井川の観光とその可能性 : 持続可能な発展を目指 して
著者 秋山 絵美里, 深澤 佑輔, 古田 直人
雑誌名 葵区・井川. ‑ (フィールドワーク実習調査報告書
; 平成23年度)
ページ 75‑102
発行年 2011
出版者 静岡大学人文学部社会学科文化人類学コース
URL http://hdl.handle.net/10297/6329
井川の観光とその可能性
持続可能な発展を目指して
はじめに
1 井川という地域の現状分析 1 . 1 限界集落としての井川
1.2観光化への過程
1.2. 1
物質的変化
1.2.2住民意識の変化
1.3賑わう井川
2
井川における観光の現状と課題
2. 1井川の観光の現状
2. 1. 1
ダム建設が残したもの
2. 1.2立地条件
2.1.3
行われている観光事業
2.2地域活性のための課題
2.2.1
行政・企業との連携
2.2.2住民同士の協力
3温泉・自然資源"食の有効活用
3. 1
温泉に関する先行事例
3. 1. 1井川の温泉の利用
3.2自然に関する先行事例
3.2.1
井川の自然資源の利用
3.3食に関する先行事例
3.3.1
井川の食の利用
3.4フュージョンツーリズム
4井川線の有効活用
4. 1
井川線の概要
4.1. 1井川線の歴史
4.1.2
井川線の終着駅としての井川駅の 現状
4.2
井川線延長計画について
4.3
地元地域と協力し合うローカル線の 事例
秋 山 絵 美 里 、 深 津 佑 輔 、 吉 田 直 人
4.4
考察・提案
5
地域が一つになるために一一周辺地域と の協力
5. 1
七つの限界集落
5.2周辺地域との競争
5.3祭りの開催
5.3.1
よさこい祭りの例
5.4これからの観光
5.5
持続可能な発展を目指して おわりに
参考文献・参考資料・参考 H P
葵区・井川
はじめに
余暇活動に価値が置かれるようになった現代では、観光としづ余暇利用の形態が拡大し てきている。経済的にも大きな影響のある観光は、多くの国や地域で、開発の一環または 地域活性の一環としても重視されている。観光関連産業は、
21世紀の重要な産業となりつ つあり、これからも拡大していくことが予想される。文化人類学としづ学問では、このよ
うに巨大化しつつある観光とし巧現象と文化との関連を検討する研究として、観光人類学 とし寸分野がある。これまで、近代的な現象である観光というテーマは、伝統文化に関心 をよせる文化人類学においては敬遠されてきた。ところが
1970年代頃から、観光客という 存在によって、観光する対象としての文化・伝統の再構築が行われていることが明らかに なり、これまで主張してきた「伝統」や「文化Jの不確実性が注目されることになる。以 後、観光は文化人類学の正当な研究テーマとして扱われるようになり、
1980年代にはポス
トコロニアノレ時代の新たな社会問題に対応する研究のーっとして、観光人類学は急成長し ていった。観光人類学では、観光というテーマを多角的に扱った研究が行われている。中 でも、旅行者(ゲスト)の観点からではなく、旅行者を受け入れるホスト社会に注目し、観光 としづ現象がその社会に与える影響を調査することは、観光人類学の大きな研究テーマと なっている(山下編
1996)。
そこで、私たちの班は、井川│の観光に焦点を当て、「他地域と比較しながら、観光人類学 的視点で井川における観光の現状を分析・考察する
Jという研究設聞を設定し、現地調査 を行った。研究設問の意義は、井川における観光の現状の分析と他地域との比較によって、
客観的な現状把握をし、観光による井川の将来的な活性化可能性を見出すことである。
論文の大まかな構成は、まず、井川とし、う地域の概要と歴史的変遷を述べ、次に井川の 観光に着目し、その現状分析・課題を提示し、最後に他地域の取り組みを例に挙げながら 井川│の地域活性に関して私たちなりの提案を打ち出す、となっている。詳しい論文の構成 については目次を参照していただきたい。なお、地域活性化に関する提案部分については、
少々理想論的な内容となってしまっている部分もあり、実行するには現実的でないという 指摘を受ける可能性を含んでいるということも理解していただきたい。
井川でのフィールドワークを通して得られた私たちの調査結果が、地域の方たちがもう 一度地域の現状を把握し、地域活性の手段としての観光に希望を見出すきっかけとなれば 幸いである。そして、井川もしくはそれに類似した地域にとってこの論文が少しでもよい 影響を与えてくれることを願ってやまない。(秋山絵美里、深津佑輔)
1
井川という地域の現状分析
ここでは静岡県静岡市に存在する井川も含めた
7つの限界集落について簡略に述べた上
で、そこから見えてくる井川という特定の地域について書いていきたい。
1.1
限界集落としての井川
限界集落とは、「過疎などによって、
65歳以上の高齢者の割合が
50パーセントを超える ようになった集落J
(Wデジタノレ大辞泉』より)のことである。井川では過疎化・少子高齢化が 進んだことにより、昭和
35(1960)年に
8000人であった人口は
2011年現在わずかに
600人 となっている。そして井川の高齢化率は
55パーセントであり、限界集落と定義することが できる。
静岡市には、井川も含め、梅ヶ島、大河内、玉川、大川、清沢、両河内の七つの限界集 落と呼ばれる集落が存在している。これらの集落は全てが海に面した場所には位置してお らず、南アノレプスを望む山間部に位置している。静岡市ではこういった山間部の地域のこ とを、オクシズ(奥静岡)と愛称をつけて平成
22(201ω年よりインターネットなどを活用して
PR
活動を行っている。この奥静岡、通称オクシズ地域は主に四つの地域に分類することが できる。それは、奥大井、奥藁科、安倍奥、奥清水の四つである。奥大井には今回のフィ ールドワーク実習で訪れた井川地区が含まれている。また、奥藁科には大川、清沢地区、
安倍奥には梅ヶ島、大河内、玉川地区、奥清水は両河内地区が含まれている。この
7つの 限界集落のそれぞれに静岡市の静岡市中山間地域振興課という部署から、平成
21(2009)年
7月より、集落支援員という役職の人が派遣されている。彼らは担当する地域の現状とそこ から浮かび上がってくる問題点を明らかにして、その地域で今後どのようにし℃地域活性 化を図っていくのかということを行政の視点から行っている。今回、フィーノレドワーク実 習で訪れた井川地区も例外ではなく、集落支援員と呼ばれる人が静岡市から派遣されてお り、井川の地域活性化について様々な提案を行っている。今回のフィーノレドワーク実習で お話をうかがった集落支援員の
Aさん
(60代男性)は、井川には道の駅がないので、「井川山 の駅
jを作ってはどうか、元々井
JII住民の交通手段の一つであった渡船を今以上に観光客 向けにできないか、といった提案を行っている。
さて、ここからは限界集落としての井川地区について書いていきたい。ここで、一番述
べたいことは他の限界集落には見られない井川地区の特徴についてである。それは、井川
地区は七つの限界集落の中で唯一独自に観光協会と呼ばれるものを持っているということ
である。そして、この井川の観光協会と集落支援員(静岡市)が連携して井川の地域活性化に
ついて考えているのである。また、静岡市と井川の住民たちの間を取り持つ役割を果たす
機関として井川支所がある。この井川支所はかつて「陸の孤島」と呼ばれ
i、静岡市葵区の中
心部から離れた場所に位置する井川が他地域との聞にサーピスの質等に差が生じないため
に設置されたものである。井川支所は常に住民のそばで住民の声を集約し、それを市に報
告したり、また反対に市からの要請や提案を住民に知らせる役割を担っている。静岡市と
井川の住民をうまく結び付け、両者の意識の差を埋める潤滑油的な役割を果たす存在とし
て井川支所は非常に重要な機関といえる。静岡市で他に支所という機闘が設置されている
場所は駿河区に存在する長田支所、清水区に存在する蒲原支所である。このような他の限
界集落の地域にはみられない静岡市、井川支所、井川の観光協会、そして井川で暮らす住
葵区・井川 i
民といった様々な立場にある人々が井川の地域活性化に取り組んでいる。そしてこのよう な特徴を持った井川を語る上で忘れてはならないことがある。それは井川ダムの建設であ る。かつて、 I 陸の孤島Jと呼ばれた井川にダムが建設され、どのような変化が生じたのか。
それを物質的な変化と住民意識の変化とし、う両側面から検討していきたい。
1.2
観光化への過程
この節では井川がダム建設によってどのような変化を遂げていったのかを物質的変化、
住民意識の変化というこつの側面から述べてし、く。
1.2. 1
物質的変化
ここでは井川ダムの建設が井川にどのような物質的な変化をもたらしたかということに ついて述べる。昭和 30年代に行われた井)1 1 ダムの建設の詳細については第 3章を参照して いただきたい。
ダム建設が行われたことは井川にどのような物質変化をもたらしたのだろうかといえば、
まず初めに挙げられることは道路や鉄道(井川線)などといったインフラストラクチャーの整 備が行われたということであろう。ダム建設以前、陸の孤島と呼ばれていた井川地区に道 路が整備されたことは、井)1 1 に人が集まる上では非常に大きな役割を果たしたといえる。
また、井川ダム建設に際して、作業員や現場指揮官など多くの人々がやってきたのだが、
そういった人々が宿泊できるような施設が当時井川にはほとんど存在していなかった。そ こで多くの旅館、民宿といった宿泊施設が作られた。井川ダム建設を契機にこのようにし て宿泊施設や娯楽施設を経営する人が増加し、井川における職業の変化が井川ダム建設に 際して生じたと考えることができる。このようにして作られた宿泊施設は現在も井川に存 在している。
以上のように、井川ダムの建設が井川地区の物質的変化に大変な関わりを持っているこ とが分かるのではないだろうか。
1.2.2
住民意識の変化
次に、井川ダム建設の前後で井川地区の住民の人々にどのような変化があったのかにつ いて述べていきたい。井川ダム建設に関して住民の意見は賛成、反対に分かれた。このこ とに関しては第
3章を参照していただきたい。ここでは、住民の人々がダム建設に賛成だ ったか、反対だったかということについての議論はしない。ここで一番重要なことは、井 川ダム建設が井川の住民の意識に差をもたらした、ということである。先ほども述べたよ うに、井川ダム建設に際して、新たに宿泊施設の経営を始めた人々は井川│が今後より開発、
観光化されていくことを望んだで、あろう。一方、従来の農業を生業としていた住民の人々
の中では井川が開発され、観光化が進むことを望まなかった人々もいた。このような意識
の差が、井川が一つにまとまっていけない状況を生み出したのではないだろうか。
1.3
賑わう井川
さてこのようなダム建設を契機として隆盛を見せた井川で、あったが、その後昭和
34(1959)年に日本で山ブーム、秘境ブームが訪れ、それに乗じる形で井川には井川線を利用して井 川にやってくる観光客たちによって賑わいを見せることになる。このように賑わいを見せ る井川であったが、その後、山ブーム、秘境ブームも終わりを告げると井川を訪れる人々 の数は年々減少する一方であった。その中で、井川の観光の現状はどうなっているのであ ろうか。次の節ではそのことについて考えていきたい。(古田 直人)
2
井川における観光の現状と課題
井川の観光の概要について述べる前に、まず、日本圏内の観光の現状について述べたい。
国内宿泊旅行者数は、
1990年までは緩やかな増加の傾向がみられたが、その後現在に至る まで、ほぼ横ばいの状態である。また、
1990年代に入ってからは、国内旅行における消費 単価は年々下落している傾向にある。
1毒
抗 措 品 開 事
総 議 運
R蟻
議審議総諸説灘鱗
図 1
. 圏 内 宿 泊 旅 行 者 数 ・ 消 費 額 の 推 移
出 典
W2001年まで:財団法人日本交通公社、
2002.2003年・株式会社ツーリズム・マー ケ テ ィ ン グ 研 究 所 推 計 』
圏内旅行の全体の傾向として、団体旅行の需要のさらなる低下、個人旅行の消費の停 滞、高価な旅行と安価な旅行の需要の二極化が進んでいる。また、交通機関の発達によ る移動の効率化により、日帰り旅行の形態が増加している。女性グ、ループ
ρの小旅行や、
スポーツレクリェーション旅行など、日帰り旅行市場は、今後ますます拡大することが
予想される。旅行形態のニーズとして、有名な観光地を巡るよりも、 l~食べ尽くしツ
葵区・井川
アー」や、 I r‑...‑ゆかりの地めぐり J などの、旅行者個人のオリジナリティを重視したテ ーマに沿った旅行の人気が高まっている。このような流れの中で、同じ趣味や噌好を持 つ人々が集まって、その趣味をテーマにした旅行を企画するという、近畿日本ツーリス トのクラブ・ツーリズム事業なども登場した。それに伴い、より専門的な観光資源の解 説を行うことのできる観光ガイドに対する需要も高まっている。この節では、そういっ た圏内観光状況下での、井川という地域の観光の現状を述べていく。
2. 1
井川の観光の現状
井川では、ダム建設以後、南アノレフ。スをはじめとする豊かな自然、その自然をさらに 活かすためにつくられたキャンプ場やスキー場などの娯楽施設、大自然の中を走るアプ ト式電車、「南アルフ。スあぷとライン
J1.!::いった観光資源を利用して、観光化が進めら れてきた。とくに昭和
30年代以降、次々に観光関連施設が整備され、様々な観光イベ
ントも実施されるようになった。しかし現状では、観光地としての井川は成立していな いようだ。第
2節で述べたとおり、昭和
30年代に行われたダム建設は、物質的にも意識的 にも井川に大きな変化をもたらした。ここからは特にそのダム建設による現在の井川にお ける観光への影響に注目し、井川における観光の現状をさらに詳しく述べてし、く。
2. 1. 1
ダム建設が残したもの
千頭と井川を結ぶ井川線は、本来はダム建設の資材を運ぶ目的で作られた。現在では、
南アノレプスあぷとラインの愛称で、各駅に観光スポットを作るなどして観光利用がされて おり、大井川餓道が中心となって駅や駅周辺を含めた観光化への取り組みがすすめられて いる。また、この電車は国内唯一のアプト式機関車でもあり、多くの鉄道ファンの人気も 集めている。井川線の利用者が特に多いのは秋であり、その時期は紅葉を目的に訪れた多 くの観光客で車内もあふれかえる。しかし、井川線の問題点は、多くの利用客が訪れる紅 葉シーズンを除くと、通年では利用客が少ないということだ。実際に私たちが利用した時 期
(6月中旬)はほとんど他に乗客がいなかった。あくまで大自然の景観を楽しむ観光を目的と
しているため、もちろん井川に住む人々が普段利用することはない。
宿泊施設についてみると、前節でも触れたように、井川に点在する民宿や旅館の多くは ダム建設時に作業員や電力会社の社員を受け入れるために作られた。厳密に言えば、ダム 建設前からも旅館は存在していたが、ダム建設時に増設された宿泊施設がそのまま残って いるというケースが多い。現在、井川地区には約
16軒の宿泊施設があるが、現在でもダム の関係者が利用することが多く、純粋に井川の観光目的とした利用客は少ないそうだ。施 設側もその状況を受け入れており、積極的に観光客を呼び込もうとはしていない様子だ、っ た。かつてダム建設によって人口がピークに達していた頃の井川では、映画館やパチンコ などの娯楽施設も井川には存在していた。しかし、ダムが完成すると、それまで人口の大
1大井川銭道井川線のことを指す。以後、「井川線」と表記する。
部分を構成していたダム関係者は徐々に井川を去っていき、人口の減少と共にこのような 娯楽施設やいくつかの宿泊施設は姿を消していった。詳細なデータは第
3章を参照していただきたいが、ダム建設に伴うピーク時の人口は約
8000人で、現在はその
10分の
1以下 の約
600人である。ダム建設時にはインフラストラクチャーの整備も行われ、交通網が発 達したことにより、アクセスが容易になったとも言えるが、それと共に人口の流出もあっ た。井川の人口の推移を見ると、ダム完成後から現在までの人の流れは、少なくとも流入 よりも流出が上回っていたと考えられる。
このように、ダム建設をきっかけとして、井川には、旅館や民宿、鉄道のような観光資 源が突然投入された。また、インフラストラクチャーの整備、主に道路の整備により、市 街地との距離もわずかながら縮まった。井川はもともと観光とは縁のなかった土地であっ たにもかかわらず、ダム建設によって残された資源を有効活用するために、地域活性の手 段としての観光が考えられるようになったのである。つまり、井川の観光化の始まりは必 然的なものではなく、ダム建設による偶然的なものであったため、他の観光地と比べて計 画性と一貫性に欠け、観光地であるとも言い難くなってしまっているのだ。
2.1.2
立地条件
前にも少し触れたが、ここでは井川の立地条件について述べる。ダム建設当時に行われ たインフラ整備によって、現在のような道路が整備された。しかし、市街地から車で約
2時聞かかり、自然災害の影響を受けやすく、たびたび土砂災害や濃霧の影響を受ける道は まだまだ快適な道とは言えないだろう。観光地にはアクセスのしやすさが求められるが、
井川地区はこのように静岡市街地や他県からアクセスしにくいという問題がある。また、
静岡市街地と井川を結んでいた唯一の路線パス、しずてつジャストラインは平成
20(2008)年に撤退した。その理由は大型のパスでは乗り入れできない狭い道があることや、ォ d シ
ーズンの利用者数が少ないことによる赤字だ。しずでつジャストラインのパスが撤退した
翌年からは、静岡市が自主運行パスを運行している。こういった交通環境の悪さが、観光
客のような一時的な人の流入はもちろん、移住による長期的な人の流入の妨げとなってい
ることは事実だ。
葵区 ・ 井川
写真
1山々に固まれる井川本村
2.1.3
行われている観光事業
井川にはいくつかの観光施設が存在しているが、その中でも井川における観光の発信の 中心的な役割を果たしているのが、平成
6(1994)年にオープンした南アノレプス井川観光会館 (えほんの郷) がある。ここでは井川 に訪れた観光客のために井川の観光名所、観光施設、宿泊 施設などについての総合案内を行っている。その他の施設には、昭和
51(1976)年に完成した 井川少年自然の家、平成元( 1
989)年にオープンしたリパウェル井川 というスキー場、 平成
21(2009)年に完成した赤石温泉白樺荘などが主に挙げられる。また、ダム完成とともに井川 湖を走る渡船の運航も始まり、観光目的以外にも大井川餓道井川線の終着点と井川本村を 結ぶ重要な交通機関となっている。
次に、井川 における具体的な観光について述べる。現在井
J11では、自然を売りにした観 光が主流である。井川湖から眺める紅葉は観光客に大変人気であり、登山による収益も、
井川の重要な財源となっている。実際に、毎年登 山の季節になると数多くの人がパスでや ってくる。また、毎年
11月には井川もみじマラソンが開催されており、惜しくも今年は天 候による影響で開催されなかったが、昨年
(2010年)までに
27回の大会が開催されてきた。
その他にも、
5月にはやまめ釣り大会が開催されたり、茶摘みを体験するイベントも企画さ れている。昭和
51(1976)年からは、井川メンパ、鹿肉、井川茶などといった井川の特産品を、
より多くの人々に知ってもらおうとする井川の朝市も企画されている。
以上のように井川では、様々な観光のイベントが行われており、井川の観光と自然とは 決して切り離すことのできない関係にあることも分かる。しかしまだまだこれらの知名度 が低いことは事実だ。実際、今 回私たちが本村に滞在している問、本村においては純粋に 観光を目的に訪れた人を見かけることはなかった。井川周辺地域の観光の目玉は春の登山 や秋の紅葉であるため、私たちが訪問した
6月は現地の人によるとシーズンオフであり、この時期は観光地にもほとんど観光客は来ない、とし、うお話を行く先々で耳にした。
2.2
地域活性のための課題
井川には良質の観光資源があるにもかかわらず、それが十分に生かされていないことを 私たちは非常に惜しく感じた。その地域の人々にはあたりまえの生活の一部で、観光資源 としての価値を見出されていないことほど、実は観光客の視点から見ると非常に魅力的な 資源である、ということは多くある。とれらの見逃された観光資椋を活かすことができれ ば、地域の大きな利益になるのではなし、かと考えた。
また、将来的には一時的な人の流入だけでなく、地域の存続のための人の流入、つまり 定住を目的とした人の流入が、地域の存続のために必要である。定住を目指すには、地域 に住むことの魅力をさらに増やし、その魅力を最大限にアピーノレする必要があるだろう。
井川集落支援員の
A氏は、井川には若者の就職口がないので、人が根付かないのは仕方な い。若者を呼ぶためには観光だけでなく、地域産業を確立させ、年間雇用を創出する必要 があるという。単に交流人口を増やすだけでなく、井川という地域のアピールにもなり、
将来的には雇用も創出させ、定住人口を増やすという観点からも、井川にとって観光は大 きな役割を果たせるだろう。観光を軸において、井川の地域活性を図り、地域を存続させ るためには、イ i i J が必要かをさらに詳しく述べたい。
2.2.1
行政・企業との連携
地域で大きな取り組みを行うためには、行政との連携が不可欠である。現状では、井川 の観光化への動きに対して、積極的に観光化を進めようとしている静岡市と、なかなか観 光化への一歩を踏み出しきれずにいる地域住民との間に、取り組みへの熱意に温度差を感 じた。この二者の意思が統合されなければ、観光化の取り組みを地域活性につなげること は難しいだろう。地域住民の主体性を重視し、行政はそれを実現させるためのサポートを 提供する、といった関係が望ましいのだ。そのためにも、行政と住民の意向は互いに常に クリアである必要があるだろう。住民と市との距離を縮めるために、井川支所や井川観光 協会は、これからも住民と行政を結ぶ役目として能動的な活動が期待される。
また、良質の観光資源を持っていても、それを観光資掠として売り出すことができなけ れば意味がない。既存の観光資源を売りだす力、つまりマーケティング力は、地方自治体 の力だけでは不十分な部分がある。そういった部分を、旅行会社のような、観光を売りに している企業に任せることで補い、さらに良くしていくことができるだろう。旅行会社は、
国内の観光の全体像を把握しており、さまざまな地域での観光化への取り組みも経験して きている。旅行業務に携わっている会社はいわば、地域の魅力を引き出すプロなのである。
現在人気の観光形態の一つに、その土地の環境を活かし、地域住民と交流することを目的 とした体験型観光がある。こうした国内観光の需要の現れからも、旅行業関連の企業にも、
より深い地域の理解、そして地域住民との結びつきが求められている。観光客の視点を熟
知した企業と連携することで、地域住民では気付かなかった新たな地域の魅力を発見する
葵区・井川
こともできるだろう。
地域の問題は、地域住民が主体になって取り組むことはもちろんだが、地域内で閉鎖的 になっているだけでは前進できない。地域の中だけでは解決できない問題も、企業や行政 などの大きな力と連携することで、新たな解決の糸口がつかめるとともあるはずだ。
2.2.2
住民同士の協力
井川の観光化の取り組みへの熱意に差が生じているのは行政と住民だけではない。地域 住民の中でも、職業や立場によっても地域活性に関する考えはさまざまであり、観光化を 進めることに対して意見が分かれている。そのため、完全な観光地化には踏み切れること ができず、
H愛昧な観光地となってしまっているのが現状である。過疎化、高齢化といった 様々な問題を抱える中で、観光による地域振興は、単に経済的な観点からだけでなく、地 域社会の存続と活性化という観点からも重要であると考えられる。当事者である住民同士 が一体にならなければ、現在井川が直面している問題を解決することはできない。インタ ビューを行う中で常に私たちが感じたことは、井川で暮らす人たちの、郷土愛の深さであ る。自分たちが育った井川のそのままの環境を守りたいという感情と、過疎化が進み、限 界集落となってしまった井川を存続させるにはなんとかして井川に人を呼ばなければなら ない、という現実との聞で葛藤を抱いている。また、そのような郷土愛が、「井川の将来は 井川人が中心となって決定していきたしリという気持ちを生んで、いる。しかし、似たよう な境遇にある周辺地域、そして経済面での支えとして行政や企業との協力も必要なことは 確かである。簡単なことではないが、この葛藤をうまく乗り越えていくことが今後の課題 ではないだろうか。限界集落となってしまった井川では、地域住民のほとんどの人がこの 危機的な状況をよく理解している。しかし、「様々な提言をされてもそれを実行する人がい ない」と地域住民が語るように、高齢化による地域全体の機動力の低下に、新しい取り組 みへの挑戦することへの不安を感じている住民も多いようだ、った。確かに高齢化が進み、
井川の未来の担い手である子どもの数も減少傾向にあることは事実だが、私たちが見た井 川は、何人かの力強いリーダーに支えられた活気ある井川だった。井川の人々に自信を取 り戻してもらうためにも、 3~5 節では、今ある観光資源を活かした私たちなりの地域活性 化案を考えた。(秋山絵美里)
3
温泉・自然資源・食の有効活用
ここでは井川│にある観光資源について、それらをどのように活用していけば良し、かとい
うことを中心に考察していく。主に温泉、自然、食という
3つの面から先行事例を交えて
検討する。井)
11に存在する観光資源の現状を指摘し、その上で具体的にこうしたらいいの
ではなし、かという提案を行うととろまで試みたい。
3. 1
温泉に関する先行事例
環境省によると、日本全国には平成
18(2006)年
3月現在で
3162ヶ所の温泉地、
27866孔 の源泉が存在している。温泉は年齢を間わず、冬季に重視されがちだが
1年を通して利用 できる観光資源である。ここではその温泉を上手く活用している事例を紹介しようと思う。
長野県軽井沢市にある旅館「星のや 軽井沢」は平成
17(2005)年に開業し、連泊希望者を 対象とした滞在型旅館経営を行っている。高度経済成長期に主流で、あった「大型旅館ビジ ネスモデルJに対応できる旅館を目指すのではなく、団体客のみならず一人や家族で来る 人々にも、上質のサービスを提供できる旅館を目指すというものである。首都圏で行われ たある調査によると、連泊希望者の増加で滞在型の旅館が求められている傾向にあり、こ の旅館の経営はそれに準ずるものである(佐々木
2008)。
次は大分県別府市の例である。にっぽんの温泉
100選の上位に位置する別府温泉、湯布 院温泉がある日本有数の温泉地だ。別府市の
12006年観光動態要覧」によると別府市の温 泉利用者が昭和
51 ( 1
976)年では
613万人であるのに対し、平成
18(2006)年では
394万人と 減少している。温泉地として有名であるということだけでは足りないのである。その対策
として平成
13(2001)年から別府市で、はオンパクとよばれるイベントを行っている。正式には
「別府八湯温泉泊覧会
jといい、別府八湯の地域資源、を活用した多数の体験型プログラム を提供するイベントである。ちなみに、泊覧会の「泊」は漢字の間違いではなく、観光客 の別府市での宿泊を重視することからこの漢字を当てはめている。
以上の例から見出せる教訓として、近年の流行として滞在型の旅館経営が求められてい ること、その地域だけでなくさらに範囲を拡大した中でのプロモーションが有効であるこ とがあげられる。それでは上記の先行事例をふまえた上で井川の温泉について述べてし、く。
3. 1. 1
井川の温泉の利用
井川には静岡市・南アルフ。ス赤石温泉「白樺荘
jという温泉宿泊施設がある。私たちが フィーノレドワーク実習を行う際に大変お世話になった旅館「観水荘
jではここの温泉を運 んできて使用している。泉質は単純硫黄泉、効能は神経痛、関節痛、糖尿病、皮膚病など、
アピーノレポイントは独特のぬるぬる感を楽しめること、大自然を満喫しながら温泉につか り身も心もリフレッシュできるということである。平成
17(2005)年度は約
2万
600人、平 成
22(2010)年度では約
1万
5800人と利用者は減少傾向にある(平成田年静岡市役所調べ)。
井川は観光地というよりは、農村社会が色濃く残る地域であり、温泉は別府八湯のよう に知名度が高いわけでもない。上記の先行事例のいずれにも該当しない。では井川におけ る温泉の位置づけをどうするか。私が考えるに、温泉のみを目的とするツアーではなく、
井川全体をめぐるツアーの一環とするのがベストな選択である。もちろん温泉目当てに来
る観光客のためのことも視野にいれなければいけないが、こちらをメインに考える必要は
ない。それは「白樺荘
Jのある場所と井川本村との距離の問題も関係してくる。井川木村から「白樺荘
jまで、てしやまんくん号という小型パスが運行している。それを利用して
葵区・井川
片道約
30分で料金は
700円である。また、「白樺荘」の周りには他に屈がないため、温泉 目的でなければそこまで行く意味も少ない。
つまり、パスの運賃と距離そして周りの環境を考えれば、温泉宿泊施設はツアーの一環 として位置付けることが妥当であると考えられる。ツアーの内、その日の終着点としての 宿泊施設という役割である。先行事例のところでも触れたように、滞在型の経営が好まれ る傾向にある。さらに健康増進ブームと相まってへ/レスツーリズムもまた好まれるように なっている。温泉という観光資源を上手く活用することによってこの流行に乗ることがで きるのである。温泉のない地域と比べてこれを利用できるアド、パンテージは小さくない。
以上のことも含めて考えると、やはり温泉宿泊施設 I白樺荘」はツアーの一環として位 置付けることと、温泉の重要性を再認識する必要があるのである。
3.2
自然に関する先行事例
近年、環境保護(エコロジー)と観光(ツーリズム)を合わせたエコツーリズムの重要性が増して きている。環境大臣を中心とした「エコツーリズム推進会議Jではその概念を「自然環境 や歴史文化を対象とし、それらを体験し、学ぶとともに、対象となる自然環境や歴史文化 の保全に責任を持つ観光のあり方Jとした。平成
19(2007)年にはエコツーリズム推進法が成 立し、国としてもその観光形態を支持する傾向にある。
このエコツーリズムは従来の大量消費型観光のマスツーリズムと対をなす概念である。
自然資源や歴史文化の持続可能性を含んだ利用法を重視するというものだ。この概念を実 践したエコツアーはツアー会社ではなくその地域住民が中心となる。実際に静岡県の「ふ じのくに観光アクションプラン(以
F、アクションプラン)
Jによると団体型物見遊山型のマスツーリズムから、地域の多様な観光資源を生かした地域づくり・体験型着地型の新しい観 光への取り組みが盛んになっている。
農村地域の自然、景観、人々との交流を楽しむことを目的とするグリーンツーリズムと いう観光体系も存在する。これとエコツーリズムの要素を含めたグリーンエコツーリズム は主に中山間地域にとって大きな武器となるだろう。というのは、グリーンエコツーリズ ムは自然を見て楽しむだけではなく、実際にその地域の生業に関わること、住民との交流 もその要素としているからである。次に井川の自然資源について述べてし、く。
3.2.1
井川の自然資源の利用
7
月から
9月の夏の期間、南アノレフ。スの登山を目的としてその入り口である井川に多くの 登山客が訪れる。その麓にある「白樺荘Jでも登山の疲れを癒しにくるこの時期の利用客 は他の月に比べて多い。井川の観光施設のほとんどでは利用客が減少傾向にあるのにもか かわらず、登山関連の施設では平行線をたどる、あるいは多少の増加傾向にあるのである。
南アルプスの登山シーズンが終われば、
10月 、
11月と紅葉シーズンがやってくる。あたり
一面山に固まれているため、やはりこの期間訪れる観光客は多い。渡船に乗って井川湖か
ら見る紅葉も素晴らしい眺めに違いない。
この南アノレプスの登山に始まり紅葉へとつながる時期の井
J11へ訪れる観光客の増加を目 指す計画も必要であるのは間違いないのだが、ここではそれだけにとどまらず、一年通し て有効な計画について考えていきたい。
自然には精神的な癒しだけではなく 、身体的にも癒しを与える効果がある。現に森林セ ラピーという言葉も存在するのである。温泉のところでも触れた健康増進ブームにあやか ることができる。山ばかりで何もないとネガティブに捉えるのではなく、自然が豊かであ ることはない地域に 比べて大きなアドバンテージで、あるとポジティブに捉えるのである。
ダム湖についてもそう捉えることができる。井川湖の渡船は平成 22 ( 2
010) 年で年間 3 500 回運航し、年間 8 000 人輸送している ( 平成
23年静岡市役所調べ)。これは大井川錨道井川駅か
ら井川本村への交通手段としてはもちろん、そこから自然を楽しむことを目的とするとい うことで、ツアーの一環として位置付けたい。
写真
2汽車内からの風景
葵区・井川│
写真
3遊覧船乗り場
3.3
食に関する先行事例
富士宮焼きそば、静岡おでんという言葉を聞いたことはないだろうか。これらは一般に rB級グルメ
Jと呼ばれ、全国で親しまれている料理を地域ブランド化したものである。た とえば、富士宮焼きそばの商標登録を平成
18(2006)年
4月改正前の旧商標法のもとで、行って いる。郷土料理とは違い、その地域の特産品を使用することは絶対ではなく、主にその地 域活性のために生み出された食である。その特徴として、コストが安価であること、世代 を問わない親しみやすさがあげられる。
地域活性のために食を利用することは大きな意味がある。その地域をアピールできるこ とと、特に重要視するべきはその地域の住民が協力し合うことである。現に、富士宮焼き そばの誕生には市民団体「富士宮やきそば学会」の存在がある。
アクションプランによると、外国人観光客が訪日前に期待したことで、平成
21(2009)年の 調査で日本の食事がトップとなった。
2006年度では
19.0パーセントに過ぎなかったが、
2007
年度では
36.5パーセント、
2008年度は
37.0パーセント、
2009年度調査では
58.5パ ーセントとなり、食が日本の観光魅力に欠かせないものということがわかる。では、井川 の食について述べていこうと思う。
3.3.1
井川の食の利用
新しく観光資源としての食を創造することは一般的に新しい観光施設を建造することよ りも資金がかからないという要素も含んでいる。かつ、その食は郷土料理のような伝統的 である必要はない。
井川にフィールドワークした際に鹿肉・猪肉というものを初めていただいたが、豚肉や
牛肉のように広く普及している肉に比べて勝るとも劣らない味であった。これらは観光資 源として大きな意味を持っと身をもって体感した。その時は、鹿肉は刺身、猪肉は鍋とし ていただいたが、他にも調理法を変えて実践してみる価値は大いにあるだろう。たとえば、
保存がきくように調理し商品化することができれば、長期間井川の主力商品とすることも 可能であろう。しかし、住民の方にインタビューしたところ、これらの肉は観光資源とし てはあまり利用されておらず、犬の餌になることもあるそうである。これはあまりにもも ったいないことである。観光資源としての食は新しく生み出すことができると先に述べた が、その際に何を素材とするかを決めるところからよりかは、ある素材をどう活かすか、
から考えるところからの方が、一般的に言えば資金的にも時間的にも優位であろう。ここ では主に鹿肉・猪肉について提案しているが、これらだけにこだわる必要はない。住民で 話し合った結果それ以外の素材を使うということになればそれをもとに創造することもも ちろん可能である。重要なのは、いかに有効な観光資源としての食を生み出すかという事 を一部の人々で決めるのではなく、できる限り井川の住民の聞で話し合って決めることだ。
食の創造に限らず、地域活性に関して住民の団結は最重要課題なのである。
3.4
フュージョンツーリズム
ここまで井川の観光資源について温泉、環境(自然)、食というテーマをあてはめてまとめ、
考察してきた。その中で、ツアーの一環として位置付けたいものとして「白樺荘」の温泉、
ダム湖の遊覧船などをあげてきた。もちろんここであげた以外にもツアーに組み込んだ方 が良いと考えられるものもある。たとえば井川五郎ダムがそうである。実際に、ダムを観 光資源として利用している地域は存在する(第
3章を参照)。これら各観光資源を利用するツー リズムとして、ヘルスツーリズム、エコツーリズム、グリーンツーリズムなどがあること は先述の通りである。私が提案したいのは、これらのツーリズムを上手く融合したツーリ ズム、すなわちフュージョンツーリズムである。井川という地域で行うため、井川フュー ジョンツーリズムとでも言えるだろうか。
井川フュージョンツーリズムについて、具体的にあるツアーを計画する形で簡単に説明 していきたい。設定日数は一泊二日である。まず、大井川餓道を利用し井川駅に着くまで の自然の豊かさを体験する。新緑・紅葉といった要素が加わればさらに楽しめるだろう。
井川駅からは小型パスか渡船があるが、ここでは後者を使い井川湖から眺める自然をガイ
ドの説明を聞きながら満喫する。井川本村に着いたら宿に荷物を置いて、てしやまんくん
号に乗り「白樺荘Jへ行く。そこで自然を満喫しながら温泉に浸かり、心身ともにリフレ
ッシュする。宿に戻ったらそこで鹿肉・猪肉といった普段食べる機会の少ない素材を存分
に使用した料理を堪能し一日目は終了である。二日目は「えほんの郷J という施設で住民
との交流会やイベントに参加する。交流会やイベントでは井川についての理解を深めても
らうことなどを目的としている。そして、帰りも大井川銭道を利用し井川の自然の豊かさ
をもう一度楽しんでもらい、ツアーは終了である。以上のようなツアーはあくまで一つの
葵区・井川
例で、あって、 他にも様々なツアーが考えられるであろう。
写真
4鉄橋からの風景
写真
5えほんの郷
各観光資源をどう 上手く 利用かつ融合するかを考えることはもちろん大切だが 、井川 フ
ュージョンツー リ ズムについて最も大事なことは、このツー リ ズムにできるだけ多くの住
民が団結し関わっていくことである。食による地域活性のところでも述べたが、地域活性 において最も重要なことは住民が団結し合うことなのだ。
ここでフュージョンツーリズムを推進していくなかで、必ず問題となるであろう点につ いて言及しておきたい。それは観光を行うことによってその地域の伝統文化や環境が破壊 され、住民の生活様式が変化してしまうなどの悪影響を及ぼすのではないかということで ある。確
ιかに、観光の実害は観光客のごみのポイ捨てによる環境の悪化、さらには生態系 の変化・破壊などといった形であらわれている。それゆえに観光のマイナスの部分に焦点 が向けられ、その有用性について考える機会を失っている状態にあると言えるのである。
しかし、観光にはこのようなマイナスの部分だけでなく、それと同時にプラスの部分もあ るし、今後は、そのような観光のプラスの部分に焦点を当てる、正しくは観光の役割につ いて認識を改める必要があるのではないか。たとえば、観光によって伝統文化が破壊され るとしづ懸念があるが、伝統文化は破壊されるのではなく、観光を通じて再構築されると 考えることも可能である。観光を通じて再構築された伝統文化や工芸品は模造品で、あって、
本物性(オーセンティシティ)を欠いたものと考えられがちだが、こうした現象のなかに私たち が見るべきことは、観光において文化の本物性が消滅していくということではなし、(山下
2007・
4)。つまり、先に述べたフュージョンツーリズムの場合も、観光によって生み出された もしくは変化した文化をどんどん取り入れることによって、井川の発展可能性を高める結 果につながると考えられるのである。まとめると、破壊されることにとらわれていると観 光の役割を良いか悪し、かの二元論でしか考えることができなくなってしまうため、まず観 光の有用性について再確認することが必要なのである。
井川が限界集落として認定されており、中山間地域であるため、以上のツーリズムの実 行を私は薦めたい。次に詳しく述べる井川線についてもツーリズムにうまく組み込むこと でその効果をさらに高めることができるのは間違いないだろう。井川線は単なる移動手段 ではなく井川の有力な観光資源である。次の節では井川線の利用、そして私が述べてきた 今ある観光資源の有効活用に続けて、違う面から提案を行し、たいと思う。(深津佑輔)
4
井川線の有効活用
前の節では、温泉・食・自然資源の活用について述べたが、この節では井}
11と他地域を つなぐ貴重な交通機関である井川線の活用、つまり観光資源としての井川線の可能性につ いて論じていこうと思う。
4. 1
井川線の概要
まず、井川線の概要について書いていきたい。井川線は千頭駅から井川駅までの
25.5キ
ロメートノレを結ぶ大井川餓道株式会社が中部電力株式会社から事業を委託されて運行を行
っている路線である。井川線はその愛称を南アルフ
oスあぷとラインといい、観光客からは
葵区・井川
森林鉄道、 トロッコ列車と呼ばれ親しまれている。
4. 1. 1
井川線の歴史
元々、井川線は水力発電所建設のための資材運搬のために、多数の犠牲者を出しながら も昭和
29(1954)年に完成したものであった。昭和
32( 1
957)年に井川ダムが完成すると、昭和
33(1958)年に井)
11線は旅客営業をすることが決定し、昭和
34(1959)年夏から現在に至るまで 井川線上に客車を運転している。ここには、中部電力株式会社が井川ダム建設の見返りと
して、井川の地域貢献のために井川線を大井川錨道株式会社に業務委託することで存続さ せたという背景がある。なお、大井川錨道株式会社の社名に「鉄」ではなく、「餓J という 字が使われているのは、「鉄」とし、う常用漢字はお金を失うことを連想させると考えられた ためである。
井川線が旅客営業を開始した当時は秘境、山ブームにも乗じて多くの観光客が訪れた。
また、昭和
40年代には、山岳夜行列車というものが走り盛況で、あった。井川線が旅客営業 を開始して以来、井川駅で売屈を経営している B 氏は平日には 500~600 人が井川駅に訪 れ、また休日には
1000人を超す観光客が訪れたと話していた。このようにして開業当初は 人の往来も多かった井川駅で、あったが、昭和
50年代に入ると、ブームが去り、トレンドも 変わったということもあって、井川線に乗降する人の数は減少傾向にある。
観光客の乗降が減少傾向にあった井川線であったが、長島ダムの建設によって、井川線 の一部区聞がダム湖に水没することになったために一部区間の付け替え工事を行った。長 島ダム建設に伴う補償金を受けてのことである。これまではなだらかに山を登って運行し ていた井川線で、あったが、線路の付け替えにより、急こう配を登って運行しなければなら なくなった。そこで、この急こう配の区間を走るために園内で唯一のアプト式機関車
2を用 いた運行を行うこととなった。平成
2(1990)年に新路線が開通し、アプト式機関車を用いた 列車の運行が開始された。アプト式機関車を用いた列車の運行は、群馬県の碓氷峠で昭和
38(1963)年に廃止されて以来で、さらに日本唯ーということもあり、井川線は再び人気を博 した。しかし、この盛況も一時的なものに過ぎず、井川線を利用する観光客は再び減少す るようになった。井川駅に勤務する駅員の方の話によると、現在、井川線の列車に乗って、
井川駅を訪れる人は平均して1O ~20 人程度であるとし、う。
2
アプト区間を走行するための専用列車であり、線路の真ん中に敷設された「ラックレール
jとし寸歯型レ
ールを噛み合わせて急こう配を上り下りする。
写真
6井川線を走る列車奥大井湖上駅にて撮影
4.1.2
井川線の終着駅としての井川駅の現状
現在の井川駅周辺は売店が一つだけ存在しており、そこから開業当初の井川駅の盛況ぶ りを見る ことはとてもできない。井川駅周辺というのは非常に地盤が緩く、開発するには 向いていない立地であるという事実もこのような井川駅周辺の現状を生み出すーっの原因 となっている。現在、井川中学校の生徒たち主導で井川駅に看板を設置 し ようとする取り 組みが行われている。井川線の列車に乗って井川駅に訪れた観光客に井)
11、とりわけ本村 地域のことについて知ってもら い、訪れてもらうことを目的としている。だが、井川駅は 本村地域とは距離があり 、 徒歩で訪れるのは困難である。仮に徒歩で本村まで行くならば、
時間にして約一時間、 山 道を歩かなければならない。井川駅から本村までは井川湖を定期
的に運行している渡船を利用するか、井)
11自主運行ノ〈スを利用するしかない。しかし、渡
船は井川湖が人工の湖ということで時期によっては運行しないこともあり 、また自主運行
パスも一日に運行 し ている本数も少ないので、実際に井川 の木村を訪れる人が増加するか
というと 、非常に厳 し いところである。だが、看板を設置することで多くの人に本村とい
う存在を知ってもらう上では非常に意味のある取り組みであることに違いはない。先に井
川駅と木村とは距離があると述べたが、なぜ井川駅と本村は離れた距離にあるのであろう
か 。 地域貢献のために井川線を存続させたならば、より本村に近い場所に駅を作る必要が
あったのではないか。なぜ井川駅を現在の本村とは離れた場所に作ったのであろうか。こ
の問題を探っていく中で 、井川線の延長計画があったことが判明した。次に、この井川 │ 線
の延長計画について歴史的に振り返った上で述べていくこととする。
葵区・井川
写真
7井川駅に併設する唯一の売庖やまびこ
4.2