館内閲覧は、五六年には昼と夜との閲覧冊数 が逆転し、現在では、午後五時以後の閲覧冊数が圧倒的 に多い。  館外貸出は(図10)、昼間の貸出しの方が多いけれども、 その差はしだいに縮少してきている。館内・館外を合わ

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 図11 文献複写の依頼と受付   一・・一・受付(他機関よリ申込)

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七、相互協力業務の変遷

 図書館の利用が増え、かつ利用者が多くの資料を対象 にして研究しようとする場合、どのような大きな図書館 でもその図書館だけで資料が十分に集まるはずがない。 そのために現在は、図書館間の緊密な相互協力がますま す重要になってきている。    ア 文献複写の依頼と受付  低廉で簡単なコピー機械の普及によって、現在では申 込んでから二〜三週間の間に資料のコピーを手に入れる 171

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ことができるようになり、文献複写は相互協力の重要な側面をになうようになった。  文献複写の受付は、五八年までは外部からの依頼には一枚二〇円で応じていた。そのためか、外部からの複写 受付は(図H)、一時期非常に多く、五九年には一〇九三件に達した。その後、外部からの受付は、一枚四〇円に 値上げされたため受付は急速に減少した。  一方、他機関への依頼件数も、五九年をピークに減少している。次第に図書館の資料が整ってきたことと、朝 霞キャンパスへの移転が関係しているのであろう。  また、外部への依頼よりも受付の方が多く、その差もひろがる傾向にあることも注目すべき現象である。    イ 閲覧の依頼と受付  閲覧の他機関への申込は(図12)、年によってかなりの凹凸はあるものの、全体としてみればほぼ横ばいである。 一方、他機関からの申込は一貫して上昇基調にあり、文献複写とともに、次第に他機関からも頼みにされはじめ たのであろうか。

八、おわりにll東洋大学附属図書館はどういう位置にあるのか

 いままで述べてきたところから、 かる。 白山図書館は、蔵書数も利用者の数も全体として順調に伸びてきたことがわ

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蔵グ 昭和61年度の そのランキン 図13

蔵裏認 細 畑 剛 剛 鋤 伽 剛

8 9 10 Il 12 13 14 15 16 17   18   19   20   2】 22 23 24位ランキング  それでは、他の私立大学の図書館と比較した場合、東 洋大学附属図書館(白山・朝霞・工学部を含めて)は、 どういう位置にあるのだろうか。閲覧利用については、 比較するには十分な資料が得られず、また各大学図書館 のサービス実態によってかなり数字が左右されるから、 いまはもっとも単純に比較できる蔵書数をとり出して比 べてみることにしよう。もっとも、蔵書数といっても大 学の規模・学生数・学部構成によって相当に差が出てく るために、これも単純に比較することはできないように 思われる。しかしながら、図書館における図書資料とい うものは、本来、共同利用の資源であり、また、複数の 人びとによって反復利用されるものである。そのために、 多くの蔵書を所有するということそのことが、研究・教 育・学習にとってパワーとなる。従って、蔵書数の多寡 の比較は、ある意味で重要であると考える。  昭和六一年度に五〇万冊以上の蔵書をもつ私立大学を

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抜き出すと、表1のとおり三一校となる。ここに選ばれた大学を昭和五七年度から抜き出し、ランキングをつけ たものが、表1の左の欄である。五七〜六一年度の成長率はその間の各大学の蔵書の増加率を示したもので、成 長率の順位は表1の右の欄に示した。  表ではみにくいのでグラフ上に表してみよう。タテ軸に蔵書数をとり、ヨコ軸にその蔵書数にもとつくランキ ングを位置させてみる。図13は、昭和六一年度の蔵書数とランキング位置である。作表の都合上、第七位以上と 第二五位以下は省略し.た。  これらの表や図をみると、いわゆる関東六大学や、JAR大学、日東駒専、関関同立と呼ばれる大学がひしめ き、順位を競い合っているのがわかる。  昭和六一年度は、一位から五位がひとグループを形成し、六位から一二位が第ニグループを形成している。一 三位から一六位が第三グループを形成し、あとはダンゴ状態である。  東洋大学の二〇%の成長率が平均より高いのかどうかは、全体の平均を計算していないのでわからない。しか し、ここに抜き出した三一大学について眺めてみると、けっして高い成長率ともいえないように思う。ことに近 年、「中堅大学」と呼ばれている大学などと比べれば、なおさらそういうことがいえそうである。昭和五七年から 六一年の間に東洋大学図書館の順位が下っているのは、そのなによりの証拠であろう。ちなみに、駒沢大学図書 館は、昭和六〇年度においては六四万六千冊で、六五万四千冊の東洋大学図書館よりも下位にあったけれども、 高い成長率のために、翌六一年には東洋大学図書館を追い越した。 一175一

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 大学の生き残りについて、現在様々の方途が講じられようとしている。図書館の蔵書数が、あるいは図書館の あり方が、大学の将来の経営に直接的影響をどの程度もっているかはわからない。また、ここにあげた蔵書数の 成長率が、どのように変化するかもわからない。各時点における大学経営の重点の置き方によって、相当左右さ れるからである。  蔵書数の多少とか増加といったものは、短期的には目にみえるほどの影響は感じられないであろう。しかし、 それはちょうどボクシングにおけるボディ・ブローのごとく、徐々に効いてくるに違いない。問題はそのボディ. ブローを打つ方に回るのか、あるいは打たれる方に回るのかであろう。 * 最後に、この文章は図書館事務部の意見を反映したものではない。可能なかぎり数字の説明だけにとどめた が、もし何らかの意見を表明していると解釈される部分があれば、それはすべて筆者のものである。 注注注

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「東洋哲学」第二編第=号、明治二九年一月二日。四七一ページ。 『東洋大学八十年史』 昭和四十二年。七八〇ページ。 「蔵書数」とは、図書原簿に登録され資産となったものから、紛失・破損等によって除籍されたものを引いた図書資料 の冊数を指す。「整理済冊数」とは、目録カードが作成され、書庫に配架され、出納可能になった図書資料の冊数であ る。両者には常にいくらかの数字の差がある。 (図書館事務部閲覧課)

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