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マレーシア連邦の教育について

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(1)

マレーシア連邦の教育について

龍  家  勇 一  郎

2 3 4 5

   目   次

は し が き マレーシアの教育の変遷 独立後の教育の現状と問題点 マレーシア統一のための教育の役割

将来の展望

1 は し が き

 マレーシア連邦は前集でも述べたように,国内にマレ人47%,中国人34%,インド人9

%の三民族がマレーシア全人口の90%以上を占ある複雑な国家で,マレー人は政治,軍事 の重要な地位を占め,中国人は経済力にものをいわせて商権を独占しており,またインド 人はその二民族の中間にあって,それぞれ対立している。それをマレーシア連邦成立の機 会にマレーシア人として国家意識をもたせ,マレー語をこの国の国語とし,統一化せんと 考えている。ここにマレーシア連邦の教育問題の重要性がある。複合人種社会の現状を反 映して,教育もまた,多人種的ならざるをえず,これをマレー語を中心とした統一国家 にふさわしいものにすることができるか,どうかが課題である。以下マレーシア大学の F.W. H. Kee教授とE. T. Hong教授の共著くEducation in Malaysia に基づいて

マレーシアの教育について考察してみたい。

2 マレーシア連邦の教育上の変遷

 マレーシア連邦は,社会の複合性から,上流生活者と下層階級,議会制度と多数の文 盲,都市と原始的農村近代的産業と原始産業が対照的に併存している国家である。このよ

うな複合社会を統一して近代化を進めて行くには,教育が重要なことは,いうまでもな い。この近代化を進めていく媒体としての言語は,マレー語の外に中国語,タミーナル語 が用いられ,またマレーシア連邦の共通語として,英語が用いられている。

 このような複雑な社会構造をもつマレーシア連邦が社会を統一し近代化するためには,

非常な努力を払わなければならないとと思う。特に教育面において然りである。

 マレーシア連邦の教育に関する変遷は,三つの明白な発展段階によって特色づけられる

(2)

と思う。

 第一はマラヤ,シンガポール,サラワク,北ボルネオがイギリスの統治下にあって英語 教育制度によって体系づけられたイギリスの時代である。

 第二は,戦後再建の時代である。その期間中は上述の四つの地域は,他の東南アジア諸 国に見られるように,政治上の変化によって完全な点検を受けた時代である。

 第三はマレーシア連邦の建設以来,これら四つの地域が当面している教育への挑戦の時 代である。

 イギリスの統治期間においては,公共心をもつ個人,または宣教師の協会の側で,私的 な事業として,マラヤ,シンガポール,サラワクや北ボルネオにおいて,先駆的な仕事と して責任をもっていた。また,これらの地域にそれぞれ異なった教育制度をもっていたと いうのは,これら地域の多くの人種的背景の影響であった。

 すなわち,外国人や移住して来た人種のための英語学校制度やマレー人のためのマレー 語学校という如くである。さらに,彼等自身の文化習慣や伝統を守るため,それぞれの社 会によって組織された中国語学校,タシール語学校が存在していた。また住民の異なった 宗教的確信が,明瞭に教育政策に影響した他の有力な要因でもあった。宗教はマラヤ,シ   Figure I  THIE EDUCAT工ONAL:LADDER

    The Malayan Schools System in the 1930s

       KEY

KING EDWARD VII MEDICAL COI.LEGE

TECHMρAL SCHOOL

6 5 4 3 2 1

4 RAFFLES 3COLLEGE 2 1

S。LT.Cノ紘W。TC

      S・C・A・騨Se仙mg CoUege of Agricul雛re       S.LT C.●SultaロIdri8 Tralning(沁皿ege       M。W.T C.・臨1巳y Women,5 Train㎞g Co皿ege OV包RSEAS UNrVERSIT!ES

       ㎜ERSITIES IN C}∬NA

NORMAL CLASSES

(㎜8輸)

QUEEN S SCHOLARSHIP CLASSES

3 2 1

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2 1

TRADE SCHOOL

(ENG・MED)

3 2 1

3 2 1

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6 5 4 3 2 1

 TRADE  SCHOOL

(MALAY MEI).

3 2 1

6 5

 S.C,A

(MALAY MED.)

4

3  SPECIAL MALAY CLASSES 2

1 MALAY VERNACULAR

PR正MARY SCHOOLS

   〔出所〕

IV 皿 H

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   UPPER

STD      PRIhIARY

ド…撚く

6 5 4 3 2 1

     6      5      4      3      2      1

TAM1L VERNACULAR PRIMARY SCHOOLS          ENGLISH      CHINESE VERNACULAR

        PRIMARY SCHOOLS       PRIMARY SCHOOLS

Education in Malaysia by F. W. H:. K:ee and E. T。 Hong P。34−35.

(3)

ンガポール,サラワク,北ボルネオにおいて,いろいろなキリスト教団体が学校を開き,

維持した努力を与えた原動力でもあった。実に宗教こそ彼等が,このマレーシアという国 に,彼等の存在する唯一の理由でもあった。これは,これらの宣教師達が何故に自国の法 律は勿論彼等自身の習慣や信頼のお蔭で,自主独立的である中国の仏教徒やインドのヒン ズー教徒やマラヤの回教徒達と接触をもったということで証明される。

 つぎに,重要な要因一経済カーはマレー語学校の建設や援助,英語学校に補助金を交付 する制度,より高い教育を望むものに奨学金を与えるとか高給がとれる職業への誘引とか は政府の能力を証明するものである。      げ

 いま,イギリス統治時代の(1930年代のマラヤの学校制度を示すと,前払の表の通りで

ある。

 第二の世界大戦後のマレーシアの教育はビルマ,インド,セイロン等の東南アジア諸国 のイギリス植民地支配からの独立,ナショナリズムの台頭によって,その教育政策にも深

く影響したのである。教育も植民地的制度をもつ古い制度には帰らなかった。これと反対 に戦後の再建は独立,ナショナリズム,言語,マレーシアズム,大学教育の問題等と取り 組まなければならなかった。また戦前の教育制度の多様性を一つの国家的制度の下に再建

も,統一せねばならなかったし,マラヤ内のいろいろな宗教,人種グループの間に国家意 識を植えつけなければならなかった。

 これは1956年教育委員会(普通ラザック報告書) (Razak Report)と呼ばれる報告に よってその内容が判明するのである。その報告書は議会で満場一致で承認されたもので,

国立学校の考え方は放棄し,子供達には別個の母国語学校で,初等教育を受けさせるとい う内容のものである。すなわち輻広いタイプの初等教育の多様性に同意したことである。

標準初等学校には教育の媒体としてマレー語を使用することを認め,また中国語タミーナ ル語や英語も教育の媒介として使用する初等学校を認めたことである。

 しかしマレー語は,マレーシアの国語となった以上は,すべての学校に強制される問 題である。故にマレー語が教えられたことを確実にするために,マレー語の知識をもっ ているか,どうかは公共的資金で全額又は一部の補助で支持されているすべての中学校

(Secondary Schoo1)の入学許可の条件にしたり,政府機関に入る条件になっている。

 英語は有用性のために強制されている。中国語とタミーナル語は15人以上の両親の要求 があれば初等学校で教えてよいことになった。これ等の決定の結果,マレーシアでは二国 語の併用はよいが,三国語を用いることはできないこととなったのである。故に中等学校 では教育の媒体としてマレー語の外に英語又は中国語が使われることとなった。

 また報告書はつぎのように述べている。「われわれは連邦内のすべての学校に共通した 講義要目を紹介することが,マラヤにおける教育政策の重大な要望であるという確信をい

くら強調しても,し過ぎることはない。このことが,マラヤ全体の国民に受け入れられる 教育制度の建設の障害となっている扉を開く鍵である。一度すべての学校が共通の同一内

(4)

Figure ll

MALAYAN EDUCATIONAL SYSTEM, l956

Diagram showing the progress of pupils under the        recommended education policy

       PRIMARY SCHOOLS A

STANDARD SCHooLS  Malay

Medium

B

 STANDARD‑TYPE     SCHooLS English, Chinese,

    Tamil    Medium

       Non"STANDARD          SCHooLS   i.e. existing Primary   Schools, English, Malay,  Chinese or 'Ilimil medium.

   Teachers not of     standard type.

 To be converted to A or

SELECTION

R

FOR SECONDARY EDUCATION ORop EMPLOYMENT

NArl[ONALTYPE. SEcoNDARYScaooL 'IRADE (acad emlc. and/or voeational) SCHooLS

First three years. Mediaof

instruction diverse. Teachers 2‑year

collegetrained

if

possible. course

CERTIFICATEOFEDUCAIION

Pro,YMENT

LOWER

emProYMENT

'IRAINING SEcoNDARYIMUCArllON‑F[NAL PART TECHNICac coILEGE

Te・achers Universitygraduates

if

INS'IITUIES for Primary

School

Teachers of possible.

prepared

Ed‑ucation

Diversemedia.

forF.ofM.Certficate orSchooi

Pupils Certificate

emProYMENT EMPLOYMENT

PRE・UNIVERSITYCLASSES TRINING

COLLEGES s

(Sixth.

Form)Arts

cience.Englishmed

and.IUM

TECHNICM coLLEGE Specialist Teachers

UNIVERSINES Note: Sizes of compartments in this        to length of courses or to (1) Report of the Education Committee,

diagram have the number of  l956, p. 30.

no relation

pupils.

(5)

容の講義要目を使うなれば,たとえ教育の媒体としての言葉が異なつでも,われわれは,

マレーシアが教育の国家制度の確立に向って重要な一歩をふみ出すものと考える。それは 全国民の必要性を満足さすと同時に国家として文化的,社会的,政治的発展に寄与するも のとなるからである。」と。

 つぎの表はラザック委員会(:Razak Comrnittee)によって体系づけられた1956年のマ ラヤ教育政策の下における生徒の進み方を示すものである。

 一方マラヤ連邦以外の北ボルネオや,サラワクの状態はどうかといえばこの二つの州 は,1946年に英国の植民地になった。彼等はマラヤやシンガポール程度に国家意識を高め るため教育を考える段階にはなく,独立の問題よりも,むしろ就学児童が増加するため,

その収容について頭を悩ます状態であった。

 つぎの表は1956年の北ボルネオにおける教育制度を示すもので,マラヤ連邦にくらべ劣 ることが判明する。

 第三の局面は1963年9月,マレーシア連邦結成以来,この国の当面している現代の教育 への新らしい挑戦である。新らしい国家は,この新らしい試みに対し統一した教育制度を 遂行することがいかに重大であるかについて気づいているのである。以下マレーシア連邦

に現在実施されている教育状態を述べることとする。

Figure 皿: COLONY OF NCRTH BORNEO EDUCAT工ONAL SYSTEM,ユ9561

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      ENGuS}i       VERNACULAR  1  1

ユ.Annual Report of the Education Department for 1956, Colony of North Borneo

(6)

3 独立後の教育の現状と問題点

 複合人種社会の現状を反映して,教育もまた多人種的になるのは止むを得ないことで,

マレー語をマレーシア連邦の国語として統一国家にふさわしいものにしようと努力してい

る。

 1961年教育法施行後マレーシアの教育は真の国家教育制度を確立し,そのなかで四つの 主要文化を保護し,且つ維持しながら,国語(マレー語)を主要教育用語とする方向で進

んでい『る。

 前述したように現在マレー語,英語,中国語,タミール語の4主要語を教育の媒体と した6年間の自由初等教育が一般に行なわれているが,マレー語と英語はすべての学校 で必修課目としている。別の言語の中等学校へ進む場合は,別に一年間の移動クラス

(Remove Class)を設うけている。

 学校の形態は全額国庫補助学校と授業料で足らない経費の不足分を国庫補助する学校と 独立採算の私立学校(Private Schoo1)があるが,全額無料化の方向に進んでいる。この 無料化の方向は,マラヤ連邦では1962年から始まっているし,サラワク(Sarawak),サ バ(Sabah)では1966年以来進んでいる。

 1960年のラーマン,タリブ報告書(Tke Rahman Talib Report)では,現在充分に 補助されている初等学校は,すべて無料にすべきであると勧告している。それ以前におい てさえ,マレー語を媒体とした国立の初等学校では,すべて無料であったし,重要な業績 は「カラチ計画」(Karachi plan)に明記された目標に合致させたのである。このプラン

(Plan)は,ユ959年12,月から1960年1月にかけて,アジアの17のユネスコ加盟国の代表 者がカラチ(Kar∂chi)に集って,これ等の国の政府,ならびにユネスコ(Unesco)に 対して,1980年までに少くとも7年間は教育の無料化と義務教育の目標達成するよう提案

したものである。このことは確かにすべての子供達に教育の機会均等を達成する方向への 第一歩でもある。

 故にマレーシア政府の公約は文部省をして新しいクラスづくりや先生並びに教育施設の 準備に熱巾させている実状である。    

 Assisted初等学校は6才になった全児童に入学資格があり,修了年限は6年で全国を 通じて言語は異なっても同じ教育課程で行なわれている。初等学校のみで,正味登録数は 1963年の初期にl14万人であったものが,1968年1月には136万人前ふくれ上った。これは 今後マレーシアに全人口の増加のきざしがあるからである。(ユ966〜1970)年の第一次マ

レーシア計画によると3%の割合で人口がふえるとユ970年中頃には,1490万人に達した。

このような急速な人口増加は,所得水準の向上をはかる努力や公共サービスを改善する努 力を払う重大な挑戦となることである。

 学校についてみると,1975年から1985年までの西マレーシアのみに限っても,見積り全

(7)

登録数はつぎのようになる。

  Table Vは……登録生徒数。

  Table V[は……(1970一τ985)の学校建設計画表。

      Tabie V

Pupil Enrolment,1957−1963(Malaya)1

Pupils in Assisted Primary Schools Pupils in Assisted Secondary Schools Teachers in Assisted Primary(隻 Secondary Schools

Nu.mber of Assisted Primary&

Secondary Schoo玉s

1957

933,!51 81,042

32,044*

4,272*

1963

=L,147,856  155,143

47,011

4,621

 *Primary schools only;figures for secondary schools are not   available.

1Based on figllres given in Educational Statistics of Malaysia 1938 to 1967

      Table VI

West Malaysia:Total Projected Enrolments In Schools!970−1985

Primary

Lower Secondary Upper Secondary Tota1

1970

000,s

1,450

 561

 84

i2,・95

1975

000,s

1,667

 703

 ユ61

撒il器、

L923

 857  247 2・53−3・・27

2,2!8 1,051

 342

3,611

 Source:Educational Planning&Research Division,

      Ministry of Education, Kuala Lumpur.

〔出所〕Education in malaysia p.98

 1964年3,月にマレーシア政府は,教育委員会の勧告を承認し,中等学校の入学試験を廃 止した。このことは,自動的に1965年以降は,小学校6年を修了した者は,全員3年間の 中等学校に進級することを意味するのである。中等学校において生徒達の特殊な要求にぴ

ったりあうような,彼等自身の教育適性とか,興味,それに教育のタイプーアカデミッ クとか,あるいはもっと他のタイプであるとか一を見出す手助けとなるであろう。

 中等学校は下級3年と上級2年に分かれており,下級3年修了時(15才)に下級教育修 了試験が行なわれ,上級へ進む者が選ばれる。1964年末に入学試験が廃止された結果,生 徒数も学校数も増加しつつあることは別表の通りである。

 中等学校5年の課程を修了した者には,6年次(:Form Six)入学試験の受験資格

(8)

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(9)

が与えられ,この結果とMaユaysia Certificate of Education/osc(Overseas School Certificate)の試験の結果を綜合して(Form Sixth)に進む者が決定される。これは

:H.S. C.(Higher School Certificate Exalnination)すなわち高等学校検定試験のため の2年間のコースである。

 H.S. C.はマラヤ大学とシンガポール大学の共同で行なわれ,これに合格した者はマ ラヤ大学ならびに海外の大学への入学資格をもつことになる。

 15才で中等学校上級コースに進まなかった場合,他に3年間の各種職業訓練学校(建 築,機械,電気,商業,農業,家政,その他),また師範学校に進む道がある。

 高等教育機関としては,カレッジと一つの総合大学(マラヤ大学)がある。カレッジ

(Colleges)は中等学校5年を修了した者に受験資格があり,年限3年で,教育養成,工 業,農業,家政,商業等があり,大学受験資格を得ることができる仕組となっている。唯 一の大学であるマラヤ大学は1961年のマラヤ大学法に基づいて設立され,農学部,工学 部,経済学部,文学部,理学部,薬学部,教育学部の7学部がある。 (1965年ユ2月31日現 在)つぎの図表は,現在のマレーシア連邦のうちで最も教育の進んでいるW.Malaysia

における教育のパターンである。

 この制度の下で,すべての生徒は二つの幅広い科目群,換言すれば,中心となる必須科 目は,すべての生徒に強制し,選択科目はその一つ又は二つを任意に選択させるのであ

る。

 中心となる必須科目は,国語,英語,歴史,地理,社会科(歴史,地理の代りに)公民 学,科学,数学,美術工芸,音楽と保健体育である。選択科目は産業上の技術(木細工,

金属細工,一般製図,基礎電気,基本的機械力学)家庭学,農業学,一般商業実践であ

る。

 この制度は,その本質的特徴として教育指導や忠告するための準備であり,また生徒達 が初等学校に入学してから,将来一人前になるに役立つ科目の選択するときに,指導を受 けなければならない時まで,生徒の学力の進歩や肉体的社会的,そして知的な発達を示す 累積的記録カードを維持することである。

 旧制度の下では初等学校生徒数の30〜35%ぐらいが,中等学校へ入学許可が与えられて いた。それが1967年までに,その状況が好転し,その年に,6年生の93%までが中等学校 へ入学したのである。

 そしてまた女子教育が,この国の総合的教育経済計画の中で一層重要になりつつあると いう事実を説明しておかなければならないのである。両親達は息子達の教育同様に下達に

も,教育をうけさせる必要があることに気づいている現状である。

 つぎに一層必要性があるものは西マレーシア,サバ(Sabah)地区やサラワク(Sara−

wak)地区における教育上の諸要求を充足する問題である。1963年から,マレーシア政府 は,地方住民に対する教育施設の充実に大いに貢献した。この教育施設というのは,新築

(10)

の建物,教育装置と書物,マレー語学校の教育水準の改善のため現職中の指導コース,マ レーの小,中学校によく訓練をつんだ教師の配置をすること,地方にマレー語の中学校を 設立したり,又遠隔地に住んでいる生徒のために寄宿舎を提供することや,更らに大学予 科の設置,そして上級,下級の中学生のために奨学金制度を拡充すること等を含んでい

る。

 これらの教育施設は社会の安定と公平を期するため,地方と都市部,もたざるものと,

もてるものとの不均衡を是正するために,提供されたのである。しかし教育上の諸施設を 提供しただけで,すべてが解決するものでない。最終的には第一に両親と教師の意志,努 力と責任感,第二にマレーシアの農村地帯の生活の前途や生活様式,第三に他のいろいろ な地方発展計画の成功にかかっているのである。

 つぎの表はサバ(Sabah)地区とサラワク(Sarawak)地区における教育施設の大要で あるが,やはり,西マレーシアの施設と比較して劣っていることがわかる。これを西マレ ーシア地区と同じにもって行くことに重大な問題がある。

(11)

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(12)

    4 マレーシア統一のたあの教育の役割

 マレーシア連邦が政治的統一体となれるかどうかは,一つの国家形成するため,またこ の国に住んでいる多種民族の聞にマレーシア人としてのマレーシア意識をもつようにする ため  これは新らしい連邦にサバ(Sabah)やサラワク(Sarawak)という北ボルネ オの各地域が参加するようになって,民族数の増加のため益々必要となったことである が一この国の多民族を,いかにうまく統一できるか,どうかにかかっている。ユ963年人 口及び人種別は次表の通り。

      Table V旺

       Pρp111ation of Malaysia,1963

Indigenous peoPle Chinese

Indians(島Pakistanese Others

Tota1

Malaya

3,620,000 2,670,000  813,000  129,000 7,232,000

Sarawak Sabah

529,000 243,000

 8,000

320,000 ユ10,000

45,000

780,000 475,000

        Scurce:Malaysia in Brief, Kuala Lumpur,1963.

その増加傾向として,次表がこれを証明している。

マレーシアの人口は,最近の国勢調査によると,つぎのようになっている。

      Male     Female     TotaI   West Malaysia    4,604,227   4,414,609   9,018,836

  Sabah      327,328       295,ユ52       622,480

  Sarawak         473,309     460,300     933,609

       5,404,864      5,ユ70,061     ユ0,574,925

 note: as at 30th June,1969.(West Malaysia)

     as at 31st Dec,1968(Sabah, Sarawak)

  〔出所〕Malaysia Year Book,1971

 人種の肉体的相違の上に言語の多様性は,また文化の多様性がみられることである。か くして,現在のマレー文化は土着の伝統に基づくものであるが,インドからのヒンズー教 の影響やアラブ世界からのイスラム教の影響によって形成されてきたものである。中国人

もまた儒教,道教,大乗仏教の混合物でもって,彼ら自身の独特の文化をマレーシアにも たらした。一方では,インド,パキスタン,セイロンからの移民は,ヒンズー教,イスラ ム教,小乗仏教をもたらした。サバ(Sabah)サラワク(Sarawak)において、土着民 は,インド,中国ほど知的に合成されてはいないが,はるか昔からの文化,少くとも,そ れに匹敵する程度の興味と独創力,知力と活力の存在をコンスタントに示している芸術,

(13)

技術と習慣を保ちつづけている。また西欧諸国もまた過去5世紀にわたる,この地域との 結びつきによってマレーシアの文化的,宗教的遺産のわけまえに貢献している。

 1957年に,マラヤが特立した時,新らしく選出された政府は,その第一歩として,三大 種族(マレー人,インド人,中国人)の人種的グループの統一を達成することであった。

そして,これは,今までのバラバラに分離していた教育制度一すなわち,英語を媒介と した制度,マレー語を媒介とした制度,中国語をを媒介とした制度,タミーナル語を媒介 とした制度一を統一することによってなされた。

 マラヤにおける教育政策の最終目的は,国家の教育制度のもとにおいて,あらゆる人種 の子供達を同じように取扱わなければならないと確i貸していると,1956年の教育委員会の 報告書で述べられている。マレーシアにおいても,この統一の要求は,国家が政治的,

経済的そして社会的に成功するためには,緊急事であることは言を侯たないところであ

る。

 先ず第一に,将来のために教育政策一政治的,学術的に,文化的に,また経済的に,

国家に最も役立つような政策一を導き出すたあに,教育施設は勿論多種多様な制度を徹 底的に調査を行うべきである。

 教育はマレーシア憲法においては連邦政府の責任ではあるが,サバ(Sabah)サラワク

(Sarawak)は,一方では中央政府に服従しているが,国家の教育政策が完成される時期 において,最:終的発言権をもっている。教育行政の調整は,行政活動によっては達成でき るものではなくて,論議や相談や説得によってのみ達成できるものである。そして,これ は,共通のアプローチを求めて早急に探索を開始することが最も重要なことである。

 故に国家的統一のために,この国を構成している三つの地域に共通的且つ受諾できる国 家的教育制度を立案する必要がある。疑いもなく,それは各地域に存在する特殊な事情を 斜扮するよう弾力性をもたせねばならない。然し基本的構造は,すべての三つの地域に共 通的であるべきである。

 この点に関して1.A. B{n Baki氏もつぎのように述べている。「マレーシアを構成し ている各地域において,教育政策実践や学校の教科課程を,それぞれ別々の方法で行うこ とを許すことは,この国の将来にとって喜ばしいことではない。異なった制度や政策を統 一することが早ければ早いほど,非常に望ましい統合が,早く実現するであろう。教育政 策や教育実践が,その実施が少しでもおくれることは,一年や二年のおくれではなく一世 紀のおくれを意味するのである。」と。

 国家的教育制度の計画を立案する件に関して意見が分かれているものよりは,むしろ一 致しているものから始めることが最もよいことである。公分母的には,マレーシアの各地 域のすべてがマレー語を国語とすることで同意したということである。これは,現在の異 なる制度から共通の制度へ移行を達成することは,価値あることである。

 中央政府によれば,国家的制度が発展し得る三つの基本的概念は,第一に共通の内容の

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教授細目第二に共通の言語,第三に共通の公的な試験である。と。して政府もこの三つの 基本的なものに力を注いでいる。

1)共通の言語について

 ある国々においては,共通の言語の問題は解決するに比較的簡単なことである。なぜな ら,殆んどすべての生徒達が単一民族の出であり,単一の言語を話すからである。

 アメリカ合衆国においては,言語は確立されており,すべての生徒達は,たとえ母国語 が何であれ,教授するときの媒介となる言語が,英語である公立小学校に通学する。移民 の一代目は,しばしば,彼らの母国語を用いつづけても,二代目ともなると,英語を使用 している。一方スイスにおいては,三つの公用語の分布の境界は,明瞭に限定されてい る。しかしマレーシアにおいては非常に多くの言語が一般に使用されており,ある主要な 言語圏と,他の主要な言語圏とをわける地理上の境界は何ら存在しないで,その情況たる や,極めて困難である。マレーシアは異民族の統一を達成する手段として,「国の言語」

を使用することを決定した。連邦憲法第152条につぎのように述べている。

 「国の言語」はマレー語である。国会は公用語を決定する権利をもっている。1967年ま では,英語が公用語として用いられる。そして,その時まで英語はすべての議会の法案や 法律に用いられね・ばならない。同様にマレー語と英語の両方とも,国会や州議会で話され

るであろうが,最高裁の言語は,議会が他の方法を決定するまで英語が用られる。と。

 この決定の実施を促進するため,1956年クアラ・ルンフ。一ル(K:uala Lumpur)に言 語と文化に関する政府機関が設置された。この機関は,マレー語をひろめること,マレー 語のテキストを作成するとと,そしてマレー文化の研究を奨励する責任をもっている。

またクアラ・ルンフ。一ルには,1956年に開設された語学協会がある。そこは,中国語,英 語,タミーナル語の学校において第二国語として,マレー語を教える特別の教師の訓練に ニケ年コースの設備がある。r国の言語」の育成と発展は,この国の国家政策の重要な目 標の一つである。それは国家統一の基本的手段であり,国家教育政策の重大な特徴である

と考えられる。この理由で,マレー語を媒介とした教育は小学校から中学校まで教育制度 を通じてすべて無料である。

 国の言語(マレー語)を教えることは,学校の子供達に強制的に行なわれた。それは,

地方試験,すなわち,下級教育修了検定や教員養成大学の試験における必須科目として採 用されている。長期の教育政策はすべての子供達が結局のところ,少くともマレー語と英 語の二国語ができるようにすることである。

 マレーシアがこの国の言語教育に重点をおくことは,適当であり理解できる。しかし同 時にマレーシアの教育制度に,英語を正しい位置づけをするのは,必要1生がそうさせるの である。英語は商業上価値があり,現在,また近い将来より高い学問をする踏み石でもあ

り,国際語からでもある。また英語は国際会議や商業,世界のテキスト・ブックや文学に

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おいて,支配的地位を確保していることを認めているからである。「英語を自由にあやつ る力は,われわれマレーシアの財産の一つである。」と。教育評議会は報告している。前 任の文部大臣が就任したときの最初の声明の中で,内閣のほとんどすべてが,第二国語と

しての英語の重要性を,認識しているという点を強調したことでもわかる。

 目標は,はっきりしており,絶対的に遂行すべきものである。小学校において,マレー 語を媒介言語として教育する傾向がふえてきているし,マレー語を使用することを増加さ す過程は,訓練された教師が役立つようになるにつれて,あらゆるレベルで続けられるの である。政府はマレー語をすべての教員養成大学において,必須科目とした。故にマレー シアでは1970年以後順次変化が見られる筈である。1982年までに毎年一学年つつ行なわ れ,あらゆる科目に媒介言語としてマレー語が用いられ全手続が完成する予定である。

2) 共通内容の講義要目について

 国家的統一を遂行せんとする目的をもつ教育政策の第一の要素は,共通内容の講義要目 に関連をもっている。過去において,いろいろなタイプのカリキュラムをかかえた,雑多 な教育制度のあったマレーシアにとって,これは特に重要である。独立以前は西欧の先入 感をもった英語を媒介とした学校が,存在していたし,中国から輸入された中国語学校が 存在し,更らにインスプレーション的にインドを見るタミーナル語学校が存在していた。

 もしマレーシア連邦が国家的意識をもつべきであるならば,またそれをもたらす主要な 要因の一つとして教育を期待するとしたならば,その時は,共通の講義要目をもつこと が緊急且つ避けられないものである。

 1956年,教育委員会は,つぎのことを強調した。 われわれは小学校全部に共通の講義 要目を確立することが必要であると考える。このことは,教育制度の重大な特徴であり,

全額補助か部分的補助かあるいは,全く独立したものであれ,すべての学校は文部大臣に よって認められた講義要目や時間割を守らなければならない。 と。

 現在の中央カリキュラム委員会は,西マレーシアにおけるすべての学校で使われる講義 要目やカリキュラムを作成する責任があり,生徒達がマレー語か英語か中国語あるいはタ ミーナル語で授業をうけようとも,同じ科目を同じ方法で勉強しつづけられることを保証 している。しかしながら,時間割は,生徒自身の言語や文化にて適当な教授を受けやすい ように充分弾力性があるものである。

 ラザック報告書(Raz∂k Report)によると,中国人学校は,もし彼等が国家的教育制 度に参加すれば,政府の学校と同じ地位を与えられるし,充分な補助も受けられることに なっている。

 この共通の内容の講義要目は,政府の方では,必要以上にむつかしくしないように気を つかっている。この目的のために,例えば語学の講義要目は重要でない部分はどうずれば 切りつめることが,できるか考える必要がある。先ず第一の要点は,生徒達が容易に,且

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っ正確に話したり,読んだり,書いたりできることであり,教育は主として,この目的に 直結しなければならない。これは語学や文学を除いて,中等学校の教育媒介の言語が,マ レー語か英語であるので,マレー語が英語で,公的試験をうけるよう訓練されるであろう ことを意味している。これを促進するために,中央政府は,つぎの三つの事を履行しなけ ればならぬ。

 第一に政府によって養成された先生達が国家制度に参加できるよう選ばれ,学校に役立 つようにすべきで.ある。これら先生達がマレー語か英語で,下級中学校レベルで各教科を 教えられる筈である。

 第二に1960年教育再審委員会(Education Review Committee)の報告書によって暗 示されているように,このような学校の生徒達は一年の猶予期間が与えられるべきであ る。事実現在,行われているのだが,進級クラス(the Rernove Class)に入るこれらの 生徒達のために,マレー語あるいは英語で要求される水準にまで彼等を引き上げる目的を 主としてもっているからである。彼等が中学校入学の時に,マレー語の小学校,あるいは 英語学校からのマレー人の生徒達と対等の地位におくためである。

 第三に政府は充分な補助を決めた学校に対しては,まだ訓練されていない先生達を訓練 する先生を配置しなければならない。またこれら基礎のできた先生達の生活を安定さすべ きである。しかし,充分銘記すべき点は,いかなる手配でこの国の統一が決定されるにも せよ,相当な考慮が生徒自身の利益になるよう払われることである。これは雇用の見通し や市民の責任に関して,旧教育制度の弊害が殆んど除去されるであろう。

3)共通の公的試験制度について

 ラザック報告書(The Razak Report)はつぎのように勧告している。 連邦試験理事 会(Federa1 Examination Syndicate)は公的な試験,特に中学三年以上に進級を認め

る選抜試験(下級中等教育修了証明)と国家的教育修了証明(ケンブリッジの学校修了証 明と匹敵するもの)を審査する試験に対し,責任をもって対処すべきである。 と。そし てこの報告書によると,これらは官制の公的試験や国家の中等教育制度の輪止めであるか

ら,国家の公式の言語で指導されるべきであると。

 教育政策の現存する基本的目的を調和させる方法は一この国の文化を保持しながら同 時に国家意識を創造することであるが一初等教育の段階では,家庭で用いる言語で教育 を指導すべきである。子供達をある言語で教育し,他の言語で試験し,その後中学校で用 いている言語,そして人種的差異に基づいて調整するということは,合理的でも教育的に

も健全でないからである。

 国家統一のために,可能な目標は,学校への国家補助制度から,自治体の中等学校を取 り除くことである。そして過渡的段階では,すべての人種の生徒達が媒介言語が,マレー 語か英語であるような国立あるいは国立タイプの中学校に入学することであり,最終的な

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段階でただ一つのタイプの学校,すなわちマレー語と英語で話し,また彼等が望めば三つ あの言語を学び得るような国立学校に入学することを保証することである。この政策から すれば,中学校のレベルでの公的試験は,マレー語か英語で指導されることになる。

 結論としてはマレー語または英語のいずれかを媒介言語とする試験の準備をすれため に,国立あるいは国立タイプの充分な補助のなされた学校において生徒達にマレー語ま たは英語をよく身につけさせることが必要であるということである。それ故に生徒達があ る一つの言語をつかっていた小学校から,他の言語を用いる中学校へ進学するときに,

媒介言語の変更を便宜なようにする必要がある。西マレーシアにおいては「移動クラス」

(Remove Class)一サバ(Sabah)やサラワク (Sarawak)では「橋渡しクラス」(Bri−

dge Class)という用語が使われている一は特にこの目的のために設立されている。す なわち,中等学校の媒介言語と別の媒介言語で小学校教育を受けた生徒の援助をするため のものである。それ故にクラスは主としてマレー語が英語を教えることに専念することに なる。この調整によって,生徒達はマレー語か英語のどちらかで,下級中等教育修了証明 を受ける前に,さらに三年間マレー語又は英語で教育を受ける準備をすることができるよ

うにするのである。

 マレーシアの教育制度においてはすべての学校でマレー語,英語をある一定の水準まで 格一的に進歩させようという要求をみたすことが望まれている。単に人種的語学上の方向 に基礎づけられた本国語教育の廃止は,母国語や母国の文学の研究は勿論生徒自身の文化 を犠牲にするものでもないし,してはいけないのである。そして個人の文化の増進は,国 家的教育制度においても,これをさまたげてはならないのである。一度政策の精神が定着

し,理解されれば,啓蒙された且つ責任ある意見の影響力は広く行きわたるであろう。

 共通の言語,共通の講義要目と公的試験の三つは,マレーシアの国家意識の伸長と将来 の展望において非常に重要な役割を背負うであろう。それは彼等子供達の人種的起源にか かわりなく雇用の見込みやマレーシアの完全な市民となる手段において,子供達に平等の 機会を与えることになるからである。

5 将来の展望

 以上マレーシア連邦の教育について戦前戦後及び独立後に分けて眺めてきたのである が,将来の展望として,マレーシアという新らしい国家は初等教育の無料化を押し進めな がら中等教育の再建ということと結合して,より力強く教育を推進すべきである。

 両者は,国家は勿論個々の生徒達にとっても,有益であり,教育の機会均等という方向 へ導くものであり,且つすべての人々にとって,今後よりよい生活を約束するものであ

る。

 マレーシアにおいては,教育についてはつぎの四つの事柄が教育を遂行するに当って,

よりよい助となるであろう。

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 (1)賢明な教育政策

 (2)諸条件の変化に耐えうる有効且つ弾力性ある行政機構  (3)諸綱領を訓練し得る健全な教師

 (4)立派な連邦検査官

しかし,マレーシア連邦が自国の教育上のプログラムを実行するに必要な資金を供給する 絶えざる健全な経済力を必要とするのである。これは技術教育ならびに広範囲に政治的安 定によって支えられたマレーシアの産業化の比率によって定まるものである。更らに,こ こに至ってマレーシアは相互の利益に基づく友邦諸国の支持をもつことも必要であること を銘記せねばならない。

 もしマレーシア連邦が賢明な政治的指導によって,今後必要な政治的,経済的安定が得 られるならば,マレーシア連邦全国民に受け入れられる国家的教育制度を通じて,未来あ る展望を望みうるものである。そしてマレーシア連邦の全国民は,自分達の必要を満足さ せ,更らに国家として自分達の文化的,社会的,経済的,政治的な発展を増進させて行け

るであろう。       以上

Figure ll MALAYAN EDUCATIONAL SYSTEM, l956 Diagram showing the progress of pupils under the        recommended education policy        PRIMARY SCHOOLS A STANDARD SCHooLS  Malay Medium B  STANDARD‑TYPE    SCHooLS English, Chinese,    Tamil    Medium        

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