インドの租税制度〔1〕
インドの租税制度〔1〕
一独立前と独立後の比較一
平 尾 勇
第 1 第 2 第 3 第 4 第 5 第 6 第 7
目 次
は し が き 戦前 の 税 制
戦前の租税政策 戦前の所得課税
インドの独立と税制 独立後の法人所得税 総 括
第 1 は し が き
インドの租税制度は,イギリスの制度に準拠して生れたものである。然し,この二つの 国は財政的に同じ立場に立ってはいないし,インド自体の条件や要求に従ってできたもの ではなかった。1885年インド国民会議派の誕生とともに,反英独立斗争の時代に入り,第 1次,第2次大戦をへて,1947年ようやく独立をかちとった。然しヒンズー教徒と回教徒 の対立が独立を契機として激化し,翌1948年にはインドとパキスタンの2国に分離してし まった。このインドが植民地的後進国たるの地位を脱却し,民主的近代国家へと発展する 過程において,その財政的基礎をなす租税制度をどのようにインド的なものに作り上げて 行ったか。インドの租税制度の独立前と独立後の比較を通じて,この興味ある聞題を研究 する一つの手がかりとして,本稿をこのような未完成の姿のままで公表する次第である。
以下数年の研究を累積して,より明確な内容であらためて発表することを約し,雑駁な本 稿に対する寛恕を請う次第である。
本稿は主としてLucknowのクリスチャンカレッジの商学部長であったH. Pershap 博士の著Indian Taxation During and After World War皿 によったものである が,そのほかS.Ambirajan氏のThe Taxation of Corporate Income in India 及びK.B. Jindal氏のIncome・Tax, Past and Present等も随所に参考としたが,
文中一々ことわりをしなかった。悠者及び読者のおゆるしを願って序文とする。
第 2 戦 前 の 税 制
第2次大戦前においては,インド乱心政府は僅か数種の租税を課した。即ち,関税(輸 出入税を含む)中央物品税,所得税(法人税を含む),塩税及び阿片税である。そして戦 前の二二政府の租税収入の大部分は関税によっていた。戦前は,所得に対する二つの税金 と物品に対する四つの税金から成り,その状況は次の第1表によって明白に示されている。
第1表
戦前の租税収入① (単位 10万ルピー)
1936一一37 1937−38 1938−39
税 目
金 劉比率 金 劉比率 金 割比率
関 税 梶@ 得 税
@ 人 税 ィ 品 税 磨@ 税
「 片 税
46.22 P5.39②
@一
U.03 W.81 O.48
60.1 Q0.〇
黷V.811.50.6
43.11 P2.70 P.88 V.66 W.39 O.51
58.1r P7.1
Q.5 P0.3 P1.3 O.7
40.51 P3.74 Q.03 W.66 W.12 O.51
55.1 P8.6 Q.7 P1.7 P1.3 O.7
合 計 76.93 100 74.25 100 73.57 100
①原資料はインド政府歳入決算額による。
② この申には法人税よりの税収が含まれている。
即ち,戦前のインドの租税収入の約80%は関税を中心とする物品に対する課税によって まかなわれ,約20%が所得課税による収入である。この所得課税は(a)個人及び法人に 対する所得税(b)個人に対する付加税(c)法人に対する付加税からなり立っている。
そして上表の所得税(lncome Tax)は,(a)と(b)即ち,個人及び法人に対する所 得本税(lncomeTax)と,個人に対する付加税(Super Tax)を含んでおり,法人税
(CorporationTax)は(c)のみ,即ち,法人に対する付加税(Super Tax)を指して いる。このように所得課税の区分は,戦前は科学的な根拠にもとづいたものではなかった のである。
所得税は個人や法人に対する所得税及び個人に対する付加税を含んでいる。 この財源か1
らの収入は,戦前においては,中央政府の租税収入総額の20%に満たなかった。1936−37
年度には15.39クローネ,1937−38年度は12.70クローネ,1938−39年度は13.74クローネ
であった。1936−37年度が最も多額となっているが,これは法人税をその中に含んでいる
からであり,1937−38年以来法人税は別に示されるようになっている。
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法人税(Corporation Tax)は,法人の法人設立の特権に対する課税であると云える。
即ち法人は企業体に,超過利潤を得る力及び多くの資本を集中する力をもたらすものであ る。従って支払能力の原則は,この法人税には適用されないものであり,個人と違って法 人は,課税の負担を感じないものである。従って法人税はその支払能力に関係なく課税す ることができるものとされる。然し乍ら,経営者や少数の経済学者は,法人税は,法人に とって負担と感じられないでも,株主によっては確かに負担と感じられる。従って,支払 能力の原則は法人税についても適用されねばならないものであると云われる。R. N. Bha rgava博士は,「The Theory and Working of Union:Finance in India」1こおい て,法人税に関して全く異った考え方をとっている。彼は,法人税は特権に対する課税で はなく,能力に対する課税であると云っている。更に「法人税を法人の法人設立の特権或 は権利に対する課税と考えることは,不合理かつ非科学的である」と云っている。彼の意 見によれば,「国家から与えられた法人設立の特権にもとづいて,法人税を正当化するこ とは,租税理論の貧困と非科学性によるものである。若し,法人税がこの特権に対する課 税であるとすれば,その特権が与えられたとき即ち株式会社が設立されたときに課税さる べきである。そしてまた,法界税額は与えられた特権に関連さるべきであるが,法人税に はこの様な関連はない。法人税は会社が欠損を生じた限り課税されない。」といっている。
このように,他の多くの著者と異り,彼は法人税について一般に認められた定義とは異っ た考え方を持っている。これに対しGerherd ColmやD. T. Lakdwala博士 J.K:. Mehta女史及びS. N●Agarwalaのように多くの学者は,法人税特権説を認めて おり,国家は法人に対し与えた特権に対して課税する権利をもつものであると云ってい
る。
法人への課税は,株主によって負担されることが当然のことと考えられても,我々は株 主の支払能力に適応するような単純な課税方式を考案することは困難である。株主の数は 多く,その支払能力には極めて大きな差異があるのが普通である。どんなに精巧な方法に よっても,法人税を個々の株主及びすべての株主の支払能力に正しく関連させることは極 めて困難である。一つの会社ではなく,いくつかの会社を考慮に入れるようになると更に 困難性が増加してくる。異った会社所有者の能力は当然差異があり,異った会社の得る利 潤もまた異っている。かくてこのような異った能力をもつすべての会社の各株主に対して,
支払能力の見地から,すべて公平に適用されるような法人税は考案できるものではない。
また経営者は誰も会社の所得は非課税のままにしておくべきであるとは主張していない。
彼らは墨入税の場合においても,支払能力基準で株主に対し或る程度の公平の原則が適用 されるということを主張しているのである。
法人所得に課税することは少しも間違いではないという結論に到達して,我々は今やこ
の税金における課税の基準を定めようと試みなければならない。かかる基準としては,会
社の資本額を用いるか,或はその会社の利潤額をもって課税の基準とするかのどちらかで
ある。法入設立の特権は,会社にこれら二つの利益(資本集中の利益と利潤獲得の利益)
を与えている訳であるから,結局は法人に対する課税の基準としては,このごつの基準の どちらかが用いられるべきであるということになる。法人税が若し会社の資本金額を基準 として課税きれるならば,いくつかの困難性が生じてくるだろう。例えば,遡る会社は活 屠されていない多額の資本をもっていて他の会社ほど利潤をあげていない場合がある。若
し,法人税が資本額を基準として課税するならば,大きな資本をもちながら利潤の小さい 会社が,少資本で高い利潤をあげる会社より多額の税金を払うこととなり,これは利潤の 観点からは木公平になる。かくて,利潤は法人税の正しい課税標準であるというのが一般 的な基準である。J.1玄Mehta教授やS. H. Agarwala氏は次の如く云っている。「純 利益或は純利潤は会社に対する課税の基準としてすぐれている。この利潤の額が,その会 社が法人制度を活用して引き出した利便の程度をあらわすものである。」 (Mehta&Aga rwala著Public Finance)
戦前あ期間中,インドは法人に付加税 (Super Tax) を課したが,これを法入税
(Cofporatioh tax)とよんでいた。然しこれには5万ルピーの控除があり,而も所得税 と向じく累進税率が適用されていた。従ってそれは,会社所得税に対する付加税にすぎず,
第 Q次大戦潤たは,インドには法人税は実際にはながつたといっていい。1936年所得税調 査委員会は,これらの欠点に関し,インド政府に勧告をし,政府は1938−39年度に改正に 着手した。1936−37年度の法人税はインド政府予算には区分して示されていないで,所得 税め項に含められている。1937−38年度及び1938−39年度にこの法人税は僅かに1.88億ル
ビ_及び乞03億ルピーにすぎず,租税収入の僅か2.5%及び2.7%である。
第 3 戦前の租税政策
インドの財政々策の型は主としてイギリスのものに準拠したものであり,戦前には,イ ンド独自の租税政策を持たなかった。イギリスに適用された租税政策は,この国の経済条 件に大して考慮を払うことなしに,インドに適用された。一国の租税政策はその凋め経済 条件に従って打ち立てられねばならないということは,秀でた著者はみな強調しているこ
とである。ある国に野合した租税政策は,経済事情を異にする他の国には適さないもので ある。然し乍ら,当時のインド政府は,この流れに沿って,この国に適した租税政策をと るように乗り出すことは出来なかった。そのような政策をとることは,イギリス自身の租 税政策と直接に衝突することを意味したのである。それで戦前の期間は,この国にとって 科学的租税政策を打ち立てる計画をはっきりと持出すことは出来なかった。
インド政府がイギリスの租税政策の足あとに従っている間に,両国の経済条件と租税構 造にかなりの差異があった。第1にインドはイギリスに比べて貧しい国であり,第2にイ
ンドは農業国であり,イギリスは工業国であり第3に教育,保健衛生等はイギリスに比べ
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て比較すべくもないし,最後にイギリスの租税収入の大部分は直接税によっているのに対 し,インドの租税構造においては間接税が有力な地位を占めている。これら条件の違いは,
、この国の当時の支配者の手に,異ったインドの租税政策を要求するものである。
、然し乍5,当時のインド政府が科学的租税政策を適用できなかった二殊治的理由は一?だ
、けではなく,潔1千列挙する如きいくつかの困難性があった。 、♂一 (a) インードの租税構造にどのような改革を加える、にしても,インド国民の非協力・と
いうことが最も手ごわい困難であった。脱税は悪いこととは考えられていなかっπし〉む 惣ろインドの指導者達によって公然と宣伝されていた位であった。かくて広範な脱税が戦 前には一般に行われていたのである。この様な事情の下で,自分自身を助けようとしない 国民から税収を獲得することは大変な問題であった。強固な反対を受ける大規模な税制改 革を行なう代りに,インド政府は財政需要に対する税収を獲得するために更に間接税にた 一よることとなった。それで,租税構造は今まで以上に退行的となり,非科学的かつ不均衡
なものになった。租税構造上の抜け穴は,インド国民の反対のためにふさぐことは出来ず,
新しい租税は,強い反対のできない貧しい階級の入々に課せられたのである。
(b) インドにおける州の存在は,当時の政府にとって二重課税の問題という困難を 強めた。同一の所得が二つの異った官庁によって課税一されるのが普通であった。一つは申 央政府によって,他の一つは州政府によってであるσ中央政府の側において,二重謬税の
回避するような改革について,州の同意を得ようとするあらゆる努力は,州の貴族(皐ajas)
ζ君主(Maharajas)のために,常に失敗に帰したのである。
(c) インドにおける州の存在はまた,課税の公平の原則にとって障害となっていた。
州の各税率は中央政府の税率と一致することが殆んどなかったのである。
(d) 最後に,税金の賦課徴収の方法がまた,非科学的で骨の折れるものであった。
徴税官吏は能率的でなく,彼らの税務上の技術知識は時代おくれなものであった。この非
、能率の結果として,納税者に対して大きな負担がかかる割には,政府の手元に入る税収は 少かった。かくて,アダムスミスの租税原則の一つである最少徴税費の原則は,この国で は犠牲にされてしまった。
以上の如く,戦前の租税政策は科学的原則に基づいていなかった。インドの租税構造に は多くの欠陥があったが,それらはインド国民の非協力のために改革され得なかった。従 って政府はその必要な資金を,いかにして安易で便利な方法で徴達するかということが,
当時の租税政策の全般的目的であった。租税制度改革に関して考慮すべきもうの一つの点
は,インドの富裕階級によって相当大きく影響を受けて,彼らの強い反対を受けるような
改革はとうてい実現できなかったというこζであるg
第 4 戦前の所得課税
所得課税についてよく調べてみると,20世紀の初期30年間は,所得に対する課税ぱ歳入 財源としては殆んどとるに足らない程であった。然し,1921年から進んで,政府の費用の 増加に対して,税務当局は所得課税に力を入れぎるを得なくなって来た。かくて,1939年 には,所得に対する課税収入は,申央政府の税収のうち二番目の地位を占め,租税総額の 約20%の貢献をするようになったのである。
戦前の所得課税では,勤労所得と資産所得の問に異った取扱いをしなかった。勤労所得 控除だけが人間という機械に対する減価償却費として唯一つ認められていた。この点を除 けば,精神的肉体的労苦によって稼いだ所得も,株式や債券によって得られた所得と同じ に取扱われた。インド政府はこの点からもその政策を変更すべきであったのである。
戦前には相続税或は遺産税はなかった。これらを設定する努力はインド政府によってな されたことはあるが,地方の非協力のために成功しなかった。
戦前の所得課税も累進税率によって課税されたし,直接税であるからその負担は納税義 務者の肩にかかり,貧困階級の人々は,この税金には殆んど関係がなく,従って,この租 税の影響は全体として望ましいものであった。
所得税も他のすべての課税と同じく,転嫁されるかどうかの問題が論議される。然し,
所得課税の転嫁は,他の租税と比べれば少ない方であり,そしてこの転嫁を最後の負担が どこまで達するかを跡づけることは困難なことである。MerringはDiscussion on Inc ome Taxの中の第八章「租税の転嫁と負担」において,所得税は転嫁することができる
ものであり,転嫁されないという説は惑わすものであると云っている。所得税の転嫁は,
速やかではなく広範にわたるものでもないが,然し,転嫁は大なり小なり行われているも のであると考えている。他の多くの経済学者もこのメルリングの説を支持している。それ で,我々も所得税について少しの転嫁は避けられないことは認めねばならないが,それが 僅か少しの場合に,それを考慮外においても大したことはないということも認めねばなら ない。そして,所得税は転嫁されないものであり,その負担は支払者に留まるという学者 の一般的な通説に従うことができる。
法人税の負担については,この点は一層明らかでない。一方では,経済学者はこの税金 は転嫁しないと云い,他方では,経営者は,会社で作られる製品のコストの一部を構成す るので,当然に,消費者に転嫁されると主張される。(Gerhard Colm, Essays in Pub lic Finance and Fiscal Policy)
然し最近の経済学者は,経営者より進んだ理論へ進む傾向を示している。即ち非常に限 られた範囲ではあるが,駒鳥の価格は法入税の結果騰貴すると指摘している。我々はこの 問題をさらにくわしく考察することにしよう。
会社は一般に巨額の資本を必要とするような製晶を生産する,それで,小規模な組合や
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個人企業からの競争の恐れはない。従ってこの様な会社は一般に,その製品価格を引上げ 得る強い立場をもっているように見える。
我々は一つの単純なケースを設定しよう。一つの新しい会社がそれまで他の会社によっ て市場に提供されたことのない新製品を生産し始めたと仮定しよう。初めの段階では,こ の会社は,その製品の価格を決定する場合に,支払うべき税金を考慮に入れるだろう。従 って税金はすべて消費者の方に移される可能性は多分にある。然し乍ら,市場にすでに他 の会社が同種製品を生産しているならば,価格の決定は新会社には残されていない。そこ で,市場においてすでに支配的な価格をうけ入れねばならないであろう。この市場への新 会社の介入は,品物の供給を増加し,従ってすでに存在する価格の低落をもたらす。この ような状況の場合,もし古くからある会社がすでにすべての税金を消費者へ転嫁している ならば,製品の価格のこの低落は,これら一連の会社に対して,法門税の一部分を会社が 負担することを認めさせることになる。かくてもはや,すべての税額は消費者に転嫁せら れないということになる。
若し古くからの会社がすでに消費者から税額を課していないならば,新会社の市場への 投入は,新しい会社体系の肩に法人税の全額がかかることになるだろう。然し,若しこの 会社が投入される前に,税金の全負担が古い会社自身によって負担されていたとすれば,
その時は,市場への新会社の投入は,会社の全体のグループに対して,課せられる税金以 上の額を負わせることになるだろう。この様な状況の下では,法人税を負担していない会 社の中で,会社から他の会社へと転嫁がなされるだろう。かくて遂に,需要と供給の相対 的な力関係で,一つの会社から他の会社への転嫁を通じて,均衡が自動的に得られるであ
ろう。
上に述べだような議論は,或る状況の下では,会社の所得に対する課税1ま転嫁されるこ とを示しているd然し戦前の期間には,産業の拡張があったので,当時の法人税は,供給 の増加によって消費者に転嫁されなかったと考える。新しい産業が建設されない分野でも,
旧い産業はその生産量を増大したので,需要に比し供給の増大が著しく,かくて,戦前の 法人税は,大てい,会社それ自身によって負担されていたのである。
第 5 インドの独立と税制
インドは独立の直後,インド連邦とパキスタンの分離という田熊が続いた。この分離は 人種宗教問題にその基準がおかれたものであり・経済的独立の条件は夫々の国に存在しタ かった。インドは工業的に強く,一方パキスタンは農業に強くなった。分離前の主要工業 9約90%の工場はインド連邦に属したのに対し・パキスタンの分は約10%にすぎなかっ#。
然しパキスタンは,耕地面積の約67%を持ち,インドは33%を得たにすぎない。米,棄,
棉,ジュートの産出地域は主としてパキスタンに属した,この二つの国は,経済条件では
互いに相補ぎなってはじめて成り立つことができる。インドは,米,麦,棉,ジュートを パキスタンに仰ぎ,パキスタンは工業製品たとえば,織物,砂糖,紙,鉄鋼などを必要と する9
然し,独立が達成されるや否や,インドの二大宗教社会は激しい衡突をした。財政の見 地からみても,独立は多くの問題を伴った。第1に,二国間の資産と負債の公正な分割の 問題であり,第2にヒンズー教と回教の衝突によってみだされた平和と秩序を確保するた φの必要資金の問題である・第3に,避難民の救済と復旧のために要する経費の増加,第 4に,農業地域の不均衡な分割によって起った食糧不足の頻発のための必要経費であり,
第5に,インド中央政府が直面したインド連邦における多くの小さな州の同化の問題であ り,カシミールの問題は特殊な困難性をあらわ.した。これらの問題の有効な解決には,資 金が多く要求される。そして遂に戦争となり,その残した再建と安定の問題は二つの国に 継承され,巨額な財源を必要としたのである。これらの財政的危機は,すべて世界がドル 不足と物価騰貴にもとつく不安定の状態にある時に起った問題である。
これらのすべての問題を解決するために用いられた方法は,この国にインフレの要因を 更につよめた。即ち,一般物価指数は,1946−47年度の275から1947−48年には307に上昇
した。同じ期間に農…業生産物の指数は・314から357に上昇した。
殆んξの産業の生産はβ原材料や資:本設備及び輸送の不適合,或は又,分離によって起 った型幅の杜絶や産業不安にもとづいて・194アー48年度には生産の減退を経験した。生産 の低下は一般物価の予想以上の上昇をもたらした。
嬉々及び地方政府や私的団体の従業員の生活費の高騰に基因する賃金給料手当の大巾な 増大は,公共部門における購買力を引上げ,それが物価のより一属の騰貴をもたらした。
火に油をそそぐように,中央政府は,1947年11月かち食糧その他の必需品の統制を次第 に解除する政策を決定した。それによって,隠退された物品の売却が起こり,その価格を 引下.げることができると期待した。然し,政府の隠退蔵物資の測定はあやまっており,統 制解除は必需物資や食糧の価格の引下げどころか,一般物価指数の予;期せぎる暴騰を引き 起こした。かくて統制解除は却って物価水準を高め,この国のインフレ傾向を促進しただ けであった。
課税の全般的目的
既述の如く,インドとパキスタンの分割に基因して数多くの問題が生起し,それらの満
足すべき解決のためには莫大な資金を必要とした。それ故に・独立の初めにおいては,課
税の全般的目的は,分割によって起こった問題の解決に必要な資金を提供することであっ
た。避難民の救済と対策が最大の問題であり,総額2簿2千万ルピーがこの目的のために
1947−48年度の追加予算に計上されねばならなかった。この危機のために,この国の生産
的努力は挫折し,政府の経費支出の増大と相まって,生産力の減退による生産費の騰貴は
更にインフレ傾向を助長した。かくて政府は輸入制限政策をとらざるを得なくなり,約
インドの租税制度〔1〕
・67200にのぼる贅沢品が輸入禁止晶目に指定された。
然し時の経過と共に,政府は戦後の開発計画を立てることとなり,課税の全体の目的は 次第にかわり始めた。戦後計画がスタ処トしてそれがこの国の経済に重要な比熱を占める ようになった。開発計画の実施のための重い説税は当時の至上命令となった。遂に課税の 目的は,戦時財政から国家建設計画のためへと変わった。
課税目的の変化と共に,独立はまた,納税者の形勢にも変化をもたらした。即ち,外国 の政府によって強制的に課税されることには国民は抵抗を示すが,政府の統治がインド国 民ρ手に帰したとき・事情は好転した。大きな機会が・税務当局のために到来した。納税 者の所得から強制的かつ不可解な徴収とみられていた税金は,納税者の義務として認めら れるようになった。
独立と申央政府の財政的地位
独立のときは,1947−48年度の予算は進行途中であり,7ケ月半が年度末まで残されて いただけである。それで,その聞の暫定予算が必要であった。分割の後,1947年8月15日 から1948年3月31日までの間の追加予算が当時の大蔵大臣Shanmukham Ghetty氏によ ってインド連邦に提出された。現行の租税は殆んど継続きれ,準備銀行が管理する通貨制 度は1948年の9月の終りまでのこされた。分割のときのインドの未済の借入金,保証債務,
年金その他の債務は,パキスタンから同等の額の分担の提供を受けて,インド連邦の方に 引き継がれた。追加予算の歳入における純赤字は,2億6,24P万ルピーを示し,一方,歳 入歳出は17億2,800万ルピーから19億7,390万ルピーに達した。歳出見積には,2億2千万
ルピーの失業救済復興費が含まれ・防衛費の増加と同様に経費増大の原因となった。
この予算の最:大め財源は関税から求めちれた。即ち5億2,150万ルピーである。所得に 対する税金からの収入見積額は,所得税の地方隊当分が減少しなかったので,申央の実際 の収入は僅かに4億5,240万ルピーであった。戦争中或は直後の期間を通して,関税から の収入は,予算における中心的地位を占める程高くはなかったのであるが,1947−48年度 の追加予算では,この点最も特殊であった。この財源による収入がおよそ半年分で 5億2,150万ルピーになった。このペースでは,年間の収入はいつれにしても9億ルピー より下らないことになる。関税の歴史において,収入がこのような高さに達したことはな かったのである。
追加予算における第2の重要な地位は,所得税によって占められている。この財源から の収入は,地方分配額を控除する前では7億5,290万ルピーが計上された。
第3の重要性をもつのは,法人税であった。この財源からの収入見積は4億12,710万ル ピーで,このように相当に高い収入の理由は,キャピタルゲイン税及び事業利潤税を含む
.1
アとによるものであるご
追加予算:における第4の地位には,物品税収入がくる。こ・の収入は2億2,080万ルピー
の見積りであるが,ζの収入は余り期待できない,何故なら暴動は物晶税のかかる多くの
物品の消費が減少する原因となり,避難民聞 題も同様である。、これらの要因のほかにマッ チやベテルナッツ(こしよう科の植物で,こ の葉にびんろうじと少量の石灰を包んだもの を東インドの土入は常習的にかんでいる)に 対する物品税を免除することが,1947−48年 度の予算で公示されたが,これがこの収入の 低下に大きな影響を与えた。
雲際からの収入は,この予算:から殆んどな くなっているが,これは1947−48年度にこの 税は廃止され,前年度の滞納分だけが計上さ れている。これら以外に,中央の税金で実際 上重要なものはない。2億6千万ルピーの赤 字がこの予算:で見積られているが,これは2 億2千万ルピーの避難民の救済対策費があて
られている点からみて,この赤字はそう重要 視しなくともよいものと思われる。
第2表
1947−48年度追加予算収入見積額 収入項 目
関 税
中央の物品税
法 人 税 所 得 税 塩 税(前年滞納分)
阿 利 通
そ
郵 片
貨 造
の
便 収
税 息 幣 他 入 地方財政分配金控除
計
h,000万・レピー
52.15 22.08 42.71 75.29 0。50 0.89 0.66 1.41 3。87 2.03 30.05
170.55
第 6 独立後の法人所得税
法人の所得に対する課税は,中央政府の歳入財源の中でも重要な地位を占めている。一 入に対する所得税及び付加税の収入は,第2次大戦の後期の年度において所得課税総額の 50%以上をしめている。我々はさきにインドの法人課税の欠陥を指摘し,法入の所得に対 する課税がすべて法入税であると考えてはならないということをのべて来た。法人所得に 対する付加税が,Corporation Taxの名で示されているのである。然し中央政府の予算 の立場からは,超過利潤税,(Excess Profits Tax)事i業利潤税(Business Profits Tax)譲渡所得税(Capital Gains Tax)などからの収入も付加税からの収入に加えら れる。そしてこれらの合計額が思入税の項目で示されているのである。そして法人の所得 に対する所得税は,個入やヒンズー未分割家族及び未登録組合に対する所得税及び付加税 に加えて,所得税(Income Tax)の項目で示される。この点インドの財政を勉強する者 に特別な困難を生ずる点である。
通常,会社には,所得税と付加税を課せられる。然し,場合によれば,超過利潤税,事 業利潤税,譲渡所得税,富裕税(Annual wealth Tax)及び会社所得に対する加重税
(Surcharge)等が課せられる。
法入の所得に対する所得税
インドの租税制度〔1〕 69
会社が支払う所得税は,ごく最近までは,株主の負担において払われるものと考えられ ていた。1人の株主によって支払われる純税額は,会社が支払う所得税と同じになるよう にし,その算出税額から控除され,もし彼の総所得額が免税限度額より以下であれば,そ れは彼に還付される。かくて,会社によって支払われる所得税は,その所得の分配によっ て,終局的に株主の所得として合計され,彼の個人所得について課せられる税金と調整せ られるのであり,一方,会社はその所得の留保部分について会社自身の所得税を負担しな けれぼならない。会社の所得課税の取扱いがいかに複雑で非科学的であるかが以上により 明らかである。然し,経済学者の批判によって,1960年にこの制度をインド政府は変更し た。所得税法に条文を追加して,政府は会社がその分配利潤に対して支払った所得税は,
その株主に代わって支払ったものとみなすという法的擬制の考え方をとり止めたのである。
株主の租税債務は会社が負担した税金から完全に切りはなされた。そして株主はもはや会 社が支払った税金の一部を自分の税金の前払い分であるとして自分の税額から控除するこ
とはできなくなった。このことから起る株主の過度の負担を減ずるために,会社に対する 税率は引下げられ,この条項の追加挿入前の年々の総収入と等しくなるような率に固定さ れた。かくて,1960−61年度から会社所得に対する所得税及び付加税の負担はすべて会社 のものとなったのである。
法人税と同じく,会社所得に対する所得税は,陪塚の比例税率で課せられる。1957年3 月31日までは,会社の所得税の税率率は樽入所得に適用される所得税の税率と同じく,25
%を最高とする軽度の累進税率をとっていたが,1957−58年には,会社に対する比例税率 は30%に固定された。大株主による隠匿を通じて配当所得に対する脱税を阻止するための 条文も設けられた。
会社における利潤の再投資をすすめるために,会社の未分配利潤について所得税を割戻 すこと(Rebate)が以前から認められていた。1955−56年度では,この割戻は1ルピー について1アンナであった。 (1ルピーは16アンナ)1956−57年度にはこの制度は廃止さ れ,超過配当の分配は法人税の税率に差異を設けることにより抑止するように要求された。
1956−57年度では,加重税(Surcharge)を含めて,会社の所得課税の総額は26.25%と なり,1957−58年にはこの率は,31.50%に引上げられた。
税制調査会(Taxation Enquiry Commissio∬)は,1953−54年に,会社所得税に関 して次の様な勧告を行っている。
(a) 弱る種の国家的重要産業には25%の開発割戻を認めること。
(b).留保利潤に対して割戻を与えること。然しこれは1956に,インド政府によって 不必要で非科学的であると考え廃止された。
(c) 新規投資に対し特別償却を認めること
(d) 新規事業の利潤への課税をかなりの期間にわたり免除すること。
ζれらの勧告は,インド政府によって受け容れられ,後に履行されたが・現代経済思想
の光にでらして,これらの特例はやがて廃止された。独立後の期間に,会社の所得課税に おける変化を研究する便宜のため,次の第3表にあらわしてみることとする。
第3表
独立後の期間の会社所得税の変化
年 度
1948−49
1950−51
1951−52
1952−53
1953−54
1955−56
1956−57
1957−58
1959−60
1960−61
新規課税或いは旧税の撤廃
① 公認の協会や慈善団体への寄付金を 所得の5%を限度として課税除外と すること。
② 資産税(市税)を課税所得から控除 すること。
③ 留保所得に対する1アンナの割戻即 ち配当分には5アンナ,留保分には 4アンナ
④
変化なし
5%の加重税の賦課
1951年5月特別調査により所得課税の 滞納額15億2千万ルビPと判明
変化なし
①維営資本の6%を限度として新規事 業に対し5年間免税
②25%の開発割戻の8年間の実施
③ 機械,建物について5年間2倍割増 償却
留保所得に対する割戻の廃止
変化なし
変化なし
会社所得税を株主の負担の代りの支払 とみる法人擬制説の廃止
税率構造の変化
25,000ルピー以下の所得の会社 には通常の税率の半分引下げる
こと。
1ルビpに対し5アンナから 4アンナへの引下げ
加重税を含めて税率は4.5アン ナとなる。
変化なし
1ルビ戸に対し4.75アンナとな
る
変化なし
加重税を含めπ所得税率26.25%
.加重税を含めた所得税率31.50%
所得税率20%.
変化なし
インドの租税制度〔1〕 71
さて,インドでは1947−48年度において,直接税に重点をおく方向を,ゆるやかにする 態度を採用し,色々な直接税の税率の引下げが公表された。25,000ルピー以下の所得の会 社の所得税は,1948−49年度において正常税率の半分に切り下げられた。そして四つの特 別措置が与えられたごともまたその様な態度にもとつくものである。これら特別措置の背 後にある主なる自的は,この国の経済計理に対する産業投資に奨励を与えるためのもので ある。1950−51年の所得税:率の引下げと,1956−57年に与えられた免税措置もまた投資奨 励の目的をもったものであった。然し,これらの財源からの収入を増やすだめにゴ加重税 が1956−57年に課された。 ,
会社所得税の改革の最後の局面は,1956−57年における・留保所得に対する割戻の廃止で あり,また,配当分に対して会社が支払った所得税は,その株主の負担であるとする法的 擬制の廃止であった。これらの改革は,会社所得課税の機構を単純化するばかりでなく1,
世界の他の諸国の会社課税と比較するためによりよい基礎をもたらすものである。インド の会社課税についてカルドア教授が明らかにした迷路は,これらの改革を通じて大巾に改 善され合理的なものとなった。
法人の所得に対する付加税
法人所得に対する付加税(S如er Tax)が,本当の法人税(Corpσration Tax)であ る。その税率は一本の比例税率であるが,それに割戻税率が設けられる。この割戻はゴっ の異なる原則にもとづいている。第1は,小規模会社のための措置であり,第2は,イン
ド会社と外国会社との問の区別である。外国人がうけとる非インド会社の配当は,インド では課税されない。従ってかかる配当に対する付−加税について生ずるロスを補ぎなうため に,少しの追加税が非インド会社に課される。,この追加税はインド会社に対する法人税へ の割戻を通して課税される。
1955−56年度の法人税の税率は,,1ルピーあたり57パイであった。Gルピー瓢16アン ナ,↑ア:ンナ=12パイ,従って57パイは31.3%にあたる)1956−57年度をこ,この率ば81パ イ(42%)に引き上げられたが,全割戻は1・ルピーあたり4アンナ(25%)であった。
1956年の財政法で,もう一つの差別的取扱が導入され,一定限度をこえる配当及び株式.
配当については高い率の付加税が課されることとなった。超過配当が宣言されず,株式配 当が行なわれない場合には適当な割戻が認められている。
1957年には他の新しい原則が導入された。即ち法人税の特別税率がインド子会社からの 配「当として受取った所得に適用された。これはごつの目的をもっている。一つは,それが,
インド子会社に投資されるならば,法人税の基本税率の増加に対して外国会社を償うため であり,もう一つは,インド会社をして他の会社に投資を行うことを奨励するためである。
株式配当及び超過配当に対する税率(1957−58年)
株式配当に対し, 30%
払込資本の6%〜10%の配当に対し 10%
払込資本の10%〜18%の配当に対し 20%
払込資本の18%をこえる配当に対し 30%
超過配当税を払込資本の代りに総資本に対して課することができるならば,株式配当に 対する課税は容易になし得る。超過配当税は会社の蓄積を奨励する観点から課される。
超過配当税は1959〜60年に廃止されたが,法人税率はそれまでの税収と殆んど等しくな るように修正された。
1959年前の法人税率は . (a) 課税所得が25,000ルビ。一以下のインド会社 15%
(b) 課税所得が25,000ルピー以上のインド会社 20%
(c) 外国会社 30%
インド子会社から受ける配当は10%で課税される。1953年財政法では,20種にのぼる特 別な産業の配当は法人税から除外された。
高い個人所得税を回避する立場から利益の留保をすることを抑えるために,政府は次の 様な留保税を適用した。この留保税をさけるために生産会社が行なう普通の最底のパーセ
ントの配当は45であり,非生産会社及び投資会社は60から100%の配当を要求された。こ のPenal Taxは非生産会社では37.5%で,投資会社では50%であった。1960−61年に,
分配利潤の率は,45から50に引上げられ,非生産会社では60から65に引上げられた。
この会社付加税の規定の矛盾は経済学を学ぶ者には直ちに明らかなことである。超過配 当税或は株式配当税の形で罰則税が課せられる一方で,非分配利潤にも課せられるわけで,
法人課税に関するこれらの矛盾は,法令制定の無知を示したものである。Chelliah博士 もこの矛盾を批判し,超過配分税は廃止されたのである。
新規事業に対する5年間の免税は,更に5年間延長された。機械や建物への投資に対す る25%の開発割戻は会社付加税についてなお行われており,特別償却も同様である6す縛 ての事業に対する開発リベートの適用は要求されていないようである。1953−54年度税制 調査会の勧告のように,これは一定の重要産業に限るべきである。然し,特別償却の損金 算:入を,新規事業のみに適用することは不公正のように思われる。既設事業がその老朽機 械設備を更新することが殆んで不可能であると考えているので,これをすべての産業に拡 張すべきである。
法人課税の最も重要な欠点は,所得税及び法人税を,1960−61年以降,一つの税金に併
合することによって改善された。この年に,インド国外で配当宣言をなす会社に対する付
加税の税率は43%に決まり,それによってかかる会社への税率は合わせて63%に上昇した。
インドの租税制度〔1〕 73
第4表 独立後の期間の法人税の変化
年 度 新規課税或は旧税の撤廃 税率の構造
1948−49 ①一定率をこえる配当をなす会社に対す ④ インドで配当宣言する会社 る罰則的付加税の廃止 に1アンナのリ1ミPトをもつ
②会社の課税所得の5%を限度として認 て2アンナから3アンナの法 可法人及び慈善団体への寄付金の損金 人税の増加.
算入 ②25,0GOルピー以下の所得の
③資産に対する市税を課税所得から控除 会社に対する通常の税率の半
する 分の引下げ
1949一・50 キャピタルゲイン課税の廃止 変化なし
1950−51 配当制限法及び事業利潤税の廃止 法人税の0,5アンナから2.5アン iの増加
1955−56 ①経営資本の6%を限度として新規生産 付加税の税率が1ルビ伊に対し 事業の利潤に対し5年間の免税 57パイに決定
②25%の開発割戻の認可と8年間にわた る延長
③工場機械建物の新規投資に対し普通償 却と同額の特別償却の5年間認可
1956−57 ①留保利潤に対する1アンナの割戻の廃止 ④40,000ルピーをこえる所得
② 6%をこえる配当に対し累進税率によ を有する登録組合に9パイの
る付加税の追加 付加税
6%〜10%の配当に対し2アンナ ②税率が1ルビFに対し81パ 10%をこえる配当に対し3アンナ イに引上げられた。
③株式配当に対し3アンナの課税
④ キャピタルゲイン課税
1957−58 ④ インド子会社からの配当所得に適用さ ①分配利潤に対する税率 れる法人税の引下げ 配当10%以下 10%
②付加税に対する5%の加重税の課税 10%〜18% 20%
③年々の富裕税の課税 18%超 30%
② 株式配当に対し 30%
1959−60 会社に:対する超過配当税及び年々の財産 法入税の税率が超過配当税の廃
税の廃止 止に伴って25%に修正
1960−61 ① 留保利潤に対する罰則的課税の廃止
②法人税と付加税とを一つの会社税へ統 合した
③開発割戻の拡張と免税の5年間再延長
1961−62 ①船会社を除くすべての会社に対する開 発割戻の5%引下げ
②外国投資や外国技術者の奨励するため に法人間の投資の配当に対する付加税 の変更
③外国技術者の所得の免税
J.K. Mehta及びS. N. Agarwal両教授によれば,法人税の本質は次のよう・な条件 をもつことが必要である。(1)法人税は特権税であるべきである。(2)累進税率で課税さる べきでない。(3)課税最底限を設けるべきでない (4)法人税は能力理論とは関係がない。
即ち各株主の支払能力ではなく,会社における彼の持分に従って課税される。独立後のイ ンドの法人税はこれらの要件をすべて充している。然しながら法人課税機構全体は全くや っかいで:複雑であ・る。1960−61年に簡素化が企てられたけれども,1961−62年の予算は,
この国の所得税及び法人税に複雑な内容のいくつかの条項がとり入れられ更に複雑なもの になってしまった。
超過利潤税(Excess Profits Tax)
すでにのべたように,ごの超過利潤税は1946−47年に廃止されている。然し申央政府に 対し今日に至るまで少額の収入が続いている。 、 事業利潤税(Business Pkofits Tax)
超過利潤税の早期撤廃の見:地から,初代大蔵大臣Liagat Ali khan氏ば丁947−48年 に事業利潤税を導入した。これは超過利潤税によ,く似ており,10,000ルビーの控除後の事1 業利潤に対し16%パーセントの税率である。1949−50年に更に10%に引下げられ,そレ て遂に1950−51年中廃止された。超過利潤税と同じく,その後も申述政府に幽く少額の収 入が続いている。 、 、.
譲渡所得税(Capital Gain Tax)
これは1948−49年に導入された。その税率は5万ルピーと100方ルピーの間の譲渡所得 について1アンナから5』アンナであり,15,000ルピーの控除がある・。この税金は,与論の 反対によって1949−50年には廃止され〜ぎるを得なくなり,イン,ド政府がカルドア勧告を原 則として受け容れた後,1957年に再び導入された。
富裕税(Annual Wealth Tax)
カルドア教授の勧告に反し,この税金は法人の財産にも課税された。政府は然し誤りに 気付いて,1960L61年に法人には課税しないようにした。
法人税加重税(Surcharges on Corporation Tax)
インド政府は,法人税に対する戦時加重税を戦争終了後,基本税率の中に併合した。特 に1957−58年には5%の加重税が付加税(Super・Tax)に加えられた。
・独立後の期間の法人課税による税収は,その種類別にグラフとして表示すれば次の如く
なる◎
インドの租税制度〔D 了5
独立後の所得税による税収 資料 インド政府予算 1948・4g〜1961.62
140 130 120 110 100 90・
80
π 70 0
0 60 0 万50
ノレ