子どもと自然のかかわり
~いわゆる「採集狩猟活動」と「命の大切さ」について~
長邉成章
はじめに
1 自然とのかかわりに対する現在の意識 1.1 メディアから見る
1.1.1 新聞から
1.1.2 インターネットから 1.2 行政から見る
1.3 自然と触れ合うイメージ 2 自然の中の子ども
2.1 当時の子どもの様子 2.2 魚・鳥を捕る
2.3 ニワトリ・カタツムリ
2.4 オタマジャクシ・カエル―「一匹ずつ潰しました」―
2.5 自然と触れ合う子ども おわりに
参考文献・HP
はじめに
私見ながら、現代日本社会には、子どもと自然との触れ合いを推進する動きがあるよう に思える。また、今の子どもは、自然と触れ合っていないという言説がある。
けれど、ペットを飼っている家庭は少なくなく、命との触れ合いが無いようには思えな い。はたして、大人のいう自然とは何なのだろうか。また、子どもが自然と触れるという ことはどういうことなのだろうか。
本論文では、2節で、環境に関する法律やメディアから、一般的な大人側から見た自然 に対するイメージを捉える。つづく3節では、私が川根で出会った方々の話を元にし、子 どもが自然に触れ合う実際の現場を見ていきたい。そして、2節と3節の話をもとに子ど もの視点から見た自然と大人から見た自然を比較し、触れ合うことについて考察する。大 人の自然に対する考えに対して、子どもの世界から一石を投じ、大人の自然観を揺さぶる ことができたら、このレポートの目的は達成されたと考える。本論文ではうかがうことの できた話から、まだ就職していない、尋常小学校6年生を基準とし、少し幅を持たせた15 歳くらいまでを子どもと呼んでいる。なお、「自然」とは、人間以外の動植物全般、また、
それらの住んでいる環境も指す。
1 自然とのかかわりに対する現在の意識
現在、森林伐採など、世界的な規模で自然破壊が進んでいると言われている。その中で、
自然に対する意識が高まっていることは、昨今のエコブームの広がりなどからも明らかだ。
社会の担い手は大人である。ゆえに、この意識の高まりの基盤は、大人の自然に対する認 識だ。意識の高まりを読み解くことは、大人の認識を理解することにつながるだろう。本 節では、行政とメディアが描く、子どもと自然が触れ合うイメージに焦点を当て、現代日 本の大人の認識を考察する。
1.1 メディアから見る
テレビ報道からイメージを探ることは困難であったので、ここでは新聞とインターネッ トから見ることのできる意識の高まりを見る。
1.1.1 新聞から
新聞記事から見える、子どもと自然へのイメージを見ていく。記事の検索には「朝日新 聞データベース 聞蔵Ⅱビジュアル」を使用し、『朝日新聞』の記事検索を行った。次のグ ラフ1は、『朝日新聞』に掲載された記事の中で、「自然」、「子ども」のキーワードが入っ ている物を、グラフ2は、「自然and子ども」というキーワードが入っている記事の数を、
それぞれ年度ごとに調べたものだ。
グラフ 1 キーワード「自然」と「子ども」の検索数
グラフ 2 キーワード「子ども and 自然」の検索数
図1、2を見ると、平成9(1997)年に大きく増加が見られる。1997年1月には、ナホトカ 号重油流出事故、2月には、神戸連続児童殺傷事件が起きており、この時期に、子どもと 環境に対する意識が高まったことがうかがわれる。
実際に、自然を題材として取り上げている記事を読んでいくと、自然の大切さを呼び掛 ける文章と同時に目につくのが、命の大切さについて書かれた文章だ。自然と命は対にな るキーワードとして使われていることが分かる。次に挙げるのは、「花育」についての記事 である。
「花育」広がる取り組み
―身近な自然で心を育てる―
花や緑との触れ合いを通して、人と自然のかかわりや生命の大切さなどを子どもた ちに教える「花育(はないく)」。耳にする機会が増えています。取り組みの現状や、家 庭で思い立った場合の心がけなどを調べました。・・・
・・・「花育」とは、幼いころから花に親しむことで、身の回りの自然環境に関心を 持ったり生命について考えたりするきっかけにしようとする活動だ。都会暮らしで自 然に親しむ機会が減った児童の「生きる力」を重視する国の学習指導の方針にも後押 しされ、ここ数年、語られるようになった。・・・
(朝日新聞 朝刊 生活2面 2008/12/06)
やはりここでは、自然を通すことで、子どもたちに命の大切さを教えるということが言 われている。また、これは行政面からの見方になってしまうが、自然に親しむ機会が減り、
子どもたちに「生きる力」がなくなったという大人の視線もある。自然と子どもが結びつ くキーワードとして、「命」が使われている。
1.1.2 インターネットから
インターネットで自然との触れ合いについて検索してみると、ここでも自然との触れ合 いと命の大切さを育むことはセットになっているものが目立つ。
次にあげるのは、ソニー幼児教育支援プログラムのホームページにあるものである。こ の文章は、カマキリの卵嚢を観察した子どもたちを見ての考察である、
「・・・園庭で生まれ、育ち、生き残ったカマキリが園庭の茂みで産卵する場面に 遭遇することのできた年もあるが、それはなかなか難しいので、冬の間に枯れ野で卵 嚢を探してくるのである。園児のご家庭でも、それを念頭に置き、見つけては届けて 下さるので、7~8個の卵嚢が順次孵化し、子どもたちが目を見張って、その赤ちゃ んカマキリたちが一人旅に出るのを見送るのである。「お母さんは?」「一人ぽっちな の?」さまざまな生から、子どもたちはたくさんのことを感じ、たくさんのことを学 ぶ。いのちをいとおしむ思い、小さな生き物たちに対する優しさ、互いを重んじる温 かなかかわりなど、こうした豊富な経験から生まれてくるのだろう、と思う。・・・」
(ソニー幼児教育支援プログラム Web Magazine見えた!?科学する心vol.23)16
ここでも結論として、自然との触れ合いから生命を尊ぶ気持ちを育てていくとしている。
1.2 行政から見る
まずは、行政面が考える自然と触れ合うことの意義を見ていこうと思う。本項では、環 境省のホームページ17を参考にし、子どもと関係のある教育面の法律を見ていく。教育基 本法には、次のような条文がある。
生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと(教育基本法 第一 章 教育の目的及び理念 第二条 四項)
また、学校教育法には、次のようにある。
学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の 保全に与する態度を養うこと。(学校教育法 第二章 義務教育 第二十一条 二項)
このように、教育基本法の中では生命を尊ぶ姿勢を育てることを重要視しており、学校 教育法では、そのために、学校内外における自然体験活動を促進することを挙げている。
この2つの条文を見ても明らかなとおり、生命を尊ぶ姿勢を育てるには自然体験活動が
16 http://www.sony-ef.or.jp/preschool/webmagazine/webmag_jirei/jirei23_01.html 2009/06/26現在 17 http://www.env.go.jp/policy/suishin_ho/ 環境省 2009/07/16現在
重要であると思われているようだ。
次に見るのは、持続可能な社会を構築していくために、その基盤となる環境教育の推進 や環境の保全に向けた意欲の向上を目指し、平成15(2003)年につくられた18、「環境の保全 のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律」の基本方針である。自然保護の視 点からつくられた法律なのだが、その中にも、自然と触れ合うことの重要性が説かれてい る。
私たちは、人間という生物として他の生物と共にこの地球上で生きており、お互い 尊い「いのち」を持つ存在として、尊重し合うべきものです(以下引用部分下線は筆者 による)。一方で、他の生物のいのちに依存して生きていることを自覚する必要もあ ります。しかし、例えば、絶滅のおそれのある野生動植物種の保護に心を配らない、
動物を虐待する、ひいては人間同士でいのちを軽視するなど、いのちを尊ぶ心が失 われているのではないかと疑わせる出来事が、国内外で続いています。いのちある 生物で構成される生態系の中で生きていることを理解し、実感することは、いのち を尊ぶ心をはぐくむことにつながります。・・・いのちの大切さを学ぶことも環境 教育に期待されている大きな役割です。昨今、国内外でいのちを軽視する悲しい行 動、出来事が見られています。環境教育により、いのちあるものに触れ、いのちの 感動を得て、いのちを尊ぶ心をはぐくむことが期待されています。また、この地球 上でいのちのあるものは相互に関わり合い、支え合う存在であることを感じ、理解 することにより、社会全体がいのちを大切にするようになることが必要です。・・・
(環境保全の意欲の増進及び環境教育の推進に関する基本的な方針(平成16年9月24日閣議決 定)(はじめにより))
この方針では、持続可能な社会を構築するため、環境保護の心を育てるのと同時に、そ れを通して、命の大切さを学ぶということが目標とされていることが分かる。また、命を 尊ぶ心は失われたものであり、昔にはあったものとされている。
以上のことをまとめると、国の施策では、自然と触れ合うことは教育上重要であり、自 然と触れ合うことの意義とは、生命を尊ぶ姿勢を育むことであるとされており、行政面の 自然に対するイメージがよく分かる。
1.3 自然と触れ合うイメージ
行政、新聞、インターネットから得られた情報から見えてくる意識の高まりをまとめる と、次の2つにまとめられる。①命を尊ぶ姿勢が身につく、②他者への思いやりが生まれ る、の2つである。大人は自然に、子どもへの教育的機能、特に、情緒的教育を期待して
18 http://202.232.86.81/b_menu/houdou/16/09/04092401.htm 文部科学省 2009/07/18現在
いることが読み取れる。自然と触れ合うということは、非常に好印象に受け取られている ようだ。また、現在では命の大切さを思う心は失われており、それは、自然と触れ合って いないことで、命の実感がないからという論調も読み取れる。
では、子どもは自然とどのように関わるのだろうか。次項では、川根本町で自然と触れ 合いながら幼少期を過ごした方々のお話を紹介し、子どもから見た自然を考察する。
2 自然の中の子ども
前節で述べたとおり、自然と触れ合うことは好意的に受け止められ、重要視されている。
自然と触れ合うことで、命を尊ぶ姿勢や他者への思いやりを育むことを期待されている。
では、実際はどうなのだろうか。この節では、川根でうかがうことのできた話19を元に、
自然と触れあって暮らしていた子どもたちの生活を、主に採集狩猟活動20に焦点を当て描 き出していく。
本節で挙げる例は、昭和10~20年代の子どもと自然との関わりの具体例である。
2.1 当時の子どもの様子
自然との関わりについて述べる前に、当時の子どもたちの生活に触れておこうと思う。
次にあげる例は、後の節で述べるDさん(70歳代女性)、の小学生時の1日である。
朝は、6時半~7時に起き、朝ごはんを食べる。朝ごはんは、麦ごはんや、カボチ ャ・ジャガイモ・サトイモの煮物、キビのおかゆ、などであった。朝ごはんを食べ終 わると、支度をし、登校する。学校では、休み時間に友達と鬼ごっこや陣取りなどを して遊んだ。家と学校が近かったため、低学年の頃は昼休みには家に帰り昼ごはんを 食べていた。放課後になると、家に帰り、家の手伝いをする。自分のする仕事は決ま っており、ポンプでの水汲み、ウサギ、ニワトリなどの家畜への餌やり、畑仕事など をした。家の手伝いが終わると、近所の友達と夕ごはんになるまで遊んだ。夕ごはん は、朝ごはんとほぼ同じものであった。夕ごはんの後は、囲炉裏のまわりで家族と話 すなどして過ごし、入浴後、20時~21時には就寝した。学校が休みの日には、普段 学校にいる時間を自由に使えるため、早めにすませることのできる用事は先にすませ てしまった後、友達と遠出をし、山や川へ出かけた。
このように、家の手伝いの合間を縫っては遊び、また、時には、後述するように手伝い
19 尚、今回の調査地は水川なのだが、幼少時の話ということもあり水川以外にも千頭、徳山、藤川と、
水川以外で幼少時を過ごした方のお話も混ざっている。ただ、隣接した地域であることや、異なった地域 で育った方々のお話には共通していることが多いことから、本論文では地域については言及しない。むし ろ、広い地域の体験談が集まることで、その時代の子ども像が浮き出ると考えている。
20 本来、採集狩猟とは生計手段を指し、生存手段の一つという見方が主なのだが、本論分では、子ども が人間以外の生物、特に動物を捕まえる活動を子どもの採集狩猟と呼ぶ。
そのものに遊びの要素を見出しながら生活している様子が分かる。
2.2 魚・鳥を捕る
当時の食糧難を背景とし、今回お話をうかがうことのできたお話の中で男女を問わず、
最も多く聞くことのできた話が、鳥や魚を捕った話だ。特に大井川流域のため、魚捕りに ついては多くの話を聞くことができた。まずは魚捕りの話から始める。
捕っていた魚は、アユ、アマゴ、イワナ、ウグイ、ハヤ、カジカ、ドジョウ、ウナギ、
アユカケ、オバサシ、ヌマクライ、カワエビ、等であった。お話の中では、魚の捕り方は 主に罠を用いていた。罠のつくり方は、近所のお兄さんお姉さんから教わる。
魚を捕る罠は単純で、棒の真ん中に針と糸をつけておき、ミミズ21、もしくはトックリ バチの幼虫や柳虫22やカジカを餌にしかけて一晩おいておく。また、Aさん(70 歳代 女性) は近所のおじさんが持っていたものを借りて、ガラス製の「こおろん」23と呼ばれる罠も 仕掛けたと言った。「朝早く起きて罠にかかってるのを見に行くのがたのしみでねえ。」と Aさんは昔を懐かしみながら語った。また、大井川に護岸工事が施される前には、夏の暑 い時期、夜 10 時頃になると河原までウナギが登ってきたので、それを捕りに行ったとい う。この時は、棒に糸と餌をつけ、簡単な釣り竿を作って釣っていた。夜のウナギ捕りの 話では、大きなウナギを見つけ指をさしたところ、指にかみつかれたという話や、少し小 さめのウナギに指に巻きつかれた話などを、笑いながら話している様子から、当時の子ど もたちにとってウナギが身近な存在であったことがうかがわれた。また、釣るだけではな く、ウナギを捕る罠もあったとBさん(80歳代 男性)は語って下さった。石に針のついた糸 を結び、その先にミミズをつけ、川の流れではなく流れの澱んだ淵に一晩置いておく。こ の罠をしかけた淵を忘れないために仕掛けた淵には石を3つほど積み、目印にする。この 罠は、水に漬けておくので、「ひて針」、もしくは「ひち針」と言った。Bさんは水に浸す ことを、「ひちす」とおっしゃっていたので、そこからきた呼び方だと思われる。「落とし こみ」という魚の捕り方もあった。やり方は、細い流れを、石を積むなどしてより細くし、
その細くなった流れにザルを当てておく。そうすると、水はザルを通り過ぎていき、魚だ けがザルの中に残るという捕り方だ。だが、鮎ほどの大きさの魚になると、跳ねてザルか ら出てしまうため、大きな魚を捕るのではなく、小さな魚を捕るやり方であったようだ。
罠に魚が引っ掛かっていたりウナギが釣れたりすると、家に持ち帰り母親に料理しても らったという。Cさん(80歳代 男性)は、マスを捕ってきては、塩で味付けをし、カリカリ になるまで焼いて食べたそうだ。話している様子から、ひじょうに美味しそうであった。
ウナギと同じ時期に沢ガニも捕ることができた。「串にさしてね、塩ふって焼いたり揚
21 お話をして下さったかたはメメズと呼んでいた。
22 柳の枝についている、1センチメートルほどのいもむしだと、Bさんは語ってくれた。おそらく、カ ミキリムシの幼虫だと思われる。
23 ガラス製の罠で、魚が一度はいると抜け出せない作りになっている。中に炒り糠を餌として入れてお く。
げたりして食べると美味しかったよ。」と Aさんは言った。また、食べはしなかったが、
この時期、セミの幼虫の穴を掘ると幼虫が出てくるのでそれを捕まえて友達と大きさを比 べて遊んでいたとAさんは語っていた。
夏の暑い時期にはウナギだったが、秋になると山に入り、鳥やウサギを捕っていたとい う。ここでは、Cさんの話を元に、鳥とウサギの捕り方について述べる。
鳥は主に、スズメ、ツグミ、ヒヨドリなどを捕っていた。鳥用の罠として、「くびっちょ」
というものが使われていたそうだ。これは、罠の近くにナンテンの実や、メンクリ玉(木の 実のようだが、正式な名前は不明)と呼ばれる青い実を置いておき、餌に釣られて、鳥が罠にか かると鳥の首を木の枝で上下から挟みこむ形で捕える罠であった。本格的な「くびっちょ」
はこの通りだが、女の子がする場合の「くびっちょ」はザルにつっかえ棒をつけた簡単な 作りであった。Aさんは捕れたとおっしゃっていたが、Dさんは捕れなかったそうだ。罠 を仕掛けて遊ぶのが楽しかったとおっしゃっていた。
ウサギを捕る時はもっと単純に、ウサギの通りそうな獣道に首吊り台のようにヒモを仕 掛けておき、ウサギが通ると首が締まるようにしておいた。ウサギの道だと思い罠を仕掛 けておいたところ、実はネズミの道であり、ネズミばかりが捕れることもあったという。
Cさんは面白い話として、バカッチョーと呼ばれる鳥の話もして下さった。このバカッチ ョーという鳥は警戒心がなく、人に近づいてくる。そのため、ミミズをつけた糸を垂らす と簡単に釣れたという。
Cさんは、捕まえた獲物を持って帰ると、自分で皮を剥いで内臓を出し丸焼きにして食 べたそうだ。捌き方は父や兄のやり方を見て覚えたという。また、家の中で誰が捌いてい たのかは不明だが、A さんも小さな鳥(スズメやツグミ)は塩をふって丸焼にして食べたと語 っていた。
鳥も魚も、当時の世相を反映して、食べるために捕っているという面もある。だが、罠 を仕掛けそれに獲物がかかる快感を求める、いわば一つの遊びとしての側面もあることを、
ここで述べておきたい。子どもの採集狩猟には、常に遊びが見え隠れしている。
2.3 ニワトリ・カタツムリ
ここからは、Dさんの話を中心として書いていく。ここから先は、Dさんの子ども時代 のお話である。
Dさんの子ども時代は食糧難であったので、卵をとるために自宅でニワトリを飼ってい た。そのニワトリの餌に貝殻をすり潰して入れる必要があった24。食卓にシジミ等の貝類 がでたときには、その貝殻をすり潰していたのだが、食卓に貝が上がらない時には、カタ ツムリの殻を混ぜていたという。
24 家畜としてニワトリに毎日卵を産ませるには、カルシウムの補給が必要で、そのため、人がカルシウ ムを餌に混ぜる必要がある。また、いも虫も餌として与えていたが、いも虫を潰すのは気持ち悪いので、
直接食べさせていたそうだ。
カタツムリの殻と言っても、中身が空っぽのものを拾ってきたのではなく、庭先に生え ている木の葉についているカタツムリを取ってきては、石で潰してニワトリの餌に混ぜて いた。私が、カタツムリを潰すのに抵抗はなかったのかとたずねると、「特にそういうのは なかったね、取った!っていうのは嬉しかったよ。潰すのも楽しかった。遊びのうちだっ たね。」と語った。このカタツムリ捕りは手伝いの側面もあるが、お話をうかがった限りで は、遊びの面が強いように思われた。
また、家で飼っているニワトリは、卵を産まなくなるとお正月に鍋にして食べたそうだ。
前述の話から、餌を与え世話をしていた鶏がいなくなるのは悲しくなかったのかと聞くと、
「・・・(悲しかったかどうかは)覚えてないねぇ、(正月にニワトリを絞めて食べるのは)当たり前
って感じだったから。楽しみだったのは覚えているんだけどね。」という答えが返ってきた。
ニワトリを絞めていたのはDさんの祖父であった。Dさん自身はニワトリを絞めていると ころを見たことはないという。おそらく、Dさんの祖父は鶏を絞めるのを子どもに見せる のはあまり好ましくないと思っていたのではないだろうか。
2.4 オタマジャクシ・カエル―「一匹ずつ潰しました」―
2.3 の話は、D さんの食べるためという面が強い話であった。次に、遊びとして自然の 中にいた話をする。
私が、Dさんは昔どんなことをして遊んでいたのかをたずねると、Dさんは、オタマジ ャクシなんかを捕って遊んでいたという。オタマジャクシなどを捕り、「・・・一匹ずつ潰 して遊びました。石と石とで挟んで、プチッ、プチッって。」と語った。私が驚いた顔をす ると、続けて、「他にも、イモリを捕まえて皮を剥いだりもしましたよ。女の子はあんまり やらなかったけど、男の子なんかはカエルのおしりにススキを刺して息を吹き込んで膨ら ませたりもしていましたね。あと、メダカを捕まえて日干しにしたりもしました。」と語ら れた。そういうことをすると動物がかわいそうだと、当時思ったかとたずねると、「今にな ってみるとかわいそうなことをしたと思うけど・・・当時は思っていなかったように思え る」と語った。
2.5 自然と触れ合う子ども
ここまで、子どもの採集狩猟活動をとおし、当時の子どもの自然との触れ合い、特に自 然の中での動物との触れ合い方を描いてきた。昔の子どもは、現代の大人が望むような教 育的意味を、自然から読み取っていない。
1 節と本節で述べてきたことから、大人から見た自然と子どもから見た自然を、次節で 比較する。
おわりに
ここから、大人と子供の自然に対する見方の考察に入る。1節では、現在の自然と触れ 合うイメージを、2節では自然と触れ合っていた昭和10年代の子どもの話を取り上げた。
大人は、子どもが自然と関わる際、自然を介した情緒的教育を求めている。けれど、2 節で見てきたように、子どもと自然との触れ合い、いわゆる子どもの採集狩猟活動には、
命を奪うという側面があった。食糧難の時代に食べるものを捕ってきた話もあったが、中 には遊び半分で動物を殺していた話もあった。子どもたちは採集狩猟活動の際、獲物を捕 らえて喜び、命を奪って楽しんでいた。その中で罪悪感を覚えた可能性はある。だが、川 と山に囲まれた大自然の中、動物と触れ合いながら育った子どもたちが、現在の社会が望 むような自然との触れ合い方をしていなかったのは事実である。
では、子どもたちは自然をどう見ているのだろうか。話を聞いていて、当時の子どもた ちにとって、自然とはテーマパークであり、同時に、大きなおもちゃ箱のようなものだっ たのではないかと感じた。山や川というテーマパークに遊びに行くと、魚や鳥、カエルや オタマジャクシがいる。言い方は悪いかもしれないが、それらをおもちゃのようにして遊 んでいた。
つまり、子どもは「自然」と学ぶのでなく「自然」と遊ぶのだ。自然と触れ合うことで 自然に対する理解が高まることは確かだ。お話の中で、私が知らない虫や植物、鳥や魚の 名前がどんどん出てきたりすることからもそれは分かる。だが、それは知識である。
したがって、現在大人たちが期待するように、自然と触れ合うことと情緒的教育を単純 に結び付けることはできない。
しかし、大人は自然に対して、このような情緒教育的イメージを持つ。これから連想さ れる例の1つが「自然に触れていないから、今の子どもたちは命の大切さが分かっていな い」25という意見だ。これは、大人が自然と情緒教育を安易に結びつけて論じた意見であ る。
本節で述べてきたとおり、情緒教育と自然を安易に結び付けるのは軽率であるように思 える。大人が望む自然と、子どもが触れる自然は別のものである。
私は自然と触れ合うことは重要であると思っている。多くの論者が指摘しているように、
現代の生活では、テレビやゲームの広がりにより、情報に対して受身になっている面が確 かにある。自然の中では、何に触れるかを考え、触れたものからは何かしらの反応が返っ てくる。水を触れば、水しぶきが跳ね、ひんやりとした感触が肌を刺激し、虫を触れば虫 は逃げるか攻撃してくる。このような能動的経験は部屋の中ではできない経験だ。自然は 今日の社会において重要なものである。人間が地球上で生きている限り、自然環境の悪化 が私たちの生活に悪影響を及ぼすことは事実だ。けれど、自然に傾倒しすぎることで、想
25 少年犯罪が増加傾向にあるという認識が、事実と異なったものであるというのは多くの論者がすでに 指摘しているところである。また、この意見に対して、近年の少年犯罪が凶悪化傾向にあるという指摘も あるが、また事実とは異なる。詳しくは次の文献に譲る(管賀 2007)。
像の自然と実物の自然を混同してはならない。自然を、大人の視点からでなく、子どもの 視点から見直すことも重要ではないだろうか。
謝辞
最後に、今回のフィールドワークでお世話になった方に感謝の意を表したい。
水川の皆さまには、フィールドワーク期間中の1週間、本当にお世話になりました。ご 自身の保育士経験から多くの貴重な話を聞かせて下さったDさん、ご夫婦でお話を伺わせ て下さったCさん、友達同士で話すことで、当時の空気を感じさせて下さったAさん、罠 について教えて下さったBさん、論の中では触れられなかったが、私の調査を受け入れて 下さった徳山聖母保育園の皆さま、その他大勢のご好意に甘えさせていただきました。ま た、宿泊したウッドハウスおろくぼの皆さんにも感謝しています。ありがとうございまし た。
そして、フィールドワーク中はもちろんのこと、帰ってきてからも私を励まし、導いて くれた先生方、苦楽を共にしたコースのみなさん、ありがとうございました。
参考文献 河合雅雄
1990『子どもと自然』岩波書店 管賀江留郎
2007『戦前の少年犯罪』築地書館
参考 HP
環境省・文部科学省
『「つながり」に気づき、あなたから始めよう―環境保全の意欲の増進及び環境教育の 推進について―』 環境省
http://www.env.go.jp/policy/suishin_ho/ (2009/07/16 現在) 財団法人ソニー教育財団
『Web Magazine見えた!?科学する心vol.23』ソニー幼児教育支援プログラム
http://www.sony-ef.or.jp/preschool/webmagazine/webmag_jirei/jirei23_01.html (2009/06/26 現在)
文部科学省
『環境保全の意欲の増進及び環境教育の推進に関する基本的な方針について』
文部科学省
http://202.232.86.81/b_menu/houdou/16/09/04092401.htm (2009/07/18 現在)